闘鶏、平安時代くらいから「鶏合」って名前でやられてたみたい。
占いの一種として宮中でおこなわれ、民間でもやってたとか。

で、ちょっと戦国時代から遡るけど1416〜1448年を記した『看聞日記』で
「伏見で闘鶏を催そうしたけど、伏見の農村では鶏を飼っているところがなかったのでやむなく中止した」
って記述が。
やっぱり公に鶏は食用にするなって言われた歴史があってかつ野鳥(雉子など)が獲れる状態なら
わざわざ鶏を飼育するより雉子食うわって感じなのかな
あれば食うけど、積極的に食べるほどではないという