【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
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0332人間七七四年
2011/04/25(月) 22:39:29.92ID:D8zszO3l武田氏の場合は、勝頼期の場合だけど、連年の軍事行動のために軍役などの領国内の
負担が重くなっており、武田家が滅亡した際には百姓たちが家を焼いて織田信忠のもとに
勝頼の悪政治を訴え、内心織田領になってほしいと思っていたので、この機会に
上下とも忠節をつくすべく参上した(=領民が勝頼を見限った)という話がある。
ただ、一方で勝頼は湯治へ出かけた先で押しかけたと思われる領民の求めに応じて山争論の裁決を行い、
家臣からの報告を受けた上で自身の親族(信豊の姪婿)を敗訴とする判決をくだしている(このへんの流れは
笹本正治『武田勝頼』に詳しい)。
大名の支配について一概に善政だの悪政だのとはなかなか言いづらいとは思うけど、ただ、いかに戦国大名と
いえど、求められれば(たとえ湯治中でも)裁決を下さなければならなかったし、強権を発動して恣意的な、百姓の
意向を無視するようなまねはできず、家臣だけでなく領民にも縛られている面も持っていたことは考慮に入れていいと思う。
よく統治手腕について語られる後北条氏も、城郭内に領民を避難させたり「目安箱」の設置などなどの政策を通じて
領民や村の存立(治安やインフラ、裁判等)を保障しているけど、一方でそれらの政策を通じて村を大名支配の末端に
組み込んでいったし、いざというときは後北条氏の支配する「国家」のためという名のもとで、領内への動員をかける
体制がつくられていったわけで、やっぱり一概に善悪政云々とはいいがたいし、領主層と被支配層が常に対立関係に
あったともいいにくいんじゃないかと。
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