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【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】

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0001人間七七四年2011/01/31(月) 20:38:37ID:iiET33MS
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
0724人間七七四年2011/06/21(火) 15:27:19.53ID:xA9ylxtT
能や狂言のセリフが日本中どこでも通じる言葉だった。
普段は信長や秀吉も「にゃ〜ぎゃ〜」喋っていたんだろうが、公式の場では武家言葉というのがあった。
今でも普段の会話言葉と公式な文書に書く文書言葉は全然違うように、しっかり使い分けていた、
たしかに発音(に・ぬ、や、ざ・だ、などなど)は地方によって様々だけど、
武家言葉で話すからしっかり通じるはずだ。

と明治の初期の言語学者が書いたものがあるよ。
0725人間七七四年2011/06/21(火) 15:40:51.97ID:Yl9PrLaK
いいから連れてこいず!

このくらいなら日本語として通じる。
0726人間七七四年2011/06/21(火) 16:00:41.67ID:hmLZG5a/
>>722-723
適当に聞いてればな、仕事で聞くのとただの雑談じゃ比較にならない
方言は所詮同一語の方言、外国語とはまったく別物
0727人間七七四年2011/06/21(火) 20:00:12.17ID:yB+5tSnw
>>726
「スイカタベルラカー」が俺にギリギリ聞き取れた限界だった。それ以上は無理。
0728人間七七四年2011/06/21(火) 20:22:11.44ID:iJT59+dx
>>726
仕事でつくばに行ったら現地の老人の会話が何一つ分からなくて愕然としたわけだが。
0729人間七七四年2011/06/21(火) 20:37:41.93ID:Eq1VBXwV
方言は一定の法則があるから、それさえ理解すればどこの方言でも簡単に理解できるよ
それに方言は大概が古語なんだよね
だから古典好きなら直ぐに理解できる
勿論、慣れない方言だと初めは聞き取り難いけど
ゆっくり話してもらえば初めから9割方は理解できる
間違っても会話出来ないレベルではない
茨城弁なんかは固有の単語が極僅かだからかなり簡単だよ
沖縄弁あたりになるとかなり難易度高いけど
0730人間七七四年2011/06/21(火) 20:46:07.13ID:S3FcMuXO
>>728
本気で意思疎通したいなら、なんとでもなるレベル
0731人間七七四年2011/06/21(火) 22:09:26.91ID:iJT59+dx
いやだから全然わからねぇんだって…
0732人間七七四年2011/06/21(火) 22:16:55.25ID:PulTCqB8
>>731
それはお前がわかろうとしなかったし相手もわからせようとしなかっただけの話だ
0733人間七七四年2011/06/21(火) 22:19:33.22ID:yB+5tSnw
そりゃ本気でコミュニケーションしようと思えば外国人とでも通じ合えるのはTVのバラエティを見ても判る事だ。
0734人間七七四年2011/06/22(水) 00:45:54.78ID:FY1c3s4t
おれも茨城県民だが、
ID:iJT59+dx  ID:yB+5tSnwの言うことに賛成。

>>726 >>729 >>732
話し相手が頑張って標準語話者にわかるように話してくれた言葉を
現地の方言だと錯覚しちゃったんだろうな。
そのうえに、「現地の言葉を理解できたおれはコミュ力高い」とか二重の勘違い起こしてるみたいだね。
0735人間七七四年2011/06/22(水) 02:25:54.61ID:SE2LAs00
>>734
方言も理解できないなんてコミュ力と言うより学力が低すぎる
どうせ地元の方言すらよく理解出来ていないのだろ?
言葉の意味を知ろうとしなければ理解出来るわけがないわな
0736人間七七四年2011/06/22(水) 03:32:43.13ID:sudZZC3k
豚切ってすみません。質問させて下さい。

初歩中の初歩で申し訳ないんですが、一級史料に見られる「〜申候事」とか「〜也」とかの文体の呼び方は「古文」で良いのでしょうか?そしてこれを勉強するのにお勧めの本などを教えて頂けるととても嬉しいです。どうか宜しくお願いします。
0737人間七七四年2011/06/22(水) 04:29:51.10ID:PFNyfl+5
一級資料なんてアホが勝手にそう認定してるだけのシロモノをよくそんな臆面も無く
0738人間七七四年2011/06/22(水) 04:35:04.00ID:YMj+dNYa
超一級史料こそ無敵、一級史料では太刀打ち出来ない
0739人間七七四年2011/06/22(水) 05:20:23.98ID:uuFsEBwH
>>736
「ーー候」みたいな文章は候文(そうろうぶん)とも言う。読み方を勉強する手掛かりにするキーワードとしてなら
古文書の方が適切かもしれない。ちなみに俺は勉強した事無いので本は知らない。
0740人間七七四年2011/06/22(水) 07:33:10.63ID:1YV4lkbC
中国ではよく禅譲という体裁で地位を奪い取られる皇帝や王がいますが、
日本の戦国時代に表向きは禅譲ということで家臣に国を取られた大名はいますか?
0741人間七七四年2011/06/22(水) 08:40:40.07ID:a3VvsdOt
>>740
龍造寺・・・
0742人間七七四年2011/06/22(水) 09:25:24.42ID:xZTKH3rJ
>>740
とりあえず一族内で庶流が宗家を覆し、表向きは平和裏の権力移譲、ということにしたものなら
佐竹、里見、毛利、島津などがあるな
0743人間七七四年2011/06/22(水) 09:54:51.63ID:pqF1lfvY
あくまで目下の他氏族に譲る事だからそれらは当てはまらないかと
鍋島氏はレアケース
0744人間七七四年2011/06/22(水) 10:41:25.91ID:Jg+rtLuS
>>734>>735
俺だけじゃなく一緒に来た人も理解出来なかったわけだが。
マジでわからん外国語レベル。
津軽の現地語とかもわからんぞ。
0745人間七七四年2011/06/22(水) 10:45:02.56ID:xZTKH3rJ
>>743
鍋島も龍造寺一門なんだけどね。
0746人間七七四年2011/06/22(水) 11:07:42.23ID:AID7MkeK
>>740
岩松氏
0747人間七七四年2011/06/22(水) 11:11:28.70ID:D0I7wPHj
一門は言い過ぎ、外戚だよ
07487362011/06/22(水) 12:30:33.36ID:sudZZC3k
>>739
有り難う御座います!「候文」に「古文書」ですね。両方答えて頂けてとても助かりました。
古文書について図書館で調べてみようと思います。
本当に有り難うございました。
0749人間七七四年2011/06/22(水) 20:02:37.85ID:u+qT63vp
>>747
親の再婚で義兄弟になったこといってんだろ。
0750人間七七四年2011/06/23(木) 01:30:32.55ID:0p9/h1bg
>>749
1.直茂の継母=隆信実母→外戚関係
2.直茂の実母=隆信実父の妹→親戚関係

準一門としてもいいんだけど、そうすると
龍造寺との続柄が鍋島と同等な馬場や千葉も一門扱いになるので
1.のアドバンテージがある鍋島は外戚と言った
0751人間七七四年2011/06/23(木) 02:22:06.08ID:SeSZLpmQ
馬場や千葉はふつうに一門でしょ、敵対しただけで
0752人間七七四年2011/06/23(木) 02:46:47.71ID:0p9/h1bg
一門というのは同氏族とそれを起源として分派した宗家分家の同族集団でしょ
馬場は父系から明らかに少弐一門
千葉は千葉一門
鍋島は龍造寺の分家が立てた家じゃない
0753人間七七四年2011/06/23(木) 21:37:42.82ID:mZPfajcZ
御一家、一門、親類衆がごっちゃになってるだけじゃん
0754人間七七四年2011/06/23(木) 23:12:08.03ID:eu5H9PD6
筑紫一門
筑紫惟門
筑紫広門
0755人間七七四年2011/06/24(金) 00:29:59.35ID:zjdgER42
戦国時代は武士道って概念はあったのですか?
0756人間七七四年2011/06/24(金) 02:10:33.33ID:toclH5O3
あったよ、ただし、江戸時代や明治以降や現代で考えられているようなモノとは内容は異なったけど
0757人間七七四年2011/06/24(金) 08:13:49.98ID:LztzqLfq
やっぱり騎士道みたいに後から美化されたのでしょうか?
0758人間七七四年2011/06/24(金) 08:29:10.74ID:FNq6u9UQ
>>757
美化と言うか、時代毎に求められた価値観の違いかな。
群雄割拠、自力救済の時代と
幕府が無事を担保して生涯予備役の時代とじゃ
是とされる武士観も全く違ってくるからな。
0759人間七七四年2011/06/24(金) 08:50:52.25ID:RTNHZ4No
一応、近世武士道の原型は室町期に既に出現している。
今川大草紙などの当時の武家被官の心得を表した本は、近世の武士道に繋がる内容と
なっている。
0760人間七七四年2011/06/24(金) 09:06:18.89ID:csdyv8dK
ないです。
そもそも武士道という単語自体、新渡戸稲造の造語です。>>755
0761人間七七四年2011/06/24(金) 09:13:59.31ID:RTNHZ4No
>>760
「武士道」は造語だが、それまでの武士に求められた概念を新渡戸稲造がまとめたものに過ぎない。
例えば「一期一会」は井伊直弼の作った言葉だが、それ以前から茶道には一期一会概念が
存在したことは自明である。
それに鎌倉期から「侍の道」「武士の道」「男(武士のこと)の道」という言葉は存在している。

概念とそれを表す言葉の関係を逆にしてはいかん。
0762人間七七四年2011/06/24(金) 09:19:14.77ID:csdyv8dK
>>755 >>761
>「侍の道」「武士の道」

ちなみにこれらの用語の意味は「弓馬の芸」のこと。
要するに侍が身につける武芸のことしか意味していません。
精神適な意味はありません。

「男(武士のこと)の道」なんて言葉は知らんけどね。
0763人間七七四年2011/06/24(金) 09:38:19.80ID:Ub7GnrZ/
こういうメンドクサイ奴来ると思った。
0764人間七七四年2011/06/24(金) 09:45:41.37ID:RTNHZ4No
>>762
> 「男(武士のこと)の道」なんて言葉は知らんけどね。

おまえ古い文献にまともにあたったことないだろ?「おとこの道」って言葉は
室町〜戦国の文献に頻発する語句だぞ?
0765人間七七四年2011/06/24(金) 10:02:40.17ID:LztzqLfq
('A`)衆道を連想してしまってスミマセン
0766人間七七四年2011/06/24(金) 11:12:04.36ID:+fy3qX9A
武士道が新渡戸稲造の造語とか馬鹿じゃないの?
葉隠の有名な一節も知らんのか
0767人間七七四年2011/06/24(金) 11:32:34.71ID:LztzqLfq
葉隠と聞くといまだに許せんことを思い出す。

安くて美味いことで九州では人気があっためん類製造メーカーの「はがくれ」(本社・佐賀県多久市)は
「腐敗臭がする。カビが生えている」とクレームをしたキチガイ女のせいで10万食を自主回収することになり
その影響で倒産した。
なお、後に防腐用の酢をキチガイ女が勘違いしていたことが判明した。
0768人間七七四年2011/06/24(金) 12:14:30.54ID:kItyo8g5
あーそれが事実なら一企業に大損害を与えてて犯罪レベルだな…賠償問題になんないのかねぇ。
俺はマンナンの昔のこんにゃくゼリー食べたいよ。
これは岐阜のこんにゃくゼリーも作ってるメーカーを助けるためだって言うしな
0769人間七七四年2011/06/24(金) 12:54:45.12ID:orGmMx4H
>>766
760も761も共に知らんらしいから信じるに足りんな。
0770人間七七四年2011/06/24(金) 13:53:00.97ID:ySC5L9Ux
武士道は韓国から伝わった朱子学を元に徳川幕府が作ったものだからそれ以前にはないよ
0771人間七七四年2011/06/24(金) 14:03:15.98ID:kItyo8g5
朱子学の流入が南北朝時代への呼び水になったんだろ。
そもそも鎌倉幕府は悪政をやってなかったのに突然ひっくり返ったと言われてるからな。
0772人間七七四年2011/06/24(金) 14:19:56.60ID:7mXZCbzZ
この問題は諸説あります以上の解答はなさそうだね
思想は歴史的な連続性があるから
いつ始まったとか断言できないのも多いし
「武士道」って言葉の誕生を武士道の誕生と同一視もできないし
0773人間七七四年2011/06/24(金) 15:02:50.62ID:kItyo8g5
いや普通に武士道の前身としての思想は忠武として漢籍と共に日本に入ってきてたから。
0774人間七七四年2011/06/25(土) 08:46:11.09ID:XpfFOQun
武士と武士道は生い立ちが違うでしょ
武士道とは大江さんが闘戦経を書いてからでしょうに
これは大陸の考え方を否定する事から始まる書物
他国から武士道が伝わったと言うのは納得できん
0775人間七七四年2011/06/25(土) 12:05:07.58ID:+wPy8F18
いいかげんにしろ
0776人間七七四年2011/06/25(土) 15:24:55.56ID:XpfFOQun
寝言の放置は許さない
0777人間七七四年2011/06/25(土) 15:53:06.97ID:jLRe8hfP
後奈良天皇時代は献金による任官が渋いのに対して
57年以降の正親町天皇時代は
上洛した織田関係者だけでなく献金に対して任官されやすくなっていますが、

これは大口スポンサーの大内義隆が没して
献金が一時激減して財務に困っていたことも関係あるのでしょうか?
0778人間七七四年2011/06/25(土) 16:54:37.21ID:aK88c3OV
>>774
無い無い、江戸前期まで常に進んでいた大陸から模倣し続けたのが日本なんだから
0779人間七七四年2011/06/25(土) 17:20:29.08ID:wHtM+evY
>>778
>>>774
>無い無い、江戸前期まで常に進んでいた大陸から模倣し続けたのが日本なんだから
常にでは無いな。菅原道真は、もはや大陸から学ぶものは何も無いと遣唐使を廃止した。
0780人間七七四年2011/06/25(土) 18:38:41.56ID:aK88c3OV
菅原道真の頃には民間でも交易船が来るようになっていたので
わざわざ国が送る必要は無くなり遣唐使を廃止した
そもそも、製錬も陶窯も建築も牧畜も数学も天文学も全然学びきれなくて
技術的なことで学べたのは、養蚕と稲作くらい。冶金は独自進化
0781人間七七四年2011/06/25(土) 18:40:44.82ID:fjgmS3+n
中国に武士って居たの?
0782人間七七四年2011/06/25(土) 18:41:54.55ID:ldgDke1A
当然いたよ
侍って意味でなら江戸時代の日本だけしかいなかったけど
0783人間七七四年2011/06/25(土) 18:54:41.78ID:wHtM+evY
>>780
あれ?遣唐使を廃止した事で国風文化が花開いたと教科書には書いてあったけど、おかしいな。
0784人間七七四年2011/06/25(土) 19:08:21.53ID:fjgmS3+n
>>781
中国の武士はどのようなものだったか教えてください。
0785人間七七四年2011/06/25(土) 19:10:35.27ID:fjgmS3+n
あ、すみません
>>784>>782宛てです。
0786人間七七四年2011/06/25(土) 20:34:06.21ID:/92/mfY+
さむらい さぶらう人 公家の従者
つわもの 武器を扱う人
もののふ 物部氏

武士という言葉は何時頃から、誰が使い始めたのでしょう?
0787人間七七四年2011/06/25(土) 20:48:29.27ID:+wPy8F18
武士という言葉だけなら、奈良時代初期には既に。

養老5年(721)正月・元正天皇詔「文人と武士は国家が重んじるものである」
0788人間七七四年2011/06/25(土) 23:31:29.67ID:aK88c3OV
>>783
古い教科書とか学説は、裏付け無しになんとなくそう思う
って理由で書いてた時代だから、間違い多いよ
0789人間七七四年2011/06/26(日) 01:14:04.70ID:zvY6UFvy
最近は鎖国でなく海禁政策なんじゃないかとか
鎌倉幕府は1185年に成立したんじゃないか
って書いてある教科書や資料集もあるしなぁ
歴史教育にちょっとしたカルチャーギャップを感じる
0790人間七七四年2011/06/26(日) 01:36:12.45ID:2NWuGSlx
昔から鎖国の記述は変わらんだろ
鎖国=完全封鎖みたいな事言ってる人いるけど、それこそ何処でそんな話し聞いたのかと不思議だわ
0791人間七七四年2011/06/26(日) 03:03:42.53ID:zRmNcHvL
鎖国という言葉から広がった裏付けのない妄想だな>鎖国=完全封鎖

アポロが月に行っていない(実際には偽装工作をする方が費用が掛かる)のと同じレベルの話
0792人間七七四年2011/06/26(日) 03:16:57.07ID:+dE472sn
>>777
別スレの過去ログを調べてみたけど当時の朝廷の収入について。

御料所の横領が相次いだせいでその収入は1割程度まで下がっていたらしい。
室町後期の皇室御収入(1521〜1569)の平均収入額は御料所620貫文、禁裏御修理費125貫文、合計で750貫文ほど
100疋=1貫文=1石=5万円〜10万
とすると低く見積もると4000万円弱くらいしか収入がなかったことになる。

幕府が経済面の援助を行っていたが幕府の権威が失墜すると援助が望めなくなり、即位式が20年も遅れることとなった。
後柏原天皇 1500践祚→1521即位

それで後奈良天皇のころから諸侯の献金に依存するようになる。

天文の内裏修繕費(織田信秀4000貫 今川義元500貫 麻生興益(大内被官)300貫 本願寺100貫 阿蘇惟豊100貫)
後奈良天皇 1526践祚→1536即位(大内義隆2240貫 朝倉義景100貫 長尾為景100貫 土岐頼芸10貫)
正親町天皇 1557践祚→1560即位(毛利元就2000貫 朝倉義景100貫 三好長慶100貫 北畠具教20貫)

一見すると大内の穴埋めを毛利が行なっているので問題無いように見えるが
即位式以外にも事あるごとに朝廷へ献金をしていた大内義隆の失脚はダメージが大きかった。
献金を行うには幕府や公卿の仲介を必要とし、そういった関係者へも金が廻っていたため
関係者が叙任のために必死に動いたものの後奈良天皇が却下する場面も見られたが、
正親町天皇時代になるとなりふり構わず謝礼を期待して官位叙任の手紙を書いている。

官位濫授の原因は財政的に厳しいことに加えてバランス面も考慮していただきたい。
守護代や豪族クラスにも守護以上の官位を叙任してしまうと守護の献金に対しても極官以上を叙任する必要が出てくる。
よって全体的に従来よりも官位は上昇し続けることになります。
なお、多くの大名は御料所の税を滞納した状態で献金して恩を売っていることに注意。
なので献金が多い=勤皇というわけではありません。
0793人間七七四年2011/06/26(日) 11:50:49.68ID:klUe16DY
>>787
そんなに古いんですか!
ありがとうございました
0794人間七七四年2011/06/27(月) 00:59:31.82ID:OESIUM2D
織田信秀は多額の献金により三河守の官位を獲て西三河侵攻の大義名分としています。
尾張兵一人に対して三河兵三人で互角なんて言われていたけど
織田信秀にとって下克上で尾張を統一するよりも
松平の三河へ侵攻したほうが楽だったのでしょうか?
0795人間七七四年2011/06/27(月) 01:03:03.78ID:je93VRw7
その頃の信秀は満州事変での関東軍みたいなもんだと思えばいい
0796人間七七四年2011/06/27(月) 04:31:22.12ID:z5QBOOVK
小さな城跡にも神社や祠がよくありますが、あれって祟り除けですか? 昔の城主を奉ってるんですか?
0797人間七七四年2011/06/27(月) 12:45:22.48ID:5OzUQKns
>>794
そもそも西三河を纏め上げていた松平清康が、織田信秀勢力圏へも影響力を拡大
していたからな。信秀としては防衛上も戦わざるをえない。それに西三河は清康によって
ある程度まとまったとはいえまだまだ不安定。
0798人間七七四年2011/06/27(月) 13:12:25.14ID:1EFRjjUH
武将の名前を語るとき、ほとんどは
徳川家康、伊達政宗のように、姓+諱で言うことが多いと思います。

ただ、中には
大谷刑部、古田織部のように官位名で言ったり、
竹中半兵衛、服部半蔵のように通称で言ったりした方が
一般的な人もいます。

大河ドラマなんて、いつも不自然なくらい諱で呼び合ってるのに、
黒田官兵衛だけ通称で呼んでたりします。

この違いはだたーこから来るのでしょうか?
0799人間七七四年2011/06/27(月) 14:10:45.97ID:CMJF3mP/
「だたーこ」って何だろう?

たぶん講談とか歌舞伎とかに由来する慣習だと思います。
0800人間七七四年2011/06/27(月) 14:22:20.35ID:s/hWvxZF
>>796
@一国一城令で取りつぶした後、神社に寄進、戦で死んだ人の魂を鎮める為に立てられた。
A落城、破壊の後、以下同文。
小さな城(砦か)は人の行き来がしにくい、生活に適さない場所に造られることが多かった。
しかも死者の魂の集まるところは人々は敬遠。自然に寺社が管理するようになった。

現代でも、宅地・マンションなんかは地鎮祭やお祓いをする。
そんな感じかな。
0801人間七七四年2011/06/27(月) 22:45:14.00ID:1EFRjjUH
>>799
ありがとうございます。
講談ですか。納得しました。

「だたーこ」は「どこ」の打ち間違いです。
0802人間七七四年2011/06/28(火) 21:25:33.60ID:6sS72W7X
>>800
現在の城跡の土地の所有者にしたら、少々厄介な土地なんですかねぇ

ありがとうございました。
0803人間七七四年2011/06/28(火) 23:38:39.63ID:+rkPqNCv
通称が諱よりはるかに有名だからかな
官兵衞と半兵衞は。他にそういう人いるかな
後藤又兵衛、時代が違うけど柳生十兵衛あたり?
0804人間七七四年2011/06/28(火) 23:53:06.87ID:wxLu71tG
伊達政道
通称小次郎。伊達政宗の実弟で小田原の役の際兄に殺されたといわれる。
政道という諱も死後200年以上経ってつけられたと思われる(生前の資料に政道の名が無い)。
0805人間七七四年2011/06/29(水) 00:40:39.21ID:pk/I7FUz
>>803
服部半蔵、は元レスに出てるな。
0806人間七七四年2011/06/29(水) 00:47:34.05ID:zOkQz1tb
作左衛門と彦左衛門
0807人間七七四年2011/06/29(水) 00:59:58.67ID:sBD2NjZy
島左近とかもか
0808人間七七四年2011/06/29(水) 01:45:11.08ID:yk+nYHkh
片倉小十郎
毛利小平太
山中鹿介
0809人間七七四年2011/06/29(水) 03:33:02.02ID:N31pvr5e
織部とか実休とか
0810人間七七四年2011/06/29(水) 12:15:16.62ID:IiDPUD7x
>>796
城主一族の信仰と関係していたりもする
千葉なら妙見とかね
0811人間七七四年2011/06/29(水) 14:50:04.48ID:WXiMNsG5
>>809
それはちょっと違う
0812人間七七四年2011/06/29(水) 15:38:18.31ID:HDL767LR
島左近の左近は親父も名乗っていたから島家の通称のようだね。
右近・左近は何となく意味が解る(将棋の飛車角みたいな両翼の重鎮)

黒田「官兵衞」というのは何か意味があるんだろうか?
幼少からの名前の変遷でも出てこないし、なぜ官兵衞と呼ばれたんだろう?
0813人間七七四年2011/06/29(水) 16:25:23.87ID:9UH6PoVU
兵衛府というのがあって(左兵衛府・右兵衛府)これの兵卒が兵衛
兵衛の官人だから官兵衛
0814人間七七四年2011/06/29(水) 16:42:39.25ID:yk+nYHkh
ちなみに基礎知識だけど、黒田 官兵衛は「くろだ かんべえ」ではなく、「くろだ かんひょうえ」な。
0815人間七七四年2011/06/29(水) 17:00:52.09ID:pk/I7FUz
>>812
右近、左近もさかのぼれば左近衛府、右近衛府だな。
0816人間七七四年2011/06/29(水) 21:21:26.22ID:bEahCG3x
土百姓の権兵衛も元は由緒ある兵衛の権(ごんのひょうえ)の僭称
0817人間七七四年2011/06/29(水) 21:24:43.46ID:r04g3e46
>>814
竹中さんとコンビで「にべえ」て呼ばれてたんじゃないの?
0818人間七七四年2011/06/29(水) 21:44:21.76ID:LcRnVXXZ
正しくは「知らぬ顔のはんひょうえ」だったのか
初めて知った
0819人間七七四年2011/06/29(水) 23:20:19.94ID:Sw6kg4hL
司馬遼太郎先生の本にも乗ってたな 宣教師が本国に送った報告書に、
官兵衛のことをカンピョウエと書いてあったとか
ただ今はもうみんなカンベエと言ってるのでカンピョウエとは言いづらい
とくに詳しい人にいうと、そんなのみんな知ってるよって怒られそうで怖い
0820人間七七四年2011/06/30(木) 00:02:05.94ID:hFy0+Ryr
>>817
後世の作り話な
0821人間七七四年2011/06/30(木) 00:05:10.79ID:Mcry97v5
太閤記辺りが出た以降に呼ばれたんじゃないの。
08228122011/07/01(金) 14:41:33.38ID:KKBeCU4P
いろいろありがとう。
日本語は読み方がいろいろあって、昔の名はほんとの発音が解らないものが多い。
宣教師は耳で聞いた通りに書いたんだと思うから、
「かんぴょうえ」と呼ばれていたんだと自分のなかでは納得しました。
0823人間七七四年2011/07/01(金) 17:50:27.86ID:KX1RcR6S
正確に言えば「かんのひょうえ」だな。
竹中半兵衛も「はんのひょうえ」
仙石さんもゴンベエではなく「ごんのひょうえ」
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