『御内書符案』に、千葉・小山・結城が三島まで攻め込んだむねが書いてあるね。
この時代、戦国後期のような『支配領域』は、まだまだ発展途上。
領主は荘園の所々を抑えていただけで、面的支配は実現できてない。
はるか後年でも伊勢宗瑞の軍が東上総の茂原まで攻め込んだり、扇谷が平塚を焼き払ったりしてる。
大規模な敵方の軍勢が攻め込んで来ても、個々の小領主の軍勢では手出しすらできず、容易に奥深くまで攻め込まれてしまうってこと。
その点、まだ南北朝時代の戦争と大して変わってない