盛重:戦傷の後遺症で鼻が曲がってしまったのを自ら脇差で切って付け直したという
  剛の者。桶狭間直前の丸根砦で松平元康と戦って戦死

信盛:信長創業の功臣で初期の戦では常に信盛か柴田勝家のどちらかが先鋒を務める
  ほどの信長の片腕。本願寺包囲戦を担当していたが突如父子で追放された

信辰:信盛の弟で桶狭間のときは善照寺砦の守備を担当。本能寺の後、信雄配下で蟹江城を
  守ったが前田与十郎の裏切りにより城を羽柴勢に明け渡した。後に江戸幕府に出仕し
  館林城留守居役となる

盛政:叔父柴田勝家に従って北陸戦線に従軍し、一向一揆や上杉軍を相手に数多くの戦功を
  挙げて「鬼玄蕃」の異名を取った戦上手。20代で金沢城主となり加賀一国を任されたが、
  賤ヶ岳の後捕らえられて斬首

安政・勝之:盛政の次弟と四弟。それぞれ保田氏・佐々氏の養子になっていたが賤ヶ岳の後
  秀吉に屈するを潔しとせず家康を頼り、小田原北条氏に仕えた。小田原落城後は潜伏
  していたが秀吉に召し出されて蒲生氏郷配下となり置賜郡に城を賜る。関ヶ原と大坂の役で
  徳川方として戦い、安政は信濃飯山三万石、勝之は信濃長沼一万八千石の大名となる