戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
0121人間七七四年
2011/08/04(木) 22:58:49.12ID:vvUb4GKAある程度経済力のある地域なら干物やなんかも入手が容易なのでは
そもそも水田で耕作するには大量の水が必要なわけで
よほど有力な領主が水樋とかの上水道の整備とかしないかぎり
ある程度の規模の河川に近い場所ってのがデフォみたいなもんじゃないのかね
つまり川魚や川蝦ザリガニ、タニシなんかは冬季は除くと
毎日とはいわないでも週何回かは口にできてると考えても問題ないんじゃないかね
逆に頻繁に氾濫しまくる濃尾平野なんか家も人も流されまくってるのに集落はなくならないもんな
水利ってのは常に争いの元になるくらい重要で身近なものなんじゃないの?
0122人間七七四年
2011/08/04(木) 23:11:47.89ID:AZ8SJlGU信長の前ぐらいから静岡、愛知、岐阜なんかの争いというのは
ほとんど水運、海運争いと言う感じじゃないのかな。
自領でなにかあっても海運握ってれば米とか食料輸入できるし
海魚だけだってべらぼうに捕れる。
あのあたりから三英傑が出たのも地の利という意味でなんとなく
理解できるしね。
0123人間七七四年
2011/08/04(木) 23:14:05.72ID:vvUb4GKA逆に甲信地方なんか常に飢饉のイメージ
だから信玄が必死こいて対外戦争で略奪しまくったんだろうけど
0125人間七七四年
2011/08/04(木) 23:18:38.93ID:txWHNO8T>庶民に狩猟技術はないだろうw
鶴を捕まえる技術はどうかわからんが、百姓でも狩猟はやるよ。
江戸期の話だが、耕地の開発がよりすすんだため、鹿、猪によるの農作物被害が大きくなり、
村々には「農具」として、鉄砲が備えられていたらしい。
ソースは塚本明『生類をめぐる政治』
あと、丹沢山系の山間部の村では、藩や代官から鳥獣対策用に貸し出される鉄砲が、
一つの村に平均6、7挺あったらしい。
0126人間七七四年
2011/08/04(木) 23:19:55.36ID:txWHNO8T>鰯が稲作の肥料としてある程度流通してたわけだしなぁ
それって、江戸期に入ってからの話じゃなくて?
0128人間七七四年
2011/08/04(木) 23:25:46.48ID:vvUb4GKAピンポイントで種類絞って狩猟ってしないでしょ
それこそ有力者の依頼とか特別な目的でもない限り
仕掛けが体長○○位の〜鳥専用 みたいな区別はあるだろうけど
0129人間七七四年
2011/08/04(木) 23:30:31.12ID:vvUb4GKAただ本格的な流通は江戸期だねぇ
0130人間七七四年
2011/08/04(木) 23:33:44.24ID:iR8BquRI鶏は確か戦国期には神の鳥?とかで尊ばれていたような・・
卵でも食ったら神罰下りそうだが
でも待てよ
宣教師かポルトガル商人がカステラを信長に献上したっけ?
それとも江戸期だったか?
カステラは卵、まぁ牛乳もないと作れないけど
0131人間七七四年
2011/08/04(木) 23:41:20.20ID:txWHNO8Tいやだから、特に鉄砲について書いているんだけど。
捕獲手段は結果的に持ってはいたんだよ。
そういう使い方が許されるかどうかは別の話だが。
0132人間七七四年
2011/08/04(木) 23:44:32.84ID:txWHNO8T戦国期には、基本的には家畜は食べなかったようなんで、鶏も同じ理由で食べてないのかもしれない。
卵も食べない、肉も食べない、となると、現代人の発想ではなんのために飼ってるんだ、
ってことになるけど、朝を告げるとか、実用・非実用的な存在理由があったんだろう。
0133人間七七四年
2011/08/05(金) 06:44:32.14ID:3eyRQDuzみんなありがとう。
卵食べる習慣がなかったとは思えなかったもんでね。
江戸期には、朝を告げる、というのが飼ってる理由とか
あったなぁ。
鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
それと、技術、というか隠れてて素手でたまたま捕まえたから
領主のとこもってった、とかそういうのもあったかもね。
キジなんかはうちのじ〜さん素手で捕まえてたから
むつかしい話じゃなくて、昔の農民ならそういう根性は
普通にあったかもしれん。
0134人間七七四年
2011/08/05(金) 09:08:04.29ID:fXaoQfVh【御汁】 鶴・竹の子・しゐたけ
【焼鳥】 ごい?
はともかく
【御汁】 白鳥
にはたまげた
鶴だけでなく白鳥も食ってたのか
呪われないか?
0135人間七七四年
2011/08/05(金) 09:35:29.06ID:3eyRQDuz参勤交代の接待の時は鶴の吸い物だったらしいが。
0137人間七七四年
2011/08/05(金) 11:22:28.40ID:ZkXKqrfb> 卵も鶏も含まれていました。しかし、庶民
> は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
> また、先人達は、卵が栄養の塊(か
> たまり)であることも知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味して、
> 殻は土中に埋めたといいます。
> .
> それが、室町時代になると、誰言うことなく卵は生きものでないとの風評が世間に広がり、待ってましたとばかりに鶏の飼育も急激
> に増えました。朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増加
> しました。
http://homepage3.nifty.com/takakis2/rekishi.htm
食ってたんだろ
0138人間七七四年
2011/08/05(金) 11:28:14.25ID:ZkXKqrfb> 仏教の殺生を禁じる思想もあって、日常的に鳥獣や鳥卵を食べる習慣はなく、
> 鶏肉や卵料理が徐々に武家の料理にとりいれられたのは室町時代以降である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%AD%90%E8%B1%86%E8%85%90
室町期には既に食ってたってことだな。当然戦国にも。
0140人間七七四年
2011/08/05(金) 12:13:41.37ID:3eyRQDuz世界史的にも普通に食べてたと思うし
習慣がない、というだけで実際は食べられていたとは
思うのだよな〜。たまごね。
それと鳥獣というのも飼育したり養殖のを
食べる習慣がなくても、野生で捕れたものは食べてたと
思うんだ。
武家はともかくそこらの農村なんか絶対に食べてたんじゃないか。
魚も貝もなんでもかんでも。
0141人間七七四年
2011/08/05(金) 19:57:42.10ID:Qohgf5ih例えば、フランスではカタツムリを食うし、
そのためにエスカルゴに通常用いられるリンゴマイマイとプティグリだけではなく
アフリカマイマイというカタツムリの最大種の最大に気持ち割るカタツムリも食う。
俺は今でもエスカルゴは食えないし、ナメクジはもっと苦手だ。
鶏卵とかも昔だったら「気持ち悪くて食えない」とか言う人もいると思う。
「魚でも貝でもなんでも」って・・・・
日本人は「足のある物は机と椅子以外なんでも食う」という中国人じゃないしな。
0142人間七七四年
2011/08/05(金) 21:35:51.07ID:5QEZG+uF個人的には、「あの本の読み取りかたがソレ??」 という感想
略奪、とは言うけど、あの時代どこの国でも軍の現地補給は常識、どこでも戦場は荒れた(本の通り)
でもそれと社会全体で生産不足(飢えていた)というのとは、話は別
あの本でも、戦争での人狩りの記述があるjけど、人=生産力な時代では、
その獲物を吸収する(労働力を欲する地域)背景なければ商売ならないわけで
そんな土地は(飢えても)食い扶持ふやしてた、って、あなたの主張はいってるようなものだよ?
0143人間七七四年
2011/08/05(金) 21:48:59.62ID:3eyRQDuz反論じゃないが、気持ち悪い、とかそういうのが現代人の感覚であって
限りある食料とか栄養とかそういう意味での話ね。
生だと気持ち悪いなら火を通すだけのこと。
食べ物を捨ててる現代が異常なだけであって
あくまで人間の生存への常識の話だよ。
ちなみに、貝は貝塚じゃないが古代から食べてるよね。
魚だって命懸けでとってきて食べてる。
そういう意味でおかしくはないでしょう。
それとうちの実家では狸でも普通に食べてたが
こないだ若い歴史好きの人が、あるわけないだろ、と
これが全然話が合わない。
そしてやっぱり、現代の感覚で話さないでください
と言われたんだが少し不思議な感じがする。
0144人間七七四年
2011/08/05(金) 22:03:34.64ID:EHYtkbqlなんかお互い話が噛み合ってないような。
その本の中身はあんまり覚えてないんで、ちょっと話が変わるかもしれないけど、
江戸期にせよ戦国時代にせよ、飢餓の大きな原因は流通や分配がうまくいってないことだね。
0145人間七七四年
2011/08/05(金) 22:14:47.86ID:EHYtkbql>鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
罠使ったんじゃないの?
自分の田圃に仕掛けとけば、結構簡単に取れると思うけど。
鶴の恩返しの原型となる話は、すでに室町期にはあったはずだけど、狩猟対象で、
料理の重要な材料でもあったことを知った後では、話の意味合いもちょっと違って見えてくるね。
>>135
そうそう、鶴と白鳥って最初読んだときはびっくりするね。
まあ白鳥なんて攻撃性の強い凶暴な鳥でもあるから、文学に縁のない人間からすると、
特別扱いする理由もないんだろうけど。
0146人間七七四年
2011/08/05(金) 22:17:19.25ID:j/GB1viq肉や魚といったたんぱく質は色々あったみたいだけど
果物についてはあまり聞かないけど。
0147人間七七四年
2011/08/05(金) 22:25:40.75ID:3eyRQDuzそそ、網も広義の罠ってね。
どうも捕ってからしばらくは飼育してたような感じだから
比較的傷つけない網かなって。
>>146
こないだマキムク発掘で桃の種が山のように
出てきたけど栗とか山イチゴ、柿、こういうのは普通に
あったんでしょ。
卵もだけど当たり前すぎて記録には残らない
なんてのがかえってありそうだな。
0148人間七七四年
2011/08/05(金) 22:52:53.66ID:HkmhqwUX桃や柿なども他所に流通出来るくらいに栽培されてたのかねぇ
0149人間七七四年
2011/08/05(金) 23:37:35.02ID:yJdxjP8d一切中華を取り入れなかったのは不思議な気がするよ
0150人間七七四年
2011/08/05(金) 23:42:13.14ID:1MJyKgCb南部家では城内に林檎を植えていたようだし一部の支配者層の食卓には
デザートが登っていたと思われる。だけど庶民にとっては甘味は高値の花だろう。
0151人間七七四年
2011/08/05(金) 23:50:19.43ID:EHYtkbql水飴の方が安そうな気はするが。
0152人間七七四年
2011/08/06(土) 00:05:15.94ID:kGxzI7P/西瓜なんかも普通にあるだろうね、無論高級品だろうけど
0153人間七七四年
2011/08/06(土) 04:14:50.99ID:CeUrOntY0154人間七七四年
2011/08/06(土) 08:02:21.84ID:qq2mBFkL鯛、ウナギ、今のわしらがかえって普通に食べられない。
マグロなんかあまって馬に食べさせてたというからな。
江戸期だけど。
0155134
2011/08/06(土) 09:19:10.07ID:hEQr0/qO白鳥以外に青鷺、雲雀(ひばり)も食ってたみたいだ
0156人間七七四年
2011/08/06(土) 09:32:06.61ID:Sh1ZFs/x特に農作物は品種改良や農薬の恩恵が大きい
0157人間七七四年
2011/08/06(土) 10:17:29.42ID:2NIe5flr野生動物は飢えたり、変な病気もしたりするし、
食肉用に改良・育成されたものがいいと思うんだせが。
0158人間七七四年
2011/08/06(土) 10:22:03.04ID:2NIe5flr山イチゴとか市販のイチゴよりマズイぞ。
山のカキなんて渋柿ばかりだろうが。
ちなみに干柿は渋柿をうまく食うための措置だ。
何で「天然もの」>>>「畑の作物、養殖品」と決め付けるのか?
0159人間七七四年
2011/08/06(土) 10:22:14.48ID:8FEM4wWx遺跡から鶏の骨が出土している。新石器時代末に大陸から渡来したそうな。
で、天武天皇(平城京より前の時代)に「牛馬や鶏は食うな」って詔が出た。
これは肉食を禁じるというよりは家畜食禁止の令だったらしい。
その後は >>137みたいにおおっぴらではないけどこっそり食ってたんじゃないかなー
>>138の記述はさらっと室町時代以降って書いてあるけど、料理書の記述見る限り室町期は野鳥メインだと思う
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/chusei01.html
1643年には「料理物語」で食材に鶏・鶏卵が挙げられている。
個人的にはキリシタンが牛馬をばんばん食べる影響で家禽である鶏食の抵抗も薄れたんじゃないかと思う。
それまでこっそり食ってたにせよ、料理本に載るくらい食材として一般的になったという意味で。
あと用途だけど、鶏は世界史的に闘鶏に使われることが多いので、
日本でもそこそこ余裕のある町なんかではやってたんじゃないかなと思う。
0160人間七七四年
2011/08/06(土) 11:50:45.85ID:hEQr0/qO江戸時代では猪は四つ脚動物だから本来なら食べてはいけないものだが
鳥は食べていい
だから当時の人はどえらい理論は考えついた
当時では空を滑空するムササビを鳥の仲間と見ていた
そこでどういうわけだが猪はムササビな仲間
ムササビは鳥の仲間
だから猪は食べてよいと
0161人間七七四年
2011/08/06(土) 12:02:44.27ID:AlAtHCRJ>ムササビは鳥の仲間
じゃあ、四足哺乳類はなんでも食べていいってことにならない?
0163人間七七四年
2011/08/06(土) 16:39:49.35ID:qq2mBFkLもちろん、うまいまずい、なんてのは感覚だから
絶対的なことを言ってるわけじゃないよ。
ただ自然の中で生きて自然100%のものは
美味しかったろうな、と思ってるだけで「決めつける」
とかそういう風に言われても困る。
市販とか今のものは品種改良されて現代風になってるから
「現代人は」今のが美味しいのは当然だろうし
養殖のハマチのほうがアブラがのってて
「美味しい」という人だっている。
そういう比較文化とか習慣とか好みの話じゃ
ないというのは流れでわかると思うけど
どうもそういう方面から考えてる人もいるんだなと。
0164人間七七四年
2011/08/06(土) 16:47:05.68ID:nnxk/gJA0165人間七七四年
2011/08/06(土) 16:48:28.31ID:qq2mBFkL桃の実もそうなんだけど骨が出てるのを
「祭祀用であって食べてたという証拠はない」という
ように言う人もいるのだけど、やっぱり存在して食べられたら
食べてるよな、普通。
ただこういう考え方は「非学問的である」みたいに
言われてまいってしまうが。
>>160
江戸期の話だが一応は仏教的なものから食べてはいけないものだけど
「山くじら」なんてごまかして猪は食べてるね。
鹿だって「紅葉」なんてごまかして食べてた。
鳥に関しては禁令が出てるけどそれに関しては最近新書で
わかりやすいのが出たよね。
なので記録や資料がどうあれ、食べてたろな〜、なんて。
0166人間七七四年
2011/08/06(土) 16:54:56.68ID:qq2mBFkL卵ってのは豆腐百珍の次に出版されてるね。
面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
これがすでに作られてるんだ。
当時は驚いたろ〜な〜。
闘鶏、だけどこれが出てこないんだよね
江戸や上方のでかい町でもでてこない。
ただ鶏なんて囲っとけばポコポコ増えるし
田舎のほうでやっててもおかしくはない。
ちょっと注意しておくは、いいネタありがとう。
0167人間七七四年
2011/08/06(土) 17:25:26.20ID:AlAtHCRJ連中にすれば一番無難な蛋白源だし、それをまったく利用しないのを見れば、例のごとく
「我々とは逆の行動をする民族」として書き立てそうなんだけど。
0168人間七七四年
2011/08/06(土) 20:46:23.27ID:8FEM4wWx占いの一種として宮中でおこなわれ、民間でもやってたとか。
で、ちょっと戦国時代から遡るけど1416〜1448年を記した『看聞日記』で
「伏見で闘鶏を催そうしたけど、伏見の農村では鶏を飼っているところがなかったのでやむなく中止した」
って記述が。
やっぱり公に鶏は食用にするなって言われた歴史があってかつ野鳥(雉子など)が獲れる状態なら
わざわざ鶏を飼育するより雉子食うわって感じなのかな
あれば食うけど、積極的に食べるほどではないという
0169人間七七四年
2011/08/06(土) 21:01:27.36ID:nnxk/gJA0170人間七七四年
2011/08/06(土) 21:05:54.10ID:AlAtHCRJ>わざわざ鶏を飼育するより雉子食うわって感じなのかな
自分で飼育したものを食うことを避ける風潮があったということだと思う。
0171人間七七四年
2011/08/06(土) 21:08:54.78ID:AlAtHCRJ戦国期よりも肉食の風習はさらに少なくなってるよ。
ただ、江戸期には外食産業が発達しただけ。
戦国期の外食専門の店といえば、寺院前の茶屋がほんの少し。
基本的には宿泊施設のおまけ。
0172人間七七四年
2011/08/06(土) 21:24:10.13ID:R5uFH+XW>面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
>これがすでに作られてるんだ。
>当時は驚いたろ〜な〜。
これは昔の人のほうがすごかった
百珍に載ってるけどその技術が失われて長いことどうやって作るのか不明だったけど
最近になってやっと作り方を解明、復刻した
0173人間七七四年
2011/08/07(日) 02:54:11.05ID:oKT+TVJUもともと鶏肉は”雉”の代替品あつかい、鶏を食うときも”雉”と称した、って説もあるよ
卵については、「常に鶏の卵を煮て食いて、現に悪死の報いを得る縁」(日本霊異記)って
卵食ったら地獄行きだよ、なんて説話が生まれたくらいだから、記録にはないけど実際には食べてたんだろねぇ
0174人間七七四年
2011/08/07(日) 03:39:19.77ID:ke1Udjpe江戸期は海路も発達し各地の名産品が江戸に流れるようになったから
あえて御禁制の肉を食う必要性が薄れたともいえるかと。
0175人間七七四年
2011/08/07(日) 04:36:02.51ID:aEKvRWmV0177人間七七四年
2011/08/07(日) 09:07:20.18ID:6lbb4OXi昔は平均寿命三十歳、乳幼児の死を除いても六十には達しない。
栄養失調病やぎょう虫などの寄生虫も多かった。
三大栄養素はまだしも、そのほかの栄養素はなあ。
現代人の俺ですら、一人暮らしを初めてからビタミン不足に手を焼かされた。
なんか変な症状出てから、ネットを見て不足ビタミンを摂取する毎日だ。
0178人間七七四年
2011/08/07(日) 13:39:40.97ID:ft9rXAwM戦国〜の日本でも食べ物がもとの虫歯で重症化したことあるのかな
0179人間七七四年
2011/08/07(日) 13:52:49.26ID:WU9ww2Tl戦国期はまだまだ仏教的禁忌の影響が強く食肉は限定的だった、というのは常識だと思うが。
それに江戸期の百性の記録見てみろ。どこの地域でもハレの日は鳥類を中心に肉料理が必ず出ている。
戦国期にそういう記録は殆ど無い。
つーかお前が戦国期のほうが江戸期より食肉の習慣があったという根拠は何だ?
そんな統計資料は見たこともないんだが。
戦国期は鎧などのための皮などを取るため大量の牛馬が屠られたが、それらの肉を食したという記録はなく
おそらくすべて廃棄されたと考えられる。(江戸期は”ももんじ屋(精肉店)”で牛馬の肉も流通していた。)
江戸期は、例えば井伊家などは「牛肉味噌漬」を名物にしていたが、それ以前にその土地の領主が
獣肉を名産にした時代はない。
戦国期の社会に、江戸期以上の獣肉食の慣習があったなど到底信じられない。
0180人間七七四年
2011/08/07(日) 14:15:28.96ID:k0sNFdSG>それに江戸期の百性の記録見てみろ。どこの地域でもハレの日は鳥類を中心に肉料理が必ず出ている。
>戦国期にそういう記録は殆ど無い
当たり前だろ、そうした記録の絶対量が、戦国期と江戸時代とは違う。
>そんな統計資料は見たこともないんだが。
そもそも、戦国期に統計を取れるほどの資料は残ってないが。
0181人間七七四年
2011/08/07(日) 14:57:38.12ID:WU9ww2Tlだから戦国期のほうが江戸期より肉を食っていたという根拠は何だと聞いているわけ。
妄想や想像ではなくきちんとした資料的根拠をな。
わかる?
0182人間七七四年
2011/08/07(日) 16:33:12.41ID:hHJBhL97いちいち喧嘩ふっかけるような書き方しないでもっと落ち着いて書きなよ
意見の否定は人格の否定じゃないんだから
0183人間七七四年
2011/08/07(日) 18:46:52.84ID:k0sNFdSGたまたま大学でその辺のことやってて自信がある子なんでしょ。
>>181
>戦国期のほうが江戸期より食肉の習慣があったという根拠は何だ?
まず、おれは>>171じゃないで。念のため。
1点目
以下、原田信男著『江戸の食生活』から引用する
「江戸時代も初めの時期には、肉食に関する禁忌は比較的弱かった。
ところが石高制社会が、しだいに内実を整え始める寛文〜延宝期(1661年〜81年)頃から、
肉食を穢れとして忌避する意識が強まったと考えられる。
喜多村信節は『嬉遊笑覧』で、肉を扱う獣店が寛文〜延宝期を境に消滅した、という
考証を行っているが、この推定はほぼ正しいように思われる。管見の限りで言えば、
元禄〜享保期(1688〜1736年)には、肉食についての記事がほとんど見受けられず、
宝暦〜天明期(1751〜89年)から化政期(1804〜30年)に目立ちはじめ、さらに天保期
(1830〜44年)頃から、獣肉店に関する記述が多くなるという特徴がある。
おそらく天保期における政治的な内憂外患に伴い、社会秩序が緩みはじめて肉食の
禁忌も弱まったためであろう。
2点目
成人男子の平均身長を時代別に比較すると、戦国期>江戸初期>江戸後期となっている。
(ソースは鈴木尚)
ただ、平均身長は肉食の習慣があるかどうかだけで決まるわけではないし、蛋白源は哺乳類
以外にもいろいろあって因果関係の説明としては弱いので、あくまで個人的な推論の根拠でしかない。
それから、
>戦国期は鎧などのための皮などを取るため大量の牛馬が屠られたが、それらの肉を食したという記録はなく
戦国期は狩猟獣の肉は食ったが、家畜の肉は食わなかった。
江戸期でも、牛馬を食べることに対する穢れ感は強かったが、上級武士を中心にある程度食べられていた。
なので牛馬に関して比較すると、江戸期の方が肉が食べられていたといえる。
0184人間七七四年
2011/08/07(日) 19:20:17.24ID:oKT+TVJUフロイスの日本史には、ザビエルが普段は菜食なのに「宗教関係者も肉食をして良い」ことを示すために口にした
…って記述があり、当時広まってる仏教説話も「獣魚を食って地獄におちる」てなパターンだから
これは当時の一般が肉食をしないなら書かれない(広まらない)ことよね?
似たのに、後村上天皇は「肉ばっか食ってるから(仏罰で)都に戻れないんだ」なんて言われてるし
「戦国時代に肉食なかった」てなのは無理がありすぎるかな
0185人間七七四年
2011/08/07(日) 19:59:45.63ID:hHJBhL97どれだけポピュラーだったか(あるいは限定的だったか)って話で。
>>183の原田信男の記述を見ると江戸初期は肉食が珍しくて後期に肉食が増えたとも読めるね
>>171のさす「江戸期」が初期を差してて>>179の「江戸期」が後期を差してるってだけだったりして
江戸期と戦国期だとそもそも食料の安定供給・流通がぜんぜん違うからそのまま比較するのが難しいよね(無理とは言わないが)
もちろん禁忌が弱いとかそういう話はできると思うけど、単純に肉食の記録となると
0186人間七七四年
2011/08/07(日) 20:15:19.37ID:uxNC0+xO0187人間七七四年
2011/08/07(日) 21:54:46.63ID:6lbb4OXi永倉とか。
ttp://aekd.seesaa.net/article/189132125.html
0188人間七七四年
2011/08/07(日) 22:10:30.89ID:oKT+TVJU0189人間七七四年
2011/08/07(日) 22:10:40.59ID:oKT+TVJU0190人間七七四年
2011/08/07(日) 22:11:04.46ID:oKT+TVJU秋月藩(望春随筆)だと、昔は長崎まで干肉頼んで取り寄せていたけれど、
寛政には必要なときに手に入るようになり、天保には牛肉の行商がきた、って書いてある
0191人間七七四年
2011/08/08(月) 06:46:32.52ID:wu7RJfhO平均寿命だけどさ、記録のある公家さんとか皇族でも
結構6〜70代っていますよね。
そういう人たちは栄養とかも豊富で特別だったとは
言われるけどとりあえず長生きしてた人もたくさんはいたわけで
平均が30才というのはなんか微妙な言い方のような気もする。
統計のイタヅラというか60まで生きた人一人
子供で死んだ人二人で平均30才、でも30で死んだ人は
いないわけで同じように平均化すると少し実態と違ってきて
そこからさらに「平均が30歳だから」と演繹していくともっと
おかしくなっていくとも思うのだよね。
良かった論じゃないけど「あんまり変わらなかったろう」とは
思ってたりして。いろんな面においてね。
0192人間七七四年
2011/08/08(月) 06:49:30.46ID:wu7RJfhOそうなのですか。
百珍に作り方が載ってたように書いてある本があったけど
誤読だったかな。それともそれでは不可能だったのだったかな。
マジックで卵の中から1000円札出すのがあるけど
あれはどうやるか知ってる?スレチで悪いが。
0193人間七七四年
2011/08/08(月) 07:25:19.87ID:z4fPZYJrいやー、「あまり変わらなかった」ということはありえない。
確かに長生きな人もいたろうけど、短命な人もたくさんいた。
子度ミのうちに死んだ人もいたけど、
三十台、四十台で死んだ人も多かった。
平均寿命は数字のマジックとし言えないだろう。
今でもアフリカとかでは平均寿命三十前後の国があるが
ちゃんと貧しくて悲惨だしなあ。
0194人間七七四年
2011/08/08(月) 07:35:49.31ID:z4fPZYJrいやー、メチャ変わっていると思うよ。
特に現代人において県単位で歩く事すらないってのは大きな違いだと思う。
そもそも、あなたは「めぐまれた人」「運良く長生きした人」ばかりを参考にしてないか?
めぐまれてない人もゴロゴロいるんだが。
昔は虫歯になれば地獄だし、盲腸(虫垂炎)になっても治療法なく死ぬしかなかったのだが。
俺は虫歯を抜くときに歯が根本で曲がっていて抜けなかった。
それて、歯科医は一時間近くかけて歯を細かく粉砕して取り出したのだが、
麻酔を数度にわたってかけたので、痛みはなかったが。
昔だったら「死んだ方がマシレベル」の阿鼻叫喚だったろう。
なんにせょ貴方はもっと文明に感謝したほうがいいよ。
エヴァじゃないが、人類なんてものは水槽の中の金魚みたいなもんだ。
「60まで生きた人」と「子供で死んだ人」で平均30とか言ってるが
あなたの方が子供で死んでた方かもしれないし。
「あんまり変わらなかったろうとは思ってたりして。いろんな面においてね。」
ってのはあまりにも文明への感謝がなさすぎだねえ。
0195人間七七四年
2011/08/08(月) 09:32:30.38ID:wu7RJfhOいや、言ってることはよくわかるよ。
わしら爺はテレビや冷蔵庫もろくになかった時代から
生きてるから文明にはものすごく感謝してるよ。
だからちょっと誤解をされてると思う。
今のこの豊かさを当たり前に思ってるガキンチョ
の対極にあるようなものだからねわしら世代は。
わしの爺ちゃんぐらいだと風邪で死んでた人も
多いしそういう話は身近に体験もしててね。
実家には今でも井戸あるし小さい頃は使ってたし。
だからそのあたりはわかってほしいな
決して「文明を軽く見てる」わけじゃなくて。
0196人間七七四年
2011/08/08(月) 09:42:13.68ID:wu7RJfhO「変わらなかったろう」というのは文明の話じゃなくて人間の
本質という部分ね。
空飛べるわけでも手足が増えたわけでもない
だから「3大欲求」みたいなものは古代から今まであまり
「変わらなかったろうな」ということで。
東京でアザラシが見つかるとみんな押しかけるけど
300年前の江戸人とやってることはまったく同じでしょ。
これだけ発達した社会の中で「似たようなことしてるな」
というのにはいつも逆に感心してしまう。
歩く話だと熱田から桶狭間まで普通に歩くけど
今の子なんかはとんでもないものね。
こういう点は「メチャ変わってる」けどそれは
現代がいかに異常か、という論点の話だと思う。
わしらの上の世代で毎日岐阜城に登って散歩してる人いるけど
江戸期の人みたいに健脚でこういうのが昔は普通で
今でも残ってる部分は多いとは思うんだ
残念ながらもうわしらがその最後の世代なんだろうけど。
説教臭くてごめんね・・
0197人間七七四年
2011/08/08(月) 09:44:34.34ID:wu7RJfhO江戸初期には、梨、葡萄、蜜柑、なんてのは記録に
出てくる。売買の時期の話だからその少し前の
戦国でもいっぱいあったろうし
あったのなら食べてたんじゃないかな。
0198人間七七四年
2011/08/08(月) 09:49:19.87ID:6819Y+nqいきなり「よかった論になってない?」とか言われても……って感じだったんだけど
なんでそういう話になってさらに文明への感謝とかいう話になってんの
0199人間七七四年
2011/08/08(月) 09:57:08.58ID:6819Y+nq甲州は今でも干し柿の産地だし。
0200人間七七四年
2011/08/08(月) 09:59:46.10ID:wu7RJfhO「昔は悲惨だったんだぞ」という主張から始まったようなんだよね。
平均年齢とかアフリカとかを「ちゃんと悲惨」という表現してるのが
少し不思議だった。
薬も何もない生活=文明の未発達の生活を
そのまま「悲惨」と考えるのはどうなんだろう。
現代にそういう目に遭うと「悲惨」だろうが
昔は「それが当たり前」なわけであって単純に
比較して今の感覚で「悲惨」というのは少し違うような。
今の現代で貧しくて悲惨な国も場所もあるだろうが
それはあくまで現代の中の比較に留めるべき。
「昔はよかった」なんて誰も思っても言ってもないし
これは普通に歴史を考えていくと出てくる視点だしね。
しつこくてごめん。
0201人間七七四年
2011/08/08(月) 10:04:28.64ID:wu7RJfhO「ビニールの無い時代におかしくはないか」という質問が
あったらしいけど当然藁だよね。
今でも普通に実家から藁で結んで送られてくるけど
NHKさんも大変だなーと思った。
0202人間七七四年
2011/08/08(月) 10:05:55.15ID:wu7RJfhO「ミニトマト」が入ってたことがあって
「さすがに間違いだろう」という質問もあったそうな。
江戸期にミニトマト・・
0203人間七七四年
2011/08/08(月) 10:29:56.57ID:z4fPZYJrそうなのか? まあ、大体わかった。
で、人間の本質というと俺は現代人にありがちな最強度近視で
5cm先の字も読めず、眼鏡なしでは半盲みたいなもんなんだな。
これを言うと当然「昔は今とは違って近視の人はほとんどいなくて」みたいな
反論はくるだろうけど、やはり単に「視力の弱い人」はたくさんいたと思う。
となると昔だと最強度近視の人間は障害者扱いなのかなと思ってしまう。
あと酒井忠続とか土岐頼芸は晩年に失明したんだけど、
おそらくは緑内障・白内障の類だと思う。
まあ現代人の失明原因トッフは糖尿病だが、さすがに昔の人ではこれはないと思う。
現代人は糖尿病で失明し、昔の人は白内障・緑内障の対策なしで失明するとなると、
昔も今も失明率は変わらないのかな?
0204人間七七四年
2011/08/08(月) 11:02:51.55ID:6819Y+nq面白い話題かもしれないけどちょっとあんたは全般的にスレ違いが過ぎないか
例えば白内障予防に効果的なビタミンCと戦国時代の食生活をからめて話すならまだしもさ
一回スレタイ見直してほしい
ミニトマトは江戸期に伝来したけど、色のせいか観賞用で食用には用いられなかったみたいだね。
日本で実際に食べられるようになったのは明治以降とか。
ていうことは、戦国時代でも存在はしたけど食用に用いられなかった食物ってのもいろいろあるんだろうね。
0205人間七七四年
2011/08/08(月) 16:08:40.76ID:IXksgeBxうちの田舎(和歌山)だと、干し柿を釣るのは葉蘭(バラン)を細く裂いたものだったよ
藁は引張強度が弱いから、大きい柿(百目柿とか)だとすぐ切れちゃうしね
つかバラン、消えちゃったよなぁ……
昔の日本には普通にあっても今じゃ全滅、って道具にされた植物はけっこうありそうだね
0206人間七七四年
2011/08/08(月) 22:24:21.66ID:K/3/9Tfnへぇぇ、ミニトマト江戸にあったのか、勉強になった。
スイカもあったけど、人の首みたい、とか嫌われたというけどその
類なのかな。
鶏の話だが、江戸以前は闘鶏のための飼育で食用ではなかった
と見かけたけどあまり聞かないよなぁ。
獣食の話でウサギが出てないね。将軍も食べてたというのだけど。
昭和初期の飛騨では大体ウサギと鶏は飼ってた。これは記録とかじゃなくて
口承というか実体験というか。
0207人間七七四年
2011/08/08(月) 22:33:35.74ID:K/3/9Tfnほほぉ、飛騨育ちだが「バラン」って初めて聞いたよこれも
勉強になった。
藁は弱いからこよりみたいにゆってぐるぐるまいてたね。
そういや卵が一般化したのは南蛮人のカステラとかで
その味の良さで広がったと何かで見たが
万葉集とかに出てこなかったかなぁ。
鰻は出てきてるもんねぇ。
0209人間七七四年
2011/08/09(火) 01:05:50.88ID:u++EjfFp庶民が鍋にして食っちゃうと
んでその悪臭に嫌気がさして生類憐みの令の一因になったとか
0210人間七七四年
2011/08/09(火) 02:22:42.55ID:Z3KQBhkT江戸時代に書かれた製法に従っても作ることが出来なかったのよ
それが最近になってやっと解明されたの
0211人間七七四年
2011/08/09(火) 07:44:14.14ID:kZMO3zVY「飢えた農民たちは犬猫は言うに及ばず、牛や馬まで殺して食べた」という記録がある。
少なくとも、食うことの抵抗感は犬猫>>>牛馬なんだが。
0212人間七七四年
2011/08/09(火) 08:48:20.95ID:pMrVZjve0214人間七七四年
2011/08/09(火) 09:11:01.86ID:0D4+7nZQ(高価で労働力としてすごく重要な)牛や馬まで っていう意味なんじゃないかなその文は
0215人間七七四年
2011/08/09(火) 09:11:39.55ID:kZMO3zVYそだね。
思うに農耕用の牛馬に関しては宣教師の記録どおり全く食わなかったか、
食うとしたら、自然に息の根がとまってからだろう。
飢饉でもない限り殺しては食わない。
0216人間七七四年
2011/08/09(火) 09:35:30.07ID:CfixjwMi食料用に飼育しててもおかしくないのに
そういう用法を採用してなかったのが珍しくて
記録に残ったかなと思ってる。
自然死で食べてたならそれで味を覚えるから普通は
飼育するだろうってね。
仏教的な戒律で食べなかったというのはそれも
あるだろうがやっぱり山中では獣はいるから食べてたかなと。
古代からずっとね。
0217人間七七四年
2011/08/09(火) 14:32:25.92ID:pMrVZjveおいしくなったのは近代以降
0218人間七七四年
2011/08/09(火) 16:08:44.80ID:+TOAbAN4どこでもドアで行ってみたいもんだ。
0219人間七七四年
2011/08/09(火) 17:23:03.54ID:t1EjwO2f赤身の方はズケで保存だしね
0220人間七七四年
2011/08/09(火) 19:14:58.35ID:vTKGJfDf歴史を見る際、中途半端に現代人の合理的思考で考えるのは良くない。
まず当時の農村で、犬猫をペットとして見なしていたかどうかが疑問。
ヨーロッパ以外の多くの国々では、犬の扱い方が酷いことは、よく聞く。
で、牛馬に対しては、一緒に労働している仲間という感情は強かったんじゃないかと思う。
自分たちによく従って働いてきてくれた仲間を殺して食べるのは、かなりの苦悩があったんじゃないだろうか。
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