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【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ4【道雪】

レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年2011/01/13(木) 14:59:43ID:2GjDb3lA
乱世の華、高橋紹運の子に生まれ、雷神と呼ばれた養父・道雪の跡を継いだ男
忠義剛勇鎮西一、西国無双など様々な異名を持つ
戦国のサラブレット・立花宗茂を語りましょう。
立花家、高橋家、妻の立花ァ千代や九州一帯の諸説など、関係ある話題もおkです。
まとめみたいなテンプレは>>2-10に。

■過去スレ
【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・ァ千代】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152224537/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ2【道雪】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216803439/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ3【道雪】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252600855/

■関連リンク
立花宗茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
ttp://www.muneshige.com/index.html

■関連スレ
立花宗茂を大河ドラマの主役にするスレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1236610519/
大友氏について語ろう2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268011621/
0002まとめ2011/01/13(木) 15:00:28ID:2GjDb3lA
◆立花宗茂の輝かしい戦歴◆
石坂の戦い   ○ 立花高橋軍5千  対 秋月種実5千(統虎、堀江備前を倒す)
岩戸の戦い   ○ 立花道雪 千5百  対 秋月種実3千(威嚇を混ぜた奇襲で撃破)
立花城防衛戦  ○ 立花軍  5百   対 秋月種実8千(薦野増時らに夜襲させ撃破)
立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百   対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃) 
高鳥居城攻略  ○ 立花毛利軍千7百 対 星野吉実3百(銃撃をうけるが下がらずに指揮)
平山城救援   ○ 立花高橋軍千2百 対 有動兼元3千(有動下総守を自ら討ち取る)
田中城攻略   ○ 小早川立花軍1万 対 和仁3兄弟千(和仁軍は2月持ちこたえた)
小田原城攻略  ○ 豊臣秀吉      対 北条氏直   (東の本多、西の立花)
漢城付近砦攻略○ 立花軍 3千    対 朝鮮軍6千(草刈で誘い出し伏兵で撃破)   
碧蹄館の戦い  ○ 日本軍 4万    対 李如松率いる明軍+朝鮮軍4万?
(前哨戦で自軍のみで明の先陣を破り、本戦では先陣を譲って機を見て参戦)
晋州城攻略   ○ 日本軍 12万   対 キムチョンイル 7千、増援4万
(救援に来た4万の軍の先陣7千、2陣1万7千を毛利秀包と共に4千で撃破し援軍を退けた)
般丹の戦い   ○ 立花軍 8百    対 高策 2万2千(夜襲+火計を用いて撃破)
蔚山城救援   ○ 立花軍  千    対 明軍
(奇襲で5千を撃破した後捕虜を解放してわざと敵に夜襲させ伏兵で1万を撃破)
露梁海戦     ○ 島津立花      対 李舜臣(小西軍の救出に成功、舜臣死亡)
大津城攻略   ○ 毛利立花1万5千 対 京極高次2千(塹壕を築き早合による銃撃)
柳川開城     × 立花軍 4千    対 鍋島・黒田・加藤
(家康との停戦交渉中に鍋島軍襲撃、小野和泉に八の院で迎撃させる。清正の調停で開城)
大阪の役     ○ 徳川家康      対 豊臣秀頼(大野治房軍の秀忠本陣突入を予見)
島原の乱     ○ 松平信綱12万   対 天草四郎3万7千(兵糧攻めを支持、夜襲を察知)


>立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百   対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃) 
0003まとめ2011/01/13(木) 15:01:27ID:2GjDb3lA
■諱の変遷
985 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/11(火) 21:37:21 ID:9TcROC8b
>>981
千熊丸(ちくままる)→高橋統虎(むねとら)→立花統虎(むねとら)
→鎮虎(しげとら)→宗虎(むねとら)→宗乕(むねとら)→正成(まさなり)
→親成(ちかなり)→政高(まさたか)→尚正(なおまさ)→俊正(としまさ)
→宗茂(むねしげ)→立斎宗茂(りっさいそうも)

多少間違ってるかもしれんけど
手持ちの資料ではここまでが限界だったわ

ちなみに弟の忠茂も5,6回は変えてるっぽいw
0004まとめ2011/01/13(木) 15:02:36ID:2GjDb3lA
【何かと便利そうな参考リンク】
ttp://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/index.htm
ttp://www.geocities.jp/haibiebel/hurai-dna2.html
0005人間七七四年2011/01/13(木) 15:22:47ID:ev2mTx51
幸村と政宗は大阪の陣で戦ってるけど、宗茂も是非ともこの二人と戦って欲しかった
特に幸村の軍勢との正面からのガチンコ対決はマジで見たかった。
0006人間七七四年2011/01/13(木) 18:27:08ID:B50SG6FM
この人が天下を取ったら、どんな世の中になっただろう?
0007人間七七四年2011/01/13(木) 19:09:11ID:7Tmtywgz
想像も付かないな、つか想像したくないw
0008人間七七四年2011/01/13(木) 21:54:04ID:8zW3wFcf
良くも悪くも天下を差配できる人間じゃないなw
0009人間七七四年2011/01/13(木) 22:00:01ID:B50SG6FM
武士としては超一流だけど武将(っつーか大名)としては二流だからなー
0010人間七七四年2011/01/13(木) 22:30:02ID:G2cM8bHU
立花宗茂は天下人の器じゃないが、天下人が、自分のの側に置いておきたい人物。
例えて言えば、人造人間キカイダーが完全な良心回路を欲するように天下人は、
彼を欲していた。
秀吉は、立花宗茂を単なる戦闘マシンとしか見なかったのに対して、家康、秀忠、家光
は、彼の人柄を愛した。家康にいたっては、秀忠に対して「15万石以上与えると親しく
側に置けなくなるから、加増はほどほどにしろ」と注意するほどだった。
戦闘力なんて、関係ねー!
0011人間七七四年2011/01/13(木) 22:31:45ID:6BdgTE0z
(いつもいつも大奥から奥の差し口か。奥が将軍になれば良いのに・・・)
(将軍やるのも労れたよ・・明日止めよ、そうしよう)
(がんばろ、なんやかんやでがんばろっ)
0012人間七七四年2011/01/13(木) 22:32:10ID:B50SG6FM
器量と才能がアンバランスな人
0013人間七七四年2011/01/13(木) 22:36:57ID:G2cM8bHU
>>5
 冬の陣で、西軍最強(夏の陣で家康本陣をぶっ潰したのに、幸村に功績を奪われた)の毛利勝永と
戦ってる。最も最強クラスの戦闘は、柔道やボクシングと同じで膠着状態で推移したみたいで、これと
いったエピソードがないな。
0014人間七七四年2011/01/14(金) 16:24:36ID:qdX3+3XA
どっちかと言うと宗茂って謙信タイプだよね
融通が利かず義に熱く戦場で無類の強さを発揮する辺りが・・・
もし時代を遡って群雄割拠時代の大名なら謙信と盟友になってただろうな
0015人間七七四年2011/01/14(金) 22:05:00ID:N7kWIFyY
それもあるけど、二人とも戦術理論が似てる気がするな
寡兵で戦う方ほうが効率よく運用できるから良いとするあたりとか
0016人間七七四年2011/01/14(金) 22:23:52ID:MMh55Ii+
3000くらいが自分の指揮の及ぶ限界みたいにきちんと把握できてたとかそんな感じかな
0017人間七七四年2011/01/14(金) 22:45:30ID:kbqkIIrn
>>16
 謙信は5000の兵で20000の軍を倒せる超人!
 宗茂は、3000の兵を10000の兵に匹敵させるの精一杯の凡人!
 比較するのは問題外!
0018人間七七四年2011/01/14(金) 23:45:00ID:aS41nLdq
後藤基次なんかも少数を手足のように動かせるタイプだよね。

0019人間七七四年2011/01/15(土) 00:40:23ID:OGkU3j4L
本多忠勝は500で20000の秀吉軍を足止めしまくりだからな。
しかも当人は怪我1つしてない。
0020人間七七四年2011/01/15(土) 01:02:32ID:YE8OmAJD
浪人時代は御曹司育ちが祟って、家来は苦労したのかね?
0021人間七七四年2011/01/15(土) 05:22:06ID:Nb2cROky
給料を与える立場の主君を家臣が養ってたんだからな
利害を超えた恐るべき信頼関係というか
0022人間七七四年2011/01/15(土) 08:30:54ID:UL/AyKsl
普通ならこんなのありえないよな
実話なのかね?講談でよくありそうな話だが…
0023人間七七四年2011/01/15(土) 09:29:17ID:kK6hd5p0
>>22
 唯一の実例とは言えない。
 鮭様の家老とその家来の実例がある(これも史実)
 家康とややこしい部下である三河武士団も、それに近いな。
0024人間七七四年2011/01/15(土) 16:22:09ID:fe2A0SQX
どっかの大名が援助してたんだろ常考。
宗茂クラスの武将が浪人していて恩を売らないとかありえない。
0025人間七七四年2011/01/15(土) 18:37:58ID:pxuSrmb8
俺達が家康に取り次ぐから安心して降ってね。と言ったら普通に取り潰されてしまった、
加藤黒田が責任を感じて援助してたとか。彼らの口ぞえもあって復帰できたけど。
0026人間七七四年2011/01/15(土) 20:40:16ID:cOHNNAx2
加藤清正は宗茂に10万石上げるから家臣にならないかって誘ったらしいけど
断ったみたいだね。
この時は本当に加藤家に迷惑かけちゃまずいと思って断ったらしいが
加賀の前田家から声がかかった時は、流石に前田の八方美人ぶりに呆れて断ったそうだ
0027人間七七四年2011/01/15(土) 21:33:35ID:KeM0spda
前田も立花が来ると思ったんだろうか?
万一来たら100%衝突すると思うんだけどw
0028人間七七四年2011/01/15(土) 21:52:36ID:SUg4lDRJ
>>27
フリーダムで名高い本多正重がおとなしく家老やってるぐらいだから、
宗茂のような真面目な人間なら普通に前田の家来務まるだろ。
0029人間七七四年2011/01/16(日) 07:41:01ID:CucFCDgx
>>26
宗茂に石高の五分の一もあげるのは流石にない
本当のところは1万石か3万石程度だろう
0030人間七七四年2011/01/16(日) 11:05:43ID:wfFe+iAO
石高が低くても大名と一家臣とは違うから断ったんじゃね?
0031人間七七四年2011/01/16(日) 15:01:06ID:VS+nCNFD
>>30
もともと、宗茂が5万石そこそこで大友の家臣やってたってことを忘れないでください。
0032人間七七四年2011/01/16(日) 16:31:26ID:wfFe+iAO
一度家臣になること了承したらもう大名として返り咲くことはできないでしょ
揚げ足取ってんのかとおもった
0033人間七七四年2011/01/16(日) 17:10:02ID:D8EeBmGW
ん〜、でも大友時代は立花5万石と言っても
あくまで城督だからその領地を好き勝手出来ないんだよねぇ
0034人間七七四年2011/01/16(日) 17:48:07ID:NaOe7eNT
でも宗茂が秀忠に取り立てられるまで、本当に色んなとこから
登用の誘いがたくさんあったらしいけど、どれもこれも断ってるんだよな
どうやら宗茂としては秀吉に恩があるくせに東軍についた奴等が
感情的に信用できなくて軽蔑してたみたいだよ。
それでずっと断ってらしい。
でも一応西軍について家を潰した時点で秀吉への恩は返したつもりでいたらしい
時の最高権力者の将軍秀忠から声がかかった時は、秀忠に対しては断る理由が無く
これを断れば他の大名に仕官なんて出来ないので仕官に応じたらしい。
で、棚倉から柳川へ復帰するわけだけど周囲から何で秀忠の誘いに応じたかと
聞かれるといつも家を潰してまで西軍についた時点で秀吉への豊臣への恩は
返したからと言ってたらしい。
で、自分は一度その主君に仕えたら絶対に忠義のごとく働くと言い切っている
0035人間七七四年2011/01/17(月) 03:57:54ID:WCMJFRd5
資料館は撮影禁止のとこが多いが、御花は撮影自由なのがいい
0036人間七七四年2011/01/17(月) 14:15:13ID:rG/KWuaG
御花は見世物小屋だからな
0037人間七七四年2011/01/17(月) 19:56:01ID:rlRgTS3d
九州一の猛将は島津義弘ってのが世間の常識。
0038人間七七四年2011/01/17(月) 19:57:26ID:8tQpux4F
比べる相手が違う
0039人間七七四年2011/01/17(月) 21:06:34ID:6IY3b1IU
年齢が違いすぎるから比較するの無理
0040人間七七四年2011/01/21(金) 03:04:50ID:gvZP2rSS
スマン>>3で貼られてる前スレ>>985書いた者なんだけど
忠茂は弟じゃなくて二代藩主だった

もし次スレ以降も残すんだったら、最後の一文消しといて
は、恥ずかしいから……
0041人間七七四年2011/01/21(金) 16:26:42ID:HICLIW9z
改易されて、旧領に復帰したのは宗茂だけなの?
0042人間七七四年2011/01/21(金) 17:54:55ID:VOuW1Y84
道雪はなんで耳川で島津と戦わなかったのか
北九州の抑えは紹運に任せておけばいいだろう
あの戦いがターニングポイントになることぐらい
道雪なら分かっていただろう
0043人間七七四年2011/01/21(金) 18:13:07ID:VYHbubOS
>>42

お前は会社の仕事が大仕事だからと言って
社長の許可も取らず一部長が自分の部署離れて
他の部署に手伝いに行くとか出来るんか?
0044人間七七四年2011/01/21(金) 19:15:06ID:Wx3bWfdU
>>41
相馬義胤もそうだ。
0045人間七七四年2011/01/21(金) 19:34:10ID:HICLIW9z
>>44
へえー、他にも居るのか
旧領に復帰したのは宗茂だけってよく聞くんで
0046人間七七四年2011/01/21(金) 21:43:15ID:RQK8ooGN
相馬義胤は改易取り消しだから一回完全改易になった宗茂とは微妙に違うがね。
0047人間七七四年2011/01/21(金) 22:02:21ID:JG/ftNX1
>>41
丹羽長重も改易から大名に復帰だが、旧領ではなかった。
0048人間七七四年2011/01/21(金) 22:11:26ID:XAbrxl/F
関ヶ原復帰組みで旧領に戻ったのは宗茂だけ
たまたま空いたからね
0049人間七七四年2011/01/21(金) 22:47:15ID:QRYWEF9S
吉川弘文館で確認したが、立花宗茂が再封された柳河って表高10万9600石だが
実態としては、雑税の小物成を石高に加えないよって免除されてる。
その上、部下を抱えすぎて蔵入地が7000石しかなくて、これじゃ、いかんということで
検知やり直したところ、7000石の蔵入地が66000石と9倍以上に増えたという
のには驚いたよw
秀忠は、家康の遺言通り、宗茂に15万石以上の大名にはしなかったが、実質は
17万石以上の領地を与えていたわけだ。


0050人間七七四年2011/01/22(土) 03:28:12ID:in1GdwYp
>>48
真田家の縁者が柳河に来て、立花家の旧臣と共同して、田中家を
改易に追い込んだって伝説もあるみたいだけどね。
0051人間七七四年2011/01/24(月) 21:49:06ID:+nkEeO1u
>>50
なんの嫌がらせだよ真田。
時系列的に違う気がするのにやるとしたら昌幸としか思えないが。
0052人間七七四年2011/01/24(月) 21:53:01ID:SsySyJVP
与太話すぎてどうでもいい
0053人間七七四年2011/02/22(火) 02:44:44.44ID:6p9kHF7Z
米干しとくから片付けといてね
  
    _。 。 。 。 。 。 _
  /・゚・。・ ゚・。・゚。 。・゚・/
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
0054人間七七四年2011/02/27(日) 14:17:33.99ID:8RlHM9Ck
↑時間がすごいね

むねしげってどこ生まれ?岩屋城?豊後?
0055人間七七四年2011/02/27(日) 16:51:04.04ID:KuJTPEIj
豊後
0056人間七七四年2011/02/28(月) 16:31:36.61ID:OoGLlw83
知っているが分かるになる本
戦国時代(メイツ出版)

筑前国岩屋城に生まれるって書いてありますね。
0057人間七七四年2011/02/28(月) 23:07:58.55ID:VmZ8O00o
豊後の吉弘館だったはず
0058人間七七四年2011/03/01(火) 11:38:50.77ID:gxDBl7ig
宗茂が生まれた時、父は高橋だったのか?
0059人間七七四年2011/03/01(火) 12:10:51.46ID:Wt9vGvz8
吉弘の鎮ちゃん
0060人間七七四年2011/03/01(火) 13:14:21.28ID:Ym6P5d/7
鎮理ってなんて読むんですか
媒体によってしげまさ、しげのり、しげただとかいろいろ見るけど
0061人間七七四年2011/03/01(火) 13:36:58.55ID:gxDBl7ig
カナ書きした文書でも残ってないと特定不可能。
0062人間七七四年2011/03/01(火) 15:10:23.13ID:QRvEleU+
諱は読みやすいと、敵方から呪詛されちゃうからね。
0063人間七七四年2011/03/01(火) 15:45:48.33ID:VK7o1ajL
生まれは国東の吉弘館だな
そんな本は捨てちまえ
0064人間七七四年2011/03/01(火) 18:00:27.97ID:VzdDi+1w
吉弘鎮理が高橋の名跡を次いで
宝満山城と岩屋城の城督になった年と
千熊丸が生まれた年を突き合わせればすぐ分かるのにな
0065人間七七四年2011/03/01(火) 23:54:16.12ID:/9SzycS0
バカは困るよな
0066人間七七四年2011/03/02(水) 18:12:37.33ID:XEnECHq1
宗茂は豊後高田の筧(かけい)館で永禄10年(1567)に生まれ幼名千熊丸。
3歳のとき父紹運に連れられ太宰府の宝満城に移り15歳の春元服して名も統虎と改める。

これにて宗茂の生誕問題は終了
0067人間七七四年2011/03/02(水) 18:53:28.59ID:gZL9UvD7
宗茂の生誕問題で盛り上がったスレがあったんだぜ(笑)
ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1288678138/193
0068人間七七四年2011/03/02(水) 20:47:59.95ID:4MiCkc65
読んでみたらすげえイライラしたから訂正に行こうかと思ったが
面倒くさくなってやめた
0069人間七七四年2011/03/03(木) 08:53:35.40ID:7MZlKgUK
宗茂が岩屋城生まれって、「小泉孝太郎は(総理の息子だから)首相官邸で
生まれた」って言ってるようなもんだよな。
よくそんな想像で本出せるもんだ……
0070人間七七四年2011/03/13(日) 00:20:53.73ID:n5N+4k3/
帰ってきました!!
ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1288678138/468-
0071人間七七四年2011/03/18(金) 18:16:55.16ID:HmvN9dXo
皆さんは、宗茂のどの戦が気に入っていますか? 
0072人間七七四年2011/03/18(金) 18:57:55.31ID:7PRAu00b
立花城籠城戦

あの若さでよくもまぁ自分より年長ばかりの武将達を抑えられたと思う
しかも籠城終わって城内ほっとしているところで追撃戦とか
0073人間七七四年2011/03/19(土) 11:37:41.78ID:REZjRg9s
そして奪われた城を次々と奪還したんだよな
そりゃ秀吉が「その武勇鎮西一 その忠義も鎮西一」と讃える事だけのことはある
0074人間七七四年2011/03/19(土) 13:37:45.80ID:drO9vrM1
厳密には宗茂の闘いじゃないけど黒門の戦いかなあ
0075人間七七四年2011/03/19(土) 20:39:02.00ID:Zoc+oeOj
>>72-73
実際は島津の大軍相手に篭城戦なんてしてないでしょ?
ギリギリで回避されたはず
0076人間七七四年2011/03/20(日) 00:24:10.26ID:+OQWvuTB
立花流では震えて隠れていても篭城と云うらしい
0077人間七七四年2011/03/20(日) 08:40:57.40ID:Air+hgQu
>>75
・島津側の降伏勧告を宗茂が一蹴。
・降伏勧告を助長させる為に城下焼き払おうとするも、地の利を生かした立花勢に迎撃され失敗。
・島津軍本格的な城攻めを決断。開始直前に立花側の内田某の偽降伏による時間稼ぎにあう。
・豊臣軍九州上陸。島津軍撤退、立花軍追撃開始。

立花城篭城戦はこんな流れだと思ってたんだが。
0078人間七七四年2011/03/20(日) 14:16:58.77ID:quzmmsiW
立花が城からちょろっと奇襲したってのは史実?
0079人間七七四年2011/03/20(日) 16:33:59.22ID:b/Fq4EAZ
>>77
要するに激しい攻防戦なんて無かったってことじゃん
>>72-73みたいなことは志賀親次に言ってやれ
0080人間七七四年2011/03/20(日) 16:39:32.57ID:WjzPChsF
>>79

激しい攻防戦が無かったら
籠城戦とは言えないとか言い出すんじゃないだろうな
籠城戦の殆どが我慢比べみたいなもんで地味だよ
0081人間七七四年2011/03/20(日) 17:06:27.36ID:b/Fq4EAZ
>>80
それにしたって大した期間じゃないから我慢比べなんて呼べる程の代物じゃないだろ
三木城や鳥取城ならともかく
0082人間七七四年2011/03/20(日) 17:20:06.04ID:WjzPChsF
>>81

じゃあ、お前一人に多人数の人が囲んで来たらどう感じる
例え短時間でも悪意のある者に囲まれたらかなりのプレッシャーだぞ

籠城戦は隙あらば襲い命奪おうって奴らに囲まれるんだぜ
その精神的圧迫感に期間の長短なんて関係ないと思うけどな
0083人間七七四年2011/03/20(日) 19:28:24.14ID:bMQNaN23
>>69
宗茂がどうかは知らんが
当時は城で出産なんて当たり前でしょうに
産婦人科なんてない時代と現代を比べるなんて、まさかあんた…。
0084人間七七四年2011/03/20(日) 19:37:11.23ID:0NqWILNj
>>83

城で出産が当たり前と思ってる時点であれだな
戦時の砦でである砦城と日常の生活の場である里城や館と混同してるな
0085人間七七四年2011/03/20(日) 20:23:46.00ID:WjzPChsF
当時の武士に産褥と言う意識があれば
城で出産なんて非常時以外避けたんじゃね?
麓の館で産屋作ってそこで出産だと思うけどなぁ
0086人間七七四年2011/03/20(日) 20:45:37.98ID:b/Fq4EAZ
>>82
俺は戦国武将じゃねーしw
現代人と比較してどうするww
するなら同時代人だろ

籠城期間が長ければ長いほどプレッシャーは増すし物量的な問題も出てくる
そこからが勝負だよ
0087人間七七四年2011/03/20(日) 21:08:20.11ID:riry4fSr
>>86

想像力の乏しいやっちゃなぁ
だから攻防戦どうこうで籠城戦を甲乙つけちゃうんだな
0088人間七七四年2011/03/20(日) 23:05:00.25ID:/Aeg7kw6
籠城戦で一番の敵は、味方内に走る動揺じゃね?
裏切りがでれば自壊するわけだから、誰もが疑心暗鬼になったりしてさ。
当然敵も調略かけてきたり、調略を断ったにもかかわらず
敵と話をした・・・ってだけで、疑いの対象になってしまったり。
そう考えると、生やさしい籠城戦ってないんじゃないかなと。
0089人間七七四年2011/03/20(日) 23:35:15.75ID:b/Fq4EAZ
>>87
決定的なのは期間の短さね
あれを宗茂のベストバウトだなんて事実誤認もいいとこ
小説鵜呑みにしちゃいかん
0090人間七七四年2011/03/21(月) 00:25:38.88ID:NLu/+fyj
ほらね、想像力足りない子だから
籠城戦が理解出来なくて期間のみで甲乙計ろうとするのよ
0091人間七七四年2011/03/21(月) 01:29:00.22ID:9HIfOVLh
自分が説得力のある根拠を挙げられないからってこっちの想像力wのせいにするなよ
恥ずかしい奴だな

籠城戦を比較する基準に期間を度外視するなんて意味不明
しかもそれを生涯一の戦いと言い切る不可解さときたらもう……
0092人間七七四年2011/03/21(月) 02:50:18.39ID:olgzdlGm
立花城籠城戦は岩屋城が始まった時点で
事実上籠城状態にあったと思うんだが・・・
0093人間七七四年2011/03/21(月) 05:18:03.41ID:orQaUe8O
ベストではないにしても、
全国区になったきっかけじゃないか?
0094人間七七四年2011/03/21(月) 09:44:20.31ID:9HIfOVLh
>>92
岩屋城と同時に囲まれたの?
それは初耳だな
詳しく聞かせてくれ
0095人間七七四年2011/03/21(月) 13:06:41.81ID:olgzdlGm
>>94

同時期に囲まれたとは書いてないのだが?
唐突な奇襲でない限り籠城戦は敵が接近して城に篭もるものではない
得られた情報から敵の勢力、動向を精査し、敵が接近する前に行うもの
立花側が籠城を決めた後島津に対し軍事行動取った記録は見当たらないし
岩屋城に決死隊送り込むぐらいだったから事実上の籠城状態にあったと見れる

城に篭もるにも収穫前なら青田刈りとか民衆の誘導とか色々準備があるらね
0096人間七七四年2011/03/21(月) 16:28:54.56ID:9HIfOVLh
なーんだ
また勝手な思い込みか
0097人間七七四年2011/03/21(月) 20:09:55.16ID:qvM1tjCs
ID:9HIfOVLh・・・痛い子
0098人間七七四年2011/03/21(月) 20:44:03.21ID:i9bwrfsY
もう春休みなのかな
0099人間七七四年2011/03/21(月) 21:00:20.93ID:NLu/+fyj
説明しても分からない(分かろうとしない)のは
自説を曲げるなんてさらっさら無くハナっから馬鹿にする気で
話を聞く気が無いからだろう、以前の島津厨と同じタイプの人間だと思うがね
0100人間七七四年2011/03/21(月) 21:45:33.16ID:9HIfOVLh
>>99
そりゃこっちのセリフだよ
納得の行く根拠を挙げた奴1人もいないじゃん
籠城戦に期間は関係ないとか、囲まれてもいないのに籠城戦が始まっているとか
屁理屈以下の戯言ばかり
挙げ句「精神的圧迫感」だの「想像力足りない」だの
あからさまに主観の押し付けを始める有り様

どうでも宗茂の籠城戦をマンセーしたいもんだから支離滅裂になっているとしか思えない
小説を鵜呑みにしたことがそんなに悔しいのか
0101人間七七四年2011/03/21(月) 22:15:30.52ID:uUFwc0/2
大坂冬の陣は籠城戦だよな
大坂冬の陣は敵に囲まれたのは1ヶ月もない
大坂城という要害で備えは十分あったのに
内部分裂で1ヶ月も保たなかった事からも
籠城戦が単に敵を囲んでドンパチやるだけじゃないって
0102人間七七四年2011/03/22(火) 00:34:20.41ID:2lbxDLwo
冬の陣は籠城戦じゃない(キリッ






ってかw
0103人間七七四年2011/03/22(火) 00:54:56.21ID:klS30lKB
>>101
で、冬の陣が誰のベストバウトなの?
0104人間七七四年2011/03/22(火) 01:34:46.96ID:69hOcyX1
真田信繁じゃねーの?
それまでは親父の名に隠れて知名度低かったし
真田丸で徳川方を悩ませたし、夏の陣じゃ死んじゃうからね
0105人間七七四年2011/03/22(火) 07:16:15.70ID:Wz1tJsol
盛近
0106人間七七四年2011/03/22(火) 08:04:09.01ID:klS30lKB
>>104
それには同意
0107人間七七四年2011/03/22(火) 23:56:21.32ID:69hOcyX1
冬の陣を例に出したらパタっと収束したな、籠城期間厨
0108人間七七四年2011/03/23(水) 01:11:08.63ID:AUqPwCSm
最後っぺ乙
0109人間七七四年2011/03/26(土) 09:20:17.04ID:hbhCmSrX
なんだこの流れ?

籠城期間って城に籠城してた9HIfOVLhが大阪冬の陣の一撃であっさり落城したって流れ?
0110人間七七四年2011/03/26(土) 18:21:02.86ID:tyh5khqI
言ってることは正論だが態度が生意気だったんで叩かれたって流れ
0111人間七七四年2011/04/10(日) 21:39:38.57ID:YGpLVXRe
ァ千代って悪妻?良妻?
0112人間七七四年2011/04/10(日) 22:19:35.99ID:aJZOblZb
妻として見れば悪いが、皆から愛されてたみたいだし、悪い人間ではなかったと思われる。
0113人間七七四年2011/04/24(日) 21:33:36.15ID:CVkehXIQ
>>108
中共を新中国と呼ぶのは反日サヨクだよ。「中共」は、中国大陸においては中国共産党の略称である。
一方、中国大陸の外においては、中華人民共和国が国家であることを認めない人々が
「(中国大陸を統治する)中国共産党政権」という意味の俗称として使っていた
(この意味による「中共」は、日中国交正常化前の日本社会で使われていたほか、
現在でも、国共内戦で中国大陸から台湾に渡った中国国民党などが使っている)。
また「新中国」は、主に日中の国交正常化前、つまり中華人民共和国建国後は
台湾島を含む一帯を統治している中華民国を日本政府が「中国を代表する正当な政府」としていた時代(1912〜2009)に、
中国共産党を支持する日本人が中華人民共和国を指して使っていたものである。
0114人間七七四年2011/05/05(木) 18:09:00.86ID:SWWLU46b
http://www.muneshige.com/
このサイトでは、立花宗茂の子孫の方が、
豊後国国東郡寛において誕生、幼名千熊丸(立花宗茂)
としている。
つまり、今風に言えば、立花宗茂は大分県出身の福岡育ち。
0115人間七七四年2011/05/05(木) 19:33:45.84ID:pe9KmbHY
遅レスにも程がある
0116人間七七四年2011/05/07(土) 07:41:57.25ID:5ey+lKRG
宗茂は種なしでァ千代はタマゴなしだったのか
0117人間七七四年2011/05/13(金) 10:47:41.82ID:sb9/MSjy
今日の宗茂くん
http://www.ohana.co.jp/museum/blog/
0118人間七七四年2011/05/14(土) 23:39:06.04ID:nSLkeXo1
なんつー適当なブログだ
0119人間七七四年2011/05/28(土) 07:22:19.11ID:uqLwbl6Y
餓鬼だな
0120人間七七四年2011/06/03(金) 01:19:14.46ID:HWTsGosh
>>117
これはひどいw
0121人間七七四年2011/06/06(月) 20:19:13.31ID:xr7Tjzrp
今月でた歴史魂って雑誌の、猛将妄想録ってマンガで宗茂が主役だった。
珍しく碧蹄館の戦いから、柳川再封までダイジェストで描かれてた。
0122人間七七四年2011/06/06(月) 21:33:52.07ID:p7slE4vS
これか。
http://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/vol-e94e.html
0123人間七七四年2011/06/07(火) 16:27:34.96ID:tfbRGkZL
改名ネタ多過ぎw
0124人間七七四年2011/06/07(火) 18:25:14.74ID:c6kQRR0Q
大河ドラマの主役に!
0125人間七七四年2011/06/07(火) 19:58:43.37ID:KkIeRR/c
>>122
名作の悪寒www
0126人間七七四年2011/06/08(水) 14:16:28.73ID:CFh/G/x+
東の本多忠勝と比べたらどっちが猛将だったんだろ?
0127人間七七四年2011/06/08(水) 14:39:26.82ID:YQH/6U+Y
宗茂に猛将ってイメージはないね
義父の道雪は猛将ってイメージ

毛利の看板、吉川元春・小早川隆景コンビを撃破する奴なんてそうそういない

どっちが猛将かっていったら東じゃね?宗茂は用兵家ってイメージ
0128人間七七四年2011/06/08(水) 17:13:52.20ID:AkbjPszX
>>127
宗茂は確かに猛将よりも用兵家だね。父の紹雲や道雪は用兵家でもあり
猛将でもあるよね。

本多忠勝は、生粋の猛将でしょね。用兵も凄いけど。単騎駆けや島津の退け口
を井伊や松平が鉄砲で負傷しても、この男は馬撃たれても島津兵とガチンコしてた
みたいだし。

猛将は、宗茂の家臣の小野では無いかな?
0129人間七七四年2011/06/08(水) 17:57:07.51ID:YQH/6U+Y
九州って戦国期凄い面白いんだけどマイナーなのか大河とかでも取り上げられないし
個人的には九州一の用兵家は島津家久って思ってるんで、もし長生きしたとして
黒田官兵衛・立花宗茂・島津家久が関ヶ原九州の戦いでガチでやったらどうなったのか
って、歴史にもしはないけど
0130人間七七四年2011/06/08(水) 20:40:10.09ID:7oWSBKx+
宗茂が秀吉に絶賛されたのはやっぱり九州征伐時に
秀吉軍が到着する前に奪われた城を奪還しまくったからだろうな。
あと朝鮮のヘキテイカンと関ヶ原の時の大津城攻めで猛烈な鉄砲での
攻撃で落城させたとことかかな
0131人間七七四年2011/06/09(木) 03:48:35.37ID:navSCbok
>>129
島津家久は、惜しい名将だったね。竜造寺隆信を討った時も最高だった。

しかし、九州に黒田如水っていう基地外が来たから影が薄くなったね。。
黒田は、関が原の時に迅速に鍋島・加藤らを味方にして宗茂も降して
肥後の水俣迄進軍してる。家久が居ても、九州征伐で島津の戦略を
確実に如水は研究してるからねぇ。

地方の戦略家と日の本の戦略家では、比べるのが酷かも。けど、家久のが
好きさ。何故なら、俺鹿児島だからww
0132人間七七四年2011/06/09(木) 07:28:12.81ID:8WdMBvtJ
関ヶ原のときに宗茂・家久が九州にいたら黒田は起たなかったんじゃないかね。
0133人間七七四年2011/06/09(木) 08:07:00.67ID:00sVFgji
>>128
やっぱり道雪は偉大なんだよ
宗茂がやれるのも道雪時代からの家臣の忠節あればこそだよね
名前上げればきりがないけど、由布惟信・小野鎮幸・薦野増時
とか良くもまーこんだけのメンツがって感じ

島津も負けず劣らずだが
0134人間七七四年2011/06/09(木) 08:32:01.28ID:00sVFgji
>>131
如水は凄い奴だけど、家久も負けてない気がする
早死にして戦歴が浅いけど、関ヶ原まで生きてて経験積んでたら
半端ないと思うけどね

特に死ぬ直前の強さなんて、上杉・武田・徳川なんかに匹敵する物がある
根白坂の戦いで義久・義弘が突出して壊滅さえしなければ
秀長(如水)本隊 vs 家久の直接対決なんかも・・・w
ないか?家久は早くから秀長と接触してたって言うし
0135人間七七四年2011/06/09(木) 09:14:41.41ID:ln5GsNhN
まーた島津厨による
家久過大評価か気持ち悪りぃ。
0136人間七七四年2011/06/09(木) 10:50:08.60ID:fTodQRco
>>134
島津家全体が如水にいいようにされたという事実を
なかったことにしているんだから、そりゃなんとでも言える罠
0137人間七七四年2011/06/09(木) 11:24:15.41ID:00sVFgji
>>135
ん?島津厨って俺の事か?
うちの本家はぎん千代様の隠居先の近くなのに、なんで俺が島津厨なんてする必要がw
宗茂スレで書く様な内容じゃなかったがな
0138人間七七四年2011/06/09(木) 14:13:09.39ID:+6BHIZSW
俺は島津も立花も嫌いだ
0139人間七七四年2011/06/09(木) 17:24:34.66ID:NSemst3b
>>138

島津と立花に攻められた龍造寺厨ですか?
0140人間七七四年2011/06/09(木) 18:09:41.20ID:+6BHIZSW
>>139
厨認定やめてよね
三好、今川が好きです
0141人間七七四年2011/06/09(木) 18:27:00.68ID:NSemst3b
三好今川が好きで島津立花が嫌いな奴が
なんでこのスレ来てるんだよ、三好今川とか接点無いのに
0142人間七七四年2011/06/09(木) 19:52:30.28ID:+6BHIZSW
一応、人物スレは全部チェックしてるから
島津スレ、細川スレ、穂井田元清スレと
0143人間七七四年2011/06/10(金) 02:22:59.91ID:VlAyDE2o
まあ、島津家久も佐伯惟定に梓峠で負けてるしな。
0144人間七七四年2011/06/10(金) 13:57:40.60ID:LjEOalOD
島津家を捨てて秀吉様の直臣なるんだ!とか盛大に尻尾振ってる家久って
中央の武将と争えるほどの将にはあまり見えないな
0145人間七七四年2011/06/10(金) 14:04:12.89ID:r3wLzh0a
田舎大名のとこで十万石余りを領するより、中央の秀吉の下にいた方が賢いだろう
0146人間七七四年2011/06/10(金) 18:47:07.92ID:b4SsaNlE
荒れてんな。ちょっと前まで宗茂スレというより
柳川市スレみたいな牧歌的なスレだったのに......
0147人間七七四年2011/06/10(金) 18:54:17.51ID:W9wojjE8
>>146
仕方ないだろ戦国一の釣り師、釣聖こと島津家久が話題に出てるんだから
死してなお釣り師は偉大で、釣られてる奴らばかりって事だよ
0148人間七七四年2011/06/10(金) 19:16:32.67ID:ByPEExjH
この程度で荒れてるとは言えんだろ
0149人間七七四年2011/06/10(金) 22:51:27.92ID:L6/hVb42
大丈夫!最近の石田三成スレの荒れ具合に比べりゃ
家久なんか釣り師どころか、ただの構ってちゃんだから
あそこ、三成スレなのに吉川広家の話題しかないんだぞw
0150人間七七四年2011/06/10(金) 23:35:19.96ID:ByPEExjH
愛されてんだなぁw広家
0151人間七七四年2011/06/11(土) 08:06:07.91ID:Tk2+1SOr
毛利スレあるのに
0152人間七七四年2011/06/11(土) 20:53:15.61ID:oWGTvuaf
>>149
つうか何故に広家なんだwwwww
0153人間七七四年2011/06/11(土) 23:34:03.49ID:tjC9+fXn
石田マンセーにして見りゃ広家憎ししか無ぇーだろw
関ヶ原敗北の元凶はある意味小早川より吉川だもん
しかも小早川は早期に断絶したが吉川家は大名として残った・・・恨みも集中すらぁ
0154人間七七四年2011/06/11(土) 23:44:17.55ID:sk31fa78
南宮山の連中が西軍として行動してたら西軍が勝ってたってレスから話が逸れて
馬鹿二人が言い合ってたってだけの話。良くある事。
0155人間七七四年2011/06/12(日) 01:11:44.42ID:LDLGDmsv
>>143
梓峠で負けたのは義弘
佐伯惟定は四男次男連勝
0156人間七七四年2011/06/13(月) 01:12:10.26ID:+4IMhw+Y
>>155
梓峠は、家久と義弘が合流した後攻撃したって説もあるけど
基本的には家久狙いじゃなかったかな。

しかし優秀だと思うんだけど、全く評価されてない人だよなあ。
0157人間七七四年2011/06/13(月) 01:36:59.72ID:pcW1XpQw
時間稼ぎと運の良さでろくに戦わずに済んだ宗茂が、
ガチの戦いで島津を撃退した親次や惟定より評価が高いのは納得行かん
0158人間七七四年2011/06/13(月) 06:08:21.75ID:Qb2Ia+Qx
>>157
戸次川の戦い後の大友の無様さが原因だろ
そしてとどめが朝鮮での失態、陪臣の評価が低くなるのはしょうがなかろ
0159人間七七四年2011/06/13(月) 16:02:55.47ID:xXHzXUeS
>>157
勝った勝ったと言っても籠城戦を切り抜けて撤退中の島津軍を攻撃してるだけだし
戦略的にも第3者から見ても評価出来るのは城を奪い返した宗茂ってだけだろ
そもそも親次、惟定の武勇伝は戦果不明で胡散臭いし
0160人間七七四年2011/06/13(月) 17:09:35.03ID:FviuaoK5
宗茂の功は道雪・紹運3人セットでの評価な気がする
0161人間七七四年2011/06/13(月) 17:20:02.87ID:1qPnSrjn
親次も惟定も結局大友改易後が何も残せてないのが痛いんじゃね。
改易後に頼った先で重用されてれば資料ももっと残ったのかも知れんが。

早くから家康に接触してたら違ったのかな。

妄想としては宗茂を頼ってたら…と言いたいけど大友改易後に宗茂頼ってても、後は関ヶ原で家康に敵対するターンが待ってるから華々しく散るぐらいしか見せ場ないし、
受け入れた旧主の陪臣二人が二人して活躍してたら流石に宗茂も敗戦後大名復帰させてもらえないような気もする。
0162人間七七四年2011/06/13(月) 20:26:20.63ID:bN+4nygt
大友義統が関が原の時に、九州に乱入して来た時に
豊後の民は大友側に加勢して大軍になったが、、、、
黒田の基地外に石垣原の戦いで敗北・・・・。宗茂の
従弟の吉弘統幸も戦死・・・。吉弘統幸は優秀な武将
だったのに、暗愚な君主に仕えると大変だな。。。

吉弘統幸←この人にあんまり皆触れないのは何故?
0163人間七七四年2011/06/14(火) 03:15:54.36ID:h8zNzJKr
悲運の武将で好きだけど、バカ息子に振り回されちゃった感が強いなあ
あんまり武勇伝もないから知名度もないしね

ま、名前を冠した神社もあるくらいだから、
別府市民はそれなりに知ってるのかな
0164人間七七四年2011/06/15(水) 01:31:54.56ID:XemD/Ufv
>>159
親次も惟定も近隣の城を奪回してますけど
0165人間七七四年2011/06/15(水) 02:03:45.34ID:xcnnbldE
戦果不明で胡散臭いは宗茂スレでは禁句W
0166人間七七四年2011/06/16(木) 22:30:15.13ID:XDsWQZs7
ていうか
対島津でみたら
志賀>佐伯>宗茂
な評価じゃないか?
宗茂厨なオレでもそう思ってるけど
0167人間七七四年2011/06/16(木) 23:52:59.21ID:2ZnKFB7h
ああ、島津限定なら同意。
しかし、いくら義統が情けないって言っても補佐役の親次も惟定も統幸も
朝鮮で何をしてたんだ?
平壌陥落後の最前線になる拠点から無断撤退なんて、普通ありえん。
義統に逃げ癖があっても、誰か一人くらい守将として残っていたら大友家も
潰されなかっただろうに、マジでこの三人、朝鮮に何しに言ったのって状態だ。
0168人間七七四年2011/06/17(金) 19:13:16.74ID:tRbLl7bj
志賀親次は、大友吉統とは不仲で、言うことを聞かず、3回くらい殺されそうになったりしてるし、
朝鮮での敵前逃亡の責任が親次のせいであるように大友家の文書に書き残されてる。
ただし、別の記録とかで見ると濡れ衣を着せられてたみたい。

佐伯惟定は、他紋衆で大友家とは距離を置いてる一族だから元より忠誠心は高くない。
改易後は藤堂高虎に仕えて、結構重用されてた。関が原の時は四国で留守を頼まれてて、
豊後で大友吉統が挙兵したのを知ってたんだろうけど、完全に無視してた。
ちなみに弟は緒方洪庵の祖先だったりする。

吉弘統幸は、いろいろとまともな意見を言ってるんだけど、聞いてもらえない可愛そうな人。
槍の使い手として有名だけど、鉄砲隊の使い方が妙に上手かったりする。
石垣原の戦いの死者が、大友軍220余名に対し黒田軍380余名なのは統幸の活躍がそれだけ凄かったから
0169人間七七四年2011/06/17(金) 23:18:33.30ID:ivfUd+/Q
まあ、石垣原の黒田軍は素人集団だから、被害が大きくなるのも
しょうがないかと。
0170人間七七四年2011/06/22(水) 21:49:26.19ID:8vfslBys
当時の人で素人ていたの?子供とかはともかく
指揮官がいない(素人)てこと?
0171人間七七四年2011/06/22(水) 22:04:52.25ID:/vklilGj
>>170
兵隊が寄せ集め軍隊って事だけど、まったく戦の経験がない農民がいるのか?
って話になるとどうだろうね、指揮官は官兵衛だから戦国最強っていってもいい

指揮官がまったく素人は小早川秀秋ぐらいじゃね?(苦笑
0172人間七七四年2011/06/22(水) 22:31:44.68ID:KHP4u6M7
小早川秀秋は慶長の役の総大将で、蔚山の戦いが初陣
黒田孝高が補佐役で付けられて指南した
関ヶ原前哨戦の伏見攻めにも参加しているし、素人とかありえない
0173人間七七四年2011/06/23(木) 00:03:57.40ID:pvajgqqH
関ヶ原でも西軍優勢と見て
西軍として兵を出そうとする辺り戦況を見る目はあったよね
ただ回りを押し切って出陣する決断力はなかったが
0174人間七七四年2011/06/23(木) 02:47:30.75ID:Y58j9CV9
>>171
石垣原には官兵衛まだきてなかったけどね。
井上之房と母里太兵衛が黒田軍の中心かな
母里は緒戦で統幸に敗れて、大友方が押してたんだけど、
井上が統幸を討ち取ったことで、前線指揮官を失った大友が降伏した。
0175人間七七四年2011/06/23(木) 12:55:22.69ID:tlxHWWpB
九州って凄まじい猛者が多いよね?
島津兄弟・宗茂・道雪・紹運・鍋島直茂・加藤清正・黒田如水。。。。
強いからそのまま九州に安堵や左遷もあるが。。。 凄いねw
0176人間七七四年2011/06/23(木) 13:06:59.67ID:0aFYda5j
完全に忘れられてる佐々成政カワイソス
0177人間七七四年2011/06/23(木) 17:41:11.76ID:pvajgqqH
井上之房は武功それ程多くないし
どちらかと言うと理屈っぽくて母里とか煙たがってた存在なのに
石垣原で吉弘統幸を討ち取って一気に名を上げたって感じだな
昼行灯に見えてた人が実は昼行灯ではなかったって事か
0178人間七七四年2011/06/24(金) 09:42:22.81ID:Ub7GnrZ/
石垣原で戦って損害多かったのって黒田家の古くからの家臣なんだよな
寄せ集めの浪人衆は飾りで実質は信頼できる少数の部下だけでゴリゴリ戦ってた訳だ
0179人間七七四年2011/06/24(金) 22:19:26.13ID:02TltPVZ
>>178
黒田って如水も凄いが家臣団が猛者揃いじゃない?
後藤又兵衛もそうだよね?
0180人間七七四年2011/06/25(土) 00:32:42.80ID:10DMgjwc
家臣が猛者すぎるせいで長政が馬鹿にされるという…。

立花家もそれに近いところがあるな。
道雪以来の猛者揃いなのに、宗茂は婿養子だし。
0181人間七七四年2011/06/25(土) 12:02:27.72ID:fjgmS3+n
如水って江戸時代の講談では軍師だけど、
実績的には常に先鋒を務める最前線の将だから
配下や息子が猛者っぽくなるのは当然かも
逆に言えば先鋒の剛将なのに調略も大得意なチート親子
0182人間七七四年2011/06/25(土) 13:11:53.23ID:Gmy+hHo+
>>181
主役として取り上げられる事が少ないけど、摂津・播磨・備前・美作あたり
って強烈な武将多いんだよね。池田に、荒木道糞、宇喜田直家に松永久秀
宮本武蔵とかもいるな

黒田つーか主家筋で大物崩れとかの赤松氏家臣団はバラバラになっちゃって大友
となんだか似てる所もある
0183人間七七四年2011/06/28(火) 18:15:55.04ID:pzigmYUZ
>>180
根本的に真逆だと思う。
家臣を諭す宗茂
家臣に駄目だし食らう長政
0184人間七七四年2011/06/28(火) 20:51:01.49ID:LBa8bTF9
>>180
宗茂は家臣から慕われてただろ
0185人間七七四年2011/06/28(火) 21:22:00.40ID:ocmmA+64
>>183
あの嫁と曲がりなりにも夫婦生活を送っていたことが評価されたんじゃね?
ん?誰か来たようだ
0186人間七七四年2011/06/28(火) 21:30:13.77ID:9LZ9ZN1B
おーい、真田の兄ちゃんが「あの程度で、あの程度で」って泣きながら>>185を殴ってんぞ
0187人間七七四年2011/06/29(水) 07:36:38.73ID:SObdX4Lq
>>183
そこは人徳の違いというしかないが、やっぱり立花家臣も最初は「なぜこんなガキが」みたいな感じだったと思うぜ。
道雪を慕うあまり宗茂と折り合いが悪かった薦野増時みたいな家臣もいるし。
0188人間七七四年2011/06/30(木) 01:11:36.31ID:O2WDHgEy
>>187
薦野増時は宗茂を跡継ぎに押した張本人だし、息子の成家は宗茂の妹婿だったりと
折り合いが悪いわけではないんだけどな。関が原で徳川につくように言ったのと、
改易後、道雪の墓を守るために黒田家行ったから、仲悪いように思われがちだけど。

まあ、由布・小野派と薦野派でちょっと対立してた節はあるけどね。
0189人間七七四年2011/06/30(木) 11:02:17.83ID:Qd4vankN
まぁいずれにせよ宗茂の評価を下げる話しではないよね。

宗茂ほどの名将をもってしても、やはり名将だった先代の忠臣をとりまとめるのは大変だったという事か。
逆に言うとあれだけ癖の強い家臣団を上手くまとめあげたとも言えないかな?

0190人間七七四年2011/07/01(金) 18:27:21.48ID:YYVMEKud
ところで宗茂と宇喜多秀家って不仲だったって言う説があるけどマジなのか?
そうなら何が理由でそんな説があるんだ?
0191人間七七四年2011/07/02(土) 04:25:52.12ID:MR1VGf/S
朝鮮行ったときに立花は寡兵だから先鋒に出して負けてもいいだろ
みたいなことを言ったんじゃなかったっけ?
0192人間七七四年2011/07/02(土) 09:53:22.77ID:GFbDCSWm
三池藩主の立花家って今も続いてるの?
0193人間七七四年2011/07/02(土) 10:47:55.71ID:Wx2sJ4+P
大坂だか伏見だかの屋敷で双方の兵が一触即発になってから不仲になったとか読んだことあるけど
0194人間七七四年2011/07/03(日) 01:19:21.33ID:worcmj55
>>191
 立斎旧聞記では、宇喜田が「立花は小勢だから、全滅しても無問題」と
言われたと記述されてるはず。理由は伏見での足軽同士の喧嘩が原因。
 ところが、九州出版者の昭和48年発行立花宗茂では、小早川秀秋が
言ったことになっている。
以降、原田版、八尋版は小早川秀秋が言ったとされている。
志木沢版は、立斎旧聞記と出典をあげて宇喜田に言わせている。
 
 
 

0195人間七七四年2011/07/03(日) 14:03:15.47ID:ZigRrlq1
立花氏って結城親光に討たれた大友貞俊の末裔なんだな
0196人間七七四年2011/07/09(土) 20:56:09.04ID:sWjj6YR0
wikiの執筆者が日本語不自由な件について
0197人間七七四年2011/07/09(土) 23:01:09.81ID:Iq5sN6gU
wikipediaの事言ってるなら、今の体裁のは台湾版の記事翻訳して貼りつけただけだから
所々日本語おかしいのは当然
0198人間七七四年2011/07/11(月) 04:21:31.09ID:M9UlaFmd
>>127>>128
イメージw
0199人間七七四年2011/07/11(月) 04:25:13.05ID:M9UlaFmd
>>66
完全に福岡出身武将だな

大分w
0200人間七七四年2011/07/12(火) 09:51:53.12ID:i/IYVuuN
岡城に志賀の銅像を建てるべき
理想は鹿児島方面を睨むようにする
滝廉太郎の銅像とか望んでないから
0201人間七七四年2011/07/15(金) 14:53:44.51ID:P/Yl3HFk
そんなら栂牟礼城跡に佐伯の銅像を日向に向けて建てるべき。
少なくとも俺が写真を撮影しに佐伯地方遠征をするだろう。
ただし佐伯城に建てた場合は行かない。
0202人間七七四年2011/07/15(金) 21:30:22.55ID:pMq6CN6o
そんなとこより岩屋跡に紹運像を
0203人間七七四年2011/07/24(日) 15:02:16.15ID:mUVLPGHK
九州なんて自画自賛してるだけで結局天下に何の爪痕も残せなかったじゃんか
宗茂も悪くはないけど秀吉の御世辞を真に受けるヲタは見苦しい
同世代の政宗や幸村に比べても目立った功績ないしな
0204人間七七四年2011/07/24(日) 15:10:15.55ID:tw3uP27z
そう言う所が受けている訳じゃないからどうでもいい
0205人間七七四年2011/07/24(日) 15:43:32.65ID:lUj7Muw3
>>203
まぁインパクトは戦国の一発屋幸村には負けるよね
というか功績って何?
0206人間七七四年2011/07/24(日) 17:28:12.17ID:CMz4ZZot
幸村に目立った功績があるなら教えてほしいくらいだ
0207人間七七四年2011/07/24(日) 20:26:01.94ID:tol+mz+B
政宗って天下になんか爪痕残したっけ?
0208人間七七四年2011/07/24(日) 23:10:39.25ID:dJqnVxiJ
政宗が爪痕を残してないなら、大半の大名は疵一つすら付けてないことになる。
0209人間七七四年2011/07/24(日) 23:18:01.09ID:G2hDAsTN
天下に"爪痕"つーくらいだから
天下に対して戦起こして損害出したって事になるよな
爪痕ねぇ・・・まさか東北でやってた小競り合いを天下とか言ってるの?
0210人間七七四年2011/07/25(月) 03:14:31.88ID:RMKrH3jx
碧蹄館の戦いとかは、普通なら歴史的な大勝利とされてるはずなんだがな。
人物的にも、政宗とかより遥かに尊敬に値するし
0211人間七七四年2011/07/25(月) 18:27:50.20ID:B7ndKWZZ
みんなは宗茂と政宗の家臣になるならどっちがいい?
俺は迷わず宗茂の家臣になるよww
宗茂の家臣思いは有名だからね
政宗の家臣になったら命がいくつあっても足らないww
0212人間七七四年2011/07/25(月) 19:00:50.78ID:DU7HUhvf
俺宗茂の家臣になったら虚無僧になって日銭稼ぐんだ
0213人間七七四年2011/07/25(月) 19:23:48.52ID:FPHlZmT0
>>212
ワロタw
0214人間七七四年2011/07/25(月) 19:52:07.63ID:kIQKVfiP
宗茂の家臣になったら喜んで自ら虚無僧になって日銭稼ぐが、幸村の家臣になっても真田紐を作る作業は頼まれなきゃやんない、政宗の家臣になったら楽させてくんなきゃ居たくもない。
0215人間七七四年2011/07/25(月) 20:49:50.78ID:0EyPyist
政宗様のチンポをナメて尻を提供する簡単なお仕事です。
なお政宗様は酒に弱いので酒乱になり切腹を申し渡すことがあります。
0216人間七七四年2011/07/25(月) 22:26:10.15ID:9LJlEVLe
>>210
小早川や毛利の前座ではあるけど歴史的な大勝利だろ。
0217人間七七四年2011/07/25(月) 23:05:14.13ID:trhyfi5d
立派な人だけど独立するなり会社を潰したベンチャー企業の若社長と、
人格に問題はあるけど経営は順調な大企業の二代目、みたいな感じだろ。
自分が独身だったら宗茂、家庭持ちだったら政宗かな…。
0218人間七七四年2011/07/26(火) 01:44:59.59ID:lD8x2lvT
893フロント企業の政宗社長は浪費家で大借金を抱えて詐欺的手法を繰り返す営業。
周囲からあそこは近いうちに潰れるとか超ブラック企業とか噂される会社。
しかし借金踏み倒しと上部組織への超土下座で何とか生きてる会社。
0219人間七七四年2011/07/26(火) 05:23:32.90ID:gvTVF3HY
212は暴漢に絡まれて死亡だな
0220人間七七四年2011/07/26(火) 10:42:08.95ID:lD8x2lvT
>>219
その争いをみて宗茂に家臣が巻き込まれないように退去するようにアドバイスすると
俺ら関係ないんだから気にすることないと言って傍観される罠
0221人間七七四年2011/07/26(火) 16:52:40.94ID:3gu0CFRd
>>218
まぁそこはいいんじゃないか
超ブラックだろうと土下座しようと大藩を残すってのは何より難しいんだし
0222人間七七四年2011/07/26(火) 18:33:33.07ID:i6WwGKpT
>>221
いや仙台藩は領地を幕府に返上しようとしたが
あまりに膨大な借財を幕府も肩代わりしたくないので
許さなかっただけだよ。
0223人間七七四年2011/07/27(水) 07:50:45.58ID:efYHoxI9
カエサル方式の借金術か。
0224人間七七四年2011/07/27(水) 11:35:17.49ID:1F4uHtCH
ダイエーやJALみたいなもんだな
0225人間七七四年2011/07/27(水) 12:11:24.45ID:hYesr4To
宗茂って実際の血筋も歴とした大友一族だったんだな
男系は大蔵氏と思ってた
0226人間七七四年2011/07/27(水) 15:01:55.20ID:1F4uHtCH
義統を廃し大友宗茂として大友家を継いで
関ヶ原に布陣する福島隊前面に豊後全軍を率いてやってくる宗茂。
恐れる黒田長政が宗茂が東軍になるように勧誘するが…
0227人間七七四年2011/07/27(水) 17:10:50.88ID:HrFevSlp
意味分からん
0228人間七七四年2011/07/27(水) 18:01:56.52ID:hRedp5LR
宗茂の性格じゃ大友の家督はもっと相応しい方がいると他人に譲ると思う
0229人間七七四年2011/07/27(水) 18:11:08.83ID:4LGL96jk
>>226
この場合、宗茂は西軍では無く確実に東軍だと思うぞw
秀吉から義統を排除して大友家を継いでも、小早川や
東軍の黒田長政や最初は東軍だった島津しかり、、、、
そこまで、アホでは無いはず。豊後なら小早川秀包とも
接触は無いし。終始、西軍に付く事を反対した従弟の
吉弘統幸も居るし。朝鮮出兵で唯一加増された島津
でさえ最初は東軍だったのは家康の手引きだし、宗茂
が朝鮮で大友宗茂で活躍してたら家康も彼を手なづけ
るだろ。マジレスすまそw
0230人間七七四年2011/07/27(水) 18:14:50.59ID:bUQL5AmJ
維持が大変な薩摩内の太閤蔵入地1万石が返却されただけで
戦功で加増された根拠が薄い
0231人間七七四年2011/07/27(水) 19:37:16.12ID:hYesr4To
>>226
流石に宗家継ぐには血縁遠すぎる
0232人間七七四年2011/07/27(水) 19:42:05.19ID:PhvC16gk
まぁ宗茂が豊臣恩顧として西軍に加わった理由ってやっぱり
秀吉から柳川の大名として独立させてもらったからだろうからな
0233人間七七四年2011/07/27(水) 19:44:40.14ID:1F4uHtCH
宗茂の姉妹が義統の正妻だから
義統が養子を取る形なら有り得るだろ。
0234人間七七四年2011/07/28(木) 00:39:38.66ID:4JUOH6vW
>>229
>>最初は東軍だった島津しかり
義弘は三成と協調して島津の改革を行おうとしていて
義久とは対立していた。
義弘が最初から東軍寄りだったとは必ずしも言えない。
その時の回りの状況で大きく変化する。
0235人間七七四年2011/07/28(木) 18:11:34.01ID:DBZ7foCz
>>233
叔母が義統の正妻で、妹が義乗の正妻
あと祖母が宗麟の姉妹だったかな。
0236人間七七四年2011/07/28(木) 20:42:47.67ID:kuQGljFr
大友宗家との婚姻関係から紹雲親子が大友を守るために必死だった理由もちゃんとあるんだよね。
0237人間七七四年2011/07/28(木) 22:19:28.43ID:5vOUIRN0
女系考えると思ったよりかなり近い血筋だな
0238人間七七四年2011/07/29(金) 19:14:46.06ID:XEn5Fadf
立花って俗に「西大友」って呼ばれるぐらい名門だったのか・・・
0239人間七七四年2011/07/29(金) 22:18:03.95ID:R/CHfkQk
立花はその誕生経緯からして
大友本家に対して鬱積したモノ持ってるよな
0240人間七七四年2011/07/30(土) 00:12:51.54ID:XGMbJShQ
鈴木宗男
0241人間七七四年2011/07/30(土) 11:16:31.40ID:5Hf8qpXp
三木一草の白河結城親光に討たれたのが初代だっけ

まあ謀反起こして潰れた名字を継承しただけだし特に関係ないだろうが
0242人間七七四年2011/08/03(水) 19:40:15.77ID:DZw4xjWH
鈴木宗茂
0243人間七七四年2011/08/24(水) 14:58:59.02ID:1ND1RT5Z
紹運の墓参りしてきました
0244人間七七四年2011/08/24(水) 23:53:20.78ID:FrJleUTA
岩屋城二の丸跡?
0245人間七七四年2011/08/30(火) 14:38:56.89ID:tO3pG7x9
結局、道雪は下半身不随なの半身不随なの?
0246人間七七四年2011/08/30(火) 17:32:27.71ID:y5WFawlI
半身不随でァ千代仕込んだの?
0247人間七七四年2011/08/31(水) 10:52:42.82ID:fnpqTbMT
騎乗位してもらえば無問題
0248人間七七四年2011/08/31(水) 20:16:40.95ID:EiLyd+Xp
下半身だとしたらチンポたつの?
0249人間七七四年2011/08/31(水) 21:30:42.62ID:s2fv4nWQ
程度による
0250人間七七四年2011/08/31(水) 21:40:33.01ID:5QmBrU1E
道雪レベルになると一睨みしただけで女は妊娠する。それが鬼と呼ばれる由縁よ
0251人間七七四年2011/09/01(木) 08:50:51.86ID:pOWxq3Mh
そもそもいつ雷落ちたんだよ
おっさんになってから?
0252人間七七四年2011/09/01(木) 10:28:04.77ID:0WnbueqT
30〜67歳の間のどこか。豊後大野市藤北にて。
0253人間七七四年2011/09/02(金) 13:23:35.72ID:SqvAOOUI
「騎馬に裝著」とは、宗茂考案の鉄砲の準備である。
騎馬武者の馬首に鉄砲袋を備え、弾薬の袋を馬尻に掛けさせたのである。
これで、鉄砲は騎馬武者が一人で扱える。
三人四人と騎馬の周りに配備した鉄砲持ち弾薬持ちの歩兵が戦闘力として
鑓・弓・鉄砲を個別に握らせ得る。
つまり、八百の兵が二千、三千の兵の役割を果たすのである。
銃袋を馬首に裝著した二百の騎馬と、水・糧食・武具弾薬を背負った馬百頭、
これに従う徒歩三百。
立花軍は、鉄砲二百丁を馬首に具えた騎馬二百が先頭を駆ける。
駆け來たっては陣を具えて一斉に隈部軍へ鉄砲発射である。
筒口を揃えて一斉に発射すると、その煙も収まらぬ間に第二弾である。
二段三段の鉄砲連射に隈部軍が怯む間隙に、今度は徒歩に長柄を備えて無二無三に突きかかる。
長柄の徒歩隊は無二無三に突いて進むように見えながら、ようやく右に陣形を傾ける。
隈部軍の正面に対峙するのは、徒歩の後ろに具えた騎馬鉄砲隊である。
徒歩長柄が右に退く。
前方が開ける。対峙した隈部軍に鉄砲弾丸の亂れ射ちである。
「火車」でござる。
城村城で指揮を執っていた有働大隅守兼元が城主隈部親安に言った。
和仁・辺春・大津山の三氏は筑後より立花宗茂參戦の報せを聞いて、
隈部方を助勢すべく、連攜して永野原の側背に出ようと山を越えたのであった。
しかし、思いのほかの立花軍の進軍。まして「車懸かり」の迅速。
誘う出した敵に一旦軍の後背を捕らせて一気に反転攻勢に懸かる、
宗茂得意の「火車懸」の陣法である。

http://blogs.yahoo.co.jp/aun1949fuu/folder/1506209.html?m=lc&p=2
0254人間七七四年2011/09/02(金) 13:36:17.10ID:2DdMWx3F
吉弘鎮理さんの玉砕以外の戦績とかエピソードってありますか?
0255人間七七四年2011/09/02(金) 16:42:07.95ID:SqvAOOUI
紹運は猪武者じゃない!

紹運の智略「柴田川の戦い」
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/shibatakojyou/shibatakojyou.html

二日市の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/hutsukaichi/hutsukaichi.html

石坂の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/munetora/munetora.html

鷲ケ岳城の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/washigatake/washigatake.html

龍ヶ城夜襲之事
「岩屋城結束強化の契機となった。北原鎮久の誅殺」
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/ashiki/ashiki.html

久留米高良山合戦
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/kurume/kurume.html
0256人間七七四年2011/09/02(金) 16:58:39.59ID:2DdMWx3F
>>255
ありがおう
上から呼んで見ます
0257人間七七四年2011/09/03(土) 14:02:59.27ID:u33o4kpu
57 人間七七四年 [sage] 2011/09/03(土) 05:08:46.06 ID:lCaP4BKn

>>30
>立花宗茂と水野勝成って面白いね

立花宗茂    水野勝成
有名な人格者   有名な犯罪者
飢えても我慢   飢えたら強盗
喧嘩は冷静に傍観 喧嘩に興奮して加担
多くの大名の客分の話が 多くの大名から出奔
主君に忠節    主君から刺客
無礼者は諭す   無礼者はその場で殺す
困った人には金を貸す 困ったら借金
二人の父を尊敬  父を見たら怒り爆発
秀吉から絶賛   秀吉から刺客
関ヶ原では親の仇をかばう 関ヶ原では親の仇をリンチ
島原の乱では総大将を補佐 島原の乱では独断専行
子孫は繁栄 家督は断絶

ワロタwwwwwwwwwwwwww
0258人間七七四年2011/09/03(土) 14:48:54.54ID:vwLgjaAu
立花厨は本当に気持ち悪いな
0259人間七七四年2011/09/03(土) 22:51:47.82ID:KV39m/IC
>>258
落ち着け! これはセンゴクの罠だ!
0260人間七七四年2011/09/05(月) 19:55:57.27ID:TFUv9SuN
マジで完璧超人伝説おおすぎると疑いたくもなる
0261人間七七四年2011/09/05(月) 20:42:18.29ID:NVvH4kTa
欠点もあるだろ
おぼっちゃま思考だし
0262人間七七四年2011/09/05(月) 23:59:48.16ID:Ejy8yjmc
浮世離れした人だと思うけど、甘ちゃんじゃないしなあ。
本質的に怜悧で現実的な思考をする人物が、筋を通して
生きることを自分に課してるような印象を受ける。
0263人間七七四年2011/09/06(火) 00:24:42.62ID:F2KR8B/u
立花宗茂自身はいいよ
それを崇めてる奴らには吐き気がする
鬼武蔵(森)とかDQN四天王(笑)

気持ち悪いわボケ
0264人間七七四年2011/09/06(火) 00:53:23.43ID:xd+iknxR
ネタをネタと
0265人間七七四年2011/09/06(火) 09:58:20.23ID:aL55k1nT
>>263
色々と大変そうだな
もう少し肩の力抜いて生きたら?
0266人間七七四年2011/09/06(火) 12:51:27.84ID:nFQT4ZvN
>>263
専ブラで立花や宗茂、完璧などをNGにする。
0267人間七七四年2011/09/10(土) 19:23:52.95ID:dH48UIAr
宗茂自体はなんとも思わんけどぐぐったときにみたニコニコのwikiみたいな奴の項目作った奴は気合入りすぎてて引いたわ
0268人間七七四年2011/09/11(日) 05:40:54.44ID:eEgXv7iU
まぁいいじゃないか
本家wikiよりはまだほのぼのとしているし、あそこはネタ勝負な場所だ

〇〇の記事がないなんて!とか言ってるレベルだから可愛気があるよ
今のところはだが
0269人間七七四年2011/09/17(土) 20:09:00.98ID:nsasSETe
宗茂の話題が出るたびに完璧超人完璧超人言う奴いるけど
あれ反感買うからやめて欲しい
0270人間七七四年2011/09/17(土) 22:44:13.64ID:4HkbefbT
完璧超人完璧超人言ってると道雪がビッグザブドーになっちゃいそうで困る
0271人間七七四年2011/09/17(土) 22:45:46.10ID:ahymPGNZ
究極超人と呼べばそこはかとなくおまぬけ感が
0272人間七七四年2011/09/18(日) 00:18:39.05ID:2bQhATYw
宗茂ん大将は弟と違うて種のなかとよっ><
0273人間七七四年2011/09/18(日) 08:32:06.64ID:bMLeG0Fu
完璧超人なんだから仕方ない
0274人間七七四年2011/09/19(月) 21:02:55.17ID:E5du6Bh4
気にしすぎじゃねと思わんでもないけど・・・
それより宗茂って結局婿入りしてから家督はァ千代から改めて宗茂へ譲られたの?
0275人間七七四年2011/09/19(月) 23:59:15.89ID:di3XiAUM
>>274
そうだよ。
宗茂が婿に入った時点でァ千代はお役御免だよ。
まぁ道雪の強い意向で婿に来たわけだから、ァ千代も尊敬する父親の
意向には逆らえなかった分けだし、まぁけれども内心は複雑だっただろうけどね
何しろ気性が激しくて道雪も女に生まれたことを嘆いたくらい器量はあったらしいから
その証拠に道雪が死んでからは、あからさまに宗茂に対して反抗的な態度を
とりまくってるからねw
ただ宗茂が関ヶ原後に改易されてからは、密かに夫の大名復帰を願って
神社や寺に参拝してたみたいだけど・・・w
0276人間七七四年2011/09/20(火) 00:33:28.68ID:aGOCNkt1
夫のというより立花氏の再興を祈ってただけじゃないのか
0277人間七七四年2011/09/20(火) 07:31:55.17ID:5GQgT78I
「お、御家再興を願ってるだけなんだからね! 宗茂なんてどうでもいいんだから!」
とツンデレしてたほうがロマンがある。
0278人間七七四年2011/09/20(火) 20:07:41.03ID:HTjgKZpA
>>274
道雪からァ千代に家督が譲られたのは天正三(1575)年5月28日の日付で
譲り状が残ってるんで確かなんだけど、ァ千代から宗茂への家督譲渡の書状は
現存してないみたい。ただ宗茂が養子に行った後は、感状とかが道雪と宗茂の
連署になってるんで、宗茂が当主の立場にあったと思われる。
0279人間七七四年2011/09/20(火) 20:33:53.24ID:dYbtf+0v
千代も西大友立花氏の血筋でないじゃん
0280人間七七四年2011/09/20(火) 23:08:21.86ID:d26sZQr+
確かに跡継ぎにしようとしてたのにどうしてもというから婿にやったのに
何の実権もないマスオさん状態だったら紹運も切れたかも知れんな、さすがに
0281人間七七四年2011/09/21(水) 00:28:35.57ID:tZnwitUy
ァ千代はサザエさんを見習うべきww
0282人間七七四年2011/09/30(金) 22:37:07.19ID:0NtZ56Tt
>>255を興味深く拝読させて頂きました。
少々、気になったのは、出典の史料にあるのかもしれないけど、
針磨山とあるのは、今の針摺峠?豊満山とあるのは、宝満山?
由布雪下は、由布雪可とも書くの?
岩屋城の近くに石坂の地名は無い(実際は太宰府にある)といった記述です。
0283人間七七四年2011/09/30(金) 23:24:10.78ID:LLJ1aaLP
>岩屋城の近くに石坂の地名は無い(実際は太宰府にある)といった記述です。

確かに変な記述だね
石坂は太宰府の中心寄りだけど
岩屋城から見て石坂は見下ろす位置にあって結構近い
高橋紹運の本城の宝満山に比べれば遙かに石坂寄りだし
少弐氏が太宰府の居城として築いた内山の有智山城とほぼ等距離
懐の位置には無いけどわざわざ岩屋城の近くにないとか書く意味はあるんかなぁ?
0284人間七七四年2011/10/08(土) 18:18:03.68ID:LQxz2obJ
男にもてもてだよねえ

実父・養親・秀吉・家康
及び関ヶ原後に改易されても
なおも尽くす家臣たち
0285人間七七四年2011/10/10(月) 20:43:20.35ID:+q3UAaIs
>>284 他の連中はともかく、実の父親に嫌われるようじゃあかんでしょう。

宗茂と闇千代、婚礼の時が初対面かね。幼年時代、立花城を訪れたことあるらしいし、顔見知りの幼なじみとかだったりしたらなんとなく萌えるな。
0286人間七七四年2011/10/11(火) 00:55:50.98ID:Qdv5DCje
まりしてん千代姫は面白い?
0287人間七七四年2011/10/11(火) 20:27:36.80ID:C6kT8B7a
>>286
つまらなくはない、と思う
宗茂がとにかく両親を始め周囲から愛されて育ったってことが強調されてた
0288人間七七四年2011/10/21(金) 14:30:54.89ID:gOh7RepR
道雪が娘に家督を譲ったのは窮余の一策、それこそウルトラCなんだろうけど、それをすんなり認めた宗麟も凄いな。
博多に近い立花城エリアが重要拠点の一つなのは間違いないし、道雪に跡継ぎの男子がないのは分かってたんだから、自分の息子と結婚させるとか、息のかかった人物を養子に送り込むとかして我がものにすることも出来たろうに。
ifはないだろうけど、もし、ぎん千代の縁談話が宗麟から持ちかけられていたら(相手は宗茂ではない)道雪はどうしただろうかな?
0289人間七七四年2011/10/21(金) 17:01:32.40ID:Wspk9Eav
たいして戦功もないのに返り咲きかw
0290人間七七四年2011/10/22(土) 03:12:10.89ID:R8ofmv7U
>>288
確か宗麟は戸次の一族の中から養子を取って跡継ぎにするように勧めてたんだけど
道雪はそれを拒否してァ千代に家督を継がせてたと思う。
0291人間七七四年2011/10/23(日) 19:52:12.14ID:KfTESJ8i
道雪って多々良浜の戦いぐらいしか目立った功績ないのになんで持ち上げられてるんかね?
逸話補正を外せば、どこにでもいる武将レベルなのに。
0292人間七七四年2011/10/23(日) 20:21:08.11ID:PIvewJ/D
道雪がおらんかったら毛利と秋月に領地削られまくってたぞ
0293人間七七四年2011/10/23(日) 21:49:00.58ID:KfTESJ8i
筑後の大半が反大友陣営の勢力下になり、残りの岩屋城-立花城間で踏ん張ってただけのように思える。
69年に毛利勢に立花城が占拠されていよいよジリ貧になっていたところを吉岡の奇策によって助けられた。
そんな印象しかない。その後は隆信にガシガシ領地削られていくし。
0294人間七七四年2011/10/24(月) 00:43:39.69ID:iNDWwMTK
とりあえず戦国戸次氏年表のサイトを見てくるといいんじゃないかな。
0295人間七七四年2011/10/24(月) 09:36:49.61ID:hsUgJrKH
宗像・高橋・秋月クラスには勝てるけど、竜造寺や毛利、鍋島クラスになると勝ちきれない
0296人間七七四年2011/10/24(月) 19:27:44.01ID:iNDWwMTK
野戦では結構勝ってるんだけどな。
城に籠られて落としきれないことが多い気がする。
0297人間七七四年2011/10/24(月) 21:28:47.38ID:hsUgJrKH
強者相手には後一歩の所で決定打を浴びせることができてないんだよね
陪臣の限界なのかもしれないけど

道雪が大名だったら物凄かったと思う
0298人間七七四年2011/10/25(火) 19:04:29.89ID:dodIA7JQ
今発売されてる歴史読本で、戦国武将の兄弟って特集されてて
立花兄弟についても6P書かれてるんだけど、珍しく直次の方を
メインで書かれてた。
全体的にマイナーなほうを取り上げるようにしてるみたいだけどね
0299人間七七四年2011/10/30(日) 18:24:46.49ID:SZA4N1E4
文化の日に都城で「戦国武将の友情―立花宗茂と島津義弘―」てのがあるけど遠い……
0300人間七七四年2011/10/30(日) 21:14:30.59ID:REL+e8vz
大友宗茂になれば大友家は九州一の大名になれた
0301人間七七四年2011/10/30(日) 21:25:09.61ID:V+r0/q9i
そもそも敵中孤立してて、
立花からの動員しかないという寡兵っぷり。
あんな無理ゲーっぷりから
戦線を支えてるとか鬼すぎ。
しかも柳川まで龍造寺を押し出すし、
その間、島津も介入に躊躇してる。
道雪死ぬや、速攻で戦線崩壊してる。
それに毛利戦では、
吉岡の奇策と同時期に、
陸戦での立花城攻防において
道雪が隆景を撃破して、
毛利の防御陣形に穴を開けたのも撤退理由
0302人間七七四年2011/10/31(月) 00:33:02.74ID:od1dbCSX
耳川以降、筑後勢の相次ぐ離反、クマーの盛隆、大友家臣団絶賛崩壊中という最中、

ttp://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1579.jpg
↑この状態で5年近くも立花維持してるのは雷神さま鬼っす。
0303人間七七四年2011/10/31(月) 00:52:50.73ID:swxhNRDF
そりゃ、大友領の中でも比較的恵まれた地域だからな
立花周辺の他領も秋月を除きさほど大きな勢力はないし
耳川の合戦に加わらなかった事も手伝って兵力も落としてないし
宗麟に対し二心持ってたり、余程の凡将でない限り維持出来るでしょう
0304人間七七四年2011/10/31(月) 10:57:14.31ID:xrDOHxBA
秋月単体で5万石(多く見積もって32万石)だぜ?秀吉との戦いで2万5千も出せるんだから
そこに筑紫・宗像・原田・麻生、さらには熊さん加わって、完全孤立の年がら年中合戦状態
豊後からの援軍も期待できない中で立花を5年間維持するのは並の武将では無理
熊没後に1年で柳川まで侵食する進軍スピードも異常
0305人間七七四年2011/10/31(月) 12:56:17.92ID:dWe0tewm
陣没した場所が柳川から20キロ以上離れてるし
猫尾城は落としたけどその後は高良山を占領していただけじゃないのか
0306人間七七四年2011/10/31(月) 17:41:44.39ID:swxhNRDF
>>304

>秋月単体で5万石(多く見積もって32万石)だぜ?秀吉との戦いで2万5千も出せるんだから
>そこに筑紫・宗像・原田・麻生、さらには熊さん加わって、完全孤立の年がら年中合戦状態

残念だけどその連中はまとまりの無い烏合の衆なんだよ
それぞれお家の事情で内輪もめ繰り返しで単独で立花と当たる事は無理だったし
毛利の様な頭が無いと連合して立花と当たる事も出来んし、互いの思惑交差して協調する事もない
むしろ立花はそこを突いて高橋連合で宗像とか各個撃破出来たから孤立無援どころか優勢だったわ
0307人間七七四年2011/10/31(月) 20:56:14.63ID:xrDOHxBA
>>305
俺の書き方が拙かった。柳川城は包囲網止まりね。

>>306
確かに筑紫・宗像・原田・麻生は単独で立花に当たるのは無理だね。
でも秋月と竜造寺は別格だよ。単体で立花・高橋の兵力数をゆうに超えてる。

そんな連中が7月に秋月・筑紫が岩屋、8月に宗像・麻生・原田が箱崎、9月に竜造寺が安楽平と攻めてくるので、
烏合の衆も良い連携してたよ。

んで、秋月除く筑後勢の各個撃破が可能な状態になったのは、
9郡を捨てて竜造寺と和睦という戦略を道雪が選んだから。

島津が北上していたので竜造寺にとっても時期的においしい話だったしね。
9郡捨ててまで熊の脅威を取り除くことで、小勢力の各個撃破が可能な態勢を整えた。
そういう戦略眼があってやっと対秋月への光明が差した。

この時点でもまだ優勢とは言い難かったと思うよ。
0308人間七七四年2011/10/31(月) 23:57:30.94ID:7zHl6teA
立花が糟屋郡周辺五千町
高橋は御笠郡周辺三千町

秋月は1579年に杉氏領を併合して都合一万町並
0309人間七七四年2011/11/01(火) 08:29:34.33ID:QnK6Ghxt
石高で言え
0310人間七七四年2011/11/01(火) 10:19:39.74ID:Fa8w0h5R
たしか秋月や原田とか田尻とか対大友に対しては
大蔵一族としての連帯感あっただろ。
しかも秋月単体ではなく、
長野や高橋に兄弟を養子に入れて共同体化してたし。
完全に敵の海のど真ん中に浮かぶ小島状態が立花だろ。
そっから秋月らに背を向けて龍造寺相手に筑後奪還作戦とか敵中長駆行軍とか度胸あり過ぎ。
筑前や豊前の寺社宗教勢力も宗像や英彦や宇佐らのように軒並み反大友だし、
もうどうしろって言うんじゃ!って孤立ぶり。
八方塞がりで積み過ぎ無理ゲー。
大友から高橋みたいになんで離反しないのか不思議レベル。
0311人間七七四年2011/11/01(火) 12:02:58.74ID:CLs9whMZ
立花道雪は、武田信玄が欲しいって言った位の名将だが
信玄の配下も粒揃い。大友宗麟が秀吉の大坂城見て格
の違いを見て同様した様に・・・九州三国志は俺は大好きだ
けど、やっぱり中央から見ると単に局地の田舎大名と武将
だよね。

島津討伐の時に堀秀政の活躍とか見ると中央の武将と比べた
ら九州の武将も霞むよね。

ちなみに、俺は大分だけどね。

0312人間七七四年2011/11/01(火) 12:06:34.47ID:CLs9whMZ
同様←× 動揺←○
0313人間七七四年2011/11/01(火) 14:18:19.78ID:hur8AAsR
同意。
城跡めぐりするとやっぱ中央には勝てんなーと思う。
0314人間七七四年2011/11/01(火) 18:34:46.87ID:Qc3ySyaD
>>311
よう同県民。城・武器・装備品・兵数規模などは上方に劣るけど、
武将の質ならば、鍋島・立花・島津と鎮西も負けてないべ。
0315人間七七四年2011/11/01(火) 18:40:15.09ID:ikTj9v/t
島津はただの卑怯者揃いの犯罪者集団だから除外だな。
0316人間七七四年2011/11/01(火) 18:44:01.16ID:bQhVXQuR
九州征伐で島津がフルボッコにされたのはどうも鉄砲の飛距離が違っていたようだ。
典型的な、装備で負けた戦争だな。
0317人間七七四年2011/11/01(火) 19:00:33.44ID:35dJgKZT
宗麟が武門の意地を見せた時に使った国崩しってフランキ砲って
当時は中央にもあったの?
0318人間七七四年2011/11/01(火) 19:30:43.66ID:Zg8l4xOI
信長が鉄甲船の3門づつ乗せててそれを見物した宣教師オルガンティノが
大砲は俺らが大友に売った物しか無いはずなのにーと驚いてフロイスに報告している
フランキ砲かどうかは定かではないが
0319人間七七四年2011/11/01(火) 20:06:18.73ID:bfuyOk/R
中国製なんじゃね。
0320人間七七四年2011/11/01(火) 20:49:42.95ID:nJ6REMl4
日本は鉄砲の開発ばかりで80年代まで大筒にあんまり興味持ってなかったよね。
丹生城での国崩も精度悪すぎで、闇雲に撃ってたら家久が兵を退いてったてのが実情。

人間国崩しさまの夢を受け継いだ宗茂は数年後、大津城で見事な大筒攻めを見せてくれた。
0321人間七七四年2011/11/02(水) 08:07:12.39ID:nbdt+PeF
>>298
自分も立ち読みした。
統増(直次)、兄貴のとばっちりをモロに受けたって感じだね。
紹運も兄貴同様に武将としての教育は施してたろうけど自分が家督相続することになるとは思ってなかったんだろうし。
苦労したんだろうが、高橋の家も残すことができたし良かったのかな。
0322人間七七四年2011/11/02(水) 08:36:06.66ID:tnDtANkZ
元総理の麻生太郎さんは、統増の血筋?
0323人間七七四年2011/11/02(水) 13:19:46.54ID:/lejqvb5
>>321
途中で立花姓になったけどな。

>>322
確かそう。
0324人間七七四年2011/11/02(水) 15:46:51.85ID:nbdt+PeF
>>323
直系に近いの、麻生さん!?

紹運さんの血筋、残せたのは隠れた功績かな。兄貴のところはダメだったし。
0325人間七七四年2011/11/02(水) 22:21:58.06ID:0JP04NER
直次の四男が立花本家の跡取りとなったわけだが、
直次の長男や次男は跡目争い起こそうと考えなかったのかな。
0326人間七七四年2011/11/02(水) 22:33:34.46ID:Vg0uVKZO
紹運・宗茂・直次みたいな堅物一家だ
子が跡目争い起こそうもんならその子は
真っ先に後継ぎ候補から外される気がするな
0327人間七七四年2011/11/03(木) 07:51:25.50ID:FYY1fxPF
忠茂は1612年に生まれてすぐ宗茂の養子になったので、いわばずっと宗家。

立花2代目を直次が継いでたら話は変わってたかもしれないけど、
1617年と早くに亡なったしね。
兄貴達には高橋家だった頃の記憶もあるだろうし。

そんなこんなで、1638年に宗茂父ちゃんから忠茂に直接家督が相続されるのは
ごく自然な成り行きだと思える。
0328人間七七四年2011/11/04(金) 13:22:39.09ID:yHDUUJAd
>>324
曾祖母あたりがそっちからきているので女系つながりだよ。
普通直系つうと男系つながりじゃないかな?
0329人間七七四年2011/11/06(日) 22:47:26.26ID:Ys8+9LXs
棚倉時代の貧乏小ネタってない?

「領民より多くね?」
「まさか」
「はははははは」って感じで
0330人間七七四年2011/11/11(金) 21:11:25.96ID:5g2GUUMf
>>320
大砲は轟音を利用し士気の低下を謀る手段
大坂陣でも大坂城本丸の敷地内に当たったのはたった一回。

関ヶ原敗北後に宗茂が
籠城するなら参加しますけど?って聞いたら
増田と輝元が相談するから待ってと解答したから、
宗茂はなにを今更相談することあるんだ?と籠城意思ないのを悟り帰るんだよね。
安芸に舟を着けたら賊が襲ってきたから
一気に襲撃かけて皆殺しにしてから
九州に向かい、わざわざ福岡に上陸し秀秋の居城に対して
お前らも俺ら襲うの?通過させてくれんの?
と質問してから通過。
柳川まであと少しのところで、
鍋島襲撃の情報が入り、
いつもの違う場所から渡河して柳川入りしたみたいだけど。
0331人間七七四年2011/11/12(土) 01:05:53.38ID:iEQxpZeO
>>330
お!関ヶ原後、宗茂が九州に戻ってくる際に着港した場所ってあんまり良く分かっていないと
御当主から聞いてたので詳細諦めてたんだけど、耳寄りな情報ですね。

博多・門司・日出・鶴崎・佐賀関のどれかだと思ってたんだけど、
福岡上陸なの?博多かな。
0332人間七七四年2011/11/12(土) 04:41:46.02ID:b9EPLEMH
確か安芸付近で島津義弘と出会って同道して、豊後水道で北と南に別れたんだったかな。
島津は別れた後に黒田軍の襲撃を受けたみたいだけど
0333人間七七四年2011/11/12(土) 11:25:18.46ID:kqjNZxtH
秀秋の居城の筑前名島城が湾に面してるね。
0334人間七七四年2011/11/12(土) 22:02:42.19ID:U+RoCp/1
>>331
柳川から最も近い港(海岸)は有明海からだけど、玄界灘〜島原半島をぐるりと廻る形になるので遠回りになる。
もし、博多から入るのであれば立花城時代から勝手知ったるもので、他のルートより使いやすかったからじゃないの?
0335人間七七四年2011/11/13(日) 01:42:24.85ID:1JpItkdA
なるほど博多湾を使うのが一番自然だね。
0336人間七七四年2011/11/13(日) 08:46:10.47ID:JV+cyfz1
現地勢力との友好関係考えると別府か杵築に上陸して日田経由で柳川入りが安全だと思うんだが
博多からだと小早川か鍋島に襲われる危険があるのなんて事前に分かっているだろうに
0337人間七七四年2011/11/13(日) 10:01:54.75ID:rfN/2h9A
330は

>福岡に上陸し秀秋の居城に対してお前らも俺ら襲うの?通過させてくれんの?と質問してから通過。

と言ってるから、宗茂は博多か箱崎の港を選んだってことだよね?
情報の出所教えて欲しいな。
わざわざ東軍の秀秋領に上陸するなんてなんちゅー度胸…。これだけで逸話にできるレベル。
0338人間七七四年2011/11/13(日) 11:48:38.11ID:DqbNRCs/
義統大敗後の豊後上陸は無理だろ。
0339人間七七四年2011/11/15(火) 07:09:18.20ID:GsW2h2T2
歴史人最新号・戦国武将の死特集で紹運さん登場
0340人間七七四年2011/11/15(火) 19:45:33.31ID:pg+hPvjl
いまアニメに宗茂夫妻が鎮西一として登場してるらしいね。
忠勝に負けたみたいだけど
0341人間七七四年2011/11/15(火) 20:40:14.70ID:xB06fKRK
>>340
アニメ?? どんなの?? 後、本多忠勝と比べるなら招運か道雪でしょね。
秀吉の覚え目出度かったのは確かだけど、家康の軍艦をずっと勤めて家康に
天下獲らせた忠勝と宗茂を比べるのは少しね。けど、宗茂のが好きだけどね^^
0342人間七七四年2011/11/15(火) 20:45:12.29ID:xB06fKRK
>>341
軍艦←×
軍監←○
0343人間七七四年2011/11/15(火) 21:22:09.12ID:YAGnxBSk
何やってるんだかw

立花家史料館BLOG

よくわかる!立花宗茂への投票のしかた
http://www.ohana.co.jp/museum/blog/?p=1109
0344人間七七四年2011/11/15(火) 21:44:10.61ID:BCuHw8Fb
葵徳川三代の立花宗茂のシーン。なかなかかっこいいよ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6964015
0345人間七七四年2011/11/15(火) 23:51:01.20ID:3KhNyjnQ
>>341
境界線上のホライゾンっていう、戦国時代をモチーフにしたSF学園バトルファンタジー。
0346人間七七四年2011/11/16(水) 03:54:16.58ID:o4KTofJe
>>344
これ好きだわー
大津城攻めにも出てきてほしかったな
0347人間七七四年2011/11/16(水) 10:12:44.64ID:sTDYFTS3
>>346
『江』での大津城攻めのシーンのこと?
真田幸村の最期のシーンとか見ても、あの脚本家がまともに描けるとは思えないな。
出なくてよかったよ、今回の大河なら。

大河に取り上げられることがあるならまともな脚本でお願いしたい。
(特に主役クラスの扱いならなおさら)
0348人間七七四年2011/11/16(水) 13:51:29.61ID:Nkg5sY1B
>>345
金髪の宗茂がでてくる奴な。
そういやあ先週は負傷した宗茂を闇千代がいびって(ノロケて)たな。
0349人間七七四年2011/11/16(水) 14:15:23.78ID:LNGgUXOC
>>347
「江」じゃなくて「葵」の大津城攻めのときね

「江」は信繁の最期もひどかったけど、逃げたはずの家康が
ひょっこり物陰から現れるのもひどかった
03503472011/11/16(水) 14:44:47.65ID:sTDYFTS3
>>349
すいません。
『江』で大津城攻めの場面があった(宗茂のむの字もなかったが)から、ついそっちかと思って。
話を変えて…。
宗茂の人生の中で重要なターニングポイントの1つである『島津による岩屋・立花城攻め』。
島津軍の総大将が忠長ではなく、義弘や家久(義弘の弟の方ね)だったら、どうだったろうか?

島津が筑前方面に侵攻を開始したのは道雪が亡くなったことも理由の1つなのかな?
「道雪のいない大友なんて組み易し」とでも思ったのか…。
このスレの住人的には、どう思う?
0351人間七七四年2011/11/16(水) 16:44:48.19ID:lEz+CtUU
道雪が居なくなった亡くなったことはあんまり関係ないかな
南から順に来ただけだし、道雪が島津担当だったわけでも無いし
0352人間七七四年2011/11/16(水) 20:30:27.66ID:8PlTBSlg
道雪が死亡した頃の筑後は三勢力入り乱れての殴り合い
大過なく撤退できた紹運がえらい
高橋千数百騎と謳った戦力が籠城時には七百あたりまで目減りしているのも泣ける
0353人間七七四年2011/11/16(水) 20:41:44.88ID:2nvx5Iul
>高橋千数百騎と謳った戦力

高橋ぐらいの領地で騎乗が認められた上士格を千人も抱えられたの?
0354人間七七四年2011/11/16(水) 21:00:12.22ID:SqjAA0FZ
甲斐宗雲もそうだけど、
周辺の人々の気持ちを
ガッチリ握ってるってのは大きいんじゃないかな。
そういうフィクサー的なのが道雪じゃないかな。
だから島津も介入きなかった。
なんせ道雪末期の義弘なんかも
秋月らの支援要請に対して
大友を脅威に思っていて
慎重に考えるべきと言ってる。
耳川後でも島津は大友を大国と認識してた。
でも道雪が死ぬと認識を変えてる。
0355人間七七四年2011/11/16(水) 21:13:26.54ID:8PlTBSlg
>>353
総勢1500騎と書かれている事が多いから騎士徒士は300〜400人程度だと思う
0356人間七七四年2011/11/16(水) 22:17:29.68ID:2nvx5Iul
上士格以下の下士や徒士は騎と数えないから
本当は高橋300騎ってとこ?それでも多いな
0357人間七七四年2011/11/28(月) 23:06:36.82ID:VnDq7bN3
>>348
リアル闇千代があんな殊勝だったら、史実の宗茂があんなに苦労していないわな(涙)。
0358人間七七四年2011/11/29(火) 02:09:10.17ID:aRp/RTGU
>>345
ウィキ覗いたが糞だな
あんなの観る奴はこのスレにいらん
0359人間七七四年2011/11/29(火) 21:36:52.37ID:jNzHy61Q
>>358
お前みたいな選民思想もまたうぜえな
0360人間七七四年2011/11/30(水) 13:11:10.08ID:IMZC26kD
>>345
境界線上のホライゾンって戦国モチーフだったのか。タイトルからは想像もつかんな。気づかなかったww
まだ立花夫妻出るかね? 出るなら今からでもチェックしてみようか

しかしこんな形で表現されることもあるとは、戦国時代も色々な形で出るものだねぇ
何がきっかけになって戦国武将に興味を持つものかわからないし、入り口が広いのはいいことか
0361人間七七四年2011/12/01(木) 18:43:40.65ID:u+ndZiGG
んだんだ。
0362人間七七四年2011/12/02(金) 13:56:16.12ID:N5jbeiyM
>>360
これから大活躍のはず、準レギュラーだから(但し敵方w)

しかし昔は徳川四天王は知られても西国無双とはいえ、
宗茂はほとんど知名度はなかったのになぁ、
そういやぁ、里見八犬伝の犬山道雪は立花道雪がモデルらしいが、
江戸時代のほうが知られてたのかなぁ。
0363人間七七四年2011/12/11(日) 22:36:12.92ID:JedMZAu8
>>351
道雪は一応は病死だけど戦況は敗色濃厚で
実質的には敗死だからなあ。
立花勢が筑後から撤退できたのも龍造寺側の温情だし。
大友側にとっては筑前方面の最高指揮官の敗死だから
大打撃だったと思うよ。
0364人間七七四年2011/12/14(水) 17:33:41.45ID:gYORrqRo
九州の男根と呼ばれたんだってね
0365人間七七四年2011/12/21(水) 23:19:49.25ID:BYySEZ4v
宗茂って卯年生まれだったんだな。
もうすぐ終わるけど
0366人間七七四年2011/12/26(月) 23:09:07.04ID:DaRW3v1n
宗茂が戸次家に養子に行ったときに高橋紹運が書いた覚書が結構興味深いね。

一、命令を受けることに専心する。今は遠慮がいるべき時期であろうか。
一、合戦の時は協力する。近い衆中の心持ちについて善悪を判断しない。
一、戸次家・高橋家の奉公のことは、道雪の家中と同意する。
一、高橋家の者たちの心持ちのこと。あの条件については、紹運の覚悟で決着する。
一、統虎の心底については見極めた所はない。妻を愛することについても計りがたい。

最後の文読むと、宗茂って何を考えているか分からないところがある人物だったのかなと思う。
0367人間七七四年2011/12/30(金) 14:20:46.54ID:71Ld9viu
なるほどなぁ
親父から見てもつかみ所が見当たらない人だったのか
0368人間七七四年2011/12/30(金) 20:10:49.43ID:fVO099UF
続く「愛が測りがたい」ってのとあわせると、
器量の大きさがはかり知れないって評価にも思える。
おぼっちゃまエピソード(虚実入り混じってるが)なんか読むと
掴みどころなさそうな御仁ではあるが。
0369人間七七四年2011/12/31(土) 05:21:44.34ID:5mNx5NKI
4番目の覚悟で決着する条件ってなんだろうね。
かっこ良い感じではあるけど
0370人間七七四年2011/12/31(土) 09:47:25.97ID:T2MT96yO
アンコール放送 2004年放送分
正月時代劇 大友宗麟〜心の王国を求めて〜
1月3日(火)[総合/県内]21:00〜22:30
ttp://www.nhk.or.jp/oita/program/b-det0004.html
ttp://www.nhk.or.jp/oita/program/osusume/images/1201/0103_2.jpg
0371人間七七四年2012/01/16(月) 19:37:14.59ID:bdxYZSdv
宗茂の弟の直次は、柳生宗矩に剣術を学んで「新陰治源流」を開いてるんだね。
兄がタイ捨流門派で、弟が柳生流門派って面白いな。
0372人間七七四年2012/02/27(月) 00:03:13.43ID:Rihx6oO2
葉室麟さん(今年の直木賞を受賞された方ね)の書いた立花宗茂が主人公の小説『無双の花』が出てますね。
このスレに集う方々は、宗茂が題材の小説等はよむのですか?
0373人間七七四年2012/02/27(月) 19:08:00.08ID:CiPOq1wG
自分が読んだのは
『火の槍・立花宗茂』 原田種眞
『立花宗茂』 八尋舜右
『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
『立花宗茂』 志木沢郁
『剣と笛』 海音寺潮五郎 (武将列伝にも立花一族があったかな)
『孤闘―立花宗茂』 上田 秀人
『立花宗茂と立花道雪』 滝口 康彦 (内容的には紹運の岩屋城がメイン)
『螢の城』 秋月達郎 (これは京極高次主役で、宗茂は敵役だけど)

このくらいですね。
全体的に駆け足だったり、人生の一部分しか書いてないのばかりなんですよね。
全5巻以上のボリュームで誰か書いて欲しいです。
0374人間七七四年2012/02/27(月) 19:23:26.67ID:q9Psp4RX
>>373
個人的な感想だけど、読んだ中では

『立花宗茂』 志木沢郁
『立花宗茂』 八尋舜右
この二冊は面白かったなあ。
八尋さんのは巨迹繧フ死までしか書かれてなくて残念。
志木沢さんのは、ちゃんと生涯通して書いてあり読み応えあった。

『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
これは酷かった。
0375人間七七四年2012/02/27(月) 20:20:04.93ID:dAotAQry
道雪☆・・・
0376人間七七四年2012/02/27(月) 21:25:51.54ID:reZcHf7l
宗茂の小説、結構増えてきたなぁ・・・
ァ千代が主役だけど「まりしてんァ千代姫」なんてのもあるし

俺が読んだ中で一番苦手なのは孤闘
0377人間七七四年2012/02/27(月) 23:27:27.25ID:Z5HIKYFC
孤闘は結局手を出しそびれてるわ
無双の花かわんとなあ


ついでに例の史料館ブログ見てきたけど相変わらずあそこはぶっ飛んでる
戦国BASARA人気投票の投票の仕方解説してたり、ポケモン+信長の野望のパートナーポケモン真面目に考察してたり
いや面白いからいいけどさw
0378人間七七四年2012/02/27(月) 23:47:33.86ID:PZQBA5wU
最近ゲームでの登場が増えてきてるからなぁ
有名になるのは嬉しいけど複雑な気分
0379人間七七四年2012/02/28(火) 10:07:33.05ID:0igVvK5a
まぁ間口は広い方がいい。がまんがまん。
0380人間七七四年2012/02/29(水) 00:26:09.74ID:UlK5uoun
>>374
>『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
>これは酷かった。

確かに・・・
童門氏の歴史小説はとにかく現代風にたとえるところが鬱陶しいというか
教訓染みた言い回しがクドイというか
0381人間七七四年2012/02/29(水) 14:21:36.88ID:oQq4zjjk
志木沢版がなかったから八尋版を買ってきた
今は大満足している
0382人間七七四年2012/02/29(水) 17:22:27.95ID:ApOj86lp
>>380
本筋をぶった切って余談に延々と頁を割いたりするのも辛い。
>>375でも出たけど、道雪☆と巨迹縺嘯ナもうお腹いっぱい。
0383人間七七四年2012/03/01(木) 10:58:06.10ID:1KGpu6ER
>>377
そういやブログの人が戦国武将コンプするために買った400個のスジャータ使い切ったのかな。
0384人間七七四年2012/03/06(火) 13:37:21.65ID:8mJBR2hD
この人は野戦も籠城戦も強かったんだよなあ。
0385人間七七四年2012/03/06(火) 21:54:54.90ID:UITR4SLq
島津撤退後に一日で城3つ落としてるし甲状腺も強かったんじゃないかな
0386人間七七四年2012/03/06(火) 22:29:23.70ID:+2H4C0xM
大津城では苦戦してるので一ヶ所に籠城してる固い城をじっくり攻めるのは苦手なイメージ
攻めてる敵の城への逆襲や複数の城を対象とした速さを活かした連続攻城戦は得意っぽいが。
0387人間七七四年2012/03/07(水) 07:14:57.81ID:iE/pr2UI
一ヶ所に籠城してる固い城をじっくり攻めるのはそりゃ誰だって苦戦するだろう。
0388人間七七四年2012/03/07(水) 14:51:43.06ID:BGl7ZxSP
もしかして立花宗茂の人物叢書ってもう手に入らない?
0389人間七七四年2012/03/07(水) 19:10:00.78ID:qST11BS3
>>387

同感。

それなりの統率力ある武将が一定数の兵士とともに堅城にこもってしまえば
いくら名将でも短期間には落とせない。
0390人間七七四年2012/03/07(水) 19:41:03.82ID:GfVklYUc
>>386
実質的には12日から13日の1日半だけの攻撃で開城させてるし、
堀埋めや、開城交渉に時間を取られただけで特に苦戦はしてなかったと思う。
タイミング的にそういう印象になりやすいとは思うが
0391人間七七四年2012/03/08(木) 12:34:15.24ID:NnMPWbwJ
それに立花勢が4000に満たない小勢だという事を考えろ
城攻めは篭城側より3倍近い兵力が必要だ(孫子だと10倍だと言っている)

立花が幾ら勇猛であったとしても、通常、万の兵を必要とする作戦行動に
必要な人員が足りなければ無理な作戦はあるだろう
0392人間七七四年2012/03/08(木) 15:51:14.01ID:OPTk27nb
>>388
図書館で読んだけど、内容はイマイチ
0393人間七七四年2012/03/08(木) 22:07:25.95ID:Ie3Dtacs
>>391
いや、別に立花だけで城攻めしたわけじゃないだろ。
で、立花以外も関が原に居なかったことが惜しまれる精鋭揃い
0394人間七七四年2012/03/09(金) 08:19:35.50ID:9u4TBcdx
島津の九州制覇を阻んだ男。
カッコイイ
0395人間七七四年2012/03/09(金) 08:41:13.94ID:mPATfK9J
>>393

立花とか真田が関が原の主戦場にいて
さらに長宗我部も前線に配置していれば
勝負はどうなったかわからん。
0396人間七七四年2012/03/09(金) 11:01:48.12ID:mNPugHnd
そこは微妙・・・

立花はメッチャ勇戦したろうが
その時点では鍋島は親父から手紙で戦うなと
言われている。

下手したら東軍に寝返ってた可能性がある。
0397人間七七四年2012/03/09(金) 12:01:08.48ID:OQANr36j
鍋島は関ヶ原本戦時点ではすでに東軍に寝返ってただろ
0398人間七七四年2012/03/09(金) 17:52:53.68ID:n+a1s6Z2
そもそもが上杉征伐に出遅れた故の消極的参戦だろ
0399人間七七四年2012/03/09(金) 19:35:49.11ID:i91tNl1A
>>395
誰を主戦場に送り込めるかって前哨戦も含んだ関ヶ原に負けたんだから仕方ない。
0400人間七七四年2012/03/09(金) 19:47:51.84ID:2t5Qjbsq
鍋島が西軍から途中離脱出来たのは伊勢方面進出の同行者が吉川だった為
0401人間七七四年2012/03/10(土) 21:46:28.68ID:pMuqPL5B
>>399

丹後の細川を大軍で攻めるなど、西軍はチグハグな動きだった。
0402人間七七四年2012/03/10(土) 21:48:19.23ID:pMuqPL5B
>>399

メッケル少佐が関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」と即答したことは有名だが
その主戦場に立花がいれば…。
0403人間七七四年2012/03/10(土) 23:17:10.33ID:d5Qn0Doo
立花というか、秀包と元康がいればまた違ったろうがな
0404人間七七四年2012/03/10(土) 23:52:12.10ID:4YP4TNBw
立花が関が原に出てれば、そりゃ後世に残る活躍はしただろうが
結果は変わらなかっただろう、3000程度の小勢だしな・・・
0405人間七七四年2012/03/10(土) 23:56:03.86ID:KmBgeh8D
なまじ活躍して明石狩りにあったら終わりだし運が良かった
才能だけじゃ生き残れないからな
0406人間七七四年2012/03/10(土) 23:56:32.25ID:pMuqPL5B
>>404

野戦で勇将が率いる3000はかなり強い。

俺が石田三成なら立花軍をスーパーサブとして温存。
ここぞというところで投入する。
0407人間七七四年2012/03/11(日) 00:13:45.43ID:plQm0zmy
>>406
本田忠勝はたった400人の部隊で
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3925.html
ってな活躍だからなぁ。

ただ、三成には要所に立花軍投入するといった指揮能力はないけどな
0408人間七七四年2012/03/11(日) 07:06:18.01ID:kRbB8eCP
遊撃部隊にしないとガチのぶつかり合いだと壊滅だろうな
0409人間七七四年2012/03/11(日) 10:26:41.96ID:dnlF/qL/
実際の関ヶ原の遊撃部隊であった島津程度にしかならんとちゃうか
勇猛さを示せはしたが大勢に影響せず
0410人間七七四年2012/03/11(日) 10:46:48.32ID:3egjmb+h
本当かどうかはわからんけど、
宇喜多と仲が悪い
小早川と仲が悪い
島津と…
ってなるとな。宗茂は気にしないだろうけど。
0411人間七七四年2012/03/11(日) 11:12:27.20ID:FBRk+ZE1
>>406
西軍の戦っていた諸将は皆、倍近い敵と戦っていた
立花も戦場に居れば戦わない余裕なんて無い


>>407
東軍と西軍では境遇が違いすぎる。
500の小勢で数千の敵と正面から戦ったりしたか?

忠勝は悪く言えば美味しいとこ取りしただけとも言える
他家に正面からぶつからせて、自分は横合いから攻め
更には敗走する相手を攻める。

首を取った数が多いから大活躍!!というのは
子供視点過ぎる。織田有楽隊も挙げた首級は多いよw
0412人間七七四年2012/03/11(日) 20:55:23.38ID:/ZNsz9Ub
>>410
朝鮮出兵をともに戦ったからか、関ヶ原以前から宗茂と義弘は結構親密だったようだけどね。
荘内の乱のときに、宗茂は島津氏に対して援軍の打診をしている。
0413人間七七四年2012/03/11(日) 21:07:50.25ID:cSb3Izb/
>>412
泗川の戦いでも援軍申し出てるし、露梁海戦では実際に共闘してたね。
0414人間七七四年2012/03/11(日) 21:19:13.90ID:grXjv8gw
義弘自身は筑前に侵攻してないしな
0415人間七七四年2012/03/12(月) 02:58:10.21ID:+/hMLCxi
関ヶ原後の柳川城開城後に島津の援軍が間に合わなかったけど到着って本当?
肥後抜けて来れないんじゃないのかな。
さらにその後の島津攻めの先鋒にされかけてたはずだよね。
0416人間七七四年2012/03/12(月) 07:27:53.29ID:dOFPtO1i
10月ごろ島津軍が肥後に侵入していたのはガチ
これを援軍と見るのか単なる領土獲得のためと見るのかはご自由に
0417人間七七四年2012/03/12(月) 12:05:09.90ID:4CEX6VDr
薩摩と柳川なら船を使うって手もあるな
実際梅北の乱の時には佐敷攻め本隊とは別に船を使って
別働隊千人で八代侵攻図ってたから、まぁ侵攻前に梅北が死んじゃって中止になったけど
0418人間七七四年2012/03/12(月) 12:07:19.60ID:HHgJnJfF
え?島津は肥後に兵を出してたの?清正領だよな?(まさか小西領じゃないよね)
やる気だったんだ?それなら関ヶ原に兵を送っておけば勝てたかもしれんのに
0419荒らされたので、住人誘致中2012/03/12(月) 22:52:30.20ID:IDDrPZi6
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0420人間七七四年2012/03/13(火) 00:58:38.14ID:YQ3vCAlV
>>419

コピペマルチ乙
そんなに荒らしてもらいたいの?
0421人間七七四年2012/03/13(火) 01:00:29.73ID:je+cEGMy
そらマルチしてるの荒らしだからな
0422人間七七四年2012/03/13(火) 06:08:55.79ID:OxbI9Wy2
スレ立てたのがその荒らしというのが救われないスレだよな、そこ
0423人間七七四年2012/03/13(火) 06:46:16.54ID:PFB/JdbA
>>418

島津は兵站が弱いから、持久戦に持ち込まれるとしんどい。
0424人間七七四年2012/03/13(火) 12:55:44.85ID:5r6cXuzS
>>423
関ヶ原は短期決戦だったから、島津が一万も兵を出してれば
勝てた可能性は充分あるぞ
0425人間七七四年2012/03/13(火) 17:21:27.40ID:wvnm27BN
ニバレバ炒めはほどほどに
0426人間七七四年2012/03/13(火) 17:54:37.96ID:cqCta0mb
>>424
無い無い。

つーか関ヶ原は決戦前に既に勝負ついてる。岐阜城陥落の時点で西軍アウト
0427人間七七四年2012/03/14(水) 13:30:36.96ID:C1Fo0c8t
>>426

岐阜城が1日しか持たなかったのは痛かったな。

それこそ立花みたいな名将が籠っていればしばらく持ちこたえたはずなんだが。
0428人間七七四年2012/03/14(水) 13:56:36.11ID:QRHt3DZF
うーん・・・俺は岐阜は大して戦局に差し障りは無かったと思う
国取り陣取り合戦をしている訳じゃないからな。

要は野戦で家康を討ち取るために何が必要だったのかが問題。
0429人間七七四年2012/03/14(水) 20:58:19.37ID:9tZrfZBf
何でもそうだが総大将の首を討ち取れば兵はたちまち統率を失うからな
特に豊臣恩顧の大名を寄せ集めた関ヶ原じゃ何が起こってもおかしくない
関ヶ原の東軍は一にも二にも徳川家康あっての東軍だからな
家康が死ねば秀忠ごときに統率できるわけが無いよ
つっても秀忠は遅刻してたんだっけ?ww
あと立花軍の兵3千の力を舐めない方がいい
小早川隆景をして「立花の兵3千は他の兵の1万に匹敵する」って言われたぐらい
精強だし、宗茂自身も「戦いとは兵が多いか少ないかではなく、一つに
まとまっているかどうかで決まる」とまで言ってるからな
まぁそれが皮肉にも東軍と西軍全体での統率力にモロに現れてしまったわけだ
東軍は家康を中心にまとまってたが、西軍は小早川の裏切りにしろ毛利の
優柔不断にしろ島津の頑固さにしろとにかく全然まとまりが無かった
はっきり言って西軍でまともに戦ったのって大谷吉継と宇喜多秀家ぐらいだろwww
0430人間七七四年2012/03/15(木) 05:56:39.54ID:cN5Nyd1E
>>428
政治的影響だよ。岐阜城陥落で毛利などは東軍との決戦方針を明らかに撤回した。
アレ以降は、三成など一部の主戦派を除いてあの関ヶ原戦役をどう収集させるかという
裏交渉に主軸が移ってる。
関ヶ原の決戦は、西軍の中でも劣勢に追い込まれた主戦派が、主導権を再び奪うための政治的冒険にすぎん。
そしてそれは当然のように失敗した。
それは関ヶ原の合戦が、傍証により僅か2時間ほどで決着のついた、ほとんど瞬殺といっていいような一方的
合戦だったことからもよくわかる。

なので西軍の敗北は岐阜城陥落で決定した、と言えると考える。
0431人間七七四年2012/03/15(木) 16:32:11.40ID:HRsRR00z
>>429
行長さんを忘れないで!
0432人間七七四年2012/03/24(土) 11:57:15.54ID:CDqQo5d/
『無双の花』(葉室麟 著)読んだ人いる?
0433人間七七四年2012/03/24(土) 12:55:59.83ID:qgsZERjy
連載されてたときちょっと読んだ
関が原で戦えず帰参したとっから始まってた奴だったか・・・
0434人間七七四年2012/04/16(月) 21:24:22.30ID:sjXgljk5
立花宗茂ってザン千代が好きだったのか、
そうでないのかわからない
側室を迎えるの早いけど、ザン千代が死んだ後の扱いはとても丁寧だし。

あと長生きで側室がいたのに、何で子供が出来なかったのかな。
めちゃめちゃ健康だったのに。
才色兼備で性格が良い設定で生まれることが出来たとして、
立花宗茂と結婚できてもきっと寂しいな
誰か一人を愛するタイプじゃなさそう よくも悪くも
0435人間七七四年2012/04/16(月) 21:56:21.72ID:LM7BACeA
ざ・・・ザン千代?
0436人間七七四年2012/04/16(月) 22:25:09.41ID:sjXgljk5
何かザンザン切りそうだから
というのはウソで間違えましたorz
0437人間七七四年2012/05/19(土) 21:55:16.62ID:OnN7mB15
まりしてんァ千代姫はそろそろ終わりそうだなぁ
0438人間七七四年2012/05/21(月) 23:45:16.36ID:KxTm7H3b
http://www.nhk.or.jp/historia/schedule/index.html


>第113回放送予定
>戦国女BOSSがゆく
>〜ツンデレ城主・ぎん千代&戦う女た

orz
0439人間七七四年2012/05/22(火) 19:03:09.82ID:VbrzMmH6
うわあ、最低タイトルだな…
0440人間七七四年2012/05/23(水) 19:29:19.20ID:tQuYSXw1
なんか妙林尼とかも紹介されそうだな
宗茂をちゃんと紹介してくれるかが不安だが
0441人間七七四年2012/05/23(水) 19:44:15.86ID:OT7/u4i1
妙林尼も紹介されるらしいが……
正直宗茂はスルーでお願いしたい
こんなんやったら紹介されん方がいいわ
最近とみにヒストリア暴走気味だと思ってたけどよりによってこれはねえよ
ツンデレて……
0442人間七七四年2012/05/23(水) 23:36:49.64ID:55Nxv370
戦国無双のキャラでも紹介するつもりかよ。

>>441
>正直宗茂はスルーでお願いしたい
>こんなんやったら紹介されん方がいいわ
本当そう思うわ。
0443人間七七四年2012/05/24(木) 20:23:53.85ID:evok16zR
>>257島原の乱に参陣していたのが最後の戦国大名なので、幕府側の人間なら誰でもでもいいから、大河とかの主役でやってほしいね。
0444人間七七四年2012/05/25(金) 13:22:38.37ID:xMIp42Pa
相変わらず嫁さん人気だね
実際戦場出たわけでもない、戦場で戦った姫は他にいるにも関わらず
…やっぱりゲームの影響ってでかいのね
0445人間七七四年2012/05/25(金) 17:45:40.84ID:yyO5ALbN
>>438
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0446人間七七四年2012/05/29(火) 20:48:05.07ID:2RbSPfG8
このスレの人はやっぱり御花行ったことあるのかな。
0447人間七七四年2012/05/29(火) 21:19:42.36ID:R52djclr
2、3度ほど
0448人間七七四年2012/05/30(水) 00:30:51.45ID:FWUwIlny
2度
0449人間七七四年2012/05/30(水) 15:21:07.42ID:IfUVjgTg
記念館のみ二度。
卒業アルバムのクラス集合写真は何故か御花で撮った。
0450人間七七四年2012/05/31(木) 00:52:46.95ID:BUeVZMJS
宗茂とァ千代はなんだかんだで絆の深い夫婦だった、て方が話として
面白いけれど実際には二十歳前くらいから別居だし、性格合わなかった
んじゃ。ァ千代の死後を手厚くしたのは、立花家の当主は彼女だから
立花家家臣や土地の者達のためにも当然っちゃ当然。しかも、宗茂の継室
になった八千姫は、足利家の血を引く美女で、関が原戦後の京都
暮らしのときに一緒になった。一番苦しい時に迎えた嫁だから、こちらの
ほうが相思相愛だったのでは。このお姫様も早く亡くなったけれどね。
0451人間七七四年2012/06/01(金) 07:28:32.15ID:gy8hUwab
ァ千代の別居理由は単純に病気だったんじゃないかって思う。早死だし
静養のために城を離れたのを尾ひれ背ひれ付けて別居・不仲とか噂が立つのはありそうな話

ついでに道雪がァ千代から当主の座から降ろさせた理由にもなる
0452人間七七四年2012/06/02(土) 01:01:15.47ID:qFZxgFE4
別居の理由もいろいろ言われているけど
静養のためってのは考えたことなかったなぁ
まあ昔は夫婦間に子供がいなかっただけであれこれ言われる時代だしね
0453人間七七四年2012/06/02(土) 03:55:28.35ID:GNpPZ4JO
そりゃ今でも言われるんだから当時の、しかも武家の嫡男ってんなら相当だろうよ。

0454人間七七四年2012/06/02(土) 10:58:22.72ID:Cp+jptM8
何で立花の当主がァ千代なんだよ
0455人間七七四年2012/06/02(土) 11:09:06.65ID:WSsJmpWn
>>454

戸次入道とそれを認めた大友宗麟に言え
0456人間七七四年2012/06/02(土) 13:12:00.67ID:Cp+jptM8
へ?だからァ千代は立花家の当主になんかなってないって言ってんだけど。
0457人間七七四年2012/06/02(土) 16:08:59.13ID:YlpL4jz+
え、なってないの?
0458人間七七四年2012/06/02(土) 16:31:37.94ID:xueOxAaY
立花姓を名乗るのは宗茂の代からだからってことじゃね?
0459人間七七四年2012/06/02(土) 17:43:47.49ID:hOv13Rg4
>>450
矢島八千が細川家の勧めで宗茂の側室になったのは文禄の役の後で、
ァ千代が宮永に行って別居したとされる94年と時期が近いから
これが原因って言う見解が多かったと思う
0460人間七七四年2012/06/03(日) 13:41:10.43ID:uYmm2M3u
道雪は生涯戸次姓だった模様
ァ千代は城督、城領、諸道具を道雪から譲られ、宗麟父子の安堵を受けている
とのこと。
0461人間七七四年2012/06/03(日) 18:35:29.20ID:x1Moj6SH
道雪は41歳の時に戸次家の家督を養子の鎮連に譲ってて
後に立花氏の名跡を継承し立花山城督になってるから、
ァ千代には立花氏の家督を譲ってるってことになるんじゃないかな。
宗茂とァ千代が正式に立花姓を名乗るようになったのは宗茂が婿に来た後の
1582年頃からみたいだけど
(道雪だけは戸次姓を死ぬまで名乗ってたらしいが)
0462人間七七四年2012/06/04(月) 20:17:01.03ID:aQDHsqkc
結局ァ千代が死ぬまで宗茂は代理当主みたいな感じだったでいいのかな
無理言って婿養子にもらったって言うのに家督云々について道雪のフォローはなかったのかな?
宗茂が優秀だったからよかったものの
家中の信頼はてめえで勝ち取れっていうスパルタ教育の一種っすかね?
0463人間七七四年2012/06/06(水) 22:58:17.07ID:6tjLTuet
>>438
歴史秘話ヒストリア「世界遺産・熊野と女たち」★2
ttp://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1338989305/

491 :公共放送名無しさん:2012/06/06(水) 22:43:35.29 ID:75CrQAMA
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990199152.jpg
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990202762.jpg
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990205564.jpg
0464人間七七四年2012/06/06(水) 23:20:06.40ID:1pDZQ32J
いくらゲームの影響とはいえ
ツンデレ城主とか酷すぎる。
0465人間七七四年2012/06/06(水) 23:37:42.30ID:eLL93O5k
だな
ァ千代はツンデレではないよな
ツンツンだよな

・・・それよりもうちのPCが「ァ千代」を一発変換したのに驚いたw
0466人間七七四年2012/06/09(土) 22:12:25.51ID:9qpdoP1S
ァ千代ってそもそも立花姓名乗ってるの?
0467人間七七四年2012/06/09(土) 22:23:59.49ID:3Ziy4P0G
記録に名は残っても当時の女性に名字を名乗る場があったかどうか
0468人間七七四年2012/06/10(日) 10:00:24.56ID:d5e3CMnB
>>462
よく分からんが秀吉から柳川拝領した時点でァ千代がどうこういう権利は無くなってるんじゃね?
0469人間七七四年2012/06/11(月) 03:01:58.02ID:fvxs281x
関ヶ原本線に立花宗茂が間に合っていたら、西軍は
もっと持ちこたえたであろう
0470人間七七四年2012/06/11(月) 03:02:45.36ID:fvxs281x
×本線
〇本戦
0471人間七七四年2012/06/13(水) 05:53:46.58ID:IJVSlAgB
立花宗茂が言ってるように「戦は兵の数で決まるのではなく、兵が一つに
まとまってるかどうかで決まる」ってことなら
立花軍とまともに戦える奴らはスーパーのパートのババァどもしかいないなw
あのオバハンらの一致団結した時のまとまりはガチで怖い・・・
0472人間七七四年2012/06/13(水) 22:25:40.15ID:C3rh4G/5
NHKは、岩屋城関連は、山城の戦いとして徹底無視orz
高橋紹運は書状に名が告げられただけ。

紹運はなんかNG扱いなのか?
0473人間七七四年2012/06/13(水) 22:33:36.47ID:lkm+x9Z4
ァ千代持ち上げすぎwww
0474人間七七四年2012/06/13(水) 22:45:50.34ID:vQpNanRp
立花宗茂「断固籠城でござる」
毛利輝元「・・・・・・・」
立花宗茂「ええい!拙者はこれより領国に帰り云々」
0475人間七七四年2012/06/13(水) 22:50:02.90ID:JRibyLY1
歴史秘話で、ァ千代の役の人がイメージ通りだったわ
0476人間七七四年2012/06/13(水) 22:50:27.85ID:lkm+x9Z4
>>474
唯一の大河出演だったなww
0477人間七七四年2012/06/13(水) 22:57:50.35ID:KxXrEU7Y
>>472
戦前は玉砕戦の良い手本として鹿之助等と共におおいに顕彰されてた
その反動でGHQから封殺するように指導が入ったとか
0478人間七七四年2012/06/13(水) 23:14:52.18ID:+Uq358ji
>>472

宗茂がテーマならともかく今回の主題じゃないし
岩屋城取り上げて他の戦場無視とかしたらそれこそ贔屓の引き倒し
0479人間七七四年2012/06/13(水) 23:26:38.08ID:NlA7FDPc
妙林の活躍だけ取り上げて、志賀や佐伯の活躍がスルーされるのは
分かってましたとも
0480人間七七四年2012/06/13(水) 23:35:52.07ID:KxXrEU7Y
親次の方じゃなくて戸次統常のカーチャンの方はもしかしたら紹介されるかと思ってたけど
そっちもスルーだったな志賀さん家は
0481人間七七四年2012/06/13(水) 23:44:09.78ID:qYda1txn
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★1
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339588943/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★2
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339592915/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★3
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339593504/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★4
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339594132/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★5
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339595010/
0482人間七七四年2012/06/13(水) 23:47:31.45ID:qYda1txn
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★5
ttp://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1339595010/

まだ生きてる
0483人間七七四年2012/06/14(木) 03:00:35.28ID:TZto+9L1
しまった、仕事が遅くなって帰ったら終わってた。
大まかな内容どんな感じだったの?
0484人間七七四年2012/06/14(木) 03:13:15.11ID:lMGaec6x
何時ものNHKクオリティ
多分貴方が想像する域を超えてない
0485人間七七四年2012/06/14(木) 12:03:50.83ID:UnW6v2hR
>>480
そいつただのDQNじゃん
子孫絶やしてどうするよ
0486人間七七四年2012/06/14(木) 15:25:39.74ID:hf9G4lH5
>>465
ほんとだ、今のPC変換できるね。
0487人間七七四年2012/06/14(木) 18:18:39.69ID:MFCp0kJK
>>485
統常の弟の戸次統利だけは生き残って宗茂に仕えてて
棚倉にも同行してるんで、絶えたわけじゃないけどね
0488人間七七四年2012/06/15(金) 00:58:49.70ID:8+R9PnIV
>>451
道雪、宗麟から養子勧められても断って(ギン7歳)を当主に、なのに急に宗茂を婿養子にした(13歳)のちょい不自然だったけど
勇壮(らしい)のに戦場に出てないとか、宗茂が勧められたら側室持ったとか含めて、健康上の問題があったなら辻褄合うね
0489人間七七四年2012/06/15(金) 08:45:14.27ID:bYpULFnR
録画してたヒストリア観たけ、鍋島水軍を退けた話はどこからもってきたんだろう?
0490人間七七四年2012/06/27(水) 11:55:18.28ID:4C8zrMmM
鍋島水軍の襲来予測といっても柳川辺りの有明海じゃ見晴らしが良いし舟の動向は遠くからでも分かるしな。
地元漁師から女房衆を通じて情報が入ったとの見解で良いのでは。まあ、それだけ宮永様も立花家も領民に慕われたとも言えるかも。
0491人間七七四年2012/06/30(土) 21:07:55.63ID:jHsDvX6Z
立花城跡地の地元民なんだけど、立花氏と立花宗茂は赤の他人でなりすましみたいなもんだからね
最近立花宗茂と巨迹縺Aゲーム人気だろうけど二次創作に近い人物像だよね
0492人間七七四年2012/07/01(日) 01:28:27.68ID:vpWZVwbe
>>491
まあ、元の立花さんは大友さんを裏切りましたからね

ゲーム人気だろうけど〜
いいえ、ちゃんと評価されてきてますよ
0493人間七七四年2012/07/01(日) 17:47:10.66ID:FqclglZi
>>491
立花氏は大友家6代貞宗の次男貞載が大友家の博多湾進出の拠点として
名乗った家で、同じ大友の一族同士なんで宗麟の認可によって名跡を得てるよ。
0494人間七七四年2012/07/02(月) 00:31:46.82ID:mIVom50N
「名跡を継ぐ」というのを知らない地元民なんだろ。
0495人間七七四年2012/07/02(月) 00:57:27.88ID:AORSS1TJ
ホントに立花宗茂が居たのかどうか養子に行った人物と柳川のお殿様が同一人物なのかは怪しいと思ってる
立花道雪の墓が何故城塞だった立花にあるのか
夫婦が何故長いこと音信不通になっていたのか
0496人間七七四年2012/07/02(月) 02:01:31.10ID:iRyPi6HV
道雪の墓は新宮町の梅岳寺だけじゃなく、柳川の福厳寺の立花家
歴代の墓の中にもあるよ。宗茂も福厳寺だけじゃなく東京の練馬にも
あるし、当時の有名な武将は複数の墓があることが多いよ。

梅岳寺の方の道雪の墓の隣に関ヶ原まで宗茂にも仕えた重臣の
薦野増時の墓が逸話どおりにあるし、宗茂と道雪の関係を繋ぐ
証拠なんてありすぎるほどあるけどなあ。
0497人間七七四年2012/07/03(火) 10:04:51.36ID:OLAZmp6U
日本七槍や鎮西無双などの二つ名が各地の有力武将の家臣クラスに与えられたのは、分け与える金や土地が無かったからだとか
0498人間七七四年2012/07/03(火) 16:50:20.06ID:F5DipXzH
鎮西無双なんて称号は与えられてないだろ。
0499人間七七四年2012/07/03(火) 21:23:19.89ID:MulvmEO6
>>498
秀吉が小田原で宗茂を自慢(紹介)した時に言ったやつでしょう?
0500人間七七四年2012/07/04(水) 09:12:53.20ID:x9kxJESj
秀吉の小田原の東西無双と九州征伐の「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」の2つが混ざったんじゃない?
0501人間七七四年2012/07/04(水) 18:11:27.75ID:zbe/bzzp
マイナー武将の歴史ね、江戸期の武将好きの妄想でおっすおっすされている可能性高いから
立花宗茂は実在の人物だけど腐女子に人気のBASARA武将だからフィクション混じってるんだよ
0502人間七七四年2012/07/05(木) 21:54:01.36ID:+KF0WPVu
よりによって宗茂がバサラはないだろw
根っからの官軍気質って感じ
0503人間七七四年2012/07/07(土) 18:12:58.20ID:4Fymndx3
BASARAの宗茂はおっさん。
0504人間七七四年2012/07/08(日) 11:24:06.58ID:8O+uIrEz
>>491
立花山に城を築いたから立花氏を名乗ることを許されたのが、元大友一族の前城主。
のちに大友氏を裏切って滅ぼされたけど、立花城は博多湾を見下ろす最重要拠点だったので、
代わりに大友一門である戸次氏が城を任され、立花氏を名乗ることを許された。
ってことでいいかな。
0505人間七七四年2012/07/08(日) 11:30:51.03ID:a6FVJmVV
戸次は大友が乗っ取った家で元々は大神一族
0506人間七七四年2012/07/08(日) 12:05:39.88ID:vnPlTQNV
戸次は庶流だけど一門じゃねーだろ。
0507人間七七四年2012/07/08(日) 17:32:42.24ID:8O+uIrEz
同紋衆だっけ。同じ杏葉紋使ってるからてっきり・・・
0508人間七七四年2012/07/08(日) 17:41:29.60ID:GQ5gqTvO
同紋衆は他家でいえば御親類衆やね
0509人間七七四年2012/07/08(日) 18:40:05.17ID:4n0DDBZd
大友家臣の戸次氏は、大友家二代親秀の二男重秀が
大神一族であった戸次家の養子になって跡を継いで
同紋衆化したんだっけか、他にも臼杵家も戸次から養子を
得たことで他紋衆から同紋衆化してるね。
0510人間七七四年2012/07/08(日) 18:40:15.83ID:KDEcJCXv
同紋衆≒大友庶流って認識でOK?

あと戸次氏の末路は凄絶すぎ
0511人間七七四年2012/07/08(日) 19:29:47.16ID:vnPlTQNV
同紋衆は一族’扱い’だな。
立花は正真正銘一門。
0512人間七七四年2012/07/14(土) 19:07:47.82ID:C0dJRKor
旧柳川藩の殆どが水没している…
0513人間七七四年2012/07/15(日) 04:43:05.86ID:OiRGbSdk
江戸時代に田尻惣馬が築いた千間土居でも防げなかったか・・・
0514人間七七四年2012/07/16(月) 16:38:23.69ID:Tlwy3Uxh
数年前に尋ねたことのある古文書館や図書館は、
確か川っぷちに建ってなかったっけ。
大丈夫だったんだろうか。
0515人間七七四年2012/07/16(月) 18:31:16.45ID:FP7OegHn
https://twitter.com/tanomin/status/224313864265797632

古文書館は無事だそうで。
0516人間七七四年2012/07/16(月) 23:28:27.51ID:E7k+UVKn
>>515
それを聞いて安心したわ
0517人間七七四年2012/07/17(火) 02:06:50.57ID:JOyTGdHS
まだ降るのか
おまけに台風まで…
0518人間七七四年2012/07/18(水) 18:46:41.30ID:A9irsIDW
柳川の旧城下町は目立った冠水もなく無事です。
田中吉政は籠城の際には沖端川や塩塚川を決壊させて城下町の外を浸水させ
城と城下を島のようにする水城を築きましたが、今でもそれが機能しています。

先日の土曜日の洪水時も旧城下町の内と外で様子が一変していました。
古文書館付近は古文書館前の堀を境に東側(駅側)が浸水、西側(古文書館側)は無事でした。
0519人間七七四年2012/07/19(木) 21:06:37.06ID:ERDz8Jv+
>>518
すげぇな柳川城下。

そういや旧城下外のガードレールの無い掘り割りに沿った道はちょっと酷い雨の増水で掘り割りと道の境が分からなくなり、地元民でもなきゃ車を走らせるのが怖い状況になるよな。
0520人間七七四年2012/07/19(木) 22:34:08.29ID:nyLVDKJR
生まれも育ちも柳川育ちの私がやってきましたよ。
『立花家史料館』まで歩いて5分しかかからんばい。
0521人間七七四年2012/07/20(金) 23:04:55.48ID:2m8e+wd1
流石に水城が水に沈む訳にはいかんわなw
柳川城下の堀は深く中々溢れないが、郊外のクリークはすぐ溢れるもんね
0522人間七七四年2012/07/22(日) 09:38:52.67ID:rm55li6n
>>521
一見同じように見える川下りコースだけど、敵の侵入を防ぐ目的の掘割と、灌漑用の農業用水路との違いなんだろうか。
周辺郡部との合併で柳川市が前より広くなってるのに最近気が付いた。
今度の水害では明暗を分けたね。
0523人間七七四年2012/07/25(水) 14:36:53.20ID:WxIDsAFf
>>521

> 柳川城下の堀は深く中々溢れないが


台風が来ても大丈夫なように造ってあるはずだが、
それでもなおあふれたことってあるの?

記録にある?
05245212012/07/26(木) 21:37:59.30ID:chWyibki
>>522
柳河城は全国屈指の規模の水城だし、防衛上水が溢れるようじゃいかんからね

>>523
戦後の昭和20年代にあった大洪水では、筑後川が氾濫し城下も酷く浸水したと聞いているけど、
それ以外は知らないね
0525人間七七四年2012/07/27(金) 13:26:59.75ID:WaATJkMI
>>524

柳川城は海や湖に接してないし
緊急時に水門を開けて水城状になるってだけで
平時は平城だろ、あれを水城扱いにしたら佐賀城も水城だわ
0526人間七七四年2012/07/28(土) 00:10:34.37ID:oNMm/2ti
「柳川三年、肥後三月、肥前筑前朝飯前」の柳川城は難攻不落の水城でしょ
柳川城も佐賀城も水城(水攻め)で有名な忍城も籠城時だけ水で守る、平城であり水城でしょ
てか日本三大水城といわれる今治城・高松城・中津城あたりも平城だし
0527人間七七四年2012/07/28(土) 08:47:10.93ID:9C3iDZn9
平城
平地に築かれて水堀や石垣などで防御している。

水城
海、湖沼を防御に利用しているお城。
0528人間七七四年2012/07/28(土) 09:18:09.19ID:VO7AquZe
水門を開けた時点で、周辺の農地が湖沼同然に変身してしまう仕組みってことかな。
0529人間七七四年2012/07/28(土) 10:14:28.58ID:6OsizIVj
柳川もだけど岐阜城とか大阪城とか固城と呼ばれる城は実際けっこう落とされる法則あるよね
0530人間七七四年2012/07/28(土) 11:35:16.18ID:9C3iDZn9
俺は水城は城から直接軍舟や連絡舟が
海や湖に出れる事が重要と思ってるけどな
情報収集や機動力を生かす為に積極的に水を利用している城と
0531人間七七四年2012/07/28(土) 15:35:45.65ID:/WV1GWmA
>>529
難攻不落なんてのは無いよね。
ただ、熊本城だけは凄いとは思う。
0532人間七七四年2012/07/28(土) 18:26:40.89ID:VO7AquZe
都市国家時代のヴェネチアの貴族の邸宅みたいに、水路が各家々に引き込まれていて、
屋内に係留した船で、水路を使って登城するような城は日本にあるの?
0533人間七七四年2012/07/28(土) 19:48:12.66ID:yTbeatcc
田中吉政はヴェネツィアをモデルに掘割したとか
0534人間七七四年2012/07/28(土) 19:49:33.56ID:1QLSuGI0
>>531
熊本城は攻め方が悪かっただけだな。薩摩方面にしか向かっていない城に、素直に真正面から
攻め込むってアホか。
西郷は戦国武将にもなれんよ
0535人間七七四年2012/07/28(土) 19:54:37.63ID:qU7th/Vs
>>525

> 柳川城は海や湖に接してないし


だから、敵が強い水軍を持っていてもなんとかしのげるんだろうね。
0536人間七七四年2012/07/28(土) 19:58:28.23ID:qU7th/Vs
>>531

幕末に江戸城で籠城戦をやったら明治維新は1年ぐらい遅れたと思うんだがどうだろうね?
0537人間七七四年2012/07/28(土) 21:43:37.62ID:cLnxQOTJ
一枚岩じゃない時点で無理だろ。
0538人間七七四年2012/07/28(土) 22:23:51.85ID:FeAmQ/aM
流石は、道雪でも落とせなかった城
0539人間七七四年2012/07/28(土) 22:50:44.95ID:KGRdwm5g
『柳川3年肥後3日肥前久留米は朝茶の子』と昔言われてた。
柳川城は落城に3年かかり、熊本城は3日、佐賀城と久留米城は朝飯前ってこった。
0540人間七七四年2012/07/29(日) 01:59:53.26ID:S1eHquj+
>>539
あくまで、清正が熊本城作る前の話だけどな。
0541人間七七四年2012/07/29(日) 06:21:03.17ID:zZtBHy21
>>539
誰が云った?
0542人間七七四年2012/07/29(日) 06:23:52.38ID:SgpGUZUT
絶望的なまでに大局観欠けてるよねこの人
藤堂高虎や黒田長政にはどうあがいても勝てない
0543人間七七四年2012/07/29(日) 06:44:22.66ID:oi9rA1tM
>>542

戦闘指揮官としては日本最強だが、
戦略や政略の能力はたしかに劣っていた。
0544人間七七四年2012/07/29(日) 10:35:12.80ID:g0pZ6ySp
誰それには勝てないとかどうでもいい
0545人間七七四年2012/07/29(日) 11:38:55.75ID:bQCh8446
逆に言えば大局観がないからいろんな人から愛された。
0546人間七七四年2012/07/29(日) 13:57:56.73ID:4eVtK7nP
任務遂行能力って点では最高峰だけどな
0547人間七七四年2012/07/29(日) 14:04:41.36ID:0f7axD3C
えらい低い最高峰だなぁ
0548人間七七四年2012/07/29(日) 16:21:04.40ID:OqDod5qg
>>545

天下をとる能力がないから警戒されなかったんだろうな。

黒田如水などは誰からも警戒されるのがデフォルト。
0549人間七七四年2012/07/29(日) 17:07:54.50ID:Cfsm2VJv
>>542
大局観の有る無しじゃなくて
そういう事より自分のルールに殉じただけな気がするけどね
たとえ目端が利いてても、それを選ばない生き方をしそうだし

それを愚かというべきかは判断しかねるけど、この人の魅力だとは思う
0550人間七七四年2012/07/29(日) 17:23:42.56ID:OL7d2ha/
>>549
俺もそう思う。一途に自分の決めた事に純粋だし義理難い。
本物の武士って感じが誰からも愛される理由だと思う。
若い時のお坊ちゃん気質の笑えるエピソードとかさ。人間
臭くて好きなんだよ。黒田長政や細川忠興や藤堂高虎は
機を見るに敏だが、家臣と直ぐにトラぶったり・・・俺が、仕える
なら立花宗茂だね。
0551人間七七四年2012/07/29(日) 18:14:04.61ID:MoiAd7yL
家臣の心を掴むのが凄く上手いよね
いや、上手いと言うよりこの人の場合はガチで嘘偽りの無い人間性に
家臣たちが惹かれてたんだと思う
でもやっぱり実父の紹運や養父の道雪の影響も大きいだろうね
二人とも大友屈指の忠臣であり猛将だったからそういう二人を
父親に持ったのは本当に幸運だったろうし大きかったと思う
0552人間七七四年2012/07/29(日) 19:28:00.95ID:4eVtK7nP
>>547
与えられた任務って観点ではミスが無いし、
常人の見積もりで20%程度の成功率でも
完遂してるわけだが
0553人間七七四年2012/07/29(日) 22:00:33.48ID:OQBV8nYl
>>542
義に生きた人だからね。
ところで藤堂さん、何回裏切りましたっけ?
0554人間七七四年2012/07/29(日) 22:04:12.09ID:wIcu5Xvz
藤堂は裏切り者と間違った価値観持った人ってまだいたんだな
0555人間七七四年2012/07/29(日) 22:51:09.01ID:4eVtK7nP
>>554
正しくは見限り者ってとこかね。
結構好きな武将ではあるけど
大坂とかでの苦戦を見るにあんまり強い印象は無いな。
0556人間七七四年2012/07/29(日) 23:09:24.53ID:zd3xZ9++
>>541
「いつの頃からか大友陣中で流行った戯れ歌」らしい。
だから多分守る側の自慢ってよりは攻める側の嘆き歌だろうな。あーちくしょう柳川城全然落とせねー的な。

比較対象に肥後があるあたり大友全盛期で肥後まで伸びてた頃じゃね。
0557人間七七四年2012/07/29(日) 23:31:24.99ID:RqFSXOBX
適当なこと言っちゃあいかんよ
・戦国時代で肥後の堅城ならまず隈府城の名が挙がらないとおかしい
・久留米城は小早川が入る前は佐賀城と比較できるような規模の城ではない
・蒲池〜竜造寺時代の柳川城はどの程度の規模かぶっちゃけ不明、しかも鍋島に一回落とされている

ということで江戸時代頃の柳川住民が自分達の殿様の城を誇った囃子唄でしょ
0558人間七七四年2012/07/29(日) 23:35:59.29ID:4eVtK7nP
>>556
「西遊雑記」で秀吉が岡城を見て「薩州十日、肥後八日、此外は三日仕事に思ひしに、
此岡城を取てはあなどりがたし、世には嶮城もあるものかなと称誉有りし」って言った
というのみたいなものかな。
0559人間七七四年2012/07/29(日) 23:58:29.96ID:hFph/U4+
>>557
適当ってw大友家の戯れ歌は俺も何かで見たが
ただし「柳川三年肥後三月肥前筑前朝飯前」で上とは少し違う
0560人間七七四年2012/07/30(月) 01:30:36.60ID:jx9YsaXf
鍋島が落とせたのは蒲池のダメ息子を謀殺したからだろうが
0561人間七七四年2012/07/30(月) 02:22:05.17ID:V1qMXjdx
というか鍋島は督戦しただけで、城主を殺された柳川城を落として
蒲池一族の皆殺しをやらされたのは田尻鑑種
0562人間七七四年2012/07/30(月) 04:28:56.20ID:y0EFq1TZ
田尻が参加したのは柳川城が落ちた後の塩塚城攻めと落ち武者狩り
>>560の理由ですぐ軍を編成して攻撃に来てるんだから柳川城より奥にいる田尻にいちいち連絡してない
0563人間七七四年2012/07/30(月) 08:49:46.95ID:gr2ih3Uz
柳川落とせないってんで鎮漣誘い出して謀殺したんだっけ
0564人間七七四年2012/07/30(月) 13:10:39.78ID:LibHbOLt
柳川城が謀略をもって落とされるのに掛かった日数は300日とちょっと
正攻法でやると3年かかるというのも間違いじゃない
0565人間七七四年2012/07/30(月) 13:19:19.28ID:LibHbOLt
戦国時代の柳川の海岸線は今よりずっと内陸側にあって
その分柳川城も海岸線にあった
有明海の干満差を利用した伝統の水運方法があるので物資の搬入も容易だろう

本気で柳川城を落とす気なら水軍も一緒に連れて来ないと不可能
0566人間七七四年2012/07/30(月) 13:19:36.78ID:/K3hmCh+
関係ないが、大宰府は藤原純友にあっさり占領されている。

あれなら唐がガチで攻めてきたらどうしようもなかったと思う。
0567人間七七四年2012/07/30(月) 13:24:26.39ID:/K3hmCh+
>>565

> 本気で柳川城を落とす気なら水軍も一緒に連れて来ないと不可能


水軍を連れてくれば正攻法でも攻略できたのか?

それとも当時の柳川城は水軍がやってくることを想定して
なんらかの対応策をしていたのか?

柳川城が海岸線にあったというのは事実なんだろうか?
海岸線にある城は水軍を苦手としているはずだが。
0568人間七七四年2012/07/30(月) 16:28:31.37ID:36BCPNjM
確かに当時の海岸線はもっと内陸だったけど
海岸線にあったと言える程柳川城は海に近くない
むしろ有明海より沖端川を利用した縄張り

それに柳川城の南には弥四郎町とか地名があるけど
これは昔弥四郎村と言う農村で文禄四年(1595年)の知行方目録にもその名を見つける事が出来る
>>565が言う様に当時の柳川城が海岸線にあったのなら弥四郎村の存在自体あり得ないんだが
0569人間七七四年2012/07/30(月) 16:57:57.68ID:/K3hmCh+
>>568

> むしろ有明海より沖端川を利用した縄張り


これだと敵が水軍を連れてやってきても、期待ほどは役立たないね。
0570人間七七四年2012/07/30(月) 17:18:23.65ID:36BCPNjM
沖端川に海船の軍船で進入するとか単陣列で進むしかないし
船底の形状の違いで岸に付けて兵を下ろすのもままならんし
水路限定され過ぎて足手まといにすらなりかねんもんな
0571人間七七四年2012/07/30(月) 17:25:52.62ID:8tGbm1wh
そもそも水軍って城攻めするものなのか?
海上補給線切ったりは重要な仕事だけど
0572人間七七四年2012/07/30(月) 17:34:31.98ID:/K3hmCh+
>>571

原城は海上から砲撃されたと記憶。

備中高松城でも水軍の兵士が城に向けて発砲したと記憶。
0573人間七七四年2012/07/30(月) 19:52:23.89ID:36BCPNjM
>>572

>備中高松城でも水軍の兵士が城に向けて発砲したと記憶。

備中高松城は秀吉が水攻めした沼城の方
0574人間七七四年2012/07/30(月) 21:07:43.09ID:HA0VBY+m
島原の乱のときの立花宗茂は老害扱いされてそうだな

知恵伊豆「こいつの戦略古いすぎwwww永禄生まれはこれだからwww」とか思ってそうだ
0575人間七七四年2012/07/30(月) 21:38:37.37ID:Pnlkg2fT
>>566
筑前は朝茶前ですから(´・ω・`)

同じ筑前でも脆いから籠城するなら立花山城か宝満城へって言われるレベルの紙防御の岩屋城。
0576人間七七四年2012/07/30(月) 22:04:19.84ID:6OtynJ6e
とりあえず、明日『御花』で宗茂の甲冑見てくるわ。
0577人間七七四年2012/07/30(月) 23:10:20.71ID:Pnlkg2fT
>>576
ついでに岩屋城跡に行ってごらんなせ

四王子林道からの岩屋城跡への登り口の立て看の裏にいつからか薄い手作りのコピー紙の小冊子が置いてあるんだが、十頁程度の小冊子だがなかなか読み応えがあるよ。

誰が作ったんだろ?
0578人間七七四年2012/07/30(月) 23:11:46.05ID:ZsTBmccE
>>575
嗚呼壮烈、岩屋城

あかん、泣きそうになる
0579人間七七四年2012/07/30(月) 23:29:07.25ID:EhIarv/3
ちょうど、ヴェネツィア水軍がアドリア海で得意とした戦法というのが、
敵の船を潟(ラグーナ)におびき出し、浅瀬に座礁させて立ち往生しているところを攻撃する
という、地形と潮位を熟知したヴェネツィアの民ならではのもの。
遠浅の有明海も、そんな感じじゃなかったのかな。
0580人間七七四年2012/07/31(火) 00:07:23.60ID:5dkYoQIJ
>>574
知恵伊豆の戦略である兵糧攻めを支持してるのと
家光から伊豆って戦下手なの?って聞かれた時
弁護したって逸話あるけどな
0581人間七七四年2012/07/31(火) 13:16:15.18ID:JbU3IFdz
天草の乱の時は実戦経験のある武将が少なくて
実戦経験のない若い武将達は若い2代目や3代目の殿様より
宗茂や黒田美作一成の様な爺さんの指示に従ったってーのも聞いた
0582人間七七四年2012/07/31(火) 15:22:05.39ID:+dwxaUbK
>>581

黒田一成は幕府軍の総大将・松平信綱の軍議にも参加していた。

0583人間七七四年2012/07/31(火) 18:35:26.46ID:Q24CD64g
>>581
他に水野勝成・有馬豊氏・山田有栄といった
老将も参加してる。
確か。。。宮本武蔵も居たような・・・
0584人間七七四年2012/07/31(火) 23:22:01.88ID:D6rz/cSd
>>583
足に石が当たって痛かったらしいね。
0585人間七七四年2012/08/01(水) 08:09:10.81ID:sg5pxKAR
>>584
終戦後すぐ長旅とかしているから、戦場で活躍できなかった言い訳って説もあるけどね
0586人間七七四年2012/08/01(水) 16:28:20.45ID:HbHrwJXA
島津が立花山城を囲んだ時、城方から内応の打診を受けていたけど拒否ったらしいね
島津はほとんど戦意が無かったんだろうね
0587人間七七四年2012/08/01(水) 17:54:38.47ID:9Dc7+90e
>>586

島津は常にガチだから戦意がないとは考えにくい。

戦略的な理由があったと思う。
0588人間七七四年2012/08/02(木) 17:08:40.59ID:kYZ/7kFi
立斎宗茂『りっさいそうも』
0589 忍法帖【Lv=4,xxxP】 2012/08/12(日) 22:56:10.08ID:78iINQqq
https://twitter.com/nhk_kiyomori/status/234633478375874561

「良い原作」がどれのことなのか気になる
0590人間七七四年2012/08/13(月) 18:22:43.41ID:z2gHxsM2
いい原作か・・・童門ではないな

でも今の大河にまったく期待できないからむしろ全スルーでかまわない
触れないでほしいと思う
0591人間七七四年2012/08/13(月) 21:32:21.97ID:CsRhio+k
清盛は面白い。
0592人間七七四年2012/08/18(土) 08:23:24.18ID:tUYblLs8
今朝のめざましで立花宗茂が三谷幸喜にマイナー武将扱いされてて泣いた
0593人間七七四年2012/08/18(土) 11:57:49.32ID:PNVzB7uT
まあ、実際マイナーだしな
どういう話の流れかしらんけどその名が出た事は少し嬉しいね
0594人間七七四年2012/08/18(土) 12:22:29.40ID:8SebFGAV
テレビで名前が出ること自体が珍しいしね
多分ギン千代の方が出てる・・・
0595人間七七四年2012/08/18(土) 12:48:54.19ID:vlScy37s
ガラシャばっかり取り上げられる旦那の所に慰め合いに行くか
0596人間七七四年2012/08/18(土) 15:38:48.74ID:SSbASiCq
いくら名将でも、四国九州の武将はマイナー扱いされる。

0597人間七七四年2012/08/18(土) 21:41:17.33ID:la3qGVwO
>>592
そら宗茂は世間ではマイナーでしょw
アタック25で、「毛利の3本の矢とは隆元と元春と誰?」って問題が誰もわからずだったんだから
0598人間七七四年2012/08/18(土) 22:29:44.73ID:YHqJNKrb
歴史の教科書でも頼朝尊氏信長秀吉家康以外は殆ど載ってないしな
0599人間七七四年2012/08/19(日) 00:38:49.49ID:S+9v6de2
歴史板にいると忘れがちだけど
教科書の内容ですらちゃんと覚えてる人の方が少ないわけで
そりゃあ最低でも資料集レベルの知識が必要なココとは認識がズレますよ
0600人間七七四年2012/08/19(日) 11:08:49.86ID:wnbRKNyD
>アタック25で、「毛利の3本の矢とは隆元と元春と誰?」って問題が誰もわからずだったんだから

正解は毛利衛だろ
0601人間七七四年2012/08/19(日) 12:01:22.29ID:oTnD1w+5
>>600

Fランク大学の落語研究会のOBさんですか?
0602人間七七四年2012/08/19(日) 17:28:49.90ID:3AFYHf6/
やっぱり>>600はガチなの?釣りだとおもったが
0603人間七七四年2012/08/25(土) 12:51:52.35ID:0Z/r0Lgu
立花道雪  アニマル浜口
立花ァ千代 浜口京子
0604人間七七四年2012/08/29(水) 07:02:20.47ID:EQW37mGh
今日TBS系の新番組ザ今夜はヒストリーで「散り際が美しい戦国武将」ってやるらしい。
新聞の番組紹介だと戦国武将の美学と壮絶な最後を見届けるため、タイムスリップするらしいが高橋紹運出ないよな。

このテーマなら高橋紹運と清水宗治は出して欲しいわ。9月10日も近いし。

あと関ヶ原ならドリフターズを追い風に豊久出してくれよ。
0605 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 2012/08/29(水) 11:27:28.00ID:zMtFlGjn
予告

・秀吉への義を貫き、誇り高く散った男
・敗北を承知で石田三成との友情に殉じた知将
・武田家のため戦国の露と消えた最強軍団の猛将
・家のため息子銃弾に倒れた独眼竜の父
・大往生を遂げた戦国チャンピオン


0606人間七七四年2012/08/29(水) 13:09:38.28ID:DhwKft0c
上から

石田三成
大谷吉継
山県昌景
伊達輝宗
徳川家康

かな
0607人間七七四年2012/08/30(木) 00:07:33.78ID:bsobnyP/
高橋紹運なんてあまりにマイナーすぎるよ
三英傑や三成など、教科書で習うような武将と関わったことが無いからね
0608 忍法帖【Lv=13,xxxPT】 2012/08/30(木) 13:21:38.55ID:Anqi3t5y
【立花家】
┌─────────────┐
│    弋ーー-、           │
│     "ー─-、\.          │
│     ,-ー-、.`ヽヽ  ,、.      │
│  ,っ くヽ'⌒ヾ./>| レ'.c、    .│
│ ((_ノ (\\//) ,-ー-ヽ.    │
│   ''ヾ、ヽ,(ゝ)イノ.ノ ノ       .│
│     /ソ人、\ノ          │
│   、-'" /ニヽ `<,          │
│    ヽn,,_ソ. .ノ_,,nノ         │
└─────────────┘

┌────────────┐
│     ,.,-  -、,、         │
│   i'`y'/) (ヽy'^;、.     .│
│  i'`ヽy'/) (ヽ`y',ヽ     .│
│  i'`ヽ//) (ヽ`ヽr'i`i.    .│
│ i`ヽ、//) (ヽ`ヽ./^i.   ...│
│ ヾ r⌒ソ/ ヾ_r⌒ソ./    .│
│  \ ヽ(    )/ /      │
│    \ ヽ   ///       .│
│     \ゝ r'/           │
└────────────┘
0609人間七七四年2012/08/30(木) 20:28:56.23ID:krO9K0A2
>>608
その祇園守は宗茂は使っていなかった件について。
0610人間七七四年2012/09/01(土) 13:31:36.46ID:jQzBEJCm
>>608
下の大友家由来の家紋は立花家と縁がある柳川高校の校章に使われているな
0611人間七七四年2012/09/01(土) 17:39:02.61ID:dW2z+o4G
「日常」あらゐけいいち先生のイラストで宗茂を知った
面白いなこの武将
0612人間七七四年2012/09/02(日) 08:12:12.72ID:zk6DXXj6
最近城の怖い話というコンビニ本を買ったんだが、
立花の話はひどかったわー

宗茂→ギン千代のワガママに振り回されっぱなしのマスオさん

ギン千代→鍋島襲来時、勝手に動き回って宗茂を困らせる
     最期は清正に幽閉された先で死去

書いたバカは死ねよ
0613人間七七四年2012/09/02(日) 09:10:15.70ID:7nK/3zTu
>>612
書いた奴の頭の中が怖いな。

てか話のネタの為にそんな改竄する奴は祟られればいいのに。
0614人間七七四年2012/09/02(日) 17:11:12.97ID:Hfhef2l4
紹運を全国に広めよ。
でも、今の時期は糞ウヨに利用されるだけだなww
戦前、忠義第一の武将として軍部に利用されたとして、
戦後、GHQの要請により紹運の紹介・教育を禁止された経緯がある。
ちゃんと教育しておけば。。
今の時期になっては遅杉なんだよw
戦国時代の忠義と太平洋戦争当時の忠義が同じであるわけがない。
0615人間七七四年2012/09/02(日) 17:39:54.79ID:Hfhef2l4
忠義の為に玉砕したのではなく、勝利の為に玉砕したのである。
あの忠義の言葉は完全な、はったりである。
0616人間七七四年2012/09/03(月) 20:24:38.46ID:7GAiSShj
>>615
後を任せられる者がいたからな・・・
今の世代(次世代)は、、、
こんな世の中に誰がした
0617人間七七四年2012/09/03(月) 23:06:03.40ID:y8rDAb0A
みんなでしたんだよ民主主義
0618 忍法帖【Lv=25,xxxPT】(1+0:8) 2012/09/04(火) 02:10:07.52ID:cpXjVdFO
てすと
0619人間七七四年2012/09/04(火) 18:39:46.16ID:grrx2gAW
↑そのコテ ヘルス板でみかけたようなw
0620人間七七四年2012/09/04(火) 19:33:12.46ID:wfgOCHlb
忍法帖レベルをコテにするヤツなんているんか?
0621人間七七四年2012/09/05(水) 03:03:05.73ID:4Olwnnja
大河ドラマはよ
0622人間七七四年2012/09/05(水) 17:33:45.75ID:1wlHu0GD
歴女のヘルス嬢がいても、いいじゃないか
0623人間七七四年2012/09/05(水) 17:36:51.15ID:jxCDcdq2
いいね
0624人間七七四年2012/09/06(木) 21:58:49.87ID:U7bjlf8g
>>615
自分は豊臣家の忠臣である
この私と争うのは豊家に弓引くのも同じとか言ったんだっけ?
まさにハッタリだよなw
0625人間七七四年2012/09/09(日) 13:11:30.43ID:Xuzx66EU
初っ端でそうはいいつつも麻生外記さんは土壇場で「斜陽の主君を見捨てる武士など鳥獣にも劣る」と言ってるわけだが。

はったりだろうが策だろうが、そんじょそこらの映画や漫画じゃ太刀打ち出来ない熱いシーンである事には間違いないからいいじゃん。
0626人間七七四年2012/09/18(火) 13:05:26.65ID:6NVwsCz9
今日もあんまし進んでないね、ココ。
ホライゾンで立花ギンちゃんのボケとツッコミに
ニヤニヤした後だからなんかさびしいね。

余談だが、江戸時代滝沢馬琴の名作「南総里見八犬伝」の
八犬士が一人 犬山道雪のモデルは立花道雪とのことだが、
江戸時代の立花一族は今より知名度が高かったのかな?
0627人間七七四年2012/09/18(火) 13:12:41.41ID:CC2GlsJM
>>626
高いよ。第二次世界大戦迄、立花宗茂は教科書で黒字人物だった。
0628人間七七四年2012/09/18(火) 23:35:22.61ID:vwE+mLOz
>>625
甥っ子の吉弘統幸もそんな生き方だったな。
0629人間七七四年2012/09/19(水) 21:53:43.68ID:diDQ8amZ
wikiに宗茂の名前が有名すぎて戒名にそのまま入ってるとあったけど本当かな?
0630人間七七四年2012/09/21(金) 22:51:31.32ID:cQGhgTZy
今発売されている【歴史群像】の戦国武将を何かに例えるコーナー〈信長の独断〉で宗茂が“ジャンプ漫画の主人公”に例えられていた。

・HP:http://rekigun.net/magazine/index.html
0631人間七七四年2012/09/22(土) 19:35:28.80ID:TFyW3Iag
とうとうキャバクラに…
0632 忍法帖【Lv=8,xxxP】(1+0:8) 2012/09/22(土) 19:37:25.90ID:fFDoAuX4
戦国鍋かよ
史料館スタッフが何度か呟いてたから来るとは思ってたけど
0633人間七七四年2012/09/23(日) 22:32:29.09ID:CRNws6s9
>>630
まぁ、間違ってはいない
0634 忍法帖【Lv=15,xxxPT】(1+0:8) 2012/09/29(土) 19:20:01.15ID:FrrG7r8x
今日22:30から戦国鍋TV?
0635人間七七四年2012/10/04(木) 02:15:19.20ID:Augy9qdd
>>630
殿といっしょ、も一昔前のジャンプキャラww

0636人間七七四年2012/10/08(月) 14:14:02.33ID:i+e90dLd
国体の女子棒高跳びで十時千歌って名前の大分の選手が優勝してた。十時って名字かっこいいし、この名前は粋だよな。
0637人間七七四年2012/10/09(火) 10:06:01.10ID:BuhmiZOf
ある役所にもいた。その話をしようとしたが、課が課だったのでやめたw
0638人間七七四年2012/10/10(水) 18:27:38.30ID:7mn9w7WT
再来年の大河は黒田官兵衛か
福岡だからこれで立花宗茂の大河は当分ないな・・・
でも、大河の中で登場する可能性は高いか
0639人間七七四年2012/10/11(木) 15:07:32.32ID:Qrri7ljh
>>638
最近の大河みてると龍馬伝が奇跡だったんだと思うくらいの出来だからな…
むしろクロカン大河悲観的な人が多い。姫路城の修理に合わせたから決まった説もある。

NHK、単発ドラマか、1クールドラマの方がストーリーのいいの多いし、そっちで格好良い宗茂を見せた方が良いと思うんですよ。
0640人間七七四年2012/10/11(木) 23:13:19.61ID:ifgh2IwO
今はレギュラー大河より「坂の上の雲」枠を定番化さしてくれてそこでやってくれた方が嬉しい。

坂の上の雲みたく三年でやるなら
一年目は二階崩れから宗麟道雪中心に
二年目は紹運中心に対島津を
三年目は関ヶ原直前から柳川復帰までの宗茂を

そしてDVDを国内販売限定で宗茂が秀吉に取り立てられてから太閤死去までを大陸メインで。
0641人間七七四年2012/10/11(木) 23:22:01.60ID:sv3Od9dQ
>>639
清盛低評価しているヤシはにわか
0642人間七七四年2012/10/12(金) 00:27:09.22ID:Ri2gOwG9
にわかが食いつくもんをつくればよろしい
0643人間七七四年2012/10/14(日) 14:25:58.81ID:7AqZTLw8
>>542
せめて本多あたりと比べてやれよ
0644人間七七四年2012/10/14(日) 18:49:37.73ID:JgIdNK4S
>>638
宗茂は九州征伐からと関ヶ原後の柳川攻めで何話か出ると思うけど
石垣原関連で大友吉統と吉弘統幸の方が出そうだな
0645人間七七四年2012/10/14(日) 19:50:09.34ID:Fdrlb7Q0
一応秀吉の軍監であった官兵衛の意を受けた小林新兵衛が岩屋城に入城し、
立花城への退陣を進言してるので、岩屋城の戦いは出ないかな?
出ないだろうね。
0646人間七七四年2012/10/14(日) 22:39:37.14ID:JgIdNK4S
吉川元春が死ぬ話はやるだろうからそのあたりは
豊前攻略がメインになりそう
全部ナレーションで一瞬で終わるかもしれんが
0647人間七七四年2012/10/15(月) 14:07:34.56ID:wQECNnvF
黒田やるからついでにチョイ役でとか女々し過ぎる
やっぱり立花大河の実現に向けて行動とるべきだろ
黒田で大河成立するんなら立花大河やっても不思議はない
0648人間七七四年2012/10/16(火) 00:18:55.79ID:wzzjPIjZ
>>647
都道府県が兵庫以外がほぼダダ被りだからなぁ…
0649人間七七四年2012/10/16(火) 02:11:04.13ID:HgvYCFN4
立花宗茂放浪記でいいじゃん。
改易されてから、柳川城主に戻るまでを回想も踏まえながら

って、誰も見ないか。
0650人間七七四年2012/10/16(火) 11:42:51.84ID:B9YUb2af
家政夫のムネ
問題の多い徳川家に寡黙だか有能な家政夫ムネが現われた。
実はムネには壮絶な過去があった…
0651人間七七四年2012/10/16(火) 14:38:56.08ID:3X4XDR/b
諱が変わるのも再現してもらいたい
放映1ヶ月毎に名前が違うとか
0652人間七七四年2012/10/16(火) 14:51:37.35ID:wzzjPIjZ
>>651
最近の視聴者は清盛の源平&藤原で混乱して視聴放棄するからかなりの冒険になるぞ
0653人間七七四年2012/10/16(火) 17:55:17.59ID:B9YUb2af
マジレスするとドラマでは解りやすくするため「信長様」とか「家康様」とか
簡単に諱を使っているが、実際には諱を日常会話では使うことはなかったから、
時代考証にそってドラマを作ったら、諱はセリフに出てこない。
0654 忍法帖【Lv=36,xxxPT】(1+0:8) 2012/10/16(火) 18:54:16.31ID:4IqssszB
九州三国志の妄想大河が読めなくなってる…ショックだ…
0655人間七七四年2012/10/16(火) 20:49:07.18ID:HgvYCFN4
諱使っていたのって、伊達正宗位では?屋敷の地図にもどうどうと載っていた気がするが
0656人間七七四年2012/10/16(火) 20:52:08.92ID:W0cyz0fV
あの堂々とした政宗表記は研究者も解釈に困るレベル
0657人間七七四年2012/10/17(水) 10:35:24.42ID:K1zfxhzK
>>656
ttp://togetter.com/li/272725 の付記の部分が参考になるよ
豊臣期に、通称ではなく敢えて実名を記すことが敬意の表現とされていたことが
ある模様
0658人間七七四年2012/10/23(火) 04:05:18.12ID:zUbel4PO
>>647
だよね
0659人間七七四年2012/10/23(火) 04:11:48.43ID:zUbel4PO
>>649
一番の見所は、道雪が紹運に統虎を養子にと懇願する場面。これ以外にない。
これがなければその後の宗茂の輝きはない。これが原点。この二人の父親の存在が
彼の生き方を決定付けている。
0660人間七七四年2012/10/27(土) 19:59:54.85ID:juhOuupJ
もうすぐ、亥の子の祭りの季節だね。今風にいうと、ハロウィンか。
洋の東西を問わず、地域コミュニティにおける青少年の健全育成を祈る気持ちは同じ。
0661人間七七四年2012/10/28(日) 01:13:58.55ID:bYQmJQaT
te
0662人間七七四年2012/10/29(月) 12:53:06.41ID:UxBkHmY6
先日「柳川掘割物語」をビデオで観たけど、あの映画に映ってた子供たちも
今ではいい大人なんだろうな、と思いながらみたな
0663人間七七四年2012/10/31(水) 02:08:53.60ID:Z9/GfYmh
>>653
実際に大河ドラマでやってたぞ、いつのかは忘れたが>時代考証にそってドラマを作ったら、諱はセリフに出てこない。
その時は各キャラを官職名で読んだりしてたら
「誰が誰だか分からない、誰を指してるのかイミフ」とか、散々叩かれた、という話を聞いたことがある。
0664人間七七四年2012/11/01(木) 00:29:44.17ID:yRujhs/N
>>663
まぁ、そうだよね。
ましてや、登場人物が沢山でる戦国モノにとっては
0665人間七七四年2012/11/02(金) 20:55:50.67ID:1HJX5ek+
まあ、でも、ドラマには内府殿とか治部殿とか筑前守とかは、普通に出てくるな。あと、よく出てくるのが刑部卿とか。
ただ、現実社会でも、部長に昇進したばかりの上司につい、「××課長」と呼びかけて顰蹙を買うことがあるから、
当時だって厄介なことにはちがいないかもね。
0666人間七七四年2012/11/03(土) 02:49:43.47ID:m1wyI9BZ
宗茂というか統虎の通称といえば弥七郎だけど、
左近将監の官途名を名乗るようになってからは、
弟の統増が少輔太郎から弥七郎に通称を変えたらしいね。
紹運も元は吉弘弥七郎と名乗ってたようだし、
通称というのも難しいね。
0667人間七七四年2012/11/03(土) 06:05:40.59ID:mHGVe2PF
みんな弥七郎かw
0668人間七七四年2012/11/05(月) 09:24:39.53ID:HMebCgOr
代々の名乗りって事じゃないの?
0669人間七七四年2012/11/05(月) 19:38:16.30ID:+0mh3bOK
簡単に調べた感じだと統増の嫡男の種次等
三池藩主の多くは弥七郎を名乗ってたようなんで、
紹運にちなんでんだと思う。
0670人間七七四年2012/11/06(火) 12:28:27.00ID:LHjJWNRI
立花宗茂が梅毒だと言われています
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1156548311

初耳だけど、これってソースはなんだろうね?
0671 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) 2012/11/06(火) 17:04:54.51ID:mFbaVcSB
梅毒のソースはないだろ
人物叢書じゃ死因は赤痢だと推測してたな
0672人間七七四年2012/11/06(火) 17:44:55.25ID:LHjJWNRI
梅毒ならいろんな症状が前々から出てないといけない筈なのに、そんな記録は
ないよね。
自分が推測するに大谷吉継が梅毒で(ハンセン病説もあり)輿に乗って戦って
いたということで、道雪と混同さらにそれを宗茂と混同したとしか思えんw
0673人間七七四年2012/11/06(火) 17:52:01.09ID:V3bag5Qs
なんか知らんけど当時の武将の死因
流行かなんかやたらと梅毒説多くね?
0674人間七七四年2012/11/06(火) 22:58:00.55ID:z7ykjHdA
>>673
都合が良い毒殺の隠れ蓑やからね
0675人間七七四年2012/11/07(水) 18:01:31.81ID:1sadudUO
>>673
梅毒が死因かどうかは別にして、家康や秀吉まで梅毒だったという説もあるね。
0676人間七七四年2012/11/13(火) 12:45:13.24ID:iBW4g/Lu
小梨秀吉はその可能性有るな
0677人間七七四年2012/12/08(土) 10:21:02.19ID:36b3PDQm
いつの間にかwikiのァ千代が充実してきているね。
NHKの歴史秘話ヒストリアもあれ見て作った感じがする。
0678人間七七四年2012/12/09(日) 13:10:13.77ID:BsynkC2J
ァ千代といえば、11月30日が410年目の命日だったね。
最近、腹赤村のァ千代に金品や食料を届けていた柳川の
壇家と椛島家の庄屋親子が、田中吉政に面の坂で処刑された事件が
ァ千代の病死につながったって話を聞いたけど、どうなんだろ
0679人間七七四年2013/01/02(水) 23:16:50.45ID:8HpcPhI/
特別展 閨千代姫伝説と立花家記

2月2日から
0680人間七七四年2013/01/11(金) 16:39:34.06ID:14ym6eZB
http://i.imgur.com/Uoeo1.jpg

(>゚д゚)
0681人間七七四年2013/01/11(金) 17:54:48.32ID:tdshmuWr
みなみけかw
そういや宗茂は明治末から昭和初期の頃は中学校の教科書に
肖像画付きで載ってたらしいから、世が世なら中学のテストに
出ることもありえたのか
0682人間七七四年2013/01/11(金) 18:48:20.19ID:zBZZmxw6
スゲーな
ちなみに俺、宗茂知ったのは大学卒業してコーエーのゲームやった時だな
0683人間七七四年2013/01/11(金) 21:56:00.45ID:FiqVeOMj
加藤浩二が気になる
0684人間七七四年2013/01/18(金) 00:16:58.08ID:EnZGFatb
まりしてんァ千代を読んでいるけど、んーって感じです。
0685 忍法帖【Lv=34,xxxPT】(1+0:8) 2013/01/18(金) 03:09:33.09ID:xeprbxkE
どんな感じだよw
0686人間七七四年2013/01/18(金) 12:58:02.41ID:+HVT66Gz
>>684
まあ可もなく不可もなくって内容だったな
0687人間七七四年2013/01/18(金) 21:26:31.43ID:LRhk2yvo
図書館では何度も借りて読んでたが、「筑前戦国史」を手に入れた。
0688人間七七四年2013/01/18(金) 22:27:47.65ID:aqID6ojR
>>685
>>686
読んでて、首を傾げる所が多かったかな。なんか考察が足りない気がした。
それと、一番首を傾げたのは、九州の役の時に、ァ千代が大阪に人質として行った所。
0689人間七七四年2013/01/19(土) 12:02:17.75ID:iKujYZ+J
>九州の役の時に、ァ千代が大阪に人質として行った

そりゃひどい
0690人間七七四年2013/01/19(土) 12:07:31.87ID:iKujYZ+J
>>678
ァ千代が発病したとされる時期と処刑時期が重なるから、そんな逸話が
残ってるんじゃないかな?
0691人間七七四年2013/01/19(土) 13:05:41.05ID:e8qBZKFH
今回の歴史群像は「立花宗茂伝」だった。
福岡在住の歴史家にしては、辛辣な宗茂評だった。
0692人間七七四年2013/01/19(土) 14:02:41.96ID:hDd55e0C
現在の虚像にまみれた宗茂ではなく実際の宗茂を見てもらいたいって事だろ
0693人間七七四年2013/01/19(土) 14:05:17.53ID:e8qBZKFH
立花関係は御花を気にしてか、通説に批判的論調が出来ないと聞いた事がある。史料でも見せてもらえなくなるんだろうか
0694人間七七四年2013/01/19(土) 14:33:01.25ID:QlfuFLLZ
>>690
宗茂がァ千代を弔う良清寺を建てたのと、
壇、椛島の両家の遺族を永代庄屋にしたのも
同じ1621年らしいから、話を繋げて扱われたのかもね
0695人間七七四年2013/01/19(土) 18:44:12.66ID:iKujYZ+J
>>694
自分に関係しての処刑はショックだったろうけど、現代人ならともかく殺戮は
日常茶飯事の戦国の世にうまれて武将の子として育ったァ千代が、その事で気
を病んで死んだというのは、考えにくいと思う。
ましてや気丈な女だったわけだし…
0696人間七七四年2013/01/19(土) 21:31:11.21ID:MNl8zbzv
>>695
でも、宗茂が柳河に戻ってきた時、田中吉政関係の家臣を全く登用しなかったらしいから、田中に何かしらの恨みがあったのでは。
0697人間七七四年2013/01/20(日) 00:06:13.42ID:FSxt2Oud
壇家と椛島家は元は蒲池家の家臣で、本郷城と松延城の城主だったのが
九州征伐の頃、島津に与して岩屋・立花城攻め等に参加したため所領を
召し上げられてて、その後宗茂が領主になった際に村のまとめ役として
本郷村と松延村の庄屋にしたようだね。
それで宗茂に恩義を感じてて、立花家が改易された際、最初は宗茂も
支援してたようなんで(慶長6年9月に立花家臣が出した礼状が残ってるらしい)
あるいは闇千代への支援は宗茂から頼まれてやってたのかもね
0698人間七七四年2013/01/22(火) 19:24:07.00ID:e1TzfBPV
ワラタw

立花家史料館?@TachibanaMuseum
【ァ千代の「ァ」は機種依存文字だから〜au(ガラケー)の場合〜】パソコンから送った「ァ」の字が、何やら楽しそうな
動く絵文字に変換されていました。ちなみに、このままパソコンに送り返すと、また「ァ」に戻ります。 pic.twitter.com/HL5Yid1x
https://twitter.com/TachibanaMuseum/status/293660940312928256
0699人間七七四年2013/01/30(水) 23:42:01.29ID:fFfX5U3G
別スレからなんだけど、
家臣団の大半が長生きな立花家
立花道雪  1513年-1585年 享年72歳
立花宗茂  1567年-1642年 享年75歳
由布惟信  1527年-1612年 享年85歳
小野鎮幸  1546年-1609年 享年63歳
薦野増時  1543年-1623年 享年80歳
米多比鎮久 1550年-1633年 享年83歳
十時連貞  1556年-1644年 享年88歳
安東家忠  1515年-1599年 享年84歳
高野大膳  1540年-1621年 享年81歳
内田鎮家  1521年-1604年 享年83歳
原尻宮内  1541年-1622年 享年81歳

流石だなと。
0700人間七七四年2013/01/31(木) 00:15:41.51ID:Sy1BIETz
当主まで家臣団に含めるなよw
0701人間七七四年2013/01/31(木) 19:50:49.15ID:b+aVJUZP
紹運は・・・

悔しい。。。
0702人間七七四年2013/02/01(金) 05:43:27.10ID:hZHMZpTb
紹運(吉弘 鎮理)の一族
吉弘氏直:紹運祖父 宗茂曽祖父→勢場ヶ原の戦いにて大内と戦い戦死 享年19才
吉弘鑑理:紹運父 宗茂祖父→大友三老の一人 病死 享年52才
吉弘鎮信:紹運兄 宗茂叔父→耳川で総崩れとなって大友殿軍を勤め戦死 享年37才
吉弘統幸:鎮信子 宗茂甥→大友再興を目指し関ヶ原時に石垣原で如水と戦う
         総崩れとなった大友殿軍を勤め戦死 享年36才


一族死にすぎ
0703人間七七四年2013/02/01(金) 06:57:15.24ID:c0t64C/E
>>702
氏直が19歳で戦死して鑑理と親子だと年齢的におかしくなるから
実際は30以上だったんじゃないかなと思う
0704人間七七四年2013/02/02(土) 00:21:07.82ID:l+9Bj7lF
宗茂、高身長だったらしいね。
0705人間七七四年2013/02/03(日) 18:41:13.01ID:sjw5coJx
鎧のサイズから、胸周りの太い体格の良い人物だったと
推測されてるんだっけか
0706人間七七四年2013/02/05(火) 21:56:16.60ID:1Oo7f0v0
>>697
あれ? こないだ柳川で壇一雄生誕百年なんとかやってたけど、もしかしてこの壇一雄とその娘壇ふみってこの壇家の末裔とかそんな繋がりがあんの?
0707人間七七四年2013/02/05(火) 23:15:11.07ID:KNtIhkuz
柳川藩・普請方の末裔だから普通に考えればそうじゃね?
0708人間七七四年2013/02/11(月) 13:05:31.60ID:kL9S6u4E
関ヶ原後、柳川城を開城したとき領民たちが宗茂を慕って集まっていたという
逸話があるけど、壇家や椛島家の話を知ると作り話じゃないと思う。
0709人間七七四年2013/02/11(月) 15:03:54.66ID:oG3b9jCM
宗茂の支援で溝口紙を始めた日源上人の甥の
紙漉き職人の矢箇部新左衛門が肥後までついて来たり
棚倉の刀工の鬼塚吉国が立花家の要請で柳川まで来たりと、
いろんな方面から慕われてたようではあるね
0710人間七七四年2013/02/11(月) 16:27:15.93ID:26CW04Lg
>>709
刀工は、由布の子孫が発掘していて、柳川に戻る時に連れて来たんじゃなかった?
0711人間七七四年2013/02/11(月) 19:25:26.95ID:xVQzH3Pn
御花の企画展行ってきました
雷切や肖像画、宗麟・義統の書状があったり、なかなか見応えありましたよ
数はあまり多くなかったけど
巨迹繧ノ関する資料が少ないのは仕方がないのかな
0712人間七七四年2013/02/12(火) 13:05:00.49ID:DPK8rlTz
そりゃそうだ。
戦国時代の常識としてはプライベート以外での女性の話って無いしな。
0713人間七七四年2013/02/12(火) 21:59:05.47ID:7mpBFmSY
むしろァ千代に関する資料は、女性としては多い方だろう。
まつ、ねね、茶々の次に多いんじゃない?
0714人間七七四年2013/02/13(水) 01:47:30.22ID:d39GvdUW
基本「○○女」あつかいで、女性の名前が出てる方が異常事態。
よっぽどの権力者の娘か、もしくは凄逸話持ちな女傑なのか。
0715人間七七四年2013/02/13(水) 15:31:38.05ID:hD4G8zKc
女の名前と言えば…
立花家から檀家への礼状に「こかう」という女の名前がでてくるね。
ァ千代の身の回りを世話をしていた侍女の名前かな。
0716人間七七四年2013/02/14(木) 04:19:57.05ID:fvCq8ci1
>>711
数年前の宗茂展と展示物はかなり被ってるよね?
殆ど一緒?
0717人間七七四年2013/02/22(金) 19:31:16.22ID:Wy8pzNxF
ttp://www.comicbunch.com/newbunch/next/
0718人間七七四年2013/02/22(金) 23:34:35.95ID:9McrFKzi
>>717
えええええぇぇぇぇぇ 
読んでみてみるけどさ。有名(?)になったな宗茂
0719人間七七四年2013/02/23(土) 09:30:06.95ID:J7XJenU1
宗茂が子育てでおろおろするのかw
女性作者ということは実像とかなりかけ離れた新しい宗茂像の誕生かね
まあ新しいといっても最近ではごくありふれた設定をしてくると想像するが
0720人間七七四年2013/02/26(火) 02:11:38.02ID:ITVDJDY9
                   ∧∧ ∩
                  (´・ω・`)/
             ハ_ハ   ⊂   ノ    ハ_ハ
           ('(・ω・`∩  (つ ノ   ∩´・ω・)')
       ハ_ハ   ヽ  〈    (ノ    〉  /    ハ_ハ
     ('(・ω・`∩  ヽヽ_)        (_ノ ノ   ∩´・ω・)')
     O,_  〈                      〉  ,_O
       `ヽ_)                     (_/ ´
   ハ_ハ           知 ら ん が な           ハ_ハ
⊂(・ω・⊂⌒`⊃                       ⊂´⌒⊃・ω・) ⊃
0721人間七七四年2013/02/27(水) 06:53:46.57ID:1VEKDloq
ギンが出せずに闇千代になってるのはよく見かけて見慣れたが、こないだネット上で悶千代になってるのを見つけた時は吹いた。
闇千代は厨二っぽいが悶千代は18禁っぽいな。
0722人間七七四年2013/02/27(水) 21:26:03.92ID:iN6sVovd
昨日たまたま読んだマンガ雑誌の戦国武将列伝で高橋紹運の娘がレズってた
0723人間七七四年2013/03/01(金) 13:26:51.89ID:1E01Q/Dh
>>704
基本的には両腕の長さと身長は同じくらいらしいから甲冑見た感じだと165から170くらいだと思う当時としてはデカイんじゃない?
これ宗茂の甲冑
http://i.imgur.com/twWwrTi.jpg
0724人間七七四年2013/03/17(日) 22:07:17.49ID:2uqcRl14
http://www.ohana.co.jp/museum/blog/?p=2358

わろた
500年なのね
0725人間七七四年2013/03/18(月) 08:32:01.70ID:br3QIUyX
ちょっと待って!宗茂の実夫は紹運なのに、何で道雪しか展示しない?宗茂があれほどの人物なのは
紹運の教育によるところも大きい。紹運をdisる理由は何だ?
0726人間七七四年2013/03/18(月) 08:59:49.28ID:++i6xlK+
当時は血筋より家名
高橋家は実家でも別家だし
紹運関係のものはそう多く残ってない
無いものは無いんだから別にdisってる訳じゃなかろ

それに大名は男子が無くて
養子とか貰っている例はいくつかあるが
養家で実家や実父どうこう出来た殿様とかちと聞いた事ない
0727人間七七四年2013/03/19(火) 00:58:22.91ID:usJ6s+nK
>>726
そういえば、高橋氏は直次が相続したけど、いつの間にか
直次も生家の姓を捨てて立花氏を名乗っているんだよな。
0728人間七七四年2013/03/21(木) 10:08:07.73ID:Nea5hKRk
道雪=柳河立花藩祖の父
紹運=三池立花藩祖の父
こういう扱いなんだろうね
0729人間七七四年2013/03/23(土) 20:38:49.87ID:7WfGmU96
@バンチで始まった宗茂の漫画を読んだんで感想を
絵柄や作風は全体的にゆるい感じ
宗茂の名前がちゃんと浪人時代の尚政なのや
個人的にイメージどおりの人物像になってたのが良かった。
家臣団も八幡丸以外は実際についてきてた連中のようで
確認できたのが、由布雪下、十時摂津、十時三弥、十時太兵衛、
池辺解ヶ由の5人(名前でなかったけど身なりの良い常識人ぽいのは
由布壱岐か矢島重成あたりかな)
八幡丸は道雪の幼名と同じ名前なんで戸次家に縁ある子かと思ってたら
隈部家の子供だったのは驚いた、いずれ黒門の放し討ちの話とかはやりそう。
基本的に戦闘とかは無さそうな作風だけど、思ったより良い感じだったので
作者さんには頑張って欲しい。
0730人間七七四年2013/03/23(土) 21:27:17.80ID:wNUHuAUW
     ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、
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    /|ヽヽ、___,,,,、 '    l ',
   ノ. | ヽ          / |`ー-、
0731人間七七四年2013/03/24(日) 16:14:29.87ID:E5fLD3lI
>>729
甲斐にいかねば
0732人間七七四年2013/03/24(日) 19:13:26.09ID:IwxFU0hj
紹運をdisったな
0733人間七七四年2013/04/06(土) 14:01:45.51ID:8oCjZjhy
昔は気づかなかったけどFFタクティクスのオルランドゥ伯て角隈さん+道雪さんなんだなこれ
でディリータが田北さんの役をちょろっとやってる感じ
あまり大友家自体がファンタジーの創作物に使われた例知らないから新鮮だ
0734人間七七四年2013/04/10(水) 08:28:06.08ID:mJx6H8Lp
バランスブレイカーのシドかよ。
老いても二足歩行し、祈祷も身に付けた 道雪か、そりゃチートだな。
そりゃ無理やり考え過ぎだろって気もするが、仮にそうなら戦力的には紹運も足されてんじゃないかコレ。
0735人間七七四年2013/04/10(水) 23:30:32.95ID:ilL2H17G
スクエニは、ロマンシングサガ2の頃から
たまに千鳥とか雷切を武器で出すことがあったから
道雪好きなスタッフがいるのかなって思うことはあった
0736 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) 2013/04/10(水) 23:33:00.27ID:pZMfe7YC
立花宗茂検定受けた香具師いる?
0737人間七七四年2013/04/14(日) 14:19:20.11ID:k5vbrM3Y
セキシュウサイ倒すと千鳥落としたのは謎だけどw
それはそうと知恵遅れやニコ・個人ブログ等ネット界隈では対毛利が軽視されるの納得いかんな
派手な島津の関ヶ原敗戦撤退は華々しく言われ耳川の結果ばかり言われる
隣の熊も沖田畷ばかり取り上げられてるな
0738人間七七四年2013/04/14(日) 15:36:07.37ID:tH1Txd81
道雪は菊池義武等との肥後での車返しの戦いとか隈本城攻略とかが
結構凄いんだけど、何分資料が少ないのがな
0739人間七七四年2013/04/24(水) 13:30:25.41ID:YQpUlA4G
立花家史料館が大河押し始めてわろた
0740人間七七四年2013/04/27(土) 13:15:30.13ID:Exo3wKee
漫画ドリフターズで宗茂のタイ捨流免許皆伝のイメージが変わってきたww
0741人間七七四年2013/04/27(土) 14:45:18.42ID:ESSa2gdl
死ぬことと見つけたり読んだ時から
タイ捨流は杢之助のイメージだったわ
0742人間七七四年2013/04/27(土) 14:57:54.14ID:K/GRvzei
タイ捨流は元々実践剣法謳ってるから色々荒っぽいのは当然なんだけど
途中で中国拳法取り入れたもした流派らしいから一際跳ねまわったり大立ち回りする印象が強いね
0743人間七七四年2013/06/02(日) 00:49:55.51ID:C0XTU0iC
週刊日本の城20号の人物紹介で、宗茂が紹介されてるね
立花山城も16号でやってて、柳川城もそのうちやりそう
0744 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) !omikuji2013/06/02(日) 01:47:45.36ID:zANQ6nwP
立花宗茂=筑前筑後の武将の印象が強いから
「豊後の猛将」なんて紹介はちょっと違和感
0745人間七七四年2013/06/09(日) 11:41:03.50ID:l0mLCkc0
ルーツということでひとつ。あくまで豊後から植民地へ出向してる総督みたいなもんで。
0746人間七七四年2013/06/09(日) 18:27:34.33ID:F95MfXJx
生まれは豊後国東の吉弘館だしね
0747人間七七四年2013/06/11(火) 12:07:24.17ID:UG43cFHd
猛将タイプではないな
0748人間七七四年2013/06/11(火) 16:02:45.11ID:0gF2Qbbb
猛将タイプは立花道雪
0749人間七七四年2013/06/12(水) 10:54:01.24ID:WKwMqTSF
宗シゲルって秀吉がいなけりゃ単なる土豪の息子
0750人間七七四年2013/06/12(水) 11:10:33.77ID:1tVduZa+
土豪?
本国豊後から派遣された城督で
筑前の立花管轄領で時前の領地は僅かしかないのに土豪とな?
0751人間七七四年2013/06/13(木) 01:10:40.65ID:qLsqsVgf
>>747
俺は、猛将なイメージがある。朝鮮の役で甲冑が返り血染まって曲がった刀を直しながら
闘ったとか同じ朝鮮の役で島津義弘と共に活躍を賞賛されたが[大陸の兵は弱い]って吐き
捨てた辺りが凄いな。もっとも、知的な武将な面もあるのは承知だよ。
0752人間七七四年2013/06/13(木) 18:49:35.42ID:muKt/Byd
京極の大津籠城合戦記だと、高次の家臣が宗茂について
「西国一の猛将で、比類なき武芸の達人」って
語ってる記述があるから、猛将ってイメージも強いのかもね
0753人間七七四年2013/07/07(日) NY:AN:NY.ANID:g9z68NPN
歴史魂って雑誌で紹介漫画があったけど
あれでは普段はだらけてて嫁に頭が上がらんけど戦の時は人が変わるみたいなキャラ設定だったな
0754人間七七四年2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:kV9UI5B5
十って漫画の魔界転生見てて思ったんだが転生軍団は宗茂引き入れれば良かったのに。
どんなに人格者でも結局自分の血を残してないって点では悔いが残ってるだろうからそこをつけば或いは
0755人間七七四年2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:IzJJ9xTU
嫁にまったく頭あがらないは当たってるがなwつーか夫婦仲最悪だったから
0756人間七七四年2013/07/23(火) NY:AN:NY.ANID:tucf5z/L
立花宗茂が土豪なら、その家臣団は何なのか……
0757人間七七四年2013/07/23(火) NY:AN:NY.ANID:tXiszJUo
立花の地元で雇用した多治氏系氏族の薦野氏や米多比氏や
宗像氏系氏族の横大路氏は土豪と言えるだろうけど、主は豊後からの派遣だからなぁ
0758人間七七四年2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:uMMKpz/5
三池純正『九州戦国史と立花宗茂』(洋泉社、2013年発行)
0759人間七七四年2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:O73blV87
本と言えば九州の戦国物で著名な吉永正春の新刊が久々に出てたな

http://kaichosha-f.co.jp/books/history-and-folk/2414.html
吉永先生相変わらず立花&高橋好きだなぁ
0760人間七七四年2013/09/22(日) 11:11:08.41ID:rAf+E3yz
嫁と仲悪くて子供がいないのに完璧超人(笑)
完璧って言葉の意味が世間とは違うのかな
0761人間七七四年2013/09/22(日) 11:12:21.01ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0762人間七七四年2013/09/22(日) 16:51:32.37ID:/8EnKDJr
>>761
石垣原の戦いでの吉弘統幸の奮闘があることに期待
0763人間七七四年2013/09/22(日) 18:56:07.75ID:tBRY79CL
>>762
官兵衛が指揮した最後の戦いだから、当然やるだろう(切実)
0764人間七七四年2013/09/22(日) 19:12:11.98ID:ETfRksuT
事務方の井上さんが無双する回だな
0765人間七七四年2013/09/22(日) 19:58:29.55ID:/8EnKDJr
井上之房の配役は高橋一生でもう決まってるか
石垣原の前振りで、大友家が改易された時、
統幸が一時期黒田家の預かりになって
井上の世話になった話もやってほしいな
0766人間七七四年2013/09/25(水) 18:54:24.49ID:qsgZw2bg
宗茂と長政の心温まる友情の話はやりますか?
戦国時代の九州が少なからず舞台になるからぜひ宗茂もクローズアップを
0767人間七七四年2013/09/26(木) 16:47:46.57ID:5GgHoH/w
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1050111205
0768人間七七四年2013/09/30(月) 20:29:52.37ID:K3SwiyLw
宗茂って欺騙の天才ってイメージがあるな。
立花家って軍事情報分野に関する逸話あんまり聞かないけど、なんであんなに綺麗に欺騙が決まるのかが不思議でならない。
0769人間七七四年2013/09/30(月) 22:08:04.04ID:9lQM3sZE
>>768
文禄・慶長の役の時とか、見事だったよな
0770人間七七四年2013/10/02(水) 16:17:54.91ID:zM1/oYGZ
常に陣頭に立って戦地に赴いてるからじゃないの?
実地に触れて敵味方問わず兵達の状況を逐一正確に掴む、後は臨機応変に即応して指示出すって感じ
要は現場型の人間のいい面が巧く噛み合った結果だろう
その分始めからこれこれこういう状況に追い込んでやろうみたいな謀略型の思考ができてない感じ
単純に所属勢力の関係からそういう思考が必要な場面が無かっただけかもしれんが
0771人間七七四年2013/10/05(土) 15:49:05.76ID:tWV181hY
仮に宗茂大河があったら虚無僧逸話から十時さんが密偵の頭領の役目も与えられそう。
初芽とか謎の女キャラの罪歴を考えたら長く宗茂と関わった十時さんが女体化+ナレーションになりそうでだね。
0772人間七七四年2013/10/15(火) 23:34:37.47ID:MTpN2FOY
先日の三連休に催した三柱神社の秋季大祭「おにぎえ」の中日の行列に
日輪の兜を被り宗茂の甲冑のような物(コスプレ?)を着た人がいましたよ。
隣になぜか政宗もいたけどw

その他、立花家の現御当主も馬に乗られて参加されていました。
暑さの為かお殿様にも関わらず、兜も着けずに足軽のような甲冑でしたが・・・
0773人間七七四年2013/10/17(木) 22:07:59.67ID:4uNzllMt
そいうや数年前のおにぎえには真田家からも何人か参加していたのが話題になってたな
0774人間七七四年2013/10/24(木) 19:10:10.30ID:A2gJPn/A
今の立花家の御当主ってパイロットの方でしたっけ?
0775人間七七四年2013/11/04(月) 02:42:39.70ID:sfO8naRl
花さけば梅は隣の枯れ木かな
行雲に糸投げてより鏡月

宗茂の自筆書に走り書きしてたって歌なんだけど
両方上の句だけっぽいのは連歌用なのかな
0776人間七七四年2013/11/07(木) 00:47:06.26ID:6VXpYuuM
今月の歴史街道に載ってた大河の主人公にして欲しい人物ランキングで
立花宗茂とギン千代が2位だった。
ちなみに1位が木曽義仲と巴御前で3位が高杉晋作でした。
0777人間七七四年2013/11/07(木) 10:22:30.05ID:tJJBvZ4n
>>776
歴史街道の読者の嗜好がよくわかるランキングだね
0778人間七七四年2013/11/07(木) 12:46:58.16ID:N4QGp80M
>>393
なんで?
0779人間七七四年2013/11/07(木) 12:48:23.46ID:N4QGp80M
すまん誤爆した
0780人間七七四年2013/11/07(木) 12:48:40.21ID:hZmbfMwM
遅レスにもほどがある
0781人間七七四年2013/11/08(金) 21:32:06.86ID:HrC1aI41
ttp://www.4gamer.net/games/215/G021583/20131108021/SS/024.jpg
ttp://www.gamecity.ne.jp/souzou/images/sys/s1_0.jpg


信長の野望最新作の立花道雪のキャラデザだってよ
0782人間七七四年2013/11/09(土) 01:57:08.93ID:3hryukw9
>>781
道雪感がまったく無いな
0783人間七七四年2013/11/09(土) 18:18:29.67ID:KLMuTTws
>>782

ノブヤボの道雪は以前からそんな感じだぞ
0784人間七七四年2013/11/09(土) 18:27:12.26ID:r80JCWU+
戸次鑑連って感じではある
0785人間七七四年2013/11/10(日) 18:40:18.06ID:R/WMu17J
なんか、こう、一般武将みたいな顔だな
0786人間七七四年2013/11/12(火) 00:55:13.86ID:WrD0N9KV
今季はOP・ED両方良いヤツが無いよな
0787人間七七四年2013/11/12(火) 00:55:44.61ID:WrD0N9KV
失礼。大誤爆
0788人間七七四年2013/11/13(水) 17:27:27.14ID:KRa9fPLD
道雪というと、やっぱり半身不随のおじいちゃん的な表現は欲しいところかなぁ
んで、宗茂が色白おぼっちゃん的な感じ
0789人間七七四年2013/11/13(水) 17:37:12.68ID:ynind9qP
道雪は足は悪かったけど半身不随じゃねーぞ
輿に乗るよーになったのは歳とってからで以前は馬に乗ってたんだぞ
0790人間七七四年2013/11/14(木) 00:52:48.93ID:ZvCxzV05
>>788
宗茂の肖像画はめっちゃゴツイんだよな
0791人間七七四年2013/11/14(木) 01:02:52.93ID:X8yCMjR5
残ってる鎧とかからの推測だと、当時ではかなり体格のよい
人物だったらしいな。
反乱起こした直後の高橋家で育ってて坊ちゃん育ちのわけがないし
0792人間七七四年2013/11/14(木) 08:49:17.56ID:p9r7Sqcm
>>791
>反乱起こした直後の高橋家で育ってて

もし知ってたら教えて。

高橋鑑種が小倉に移され紹運が1570年に宝満城城督になった際、
鑑種側の家臣はどのくらい宝満に残ったの?

紹運が岩屋城に籠った時に加勢した武将達の中にも、旧鑑種家臣は居たのかな。
0793人間七七四年2013/11/14(木) 12:12:53.23ID:Qmcs+aGF
もともと高橋鑑種も他の家の人間。
謀反に失敗した後は多くの高橋家の家臣に見捨てられてる。

http://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/bu/retsuden/takahashi/kita001.htm
0794人間七七四年2013/11/14(木) 15:34:25.92ID:KHshlgEW
>>781-785
いい加減信野は年齢に応じて三段階ぐらいにグラ変えてくれんの?
無理ならせめて道雪宗麟みたいに名前が変わるのに小イベント入る武将ぐらいビフォーアフター欲しいわ。
0795人間七七四年2013/11/14(木) 19:08:54.74ID:FtN+RNTV
宗茂改名の度にイベントを入れよう(提案)
0796人間七七四年2013/11/14(木) 22:27:11.32ID:Xew20Alx
グットな動画

http://www.youtube.com/watch?v=TXg-NGVKuWI
0797人間七七四年2013/11/14(木) 23:57:30.51ID:X8yCMjR5
>>792
高橋家は元々秋月や原田と祖を同じくする大蔵一族で
当主だった高橋長種が1549年に死去した際に跡継ぎがなかったから
(厳密には出奔した兄高種の子の北条綱高とかがいる)家臣たちが
大友義鑑に頼んで大友一族から跡継ぎを出してもらったんです。
それで一萬田親宗が高橋家を継承して高橋鑑種と名乗ったんだけど
大友家に反乱して1569年に鎮圧されたため、北原鎮久を初めとする
高橋家臣達が鑑種を見限り、宗麟に新しい当主を立てるように頼んだ
ことで紹運が高橋家を継ぐことになりました。
だから、吉弘家から紹運が何人かは連れてきてるかもしれないけど、
重臣格はだいたい鑑種に仕えていた連中のようです。
07987922013/11/18(月) 08:32:36.60ID:czK9xLco
>>793
>>797

勉強になります。高橋家事情、複雑なんですね。
0799人間七七四年2013/11/19(火) 23:46:18.39ID:5baNgKvZ
宗茂の大河、見てみたいけど、あんまり完璧超人過ぎるから、脚本がしっかりしてないと、物凄くつまらない話になりそうな気もする。
0800人間七七四年2013/11/20(水) 03:22:26.16ID:8syLAvQC
女向けの大河しか作れない今のNHKには作って欲しくないな
0801人間七七四年2013/11/20(水) 07:24:18.07ID:zUBRyufO
養子先の鬼嫁に苦しみながら、実績を作って家臣の信頼をあつめ、とうとう鬼嫁を家から追い出す話がフェミ全開の大河でやれるわけがない。
0802人間七七四年2013/11/20(水) 08:01:23.20ID:VwuA+odY
>>801
そういう視点で見ると、ドロドロやな
0803人間七七四年2013/11/20(水) 10:56:44.09ID:vg/r5pKs
ぎんちよは高慢ちきだったんだろうな
離縁しなかっただけまともやわ
0804人間七七四年2013/11/20(水) 11:01:31.82ID:GO6y201W
高慢ちきかはともかく当主が家庭の中に2人居る状態だからうまくいく訳がない
近すぎて二頭体制にも出来ないし
0805人間七七四年2013/11/20(水) 19:44:38.14ID:END51rbD
今日の読売新聞の朝刊で高橋紹運がのってて驚いたわw
0806人間七七四年2013/11/23(土) 01:58:05.65ID:FZpI2ZJ6
>>799
完璧超人?
どこが?

父の奮戦のお陰で死地を見ることなく籠城を乗り切ったり、時勢を読めず家臣領民を多数死なせて改易されたり完璧とはほど遠いだろ
0807人間七七四年2013/11/23(土) 05:48:01.05ID:i/H1y2t/
時勢が読めてたから、勝敗にこだわらず西軍について勝負しなくては
ならなかったんだどな。
豊臣家と毛利のやる気は見誤ってたと思うけど

あと、関ヶ原後は早期に徳川と交渉して身上安堵状を得てて
加藤黒田とすぐ和睦してるから、城島城と八院で家臣が鍋島と戦ったくらいで、
家臣はともかく領民はさほど死なせてないよ
0808人間七七四年2013/11/23(土) 08:27:31.06ID:ugSLURTe
>>807
実際、西軍が有利だったけどね
関ヶ原で負けたのが信じられないわな

毛利は繋がりがある小早川の裏切りで、豊臣家に不信を持たれたんじゃないのかな

鍋島と戦ったのも、鍋島さんが汚名返上のために戦をふっかけてきただしね
0809人間七七四年2013/11/25(月) 14:51:43.68ID:Osqr/Pc3
宗茂が西軍についたため、戦略眼がなかったと評価する人多いよな。
しかし時勢に関係なく大友家に最後まで忠義をつくした父の姿をみた宗茂が、
東軍につくわけなかろう。
0810人間七七四年2013/11/25(月) 16:03:01.30ID:Mai5WVDs
とっとと独立しましたが何か
0811人間七七四年2013/11/25(月) 16:26:16.96ID:Osqr/Pc3
↑???
0812人間七七四年2013/11/25(月) 16:58:11.51ID:LMuALwly
主君
大友宗麟→義統→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光

独立?
0813人間七七四年2013/11/25(月) 17:54:34.34ID:Mai5WVDs
大友から
0814人間七七四年2013/11/25(月) 18:18:11.91ID:Osqr/Pc3
>>813
宗茂自身の意思でなく、大友宗麟が推挙し宗麟と秀吉が交渉して(経緯につい
ては諸説あり)秀吉の直臣大名として取りたてられたことが何か問題でも?
0815人間七七四年2013/11/25(月) 20:39:20.12ID:bbDwgXp9
大友立花と個別安堵されても大友家臣のままでいたならば
見かけの石高は当然上がる
朝鮮出兵の兵力を見ると大友隊6000に対して立花隊3000
当時の柳川が12万石として大友の知行は単純計算でその倍

大友が立花を抱え込むと勢力のうち1/3が飛び地になる筑後の立花党という事になってしまう
こんなのは本人達の性格や能力がどうであろうと豊後国衆との軋轢は避けられない
それなら別家として立った方が双方のためになる
0816人間七七四年2013/11/26(火) 03:56:53.69ID:zO3rWkzM
斜陽の大友から独立する好機を宗麟の後押しで得た紹運が息子であり立花と高橋を継ぐ者達の為、自分達が命を捨て最後まで忠節を貫き通し散る事で名を守り誰から後ろ指指される事なく次の世代を大友から切り離し新しい道を切り開く事を成した。
って考えてもいいんじゃね。

その頃はまさか豊家が一代で崩れるとは思ってなかっただろうし
0817人間七七四年2013/11/26(火) 08:12:19.20ID:hJxkFEkS
>>816
立花(高橋)一族は、大友さんの娘さんとかを嫁に迎えているので、そう簡単に大友家との繋がりを切れんぞ
0818人間七七四年2013/11/26(火) 08:31:13.73ID:PF8Yz/UE
まさか、宗茂が自分の判断で大友家を見限り、秀吉傘下の大名になったと
思ってるんじゃないだろうね?
0819人間七七四年2013/11/26(火) 09:15:59.96ID:fR8umvCU
>しかし時勢に関係なく大友家に最後まで忠義をつくした父の姿をみた宗茂
この主張が通るなら実父と同じ様に大友家に残って
主家を支える道もあったんじゃないのか?という事でしょ

宗麟に言われたから、は独立する大義名分としては十分だけど
忠義がどうこう言うには矛盾がでるだろ
0820人間七七四年2013/11/26(火) 09:43:04.51ID:PF8Yz/UE
>>819
忠義の意味を同じ主君に最後まで使えることと勘違いしていないかい?
実父から立花家に婿入りする時、立花・高橋両家が敵味方になっなら、迷わず
自分を討ちに来いと戦国時代の武将の心得を教えられているんだよ。
つまりどちらかが事情によって大友家から離れたりすることもありうると、
教えてる。
時勢をみて忠義をたがえることは良しとしないが、使える主君がかわること
自体は不忠ではないということだよ。
0821人間七七四年2013/11/26(火) 10:00:34.07ID:tZJ9xjI8
時勢に関係なく→事情があるからしょうがない

ん?
0822人間七七四年2013/11/26(火) 10:24:35.26ID:PF8Yz/UE
↑???
0823人間七七四年2013/11/26(火) 10:37:32.57ID:PF8Yz/UE
抽象的な話になってるな。
実父は島津方から降伏せよとすすめられた時、形勢不利だからといって
忠義を曲げたくはないといって最後まで戦った。
宗茂の婿入の逸話は、大友家に死ぬまで仕えよとはいっていない。
戦の形勢をみてからどちらにつくかでなく、自分が今誰に使えているか
とかどちらについて戦うのが義にかなうかを考えて戦えといってるんだ
と思うぞ。
0824人間七七四年2013/11/26(火) 10:49:47.82ID:PF8Yz/UE
だから関ヶ原でも西軍について戦ったのは形勢を見誤ったからと断定するの
はおかしい、と言いたいんだよ。
実父の最後は、大友家に死ぬまで仕えるのが忠義だという意味ではないよ。
0825人間七七四年2013/11/26(火) 19:46:58.09ID:qCfS/MaC
宗茂が関ヶ原で西軍に付いたのは
忠義と言うより豊家に義理立てしたって感じだ
0826人間七七四年2013/11/26(火) 20:00:37.26ID:fR8umvCU
>実父から立花家に婿入りする時、立花・高橋両家が敵味方になっなら、迷わず
>自分を討ちに来いと戦国時代の武将の心得を教えられているんだよ。

孝を尽くすべき親が忠を説くから説得力がでる
つまりこれは孝道より忠道を重んじろ、という話だと認識しているけど
後はどちらかが生き残ればそれで良しというお家存続のリスクヘッジ問題を想起するぐらい

基本的に主替えは誉められる類いの行動ではないのよ
引き留められない君主側に問題があったという道理で、汲むべき事情があるなら仕方がないという一般常識な話

紹運が顕彰されるのは仕方がない場面でも理に反して忠に沿う行動をとれたからで
宗茂の選択も道理には適うけど、父親が結果で示した道の通りには行ってないでしょ
ただそれ自体は悪い事ではないから間違いだとか失敗だとかは言わない
0827人間七七四年2013/11/26(火) 20:07:53.93ID:ppyVkSYi
>>825
つくづく、立花が関ヶ原に間に合っていれば・・・

まあ、そうすると秀忠軍も間に合っていたということにもなるから、勝敗がどうなったか解らないけどな
0828人間七七四年2013/11/26(火) 20:10:24.83ID:ppyVkSYi
>>826
>>基本的に主替えは誉められる類いの行動ではないのよ
>>引き留められない君主側に問題があったという道理で、汲むべき事情があるなら仕方がないという一般常識な話

藤堂高虎「うむ、そうだな」
0829人間七七四年2013/11/27(水) 00:41:20.50ID:wHYIgpQ9
>>824
つ吉弘統幸
0830人間七七四年2013/11/27(水) 01:17:39.67ID:b/2kwER5
忠だの義だの時勢だの戦略眼だの大して関係なく
派閥つか小早川秀包についってっただけだぜ

ロマンに浸りたいのも分かるけど
0831人間七七四年2013/11/27(水) 08:44:32.78ID:hUKdhXt9
中小企業の社長の下で働ていた。会社が大企業に吸収された。
元社長から現社長に「こいつはできる奴です。取り立ててやってください」と推薦してくれた。
男なら受けるしかないだろ。

兼次や小十郎のように、引き抜かれそうになったのを本人が断ったのとは状況が違う。
0832人間七七四年2013/11/27(水) 17:15:23.15ID:naygGzE/
>>829
立場も違い、豊臣家から直接恩恵を受けていない人物と比較するのも
どうかと…
0833人間七七四年2013/12/06(金) 17:57:55.10ID:we6hpyRi
>>830
宗茂が秀包と合流したのは大津城の戦いの時で、
それ以前は井伊直政の8月22日の書状で島津と美濃の垂井にいたとあるんだよ。
島津義弘の8月20日の書状でも「立花殿は、軍役高は1,300人なのに
秀頼様のため4,000もの兵を率いている。」とあるから、一応は秀頼のためだろうし、
京極高次の離反までは、島津といっしょに美濃にいたのは確かだと思うよ。
0834人間七七四年2013/12/06(金) 18:20:10.74ID:mt/w8vpn
秀頼様のための他に書きようないだろw
一緒に書いてあるのも特に義理なんてない長宗我部だし
頑張ったけどちょっとつらいね
0835人間七七四年2013/12/07(土) 09:44:51.17ID:xJp9QwzL
家臣やァ千代、清正の反対を押し切ってまで、小早川秀包についってった
のか?
すごい歴史観だw
0836人間七七四年2013/12/07(土) 19:57:56.21ID:BDncvnB3
家康ですらお題目は豊臣家のためだったからな
0837人間七七四年2013/12/08(日) 01:25:53.35ID:nlZ+whXg
基本的には増田、長束、前田が発した「内府ちがひの条々」に応じて、
豊臣に義理を通したってとこだろ。
浅野と石田が失脚中に残りの三奉行が家康を糾弾して
それに毛利と宇喜田と討伐受けてる上杉の三大老も反徳川を表明している状況なら
そちらを豊臣の意思として付かざるを得んだろ。
0838人間七七四年2013/12/08(日) 23:34:24.87ID:gBk/M2Ba
>>835
別にすごくは無いだろ。関ヶ原なんていわば派閥抗争だし。
0839人間七七四年2013/12/09(月) 08:34:33.21ID:lcrcDTug
なんか必死なアンチがいるのが2ちゃんねるらしくていいね!
0840人間七七四年2013/12/09(月) 15:28:19.80ID:EZfT9EWV
なんか必死な信者がいるのが2ちゃんねるらしくていいね!

とでも返してもらいたんですかね、苦しくなってレッテル貼り云々wwwとか
どうでもいいけど
0841人間七七四年2013/12/09(月) 16:21:42.30ID:lcrcDTug
そういって苦しくなったというレッテルを貼るんだ。
ホントどうでもいいけどね。
0842人間七七四年2013/12/09(月) 16:26:25.87ID:EZfT9EWV
え?w
0843人間七七四年2013/12/09(月) 16:39:44.76ID:lcrcDTug
何が気に入らんのか知らんけど、宗茂が西軍についたのは豊臣家の恩顧に
報いるためと関ヶ原直後も徳川家に使えるようになってからも、宗茂の
言い分として書かれてある。
他家である島津家も、宗茂は豊臣家の恩に報いるため軍を率いて上方に向か
ったと記録している。

派閥で参加したという記録は何があるのかしらないから、その史料を教えて
くれないかな。
0844人間七七四年2013/12/09(月) 18:06:08.38ID:EZfT9EWV
当時宗茂と仲が良く朝鮮征伐後も行動をともにしていた人物は知っての通り
毛利輝元と義兄弟の小早川秀包、島津義弘、小西行長、寺沢広高、筑紫広門らだが
寺沢広高以外はみな西軍の面子。
特に秀包や義弘とは作戦行動内だけでなく撤退まで行動をともにしていて
結局はいつもの面子と行動をともにしていた派閥的行動と見るのが自然

どうしても義が最優先だったなら諸将が体面として出した義ではなく
立花特有の一線を画した義と言うことを証明してもらいたいね
義弘書状なんてまさに体面的な内容なもんにすがってるようじゃ無理だろうけど

あとついでに話の発端の西軍に付いたから戦略眼が無いという批評には否定的な立場だかね
そんなもん薄っぺらい結果論でしかない。
0845人間七七四年2013/12/09(月) 18:18:00.07ID:lcrcDTug
は?義弘書状が体面的だとする根拠がわからないだけど?
0846人間七七四年2013/12/09(月) 18:45:54.62ID:EZfT9EWV
根拠にしてるのに内容すら知らんのかよ・・・
0847人間七七四年2013/12/09(月) 18:55:35.51ID:lcrcDTug
わけわからん?
あの書状を体面的だと断定しているのは君だよ?
君が体面的だと断定している根拠を聞くのはおかしいのか?
0848人間七七四年2013/12/09(月) 19:00:19.90ID:EZfT9EWV
知らないならせめてググレよ。軍役率の根拠としても有名な書状だから出てくるだろ
0849人間七七四年2013/12/09(月) 19:04:41.94ID:lcrcDTug
おちょくってるの?
日本語わからないの?
あの文書の内容も目的も知ってるよ。
で、あの文章のどこが体面的なのかを何度も聞いてるのだが、なぜ
答えられないんだ?
0850人間七七四年2013/12/09(月) 19:13:00.52ID:EZfT9EWV
だから面目を前面に出した増援懇願の書状だろ
恣意的な文面の義にしかすがるもんがないのかといっている
0851人間七七四年2013/12/09(月) 19:53:56.46ID:lcrcDTug
さっぱりわからんのだけど。
お家内の援軍依頼文書をなぜ体面的なことを考えた内容の文書だとするの
かな?
他家に出す文書なら体面的な部分で大義名分なんかも必要になるだろうが、
内部文書だよ。
この文書まで対面的に書かれたもので内容が信用できないと否定するなら、
殆どの文書が体面的なので内容があてにならないことになり、文書は歴史
検証に使えないということにならないか?
0852人間七七四年2013/12/09(月) 20:06:32.88ID:lcrcDTug
で、派閥参加を裏付ける史料は何かな?
豊臣家の恩顧に報いるためとする記録はあるわけだから、それを真っ向から
否定する以上、単なる推察でなく根拠となるような資料をだしてもらわない
とね。
0853人間七七四年2013/12/09(月) 20:20:38.13ID:EZfT9EWV
繰り返しになるけど本当に文面分かってる?面目って字とかが見えないかね

まぁめんどくさいからもういいけど
家臣や領民に責任がある指導者でリアリストたるべき大名が
たかが負け側についたことを、薄っぺらく戦略眼が無いといわれたのを
糊塗するために義なんて三文芝居じみた人物像を持ち出すのがしょっぱいだよね
逆に馬鹿にしてるんじゃないだろうかと思う次第
0854人間七七四年2013/12/09(月) 21:32:06.02ID:4a7XqMRd
一次史料の内容を否定しといて、史料もださずに持論展開されても
ウザイだけ
0855人間七七四年2013/12/10(火) 15:45:28.29ID:WMqLOsJD
一次資料マダー(´・ω・`)

あくまで素人の推論にしか過ぎないのならもっと謙虚さが欲しいと思ったでござる。
0856人間七七四年2013/12/10(火) 23:06:24.07ID:f2c35JIK
>特に秀包や義弘とは作戦行動内だけでなく撤退まで行動をともにしていて
>結局はいつもの面子と行動をともにしていた派閥的行動と見るのが自然

派閥的行動?
この人、朝鮮では諸将がめいめいの自由意思で編成を決めたり、行動してた
と思ってるんだね
0857人間七七四年2013/12/10(火) 23:47:03.28ID:gCRzNAfe
義弘とは慶長の役でも関ヶ原でも、不思議といっしょに帰ってるけど、
秀包とはどちらもいっしょには帰ってなかったんだけどな。
大坂からは住吉屋という商人の支援を受けて船を出してもらってるし

慶長の役の頃から島津とは親密で、庄内の乱の時も宗茂は家久の
擁護をしてるけど、東軍につく気だった義弘が西軍についたのは
伏見城での成り行きだし、そこまで同調して行動したってわけでもないんだよな。
0858 忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) 2013/12/13(金) 08:29:00.97ID:s7DGjTsp
立花城の難攻不落ぶりは語り草
0859人間七七四年2013/12/13(金) 19:04:09.22ID:0bOR3Fgb
え?立花城は何度か落城しているのだが
0860人間七七四年2013/12/15(日) 10:23:35.12ID:g/Bbcl19
たしか道雪公も落としてるよね
0861人間七七四年2013/12/15(日) 11:09:08.72ID:KyjdlNtN
1431年4月 大内盛見に攻め落とされる
1431年6月 大友持直・少弐満貞連合軍が盛見を討ち取って奪還
1445年8月 大内教弘が大軍を率い立花山城を包囲攻略
1469年5月 応仁の乱に乗じて大友親繁・政親父子が立花山を奪回
1478年9月 大内政弘が少弐政資を破り筑前を制圧したため、おそらく降伏
1532年3月 大内の部将・温科盛長らの猛攻で立花山城陥落
1565年6月 立花鑑載の反乱を戸次鑑連・吉弘鑑理が制圧
1568年7月 毛利に従属した立花鑑載の再度の反乱を戸次鑑連等が制圧
1569年5月 吉川元春・小早川隆景の攻撃を受け降伏
1569年11月 中国勢の主力が撤退した後に、戸次鑑連等大友軍に降伏

はっきり分からないのも多いけど、10回くらいは落城してるかな。
3回落とした道雪が一番落城させてるか 
0862人間七七四年2013/12/15(日) 17:16:46.78ID:QQ7Upo7F
65年の総大将は吉弘だが。後、力ずくは68年の一回だな
0863人間七七四年2013/12/19(木) 12:21:11.16ID:BD9AMM/z
立花道雪 統率95 武勇87 知略87 政治64  333
立花宗茂 統率91 武勇95 知略81 政治62  329
高橋紹運 統率89 武勇92 知略75 政治61  317
0864人間七七四年2014/01/03(金) 20:54:13.26ID:34bIysE0
柳川城を再現しようとしてるらしいが果たして金が集まるか
0865人間七七四年2014/01/03(金) 21:05:55.77ID:4ge/G5Dr
柳川城は石垣から始めにゃいかんからなぁ
石垣が残ってる城跡に比べりゃ難易度高い
0866人間七七四年2014/01/03(金) 23:33:25.66ID:vyxeiFAN
>>864
柳川城が在った場所は、今小学校があるんでしょう?
0867人間七七四年2014/01/04(土) 08:48:16.30ID:Xhqrymu6
>>866
柳城中だろ
0868人間七七四年2014/01/04(土) 17:39:14.86ID:OweeFeTC
城の跡ってよく学校になるよな
うちの近所や大学の下宿の近くにあった学校も城の跡に出来てた
0869人間七七四年2014/01/04(土) 18:31:21.81ID:DEycXK69
吉岡妙林尼の鶴崎城も跡を見に行ったら小学校になってたな
0870人間七七四年2014/01/04(土) 19:00:54.30ID:0GUTZOSj
戦国の山城から平城や平山城となった近世の城跡は
市街地にあったりするので廃藩置県で役所や学校に再利用された
つか、明治政府は貧乏だったから箱を再利用するしかなかったんだよなぁ
0871人間七七四年2014/01/06(月) 11:50:10.12ID:9Nc0VUih
宅地になって見る影も無くなってるのとかもあるだろうからそれよりは学校になった方が浮かばれる気はしないでもない。

柳川城は城跡らしい城跡は無くとも掘り割りが今も観光資源になる事で地域住民に貢献してるからいいじゃない。
柳川城での問題は寧ろ柳川城跡にかかってる柳川高校が私立高校生き残り戦国時代の敗者となって生徒数及び教職員数激減してる事じゃないだろうかなどと言ってみる。
0872人間七七四年2014/01/06(月) 23:52:14.82ID:ixascsa7
今の当主の話によると、御花で披露宴挙げる人は、
新郎に宗茂の甲冑を着させるのが人気だそうだ。
0873人間七七四年2014/01/07(火) 01:46:42.58ID:RIpciLlJ
>>872
うーん、将来別居しないことを祈る
0874人間七七四年2014/01/07(火) 03:30:13.26ID:BxWxapTr
>>872
姑が勧めたんなら密かに嫁が早死にする願掛けの疑いが…
0875人間七七四年2014/01/07(火) 14:01:55.80ID:Ypcz4U3A
柳川で川下りしてる時、新郎新婦の舟とすれ違ったことはあるな。
甲冑はつけてなかったけどw
0876人間七七四年2014/01/07(火) 16:42:59.90ID:XZnNdHF4
>>872
御花での披露宴に出席した事あるが甲冑着てなかったぞ
0877人間七七四年2014/01/07(火) 18:07:55.10ID:TXrdhPRz
>>876

希望者のみか有料オプションなんでしょ
0878人間七七四年2014/01/10(金) 20:54:03.30ID:SWKIEocb
立花宗茂 海音寺さんの武将列伝読んでから
すごく好きな武将になった
宗茂はいろんな話あるからイメージ湧くんだが
ギンさんて今の女優、有名人だったら誰だろ?
0879人間七七四年2014/01/10(金) 22:38:15.28ID:PpMFgMKI
>>878
5年前の田中麗奈
0880人間七七四年2014/01/11(土) 16:23:09.25ID:LhzhYJkc
勝気な超ワガママお嬢様が「立花家は私のものアンタはただの婿養子」
と言い切る様が絵になる女優じゃないと絶対無理だよな
0881人間七七四年2014/01/11(土) 17:51:47.65ID:dg8PIJ8q
>>878
深田恭子
0882人間七七四年2014/01/12(日) 20:34:10.65ID:Fvb8puH+
>>878


>>879
同意だが来年までにクランクインするならまだなんとかいけると信じてる。

過去の女優でもありなら夏目雅子

>>881
ちょっと肉感的過ぎる気がする

>>880
じゃあ栗山千明様
0883人間七七四年2014/01/22(水) 15:50:51.89ID:d2c40ha3
>>880
マツコ デラックス
0884人間七七四年2014/01/24(金) 14:33:52.49ID:01NFCtcj
>>880
勝気で超わがまま?
上野樹里、武井咲、長澤まさみあたりなら地でいけるぞ。
あと、篠田麻里子も先日逆切れして男店員を怪我させて病院送りにしてたな。
0885人間七七四年2014/01/25(土) 17:44:55.38ID:4vlEGXO8
>>884
絵になるのか?
0886人間七七四年2014/01/25(土) 19:48:28.84ID:0EhLHdCk
>>884
浅井三姉妹・・・うっ頭が
0887人間七七四年2014/01/26(日) 09:08:21.37ID:4dmkyVuH
今月号の殿しゃんがァ千代の話で結構よかった。
八幡丸は隈部善良の子供っぽいから、
そろそろ黒門の放し討ちの話をやりそう
0888U-名無しさん@実況はサッカーch2014/01/28(火) 16:32:34.99ID:JZ9uwwuN
光浦やイモト系だったりして
ほぼ政略結婚だった時代にお相手が超ブス姫様だったら…

……どうもならん…わな
0889人間七七四年2014/01/28(火) 17:09:21.56ID:m5kM3pGk
>ほぼ政略結婚だった時代にお相手が超ブス姫様だったら…

疱瘡を患って醜女になった宗茂のかーちゃんディスってんのか?
0890人間七七四年2014/01/28(火) 19:01:44.27ID:r0aP0bah
>>888
>光浦やイモト系だったりして

昔基準だったら美人じゃん
0891人間七七四年2014/01/29(水) 11:07:18.43ID:ElAAAgiL
>>889
でもベースが美人なら子の親としては問題ないよなってのは現代の発想か。

てか紹運さん嫌がって無かったやん。嫁さんちゃんと優秀な男子2人も産んだやん。他に女子も産んだやん。立派やん。
0892人間七七四年2014/01/29(水) 19:26:53.14ID:7Mpxy68F
紹運って妹も娘も大友宗家に嫁がせてるのね
0893人間七七四年2014/01/31(金) 16:46:36.76ID:6HOeZ2tq
九州国際重粒子線がん治療センター(サガハイマット)の理事長が十時氏ってなってたけど十時摂津あたりの末裔かなぁ。
0894人間七七四年2014/01/31(金) 19:23:11.86ID:Yelbn9KT
http://www.asahi.com/area/saga/articles/MTW20130724420930021.html

柳川生まれだからその可能性は高いね
0895人間七七四年2014/03/14(金) 20:25:18.25ID:+aZ0HGvE
随変流の開祖と言われてるけど、実際立花家家伝の随変流なんてあったの?
0896人間七七四年2014/03/18(火) 13:09:32.09ID:R6DmXptJ
>>882
杏は歴女だからやりたそうだがいかんせん演技が、「剣客商売」の三冬役…
0897人間七七四年2014/03/22(土) 17:48:25.07ID:PY6/QdcA
>>710
調べてみたんだけど、宗茂は美濃の刀工の下坂兼先を柳川に呼んで鍛冶屋町を作ったみたいで、
鬼塚吉国は家老の由布壱岐(十時摂津の長子で由布家を継いだ)が棚倉から呼んだみたい。
ただ吉国の作刀には九州系の刀の特徴があるようなんで、吉国が元々九州生まれで立花家に
ついて棚倉まで行っていたっていう説もあるらしい。
0898人間七七四年2014/04/06(日) 11:04:38.22ID:qCvlGM7x
>>883
その場合の宗成役は、いったい誰が?
0899人間七七四年2014/04/16(水) 15:23:13.39ID:eihtx3EJ
有吉で
0900人間七七四年2014/04/16(水) 15:24:59.38ID:3OyXdh5L
間を取って又吉で
0901人間七七四年2014/04/19(土) 01:38:20.99ID:MPnjPxfx
>>880
田中 眞紀子じゃん

女優じゃないけど
0902人間七七四年2014/04/19(土) 01:59:34.25ID:RxXWXtlK
じゃあ戸次様は田中角栄か
0903人間七七四年2014/04/19(土) 03:18:10.92ID:9R49sPPk
田中角栄じゃ血縁関係にあるんだから高橋紹運さんだろ
0904人間七七四年2014/04/19(土) 09:36:56.83ID:+gxFC7eE
なんでだよ?
真紀子=ァ千代なんだから、道雪だろ<角栄
0905人間七七四年2014/04/19(土) 09:40:53.72ID:RxXWXtlK
ギン千代が田中眞紀子だったら戸次が田中角榮
ときたら宗茂は田中直紀かそうなると高橋紹運が鈴木直人になるな
0906人間七七四年2014/04/19(土) 14:06:05.33ID:a1J8JYfI
見たくねえよww
0907人間七七四年2014/04/19(土) 22:28:23.85ID:V9h5bHpc
九州ロッキード事件
0908人間七七四年2014/04/20(日) 15:59:22.78ID:XxPXLdkQ
牧田理恵の漫画、「殿しゃん!〜立花宗茂上方滞在記〜 1巻」読んだ。 和んだ。w
十時摂津連貞、十時三弥惟昌カッコいい。  由布雪下惟信あそこまで爺さんとは思わなかった。
宗茂がやたら石田三成を持ち上げてる描写がちょっと変ではあった。
宗茂が忠義を尽くしたのは豊臣家の秀頼であって、三成ではないと思うんだが。
0909人間七七四年2014/04/21(月) 19:09:13.18ID:XovkTvUq
>>908
経緯的に石田とは仲が良い感じはするが
そういや宗茂の親友って誰なんだろう?
0910人間七七四年2014/04/21(月) 21:29:17.45ID:E5RjrI66
毛利秀包
0911人間七七四年2014/04/22(火) 13:07:34.25ID:UvqVFZZd
細川忠興
0912人間七七四年2014/04/22(火) 18:56:46.05ID:UvqVFZZd
そういえば今日は戸次様の誕生日
0913人間七七四年2014/04/24(木) 22:30:21.27ID:iV1rexAZ
>>909
本多平八郎忠勝じゃね。
0914人間七七四年2014/04/26(土) 14:39:34.63ID:U+vexOH+
>>908
十時摂津の子供達は結構優秀な人が多いんだよな。
長男・惟与:由布家を継いで(雪下の次男惟次の養子)忠茂時代の
立花家臣の筆頭格になった。
二男・成重:改易された時、肥後に残ってァ千代の最後を宗茂一行に
伝えた。その後は加藤家に仕えた。
三男・惟昌:稲富祐直に鉄砲勝負で勝ったことがある鉄砲の名手。家督を
継いでいた成重が加藤家に仕えたため、再興後の立花家で摂津の後を継いだ。
四男・正良:名前以外不明
0915人間七七四年2014/04/26(土) 16:21:05.36ID:r+nJiv3p
ァ千代のところに残ったのが由布惟信の三男かなんかと十時摂津の息子は次男だったか
小野鎮幸も肥後に残ってたしァ千代の死因が病死だとしたらやっぱり体が弱かったのかな
一部では気が狂って死んだとか言われてけど立花四天王と息子が世話してるこの状態でそれはそれは考えにくい
0916人間七七四年2014/05/07(水) 19:48:26.12ID:Y865511W
ァ千代が何の病で亡くなったのかは知らないけど、若い人が無くなる病気といえば、昔は圧倒的に結核かな。
結核の末期には、脊髄や脳を侵すケースもあるので、つらい最期だったこともありうるけど、
遠い江戸で暮らす宗茂の事を祈りながら、ァ千代らしく凛として旅立ったと思いたい。
0917人間七七四年2014/05/07(水) 20:20:02.67ID:RAya23Lo
十時連貞の次男が瘧が悪くなって死んだって書き残してるし宇田市右衛門の子孫も病だったって言ってるけど
江戸後期くらいからは結核が国民病みたいになってたみたいだが瘧が悪化して死んだ例ってあるっけ
瘧がマラリアの一種だとして最悪の場合は意識障害に腎不全か
戸次様の娘だから民間伝承は民間伝承でゴシップよろしく伝わったとして本物はせめて苦しまなかったと思いたい
0918人間七七四年2014/06/10(火) 02:48:19.56ID:LTQnokcn
宗茂は老衰だったか
0919人間七七四年2014/07/01(火) 00:59:42.31ID:R/1iSpXb
柳川高校で心霊騒動?!
0920人間七七四年2014/07/15(火) 09:42:14.11ID:PBoKOT19
高校野球福岡県予選で柳川の元藩校県立伝習館と柳川城跡地にかかる私立柳川高校が対戦するみたい。
0921人間七七四年2014/07/16(水) 17:58:09.55ID:vqsr7D5j
>>920
福岡藩の藩校修猷館VS柳川の間違いでしょ
0922人間七七四年2014/07/21(月) 00:59:26.45ID:RgqIsyrv
>>921
福岡藩藩校って思うと柳川の高校に勝てる気がしない不思議
0923人間七七四年2014/07/21(月) 09:55:59.67ID:iegKJmeY
7対1で柳川が勝ったんだっけ
0924人間七七四年2014/07/22(火) 20:16:03.70ID:dmswflBT
雑炊を知らなかったことと、干した米飯を雨で濡らした話以外に、浪人中のエピソードは無いのか
0925人間七七四年2014/07/23(水) 20:20:46.55ID:jFBZ0KsP
雑炊を知らなかったんじゃなくて、量が少なくても汁をかけずに飯だけ出せばいいって
意味で言ったぽいんだけどな
実際は大坂や京都では商人とかが支援してくれてたからそこまで貧窮してたとは思えんけど

他のエピソードだと
肥後にいた時に、柳川の庄屋が金品食料を運んできて助けてくれたりとか
上京してた頃に日置流弓術の免状をとって弓の吉田一派と親交を持ったりとかかな
09269242014/07/24(木) 11:08:19.86ID:S/qAexcu
ありがとう
0927人間七七四年2014/08/05(火) 19:29:32.87ID:lx8sNHoX
先日、NHKの「英雄の決断」という番組で関ヶ原の戦いが題材だった。
そのなかで小早川が裏切らなかった場合のシミュレートで宗茂が出てきた。
「九州一の武勇と名高い」と紹介されてて嬉しかった。
0928人間七七四年2014/08/06(水) 19:37:27.35ID:5mo1B8Ts
>>927
いやいやそこは西国一か西軍最強部隊、せめて西軍最強候補程度には言って欲しいところ

…なんだが、一般知名度からすりゃそれくらいで十分なのかも。
ならばせめて九州最強の立花宗茂と毛利最強の秀包の西軍の双璧とか言ってくれれば…
0929人間七七四年2014/08/07(木) 22:34:09.97ID:Nafj3ZWA
>>928
そんなに良く言ってくれたら嬉しいよねw

シュミレートの内容は、武将ごとに「武力」「忠誠」「兵力」などを数値化して、地形も加味して戦わせるというものだったんだ。
それで、宗茂があまり活躍していなかったから歴史家が不満だと言っていた。「立花宗茂は一回も負けたことがない…活躍を見てみたかった」と。

番組内容がほとんど三成と家康に着目していたことを考えると、これでもいい扱いだったよー。

ところで、秀包ってそんなに強かったんですか?無知ですまぬ。
0930人間七七四年2014/08/08(金) 01:15:09.32ID:vN/nBoCa
まぁ戦歴が宗茂とほぼいっしょだからな
0931人間七七四年2014/08/11(月) 22:53:18.75ID:MSIeyoiU
存在地味だが秀包って秀吉と官兵衛が重なる時期に割と出番あるし官兵衛にこっそり出ないかと期待したんだが…

宗茂も無理ぽ
0932人間七七四年2014/08/12(火) 03:39:23.21ID:7gj5ALNg
九州征伐はあの謀殺の件があるから、山崎・賤ヶ岳・小牧長久手・四国討伐のように
一瞬で終わるってことはないはず…
0933人間七七四年2014/08/13(水) 22:58:00.00ID:R+ulUaux
>>931
秀包は大返しのとき豊臣への人質に出されましたってちょっとだけ出てた気がする。
名前が初期の元総だったからわかりにくいけど
0934人間七七四年2014/08/14(木) 13:16:27.58ID:hY0MZTQK
>>933
その時に秀の字貰ったんじゃなかったっけ?
官兵衛が養子の案を出した事にしておけばちょっと官兵衛の手柄感増しますよね。
0935人間七七四年2014/08/18(月) 22:36:24.60ID:Kulp5U94
>>929
今更だけど「九州一の武勇と名高い」は島津の扱いや評価が高ければ価値が上がりますよね。
番組内での島津の評価が気になるところ。
0936人間七七四年2014/08/21(木) 01:15:04.92ID:CTQTckcd
>>935
三成、家康以外は殆ど画面上で名前が出てるのみですた。
歴史家が宗茂の関ヶ原活躍を見てみたかったと言っていたけど、全く同感。

ちなみにシミュレートで印象的だったのは…

忠勝、正則を倒した盛親(高所布陣で防御力1.5倍)。
あと、ほど同兵力なのに秀忠に一瞬で蹴散らされる秀秋に笑いました。
0937人間七七四年2014/08/21(木) 03:22:18.02ID:vY6VLGim
秀秋は政治力はアレだけど戦闘力は高いぞ
0938人間七七四年2014/08/22(金) 10:15:30.82ID:nB10xeU+
>>937
秀忠の本体は榊原康政・真田信幸・大久保忠佐らのベテラン武将が居るのを忘れてはいけない。
実際に、あれが徳川軍の精鋭部隊だから。上田城で真田昌幸・幸村親子に足止めされたのは
秀忠が初陣で老臣の言う事を聞かなかったから。特に上田合戦での榊原康政の活躍は真田親子で
すら一目置いた程。
0939人間七七四年2014/08/22(金) 11:06:16.98ID:nB10xeU+
折檻恐れず諫言 真の家来〜立花道雪(1516〜85)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20121107-OYT8T00467.html

島津軍の勢い止める〜高橋紹運
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20131120-OYT8T00829.html

浪人からカムバック〜立花宗茂(?〜1643)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20130717-OYT8T00371.html
0940人間七七四年2014/08/24(日) 16:56:04.17ID:fa8aSOgX
宗茂&秀包が関ヶ原に居たらifだけど
宗茂の逸話からみる現実主義と機を見る才能と三成に臣従してるわけではないって立場から考えて島津義弘が提案したって話の夜襲、本当に有効なら三成が却下してようが独断専行でやっちゃって何かしら戦果上げて帰ってきそうな気がする。
失敗かます可能性が無いとは言えないけどw
0941人間七七四年2014/08/24(日) 21:49:59.58ID:SDPF90PD
大河でスルーされて泣ける
0942人間七七四年2014/08/24(日) 21:55:06.51ID:6uraiaI2
全くもって同意
宗麟の「黒田殿のお陰で大友は助かった」的なセリフに
「えっ!紹運・宗茂は・・・?」と思ったわ
0943人間七七四年2014/08/26(火) 02:20:52.29ID:NG5gKFPy
あの尺で上手く絡ませる技量は期待してなかったからあんなもんでしょうね。
特に紹運は岩屋城をそれなりに描く気がなければ単に島津に倒された大友の一武将になりかねないから寧ろ出なくて良かったかも。
ただ官兵衛を知将に描きたければ鍋島直茂出して官兵衛と繋がってる風にすればいいのにと想いましたわ。吉川説得は軍師の説得ってより熱血主人公の説得シーンだったし。

てかあの大河だと島津の肥後筑後筑前侵攻ルートが全く無かったみたい。
0944人間七七四年2014/08/29(金) 23:54:12.86ID:Xq3CBMO9
それどころか、あの官兵衛と宗麟の
「わしらは同じキリシタン同志」とでも言いたげなアイコンタクトになんだかもう・・・・
0945人間七七四年2014/09/08(月) 21:08:57.49ID:EKhIgXKn
宗麟はもっと早く出して秀吉に救援請う際に高橋立花を推薦する下りだけでもさらっと描いて欲しかった。
0946人間七七四年2014/09/09(火) 10:37:24.27ID:/7iJACt6
この様子じゃ関ヶ原の時の柳川城攻防戦もスルーかな
0947人間七七四年2014/09/24(水) 03:04:43.33ID:rVXN2ReG
なんだかんだで大河に触発されて信長の野望やってみたんだが幾つか確認した信長の野望で宗茂の逸話にある弓術技能が全く反映されてない。

KOEIは無双のキャラにまでしといて宗茂の弓の逸話知らんのかなあ?

その割には昔から紹運が義理100だったり道雪がチートじみたりしてたり知名度低かったギン千代ピックアップるから興味が無いとは思えないけど。
0948人間七七四年2014/09/24(水) 08:14:17.22ID:i8GYfN9N
弓がうまい逸話があるからって弓術技能を上げてたら切りがないからな。
大名家ごとに得意兵科もあるから
一人だけ弓が得意でも逆に活躍出来なくなるし。
0949人間七七四年2014/09/25(木) 11:56:03.46ID:dfS5v6zC
KOEIの歴史シミュレーションって多少のゲーム性は犠牲にしてキャラ立ちさせてるみたいだから遊び要素としても宗茂に弓の特性持たせてもいいと思うんだよね。
世戸口さんみたいな弓の名手もいるんだし弓適性がS〜EまであるならBぐらいはあって良さそう。
0950人間七七四年2014/09/27(土) 16:48:48.28ID:UDoNh0DJ
>>948
免許皆伝を貰って(取って)いない武将はいないだろうな。
0951人間七七四年2014/09/27(土) 17:44:20.88ID:GGVQ58O8
武将の数と免許を皆伝えられる程の武将と言うのを考えればそれはない
第一武将の誰もが得られるものならわざわざ免許皆伝とか書き残さない
0952人間七七四年2014/09/30(火) 13:47:20.55ID:Mm6fXe1W
>>951
だよね。
免許皆伝+逸話有り+一軍を率いたそれなりの武将となるとかなり少なくね?
ぱっと浮かぶのは六角親子、内藤親子、小笠原ぐらいかな。
火間虫の検索で調べやすかったんで革新で見たら道雪紹運が弓Bだったのに宗茂弓Cですよ。
更に唐入り小早川セットにすると隆景S秀包Aで宗茂が二段階離されてて日置流免許皆伝なにそれ状態。
0953人間七七四年2014/10/04(土) 10:22:43.06ID:g9GuOseW
>>952
小早川の弓が高いのは毛利家の技能が弓主体だからだよ。

稲富や小笠原みたいにそれが最大の特徴というなら能力に反映されるだろうけど、
宗茂は別に弓だけが取り柄というわけでもないんだしそこまでこだわらなくても。
0954人間七七四年2014/10/04(土) 10:41:13.93ID:cwm7rIMz
小早川に限らず武家の武芸は弓術が第一ですから
0955人間七七四年2014/10/04(土) 13:03:05.66ID:RRV0jiKK
浪人時代の宗茂に日置流の免許を与えたのが吉田茂武で、
宗茂の遺品の金溜地塗籠弓っていう弓に、その弟の吉田大蔵の銘が入ってたり、
吉田一派とは交流が深かったみたいだね
0956人間七七四年2014/10/05(日) 11:49:22.00ID:9GYzegQX
免許皆伝を車の免許みたいに、普通に取れるものだと思ってる人がいるな
流派のレベルにもよるけど、免許皆伝というだけで武家社会ではひと目おかれる
存在なんだがね。
0957人間七七四年2014/10/07(火) 23:33:08.42ID:CURweg/2
>>954
黒田長政「鉄砲だろう、常識的に考えて」
0958人間七七四年2014/10/16(木) 18:09:47.65ID:2xdYp3se
太閤立身伝5ではよく弓にお世話になった
0959人間七七四年2014/11/03(月) 18:56:39.34ID:r/XAudaK
宗茂というか立花は騎馬Sなんていらんから鉄砲適正Sにしろよとは前から思ってる
0960人間七七四年2014/11/03(月) 18:58:35.68ID:RQhl3yMv
確かに騎馬はAで充分だよな。
弓鉄砲Sなら騎馬Bでもいいし。
0961人間七七四年2014/12/08(月) 20:26:59.63ID:Sxmqr+K3
>>34
うまい具合に筋を通してるな。
先に豊臣からオファーが来たら・・・・・と心配したが、その考えだと断ってるんだろうな。
0962人間七七四年2014/12/09(火) 18:33:32.36ID:c3ovUZBP
>>961
無論俺みたいな凡俗とは考え違うだろうとは思うけど
宗茂の立花なら、まだ勝機の残る関ヶ原直後に大阪城籠城やんなかったのにやっと徳川の世に決まりかけて戦乱収まってきたって頃合いで今更
「大阪城籠城します豊臣恩顧の皆さんご協力お願いします」みたいな事を言われても「ば〜〜〜〜っかじゃねえの!?」と言いたくなってもおかしくないよね。


そういや元々、宗茂が関ヶ原で西軍につく事が秀吉の恩に報い義を果たす事になるって決めた要因はなんなんですかね。
豊臣対徳川でなく豊臣家中の内部抗争だったとか言われるけど、それにしちゃあ内外から利なら徳川で西軍じゃ分が悪いって言われてるのに 西軍に決めた要因がわかんない。
連れてった兵数や大阪城で徹底抗戦を進言したあたりからすると、この戦で恩に報いなければ先は無いと想定して勝負に出てるように見受けれるんですが…。
0963人間七七四年2014/12/11(木) 17:46:23.89ID:ll+0vQ+0
>>962
石田三成が必死に豊臣家にお力添え下さいと書状を送ってるし、義兄弟の小早川秀包の主人の毛利輝元が西軍の総大将になったからだよ。
0964人間七七四年2014/12/27(土) 08:16:45.09ID:rVQa5wGK
NHK Eテレ 27日(土)午後11時00分〜午前0時00分
先人たちの底力 知恵泉 年末SP「負けたのによく生き残った!戦国武将特集」

なんか宗茂もでるっぽい
0965人間七七四年2014/12/28(日) 00:27:23.37ID:GRdiPc1P
Eテレ、先に紹介された氏真と氏治と違って
宗茂は結構まともに紹介されてたな
0966人間七七四年2014/12/29(月) 16:30:43.61ID:ujvNUdVp
浪人中に貧乏のどん底で、スキルを磨いたっていうけど、
武芸はともかく、茶の湯や和歌や漢詩などの教養を磨くのに
おカネはいらなかったんだろうか。
0967人間七七四年2014/12/29(月) 17:00:40.04ID:dS3Jjm8u
浪人中は寺に世話になってたりしたから
お茶や漢詩はさほど困らなかったんじゃね?
0968人間七七四年2014/12/29(月) 22:05:45.77ID:PeUN1OOi
大宰府や博多付近の育ちだから、元々教養面の教育も受けてたらしいけどね
0969人間七七四年2014/12/31(水) 08:23:36.60ID:nq5HwuLz
つーかさー、なんで関ヶ原で東軍につくの拒否っておきながら
大坂の陣で豊臣攻めてんの?
0970人間七七四年2014/12/31(水) 09:36:27.26ID:TT82f9/a
秀吉への義理は関ヶ原で果たしたから
0971人間七七四年2014/12/31(水) 10:11:25.17ID:h0Yp5NTl
いや豊臣家をなんで敵にするのかってことよ、恩を仇で返してんじゃないの
0972人間七七四年2014/12/31(水) 10:46:29.13ID:NYxaYBM/
新恩がたまたま豊臣を攻めたから従っただけ
0973人間七七四年2014/12/31(水) 10:53:05.11ID:TT82f9/a
だから恩で関ヶ原じゃ家臣の反対押し切って豊臣に付いたが
関ヶ原の敗戦で改易に合った事で宗茂は恩も義理も返した
浪人後秀忠から御伽衆に取り立てられ、棚倉で大名に復帰と
徳川に恩義を受けたから徳川方として大坂の陣に参戦するは当然かと

つか、大坂の陣は秀吉の妻高台院の兄弟筋の木下家始め
豊臣恩顧の大名も徳川方に付いてんだぜ、なんで宗茂だけ責められる?
0974人間七七四年2014/12/31(水) 14:41:22.82ID:X3LiROlF
なんかの本で宗茂は良くも悪くも竹のようにすっぱりした人物って書かれてたな
関ヶ原のときは豊臣家の傘下大名だから「内府ちかいの条々」とかで
西軍側が豊臣家の意向に沿っていると判断して組したけど、
豊臣は、関ヶ原で負けた後、大坂での決戦も行わずに家康を認めて、
西軍側の大名を切捨てて立花家も改易されたから、
豊臣との恩顧関係はそれで終わった。
その後浪人して、徳川家に直接仕官する形で大名に復帰したから、
大坂攻めのときは徳川に従うのが筋となった
0975人間七七四年2015/01/01(木) 13:47:21.36ID:Gleox40f
徳川から領地もらって豊臣付いたらそれこそ恩仇じゃないですか・・・
0976人間七七四年2015/01/02(金) 02:46:40.74ID:a7EGWgfi
先に書かれてるけど、関ヶ原後の改易ってのは豊臣家による処遇だからね
大老家康が秀頼に代わってやったまでのこと。そこで主従関係は途切れてる
0977人間七七四年2015/01/02(金) 13:26:03.26ID:qpzKuhtE
関ケ原では、毛利への義理もあったんだろうけどね。
結局、大津城を落とした頑張りも無駄になり、大阪城決戦で巻き返しをという提案も無視されて
もう誰が大坂方に付くもんかと自分だったらあの時点で見限る。
黒田如水なんかが跋扈する九州を留守にしてまで参戦したのにさ。
0978人間七七四年2015/01/02(金) 13:58:45.31ID:yBisKRHm
関ケ原は秀包、義弘、小西、筑紫など朝鮮以降ずっと行動をともにしてた面子が
ほとんど西軍に参加したから宗茂が西軍に参加するのもごくごく自然なこと
そんななか逆に仲良し軍団(派閥)の事なんかシラネと東軍に参加した寺沢広高が
宗茂の周辺では特異な例
0979人間七七四年2015/01/18(日) 03:40:15.10ID:QtcG4KTB
宗茂って、前田利長と仲悪かったの?
そういう話をなにかで読んだ記憶があるんだが、何で読んだのか思い出せない…。
他に宗茂と仲が悪かった大名って、誰がいるかな?
宇喜多秀家?
田中吉政?
0980人間七七四年2015/01/18(日) 04:55:44.93ID:YHyOjKwg
田中吉政には関ヶ原で石田とっ捕まえて手柄立てて
その後柳川に入ったから良い印象は持ってないだろうけど
関ヶ原以後は立場の違いから直接会う機会なんて殆どないんだから仲が良い悪い以前の話かと
0981人間七七四年2015/01/18(日) 05:15:32.43ID:YHyOjKwg
調べて見たら田中吉政は1609年に病没
その頃の宗茂は陸奥・棚倉藩2万5千石、外様、江戸城詰の間は柳間
対する吉政は柳川32万石、外様、筑後国国主、江戸城詰の間は大広間と
格式の差や大名同士の交際を制限した家康の意向から会っても挨拶程度しか出来なかっただろうね
0982人間七七四年2015/01/18(日) 11:09:21.44ID:Gh8oKzX4
>>979
前田とは、関ヶ原以前は反目の話はないな。
そもそも毛利閥の小早川派だから前田と対立する機会がなかったはず。
宇喜多とは足軽同士の喧嘩以来の犬猿の仲、宇喜多の豪姫つながりで仲が悪いとは
当時の正妻の役割から考えられない。
田中とは柳川の件で嫌いだった可能性が高いが関ヶ原以前は面識がなかったんじゃないかな・。

ちなみに小早川秀秋こと金吾ちゃんとは、隆景から育成を頼まれてたので仲は悪くなかったはず。
まあ、その育成効果は、朝鮮での先頭突撃や関ヶ原での戦機を見るなどに生かされたんだが。
0983人間七七四年2015/01/18(日) 16:04:51.30ID:QtcG4KTB
浪人中に前田家から仕官の話が来て断ったのを、なにかで読んで勘違いしてたのかな…。
親交のある大名としては、伊達政宗・細川忠興・島津家久みたいなアクが強いのが多いのはなんでだろ?
まぁ、たまたまコイツらが目立ってるだけかも知れんが。
0984人間七七四年2015/01/18(日) 18:33:12.81ID:kcS5VVUr
>>983
DQNたちのお友達って言うのが謎だよなw
宗茂自体は普通の人だし、他にも仲良い大名はいただろうけどねw
0985人間七七四年2015/01/18(日) 18:58:34.17ID:tp8n2yC+
>>982
宗茂と同僚かつ親友の丹羽長重が前田家と超犬猿って所から来てんじゃね

>>983
宗茂は長重とともに秀忠側近として色んな大名への御成りとか付いてってるから顔はめっちゃ広い。
その中でアクが強いのチョイスしてるだけに見えるが。まぁ島津とは元から仲が良いけど
0986人間七七四年2015/01/18(日) 20:00:33.60ID:QtcG4KTB
つまり現代で例えるなら、優等生で運動も出来るヤツで、ヤンキーとも笑いながら話せるくらい仲がいいけど、曲がった事がキライだから悪事には荷担しない。
…チート以外の何者でもないな。
0987人間七七四年2015/01/19(月) 02:04:22.32ID:wtd8CZXL
伊達政宗とか細川忠興はやたら手紙が残ってるからなw
しかもエピソードが濃いw
ヤバイやつでも誰とでもうまくやれる人だったのかね
そう言うのも戦国に限らず生き残る上で大切な事だよな
0988人間七七四年2015/01/19(月) 02:14:53.06ID:PwhdiqGH
主君大名家臣領民と良好な関係を築く能力があるのに、なぜ千代とは不仲なんだ。
0989人間七七四年2015/01/19(月) 02:29:31.71ID:J4kcJV0U
切れると義兄弟にも鉄砲射掛けるキチガイだから

冗談は置いといて秀忠側近の宗茂と仲悪くなりたい大名はいない
0990人間七七四年2015/01/19(月) 02:38:45.34ID:jmoyw4ff
>>988
それはギンチヨの性格が彼らを追い越すほどのキチガイ性格だったからじゃねw
ただでなくても当時は男>>>>>女な風潮だっただろうし
勝ち気でわがままな女は妻であっても女じゃない扱いだろう
0991人間七七四年2015/01/19(月) 03:41:13.78ID:CINzc+XW
宗茂は秀秋に対してもボロクソに言ってた様な
小早川家の名前を汚したクソガキとかなんとか
0992人間七七四年2015/01/19(月) 03:53:40.65ID:RuB7UonT
次スレ

【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ5【道雪】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1421606914/
0993人間七七四年2015/01/19(月) 07:02:01.96ID:PwhdiqGH
千代はやっぱり、道雪から家督を相続したのは自分だという意識が強かったのか?
そうだとすると、夫婦の力関係って難しくなるよな。
0994人間七七四年2015/01/19(月) 13:07:48.76ID:k1PmVmes
>>993
高橋紹運は宗茂を婿に出すとき、親子の縁を切る覚悟で
もし立花家と高橋家が争ったら立花家の人間としてわしを殺せと教え込んだんだろ
それに引き換え道雪は、ギンチヨに旦那と仲良く暮らすことすら教えなかったのか…
0995人間七七四年2015/01/19(月) 17:33:07.11ID:PwhdiqGH
道雪は宗茂と千代の不仲をどう思ってたんだろうな。
説教したり諭したりしなかったんだろうか。
家付きの娘と婿養子が不仲では、家中も派閥を作って対立しそうな気がする。
0996人間七七四年2015/01/20(火) 06:48:32.42ID:4ns6EMka
資料も無いのに憶測で不仲かどうかとか
0997人間七七四年2015/01/20(火) 07:09:53.80ID:tVikS2FO
>>995
道雪「うちのかわいいァ千代とわしが目をつけた宗茂がうまくいかないわけがない」
子育てに関しては親バカだよな
0998人間七七四年2015/01/20(火) 23:14:31.03ID:u8I0bw9P
うめage
八千と菊子はいつまでも空気だな
0999人間七七四年2015/01/21(水) 13:46:34.78ID:3sTD2e/K
1000人間七七四年2015/01/21(水) 13:48:12.32ID:3sTD2e/K
うめ
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