【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
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0001人間七七四年
2011/01/31(月) 20:38:37ID:iiET33MS専門的な質問は、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
回答に時間がかかったり、回答が得られなくても怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップ付けることをお奨めします。
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたい時は、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。。
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
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【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
0724人間七七四年
2011/06/21(火) 15:27:19.53ID:xA9ylxtT普段は信長や秀吉も「にゃ〜ぎゃ〜」喋っていたんだろうが、公式の場では武家言葉というのがあった。
今でも普段の会話言葉と公式な文書に書く文書言葉は全然違うように、しっかり使い分けていた、
たしかに発音(に・ぬ、や、ざ・だ、などなど)は地方によって様々だけど、
武家言葉で話すからしっかり通じるはずだ。
と明治の初期の言語学者が書いたものがあるよ。
0725人間七七四年
2011/06/21(火) 15:40:51.97ID:Yl9PrLaKこのくらいなら日本語として通じる。
0726人間七七四年
2011/06/21(火) 16:00:41.67ID:hmLZG5a/適当に聞いてればな、仕事で聞くのとただの雑談じゃ比較にならない
方言は所詮同一語の方言、外国語とはまったく別物
0729人間七七四年
2011/06/21(火) 20:37:41.93ID:Eq1VBXwVそれに方言は大概が古語なんだよね
だから古典好きなら直ぐに理解できる
勿論、慣れない方言だと初めは聞き取り難いけど
ゆっくり話してもらえば初めから9割方は理解できる
間違っても会話出来ないレベルではない
茨城弁なんかは固有の単語が極僅かだからかなり簡単だよ
沖縄弁あたりになるとかなり難易度高いけど
0731人間七七四年
2011/06/21(火) 22:09:26.91ID:iJT59+dx0733人間七七四年
2011/06/21(火) 22:19:33.22ID:yB+5tSnw0734人間七七四年
2011/06/22(水) 00:45:54.78ID:FY1c3s4tID:iJT59+dx ID:yB+5tSnwの言うことに賛成。
>>726 >>729 >>732は
話し相手が頑張って標準語話者にわかるように話してくれた言葉を
現地の方言だと錯覚しちゃったんだろうな。
そのうえに、「現地の言葉を理解できたおれはコミュ力高い」とか二重の勘違い起こしてるみたいだね。
0735人間七七四年
2011/06/22(水) 02:25:54.61ID:SE2LAs00方言も理解できないなんてコミュ力と言うより学力が低すぎる
どうせ地元の方言すらよく理解出来ていないのだろ?
言葉の意味を知ろうとしなければ理解出来るわけがないわな
0736人間七七四年
2011/06/22(水) 03:32:43.13ID:sudZZC3k初歩中の初歩で申し訳ないんですが、一級史料に見られる「〜申候事」とか「〜也」とかの文体の呼び方は「古文」で良いのでしょうか?そしてこれを勉強するのにお勧めの本などを教えて頂けるととても嬉しいです。どうか宜しくお願いします。
0737人間七七四年
2011/06/22(水) 04:29:51.10ID:PFNyfl+50738人間七七四年
2011/06/22(水) 04:35:04.00ID:YMj+dNYa0739人間七七四年
2011/06/22(水) 05:20:23.98ID:uuFsEBwH「ーー候」みたいな文章は候文(そうろうぶん)とも言う。読み方を勉強する手掛かりにするキーワードとしてなら
古文書の方が適切かもしれない。ちなみに俺は勉強した事無いので本は知らない。
0740人間七七四年
2011/06/22(水) 07:33:10.63ID:1YV4lkbC日本の戦国時代に表向きは禅譲ということで家臣に国を取られた大名はいますか?
0742人間七七四年
2011/06/22(水) 09:25:24.42ID:xZTKH3rJとりあえず一族内で庶流が宗家を覆し、表向きは平和裏の権力移譲、ということにしたものなら
佐竹、里見、毛利、島津などがあるな
0743人間七七四年
2011/06/22(水) 09:54:51.63ID:pqF1lfvY鍋島氏はレアケース
0744人間七七四年
2011/06/22(水) 10:41:25.91ID:Jg+rtLuS俺だけじゃなく一緒に来た人も理解出来なかったわけだが。
マジでわからん外国語レベル。
津軽の現地語とかもわからんぞ。
0747人間七七四年
2011/06/22(水) 11:11:28.70ID:D0I7wPHj0748736
2011/06/22(水) 12:30:33.36ID:sudZZC3k有り難う御座います!「候文」に「古文書」ですね。両方答えて頂けてとても助かりました。
古文書について図書館で調べてみようと思います。
本当に有り難うございました。
0750人間七七四年
2011/06/23(木) 01:30:32.55ID:0p9/h1bg1.直茂の継母=隆信実母→外戚関係
2.直茂の実母=隆信実父の妹→親戚関係
準一門としてもいいんだけど、そうすると
龍造寺との続柄が鍋島と同等な馬場や千葉も一門扱いになるので
1.のアドバンテージがある鍋島は外戚と言った
0751人間七七四年
2011/06/23(木) 02:22:06.08ID:SeSZLpmQ0752人間七七四年
2011/06/23(木) 02:46:47.71ID:0p9/h1bg馬場は父系から明らかに少弐一門
千葉は千葉一門
鍋島は龍造寺の分家が立てた家じゃない
0753人間七七四年
2011/06/23(木) 21:37:42.82ID:mZPfajcZ0754人間七七四年
2011/06/23(木) 23:12:08.03ID:eu5H9PD6筑紫惟門
筑紫広門
0755人間七七四年
2011/06/24(金) 00:29:59.35ID:zjdgER420756人間七七四年
2011/06/24(金) 02:10:33.33ID:toclH5O30757人間七七四年
2011/06/24(金) 08:13:49.98ID:LztzqLfq0758人間七七四年
2011/06/24(金) 08:29:10.74ID:FNq6u9UQ美化と言うか、時代毎に求められた価値観の違いかな。
群雄割拠、自力救済の時代と
幕府が無事を担保して生涯予備役の時代とじゃ
是とされる武士観も全く違ってくるからな。
0759人間七七四年
2011/06/24(金) 08:50:52.25ID:RTNHZ4No今川大草紙などの当時の武家被官の心得を表した本は、近世の武士道に繋がる内容と
なっている。
0761人間七七四年
2011/06/24(金) 09:13:59.31ID:RTNHZ4No「武士道」は造語だが、それまでの武士に求められた概念を新渡戸稲造がまとめたものに過ぎない。
例えば「一期一会」は井伊直弼の作った言葉だが、それ以前から茶道には一期一会概念が
存在したことは自明である。
それに鎌倉期から「侍の道」「武士の道」「男(武士のこと)の道」という言葉は存在している。
概念とそれを表す言葉の関係を逆にしてはいかん。
0762人間七七四年
2011/06/24(金) 09:19:14.77ID:csdyv8dK>「侍の道」「武士の道」
ちなみにこれらの用語の意味は「弓馬の芸」のこと。
要するに侍が身につける武芸のことしか意味していません。
精神適な意味はありません。
「男(武士のこと)の道」なんて言葉は知らんけどね。
0763人間七七四年
2011/06/24(金) 09:38:19.80ID:Ub7GnrZ/0764人間七七四年
2011/06/24(金) 09:45:41.37ID:RTNHZ4No> 「男(武士のこと)の道」なんて言葉は知らんけどね。
おまえ古い文献にまともにあたったことないだろ?「おとこの道」って言葉は
室町〜戦国の文献に頻発する語句だぞ?
0765人間七七四年
2011/06/24(金) 10:02:40.17ID:LztzqLfq0766人間七七四年
2011/06/24(金) 11:12:04.36ID:+fy3qX9A葉隠の有名な一節も知らんのか
0767人間七七四年
2011/06/24(金) 11:32:34.71ID:LztzqLfq安くて美味いことで九州では人気があっためん類製造メーカーの「はがくれ」(本社・佐賀県多久市)は
「腐敗臭がする。カビが生えている」とクレームをしたキチガイ女のせいで10万食を自主回収することになり
その影響で倒産した。
なお、後に防腐用の酢をキチガイ女が勘違いしていたことが判明した。
0768人間七七四年
2011/06/24(金) 12:14:30.54ID:kItyo8g5俺はマンナンの昔のこんにゃくゼリー食べたいよ。
これは岐阜のこんにゃくゼリーも作ってるメーカーを助けるためだって言うしな
0770人間七七四年
2011/06/24(金) 13:53:00.97ID:ySC5L9Ux0771人間七七四年
2011/06/24(金) 14:03:15.98ID:kItyo8g5そもそも鎌倉幕府は悪政をやってなかったのに突然ひっくり返ったと言われてるからな。
0772人間七七四年
2011/06/24(金) 14:19:56.60ID:7mXZCbzZ思想は歴史的な連続性があるから
いつ始まったとか断言できないのも多いし
「武士道」って言葉の誕生を武士道の誕生と同一視もできないし
0773人間七七四年
2011/06/24(金) 15:02:50.62ID:kItyo8g50774人間七七四年
2011/06/25(土) 08:46:11.09ID:XpfFOQun武士道とは大江さんが闘戦経を書いてからでしょうに
これは大陸の考え方を否定する事から始まる書物
他国から武士道が伝わったと言うのは納得できん
0775人間七七四年
2011/06/25(土) 12:05:07.58ID:+wPy8F180776人間七七四年
2011/06/25(土) 15:24:55.56ID:XpfFOQun0777人間七七四年
2011/06/25(土) 15:53:06.97ID:jLRe8hfP57年以降の正親町天皇時代は
上洛した織田関係者だけでなく献金に対して任官されやすくなっていますが、
これは大口スポンサーの大内義隆が没して
献金が一時激減して財務に困っていたことも関係あるのでしょうか?
0779人間七七四年
2011/06/25(土) 17:20:29.08ID:wHtM+evY>>>774
>無い無い、江戸前期まで常に進んでいた大陸から模倣し続けたのが日本なんだから
常にでは無いな。菅原道真は、もはや大陸から学ぶものは何も無いと遣唐使を廃止した。
0780人間七七四年
2011/06/25(土) 18:38:41.56ID:aK88c3OVわざわざ国が送る必要は無くなり遣唐使を廃止した
そもそも、製錬も陶窯も建築も牧畜も数学も天文学も全然学びきれなくて
技術的なことで学べたのは、養蚕と稲作くらい。冶金は独自進化
0781人間七七四年
2011/06/25(土) 18:40:44.82ID:fjgmS3+n0782人間七七四年
2011/06/25(土) 18:41:54.55ID:ldgDke1A侍って意味でなら江戸時代の日本だけしかいなかったけど
0786人間七七四年
2011/06/25(土) 20:34:06.21ID:/92/mfY+つわもの 武器を扱う人
もののふ 物部氏
武士という言葉は何時頃から、誰が使い始めたのでしょう?
0787人間七七四年
2011/06/25(土) 20:48:29.27ID:+wPy8F18養老5年(721)正月・元正天皇詔「文人と武士は国家が重んじるものである」
0788人間七七四年
2011/06/25(土) 23:31:29.67ID:aK88c3OV古い教科書とか学説は、裏付け無しになんとなくそう思う
って理由で書いてた時代だから、間違い多いよ
0789人間七七四年
2011/06/26(日) 01:14:04.70ID:zvY6UFvy鎌倉幕府は1185年に成立したんじゃないか
って書いてある教科書や資料集もあるしなぁ
歴史教育にちょっとしたカルチャーギャップを感じる
0790人間七七四年
2011/06/26(日) 01:36:12.45ID:2NWuGSlx鎖国=完全封鎖みたいな事言ってる人いるけど、それこそ何処でそんな話し聞いたのかと不思議だわ
0791人間七七四年
2011/06/26(日) 03:03:42.53ID:zRmNcHvLアポロが月に行っていない(実際には偽装工作をする方が費用が掛かる)のと同じレベルの話
0792人間七七四年
2011/06/26(日) 03:16:57.07ID:+dE472sn別スレの過去ログを調べてみたけど当時の朝廷の収入について。
御料所の横領が相次いだせいでその収入は1割程度まで下がっていたらしい。
室町後期の皇室御収入(1521〜1569)の平均収入額は御料所620貫文、禁裏御修理費125貫文、合計で750貫文ほど
100疋=1貫文=1石=5万円〜10万
とすると低く見積もると4000万円弱くらいしか収入がなかったことになる。
幕府が経済面の援助を行っていたが幕府の権威が失墜すると援助が望めなくなり、即位式が20年も遅れることとなった。
後柏原天皇 1500践祚→1521即位
それで後奈良天皇のころから諸侯の献金に依存するようになる。
天文の内裏修繕費(織田信秀4000貫 今川義元500貫 麻生興益(大内被官)300貫 本願寺100貫 阿蘇惟豊100貫)
後奈良天皇 1526践祚→1536即位(大内義隆2240貫 朝倉義景100貫 長尾為景100貫 土岐頼芸10貫)
正親町天皇 1557践祚→1560即位(毛利元就2000貫 朝倉義景100貫 三好長慶100貫 北畠具教20貫)
一見すると大内の穴埋めを毛利が行なっているので問題無いように見えるが
即位式以外にも事あるごとに朝廷へ献金をしていた大内義隆の失脚はダメージが大きかった。
献金を行うには幕府や公卿の仲介を必要とし、そういった関係者へも金が廻っていたため
関係者が叙任のために必死に動いたものの後奈良天皇が却下する場面も見られたが、
正親町天皇時代になるとなりふり構わず謝礼を期待して官位叙任の手紙を書いている。
官位濫授の原因は財政的に厳しいことに加えてバランス面も考慮していただきたい。
守護代や豪族クラスにも守護以上の官位を叙任してしまうと守護の献金に対しても極官以上を叙任する必要が出てくる。
よって全体的に従来よりも官位は上昇し続けることになります。
なお、多くの大名は御料所の税を滞納した状態で献金して恩を売っていることに注意。
なので献金が多い=勤皇というわけではありません。
0794人間七七四年
2011/06/27(月) 00:59:31.82ID:OESIUM2D尾張兵一人に対して三河兵三人で互角なんて言われていたけど
織田信秀にとって下克上で尾張を統一するよりも
松平の三河へ侵攻したほうが楽だったのでしょうか?
0795人間七七四年
2011/06/27(月) 01:03:03.78ID:je93VRw70796人間七七四年
2011/06/27(月) 04:31:22.12ID:z5QBOOVK0797人間七七四年
2011/06/27(月) 12:45:22.48ID:5OzUQKnsそもそも西三河を纏め上げていた松平清康が、織田信秀勢力圏へも影響力を拡大
していたからな。信秀としては防衛上も戦わざるをえない。それに西三河は清康によって
ある程度まとまったとはいえまだまだ不安定。
0798人間七七四年
2011/06/27(月) 13:12:25.14ID:1EFRjjUH徳川家康、伊達政宗のように、姓+諱で言うことが多いと思います。
ただ、中には
大谷刑部、古田織部のように官位名で言ったり、
竹中半兵衛、服部半蔵のように通称で言ったりした方が
一般的な人もいます。
大河ドラマなんて、いつも不自然なくらい諱で呼び合ってるのに、
黒田官兵衛だけ通称で呼んでたりします。
この違いはだたーこから来るのでしょうか?
0799人間七七四年
2011/06/27(月) 14:10:45.97ID:CMJF3mP/たぶん講談とか歌舞伎とかに由来する慣習だと思います。
0800人間七七四年
2011/06/27(月) 14:22:20.35ID:s/hWvxZF@一国一城令で取りつぶした後、神社に寄進、戦で死んだ人の魂を鎮める為に立てられた。
A落城、破壊の後、以下同文。
小さな城(砦か)は人の行き来がしにくい、生活に適さない場所に造られることが多かった。
しかも死者の魂の集まるところは人々は敬遠。自然に寺社が管理するようになった。
現代でも、宅地・マンションなんかは地鎮祭やお祓いをする。
そんな感じかな。
0803人間七七四年
2011/06/28(火) 23:38:39.63ID:+rkPqNCv官兵衞と半兵衞は。他にそういう人いるかな
後藤又兵衛、時代が違うけど柳生十兵衛あたり?
0804人間七七四年
2011/06/28(火) 23:53:06.87ID:wxLu71tG通称小次郎。伊達政宗の実弟で小田原の役の際兄に殺されたといわれる。
政道という諱も死後200年以上経ってつけられたと思われる(生前の資料に政道の名が無い)。
0806人間七七四年
2011/06/29(水) 00:47:34.05ID:zOkQz1tb0807人間七七四年
2011/06/29(水) 00:59:58.67ID:sBD2NjZy0808人間七七四年
2011/06/29(水) 01:45:11.08ID:yk+nYHkh毛利小平太
山中鹿介
0809人間七七四年
2011/06/29(水) 03:33:02.02ID:N31pvr5e0812人間七七四年
2011/06/29(水) 15:38:18.31ID:HDL767LR右近・左近は何となく意味が解る(将棋の飛車角みたいな両翼の重鎮)
黒田「官兵衞」というのは何か意味があるんだろうか?
幼少からの名前の変遷でも出てこないし、なぜ官兵衞と呼ばれたんだろう?
0813人間七七四年
2011/06/29(水) 16:25:23.87ID:9UH6PoVU兵衛の官人だから官兵衛
0814人間七七四年
2011/06/29(水) 16:42:39.25ID:yk+nYHkh0816人間七七四年
2011/06/29(水) 21:21:26.22ID:bEahCG3x0818人間七七四年
2011/06/29(水) 21:44:21.76ID:LcRnVXXZ初めて知った
0819人間七七四年
2011/06/29(水) 23:20:19.94ID:Sw6kg4hL官兵衛のことをカンピョウエと書いてあったとか
ただ今はもうみんなカンベエと言ってるのでカンピョウエとは言いづらい
とくに詳しい人にいうと、そんなのみんな知ってるよって怒られそうで怖い
0821人間七七四年
2011/06/30(木) 00:05:10.79ID:Mcry97v50822812
2011/07/01(金) 14:41:33.38ID:KKBeCU4P日本語は読み方がいろいろあって、昔の名はほんとの発音が解らないものが多い。
宣教師は耳で聞いた通りに書いたんだと思うから、
「かんぴょうえ」と呼ばれていたんだと自分のなかでは納得しました。
0823人間七七四年
2011/07/01(金) 17:50:27.86ID:KX1RcR6S竹中半兵衛も「はんのひょうえ」
仙石さんもゴンベエではなく「ごんのひょうえ」
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