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【信盛・正勝】佐久間一族を語る2【盛政・盛重】

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0001人間七七四年2011/01/30(日) 17:29:57ID:4dXHFJUm
織田信長の有力家臣として活躍しながらも、
折檻状(偽書の可能性もあり)を突きつけられて追放・客死した「信盛」や、
柴田勝家の右腕・鬼玄蕃として名をなすも、
賤ヶ岳の合戦では敗れ処刑された「盛政」などを中心に、
江戸期には大名や旗本で生き残った佐久間氏一族の興亡を語りましょう。
※今までのまとめは>>2-5の辺り。


武家家伝_佐久間氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sakuma_k.html

佐久間氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%B0%8F

■過去スレ
織田家家臣団の筆頭格・佐久間信盛
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157214776/
0002まとめ2011/01/30(日) 17:30:45ID:4dXHFJUm
佐久間信盛の業績。
・信行謀反時に大多数の譜代が信行についた中、信長に味方した。
・無難に堺接収。
・三方が原に援軍として出向き、損耗を最小限に抑えて、退却。
・長篠の戦いでは武田家に偽りの謀反を打診。勝頼おびき出しに功有り。
・石山包囲戦では指揮官として損害の大きい我攻めを避け、被害を最小限に抑える。
・次第に電波化してきた信長に絶望し、故意に職務怠慢することで、
 織田家放逐。諸将に警鐘を鳴らし、光秀謀反を引き出す。
0003まとめ2011/01/30(日) 17:32:42ID:4dXHFJUm
※信長の折檻状の内容

一、佐久間信盛・信栄親子ともども天王寺に五年間在城しながら何ら功績もあげていない。
  世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり口惜しい思いをしている。

一、何ら功績もあげていない信盛らの気持ちを推し量るに石山本願寺を大敵と考え、
   戦もせず、調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、
   幾年かもすればゆくゆく信長の威光によって引き下がるであろうという見通しだったのか。
   武者道というものはそういうものではない。 
   勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても本意なことであのに、
   一方的な思慮で持久戦に固辞し続けたことは分別もなく浅はかなことである。

一、明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこし、羽柴秀吉の功労も比類なし。
   池田恒興は少禄の身であるが摂津花隈を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。
   これを以て奮起を発し一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、武力に不甲斐ない者は謀略などをこらし、相足らぬ所を報告し意見を聞きに来るのに、五年間それすらない。
0004人間七七四年2011/01/30(日) 17:32:57ID:peEWCtek
正勝って正しくないんでしょ?
0005まとめ2011/01/30(日) 17:34:00ID:4dXHFJUm
一、信盛の与力・保田知宗の書状では本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろうろあり、信盛親子も連判している。 
  今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすためあれこれ理由を付け言い訳しているのではないか。

一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。
  三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。
   これに自身の配下を加えれば、どんな一戦を遂げようともこれほど落ち度を取ることはない。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので家臣も増えたかと思えばそうではない。
  水野の旧臣を追放しておきながら、跡目を新たに設けるでもなく。
  結局、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄としてしまうのは言語道断。

一、山崎の地も同様で信長の声かかりの者まで追放してしまう有様。  これも先の刈谷と同じである。

一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。
   ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。  これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。

一、先年、朝倉をうち破ったとき、戦機の見通しが悪いとしかったところものともせず、結局自身の正当性を吹聴し、
   あまつさえその場を立ち破るに至って信長も面目を失った。
   その口程もなくここに在陣し続けていまの働きの程は前代未聞である。
0006まとめ2011/01/30(日) 17:35:30ID:4dXHFJUm
一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。
   その上、いい加減な働きをすれば、行き着くところ親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になる。

一、与力を専ら使役し、他への取り次ぎや戦事にはこの与力で軍役を済まし自身の家臣を使わない。
   領地をただ遊ばせ無駄にしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。
   自身の思慮を自慢し穏やかなふりをしても綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になり30年間奉公し信盛の活躍は比類なしと言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方が原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。 
   しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、
  その甲斐あって運良く戦死を免れたと人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。
   あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、汚名を濯いだ上帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
0007まとめ2011/01/30(日) 17:36:48ID:4dXHFJUm
寛政重修諸家譜の信栄(正勝)の項には

後明智光秀が讒により父信盛とともに高野山にのがる。
信盛死するののち、右府其咎なきことを知て後悔し、
正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。

とある。
0008人間七七四年2011/01/30(日) 17:39:59ID:4dXHFJUm
とりあえず、こんな感じで。
0009人間七七四年2011/01/30(日) 18:32:55ID:P+KnBgM/
うんこびちびちやねん
0010人間七七四年2011/01/30(日) 23:25:50ID:ZI1DLJkS
>>4
何をもって「正しい」というの?
寛政譜では正勝になってるので、少なくとも子孫からは正勝と
認識されていたことは確認できるよ
0011人間七七四年2011/02/02(水) 01:58:30ID:pdj1f4jt
なんでそう攻撃的なんだろう
ほのぼのいこうぜ
0012人間七七四年2011/02/02(水) 11:06:03ID:g86z/Mmh
『寛政重修諸家譜』では正勝、『佐久間軍記』では信勝らしいが、
「信」の字は追放された時に憚り、外して「正勝」にしたのかな?
代々の通字って程は定着してなかったし。
0013人間七七四年2011/02/02(水) 16:04:40ID:wVsivOWY
谷口克広著「織田信長家臣人名事典」より
一般にいう「正勝」に関しては、文書の裏付けがない。
>>10の論理でゆくならば、真田幸村も正しいことになるけど?
0014人間七七四年2011/02/02(水) 18:02:11ID:9m12kzzJ
>>12
信盛の「信」は、信秀か信長からもらったんじゃないかと思う

>>13
だ〜から〜。「正しい」というのは、何を意味するの、って話でしょ
ひとりの人の名乗りが、何か現在の戸籍か住民票のような「正式な」
登録みたいなのがあって、ひとつだけが「正しい」という世界だったの、当時?
違うでしょ?
「今のところ、正勝とする同時代の史料が見つかってない」というだけで「正しくない」
というのは東大史観的な古い定説主義くさい

そもそも書状などでは通称(仮名)を書く場合が多かったので、名乗りが書かれた
史料が出てこないからといって「そう呼ばれていなかった」と結論づけることは
そう簡単にはできない
0015人間七七四年2011/02/02(水) 18:14:03ID:wVsivOWY
信長の重臣、林秀貞を「通勝」としてる江戸時代の系図なんて
信用できない。
谷口氏だって「信栄」という署名文書があるからそれを
採ってるんだと思うが。
だいたい父が信盛なのに子が「正勝」っておかしいよ。
たいていは父の一字を貰うものだ。
0016人間七七四年2011/02/02(水) 19:55:34ID:g86z/Mmh
>>14
信盛から信が付いてるからそうだろうね。
後に許されて帰参してるから、その時に信勝か信栄にしたのかも?

>>15
林通勝は松永家の家臣と混同されたんだっけ?

でも、尾張や美濃の林は伊予の河野氏由来の林という説もあって、
河野の通字が「通」だから、完全には否定出来ないって2chで見た気が。
0017人間七七四年2011/02/02(水) 21:31:55ID:9m12kzzJ
通字というのは必ずしも絶対的なものではないので、それを根拠に
名前が「正しい」とか「正しくない」というのは無理がある
源氏の嫡流は「義○」だけど、義朝の嫡子は頼朝、その嫡子は頼家
というように、常に同じとは限らない

「正しい」とか「正しくない」ではなくて、史料によっていくつか異なる
名乗りが伝わっているが、なぜかは詳しいことはわからない、ってこと
無理に「どれかひとつの名乗りだけが正しく、残りは正しくない」と
断定しなければならない理由もないし、断定できるほどの根拠もない

「わからない」という保留状態で理解する、ということができない人には
歴史の話は向いてないと思う
0018人間七七四年2011/02/03(木) 15:07:00ID:HTKLZbre
ま、尊氏の子は義詮だしな
0019人間七七四年2011/02/03(木) 18:49:52ID:nFfllNih
そもそも何で3つも4つも名前があったりするんだ?
スレチだが
0020人間七七四年2011/02/03(木) 19:20:08ID:FS/A9y+S
>>19
諱を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174058450/

大して重要なことでもなかったからな>下の名=諱は。
出世魚や源氏名みたいにコロコロ変える。

あと現在でもファーストネームは親しい人だけで、
普段は「名字」や「ニックネーム」や「役職名」で呼ぶでしょうに。
0021人間七七四年2011/02/03(木) 19:22:28ID:79uf2Ojk
鬼玄蕃佐久間盛政もうちょっと評価されてもいいところ
前田利家が逃走したことで負けたけどそれまではいい活躍だった
それが敗因にされるとはアワレ
0022人間七七四年2011/02/03(木) 21:10:53ID:3mMdAO7P
秀吉も自分の配下にしようと口説いたんだよね、盛政は
0023人間七七四年2011/02/04(金) 08:34:18ID:E/M9uf2a
勝家の配下で一番最初に国持になった、しかも二十代でだから、評価が高かったことは間違いない
少なくとも利家や成政よりは高く評価されていたのは疑いない
0024人間七七四年2011/02/04(金) 08:44:18ID:IooMH7/8
盛政って与力だったんだ、ふーん
0025人間七七四年2011/02/05(土) 09:37:46ID:pP3D7ex6
そう。柴田勝家の家臣と書いてあるのは間違い。身分的には信長の直臣
0026人間七七四年2011/02/05(土) 13:02:44ID:GTV4XrCn
柴田の目付だっけ?
0027人間七七四年2011/02/05(土) 14:57:22ID:6UxHH6Tk
盛政の父の盛次が若いうちに亡くなったので、母方の叔父(伯父)だった
柴田勝家が父親替わりみたいになってくれてたらしいね
0028人間七七四年2011/02/05(土) 15:00:08ID:cT+M9lot
あれ? 前田利家と佐々成政とあと現地の武将ひとりが信長の目付、監察官で、
佐久間盛政は柴田勝家の部下じゃなかった?
0029人間七七四年2011/02/05(土) 17:55:38ID:6UxHH6Tk
>>28
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%AE%B6#.E5.AE.B6.E8.87.A3.E3.83.BB.E4.B8.8E.E5.8A.9B
0030人間七七四年2011/02/05(土) 20:00:27ID:gue2yN/k
>>24>>25
蜂須賀や竹中を秀吉の家臣といってるのと同じ間違いだな。
0031人間七七四年2011/02/06(日) 05:13:06ID:7W5f202B
>>14
ちょっと違うね。
正勝となっているのが、後世のましてや二次史料だけならば、
「わからない」とは言わない。
参考程度に過ぎない。
そもそも学問というものを理解していない文章だよ。
0032人間七七四年2011/02/06(日) 12:22:03ID:DXs0Wu5z
はいはい
チラシの裏にでも「ボクの考えた正しい諱」でも書いとけw
0033人間七七四年2011/02/06(日) 13:20:35ID:rit8ZT6W
歴史を少しでもかじった人間なら、「今まで見つかっていない」と「存在しない」は同じでは
ないことは当たり前のことだと知っているはず
これまでにも「今まで見つかっていなかった」ものが新たに発見された事例がいくらでもあるわけで
太安万侶にしても武蔵坊弁慶にしても山本勘助にしても前田慶次郎にしても同時代史料がないから
実在しないという人もいたがすべて後に史料が新発見されて実在が確認された

つまり、今まで見つかっていなくても今後未来永劫見つからないと決まってはいないので「わからない」
と保留するのが妥当
0034人間七七四年2011/02/06(日) 18:54:14ID:uUr5Kxfq
道がそれてるし話が細けえ事になってんな
資料や信憑性や歴史を語るにあたって(笑)なんて基本的な事までご丁寧に論議しねえといけねえのか、くだらねえ
ガキや知ったかぶりやニワカはおいといて、その先の話で楽しもうぜ
0035人間七七四年2011/02/06(日) 20:25:35ID:DXs0Wu5z
左京亮信辰という信盛の弟もあまり取り上げられないよね
そこそこ活躍していたみたいだし、子の信重の家系は旗本で続いてるんだけどね
0036人間七七四年2011/02/06(日) 20:55:49ID:iF+whgWT
>>35
どんなコネで旗本に召し抱えられたんだろ?
血縁関係か、三方原の一件でで徳川と懇意にでもなったのかな?
0037人間七七四年2011/02/06(日) 21:19:06ID:DXs0Wu5z
>>36
小牧長久手あたりの関連らしい
0038人間七七四年2011/02/12(土) 04:14:12ID:OTZvASYe
>>33
それは突拍子も無い考えだね。

たとえば上杉謙信は女性である。
という話は「わからない」とするのか?
女性でないという証拠はないけど…。

あと弁慶が実在するって、どこで証明されたのか?
0039人間七七四年2011/02/13(日) 01:08:04ID:HfkTjDmr
佐久間甚九郎正勝と天海の関係 夜須町と日本の古代
http://9009.teacup.com/cojimagu/bbs/397

>>35-37
正勝が信雄の家来だったから、その時か。
0040人間七七四年2011/03/08(火) 18:02:31.78ID:gKLR2dvM
> たとえば上杉謙信は女性である。
> という話は「わからない」とするのか?

寛政譜にそう書いてあるのならな。
まったく話の前提を理解しとらんな。
0041人間七七四年2011/03/08(火) 18:35:28.76ID:OZLQzX7p
結局大名としては生き残れなかったな。
0042人間七七四年2011/03/08(火) 18:55:37.50ID:gKLR2dvM
飯山藩の無嗣はあの当時では仕方ないけど。もっと後の時代なら末期養子もできたのにね。
長沼藩のは大失敗だよなぁ。養子が養家を潰すとかね。せっかく分知して分家してたのも全部無駄になるし。
0043人間七七四年2011/03/09(水) 09:27:39.15ID:49kd9wV/
坂の上の雲に出てくる秋山兄弟の下宿先の元旗本佐久間家はどの系統だろう?
0044人間七七四年2011/03/10(木) 18:59:43.12ID:LEJntvlJ
屋敷が麹町だったらしいが、信盛系の家に該当する家はなさそうだな。まあ、寛政期から屋敷が移転してたら別だが
0045人間七七四年2011/03/10(木) 20:55:15.80ID:GAMhQvrc
>>40
江戸時代にそう認識されていたってだけの話だろ。
同時代の文書にどうあるかが問題。
信長の家老、林秀貞を「通勝」としているような系図類だぞ。
その論理でいくならば「真田幸村」も正しいことにならないか?
0046人間七七四年2011/03/10(木) 21:47:49.64ID:imCNgmVc
マイナーだけど奥山盛昭・正之親子も佐久間一族
というか桶狭間で戦死する佐久間大学の子孫
関ケ原で丹羽家の旧臣軍団の一員として西軍について改易されちゃったが、
残っていれば長沼藩なきあとも佐久間系の大名だったのに…

しかしなんでわざわざ改名したのかね?苗字変えなきゃならないほど佐久間盛政とも近くないし
0047人間七七四年2011/03/11(金) 10:53:11.04ID:SDqSnAcF
>>46
盛政の妻が大学の娘。つまり盛昭とは義理の兄弟。
0048人間七七四年2011/03/27(日) 17:35:26.43ID:Uw+pHHNw
大河ドラマでの盛政の扱いが酷すぎて泣ける
0049人間七七四年2011/03/28(月) 11:56:13.54ID:9huerQbo
米五郎左 木綿藤吉 かかれ柴田にのき佐久間
この唄が流行ったと書いてある書物は何時頃書かれた物ですか?
0050人間七七四年2011/03/28(月) 19:12:24.37ID:3yaG6X5F
何時頃?
夜8時ごろじゃね?
0051人間七七四年2011/04/05(火) 23:43:12.17ID:QjgdmVcx
「佐久間盛政の人物像」
http://gouhime.blog119.fc2.com/blog-entry-90.html
0052人間七七四年2011/04/16(土) 00:39:20.42ID:tJESBJ7Y
「柴田勝家です」
「佐久間盛政です」
「森長可です」
「三人合わせて!」
「【鬼】トリオで〜す♪」
0053人間七七四年2011/04/27(水) 22:09:10.42ID:foV+oeRW
信栄は茶会とかにぶらりと現れたりしてて結構、悠々自適に暮らして人生楽しんでそう。
0054人間七七四年2011/04/28(木) 04:55:18.03ID:AWDZ+b1z
なにしろ佐久間一族で一番子孫が繁栄したのは信盛・信栄の子孫だしな
0055人間七七四年2011/04/28(木) 12:47:35.11ID:9wdQyX8x
佐久間は本願寺相手に苦労したが破綻もせずに優秀だよマジで
0056人間七七四年2011/04/28(木) 15:26:25.94ID:BxmBTu1a
よく思うんだけどさ
たしかに信盛に注目して、キッチリ冷静に公平で平等に評価すれば、信盛の評価は上がると思うよ
でもそういう風に他の武将も丁寧に見ていけば、相対的にまた評価低くなると思うんだよね
おらが村の英雄の地方豪族とかで、その地元だけでクローズアップされてるドマイナーな武将って、みんなその理屈だと思う
0057人間七七四年2011/04/28(木) 16:54:39.65ID:oSW6eTyZ
佐久間信盛の場合は、信長による機内佐久間軍団の解体、光秀への委任が、
そのまま本能寺につながるからな。
0058人間七七四年2011/04/28(木) 22:48:50.96ID:vi9AlDag
有名な作家が有名な作品で取り上げただけで評価が跳ね上がるから
世間的な評価なんてあんまりあてにならないと思うけどね
0059人間七七四年2011/04/28(木) 22:52:12.21ID:qN7xnvWC
よくしらんけど信長公は父の急死をうけて御屋形になったから、その直後はかなりやばかったんじゃね?
そのころ佐久間信盛は相当活躍したと思う よく知らんけど
信長公の叔父とかとの抗争もけっこう激しかったし
0060人間七七四年2011/04/28(木) 23:01:54.44ID:uyuxauSL
>>59
「信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、佐久間右衛門比類無き働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事」
0061人間七七四年2011/04/28(木) 23:13:56.69ID:9tcmQnw0
稲生の戦いでも信長派の中心人物だったし
0062人間七七四年2011/04/28(木) 23:30:50.27ID:ZLZH/JQ7
>>60
熟年離婚する奥さんが旦那に対して吐きそうな暴言だな・・・。
0063人間七七四年2011/04/29(金) 00:09:44.73ID:gWumNjXj
パワハラ上司から居丈高に
「お前は会社の為に充分に貢献してると思ってるのか!」と言われ、
しかも「充分に貢献してる」と言えない空気の屈辱感は異常。
0064人間七七四年2011/04/29(金) 00:21:48.62ID:plCLLynY
言われるなりの事をしてるってこった
保身や遊泳術を身につけず、調子に乗るから
上司や他人のせいにしちゃダメ
0065人間七七四年2011/04/29(金) 04:10:08.69ID:nGftkkwS
命令するだけの立場は気楽でいいよな。
0066 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 2011/04/29(金) 09:19:32.65ID:lTshcuEv
>>59
平手と佐久間ぐらい? 信長与党は。
0067人間七七四年2011/04/29(金) 13:19:58.08ID:gWumNjXj
実際もっとたくさんいたと思うよ
太田牛一も知らないことを書いてるだけだからどこまで事実かもわからん
0068人間七七四年2011/04/29(金) 16:51:26.88ID:KtEBZNsW
「おれはムチャな命令をするが、それをうまくこなせないのはお前が無能なので
悪いのはおれじゃなくてお前だ」

中小ブラック企業の社長なんかが言いそうなことだな
0069人間七七四年2011/04/30(土) 09:00:42.88ID:jxxRZULE
本願寺攻め責任者はキツいよな
塙は戦死し光秀も敗走してるし…
摂津責任者の荒木も結局は謀反することになるし
完全に損な役回りだわ。
でも織田の大軍勢を統御できるだけの地位にいたのは佐久間くらいしかいないわな。
0070人間七七四年2011/04/30(土) 09:51:48.37ID:Igzw61z6
光秀は砦作ってて其処に立て篭もっただけで敗走はしてない
0071人間七七四年2011/04/30(土) 10:54:43.22ID:sX06wFJk
>>69
つうか元をただせば信長の差配が悪い気がしてならんのだが
0072人間七七四年2011/04/30(土) 12:25:32.11ID:VLSkhtvG
まぁ本願寺包囲はノイローゼになる可能性ある仕事だよな。
0073人間七七四年2011/04/30(土) 13:36:55.05ID:gLiBBD7K
雑賀孫一って100日で505人のソ連兵を射殺したフィンランドのシモ・ヘイヘに匹敵するの?
0074人間七七四年2011/04/30(土) 14:26:14.07ID:+002xSfi
現代でいえば福島第一原発の担当者にされたようなもんだな
で、1年くらいで鬱になっちゃったら、社長からクビを宣告される、という
0075人間七七四年2011/04/30(土) 15:14:33.06ID:Dy4AG8ta
本願寺が東と西に分裂したのは佐久間信盛の工作だと信じてる
0076人間七七四年2011/05/03(火) 21:32:50.29ID:GiUWgUGo
信長に対して対等同盟顔をしてた水野を信長が潰した際も
佐久間の讒言であり、水野の領地を佐久間が手に入れたみたいだが
明らかに信長が水野が邪魔だったとしか思えないし家康とも暗黙に合意を得てたっぽいし
信盛って信長のために汚名をかぶって忠勤してたように思えるよな。
0077人間七七四年2011/05/04(水) 13:35:29.24ID:BlkPscdt
当時は松平・徳川家より水野家のほうが強かった時代もあったんだよな
で、潰れていったん落ちぶれた水野家だけど家康が神君家康公となるとその母を
輩出した家ということで急に徳川家普代の家臣となった 家臣じゃないのに
0078人間七七四年2011/05/04(水) 23:56:20.19ID:nnu4rXcF
>>77
秀吉の時代にはすでに徳川の与力大名だぞ?>水野
0079人間七七四年2011/05/14(土) 00:58:57.44ID:Eq3tKcKS
>>58
司馬は一代記が多いから佐久間は書きにくいだろうな
0080人間七七四年2011/05/15(日) 00:25:41.66ID:tb14Ykkg
それ以前に故人じゃないか
0081人間七七四年2011/06/02(木) 13:57:34.77ID:RhX3+kl/
つか信長はあそごまで言うなら途中更迭させれば良かったのに
全てが終わってから駄目出し追放しても仕方ないだろ
0082人間七七四年2011/06/02(木) 20:13:55.37ID:tW1x+F2V
>>81
だから追放の理由は結局言いがかりだっつーの。
0083人間七七四年2011/06/06(月) 10:17:04.68ID:rhkj5KM1
信長公記などの当時の史料を見ても、信盛父子追放については
理解できない、納得できない、という反応が多かったことがわかるよ
それと、信長自身が後に信栄(正勝)を赦して帰参させていることから
しても、追放の正当性には疑問の余地がかなりある

本能寺の黒幕はだれか?というのは人気があるテーマだけど、
信盛追放の真相は?というのも同じくらい謎の多いミステリーだと
思うんだけどなー
0084人間七七四年2011/06/06(月) 15:11:35.17ID:646tpLud
やっぱ信長公のキレやすさが原因じゃねーかなあー ただ単にキレたんだろ
こういう強引なワンマン社長は日本の社会だとなかなかトップになれない
家康が天下人になったのは運だけじゃあるまい ルールを重んじる日本的なやり方が
独裁者信長より高い支持をえたんだろう
0085人間七七四年2011/06/06(月) 16:09:31.28ID:yk4MAu9E
それ以前に今まで何も言わなかった癖に全てが終わってから難癖つけて追放とかおかしいだろ
信盛が無能ならそんなのにずっと最強の敵である本願寺を任せたままだった信長も無能だよ
0086人間七七四年2011/06/06(月) 16:23:05.82ID:04IuuIaF
「武篇道ふがひなきにおいては、属託を以って調略をも仕り、相たらはぬ所をば我等にきかせ、
相済ますの処、五ヵ年一度も申越さざるの儀、由断曲事の事」
0087人間七七四年2011/06/06(月) 16:32:33.02ID:vntxcd3W
わざわざageてそんな意見かw
もうすこし考えたら?
0088人間七七四年2011/06/06(月) 17:12:25.35ID:RMBhPoKh
むしろ本願寺を抑えつけていただけで評価されてもいいレベル
宗教絡んでるのに調略しろとか無理ゲー過ぎ
0089人間七七四年2011/06/06(月) 17:22:10.38ID:jq+S0+od
>>84
信長もう死んでるし、秀吉は信長無視だし
支持とか関係なくね
0090人間七七四年2011/06/06(月) 17:52:25.39ID:yk4MAu9E
>>86
だから?
ここでの問題は結局最後まで信長が信盛に対して何もしなかった事だろ
ぼさっと信盛から相談されるのを待ってたの信長は?
0091人間七七四年2011/06/06(月) 18:03:25.03ID:RafexIyt
力を持ち過ぎたことによって追放されたんだよ
このまま行ったら織田家自体を凌駕して
ゆくゆくは関白佐久間家が誕生していたからな
0092人間七七四年2011/06/06(月) 20:02:32.74ID:RMBhPoKh
佐久間は織田家内最大軍閥だったからな。
信長直臣の前田や佐々らが目付けとして第二軍閥の柴田は監視されていたが
佐久間を監視してた信長直臣って誰だろ?
明らかにそいつらに讒言されただろ。
0093人間七七四年2011/06/06(月) 20:16:26.51ID:ikPMXndP
徳川の旗本になった佐久間氏の子孫は、信盛の改易は明智光秀の讒言のためだと断定している。
0094人間七七四年2011/06/06(月) 20:23:35.62ID:+RjHG7bm
信盛の子孫は旗本として幕末まで続いてるし、盛政の弟たち(安政、勝之)も
小田原まで行ってとことん秀吉に抵抗したのに許されて蒲生のもとで城を
もらってるし、関ヶ原や大坂の役に参戦したとはいえ、家康からは大名に
取り立ててもらってる
今と違って当時佐久間家の武名はかなり評価されていたと考えていいと
思うんだよね
0095人間七七四年2011/06/06(月) 20:28:34.33ID:+RjHG7bm
まあ明智讒言説については証拠がないから何とも言えんけど
江戸時代にはそういうことをやりかねないキャラクターと
見られていたんだろうなー、ということはわかるよね
0096人間七七四年2011/06/06(月) 20:37:57.73ID:RMBhPoKh
江戸時代はまだ織豊系大名の子孫がリアルに生きている時代だから
一番当たり障りがない明智のせいにするのが一番無難だろ。
謀反して死んだ光秀を知った上での後出しジャンケンに近い
0097人間七七四年2011/06/07(火) 10:38:10.16ID:GvHT2q7s
>>93
そりゃ「信盛がダメダメだから追放されました」とは言えんだろう。
誰かのせいにするのが一番いい。
たとえば本能寺の変のとき脱走した織田有楽の家譜には脱走した
ことは書いてない。都合の悪いことは無視。
0098人間七七四年2011/06/07(火) 13:04:00.05ID:VgTByI34
つか普通に信長が馬鹿だからじゃ駄目だったのかな?
実際信盛がダメダメだったとしても途中で更迭するなりなんなりと言った事をやらず全てが終わってから難癖つけるってアレ過ぎるしな
しかも対織田勢力では最強といっていい石山本願寺担当だぜ
0099人間七七四年2011/06/07(火) 22:22:02.94ID:cHRYdWsq
>>97
いや、だから、同時代史料には「なんで信盛追放?えっ?」っていう
反応しかないんだよ
「あー、信盛ねー、あいつは仕方ないな」という反応はない

だから「信盛がダメダメだから」ということを既定の前提にするのはおかしい
当時の人も、後の人もそうは思ってなかった(少なくとも納得はしてなかった)
ことは間違いない
0100人間七七四年2011/06/08(水) 01:26:10.51ID:09QT/ZBl
リストラは大物のほうが首にしたとき浮くものが多いからなあ〜
だが現代でも大きな恨みを買うリストラだから当時はずいぶんひどいことをすると
思われたろう・・・
0101人間七七四年2011/06/08(水) 09:45:48.21ID:C8+SOSGA
大した内容でもないのにアゲてるのは何なんだ
目立ちたがり?
0102人間七七四年2011/06/08(水) 10:08:36.68ID:UW79SYlO
信盛の隠居じゃなくて、一族追放ってのが荒っぽいな。

>>101
議論が活発な時は上げた方が良い。
0103人間七七四年2011/06/08(水) 13:21:29.52ID:t92cXX0y
そもそも譜代の家臣を主君が一方的に追放するっていう事例じたい
あまり多くないんじゃない?
他にあったっけ、って考えてみてもこれといってすぐ思いつかない

原因については、もしかしたら本願寺が落ちないのは信盛が
裏で内通しているからだ、という讒言があって、しかし証拠が
なかったからそれを理由にできなくてああいう形になった、
ということは考えられないか?
0104人間七七四年2011/06/08(水) 13:30:33.83ID:FpSQjx7W
>103
当主が強権を発動した例は結構あるぞ
失敗したか混乱して弱体化した例の方が多かったけど
0105人間七七四年2011/06/09(木) 13:17:18.71ID:QDdyZelY
信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古
読売新聞 6月9日(木)9時24分配信

 愛知県小牧市教委は8日、織田信長が1563年に築城した同市の小牧山城で、城郭の石に書かれた墨書として日本最古の石材が見つかったと発表した。

 本丸北西側の斜面で、堆積岩の一種(縦60センチ、横35センチ、高さ20センチ、重さ93・5キロ)の石材に、縦書きで「佐久間」と書かれていた。
城郭の墨書は、信長が1576年に築城を始めた安土城のものが最古とされていた。

 市教委によると、「佐久間」は信長が家督を継ぐ以前からの重臣、佐久間信盛(1527〜81年)を指しているとみられる。
小牧山城は信長が手掛けた最初の城で、奈良大学の千田嘉博教授(城郭考古学)は、
「最も目立つ工区に重臣の佐久間信盛を割り当てて仕事をさせた。信長の巧みな人心掌握術をうかがわせ、興味深い」と話す。
10〜22日、小牧市歴史館(0568・72・0712)で公開される。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000190-yom-soci
0106人間七七四年2011/06/09(木) 14:15:50.78ID:+6BHIZSW
>>105
それほど信頼してたのに、なんで信盛を追放したんだろう
ますます謎が深まる
0107人間七七四年2011/06/09(木) 14:48:28.12ID:V+j3SNIy
>>99
信長としての追放理由は「折檻状」にちゃんと示されてるよ。
周りがどう思ったかは別にして。
「信長公記」には載っているが、これは江戸時代には公刊されて
いなかったから、甫庵の「信長記」に載っているかどうかは知らないけど。
0108人間七七四年2011/06/09(木) 15:08:24.72ID:0gvvigvx
>>107
でもその「折檻状」は原本がなくて写本でしか伝わってないんでしょ?
信憑性はどうなんだろ?
0109人間七七四年2011/06/09(木) 15:26:09.80ID:568mZ3E5
信長自身は佐久間を高く評価していたのは間違いあるまい
本願寺家を一番恐れていたのは信長自身なれば、
その要所で宿敵本願寺と対等に渡り合い、引けを取らなかった佐久間の能力には正直脱帽したに違いない

しかし、その有能さが仇となる
佐久間の能力に恐怖すら覚えた信長は、その傲慢な性格ゆえに佐久間に不信感を覚える
さらに、戦略に関し一切の下知を仰がなかったのも裏目にでる
信長はその傲慢な性格ゆえにこれを良しとせず、かわい気のない不忠心者と罵ったに相違ない
他家臣からの突き上げも多少はあったであろうが
信長の折檻状は佐久間を恐れた信長の謀略とするのが、一番筋が通るではないか
0110人間七七四年2011/06/09(木) 15:46:14.65ID:ZkZTg1YA
恐れてたら切腹なりで殺してるだろう
0111人間七七四年2011/06/09(木) 16:38:13.37ID:ln5GsNhN
家臣団が信長の仕打ちを怒る時のなだめ役のナンバー2佐久間が人心掌握するようになり
それに信長が謀反の芽と捉えたからだろう。
特に本願寺戦線は最大兵力で佐久間の解任すらできない本願寺戦線家中サロンを形成。
佐久間も本願寺を破ってしまうと逆に走狗煮られるのがわかっていたからこそ
素直に高野山への道を選んだ。
0112人間七七四年2011/06/09(木) 17:07:39.54ID:cVCV01ti
結局「お前いらね」って事を、こねくり回してさも大層にご高説されてますな
0113人間七七四年2011/06/09(木) 18:59:54.23ID:B2SvT4H7
>>107
アスペの人?
人間は必ずしも考えたことや思ったことをそのまま相手に言葉で
伝えるとは限らないってことは大人ならわかると思うんだが・・・

そう書いてあるからそれが理由、って簡単に言えると思ってると
したら、社会経験まったくない人か、アスペくらいしか
考えられないんだけど
0114人間七七四年2011/06/09(木) 19:20:52.00ID:27QZ+O0e
>113
>107じゃないけど
信長が信盛にまた前線で頑張るか隠居しろって折檻状で言ったら
信盛がじゃあ隠居するわって話になってそれを信長が激怒して追放って流れだったはずw
0115人間七七四年2011/06/09(木) 20:01:33.64ID:B2SvT4H7
>>114
いや、そういう話じゃなくて

追放について「ああ、そりゃ仕方ないわ」っていう反応じゃなくて
「ええ?追放?マジ?」っていうのが当時の反応だったわけで
信長の理由の説明が当時の人にあまり説得力なかったってことが
わかるでしょっていう話
信長の言うとおり、と思った人がほとんどいないんだよ
0116人間七七四年2011/06/09(木) 20:04:48.03ID:B2SvT4H7
それと、たとえば毎日徹夜して家にも帰らずに不眠不休で働いている人に
「今よりもっと頑張るか、辞めるかどっちかにしろ」って言ったら、そりゃ
辞めるほう選ぶだろう、っていうこともわかるよね

つまり、高野山行きを選んだということは逆にそれまで必死に頑張ってた
ということを示しているんだと思うよ
0117人間七七四年2011/06/09(木) 21:14:25.61ID:27QZ+O0e
>116
今の時代でも

>それと、たとえば毎日徹夜して家にも帰らずに不眠不休で働いている人に
>「今よりもっと頑張るか、辞めるかどっちかにしろ」って言ったら、そりゃ
>辞めるほう選ぶだろう、っていうこともわかるよね

こんなこと責任ある立場の人間なら普通に選択しないぞ

0118人間七七四年2011/06/09(木) 23:46:46.17ID:ln5GsNhN
がんばる←殺される
隠居←激怒追放
どっちにしろ排除確定だろ。
信長は家臣を遠方へ転封もしくは改易し
畿内直轄領を大幅に拡大しようとしてた。
0119人間七七四年2011/06/09(木) 23:51:12.80ID:8B82UAHd
そのくせ本拠地たる近江には柴田、明智、丹羽、羽柴等重臣の所領がそのまま残されている。
信長のやることは全てそうだが、非常に中途半端だ。
0120人間七七四年2011/06/10(金) 00:05:21.45ID:XwUCVmcO
>>119
みんな前線がさらに進めば
畿内の領地を奪われるだろうな。
おそらく九州の領地を切り取り自由とか言われる。
だから筑前守とか日向守とか九州名家の名とか与えられた。
柴田は林と同じ罪でいつでも改易できるし
目付けの前田や佐々に柴田を讒言させれば簡単に潰せる。
0121人間七七四年2011/06/10(金) 00:09:02.08ID:8lbvU9V9
そんなゲームみたいに簡単に行くかよ。
仮に信長がその程度の考えしかできないのなら尾張統一も無理だわ
0122人間七七四年2011/06/10(金) 00:34:36.18ID:XwUCVmcO
岐阜の地名など中国古典に精通してるから
中国型中央集権国家を目指して
殺戮と厳しい軍役を課し
各国で国人たちの反抗を根絶やしにし
一国平均をやって回ったわけだろ。
当然、敵が滅べば走狗煮られると言われる中国的な虐殺さえ厭わない信長の冷酷さがあるだろ。
0123人間七七四年2011/06/10(金) 00:42:31.80ID:8lbvU9V9
>>122
岐阜は信長以前からあのへんで使われていた地名。
信長が考えたというのはつくり話。
0124人間七七四年2011/06/10(金) 02:56:02.04ID:tHtTT0/3
岐阜市案内では「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正の頃より
旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載している
(ただし、一説および旧記の出典は掲載がなく不明)
「岐阜市史」によると『仁岫録』(成立年代不明)や『梅花無尽蔵』(1709年)
などに岐阜、岐阜陽、岐陽という語句が書かれている。
政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩が織田信長の命によりといった説がありこの二説が通説とされている。

0125人間七七四年2011/06/10(金) 03:07:45.26ID:xQRNoKlL
>>117が何を言いたいのか何度も読み返してみたけどやっぱりわからない
0126人間七七四年2011/06/10(金) 07:31:12.34ID:pp48jRFq
まあ何度も言うが本当に佐久間が無能だったという理由なら
本願寺攻め担当を途中交代させるなりなんなりすべきだったのに全てが終わってから追放ってのは結局理不尽な難癖以外の何物でもないって事さ
0127人間七七四年2011/06/10(金) 08:26:51.61ID:tHtTT0/3
無能ならとっくに辞めさせてるわな。
有能だから使い続けて
邪魔になったから切っただけ
0128人間七七四年2011/06/10(金) 08:37:36.66ID:rO2Kuu1C
大身だから近場で四方に敵抱えてる時に処罰しようとして下手な動きされると薮蛇だから
制圧後の一段落した時期まで待っただけって線もあるな
0129人間七七四年2011/06/10(金) 08:58:31.97ID:XwUCVmcO
>>124
やはり岐阜は信長が名付けたっぽいな。
井ノ口の稲葉山の方が好きだけどな
0130人間七七四年2011/06/10(金) 18:03:34.95ID:97pFBXvD
佐久間信盛はまずまずの策略家だったような気もする そして織田家に忠実だった
よく他家に探りをいれて怪しいところがあったらどんどん信長公に密告してた
ちょっと小物臭のする策士 でも信盛が健在だったら明智光秀のクーデーターも
未然に防げたかもしれない・・・
0131人間七七四年2011/06/10(金) 18:33:28.45ID:zsYEYypD
佐久間信盛スーパー最強武将
実は信長も恐れてたんだぜ

簡単に言うとこうなんだろw
0132人間七七四年2011/06/10(金) 18:39:48.19ID:QDTSp5Ew
> でも信盛が健在だったら明智光秀のクーデーターも
> 未然に防げたかも

というか信盛が織田軍団の中で健在だと本能寺の変の大前提である、明智光秀による
畿内軍団の掌握がなくなるわけで、光秀がどんなに信長を殺したくても本能寺の変は不可能。
0133人間七七四年2011/06/10(金) 18:39:51.73ID:tFLKCx2L
イメージ的には、中小企業のワンマン社長が、ヘンな啓発本に
感化されて突然「これからは実力主義だ!」とか言い出して
「おまえは何の仕事もしていないのに高い給料もらってる」と
言って創業の功労者だった専務をクビにする、みたいな感じ
0134人間七七四年2011/06/10(金) 18:42:01.77ID:tFLKCx2L
>>132
あ、だから明智讒言説っていうのが出てきたのかもな
0135人間七七四年2011/06/15(水) 13:46:56.28ID:XemD/Ufv
結局信長は信盛を使いこなせなかったんだよな
過ぎた家臣だったということだ
0136月孔雀2011/06/15(水) 13:58:16.64ID:BFxDfeI0
佐久間家の家臣、信長軍団に多過ぎ。
0137人間七七四年2011/06/15(水) 16:48:17.47ID:MdvhtYmp
なんか佐久間信盛が柴田勝家以上の人材に思えてきた
0138人間七七四年2011/06/15(水) 17:22:30.92ID:CGSEpr5j
実際、佐久間の方が上でしょ。
統括してた兵力や商業利権ある大津エリアを任されてる点から考えて。
0139人間七七四年2011/06/15(水) 20:16:18.32ID:f9+cgzd8
考えてみたら信長家臣団の中で江戸時代まで大身の大名として
残ってるのって数少ないんだな。

柴田も佐久間も明智も羽柴も丹羽も佐々も全部潰れてしまった。
前田、細川、山内、藤堂あたりが残ってるけど、みんな小物だよね。
0140人間七七四年2011/06/15(水) 20:41:56.66ID:bQ8NG3+Z
丹羽と佐久間は終わってないぞ、一応
0141人間七七四年2011/06/15(水) 21:18:50.92ID:O/FZPCLf
小物だから残れたんだろ
繰り上がりで大物になったら平和になっただけで
0142人間七七四年2011/06/15(水) 21:28:04.91ID:BfKGLtOh
つか大物同士が信長の死の前後から潰しあってんだから当たり前だ
小物を一方の大物が味方に引き込んで大物になるわけで
佐久間だって改易されなくても本能寺後どうなるかはともかく無事ではないはず
0143人間七七四年2011/06/15(水) 21:50:00.25ID:f9+cgzd8
結果論だけど、早いうちに家康についておくのが一番よかったってことだな。
そういう意味では同じ佐久間でも安政・勝之兄弟は秀吉が憎い一心で
家康を頼ったのが幸いした。
0144人間七七四年2011/06/15(水) 22:00:26.42ID:CpZC5Es5
>>142
佐久間の追放がなかったらおそらく本能寺の変もない。
明智が畿内掌握できないから。
0145月孔雀2011/06/15(水) 23:44:51.95ID:BFxDfeI0
のぶやぼでは、大したことない。
0146人間七七四年2011/06/16(木) 00:55:47.21ID:G0Y/dKok
だからなんだ
0147人間七七四年2011/06/16(木) 14:27:16.65ID:arXvdHTf
口寄せがいうには信盛は数学に長けた将だったらしい
0148人間七七四年2011/06/16(木) 19:48:57.75ID:nFnhvUYL
MXTV深夜枠の「ユキチカ!」で特集やるでしょ。
0149人間七七四年2011/06/17(金) 22:29:00.79ID:X9aIHFa/
>>139
一国一職支配の前田や細川が小物だなんて…
織田家中では十指に入る大身じゃないか
0150人間七七四年2011/06/17(金) 22:43:21.58ID:MvI0FzUL
郡持大名だった佐久間信盛より上なのかな…
0151人間七七四年2011/06/18(土) 01:15:12.65ID:TbBu0IBz
>>149
柴田、佐久間、羽柴と比べたら明らかにランク違うじゃん
0152人間七七四年2011/06/18(土) 02:40:03.67ID:owE2HgUA
>>151
たしかに佐久間・羽柴・柴田・明智には及ばないけど、こいつらは筆頭家老クラスだからね
序列的にはそれに次ぐ宿老・年寄クラスには名を連ねられるよ
0153人間七七四年2011/06/18(土) 02:45:36.50ID:rGrm3H6N
>>152
だからそれをランク違うって言うんだろ
自分でも「序列的にはそれに次ぐ」って言ってるのに
バカか?w
0154人間七七四年2011/06/18(土) 03:36:13.11ID:Ul91SdE2
>>153
横から口を挟むが「序列的にはそれに次ぐ」と「小物ではない」の間に何の矛盾も無いだろ。
0155人間七七四年2011/06/18(土) 05:31:31.78ID:TbBu0IBz
前田が国持になったのは、柴田が佐久間盛政や前田や佐々のような
国持を何人も従えるくらいまでになったから、つまり織田家全体が
膨張したからであって、相対的に見れば織田家中では依然として小物

会社が大きくなって年収が2倍になっても課長は課長、っていうこと
柴田、佐久間、羽柴といった役員クラスが「大物」、それ以下は小物
0156人間七七四年2011/06/18(土) 13:11:57.01ID:a3i0p+s3
>>139-140
丹羽は準国主だろ。
佐久間は旗本止まりだったが。
0157人間七七四年2011/06/18(土) 15:47:30.14ID:dquklnab
>>156
1回潰れた後の再興だよね
0158人間七七四年2011/06/18(土) 20:18:23.63ID:ct7pJsM8
流れ的に、双方の小物の定義が噛み合ってないようにしか見えんのだが
0159人間七七四年2011/06/18(土) 23:15:13.39ID:+vm/Z2Jn
下克上の戦国の世を生き抜いた武将を「小物」呼ばわりする奴の現代の立場を知りたいわ。
0160人間七七四年2011/06/19(日) 01:43:01.51ID:xy2XGCt8
子供でしょあんまりいじめんな
0161人間七七四年2011/06/19(日) 10:17:22.66ID:wGGbluj3
相対的と絶対的の違いがわかってないっぽい
0162人間七七四年2011/06/19(日) 13:18:50.04ID:CIfNbHdR
相対的な話だろ
トップダウンじゃなくダウントップにしてみろ
下克上の戦国の世を生き抜いたってだけで旗本程度の武将を「大物」呼ばわりしたら天下人や将軍は「神」にでもなんのか
0163人間七七四年2011/06/19(日) 13:24:44.99ID:Hoggv+T9
神ってのがGODなのかSPIRITなのかわからないけど、権現様とかは普通に神でしょ
0164人間七七四年2011/06/19(日) 13:30:31.25ID:CIfNbHdR
相対的な話だって言ってるだろ
よく読め
0165人間七七四年2011/06/19(日) 13:48:15.95ID:oFg50Ugi
10万石以上の所領持ってたら、立派な大物だろ。江戸時代なら凖国主級だぞ。
数か国持ってるぐらいじゃないと大物と認めないって、どういう高い基準だよ。
100万石級の大大名の下で家政を独裁してたり、全軍を指揮したりする重臣でも、10万石もらってる奴なんてほとんどおらんわ。
0166人間七七四年2011/06/19(日) 14:35:39.98ID:wGGbluj3
んー、やっぱり相対と絶対の違いがわかってないんだ
「○万石なんだから大物」というのが絶対基準
たとえば「90点取ったんだからいい成績」というのと同じね
「上にもっと大物がいっぱいいるんだから小物」というのが相対基準
たとえば「クラスの半数が100点取ってるんだから90点はいい成績
とは言えない」というのと同じね

ここまで噛み砕いてもわかんないんだったら以後スルーするけど
0167人間七七四年2011/06/19(日) 14:38:01.90ID:wGGbluj3
ああ、で、おれは、相対的にいえば信長時代の前田や細川は
「小物」でしょという立場だ

0168人間七七四年2011/06/19(日) 15:09:54.58ID:oFg50Ugi
俺は相対的な話してるんだけど。
ビジネスマンの中じゃ、大企業の役員は大物だろ。
大企業の役員はだいたい20人から15人。
そして、織田家における前田や細川も上位十五人には入る。

トヨタやソニーの役員が小物って言うなら、言うことないわ。
0169人間七七四年2011/06/19(日) 15:17:18.40ID:oFg50Ugi
つか、相対的に見ても、一国の兵を指揮するぐらいの人間が小物なら、
戦国の大物って三傑・伊達・北条・上杉・武田・今川・三好・宇喜多・毛利・大内・大友・龍造寺・島津などの大大名や、
信忠・柴田・明智などの織田の軍団長ぐらいしかいないんじゃなかろうか?

ID:wGGbluj3の「相対的」は、「上場企業の経営者や大企業の役員なんて小物。巨大企業の経営者じゃないと大物とは認めん!」で、
俺の「相対的」は、「上場企業経営してたり、大企業で役員やってたりしたら世間じゃ大物って言うんだよ」だから、
噛み合うわけないわ。概念が違いすぎる。
0170人間七七四年2011/06/19(日) 16:08:36.33ID:7/6y5zCo
>>168
前田らを小物というつもりはないが、菅屋とかの奉行衆の存在も考えれば、15人に入るかどうかはちょっと微妙じゃね
つーかこの流れの「小物」は何をもって小物と差してんの?
石高?役職?それ以外?
0171人間七七四年2011/06/19(日) 16:19:26.88ID:dN6+TFFM
与力は問答無用で「小物」扱いにしてる人がいる悪寒
0172人間七七四年2011/06/19(日) 17:53:37.13ID:oFg50Ugi
>>170
A:数カ国の軍の統率、もしくは取次を担当する最有力者
織田信忠・柴田勝家・羽柴秀吉・明智光秀・滝川一益・織田信孝

B:一国、もしくはそれに準ずる規模の軍を統率する大身
織田信雄
池田恒興
河尻秀隆・森長可(織田信忠組下)
前田利家・佐久間盛政・佐々成政(柴田勝家組下)
羽柴秀長・宇喜多秀家(羽柴秀吉組下)
細川藤孝・筒井順慶(明智光秀組下)
丹羽長秀・蜂屋頼隆・三好康長(織田信孝組下)

C:信長側近の中で特に強大な権限を持つ人物
村井貞勝・菅屋長頼・堀秀政・津田信澄

この24人が、本能寺直前の織田家の最高幹部と思われる。
企業にすると、Aグループが副社長・専務・常務、Bグループが取締役事業部長、
Cグループが本社部長の中で特に有力な人物。
0173人間七七四年2011/06/19(日) 20:20:41.03ID:I73TNGtC
前田利家、佐々成政、河尻秀隆、森兄弟、堀久太郎といった信長親衛隊の連中って、
やっぱ特別な存在だったのかな 手柄の割には大封をもらってる気がする
途中から織田家に従うようになった外様大名とかは信長公にさんざんコキ使われたうえ、
些細なことで所領を没収されて放り出されて、その所領は信長親衛隊あがりの武将の
ものになっちゃってる気がするアワレ
0174人間七七四年2011/06/19(日) 20:56:10.26ID:W9LLlF8y
大名との取り次ぎは小性などの近習もしているがの

0175人間七七四年2011/06/19(日) 21:25:35.41ID:C0YbIN8x
母衣衆は基本的に連絡将校から目付けに発展してるからね。
織田の家老の柴田なんかも前田や佐々ら信長直参に監視されてた。
信長は家老も改易していったから上杉が滅亡したら柴田も林や佐久間みたいに改易されてただろうね。
筑前の秀吉や日向の光秀らはみんな九州へ飛ばされるだけ
0176人間七七四年2011/06/19(日) 21:28:27.97ID:Kp/bb0Up
盛政の話、殆ど出て来ないね。
0177人間七七四年2011/06/19(日) 21:48:01.60ID:oFg50Ugi
だって、織田家にいた頃の盛政って、武名のわりに地味だもの。
0178人間七七四年2011/06/20(月) 16:03:21.17ID:qjVAqCLe
金沢の人に、金沢では郷土の歴史として、加賀百万石の始祖、金沢城主の
初代は前田利家、と教えていると聞いたことがある
これはどうも江戸期の教育がそのまま引き継がれたかららしい
あえて意図的に佐久間盛政を金沢の歴史から排除してきたんだよね

ちなみに広島では広島城は毛利輝元が建てた(江戸時代は浅野家であるにも
関わらず)、とちゃんと正しく教えている
0179人間七七四年2011/06/20(月) 17:14:00.73ID:jhlOmzuw
それは単に広島の売り出し方針が毛利>>>浅野だからというだけな気がするな
0180人間七七四年2011/06/20(月) 17:58:43.81ID:6sK6CohI
最近は佐久間盛政の武闘派ぶりも評価されてきてますよね
とくに賤ヶ岳でA級戦犯されてるのはおかしい、という人が増えた気がします
あの説は江戸時代に前田藩おかかえの小説家がひろめた説なんですよね
0181人間七七四年2011/06/21(火) 06:11:41.57ID:iJT59+dx
戦国時代ずっと活躍した毛利と
ごく限られた時間しか金沢にいなかった盛政じゃな。
0182人間七七四年2011/06/21(火) 07:59:12.20ID:WuIxIfuQ
佐久間一族が信長に高野山に追放されてなければねぇ。
盛政は勝家つながりで残ったもんやし。
0183人間七七四年2011/06/21(火) 10:39:31.87ID:JAbhWSgO
盛政って、準国持ち大名だって理解で宜しい?
0184人間七七四年2011/06/21(火) 11:28:31.21ID:y/DNfGt1
>>181
だからって初代城主を捏造していいという話にはならんと思う
0185人間七七四年2011/06/21(火) 11:38:51.70ID:hrWQa2rq
正直観光としては前田利家の方がわかりやすいし宣伝しやすいからな
地元にしてみればそっちの方がよっぽど大事
0186人間七七四年2011/06/21(火) 14:22:21.53ID:yB+5tSnw
そのとおりだね。会津若松城も今、歴代藩公展とかやってるけど、宣伝する時は松平ばっかりで
蒲生氏郷ですら空気。天地人効果で上杉景勝にも多少は光が当たるようになったけど加藤氏
(嘉明、明成)なんてマジで誰も知らん。
0187人間七七四年2011/06/21(火) 14:53:19.42ID:TUkZaSsG
広島とか江戸時代はずーっと浅野家だけど毛利支持者が多いし、熊本はいうまでもない
やっぱ佐久間鬼玄蕃盛政は当時の住民にも大きな支持を得られなかったのだろうか
よく考えてみれば一向宗をやっつけて占領した人だもんなあ〜
利家ですらまだ恨まれてるのに盛政になるともう恨みしかないのかもしれん・・・
0188人間七七四年2011/06/21(火) 15:04:13.70ID:y/DNfGt1
いや、浅野の前に福島正則がちょっとだけいたけどな
でも、学校じゃちゃんと福島も触れるよー
0189人間七七四年2011/06/21(火) 15:05:29.33ID:ThhPnaZP
>>178
金沢の人間だけど自分は初代城主は前田利家って
教えられなかったなあ。今は知らんが。
ただ、100万石まつりとかあるから皆普通に初代城主は前田だと
刷り込まれてるんだよね。
自分は柴田関連のことを知って利家は好きじゃなくなったんだけど
0190人間七七四年2011/06/21(火) 16:31:53.17ID:RboNpfK6
歴史的大事件の関ヶ原でさえ家康対三成が一般なんだ
普通はどうでもよくて「主に」や「つまり」なんだよ
細かいことをちまちま言ってるのはマニアだけだ
特に盛政なんざ見直されたからって歴史が変わるわけでもないんだから
0191人間七七四年2011/06/21(火) 18:34:14.30ID:UQ01ZvsL
>>172
Cグループに矢部家定を入れるべき
0192人間七七四年2011/06/21(火) 21:02:14.09ID:OznBspOb
>>172
滝川と河尻や森にそこまでの違いがあるのかな?
0193人間七七四年2011/06/22(水) 12:01:13.87ID:4qN2yN3r
>>191
菅屋・堀と、長谷川・矢部・福富・野々村を分けたのは、
菅屋は北陸の仕置き、堀は伊賀攻めの大将や秀吉の軍監など、
他の側近トップグループより頭ひとつ抜けた働きがあるから。

>>192
滝川は軍権では河尻や森と同格だが、関東や奥羽の大名との取次を担当して、
関東諸将は滝川の統率下だったから、権限の大きさはAグループに匹敵するとみなした。
0194人間七七四年2011/06/22(水) 14:15:20.36ID:PHBjub6T
だんだんスレの本筋から話がズレてきてる観があるのだが

まあ、面白いけどね
0195人間七七四年2011/06/22(水) 16:27:44.07ID:jaUmFM7I
織田家のマイナーな武将を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193212492/

織田家武将格付けは↑でやってくれ
0196人間七七四年2011/06/22(水) 17:49:03.01ID:yK5Ih38C
とりあえず柴田勝家を軍団長とする北陸方面軍において鬼玄蕃こと佐久間盛政は
狂犬前田利家、アルピニスト佐々成政を押さえて最強軍団を率いていたエース武将と
認識してるんですけどあってますか? 違ってたら修正してくだされ
0197人間七七四年2011/06/22(水) 18:34:03.38ID:PHBjub6T
加賀=盛政、能登=前田、越中=佐々なわけだけど
この3つの中で一番石高(実高)が高かったのはたぶん加賀

まあ、勝家の甥だけに身内びいきがなかったというと嘘になる
かも知れないが、配下に特に表立った不満が見られないところを
見ると、実力相応の評価と見られていた可能性は高いね
0198人間七七四年2011/06/22(水) 18:39:46.36ID:g9x6EBy2
>>196
一般人や金沢市民に対しては×
マニアやヲタの間でなら○
0199人間七七四年2011/06/22(水) 20:32:39.16ID:n7713X13
エースなら先鋒じゃないの。つまりアルペン佐々
0200人間七七四年2011/06/22(水) 23:56:40.39ID:0izU1X1v
アルペン佐々は北陸方面軍先鋒というよりも織田軍の先鋒ってイメージが強い
勝家信盛の後の第二世代主力戦闘ロボ

盛政は磔になった際の逸話聞いても当時の女子には大人気者だったんじゃないか?
若いエリートだし相当な知名度があったのは間違いないよ
同じ世代の武将を見ると盛政だけが実績実力共に群を抜いてるし
0201人間七七四年2011/06/23(木) 00:06:47.45ID:RCrl0kRg
まあねー、死んだときまだ30だったんだもんな
0202人間七七四年2011/06/23(木) 02:06:26.11ID:VIxLjDm9
地位、容姿、立場等々そういった「俺スゲー」の慢心が賤ヶ岳の敗因だろ
0203人間七七四年2011/06/23(木) 02:11:12.17ID:CX8CFs2J
20代で国持ちってすごくね?森長可と同じぐらい出世早い。
親の代からの宿老である森家と違って、柴田の縁続きだってだけの一族なのに。
0204名無しさん@12周年2011/06/23(木) 02:22:04.06ID:Ce7aQP70
>>202
敗因は利家の寝返りであって盛政は関係ない
今更言うまでもないだろうけど

>>203
>柴田の縁続きだってだけの一族なのに。
おいww何言ってんだ
0205人間七七四年2011/06/23(木) 03:01:28.08ID:VIxLjDm9
そんなに好かれて盛政もさぞ喜んでいるだろうよ
そっかー利家の裏切りが敗因かあー
利家は悪いやつだねーwww
0206人間七七四年2011/06/23(木) 03:26:23.30ID:Ce7aQP70
>>205
歴史なんて所詮昔話 悪いとか良いって話じゃない
利家だって苦渋の決断だったろう←たぶんね
ただ勝敗が決した戦いには必ず勝因敗因があるのよ
0207人間七七四年2011/06/23(木) 10:13:01.08ID:v97Tb55S
このスレさ、ときどき前田ファンがいるよね
0208人間七七四年2011/06/23(木) 10:15:50.94ID:v97Tb55S
>>203
> 20代で国持ちってすごくね?

そのへんのニュアンスがドラマなんかではほとんど表現されない
それまでの活躍や評価がいっさい描かれず、賤ヶ岳の現場で
突如現れて、先制攻撃を主張して自爆するだけの道化役にされる
前田家の教育の浸透ぶりはすごいよね
0209人間七七四年2011/06/23(木) 23:40:25.17ID:49uGdXHo
300年16代だったっけ?実質支配していれば覚えていなくて当然。
0210人間七七四年2011/06/25(土) 01:59:06.39ID:uWKadQrj
>>203
御器所の佐久間家は室町中期ごろからすでに記録に出てくる
盛重や信盛、信辰らは桶狭間以前から信長に仕えているし
0211メインキャスト2011/06/25(土) 13:27:43.57ID:c+NDCAli
盛重:戦傷の後遺症で鼻が曲がってしまったのを自ら脇差で切って付け直したという
  剛の者。桶狭間直前の丸根砦で松平元康と戦って戦死

信盛:信長創業の功臣で初期の戦では常に信盛か柴田勝家のどちらかが先鋒を務める
  ほどの信長の片腕。本願寺包囲戦を担当していたが突如父子で追放された

信辰:信盛の弟で桶狭間のときは善照寺砦の守備を担当。本能寺の後、信雄配下で蟹江城を
  守ったが前田与十郎の裏切りにより城を羽柴勢に明け渡した。後に江戸幕府に出仕し
  館林城留守居役となる

盛政:叔父柴田勝家に従って北陸戦線に従軍し、一向一揆や上杉軍を相手に数多くの戦功を
  挙げて「鬼玄蕃」の異名を取った戦上手。20代で金沢城主となり加賀一国を任されたが、
  賤ヶ岳の後捕らえられて斬首

安政・勝之:盛政の次弟と四弟。それぞれ保田氏・佐々氏の養子になっていたが賤ヶ岳の後
  秀吉に屈するを潔しとせず家康を頼り、小田原北条氏に仕えた。小田原落城後は潜伏
  していたが秀吉に召し出されて蒲生氏郷配下となり置賜郡に城を賜る。関ヶ原と大坂の役で
  徳川方として戦い、安政は信濃飯山三万石、勝之は信濃長沼一万八千石の大名となる
0212人間七七四年2011/06/25(土) 13:43:53.05ID:c+NDCAli
ちなみに安政の長男勝宗(史料によっては勝長とも)の正室は真田信之の娘
その縁で子孫の佐久間象山の家が松代藩に仕えたらしいという話がある
0213人間七七四年2011/06/26(日) 00:41:42.95ID:gSMjXuzD
息子と一緒に茶の湯三昧で遊んでいたらさすがの信長も他の家臣たちに示しがつかないと思う
俺たちは頑張っているのに何で遊んでいるあいつが高禄なんだ・・・・って感じで
0214人間七七四年2011/06/26(日) 09:44:26.69ID:k9duF8mx
そんな信長の言いがかりをストレートに信じてるお前が怖いわ
0215人間七七四年2011/06/26(日) 11:25:43.47ID:oKPY1Hea
>>213
天王寺屋会記でもそこそこ出てくる回数多いしな…
0216人間七七四年2011/06/26(日) 12:15:07.22ID:zhLGkWlj
>>213
細かい事を一々垂れ込む光秀だけは許せないな
0217人間七七四年2011/06/26(日) 12:31:13.23ID:dlTLbkie
>>211は次スレのテンプレに入れてほしいな
0218人間七七四年2011/06/26(日) 12:33:56.48ID:dlTLbkie
そういえば、よく天海=光秀説っていうのが言われるけど、もしそれが本当なら
信栄とか信辰が知らないはずはないし、あまりよく思ってないだろうから
何かしら反応があるはずだよな、と思わないでもない
0219人間七七四年2011/06/26(日) 12:42:33.81ID:k9duF8mx
>>218
まあつくり話だし。妄想妄言のたぐいだわ。
0220人間七七四年2011/06/26(日) 13:08:10.03ID:g+Gsy5/q
天海=光秀説はものすごく面白いし、研究がすすんで欲しいけど、
すでにお互いの直筆の書状の筆跡鑑定で別人という結果が出てると聞いたことがある
とても残念だ
でも冷静になれば当時のお坊さんは東大とか京大の教授といった感じの学者、
光秀は急速に成長する企業のビジネスマンって感じだから、住む世界は完全に違う
やはり無理がある説か・・・
0221人間七七四年2011/06/27(月) 19:05:38.31ID:Eu7DNsxF
今TBS系列「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」で桶狭間やってるよ
0222人間七七四年2011/06/27(月) 19:12:23.08ID:EI2s2ElC
大学でてくるの?
0223人間七七四年2011/06/27(月) 19:21:42.78ID:Eu7DNsxF
出なかったねー、予想通り
松平元康は出たけど
0224人間七七四年2011/06/27(月) 19:34:27.84ID:Eu7DNsxF
お、柴田勝家は出てきた
やっぱなー、佐久間は不当にマイナーだなー
0225人間七七四年2011/06/27(月) 19:38:07.58ID:uEu0umNk
べつに不当でもねえよ
0226人間七七四年2011/06/27(月) 19:39:53.97ID:Eu7DNsxF
何言ってんだよ
徳川家でいえば四天王の一角にあたるクラスなのに
ドラマでもバラエティでも全然触れられないなんて
不当以外の何者でもないわ
0227人間七七四年2011/06/27(月) 19:44:04.87ID:eaVYPJGz
いや石川数正ポジだろう
0228人間七七四年2011/06/27(月) 23:44:48.69ID:uEu0umNk
一般人にしてみたら、いてもいなくても歴史上重要じゃない人物なんかどんなクラスだろうがマイナーだろう
0229人間七七四年2011/06/28(火) 00:22:54.94ID:vMcsR2WB
信長公が主人公のドラマなら絶対に佐久間信盛は出てくるじゃん 捨てたもんじゃないよ
利家とまつでは鬼玄蕃盛政も出てた 慶次郎におちょくられてたけど
いやいや、佐久間家も捨てたもんじゃないよ まあまあだよ
0230人間七七四年2011/06/28(火) 00:36:55.26ID:vp/0WfjW
重要な地位にいるということは、イコール歴史上重要なんだけどなぁ
自分が知らないから重要じゃない、とか、子供は思ってそうだけど
0231人間七七四年2011/06/28(火) 01:45:42.90ID:dKI/isO5
歴ヲタならではのひとりよがりだね
佐久間一族が歴史の教科書に出てくるような事をしたとでも?
好きな武将を盲目的に贔屓するのもいいけど冷静に俯瞰できる目も持たないとね
0232人間七七四年2011/06/28(火) 01:56:15.95ID:vp/0WfjW
教科書基準w
0233人間七七四年2011/06/28(火) 05:48:16.18ID:k/cQiDAj
盛政の生き様は教科書に載せるべきだな
歴史研究会の会に行った時にダメ元で偉い人に直訴してみるかなw
0234人間七七四年2011/06/28(火) 07:26:13.61ID:dKI/isO5
一般のメジャーマイナーなんて教科書、時代劇や小説、漫画さ
「扱い酷いけど実はこの武将はね(キリッ」なんてやったら大概の人は引くよ
実際、光秀や勝家と違って一般教養の歴史的事件のキーマンでもないし
大した記録が残って無くったって前田慶次がメジャーなのはそういうことだ
教科書基準で笑うなら自分で小説や漫画書いて売れれば大好きな佐久間一族がメジャーになるぜw
0235人間七七四年2011/06/28(火) 14:12:34.60ID:1Trq0hRg
「これだけのレベルの人物なのにマイナーなのって不当な扱いだね」
に対して
「一般では教科書や漫画・小説でメジャーマイナーが決まる」
って、答えとして噛みあってないんだよね

「そうだよ、だからそういう一般の扱いが不当だってことなんだけど」
になるだけで
0236人間七七四年2011/06/28(火) 14:14:32.11ID:1Trq0hRg
たとえばこんなのと同じ、ズレた会話になってる

「この投手、22勝もしたのにMVPに選ばれないなんておかしいよね」
「プロ野球のMVPってのはファンの人気で決まるんだよ」
「…いや、だから、それがおかしいって言ってるんだけど」
0237人間七七四年2011/06/28(火) 14:59:31.40ID:usHvscul
>>236
ズレてないだろ。22勝したって人気が無ければ選ばれないって話だろ。
0238人間七七四年2011/06/28(火) 15:42:19.74ID:2AL5+9sI
歴史の教科書なら下手すりゃ信長秀吉家康に関ヶ原の石田辺りくらいで終わりだろうがなw
0239人間七七四年2011/06/28(火) 16:26:40.80ID:1Trq0hRg
>>237
アスペの人?
会話のキャッチボール(受け答え)がわからないんだな、かわいそう
0240人間七七四年2011/06/28(火) 16:30:52.47ID:1Trq0hRg
もう少しわかりやすくいうと

A「この投手、22勝もしたのに(本来なら成績で選ばれるべき)MVPに(人気がないからといって)
選ばれないなんて(制度のあり方が)おかしいよね」
B「プロ野球のMVPってのはファンの人気で決まるんだよ」
A「…いや、だから、(そんなことは言われなくても知ってるけど)それがおかしいって言ってるんだけど」

Bの人は、Aの人が「人気で決まる」ということを知らないから「おかしい」と言ってると
解釈しているが、それが間違いで、Aの人はそんなことは百も承知で「そういうのは
おかしいじゃないか(正しいあり方じゃないじゃないか)」と言ってるわけだから、
この会話はぜんぜん噛みあってない

まさかこんなレベルまで噛み砕いて説明しないと理解できない人がいるとは
思いもしなかったけど
それとも理解できないんじゃなくて「すみません、誤解してました」の一言が
言えなくて意地張ってるだけなのか?
0241人間七七四年2011/06/28(火) 18:28:09.88ID:aRgeszJr
>>214
>>213が全部事実とは思わないけど、本願寺を何年もただ包囲するだけで、
戦らしいことをほとんどしなかったのは確かだと思うが。
0242人間七七四年2011/06/28(火) 18:52:54.83ID:qVcl87EZ
司馬遼太郎の小説で、主人公が江藤新平とか川路利良とか河井継之助の
作品があるけど、この人たち一般にはあまり知られてないよね。

売れた小説や漫画に取り上げられたらメジャーになるか、っていうと
そういうわけでもない気がする。
0243人間七七四年2011/06/28(火) 18:53:32.35ID:i7Sb0jlp
>>241
広がりすぎた戦線の維持のため信長自身に本願寺との決戦能力がない中、
それでも十万とも言われる勢力を持つ本願寺を抑えきったってことが
どれだけ凄いことかわかってないだろ?

だいたい本願寺包囲陣も信長の都合で部隊の引き抜きが恒常的にあった。
本願寺との決戦どころか、戦線維持さえ危うい状況だった。
それでも戦線を崩壊させずほぼ大過なく維持しきったのは、もはや奇跡に近い。
0244人間七七四年2011/06/28(火) 18:56:33.98ID:i7Sb0jlp
>>242
司馬遼太郎で言うなら坂本龍馬は竜馬がゆく以前は、志士たちのメッセンジャー程度の認識で、
非常に地味であまり人気もない人物だった。高知県でも幕末の志士といえば「武市半平太」が
まず出てくる人物だった。
0245人間七七四年2011/06/28(火) 18:59:33.33ID:qVcl87EZ
>>244
薩長同盟の裏書をしていたことは知られていたけど、そこから後に
研究で「薩長同盟の実現を企図し、そのために奔走した」ということが
わかってから評価が変わったよね。
そういう研究が進んだのは司馬氏によって注目を集めたおかげだと思う。
0246人間七七四年2011/06/28(火) 19:03:58.17ID:i7Sb0jlp
>>245
> 研究で「薩長同盟の実現を企図し、そのために奔走した」ということが
> わかってから評価が変わったよね。

そしてそう言った過去の評価は現在、間違いだったことも解っている。
実はそれ以前の「メッセンジャー程度の役割」のほうが正しかった。

現代の竜馬がゆくに準拠した竜馬像は、完全なファンタジー。
0247人間七七四年2011/06/28(火) 19:16:41.35ID:usHvscul
>>240
説明されなくても俺はそんなの知っている、と思ってるお前がアスペだ!!
一方的な思い込みで話すから通じないんだ。

>>246
只のメッセンジャーが裏書きしても何の保証にもならんだろ。
0248人間七七四年2011/06/28(火) 19:17:15.27ID:vMcsR2WB
そういえば龍馬でなく、竜馬にしたのは司馬先生があまりに想像で書いたところが多すぎるので、
ちょっとフィクション小説っぽさを出そうとして一般的な龍を避けたと聞いたことがある
0249人間七七四年2011/06/28(火) 19:29:39.49ID:k/cQiDAj
なんでアンチ佐久間っぽい珍種が湧いてるんだ?
光秀ファンか?
0250人間七七四年2011/06/28(火) 19:35:07.74ID:i7Sb0jlp
>>247
> 只のメッセンジャーが裏書きしても何の保証にもならんだろ。

あの当時の龍馬は土佐藩の後藤象二郎や板垣退助といった親薩長派の京都代理人。

龍馬の裏書とは、「土佐藩の親薩長派はこの同盟を確認しました」という意味。
というか、それ以外ではあらゆる意味で龍馬個人の裏書なんて意味が無い。
0251人間七七四年2011/06/28(火) 19:37:58.28ID:58KfekKk
つか司馬以前でも龍馬主役の小説がヒットしたし、それなりに著名だったと思うけどな
0252人間七七四年2011/06/28(火) 19:44:56.98ID:usHvscul
>>250
代理人とメッセンジャーでは重みが全然違う。
0253人間七七四年2011/06/28(火) 19:48:21.38ID:i7Sb0jlp
>>252
全体を通してはメッセンジャー的役割
薩長同盟の時期に限れば土佐藩新薩長派代理人

これで満足か小僧?
0254人間七七四年2011/06/28(火) 20:19:55.38ID:usHvscul
>>253
そんな都合のいい話があるか。
0255人間七七四年2011/06/28(火) 20:53:29.91ID:dKI/isO5
純粋な質問なんだが、なんで佐久間にしか注目しないの?
他にも同じように不遇の武将はいるでしょ?
それとも他の似たような不遇の武将にも同じくらい執着して愛を注いでいるのかな
そうでないから贔屓武将補正の話にしかならないんだよな
0256人間七七四年2011/06/28(火) 20:58:28.90ID:usHvscul
それは佐久間スレだからだ。
0257人間七七四年2011/06/28(火) 21:02:26.35ID:i7Sb0jlp
>>254
都合のいいも何も代理人っていっても決定権のある存在でもなんでもないんだぞ?
代理人というものに何のファンタジーを持っているのかしらんが。
もっとはっきり言えば「見届け人」だ。後藤や板垣に顎で使われている存在にすぎん。
あまつさえ回天の中心に居た人物なんて評価は、噴飯物だわ。
0258人間七七四年2011/06/28(火) 21:28:06.70ID:usHvscul
>>257
それじゃやっぱり何の保証にもならんだろ。
0259人間七七四年2011/06/28(火) 22:21:48.37ID:hqN8jk9I
>>258
交渉権のない名代。
表立って薩長同盟に関与することが出来ない土佐のダミー。
黒幕の後藤らに代わって、名前貸しただけ。
実力はないけど、やたら顔だけは広くて有名だったから。
0260人間七七四年2011/06/28(火) 23:21:35.56ID:2AL5+9sI
>>255
スレタイみればここがなんのスレか分かるだろアホかw

>>258
知名度が保証になるんだから最高の保証だろw
0261人間七七四年2011/06/29(水) 09:53:13.40ID:BIokE5Na
信盛の腹心って言えば誰だろ?
勝家や光秀や秀吉の腹心は名前が残ってるけど、
信盛のは名前聞かない。
0262人間七七四年2011/06/29(水) 12:15:02.27ID:z6kt/Jtu
>>132>>144
Wikipediaにも似たような記述があるけど、本能寺の変で光秀が率いた軍勢は丹波衆ばかりだし
数も13000くらいだろ?
畿内の軍勢は関係ないというか、むしろ変後協力断られてばかりやん
0263人間七七四年2011/06/29(水) 13:01:33.38ID:M/zmJRx3
「腹心」といえるかどうかはわからんが、配下としては
畠山昭高とか保田知宗とかの名前は知ってるかな
0264人間七七四年2011/06/30(木) 00:48:15.26ID:JmEagF71
歴史小説を書いてみました 2011年06月25日17:03

今日はあまりにも暇だったので、歴史小説まがいなものを書いてみました(笑)
題材は信長公記巻13の宇治橋御見物の事の原文を参考にしました。
讃美歌流の信長像を書いてみましたが、賛否はあるかと思います
興味のある方は読んでいって下さい

********************************************************************

天正8年8月、織田信長は、親鸞以来、本願寺教団の本山として法灯をかかげてきた石山の地を11年という長き闘争の末、この地を手に入れることに成功した。
石山本願寺の明け渡しが終わると、8月12日に信長は京都を出て宇治橋からの景色を楽しんだあと、船で大阪に下り、天満の陣所へ入った。

『もう、あやつはいらぬだわ』信長はそうつぶやくと、近侍に楮紙を用意させた。
普段、信長は自筆で書状を認めることは滅多にない。
祐筆に書かせるのが常である。

そこで彼はまず『覚』と書き入れた。
彼の脳裏には先ほど見た石山本願寺の無残な焼け跡が蘇った。
『5年もかかって、こんな結末かや。』
信長の繊細な口辺が微かに歪む。。。
そして一気に筆を走らせた。
【一、父子五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、世間の不審余儀なく、我々も思ひあたり、言葉にも述べがたき事】。。。
世に言う佐久間信盛折檻状である。
【一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇にも構へず、調儀・調略の道にも立ち入らず、たゞ、居城の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り侯へば、彼の相手、長袖の事に侯間・・・・・】
書いているうちに、昨年まで織田家のために粉骨砕身して、敵城をことごとく攻略した部将達の顔が脳裡に浮かぶ。

風のない陣所の中で、灯心の炎が妖しく揺らめくのを信長は凝視しながら、額が広くやや神経質な顔立ちをした惟任(明智)光秀を脳裏に描く。
『同じ5年ながら、あやつが器量と功績は織田家随一だで』。。。
【丹波国日向守働き天下の面目をほどこし侯】と書き入れた。


『いや、平定した国の広さならば、あやつの方がもっと上かや・・・』顔中皺だらけで矮小な体をした猿面の羽柴秀吉を思い描く。
【次に、羽柴藤吉郎、数ケ国比類なし】

次に浮かんだのは、自分と乳兄弟ながら、あまりその能力を認めてやらなかった男だった。
朋輩である前田利家や佐々成政などは若年の頃より母衣衆に取り立てられ、信長の軍事の中心として活躍し今や国持ち大名となっている。
ところが、彼はごく最近、この大坂の近くで素晴らしい武功をたてた。
池田恒興である。
『身上の小さきやつでも、一生懸命だわ』
【池田勝三郎小身といひしも、程なく花熊申し付け、是れ叉、天下の覚えを取る】

今度は逆に大身の部将の顔が浮かんだ。
荒々しい如何にも武者らしい髭をたくわえた、もう初老にさしかかった柴田勝家の顔。
『欲ではない。武家としての誉れだわ。あやつも誉れのために、キンカンや猿に遅れをとるまいと頑張っておるのだわ』
【柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知しながら、天下の取沙汰迷惑に付きて、此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付けし事。】

『それにひきかえ、信盛めには柴田以上の待遇を与えていたではないかや』
信長の相貌が憤怒にかわり、こめかみには癇筋が走る。
【信長家中にては、進退各別に侯か。
三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、河内に与力、和泉に与力、根来寺衆申し付け候へば、紀州に与力少分の者ども候へども、七ケ国の与力】
『7カ国もの与力に自分の家臣を合わせて戦えば、よもや負けることがあらずか!』
信長は書いているうちに更に苛立ちが増してきた。
信盛に対する日常の不首尾、心がけの至らなさ、思い浮かぶことを激情に任せて次々と書き連ねた。
信盛が、昔は数々の手柄を立てた織田の古参の宿老であることも、その時は忘れていた。

【信長代になり、三十年奉公を遂げたるの内に、佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし侯儀、一度もこれあるまじき事。】
0265人間七七四年2011/06/30(木) 00:51:21.02ID:JmEagF71
佐久間信盛の手柄のことなど、この時は頭から離れているのに、7年前に悔しい想いをしたことが脳裏に蘇る。
それは朝倉軍退却を見逃した配下である部将達を、信長が叱咤した時だった。
信長は甲高い声で、部将達を罵った。
『おぬしどもは、儂が数度の下知を何と聞いたでや。
敵の様子を見合わせ仕掛けざりしは臆したるか!』
すると信盛だけがこう抗弁した。
『さように仰せられまするが、我らほどの家来は、なかなかに持たれまじきと存じまする』

信長はこの時の信盛の言葉を、脳裡に焼き付けて忘れず、追放する時の罪状の一つとしたのである。
そして次の言葉で、19条に渡る折檻状を締め括った。
【天下を申しつくる信長に口答申す輩、前代に始り侯条、爰を以て、当末致すべき二ヶ条、請けなきにおいては、二度天下の赦免これあるまじきものなり。】

そして当末致すべき二ヶ条とは、一つ目が、どこかの敵を征服して帰参するか、討ち死にする。
二つ目は、親子共々、頭を丸めて高野山に蟄居し許しを請うこと、であった。

信長は思案する。
『佐久間めが、一つ目を選択するならば、今後も使うてやらあず。
しかし二つ目を選択したるみぎりには、ここまでの男と見切りをつけて追放するしかあるまいの。。。』

やがて楠木正虎・松井友閑・中野重吉の3名が呼ばれ、この折檻状が佐久間に届けられた。
これを被見した佐久間親子は大いに驚き、取るものも取り合えあえず高野山へ向かった。
それを聞いた信長は
『口ほどにもないやつ。。。』
二つ目を選択した信盛に対し信長は落胆した。
そしてその落胆は再び怒りに変わり、
『儂は信盛めにチャンスを与えたのだわ。
残る敵を討ち平らげ攻略するか、討ち死にするかという、武士てしての誉れを与えてやったのだわ。
それを簡単に捨て去り高野へ逃げざりしか。
もはや信盛には儂が家来の値打ちはなし!』
そう思った信長は、信盛を高野山への退去することも禁じ、さらに奥熊野へ向かわせたのである。
共をする者僅かに小姓3名を許されただけである。

その一年後の天正9年7月24日、佐久間信盛は十津川で死去。

その後は織田家内部の新体制への改革が強化されていく。
信長は新たな前進を始めるときには、まず自分の周囲、自軍を調律し、不協和な者は容赦なく切り捨てる。
常に緊張させ活性化させることで組織の劣化を防ぐためである。
組織を成長させ、より天下布武に近づくために、信長は感情的になることを自ら戒めているのである。


********************************************************************
0266人間七七四年2011/06/30(木) 00:53:28.05ID:JmEagF71
イイネ!(10)

Tama
まみたん☆
♪choco7373♪
あきちゃん
NANA
Sachi
福丸
◆MICHIKAZU◆
さば坊
かなこ*゚
0267人間七七四年2011/06/30(木) 00:58:32.70ID:JmEagF71
るび2011年06月25日 17:28

短氣、癇癪もち等々いわれていますが…

信長公ほど我慢強い武将はいないかなと。

土曜日の夕方、楽しませて下さり、ありがとうございます


ゆみんこ2011年06月25日 18:15

お〜本格的ですね
私も信長・濃姫・光秀でひとつ書いたことがありますがライトノベル形式なのでここまで事細かじゃないです(^_^;)


尚子2011年06月25日 20:37

すごーい!もう、mixiの中だけじゃなくて、本だしちゃってください!


いっしん2011年06月25日 22:10

おぉ!凄い!信長の表情が浮かびます(`・ω・´)

書く人によって全然違うそれぞれの武将像を楽しめるので歴史小説は大好きです(*゚∀゚*)
讃美歌さん、またお時間ありましたら是非とも続きを!


アイラ(´A`)2011年06月26日 00:56

す…すごい…本当に歴史に詳しくなければここまで書けないと思います
私もいつか書いてみたい〜!
今はまだ色々歴史小説読んで研究中です


福丸2011年06月26日 08:08

昨夜コメントしたんですが・・
酔っぱらって書いていて
何だかあやしかったので削除しました

信長のお国ことばのつぶやきが、いいですね
讃美歌13番さんが信長に心酔しているのがよく伝わってきました

信長みたいな上司だったら、私は真っ先にクビになりそう


さくら2011年06月26日 10:33

ゆっくりじっくり読んだのでコメント遅くなりました
讃美歌さんいつも綺麗な文章書かれますよね
実は本出されてたりして…とか思ってます



ふぁみちゃん2011年06月26日 11:53

さらさらっと 書けちゃうなんて凄いですね
やっぱり 才能なんだなぁ…(*^^*)
0268人間七七四年2011/06/30(木) 01:06:25.21ID:JmEagF71
サカ2011年06月26日 12:20

信長役に、竹内力が、キャスティングされたら、インパクトありそうですよね


讃美歌13番2011年06月27日 12:43

るびさん
コメントありがとうございます

私も全く同感です。
蘇峰はこの佐久間折檻状で、極めて冷酷と評していますが、私はそうは思いません。
書いたようにチャンスを彼に与えたのだと思っています

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 12:48

ゆみんこさん
コメントありがとうございます

信長のセリフはあくまで私の想像です(笑)
信長公記の原文を引用して信長の心理を讃美歌なりに表現してみました

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 12:52

尚子さん
コメントありがとうございます

もっと人生経験を積んで10年後には歴史作家を目指しますか(笑)
なんて…まだまだ出版出来るほどの技量はないです

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:00

いっしんさん
コメントありがとうございます

仰る通りですね
私が今回、佐久間折檻状を小説風にしたのは、信長の人事考課のあり方についてや、人材リソースや組織構築の戦略について、どう捉えていたかを表現してみました
また機会があれば書いてみます

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0269人間七七四年2011/06/30(木) 01:09:18.44ID:8npnm+GQ
折檻状を見ると与力ばかり酷使させて自分は遊んでたんだろ?
これどう考えてもやってはいけないことでしょう
0270人間七七四年2011/06/30(木) 01:10:37.96ID:JmEagF71
讃美歌13番2011年06月27日 13:05

アイラさん
コメントありがとうございます

一次資料は文章が分かりづらいので、訳文のあるものがオススメです。
そこから登場人物のキャラクターを設定して心理描写を行いセリフを想像すると良いと思います
アイラさんの小説、出来ましたら是非拝見したいです

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:15

福丸さん
コメントありがとうございます

確かに私は信長に心酔しております
さすがですね
お国言葉はかなりいい加減なので心配です(笑)
名古屋の方に校正をお願いしたいです

信長はホウレンソウが大事だと言っています。
きっちり、報告、連絡、相談をすれば大丈夫です。
ちなみに秀吉は宇喜多との同盟を信長に相談もなしに決めてしまい、信長の逆鱗にふれました
佐久間への折檻状にも、ホウレンソウがなかった事を大変怒っています
事後報告は禁物ですよ

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:20

さくらさん
コメントありがとうございます

お褒め頂き光栄です。
文章で伝える事ってなかなか難しいですね^_^;まだまだ未熟です本は出してませんが、作家には憧れますね
まー無理ですけど(笑)

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/


讃美歌13番2011年06月27日 13:23

ふぁみさん
コメントありがとうございます

さらさら書くだなんて、とんでもないですよ(笑)
4時間かかりました
まさに生みの苦しみですかね

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0271人間七七四年2011/06/30(木) 01:12:15.07ID:JmEagF71
讃美歌13番2011年06月27日 13:26

サカさん
コメントありがとうございます

信長のキャスティングまでして頂きありがとうございます(笑)
任侠的な信長も斬新ですね

ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0272人間七七四年2011/06/30(木) 03:31:09.86ID:odQU9kCF
>>265
> 高野へ逃げざりしか

これ意味逆になってるよ
「逃げなかったのか」という意味になってしまってる
「逃げてしまったのか」という意味にしたいなら「逃げたるか」
0273人間七七四年2011/06/30(木) 03:32:57.82ID:odQU9kCF
>>269
だからな、書いてあることが全部本当にその通りかどうかわからんだろ?
だれがどういう意図で何の目的で書いたのかを含めて考えないと
史料批判っていうのも元々はそういうことだよ
0274人間七七四年2011/06/30(木) 03:51:46.22ID:BL0zeHzg
でもよく謀反起こさなかったな 1万ぐらいの軍勢なら思い通りに使えたんじゃね?
0275人間七七四年2011/06/30(木) 04:26:36.34ID:ukKKPB0V
>>274
信長に1万程度の軍勢で謀反しても勝算ないだろ…。
信忠が尾張・美濃の軍に、手が空いてる畿内の軍を加えて攻めて来たら勝ち目がない。
武田の脅威はないから、信忠軍はフリーハンドだし。
0276人間七七四年2011/06/30(木) 23:44:47.64ID:h8hYZy/W
挽回の機会を放棄して高野山に逃げた信盛に謀反を起こすモチベーションなんてそもそもなかったでしょ
0277人間七七四年2011/07/01(金) 00:25:03.37ID:cX/5OSMr
謀反起こすくらいの気概があれば糾弾状もらわねえだろ
0278人間七七四年2011/07/01(金) 00:32:37.97ID:LMnsRfGH
忠義の譜代に何を期待してんの?
0279人間七七四年2011/07/01(金) 00:35:55.34ID:ky7G3nda
そもそも信長は折檻状を出す時は、慎重に信盛をその軍団から引き離した上でやっておる。
直前までその素振りも見せず、ほとんど騙し討ちの状態で折檻状→追放。
0280人間七七四年2011/07/01(金) 03:06:59.17ID:cX/5OSMr
ああ、信長ってわるいやつだったのか!
0281人間七七四年2011/07/01(金) 20:40:13.07ID:OtEv40el
>>279


家康の堺行きもある意味危なかったんだな・・。

明智も国替えとなると近江衆、丹波衆とは別れることになるし・・。
0282人間七七四年2011/07/01(金) 23:21:34.58ID:X9kVQ2Rq
軍団つーてもいろんなところからかき集めた与力じゃなかったっけ?
本願寺戦が終わった時点で彼らを信盛の側に置いておく必然性なんかないと思うけど
つーか信長に告げ口したのって与力の連中じゃないの?
保田の書状がどうのこうのとか折檻状にあったし
0283人間七七四年2011/07/02(土) 02:12:08.49ID:8mhvj4y/
そもそも大坂の佐久間の元に折檻状を送りつけたのだから、軍団から引き離したとか何のこと?
0284人間七七四年2011/07/02(土) 02:45:12.26ID:i4w0EXKr
>>282
兵馬の権ってやつかな 
なんかNHKの歴史番組で、佐久間の軍団って当時織田家最大兵力で、
その軍団を解体して再編成したいがためにああなったとかなんとか聞いた気がする
0285人間七七四年2011/07/02(土) 02:48:05.99ID:k42r7vME
>>282
人望無かったってことか…
0286人間七七四年2011/07/02(土) 13:03:24.52ID:Y8eVGx/F
折檻状にあるように与力にばかり負担させて自分は蓄財&茶の湯三昧だったとしたら恨むことはあってもかばうことはないだろうね
0287人間七七四年2011/07/02(土) 16:38:06.06ID:dg2HQKEq
>>264-268
>>270-271
痛い連中だな。
0288人間七七四年2011/07/04(月) 06:15:04.44ID:9GFxeSMv
>>286
逆に与力に気を遣って温存したりしても、それはそれで信長に
叱責されると思うけどな
「わしがわざわざ与力をつけてやったのにまったく使わず
自分だけが手柄を独り占めしようとしている」とか言われるでしょ
0289人間七七四年2011/07/04(月) 15:44:09.51ID:d7Wl5DYV
織田家はブラック企業の体質があって、信長公は密告を奨励してたらしい
柴田勝家の北陸方面軍もほかの部隊から毎日朝から酒を飲んでいるとかチクられてたらしい
0290人間七七四年2011/07/04(月) 16:59:25.04ID:7YuIrJ+h
つーか今の基準ならどこもかしこもブラックだろうて
0291人間七七四年2011/07/05(火) 00:50:42.17ID:ZS8NainO
らしいらしい
ブラック企業じゃない大名を教えて欲しいものだ
0292人間七七四年2011/07/05(火) 07:52:46.31ID:W6HcuaZK
畿内の土豪なんて一癖も二癖もある連中でしょ
やはり反りが合わなかったんかね
0293人間七七四年2011/07/05(火) 14:57:01.00ID:wXtr3EJc
鎌倉公方挙兵以来の大乱戦続きで
やたら地域の山間部を占めて割拠するようになった越後や甲斐は
恣意的に主家の当主をすげ替えたりと国人社員自体がブラック過ぎる。
0294人間七七四年2011/07/05(火) 16:45:24.93ID:+UY8ZY/l
ブラックな奴等の犠牲となった純真な佐久間信盛!
0295人間七七四年2011/07/05(火) 23:18:44.93ID:ZCth+IjU
>>288
さすがの信長も頑張っている奴には滅茶苦茶なこと言わないでしょ
0296人間七七四年2011/07/05(火) 23:55:30.70ID:R+YJU0Yu
織田家は頑張ると馬鹿を見るシステム。
0297人間七七四年2011/07/06(水) 00:02:47.62ID:WhNDXXSb
信長直参出身の目付や軍監を接待し関心を買うのが織田家での出世と保身の術
0298人間七七四年2011/07/06(水) 00:05:05.88ID:EU1fIGWp
柴田勝家も前田利家や佐々成政、不破光治の接待をやりまくってるな。
0299人間七七四年2011/07/06(水) 00:09:24.31ID:PigYNCek
信長ほど裁きに厳正な大名はいないだろ
0300人間七七四年2011/07/06(水) 00:11:17.58ID:EU1fIGWp
信長の裁きが厳正だった例を知らん
0301人間七七四年2011/07/06(水) 00:12:42.81ID:SDNjrBC+
部下に厳しく身内に甘い。
0302人間七七四年2011/07/06(水) 00:17:39.52ID:PigYNCek
>>300 そこから?

>>301 逆だよ
0303人間七七四年2011/07/06(水) 00:22:00.54ID:dwgdwI8F
税金とか裁判とかが公平だったのは家康公というイメージ
あの人はオキテみたいなものを明文化してみんなが納得してから施行ってかんじ
信長公はまさに自分がオキテ どんな罪にどんなバツが与えられるか、
信長公に聞いてみないとわからない 有罪と思ったやつが無罪になったり、
無罪と思ってたのが全員死刑になったりする 平等とは言えないだろうな
0304人間七七四年2011/07/06(水) 00:48:15.34ID:PigYNCek
それは自分でもいってる通り「イメージ」
無罪と思っていたのが死刑って?
一族と家臣は分けて考えると平等ではないが公平でしょ
一族の裁きは厳しい
0305人間七七四年2011/07/06(水) 00:49:41.00ID:6FsKodvi
>>304
じゃあイメージではない実例を出してくださいな
0306人間七七四年2011/07/06(水) 00:55:00.62ID:PigYNCek
朝倉攻めの裁きと甲斐攻めの裁きを比べてみて
荒木と松永と浅井が裏切ってから最終的に兵を繰り出すまでの対応を比べてみて
0307人間七七四年2011/07/06(水) 03:26:15.09ID:ef0CLp+k
たまにはボクの事も思い出してください
佐久間
0308人間七七四年2011/07/06(水) 04:00:08.28ID:Uwudbv7v
>>295
いや、ある程度の地位のある人間は、下の者に手柄を譲って自分は
前にしゃしゃり出ない、というのが美徳だったからね
信盛ほどの重心が全部自分でやろうとしたらどこの家中でも確実に
非難されるよ
0309人間七七四年2011/07/06(水) 08:38:44.17ID:WhNDXXSb
森長可は何をやっても無罪
0310人間七七四年2011/07/07(木) 04:22:31.40ID:QxE21YWV
天罰的面な最期だったけどな
0311人間七七四年2011/07/07(木) 14:15:13.00ID:iWoauWQY
まぁ信長から特別扱いされたDQNだから
秀吉もウザかっただろうね。
0312人間七七四年2011/07/07(木) 17:29:46.20ID:ZxhthgdB
ま、まさか秀吉のやつわざとあのふたりを・・・・
0313人間七七四年2011/07/07(木) 19:52:52.41ID:iWoauWQY
長可に社会性があり
主が代わったら、時勢を読みそれに合わせて
横暴さを改めら秀吉を支える柔軟性ある人間性があるかどうかだな。
0314人間七七四年2011/07/09(土) 13:20:07.97ID:IX1gpAhf
佐久間スレなんだから佐久間を語ろうぜ
0315人間七七四年2011/07/09(土) 16:09:15.95ID:oHgzQBmm
実際のところ、森長可ってどんな人だったんだろう
ほんとにタダのチンピラだったのかな
0316人間七七四年2011/07/09(土) 17:21:27.24ID:/wW1oDve
ただのチンピラで20代で20万石の大名にまでなれるわけがない。
織田軍の中でも精強だった森軍団が長可の討ち死に後一気に弱兵化したのは、
色々理由があるにせよ長可の指導力を認めていいと思う。

相当武張った凶暴な人間だったのは確かだが、ひとかどの器量の持ち主でも
あったのだろう。
0317人間七七四年2011/07/09(土) 18:20:53.53ID:IcGYJWvF
佐久間の追放に同時代の人間はざまぁと思ったの?
0318人間七七四年2011/07/09(土) 20:56:07.41ID:UF24jJkn
同情多数、助けてやりたいが信長がもうイッちゃい始めた頃なので怖くて誰も言えず仕方なく追放に

ってのがこのスレの模範解答
応用効かすなら

「光秀の讒言による」って記録にあるから光秀はざまぁと思ったかも

って答えるのがベスト
0319人間七七四年2011/07/09(土) 20:59:45.96ID:McSP37RG
単純に門番を斬るなと言う規則が無かったから長可を罰せられなかったのだろう
しかし信長から見ても非常識な行いだったので逸話として残る
森に限った話ではないがガチ勝負で敗戦を経験すると有能な家臣の補充育成が
追いつかない例が多い   盛政の突撃食らった大名もしかり
なので森家の場合弱体化を当主の力量とするのは可哀相 強さとは人(家臣)

一方北国の織田最強譜代軍団では
貞勝:北の庄では朝から酒ですぞ
勝家:犬は寺の税を横領してるら
利家:それは佐々殿も
成政:ギクッ
盛政:ポカーン
信長:オノレ・・・
↑このような話が残っていても誰一人処罰した形跡が無い
普通一度目の過ちは許されていたと考えると信盛は・・・                    全部光秀が悪い
0320人間七七四年2011/07/09(土) 23:16:07.39ID:b+Dktnbo
信長が信盛の屋敷に長期滞在するぐらい、覚えもめでたかったんだよな
忠節・功労・寵愛が比類ない老臣の追放劇に前兆はあったんだろうか?
0321人間七七四年2011/07/09(土) 23:23:52.80ID:L6eZqQnt
>>316
> ただのチンピラで20代で20万石の大名にまでなれるわけがない。

こういう、結果からものを見る見方ってけっこう危うい
テレビでやってたからとか有名人が言ってるからとかで騙されてしまうタイプ

>>317
同時代の史料はみんな「なんで?どういうこと?意味不明」という反応
0322人間七七四年2011/07/09(土) 23:39:53.83ID:b+Dktnbo
>>321
では、結果以外の視点から物を見る見方で、森長可のめざましい出世の背景を説明してくれ
0323人間七七四年2011/07/10(日) 10:12:43.30ID:4eaVYdrQ
「きみの不幸の原因が前世の因縁だからツボを買えって、それは騙されてるよ」
「では、前世の因縁以外で、おれの不幸の背景を説明してくれ」
0324人間七七四年2011/07/10(日) 14:02:29.15ID:uUNa/rt1
佐久間の次は柴田に対して、家督相続のときはよくも弟をかついで俺に
敵対してくれたなと追放してたかな。
0325人間七七四年2011/07/10(日) 19:11:37.02ID:XFWmY/k7
一罰百戒的な考えで佐久間を叩いて家臣団全体を引き締めたのか、
大封の高齢家臣を順番に全員リストラしてお気に入りの若手将校に
領地を与えたかったのか・・・・ 前者なら次のターゲットは柴田勝家だろうな・・・
0326人間七七四年2011/07/11(月) 02:18:50.19ID:EDWifn2R
>>325
後者でも、な気が
滝川あたりも意外と失敗しやがれと思って関東に派遣されてたりしてな
0327人間七七四年2011/07/11(月) 02:37:01.68ID:LHktejmV
>>324
佐久間は弟の側だったのに、わざわざ信長に味方したんだったかな
0328人間七七四年2011/07/11(月) 07:45:34.24ID:39R+/vyh
弟の話するとまた「信行という名は正しくない」とかいう人が出てきそうな
気がしてちょっとイヤだな
0329人間七七四年2011/07/11(月) 13:03:45.25ID:obti1iF0
佐久間は本当は名将!っていうスレのやつが何言ってやがる
同じ事だろうがw
0330人間七七四年2011/07/11(月) 13:37:51.05ID:TIR/VmjU
???
0331人間七七四年2011/07/11(月) 17:18:58.59ID:+9WtiZhg
>>329
そうだなw
0332人間七七四年2011/07/12(火) 09:22:05.16ID:i/IYVuuN
謙信が死んで上杉内乱が起きていた隙に
加賀を奪うのに成功したから
柴田は首の皮一枚ギリギリでつながっただけだからな。
謙信が死ぬまでは重鎮柴田を越前に配置せざる負えないが
謙信死後にモタモタしてたら柴田も更迭されていただろう。
どっちにしろ越後攻略に成功したら柴田用済みだろうね。
柴田も陸奥守とかにされそうだしw
0333人間七七四年2011/07/12(火) 09:45:37.07ID:mtDUPuor
畿内や要所は子飼いの馬廻りや腹心で固めるつもりだったんでしょ
実際、本能寺が起きていなければ、秀吉は長浜を取り上げられることになってたし
0334人間七七四年2011/07/12(火) 10:58:18.48ID:QvufKzfG
>>333
よくそういう妄想を平然と事実のように話せるなお前w
0335人間七七四年2011/07/12(火) 14:42:04.04ID:mtDUPuor
長浜は久太郎に与えられることになってたんだと思うよ
寛政重修諸家譜では天正九年九月八日に長浜城主になってる
堀家譜でもそのときに二万五千石(近江坂田のことかもしれんが)を貰ったと記してる
もちろん実際には秀吉は退去してないけどね
ただ、同年春の信長の利家宛朱印状に、能登はくれてやるから越前府中は来年以降は菅谷に譲れとある
長浜でも同じ朱印状が発給されたんじゃないかって言われてる
0336人間七七四年2011/07/12(火) 15:31:08.10ID:1pLOhzIs
信長公は秀吉や光秀など流れ者でも仕事ができれば大封をあたえるけど、
やっぱり好みというのがあって、子供のころから崇拝させている信長親衛隊あがりの
利家や久太郎、森兄弟などをえこ贔屓してるように見えるな
0337人間七七四年2011/07/12(火) 15:48:59.61ID:Pzfe9+k2
寛政重修諸家譜は信用できんが
前田に関しては長頼に家臣の邸宅も含めてすべて引き渡し
妻子・家臣ぜんぶ連れて能登へ移れと命じられていて
年貢に関しては本年分を受領し、来年分は長頼に引き渡すように言われている。
その一方で府中は利長が封ぜられたとも言われている。
その理由は信長の娘と利長が婚姻したことだといわれている。
そして本能寺の直前に利長夫妻は信長に呼ばれて本能寺を目指していたが
これは信長が新たに能登を与えたことから利家から利長を人質にするためのものだったとも言われている。
0338人間七七四年2011/07/12(火) 18:33:56.38ID:GnCe5RuP
>>336
信長が取り立てて大名にした奴は、ほとんど母衣衆や近習あがりだし。
0339人間七七四年2011/07/12(火) 20:00:42.31ID:Pqg3nIRC
なんか「信長の野望」で武将の再配置するときみたいな話だな
0340人間七七四年2011/07/12(火) 23:25:14.67ID:52iMUotk
親族・子飼いで固めるのは家康もやっているから一概に信長が間違っていたとは言いきれないと思う
特に信長の場合だと途中参加の外様の連中が反逆するケースが頻発したわけだし
松永、三好、富田、波多野、荒木・・・・数え上げればきりがない
0341人間七七四年2011/07/12(火) 23:41:32.37ID:EFQzswRe
エ?
0342人間七七四年2011/07/13(水) 03:07:57.04ID:829Z1Al3
家康はまったく逆だろ
外様ほど大封を与えたんだよ
ただし、地理的には僻地でね
で、役職には就けさせなかった
譜代や一門親族は要地に小藩を置いて、そのかわり重役を任せた
0343人間七七四年2011/07/13(水) 10:54:01.38ID:LQiNiUgq
佐久間も、数万石から十万石程度の所領で、織田家筆頭老臣という家中の地位だけに依存して采配を振るい、
独自の勢力を持たなければ追放はなかったのかな?
0344人間七七四年2011/07/13(水) 11:28:59.47ID:R33cHvjd
信長の場合は家臣に与えたのでなく
目付けに監視させた上で領地を預け置いただけだから
佐久間のように気分ひとつでいつでも没収できる。
0345人間七七四年2011/07/13(水) 20:01:21.97ID:WzmZx+lk
信長は、自分以外の人間は自分と違う普通の人、凡人なんだ、って
ことが理解できてなかったっぽいような印象を受けるね
こういう人、今でもよくいると思う
0346人間七七四年2011/07/13(水) 21:40:47.52ID:eiPma5CG
我々程の内の者はもたれ間敷、と自賛を申され候
0347人間七七四年2011/07/13(水) 22:06:15.10ID:jHuiAclV
>>346
信盛の人間像を想像するにはその話が一番インパクトあるね
0348人間七七四年2011/07/13(水) 22:36:34.74ID:s+aznKgg
逆に信長がどんだけキチガイな怒り方をしていたんだと思うと怖いわ。
しかも信長が根に持つ性格なのがよくわかるわ
0349人間七七四年2011/07/13(水) 22:51:36.28ID:jHuiAclV
そうかな?多少なりとも笑っていたんだと俺は想像してる
この発言と追放は全然関係ないと思うよ
0350人間七七四年2011/07/14(木) 00:09:09.55ID:EscdbBYD
>>5
0351人間七七四年2011/07/15(金) 04:03:52.48ID:wzwvKDVN
小牧山城の石垣で日本最古の石垣墨書発見
「佐久間」と書かれていた

http://www.city.komaki.aichi.jp/contents/10000259.html
0352人間七七四年2011/07/15(金) 11:26:23.50ID:kURujalb
佐久間ブランドさすがやな。
0353人間七七四年2011/07/16(土) 01:03:30.18ID:80vCmB4V
>>344
でも実際というか、建前上は少し違ってたんじゃないかな。
そうでなければ、だれも信長についてゆかない。
0354人間七七四年2011/07/16(土) 09:27:20.95ID:1mhhLTId
実際信長死んだら葬儀もやらずに
すぐ家臣たちが織田領を分配するのに熱中して他家と違って節操がまるでないって嘆息されたほど
上記のように多聞院日記に皮肉を書かれたほどの常識を逸した手の平返しをしてるじゃん。

0355人間七七四年2011/07/16(土) 15:07:25.33ID:sZyIgtYu
そもそもの武士の発生過程というのは、自分たちの開墾地を自衛する
ために武装した人々がいて、しかし個々は弱いので団結する必要が
あって、それを束ねる人たちが出てきて、兵役を負担する見返りに
開墾地を守ってもらうという、武力の保険制度のような「御恩と奉公」が
成立した、というのが発端。
だから中世の武士の倫理観としてはこの契約が破綻したら関係は
終わり。お互いに義務を負い合う双務的な契約だから。
それが「主君第一が家臣のつとめ」になったのは、江戸幕府が朱子学を
基準にしたため、そのように変質していったというのが事実。

こういう武士の倫理観は僧侶や公家には理解できなかっただろう。
0356人間七七四年2011/07/16(土) 20:43:34.31ID:f/wwxMmH
>>355
> そもそもの武士の発生過程というのは、自分たちの開墾地を自衛する
> ために武装した人々がいて、しかし個々は弱いので団結する必要が
> あって、それを束ねる人たちが出てきて、兵役を負担する見返りに
> 開墾地を守ってもらうという、武力の保険制度のような「御恩と奉公」が
> 成立した、というのが発端。

それ俗説。完全な間違い。

今は武士の発生は、中央の武人貴族が平安期に地方に下り、その地域の国衙軍を
統率、それが固定化し主従化、世襲化した物、というのがほぼ定説になっている。

開墾農民武装化説はほぼ否定されている。というか今の市民が武装化しても軍隊にはならないのと同じで
農民が武装してもそれは武士にはならんよ。
0357人間七七四年2011/07/16(土) 21:33:25.06ID:uMtR0g2z
揚げ足取りぽくてすまんが人の意見に異論を挟むなら言葉はしっかりしないとな
完全な間違い と ほぼ否定されている じゃあ意味が違うぜ
0358人間七七四年2011/07/16(土) 22:32:11.84ID:f/wwxMmH
>>357
わるかった。「ほぼ間違いと現在認識されている」で。
0359人間七七四年2011/07/17(日) 00:59:01.35ID:X6bG8+vK
>>356
旧郡司層と土着した国司の子孫がルーツだと思ってたけど違うの?
0360人間七七四年2011/07/17(日) 02:44:16.27ID:dL1UR5g1
>>359
土着と武士化は全然別だろ。
武士に成る必然性がない。
0361人間七七四年2011/07/17(日) 04:10:07.55ID:X6bG8+vK
>>360
いや、あの、そういう人らがルーツの在庁官人が武士化したんじゃないかと言いたかったんだが…
0362人間七七四年2011/07/17(日) 04:59:23.76ID:JgVXtPvm
武士の起源論は簡単には結論出ないからここで論じても仕方あんめー。

それは措いといて、武士の倫理観の変化という話の部分は正しい
指摘だと思うよ。
見返りを求めない無限の忠誠を要求されたのは江戸時代からで、
それ以前は役に立たない主は捨ててもよかったでしょ。
0363人間七七四年2011/07/17(日) 10:16:23.72ID:39kboqp6
江戸時代でもバカ殿は押し込めてもいいんだよ。
そもそも米で藩から給料もらっているようなもんだし
所属する組織に忠誠するのは当たり前の話。
中国が異民族に侵略された時に漢民族が考え出した朱子学が日本に流入して
日本向けにアレンジされ天皇の再認識がなされ南北朝時代を呼んだわけで
江戸時代に突然変異で変化したわけじゃない。
0364人間七七四年2011/07/17(日) 11:32:36.95ID:T58P/5qq
盛信「ボクはここでもいらない子なの?」
0365人間七七四年2011/07/17(日) 11:46:50.46ID:LwMMEDSE
仁科さん?関さん?
0366人間七七四年2011/07/17(日) 21:38:29.47ID:T58P/5qq
ガチで名前すら間違えたわw
0367人間七七四年2011/07/18(月) 11:02:02.51ID:splUdoaD
そういや、通字は「盛」で合ってる? 信の字は、織田家当主からの偏諱で。
0368人間七七四年2011/07/18(月) 13:28:05.54ID:VU87P8TG
>367
盛重の系統の通字が盛で信盛の系統が信だったと思う
0369人間七七四年2011/07/18(月) 19:07:33.90ID:aqefrIXb
>>367
別に通字ってひとつの家系で永遠不変なわけではないよ
佐久間家の「盛」は、和田義盛-常盛-朝盛-佐久間家盛の流れに由来

信盛系は「信」と「盛」と両方ある(盛進などもいる)
他に安政系は「安」だし勝之系は「勝」だし
0370人間七七四年2011/07/18(月) 19:09:20.16ID:aqefrIXb
とりあえずここ見ればよくわかる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%B0%8F#.E7.B3.BB.E5.9B.B3
0371人間七七四年2011/07/19(火) 00:33:41.43ID:dH09woFB
えっ 佐久間家って由緒正しい家なの?
信長公(自称藤原、平、ほかなんでも)とか前田利家(自称菅原道真の子孫)みたいに
自称じゃないの自称
0372人間七七四年2011/07/19(火) 01:36:12.26ID:M/HAJgC7
何をもって「由緒正しい」とするか謎だけど
和田朝盛の子の佐久間家盛が御器所を与えられていたことは確認できてるよ
御器所のほうでは室町中期ごろにはもう佐久間の名前は確認できてるし
0373人間七七四年2011/07/19(火) 02:38:38.14ID:dH09woFB
ふうむ そうするとれっきとした平家ですな 御先祖様はまさしく天皇家のお方
家柄いいんじゃ!という自負はあったでしょうな
0374人間七七四年2011/07/19(火) 08:16:49.45ID:nC/WQ95B
藤吉郎:家柄よくねえと名字なんて持っとりゃーせん
0375人間七七四年2011/07/19(火) 18:27:11.86ID:COF3ku9d
秀吉の家はどうも「ハシバ」が隠し姓だったフシがある。
それが元々「羽柴」だったのか、それとも「橋場」「端場」などの地名苗字に
雅字を当てたのかはわからないが。
0376人間七七四年2011/07/19(火) 18:38:07.24ID:i7+jOvwD
>>373
そうでしょうね。当時の佐久間は尾張でも屈指の名家だから。
0377人間七七四年2011/07/19(火) 21:02:09.46ID:yL8L307x
>>375
やはり、秀吉自身が橋端と羽柴をかけて創った姓と言われている
橋のたもとに捨てられていた話との
0378人間七七四年2011/07/19(火) 23:30:22.94ID:dH09woFB
井沢元彦氏などは端柴売りの稗吉という説をとってますね
端柴売りというのはハンパなタキギを売る最下層の木こりかなんかのようです
非常に自虐的な名前ですな 葛飾北斎の別名、画狂人、画狂老人、月痴老人などを
思い出しました なくはないけど、ここまで卑屈にされると逆に怖いですね
奴隷だけが王を殺せる、みたいな凄みを感じます
0379人間七七四年2011/07/19(火) 23:40:43.96ID:W8h78Ylt
そういう貧農説とは逆に、秀吉の実家はある程度規模の大きな百姓で、農業だけでなく
河川流通業も手がけていて、そのため船出し場のある「橋場」あるいは「橋端」の
藤吉さんと呼ばれていた、って話も聞いたことがあるな。
0380人間七七四年2011/07/20(水) 00:12:15.85ID:/MFzUVyT
河川流通業が一番ありそうだよなー
商売人だから算学に明るく奉行職ができ、
美濃の流通業者と顔が利くから蜂須賀らを動かしたり調略もできたとする論拠は織田家でいきなり登場するや奉行スタートですぐ軍勢を率いる立場になると言う大抜擢の裏付けとして一定の説得力がある。
0381人間七七四年2011/07/20(水) 01:49:54.78ID:OPpcMyJl
さて、このスレは何スレだったかのう
0382人間七七四年2011/07/20(水) 09:37:15.43ID:G9pwYxVR
>>369
和田義盛の盛に由来するってのは凄いね。
結城家の朝が頼朝に由来するってぐらいビックリ。

あと安や勝は別家として独立した証左なんでしょうね。
0383人間七七四年2011/07/20(水) 10:33:16.72ID:E2ksmApB
そういえば信長嫡男の信忠(信重)は、明らかに平忠盛(平重盛)からだな。
0384人間七七四年2011/07/20(水) 11:06:43.52ID:upZYDFgj
>>380
おそらく商人人脈としての採用だよな、秀吉は。
かなり早くから津島とか川並衆とかとの統括みたいな位置に居たみたいだし。
ソースがネットのどこかなんで、この情報が間違ってる可能性あるけど。
0385人間七七四年2011/07/20(水) 17:09:03.05ID:JeG8e4Rq
>384
口寄せの人がそんなこと書いてたな
0386人間七七四年2011/07/20(水) 17:11:03.19ID:eUH/Xdz6
武功余話だったような?
0387人間七七四年2011/07/21(木) 03:14:41.53ID:WGzHWCq6
>>382
そうなんよね
勝之は何とかして盛政の家を復興しようと尽力したらしい
中川家に嫁いだ盛政の娘虎姫の息子内記に家を継がせて
自分の娘を嫁がせた
内記が後嗣なく没した後はその自分の娘を中川資重に
嫁がせて資重に家を継がせた

おそらく自分の家は分家で、本家は盛政家、という意識が
あったんだろうと思う
0388人間七七四年2011/07/21(木) 03:34:26.55ID:WGzHWCq6
ざっと鎌倉からの流れを追っていくと

三浦氏の出身の和田義盛が侍所別当として幕府の一角を成し、和田家は一大勢力に
孫の朝盛は三代将軍実朝の覚えめでたい寵臣だった
しかし和田氏は北条氏の陰謀により罠に陥れられ、武力衝突に発展、和田合戦となる
朝盛は実朝に弓を引きたくない思いから、出家しようと京に向かうが、祖父義盛からの
追手に追いつかれ説得されて参戦する
結果は和田一族の敗戦となり一族はほぼ滅亡、朝盛はなんとか逃げ延びた
その後の承久の変では後鳥羽上皇方についた記録がある
朝盛は同じ三浦一族の佐久間家村の養子になっており、朝盛の子家盛はこの家村の
元に逃れた
家盛は承久の変では幕府方で戦い、恩賞として尾張の御器所を賜った
ここに家盛とその子孫が定着し、室町期から戦国期にかけての尾張佐久間氏となる


だいたいこんな感じ
0389人間七七四年2011/07/21(木) 15:04:58.42ID:a4ovz5do
和田の嫡流って、凄い名家じゃないか
三管領や四職なんかよりずっと家格高いぞ
0390人間七七四年2011/07/21(木) 17:47:33.50ID:5mvuhOkL
そんなことはあるまい しょせんは自称が多い坂東平氏
軍事的に貢献して頼朝公の側近になっただけのはなし
三管領は足利一門だから超源氏 田舎の自称平氏あがりとは格が違うと思われる
0391人間七七四年2011/07/21(木) 19:58:09.42ID:jHC4t5H+
尾張の佐久間は所謂「自称」とは違うな。
0392人間七七四年2011/07/22(金) 03:32:41.23ID:JP1aWUOh
>>390
和田氏は坂東平氏の名門中の名門で、八幡太郎義家に従って武勲を立てた三浦一族で武勇の誉れ高い和田義盛の末裔だろ?
鎌倉時代に足利本家から分かれ、室町時代になってようやく家名を高めた細川・斯波・畠山よりずっと由緒正しい家。
0393人間七七四年2011/07/22(金) 09:48:17.38ID:QDWUTPQT
>>392
だから?先祖が有名なら何でも由緒正しいのかお前の脳内は。
0394人間七七四年2011/07/22(金) 11:57:19.12ID:ncYIePpA
「由緒正しい」とか、基準が曖昧なことで言い争うなよ
0395人間七七四年2011/07/22(金) 23:50:14.89ID:bF0KBcYw
先祖が有名だからこそ由緒正しいんだろ
0396人間七七四年2011/07/23(土) 00:01:00.77ID:FQR0oXNk
先祖が有名でなおかつ家を維持している場合だ
0397人間七七四年2011/07/23(土) 01:46:07.32ID:Z963ch1u
いまだに由緒に価値を見いだしてしまうのね
由緒なんて人の評価に何の意味もないのに
0398人間七七四年2011/07/23(土) 02:15:24.72ID:mTR+0G8G
>>392
揚北衆ですか
0399人間七七四年2011/07/23(土) 09:03:32.62ID:gniuPboU
>>397
何を勘違いしてるの?
ここは戦国時代の佐久間氏を語るスレであり、
今現在の価値観を論ずる場所ではない。
0400人間七七四年2011/07/23(土) 14:44:03.59ID:Z963ch1u
道が逸れまくりで肝心の佐久間も論じてなさそうだが?w
0401人間七七四年2011/07/23(土) 23:11:20.54ID:IXQfJTii
佐久間盛政と前田慶次郎はタイマン勝負したらどっちが強いの?
0402人間七七四年2011/07/23(土) 23:57:26.36ID:yddDq+fc
盛政は別に個人的に武芸の達人というわけではないからなぁ
千単位の兵を率いての合戦なら盛政のほうが有利じゃないかな
0403人間七七四年2011/07/24(日) 12:15:45.43ID:s/sHPr5w
>>402
そうかな?

部隊指揮官としての盛政も優秀だったが、槍働きもそこそこ伝えられてるでしょ
例えば
盛政が18歳の時、金森の戦いで前田利家の家臣村井長頼とともに一番首を同時に取ったが
盛政は親父殿(勝家)へ真っ先に報告したかったため
信長に近侍していた前田利家を通じ村井に先を越され信長よりの一番首の名誉を逃した話とか

20歳の時の槙島の戦いでも先陣を切っているし

天正九年に一向門徒の支援受けた上杉軍が佐々が留守している越中の鳥越、二曲城奪われると
電光石火二城を奪い返した時に槍を片手に次々兵を突き倒し血祭りにあげる盛政を恐れて
敵から鬼玄蕃と畏敬をもって呼ばれるのだが

一方慶次は後世の小説などでの脚色が多く史実かどうか曖昧な部分が多い
0404人間七七四年2011/07/24(日) 17:31:04.48ID:CYaQ+KXq
改行うぜえ まで読んだ
0405人間七七四年2011/07/31(日) 14:46:51.48ID:gMuke2nQ
信盛系佐久間氏と盛政系佐久間氏ってどっちが名門なん?
0406人間七七四年2011/07/31(日) 16:51:05.28ID:27QM8Dgn
どっちも言うほど名門として確立してない
0407人間七七四年2011/07/31(日) 18:14:53.70ID:yEyRHuqz
>>405
はっきりどちらが正統であるかはっきり言えないが

佐久間家十二代目盛通には盛明、盛経、朝信、朝次の四子がいたが
名塚城主の次男盛経の嫡男が桶狭間で奮戦戦死した佐久間大学こと盛重
守山城主の三男朝信の嫡男が信盛
御器所西城主の朝次の嫡男が盛次(上洛戦で戦死)、盛政、安政、勝政、勝之四兄弟の父
盛通の長男盛明の系統はよくわからないが織田家には一番早く仕えたらしい
盛明の孫政実は信盛の二男正勝を養嗣子にもらっている

佐久間盛重が桶狭間で戦死してからは佐久間信盛が佐久間一族では棟梁的位置付けかも知れないね
0408人間七七四年2011/07/31(日) 19:55:56.85ID:264/Dkdf
>>405
どっちがっていうか同門だし
0409人間七七四年2011/08/02(火) 15:15:56.53ID:/CEfw13s
秀吉は流通や商人の人脈と顔がきく
光秀は幕府や朝廷の人脈と顔がきく
一益は伊勢国衆と顔がきくから
信長から雇用され他国侵攻や掌握に有利に働いていたが
柴田や佐久間ら尾張人脈に顔がきくだけだから出世競争に最初から思いっきり不利だったよな。
荒木や松永だって結局はそれぞれ地域で顔がきくから信長から有能扱いされただけだし
まあ顔がきき地盤も掌握してるから信長に謀反し易いがな。
0410人間七七四年2011/08/04(木) 19:44:06.18ID:1YYSYTbN
>>409
>秀吉は流通や商人の人脈と顔がきく
???
0411人間七七四年2011/08/05(金) 02:34:34.60ID:FN/OLq8L
柴田勝家と佐久間信盛が織田家の家老のツートップだったのかなあ
0412人間七七四年2011/08/05(金) 02:40:39.06ID:9CKzaY6u
林のワントップ
0413人間七七四年2011/08/05(金) 05:35:14.48ID:g/QcJmS8
柴田が筆頭家老だった時期って案外短いよね
0414人間七七四年2011/08/05(金) 11:18:05.96ID:ZkXKqrfb
そもそも信長の織田家に、重臣という発想はあっても、家中の経営を代行するという意味での
「家老」という発想があったのか?
0415人間七七四年2011/08/05(金) 15:09:20.52ID:9CKzaY6u
信長公記でいう「おとな衆」てのがどういう存在だったのか不明だしな
0416人間七七四年2011/08/05(金) 15:12:32.90ID:a46aVZCo
戦の先鋒は柴田か佐久間だったみたいだけど
0417人間七七四年2011/08/06(土) 02:13:51.76ID:5RUGSlqj
平手と林の息子達が若いくせにおとなっぽいんだよなぁ
林は隠居してたのに息子の戦死で復帰したんじゃなかろうか?
0418人間七七四年2011/08/06(土) 10:53:00.63ID:macDJteK
>>411
天正の初期までは、軍事面ではその二人がツートップだね
長島攻めや将軍義昭との闘争など、信長が五万以上の軍勢を動員するときは
軍勢は三つに分けられ、その司令官は信長、佐久間、柴田の三人が常だった
0419人間七七四年2011/08/07(日) 00:19:40.99ID:fj+tTfII
三方ヶ原に佐久間が平手・水野合わせても3000しか連れて行かなかったのは少ないような。
0420人間七七四年2011/08/07(日) 00:24:23.58ID:MLR7INB2
今日で足利義昭が挙兵してたからそっちの対応に追われてた

…にしても少ないか
0421人間七七四年2011/08/07(日) 00:34:53.34ID:Yaf95qM8
佐久間軍自体はそれほど多くない
軍の規模は与力の次第。
0422人間七七四年2011/08/07(日) 03:37:37.82ID:6qDIYWP7
>>420
まだ義昭は本格的な挙兵をしてない時期
0423人間七七四年2011/08/07(日) 13:22:54.94ID:ft9rXAwM
佐久間信盛は
対本願寺の旗頭として尾張・近江・大和・河内・和泉と西三河、根来衆の寄騎がつけられた

本願寺との和睦で対本願寺軍の存在意義なくなりリストラ
信長が有望な家臣を出世させるには信盛の存在自体が邪魔だったし
0424人間七七四年2011/08/07(日) 20:38:26.39ID:HoSkU3/m
信盛も用済みになったところへ持ってきて信栄がボンクラだからな
跡継ぎが優秀なら隠居ぐらいで済んだかも知れんが
0425人間七七四年2011/08/07(日) 22:55:27.23ID:WzH7oCLj
トップの頭が切れすぎるのも考え物だな。
0426人間七七四年2011/08/08(月) 00:47:44.72ID:rgMV9VGD
岩松八弥の派遣元、
広瀬の佐久間というのも同族?
佐久間全孝
0427人間七七四年2011/08/08(月) 02:27:48.17ID:wIdVAnq0
>>426
たぶん別。
遠江に、佐久間ダムで有名な佐久間という土地があるが、そこから出た
自称藤原系の佐久間というのがもう一つあるらしい。

ちなみに信盛・盛政らの佐久間は安房の佐久間(現鋸南町)の出。
0428人間七七四年2011/08/09(火) 16:38:50.16ID:MngQqYxD
誰かが下総高城氏と縁戚にあったけど、まんざら縁がないわけじゃなかったんだなあ
0429人間七七四年2011/08/10(水) 19:14:33.44ID:Wqt1sadq
佐久間ドロップと関係ある?
0430人間七七四年2011/08/10(水) 23:18:08.85ID:wMwLi7UN
佐久間製菓の創業者は佐久間惣次郎氏だけど、先祖についてはよくわからん

ちなみに女優の佐久間良子さんは御器所佐久間氏系の出身らしい
0431人間七七四年2011/08/11(木) 12:26:43.06ID:pIvovKh6
信長の野望でもっとも過小評価されてる武将だな
統率71は適正だけど知略38、政治57はひどすぎる
どっちかというと策謀家なのに・・・
0432人間七七四年2011/08/11(木) 12:43:33.57ID:EBDuU4dM
コーエーとか文句言うだけ無駄
0433人間七七四年2011/08/11(木) 13:01:59.55ID:0/be1ui4
100/100/100で遊んでろカス
0434人間七七四年2011/08/11(木) 13:22:55.34ID:FDJT/oGt
ただでさえ超初心者向けの織田は最強レベル家臣団なのに
さらに佐久間まで強化されたらゲームとしてバランス悪すぎ
0435人間七七四年2011/08/11(木) 14:39:26.24ID:7DYg8v+k
>>433
100/58/100の方がエロいと思うぞ
0436人間七七四年2011/08/11(木) 17:39:04.84ID:isa6WJRz
滝川とか前田とかを下げればバランスは取れるな
0437人間七七四年2011/08/11(木) 21:47:07.48ID:11baRsC2
武田のNo.2=武田信繁
上杉のNo.2=長尾政景
豊臣のNo.2=豊臣秀長
徳川のNo.2=酒井忠次
織田のNo.2=佐久間信盛
0438人間七七四年2011/08/11(木) 21:52:51.88ID:isa6WJRz
>>434
> ただでさえ超初心者向けの織田は最強レベル家臣団なのに

だから
「我らほどの家来は、なかなかに持たれまじきと存じまする」
なんだな
0439人間七七四年2011/08/11(木) 22:22:43.40ID:EBDuU4dM
ノブヤボスレでやれよ…
0440人間七七四年2011/08/11(木) 23:39:40.06ID:BusOVV5Y
>>437
政景は違うな
0441人間七七四年2011/08/12(金) 12:54:41.77ID:j/1VqIgL
上杉のNo.2は直江景綱か本庄実乃
0442人間七七四年2011/08/12(金) 13:45:39.55ID:ujr8XX26
フィクションの世界なら宇佐美定満だなw
0443人間七七四年2011/08/12(金) 18:53:18.73ID:TrW49I7u
このまま上杉家の話題で盛り上がろうぜ!
0444人間七七四年2011/08/13(土) 02:54:23.98ID:CE9Zcm2B
やなこった
0445人間七七四年2011/08/13(土) 20:20:21.28ID:CE9Zcm2B
もし佐久間が追放されてなくて、織田家が江戸幕府のような幕府を開いていたと
すると、間違いなく佐久間家は大老を出すレベルの家格になるよな
0446人間七七四年2011/08/13(土) 23:59:34.61ID:W+epfSrI
言い切れん
0447人間七七四年2011/08/14(日) 02:11:19.19ID:r7A/3uEn
追放しないと多くの優秀な下の者が城持ちになれない
0448人間七七四年2011/08/16(火) 09:14:16.61ID:zgeiRsVS
>>430
御器所佐久間氏なら名門だな。
0449人間七七四年2011/08/21(日) 08:10:18.95ID:wS4D/+eV
信長の所領の広さは無視?
佐久間の所領の大きさは認めるけど、本能寺が無ければかなり早い時期に戦国の世は終わりでしょ
0450人間七七四年2011/08/22(月) 15:27:25.21ID:14mtRMja
信長は所領も国人地侍の中間搾取を認めた室町期と変わらん不安定な支配体制。
どのみち長持ちはしなかっただろう。
0451人間七七四年2011/10/25(火) 01:43:30.28ID:w4aYpPW0
保守っておこう
0452人間七七四年2011/11/18(金) 13:30:03.53ID:ivvhjxQM
柴田が謙信の死と御館の乱のおかげで加賀を攻略できて首がつながり
滝川も武田攻略開始のあたって信長から
「俺が出陣するまで軽挙するな。砦普請に力を入れろ。
若い信忠をキチンと制御しろ、失敗したら2度と俺の前に参上を許さんから覚悟しとけよ!」と言われているのだった。
そして森を先陣に信忠が軽挙進撃を続けて、老人滝川は動揺していただろう。
結果的に武田征伐は成功したから良かったが
失敗してたら滝川も佐久間と同じように追放されていた。
0453人間七七四年2011/11/18(金) 13:39:32.10ID:JCimmF8+
武田がしょぼくて助かったな滝川
0454人間七七四年2011/11/18(金) 20:27:14.01ID:umlTHGZA
光秀にもそーいうことを言ってるんだろうな。
さすがパワハラ会長独裁ブラック企業織田
0455人間七七四年2011/11/18(金) 22:37:40.48ID:Rw48obto
>>452を滝川スレにコピペしておいた

【瀧川】滝川一益ら滝川氏を語る【忍者】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1301249331/65

0456人間七七四年2011/11/20(日) 13:48:06.40ID:mImF5+b8
>>450
ノーソースはノーサンキュー
0457人間七七四年2011/11/20(日) 19:57:18.69ID:dEYclyI6
ガチケチ利家は
利長に信長娘を貰って
安泰を計る計算高さを発揮。
あっでも信康の件があったな…
0458人間七七四年2011/11/21(月) 14:42:57.00ID:8mBz5g8W
本能寺の変で
じつは信長生存してたら、
丹羽とか森とか毛利は追放だったな。
河尻みたいに討死してた方がマシだったかもな。
でも討死した塙(原田)の件みたいに一族追放されちまうか。
0459人間七七四年2011/11/21(月) 18:26:23.83ID:SVTh38FZ
佐久間兄弟は柴田について秀吉と対立して賤ヶ岳を戦ったうえ
秀吉に従うのを拒んだために長男の盛政は死んだが、弟たちは
秀吉に従わずに抵抗し続けたおかげで家康の時代になって
優遇されて大名になれた。
戦国の世って何が幸いするかわからんもんだよね。
0460人間七七四年2011/11/23(水) 01:41:53.40ID:YvL+q4gF
水野信元死刑。
林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝も改易。
0461人間七七四年2011/11/25(金) 19:01:49.07ID:r5YBGQkN
我々程の内の者はもたれ間敷
0462人間七七四年2011/11/26(土) 04:18:24.80ID:BPMbae4M
信忠はタダのアホ
森や団の血気に影響され
高遠城攻めで自ら鎧を着込んで最前線に出てきて
先へ先へと味方と武功を争って堀際へ取り付いて
柵を倒して塀の上に登ってんだから
大将にあるまじき振る舞いだわ。
これで流れ弾にでも当たった日には
川尻と滝川の首まで信長に切り落とされてるわ。
0463人間七七四年2011/11/26(土) 04:19:56.81ID:4PHlO7xw
武田が弱いの見越してたからアホじゃないよ
0464人間七七四年2011/11/26(土) 08:39:52.90ID:JqnuNlmv
浅間山が噴火して
甲斐や北信濃が混乱して
高遠城の後詰めにきた
勝頼が本国に帰らなければ
猪武者信忠は死んでた。
0465人間七七四年2011/11/26(土) 11:04:37.87ID:Mz+77oca
*  織田信忠 その2 *
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251717575/
0466人間七七四年2011/11/26(土) 13:58:19.86ID:zAbPsPOi
ここ、佐久間スレ、よろしく
0467人間七七四年2011/11/26(土) 15:55:22.82ID:Ka8nannU
信秀公がなくなり、ハタチそこそこの信長公が跡を継いだ直後は
佐久間あたりはかなりの発言力があったに違いない
0468人間七七四年2011/11/26(土) 20:40:35.24ID:zAbPsPOi
>>467
いや、家督継いだときは16

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