戦国時代の食事5膳目
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0001人間七七四年
2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/
0002人間七七四年
2011/02/06(日) 20:58:49ID:WO6CQZ+N0003人間七七四年
2011/02/08(火) 06:38:55ID:K9TAFUuw0004人間七七四年
2011/02/11(金) 10:35:51ID:D9qRLFGp0005あ
2011/02/16(水) 05:42:15ID:KDxL8NWxマグロは漁獲料が近年多いだけで昔は遠洋にも行けないから、メインは秋刀魚とか鯵とかになるのかな?
0006人間七七四年
2011/02/16(水) 18:41:05ID:tDM8M9zZ海のものだと鯛ヒラメ、川のものだと鯉鮒ナマズが”膾”の対象で記録(レシピ)に残る
ただ「記録にないから喰わなかった」とは言い難いのも現状
古くなるけど清少納言がイワシくって「お前息が臭い」言われた話とか
毛利骭ウの弁当に入ってた焼鮭をみんなで「それうまそう」といったとか
…まぁ 捕れた魚は何でも喰ってたと思われるので、その数だけ刺身はあったと思われ
0007あ
2011/02/17(木) 07:28:43ID:z/y7pGJk隆元の焼き鮭も美味そう
しかしわさび醤油で食うようになったのは江戸からかな?ただの醤油なら昔から食ってそうだけど
0008人間七七四年
2011/02/17(木) 12:48:03ID:2hn+gWL/弁当の鮭はほとんどみんなにとられたほど人気だったようだ
0009人間七七四年
2011/02/17(木) 13:07:59ID:PUrT6s1f合わせ調味料として使われてきたので、”わさび醤油”も醤油の登場とともにあったと思われ
えっと戦国時代の醤油は”たまり醤油”、日葡辞書(1604)にも記述があるくらいだけど、
醤油は主力輸出商品になので特に記載された可能性もあるので当時の一般化の度合いはよくわからないと思う
もともと製造に数年かかるので、都(近畿)周辺だけの消費に供給が追いついていたのかどうか、若干の疑問が……
めでたい席ではつかわれたけど、毎日の食卓上にあったかどうか、個人的には疑問に思ってる
現在の濃口やら薄口醤油が発明され大量生産始まったのは寛永年間(17世紀)
この頃から日本全国で日常的に醤油が使われるようになった
「刺身にわさび醤油」が常識になったのはもこの頃からじゃないかなぁ……
0010あ
2011/02/19(土) 05:46:44ID:Ve+b+DGOわさび醤油は自分も江戸以降だと思う、て事は寿司の酢飯の方が歴史は古いのかな?
戦国期に寿司らしきものがあったとしたら酢飯だろうか?それともいわゆるちらし寿司?江戸前寿司は江戸以降だろうけど
0011人間七七四年
2011/02/19(土) 09:29:09ID:HKg21hcH0012人間七七四年
2011/02/19(土) 09:33:56ID:5aSArF380013人間七七四年
2011/02/20(日) 04:44:33.24ID:YOUxJkRd室町時代になると発酵が進んでない(米粒が残る状態)うちに食べるようになりました
(なまなれ、生成と当時呼ばれてました)
そしてもっと早く(一晩)できる、すっぱさを酢で代用した早寿司(箱寿司)と言うのが考案されます
(いまだとバッテラとかマス寿司、柿の葉寿司なんかにあたりますね)
これはいつ発明?されたかわかりませんが、1600年代には記録が残ります
つまり戦国時代の寿司は、↑の生成もしくは早寿司であったのではないかと
ついでに…現在の主流のにぎり寿司は、酒造の廃棄物であった酒粕からの大量生産(1811年)が始まり
値段が格段に下がって江戸に持ち込まれ庶民に広まってから、つまり幕末の話になります
いなり寿司、巻き寿司もちょうどそのころ広まったんですよ
0014人間七七四年
2011/02/20(日) 10:24:38.21ID:xv13ZnaB江戸前寿司が文化文政からというのは聞いたことがあるけど
0015人間七七四年
2011/02/21(月) 04:30:56.90ID:q5R/5U9D酒粕酢はミツカンの創業者の話ですので……
ttp://www.mizkan.co.jp/story/change/01.html
0016人間七七四年
2011/02/23(水) 23:07:35.26ID:AD6JNhQV今でもダメって言われてるザクロなんかがちゃんと入ってて面白い
0017あ
2011/02/25(金) 19:10:54.56ID:Qf77tbc8そもそも赤飯は江戸からかな?
0018人間七七四年
2011/02/25(金) 19:24:00.00ID:PBhje8bX0019人間七七四年
2011/02/26(土) 01:35:15.12ID:rgYQvKOwさらに鎌倉時代には神に献げる”厄払い”の意味がありました(赤飯御供)
で、いつごろ厄払いから「おめでたい席に赤飯」と言う習慣に代わり広まったのか、
つまり戦国時代では凶事に食われたのか、吉事で食べたのか、わかんないです
でも「おめでたいときの赤飯」が庶民に広がったのは江戸時代天保くらいから(吉宗の頃)
なので、今のような赤飯の習慣は江戸時代からと言っていいかもしれません
0020あ
2011/02/26(土) 17:59:34.92ID:PmTW0w49やはり江戸期に食事の習慣が出来上がるのかもね
戦国期は兵士が餅をぶら下げて出陣した記述はあるみたいだけど、これは醤油焼きなのかな?
またきな粉餅、アンコ餅なんかも江戸かな?
ずんだ、ミタラシ、色々あるけど、戦国期の餅は何が一般的なのだろう?
0021人間七七四年
2011/02/26(土) 20:03:53.78ID:KAK0TCIo0022あ
2011/02/26(土) 20:35:48.60ID:PmTW0w49味噌?餅だけ食べて美味しかったのかな?
0023人間七七四年
2011/02/27(日) 03:02:01.10ID:JHJ0fkey”雑煮”も、モチを一度神様に供えから料理して食べたのです
で、室町時代に精進料理とともに”点心”の習慣がひろまり茶の湯の流行とともに、
饅頭などと同時にモチも”お菓子”として食べられるようになったのです
つまり戦国時代では、モチは戦時食と言うより御菓子、に分類されます
当時の食べ方はそのまま焼いたり田楽のようにしたり(豆腐の代わり)、
また乾燥したものを煎った”アラレ”だったんじゃないでしょうかねぇ
江戸時代寛永年間になって庶民にもモチをついて祝う習慣や名物としての”力もち”が広まり
文政になると草加せんべいが発明されます
本格的な日常でのモチを食する習慣はやはり江戸時代から、といえるでしょうね
0024人間七七四年
2011/02/27(日) 07:41:43.13ID:k6/qZRZw竹中半兵衛が矢で撃たれたとき懐にいれておいた餅のおかげで助かった、とか逸話があるね
0025あ
2011/02/27(日) 08:27:01.00ID:utGaTg/Zまた、きな粉じたいが戦国期にあっただろうか?
0026人間七七四年
2011/02/27(日) 13:14:02.86ID:+zL01yTh「信玄餅」はあくまでお菓子の商品名で最近のものだと思うよ
武田信玄が戦のために切り餅を用意したところから取って名付けたらしい
元々静岡や山梨の方ではお盆に安倍川餅(=駿府名物)に黒蜜をかけて食べる風習があったとか
安倍川餅の名前を家康が付けたという話があるから
それがお盆の風習に取り入れられて黒蜜かけるようになるのはおそらく江戸時代の間だろう
黄粉は奈良時代には薬として作られてたし
室町時代の女房言葉の本にも「まめのこをばきなこともうす」と説明されているよ
江戸時代にも一般的に認識されてはいたみたいだけど
申し訳ないがどの時代にどれくらい一般的だったのかはちょっと知らない
>>25は色々疑問に思ったことを即書き込んでるみたいだけど
ちょっと検索すれば出てくることもあるから、一度ぐぐってから書きこむと効率よく疑問が解消するんじゃないかな
0027人間七七四年
2011/04/16(土) 02:33:59.66ID:K2oPa+8Z餅の食べ方も現代と変わらない、ずんだ餅やらあんころ餅やら
戦場で兵達がお汁粉食べてるところを想像すると何だか面白いけど
0028人間七七四年
2011/04/16(土) 08:34:28.02ID:vVOJCKlaせんべいも八戸藩の非常食が始まり、戦国時代にはなかったし
他にも、刀傷を焼酎で洗う、ってのは確かに江戸時代には一般常識だったんだけど
18世紀くらいには「焼酎より水で洗う方がいい」ってものの本に書かれるくらいなので
あんまり効果があるとは思われてなかったぽいし、そこの各内容はかなり微妙なところ
丸々信じずに自分で調べてみた方がいいかもしれないよ?
0029人間七七四年
2011/04/16(土) 10:37:37.82ID:K2oPa+8Z戦国時代と念を押してあるわりにはどうも意外を通りこして正直違和感が
自分でもっと調べてみます、ありがとうございます
0030あ
2011/05/08(日) 06:34:35.01ID:ufQRzaUs確か元就だったかな?
あとは乾燥させた米、味噌なんかやらを装備し出陣したみたい
0031人間七七四年
2011/05/08(日) 18:18:15.89ID:njTz1b3B0032人間七七四年
2011/05/12(木) 11:51:46.56ID:7UYrz5qL「朝の出仕に相備えて餅を一ツ二ツも喰うべし。大小便とどこほる物なり。
僧俗ともに大小便しげきハあさましきなり。仮に隙なくて一日程物を喰わねどもこたへらるるものなり」
ってあるが。
0033ち
2011/05/15(日) 11:45:32.32ID:0joRcBUOところで戦国期の飲み物にリンゴジュースやミカンジュースはあった?庶民は麦飯お焦げ水で富裕層は茶だろうけど、果実をシェイクして飲み物にしただろうか?ミカンは江戸、リンゴ明治だから無い?一部の農園者はやってた?
0034人間七七四年
2011/05/15(日) 14:52:57.29ID:gG3FOFFi0035ま
2011/05/15(日) 17:45:14.90ID:0joRcBUO0036人間七七四年
2011/07/30(土) 07:58:50.08ID:Prq99cILhttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1311428758/
0037人間七七四年
2011/07/30(土) 16:00:41.57ID:9yLf8i/m戦国の足軽は疲労骨折、靭帯断裂しまくりだっただろうな
カルシウムや植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸に必要な動物性蛋白質の絶対的不足が要因となる
炭水化物過多は特に男性にはろくなことない
0038人間七七四年
2011/07/30(土) 17:58:08.31ID:MFUhxOi6(現在の戦国食も必ず入ってる)
だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ
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