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【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】

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0001人間七七四年2011/01/31(月) 20:38:37ID:iiET33MS
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【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 2【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 3【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 4【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 5【戦国時代】
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
0176人間七七四年2011/03/29(火) 07:27:27.48ID:HvNNJ5gm
>>175
ありがとうございました
やはり情勢はめまぐるしく変わってますね
0177人間七七四年2011/03/29(火) 16:43:28.25ID:C7A/BqTr
>>176
【安房・上総】里見氏を語るスレ2【関東副将軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1260625858

102 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/08(金) 20:20:54 ID:JogweBBA
古河公方の影響力がほとんどなくなるのは何年あたり?

そのあとは誰が和睦調停をやったの?
166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/25(木) 21:23:49 ID:p2nffH7V
>>102
調べた。
古典的な研究だが1986年の『古河公方の権力基盤と領域支配』市村高男 によると
天文末から永禄半ばまでは佐竹・結城・那須・小山・江戸らの年頭挨拶が確認できる。
しかし、天正二年の関宿陥落と、北条氏康による古河公方権力の吸収以降には
里見・佐竹・宇都宮・那須の出仕は確認できないとのこと。
これ以後は北条傘下の諸氏だけが出仕したそうな。
房総で言えば臼井・国分・千葉・高城・村上・大坪ね。

ただし、結城・山川・常陸行方衆に限っては、北条に対立する勢力にも関わらず
天正5,6年まで出仕が確認できるとのこと。
彼らは独自に古河公方と強力な結びつきを持っていたのがその理由。
いわゆる天正六年の佐竹=結城=宇都宮=那須の反北条同盟が契機になってるみたいだな。
0178人間七七四年2011/03/29(火) 20:20:03.62ID:83LJXN1N
戦国時代の性生活について質問

・男女それぞれ何歳くらいで褥をともにしていたか? 特に前田利家は鬼畜と言われなかったのか?
・結婚できる続柄の限界は? 伯父姪、伯母甥で夫婦になったのもいるが?
・某小説で家康は早漏と描写されていたが当時はそれが普通だったのか?
・質問じゃないんですけど横山マンガで雑兵がレイプの順番をちゃんと守って
 行列してたのが可笑しかった。
0179人間七七四年2011/03/30(水) 07:21:39.59ID:OQeVMWPf
新潟県の津川城は戦国・江戸時代は陸奥国所属と思ってたんですがこれは間違いですか?
ぐぐってみたら越後津川城って書いてる場合が一番多く、次が会津津川、陸奥津川
は0でした。


0180人間七七四年2011/03/30(水) 13:47:14.36ID:OUkTet3U
>>179
ちゃんと調べた訳じゃないけど、会津領だから陸奥国になるって事じゃないでしょう。
国境と何処の支配なのかは全く無関係です。
0181人間七七四年2011/03/30(水) 19:06:09.17ID:OQeVMWPf
>>180
レスありがとうです。津川城は蒲原郡なんで↓の説明から
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%92%B2%E5%8E%9F%E9%83%A1
津川城の場所は越後国が正しくて、陸奥国は自分の勘違いっぽいです('A`)
0182人間七七四年2011/03/31(木) 16:50:34.96ID:1wKeE7UB
>>178
・当時結婚は女13歳が平均的な年齢だから、松が12歳というのはそう珍しいことじゃないだろ。
 初潮が始まるまで床入りは控えるという武将もいたようだが。
・太古の昔は兄妹もあったが、宗教や儒教の普及で伯父姪が限界。
・家康の側室は年増とロリの両極端がいて、年頃(10代後半)てのがいない。
 ロリが年頃になると興味を失いまた、若いのを求める(と想像する)。
 それが家康の興奮を高める女の条件、興奮度合いが高ければ早くイクわな。
0183人間七七四年2011/04/01(金) 17:18:17.72ID:htBb5gn1
続柄に関しては宗教や倫理よりも
婚姻によって家同士を結びつけるのが最重要課題だから
近すぎる間柄と結んでも勿体無い、という面の方が大きかったんじゃなかろうか。
0184人間七七四年2011/04/02(土) 07:33:00.96ID:aJyyvUBO
森成利(蘭丸)って講談やらのイメージが優先されてるだけで、特に優秀だった訳では無いとよく言われますが
嫡子でも無く、めちゃくちゃ名門という訳でもないのにあの歳で城主になり
かなりの領地を与えられたのは、やはりなかなか優秀だったからなんじゃないでしょうか
それとも、同じような例は他にいくつもあるのでしょうか
0185人間七七四年2011/04/02(土) 09:29:30.15ID:MQ8PMRJe
>>184
取次役は色々な能力が要求されるから無能では務まらない。
だから相応の能力があったことは間違いない。
が、森家の場合は可成の討死までの一貫した忠義もあって特別扱いを受けている側面もある。

何より活動期間が短すぎて総合的な能力を評するにはデータが少なすぎるんだよな。
0186人間七七四年2011/04/02(土) 13:27:29.63ID:ZcG8zz5e
信長の申次は何人もいるが、森乱丸は信長最末期には最重要地域である畿内関係を
一手に引き受けていた感がある。
信長による森家重用方針があったのは勿論だが、それを置いてもやはり優秀だったのだろう。
0187人間七七四年2011/04/02(土) 17:42:42.97ID:aAyQqeEM
>>186
それは流石にソースを聞きたい。
谷口などは現存する史料からは大した事はしてないとしてるが
0188人間七七四年2011/04/02(土) 17:51:51.38ID:HJPqIWrh
よく、信長がもし天下を取っていたら日本は朝鮮の一部まで領土にしていたはずとか、
日本ではこんな政治が行われていたといった内容が書かれている本がありますが、
ああいったものは何を根拠に書かれているのでしょうか?
生前に信長が天下を取ったら海外遠征したいとか、海外と貿易を活発化させたいなど
彼の政治の青写真のようなものが記された史料が存在するのでしょうか。
0189人間七七四年2011/04/02(土) 18:02:29.03ID:piQ+elsC
>>188
ほとんど誇大妄想であり
はっきり言うと著者の願望でありデタラメ
0190人間七七四年2011/04/02(土) 18:47:48.98ID:VCdIm5IM
もし〜だったらっていうのだから妄想以外の何者でもないよなw
0191人間七七四年2011/04/02(土) 18:51:30.69ID:HJPqIWrh
ありがとうございます。
信長が生きてた場合のシミュレートってほとんど妄想だったのですか…
信長がどんな形で日本を統治し政治をしたはずとか
一体どうやって分析してるのか気になってたのですが。
0192人間七七四年2011/04/02(土) 19:56:56.27ID:1oo6Dm0e
>>188
フロイスの日本史で
「日本を制圧したら一大艦隊を率いて〜」がある。
それしかない。

そもそも、信長の政治の実態も、軍の実態も、確実なことは何も分からないのが現状。
0193人間七七四年2011/04/03(日) 06:53:17.06ID:8bYzQONm
大阪城の浪人衆で真田信繁だけが幸村として神格化され有名になったのは何故でしょう?
大阪の役での功績ならば毛利勝永や明石全登も劣らないはずでし、
キャラクター性というならば長宗我部盛親や後藤基次の方がキャラが立ってると思います。
0194人間七七四年2011/04/03(日) 09:12:42.26ID:z95C7d5d
徳川軍を撃退した事がある真田昌幸の息子だからじゃないの
0195人間七七四年2011/04/03(日) 10:47:41.42ID:JE/8rt2b
幕府軍を苦しめた大阪城の出丸が、信繁が作ったわけでも無いのに何故か「真田丸」と
呼ばれたためだろうな。はっきり言ってそれだけだと思う。

ちなみに「真田丸」の主力は長宗我部勢。
0196人間七七四年2011/04/03(日) 10:55:54.94ID:ZOKqIO92
>>193
実際に徳川陣に最も深く侵入したのが真田だった事(ただし家康本陣は全くの無傷)と
冬の陣での真田丸での活躍もあり、まぐれでは無いとされた事
これらにより、もしかしたら、あと一歩進めたらと、
想像を膨らませるのに真田が最適だった訳やね
0197人間七七四年2011/04/03(日) 11:31:03.99ID:9gUms4wk
ロマンとしては武田軍略の栄光の残照として
講談としては甲府や信濃や上野の山河を根城に活躍した忍軍の頭目として
滅びの美学を描くのに最大限の効果があったから。
0198人間七七四年2011/04/03(日) 14:29:35.78ID:tmSPoxXn
子孫が生き残ったのも大きいな。
仙台藩に仕官し、のちにインダビューを受けてる。
0199人間七七四年2011/04/03(日) 18:33:17.15ID:EspPTfbp
ほんとに片倉守信が信繁の血を引いてるのかねぇ?
すごい怪しいけど。
0200人間七七四年2011/04/04(月) 22:06:22.76ID:q+I/C7KC
>>199
片倉重長の後室に真田信繁の息女が入っているし、その係累で召抱えられて片倉氏を称したというのも
そう不自然でもないし、信じていいんじゃないか?
0201人間七七四年2011/04/05(火) 06:54:56.49ID:GqC8k9EV
その息女も充分怪しい
伊達の自称だし
0202人間七七四年2011/04/05(火) 20:51:38.58ID:DfTN+Ncr
花押とは現代で言うと、印鑑みたいな物なんでしょうか?
0203人間七七四年2011/04/05(火) 21:02:47.89ID:5BduoJx7
署名やね
0204人間七七四年2011/04/06(水) 00:44:05.24ID:ER2OZLeh
武田家の家臣における城主と城代の違いは、重臣の格の違いだけですか?
0205人間七七四年2011/04/06(水) 00:47:18.67ID:Gxi8CuwB
>>204
城主はその地域の領主でもあるが、城代は役人、軍務官僚だ。
0206人間七七四年2011/04/06(水) 01:02:46.84ID:ER2OZLeh
>>205
それで高坂さんも最前線の城ということで城代なんですね。
ありがとうございました。
0207人間七七四年2011/04/06(水) 17:40:18.22ID:F6hzjLnA
加藤清正が文禄の役の時に李臣舜が水軍で指揮を採っていて追い詰められた時に隙を見て水中から指揮を採り敵の李の船を撃沈させた話がありますが、加藤清正は今で言うウェットスーツみたいな物を着ていたのですか?
どうやって水中から指揮を採ったのですか?
0208人間七七四年2011/04/06(水) 23:19:28.89ID:Gxi8CuwB
>>207
当時の「水中」は「水の中」という意味ではない。
水に浸かった状況で、とかその程度の意味だろう。
0209人間七七四年2011/04/06(水) 23:23:44.19ID:tRWhGo/2
戦国時代の青銅製前装砲に触れた書籍はありますか
0210人間七七四年2011/04/07(木) 19:14:58.53ID:2NU7wpkk
戦国時代に蠣崎氏がアイヌと何度か紛争を起こしていたと聞いたのですが
当時のアイヌ民族の武器というのはどういったものだったのでしょうか?
あまり銃や刀をなどを使ってそうなイメージはないですが。
0211人間七七四年2011/04/07(木) 19:46:48.25ID:dN9l59Ec
>>210
毒を仕込んだ吹矢
0212人間七七四年2011/04/08(金) 15:39:16.39ID:ceQjqxKT
>>211
ありがとうございます。
吹き矢ですか、確かにそう言われると使ってそうな雰囲気がしてきます。
0213人間七七四年2011/04/08(金) 18:37:52.49ID:736FH7ov
主力はアイヌ短弓、槍類、アイヌ曲刀な
0214人間七七四年2011/04/09(土) 20:31:54.81ID:DUkXCfM2
合戦で、「先に動けば不利」というのは、どういう状況なのでしょうか?
0215人間七七四年2011/04/09(土) 21:16:48.89ID:HLEolBKd
>>214
「先に動けば不利な状況」としか言い様がない。
個々それぞれに様々、だよ
0216人間七七四年2011/04/10(日) 05:15:04.86ID:qBPAFGT9
後出しジャンケンをすれば先出しに対して対策を立ててから行動できるから。
しかし先出し側が罠をはってる場合はその限りじゃない
0217人間七七四年2011/04/10(日) 12:38:14.75ID:9CAyBMCj
夜になったらお家に帰れる状況
0218人間七七四年2011/04/10(日) 12:42:14.88ID:3Hd5XTfb
夜襲ってたいてい仕掛けたほうが勝っているよな
0219人間七七四年2011/04/10(日) 12:56:36.78ID:eJNZJ7yo
物語上ではね
0220人間七七四年2011/04/10(日) 13:29:07.81ID:HSQpv5Zj
実際、真っ暗で目の前すら見えないので同士討ちをしたり
迷子になって敵にバレたり、
示し合わせた時間に到着できなかったりで
夜襲なんてやらない。
やるのは明け方の寝込みを襲撃だから。
0221人間七七四年2011/04/11(月) 02:42:32.75ID:d8aAadya
勢力の大小によって、価値は変わるけど、敵の大将首って、実際はどれぐらいの価値だったんだろう?

下っ端の足軽でも、大将首取ったら、村や町が一つ二つ貰えたぐらい?
0222人間七七四年2011/04/11(月) 08:37:36.75ID:lvNgAyPo
>>221
戦闘ユニットのボスの手柄になる
0223人間七七四年2011/04/11(月) 21:46:30.43ID:d8aAadya
>>222レスどうも、じゃあ、下っ端はそのボスからどれぐらい貰えるんだろう?
0224人間七七四年2011/04/11(月) 22:03:20.72ID:LuUInu8N
侍に取り立てられるくらいはするんじゃない
0225人間七七四年2011/04/11(月) 22:36:24.72ID:AgdK8ivA
足軽でも直々に恩賞ぐらい与れないの?
0226人間七七四年2011/04/11(月) 22:46:42.21ID:LNgFXJt+
具体例挙げた方がよくね?
大将首上げた実例がそもそも乏しいわけだし
0227人間七七四年2011/04/12(火) 01:03:25.46ID:hcb0G+Yb
敵陣に突っ込むのは侍の役目。
落ち武者狩りはともかく足軽が大将首上げる事はまず無いんじゃ。
0228人間七七四年2011/04/12(火) 14:24:58.92ID:PgE6i0J+
桶狭間のとき、毛利新助の身分はどのくらいだった?
0229人間七七四年2011/04/12(火) 18:33:20.07ID:sD8G39HW
馬廻り。親衛隊士のひとり。
0230人間七七四年2011/04/12(火) 19:38:05.76ID:9J7qTH/f
>>223だが、皆レスサンクス。

ふと『どれくらい褒美が貰えるのだろう?』と思って聞いてみたけど、やっぱ、下っ端の足軽が手柄立てるのは難しいんだな…
0231人間七七四年2011/04/12(火) 19:54:12.64ID:sDxIXdnN
雑兵から出世するなら、先ず経理部門(奉行)から
0232人間七七四年2011/04/12(火) 20:21:42.81ID:4nJDp+eN
じゃ、落ち武者(割と大物)を狩った百姓はどれぐらい恩賞にあずかれるのかな?
0233人間七七四年2011/04/12(火) 20:38:27.91ID:LaKUvIAJ
どういう状況かにもよるが、基本落ち武者狩りは惣村の共同作業なので
落ち武者を殺したり捕らえたりした村には納税の免除など負担の軽減が与えられる場合が多い。
0234人間七七四年2011/04/13(水) 05:07:09.32ID:szTwUTY2
明智光秀の水色桔梗の「水色」というのは現代人が想像する水色と同じものなのでしょうか?
ドラマやアニメなどを見ていると非常に鮮やかな色になっていますが。
0235人間七七四年2011/04/14(木) 11:51:15.07ID:GdMpPXVG
徳川は関東では他所者にも関わらずなぜすんなり統治出来たの?
国人の反発とかなかったの?
0236人間七七四年2011/04/14(木) 12:10:12.49ID:yEyey1wz
風魔の跳躍など一部北条旧臣の反抗はあった。しかし基本的には北条の支配機構を
そのまま組み入れたため大きな反発はなかった。

あと北条はプレ近世大名と言われるほど進んだ機構を要し、国人の家中への取り込み、つまり
国人の役人・官僚化が進んでいたため、徳川としてもむしろそれを積極的に取り込むことができた。
0237人間七七四年2011/04/14(木) 12:14:35.56ID:GdMpPXVG
一応反発はあったけど小規模だったんだ
国人の役人・官僚化ってどういう状態からどういう状態になったの?
0238人間七七四年2011/04/14(木) 15:41:28.75ID:IBC0OLpg
家康たんのケツ毛はどうしてあんなに瑞々しいの?
家康たんの菊門はどうしてあんなに締まりが良いの?
0239人間七七四年2011/04/14(木) 18:24:23.67ID:1QlWxmfk
>>237
組合に所属する自営業から、会社に所属するサラリーマンへ
無理やり現代に当てはめればこの途中まで行ったという事
0240人間七七四年2011/04/14(木) 18:36:58.11ID:I0Q0kNCW
>>237
端的に言えば北条は検知と貫高制の確立により、それまで武士とは領地という「空間」と
不可分だったものを、土地を生産性という「数値」に置き換えることで、武士それ自体も
その数値により管理される存在へと転化させた。

>>239が言っているように、「どこどこの〇〇商店」という屋号で把握されるのではなく、
その収入額によってのみ評価される存在になったわけね。

これにより武士の在地性は限りなく薄くなり、多くが家中に組織化された。

武士の近世化とはこの過程だが、それが最も早く進んでいたのが北条。
0241人間七七四年2011/04/14(木) 19:03:35.86ID:GdMpPXVG
>>239-240
なるほど…
ありがとうございました
北条によって土豪の在地性が薄かったから徳川が入ってきてもすんなり行ったんですね
0242人間七七四年2011/04/14(木) 19:28:59.30ID:tgULMNer
>>241
ちょっと違う。
もっと長いスパンで見る必要がある。
相模・武蔵は鎌倉時代に幕府の北条得宗家領として再編され、地生えの豪族が成田氏除いてほぼ壊滅した。
南北朝時代以降は鎌倉府と山内・扇谷上杉氏らによって、
領主が何度も入れ替わるサラリーマン的な土地が長年かけて形成されて来た。
後北条氏みたいな新参がすんなり相模武蔵を制圧できた理由はまさにそこにある。

上野は、微妙に違うのだが、謙信と氏康の長年の戦争の結果、
旧来の一揆・荘園体制が崩壊し、「領」に再編されて、相模・武蔵と同様、治めやすい土地に変わった。

そうやって鎌倉時代以来長年ローラーをかけられた土地に徳川が来たから、すんなり受け入れられたということ。
0243人間七七四年2011/04/14(木) 19:31:00.07ID:GdMpPXVG
>>242
北条だけではなく鎌倉以来の蓄積の結果ということか…
d
0244人間七七四年2011/04/14(木) 19:31:26.40ID:P5CoEOOS
で、ソース付きで具体例を箇条書きしてくれないか?
そんな空虚なデタラメ妄想は勝海舟だけにしてくれ。
0245人間七七四年2011/04/14(木) 19:34:52.37ID:GdMpPXVG
野暮な事を言う
ソース付きの解答が聞きたいなら最初から書籍を紹介してもらうさ
0246人間七七四年2011/04/14(木) 19:37:59.15ID:tgULMNer
>>244
とりあえず『「領」と戦国大名』則竹雄一でも読んで見たら?
0247人間七七四年2011/04/14(木) 20:19:41.38ID:P5CoEOOS
いやだから転記してくれよ。
平気でデタラメのソースを出すやつがいるからな。特に北条厨が。
0248人間七七四年2011/04/14(木) 20:27:46.27ID:tgULMNer
>>247
一体何が知りたいんだ?
「何が分からないのか分からないけど転記しろ」というのはよしてくれ。
おれも>>236>>240にソースがあるのかは知らんよ。

>>242の内容は峰岸純夫や池上裕子などが長年主張し続けてきたことだよ
0249人間七七四年2011/04/14(木) 20:48:50.27ID:esssbQH8
>>247
横から入ってきて何抜かしてんだこいつ
0250人間七七四年2011/04/14(木) 20:49:00.81ID:1QlWxmfk
subこそたまにはソース出してみろよw
0251人間七七四年2011/04/15(金) 06:51:10.83ID:Cg0DIfeQ
なんだ転記できずににげるのか
0252人間七七四年2011/04/15(金) 08:20:45.30ID:POuSQn0J
戦国時代末期に各地方は統一の兆しをみせていますが
東北のみ伊達ですら地方統一には遠く及ばない状態
いわば群雄割拠が残っていました。
これはせっかく戦力を動員できる農閑期になっても
冬に閉ざされる東北の環境が戦闘を困難にしているせいかと思います。

かつては奥州藤原氏という東北に覇を唱えた巨大勢力もいましたが
なぜ奥州藤原氏は厳冬という困難を克服して勢力を伸ばせたのでしょうか?
戦国時代と平安時代の違いなどがあればお教えください。
0253人間七七四年2011/04/15(金) 10:27:36.88ID:Cg0DIfeQ
厳冬期でも必要とあらば戦闘してたし
例えば厳冬期に政宗が幼君の二本松城を攻めてるが輝宗が指摘していた通り堅城過ぎて失敗してる。
奥羽は親戚関係でなあなあだったから下克上がほどほど発生しない甘い地域。
小田原参陣に遅参したりで秀吉が改易しまくったのに政宗を始めとして驚いたのも奥羽の幼稚な精神からの甘い観測によるもの。
朝鮮出兵で名護屋にきた安東が
「上方の組織は縁故や家柄よりも、いかに主に役にたったかで引き立てられる」と驚き奥羽のやり方を廃れものと自嘲していたように思考が遅れていた。
成実曰わく「奥羽の流儀」である親類による和睦仲介の中人制度で
幼君を擁立していた諸将や佐竹や石川を始めとした親類たちがほどほどのところで和睦斡旋をしてあげるなど甥っ子に甘く接していた。
0254人間七七四年2011/04/16(土) 17:22:26.72ID:pwDvMjiG
謙信と信玄、どっちが虎で どっちが龍?
0255人間七七四年2011/04/16(土) 18:02:03.57ID:W2diQyFL
残念ながら二人とも人間です
0256人間七七四年2011/04/16(土) 19:09:07.38ID:K9eSCwiq
>>252
戦国時代は国人の力が強まって来てたからじゃないかな。
例えば浪岡北畠氏なんかはそれ程広い版図を有してなかったにも関わらず
幕府を介さずに朝廷に出入りしてたし。
0257人間七七四年2011/04/16(土) 19:39:53.98ID:bprr2Fvo
南部家って永く続いてるのに地元からは
あまり愛されてないのはなんででしょう?
津軽氏、佐竹氏、伊達氏、最上氏に比べるとなんだか可哀想。
0258人間七七四年2011/04/16(土) 23:54:10.29ID:C/+2/zhk
>>253>>256
なるほど。
周囲がみんな婚姻関係で攻めにくいというのも変動しにくかったことや
かつての平安時代のような国司や地頭?の関係ではなく
国人という勢力があったこともも統一勢力が輩出しにくくなった要員として
納得できますね。
0259人間七七四年2011/04/17(日) 00:10:29.11ID:RHNkqcDu
>>258
ただねぇ。中国地方の毛利はその国人から婚姻関係を利用して勢力を拡大して戦国大名化し、
ついには中国地方を制覇するに至る訳で。
0260人間七七四年2011/04/17(日) 09:28:04.27ID:6sbxvSPL
>>259
元就の中国地方統合は輝宗の南奥羽統合と類似している。
0261人間七七四年2011/04/17(日) 14:02:25.83ID:8n1JvVA1
家康は何故あれだけ清洲同盟を遵守したのでしょうか?
初期は対武田、今川等に対抗する為だとは思うのですが、後に信長包囲網が作られた
時ですら彼は律儀に信長に味方をしています。
信玄上洛の時は信長もある種覚悟を決めてたらしく、信玄が死ななかったら信長も家康も危なかったと思います。
援軍の要請も度々あってこき使われ、そのくせ家康が援軍を要請しても信長はあまりよこさない。
武田へと乗り換える手もあったと思うのですが(まあ信玄は有名な同盟破りなのでアレですが)。
家康がいかなる状況下でも信長に味方し続けたメリットは何なのでしょうか?
0262人間七七四年2011/04/17(日) 19:58:30.13ID:SGH09vmX
>>261
清洲同盟ばかりに目が行きがちだが、家康は清洲同盟をてこに最初は対今川侵攻のための
武田との同盟、そして武田との抗争が始まると今度は対武田のための北条、上杉との同盟を
形成している。
これらは織田との同盟という基礎があってこそ強い意味を持ち、そのような外交的メリットを
享受している以上家康が清洲同盟を破棄する理由は、少なくとも信長の在世中は無かった。
0263人間七七四年2011/04/17(日) 20:20:31.01ID:4TahnbNO
高野山に追放とか出奔とか、結構な大物がやってますけど、
彼らはそこでどんな生活をしていたんでしょうか?
お経を読み、托鉢とかしながら謹慎という感じなのでしょうか?
0264人間七七四年2011/04/17(日) 23:05:08.14ID:66JuNrRW
>>260
この時代はどこも寄親寄子でしょ。
中央集権という支配方法を確立したのは秀吉が最初。
0265人間七七四年2011/04/18(月) 00:36:51.38ID:loA50VQk
>>262
ナルホド、理解しました。ありがとうございます。
当然そういうメリットがあるから同盟維持したんですよね。
家康はマゾかと思ってました。
0266人間七七四年2011/04/18(月) 01:25:29.41ID:vliX5u6C
>>263
高野山は、というかどこの大寺でもそうだがそれらは都市を形成しており
多くの俗人も住んでいた。なので女や酒などには一定の不自由があったものの、
金さえあればそれなりの都市生活を享受できた。
0267人間七七四年2011/04/18(月) 01:33:02.63ID:X5ErnAA5
でも織田秀信、オメーは駄目だ
0268人間七七四年2011/04/18(月) 09:50:14.46ID:s2tQiBJ5
戦国時代に限りませんが
けっこう大名が他の勢力に調子のいい時期に病死したり
争いに負けて隠居させられた人がすぐに病死したりすることがありますが
当時でもそういうのは暗殺されたのではという噂は流れたりしたのでしょうか?
0269人間七七四年2011/04/18(月) 10:58:54.75ID:vtw19t/B
加藤清正や浅野幸長なんかは代表例かと
0270人間七七四年2011/04/18(月) 17:24:50.72ID:4N3o/IRr
家康たんの一番の性感帯はどこだと思う?
0271人間七七四年2011/04/18(月) 22:10:03.36ID:tkgONsEQ
>>268
付け加えるなら結城秀康にもそういう噂があった。
0272人間七七四年2011/04/18(月) 22:13:16.52ID:/KDbrktR
ぶっちゃけ毒殺の可能性も50%はあると思う。
0273人間七七四年2011/04/18(月) 22:18:09.07ID:zGastDzI
>>266
ありがとうございました
0274人間七七四年2011/04/18(月) 22:19:02.34ID:vtw19t/B
ないない
朝鮮や名護屋在陣時に羅患した梅毒
0275人間七七四年2011/04/18(月) 23:12:13.40ID:s2tQiBJ5
>>269
>>271
>>272
>>274
ありがとうございます。
真偽はさておき当時でもやっぱりそういう類の噂は流れたんですね。
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