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戦国時代の食事5膳目

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0001人間七七四年2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dV
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


0330人間七七四年2011/08/24(水) 13:37:16.90ID:cDiC5xf3
狩りの途中「しまった喰いモンがない、コラ百姓なんかだせ、山芋?よしよし」
「鯛のてんぷらウメぇー・・・・・!」
0331人間七七四年2011/08/24(水) 14:27:45.87ID:ldI/Xq8R
てんぷらなんて塩だけでも美味しいし
当時の天然塩だったらマジ美味しかったろうな。
今のわしらのほうがかえって食べられないわ。
0332人間七七四年2011/08/24(水) 17:34:07.15ID:seEs3Ky/
                            塩こそ最高の調味料!!
0333人間七七四年2011/08/24(水) 18:24:48.69ID:zQQfHhue
焼き味噌ホジホジとかきたねえこと書くなよ。
0334人間七七四年2011/08/25(木) 00:21:48.00ID:PeESlgNk
>>330
家康の鯛は、中華風の鯛の唐揚げにニラ塩ダレかけたもの、だったみたいだぞ
0335人間七七四年2011/08/25(木) 00:50:53.20ID:R2iskebo
>>334
なんか普通に美味そうだなそれ
0336人間七七四年2011/08/25(木) 10:08:26.05ID:lSCYePlW
家康のてんぷらは、油が違う。
その油は、まったく生産されていなくて現在ではごくわずかしか残っていない。
(どっかの寺がごくわずかに持っているが、ちびちび特別な客だけに年一回だけ使っている)
0337人間七七四年2011/08/25(木) 10:11:45.73ID:lSCYePlW
かやの油でした。
0338人間七七四年2011/08/25(木) 11:10:57.45ID:xB6C6b+J
へ〜、かやの油なのか。
菜種油というのかなんかの植物を大量に使って
搾り取ったように読んだおぼえがある。
なんにしろポコポコに育った大量の鯛の中でさらに
ホコホコのを選んでその中のテップリした部分だけを
いっぱいあげてその中のいいとこだけを家康に
提供してその中でさらにうまそうなのをヨって食べた
わけだから極上中の極上でまさに王者の美味しさだったろうな。
0339人間七七四年2011/08/25(木) 15:35:30.63ID:2C+uZ1Fq
家康が現代に生きてたら吉野家に足しげく通ってそうだな
店に入った瞬間「特盛一丁!」と言って
出された特盛牛丼をガツガツ食ってそう
0340人間七七四年2011/08/25(木) 15:42:25.66ID:ClAgIDrI
古き良き時代の吉野家ならそのイメージ通り
0341人間七七四年2011/08/25(木) 16:10:05.27ID:xB6C6b+J
>>335
IDが SKE。

>>340
IDが CIA。
0342人間七七四年2011/08/25(木) 17:37:56.29ID:2C+uZ1Fq
後ちゃんこ鍋とかもうまそうに食いそうだな家康は
ファーストフードもマックのハンバーガーは受け付けなさそうだが
ケンタッキーのフライドチキンは口の周りを油まみれにしながら
ガツガツ食ってそうだ
0343人間七七四年2011/08/25(木) 18:30:09.28ID:d3k2mBlM
お前らのレスを読んでたら家康が孤独のグルメのゴローちゃんで再生された
0344人間七七四年2011/08/25(木) 20:17:35.32ID:2C+uZ1Fq
  ∧ ∧
 ( ´・ω・)  おにぎりどうぞ
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、    ,.-、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 
0345人間七七四年2011/08/26(金) 12:36:40.79ID:QDazOluS
保守
0346人間七七四年2011/08/26(金) 14:20:46.88ID:EreUYHxO
この中で戦国時代にあったのはどれ?
0347人間七七四年2011/08/26(金) 14:54:59.64ID:2sJ5dYbl
梅干し こんぶ(煮物) ごはんですよ(ノリ煮) ちりめんじゃこ 塩辛 鮭
…くらい?
0348人間七七四年2011/08/26(金) 14:57:35.37ID:2sJ5dYbl
高菜わすれとった……
0349人間七七四年2011/08/26(金) 15:58:23.53ID:u4u0wjTs
高菜、忘れてしまったんですか!
0350人間七七四年2011/08/26(金) 16:19:13.31ID:HgPcCY/m
おかかみたいなのはおそらくあった。
0351人間七七四年2011/08/26(金) 17:29:28.17ID:2sJ5dYbl
当時は生節までで燻製(本節)なかったから、今のおかかは再現できんのじゃないかなぁ……
0352人間七七四年2011/08/26(金) 18:08:54.46ID:EreUYHxO
わさびやら野沢菜なんかはあったんじゃないか。
ごはんですよはどうだろう、海苔ってあったんかなぁ。
塩辛もイカの塩辛ってあったんだろか。
あったなら北海道では鮭や焼きタラコもあったかもね。
意外と今とかわらんじゃん。
0353人間七七四年2011/08/26(金) 18:10:05.43ID:EreUYHxO
家康なら天むすも食べてたりして。
0354人間七七四年2011/08/26(金) 19:09:58.09ID:2sJ5dYbl
ワサビ漬けも野沢菜も発明?されたのは江戸時代
ノリは昔から佃煮で食ってた、今の板海苔は元禄の発明
塩辛は日葡辞書に記述あり、イカそのものの記述はないけど、いろんな塩辛が作られたと思うよ

たらこ(スケソウダラの卵)は韓国で利用がされてたけど(15世紀くらいから記述有り)
しかし日本だと江戸時代に入ってから広まったものなので、戦国限定だとたぶん無理

鮭は塩ジャケだけでなく生の記述もあり、かなり利用されてたはず
(当時鮭が遡上する川は西日本の方まで広範囲にあった)

現在の天ぷらの原型が確立したのは江戸時代初頭(寛文11年)、天むすはちょっと無理かな

つか当時は板海苔無いから! 今のおにぎりとかなり見かけは違うと思う
0355人間七七四年2011/08/26(金) 19:21:46.02ID:HgPcCY/m
昔のおにぎりはデカかったらしいな。おにぎりの原型と呼ばれる頓食に至ってはひとつに1合半。
0356人間七七四年2011/08/26(金) 20:35:46.23ID:kK3joH8/
>>354
へ〜、ありがと。
ただ、家康がテンプラ食べたというのはよくきくから
ご飯に入れてしまって、天むすを最初に食べたのは家康説を
勝手に広めよっと。
0357人間七七四年2011/08/27(土) 10:29:18.09ID:YUGu4SbQ
>>355
戦国時代の頓食がどんなものだったか、何か記録みたいなものって残ってるの?
0358人間七七四年2011/08/27(土) 11:25:01.58ID:giNBXeld
江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
多すぎやしないかな。

戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
やっぱり多すぎるような気がする。
酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。
0359人間七七四年2011/08/27(土) 11:43:04.15ID:WSoEaRAn
当時は車や電車で移動じゃあないんだぞ
移動するにはそれだけのエネルギーが必要
0360人間七七四年2011/08/27(土) 11:49:40.15ID:zcWFquRU
副菜が現代に比べて少ないってのもある
0361人間七七四年2011/08/27(土) 12:09:33.05ID:1ki89kUV
今でも東南アジアの人間は1日に米をそのくらい食う
0362人間七七四年2011/08/27(土) 13:27:40.05ID:H24TVnmJ
旧軍は1日5.5合
0363人間七七四年2011/08/27(土) 16:34:36.02ID:giNBXeld
もちろんそういう話は知ってるけど基本必要摂取
エネルギーがそこまでいるかなということね。
身長も今より低かったわけだし。
ちなみにみんなどのくらいごはん食べる?
わしはこの10年は1日1食だが体重はほとんど減らない。

東南アジアに関しては、一回そういう高基本摂取を多くしてしまうと
後には戻らないということで、最初から高カロリー品とかなかった
戦国ー江戸期と今とはやはり少し比較はむつかしいとは思う。
0364人間七七四年2011/08/27(土) 18:16:27.64ID:Z/Aqlt6k
昔の食事は”副食”がものすごく少ないから、基本米だけですべての栄養素をまかなっていた
…わけで、すべてのカロリーを米から取ってたと仮定する
現在の肉体労働者の場合、体重50kgで一日2300kcal、一週間に16100kcaol目安と言われてる
で、労働時間で相対的に毎日何合必要か、計算する

現在は労働基準法があるので労働時間は一週間(168時間)に48時間働いてる計算
昔は土日がなく毎日労働、米1合570kcalとすると、
毎日8時間肉体労働(毎週56時間)だと18800kcal(毎週33合)、計算上4.7合は一日に必要な計算に
仮に一日10時間で23500kcal(41合、一日5.9合)12時間で28200kcal(49合、一日7合)

…ま、”仮の計算”ですがね……
0365人間七七四年2011/08/27(土) 18:20:29.85ID:1ki89kUV
>>363
お前が自分が「米以外のもの」をどれだけ食べてるかを先ず考えろ。
0366人間七七四年2011/08/27(土) 18:53:59.82ID:YUGu4SbQ
>>358
>戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど

思ったんだけど、それって全部自分で食べるための米だったんだろうか?
当時は米も金の代わりだったわけで、副食となるものとの交換にも使用できる、
いわば賃金の一種のようなものだったとか?
0367人間七七四年2011/08/27(土) 19:33:57.90ID:1T83KOyS
玄米で配ったか精米してからかで全然違うな
0368人間七七四年2011/08/27(土) 19:49:52.86ID:MacICBUH
戦国の頃は、米そのものが贅沢品だったらしいですね。
米を食いたいばかりに足軽になって頃仕合・・・
大変だな〜。
0369人間七七四年2011/08/27(土) 20:48:15.74ID:zmXuYbHw
余ったら酒に〜ってしてたんだから物々交換もしてたんだろうな>兵士への支給米
0370人間七七四年2011/08/27(土) 22:00:27.27ID:zcWFquRU
戦時の肝油ドロップ思い出した
0371人間七七四年2011/08/28(日) 22:04:11.53ID:qlBS4Zrw
>>369
物々交換というか、当時は実質通貨でもあったしね。
0372人間七七四年2011/08/28(日) 22:09:56.09ID:1nWObc3k
多く配ると酒にしてしまう、というのは物々交換ということなのか。
自分たちで作って飲むのかと思ってた。
人によって使い方は違っただろうけど基本は
少し多めに配って緊急用とかにはしてたんじゃないかな。

364は正確かもしれないね。昔はもう少し少なくてもよかったかも。
それと副食は少ないのだけど山間部ではイモとか野菜はとれたろうから
それを鍋にしたりすれば米はもっと少なくてもすむ。

うちは家族3人で4合でもあまるぐらい。
おかずもふりかけ程度だし間食はしない習慣。
5合なんてものすごく多いと思うけどな。
0373人間七七四年2011/08/29(月) 08:00:05.65ID:WGJPZTNB
>>372
それなら行軍中の山道などでどうやって副食を調達してたの
0374人間七七四年2011/08/29(月) 08:35:43.32ID:dePke2KQ
副食なぞ不要。
0375人間七七四年2011/08/29(月) 11:20:23.01ID:xy074avB
>>373
携帯した塩や味噌が副植物
0376人間七七四年2011/08/29(月) 11:38:28.38ID:WGJPZTNB
>>375
いやだから>>372の言う3人で4合でもあまるくらいの副食とやらを聞きたいのよ
0377人間七七四年2011/08/29(月) 11:43:56.95ID:h+NfV9P/
>>372
仮の計算結果(>>364)を認めながら「一日5合は多い」って結論になる(思考)過程がわからない……
0378人間七七四年2011/08/29(月) 11:50:47.46ID:xy074avB
>>376
バカの相手をする必要はない。
戦国期の食生活を現代と比べるなんてのはキチガイ以外の何者でもない。

>>372はこれから米だけは備蓄してある状況で、家族で電気ガス水道、さらに交通機関を一切使わず
しかも買い物も月1度に制限し、その上で食生活がどうなったかを確認してから書きこめ。
0379人間七七四年2011/08/29(月) 15:28:21.55ID:o4IApyad
>>377
いやさ、細かいけど計算上は4,7合でしょう。
これは仕事してる成人一般男性だから
してない時とかその他系の女性老人とか含めると
もう少し平均が少なくなるかなってこと。
あくまで総論トータル的に5・5合を毎日必ず必要
食べてたかと言われると、実際はもう少し少ないぐらい
でなかったかな、ということ。

>>376
なんか最初から勘違いしてるようだけど、副食は
うちは取らないのだってば。おやつとかジュースとかもなし。
今時そんなやついるか?と言われたことあるけど
クーラーもないし電気温水器もないしシャワーもないし、腹が
減ったらお茶のんでるぐらい。

電気ガス水道台足しても1万円いかないぐらいだし
これは冷蔵庫なんかの電気代であって実際はかなり節約
してる感じはする。

話戻して現代でもかなり節約していれば5・5合は多いと思うし
昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
多く感じるな、ということ。
反論じゃないが、現代と比較してるのはみんなのほうで
飛騨の山奥でついこないだまで井戸水使った生活をしてたし
この夏も米よりイモやトウモロコシで昼はすませてるし
冬は大根汁ばかり。
こういうのは戦国はともかく江戸期とあまり変わらないような
シンプルな生活だと思うし、あくまで実感ということね。3人で
半分は畑仕事みたいなもんだし。

風呂も今でも薪でたくし夏なんか川で水あびておしまいも多いし
かなりシンプルでしょう。
こういう生活はあくまで実感で5・5合は多いなと思うし
昔だったらもっと少なくてもいい、と思ってるということ。
バカとかキチガイと言う前にこういう生活を10年ぐらいして
どのくらいのエネルギーが必要かを計算じゃなくて
実際に体験してそれから判断したほうがいいんじゃないかな。

わしは少なくとも体験談だから反論されても困るというだけのことで
貧乏自慢みたいでこういう話はあまりしたくないんだけどね。長くてごめん。
0380人間七七四年2011/08/29(月) 16:13:59.06ID:h+NfV9P/
>>379
4.7合は”最低限必要な計算値”であって減らしてどうするの……みんな即身成仏しちゃうぞ?
まぁ日に2時間余計に(10時間)働くだけで最低6合は必要ってだけ再指摘を

>昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
昔は人間の労働=生産力で、仕事の内容はほとんど肉体労働な状況で
そういう”認識”をする理由は教えてほしいな、
(とりあえず機械や農薬使わずに農業してみれば、それが誤認とわかると思うけど)

まぁ昔の人がどれくらいの時間を労働に費やしたか、のは正直わからないけど
合戦中は、朝3時出陣合戦6時頃から夕方までなんてパターンもあるので
戦時配給の米は多いように見えても基本全部食っちまったんじゃないか、とは自分は思いますね
つか合戦前に米をもらっても重いだけで邪魔くさいと思う……

つか「一日に5合」って元話は武士の場合だよね? もともと女子供老人含めてないよね??
だから体重50kgの肉体労働者てなのを基本にして計算したんだけど
0381人間七七四年2011/08/29(月) 16:22:44.71ID:888+R2dq
>>379
確かに1日5合っていうのはにわかに信じられないほど多い。
でもそれって現代人の感じ方なんだろうと思う。
0382人間七七四年2011/08/29(月) 18:54:46.82ID:o4IApyad
>>380
減らしたのは単純に身長も低かったし
必要エネルギー自体も少なかったろうってことだけど
このあたりにみんな引っかかるのかな。

それと緊急時や合戦時は10時間労働もあったろうけど
当時はいくらなんでも平時の兵士はそこまで労働しないでしょう。
夜なんかは暗くて行動できないし朝も平均で明るくなるのは6時以降
とすると起きてる稼働時間が12時間で食事や休息もあったろうから
8時間でもフル可動は多いぐらいだと思う。
これも減らした理由の一つ。

武士限定でも、合戦とかそこまでの移動というのはかなりの緊急時
でしょう。
一番合戦や移動が多かったのは秀吉の時ぐらいとは思うけど
それでも年柄年中合戦してたわけじゃない。
彼は城をとりまいてそこでまったり攻撃も多いし。

だから総合的に5・5合というのはあくまで緊急移動時の
かなり多めの支給で、それを「平均的」と捉えるのは少し
中央値が違うように思えて、それも減らした理由。

もちろん緊急時はもっと食べたかもしれないし上で指摘されたけど
物々交換用の分もあるから5合以上支給されたたというのは記録通り
事実だとは思うんだ。
そして基本全部くっちまった、のも貴重で捨てるわけないから事実とは
思うけど、これは平時以外の稀な例であって、いくら戦国の武士でも
毎日5・5合食べてた、というのはにわかには信じがたい、ということで。

さらに少し話それるけど、現代で16100のはともかく
当時は夜になったら必ず?寝てたし、娯楽もなくてなにもしてない
状態も多かったろうから、これも必要カロリーを減らした理由の一つ。

このあたりはそれこそ「戦国にいたこともないくせにそこまでわかるのか」と
言われたらなんだから主張する気はないけど、明治〜昭和初期の100%百姓
の我が家は爺婆、仕事以外の時はとにかく寝てたもの。
夕は4〜5時には帰ってきて7時にはガーガー寝てた。

だから昔は全部人力だから今よりカロリーが必要というのは
わかるのだけど、その分シンプルな生活だから今より「多く必要」とも
なかなか言い切れないとは思うんだ。これは自分が百姓系だから
よくわかる。おにぎり2こずつで1合、3食食べても3合、もう2個多く食べても
4合、これに大根汁、海の方なら魚汁、こんで十分と思う。

少なくとも飛騨の山奥の百姓はこれ以上食べるような「裕福」な生活では
なかった。
武士もそうで働き盛りなら5〜6合、ガキやおっさんで4〜5合、これが緊急
稼働時のエネルギーであって日常時はもう少しすくなくなるぐらい
と言う感じで現代の百姓さんと当時の武士さんたちが大体同じぐらいの4〜4.5ぐらいかなってね。
これなら現代人の16100と比べてもそんなにおかしな数値じゃないんじゃないかな。
0383人間七七四年2011/08/29(月) 18:59:10.10ID:jyOVpSMm
>379
勝手に女性を加えちゃダメだよ。江戸時代の幕府の扶持米でも男性は1日5合で女性は1日3合換算。
0384人間七七四年2011/08/29(月) 19:49:25.83ID:h+NfV9P/
>>382
>減らしたのは単純に身長も低かったし
もとの計算みてほしいのだけど「体重50kg」を想定してるよ(現在日本男子平均70kg)
また、基礎代謝と労働量、で求めているので、それ以外の活動するならもっと必要な最低数値(4.7合)だよ
労働以外横になっていても必要な計算値、かってに削ったら生きてけない最低数値
それを削ったら、アウシュビッツ(一日1600kcal)とおなじ状況になる、とご理解を

つか肉労働数時間したら、だれでも休憩は横になっちゃうぞ(じっちゃんばっちゃん、疲労回復に横になってたんだよ)
それをサボってるからカロリーいらない、みたいな見方をするのは、ちょっと……あなた、ホントはものすごく若くない??
農薬除草剤がどんなけ農業革命(労働軽減したか)だったか、戦前まで日本農業はどれだけ重労働だったか
そこらは、百姓系なら、戦国に言及する以前にちょっと調べてほしところかな(今の兼業できる農業で昔を語る前に)
0385人間七七四年2011/08/29(月) 20:28:24.82ID:o4IApyad
>>384
そそ、肉体労働したらコマメに休憩するからその分引いて
8時間は多い、っていったんだけどね。

それと決して反論じゃないけど、自分は先祖代々の百姓で親は
野麦峠やってるし重労働はよくわかるよ。
わしも働きに出た頃は週一休みで30日休みなしなんてザラだった。
54日連続出勤のタイムカードはまだ持ってるしね。

そういう経験則から言うのだけど今の学者さんの調査や数字は
そういう実体験とはかなり実感として違う。
江戸暗黒史観が見直されたのはいいことだけど
再びまた「そうじゃない、農業革命前は〜」という言い方をよく聞くので
少し長引いて話をしてるだけ。

決してそっちの言ってることを否定してるわけじゃないし間違ってるというわけでもないよ。
ただ別のとこでも「産業革命前に〜〜できない」みたいな論をこのところ
よく聞くから、そういうのがまた流行りだしたのかなってちょっと気になってた
ものでね。
日本史も世界史もヘタすると自分で調査せずに先行データをさらに孫引きして
解釈してやれ平均年齢とか数値で答えろ、とか見かけるから。

話戻して確かに昔は重労働だったし全部手作業ではあった。
ただ武士に5・5合支給されてたからといって毎日彼らが必ずそのぐらいを
食べてた、という結論は少し多いと思うしそれはあくまで緊急時稼働時で
平時はまた違うのでは、という一般論がこちらの主張。

それにまた反論受けそうだけど経験だと
少ない時は少なくなんとかする、農閑期にごっそり食べて太る
田植えでやせる、とかこういう話でこっちの苦労もおわかり頂けないかな。
「人間は食べダメ」できないという反論を受けたこともあるんだけど実際に
収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とかいろんな
生活があったんだけど、データではあんまりそういうのみかけないものね
やっぱり平均とか年間消費が〜とかになって。
だから、調べる、と言われてもこちらは経験があるから「調べる」こと自体を
あまり重視してないような部分もある。

決して軽視したりしてるわけじゃないからその点はご理解頂きたいの
だけど。うちで食べてた量が382なんだけど、こうやって生きてきた、
というのも立派な実体験調査というように自分は思うので。
0386人間七七四年2011/08/29(月) 21:08:34.20ID:bvRWPen2
こら議論が嚊み合う訳は無いわ。
片一方がしっかり前提条件を付けてデータに基いて話してるのに、
ワシはそう思わん、という話だけじゃな。

参考までに江戸末期の貧乏な非肉体労働者(武士)の食糧事情だけど、
祖母-父母(60代)-当主妻(30.代)-娘(2歳)+下男・下女で一年玄米8石(1200kg)
精米歩合を90%として白米1080kg=7200合
一年365日として1日8人で19.7合=一人頭2.5合
となってる。
勿論、祖母や父母、娘全員が2.5合食ってる訳もない(食える筈も無い)ので、
実際には非肉体労働者でも3〜3.5合は楽に食ってたんじゃないかな。
ましてや今回の仮定は肉体労働者なんだから尚更だし。
0387人間七七四年2011/08/29(月) 21:19:58.58ID:ysX4tuUO
おれはなかなか面白いやりとりだと思うぜ
0388人間七七四年2011/08/29(月) 22:07:10.09ID:ZiqoZWf6
3行
にまとめろよ
長文なら馬鹿でも書ける
0389人間七七四年2011/08/30(火) 04:50:59.47ID:ldMR+Clg
どっかで見たようなやり取りだなあw

次は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の話が出てきそうだw
0390人間七七四年2011/08/30(火) 11:05:23.40ID:EcU7NI32
>>389
あれは「味噌と少しの野菜」に関しては
具体的な数値が提示されてないからなぁ
0391人間七七四年2011/08/30(火) 16:29:04.38ID:gspEkZbz
>>385
実体験を否定しているわけではありませんよ、お間違い無く

>8時間は多い、っていったんだけどね
当時の生活のサンプルとして、現在の永平寺の修行一日、で労働時間を仮計算します
起床0330、食事”掃除”含む朝課終了0800(ここまで実質労働3時間)
”作務”開始0900、昼食1100(ここまで5時間)
午後の”作務”開始1300、晩課薬石(夕食)1630(ここまで8時間30分)
夜座1930開始 就寝2100

以上のように、当時の普通の生活とほぼ同等と思われる禅僧の生活でも
実質労働時間は現在より多いわけで……

>「産業革命前に〜〜できない」みたいな論
当方、それを避けるために計算前に前提をすべて提示しております

>収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とか
米(穀類)の収穫は一年に1回なので、人もそれに合わせたスパン(一年)で考えるべき
とすると、季節の個体の状況(痩せたり太ったり)は意味ないんですよ
つか年俸交渉してる野球選手に、プレーオフ時期の分給料減らすべき、なんて言えないですよね?
0392人間七七四年2011/08/30(火) 16:59:07.97ID://Uz0fS7
自分語りのスレに迷い込んだようだ
0393人間七七四年2011/08/30(火) 22:21:51.35ID:J7n8R4Wb
>>358
>江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
>多すぎやしないかな。

>戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
>やっぱり多すぎるような気がする。
>酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。

江戸期の役所勤めしかしていない武士と、戦国期の行軍中の兵士とでは、必要エネルギーが全く違うはずだけど、
具体的に、何にどういう風に書いてたの?
0394人間七七四年2011/08/31(水) 14:28:18.93ID:gxr1yPGY
米を酒に、の表記は大概雑兵物語がソースなんでないかな。
0395人間七七四年2011/08/31(水) 18:33:20.11ID:cVYVs/k6
豊臣秀吉が天正15年6月29日の、バテレン追放令の前日に出した十一ヶ条の通達では、
イエズス会宣教師の牛馬の肉食を批判している。このころも牛馬の肉を食うのは倫理的にも
非難されるべき行為であったと言うことがわかる。
0396人間七七四年2011/08/31(水) 18:52:24.59ID:kVHmdvqs
当時の南蛮人が牛馬肉くえたのは「日本人が肉を売りに来た」からだぞ
0397人間七七四年2011/08/31(水) 19:58:59.35ID:X///wZAT
街中で狩猟を
0398人間七七四年2011/08/31(水) 22:10:24.36ID:1nKedA+S
>>394
そこだけはどうでもよくて、それ以外の箇所についてのソースの話なんだけど
0399人間七七四年2011/09/03(土) 21:06:09.76ID:c3390Tjk
豊後府内では、宣教師が祝祭に牛を一頭購入して牛飯にして振舞ったという記録がある。
0400人間七七四年2011/09/04(日) 10:37:11.64ID:5cVtUytW
それは何年頃のこと?
0401人間七七四年2011/09/04(日) 11:11:42.72ID:i0k4tUol
1557年のことらしい
0402人間七七四年2011/09/04(日) 14:59:43.50ID:zfplFunb
品種改良以前の牛は臭くて硬くて不味かったから、それをごまかすスパイスのたぐいのない日本で
それを振舞われた人たちはひどい目にあっただろうな。
0403人間七七四年2011/09/04(日) 15:16:26.14ID:4xE7f96g
生姜、にんにく、唐辛子は当時も手に入るんじゃないか。
0404人間七七四年2011/09/04(日) 16:20:41.55ID:5cVtUytW
>>402
当時のスパイスって、薬だろ。
味を良くするためなんて、贅沢な理由に使われたのは、ヨーロッパでもずっと後の時代の話。
0405人間七七四年2011/09/04(日) 16:44:08.77ID:w18rASul
えっ
0406人間七七四年2011/09/04(日) 18:27:34.65ID:3c5yqund
>>404
ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため
0407人間七七四年2011/09/04(日) 18:29:34.43ID:iB03LhiB
味噌で煮込めば大丈夫そうだけど
0408人間七七四年2011/09/04(日) 18:59:42.56ID:/29PxSvN
日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
生姜は醤油がなかった時代から合わせ酢にして食卓に

でもニンニクは一般に広まったのは戦後だったりする……それ以前は漢方薬
0409人間七七四年2011/09/04(日) 19:05:40.70ID:5cVtUytW
>>406
>100%味付けのため

これのソースは何?

>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。

ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。

>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。

それは明らかに俗説だな。
0410人間七七四年2011/09/04(日) 19:08:12.80ID:5cVtUytW
>>408
>日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)

いつの時代か書かないと、全然意味がないよ。
少なくとも、戦国時代は一般的ではなかった。

ザビエルが、換金目的で胡椒を持っていたが、日本では需要が無かったため
役に立たなかった、という記録があるし。
0411人間七七四年2011/09/04(日) 19:17:20.86ID:i0k4tUol
CiNiiの「江戸料理本に見る香辛食品利用の調査研究」は面白いんでおすすめ
0412人間七七四年2011/09/04(日) 19:42:51.91ID:/29PxSvN
>>410
む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
よく出る雑兵物語にも、足軽が戦場に(生水対策で)胡椒もってく話なかったっけ
0413人間七七四年2011/09/04(日) 19:57:13.40ID:5cVtUytW
>>412
>江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど

料理物語はちゃんと読んだこと無いけど、ちょっと信じがたいな。
そもそも室町時代って、にゅうめんはポピュラーだったけど、素麺って食べてたんだっけ?

>む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?

具体的にどの本に書いてたかはすぐに思い出せないけど、ヤジロウに関する研究書だったと思う。

>雑兵物語にも

確かにこういう記述はあるな。
「梅干は在陣中一つで賄へども、胡椒粒は在陣中日数程は入べいぞ。夏も冬も、朝一粒づゝかじれば、
冷にも熱にもあてられない物だ程に、是は梅干とはちがひて、がいに入べいぞ。」
0414人間七七四年2011/09/04(日) 20:22:44.25ID:4xE7f96g
なんとなく思ったんだが、その胡椒って現代の俺たちがイメージする胡椒じゃなくて、
山椒とかの可能性は無いのかな?
0415人間七七四年2011/09/04(日) 20:51:15.12ID:4xE7f96g
連投になるが、山椒飯とかも調べたらあるみたいだし、お吸い物にも葉を浮かべたりする、
素麺のCMとかで上に飾りみたいに乗せてるのも山椒の葉じゃないか。
0416人間七七四年2011/09/04(日) 21:26:41.99ID:7oM5xILy
地域によっては、「胡椒」と「唐辛子」がほぼ同じ意味で使われていたりするからぁ・・・。
0417人間七七四年2011/09/04(日) 22:05:35.12ID:5cVtUytW
>>416
ヒンディー語でも、唐辛子はMirch。
黒胡椒はKali Mirch、白胡椒がSafed Mirchというように、頭に色の名前付けて区別してるだけだしね。
0418人間七七四年2011/09/05(月) 02:57:30.80ID:EFUfNwxZ
>>409
ローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。
0419人間七七四年2011/09/05(月) 08:03:39.45ID:XE9aSeRM
>>417
ヒンディー語ってアルファベット使うの?
0420人間七七四年2011/09/05(月) 08:44:02.40ID:t+sCvwSM
>>419
デーヴァナーガリー文字読める奴がここに何人いるんだよw
0421人間七七四年2011/09/05(月) 10:16:48.46ID:MYkEi6oP
大学でデーヴァナーガリー習ったよ
まあ自分の名前かけるだけでヒンディー語を習ったわけではないんだけど
0422人間七七四年2011/09/05(月) 11:26:44.33ID:IV6/COiS
>>413
ありがとう
たしかに>>415の指摘は否定できないけど、でも基本日本料理の香味ってだいたい同じ使い方をするんだよね……
(三つ葉然りしょうが然り)
日本での胡椒の使い方は西欧とちがって”薬味”なので、使う量が決定的に違うから
自分は、ザビエル(>>410)の話は胡椒を高く多量に購入するものがいなかった、って理解してた

ここらは決定的な証拠も無いので正誤の判断難しいよなぁ……
0423人間七七四年2011/09/05(月) 19:35:44.04ID:laIpJQUr
>>420
じゃ、カタカナで。
0424人間七七四年2011/09/05(月) 19:38:05.92ID:laIpJQUr
ツランセクショー
とか。
0425人間七七四年2011/09/05(月) 19:51:15.82ID:CZCYOe6K
>>416
ただ胡という字を使っているから、土着ではなく、外来のものだろうね。
少なくとも、山椒=胡椒の可能性は低いと思う。
0426人間七七四年2011/09/05(月) 21:29:52.68ID:rPjncRBZ
wikiより抜粋
>中国では花椒(かしょう)と呼び・・・、漢方では健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされ、
英名はJapanese pepper。

山椒は元々日本に有って、別名のハジカミとか、当時はそれまで別の名前で呼ばれていたが、
中国名の呼び名、花椒(かしょう)が伝わったとき、(こしょう)に変化したと考えられるかも。
0427人間七七四年2011/09/05(月) 22:12:49.20ID:CZCYOe6K
こんなとき、邦訳日葡辞典が手元にあれば、、
0428人間七七四年2011/09/05(月) 22:15:42.55ID:9+97yTCv
民明書房
0429人間七七四年2011/09/05(月) 22:26:06.34ID:IV6/COiS
>>426
胡椒は正倉院に収められたくらいから”胡椒”表記だったよ
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