戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
0026人間七七四年
2011/02/27(日) 13:14:02.86ID:+zL01yTh「信玄餅」はあくまでお菓子の商品名で最近のものだと思うよ
武田信玄が戦のために切り餅を用意したところから取って名付けたらしい
元々静岡や山梨の方ではお盆に安倍川餅(=駿府名物)に黒蜜をかけて食べる風習があったとか
安倍川餅の名前を家康が付けたという話があるから
それがお盆の風習に取り入れられて黒蜜かけるようになるのはおそらく江戸時代の間だろう
黄粉は奈良時代には薬として作られてたし
室町時代の女房言葉の本にも「まめのこをばきなこともうす」と説明されているよ
江戸時代にも一般的に認識されてはいたみたいだけど
申し訳ないがどの時代にどれくらい一般的だったのかはちょっと知らない
>>25は色々疑問に思ったことを即書き込んでるみたいだけど
ちょっと検索すれば出てくることもあるから、一度ぐぐってから書きこむと効率よく疑問が解消するんじゃないかな
0027人間七七四年
2011/04/16(土) 02:33:59.66ID:K2oPa+8Z餅の食べ方も現代と変わらない、ずんだ餅やらあんころ餅やら
戦場で兵達がお汁粉食べてるところを想像すると何だか面白いけど
0028人間七七四年
2011/04/16(土) 08:34:28.02ID:vVOJCKlaせんべいも八戸藩の非常食が始まり、戦国時代にはなかったし
他にも、刀傷を焼酎で洗う、ってのは確かに江戸時代には一般常識だったんだけど
18世紀くらいには「焼酎より水で洗う方がいい」ってものの本に書かれるくらいなので
あんまり効果があるとは思われてなかったぽいし、そこの各内容はかなり微妙なところ
丸々信じずに自分で調べてみた方がいいかもしれないよ?
0029人間七七四年
2011/04/16(土) 10:37:37.82ID:K2oPa+8Z戦国時代と念を押してあるわりにはどうも意外を通りこして正直違和感が
自分でもっと調べてみます、ありがとうございます
0030あ
2011/05/08(日) 06:34:35.01ID:ufQRzaUs確か元就だったかな?
あとは乾燥させた米、味噌なんかやらを装備し出陣したみたい
0031人間七七四年
2011/05/08(日) 18:18:15.89ID:njTz1b3B0032人間七七四年
2011/05/12(木) 11:51:46.56ID:7UYrz5qL「朝の出仕に相備えて餅を一ツ二ツも喰うべし。大小便とどこほる物なり。
僧俗ともに大小便しげきハあさましきなり。仮に隙なくて一日程物を喰わねどもこたへらるるものなり」
ってあるが。
0033ち
2011/05/15(日) 11:45:32.32ID:0joRcBUOところで戦国期の飲み物にリンゴジュースやミカンジュースはあった?庶民は麦飯お焦げ水で富裕層は茶だろうけど、果実をシェイクして飲み物にしただろうか?ミカンは江戸、リンゴ明治だから無い?一部の農園者はやってた?
0034人間七七四年
2011/05/15(日) 14:52:57.29ID:gG3FOFFi0035ま
2011/05/15(日) 17:45:14.90ID:0joRcBUO0036人間七七四年
2011/07/30(土) 07:58:50.08ID:Prq99cILhttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1311428758/
0037人間七七四年
2011/07/30(土) 16:00:41.57ID:9yLf8i/m戦国の足軽は疲労骨折、靭帯断裂しまくりだっただろうな
カルシウムや植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸に必要な動物性蛋白質の絶対的不足が要因となる
炭水化物過多は特に男性にはろくなことない
0038人間七七四年
2011/07/30(土) 17:58:08.31ID:MFUhxOi6(現在の戦国食も必ず入ってる)
だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ
0042人間七七四年
2011/07/30(土) 20:12:01.58ID:Prq99cILそんなに自分の知識に自信があれば、向こうに言ってズバズバ斬ってみせればいいのに。
0043人間七七四年
2011/07/30(土) 22:20:55.51ID:S9QfUUrd自分で荒らせよ
0044人間七七四年
2011/07/30(土) 23:24:17.45ID:vfcC6iKf004542
2011/07/30(土) 23:59:26.88ID:Prq99cILいや、俺は向こうのスレの住人なんで荒してもらいたいなんて全く思ってないよ。
>>41は口だけの奴だと言っただけ。
何なら別に向こうのスレでじゃなくても、こちらのスレで知識を披露してくれてもいい。
まあどうせなんだかんだの言い訳ばっかりだろうけど。
0046人間七七四年
2011/07/31(日) 00:31:13.66ID:ZFp+ojqSキモっ
0047人間七七四年
2011/07/31(日) 03:19:13.52ID:vdQ370jKよくわからんけど 向こうのスレで「戦国時代の日常オカズに魚」って否定されてる?
ぎゃくに庶民も小魚食ってた、ってレスは見つけたけど……
つか>>38の「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」って存在しないし……
もしかして、あっちで相手されないからコッチに来ただけかな??
0048人間七七四年
2011/07/31(日) 05:22:59.10ID:kzCsFOILそもそも
>栄養学などの知識が全くないと思われる歴史学者に考えられている戦国食
歴史学者がメニュー考えてるんじゃなくて資料を基に再構成してるもんでしょ?
よく主張がわからん。
いま戦国食とされているものは不完全で、実際はもっといろいろあったんじゃないかってこと?
それともこういうメニューしか食べてなかったから当時の足軽は怪我が多かっただろうなってこと?
0049人間七七四年
2011/07/31(日) 07:50:10.61ID:D86rNBlX・現代人の発想で、日常的におかずとして魚がつく
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
って話だろ
005049
2011/07/31(日) 07:52:04.76ID:D86rNBlX・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
0051人間七七四年
2011/07/31(日) 08:19:19.09ID:6aaw33/Uいや、肉食があったとしても、
肉が現代みたいに大量かつ定期的に出回ってるわけではない。
狩猟で取れる分はわずかであり、農家で飼ってちょくちょく食べる分もわずか。
少なくとも
>動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
とは考えにくいだろ。
少なくとも入手しやすい魚がメインだろ。
まあ、俺の親戚は大きな農家だが「田んぼのタニシをたくさん食べてた」とは聞いた。
005249
2011/07/31(日) 08:53:50.29ID:D86rNBlXなんで、現代ではゲテモノ扱いされている生物を、自分たちで不定期に捕まえて食ってたってことじゃ?
0053人間七七四年
2011/07/31(日) 09:46:50.16ID:6aaw33/Uタニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
冬とかはダメだろうけど。
「小魚」も田んぼにいるようなものなら食ったんじゃないかな?
ドショウをはじめとしてメダカとか。
なんにしろタニシに関しては机上の空論ではなく
実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
0054人間七七四年
2011/07/31(日) 10:04:45.31ID:wkckuijHwww
当時の村人が一日何グラムのタニシを捕まえて、殻剥いて泥吐かせて調理して食ってたか考えれば、
それで十分な動物性タンパクが取れるかどうかすぐ分かるんじゃないの?
http://co-4gun.eiyo.ac.jp/food%20database/2gun/foods-dic-2-tanishi.html
タニシの可食部100gに含まれるたんぱく質はたったの13g
戦国時代の人の体重が50kgだとすると、一日に推奨されるたんぱく質量は50g。
推奨量の26%にしかならない。全然足りない。
さらに、村人全員がカラの重さを除いて、たったの100gでも、タニシを毎日食べたらどうなるか?
あっという間に村のタニシが絶滅するよw
005549
2011/07/31(日) 13:18:21.16ID:D86rNBlX>タニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
だから、それが現代人の発想だっての
分業化、産業化がほとんどされていない時代だったら、同一種類ばかり集める必要はない。
つーか、同じ種類のものばかり食ってたら、また栄養が偏りやすくなるし。
永山久夫とか時代交渉家連中は、昆虫食についてほとんど書かないけど、全国的にごく当たり前に
行われていたことなんだよ。
>実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
証言も何も、タニシが食料なのは常識だろ
つい最近まで普通に食われていた。
0056人間七七四年
2011/07/31(日) 17:48:33.27ID:vdQ370jK>・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
これの根拠を示してほしいな、ないと話が進まないので
とりあえず自分の「戦国時代の日常オカズに魚」は、フロイス日本史第一章(第一部四章)に
「食前に供されるものは、水だけで炊いた少量の米と、
煮たり焼いたりした少量の塩漬けの魚と、ひどく味付けが悪く、
そのうえ悪臭さえある一杯の野菜汁だけであったからである」
…とあるのも根拠の一つ
005749
2011/07/31(日) 18:17:54.90ID:D86rNBlX俺に聞くなよ。
>>47に対して向こうのスレの趣旨を要約しただけなんだから
0058人間七七四年
2011/07/31(日) 21:08:38.27ID:/iwneKLt0059人間七七四年
2011/07/31(日) 21:50:42.23ID:D86rNBlXリアルなやつは現代人には無理だろ。
0060人間七七四年
2011/07/31(日) 21:54:55.48ID:teM+MuCM池波正太郎の描写だとすごいおいしそうに思えるから困る
>>59
そうでもない、てか、時代とどの階級の料理を再現するかによるだろうけど
0061人間七七四年
2011/07/31(日) 22:06:32.47ID:mGWieI3J子供の頃、よく食べてたよ。
ネタでなくて、ガマカエルやヘビ(まむし、シマヘビ)も食べたよ。
今でも捕まえて食べている。
そう言う俺は東海地方の新幹線の駅から車で15分のところに住んでいる。
0062人間七七四年
2011/07/31(日) 22:10:58.07ID:D86rNBlXだから、スレの流れから言って、戦国時代の庶民の食事のことだろ。
土だの、タガメだの、ゴミムシダマシの幼虫だの、俺には食えないよ。
0063人間七七四年
2011/07/31(日) 22:19:20.13ID:mGWieI3J長野だと川虫とか食べるらしい(現在でも食べられている。)
カエルは、穴の中にいるから手を突っ込んで採る。
ナイフの柄で頭をたたいて仮死状態にして、頭、手を取り皮を剥いではらわたを出す。
それを川で洗って、七輪で炭火焼き。塩や醤油で味付けすると美味。
ヘビは口から裂いて、皮とはらわたを出す。
岩の上で干して(カラスに持ってかれないよう注意)炭火焼き。
サバイバルでなく、俺の地元では普通。
高校時代は、弁当のおかずにも入っていたな。
0065人間七七四年
2011/07/31(日) 23:28:28.20ID:vdQ370jK宮城県の御弥陀羅施の池の伝承(山火事から仏をタニシが守ったから食べてはいけない)みたいに
当時タニシを普通に食用にしていたから成立する”仏教説話”が日本各地に残ってるし
戦国時代”も”普通の食材だったと考えるのが普通だと思う
…つか、動物性タンパクにこだわる前提に突っ込みたいのだけど……
必須アミノ酸のナニが植物食で取れないというの?
0066人間七七四年
2011/07/31(日) 23:40:59.30ID:D86rNBlXちゃんと読んだの?
0067人間七七四年
2011/08/01(月) 00:13:13.24ID:oZvssje+「どう考えても不足してる、タニシを取って食うくらいじゃ不足分は補えない」って書いただけなのに
ID:vdQ370jKはなぜ、必須アミノ酸とか意味分からんこと言い出すのだろう?
そもそも>>38も「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」なんて一言たりとも言ってないが
>>47でなぜか発言したことにされてるw
006854
2011/08/01(月) 00:17:19.70ID:oZvssje+当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
おかずはもとより、米も汁も大概冷え切っていたので美味しくはないと思うよw
0069人間七七四年
2011/08/01(月) 00:44:44.09ID:ge4dWLoc0070人間七七四年
2011/08/01(月) 02:48:31.95ID:kESLBRPz魯山人も「ごちそうだ」と発言している。
あと昆虫食やカエル食いも確かにあったろうね。
ただ、こういうのを現代人の感性で「そんなゲテ物料理が一般的であるわけがない」
と決め付けるのは間違ってるぞ。
現代人にとって「マトモな動物性タンパク食」とは
「肉(哺乳類、鳥類の)、魚、乳製品、鶏卵」ってことか?
0071人間七七四年
2011/08/01(月) 03:51:03.59ID:fMK+/Tvv0072人間七七四年
2011/08/01(月) 08:21:47.15ID:HpdJC6Xf病み、死亡の記録が少なくない。
・現代の完全菜食主義者も生きていけてるんだから
動物たんぱくは意地でも取らなきゃいけないもんでもない(無論何が何でもとっちゃいけないわけでもない)
・穀物(主食)が有限である以上副食になりそうなものは色々漁る
てだけの話な気もするがなぁ。
それはそれとして川の管理権は合戦になるくらい強烈だったが川から取れる獲物の扱いは
どうだったんかね。
タニシ取ってて隣村の領域までいっちゃって訴訟とかあったんだろうか
0073人間七七四年
2011/08/01(月) 09:27:47.94ID:kESLBRPzただ、それ以外にも下水や小川や貯水池、沼地などからもタニシは取れるからな。
それは基本的に五人組の範囲とか村の範囲なんだろう。
タニシの採取範囲でもめるって事はあったと思う。
0074人間七七四年
2011/08/01(月) 18:20:49.99ID:kW2CWzgq0075人間七七四年
2011/08/01(月) 18:31:04.67ID:kESLBRPz別に不思議ともいえないが現代人みたいに
安定供給がなされてるわけでもないし、
食う量も少ないだろう。
0076人間七七四年
2011/08/01(月) 18:38:44.32ID:kESLBRPz確かに「昔は獣や鳥はほとんど食べられてなかった」という説は間違いだったろう。
だからといって、それが即座に「現代人なみに豊富に獣や鳥や魚を食べてた」になるのは違うだろう。
まあ、魚に関しては「漁業」というものがあるので、ある程度は安定供給されてたろう。
ただ、山奥とかは流通に難しいとこもある。まあ川魚という手もあるけどな。
しかし、獣や魚は当時の日本では安定供給はちと無理だろうと。
0077人間七七四年
2011/08/01(月) 19:05:50.89ID:u+/sLObm>ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
上でゲテモノと言われているのは、テッポウムシとか、ゲンゴロウとか、蚕の蛹とかのこと。
100年ぐらいまでは、全国的にごく普通に食われていた質の高いタンパク源なのに。
田螺は戦国時代の農民にしたら、むしろご馳走の部類じゃないの?
稲刈りのシーズンに取れる恵みの食材だからね。
0078人間七七四年
2011/08/01(月) 19:10:28.69ID:u+/sLObm>当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
そうだっけ?
塩を味付けにたくさん使っているってこと?
0079人間七七四年
2011/08/01(月) 19:13:55.71ID:u+/sLObmフロイスが日本人の食事についているのって、ほとんど武士についてだったと思ったけど。
一般庶民の食生活は、さらにだいぶ酷いでしょ。
0081人間七七四年
2011/08/01(月) 19:29:01.24ID:PcNI/eeaそこまで酷くないよ
あと当時の最先端の料理技術を持っていた寺社が
信徒を集める為にお料理会などを開いて
積極的に料理法を広めた
もちろん精進料理だけどね
武士は食事すらも作法や縁起担ぎなどで厳しい取り決めがあって
庶民のような食生活はままならなかった
0082人間七七四年
2011/08/01(月) 19:34:11.19ID:PcNI/eea野菜類は今のような品種改良もされておらず
ほとんど流通もしていない
あと大豆が大変な貴重品だった
理由は馬の餌として使われていたからで
大豆で作った味噌などというものは
戦に参加しなければ口にする事などはできない贅沢品だった
0083人間七七四年
2011/08/01(月) 19:37:13.19ID:PcNI/eeaこれは白米に昆布でとった出汁をかけて食うもので
箸の先でご飯だけをつまんで食う公家や武家の食事だった
箸の中ほどまで濡らしたり
口をつけてすすったり
出汁を飲むなどは無作法とされ禁止されていた
0084人間七七四年
2011/08/01(月) 19:41:02.26ID:u+/sLObmただ、年間を通してみると、極めて不安定だったと思う。
農民の場合、親は農作業が忙しいので、狩猟的なことは子供が遊びの一種として
取ってくる分が多かったんじゃないかと思う。
この辺り、戦国時代の記録があるわけじゃないんで、あくまで推測しかできないんだけど、
幕末から明治初期の話を読むと、そんな感じなんで。
0086人間七七四年
2011/08/02(火) 01:16:58.66ID:Q6zcYg/Z0087人間七七四年
2011/08/02(火) 02:03:15.73ID:kMjtNhl2室町時代の一般的農家には弓と槍(害獣駆除目的)は常備されてたよ(罪人の押収記録にある)
田舎暮らしだと今でも年中動物はやってきて駆除しているわけで
手に入れる頻度はかなりあったと思えるけどね
つか昭和の時代でも、うなぎ(川魚)は取ってくる、ってな状況は田舎では普通だったわけで、
禁猟区(神域や鷹狩)以外狩猟権の設定がなかった時代に、
それをしなかった前提は無理があると思うよ
>>85、86
”珍しいこと”のほうが記録に残りやすいんだけど……日常だから「毎日」なんて言葉がないんだよ
つか「記述がないからない」って論法なら、平安時代は(記録がないから)イワシは食べてない、と極論できちゃう
あと「豊かでない農民」の定義をはっきりさせないと……
自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
…をはっきり決めないと、水掛け論になる気がする
0088人間七七四年
2011/08/02(火) 04:12:30.24ID:QHI5iuJnこれは質素倹約を表した言葉だが、
貧農や下級武士の食事に毎食魚がついたとは思いにくい。
0089人間七七四年
2011/08/02(火) 06:10:20.96ID:lskJTi8B山の幸も豊富とは到底いえない状況だったのでは
0090人間七七四年
2011/08/02(火) 15:15:57.86ID:lF32joQa昔のギャグマンガで「今日のオカズはメザシ一匹」みたいな表現がある。
まあメザシって事はないかもしれんが、小さな魚だった可能性はあるぞ。
ていうか「少量」って書いてあるし、指くらいの魚じゃね?
0091人間七七四年
2011/08/02(火) 19:42:55.39ID:QcDE7OvZほかに食事の話が出てる文献ていうと「おあむ物語」かな。佐和山城の300石の知行の武士の娘。
貧乏で朝夕雑炊が主、ときどき兄が鉄砲で猟に出かけ、その時は菜飯おにぎりが食べられて嬉しいとのこと。
ザビエルの報告集ではこんな感じ。
「日本人は彼らの飼う家畜を屠殺することも喰べることもしない。
彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるのであるがそれも少量である。
しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある」
「雑兵物語」で足軽に与えられている食料は水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺。
(ただし戦場におもむくまで・短期戦においては手弁当が原則)
でも戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
ある記述だけとってこうだ! って主張することもむずかしいね
0092人間七七四年
2011/08/02(火) 20:38:15.04ID:SzbbmFcm>自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
>>91
>戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
やっぱり簡単なマトリックスが無いと駄目かもね。
一次資料を参照にする場合でも、その資料が指しているのはどの部分、自分が実際に知りたいのは
どの部分、という風にずれがあることをまずは認識できてないと。
0093人間七七四年
2011/08/02(火) 20:40:51.97ID:SzbbmFcm>理由は馬の餌として使われていたからで
これは軍馬限定?
なんか人間より馬の方がいいもの食ってるって、変な気がしたんで。
0094人間七七四年
2011/08/02(火) 21:35:16.43ID:K57faLED力仕事させるにはいっぱい食わせねばならんのよ
人間より馬の方がいいもの食ってるように見えるが
人間の5倍の荷物運んでくれるなら投資も十分理にかなってる。
ついでに太平洋戦争でも荷馬は兵隊よりある意味待遇がよかった
まぁ人間と違って馬はストレスですぐ死んじゃうからなんだけど
0095人間七七四年
2011/08/02(火) 22:24:11.07ID:SzbbmFcm馬の餌は大豆と藁ぐらい?
0096人間七七四年
2011/08/02(火) 23:48:22.81ID:HEo8Ei4K0097人間七七四年
2011/08/03(水) 02:34:27.48ID:+vixLu5q戦国時代の馬糧は、蒸し大豆とヌカや藁や雑草の細かく裁断したものと塩の混合物、かな
オオムギも日本では盛んに栽培されてたけど、これはよそんちと違って人間用だったよ
余談だけど、大豆が西欧に伝わったのは17世紀くらい(イギリスに輸入されてた)
しかも栽培は18世紀になってから
もっと早く伝わっていたら、西欧でも大豆を馬に食わせてたかもね
0098人間七七四年
2011/08/03(水) 03:53:33.77ID:whAyJtWa0099人間七七四年
2011/08/03(水) 04:05:58.12ID:mhoYK5hl「魚はそこまで珍しくないわりとポピュラーなおかず」って説に対して
「魚は貴重でめったに食べられなかった」って説で反論が出た、っていうのが議論の流れじゃなかったか
0100人間七七四年
2011/08/03(水) 08:05:40.88ID:S6K4QzpT>>38
>当時の食事は(庶民含めて)おかずに魚が付いているのが普通
>(現在の戦国食も必ず入ってる)
>だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ
0102人間七七四年
2011/08/03(水) 10:43:58.72ID:r1wRZeOi「食える時に食えるものを食う。魚肉等動物性タンパクもその範囲である。」と考えるべきだわ。
0103人間七七四年
2011/08/03(水) 15:51:25.08ID:+vixLu5q>「毎食まともに食う」事も難しい時代
>>91の記述の通りなら、少ないなりにも毎日なにかしら食ってたような
室町末期って農業技術的には革命が起こった時代で生産物量も人口も増加してるから
その時代に「食えなかった理由」ってのがちょっと思いつかないけど
0105人間七七四年
2011/08/03(水) 21:29:20.65ID:djHHjMwP0106人間七七四年
2011/08/03(水) 23:53:15.87ID:vZbPBzRh今のように物流と保存が進んでない当時としては
内陸に住んでる人にとって魚は貴重だったのは想像に難くない。
0107人間七七四年
2011/08/04(木) 00:08:01.25ID:txWHNO8T山で畑を耕す農民は、たまにしか手に入れられなかったのではないだろうか?
0108人間七七四年
2011/08/04(木) 01:02:43.47ID:dhIHiSje>不作・飢饉・戦争
これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
(白土三平の漫画じゃあるまいし)
>>106
内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
室町時代には、近江商人が加賀に商談で出かけた戻りに塩鯖買ってもどった記録がある
山梨には煮貝、会津には身欠きニシンの山椒煮、昆布スルメなんて鎌倉時代には都で普通に消費されてたし
”生魚”でなければ、内陸でも手に入れることは難しくなかった、と思われるよ
0109人間七七四年
2011/08/04(木) 01:40:20.22ID:iHdpEIlJ保存技術と入手経路の関係で、生で食える鯉が最上扱いとか
光秀が家康の饗応で出した鯉は琵琶湖のだっけ?
逆に言うとそれ意外は塩漬けが主かな
魚=沿岸部ってわけじゃなく、川や湖でとるのもけっこう割合としては大きかったと思う
あの時代の漁労で使える船なんてそうそう沖には出られないだろうし
0110人間七七四年
2011/08/04(木) 06:07:23.61ID:+lfAvaMJ現代でこそ、割とどこでも釣りが楽しめるが
昔はよそものが魚とりとかしたら騒ぎになりそう。
0111人間七七四年
2011/08/04(木) 06:53:30.78ID:QZ3dJyp60112人間七七四年
2011/08/04(木) 10:39:59.83ID:gjgsfj31> >不作・飢饉・戦争
> これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
> (白土三平の漫画じゃあるまいし)
敵軍が侵入してきて収穫物の劫奪どころか、今後生産できないように田畑の掘り返しを
行うような時代が戦国以外にあったとでも?w
0113人間七七四年
2011/08/04(木) 14:59:01.22ID:dhIHiSje>今後生産できないように
それって雑兵物語の「敵地じゃ来年の収穫下がっても稲の根っこもほじくりかえせ!」のこと?
原文見る限り「敵地での兵量確保には温情かけるな」って意味にしか取れないけど
対象になる稲株とか普通に馬糧に使われた話(常山紀談)も残ってるしなぁ
つか日本じゃ、敵地の生産能力の根絶する戦略をとった行動
たとえば水路破壊水源汚染社会システムの根本的破壊(大陸じゃ普通な作戦)
そういう軍事行動に伴う永久的に生産能力に打撃与えた記録はないよ
0114人間七七四年
2011/08/04(木) 18:57:41.27ID:txWHNO8T>内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
内陸に住んでいる上流階級の話じゃなくて、山の畑で生活する農民の話。
平地で稲作している農民と違って、水田や小川に住む雑多な魚介類を取ることができないってこと。
一般の農民が金を出して、おかずの魚を買っていたとは考えがたいよ。
0116人間七七四年
2011/08/04(木) 20:15:47.85ID:gjgsfj31天正2年5月付け上杉謙信書状
『明石、新田、足利まで田畑は全て掘り返した。
百姓はもちろん武士たちもすべて、妻子を引き連れ利根川の南(北条領)に逃げ込んだ。
今利根川以北は無人の荒野となっている。今日は桐生も掘り返した。』
0117人間七七四年
2011/08/04(木) 20:58:31.59ID:txWHNO8T>これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
藤木久志の『飢餓と戦争の戦国を行く』でも読んだら?
そもそも戦国期、他国に戦争を仕掛けていた一番の目的は、物資や労働力が欠乏したことによる略奪だというのに。
0118人間七七四年
2011/08/04(木) 22:18:08.38ID:iR8BquRI一般庶民も鶴を捕らえて食っていたのかね?
戦国では鶏を食わなかった事は知っているけど
0119人間七七四年
2011/08/04(木) 22:49:34.58ID:86vVobln鷹と鉄砲必須
0120人間七七四年
2011/08/04(木) 22:50:59.40ID:AZ8SJlGUいうことなのかね。
卵取るために飼ってたろうしオスなんかは食べててもおかしくはないと
思うのだけど、江戸期の本でもよくそうやって書かれてるから
いつも不思議に思ってた。
0121人間七七四年
2011/08/04(木) 22:58:49.12ID:vvUb4GKAある程度経済力のある地域なら干物やなんかも入手が容易なのでは
そもそも水田で耕作するには大量の水が必要なわけで
よほど有力な領主が水樋とかの上水道の整備とかしないかぎり
ある程度の規模の河川に近い場所ってのがデフォみたいなもんじゃないのかね
つまり川魚や川蝦ザリガニ、タニシなんかは冬季は除くと
毎日とはいわないでも週何回かは口にできてると考えても問題ないんじゃないかね
逆に頻繁に氾濫しまくる濃尾平野なんか家も人も流されまくってるのに集落はなくならないもんな
水利ってのは常に争いの元になるくらい重要で身近なものなんじゃないの?
0122人間七七四年
2011/08/04(木) 23:11:47.89ID:AZ8SJlGU信長の前ぐらいから静岡、愛知、岐阜なんかの争いというのは
ほとんど水運、海運争いと言う感じじゃないのかな。
自領でなにかあっても海運握ってれば米とか食料輸入できるし
海魚だけだってべらぼうに捕れる。
あのあたりから三英傑が出たのも地の利という意味でなんとなく
理解できるしね。
0123人間七七四年
2011/08/04(木) 23:14:05.72ID:vvUb4GKA逆に甲信地方なんか常に飢饉のイメージ
だから信玄が必死こいて対外戦争で略奪しまくったんだろうけど
0125人間七七四年
2011/08/04(木) 23:18:38.93ID:txWHNO8T>庶民に狩猟技術はないだろうw
鶴を捕まえる技術はどうかわからんが、百姓でも狩猟はやるよ。
江戸期の話だが、耕地の開発がよりすすんだため、鹿、猪によるの農作物被害が大きくなり、
村々には「農具」として、鉄砲が備えられていたらしい。
ソースは塚本明『生類をめぐる政治』
あと、丹沢山系の山間部の村では、藩や代官から鳥獣対策用に貸し出される鉄砲が、
一つの村に平均6、7挺あったらしい。
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