>>380
減らしたのは単純に身長も低かったし
必要エネルギー自体も少なかったろうってことだけど
このあたりにみんな引っかかるのかな。

それと緊急時や合戦時は10時間労働もあったろうけど
当時はいくらなんでも平時の兵士はそこまで労働しないでしょう。
夜なんかは暗くて行動できないし朝も平均で明るくなるのは6時以降
とすると起きてる稼働時間が12時間で食事や休息もあったろうから
8時間でもフル可動は多いぐらいだと思う。
これも減らした理由の一つ。

武士限定でも、合戦とかそこまでの移動というのはかなりの緊急時
でしょう。
一番合戦や移動が多かったのは秀吉の時ぐらいとは思うけど
それでも年柄年中合戦してたわけじゃない。
彼は城をとりまいてそこでまったり攻撃も多いし。

だから総合的に5・5合というのはあくまで緊急移動時の
かなり多めの支給で、それを「平均的」と捉えるのは少し
中央値が違うように思えて、それも減らした理由。

もちろん緊急時はもっと食べたかもしれないし上で指摘されたけど
物々交換用の分もあるから5合以上支給されたたというのは記録通り
事実だとは思うんだ。
そして基本全部くっちまった、のも貴重で捨てるわけないから事実とは
思うけど、これは平時以外の稀な例であって、いくら戦国の武士でも
毎日5・5合食べてた、というのはにわかには信じがたい、ということで。

さらに少し話それるけど、現代で16100のはともかく
当時は夜になったら必ず?寝てたし、娯楽もなくてなにもしてない
状態も多かったろうから、これも必要カロリーを減らした理由の一つ。

このあたりはそれこそ「戦国にいたこともないくせにそこまでわかるのか」と
言われたらなんだから主張する気はないけど、明治〜昭和初期の100%百姓
の我が家は爺婆、仕事以外の時はとにかく寝てたもの。
夕は4〜5時には帰ってきて7時にはガーガー寝てた。

だから昔は全部人力だから今よりカロリーが必要というのは
わかるのだけど、その分シンプルな生活だから今より「多く必要」とも
なかなか言い切れないとは思うんだ。これは自分が百姓系だから
よくわかる。おにぎり2こずつで1合、3食食べても3合、もう2個多く食べても
4合、これに大根汁、海の方なら魚汁、こんで十分と思う。

少なくとも飛騨の山奥の百姓はこれ以上食べるような「裕福」な生活では
なかった。
武士もそうで働き盛りなら5〜6合、ガキやおっさんで4〜5合、これが緊急
稼働時のエネルギーであって日常時はもう少しすくなくなるぐらい
と言う感じで現代の百姓さんと当時の武士さんたちが大体同じぐらいの4〜4.5ぐらいかなってね。
これなら現代人の16100と比べてもそんなにおかしな数値じゃないんじゃないかな。