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【信盛・正勝】佐久間一族を語る2【盛政・盛重】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/01/30(日) 17:29:57ID:4dXHFJUm
織田信長の有力家臣として活躍しながらも、
折檻状(偽書の可能性もあり)を突きつけられて追放・客死した「信盛」や、
柴田勝家の右腕・鬼玄蕃として名をなすも、
賤ヶ岳の合戦では敗れ処刑された「盛政」などを中心に、
江戸期には大名や旗本で生き残った佐久間氏一族の興亡を語りましょう。
※今までのまとめは>>2-5の辺り。


武家家伝_佐久間氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sakuma_k.html

佐久間氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%B0%8F

■過去スレ
織田家家臣団の筆頭格・佐久間信盛
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157214776/
0192人間七七四年2011/06/21(火) 21:02:14.09ID:OznBspOb
>>172
滝川と河尻や森にそこまでの違いがあるのかな?
0193人間七七四年2011/06/22(水) 12:01:13.87ID:4qN2yN3r
>>191
菅屋・堀と、長谷川・矢部・福富・野々村を分けたのは、
菅屋は北陸の仕置き、堀は伊賀攻めの大将や秀吉の軍監など、
他の側近トップグループより頭ひとつ抜けた働きがあるから。

>>192
滝川は軍権では河尻や森と同格だが、関東や奥羽の大名との取次を担当して、
関東諸将は滝川の統率下だったから、権限の大きさはAグループに匹敵するとみなした。
0194人間七七四年2011/06/22(水) 14:15:20.36ID:PHBjub6T
だんだんスレの本筋から話がズレてきてる観があるのだが

まあ、面白いけどね
0195人間七七四年2011/06/22(水) 16:27:44.07ID:jaUmFM7I
織田家のマイナーな武将を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193212492/

織田家武将格付けは↑でやってくれ
0196人間七七四年2011/06/22(水) 17:49:03.01ID:yK5Ih38C
とりあえず柴田勝家を軍団長とする北陸方面軍において鬼玄蕃こと佐久間盛政は
狂犬前田利家、アルピニスト佐々成政を押さえて最強軍団を率いていたエース武将と
認識してるんですけどあってますか? 違ってたら修正してくだされ
0197人間七七四年2011/06/22(水) 18:34:03.38ID:PHBjub6T
加賀=盛政、能登=前田、越中=佐々なわけだけど
この3つの中で一番石高(実高)が高かったのはたぶん加賀

まあ、勝家の甥だけに身内びいきがなかったというと嘘になる
かも知れないが、配下に特に表立った不満が見られないところを
見ると、実力相応の評価と見られていた可能性は高いね
0198人間七七四年2011/06/22(水) 18:39:46.36ID:g9x6EBy2
>>196
一般人や金沢市民に対しては×
マニアやヲタの間でなら○
0199人間七七四年2011/06/22(水) 20:32:39.16ID:n7713X13
エースなら先鋒じゃないの。つまりアルペン佐々
0200人間七七四年2011/06/22(水) 23:56:40.39ID:0izU1X1v
アルペン佐々は北陸方面軍先鋒というよりも織田軍の先鋒ってイメージが強い
勝家信盛の後の第二世代主力戦闘ロボ

盛政は磔になった際の逸話聞いても当時の女子には大人気者だったんじゃないか?
若いエリートだし相当な知名度があったのは間違いないよ
同じ世代の武将を見ると盛政だけが実績実力共に群を抜いてるし
0201人間七七四年2011/06/23(木) 00:06:47.45ID:RCrl0kRg
まあねー、死んだときまだ30だったんだもんな
0202人間七七四年2011/06/23(木) 02:06:26.11ID:VIxLjDm9
地位、容姿、立場等々そういった「俺スゲー」の慢心が賤ヶ岳の敗因だろ
0203人間七七四年2011/06/23(木) 02:11:12.17ID:CX8CFs2J
20代で国持ちってすごくね?森長可と同じぐらい出世早い。
親の代からの宿老である森家と違って、柴田の縁続きだってだけの一族なのに。
0204名無しさん@12周年2011/06/23(木) 02:22:04.06ID:Ce7aQP70
>>202
敗因は利家の寝返りであって盛政は関係ない
今更言うまでもないだろうけど

>>203
>柴田の縁続きだってだけの一族なのに。
おいww何言ってんだ
0205人間七七四年2011/06/23(木) 03:01:28.08ID:VIxLjDm9
そんなに好かれて盛政もさぞ喜んでいるだろうよ
そっかー利家の裏切りが敗因かあー
利家は悪いやつだねーwww
0206人間七七四年2011/06/23(木) 03:26:23.30ID:Ce7aQP70
>>205
歴史なんて所詮昔話 悪いとか良いって話じゃない
利家だって苦渋の決断だったろう←たぶんね
ただ勝敗が決した戦いには必ず勝因敗因があるのよ
0207人間七七四年2011/06/23(木) 10:13:01.08ID:v97Tb55S
このスレさ、ときどき前田ファンがいるよね
0208人間七七四年2011/06/23(木) 10:15:50.94ID:v97Tb55S
>>203
> 20代で国持ちってすごくね?

そのへんのニュアンスがドラマなんかではほとんど表現されない
それまでの活躍や評価がいっさい描かれず、賤ヶ岳の現場で
突如現れて、先制攻撃を主張して自爆するだけの道化役にされる
前田家の教育の浸透ぶりはすごいよね
0209人間七七四年2011/06/23(木) 23:40:25.17ID:49uGdXHo
300年16代だったっけ?実質支配していれば覚えていなくて当然。
0210人間七七四年2011/06/25(土) 01:59:06.39ID:uWKadQrj
>>203
御器所の佐久間家は室町中期ごろからすでに記録に出てくる
盛重や信盛、信辰らは桶狭間以前から信長に仕えているし
0211メインキャスト2011/06/25(土) 13:27:43.57ID:c+NDCAli
盛重:戦傷の後遺症で鼻が曲がってしまったのを自ら脇差で切って付け直したという
  剛の者。桶狭間直前の丸根砦で松平元康と戦って戦死

信盛:信長創業の功臣で初期の戦では常に信盛か柴田勝家のどちらかが先鋒を務める
  ほどの信長の片腕。本願寺包囲戦を担当していたが突如父子で追放された

信辰:信盛の弟で桶狭間のときは善照寺砦の守備を担当。本能寺の後、信雄配下で蟹江城を
  守ったが前田与十郎の裏切りにより城を羽柴勢に明け渡した。後に江戸幕府に出仕し
  館林城留守居役となる

盛政:叔父柴田勝家に従って北陸戦線に従軍し、一向一揆や上杉軍を相手に数多くの戦功を
  挙げて「鬼玄蕃」の異名を取った戦上手。20代で金沢城主となり加賀一国を任されたが、
  賤ヶ岳の後捕らえられて斬首

安政・勝之:盛政の次弟と四弟。それぞれ保田氏・佐々氏の養子になっていたが賤ヶ岳の後
  秀吉に屈するを潔しとせず家康を頼り、小田原北条氏に仕えた。小田原落城後は潜伏
  していたが秀吉に召し出されて蒲生氏郷配下となり置賜郡に城を賜る。関ヶ原と大坂の役で
  徳川方として戦い、安政は信濃飯山三万石、勝之は信濃長沼一万八千石の大名となる
0212人間七七四年2011/06/25(土) 13:43:53.05ID:c+NDCAli
ちなみに安政の長男勝宗(史料によっては勝長とも)の正室は真田信之の娘
その縁で子孫の佐久間象山の家が松代藩に仕えたらしいという話がある
0213人間七七四年2011/06/26(日) 00:41:42.95ID:gSMjXuzD
息子と一緒に茶の湯三昧で遊んでいたらさすがの信長も他の家臣たちに示しがつかないと思う
俺たちは頑張っているのに何で遊んでいるあいつが高禄なんだ・・・・って感じで
0214人間七七四年2011/06/26(日) 09:44:26.69ID:k9duF8mx
そんな信長の言いがかりをストレートに信じてるお前が怖いわ
0215人間七七四年2011/06/26(日) 11:25:43.47ID:oKPY1Hea
>>213
天王寺屋会記でもそこそこ出てくる回数多いしな…
0216人間七七四年2011/06/26(日) 12:15:07.22ID:zhLGkWlj
>>213
細かい事を一々垂れ込む光秀だけは許せないな
0217人間七七四年2011/06/26(日) 12:31:13.23ID:dlTLbkie
>>211は次スレのテンプレに入れてほしいな
0218人間七七四年2011/06/26(日) 12:33:56.48ID:dlTLbkie
そういえば、よく天海=光秀説っていうのが言われるけど、もしそれが本当なら
信栄とか信辰が知らないはずはないし、あまりよく思ってないだろうから
何かしら反応があるはずだよな、と思わないでもない
0219人間七七四年2011/06/26(日) 12:42:33.81ID:k9duF8mx
>>218
まあつくり話だし。妄想妄言のたぐいだわ。
0220人間七七四年2011/06/26(日) 13:08:10.03ID:g+Gsy5/q
天海=光秀説はものすごく面白いし、研究がすすんで欲しいけど、
すでにお互いの直筆の書状の筆跡鑑定で別人という結果が出てると聞いたことがある
とても残念だ
でも冷静になれば当時のお坊さんは東大とか京大の教授といった感じの学者、
光秀は急速に成長する企業のビジネスマンって感じだから、住む世界は完全に違う
やはり無理がある説か・・・
0221人間七七四年2011/06/27(月) 19:05:38.31ID:Eu7DNsxF
今TBS系列「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」で桶狭間やってるよ
0222人間七七四年2011/06/27(月) 19:12:23.08ID:EI2s2ElC
大学でてくるの?
0223人間七七四年2011/06/27(月) 19:21:42.78ID:Eu7DNsxF
出なかったねー、予想通り
松平元康は出たけど
0224人間七七四年2011/06/27(月) 19:34:27.84ID:Eu7DNsxF
お、柴田勝家は出てきた
やっぱなー、佐久間は不当にマイナーだなー
0225人間七七四年2011/06/27(月) 19:38:07.58ID:uEu0umNk
べつに不当でもねえよ
0226人間七七四年2011/06/27(月) 19:39:53.97ID:Eu7DNsxF
何言ってんだよ
徳川家でいえば四天王の一角にあたるクラスなのに
ドラマでもバラエティでも全然触れられないなんて
不当以外の何者でもないわ
0227人間七七四年2011/06/27(月) 19:44:04.87ID:eaVYPJGz
いや石川数正ポジだろう
0228人間七七四年2011/06/27(月) 23:44:48.69ID:uEu0umNk
一般人にしてみたら、いてもいなくても歴史上重要じゃない人物なんかどんなクラスだろうがマイナーだろう
0229人間七七四年2011/06/28(火) 00:22:54.94ID:vMcsR2WB
信長公が主人公のドラマなら絶対に佐久間信盛は出てくるじゃん 捨てたもんじゃないよ
利家とまつでは鬼玄蕃盛政も出てた 慶次郎におちょくられてたけど
いやいや、佐久間家も捨てたもんじゃないよ まあまあだよ
0230人間七七四年2011/06/28(火) 00:36:55.26ID:vp/0WfjW
重要な地位にいるということは、イコール歴史上重要なんだけどなぁ
自分が知らないから重要じゃない、とか、子供は思ってそうだけど
0231人間七七四年2011/06/28(火) 01:45:42.90ID:dKI/isO5
歴ヲタならではのひとりよがりだね
佐久間一族が歴史の教科書に出てくるような事をしたとでも?
好きな武将を盲目的に贔屓するのもいいけど冷静に俯瞰できる目も持たないとね
0232人間七七四年2011/06/28(火) 01:56:15.95ID:vp/0WfjW
教科書基準w
0233人間七七四年2011/06/28(火) 05:48:16.18ID:k/cQiDAj
盛政の生き様は教科書に載せるべきだな
歴史研究会の会に行った時にダメ元で偉い人に直訴してみるかなw
0234人間七七四年2011/06/28(火) 07:26:13.61ID:dKI/isO5
一般のメジャーマイナーなんて教科書、時代劇や小説、漫画さ
「扱い酷いけど実はこの武将はね(キリッ」なんてやったら大概の人は引くよ
実際、光秀や勝家と違って一般教養の歴史的事件のキーマンでもないし
大した記録が残って無くったって前田慶次がメジャーなのはそういうことだ
教科書基準で笑うなら自分で小説や漫画書いて売れれば大好きな佐久間一族がメジャーになるぜw
0235人間七七四年2011/06/28(火) 14:12:34.60ID:1Trq0hRg
「これだけのレベルの人物なのにマイナーなのって不当な扱いだね」
に対して
「一般では教科書や漫画・小説でメジャーマイナーが決まる」
って、答えとして噛みあってないんだよね

「そうだよ、だからそういう一般の扱いが不当だってことなんだけど」
になるだけで
0236人間七七四年2011/06/28(火) 14:14:32.11ID:1Trq0hRg
たとえばこんなのと同じ、ズレた会話になってる

「この投手、22勝もしたのにMVPに選ばれないなんておかしいよね」
「プロ野球のMVPってのはファンの人気で決まるんだよ」
「…いや、だから、それがおかしいって言ってるんだけど」
0237人間七七四年2011/06/28(火) 14:59:31.40ID:usHvscul
>>236
ズレてないだろ。22勝したって人気が無ければ選ばれないって話だろ。
0238人間七七四年2011/06/28(火) 15:42:19.74ID:2AL5+9sI
歴史の教科書なら下手すりゃ信長秀吉家康に関ヶ原の石田辺りくらいで終わりだろうがなw
0239人間七七四年2011/06/28(火) 16:26:40.80ID:1Trq0hRg
>>237
アスペの人?
会話のキャッチボール(受け答え)がわからないんだな、かわいそう
0240人間七七四年2011/06/28(火) 16:30:52.47ID:1Trq0hRg
もう少しわかりやすくいうと

A「この投手、22勝もしたのに(本来なら成績で選ばれるべき)MVPに(人気がないからといって)
選ばれないなんて(制度のあり方が)おかしいよね」
B「プロ野球のMVPってのはファンの人気で決まるんだよ」
A「…いや、だから、(そんなことは言われなくても知ってるけど)それがおかしいって言ってるんだけど」

Bの人は、Aの人が「人気で決まる」ということを知らないから「おかしい」と言ってると
解釈しているが、それが間違いで、Aの人はそんなことは百も承知で「そういうのは
おかしいじゃないか(正しいあり方じゃないじゃないか)」と言ってるわけだから、
この会話はぜんぜん噛みあってない

まさかこんなレベルまで噛み砕いて説明しないと理解できない人がいるとは
思いもしなかったけど
それとも理解できないんじゃなくて「すみません、誤解してました」の一言が
言えなくて意地張ってるだけなのか?
0241人間七七四年2011/06/28(火) 18:28:09.88ID:aRgeszJr
>>214
>>213が全部事実とは思わないけど、本願寺を何年もただ包囲するだけで、
戦らしいことをほとんどしなかったのは確かだと思うが。
0242人間七七四年2011/06/28(火) 18:52:54.83ID:qVcl87EZ
司馬遼太郎の小説で、主人公が江藤新平とか川路利良とか河井継之助の
作品があるけど、この人たち一般にはあまり知られてないよね。

売れた小説や漫画に取り上げられたらメジャーになるか、っていうと
そういうわけでもない気がする。
0243人間七七四年2011/06/28(火) 18:53:32.35ID:i7Sb0jlp
>>241
広がりすぎた戦線の維持のため信長自身に本願寺との決戦能力がない中、
それでも十万とも言われる勢力を持つ本願寺を抑えきったってことが
どれだけ凄いことかわかってないだろ?

だいたい本願寺包囲陣も信長の都合で部隊の引き抜きが恒常的にあった。
本願寺との決戦どころか、戦線維持さえ危うい状況だった。
それでも戦線を崩壊させずほぼ大過なく維持しきったのは、もはや奇跡に近い。
0244人間七七四年2011/06/28(火) 18:56:33.98ID:i7Sb0jlp
>>242
司馬遼太郎で言うなら坂本龍馬は竜馬がゆく以前は、志士たちのメッセンジャー程度の認識で、
非常に地味であまり人気もない人物だった。高知県でも幕末の志士といえば「武市半平太」が
まず出てくる人物だった。
0245人間七七四年2011/06/28(火) 18:59:33.33ID:qVcl87EZ
>>244
薩長同盟の裏書をしていたことは知られていたけど、そこから後に
研究で「薩長同盟の実現を企図し、そのために奔走した」ということが
わかってから評価が変わったよね。
そういう研究が進んだのは司馬氏によって注目を集めたおかげだと思う。
0246人間七七四年2011/06/28(火) 19:03:58.17ID:i7Sb0jlp
>>245
> 研究で「薩長同盟の実現を企図し、そのために奔走した」ということが
> わかってから評価が変わったよね。

そしてそう言った過去の評価は現在、間違いだったことも解っている。
実はそれ以前の「メッセンジャー程度の役割」のほうが正しかった。

現代の竜馬がゆくに準拠した竜馬像は、完全なファンタジー。
0247人間七七四年2011/06/28(火) 19:16:41.35ID:usHvscul
>>240
説明されなくても俺はそんなの知っている、と思ってるお前がアスペだ!!
一方的な思い込みで話すから通じないんだ。

>>246
只のメッセンジャーが裏書きしても何の保証にもならんだろ。
0248人間七七四年2011/06/28(火) 19:17:15.27ID:vMcsR2WB
そういえば龍馬でなく、竜馬にしたのは司馬先生があまりに想像で書いたところが多すぎるので、
ちょっとフィクション小説っぽさを出そうとして一般的な龍を避けたと聞いたことがある
0249人間七七四年2011/06/28(火) 19:29:39.49ID:k/cQiDAj
なんでアンチ佐久間っぽい珍種が湧いてるんだ?
光秀ファンか?
0250人間七七四年2011/06/28(火) 19:35:07.74ID:i7Sb0jlp
>>247
> 只のメッセンジャーが裏書きしても何の保証にもならんだろ。

あの当時の龍馬は土佐藩の後藤象二郎や板垣退助といった親薩長派の京都代理人。

龍馬の裏書とは、「土佐藩の親薩長派はこの同盟を確認しました」という意味。
というか、それ以外ではあらゆる意味で龍馬個人の裏書なんて意味が無い。
0251人間七七四年2011/06/28(火) 19:37:58.28ID:58KfekKk
つか司馬以前でも龍馬主役の小説がヒットしたし、それなりに著名だったと思うけどな
0252人間七七四年2011/06/28(火) 19:44:56.98ID:usHvscul
>>250
代理人とメッセンジャーでは重みが全然違う。
0253人間七七四年2011/06/28(火) 19:48:21.38ID:i7Sb0jlp
>>252
全体を通してはメッセンジャー的役割
薩長同盟の時期に限れば土佐藩新薩長派代理人

これで満足か小僧?
0254人間七七四年2011/06/28(火) 20:19:55.38ID:usHvscul
>>253
そんな都合のいい話があるか。
0255人間七七四年2011/06/28(火) 20:53:29.91ID:dKI/isO5
純粋な質問なんだが、なんで佐久間にしか注目しないの?
他にも同じように不遇の武将はいるでしょ?
それとも他の似たような不遇の武将にも同じくらい執着して愛を注いでいるのかな
そうでないから贔屓武将補正の話にしかならないんだよな
0256人間七七四年2011/06/28(火) 20:58:28.90ID:usHvscul
それは佐久間スレだからだ。
0257人間七七四年2011/06/28(火) 21:02:26.35ID:i7Sb0jlp
>>254
都合のいいも何も代理人っていっても決定権のある存在でもなんでもないんだぞ?
代理人というものに何のファンタジーを持っているのかしらんが。
もっとはっきり言えば「見届け人」だ。後藤や板垣に顎で使われている存在にすぎん。
あまつさえ回天の中心に居た人物なんて評価は、噴飯物だわ。
0258人間七七四年2011/06/28(火) 21:28:06.70ID:usHvscul
>>257
それじゃやっぱり何の保証にもならんだろ。
0259人間七七四年2011/06/28(火) 22:21:48.37ID:hqN8jk9I
>>258
交渉権のない名代。
表立って薩長同盟に関与することが出来ない土佐のダミー。
黒幕の後藤らに代わって、名前貸しただけ。
実力はないけど、やたら顔だけは広くて有名だったから。
0260人間七七四年2011/06/28(火) 23:21:35.56ID:2AL5+9sI
>>255
スレタイみればここがなんのスレか分かるだろアホかw

>>258
知名度が保証になるんだから最高の保証だろw
0261人間七七四年2011/06/29(水) 09:53:13.40ID:BIokE5Na
信盛の腹心って言えば誰だろ?
勝家や光秀や秀吉の腹心は名前が残ってるけど、
信盛のは名前聞かない。
0262人間七七四年2011/06/29(水) 12:15:02.27ID:z6kt/Jtu
>>132>>144
Wikipediaにも似たような記述があるけど、本能寺の変で光秀が率いた軍勢は丹波衆ばかりだし
数も13000くらいだろ?
畿内の軍勢は関係ないというか、むしろ変後協力断られてばかりやん
0263人間七七四年2011/06/29(水) 13:01:33.38ID:M/zmJRx3
「腹心」といえるかどうかはわからんが、配下としては
畠山昭高とか保田知宗とかの名前は知ってるかな
0264人間七七四年2011/06/30(木) 00:48:15.26ID:JmEagF71
歴史小説を書いてみました 2011年06月25日17:03

今日はあまりにも暇だったので、歴史小説まがいなものを書いてみました(笑)
題材は信長公記巻13の宇治橋御見物の事の原文を参考にしました。
讃美歌流の信長像を書いてみましたが、賛否はあるかと思います
興味のある方は読んでいって下さい

********************************************************************

天正8年8月、織田信長は、親鸞以来、本願寺教団の本山として法灯をかかげてきた石山の地を11年という長き闘争の末、この地を手に入れることに成功した。
石山本願寺の明け渡しが終わると、8月12日に信長は京都を出て宇治橋からの景色を楽しんだあと、船で大阪に下り、天満の陣所へ入った。

『もう、あやつはいらぬだわ』信長はそうつぶやくと、近侍に楮紙を用意させた。
普段、信長は自筆で書状を認めることは滅多にない。
祐筆に書かせるのが常である。

そこで彼はまず『覚』と書き入れた。
彼の脳裏には先ほど見た石山本願寺の無残な焼け跡が蘇った。
『5年もかかって、こんな結末かや。』
信長の繊細な口辺が微かに歪む。。。
そして一気に筆を走らせた。
【一、父子五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、世間の不審余儀なく、我々も思ひあたり、言葉にも述べがたき事】。。。
世に言う佐久間信盛折檻状である。
【一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇にも構へず、調儀・調略の道にも立ち入らず、たゞ、居城の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り侯へば、彼の相手、長袖の事に侯間・・・・・】
書いているうちに、昨年まで織田家のために粉骨砕身して、敵城をことごとく攻略した部将達の顔が脳裡に浮かぶ。

風のない陣所の中で、灯心の炎が妖しく揺らめくのを信長は凝視しながら、額が広くやや神経質な顔立ちをした惟任(明智)光秀を脳裏に描く。
『同じ5年ながら、あやつが器量と功績は織田家随一だで』。。。
【丹波国日向守働き天下の面目をほどこし侯】と書き入れた。


『いや、平定した国の広さならば、あやつの方がもっと上かや・・・』顔中皺だらけで矮小な体をした猿面の羽柴秀吉を思い描く。
【次に、羽柴藤吉郎、数ケ国比類なし】

次に浮かんだのは、自分と乳兄弟ながら、あまりその能力を認めてやらなかった男だった。
朋輩である前田利家や佐々成政などは若年の頃より母衣衆に取り立てられ、信長の軍事の中心として活躍し今や国持ち大名となっている。
ところが、彼はごく最近、この大坂の近くで素晴らしい武功をたてた。
池田恒興である。
『身上の小さきやつでも、一生懸命だわ』
【池田勝三郎小身といひしも、程なく花熊申し付け、是れ叉、天下の覚えを取る】

今度は逆に大身の部将の顔が浮かんだ。
荒々しい如何にも武者らしい髭をたくわえた、もう初老にさしかかった柴田勝家の顔。
『欲ではない。武家としての誉れだわ。あやつも誉れのために、キンカンや猿に遅れをとるまいと頑張っておるのだわ』
【柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知しながら、天下の取沙汰迷惑に付きて、此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付けし事。】

『それにひきかえ、信盛めには柴田以上の待遇を与えていたではないかや』
信長の相貌が憤怒にかわり、こめかみには癇筋が走る。
【信長家中にては、進退各別に侯か。
三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、河内に与力、和泉に与力、根来寺衆申し付け候へば、紀州に与力少分の者ども候へども、七ケ国の与力】
『7カ国もの与力に自分の家臣を合わせて戦えば、よもや負けることがあらずか!』
信長は書いているうちに更に苛立ちが増してきた。
信盛に対する日常の不首尾、心がけの至らなさ、思い浮かぶことを激情に任せて次々と書き連ねた。
信盛が、昔は数々の手柄を立てた織田の古参の宿老であることも、その時は忘れていた。

【信長代になり、三十年奉公を遂げたるの内に、佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし侯儀、一度もこれあるまじき事。】
0265人間七七四年2011/06/30(木) 00:51:21.02ID:JmEagF71
佐久間信盛の手柄のことなど、この時は頭から離れているのに、7年前に悔しい想いをしたことが脳裏に蘇る。
それは朝倉軍退却を見逃した配下である部将達を、信長が叱咤した時だった。
信長は甲高い声で、部将達を罵った。
『おぬしどもは、儂が数度の下知を何と聞いたでや。
敵の様子を見合わせ仕掛けざりしは臆したるか!』
すると信盛だけがこう抗弁した。
『さように仰せられまするが、我らほどの家来は、なかなかに持たれまじきと存じまする』

信長はこの時の信盛の言葉を、脳裡に焼き付けて忘れず、追放する時の罪状の一つとしたのである。
そして次の言葉で、19条に渡る折檻状を締め括った。
【天下を申しつくる信長に口答申す輩、前代に始り侯条、爰を以て、当末致すべき二ヶ条、請けなきにおいては、二度天下の赦免これあるまじきものなり。】

そして当末致すべき二ヶ条とは、一つ目が、どこかの敵を征服して帰参するか、討ち死にする。
二つ目は、親子共々、頭を丸めて高野山に蟄居し許しを請うこと、であった。

信長は思案する。
『佐久間めが、一つ目を選択するならば、今後も使うてやらあず。
しかし二つ目を選択したるみぎりには、ここまでの男と見切りをつけて追放するしかあるまいの。。。』

やがて楠木正虎・松井友閑・中野重吉の3名が呼ばれ、この折檻状が佐久間に届けられた。
これを被見した佐久間親子は大いに驚き、取るものも取り合えあえず高野山へ向かった。
それを聞いた信長は
『口ほどにもないやつ。。。』
二つ目を選択した信盛に対し信長は落胆した。
そしてその落胆は再び怒りに変わり、
『儂は信盛めにチャンスを与えたのだわ。
残る敵を討ち平らげ攻略するか、討ち死にするかという、武士てしての誉れを与えてやったのだわ。
それを簡単に捨て去り高野へ逃げざりしか。
もはや信盛には儂が家来の値打ちはなし!』
そう思った信長は、信盛を高野山への退去することも禁じ、さらに奥熊野へ向かわせたのである。
共をする者僅かに小姓3名を許されただけである。

その一年後の天正9年7月24日、佐久間信盛は十津川で死去。

その後は織田家内部の新体制への改革が強化されていく。
信長は新たな前進を始めるときには、まず自分の周囲、自軍を調律し、不協和な者は容赦なく切り捨てる。
常に緊張させ活性化させることで組織の劣化を防ぐためである。
組織を成長させ、より天下布武に近づくために、信長は感情的になることを自ら戒めているのである。


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0266人間七七四年2011/06/30(木) 00:53:28.05ID:JmEagF71
イイネ!(10)

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さば坊
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0267人間七七四年2011/06/30(木) 00:58:32.70ID:JmEagF71
るび2011年06月25日 17:28

短氣、癇癪もち等々いわれていますが…

信長公ほど我慢強い武将はいないかなと。

土曜日の夕方、楽しませて下さり、ありがとうございます


ゆみんこ2011年06月25日 18:15

お〜本格的ですね
私も信長・濃姫・光秀でひとつ書いたことがありますがライトノベル形式なのでここまで事細かじゃないです(^_^;)


尚子2011年06月25日 20:37

すごーい!もう、mixiの中だけじゃなくて、本だしちゃってください!


いっしん2011年06月25日 22:10

おぉ!凄い!信長の表情が浮かびます(`・ω・´)

書く人によって全然違うそれぞれの武将像を楽しめるので歴史小説は大好きです(*゚∀゚*)
讃美歌さん、またお時間ありましたら是非とも続きを!


アイラ(´A`)2011年06月26日 00:56

す…すごい…本当に歴史に詳しくなければここまで書けないと思います
私もいつか書いてみたい〜!
今はまだ色々歴史小説読んで研究中です


福丸2011年06月26日 08:08

昨夜コメントしたんですが・・
酔っぱらって書いていて
何だかあやしかったので削除しました

信長のお国ことばのつぶやきが、いいですね
讃美歌13番さんが信長に心酔しているのがよく伝わってきました

信長みたいな上司だったら、私は真っ先にクビになりそう


さくら2011年06月26日 10:33

ゆっくりじっくり読んだのでコメント遅くなりました
讃美歌さんいつも綺麗な文章書かれますよね
実は本出されてたりして…とか思ってます



ふぁみちゃん2011年06月26日 11:53

さらさらっと 書けちゃうなんて凄いですね
やっぱり 才能なんだなぁ…(*^^*)
0268人間七七四年2011/06/30(木) 01:06:25.21ID:JmEagF71
サカ2011年06月26日 12:20

信長役に、竹内力が、キャスティングされたら、インパクトありそうですよね


讃美歌13番2011年06月27日 12:43

るびさん
コメントありがとうございます

私も全く同感です。
蘇峰はこの佐久間折檻状で、極めて冷酷と評していますが、私はそうは思いません。
書いたようにチャンスを彼に与えたのだと思っています

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 12:48

ゆみんこさん
コメントありがとうございます

信長のセリフはあくまで私の想像です(笑)
信長公記の原文を引用して信長の心理を讃美歌なりに表現してみました

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 12:52

尚子さん
コメントありがとうございます

もっと人生経験を積んで10年後には歴史作家を目指しますか(笑)
なんて…まだまだ出版出来るほどの技量はないです

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:00

いっしんさん
コメントありがとうございます

仰る通りですね
私が今回、佐久間折檻状を小説風にしたのは、信長の人事考課のあり方についてや、人材リソースや組織構築の戦略について、どう捉えていたかを表現してみました
また機会があれば書いてみます

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0269人間七七四年2011/06/30(木) 01:09:18.44ID:8npnm+GQ
折檻状を見ると与力ばかり酷使させて自分は遊んでたんだろ?
これどう考えてもやってはいけないことでしょう
0270人間七七四年2011/06/30(木) 01:10:37.96ID:JmEagF71
讃美歌13番2011年06月27日 13:05

アイラさん
コメントありがとうございます

一次資料は文章が分かりづらいので、訳文のあるものがオススメです。
そこから登場人物のキャラクターを設定して心理描写を行いセリフを想像すると良いと思います
アイラさんの小説、出来ましたら是非拝見したいです

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:15

福丸さん
コメントありがとうございます

確かに私は信長に心酔しております
さすがですね
お国言葉はかなりいい加減なので心配です(笑)
名古屋の方に校正をお願いしたいです

信長はホウレンソウが大事だと言っています。
きっちり、報告、連絡、相談をすれば大丈夫です。
ちなみに秀吉は宇喜多との同盟を信長に相談もなしに決めてしまい、信長の逆鱗にふれました
佐久間への折檻状にも、ホウレンソウがなかった事を大変怒っています
事後報告は禁物ですよ

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:20

さくらさん
コメントありがとうございます

お褒め頂き光栄です。
文章で伝える事ってなかなか難しいですね^_^;まだまだ未熟です本は出してませんが、作家には憧れますね
まー無理ですけど(笑)

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:23

ふぁみさん
コメントありがとうございます

さらさら書くだなんて、とんでもないですよ(笑)
4時間かかりました
まさに生みの苦しみですかね

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0271人間七七四年2011/06/30(木) 01:12:15.07ID:JmEagF71
讃美歌13番2011年06月27日 13:26

サカさん
コメントありがとうございます

信長のキャスティングまでして頂きありがとうございます(笑)
任侠的な信長も斬新ですね

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0272人間七七四年2011/06/30(木) 03:31:09.86ID:odQU9kCF
>>265
> 高野へ逃げざりしか

これ意味逆になってるよ
「逃げなかったのか」という意味になってしまってる
「逃げてしまったのか」という意味にしたいなら「逃げたるか」
0273人間七七四年2011/06/30(木) 03:32:57.82ID:odQU9kCF
>>269
だからな、書いてあることが全部本当にその通りかどうかわからんだろ?
だれがどういう意図で何の目的で書いたのかを含めて考えないと
史料批判っていうのも元々はそういうことだよ
0274人間七七四年2011/06/30(木) 03:51:46.22ID:BL0zeHzg
でもよく謀反起こさなかったな 1万ぐらいの軍勢なら思い通りに使えたんじゃね?
0275人間七七四年2011/06/30(木) 04:26:36.34ID:ukKKPB0V
>>274
信長に1万程度の軍勢で謀反しても勝算ないだろ…。
信忠が尾張・美濃の軍に、手が空いてる畿内の軍を加えて攻めて来たら勝ち目がない。
武田の脅威はないから、信忠軍はフリーハンドだし。
0276人間七七四年2011/06/30(木) 23:44:47.64ID:h8hYZy/W
挽回の機会を放棄して高野山に逃げた信盛に謀反を起こすモチベーションなんてそもそもなかったでしょ
0277人間七七四年2011/07/01(金) 00:25:03.37ID:cX/5OSMr
謀反起こすくらいの気概があれば糾弾状もらわねえだろ
0278人間七七四年2011/07/01(金) 00:32:37.97ID:LMnsRfGH
忠義の譜代に何を期待してんの?
0279人間七七四年2011/07/01(金) 00:35:55.34ID:ky7G3nda
そもそも信長は折檻状を出す時は、慎重に信盛をその軍団から引き離した上でやっておる。
直前までその素振りも見せず、ほとんど騙し討ちの状態で折檻状→追放。
0280人間七七四年2011/07/01(金) 03:06:59.17ID:cX/5OSMr
ああ、信長ってわるいやつだったのか!
0281人間七七四年2011/07/01(金) 20:40:13.07ID:OtEv40el
>>279


家康の堺行きもある意味危なかったんだな・・。

明智も国替えとなると近江衆、丹波衆とは別れることになるし・・。
0282人間七七四年2011/07/01(金) 23:21:34.58ID:X9kVQ2Rq
軍団つーてもいろんなところからかき集めた与力じゃなかったっけ?
本願寺戦が終わった時点で彼らを信盛の側に置いておく必然性なんかないと思うけど
つーか信長に告げ口したのって与力の連中じゃないの?
保田の書状がどうのこうのとか折檻状にあったし
0283人間七七四年2011/07/02(土) 02:12:08.49ID:8mhvj4y/
そもそも大坂の佐久間の元に折檻状を送りつけたのだから、軍団から引き離したとか何のこと?
0284人間七七四年2011/07/02(土) 02:45:12.26ID:i4w0EXKr
>>282
兵馬の権ってやつかな 
なんかNHKの歴史番組で、佐久間の軍団って当時織田家最大兵力で、
その軍団を解体して再編成したいがためにああなったとかなんとか聞いた気がする
0285人間七七四年2011/07/02(土) 02:48:05.99ID:k42r7vME
>>282
人望無かったってことか…
0286人間七七四年2011/07/02(土) 13:03:24.52ID:Y8eVGx/F
折檻状にあるように与力にばかり負担させて自分は蓄財&茶の湯三昧だったとしたら恨むことはあってもかばうことはないだろうね
0287人間七七四年2011/07/02(土) 16:38:06.06ID:dg2HQKEq
>>264-268
>>270-271
痛い連中だな。
0288人間七七四年2011/07/04(月) 06:15:04.44ID:9GFxeSMv
>>286
逆に与力に気を遣って温存したりしても、それはそれで信長に
叱責されると思うけどな
「わしがわざわざ与力をつけてやったのにまったく使わず
自分だけが手柄を独り占めしようとしている」とか言われるでしょ
0289人間七七四年2011/07/04(月) 15:44:09.51ID:d7Wl5DYV
織田家はブラック企業の体質があって、信長公は密告を奨励してたらしい
柴田勝家の北陸方面軍もほかの部隊から毎日朝から酒を飲んでいるとかチクられてたらしい
0290人間七七四年2011/07/04(月) 16:59:25.04ID:7YuIrJ+h
つーか今の基準ならどこもかしこもブラックだろうて
0291人間七七四年2011/07/05(火) 00:50:42.17ID:ZS8NainO
らしいらしい
ブラック企業じゃない大名を教えて欲しいものだ
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