トップページsengoku
987コメント380KB

戦国時代の食事5膳目

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dV
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


0376人間七七四年2011/08/29(月) 11:38:28.38ID:WGJPZTNB
>>375
いやだから>>372の言う3人で4合でもあまるくらいの副食とやらを聞きたいのよ
0377人間七七四年2011/08/29(月) 11:43:56.95ID:h+NfV9P/
>>372
仮の計算結果(>>364)を認めながら「一日5合は多い」って結論になる(思考)過程がわからない……
0378人間七七四年2011/08/29(月) 11:50:47.46ID:xy074avB
>>376
バカの相手をする必要はない。
戦国期の食生活を現代と比べるなんてのはキチガイ以外の何者でもない。

>>372はこれから米だけは備蓄してある状況で、家族で電気ガス水道、さらに交通機関を一切使わず
しかも買い物も月1度に制限し、その上で食生活がどうなったかを確認してから書きこめ。
0379人間七七四年2011/08/29(月) 15:28:21.55ID:o4IApyad
>>377
いやさ、細かいけど計算上は4,7合でしょう。
これは仕事してる成人一般男性だから
してない時とかその他系の女性老人とか含めると
もう少し平均が少なくなるかなってこと。
あくまで総論トータル的に5・5合を毎日必ず必要
食べてたかと言われると、実際はもう少し少ないぐらい
でなかったかな、ということ。

>>376
なんか最初から勘違いしてるようだけど、副食は
うちは取らないのだってば。おやつとかジュースとかもなし。
今時そんなやついるか?と言われたことあるけど
クーラーもないし電気温水器もないしシャワーもないし、腹が
減ったらお茶のんでるぐらい。

電気ガス水道台足しても1万円いかないぐらいだし
これは冷蔵庫なんかの電気代であって実際はかなり節約
してる感じはする。

話戻して現代でもかなり節約していれば5・5合は多いと思うし
昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
多く感じるな、ということ。
反論じゃないが、現代と比較してるのはみんなのほうで
飛騨の山奥でついこないだまで井戸水使った生活をしてたし
この夏も米よりイモやトウモロコシで昼はすませてるし
冬は大根汁ばかり。
こういうのは戦国はともかく江戸期とあまり変わらないような
シンプルな生活だと思うし、あくまで実感ということね。3人で
半分は畑仕事みたいなもんだし。

風呂も今でも薪でたくし夏なんか川で水あびておしまいも多いし
かなりシンプルでしょう。
こういう生活はあくまで実感で5・5合は多いなと思うし
昔だったらもっと少なくてもいい、と思ってるということ。
バカとかキチガイと言う前にこういう生活を10年ぐらいして
どのくらいのエネルギーが必要かを計算じゃなくて
実際に体験してそれから判断したほうがいいんじゃないかな。

わしは少なくとも体験談だから反論されても困るというだけのことで
貧乏自慢みたいでこういう話はあまりしたくないんだけどね。長くてごめん。
0380人間七七四年2011/08/29(月) 16:13:59.06ID:h+NfV9P/
>>379
4.7合は”最低限必要な計算値”であって減らしてどうするの……みんな即身成仏しちゃうぞ?
まぁ日に2時間余計に(10時間)働くだけで最低6合は必要ってだけ再指摘を

>昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
昔は人間の労働=生産力で、仕事の内容はほとんど肉体労働な状況で
そういう”認識”をする理由は教えてほしいな、
(とりあえず機械や農薬使わずに農業してみれば、それが誤認とわかると思うけど)

まぁ昔の人がどれくらいの時間を労働に費やしたか、のは正直わからないけど
合戦中は、朝3時出陣合戦6時頃から夕方までなんてパターンもあるので
戦時配給の米は多いように見えても基本全部食っちまったんじゃないか、とは自分は思いますね
つか合戦前に米をもらっても重いだけで邪魔くさいと思う……

つか「一日に5合」って元話は武士の場合だよね? もともと女子供老人含めてないよね??
だから体重50kgの肉体労働者てなのを基本にして計算したんだけど
0381人間七七四年2011/08/29(月) 16:22:44.71ID:888+R2dq
>>379
確かに1日5合っていうのはにわかに信じられないほど多い。
でもそれって現代人の感じ方なんだろうと思う。
0382人間七七四年2011/08/29(月) 18:54:46.82ID:o4IApyad
>>380
減らしたのは単純に身長も低かったし
必要エネルギー自体も少なかったろうってことだけど
このあたりにみんな引っかかるのかな。

それと緊急時や合戦時は10時間労働もあったろうけど
当時はいくらなんでも平時の兵士はそこまで労働しないでしょう。
夜なんかは暗くて行動できないし朝も平均で明るくなるのは6時以降
とすると起きてる稼働時間が12時間で食事や休息もあったろうから
8時間でもフル可動は多いぐらいだと思う。
これも減らした理由の一つ。

武士限定でも、合戦とかそこまでの移動というのはかなりの緊急時
でしょう。
一番合戦や移動が多かったのは秀吉の時ぐらいとは思うけど
それでも年柄年中合戦してたわけじゃない。
彼は城をとりまいてそこでまったり攻撃も多いし。

だから総合的に5・5合というのはあくまで緊急移動時の
かなり多めの支給で、それを「平均的」と捉えるのは少し
中央値が違うように思えて、それも減らした理由。

もちろん緊急時はもっと食べたかもしれないし上で指摘されたけど
物々交換用の分もあるから5合以上支給されたたというのは記録通り
事実だとは思うんだ。
そして基本全部くっちまった、のも貴重で捨てるわけないから事実とは
思うけど、これは平時以外の稀な例であって、いくら戦国の武士でも
毎日5・5合食べてた、というのはにわかには信じがたい、ということで。

さらに少し話それるけど、現代で16100のはともかく
当時は夜になったら必ず?寝てたし、娯楽もなくてなにもしてない
状態も多かったろうから、これも必要カロリーを減らした理由の一つ。

このあたりはそれこそ「戦国にいたこともないくせにそこまでわかるのか」と
言われたらなんだから主張する気はないけど、明治〜昭和初期の100%百姓
の我が家は爺婆、仕事以外の時はとにかく寝てたもの。
夕は4〜5時には帰ってきて7時にはガーガー寝てた。

だから昔は全部人力だから今よりカロリーが必要というのは
わかるのだけど、その分シンプルな生活だから今より「多く必要」とも
なかなか言い切れないとは思うんだ。これは自分が百姓系だから
よくわかる。おにぎり2こずつで1合、3食食べても3合、もう2個多く食べても
4合、これに大根汁、海の方なら魚汁、こんで十分と思う。

少なくとも飛騨の山奥の百姓はこれ以上食べるような「裕福」な生活では
なかった。
武士もそうで働き盛りなら5〜6合、ガキやおっさんで4〜5合、これが緊急
稼働時のエネルギーであって日常時はもう少しすくなくなるぐらい
と言う感じで現代の百姓さんと当時の武士さんたちが大体同じぐらいの4〜4.5ぐらいかなってね。
これなら現代人の16100と比べてもそんなにおかしな数値じゃないんじゃないかな。
0383人間七七四年2011/08/29(月) 18:59:10.10ID:jyOVpSMm
>379
勝手に女性を加えちゃダメだよ。江戸時代の幕府の扶持米でも男性は1日5合で女性は1日3合換算。
0384人間七七四年2011/08/29(月) 19:49:25.83ID:h+NfV9P/
>>382
>減らしたのは単純に身長も低かったし
もとの計算みてほしいのだけど「体重50kg」を想定してるよ(現在日本男子平均70kg)
また、基礎代謝と労働量、で求めているので、それ以外の活動するならもっと必要な最低数値(4.7合)だよ
労働以外横になっていても必要な計算値、かってに削ったら生きてけない最低数値
それを削ったら、アウシュビッツ(一日1600kcal)とおなじ状況になる、とご理解を

つか肉労働数時間したら、だれでも休憩は横になっちゃうぞ(じっちゃんばっちゃん、疲労回復に横になってたんだよ)
それをサボってるからカロリーいらない、みたいな見方をするのは、ちょっと……あなた、ホントはものすごく若くない??
農薬除草剤がどんなけ農業革命(労働軽減したか)だったか、戦前まで日本農業はどれだけ重労働だったか
そこらは、百姓系なら、戦国に言及する以前にちょっと調べてほしところかな(今の兼業できる農業で昔を語る前に)
0385人間七七四年2011/08/29(月) 20:28:24.82ID:o4IApyad
>>384
そそ、肉体労働したらコマメに休憩するからその分引いて
8時間は多い、っていったんだけどね。

それと決して反論じゃないけど、自分は先祖代々の百姓で親は
野麦峠やってるし重労働はよくわかるよ。
わしも働きに出た頃は週一休みで30日休みなしなんてザラだった。
54日連続出勤のタイムカードはまだ持ってるしね。

そういう経験則から言うのだけど今の学者さんの調査や数字は
そういう実体験とはかなり実感として違う。
江戸暗黒史観が見直されたのはいいことだけど
再びまた「そうじゃない、農業革命前は〜」という言い方をよく聞くので
少し長引いて話をしてるだけ。

決してそっちの言ってることを否定してるわけじゃないし間違ってるというわけでもないよ。
ただ別のとこでも「産業革命前に〜〜できない」みたいな論をこのところ
よく聞くから、そういうのがまた流行りだしたのかなってちょっと気になってた
ものでね。
日本史も世界史もヘタすると自分で調査せずに先行データをさらに孫引きして
解釈してやれ平均年齢とか数値で答えろ、とか見かけるから。

話戻して確かに昔は重労働だったし全部手作業ではあった。
ただ武士に5・5合支給されてたからといって毎日彼らが必ずそのぐらいを
食べてた、という結論は少し多いと思うしそれはあくまで緊急時稼働時で
平時はまた違うのでは、という一般論がこちらの主張。

それにまた反論受けそうだけど経験だと
少ない時は少なくなんとかする、農閑期にごっそり食べて太る
田植えでやせる、とかこういう話でこっちの苦労もおわかり頂けないかな。
「人間は食べダメ」できないという反論を受けたこともあるんだけど実際に
収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とかいろんな
生活があったんだけど、データではあんまりそういうのみかけないものね
やっぱり平均とか年間消費が〜とかになって。
だから、調べる、と言われてもこちらは経験があるから「調べる」こと自体を
あまり重視してないような部分もある。

決して軽視したりしてるわけじゃないからその点はご理解頂きたいの
だけど。うちで食べてた量が382なんだけど、こうやって生きてきた、
というのも立派な実体験調査というように自分は思うので。
0386人間七七四年2011/08/29(月) 21:08:34.20ID:bvRWPen2
こら議論が嚊み合う訳は無いわ。
片一方がしっかり前提条件を付けてデータに基いて話してるのに、
ワシはそう思わん、という話だけじゃな。

参考までに江戸末期の貧乏な非肉体労働者(武士)の食糧事情だけど、
祖母-父母(60代)-当主妻(30.代)-娘(2歳)+下男・下女で一年玄米8石(1200kg)
精米歩合を90%として白米1080kg=7200合
一年365日として1日8人で19.7合=一人頭2.5合
となってる。
勿論、祖母や父母、娘全員が2.5合食ってる訳もない(食える筈も無い)ので、
実際には非肉体労働者でも3〜3.5合は楽に食ってたんじゃないかな。
ましてや今回の仮定は肉体労働者なんだから尚更だし。
0387人間七七四年2011/08/29(月) 21:19:58.58ID:ysX4tuUO
おれはなかなか面白いやりとりだと思うぜ
0388人間七七四年2011/08/29(月) 22:07:10.09ID:ZiqoZWf6
3行
にまとめろよ
長文なら馬鹿でも書ける
0389人間七七四年2011/08/30(火) 04:50:59.47ID:ldMR+Clg
どっかで見たようなやり取りだなあw

次は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の話が出てきそうだw
0390人間七七四年2011/08/30(火) 11:05:23.40ID:EcU7NI32
>>389
あれは「味噌と少しの野菜」に関しては
具体的な数値が提示されてないからなぁ
0391人間七七四年2011/08/30(火) 16:29:04.38ID:gspEkZbz
>>385
実体験を否定しているわけではありませんよ、お間違い無く

>8時間は多い、っていったんだけどね
当時の生活のサンプルとして、現在の永平寺の修行一日、で労働時間を仮計算します
起床0330、食事”掃除”含む朝課終了0800(ここまで実質労働3時間)
”作務”開始0900、昼食1100(ここまで5時間)
午後の”作務”開始1300、晩課薬石(夕食)1630(ここまで8時間30分)
夜座1930開始 就寝2100

以上のように、当時の普通の生活とほぼ同等と思われる禅僧の生活でも
実質労働時間は現在より多いわけで……

>「産業革命前に〜〜できない」みたいな論
当方、それを避けるために計算前に前提をすべて提示しております

>収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とか
米(穀類)の収穫は一年に1回なので、人もそれに合わせたスパン(一年)で考えるべき
とすると、季節の個体の状況(痩せたり太ったり)は意味ないんですよ
つか年俸交渉してる野球選手に、プレーオフ時期の分給料減らすべき、なんて言えないですよね?
0392人間七七四年2011/08/30(火) 16:59:07.97ID://Uz0fS7
自分語りのスレに迷い込んだようだ
0393人間七七四年2011/08/30(火) 22:21:51.35ID:J7n8R4Wb
>>358
>江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
>多すぎやしないかな。

>戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
>やっぱり多すぎるような気がする。
>酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。

江戸期の役所勤めしかしていない武士と、戦国期の行軍中の兵士とでは、必要エネルギーが全く違うはずだけど、
具体的に、何にどういう風に書いてたの?
0394人間七七四年2011/08/31(水) 14:28:18.93ID:gxr1yPGY
米を酒に、の表記は大概雑兵物語がソースなんでないかな。
0395人間七七四年2011/08/31(水) 18:33:20.11ID:cVYVs/k6
豊臣秀吉が天正15年6月29日の、バテレン追放令の前日に出した十一ヶ条の通達では、
イエズス会宣教師の牛馬の肉食を批判している。このころも牛馬の肉を食うのは倫理的にも
非難されるべき行為であったと言うことがわかる。
0396人間七七四年2011/08/31(水) 18:52:24.59ID:kVHmdvqs
当時の南蛮人が牛馬肉くえたのは「日本人が肉を売りに来た」からだぞ
0397人間七七四年2011/08/31(水) 19:58:59.35ID:X///wZAT
街中で狩猟を
0398人間七七四年2011/08/31(水) 22:10:24.36ID:1nKedA+S
>>394
そこだけはどうでもよくて、それ以外の箇所についてのソースの話なんだけど
0399人間七七四年2011/09/03(土) 21:06:09.76ID:c3390Tjk
豊後府内では、宣教師が祝祭に牛を一頭購入して牛飯にして振舞ったという記録がある。
0400人間七七四年2011/09/04(日) 10:37:11.64ID:5cVtUytW
それは何年頃のこと?
0401人間七七四年2011/09/04(日) 11:11:42.72ID:i0k4tUol
1557年のことらしい
0402人間七七四年2011/09/04(日) 14:59:43.50ID:zfplFunb
品種改良以前の牛は臭くて硬くて不味かったから、それをごまかすスパイスのたぐいのない日本で
それを振舞われた人たちはひどい目にあっただろうな。
0403人間七七四年2011/09/04(日) 15:16:26.14ID:4xE7f96g
生姜、にんにく、唐辛子は当時も手に入るんじゃないか。
0404人間七七四年2011/09/04(日) 16:20:41.55ID:5cVtUytW
>>402
当時のスパイスって、薬だろ。
味を良くするためなんて、贅沢な理由に使われたのは、ヨーロッパでもずっと後の時代の話。
0405人間七七四年2011/09/04(日) 16:44:08.77ID:w18rASul
えっ
0406人間七七四年2011/09/04(日) 18:27:34.65ID:3c5yqund
>>404
ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため
0407人間七七四年2011/09/04(日) 18:29:34.43ID:iB03LhiB
味噌で煮込めば大丈夫そうだけど
0408人間七七四年2011/09/04(日) 18:59:42.56ID:/29PxSvN
日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
生姜は醤油がなかった時代から合わせ酢にして食卓に

でもニンニクは一般に広まったのは戦後だったりする……それ以前は漢方薬
0409人間七七四年2011/09/04(日) 19:05:40.70ID:5cVtUytW
>>406
>100%味付けのため

これのソースは何?

>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。

ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。

>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。

それは明らかに俗説だな。
0410人間七七四年2011/09/04(日) 19:08:12.80ID:5cVtUytW
>>408
>日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)

いつの時代か書かないと、全然意味がないよ。
少なくとも、戦国時代は一般的ではなかった。

ザビエルが、換金目的で胡椒を持っていたが、日本では需要が無かったため
役に立たなかった、という記録があるし。
0411人間七七四年2011/09/04(日) 19:17:20.86ID:i0k4tUol
CiNiiの「江戸料理本に見る香辛食品利用の調査研究」は面白いんでおすすめ
0412人間七七四年2011/09/04(日) 19:42:51.91ID:/29PxSvN
>>410
む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
よく出る雑兵物語にも、足軽が戦場に(生水対策で)胡椒もってく話なかったっけ
0413人間七七四年2011/09/04(日) 19:57:13.40ID:5cVtUytW
>>412
>江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど

料理物語はちゃんと読んだこと無いけど、ちょっと信じがたいな。
そもそも室町時代って、にゅうめんはポピュラーだったけど、素麺って食べてたんだっけ?

>む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

具体的にどの本に書いてたかはすぐに思い出せないけど、ヤジロウに関する研究書だったと思う。

>雑兵物語にも

確かにこういう記述はあるな。
「梅干は在陣中一つで賄へども、胡椒粒は在陣中日数程は入べいぞ。夏も冬も、朝一粒づゝかじれば、
冷にも熱にもあてられない物だ程に、是は梅干とはちがひて、がいに入べいぞ。」
0414人間七七四年2011/09/04(日) 20:22:44.25ID:4xE7f96g
なんとなく思ったんだが、その胡椒って現代の俺たちがイメージする胡椒じゃなくて、
山椒とかの可能性は無いのかな?
0415人間七七四年2011/09/04(日) 20:51:15.12ID:4xE7f96g
連投になるが、山椒飯とかも調べたらあるみたいだし、お吸い物にも葉を浮かべたりする、
素麺のCMとかで上に飾りみたいに乗せてるのも山椒の葉じゃないか。
0416人間七七四年2011/09/04(日) 21:26:41.99ID:7oM5xILy
地域によっては、「胡椒」と「唐辛子」がほぼ同じ意味で使われていたりするからぁ・・・。
0417人間七七四年2011/09/04(日) 22:05:35.12ID:5cVtUytW
>>416
ヒンディー語でも、唐辛子はMirch。
黒胡椒はKali Mirch、白胡椒がSafed Mirchというように、頭に色の名前付けて区別してるだけだしね。
0418人間七七四年2011/09/05(月) 02:57:30.80ID:EFUfNwxZ
>>409
ローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。
0419人間七七四年2011/09/05(月) 08:03:39.45ID:XE9aSeRM
>>417
ヒンディー語ってアルファベット使うの?
0420人間七七四年2011/09/05(月) 08:44:02.40ID:t+sCvwSM
>>419
デーヴァナーガリー文字読める奴がここに何人いるんだよw
0421人間七七四年2011/09/05(月) 10:16:48.46ID:MYkEi6oP
大学でデーヴァナーガリー習ったよ
まあ自分の名前かけるだけでヒンディー語を習ったわけではないんだけど
0422人間七七四年2011/09/05(月) 11:26:44.33ID:IV6/COiS
>>413
ありがとう
たしかに>>415の指摘は否定できないけど、でも基本日本料理の香味ってだいたい同じ使い方をするんだよね……
(三つ葉然りしょうが然り)
日本での胡椒の使い方は西欧とちがって”薬味”なので、使う量が決定的に違うから
自分は、ザビエル(>>410)の話は胡椒を高く多量に購入するものがいなかった、って理解してた

ここらは決定的な証拠も無いので正誤の判断難しいよなぁ……
0423人間七七四年2011/09/05(月) 19:35:44.04ID:laIpJQUr
>>420
じゃ、カタカナで。
0424人間七七四年2011/09/05(月) 19:38:05.92ID:laIpJQUr
ツランセクショー
とか。
0425人間七七四年2011/09/05(月) 19:51:15.82ID:CZCYOe6K
>>416
ただ胡という字を使っているから、土着ではなく、外来のものだろうね。
少なくとも、山椒=胡椒の可能性は低いと思う。
0426人間七七四年2011/09/05(月) 21:29:52.68ID:rPjncRBZ
wikiより抜粋
>中国では花椒(かしょう)と呼び・・・、漢方では健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされ、
英名はJapanese pepper。

山椒は元々日本に有って、別名のハジカミとか、当時はそれまで別の名前で呼ばれていたが、
中国名の呼び名、花椒(かしょう)が伝わったとき、(こしょう)に変化したと考えられるかも。
0427人間七七四年2011/09/05(月) 22:12:49.20ID:CZCYOe6K
こんなとき、邦訳日葡辞典が手元にあれば、、
0428人間七七四年2011/09/05(月) 22:15:42.55ID:9+97yTCv
民明書房
0429人間七七四年2011/09/05(月) 22:26:06.34ID:IV6/COiS
>>426
胡椒は正倉院に収められたくらいから”胡椒”表記だったよ
0430人間七七四年2011/09/05(月) 22:58:01.62ID:rPjncRBZ
胡椒=山椒説を強く押す材料は無いんですが。
正倉院に有るのは今、知ったのですが、時代が下がって室町、戦国時代でも当然本物の胡椒は希少な物で、
>>412-413に書かれているように一般に広く出回るような物では無いでしょう。
しかし山椒の実(種)を乾燥させた物は黒胡椒に見た目には似ているので、
一般の間で、両者が混同された可能性も捨てきれないのでは。
0431人間七七四年2011/09/05(月) 23:22:08.72ID:CWyPqJ1q
料理物語では山椒と胡椒は区別して書かれてるけどねー
0432人間七七四年2011/09/05(月) 23:28:20.76ID:IV6/COiS
胡椒が雑兵が用意できる(毎日二粒)くらいの一般的な「薬」ではあった、のは事実じゃない?
それを「一般に広く出回るような物では無い」って判断するのはいかがなものか

知られて数百年たってるものを「混同した」と断言するには、それなりの確証が必要だとは思うけどな
0433人間七七四年2011/09/06(火) 00:40:13.70ID:ENb67BAe
調理師の俺が知ってる範囲だと山椒と胡椒は見た目も味も使い方も別物
地面に植わってる状態でも見ればすぐにわかるほどぜんぜん違う
混同したというのはありえないと思う
04344302011/09/06(火) 10:47:44.80ID:X9394BwA
私には、これ以上説を唱える根拠が無いので、>>431-433さんの疑問の反論で、
この話題についての書き込みは終わりたいと思います。

431さん、料理物語は江戸時代の物では、つまり>>413
>「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」の部分は、
江戸時代の著者が、伝え聞いた物をそのまま書いたと考えられます。
他の記述で、胡椒と山椒が区別されていても、問題はないと思いますが。

432さん、正倉院に納められた本物の胡椒を一般の人々が目にする機会は、まず無いのでは。
香辛料でなく薬としての用途に限られているので、同じように胃の効能がある胡椒と山椒、
そして、日本で自生している山椒で薬として代用できるなら、輸入でしか手に入らない胡椒が一般に普及していたとは考えにくいのでは。

433さん、山椒の実を乾燥させた物と、粒胡椒とは似ていませんか?
また当時の物と、現在の栽培されたり品種改良された物が、大きさ、見た目などが違う事も有るのでは。
0435人間七七四年2011/09/06(火) 15:01:58.74ID:Nx3rUJsm
>>434
見かけが似ていても”口にした時点”で山椒と胡椒を間違えるとは思えませんけど……

まぁ鎌倉室町戦国は中国文化が日本におおきく影響した時代なので
中華料理に使われていた”胡椒”だけが除外された、と強論するには、疑問を呈するだけではちょっと……
胡椒を入手するルート、中国貿易は私貿易も入れれば歴史上止まったことはありませんので
「胡椒使用が日本では中断した」という仮説の根拠のほうが、自分は気になります

ただ素麺も元々中国料理なので、日本に来た当時胡椒と一緒に出された、という話は信憑性があると思います
0436人間七七四年2011/09/06(火) 15:21:07.96ID:0mwnOTW3
口にした時にどんだけ違いがあろうが、すでにそれについて知識のある人の目には
どれだけ違いがあろうが、知識の無い人間にはどっちがどっちかなんてわからんでしょ。
0437人間七七四年2011/09/06(火) 15:26:26.62ID:Nx3rUJsm
>>436
胡椒も山椒も「漢方薬」としての歴史は古いんですよ
個人的な勘違いは別にして、漢方医は区別できるわけで
0438人間七七四年2011/09/06(火) 20:10:52.93ID:2+0yhdJm
これまでの流れをまとめると、

1. 戦国時代、胡椒がどれだけ希少性があったか
2. ザビエルが来日した1550年頃のエピソードと、雑兵物語の記述に矛盾がある
3. 同じ「胡椒」という名称を使っていても、別の香辛料を指しているんじゃないか

という話の流れだが、、

16C後半の日本というのは、初めてのヨーロッパ人との接触が起き、その後
急速にいろんな文物が入ってきているんで、普及度については10年か20年
ぐらいに細かく区切らないと、話が全然噛み合わないってことがある。

ザビエルが来た当初は、希少なものだったのが、その後数10年で供給量が
一気に増えた可能性を考えた方がいいかと思う。
0439人間七七四年2011/09/06(火) 20:36:07.72ID:2+0yhdJm
あと、胡椒も加工方法の違いで黒胡椒(比較的安価)と白胡椒(高価)の違いがあったり、
赤胡椒のように、胡椒と似ていても全然別種のものもあったりするんで、その辺りも注意が必要。
0440人間七七四年2011/09/06(火) 20:46:05.71ID:2+0yhdJm
>>413
この「入べいぞ」ってどういう意味なんだろう?
誰か解説してもらえませんか?
0441人間七七四年2011/09/06(火) 21:27:46.19ID:DnPcunJI
「(持ち物に)入れておくべきだ。」という位の意味だね。
0442人間七七四年2011/09/07(水) 03:34:01.58ID:5GuBIncI
>>438
さらに「胡椒が料理に使われていたか」てな問題もあるよ

ニンニクなんて漢方薬として古くから知られていたけど
料理に使われることが広まったのは戦後最近なんて例もあるし
0443人間七七四年2011/09/07(水) 09:13:46.73ID:nCoWVbxp
昔は唐辛子を胡椒って言ってたジャン。
柚子胡椒とかそうだし。
0444人間七七四年2011/09/07(水) 14:10:27.64ID:5GuBIncI
九州で唐辛子を「胡椒」と呼ぶ地方では、胡椒のことは「洋胡椒」とよんで”区別”してるよ
大和本草(江戸時代)では唐辛子のことを「高麗胡椒」って記述があり
朝鮮の芝峰縲絏では「南蛮椒」って書かれてる
つまり当時の”呼び名”は似ていても「胡椒とは別物」扱い

だから戦国時代でも、唐辛子と胡椒は混同しなかった、と考えていいと思うよ
もちろん山椒と胡椒もね
0445人間七七四年2011/09/07(水) 15:20:51.36ID:ShgMeNv+
青椒が入ってきたのも戦国期だな
0446人間七七四年2011/09/07(水) 19:48:07.23ID:9GZQvx8/
あおしょう?
0447人間七七四年2011/09/07(水) 20:01:34.42ID:be1KAHYI
青椒肉絲
つまりピーマン
0448人間七七四年2011/09/07(水) 22:22:48.77ID:lzfdOJ4g
ちんじゃーらおしょー
0449人間七七四年2011/09/08(木) 01:12:21.87ID:2JpbI9CQ
しろうと家庭菜園だとやたら辛いピーマンたまにできるよな
0450人間七七四年2011/09/08(木) 01:57:23.87ID:ESYgwwiu
>>430はなんでそんなに山椒と胡椒が混同されてたことにしたいの?
0451人間七七四年2011/09/09(金) 21:13:03.95ID:ZXXow06W
もうその話は終わってるよ。
>>438で、いったん仕切り直しだな
0452人間七七四年2011/09/10(土) 02:35:36.07ID:W53MTNys
うちに庭でも山椒はすぐにできるけど
いい香りだもんな。
0453人間七七四年2011/09/10(土) 08:51:42.12ID:Q87Vu3V6
独り言?
0454人間七七四年2011/09/10(土) 10:53:08.07ID:FgxTN5EO
戦国の人間に添加物バリバリの現代食を食わせたら吐くかな?
0455人間七七四年2011/09/10(土) 11:06:14.51ID:y6IzDPr9
「塩味がまったく感じない、不味い」とか。
カレーとかラーメンだったら何とかなるかな?
0456人間七七四年2011/09/10(土) 14:24:20.04ID:/ZR7c5e4
秀吉はそばがきが好きだったらしいな
0457人間七七四年2011/09/11(日) 07:35:30.56ID:FUSYUV/k
>>455
”甘味”は江戸時代になってから広がった味付けだけど
それが主流な今の味は、当時でも「うまい」部類になると思う
0458人間七七四年2011/09/11(日) 09:21:19.73ID:wEBrc3x5
戦国時代は、甘みを料理に加えること無かったの?
0459人間七七四年2011/09/11(日) 10:09:05.80ID:PQc1itCw
戦国後期には味醂とかあった気が
0460人間七七四年2011/09/11(日) 11:53:05.15ID:M/nZuTML
今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
わしも月に1こがせいぜいで2こめは気分が悪くなる。
カレーは下っ端武士なら喜んだかもしれないが
公家みたいな人たちにはどうだろうなぁ。
0461人間七七四年2011/09/11(日) 13:18:28.80ID:Fcfd8sWv
インスタントやレトルト食品の化調がガッツリ効いた味つけは
濃すぎて受け付けないだろうな。
0462人間七七四年2011/09/11(日) 13:54:28.62ID:iMcYXpjm
俺らが外国の料理に違和感感じるのと同じになるかもね
0463人間七七四年2011/09/11(日) 15:31:58.74ID:flS53RUC
>>460
> 今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
カップラーメン?
0464人間七七四年2011/09/11(日) 15:39:29.92ID:M/nZuTML
>>463
ヤキソバもね。
0465人間七七四年2011/09/11(日) 18:26:04.68ID:AWnF3dp6
粉末ソースを半分くらいにしたらいいのに
0466人間七七四年2011/09/11(日) 18:52:42.79ID:FUSYUV/k
>>459
酒はみりん系(忍冬酒とか)あったけど、料理にくわえた例はあんまりないんじゃないかな(レシピが残ってない)

>>460
今の爺婆は年齢的に完全にアジノモト世代だぜ、カップ麺はそれより油が……

何でも”使い方”、戦前の美食家、魯山人も自分でアジノモトつかってたし
全くなかった戦国時代でも化調は受け入れられる、と思うけどね
まぁ中国本土の中華ぐらいつかったらだめだろうけど……
0467人間七七四年2011/09/11(日) 18:53:46.87ID:ivTxWt54
甘いものって当時は干し柿くらいだろ。
0468人間七七四年2011/09/11(日) 21:45:50.89ID:M/nZuTML
>>466
化調ってか、インスタントってなんというか
人工品だし独特のまずさがあるじゃない。
一口目は確かに「美味しいね」みたいには言ってくれるけど
よくて3口目には変な顔するものね。
もちろん爺婆でも出始めた頃に食べてれば慣れてるだろうけど
戦国時代の人に食べさせたらやっぱり最初は気持ち悪いって言うと
思うよ。
ところでコーラはどうだろう。
知人で小学校になるまで炭酸飲ませなかったのがいるけど
「まずい」って言って中高生ぐらいになってもコーラ嫌いだったそうな。

好き嫌いはまた別の話だろうけどカレー嫌いとかチョコ嫌いとか
いるものね。
戦国の人にキンキンに冷えたコーラ飲ませたら「喉が焼ける、毒だ」
ってこっちが斬られかねんな。
0469人間七七四年2011/09/11(日) 22:31:47.03ID:2NYFZg17
炭酸水自体は天然炭酸の温泉があったりするから、
慣れてる人は何とかなるんじゃないかな。
まぁなにより個人差が大きいだろうけどね。
好きな人は好きだろうし嫌いな人は嫌い、
という今と余り変わらない結論に落ち着きそうな予感。
0470人間七七四年2011/09/11(日) 22:40:29.33ID:fJfZFWIm
日本酒でも微炭酸のなかったっけ
0471人間七七四年2011/09/11(日) 23:15:15.71ID:wEBrc3x5
>>467

>>151辺りの話が出てきて、無限ループが始まるような気が
0472人間七七四年2011/09/11(日) 23:17:00.42ID:EsR1MLgZ
南蛮渡来の滋養強壮薬ですと言えば、甘味も有るしコーラとか炭酸飲料は受け入れやすいかもな。
0473人間七七四年2011/09/11(日) 23:35:46.72ID:M/nZuTML
みかんってのは昔から今みたいに美味しかったのかな。
戦国期ならかなりのごちそうって感じがするが
とれる場所が限定されてるか。
0474人間七七四年2011/09/12(月) 00:08:13.54ID:z/EZ5cgl
>>473
現在主流の糖度が高いミカンはほとんど江戸時代に発見輸入されたのよね

それ以前のミカンは酸っぱいのが主流(漢方薬として利用)
今だと、ゆず、キンカン、ダイダイとかが該当するかと
0475人間七七四年2011/09/12(月) 00:09:12.39ID:FPIWFeaR
光秀ェ・・・
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています