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【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2011/01/31(月) 20:38:37ID:iiET33MS
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
0858人間七七四年2011/07/05(火) 14:29:36.84ID:O34glHQZ
どの古絵図かな?木がぼうぼうなのは見たことが無い。
250年たってる幕末が参考になるかどうか。春日山城だと昭和に植林されるまで禿山だな。
0859人間七七四年2011/07/05(火) 15:11:34.12ID:dq9Br3wa
山城の役割を考えれば、木が生えてるなんざ百害あって一利無し。
0860人間七七四年2011/07/05(火) 15:41:53.95ID:kyAlX4Cf
木が生えてると攻撃側にとって盾になるからな
守備側は切り取って弓や鉄砲の射撃の邪魔にならないようにする
篭城に備えて松や梅を植えたのは曲輪の中
0861人間七七四年2011/07/05(火) 15:45:08.42ID:KTEF+r8+
NHK教育テレビあたりの番組でお城の跡を散歩するみたいなやつ見てると、
よく今は木がいっぱいですけど当時はなかったんですよってのはよく見る
0862人間七七四年2011/07/05(火) 16:28:03.85ID:QdLvQymR
>>857
もし木がぼうぼう生えてたら火攻めであっという間に落ちるよね?
0863人間七七四年2011/07/05(火) 16:43:51.80ID:6NRi36LW
フルボッコな>>855に助太刀しようと考えたが
どう考えても無理だわ
0864人間七七四年2011/07/05(火) 16:50:50.03ID:VlR1YjFk
仙台青葉城には防衛のために伐採が制限された「御裏林」ってのがあるよ
今は東北大の植物園として残ってる
0865人間七七四年2011/07/05(火) 17:20:04.18ID:pfyvOkCU
そういえば籠城戦で城から落とす投石や倒木やウンコは戦い直前に準備していたのでしょうか?
それともある程度備蓄されていたのでしょうか?
0866人間七七四年2011/07/05(火) 17:46:16.31ID:aaZO0zT1
>>865
石や木はともかくウンコはもう使う直前くらいだな。普通は伝染病予防のため、城内で出された糞便は
毎日遠くの廃棄場まで持って行って捨てられる。
0867人間七七四年2011/07/05(火) 17:50:33.83ID:6NRi36LW
ウンコ落としたのって真田と畠山くらいじゃないの?
0868人間七七四年2011/07/05(火) 18:11:36.33ID:R+iwLLxC
じゃあ>>853 >>855を擁護しとくよ
ttp://www.geocities.jp/vrmurakami/nazo/nazo7-1.html
上杉博物館蔵の村上城絵図

慶長年間に描かれた『唯一』の城の絵図で
大坂の陣以前に描かれた城の絵図は、これ以外現存していない。


『関東の名城を歩く 北関東編』 峰岸純夫・齋藤慎一(2011)
p.F [城の暴風雨対策]
「城の敵は攻め寄せる敵の軍隊だけではなかった。初夏梅雨時の長雨、あるいは秋の暴風雨などがある。
これによって城が崩落してしまう危険にさらされていた。
この際に城を守るために、貯水池や排水設備が必要であるが、自然の樹木や草類もその役割を担った。
これらによって城の安全が確保されていたので、郭平面や展望台の櫓周辺は除いて樹木は自然のままに生い茂らせていた。
城郭に樹木無し、城郭の整備には樹木の皆伐が必要などと説くものも少なくないが、
城郭に樹木無しというのは自然環境を理解しない者の迷信である。」
0869人間七七四年2011/07/05(火) 18:12:42.21ID:R+iwLLxC
間違えた。855と>>857の擁護だ
0870人間七七四年2011/07/05(火) 18:16:00.04ID:wONh9to2
北条氏が雨降ると郭の地面が凸凹になるから(堀切なんかも当然)
定期的にメンテしろっていう労役を広く割り当ててるけど
0871人間七七四年2011/07/05(火) 18:20:45.27ID:aaZO0zT1
>>868
http://www.geocities.jp/vrmurakami/nazo/images/nazo7-1.jpg

どう見ても樹木は一部だけ残して後は丸裸、にしか見えないが。
0872人間七七四年2011/07/05(火) 18:46:39.85ID:fQbKCMS6
>>862
生木はちょとやそっとじゃ燃えない
だいたい、城の中に火を付けられるようになったら木が云々以前に終わってる

>>871
どうみてもいっぱい生えてるやんw
生えてないの崖と平作地だけだし
0873人間七七四年2011/07/05(火) 18:58:50.16ID:aaZO0zT1
>>872
> どうみてもいっぱい生えてるやんw

主観の問題だとも思うが、俺には最低限だけ残してあとは丸裸、にしか見えん。

あと君の出したこれだが

> 『関東の名城を歩く 北関東編』 峰岸純夫・齋藤慎一(2011)
> p.F [城の暴風雨対策]
> 「城の敵は攻め寄せる敵の軍隊だけではなかった。初夏梅雨時の長雨、あるいは秋の暴風雨などがある。
> これによって城が崩落してしまう危険にさらされていた。
> この際に城を守るために、貯水池や排水設備が必要であるが、自然の樹木や草類もその役割を担った。
> これらによって城の安全が確保されていたので、郭平面や展望台の櫓周辺は除いて樹木は自然のままに生い茂らせていた。
> 城郭に樹木無し、城郭の整備には樹木の皆伐が必要などと説くものも少なくないが、
> 城郭に樹木無しというのは自然環境を理解しない者の迷信である。」

当時の城というものが、戦略、戦術の必要性によって常に増改築や大規模な改造がの行われていた
物であると言うことをこの筆者は理解していないんじゃないか?
戦国期の城はあくまで戦略、戦術上、あるいは政治的要因で常に変化が求められる構造物で、
近世の城のような永続性は二の次だ。だから毎年毎年城のメンテが行われている。

> 城郭に樹木無しというのは自然環境を理解しない者の迷信である。」

これこそ、戦国期の城が自然と共存していたなどというとんでもない迷信だわ。
城は大規模な自然破壊以外の何者でもないよ。
0874人間七七四年2011/07/05(火) 19:23:02.12ID:ZW+LrntB
そもそも排水用の暗渠掘って固める時点で大規模に自然破壊するしな
0875人間七七四年2011/07/05(火) 20:53:10.28ID:fQbKCMS6
丸裸というのは何もない状態を言うのだが
0876人間七七四年2011/07/05(火) 21:10:59.41ID:ZW+LrntB
パンツ一枚だから厚着だよな
0877人間七七四年2011/07/05(火) 23:02:08.69ID:pfyvOkCU
>>866
サンクスです。
やっぱウンコの処理は毎日行われていたんですね。
0878人間七七四年2011/07/07(木) 21:14:04.35ID:vy+T4DOk
真田信繁は豊臣姓を貰いましたけど、この場合、父親の昌幸も豊臣姓を名乗ってもいいの?
0879人間七七四年2011/07/07(木) 23:02:09.31ID:BpgdNro8
真田家に与えられたわけではないので無理です
この場合、名乗れるのは信繁の子供ら等
信繁が真田家の当主になれば他の親族も名乗れる可能性はある
0880人間七七四年2011/07/08(金) 10:37:22.77ID:K7A2lEAM
ぶっちゃけ豊臣姓や羽柴姓の扱い方は、名誉称号というのは間違いないにしても、
豊臣氏がごく短期間に滅んでしまったためにどういう扱いをしたのか全体的に良く解らん。
0881人間七七四年2011/07/08(金) 21:23:41.38ID:bxfggVPw
姓を貰うことで、身内や他の大名の対応が変わってくるのかな
0882人間七七四年2011/07/08(金) 22:20:57.14ID:VYQkxJe3
真田ノ豊臣ノ信繁
 or
豊臣信繁 どっちが清海入道?
0883人間七七四年2011/07/08(金) 22:37:04.25ID:iu8JdrcA
>>882
さなださえもんのすけとよとみのあそんのぶしげ
0884人間七七四年2011/07/11(月) 09:17:31.20ID:NbW9OCVH
雑兵って戦の時野太刀持たせられてないよね?
0885人間七七四年2011/07/11(月) 09:37:19.88ID:y814LiCc
総大将の護衛なんかはそういう部隊がある
それを雑兵と呼ぶかは微妙だが
0886人間七七四年2011/07/11(月) 10:35:30.70ID:B67hnvIS
合戦図なんかを見ると野太刀を担いだ足軽部隊みたいなのいるよね
0887人間七七四年2011/07/12(火) 19:17:35.38ID:fYksskgS
野太刀は鑓よりも高いからな
0888人間七七四年2011/07/12(火) 20:27:24.40ID:T9GvPwmo
刀身が長い太刀は扱いが難しく、本来は技量の長けた上級武士が馬上で使う為の物。
ただし、そういった武士の太刀持ちで雑兵が持っている事もあるし、
刀身の根元から紐で巻いて握る部分を長くして扱いやすくした「中巻野太刀」なんかは
技量の低い者でも簡単に扱える上に威力も高かったので、雑兵にも使わせた例は多い。
また、徒歩の雑兵が馬の足を掃うのにも威力を発揮したようだ。
0889人間七七四年2011/07/14(木) 08:52:10.02ID:ChVqXCdf
最大規模の下克上は、
「織田信長の死から羽柴秀吉の全国制覇の間」って
助教授が言ってたのですが、当たってますか?
0890人間七七四年2011/07/14(木) 11:30:31.79ID:R/XGHchM
>889それでいいと思う。
秀吉の日本統一後は、身分が安定化したと思われる。

しかし、家康と三河州の下克上はあったかな。
主家の豊臣家を滅ぼしたわけだから・・・
0891人間七七四年2011/07/14(木) 12:15:14.03ID:OElQQwxw
足利>織田 権力の衰えた将軍家を擁立のち追放で近畿制圧
織田>豊臣 旧織田勢力圏を簒奪
豊臣>徳川 全国政権を簒奪

織田の将軍追放後の勢力拡大や、
豊臣の全国統一戦は普通は下克上に含まれず
全国政権を簒奪した唯一の勢力である徳川が最大だと思うが
その助教授が下克上の定義をどのように設定したかによるな。
0892人間七七四年2011/07/14(木) 12:48:44.42ID:hlh+l9RM
歴史には内戦といっていい規模の親子喧嘩がよくありますが、
戦国時代最大の親子喧嘩はなんなのでしょうか?
0893人間七七四年2011/07/14(木) 13:07:49.61ID:9zcmEpyB
>>892
伊達親子だろうな
0894人間七七四年2011/07/14(木) 14:24:20.22ID:ChVqXCdf
>>890
>>891
ありがとうございました。
勉強になりました。
0895人間七七四年2011/07/14(木) 14:37:36.18ID:ZWItgn7k
>>891
徳川は簒奪ではなく「別の公儀」を打ち立てたと見るべき。
少なくとも征夷大将軍就任と共に豊臣公儀から離脱している。

簒奪というのは鎌倉北条氏が事実上鎌倉幕府を乗っ取ったとか、ああいうことを言う。
0896人間七七四年2011/07/14(木) 14:51:15.97ID:YIkMt2LD
だよね。
劉邦は元々項羽の下にいたけど
独立して覇権を争っても下克上とは言わない
0897人間七七四年2011/07/14(木) 15:12:48.47ID:OElQQwxw
>>895
二重公儀とか言いたいことは分かるが
その理屈だと織田>豊臣も下克上にならないんじゃないか
0898人間七七四年2011/07/14(木) 15:19:52.87ID:sSsId1lJ
>>895
いや、主家を差し置いて別な公儀を打ち立てる事自体が下剋上だし
あくまで豊臣政権下で将軍職を全うするならともかく、豊臣氏から政権を奪ったわけだから完膚なきにまで簒奪だよ
そもそも幕府自体が簒奪だし
0899人間七七四年2011/07/14(木) 15:27:58.35ID:8McqVbLg
細作をさいさくと呼ぶのは間違いだそうですが、本当はなんと読むんですか?
0900人間七七四年2011/07/14(木) 15:31:57.64ID:YIkMt2LD
>>898
主家じゃないよな、家康は一度も秀吉の家臣になってない
0901人間七七四年2011/07/14(木) 15:33:23.44ID:YIkMt2LD
>>897
織田>羽柴は主家から与えられた家領を奪ったのだから当然下克上
0902人間七七四年2011/07/14(木) 15:35:56.80ID:ZWItgn7k
>>898
下克上と簒奪は別だろ。徳川公儀は豊臣公儀の、全国支配のために重要だった蔵入地や
それを運営する奉行などの支配システムをほとんど引き継いでおらん。
関ケ原とその後の戦後処理の結果豊臣家を凌駕する権威を持つに至った家康が、
自己の権威権力を体制化したものと考えるべきだと思うよ?

簒奪というなら、室町幕府システムを濃厚に引き継いだ信長こそふさわしいな。
0903人間七七四年2011/07/14(木) 15:37:29.85ID:pJ77q0Va
>>900
秀吉に従った時点で家臣も同然。
しかも秀頼を後見し守り立てていく約定までしてるのが家康
0904人間七七四年2011/07/14(木) 15:42:55.57ID:ZWItgn7k
>>903
豊臣公儀への臣従と豊臣家中への参加は別問題でしょ。
家康の臣従はあくまで豊臣公儀への臣従の形だった。

それに実際問題として家康は関ヶ原後、将軍就任以後でも官位昇進などで秀頼を守り立てている。
秀頼と対決したのは、二条城会見で秀頼は徳川公儀に臣従したにもかかわらず、秀頼が明確に
徳川公儀に反逆したためだよ。
0905人間七七四年2011/07/14(木) 16:11:13.49ID:YIkMt2LD
>>903
秀吉の天下に従っただけで、豊臣家に臣従したわけじゃない
豊臣家に天下を担う力量が無いなら、徳川家が天下を望んでも簒奪とは言わない
0906人間七七四年2011/07/14(木) 16:17:56.60ID:OElQQwxw
関ヶ原スレみたいになってきたな。
0907人間七七四年2011/07/14(木) 16:22:47.94ID:JB7b8JxW
通りすがりに
たぶん家臣の意味をわかってない人がいるに3ドゥカート
0908人間七七四年2011/07/14(木) 16:25:35.79ID:WX4J39LJ
では家臣の定義を現状に即してどうぞ
0909人間七七四年2011/07/14(木) 16:36:09.69ID:JzfQhjyu
>>900
大嘘つくなよ
豊臣政権の役職について、城下に屋敷を貰い、人質を差出し、豊臣政権の発給文書に書名している人間が家臣じゃないなら
少なくとも日本に主従関係は存在しなくなる
ちなみに秀頼に仕える事もハッキリと署名しているから秀頼との主従も成立している
そして正式に臣下から抜ける事はしなかった
0910人間七七四年2011/07/14(木) 18:09:27.47ID:YIkMt2LD
>>909
鎌倉時代以来、朝廷から役職を貰った封建領主は五万といるが当然主従関係にはない
城下に屋敷を作っただけで、外国の一時滞在の使節も城下に屋敷を貰う事はあった、況して家康は住んですら無い
秀吉は家康に人質を差出したから家康の家臣である事は明白である(キリッ
豊臣家としての発給文書に家康が署名した事なんて無いよね
0911人間七七四年2011/07/14(木) 18:23:31.32ID:pJ77q0Va
旧領を没収されて
新たに関東を給付された分際で
家臣じゃないとか負け惜しみ過ぎてワロタw
0912人間七七四年2011/07/14(木) 18:59:39.32ID:SvlO4iBu
大幅に加増されてるけど
0913人間七七四年2011/07/14(木) 19:38:22.93ID:9zcmEpyB
豊臣恩顧大名じゃないから家康は秀吉配下じゃないなんて
そんな論法が成立するなら江戸幕府の外様大名はみんな家康の家臣じゃねぇじゃん。家康の家臣は譜代だけ
0914人間七七四年2011/07/14(木) 19:43:36.62ID:aVAR+d05
どうも関ケ原スレが無くなって行き場の無くなったあのキチガイがこっちに来たらしいな。
ここは質問をするスレで議論する場所じゃない。よそで遊べ。
0915人間七七四年2011/07/14(木) 20:03:27.44ID:8yI+EB2R
>>910
アホか
日の本に朝廷と主従関係にない統治者などいない
主に統治の許可を得る為に役職を貰っていたのだから
朝廷の臣下でないのなら役職など何の意味もないし貰う必要性など全くない
外国人は朝廷にも幕府にも属さない者だから日本の法制にはとらわれる必要がなく全く関係ない
秀吉が家康のもとに母を送ったのは「証人」とする為だ
その証拠に家康が大坂へ登った後は秀吉のもとへ帰っている
家康が伏見屋敷、向島、伏見城、大坂城にいた事も知らないのか?
あれだけ大事件が多発した家康の屋敷も知らないとはいくらなんでも無知過ぎるだろう
文禄2年7月12日付の起請文(毛利家文書)で家康は秀頼への「御奉公」と豊臣家の法令に従って坂東の仕置をする事を誓っている
文禄2年8月3日には五ヶ条の御掟が布告され五大老の一人として家康も署名している(加藤家文書)
慶長3年8月5日付の起請文でも秀頼への「御奉公」と豊臣家の法令に従う旨を誓っている(武家事記)
0916人間七七四年2011/07/14(木) 20:29:42.36ID:8yI+EB2R
>>915
>外国人は朝廷にも幕府にも属さない者だから日本の法制にはとらわれる必要がなく全く関係ない

これは間違い
訂正しておく

外国人だろうと何だろうと「当主」が伺候し城下に屋敷を貰えば臣従した事を意味する
使者とかは関係ない
徳川も使者だけが大坂や伏見に上って家康は動かなかったと言うなら臣従ではないが
0917人間七七四年2011/07/14(木) 20:34:19.51ID:SvlO4iBu
>>913
外様大名は家臣じゃないよw
封建制くらい理解しろ、というか関ヶ原スレとやらに帰れw
0918人間七七四年2011/07/14(木) 20:43:00.16ID:ZcwG2yGW
豊臣家の直臣というと七手組とかあの辺か?
0919人間七七四年2011/07/14(木) 21:26:52.12ID:zowYkuC1
>>917
おいおい、電波過ぎるぞ。封建されるのは主従関係が建前だろう。
封建の枠外に居るんなら家臣じゃないけどさ。
0920人間七七四年2011/07/14(木) 21:34:05.99ID:pitDV4c0
日本の家臣は家人からの発展だから
家中の人間でないものは家臣には含まない

公儀の下についている外様の大名は公儀の手下、あるいは部下とする方が妥当
0921人間七七四年2011/07/14(木) 21:39:42.27ID:SvlO4iBu
>>919
見返りを負わない封建には、冊封も含まれる
>>919的には唐帝国の領国は羈縻州を遥かに超え、冊封王侯を含み
日本から東南アジアの多くを含み更にトゥーラーンから中央アジアをぶち抜いて
カスピ海までが唐の領国となる。アホか
0922人間七七四年2011/07/14(木) 22:00:17.30ID:JB7b8JxW
>>908
通りすがりに質問スンナwww

家臣じゃないといいたい人のは譜代じゃないからって意味だろ?
たまにいるんだ信長家臣秀吉、豊臣家臣福島なんかを家臣じゃないって否定する人がね
0923人間七七四年2011/07/14(木) 22:32:24.78ID:zowYkuC1
>>921
冊封と封建は違うだろ。それに日本の封建制に冊封は無い。
0924人間七七四年2011/07/14(木) 23:41:48.15ID:aVAR+d05
そもそも日本の武家体制が封建だと言い出したのは江戸中期くらいの儒者からである。
それ以前、日本人は自分たちの体制が封建というものだとは考えてもいなかった。
0925人間七七四年2011/07/14(木) 23:42:23.71ID:OElQQwxw
続きは他でどうぞ。ここ質問スレだから
0926人間七七四年2011/07/14(木) 23:49:03.67ID:38NAUjDg
続きはwebで!
0927人間七七四年2011/07/14(木) 23:56:24.86ID:SvlO4iBu
>>923
封建制は曖昧模糊とした、というか出自が色々な単語に対して全部同じ訳当てちゃったアホ語だからな
実際問題、江戸幕府の封建制は羈縻と冊封の中間くらいに分離的
というわけだから、いい加減関ヶ原スレに帰れ
0928人間七七四年2011/07/15(金) 00:54:22.59ID:uXxYvJUT
もうどっちも帰れ。

質問スレで議論すんな
0929人間七七四年2011/07/15(金) 10:46:51.18ID:P/Yl3HFk
もはや実態とかけ離れた言葉遊びの屁理屈クダラネ
五大老が秀吉から家臣扱いされてたのは事実じゃねぇか。
0930人間七七四年2011/07/15(金) 11:20:26.51ID:kURujalb
家康が家臣で無ければ全国統一されてないことになるだろ。
秀次と家康は秀吉の命で秀吉が会津から帰国後も
奥羽仕置きをしてるんだが
これは秀吉の命令じゃなかったのか?
しかも三河・遠江・駿河・信濃・甲斐を没収されて
泣き入れている最中で関東の経営もさせてもらえないうちに。
しかもその後、まもなく今度は秀吉の命で
政宗の居城予定の岩出山城の築城まで家康はさせられているのに。
0931人間七七四年2011/07/15(金) 11:32:29.90ID:w4WKCjbm
ID:P/Yl3HFk ID:kURujalb
お前のID変えながら珍文を書く芸には飽き飽きなんだよ。
巣に帰れ。
0932人間七七四年2011/07/15(金) 13:13:52.85ID:q2Fq7lRt
俺はID:zowYkuC1だがその二つも書き癖が違うのが判らんとは、余程の莫迦だな。
0933人間七七四年2011/07/15(金) 13:38:58.39ID:P/Yl3HFk
反論できなくなると相手を自演呼ばわりする法則w
0934人間七七四年2011/07/15(金) 18:49:56.10ID:PjJ8UXTb
では質問を家康の作らせた
駿府城の天守は石垣の上でなく、法隆寺のように礎石の上に建っていたというのは事実でしょうか?
0935人間七七四年2011/07/15(金) 19:39:22.79ID:yN9ukKkH
>>934
http://d.hatena.ne.jp/tateita/20100623/1277292980
0936人間七七四年2011/07/16(土) 22:17:54.05ID:/GPVMPyy
新しく築城するのに、どれくらいの金がかかったという資料はありませんか?
0937人間七七四年2011/07/16(土) 22:19:20.08ID:f/wwxMmH
>>936
規模にもよるし時代でも違ってくる。どう言った規模の城を想定しているのか?
0938人間七七四年2011/07/16(土) 22:49:16.07ID:/GPVMPyy
>>937
ありがとうございます。
想像なんですけど、信長や秀吉なんかは、ちゃんと金を払ってるイメージあるんですけど、例えば勝頼が築城した新府城なんかは金もろくに払わず、人夫に強制労働させてるような気がします。
中央、地方の大名関係なく賃金は似たようなものだったのですか?
0939人間七七四年2011/07/16(土) 22:58:32.45ID:f/wwxMmH
>>938
> 想像なんですけど、信長や秀吉なんかは、ちゃんと金を払ってるイメージあるんですけど、例えば勝頼が築城した新府城なんかは金もろくに払わず、人夫に強制労働させてるような気がします。

想像に過ぎない。信長も秀吉も軍役として支配下の武士や村落に人員の供出も含めて
負担させている。
信長の安土城は近江全域の村落に過大な軍役、夫役をかけ、そのため民衆は大変苦労した。
0940人間七七四年2011/07/16(土) 23:04:58.19ID:/GPVMPyy
>>939
そうなんですか。
大名自身はお金は払ってないということですね。
築城好きの秀吉はさぞ疎まれたことでしょう…
ありがとうございました
0941人間七七四年2011/07/17(日) 00:52:52.92ID:39kboqp6
家康もかなり築城普請させまくってるよ。
特に豊臣大坂城なんて石垣レベルまで一度完璧に破壊した後に
もう一度作り直しさせてる。
0942人間七七四年2011/07/17(日) 01:18:48.37ID:dL1UR5g1
>>941
大阪城の再建は秀忠だろ
0943人間七七四年2011/07/17(日) 07:17:04.46ID:xsEKnSnK
>>940
金を払っていないうより、肉体労働で税金を支払わせていたというのが実像かも。

余談だけど、中国の戦国時代では犯罪者は死刑にならなくても死ぬまで国のために兵士として動員されるか、公共工事に動員されていたそうな。
0944人間七七四年2011/07/17(日) 09:30:52.41ID:n5dQDl6B
権力者が公共事業好きなのはいつの時代も同じ。
0945人間七七四年2011/07/17(日) 10:46:15.40ID:39kboqp6
中国で権力が生まれたのも大規模治水と異民族からの防衛のためだと言われてるからな
築城と治水を必死にやるのは本来の目的に添っている。
0946人間七七四年2011/07/17(日) 10:48:04.69ID:be25rEQ+
というか権力者は公共事業をやる義務がある
0947人間七七四年2011/07/17(日) 11:16:47.89ID:xW9Bj6Vg
徳川に比べれば豊臣はそれ程、治水とか利水には注力していない
太閤堤とて家忠日記を見ると徳川家が作ったようだし
0948人間七七四年2011/07/17(日) 11:28:05.43ID:Lw7gVm/Z
秀吉の城への水攻めノウハウから考えても
治水経験は豊富にあるだろ。
そもそも琵琶湖のある長浜城主でいた期間も長い。
田畑を切り開き検地を進めるには
治水はセットだからな。
0949人間七七四年2011/07/17(日) 11:31:14.12ID:xW9Bj6Vg
その点についてはどうも軍事目的にしか用いていない節がある
やっても築城のついでという感じで
0950人間七七四年2011/07/17(日) 11:37:14.80ID:39kboqp6
んなことないぞ。
豊臣政権の吏僚で三成や小西らの派閥にいて武断派から憎まれていた
寺沢広高は松浦川の流路変更の治水や
暴風林の植林保護をして現在の虹の松原を残してるし
清正も治水の名人だぞ。
豊臣政権の人材ってのは治水に明るいやつらが多い。
0951人間七七四年2011/07/17(日) 11:46:41.37ID:xW9Bj6Vg
>>950
松浦川も唐津築城の一環だろうし、清正堤も熊本築城の一環
もちろん技術はあったのだろうが、少なくとも秀吉に治水や利水「のみ」を
主眼とした工事を行う考えは希薄だったかと
0952人間七七四年2011/07/17(日) 12:48:08.90ID:Lw7gVm/Z
築城と城下町整備と治水はセットだろ。
どれを欠けても人は集まってこない。
0953人間七七四年2011/07/17(日) 13:08:31.11ID:iUDWk05i
>>951
禿同!
治水や利水「のみ」を主眼とした秀吉の工事の実績が乏しい。
0954人間七七四年2011/07/17(日) 13:15:08.81ID:FgBd5tMT
築城あきりで序に治水するんであって、江戸初期の開拓事業とは違うだろ
>>943
死刑一歩手前の場合は、官奴にされて死ぬまで懲役
そこまで行かない罪だと辺境労働5年が一番重い、あとは出身地方で懲役4年とか
0955人間七七四年2011/07/17(日) 13:19:35.61ID:39kboqp6
なんだただのアンチ秀吉のチョンが相手だったのか…
0956人間七七四年2011/07/17(日) 13:24:50.55ID:xW9Bj6Vg
>>954
つまり秀吉は築城以外の利水や治水に興味なしと言うこと
0957人間七七四年2011/07/17(日) 13:39:33.96ID:Gtyv19Ao
石田三成なんか治水工事は超一流だよな
忍城攻めを見ればよく分かる
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