【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ4【道雪】
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0001人間七七四年
2011/01/13(木) 14:59:43ID:2GjDb3lA忠義剛勇鎮西一、西国無双など様々な異名を持つ
戦国のサラブレット・立花宗茂を語りましょう。
立花家、高橋家、妻の立花ァ千代や九州一帯の諸説など、関係ある話題もおkです。
まとめみたいなテンプレは>>2-10に。
■過去スレ
【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・ァ千代】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152224537/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ2【道雪】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216803439/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ3【道雪】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252600855/
■関連リンク
立花宗茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
ttp://www.muneshige.com/index.html
■関連スレ
立花宗茂を大河ドラマの主役にするスレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1236610519/
大友氏について語ろう2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268011621/
0002まとめ
2011/01/13(木) 15:00:28ID:2GjDb3lA石坂の戦い ○ 立花高橋軍5千 対 秋月種実5千(統虎、堀江備前を倒す)
岩戸の戦い ○ 立花道雪 千5百 対 秋月種実3千(威嚇を混ぜた奇襲で撃破)
立花城防衛戦 ○ 立花軍 5百 対 秋月種実8千(薦野増時らに夜襲させ撃破)
立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百 対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
高鳥居城攻略 ○ 立花毛利軍千7百 対 星野吉実3百(銃撃をうけるが下がらずに指揮)
平山城救援 ○ 立花高橋軍千2百 対 有動兼元3千(有動下総守を自ら討ち取る)
田中城攻略 ○ 小早川立花軍1万 対 和仁3兄弟千(和仁軍は2月持ちこたえた)
小田原城攻略 ○ 豊臣秀吉 対 北条氏直 (東の本多、西の立花)
漢城付近砦攻略○ 立花軍 3千 対 朝鮮軍6千(草刈で誘い出し伏兵で撃破)
碧蹄館の戦い ○ 日本軍 4万 対 李如松率いる明軍+朝鮮軍4万?
(前哨戦で自軍のみで明の先陣を破り、本戦では先陣を譲って機を見て参戦)
晋州城攻略 ○ 日本軍 12万 対 キムチョンイル 7千、増援4万
(救援に来た4万の軍の先陣7千、2陣1万7千を毛利秀包と共に4千で撃破し援軍を退けた)
般丹の戦い ○ 立花軍 8百 対 高策 2万2千(夜襲+火計を用いて撃破)
蔚山城救援 ○ 立花軍 千 対 明軍
(奇襲で5千を撃破した後捕虜を解放してわざと敵に夜襲させ伏兵で1万を撃破)
露梁海戦 ○ 島津立花 対 李舜臣(小西軍の救出に成功、舜臣死亡)
大津城攻略 ○ 毛利立花1万5千 対 京極高次2千(塹壕を築き早合による銃撃)
柳川開城 × 立花軍 4千 対 鍋島・黒田・加藤
(家康との停戦交渉中に鍋島軍襲撃、小野和泉に八の院で迎撃させる。清正の調停で開城)
大阪の役 ○ 徳川家康 対 豊臣秀頼(大野治房軍の秀忠本陣突入を予見)
島原の乱 ○ 松平信綱12万 対 天草四郎3万7千(兵糧攻めを支持、夜襲を察知)
>立花城防衛戦2 ○ 立花軍 千5百 対 島津忠長5万(粘り勝ち撤退する敵に追撃)
0003まとめ
2011/01/13(木) 15:01:27ID:2GjDb3lA985 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/11(火) 21:37:21 ID:9TcROC8b
>>981
千熊丸(ちくままる)→高橋統虎(むねとら)→立花統虎(むねとら)
→鎮虎(しげとら)→宗虎(むねとら)→宗乕(むねとら)→正成(まさなり)
→親成(ちかなり)→政高(まさたか)→尚正(なおまさ)→俊正(としまさ)
→宗茂(むねしげ)→立斎宗茂(りっさいそうも)
多少間違ってるかもしれんけど
手持ちの資料ではここまでが限界だったわ
ちなみに弟の忠茂も5,6回は変えてるっぽいw
0004まとめ
2011/01/13(木) 15:02:36ID:2GjDb3lAttp://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/index.htm
ttp://www.geocities.jp/haibiebel/hurai-dna2.html
0005人間七七四年
2011/01/13(木) 15:22:47ID:ev2mTx51特に幸村の軍勢との正面からのガチンコ対決はマジで見たかった。
0006人間七七四年
2011/01/13(木) 18:27:08ID:B50SG6FM0007人間七七四年
2011/01/13(木) 19:09:11ID:7Tmtywgz0008人間七七四年
2011/01/13(木) 21:54:04ID:8zW3wFcf0009人間七七四年
2011/01/13(木) 22:00:01ID:B50SG6FM0010人間七七四年
2011/01/13(木) 22:30:02ID:G2cM8bHU例えて言えば、人造人間キカイダーが完全な良心回路を欲するように天下人は、
彼を欲していた。
秀吉は、立花宗茂を単なる戦闘マシンとしか見なかったのに対して、家康、秀忠、家光
は、彼の人柄を愛した。家康にいたっては、秀忠に対して「15万石以上与えると親しく
側に置けなくなるから、加増はほどほどにしろ」と注意するほどだった。
戦闘力なんて、関係ねー!
0011人間七七四年
2011/01/13(木) 22:31:45ID:6BdgTE0z(将軍やるのも労れたよ・・明日止めよ、そうしよう)
(がんばろ、なんやかんやでがんばろっ)
0012人間七七四年
2011/01/13(木) 22:32:10ID:B50SG6FM0013人間七七四年
2011/01/13(木) 22:36:57ID:G2cM8bHU冬の陣で、西軍最強(夏の陣で家康本陣をぶっ潰したのに、幸村に功績を奪われた)の毛利勝永と
戦ってる。最も最強クラスの戦闘は、柔道やボクシングと同じで膠着状態で推移したみたいで、これと
いったエピソードがないな。
0014人間七七四年
2011/01/14(金) 16:24:36ID:qdX3+3XA融通が利かず義に熱く戦場で無類の強さを発揮する辺りが・・・
もし時代を遡って群雄割拠時代の大名なら謙信と盟友になってただろうな
0015人間七七四年
2011/01/14(金) 22:05:00ID:N7kWIFyY寡兵で戦う方ほうが効率よく運用できるから良いとするあたりとか
0016人間七七四年
2011/01/14(金) 22:23:52ID:MMh55Ii+0017人間七七四年
2011/01/14(金) 22:45:30ID:kbqkIIrn謙信は5000の兵で20000の軍を倒せる超人!
宗茂は、3000の兵を10000の兵に匹敵させるの精一杯の凡人!
比較するのは問題外!
0018人間七七四年
2011/01/14(金) 23:45:00ID:aS41nLdq0019人間七七四年
2011/01/15(土) 00:40:23ID:OGkU3j4Lしかも当人は怪我1つしてない。
0020人間七七四年
2011/01/15(土) 01:02:32ID:YE8OmAJD0021人間七七四年
2011/01/15(土) 05:22:06ID:Nb2cROky利害を超えた恐るべき信頼関係というか
0022人間七七四年
2011/01/15(土) 08:30:54ID:UL/AyKsl実話なのかね?講談でよくありそうな話だが…
0023人間七七四年
2011/01/15(土) 09:29:17ID:kK6hd5p0唯一の実例とは言えない。
鮭様の家老とその家来の実例がある(これも史実)
家康とややこしい部下である三河武士団も、それに近いな。
0024人間七七四年
2011/01/15(土) 16:22:09ID:fe2A0SQX宗茂クラスの武将が浪人していて恩を売らないとかありえない。
0025人間七七四年
2011/01/15(土) 18:37:58ID:pxuSrmb8加藤黒田が責任を感じて援助してたとか。彼らの口ぞえもあって復帰できたけど。
0026人間七七四年
2011/01/15(土) 20:40:16ID:cOHNNAx2断ったみたいだね。
この時は本当に加藤家に迷惑かけちゃまずいと思って断ったらしいが
加賀の前田家から声がかかった時は、流石に前田の八方美人ぶりに呆れて断ったそうだ
0027人間七七四年
2011/01/15(土) 21:33:35ID:KeM0spda万一来たら100%衝突すると思うんだけどw
0028人間七七四年
2011/01/15(土) 21:52:36ID:SUg4lDRJフリーダムで名高い本多正重がおとなしく家老やってるぐらいだから、
宗茂のような真面目な人間なら普通に前田の家来務まるだろ。
0030人間七七四年
2011/01/16(日) 11:05:43ID:wfFe+iAO0032人間七七四年
2011/01/16(日) 16:31:26ID:wfFe+iAO揚げ足取ってんのかとおもった
0033人間七七四年
2011/01/16(日) 17:10:02ID:D8EeBmGWあくまで城督だからその領地を好き勝手出来ないんだよねぇ
0034人間七七四年
2011/01/16(日) 17:48:07ID:NaOe7eNT登用の誘いがたくさんあったらしいけど、どれもこれも断ってるんだよな
どうやら宗茂としては秀吉に恩があるくせに東軍についた奴等が
感情的に信用できなくて軽蔑してたみたいだよ。
それでずっと断ってらしい。
でも一応西軍について家を潰した時点で秀吉への恩は返したつもりでいたらしい
時の最高権力者の将軍秀忠から声がかかった時は、秀忠に対しては断る理由が無く
これを断れば他の大名に仕官なんて出来ないので仕官に応じたらしい。
で、棚倉から柳川へ復帰するわけだけど周囲から何で秀忠の誘いに応じたかと
聞かれるといつも家を潰してまで西軍についた時点で秀吉への豊臣への恩は
返したからと言ってたらしい。
で、自分は一度その主君に仕えたら絶対に忠義のごとく働くと言い切っている
0035人間七七四年
2011/01/17(月) 03:57:54ID:WCMJFRd50036人間七七四年
2011/01/17(月) 14:15:13ID:rG/KWuaG0037人間七七四年
2011/01/17(月) 19:56:01ID:rlRgTS3d0038人間七七四年
2011/01/17(月) 19:57:26ID:8tQpux4F0039人間七七四年
2011/01/17(月) 21:06:34ID:6IY3b1IU0040人間七七四年
2011/01/21(金) 03:04:50ID:gvZP2rSS忠茂は弟じゃなくて二代藩主だった
もし次スレ以降も残すんだったら、最後の一文消しといて
は、恥ずかしいから……
0041人間七七四年
2011/01/21(金) 16:26:42ID:HICLIW9z0042人間七七四年
2011/01/21(金) 17:54:55ID:VOuW1Y84北九州の抑えは紹運に任せておけばいいだろう
あの戦いがターニングポイントになることぐらい
道雪なら分かっていただろう
0043人間七七四年
2011/01/21(金) 18:13:07ID:VYHbubOSお前は会社の仕事が大仕事だからと言って
社長の許可も取らず一部長が自分の部署離れて
他の部署に手伝いに行くとか出来るんか?
0046人間七七四年
2011/01/21(金) 21:43:15ID:RQK8ooGN0048人間七七四年
2011/01/21(金) 22:11:26ID:XAbrxl/Fたまたま空いたからね
0049人間七七四年
2011/01/21(金) 22:47:15ID:QRYWEF9S実態としては、雑税の小物成を石高に加えないよって免除されてる。
その上、部下を抱えすぎて蔵入地が7000石しかなくて、これじゃ、いかんということで
検知やり直したところ、7000石の蔵入地が66000石と9倍以上に増えたという
のには驚いたよw
秀忠は、家康の遺言通り、宗茂に15万石以上の大名にはしなかったが、実質は
17万石以上の領地を与えていたわけだ。
0050人間七七四年
2011/01/22(土) 03:28:12ID:in1GdwYp真田家の縁者が柳河に来て、立花家の旧臣と共同して、田中家を
改易に追い込んだって伝説もあるみたいだけどね。
0052人間七七四年
2011/01/24(月) 21:53:01ID:SsySyJVP0053人間七七四年
2011/02/22(火) 02:44:44.44ID:6p9kHF7Z_。 。 。 。 。 。 _
/・゚・。・ ゚・。・゚。 。・゚・/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
0054人間七七四年
2011/02/27(日) 14:17:33.99ID:8RlHM9Ckむねしげってどこ生まれ?岩屋城?豊後?
0055人間七七四年
2011/02/27(日) 16:51:04.04ID:KuJTPEIj0056人間七七四年
2011/02/28(月) 16:31:36.61ID:OoGLlw83戦国時代(メイツ出版)
筑前国岩屋城に生まれるって書いてありますね。
0057人間七七四年
2011/02/28(月) 23:07:58.55ID:VmZ8O00o0058人間七七四年
2011/03/01(火) 11:38:50.77ID:gxDBl7ig0059人間七七四年
2011/03/01(火) 12:10:51.46ID:Wt9vGvz80060人間七七四年
2011/03/01(火) 13:14:21.28ID:Ym6P5d/7媒体によってしげまさ、しげのり、しげただとかいろいろ見るけど
0061人間七七四年
2011/03/01(火) 13:36:58.55ID:gxDBl7ig0062人間七七四年
2011/03/01(火) 15:10:23.13ID:QRvEleU+0063人間七七四年
2011/03/01(火) 15:45:48.33ID:VK7o1ajLそんな本は捨てちまえ
0064人間七七四年
2011/03/01(火) 18:00:27.97ID:VzdDi+1w宝満山城と岩屋城の城督になった年と
千熊丸が生まれた年を突き合わせればすぐ分かるのにな
0065人間七七四年
2011/03/01(火) 23:54:16.12ID:/9SzycS00066人間七七四年
2011/03/02(水) 18:12:37.33ID:XEnECHq13歳のとき父紹運に連れられ太宰府の宝満城に移り15歳の春元服して名も統虎と改める。
これにて宗茂の生誕問題は終了
0067人間七七四年
2011/03/02(水) 18:53:28.59ID:gZL9UvD7ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1288678138/193
0068人間七七四年
2011/03/02(水) 20:47:59.95ID:4MiCkc65面倒くさくなってやめた
0069人間七七四年
2011/03/03(木) 08:53:35.40ID:7MZlKgUK生まれた」って言ってるようなもんだよな。
よくそんな想像で本出せるもんだ……
0070人間七七四年
2011/03/13(日) 00:20:53.73ID:n5N+4k3/ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1288678138/468-
0071人間七七四年
2011/03/18(金) 18:16:55.16ID:HmvN9dXo0072人間七七四年
2011/03/18(金) 18:57:55.31ID:7PRAu00bあの若さでよくもまぁ自分より年長ばかりの武将達を抑えられたと思う
しかも籠城終わって城内ほっとしているところで追撃戦とか
0073人間七七四年
2011/03/19(土) 11:37:41.78ID:REZjRg9sそりゃ秀吉が「その武勇鎮西一 その忠義も鎮西一」と讃える事だけのことはある
0074人間七七四年
2011/03/19(土) 13:37:45.80ID:drO9vrM10075人間七七四年
2011/03/19(土) 20:39:02.00ID:Zoc+oeOj実際は島津の大軍相手に篭城戦なんてしてないでしょ?
ギリギリで回避されたはず
0076人間七七四年
2011/03/20(日) 00:24:10.26ID:+OQWvuTB0077人間七七四年
2011/03/20(日) 08:40:57.40ID:Air+hgQu・島津側の降伏勧告を宗茂が一蹴。
・降伏勧告を助長させる為に城下焼き払おうとするも、地の利を生かした立花勢に迎撃され失敗。
・島津軍本格的な城攻めを決断。開始直前に立花側の内田某の偽降伏による時間稼ぎにあう。
・豊臣軍九州上陸。島津軍撤退、立花軍追撃開始。
立花城篭城戦はこんな流れだと思ってたんだが。
0078人間七七四年
2011/03/20(日) 14:16:58.77ID:quzmmsiW0079人間七七四年
2011/03/20(日) 16:33:59.22ID:b/Fq4EAZ要するに激しい攻防戦なんて無かったってことじゃん
>>72-73みたいなことは志賀親次に言ってやれ
0080人間七七四年
2011/03/20(日) 16:39:32.57ID:WjzPChsF激しい攻防戦が無かったら
籠城戦とは言えないとか言い出すんじゃないだろうな
籠城戦の殆どが我慢比べみたいなもんで地味だよ
0081人間七七四年
2011/03/20(日) 17:06:27.36ID:b/Fq4EAZそれにしたって大した期間じゃないから我慢比べなんて呼べる程の代物じゃないだろ
三木城や鳥取城ならともかく
0082人間七七四年
2011/03/20(日) 17:20:06.04ID:WjzPChsFじゃあ、お前一人に多人数の人が囲んで来たらどう感じる
例え短時間でも悪意のある者に囲まれたらかなりのプレッシャーだぞ
籠城戦は隙あらば襲い命奪おうって奴らに囲まれるんだぜ
その精神的圧迫感に期間の長短なんて関係ないと思うけどな
0083人間七七四年
2011/03/20(日) 19:28:24.14ID:bMQNaN23宗茂がどうかは知らんが
当時は城で出産なんて当たり前でしょうに
産婦人科なんてない時代と現代を比べるなんて、まさかあんた…。
0084人間七七四年
2011/03/20(日) 19:37:11.23ID:0NqWILNj城で出産が当たり前と思ってる時点であれだな
戦時の砦でである砦城と日常の生活の場である里城や館と混同してるな
0085人間七七四年
2011/03/20(日) 20:23:46.00ID:WjzPChsF城で出産なんて非常時以外避けたんじゃね?
麓の館で産屋作ってそこで出産だと思うけどなぁ
0086人間七七四年
2011/03/20(日) 20:45:37.98ID:b/Fq4EAZ俺は戦国武将じゃねーしw
現代人と比較してどうするww
するなら同時代人だろ
籠城期間が長ければ長いほどプレッシャーは増すし物量的な問題も出てくる
そこからが勝負だよ
0088人間七七四年
2011/03/20(日) 23:05:00.25ID:/Aeg7kw6裏切りがでれば自壊するわけだから、誰もが疑心暗鬼になったりしてさ。
当然敵も調略かけてきたり、調略を断ったにもかかわらず
敵と話をした・・・ってだけで、疑いの対象になってしまったり。
そう考えると、生やさしい籠城戦ってないんじゃないかなと。
0089人間七七四年
2011/03/20(日) 23:35:15.75ID:b/Fq4EAZ決定的なのは期間の短さね
あれを宗茂のベストバウトだなんて事実誤認もいいとこ
小説鵜呑みにしちゃいかん
0090人間七七四年
2011/03/21(月) 00:25:38.88ID:NLu/+fyj籠城戦が理解出来なくて期間のみで甲乙計ろうとするのよ
0091人間七七四年
2011/03/21(月) 01:29:00.22ID:9HIfOVLh恥ずかしい奴だな
籠城戦を比較する基準に期間を度外視するなんて意味不明
しかもそれを生涯一の戦いと言い切る不可解さときたらもう……
0092人間七七四年
2011/03/21(月) 02:50:18.39ID:olgzdlGm事実上籠城状態にあったと思うんだが・・・
0093人間七七四年
2011/03/21(月) 05:18:03.41ID:orQaUe8O全国区になったきっかけじゃないか?
0095人間七七四年
2011/03/21(月) 13:06:41.81ID:olgzdlGm同時期に囲まれたとは書いてないのだが?
唐突な奇襲でない限り籠城戦は敵が接近して城に篭もるものではない
得られた情報から敵の勢力、動向を精査し、敵が接近する前に行うもの
立花側が籠城を決めた後島津に対し軍事行動取った記録は見当たらないし
岩屋城に決死隊送り込むぐらいだったから事実上の籠城状態にあったと見れる
城に篭もるにも収穫前なら青田刈りとか民衆の誘導とか色々準備があるらね
0096人間七七四年
2011/03/21(月) 16:28:54.56ID:9HIfOVLhまた勝手な思い込みか
0097人間七七四年
2011/03/21(月) 20:09:55.16ID:qvM1tjCs0098人間七七四年
2011/03/21(月) 20:44:03.21ID:i9bwrfsY0099人間七七四年
2011/03/21(月) 21:00:20.93ID:NLu/+fyj自説を曲げるなんてさらっさら無くハナっから馬鹿にする気で
話を聞く気が無いからだろう、以前の島津厨と同じタイプの人間だと思うがね
0100人間七七四年
2011/03/21(月) 21:45:33.16ID:9HIfOVLhそりゃこっちのセリフだよ
納得の行く根拠を挙げた奴1人もいないじゃん
籠城戦に期間は関係ないとか、囲まれてもいないのに籠城戦が始まっているとか
屁理屈以下の戯言ばかり
挙げ句「精神的圧迫感」だの「想像力足りない」だの
あからさまに主観の押し付けを始める有り様
どうでも宗茂の籠城戦をマンセーしたいもんだから支離滅裂になっているとしか思えない
小説を鵜呑みにしたことがそんなに悔しいのか
0101人間七七四年
2011/03/21(月) 22:15:30.52ID:uUFwc0/2大坂冬の陣は敵に囲まれたのは1ヶ月もない
大坂城という要害で備えは十分あったのに
内部分裂で1ヶ月も保たなかった事からも
籠城戦が単に敵を囲んでドンパチやるだけじゃないって
0102人間七七四年
2011/03/22(火) 00:34:20.41ID:2lbxDLwoってかw
0104人間七七四年
2011/03/22(火) 01:34:46.96ID:69hOcyX1それまでは親父の名に隠れて知名度低かったし
真田丸で徳川方を悩ませたし、夏の陣じゃ死んじゃうからね
0105人間七七四年
2011/03/22(火) 07:16:15.70ID:Wz1tJsol0107人間七七四年
2011/03/22(火) 23:56:21.32ID:69hOcyX10108人間七七四年
2011/03/23(水) 01:11:08.63ID:AUqPwCSm0109人間七七四年
2011/03/26(土) 09:20:17.04ID:hbhCmSrX籠城期間って城に籠城してた9HIfOVLhが大阪冬の陣の一撃であっさり落城したって流れ?
0110人間七七四年
2011/03/26(土) 18:21:02.86ID:tyh5khqI0111人間七七四年
2011/04/10(日) 21:39:38.57ID:YGpLVXRe0112人間七七四年
2011/04/10(日) 22:19:35.99ID:aJZOblZb0113人間七七四年
2011/04/24(日) 21:33:36.15ID:CVkehXIQ中共を新中国と呼ぶのは反日サヨクだよ。「中共」は、中国大陸においては中国共産党の略称である。
一方、中国大陸の外においては、中華人民共和国が国家であることを認めない人々が
「(中国大陸を統治する)中国共産党政権」という意味の俗称として使っていた
(この意味による「中共」は、日中国交正常化前の日本社会で使われていたほか、
現在でも、国共内戦で中国大陸から台湾に渡った中国国民党などが使っている)。
また「新中国」は、主に日中の国交正常化前、つまり中華人民共和国建国後は
台湾島を含む一帯を統治している中華民国を日本政府が「中国を代表する正当な政府」としていた時代(1912〜2009)に、
中国共産党を支持する日本人が中華人民共和国を指して使っていたものである。
0114人間七七四年
2011/05/05(木) 18:09:00.86ID:SWWLU46bこのサイトでは、立花宗茂の子孫の方が、
豊後国国東郡寛において誕生、幼名千熊丸(立花宗茂)
としている。
つまり、今風に言えば、立花宗茂は大分県出身の福岡育ち。
0115人間七七四年
2011/05/05(木) 19:33:45.84ID:pe9KmbHY0116人間七七四年
2011/05/07(土) 07:41:57.25ID:5ey+lKRG0117人間七七四年
2011/05/13(金) 10:47:41.82ID:sb9/MSjyhttp://www.ohana.co.jp/museum/blog/
0118人間七七四年
2011/05/14(土) 23:39:06.04ID:nSLkeXo10119人間七七四年
2011/05/28(土) 07:22:19.11ID:uqLwbl6Y0120人間七七四年
2011/06/03(金) 01:19:14.46ID:HWTsGoshこれはひどいw
0121人間七七四年
2011/06/06(月) 20:19:13.31ID:xr7Tjzrp珍しく碧蹄館の戦いから、柳川再封までダイジェストで描かれてた。
0122人間七七四年
2011/06/06(月) 21:33:52.07ID:p7slE4vShttp://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/vol-e94e.html
0123人間七七四年
2011/06/07(火) 16:27:34.96ID:tfbRGkZL0124人間七七四年
2011/06/07(火) 18:25:14.74ID:c6kQRR0Q0125人間七七四年
2011/06/07(火) 19:58:43.37ID:KkIeRR/c名作の悪寒www
0126人間七七四年
2011/06/08(水) 14:16:28.73ID:CFh/G/x+0127人間七七四年
2011/06/08(水) 14:39:26.82ID:YQH/6U+Y義父の道雪は猛将ってイメージ
毛利の看板、吉川元春・小早川隆景コンビを撃破する奴なんてそうそういない
どっちが猛将かっていったら東じゃね?宗茂は用兵家ってイメージ
0128人間七七四年
2011/06/08(水) 17:13:52.20ID:AkbjPszX宗茂は確かに猛将よりも用兵家だね。父の紹雲や道雪は用兵家でもあり
猛将でもあるよね。
本多忠勝は、生粋の猛将でしょね。用兵も凄いけど。単騎駆けや島津の退け口
を井伊や松平が鉄砲で負傷しても、この男は馬撃たれても島津兵とガチンコしてた
みたいだし。
猛将は、宗茂の家臣の小野では無いかな?
0129人間七七四年
2011/06/08(水) 17:57:07.51ID:YQH/6U+Y個人的には九州一の用兵家は島津家久って思ってるんで、もし長生きしたとして
黒田官兵衛・立花宗茂・島津家久が関ヶ原九州の戦いでガチでやったらどうなったのか
って、歴史にもしはないけど
0130人間七七四年
2011/06/08(水) 20:40:10.09ID:7oWSBKx+秀吉軍が到着する前に奪われた城を奪還しまくったからだろうな。
あと朝鮮のヘキテイカンと関ヶ原の時の大津城攻めで猛烈な鉄砲での
攻撃で落城させたとことかかな
0131人間七七四年
2011/06/09(木) 03:48:35.37ID:navSCbok島津家久は、惜しい名将だったね。竜造寺隆信を討った時も最高だった。
しかし、九州に黒田如水っていう基地外が来たから影が薄くなったね。。
黒田は、関が原の時に迅速に鍋島・加藤らを味方にして宗茂も降して
肥後の水俣迄進軍してる。家久が居ても、九州征伐で島津の戦略を
確実に如水は研究してるからねぇ。
地方の戦略家と日の本の戦略家では、比べるのが酷かも。けど、家久のが
好きさ。何故なら、俺鹿児島だからww
0132人間七七四年
2011/06/09(木) 07:28:12.81ID:8WdMBvtJ0133人間七七四年
2011/06/09(木) 08:07:00.67ID:00sVFgjiやっぱり道雪は偉大なんだよ
宗茂がやれるのも道雪時代からの家臣の忠節あればこそだよね
名前上げればきりがないけど、由布惟信・小野鎮幸・薦野増時
とか良くもまーこんだけのメンツがって感じ
島津も負けず劣らずだが
0134人間七七四年
2011/06/09(木) 08:32:01.28ID:00sVFgji如水は凄い奴だけど、家久も負けてない気がする
早死にして戦歴が浅いけど、関ヶ原まで生きてて経験積んでたら
半端ないと思うけどね
特に死ぬ直前の強さなんて、上杉・武田・徳川なんかに匹敵する物がある
根白坂の戦いで義久・義弘が突出して壊滅さえしなければ
秀長(如水)本隊 vs 家久の直接対決なんかも・・・w
ないか?家久は早くから秀長と接触してたって言うし
0135人間七七四年
2011/06/09(木) 09:14:41.41ID:ln5GsNhN家久過大評価か気持ち悪りぃ。
0136人間七七四年
2011/06/09(木) 10:50:08.60ID:fTodQRco島津家全体が如水にいいようにされたという事実を
なかったことにしているんだから、そりゃなんとでも言える罠
0137人間七七四年
2011/06/09(木) 11:24:15.41ID:00sVFgjiん?島津厨って俺の事か?
うちの本家はぎん千代様の隠居先の近くなのに、なんで俺が島津厨なんてする必要がw
宗茂スレで書く様な内容じゃなかったがな
0138人間七七四年
2011/06/09(木) 14:13:09.39ID:+6BHIZSW0141人間七七四年
2011/06/09(木) 18:27:00.68ID:NSemst3bなんでこのスレ来てるんだよ、三好今川とか接点無いのに
0142人間七七四年
2011/06/09(木) 19:52:30.28ID:+6BHIZSW島津スレ、細川スレ、穂井田元清スレと
0143人間七七四年
2011/06/10(金) 02:22:59.91ID:VlAyDE2o0144人間七七四年
2011/06/10(金) 13:57:40.60ID:LjEOalOD中央の武将と争えるほどの将にはあまり見えないな
0145人間七七四年
2011/06/10(金) 14:04:12.89ID:r3wLzh0a0146人間七七四年
2011/06/10(金) 18:47:07.92ID:b4SsaNlE柳川市スレみたいな牧歌的なスレだったのに......
0147人間七七四年
2011/06/10(金) 18:54:17.51ID:W9wojjE8仕方ないだろ戦国一の釣り師、釣聖こと島津家久が話題に出てるんだから
死してなお釣り師は偉大で、釣られてる奴らばかりって事だよ
0148人間七七四年
2011/06/10(金) 19:16:32.67ID:ByPEExjH0149人間七七四年
2011/06/10(金) 22:51:27.92ID:L6/hVb42家久なんか釣り師どころか、ただの構ってちゃんだから
あそこ、三成スレなのに吉川広家の話題しかないんだぞw
0150人間七七四年
2011/06/10(金) 23:35:19.96ID:ByPEExjH0151人間七七四年
2011/06/11(土) 08:06:07.91ID:Tk2+1SOr0152人間七七四年
2011/06/11(土) 20:53:15.61ID:oWGTvuafつうか何故に広家なんだwwwww
0153人間七七四年
2011/06/11(土) 23:34:03.49ID:tjC9+fXn関ヶ原敗北の元凶はある意味小早川より吉川だもん
しかも小早川は早期に断絶したが吉川家は大名として残った・・・恨みも集中すらぁ
0154人間七七四年
2011/06/11(土) 23:44:17.55ID:sk31fa78馬鹿二人が言い合ってたってだけの話。良くある事。
0156人間七七四年
2011/06/13(月) 01:12:10.26ID:+4IMhw+Y梓峠は、家久と義弘が合流した後攻撃したって説もあるけど
基本的には家久狙いじゃなかったかな。
しかし優秀だと思うんだけど、全く評価されてない人だよなあ。
0157人間七七四年
2011/06/13(月) 01:36:59.72ID:pcW1XpQwガチの戦いで島津を撃退した親次や惟定より評価が高いのは納得行かん
0158人間七七四年
2011/06/13(月) 06:08:21.75ID:Qb2Ia+Qx戸次川の戦い後の大友の無様さが原因だろ
そしてとどめが朝鮮での失態、陪臣の評価が低くなるのはしょうがなかろ
0159人間七七四年
2011/06/13(月) 16:02:55.47ID:xXHzXUeS勝った勝ったと言っても籠城戦を切り抜けて撤退中の島津軍を攻撃してるだけだし
戦略的にも第3者から見ても評価出来るのは城を奪い返した宗茂ってだけだろ
そもそも親次、惟定の武勇伝は戦果不明で胡散臭いし
0160人間七七四年
2011/06/13(月) 17:09:35.03ID:FviuaoK50161人間七七四年
2011/06/13(月) 17:20:02.87ID:1qPnSrjn改易後に頼った先で重用されてれば資料ももっと残ったのかも知れんが。
早くから家康に接触してたら違ったのかな。
妄想としては宗茂を頼ってたら…と言いたいけど大友改易後に宗茂頼ってても、後は関ヶ原で家康に敵対するターンが待ってるから華々しく散るぐらいしか見せ場ないし、
受け入れた旧主の陪臣二人が二人して活躍してたら流石に宗茂も敗戦後大名復帰させてもらえないような気もする。
0162人間七七四年
2011/06/13(月) 20:26:20.63ID:bN+4nygt豊後の民は大友側に加勢して大軍になったが、、、、
黒田の基地外に石垣原の戦いで敗北・・・・。宗茂の
従弟の吉弘統幸も戦死・・・。吉弘統幸は優秀な武将
だったのに、暗愚な君主に仕えると大変だな。。。
吉弘統幸←この人にあんまり皆触れないのは何故?
0163人間七七四年
2011/06/14(火) 03:15:54.36ID:h8zNzJKrあんまり武勇伝もないから知名度もないしね
ま、名前を冠した神社もあるくらいだから、
別府市民はそれなりに知ってるのかな
0165人間七七四年
2011/06/15(水) 02:03:45.34ID:xcnnbldE0166人間七七四年
2011/06/16(木) 22:30:15.13ID:XDsWQZs7対島津でみたら
志賀>佐伯>宗茂
な評価じゃないか?
宗茂厨なオレでもそう思ってるけど
0167人間七七四年
2011/06/16(木) 23:52:59.21ID:2ZnKFB7hしかし、いくら義統が情けないって言っても補佐役の親次も惟定も統幸も
朝鮮で何をしてたんだ?
平壌陥落後の最前線になる拠点から無断撤退なんて、普通ありえん。
義統に逃げ癖があっても、誰か一人くらい守将として残っていたら大友家も
潰されなかっただろうに、マジでこの三人、朝鮮に何しに言ったのって状態だ。
0168人間七七四年
2011/06/17(金) 19:13:16.74ID:tRbLl7bj朝鮮での敵前逃亡の責任が親次のせいであるように大友家の文書に書き残されてる。
ただし、別の記録とかで見ると濡れ衣を着せられてたみたい。
佐伯惟定は、他紋衆で大友家とは距離を置いてる一族だから元より忠誠心は高くない。
改易後は藤堂高虎に仕えて、結構重用されてた。関が原の時は四国で留守を頼まれてて、
豊後で大友吉統が挙兵したのを知ってたんだろうけど、完全に無視してた。
ちなみに弟は緒方洪庵の祖先だったりする。
吉弘統幸は、いろいろとまともな意見を言ってるんだけど、聞いてもらえない可愛そうな人。
槍の使い手として有名だけど、鉄砲隊の使い方が妙に上手かったりする。
石垣原の戦いの死者が、大友軍220余名に対し黒田軍380余名なのは統幸の活躍がそれだけ凄かったから
0169人間七七四年
2011/06/17(金) 23:18:33.30ID:ivfUd+/Qしょうがないかと。
0170人間七七四年
2011/06/22(水) 21:49:26.19ID:8vfslBys指揮官がいない(素人)てこと?
0171人間七七四年
2011/06/22(水) 22:04:52.25ID:/vklilGj兵隊が寄せ集め軍隊って事だけど、まったく戦の経験がない農民がいるのか?
って話になるとどうだろうね、指揮官は官兵衛だから戦国最強っていってもいい
指揮官がまったく素人は小早川秀秋ぐらいじゃね?(苦笑
0172人間七七四年
2011/06/22(水) 22:31:44.68ID:KHP4u6M7黒田孝高が補佐役で付けられて指南した
関ヶ原前哨戦の伏見攻めにも参加しているし、素人とかありえない
0173人間七七四年
2011/06/23(木) 00:03:57.40ID:pvajgqqH西軍として兵を出そうとする辺り戦況を見る目はあったよね
ただ回りを押し切って出陣する決断力はなかったが
0174人間七七四年
2011/06/23(木) 02:47:30.75ID:Y58j9CV9石垣原には官兵衛まだきてなかったけどね。
井上之房と母里太兵衛が黒田軍の中心かな
母里は緒戦で統幸に敗れて、大友方が押してたんだけど、
井上が統幸を討ち取ったことで、前線指揮官を失った大友が降伏した。
0175人間七七四年
2011/06/23(木) 12:55:22.69ID:tlxHWWpB島津兄弟・宗茂・道雪・紹運・鍋島直茂・加藤清正・黒田如水。。。。
強いからそのまま九州に安堵や左遷もあるが。。。 凄いねw
0176人間七七四年
2011/06/23(木) 13:06:59.67ID:0aFYda5j0177人間七七四年
2011/06/23(木) 17:41:11.76ID:pvajgqqHどちらかと言うと理屈っぽくて母里とか煙たがってた存在なのに
石垣原で吉弘統幸を討ち取って一気に名を上げたって感じだな
昼行灯に見えてた人が実は昼行灯ではなかったって事か
0178人間七七四年
2011/06/24(金) 09:42:22.81ID:Ub7GnrZ/寄せ集めの浪人衆は飾りで実質は信頼できる少数の部下だけでゴリゴリ戦ってた訳だ
0180人間七七四年
2011/06/25(土) 00:32:42.80ID:10DMgjwc立花家もそれに近いところがあるな。
道雪以来の猛者揃いなのに、宗茂は婿養子だし。
0181人間七七四年
2011/06/25(土) 12:02:27.72ID:fjgmS3+n実績的には常に先鋒を務める最前線の将だから
配下や息子が猛者っぽくなるのは当然かも
逆に言えば先鋒の剛将なのに調略も大得意なチート親子
0182人間七七四年
2011/06/25(土) 13:11:53.23ID:Gmy+hHo+主役として取り上げられる事が少ないけど、摂津・播磨・備前・美作あたり
って強烈な武将多いんだよね。池田に、荒木道糞、宇喜田直家に松永久秀
宮本武蔵とかもいるな
黒田つーか主家筋で大物崩れとかの赤松氏家臣団はバラバラになっちゃって大友
となんだか似てる所もある
0184人間七七四年
2011/06/28(火) 20:51:01.49ID:LBa8bTF9宗茂は家臣から慕われてただろ
0186人間七七四年
2011/06/28(火) 21:30:13.77ID:9LZ9ZN1B0187人間七七四年
2011/06/29(水) 07:36:38.73ID:SObdX4Lqそこは人徳の違いというしかないが、やっぱり立花家臣も最初は「なぜこんなガキが」みたいな感じだったと思うぜ。
道雪を慕うあまり宗茂と折り合いが悪かった薦野増時みたいな家臣もいるし。
0188人間七七四年
2011/06/30(木) 01:11:36.31ID:O2WDHgEy薦野増時は宗茂を跡継ぎに押した張本人だし、息子の成家は宗茂の妹婿だったりと
折り合いが悪いわけではないんだけどな。関が原で徳川につくように言ったのと、
改易後、道雪の墓を守るために黒田家行ったから、仲悪いように思われがちだけど。
まあ、由布・小野派と薦野派でちょっと対立してた節はあるけどね。
0189人間七七四年
2011/06/30(木) 11:02:17.83ID:Qd4vankN宗茂ほどの名将をもってしても、やはり名将だった先代の忠臣をとりまとめるのは大変だったという事か。
逆に言うとあれだけ癖の強い家臣団を上手くまとめあげたとも言えないかな?
0190人間七七四年
2011/07/01(金) 18:27:21.48ID:YYVMEKudそうなら何が理由でそんな説があるんだ?
0191人間七七四年
2011/07/02(土) 04:25:52.12ID:MR1VGf/Sみたいなことを言ったんじゃなかったっけ?
0192人間七七四年
2011/07/02(土) 09:53:22.77ID:GFbDCSWm0193人間七七四年
2011/07/02(土) 10:47:55.71ID:Wx2sJ4+P0194人間七七四年
2011/07/03(日) 01:19:21.33ID:worcmj55立斎旧聞記では、宇喜田が「立花は小勢だから、全滅しても無問題」と
言われたと記述されてるはず。理由は伏見での足軽同士の喧嘩が原因。
ところが、九州出版者の昭和48年発行立花宗茂では、小早川秀秋が
言ったことになっている。
以降、原田版、八尋版は小早川秀秋が言ったとされている。
志木沢版は、立斎旧聞記と出典をあげて宇喜田に言わせている。
0195人間七七四年
2011/07/03(日) 14:03:15.47ID:ZigRrlq10196人間七七四年
2011/07/09(土) 20:56:09.04ID:sWjj6YR00197人間七七四年
2011/07/09(土) 23:01:09.81ID:Iq5sN6gU所々日本語おかしいのは当然
0199人間七七四年
2011/07/11(月) 04:25:13.05ID:M9UlaFmd完全に福岡出身武将だな
大分w
0200人間七七四年
2011/07/12(火) 09:51:53.12ID:i/IYVuuN理想は鹿児島方面を睨むようにする
滝廉太郎の銅像とか望んでないから
0201人間七七四年
2011/07/15(金) 14:53:44.51ID:P/Yl3HFk少なくとも俺が写真を撮影しに佐伯地方遠征をするだろう。
ただし佐伯城に建てた場合は行かない。
0202人間七七四年
2011/07/15(金) 21:30:22.55ID:pMq6CN6o0203人間七七四年
2011/07/24(日) 15:02:16.15ID:mUVLPGHK宗茂も悪くはないけど秀吉の御世辞を真に受けるヲタは見苦しい
同世代の政宗や幸村に比べても目立った功績ないしな
0204人間七七四年
2011/07/24(日) 15:10:15.55ID:tw3uP27z0206人間七七四年
2011/07/24(日) 17:28:12.17ID:CMz4ZZot0207人間七七四年
2011/07/24(日) 20:26:01.94ID:tol+mz+B0208人間七七四年
2011/07/24(日) 23:10:39.25ID:dJqnVxiJ0209人間七七四年
2011/07/24(日) 23:18:01.09ID:G2hDAsTN天下に対して戦起こして損害出したって事になるよな
爪痕ねぇ・・・まさか東北でやってた小競り合いを天下とか言ってるの?
0210人間七七四年
2011/07/25(月) 03:14:31.88ID:RMKrH3jx人物的にも、政宗とかより遥かに尊敬に値するし
0211人間七七四年
2011/07/25(月) 18:27:50.20ID:B7ndKWZZ俺は迷わず宗茂の家臣になるよww
宗茂の家臣思いは有名だからね
政宗の家臣になったら命がいくつあっても足らないww
0212人間七七四年
2011/07/25(月) 19:00:50.78ID:DU7HUhvf0213人間七七四年
2011/07/25(月) 19:23:48.52ID:FPHlZmT0ワロタw
0214人間七七四年
2011/07/25(月) 19:52:07.63ID:kIQKVfiP0215人間七七四年
2011/07/25(月) 20:49:50.78ID:0EyPyistなお政宗様は酒に弱いので酒乱になり切腹を申し渡すことがあります。
0217人間七七四年
2011/07/25(月) 23:05:14.13ID:trhyfi5d人格に問題はあるけど経営は順調な大企業の二代目、みたいな感じだろ。
自分が独身だったら宗茂、家庭持ちだったら政宗かな…。
0218人間七七四年
2011/07/26(火) 01:44:59.59ID:lD8x2lvT周囲からあそこは近いうちに潰れるとか超ブラック企業とか噂される会社。
しかし借金踏み倒しと上部組織への超土下座で何とか生きてる会社。
0219人間七七四年
2011/07/26(火) 05:23:32.90ID:gvTVF3HY0220人間七七四年
2011/07/26(火) 10:42:08.95ID:lD8x2lvTその争いをみて宗茂に家臣が巻き込まれないように退去するようにアドバイスすると
俺ら関係ないんだから気にすることないと言って傍観される罠
0221人間七七四年
2011/07/26(火) 16:52:40.94ID:3gu0CFRdまぁそこはいいんじゃないか
超ブラックだろうと土下座しようと大藩を残すってのは何より難しいんだし
0222人間七七四年
2011/07/26(火) 18:33:33.07ID:i6WwGKpTいや仙台藩は領地を幕府に返上しようとしたが
あまりに膨大な借財を幕府も肩代わりしたくないので
許さなかっただけだよ。
0223人間七七四年
2011/07/27(水) 07:50:45.58ID:efYHoxI90224人間七七四年
2011/07/27(水) 11:35:17.49ID:1F4uHtCH0225人間七七四年
2011/07/27(水) 12:11:24.45ID:hYesr4To男系は大蔵氏と思ってた
0226人間七七四年
2011/07/27(水) 15:01:55.20ID:1F4uHtCH関ヶ原に布陣する福島隊前面に豊後全軍を率いてやってくる宗茂。
恐れる黒田長政が宗茂が東軍になるように勧誘するが…
0227人間七七四年
2011/07/27(水) 17:10:50.88ID:HrFevSlp0228人間七七四年
2011/07/27(水) 18:01:56.52ID:hRedp5LR0229人間七七四年
2011/07/27(水) 18:11:08.83ID:4LGL96jkこの場合、宗茂は西軍では無く確実に東軍だと思うぞw
秀吉から義統を排除して大友家を継いでも、小早川や
東軍の黒田長政や最初は東軍だった島津しかり、、、、
そこまで、アホでは無いはず。豊後なら小早川秀包とも
接触は無いし。終始、西軍に付く事を反対した従弟の
吉弘統幸も居るし。朝鮮出兵で唯一加増された島津
でさえ最初は東軍だったのは家康の手引きだし、宗茂
が朝鮮で大友宗茂で活躍してたら家康も彼を手なづけ
るだろ。マジレスすまそw
0230人間七七四年
2011/07/27(水) 18:14:50.59ID:bUQL5AmJ戦功で加増された根拠が薄い
0231人間七七四年
2011/07/27(水) 19:37:16.12ID:hYesr4To流石に宗家継ぐには血縁遠すぎる
0232人間七七四年
2011/07/27(水) 19:42:05.19ID:PhvC16gk秀吉から柳川の大名として独立させてもらったからだろうからな
0233人間七七四年
2011/07/27(水) 19:44:40.14ID:1F4uHtCH義統が養子を取る形なら有り得るだろ。
0234人間七七四年
2011/07/28(木) 00:39:38.66ID:4JUOH6vW>>最初は東軍だった島津しかり
義弘は三成と協調して島津の改革を行おうとしていて
義久とは対立していた。
義弘が最初から東軍寄りだったとは必ずしも言えない。
その時の回りの状況で大きく変化する。
0236人間七七四年
2011/07/28(木) 20:42:47.67ID:kuQGljFr0237人間七七四年
2011/07/28(木) 22:19:28.43ID:5vOUIRN00238人間七七四年
2011/07/29(金) 19:14:46.06ID:XEn5Fadf0239人間七七四年
2011/07/29(金) 22:18:03.95ID:R/CHfkQk大友本家に対して鬱積したモノ持ってるよな
0240人間七七四年
2011/07/30(土) 00:12:51.54ID:XGMbJShQ0241人間七七四年
2011/07/30(土) 11:16:31.40ID:5Hf8qpXpまあ謀反起こして潰れた名字を継承しただけだし特に関係ないだろうが
0242人間七七四年
2011/08/03(水) 19:40:15.77ID:DZw4xjWH0243人間七七四年
2011/08/24(水) 14:58:59.02ID:1ND1RT5Z0244人間七七四年
2011/08/24(水) 23:53:20.78ID:FrJleUTA0245人間七七四年
2011/08/30(火) 14:38:56.89ID:tO3pG7x90246人間七七四年
2011/08/30(火) 17:32:27.71ID:y5WFawlI0247人間七七四年
2011/08/31(水) 10:52:42.82ID:fnpqTbMT0248人間七七四年
2011/08/31(水) 20:16:40.95ID:EiLyd+Xp0249人間七七四年
2011/08/31(水) 21:30:42.62ID:s2fv4nWQ0250人間七七四年
2011/08/31(水) 21:40:33.01ID:5QmBrU1E0251人間七七四年
2011/09/01(木) 08:50:51.86ID:pOWxq3Mhおっさんになってから?
0252人間七七四年
2011/09/01(木) 10:28:04.77ID:0WnbueqT0253人間七七四年
2011/09/02(金) 13:23:35.72ID:SqvAOOUI騎馬武者の馬首に鉄砲袋を備え、弾薬の袋を馬尻に掛けさせたのである。
これで、鉄砲は騎馬武者が一人で扱える。
三人四人と騎馬の周りに配備した鉄砲持ち弾薬持ちの歩兵が戦闘力として
鑓・弓・鉄砲を個別に握らせ得る。
つまり、八百の兵が二千、三千の兵の役割を果たすのである。
銃袋を馬首に裝著した二百の騎馬と、水・糧食・武具弾薬を背負った馬百頭、
これに従う徒歩三百。
立花軍は、鉄砲二百丁を馬首に具えた騎馬二百が先頭を駆ける。
駆け來たっては陣を具えて一斉に隈部軍へ鉄砲発射である。
筒口を揃えて一斉に発射すると、その煙も収まらぬ間に第二弾である。
二段三段の鉄砲連射に隈部軍が怯む間隙に、今度は徒歩に長柄を備えて無二無三に突きかかる。
長柄の徒歩隊は無二無三に突いて進むように見えながら、ようやく右に陣形を傾ける。
隈部軍の正面に対峙するのは、徒歩の後ろに具えた騎馬鉄砲隊である。
徒歩長柄が右に退く。
前方が開ける。対峙した隈部軍に鉄砲弾丸の亂れ射ちである。
「火車」でござる。
城村城で指揮を執っていた有働大隅守兼元が城主隈部親安に言った。
和仁・辺春・大津山の三氏は筑後より立花宗茂參戦の報せを聞いて、
隈部方を助勢すべく、連攜して永野原の側背に出ようと山を越えたのであった。
しかし、思いのほかの立花軍の進軍。まして「車懸かり」の迅速。
誘う出した敵に一旦軍の後背を捕らせて一気に反転攻勢に懸かる、
宗茂得意の「火車懸」の陣法である。
http://blogs.yahoo.co.jp/aun1949fuu/folder/1506209.html?m=lc&p=2
0254人間七七四年
2011/09/02(金) 13:36:17.10ID:2DdMWx3F0255人間七七四年
2011/09/02(金) 16:42:07.95ID:SqvAOOUI紹運の智略「柴田川の戦い」
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/shibatakojyou/shibatakojyou.html
二日市の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/hutsukaichi/hutsukaichi.html
石坂の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/munetora/munetora.html
鷲ケ岳城の戦い
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/washigatake/washigatake.html
龍ヶ城夜襲之事
「岩屋城結束強化の契機となった。北原鎮久の誅殺」
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/ashiki/ashiki.html
久留米高良山合戦
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/kurume/kurume.html
0257人間七七四年
2011/09/03(土) 14:02:59.27ID:u33o4kpu>>30
>立花宗茂と水野勝成って面白いね
立花宗茂 水野勝成
有名な人格者 有名な犯罪者
飢えても我慢 飢えたら強盗
喧嘩は冷静に傍観 喧嘩に興奮して加担
多くの大名の客分の話が 多くの大名から出奔
主君に忠節 主君から刺客
無礼者は諭す 無礼者はその場で殺す
困った人には金を貸す 困ったら借金
二人の父を尊敬 父を見たら怒り爆発
秀吉から絶賛 秀吉から刺客
関ヶ原では親の仇をかばう 関ヶ原では親の仇をリンチ
島原の乱では総大将を補佐 島原の乱では独断専行
子孫は繁栄 家督は断絶
ワロタwwwwwwwwwwwwww
0258人間七七四年
2011/09/03(土) 14:48:54.54ID:vwLgjaAu0260人間七七四年
2011/09/05(月) 19:55:57.27ID:TFUv9SuN0261人間七七四年
2011/09/05(月) 20:42:18.29ID:NVvH4kTaおぼっちゃま思考だし
0262人間七七四年
2011/09/05(月) 23:59:48.16ID:Ejy8yjmc本質的に怜悧で現実的な思考をする人物が、筋を通して
生きることを自分に課してるような印象を受ける。
0263人間七七四年
2011/09/06(火) 00:24:42.62ID:F2KR8B/uそれを崇めてる奴らには吐き気がする
鬼武蔵(森)とかDQN四天王(笑)
気持ち悪いわボケ
0264人間七七四年
2011/09/06(火) 00:53:23.43ID:xd+iknxR0267人間七七四年
2011/09/10(土) 19:23:52.95ID:dH48UIAr0268人間七七四年
2011/09/11(日) 05:40:54.44ID:eEgXv7iU本家wikiよりはまだほのぼのとしているし、あそこはネタ勝負な場所だ
〇〇の記事がないなんて!とか言ってるレベルだから可愛気があるよ
今のところはだが
0269人間七七四年
2011/09/17(土) 20:09:00.98ID:nsasSETeあれ反感買うからやめて欲しい
0270人間七七四年
2011/09/17(土) 22:44:13.64ID:4HkbefbT0271人間七七四年
2011/09/17(土) 22:45:46.10ID:ahymPGNZ0272人間七七四年
2011/09/18(日) 00:18:39.05ID:2bQhATYw0273人間七七四年
2011/09/18(日) 08:32:06.64ID:bMLeG0Fu0274人間七七四年
2011/09/19(月) 21:02:55.17ID:E5du6Bh4それより宗茂って結局婿入りしてから家督はァ千代から改めて宗茂へ譲られたの?
0275人間七七四年
2011/09/19(月) 23:59:15.89ID:di3XiAUMそうだよ。
宗茂が婿に入った時点でァ千代はお役御免だよ。
まぁ道雪の強い意向で婿に来たわけだから、ァ千代も尊敬する父親の
意向には逆らえなかった分けだし、まぁけれども内心は複雑だっただろうけどね
何しろ気性が激しくて道雪も女に生まれたことを嘆いたくらい器量はあったらしいから
その証拠に道雪が死んでからは、あからさまに宗茂に対して反抗的な態度を
とりまくってるからねw
ただ宗茂が関ヶ原後に改易されてからは、密かに夫の大名復帰を願って
神社や寺に参拝してたみたいだけど・・・w
0276人間七七四年
2011/09/20(火) 00:33:28.68ID:aGOCNkt10277人間七七四年
2011/09/20(火) 07:31:55.17ID:5GQgT78Iとツンデレしてたほうがロマンがある。
0278人間七七四年
2011/09/20(火) 20:07:41.03ID:HTjgKZpA道雪からァ千代に家督が譲られたのは天正三(1575)年5月28日の日付で
譲り状が残ってるんで確かなんだけど、ァ千代から宗茂への家督譲渡の書状は
現存してないみたい。ただ宗茂が養子に行った後は、感状とかが道雪と宗茂の
連署になってるんで、宗茂が当主の立場にあったと思われる。
0279人間七七四年
2011/09/20(火) 20:33:53.24ID:dYbtf+0v0280人間七七四年
2011/09/20(火) 23:08:21.86ID:d26sZQr+何の実権もないマスオさん状態だったら紹運も切れたかも知れんな、さすがに
0281人間七七四年
2011/09/21(水) 00:28:35.57ID:tZnwitUy0282人間七七四年
2011/09/30(金) 22:37:07.19ID:0NtZ56Tt少々、気になったのは、出典の史料にあるのかもしれないけど、
針磨山とあるのは、今の針摺峠?豊満山とあるのは、宝満山?
由布雪下は、由布雪可とも書くの?
岩屋城の近くに石坂の地名は無い(実際は太宰府にある)といった記述です。
0283人間七七四年
2011/09/30(金) 23:24:10.78ID:LLJ1aaLP確かに変な記述だね
石坂は太宰府の中心寄りだけど
岩屋城から見て石坂は見下ろす位置にあって結構近い
高橋紹運の本城の宝満山に比べれば遙かに石坂寄りだし
少弐氏が太宰府の居城として築いた内山の有智山城とほぼ等距離
懐の位置には無いけどわざわざ岩屋城の近くにないとか書く意味はあるんかなぁ?
0284人間七七四年
2011/10/08(土) 18:18:03.68ID:LQxz2obJ実父・養親・秀吉・家康
及び関ヶ原後に改易されても
なおも尽くす家臣たち
0285人間七七四年
2011/10/10(月) 20:43:20.35ID:+q3UAaIs宗茂と闇千代、婚礼の時が初対面かね。幼年時代、立花城を訪れたことあるらしいし、顔見知りの幼なじみとかだったりしたらなんとなく萌えるな。
0286人間七七四年
2011/10/11(火) 00:55:50.98ID:Qdv5DCje0287人間七七四年
2011/10/11(火) 20:27:36.80ID:C6kT8B7aつまらなくはない、と思う
宗茂がとにかく両親を始め周囲から愛されて育ったってことが強調されてた
0288人間七七四年
2011/10/21(金) 14:30:54.89ID:gOh7RepR博多に近い立花城エリアが重要拠点の一つなのは間違いないし、道雪に跡継ぎの男子がないのは分かってたんだから、自分の息子と結婚させるとか、息のかかった人物を養子に送り込むとかして我がものにすることも出来たろうに。
ifはないだろうけど、もし、ぎん千代の縁談話が宗麟から持ちかけられていたら(相手は宗茂ではない)道雪はどうしただろうかな?
0289人間七七四年
2011/10/21(金) 17:01:32.40ID:Wspk9Eav0290人間七七四年
2011/10/22(土) 03:12:10.89ID:R8ofmv7U確か宗麟は戸次の一族の中から養子を取って跡継ぎにするように勧めてたんだけど
道雪はそれを拒否してァ千代に家督を継がせてたと思う。
0291人間七七四年
2011/10/23(日) 19:52:12.14ID:KfTESJ8i逸話補正を外せば、どこにでもいる武将レベルなのに。
0292人間七七四年
2011/10/23(日) 20:21:08.11ID:PIvewJ/D0293人間七七四年
2011/10/23(日) 21:49:00.58ID:KfTESJ8i69年に毛利勢に立花城が占拠されていよいよジリ貧になっていたところを吉岡の奇策によって助けられた。
そんな印象しかない。その後は隆信にガシガシ領地削られていくし。
0294人間七七四年
2011/10/24(月) 00:43:39.69ID:iNDWwMTK0295人間七七四年
2011/10/24(月) 09:36:49.61ID:hsUgJrKH0296人間七七四年
2011/10/24(月) 19:27:44.01ID:iNDWwMTK城に籠られて落としきれないことが多い気がする。
0297人間七七四年
2011/10/24(月) 21:28:47.38ID:hsUgJrKH陪臣の限界なのかもしれないけど
道雪が大名だったら物凄かったと思う
0298人間七七四年
2011/10/25(火) 19:04:29.89ID:dodIA7JQ立花兄弟についても6P書かれてるんだけど、珍しく直次の方を
メインで書かれてた。
全体的にマイナーなほうを取り上げるようにしてるみたいだけどね
0299人間七七四年
2011/10/30(日) 18:24:46.49ID:SZA4N1E40300人間七七四年
2011/10/30(日) 21:14:30.59ID:REL+e8vz0301人間七七四年
2011/10/30(日) 21:25:09.61ID:V+r0/q9i立花からの動員しかないという寡兵っぷり。
あんな無理ゲーっぷりから
戦線を支えてるとか鬼すぎ。
しかも柳川まで龍造寺を押し出すし、
その間、島津も介入に躊躇してる。
道雪死ぬや、速攻で戦線崩壊してる。
それに毛利戦では、
吉岡の奇策と同時期に、
陸戦での立花城攻防において
道雪が隆景を撃破して、
毛利の防御陣形に穴を開けたのも撤退理由
0302人間七七四年
2011/10/31(月) 00:33:02.74ID:od1dbCSXttp://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1579.jpg
↑この状態で5年近くも立花維持してるのは雷神さま鬼っす。
0303人間七七四年
2011/10/31(月) 00:52:50.73ID:swxhNRDF立花周辺の他領も秋月を除きさほど大きな勢力はないし
耳川の合戦に加わらなかった事も手伝って兵力も落としてないし
宗麟に対し二心持ってたり、余程の凡将でない限り維持出来るでしょう
0304人間七七四年
2011/10/31(月) 10:57:14.31ID:xrDOHxBAそこに筑紫・宗像・原田・麻生、さらには熊さん加わって、完全孤立の年がら年中合戦状態
豊後からの援軍も期待できない中で立花を5年間維持するのは並の武将では無理
熊没後に1年で柳川まで侵食する進軍スピードも異常
0305人間七七四年
2011/10/31(月) 12:56:17.92ID:dWe0tewm猫尾城は落としたけどその後は高良山を占領していただけじゃないのか
0306人間七七四年
2011/10/31(月) 17:41:44.39ID:swxhNRDF>秋月単体で5万石(多く見積もって32万石)だぜ?秀吉との戦いで2万5千も出せるんだから
>そこに筑紫・宗像・原田・麻生、さらには熊さん加わって、完全孤立の年がら年中合戦状態
残念だけどその連中はまとまりの無い烏合の衆なんだよ
それぞれお家の事情で内輪もめ繰り返しで単独で立花と当たる事は無理だったし
毛利の様な頭が無いと連合して立花と当たる事も出来んし、互いの思惑交差して協調する事もない
むしろ立花はそこを突いて高橋連合で宗像とか各個撃破出来たから孤立無援どころか優勢だったわ
0307人間七七四年
2011/10/31(月) 20:56:14.63ID:xrDOHxBA俺の書き方が拙かった。柳川城は包囲網止まりね。
>>306
確かに筑紫・宗像・原田・麻生は単独で立花に当たるのは無理だね。
でも秋月と竜造寺は別格だよ。単体で立花・高橋の兵力数をゆうに超えてる。
そんな連中が7月に秋月・筑紫が岩屋、8月に宗像・麻生・原田が箱崎、9月に竜造寺が安楽平と攻めてくるので、
烏合の衆も良い連携してたよ。
んで、秋月除く筑後勢の各個撃破が可能な状態になったのは、
9郡を捨てて竜造寺と和睦という戦略を道雪が選んだから。
島津が北上していたので竜造寺にとっても時期的においしい話だったしね。
9郡捨ててまで熊の脅威を取り除くことで、小勢力の各個撃破が可能な態勢を整えた。
そういう戦略眼があってやっと対秋月への光明が差した。
この時点でもまだ優勢とは言い難かったと思うよ。
0308人間七七四年
2011/10/31(月) 23:57:30.94ID:7zHl6teA高橋は御笠郡周辺三千町
秋月は1579年に杉氏領を併合して都合一万町並
0309人間七七四年
2011/11/01(火) 08:29:34.33ID:QnK6Ghxt0310人間七七四年
2011/11/01(火) 10:19:39.74ID:Fa8w0h5R大蔵一族としての連帯感あっただろ。
しかも秋月単体ではなく、
長野や高橋に兄弟を養子に入れて共同体化してたし。
完全に敵の海のど真ん中に浮かぶ小島状態が立花だろ。
そっから秋月らに背を向けて龍造寺相手に筑後奪還作戦とか敵中長駆行軍とか度胸あり過ぎ。
筑前や豊前の寺社宗教勢力も宗像や英彦や宇佐らのように軒並み反大友だし、
もうどうしろって言うんじゃ!って孤立ぶり。
八方塞がりで積み過ぎ無理ゲー。
大友から高橋みたいになんで離反しないのか不思議レベル。
0311人間七七四年
2011/11/01(火) 12:02:58.74ID:CLs9whMZ信玄の配下も粒揃い。大友宗麟が秀吉の大坂城見て格
の違いを見て同様した様に・・・九州三国志は俺は大好きだ
けど、やっぱり中央から見ると単に局地の田舎大名と武将
だよね。
島津討伐の時に堀秀政の活躍とか見ると中央の武将と比べた
ら九州の武将も霞むよね。
ちなみに、俺は大分だけどね。
0312人間七七四年
2011/11/01(火) 12:06:34.47ID:CLs9whMZ0313人間七七四年
2011/11/01(火) 14:18:19.78ID:hur8AAsR城跡めぐりするとやっぱ中央には勝てんなーと思う。
0314人間七七四年
2011/11/01(火) 18:34:46.87ID:Qc3ySyaDよう同県民。城・武器・装備品・兵数規模などは上方に劣るけど、
武将の質ならば、鍋島・立花・島津と鎮西も負けてないべ。
0315人間七七四年
2011/11/01(火) 18:40:15.09ID:ikTj9v/t0316人間七七四年
2011/11/01(火) 18:44:01.16ID:bQhVXQuR典型的な、装備で負けた戦争だな。
0317人間七七四年
2011/11/01(火) 19:00:33.44ID:35dJgKZT当時は中央にもあったの?
0318人間七七四年
2011/11/01(火) 19:30:43.66ID:Zg8l4xOI大砲は俺らが大友に売った物しか無いはずなのにーと驚いてフロイスに報告している
フランキ砲かどうかは定かではないが
0319人間七七四年
2011/11/01(火) 20:06:18.73ID:bfuyOk/R0320人間七七四年
2011/11/01(火) 20:49:42.95ID:nJ6REMl4丹生城での国崩も精度悪すぎで、闇雲に撃ってたら家久が兵を退いてったてのが実情。
人間国崩しさまの夢を受け継いだ宗茂は数年後、大津城で見事な大筒攻めを見せてくれた。
0321人間七七四年
2011/11/02(水) 08:07:12.39ID:nbdt+PeF自分も立ち読みした。
統増(直次)、兄貴のとばっちりをモロに受けたって感じだね。
紹運も兄貴同様に武将としての教育は施してたろうけど自分が家督相続することになるとは思ってなかったんだろうし。
苦労したんだろうが、高橋の家も残すことができたし良かったのかな。
0322人間七七四年
2011/11/02(水) 08:36:06.66ID:tnDtANkZ0324人間七七四年
2011/11/02(水) 15:46:51.85ID:nbdt+PeF直系に近いの、麻生さん!?
紹運さんの血筋、残せたのは隠れた功績かな。兄貴のところはダメだったし。
0325人間七七四年
2011/11/02(水) 22:21:58.06ID:0JP04NER直次の長男や次男は跡目争い起こそうと考えなかったのかな。
0326人間七七四年
2011/11/02(水) 22:33:34.46ID:Vg0uVKZO子が跡目争い起こそうもんならその子は
真っ先に後継ぎ候補から外される気がするな
0327人間七七四年
2011/11/03(木) 07:51:25.50ID:FYY1fxPF立花2代目を直次が継いでたら話は変わってたかもしれないけど、
1617年と早くに亡なったしね。
兄貴達には高橋家だった頃の記憶もあるだろうし。
そんなこんなで、1638年に宗茂父ちゃんから忠茂に直接家督が相続されるのは
ごく自然な成り行きだと思える。
0328人間七七四年
2011/11/04(金) 13:22:39.09ID:yHDUUJAd曾祖母あたりがそっちからきているので女系つながりだよ。
普通直系つうと男系つながりじゃないかな?
0329人間七七四年
2011/11/06(日) 22:47:26.26ID:Ys8+9LXs「領民より多くね?」
「まさか」
「はははははは」って感じで
0330人間七七四年
2011/11/11(金) 21:11:25.96ID:5g2GUUMf大砲は轟音を利用し士気の低下を謀る手段
大坂陣でも大坂城本丸の敷地内に当たったのはたった一回。
関ヶ原敗北後に宗茂が
籠城するなら参加しますけど?って聞いたら
増田と輝元が相談するから待ってと解答したから、
宗茂はなにを今更相談することあるんだ?と籠城意思ないのを悟り帰るんだよね。
安芸に舟を着けたら賊が襲ってきたから
一気に襲撃かけて皆殺しにしてから
九州に向かい、わざわざ福岡に上陸し秀秋の居城に対して
お前らも俺ら襲うの?通過させてくれんの?
と質問してから通過。
柳川まであと少しのところで、
鍋島襲撃の情報が入り、
いつもの違う場所から渡河して柳川入りしたみたいだけど。
0331人間七七四年
2011/11/12(土) 01:05:53.38ID:iEQxpZeOお!関ヶ原後、宗茂が九州に戻ってくる際に着港した場所ってあんまり良く分かっていないと
御当主から聞いてたので詳細諦めてたんだけど、耳寄りな情報ですね。
博多・門司・日出・鶴崎・佐賀関のどれかだと思ってたんだけど、
福岡上陸なの?博多かな。
0332人間七七四年
2011/11/12(土) 04:41:46.02ID:b9EPLEMH島津は別れた後に黒田軍の襲撃を受けたみたいだけど
0333人間七七四年
2011/11/12(土) 11:25:18.46ID:kqjNZxtH0334人間七七四年
2011/11/12(土) 22:02:42.19ID:U+RoCp/1柳川から最も近い港(海岸)は有明海からだけど、玄界灘〜島原半島をぐるりと廻る形になるので遠回りになる。
もし、博多から入るのであれば立花城時代から勝手知ったるもので、他のルートより使いやすかったからじゃないの?
0335人間七七四年
2011/11/13(日) 01:42:24.85ID:1JpItkdA0336人間七七四年
2011/11/13(日) 08:46:10.47ID:JV+cyfz1博多からだと小早川か鍋島に襲われる危険があるのなんて事前に分かっているだろうに
0337人間七七四年
2011/11/13(日) 10:01:54.75ID:rfN/2h9A>福岡に上陸し秀秋の居城に対してお前らも俺ら襲うの?通過させてくれんの?と質問してから通過。
と言ってるから、宗茂は博多か箱崎の港を選んだってことだよね?
情報の出所教えて欲しいな。
わざわざ東軍の秀秋領に上陸するなんてなんちゅー度胸…。これだけで逸話にできるレベル。
0338人間七七四年
2011/11/13(日) 11:48:38.11ID:DqbNRCs/0339人間七七四年
2011/11/15(火) 07:09:18.20ID:GsW2h2T20340人間七七四年
2011/11/15(火) 19:45:33.31ID:pg+hPvjl忠勝に負けたみたいだけど
0341人間七七四年
2011/11/15(火) 20:40:14.70ID:xB06fKRKアニメ?? どんなの?? 後、本多忠勝と比べるなら招運か道雪でしょね。
秀吉の覚え目出度かったのは確かだけど、家康の軍艦をずっと勤めて家康に
天下獲らせた忠勝と宗茂を比べるのは少しね。けど、宗茂のが好きだけどね^^
0343人間七七四年
2011/11/15(火) 21:22:09.12ID:YAGnxBSk立花家史料館BLOG
よくわかる!立花宗茂への投票のしかた
http://www.ohana.co.jp/museum/blog/?p=1109
0344人間七七四年
2011/11/15(火) 21:44:10.61ID:BCuHw8Fbhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6964015
0347人間七七四年
2011/11/16(水) 10:12:44.64ID:sTDYFTS3『江』での大津城攻めのシーンのこと?
真田幸村の最期のシーンとか見ても、あの脚本家がまともに描けるとは思えないな。
出なくてよかったよ、今回の大河なら。
大河に取り上げられることがあるならまともな脚本でお願いしたい。
(特に主役クラスの扱いならなおさら)
0349人間七七四年
2011/11/16(水) 14:15:23.78ID:LNGgUXOC「江」じゃなくて「葵」の大津城攻めのときね
「江」は信繁の最期もひどかったけど、逃げたはずの家康が
ひょっこり物陰から現れるのもひどかった
0350347
2011/11/16(水) 14:44:47.65ID:sTDYFTS3すいません。
『江』で大津城攻めの場面があった(宗茂のむの字もなかったが)から、ついそっちかと思って。
話を変えて…。
宗茂の人生の中で重要なターニングポイントの1つである『島津による岩屋・立花城攻め』。
島津軍の総大将が忠長ではなく、義弘や家久(義弘の弟の方ね)だったら、どうだったろうか?
島津が筑前方面に侵攻を開始したのは道雪が亡くなったことも理由の1つなのかな?
「道雪のいない大友なんて組み易し」とでも思ったのか…。
このスレの住人的には、どう思う?
0351人間七七四年
2011/11/16(水) 16:44:48.19ID:lEz+CtUU南から順に来ただけだし、道雪が島津担当だったわけでも無いし
0352人間七七四年
2011/11/16(水) 20:30:27.66ID:8PlTBSlg大過なく撤退できた紹運がえらい
高橋千数百騎と謳った戦力が籠城時には七百あたりまで目減りしているのも泣ける
0353人間七七四年
2011/11/16(水) 20:41:44.88ID:2nvx5Iul高橋ぐらいの領地で騎乗が認められた上士格を千人も抱えられたの?
0354人間七七四年
2011/11/16(水) 21:00:12.22ID:SqjAA0FZ周辺の人々の気持ちを
ガッチリ握ってるってのは大きいんじゃないかな。
そういうフィクサー的なのが道雪じゃないかな。
だから島津も介入きなかった。
なんせ道雪末期の義弘なんかも
秋月らの支援要請に対して
大友を脅威に思っていて
慎重に考えるべきと言ってる。
耳川後でも島津は大友を大国と認識してた。
でも道雪が死ぬと認識を変えてる。
0356人間七七四年
2011/11/16(水) 22:17:29.68ID:2nvx5Iul本当は高橋300騎ってとこ?それでも多いな
0357人間七七四年
2011/11/28(月) 23:06:36.82ID:VnDq7bN3リアル闇千代があんな殊勝だったら、史実の宗茂があんなに苦労していないわな(涙)。
0358人間七七四年
2011/11/29(火) 02:09:10.17ID:aRp/RTGUウィキ覗いたが糞だな
あんなの観る奴はこのスレにいらん
0360人間七七四年
2011/11/30(水) 13:11:10.08ID:IMZC26kD境界線上のホライゾンって戦国モチーフだったのか。タイトルからは想像もつかんな。気づかなかったww
まだ立花夫妻出るかね? 出るなら今からでもチェックしてみようか
しかしこんな形で表現されることもあるとは、戦国時代も色々な形で出るものだねぇ
何がきっかけになって戦国武将に興味を持つものかわからないし、入り口が広いのはいいことか
0361人間七七四年
2011/12/01(木) 18:43:40.65ID:u+ndZiGG0362人間七七四年
2011/12/02(金) 13:56:16.12ID:N5jbeiyMこれから大活躍のはず、準レギュラーだから(但し敵方w)
しかし昔は徳川四天王は知られても西国無双とはいえ、
宗茂はほとんど知名度はなかったのになぁ、
そういやぁ、里見八犬伝の犬山道雪は立花道雪がモデルらしいが、
江戸時代のほうが知られてたのかなぁ。
0363人間七七四年
2011/12/11(日) 22:36:12.92ID:JedMZAu8道雪は一応は病死だけど戦況は敗色濃厚で
実質的には敗死だからなあ。
立花勢が筑後から撤退できたのも龍造寺側の温情だし。
大友側にとっては筑前方面の最高指揮官の敗死だから
大打撃だったと思うよ。
0364人間七七四年
2011/12/14(水) 17:33:41.45ID:gYORrqRo0365人間七七四年
2011/12/21(水) 23:19:49.25ID:BYySEZ4vもうすぐ終わるけど
0366人間七七四年
2011/12/26(月) 23:09:07.04ID:DaRW3v1n一、命令を受けることに専心する。今は遠慮がいるべき時期であろうか。
一、合戦の時は協力する。近い衆中の心持ちについて善悪を判断しない。
一、戸次家・高橋家の奉公のことは、道雪の家中と同意する。
一、高橋家の者たちの心持ちのこと。あの条件については、紹運の覚悟で決着する。
一、統虎の心底については見極めた所はない。妻を愛することについても計りがたい。
最後の文読むと、宗茂って何を考えているか分からないところがある人物だったのかなと思う。
0367人間七七四年
2011/12/30(金) 14:20:46.54ID:71Ld9viu親父から見てもつかみ所が見当たらない人だったのか
0368人間七七四年
2011/12/30(金) 20:10:49.43ID:fVO099UF器量の大きさがはかり知れないって評価にも思える。
おぼっちゃまエピソード(虚実入り混じってるが)なんか読むと
掴みどころなさそうな御仁ではあるが。
0369人間七七四年
2011/12/31(土) 05:21:44.34ID:5mNx5NKIかっこ良い感じではあるけど
0370人間七七四年
2011/12/31(土) 09:47:25.97ID:T2MT96yO正月時代劇 大友宗麟〜心の王国を求めて〜
1月3日(火)[総合/県内]21:00〜22:30
ttp://www.nhk.or.jp/oita/program/b-det0004.html
ttp://www.nhk.or.jp/oita/program/osusume/images/1201/0103_2.jpg
0371人間七七四年
2012/01/16(月) 19:37:14.59ID:bdxYZSdv兄がタイ捨流門派で、弟が柳生流門派って面白いな。
0372人間七七四年
2012/02/27(月) 00:03:13.43ID:Rihx6oO2このスレに集う方々は、宗茂が題材の小説等はよむのですか?
0373人間七七四年
2012/02/27(月) 19:08:00.08ID:CiPOq1wG『火の槍・立花宗茂』 原田種眞
『立花宗茂』 八尋舜右
『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
『立花宗茂』 志木沢郁
『剣と笛』 海音寺潮五郎 (武将列伝にも立花一族があったかな)
『孤闘―立花宗茂』 上田 秀人
『立花宗茂と立花道雪』 滝口 康彦 (内容的には紹運の岩屋城がメイン)
『螢の城』 秋月達郎 (これは京極高次主役で、宗茂は敵役だけど)
このくらいですね。
全体的に駆け足だったり、人生の一部分しか書いてないのばかりなんですよね。
全5巻以上のボリュームで誰か書いて欲しいです。
0374人間七七四年
2012/02/27(月) 19:23:26.67ID:q9Psp4RX個人的な感想だけど、読んだ中では
『立花宗茂』 志木沢郁
『立花宗茂』 八尋舜右
この二冊は面白かったなあ。
八尋さんのは巨迹繧フ死までしか書かれてなくて残念。
志木沢さんのは、ちゃんと生涯通して書いてあり読み応えあった。
『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
これは酷かった。
0375人間七七四年
2012/02/27(月) 20:20:04.93ID:dAotAQry0376人間七七四年
2012/02/27(月) 21:25:51.54ID:reZcHf7lァ千代が主役だけど「まりしてんァ千代姫」なんてのもあるし
俺が読んだ中で一番苦手なのは孤闘
0377人間七七四年
2012/02/27(月) 23:27:27.25ID:Z5HIKYFC無双の花かわんとなあ
ついでに例の史料館ブログ見てきたけど相変わらずあそこはぶっ飛んでる
戦国BASARA人気投票の投票の仕方解説してたり、ポケモン+信長の野望のパートナーポケモン真面目に考察してたり
いや面白いからいいけどさw
0378人間七七四年
2012/02/27(月) 23:47:33.86ID:PZQBA5wU有名になるのは嬉しいけど複雑な気分
0379人間七七四年
2012/02/28(火) 10:07:33.05ID:0igVvK5a0380人間七七四年
2012/02/29(水) 00:26:09.74ID:UlK5uoun>『立花宗茂 上・下巻』 童門冬二
>これは酷かった。
確かに・・・
童門氏の歴史小説はとにかく現代風にたとえるところが鬱陶しいというか
教訓染みた言い回しがクドイというか
0381人間七七四年
2012/02/29(水) 14:21:36.88ID:oQq4zjjk今は大満足している
0382人間七七四年
2012/02/29(水) 17:22:27.95ID:ApOj86lp本筋をぶった切って余談に延々と頁を割いたりするのも辛い。
>>375でも出たけど、道雪☆と巨迹縺嘯ナもうお腹いっぱい。
0384人間七七四年
2012/03/06(火) 13:37:21.65ID:8mJBR2hD0385人間七七四年
2012/03/06(火) 21:54:54.90ID:UITR4SLq0386人間七七四年
2012/03/06(火) 22:29:23.70ID:+2H4C0xM攻めてる敵の城への逆襲や複数の城を対象とした速さを活かした連続攻城戦は得意っぽいが。
0387人間七七四年
2012/03/07(水) 07:14:57.81ID:iE/pr2UI0388人間七七四年
2012/03/07(水) 14:51:43.06ID:BGl7ZxSP0389人間七七四年
2012/03/07(水) 19:10:00.78ID:qST11BS3同感。
それなりの統率力ある武将が一定数の兵士とともに堅城にこもってしまえば
いくら名将でも短期間には落とせない。
0390人間七七四年
2012/03/07(水) 19:41:03.82ID:GfVklYUc実質的には12日から13日の1日半だけの攻撃で開城させてるし、
堀埋めや、開城交渉に時間を取られただけで特に苦戦はしてなかったと思う。
タイミング的にそういう印象になりやすいとは思うが
0391人間七七四年
2012/03/08(木) 12:34:15.24ID:NnMPWbwJ城攻めは篭城側より3倍近い兵力が必要だ(孫子だと10倍だと言っている)
立花が幾ら勇猛であったとしても、通常、万の兵を必要とする作戦行動に
必要な人員が足りなければ無理な作戦はあるだろう
0393人間七七四年
2012/03/08(木) 22:07:25.95ID:Ie3Dtacsいや、別に立花だけで城攻めしたわけじゃないだろ。
で、立花以外も関が原に居なかったことが惜しまれる精鋭揃い
0394人間七七四年
2012/03/09(金) 08:19:35.50ID:9u4TBcdxカッコイイ
0395人間七七四年
2012/03/09(金) 08:41:13.94ID:mPATfK9J立花とか真田が関が原の主戦場にいて
さらに長宗我部も前線に配置していれば
勝負はどうなったかわからん。
0396人間七七四年
2012/03/09(金) 11:01:48.12ID:mNPugHnd立花はメッチャ勇戦したろうが
その時点では鍋島は親父から手紙で戦うなと
言われている。
下手したら東軍に寝返ってた可能性がある。
0397人間七七四年
2012/03/09(金) 12:01:08.48ID:OQANr36j0398人間七七四年
2012/03/09(金) 17:52:53.68ID:n+a1s6Z20400人間七七四年
2012/03/09(金) 19:47:51.84ID:2t5Qjbsq0401人間七七四年
2012/03/10(土) 21:46:28.68ID:pMuqPL5B丹後の細川を大軍で攻めるなど、西軍はチグハグな動きだった。
0402人間七七四年
2012/03/10(土) 21:48:19.23ID:pMuqPL5Bメッケル少佐が関ヶ原の布陣図を見て「西軍の勝ち」と即答したことは有名だが
その主戦場に立花がいれば…。
0403人間七七四年
2012/03/10(土) 23:17:10.33ID:d5Qn0Doo0404人間七七四年
2012/03/10(土) 23:52:12.10ID:4YP4TNBw結果は変わらなかっただろう、3000程度の小勢だしな・・・
0405人間七七四年
2012/03/10(土) 23:56:03.86ID:KmBgeh8D才能だけじゃ生き残れないからな
0406人間七七四年
2012/03/10(土) 23:56:32.25ID:pMuqPL5B野戦で勇将が率いる3000はかなり強い。
俺が石田三成なら立花軍をスーパーサブとして温存。
ここぞというところで投入する。
0407人間七七四年
2012/03/11(日) 00:13:45.43ID:plQm0zmy本田忠勝はたった400人の部隊で
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3925.html
ってな活躍だからなぁ。
ただ、三成には要所に立花軍投入するといった指揮能力はないけどな
0408人間七七四年
2012/03/11(日) 07:06:18.01ID:kRbB8eCP0409人間七七四年
2012/03/11(日) 10:26:41.96ID:dnlF/qL/勇猛さを示せはしたが大勢に影響せず
0410人間七七四年
2012/03/11(日) 10:46:48.32ID:3egjmb+h宇喜多と仲が悪い
小早川と仲が悪い
島津と…
ってなるとな。宗茂は気にしないだろうけど。
0411人間七七四年
2012/03/11(日) 11:12:27.20ID:FBRk+ZE1西軍の戦っていた諸将は皆、倍近い敵と戦っていた
立花も戦場に居れば戦わない余裕なんて無い
>>407
東軍と西軍では境遇が違いすぎる。
500の小勢で数千の敵と正面から戦ったりしたか?
忠勝は悪く言えば美味しいとこ取りしただけとも言える
他家に正面からぶつからせて、自分は横合いから攻め
更には敗走する相手を攻める。
首を取った数が多いから大活躍!!というのは
子供視点過ぎる。織田有楽隊も挙げた首級は多いよw
0412人間七七四年
2012/03/11(日) 20:55:23.38ID:/ZNsz9Ub朝鮮出兵をともに戦ったからか、関ヶ原以前から宗茂と義弘は結構親密だったようだけどね。
荘内の乱のときに、宗茂は島津氏に対して援軍の打診をしている。
0414人間七七四年
2012/03/11(日) 21:19:13.90ID:grXjv8gw0415人間七七四年
2012/03/12(月) 02:58:10.21ID:+/hMLCxi肥後抜けて来れないんじゃないのかな。
さらにその後の島津攻めの先鋒にされかけてたはずだよね。
0416人間七七四年
2012/03/12(月) 07:27:53.29ID:dOFPtO1iこれを援軍と見るのか単なる領土獲得のためと見るのかはご自由に
0417人間七七四年
2012/03/12(月) 12:05:09.90ID:4CEX6VDr実際梅北の乱の時には佐敷攻め本隊とは別に船を使って
別働隊千人で八代侵攻図ってたから、まぁ侵攻前に梅北が死んじゃって中止になったけど
0418人間七七四年
2012/03/12(月) 12:07:19.60ID:HHgJnJfFやる気だったんだ?それなら関ヶ原に兵を送っておけば勝てたかもしれんのに
0419荒らされたので、住人誘致中
2012/03/12(月) 22:52:30.20ID:IDDrPZi6万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0421人間七七四年
2012/03/13(火) 01:00:29.73ID:je+cEGMy0422人間七七四年
2012/03/13(火) 06:08:55.79ID:OxbI9Wy20423人間七七四年
2012/03/13(火) 06:46:16.54ID:PFB/JdbA島津は兵站が弱いから、持久戦に持ち込まれるとしんどい。
0425人間七七四年
2012/03/13(火) 17:21:27.40ID:wvnm27BN0427人間七七四年
2012/03/14(水) 13:30:36.96ID:C1Fo0c8t岐阜城が1日しか持たなかったのは痛かったな。
それこそ立花みたいな名将が籠っていればしばらく持ちこたえたはずなんだが。
0428人間七七四年
2012/03/14(水) 13:56:36.11ID:QRHt3DZF国取り陣取り合戦をしている訳じゃないからな。
要は野戦で家康を討ち取るために何が必要だったのかが問題。
0429人間七七四年
2012/03/14(水) 20:58:19.37ID:9tZrfZBf特に豊臣恩顧の大名を寄せ集めた関ヶ原じゃ何が起こってもおかしくない
関ヶ原の東軍は一にも二にも徳川家康あっての東軍だからな
家康が死ねば秀忠ごときに統率できるわけが無いよ
つっても秀忠は遅刻してたんだっけ?ww
あと立花軍の兵3千の力を舐めない方がいい
小早川隆景をして「立花の兵3千は他の兵の1万に匹敵する」って言われたぐらい
精強だし、宗茂自身も「戦いとは兵が多いか少ないかではなく、一つに
まとまっているかどうかで決まる」とまで言ってるからな
まぁそれが皮肉にも東軍と西軍全体での統率力にモロに現れてしまったわけだ
東軍は家康を中心にまとまってたが、西軍は小早川の裏切りにしろ毛利の
優柔不断にしろ島津の頑固さにしろとにかく全然まとまりが無かった
はっきり言って西軍でまともに戦ったのって大谷吉継と宇喜多秀家ぐらいだろwww
0430人間七七四年
2012/03/15(木) 05:56:39.54ID:cN5Nyd1E政治的影響だよ。岐阜城陥落で毛利などは東軍との決戦方針を明らかに撤回した。
アレ以降は、三成など一部の主戦派を除いてあの関ヶ原戦役をどう収集させるかという
裏交渉に主軸が移ってる。
関ヶ原の決戦は、西軍の中でも劣勢に追い込まれた主戦派が、主導権を再び奪うための政治的冒険にすぎん。
そしてそれは当然のように失敗した。
それは関ヶ原の合戦が、傍証により僅か2時間ほどで決着のついた、ほとんど瞬殺といっていいような一方的
合戦だったことからもよくわかる。
なので西軍の敗北は岐阜城陥落で決定した、と言えると考える。
0432人間七七四年
2012/03/24(土) 11:57:15.54ID:CDqQo5d/0433人間七七四年
2012/03/24(土) 12:55:59.83ID:qgsZERjy関が原で戦えず帰参したとっから始まってた奴だったか・・・
0434人間七七四年
2012/04/16(月) 21:24:22.30ID:sjXgljk5そうでないのかわからない
側室を迎えるの早いけど、ザン千代が死んだ後の扱いはとても丁寧だし。
あと長生きで側室がいたのに、何で子供が出来なかったのかな。
めちゃめちゃ健康だったのに。
才色兼備で性格が良い設定で生まれることが出来たとして、
立花宗茂と結婚できてもきっと寂しいな
誰か一人を愛するタイプじゃなさそう よくも悪くも
0435人間七七四年
2012/04/16(月) 21:56:21.72ID:LM7BACeA0436人間七七四年
2012/04/16(月) 22:25:09.41ID:sjXgljk5というのはウソで間違えましたorz
0437人間七七四年
2012/05/19(土) 21:55:16.62ID:OnN7mB150438人間七七四年
2012/05/21(月) 23:45:16.36ID:KxTm7H3b>第113回放送予定
>戦国女BOSSがゆく
>〜ツンデレ城主・ぎん千代&戦う女た
orz
0439人間七七四年
2012/05/22(火) 19:03:09.82ID:VbrzMmH60440人間七七四年
2012/05/23(水) 19:29:19.20ID:tQuYSXw1宗茂をちゃんと紹介してくれるかが不安だが
0441人間七七四年
2012/05/23(水) 19:44:15.86ID:OT7/u4i1正直宗茂はスルーでお願いしたい
こんなんやったら紹介されん方がいいわ
最近とみにヒストリア暴走気味だと思ってたけどよりによってこれはねえよ
ツンデレて……
0442人間七七四年
2012/05/23(水) 23:36:49.64ID:55Nxv370>>441
>正直宗茂はスルーでお願いしたい
>こんなんやったら紹介されん方がいいわ
本当そう思うわ。
0443人間七七四年
2012/05/24(木) 20:23:53.85ID:evok16zR0444人間七七四年
2012/05/25(金) 13:22:38.37ID:xMIp42Pa実際戦場出たわけでもない、戦場で戦った姫は他にいるにも関わらず
…やっぱりゲームの影響ってでかいのね
0446人間七七四年
2012/05/29(火) 20:48:05.07ID:2RbSPfG80447人間七七四年
2012/05/29(火) 21:19:42.36ID:R52djclr0448人間七七四年
2012/05/30(水) 00:30:51.45ID:FWUwIlny0449人間七七四年
2012/05/30(水) 15:21:07.42ID:IfUVjgTg卒業アルバムのクラス集合写真は何故か御花で撮った。
0450人間七七四年
2012/05/31(木) 00:52:46.95ID:BUeVZMJS面白いけれど実際には二十歳前くらいから別居だし、性格合わなかった
んじゃ。ァ千代の死後を手厚くしたのは、立花家の当主は彼女だから
立花家家臣や土地の者達のためにも当然っちゃ当然。しかも、宗茂の継室
になった八千姫は、足利家の血を引く美女で、関が原戦後の京都
暮らしのときに一緒になった。一番苦しい時に迎えた嫁だから、こちらの
ほうが相思相愛だったのでは。このお姫様も早く亡くなったけれどね。
0451人間七七四年
2012/06/01(金) 07:28:32.15ID:gy8hUwab静養のために城を離れたのを尾ひれ背ひれ付けて別居・不仲とか噂が立つのはありそうな話
ついでに道雪がァ千代から当主の座から降ろさせた理由にもなる
0452人間七七四年
2012/06/02(土) 01:01:15.47ID:qFZxgFE4静養のためってのは考えたことなかったなぁ
まあ昔は夫婦間に子供がいなかっただけであれこれ言われる時代だしね
0453人間七七四年
2012/06/02(土) 03:55:28.35ID:GNpPZ4JO0454人間七七四年
2012/06/02(土) 10:58:22.72ID:Cp+jptM80456人間七七四年
2012/06/02(土) 13:12:00.67ID:Cp+jptM80457人間七七四年
2012/06/02(土) 16:08:59.13ID:YlpL4jz+0458人間七七四年
2012/06/02(土) 16:31:37.94ID:xueOxAaY0459人間七七四年
2012/06/02(土) 17:43:47.49ID:hOv13Rg4矢島八千が細川家の勧めで宗茂の側室になったのは文禄の役の後で、
ァ千代が宮永に行って別居したとされる94年と時期が近いから
これが原因って言う見解が多かったと思う
0460人間七七四年
2012/06/03(日) 13:41:10.43ID:uYmm2M3uァ千代は城督、城領、諸道具を道雪から譲られ、宗麟父子の安堵を受けている
とのこと。
0461人間七七四年
2012/06/03(日) 18:35:29.20ID:x1Moj6SH後に立花氏の名跡を継承し立花山城督になってるから、
ァ千代には立花氏の家督を譲ってるってことになるんじゃないかな。
宗茂とァ千代が正式に立花姓を名乗るようになったのは宗茂が婿に来た後の
1582年頃からみたいだけど
(道雪だけは戸次姓を死ぬまで名乗ってたらしいが)
0462人間七七四年
2012/06/04(月) 20:17:01.03ID:aQDHsqkc無理言って婿養子にもらったって言うのに家督云々について道雪のフォローはなかったのかな?
宗茂が優秀だったからよかったものの
家中の信頼はてめえで勝ち取れっていうスパルタ教育の一種っすかね?
0463人間七七四年
2012/06/06(水) 22:58:17.07ID:6tjLTuet歴史秘話ヒストリア「世界遺産・熊野と女たち」★2
ttp://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1338989305/
491 :公共放送名無しさん:2012/06/06(水) 22:43:35.29 ID:75CrQAMA
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990199152.jpg
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990202762.jpg
ttp://pa.dip.jp/jlab/e/s/pa1338990205564.jpg
0464人間七七四年
2012/06/06(水) 23:20:06.40ID:1pDZQ32Jツンデレ城主とか酷すぎる。
0465人間七七四年
2012/06/06(水) 23:37:42.30ID:eLL93O5kァ千代はツンデレではないよな
ツンツンだよな
・・・それよりもうちのPCが「ァ千代」を一発変換したのに驚いたw
0466人間七七四年
2012/06/09(土) 22:12:25.51ID:9qpdoP1S0467人間七七四年
2012/06/09(土) 22:23:59.49ID:3Ziy4P0G0469人間七七四年
2012/06/11(月) 03:01:58.02ID:fvxs281xもっと持ちこたえたであろう
0470人間七七四年
2012/06/11(月) 03:02:45.36ID:fvxs281x〇本戦
0471人間七七四年
2012/06/13(水) 05:53:46.58ID:IJVSlAgBまとまってるかどうかで決まる」ってことなら
立花軍とまともに戦える奴らはスーパーのパートのババァどもしかいないなw
あのオバハンらの一致団結した時のまとまりはガチで怖い・・・
0472人間七七四年
2012/06/13(水) 22:25:40.15ID:C3rh4G/5高橋紹運は書状に名が告げられただけ。
紹運はなんかNG扱いなのか?
0473人間七七四年
2012/06/13(水) 22:33:36.47ID:lkm+x9Z40474人間七七四年
2012/06/13(水) 22:45:50.34ID:vQpNanRp毛利輝元「・・・・・・・」
立花宗茂「ええい!拙者はこれより領国に帰り云々」
0475人間七七四年
2012/06/13(水) 22:50:02.90ID:JRibyLY10477人間七七四年
2012/06/13(水) 22:57:50.35ID:KxXrEU7Y戦前は玉砕戦の良い手本として鹿之助等と共におおいに顕彰されてた
その反動でGHQから封殺するように指導が入ったとか
0478人間七七四年
2012/06/13(水) 23:14:52.18ID:+Uq358ji宗茂がテーマならともかく今回の主題じゃないし
岩屋城取り上げて他の戦場無視とかしたらそれこそ贔屓の引き倒し
0479人間七七四年
2012/06/13(水) 23:26:38.08ID:NlA7FDPc分かってましたとも
0480人間七七四年
2012/06/13(水) 23:35:52.07ID:KxXrEU7Yそっちもスルーだったな志賀さん家は
0481人間七七四年
2012/06/13(水) 23:44:09.78ID:qYda1txnttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339588943/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★2
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339592915/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★3
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339593504/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★4
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339594132/
歴史秘話ヒストリア 立花ぎん千代&吉岡妙林尼★5
ttp://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/livenhk/1339595010/
0482人間七七四年
2012/06/13(水) 23:47:31.45ID:qYda1txnttp://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1339595010/
まだ生きてる
0483人間七七四年
2012/06/14(木) 03:00:35.28ID:TZto+9L1大まかな内容どんな感じだったの?
0484人間七七四年
2012/06/14(木) 03:13:15.11ID:lMGaec6x多分貴方が想像する域を超えてない
0485人間七七四年
2012/06/14(木) 12:03:50.83ID:UnW6v2hRそいつただのDQNじゃん
子孫絶やしてどうするよ
0487人間七七四年
2012/06/14(木) 18:18:39.69ID:MFCp0kJK統常の弟の戸次統利だけは生き残って宗茂に仕えてて
棚倉にも同行してるんで、絶えたわけじゃないけどね
0488人間七七四年
2012/06/15(金) 00:58:49.70ID:8+R9PnIV道雪、宗麟から養子勧められても断って(ギン7歳)を当主に、なのに急に宗茂を婿養子にした(13歳)のちょい不自然だったけど
勇壮(らしい)のに戦場に出てないとか、宗茂が勧められたら側室持ったとか含めて、健康上の問題があったなら辻褄合うね
0489人間七七四年
2012/06/15(金) 08:45:14.27ID:bYpULFnR0490人間七七四年
2012/06/27(水) 11:55:18.28ID:4C8zrMmM地元漁師から女房衆を通じて情報が入ったとの見解で良いのでは。まあ、それだけ宮永様も立花家も領民に慕われたとも言えるかも。
0491人間七七四年
2012/06/30(土) 21:07:55.63ID:jHsDvX6Z最近立花宗茂と巨迹縺Aゲーム人気だろうけど二次創作に近い人物像だよね
0492人間七七四年
2012/07/01(日) 01:28:27.68ID:vpWZVwbeまあ、元の立花さんは大友さんを裏切りましたからね
ゲーム人気だろうけど〜
いいえ、ちゃんと評価されてきてますよ
0493人間七七四年
2012/07/01(日) 17:47:10.66ID:FqclglZi立花氏は大友家6代貞宗の次男貞載が大友家の博多湾進出の拠点として
名乗った家で、同じ大友の一族同士なんで宗麟の認可によって名跡を得てるよ。
0494人間七七四年
2012/07/02(月) 00:31:46.82ID:mIVom50N0495人間七七四年
2012/07/02(月) 00:57:27.88ID:AORSS1TJ立花道雪の墓が何故城塞だった立花にあるのか
夫婦が何故長いこと音信不通になっていたのか
0496人間七七四年
2012/07/02(月) 02:01:31.10ID:iRyPi6HV歴代の墓の中にもあるよ。宗茂も福厳寺だけじゃなく東京の練馬にも
あるし、当時の有名な武将は複数の墓があることが多いよ。
梅岳寺の方の道雪の墓の隣に関ヶ原まで宗茂にも仕えた重臣の
薦野増時の墓が逸話どおりにあるし、宗茂と道雪の関係を繋ぐ
証拠なんてありすぎるほどあるけどなあ。
0497人間七七四年
2012/07/03(火) 10:04:51.36ID:OLAZmp6U0498人間七七四年
2012/07/03(火) 16:50:20.06ID:F5DipXzH0500人間七七四年
2012/07/04(水) 09:12:53.20ID:x9kxJESj0501人間七七四年
2012/07/04(水) 18:11:27.75ID:zbe/bzzp立花宗茂は実在の人物だけど腐女子に人気のBASARA武将だからフィクション混じってるんだよ
0502人間七七四年
2012/07/05(木) 21:54:01.36ID:+KF0WPVu根っからの官軍気質って感じ
0503人間七七四年
2012/07/07(土) 18:12:58.20ID:4Fymndx30504人間七七四年
2012/07/08(日) 11:24:06.58ID:8O+uIrEz立花山に城を築いたから立花氏を名乗ることを許されたのが、元大友一族の前城主。
のちに大友氏を裏切って滅ぼされたけど、立花城は博多湾を見下ろす最重要拠点だったので、
代わりに大友一門である戸次氏が城を任され、立花氏を名乗ることを許された。
ってことでいいかな。
0505人間七七四年
2012/07/08(日) 11:30:51.03ID:a6FVJmVV0506人間七七四年
2012/07/08(日) 12:05:39.88ID:vnPlTQNV0507人間七七四年
2012/07/08(日) 17:32:42.24ID:8O+uIrEz0508人間七七四年
2012/07/08(日) 17:41:29.60ID:GQ5gqTvO0509人間七七四年
2012/07/08(日) 18:40:05.17ID:4n0DDBZd大神一族であった戸次家の養子になって跡を継いで
同紋衆化したんだっけか、他にも臼杵家も戸次から養子を
得たことで他紋衆から同紋衆化してるね。
0510人間七七四年
2012/07/08(日) 18:40:15.83ID:KDEcJCXvあと戸次氏の末路は凄絶すぎ
0511人間七七四年
2012/07/08(日) 19:29:47.16ID:vnPlTQNV立花は正真正銘一門。
0512人間七七四年
2012/07/14(土) 19:07:47.82ID:C0dJRKor0513人間七七四年
2012/07/15(日) 04:43:05.86ID:OiRGbSdk0514人間七七四年
2012/07/16(月) 16:38:23.69ID:Tlwy3Uxh確か川っぷちに建ってなかったっけ。
大丈夫だったんだろうか。
0515人間七七四年
2012/07/16(月) 18:31:16.45ID:FP7OegHn古文書館は無事だそうで。
0517人間七七四年
2012/07/17(火) 02:06:50.57ID:JOyTGdHSおまけに台風まで…
0518人間七七四年
2012/07/18(水) 18:46:41.30ID:A9irsIDW田中吉政は籠城の際には沖端川や塩塚川を決壊させて城下町の外を浸水させ
城と城下を島のようにする水城を築きましたが、今でもそれが機能しています。
先日の土曜日の洪水時も旧城下町の内と外で様子が一変していました。
古文書館付近は古文書館前の堀を境に東側(駅側)が浸水、西側(古文書館側)は無事でした。
0519人間七七四年
2012/07/19(木) 21:06:37.06ID:ERDz8Jv+すげぇな柳川城下。
そういや旧城下外のガードレールの無い掘り割りに沿った道はちょっと酷い雨の増水で掘り割りと道の境が分からなくなり、地元民でもなきゃ車を走らせるのが怖い状況になるよな。
0520人間七七四年
2012/07/19(木) 22:34:08.29ID:nyLVDKJR『立花家史料館』まで歩いて5分しかかからんばい。
0521人間七七四年
2012/07/20(金) 23:04:55.48ID:2m8e+wd1柳川城下の堀は深く中々溢れないが、郊外のクリークはすぐ溢れるもんね
0522人間七七四年
2012/07/22(日) 09:38:52.67ID:rm55li6n一見同じように見える川下りコースだけど、敵の侵入を防ぐ目的の掘割と、灌漑用の農業用水路との違いなんだろうか。
周辺郡部との合併で柳川市が前より広くなってるのに最近気が付いた。
今度の水害では明暗を分けたね。
0523人間七七四年
2012/07/25(水) 14:36:53.20ID:WxIDsAFf> 柳川城下の堀は深く中々溢れないが
台風が来ても大丈夫なように造ってあるはずだが、
それでもなおあふれたことってあるの?
記録にある?
0524521
2012/07/26(木) 21:37:59.30ID:chWyibki柳河城は全国屈指の規模の水城だし、防衛上水が溢れるようじゃいかんからね
>>523
戦後の昭和20年代にあった大洪水では、筑後川が氾濫し城下も酷く浸水したと聞いているけど、
それ以外は知らないね
0525人間七七四年
2012/07/27(金) 13:26:59.75ID:WaATJkMI柳川城は海や湖に接してないし
緊急時に水門を開けて水城状になるってだけで
平時は平城だろ、あれを水城扱いにしたら佐賀城も水城だわ
0526人間七七四年
2012/07/28(土) 00:10:34.37ID:oNMm/2ti柳川城も佐賀城も水城(水攻め)で有名な忍城も籠城時だけ水で守る、平城であり水城でしょ
てか日本三大水城といわれる今治城・高松城・中津城あたりも平城だし
0527人間七七四年
2012/07/28(土) 08:47:10.93ID:9C3iDZn9平地に築かれて水堀や石垣などで防御している。
水城
海、湖沼を防御に利用しているお城。
0528人間七七四年
2012/07/28(土) 09:18:09.19ID:VO7AquZe0529人間七七四年
2012/07/28(土) 10:14:28.58ID:6OsizIVj0530人間七七四年
2012/07/28(土) 11:35:16.18ID:9C3iDZn9海や湖に出れる事が重要と思ってるけどな
情報収集や機動力を生かす為に積極的に水を利用している城と
0532人間七七四年
2012/07/28(土) 18:26:40.89ID:VO7AquZe屋内に係留した船で、水路を使って登城するような城は日本にあるの?
0533人間七七四年
2012/07/28(土) 19:48:12.66ID:yTbeatcc0534人間七七四年
2012/07/28(土) 19:49:33.56ID:1QLSuGI0熊本城は攻め方が悪かっただけだな。薩摩方面にしか向かっていない城に、素直に真正面から
攻め込むってアホか。
西郷は戦国武将にもなれんよ
0535人間七七四年
2012/07/28(土) 19:54:37.63ID:qU7th/Vs> 柳川城は海や湖に接してないし
だから、敵が強い水軍を持っていてもなんとかしのげるんだろうね。
0536人間七七四年
2012/07/28(土) 19:58:28.23ID:qU7th/Vs幕末に江戸城で籠城戦をやったら明治維新は1年ぐらい遅れたと思うんだがどうだろうね?
0537人間七七四年
2012/07/28(土) 21:43:37.62ID:cLnxQOTJ0538人間七七四年
2012/07/28(土) 22:23:51.85ID:FeAmQ/aM0539人間七七四年
2012/07/28(土) 22:50:44.95ID:KGRdwm5g柳川城は落城に3年かかり、熊本城は3日、佐賀城と久留米城は朝飯前ってこった。
0541人間七七四年
2012/07/29(日) 06:21:03.17ID:zZtBHy21誰が云った?
0542人間七七四年
2012/07/29(日) 06:23:52.38ID:SgpGUZUT藤堂高虎や黒田長政にはどうあがいても勝てない
0543人間七七四年
2012/07/29(日) 06:44:22.66ID:oi9rA1tM戦闘指揮官としては日本最強だが、
戦略や政略の能力はたしかに劣っていた。
0544人間七七四年
2012/07/29(日) 10:35:12.80ID:g0pZ6ySp0545人間七七四年
2012/07/29(日) 11:38:55.75ID:bQCh84460546人間七七四年
2012/07/29(日) 13:57:56.73ID:4eVtK7nP0547人間七七四年
2012/07/29(日) 14:04:41.36ID:0f7axD3C0548人間七七四年
2012/07/29(日) 16:21:04.40ID:OqDod5qg天下をとる能力がないから警戒されなかったんだろうな。
黒田如水などは誰からも警戒されるのがデフォルト。
0549人間七七四年
2012/07/29(日) 17:07:54.50ID:Cfsm2VJv大局観の有る無しじゃなくて
そういう事より自分のルールに殉じただけな気がするけどね
たとえ目端が利いてても、それを選ばない生き方をしそうだし
それを愚かというべきかは判断しかねるけど、この人の魅力だとは思う
0550人間七七四年
2012/07/29(日) 17:23:42.56ID:OL7d2ha/俺もそう思う。一途に自分の決めた事に純粋だし義理難い。
本物の武士って感じが誰からも愛される理由だと思う。
若い時のお坊ちゃん気質の笑えるエピソードとかさ。人間
臭くて好きなんだよ。黒田長政や細川忠興や藤堂高虎は
機を見るに敏だが、家臣と直ぐにトラぶったり・・・俺が、仕える
なら立花宗茂だね。
0551人間七七四年
2012/07/29(日) 18:14:04.61ID:MoiAd7yLいや、上手いと言うよりこの人の場合はガチで嘘偽りの無い人間性に
家臣たちが惹かれてたんだと思う
でもやっぱり実父の紹運や養父の道雪の影響も大きいだろうね
二人とも大友屈指の忠臣であり猛将だったからそういう二人を
父親に持ったのは本当に幸運だったろうし大きかったと思う
0552人間七七四年
2012/07/29(日) 19:28:00.95ID:4eVtK7nP与えられた任務って観点ではミスが無いし、
常人の見積もりで20%程度の成功率でも
完遂してるわけだが
0554人間七七四年
2012/07/29(日) 22:04:12.09ID:wIcu5Xvz0555人間七七四年
2012/07/29(日) 22:51:09.01ID:4eVtK7nP正しくは見限り者ってとこかね。
結構好きな武将ではあるけど
大坂とかでの苦戦を見るにあんまり強い印象は無いな。
0556人間七七四年
2012/07/29(日) 23:09:24.53ID:zd3xZ9++「いつの頃からか大友陣中で流行った戯れ歌」らしい。
だから多分守る側の自慢ってよりは攻める側の嘆き歌だろうな。あーちくしょう柳川城全然落とせねー的な。
比較対象に肥後があるあたり大友全盛期で肥後まで伸びてた頃じゃね。
0557人間七七四年
2012/07/29(日) 23:31:24.99ID:RqFSXOBX・戦国時代で肥後の堅城ならまず隈府城の名が挙がらないとおかしい
・久留米城は小早川が入る前は佐賀城と比較できるような規模の城ではない
・蒲池〜竜造寺時代の柳川城はどの程度の規模かぶっちゃけ不明、しかも鍋島に一回落とされている
ということで江戸時代頃の柳川住民が自分達の殿様の城を誇った囃子唄でしょ
0558人間七七四年
2012/07/29(日) 23:35:59.29ID:4eVtK7nP「西遊雑記」で秀吉が岡城を見て「薩州十日、肥後八日、此外は三日仕事に思ひしに、
此岡城を取てはあなどりがたし、世には嶮城もあるものかなと称誉有りし」って言った
というのみたいなものかな。
0559人間七七四年
2012/07/29(日) 23:58:29.96ID:hFph/U4+適当ってw大友家の戯れ歌は俺も何かで見たが
ただし「柳川三年肥後三月肥前筑前朝飯前」で上とは少し違う
0560人間七七四年
2012/07/30(月) 01:30:36.60ID:jx9YsaXf0561人間七七四年
2012/07/30(月) 02:22:05.17ID:V1qMXjdx蒲池一族の皆殺しをやらされたのは田尻鑑種
0562人間七七四年
2012/07/30(月) 04:28:56.20ID:y0EFq1TZ>>560の理由ですぐ軍を編成して攻撃に来てるんだから柳川城より奥にいる田尻にいちいち連絡してない
0563人間七七四年
2012/07/30(月) 08:49:46.95ID:gr2ih3Uz0564人間七七四年
2012/07/30(月) 13:10:39.78ID:LibHbOLt正攻法でやると3年かかるというのも間違いじゃない
0565人間七七四年
2012/07/30(月) 13:19:19.28ID:LibHbOLtその分柳川城も海岸線にあった
有明海の干満差を利用した伝統の水運方法があるので物資の搬入も容易だろう
本気で柳川城を落とす気なら水軍も一緒に連れて来ないと不可能
0566人間七七四年
2012/07/30(月) 13:19:36.78ID:/K3hmCh+あれなら唐がガチで攻めてきたらどうしようもなかったと思う。
0567人間七七四年
2012/07/30(月) 13:24:26.39ID:/K3hmCh+> 本気で柳川城を落とす気なら水軍も一緒に連れて来ないと不可能
水軍を連れてくれば正攻法でも攻略できたのか?
それとも当時の柳川城は水軍がやってくることを想定して
なんらかの対応策をしていたのか?
柳川城が海岸線にあったというのは事実なんだろうか?
海岸線にある城は水軍を苦手としているはずだが。
0568人間七七四年
2012/07/30(月) 16:28:31.37ID:36BCPNjM海岸線にあったと言える程柳川城は海に近くない
むしろ有明海より沖端川を利用した縄張り
それに柳川城の南には弥四郎町とか地名があるけど
これは昔弥四郎村と言う農村で文禄四年(1595年)の知行方目録にもその名を見つける事が出来る
>>565が言う様に当時の柳川城が海岸線にあったのなら弥四郎村の存在自体あり得ないんだが
0569人間七七四年
2012/07/30(月) 16:57:57.68ID:/K3hmCh+> むしろ有明海より沖端川を利用した縄張り
これだと敵が水軍を連れてやってきても、期待ほどは役立たないね。
0570人間七七四年
2012/07/30(月) 17:18:23.65ID:36BCPNjM船底の形状の違いで岸に付けて兵を下ろすのもままならんし
水路限定され過ぎて足手まといにすらなりかねんもんな
0571人間七七四年
2012/07/30(月) 17:25:52.62ID:8tGbm1wh海上補給線切ったりは重要な仕事だけど
0572人間七七四年
2012/07/30(月) 17:34:31.98ID:/K3hmCh+原城は海上から砲撃されたと記憶。
備中高松城でも水軍の兵士が城に向けて発砲したと記憶。
0574人間七七四年
2012/07/30(月) 21:07:43.09ID:HA0VBY+m知恵伊豆「こいつの戦略古いすぎwwww永禄生まれはこれだからwww」とか思ってそうだ
0575人間七七四年
2012/07/30(月) 21:38:37.37ID:Pnlkg2fT筑前は朝茶前ですから(´・ω・`)
同じ筑前でも脆いから籠城するなら立花山城か宝満城へって言われるレベルの紙防御の岩屋城。
0576人間七七四年
2012/07/30(月) 22:04:19.84ID:6OtynJ6e0577人間七七四年
2012/07/30(月) 23:10:20.71ID:Pnlkg2fTついでに岩屋城跡に行ってごらんなせ
四王子林道からの岩屋城跡への登り口の立て看の裏にいつからか薄い手作りのコピー紙の小冊子が置いてあるんだが、十頁程度の小冊子だがなかなか読み応えがあるよ。
誰が作ったんだろ?
0579人間七七四年
2012/07/30(月) 23:29:07.25ID:EhIarv/3敵の船を潟(ラグーナ)におびき出し、浅瀬に座礁させて立ち往生しているところを攻撃する
という、地形と潮位を熟知したヴェネツィアの民ならではのもの。
遠浅の有明海も、そんな感じじゃなかったのかな。
0580人間七七四年
2012/07/31(火) 00:07:23.60ID:5dkYoQIJ知恵伊豆の戦略である兵糧攻めを支持してるのと
家光から伊豆って戦下手なの?って聞かれた時
弁護したって逸話あるけどな
0581人間七七四年
2012/07/31(火) 13:16:15.18ID:JbU3IFdz実戦経験のない若い武将達は若い2代目や3代目の殿様より
宗茂や黒田美作一成の様な爺さんの指示に従ったってーのも聞いた
0582人間七七四年
2012/07/31(火) 15:22:05.39ID:+dwxaUbK黒田一成は幕府軍の総大将・松平信綱の軍議にも参加していた。
0583人間七七四年
2012/07/31(火) 18:35:26.46ID:Q24CD64g他に水野勝成・有馬豊氏・山田有栄といった
老将も参加してる。
確か。。。宮本武蔵も居たような・・・
0586人間七七四年
2012/08/01(水) 16:28:20.45ID:HbHrwJXA島津はほとんど戦意が無かったんだろうね
0587人間七七四年
2012/08/01(水) 17:54:38.47ID:9Dc7+90e島津は常にガチだから戦意がないとは考えにくい。
戦略的な理由があったと思う。
0588人間七七四年
2012/08/02(木) 17:08:40.59ID:kYZ/7kFi0589 忍法帖【Lv=4,xxxP】
2012/08/12(日) 22:56:10.08ID:78iINQqq「良い原作」がどれのことなのか気になる
0590人間七七四年
2012/08/13(月) 18:22:43.41ID:z2gHxsM2でも今の大河にまったく期待できないからむしろ全スルーでかまわない
触れないでほしいと思う
0591人間七七四年
2012/08/13(月) 21:32:21.97ID:CsRhio+k0592人間七七四年
2012/08/18(土) 08:23:24.18ID:tUYblLs80593人間七七四年
2012/08/18(土) 11:57:49.32ID:PNVzB7uTどういう話の流れかしらんけどその名が出た事は少し嬉しいね
0594人間七七四年
2012/08/18(土) 12:22:29.40ID:8SebFGAV多分ギン千代の方が出てる・・・
0595人間七七四年
2012/08/18(土) 12:48:54.19ID:vlScy37s0596人間七七四年
2012/08/18(土) 15:38:48.74ID:SSbASiCq0597人間七七四年
2012/08/18(土) 21:41:17.33ID:la3qGVwOそら宗茂は世間ではマイナーでしょw
アタック25で、「毛利の3本の矢とは隆元と元春と誰?」って問題が誰もわからずだったんだから
0598人間七七四年
2012/08/18(土) 22:29:44.73ID:YHqJNKrb0599人間七七四年
2012/08/19(日) 00:38:49.49ID:S+9v6de2教科書の内容ですらちゃんと覚えてる人の方が少ないわけで
そりゃあ最低でも資料集レベルの知識が必要なココとは認識がズレますよ
0600人間七七四年
2012/08/19(日) 11:08:49.86ID:wnbRKNyD正解は毛利衛だろ
0601人間七七四年
2012/08/19(日) 12:01:22.29ID:oTnD1w+5Fランク大学の落語研究会のOBさんですか?
0603人間七七四年
2012/08/25(土) 12:51:52.35ID:0Z/r0Lgu立花ァ千代 浜口京子
0604人間七七四年
2012/08/29(水) 07:02:20.47ID:EQW37mGh新聞の番組紹介だと戦国武将の美学と壮絶な最後を見届けるため、タイムスリップするらしいが高橋紹運出ないよな。
このテーマなら高橋紹運と清水宗治は出して欲しいわ。9月10日も近いし。
あと関ヶ原ならドリフターズを追い風に豊久出してくれよ。
0605 忍法帖【Lv=12,xxxPT】
2012/08/29(水) 11:27:28.00ID:zMtFlGjn・秀吉への義を貫き、誇り高く散った男
・敗北を承知で石田三成との友情に殉じた知将
・武田家のため戦国の露と消えた最強軍団の猛将
・家のため息子銃弾に倒れた独眼竜の父
・大往生を遂げた戦国チャンピオン
0606人間七七四年
2012/08/29(水) 13:09:38.28ID:DhwKft0c石田三成
大谷吉継
山県昌景
伊達輝宗
徳川家康
かな
0607人間七七四年
2012/08/30(木) 00:07:33.78ID:bsobnyP/三英傑や三成など、教科書で習うような武将と関わったことが無いからね
0608 忍法帖【Lv=13,xxxPT】
2012/08/30(木) 13:21:38.55ID:Anqi3t5y┌─────────────┐
│ 弋ーー-、 │
│ "ー─-、\. │
│ ,-ー-、.`ヽヽ ,、. │
│ ,っ くヽ'⌒ヾ./>| レ'.c、 .│
│ ((_ノ (\\//) ,-ー-ヽ. │
│ ''ヾ、ヽ,(ゝ)イノ.ノ ノ .│
│ /ソ人、\ノ │
│ 、-'" /ニヽ `<, │
│ ヽn,,_ソ. .ノ_,,nノ │
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│ ,.,- -、,、 │
│ i'`y'/) (ヽy'^;、. .│
│ i'`ヽy'/) (ヽ`y',ヽ .│
│ i'`ヽ//) (ヽ`ヽr'i`i. .│
│ i`ヽ、//) (ヽ`ヽ./^i. ...│
│ ヾ r⌒ソ/ ヾ_r⌒ソ./ .│
│ \ ヽ( )/ / │
│ \ ヽ /// .│
│ \ゝ r'/ │
└────────────┘
0611人間七七四年
2012/09/01(土) 17:39:02.61ID:dW2z+o4G面白いなこの武将
0612人間七七四年
2012/09/02(日) 08:12:12.72ID:zk6DXXj6立花の話はひどかったわー
宗茂→ギン千代のワガママに振り回されっぱなしのマスオさん
ギン千代→鍋島襲来時、勝手に動き回って宗茂を困らせる
最期は清正に幽閉された先で死去
書いたバカは死ねよ
0614人間七七四年
2012/09/02(日) 17:11:12.97ID:Hfhef2l4でも、今の時期は糞ウヨに利用されるだけだなww
戦前、忠義第一の武将として軍部に利用されたとして、
戦後、GHQの要請により紹運の紹介・教育を禁止された経緯がある。
ちゃんと教育しておけば。。
今の時期になっては遅杉なんだよw
戦国時代の忠義と太平洋戦争当時の忠義が同じであるわけがない。
0615人間七七四年
2012/09/02(日) 17:39:54.79ID:Hfhef2l4あの忠義の言葉は完全な、はったりである。
0617人間七七四年
2012/09/03(月) 23:06:03.40ID:y8rDAb0A0619人間七七四年
2012/09/04(火) 18:39:46.16ID:grrx2gAW0620人間七七四年
2012/09/04(火) 19:33:12.46ID:wfgOCHlb0621人間七七四年
2012/09/05(水) 03:03:05.73ID:4Olwnnja0622人間七七四年
2012/09/05(水) 17:33:45.75ID:1wlHu0GD0623人間七七四年
2012/09/05(水) 17:36:51.15ID:jxCDcdq20624人間七七四年
2012/09/06(木) 21:58:49.87ID:U7bjlf8g自分は豊臣家の忠臣である
この私と争うのは豊家に弓引くのも同じとか言ったんだっけ?
まさにハッタリだよなw
0625人間七七四年
2012/09/09(日) 13:11:30.43ID:Xuzx66EUはったりだろうが策だろうが、そんじょそこらの映画や漫画じゃ太刀打ち出来ない熱いシーンである事には間違いないからいいじゃん。
0626人間七七四年
2012/09/18(火) 13:05:26.65ID:6NVwsCz9ホライゾンで立花ギンちゃんのボケとツッコミに
ニヤニヤした後だからなんかさびしいね。
余談だが、江戸時代滝沢馬琴の名作「南総里見八犬伝」の
八犬士が一人 犬山道雪のモデルは立花道雪とのことだが、
江戸時代の立花一族は今より知名度が高かったのかな?
0629人間七七四年
2012/09/19(水) 21:53:43.68ID:diDQ8amZ0630人間七七四年
2012/09/21(金) 22:51:31.32ID:cQGhgTZy・HP:http://rekigun.net/magazine/index.html
0631人間七七四年
2012/09/22(土) 19:35:28.80ID:TFyW3Iag0632 忍法帖【Lv=8,xxxP】(1+0:8)
2012/09/22(土) 19:37:25.90ID:fFDoAuX4史料館スタッフが何度か呟いてたから来るとは思ってたけど
0634 忍法帖【Lv=15,xxxPT】(1+0:8)
2012/09/29(土) 19:20:01.15ID:FrrG7r8x0636人間七七四年
2012/10/08(月) 14:14:02.33ID:i+e90dLd0637人間七七四年
2012/10/09(火) 10:06:01.10ID:BuhmiZOf0638人間七七四年
2012/10/10(水) 18:27:38.30ID:7mn9w7WT福岡だからこれで立花宗茂の大河は当分ないな・・・
でも、大河の中で登場する可能性は高いか
0639人間七七四年
2012/10/11(木) 15:07:32.32ID:Qrri7ljh最近の大河みてると龍馬伝が奇跡だったんだと思うくらいの出来だからな…
むしろクロカン大河悲観的な人が多い。姫路城の修理に合わせたから決まった説もある。
NHK、単発ドラマか、1クールドラマの方がストーリーのいいの多いし、そっちで格好良い宗茂を見せた方が良いと思うんですよ。
0640人間七七四年
2012/10/11(木) 23:13:19.61ID:ifgh2IwO坂の上の雲みたく三年でやるなら
一年目は二階崩れから宗麟道雪中心に
二年目は紹運中心に対島津を
三年目は関ヶ原直前から柳川復帰までの宗茂を
そしてDVDを国内販売限定で宗茂が秀吉に取り立てられてから太閤死去までを大陸メインで。
0642人間七七四年
2012/10/12(金) 00:27:09.22ID:Ri2gOwG90644人間七七四年
2012/10/14(日) 18:49:37.73ID:JgIdNK4S宗茂は九州征伐からと関ヶ原後の柳川攻めで何話か出ると思うけど
石垣原関連で大友吉統と吉弘統幸の方が出そうだな
0645人間七七四年
2012/10/14(日) 19:50:09.34ID:Fdrlb7Q0立花城への退陣を進言してるので、岩屋城の戦いは出ないかな?
出ないだろうね。
0646人間七七四年
2012/10/14(日) 22:39:37.14ID:JgIdNK4S豊前攻略がメインになりそう
全部ナレーションで一瞬で終わるかもしれんが
0647人間七七四年
2012/10/15(月) 14:07:34.56ID:wQECNnvFやっぱり立花大河の実現に向けて行動とるべきだろ
黒田で大河成立するんなら立花大河やっても不思議はない
0649人間七七四年
2012/10/16(火) 02:11:04.13ID:HgvYCFN4改易されてから、柳川城主に戻るまでを回想も踏まえながら
って、誰も見ないか。
0650人間七七四年
2012/10/16(火) 11:42:51.84ID:B9YUb2af問題の多い徳川家に寡黙だか有能な家政夫ムネが現われた。
実はムネには壮絶な過去があった…
0651人間七七四年
2012/10/16(火) 14:38:56.08ID:3X4XDR/b放映1ヶ月毎に名前が違うとか
0652人間七七四年
2012/10/16(火) 14:51:37.35ID:wzzjPIjZ最近の視聴者は清盛の源平&藤原で混乱して視聴放棄するからかなりの冒険になるぞ
0653人間七七四年
2012/10/16(火) 17:55:17.59ID:B9YUb2af簡単に諱を使っているが、実際には諱を日常会話では使うことはなかったから、
時代考証にそってドラマを作ったら、諱はセリフに出てこない。
0655人間七七四年
2012/10/16(火) 20:49:07.18ID:HgvYCFN40656人間七七四年
2012/10/16(火) 20:52:08.92ID:W0cyz0fV0657人間七七四年
2012/10/17(水) 10:35:24.42ID:K1zfxhzKttp://togetter.com/li/272725 の付記の部分が参考になるよ
豊臣期に、通称ではなく敢えて実名を記すことが敬意の表現とされていたことが
ある模様
0659人間七七四年
2012/10/23(火) 04:11:48.43ID:zUbel4PO一番の見所は、道雪が紹運に統虎を養子にと懇願する場面。これ以外にない。
これがなければその後の宗茂の輝きはない。これが原点。この二人の父親の存在が
彼の生き方を決定付けている。
0660人間七七四年
2012/10/27(土) 19:59:54.85ID:juhOuupJ洋の東西を問わず、地域コミュニティにおける青少年の健全育成を祈る気持ちは同じ。
0661人間七七四年
2012/10/28(日) 01:13:58.55ID:bYQmJQaT0662人間七七四年
2012/10/29(月) 12:53:06.41ID:UxBkHmY6今ではいい大人なんだろうな、と思いながらみたな
0663人間七七四年
2012/10/31(水) 02:08:53.60ID:Z9/GfYmh実際に大河ドラマでやってたぞ、いつのかは忘れたが>時代考証にそってドラマを作ったら、諱はセリフに出てこない。
その時は各キャラを官職名で読んだりしてたら
「誰が誰だか分からない、誰を指してるのかイミフ」とか、散々叩かれた、という話を聞いたことがある。
0665人間七七四年
2012/11/02(金) 20:55:50.67ID:1HJX5ek+ただ、現実社会でも、部長に昇進したばかりの上司につい、「××課長」と呼びかけて顰蹙を買うことがあるから、
当時だって厄介なことにはちがいないかもね。
0666人間七七四年
2012/11/03(土) 02:49:43.47ID:m1wyI9BZ左近将監の官途名を名乗るようになってからは、
弟の統増が少輔太郎から弥七郎に通称を変えたらしいね。
紹運も元は吉弘弥七郎と名乗ってたようだし、
通称というのも難しいね。
0667人間七七四年
2012/11/03(土) 06:05:40.59ID:mHGVe2PF0668人間七七四年
2012/11/05(月) 09:24:39.53ID:HMebCgOr0669人間七七四年
2012/11/05(月) 19:38:16.30ID:+0mh3bOK三池藩主の多くは弥七郎を名乗ってたようなんで、
紹運にちなんでんだと思う。
0670人間七七四年
2012/11/06(火) 12:28:27.00ID:LHjJWNRIhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1156548311
初耳だけど、これってソースはなんだろうね?
0671 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8)
2012/11/06(火) 17:04:54.51ID:mFbaVcSB人物叢書じゃ死因は赤痢だと推測してたな
0672人間七七四年
2012/11/06(火) 17:44:55.25ID:LHjJWNRIないよね。
自分が推測するに大谷吉継が梅毒で(ハンセン病説もあり)輿に乗って戦って
いたということで、道雪と混同さらにそれを宗茂と混同したとしか思えんw
0673人間七七四年
2012/11/06(火) 17:52:01.09ID:V3bag5Qs流行かなんかやたらと梅毒説多くね?
0676人間七七四年
2012/11/13(火) 12:45:13.24ID:iBW4g/Lu0677人間七七四年
2012/12/08(土) 10:21:02.19ID:36b3PDQmNHKの歴史秘話ヒストリアもあれ見て作った感じがする。
0678人間七七四年
2012/12/09(日) 13:10:13.77ID:BsynkC2J最近、腹赤村のァ千代に金品や食料を届けていた柳川の
壇家と椛島家の庄屋親子が、田中吉政に面の坂で処刑された事件が
ァ千代の病死につながったって話を聞いたけど、どうなんだろ
0679人間七七四年
2013/01/02(水) 23:16:50.45ID:8HpcPhI/2月2日から
0680人間七七四年
2013/01/11(金) 16:39:34.06ID:14ym6eZB(>゚д゚)
0681人間七七四年
2013/01/11(金) 17:54:48.32ID:tdshmuWrそういや宗茂は明治末から昭和初期の頃は中学校の教科書に
肖像画付きで載ってたらしいから、世が世なら中学のテストに
出ることもありえたのか
0682人間七七四年
2013/01/11(金) 18:48:20.19ID:zBZZmxw6ちなみに俺、宗茂知ったのは大学卒業してコーエーのゲームやった時だな
0683人間七七四年
2013/01/11(金) 21:56:00.45ID:FiqVeOMj0684人間七七四年
2013/01/18(金) 00:16:58.08ID:EnZGFatb0685 忍法帖【Lv=34,xxxPT】(1+0:8)
2013/01/18(金) 03:09:33.09ID:xeprbxkE0687人間七七四年
2013/01/18(金) 21:26:31.43ID:LRhk2yvo0688人間七七四年
2013/01/18(金) 22:27:47.65ID:aqID6ojR>>686
読んでて、首を傾げる所が多かったかな。なんか考察が足りない気がした。
それと、一番首を傾げたのは、九州の役の時に、ァ千代が大阪に人質として行った所。
0689人間七七四年
2013/01/19(土) 12:02:17.75ID:iKujYZ+Jそりゃひどい
0691人間七七四年
2013/01/19(土) 13:05:41.05ID:e8qBZKFH福岡在住の歴史家にしては、辛辣な宗茂評だった。
0692人間七七四年
2013/01/19(土) 14:02:41.96ID:hDd55e0C0693人間七七四年
2013/01/19(土) 14:05:17.53ID:e8qBZKFH0694人間七七四年
2013/01/19(土) 14:33:01.25ID:QlfuFLLZ宗茂がァ千代を弔う良清寺を建てたのと、
壇、椛島の両家の遺族を永代庄屋にしたのも
同じ1621年らしいから、話を繋げて扱われたのかもね
0695人間七七四年
2013/01/19(土) 18:44:12.66ID:iKujYZ+J自分に関係しての処刑はショックだったろうけど、現代人ならともかく殺戮は
日常茶飯事の戦国の世にうまれて武将の子として育ったァ千代が、その事で気
を病んで死んだというのは、考えにくいと思う。
ましてや気丈な女だったわけだし…
0696人間七七四年
2013/01/19(土) 21:31:11.21ID:MNl8zbzvでも、宗茂が柳河に戻ってきた時、田中吉政関係の家臣を全く登用しなかったらしいから、田中に何かしらの恨みがあったのでは。
0697人間七七四年
2013/01/20(日) 00:06:13.42ID:FSxt2Oud九州征伐の頃、島津に与して岩屋・立花城攻め等に参加したため所領を
召し上げられてて、その後宗茂が領主になった際に村のまとめ役として
本郷村と松延村の庄屋にしたようだね。
それで宗茂に恩義を感じてて、立花家が改易された際、最初は宗茂も
支援してたようなんで(慶長6年9月に立花家臣が出した礼状が残ってるらしい)
あるいは闇千代への支援は宗茂から頼まれてやってたのかもね
0698人間七七四年
2013/01/22(火) 19:24:07.00ID:e1TzfBPV立花家史料館?@TachibanaMuseum
【ァ千代の「ァ」は機種依存文字だから〜au(ガラケー)の場合〜】パソコンから送った「ァ」の字が、何やら楽しそうな
動く絵文字に変換されていました。ちなみに、このままパソコンに送り返すと、また「ァ」に戻ります。 pic.twitter.com/HL5Yid1x
https://twitter.com/TachibanaMuseum/status/293660940312928256
0699人間七七四年
2013/01/30(水) 23:42:01.29ID:fFfX5U3G家臣団の大半が長生きな立花家
立花道雪 1513年-1585年 享年72歳
立花宗茂 1567年-1642年 享年75歳
由布惟信 1527年-1612年 享年85歳
小野鎮幸 1546年-1609年 享年63歳
薦野増時 1543年-1623年 享年80歳
米多比鎮久 1550年-1633年 享年83歳
十時連貞 1556年-1644年 享年88歳
安東家忠 1515年-1599年 享年84歳
高野大膳 1540年-1621年 享年81歳
内田鎮家 1521年-1604年 享年83歳
原尻宮内 1541年-1622年 享年81歳
流石だなと。
0700人間七七四年
2013/01/31(木) 00:15:41.51ID:Sy1BIETz0701人間七七四年
2013/01/31(木) 19:50:49.15ID:b+aVJUZP悔しい。。。
0702人間七七四年
2013/02/01(金) 05:43:27.10ID:hZHMZpTb吉弘氏直:紹運祖父 宗茂曽祖父→勢場ヶ原の戦いにて大内と戦い戦死 享年19才
吉弘鑑理:紹運父 宗茂祖父→大友三老の一人 病死 享年52才
吉弘鎮信:紹運兄 宗茂叔父→耳川で総崩れとなって大友殿軍を勤め戦死 享年37才
吉弘統幸:鎮信子 宗茂甥→大友再興を目指し関ヶ原時に石垣原で如水と戦う
総崩れとなった大友殿軍を勤め戦死 享年36才
一族死にすぎ
0703人間七七四年
2013/02/01(金) 06:57:15.24ID:c0t64C/E氏直が19歳で戦死して鑑理と親子だと年齢的におかしくなるから
実際は30以上だったんじゃないかなと思う
0704人間七七四年
2013/02/02(土) 00:21:07.82ID:l+9Bj7lF0705人間七七四年
2013/02/03(日) 18:41:13.01ID:sjw5coJx推測されてるんだっけか
0706人間七七四年
2013/02/05(火) 21:56:16.60ID:1Oo7f0v0あれ? こないだ柳川で壇一雄生誕百年なんとかやってたけど、もしかしてこの壇一雄とその娘壇ふみってこの壇家の末裔とかそんな繋がりがあんの?
0707人間七七四年
2013/02/05(火) 23:15:11.07ID:KNtIhkuz0708人間七七四年
2013/02/11(月) 13:05:31.60ID:kL9S6u4E逸話があるけど、壇家や椛島家の話を知ると作り話じゃないと思う。
0709人間七七四年
2013/02/11(月) 15:03:54.66ID:oG3b9jCM紙漉き職人の矢箇部新左衛門が肥後までついて来たり
棚倉の刀工の鬼塚吉国が立花家の要請で柳川まで来たりと、
いろんな方面から慕われてたようではあるね
0711人間七七四年
2013/02/11(月) 19:25:26.95ID:xVQzH3Pn雷切や肖像画、宗麟・義統の書状があったり、なかなか見応えありましたよ
数はあまり多くなかったけど
巨迹繧ノ関する資料が少ないのは仕方がないのかな
0712人間七七四年
2013/02/12(火) 13:05:00.49ID:DPK8rlTz戦国時代の常識としてはプライベート以外での女性の話って無いしな。
0713人間七七四年
2013/02/12(火) 21:59:05.47ID:7mpBFmSYまつ、ねね、茶々の次に多いんじゃない?
0714人間七七四年
2013/02/13(水) 01:47:30.22ID:d39GvdUWよっぽどの権力者の娘か、もしくは凄逸話持ちな女傑なのか。
0715人間七七四年
2013/02/13(水) 15:31:38.05ID:hD4G8zKc立花家から檀家への礼状に「こかう」という女の名前がでてくるね。
ァ千代の身の回りを世話をしていた侍女の名前かな。
0716人間七七四年
2013/02/14(木) 04:19:57.05ID:fvCq8ci1数年前の宗茂展と展示物はかなり被ってるよね?
殆ど一緒?
0717人間七七四年
2013/02/22(金) 19:31:16.22ID:Wy8pzNxF0719人間七七四年
2013/02/23(土) 09:30:06.95ID:J7XJenU1女性作者ということは実像とかなりかけ離れた新しい宗茂像の誕生かね
まあ新しいといっても最近ではごくありふれた設定をしてくると想像するが
0720人間七七四年
2013/02/26(火) 02:11:38.02ID:ITVDJDY9(´・ω・`)/
ハ_ハ ⊂ ノ ハ_ハ
('(・ω・`∩ (つ ノ ∩´・ω・)')
ハ_ハ ヽ 〈 (ノ 〉 / ハ_ハ
('(・ω・`∩ ヽヽ_) (_ノ ノ ∩´・ω・)')
O,_ 〈 〉 ,_O
`ヽ_) (_/ ´
ハ_ハ 知 ら ん が な ハ_ハ
⊂(・ω・⊂⌒`⊃ ⊂´⌒⊃・ω・) ⊃
0721人間七七四年
2013/02/27(水) 06:53:46.57ID:1VEKDloq闇千代は厨二っぽいが悶千代は18禁っぽいな。
0722人間七七四年
2013/02/27(水) 21:26:03.92ID:iN6sVovd0723人間七七四年
2013/03/01(金) 13:26:51.89ID:1E01Q/Dh基本的には両腕の長さと身長は同じくらいらしいから甲冑見た感じだと165から170くらいだと思う当時としてはデカイんじゃない?
これ宗茂の甲冑
http://i.imgur.com/twWwrTi.jpg
0724人間七七四年
2013/03/17(日) 22:07:17.49ID:2uqcRl14わろた
500年なのね
0725人間七七四年
2013/03/18(月) 08:32:01.70ID:br3QIUyX紹運の教育によるところも大きい。紹運をdisる理由は何だ?
0726人間七七四年
2013/03/18(月) 08:59:49.28ID:++i6xlK+高橋家は実家でも別家だし
紹運関係のものはそう多く残ってない
無いものは無いんだから別にdisってる訳じゃなかろ
それに大名は男子が無くて
養子とか貰っている例はいくつかあるが
養家で実家や実父どうこう出来た殿様とかちと聞いた事ない
0727人間七七四年
2013/03/19(火) 00:58:22.91ID:usJ6s+nKそういえば、高橋氏は直次が相続したけど、いつの間にか
直次も生家の姓を捨てて立花氏を名乗っているんだよな。
0728人間七七四年
2013/03/21(木) 10:08:07.73ID:Nea5hKRk紹運=三池立花藩祖の父
こういう扱いなんだろうね
0729人間七七四年
2013/03/23(土) 20:38:49.87ID:7WfGmU96絵柄や作風は全体的にゆるい感じ
宗茂の名前がちゃんと浪人時代の尚政なのや
個人的にイメージどおりの人物像になってたのが良かった。
家臣団も八幡丸以外は実際についてきてた連中のようで
確認できたのが、由布雪下、十時摂津、十時三弥、十時太兵衛、
池辺解ヶ由の5人(名前でなかったけど身なりの良い常識人ぽいのは
由布壱岐か矢島重成あたりかな)
八幡丸は道雪の幼名と同じ名前なんで戸次家に縁ある子かと思ってたら
隈部家の子供だったのは驚いた、いずれ黒門の放し討ちの話とかはやりそう。
基本的に戦闘とかは無さそうな作風だけど、思ったより良い感じだったので
作者さんには頑張って欲しい。
0730人間七七四年
2013/03/23(土) 21:27:17.80ID:wNUHuAUW/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
. /;;/´ `' 、;;;;;;;ヽ
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ノ. | ヽ / |`ー-、
0732人間七七四年
2013/03/24(日) 19:13:26.09ID:IwxFU0hj0733人間七七四年
2013/04/06(土) 14:01:45.51ID:8oCjZjhyでディリータが田北さんの役をちょろっとやってる感じ
あまり大友家自体がファンタジーの創作物に使われた例知らないから新鮮だ
0734人間七七四年
2013/04/10(水) 08:28:06.08ID:mJx6H8Lp老いても二足歩行し、祈祷も身に付けた 道雪か、そりゃチートだな。
そりゃ無理やり考え過ぎだろって気もするが、仮にそうなら戦力的には紹運も足されてんじゃないかコレ。
0735人間七七四年
2013/04/10(水) 23:30:32.95ID:ilL2H17Gたまに千鳥とか雷切を武器で出すことがあったから
道雪好きなスタッフがいるのかなって思うことはあった
0736 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8)
2013/04/10(水) 23:33:00.27ID:pZMfe7YC0737人間七七四年
2013/04/14(日) 14:19:20.11ID:k5vbrM3Yそれはそうと知恵遅れやニコ・個人ブログ等ネット界隈では対毛利が軽視されるの納得いかんな
派手な島津の関ヶ原敗戦撤退は華々しく言われ耳川の結果ばかり言われる
隣の熊も沖田畷ばかり取り上げられてるな
0738人間七七四年
2013/04/14(日) 15:36:07.37ID:tH1Txd81結構凄いんだけど、何分資料が少ないのがな
0739人間七七四年
2013/04/24(水) 13:30:25.41ID:YQpUlA4G0740人間七七四年
2013/04/27(土) 13:15:30.13ID:Exo3wKee0741人間七七四年
2013/04/27(土) 14:45:18.42ID:ESSa2gdlタイ捨流は杢之助のイメージだったわ
0742人間七七四年
2013/04/27(土) 14:57:54.14ID:K/GRvzei途中で中国拳法取り入れたもした流派らしいから一際跳ねまわったり大立ち回りする印象が強いね
0743人間七七四年
2013/06/02(日) 00:49:55.51ID:C0XTU0iC立花山城も16号でやってて、柳川城もそのうちやりそう
0744 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) !omikuji
2013/06/02(日) 01:47:45.36ID:zANQ6nwP「豊後の猛将」なんて紹介はちょっと違和感
0745人間七七四年
2013/06/09(日) 11:41:03.50ID:l0mLCkc00746人間七七四年
2013/06/09(日) 18:27:34.33ID:F95MfXJx0747人間七七四年
2013/06/11(火) 12:07:24.17ID:UG43cFHd0748人間七七四年
2013/06/11(火) 16:02:45.11ID:0gF2Qbbb0749人間七七四年
2013/06/12(水) 10:54:01.24ID:WKwMqTSF0750人間七七四年
2013/06/12(水) 11:10:33.77ID:1tVduZa+本国豊後から派遣された城督で
筑前の立花管轄領で時前の領地は僅かしかないのに土豪とな?
0751人間七七四年
2013/06/13(木) 01:10:40.65ID:qLsqsVgf俺は、猛将なイメージがある。朝鮮の役で甲冑が返り血染まって曲がった刀を直しながら
闘ったとか同じ朝鮮の役で島津義弘と共に活躍を賞賛されたが[大陸の兵は弱い]って吐き
捨てた辺りが凄いな。もっとも、知的な武将な面もあるのは承知だよ。
0752人間七七四年
2013/06/13(木) 18:49:35.42ID:muKt/Byd「西国一の猛将で、比類なき武芸の達人」って
語ってる記述があるから、猛将ってイメージも強いのかもね
0753人間七七四年
2013/07/07(日) NY:AN:NY.ANID:g9z68NPNあれでは普段はだらけてて嫁に頭が上がらんけど戦の時は人が変わるみたいなキャラ設定だったな
0754人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:kV9UI5B5どんなに人格者でも結局自分の血を残してないって点では悔いが残ってるだろうからそこをつけば或いは
0755人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:IzJJ9xTU0756人間七七四年
2013/07/23(火) NY:AN:NY.ANID:tucf5z/L0757人間七七四年
2013/07/23(火) NY:AN:NY.ANID:tXiszJUo宗像氏系氏族の横大路氏は土豪と言えるだろうけど、主は豊後からの派遣だからなぁ
0758人間七七四年
2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:uMMKpz/50759人間七七四年
2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:O73blV87http://kaichosha-f.co.jp/books/history-and-folk/2414.html
吉永先生相変わらず立花&高橋好きだなぁ
0760人間七七四年
2013/09/22(日) 11:11:08.41ID:rAf+E3yz完璧って言葉の意味が世間とは違うのかな
0761人間七七四年
2013/09/22(日) 11:12:21.01ID:AnC5gjXE備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0764人間七七四年
2013/09/22(日) 19:12:11.98ID:ETfRksuT0765人間七七四年
2013/09/22(日) 19:58:29.55ID:/8EnKDJr石垣原の前振りで、大友家が改易された時、
統幸が一時期黒田家の預かりになって
井上の世話になった話もやってほしいな
0766人間七七四年
2013/09/25(水) 18:54:24.49ID:qsgZw2bg戦国時代の九州が少なからず舞台になるからぜひ宗茂もクローズアップを
0767人間七七四年
2013/09/26(木) 16:47:46.57ID:5GgHoH/w0768人間七七四年
2013/09/30(月) 20:29:52.37ID:K3SwiyLw立花家って軍事情報分野に関する逸話あんまり聞かないけど、なんであんなに綺麗に欺騙が決まるのかが不思議でならない。
0770人間七七四年
2013/10/02(水) 16:17:54.91ID:zM1/oYGZ実地に触れて敵味方問わず兵達の状況を逐一正確に掴む、後は臨機応変に即応して指示出すって感じ
要は現場型の人間のいい面が巧く噛み合った結果だろう
その分始めからこれこれこういう状況に追い込んでやろうみたいな謀略型の思考ができてない感じ
単純に所属勢力の関係からそういう思考が必要な場面が無かっただけかもしれんが
0771人間七七四年
2013/10/05(土) 15:49:05.76ID:tWV181hY初芽とか謎の女キャラの罪歴を考えたら長く宗茂と関わった十時さんが女体化+ナレーションになりそうでだね。
0772人間七七四年
2013/10/15(火) 23:34:37.47ID:MTpN2FOY日輪の兜を被り宗茂の甲冑のような物(コスプレ?)を着た人がいましたよ。
隣になぜか政宗もいたけどw
その他、立花家の現御当主も馬に乗られて参加されていました。
暑さの為かお殿様にも関わらず、兜も着けずに足軽のような甲冑でしたが・・・
0773人間七七四年
2013/10/17(木) 22:07:59.67ID:4uNzllMt0774人間七七四年
2013/10/24(木) 19:10:10.30ID:A2gJPn/A0775人間七七四年
2013/11/04(月) 02:42:39.70ID:sfO8naRl行雲に糸投げてより鏡月
宗茂の自筆書に走り書きしてたって歌なんだけど
両方上の句だけっぽいのは連歌用なのかな
0776人間七七四年
2013/11/07(木) 00:47:06.26ID:6VXpYuuM立花宗茂とギン千代が2位だった。
ちなみに1位が木曽義仲と巴御前で3位が高杉晋作でした。
0777人間七七四年
2013/11/07(木) 10:22:30.05ID:tJJBvZ4n歴史街道の読者の嗜好がよくわかるランキングだね
0778人間七七四年
2013/11/07(木) 12:46:58.16ID:N4QGp80Mなんで?
0779人間七七四年
2013/11/07(木) 12:48:23.46ID:N4QGp80M0780人間七七四年
2013/11/07(木) 12:48:40.21ID:hZmbfMwM0781人間七七四年
2013/11/08(金) 21:32:06.86ID:HrC1aI41ttp://www.gamecity.ne.jp/souzou/images/sys/s1_0.jpg
信長の野望最新作の立花道雪のキャラデザだってよ
0784人間七七四年
2013/11/09(土) 18:27:12.26ID:r80JCWU+0785人間七七四年
2013/11/10(日) 18:40:18.06ID:R/WMu17J0786人間七七四年
2013/11/12(火) 00:55:13.86ID:WrD0N9KV0787人間七七四年
2013/11/12(火) 00:55:44.61ID:WrD0N9KV0788人間七七四年
2013/11/13(水) 17:27:27.14ID:KRa9fPLDんで、宗茂が色白おぼっちゃん的な感じ
0789人間七七四年
2013/11/13(水) 17:37:12.68ID:ynind9qP輿に乗るよーになったのは歳とってからで以前は馬に乗ってたんだぞ
0791人間七七四年
2013/11/14(木) 01:02:52.93ID:X8yCMjR5人物だったらしいな。
反乱起こした直後の高橋家で育ってて坊ちゃん育ちのわけがないし
0792人間七七四年
2013/11/14(木) 08:49:17.56ID:p9r7Sqcm>反乱起こした直後の高橋家で育ってて
もし知ってたら教えて。
高橋鑑種が小倉に移され紹運が1570年に宝満城城督になった際、
鑑種側の家臣はどのくらい宝満に残ったの?
紹運が岩屋城に籠った時に加勢した武将達の中にも、旧鑑種家臣は居たのかな。
0793人間七七四年
2013/11/14(木) 12:12:53.23ID:Qmcs+aGF謀反に失敗した後は多くの高橋家の家臣に見捨てられてる。
http://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/bu/retsuden/takahashi/kita001.htm
0794人間七七四年
2013/11/14(木) 15:34:25.92ID:KHshlgEWいい加減信野は年齢に応じて三段階ぐらいにグラ変えてくれんの?
無理ならせめて道雪宗麟みたいに名前が変わるのに小イベント入る武将ぐらいビフォーアフター欲しいわ。
0795人間七七四年
2013/11/14(木) 19:08:54.74ID:FtN+RNTV0796人間七七四年
2013/11/14(木) 22:27:11.32ID:Xew20Alxhttp://www.youtube.com/watch?v=TXg-NGVKuWI
0797人間七七四年
2013/11/14(木) 23:57:30.51ID:X8yCMjR5高橋家は元々秋月や原田と祖を同じくする大蔵一族で
当主だった高橋長種が1549年に死去した際に跡継ぎがなかったから
(厳密には出奔した兄高種の子の北条綱高とかがいる)家臣たちが
大友義鑑に頼んで大友一族から跡継ぎを出してもらったんです。
それで一萬田親宗が高橋家を継承して高橋鑑種と名乗ったんだけど
大友家に反乱して1569年に鎮圧されたため、北原鎮久を初めとする
高橋家臣達が鑑種を見限り、宗麟に新しい当主を立てるように頼んだ
ことで紹運が高橋家を継ぐことになりました。
だから、吉弘家から紹運が何人かは連れてきてるかもしれないけど、
重臣格はだいたい鑑種に仕えていた連中のようです。
0799人間七七四年
2013/11/19(火) 23:46:18.39ID:5baNgKvZ0800人間七七四年
2013/11/20(水) 03:22:26.16ID:8syLAvQC0801人間七七四年
2013/11/20(水) 07:24:18.07ID:zUBRyufO0803人間七七四年
2013/11/20(水) 10:56:44.09ID:vg/r5pKs離縁しなかっただけまともやわ
0804人間七七四年
2013/11/20(水) 11:01:31.82ID:GO6y201W近すぎて二頭体制にも出来ないし
0805人間七七四年
2013/11/20(水) 19:44:38.14ID:END51rbD0806人間七七四年
2013/11/23(土) 01:58:05.65ID:FZpI2ZJ6完璧超人?
どこが?
父の奮戦のお陰で死地を見ることなく籠城を乗り切ったり、時勢を読めず家臣領民を多数死なせて改易されたり完璧とはほど遠いだろ
0807人間七七四年
2013/11/23(土) 05:48:01.05ID:i/H1y2t/ならなかったんだどな。
豊臣家と毛利のやる気は見誤ってたと思うけど
あと、関ヶ原後は早期に徳川と交渉して身上安堵状を得てて
加藤黒田とすぐ和睦してるから、城島城と八院で家臣が鍋島と戦ったくらいで、
家臣はともかく領民はさほど死なせてないよ
0808人間七七四年
2013/11/23(土) 08:27:31.06ID:ugSLURTe実際、西軍が有利だったけどね
関ヶ原で負けたのが信じられないわな
毛利は繋がりがある小早川の裏切りで、豊臣家に不信を持たれたんじゃないのかな
鍋島と戦ったのも、鍋島さんが汚名返上のために戦をふっかけてきただしね
0809人間七七四年
2013/11/25(月) 14:51:43.68ID:Osqr/Pc3しかし時勢に関係なく大友家に最後まで忠義をつくした父の姿をみた宗茂が、
東軍につくわけなかろう。
0810人間七七四年
2013/11/25(月) 16:03:01.30ID:Mai5WVDs0811人間七七四年
2013/11/25(月) 16:26:16.96ID:Osqr/Pc30812人間七七四年
2013/11/25(月) 16:58:11.51ID:LMuALwly大友宗麟→義統→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光
独立?
0813人間七七四年
2013/11/25(月) 17:54:34.34ID:Mai5WVDs0814人間七七四年
2013/11/25(月) 18:18:11.91ID:Osqr/Pc3宗茂自身の意思でなく、大友宗麟が推挙し宗麟と秀吉が交渉して(経緯につい
ては諸説あり)秀吉の直臣大名として取りたてられたことが何か問題でも?
0815人間七七四年
2013/11/25(月) 20:39:20.12ID:bbDwgXp9見かけの石高は当然上がる
朝鮮出兵の兵力を見ると大友隊6000に対して立花隊3000
当時の柳川が12万石として大友の知行は単純計算でその倍
大友が立花を抱え込むと勢力のうち1/3が飛び地になる筑後の立花党という事になってしまう
こんなのは本人達の性格や能力がどうであろうと豊後国衆との軋轢は避けられない
それなら別家として立った方が双方のためになる
0816人間七七四年
2013/11/26(火) 03:56:53.69ID:zO3rWkzMって考えてもいいんじゃね。
その頃はまさか豊家が一代で崩れるとは思ってなかっただろうし
0817人間七七四年
2013/11/26(火) 08:12:19.20ID:hJxkFEkS立花(高橋)一族は、大友さんの娘さんとかを嫁に迎えているので、そう簡単に大友家との繋がりを切れんぞ
0818人間七七四年
2013/11/26(火) 08:31:13.73ID:PF8Yz/UE思ってるんじゃないだろうね?
0819人間七七四年
2013/11/26(火) 09:15:59.96ID:fR8umvCUこの主張が通るなら実父と同じ様に大友家に残って
主家を支える道もあったんじゃないのか?という事でしょ
宗麟に言われたから、は独立する大義名分としては十分だけど
忠義がどうこう言うには矛盾がでるだろ
0820人間七七四年
2013/11/26(火) 09:43:04.51ID:PF8Yz/UE忠義の意味を同じ主君に最後まで使えることと勘違いしていないかい?
実父から立花家に婿入りする時、立花・高橋両家が敵味方になっなら、迷わず
自分を討ちに来いと戦国時代の武将の心得を教えられているんだよ。
つまりどちらかが事情によって大友家から離れたりすることもありうると、
教えてる。
時勢をみて忠義をたがえることは良しとしないが、使える主君がかわること
自体は不忠ではないということだよ。
0821人間七七四年
2013/11/26(火) 10:00:34.07ID:tZJ9xjI8ん?
0822人間七七四年
2013/11/26(火) 10:24:35.26ID:PF8Yz/UE0823人間七七四年
2013/11/26(火) 10:37:32.57ID:PF8Yz/UE実父は島津方から降伏せよとすすめられた時、形勢不利だからといって
忠義を曲げたくはないといって最後まで戦った。
宗茂の婿入の逸話は、大友家に死ぬまで仕えよとはいっていない。
戦の形勢をみてからどちらにつくかでなく、自分が今誰に使えているか
とかどちらについて戦うのが義にかなうかを考えて戦えといってるんだ
と思うぞ。
0824人間七七四年
2013/11/26(火) 10:49:47.82ID:PF8Yz/UEはおかしい、と言いたいんだよ。
実父の最後は、大友家に死ぬまで仕えるのが忠義だという意味ではないよ。
0825人間七七四年
2013/11/26(火) 19:46:58.09ID:qCfS/MaC忠義と言うより豊家に義理立てしたって感じだ
0826人間七七四年
2013/11/26(火) 20:00:37.26ID:fR8umvCU>自分を討ちに来いと戦国時代の武将の心得を教えられているんだよ。
孝を尽くすべき親が忠を説くから説得力がでる
つまりこれは孝道より忠道を重んじろ、という話だと認識しているけど
後はどちらかが生き残ればそれで良しというお家存続のリスクヘッジ問題を想起するぐらい
基本的に主替えは誉められる類いの行動ではないのよ
引き留められない君主側に問題があったという道理で、汲むべき事情があるなら仕方がないという一般常識な話
紹運が顕彰されるのは仕方がない場面でも理に反して忠に沿う行動をとれたからで
宗茂の選択も道理には適うけど、父親が結果で示した道の通りには行ってないでしょ
ただそれ自体は悪い事ではないから間違いだとか失敗だとかは言わない
0827人間七七四年
2013/11/26(火) 20:07:53.93ID:ppyVkSYiつくづく、立花が関ヶ原に間に合っていれば・・・
まあ、そうすると秀忠軍も間に合っていたということにもなるから、勝敗がどうなったか解らないけどな
0828人間七七四年
2013/11/26(火) 20:10:24.83ID:ppyVkSYi>>基本的に主替えは誉められる類いの行動ではないのよ
>>引き留められない君主側に問題があったという道理で、汲むべき事情があるなら仕方がないという一般常識な話
藤堂高虎「うむ、そうだな」
0830人間七七四年
2013/11/27(水) 01:17:39.67ID:b/2kwER5派閥つか小早川秀包についってっただけだぜ
ロマンに浸りたいのも分かるけど
0831人間七七四年
2013/11/27(水) 08:44:32.78ID:hUKdhXt9元社長から現社長に「こいつはできる奴です。取り立ててやってください」と推薦してくれた。
男なら受けるしかないだろ。
兼次や小十郎のように、引き抜かれそうになったのを本人が断ったのとは状況が違う。
0833人間七七四年
2013/12/06(金) 17:57:55.10ID:we6hpyRi宗茂が秀包と合流したのは大津城の戦いの時で、
それ以前は井伊直政の8月22日の書状で島津と美濃の垂井にいたとあるんだよ。
島津義弘の8月20日の書状でも「立花殿は、軍役高は1,300人なのに
秀頼様のため4,000もの兵を率いている。」とあるから、一応は秀頼のためだろうし、
京極高次の離反までは、島津といっしょに美濃にいたのは確かだと思うよ。
0834人間七七四年
2013/12/06(金) 18:20:10.74ID:mt/w8vpn一緒に書いてあるのも特に義理なんてない長宗我部だし
頑張ったけどちょっとつらいね
0835人間七七四年
2013/12/07(土) 09:44:51.17ID:xJp9QwzLのか?
すごい歴史観だw
0836人間七七四年
2013/12/07(土) 19:57:56.21ID:BDncvnB30837人間七七四年
2013/12/08(日) 01:25:53.35ID:nlZ+whXg豊臣に義理を通したってとこだろ。
浅野と石田が失脚中に残りの三奉行が家康を糾弾して
それに毛利と宇喜田と討伐受けてる上杉の三大老も反徳川を表明している状況なら
そちらを豊臣の意思として付かざるを得んだろ。
0839人間七七四年
2013/12/09(月) 08:34:33.21ID:lcrcDTug0840人間七七四年
2013/12/09(月) 15:28:19.80ID:EZfT9EWVとでも返してもらいたんですかね、苦しくなってレッテル貼り云々wwwとか
どうでもいいけど
0841人間七七四年
2013/12/09(月) 16:21:42.30ID:lcrcDTugホントどうでもいいけどね。
0842人間七七四年
2013/12/09(月) 16:26:25.87ID:EZfT9EWV0843人間七七四年
2013/12/09(月) 16:39:44.76ID:lcrcDTug報いるためと関ヶ原直後も徳川家に使えるようになってからも、宗茂の
言い分として書かれてある。
他家である島津家も、宗茂は豊臣家の恩に報いるため軍を率いて上方に向か
ったと記録している。
派閥で参加したという記録は何があるのかしらないから、その史料を教えて
くれないかな。
0844人間七七四年
2013/12/09(月) 18:06:08.38ID:EZfT9EWV毛利輝元と義兄弟の小早川秀包、島津義弘、小西行長、寺沢広高、筑紫広門らだが
寺沢広高以外はみな西軍の面子。
特に秀包や義弘とは作戦行動内だけでなく撤退まで行動をともにしていて
結局はいつもの面子と行動をともにしていた派閥的行動と見るのが自然
どうしても義が最優先だったなら諸将が体面として出した義ではなく
立花特有の一線を画した義と言うことを証明してもらいたいね
義弘書状なんてまさに体面的な内容なもんにすがってるようじゃ無理だろうけど
あとついでに話の発端の西軍に付いたから戦略眼が無いという批評には否定的な立場だかね
そんなもん薄っぺらい結果論でしかない。
0845人間七七四年
2013/12/09(月) 18:18:00.07ID:lcrcDTug0846人間七七四年
2013/12/09(月) 18:45:54.62ID:EZfT9EWV0847人間七七四年
2013/12/09(月) 18:55:35.51ID:lcrcDTugあの書状を体面的だと断定しているのは君だよ?
君が体面的だと断定している根拠を聞くのはおかしいのか?
0848人間七七四年
2013/12/09(月) 19:00:19.90ID:EZfT9EWV0849人間七七四年
2013/12/09(月) 19:04:41.94ID:lcrcDTug日本語わからないの?
あの文書の内容も目的も知ってるよ。
で、あの文章のどこが体面的なのかを何度も聞いてるのだが、なぜ
答えられないんだ?
0850人間七七四年
2013/12/09(月) 19:13:00.52ID:EZfT9EWV恣意的な文面の義にしかすがるもんがないのかといっている
0851人間七七四年
2013/12/09(月) 19:53:56.46ID:lcrcDTugお家内の援軍依頼文書をなぜ体面的なことを考えた内容の文書だとするの
かな?
他家に出す文書なら体面的な部分で大義名分なんかも必要になるだろうが、
内部文書だよ。
この文書まで対面的に書かれたもので内容が信用できないと否定するなら、
殆どの文書が体面的なので内容があてにならないことになり、文書は歴史
検証に使えないということにならないか?
0852人間七七四年
2013/12/09(月) 20:06:32.88ID:lcrcDTug豊臣家の恩顧に報いるためとする記録はあるわけだから、それを真っ向から
否定する以上、単なる推察でなく根拠となるような資料をだしてもらわない
とね。
0853人間七七四年
2013/12/09(月) 20:20:38.13ID:EZfT9EWVまぁめんどくさいからもういいけど
家臣や領民に責任がある指導者でリアリストたるべき大名が
たかが負け側についたことを、薄っぺらく戦略眼が無いといわれたのを
糊塗するために義なんて三文芝居じみた人物像を持ち出すのがしょっぱいだよね
逆に馬鹿にしてるんじゃないだろうかと思う次第
0854人間七七四年
2013/12/09(月) 21:32:06.02ID:4a7XqMRdウザイだけ
0855人間七七四年
2013/12/10(火) 15:45:28.29ID:WMqLOsJDあくまで素人の推論にしか過ぎないのならもっと謙虚さが欲しいと思ったでござる。
0856人間七七四年
2013/12/10(火) 23:06:24.07ID:f2c35JIK>結局はいつもの面子と行動をともにしていた派閥的行動と見るのが自然
派閥的行動?
この人、朝鮮では諸将がめいめいの自由意思で編成を決めたり、行動してた
と思ってるんだね
0857人間七七四年
2013/12/10(火) 23:47:03.28ID:gCRzNAfe秀包とはどちらもいっしょには帰ってなかったんだけどな。
大坂からは住吉屋という商人の支援を受けて船を出してもらってるし
慶長の役の頃から島津とは親密で、庄内の乱の時も宗茂は家久の
擁護をしてるけど、東軍につく気だった義弘が西軍についたのは
伏見城での成り行きだし、そこまで同調して行動したってわけでもないんだよな。
0859人間七七四年
2013/12/13(金) 19:04:09.22ID:0bOR3Fgb0860人間七七四年
2013/12/15(日) 10:23:35.12ID:g/Bbcl190861人間七七四年
2013/12/15(日) 11:09:08.72ID:KyjdlNtN1431年6月 大友持直・少弐満貞連合軍が盛見を討ち取って奪還
1445年8月 大内教弘が大軍を率い立花山城を包囲攻略
1469年5月 応仁の乱に乗じて大友親繁・政親父子が立花山を奪回
1478年9月 大内政弘が少弐政資を破り筑前を制圧したため、おそらく降伏
1532年3月 大内の部将・温科盛長らの猛攻で立花山城陥落
1565年6月 立花鑑載の反乱を戸次鑑連・吉弘鑑理が制圧
1568年7月 毛利に従属した立花鑑載の再度の反乱を戸次鑑連等が制圧
1569年5月 吉川元春・小早川隆景の攻撃を受け降伏
1569年11月 中国勢の主力が撤退した後に、戸次鑑連等大友軍に降伏
はっきり分からないのも多いけど、10回くらいは落城してるかな。
3回落とした道雪が一番落城させてるか
0862人間七七四年
2013/12/15(日) 17:16:46.78ID:QQ7Upo7F0863人間七七四年
2013/12/19(木) 12:21:11.16ID:BD9AMM/z立花宗茂 統率91 武勇95 知略81 政治62 329
高橋紹運 統率89 武勇92 知略75 政治61 317
0864人間七七四年
2014/01/03(金) 20:54:13.26ID:34bIysE00865人間七七四年
2014/01/03(金) 21:05:55.77ID:4ge/G5Dr石垣が残ってる城跡に比べりゃ難易度高い
0868人間七七四年
2014/01/04(土) 17:39:14.86ID:OweeFeTCうちの近所や大学の下宿の近くにあった学校も城の跡に出来てた
0869人間七七四年
2014/01/04(土) 18:31:21.81ID:DEycXK690870人間七七四年
2014/01/04(土) 19:00:54.30ID:0GUTZOSj市街地にあったりするので廃藩置県で役所や学校に再利用された
つか、明治政府は貧乏だったから箱を再利用するしかなかったんだよなぁ
0871人間七七四年
2014/01/06(月) 11:50:10.12ID:9Nc0VUih柳川城は城跡らしい城跡は無くとも掘り割りが今も観光資源になる事で地域住民に貢献してるからいいじゃない。
柳川城での問題は寧ろ柳川城跡にかかってる柳川高校が私立高校生き残り戦国時代の敗者となって生徒数及び教職員数激減してる事じゃないだろうかなどと言ってみる。
0872人間七七四年
2014/01/06(月) 23:52:14.82ID:ixascsa7新郎に宗茂の甲冑を着させるのが人気だそうだ。
0875人間七七四年
2014/01/07(火) 14:01:55.80ID:Ypcz4U3A甲冑はつけてなかったけどw
0878人間七七四年
2014/01/10(金) 20:54:03.30ID:SWKIEocbすごく好きな武将になった
宗茂はいろんな話あるからイメージ湧くんだが
ギンさんて今の女優、有名人だったら誰だろ?
0880人間七七四年
2014/01/11(土) 16:23:09.25ID:LhzhYJkcと言い切る様が絵になる女優じゃないと絶対無理だよな
0882人間七七四年
2014/01/12(日) 20:34:10.65ID:Fvb8puH+杏
>>879
同意だが来年までにクランクインするならまだなんとかいけると信じてる。
過去の女優でもありなら夏目雅子
>>881
ちょっと肉感的過ぎる気がする
>>880
じゃあ栗山千明様
0884人間七七四年
2014/01/24(金) 14:33:52.49ID:01NFCtcj勝気で超わがまま?
上野樹里、武井咲、長澤まさみあたりなら地でいけるぞ。
あと、篠田麻里子も先日逆切れして男店員を怪我させて病院送りにしてたな。
0887人間七七四年
2014/01/26(日) 09:08:21.37ID:4dmkyVuH八幡丸は隈部善良の子供っぽいから、
そろそろ黒門の放し討ちの話をやりそう
0888U-名無しさん@実況はサッカーch
2014/01/28(火) 16:32:34.99ID:JZ9uwwuNほぼ政略結婚だった時代にお相手が超ブス姫様だったら…
……どうもならん…わな
0889人間七七四年
2014/01/28(火) 17:09:21.56ID:m5kM3pGk疱瘡を患って醜女になった宗茂のかーちゃんディスってんのか?
0891人間七七四年
2014/01/29(水) 11:07:18.43ID:ElAAAgiLでもベースが美人なら子の親としては問題ないよなってのは現代の発想か。
てか紹運さん嫌がって無かったやん。嫁さんちゃんと優秀な男子2人も産んだやん。他に女子も産んだやん。立派やん。
0892人間七七四年
2014/01/29(水) 19:26:53.14ID:7Mpxy68F0893人間七七四年
2014/01/31(金) 16:46:36.76ID:6HOeZ2tq0894人間七七四年
2014/01/31(金) 19:23:11.86ID:Yelbn9KT柳川生まれだからその可能性は高いね
0895人間七七四年
2014/03/14(金) 20:25:18.25ID:+aZ0HGvE0897人間七七四年
2014/03/22(土) 17:48:25.07ID:PY6/QdcA調べてみたんだけど、宗茂は美濃の刀工の下坂兼先を柳川に呼んで鍛冶屋町を作ったみたいで、
鬼塚吉国は家老の由布壱岐(十時摂津の長子で由布家を継いだ)が棚倉から呼んだみたい。
ただ吉国の作刀には九州系の刀の特徴があるようなんで、吉国が元々九州生まれで立花家に
ついて棚倉まで行っていたっていう説もあるらしい。
0898人間七七四年
2014/04/06(日) 11:04:38.22ID:qCvlGM7xその場合の宗成役は、いったい誰が?
0899人間七七四年
2014/04/16(水) 15:23:13.39ID:eihtx3EJ0900人間七七四年
2014/04/16(水) 15:24:59.38ID:3OyXdh5L0902人間七七四年
2014/04/19(土) 01:59:34.25ID:RxXWXtlK0903人間七七四年
2014/04/19(土) 03:18:10.92ID:9R49sPPk0904人間七七四年
2014/04/19(土) 09:36:56.83ID:+gxFC7eE真紀子=ァ千代なんだから、道雪だろ<角栄
0905人間七七四年
2014/04/19(土) 09:40:53.72ID:RxXWXtlKときたら宗茂は田中直紀かそうなると高橋紹運が鈴木直人になるな
0906人間七七四年
2014/04/19(土) 14:06:05.33ID:a1J8JYfI0907人間七七四年
2014/04/19(土) 22:28:23.85ID:V9h5bHpc0908人間七七四年
2014/04/20(日) 15:59:22.78ID:XxPXLdkQ十時摂津連貞、十時三弥惟昌カッコいい。 由布雪下惟信あそこまで爺さんとは思わなかった。
宗茂がやたら石田三成を持ち上げてる描写がちょっと変ではあった。
宗茂が忠義を尽くしたのは豊臣家の秀頼であって、三成ではないと思うんだが。
0910人間七七四年
2014/04/21(月) 21:29:17.45ID:E5RjrI660911人間七七四年
2014/04/22(火) 13:07:34.25ID:UvqVFZZd0912人間七七四年
2014/04/22(火) 18:56:46.05ID:UvqVFZZd0914人間七七四年
2014/04/26(土) 14:39:34.63ID:U+vexOH+十時摂津の子供達は結構優秀な人が多いんだよな。
長男・惟与:由布家を継いで(雪下の次男惟次の養子)忠茂時代の
立花家臣の筆頭格になった。
二男・成重:改易された時、肥後に残ってァ千代の最後を宗茂一行に
伝えた。その後は加藤家に仕えた。
三男・惟昌:稲富祐直に鉄砲勝負で勝ったことがある鉄砲の名手。家督を
継いでいた成重が加藤家に仕えたため、再興後の立花家で摂津の後を継いだ。
四男・正良:名前以外不明
0915人間七七四年
2014/04/26(土) 16:21:05.36ID:r+nJiv3p小野鎮幸も肥後に残ってたしァ千代の死因が病死だとしたらやっぱり体が弱かったのかな
一部では気が狂って死んだとか言われてけど立花四天王と息子が世話してるこの状態でそれはそれは考えにくい
0916人間七七四年
2014/05/07(水) 19:48:26.12ID:Y865511W結核の末期には、脊髄や脳を侵すケースもあるので、つらい最期だったこともありうるけど、
遠い江戸で暮らす宗茂の事を祈りながら、ァ千代らしく凛として旅立ったと思いたい。
0917人間七七四年
2014/05/07(水) 20:20:02.67ID:RAya23Lo江戸後期くらいからは結核が国民病みたいになってたみたいだが瘧が悪化して死んだ例ってあるっけ
瘧がマラリアの一種だとして最悪の場合は意識障害に腎不全か
戸次様の娘だから民間伝承は民間伝承でゴシップよろしく伝わったとして本物はせめて苦しまなかったと思いたい
0918人間七七四年
2014/06/10(火) 02:48:19.56ID:LTQnokcn0919人間七七四年
2014/07/01(火) 00:59:42.31ID:R/1iSpXb0920人間七七四年
2014/07/15(火) 09:42:14.11ID:PBoKOT190923人間七七四年
2014/07/21(月) 09:55:59.67ID:iegKJmeY0924人間七七四年
2014/07/22(火) 20:16:03.70ID:dmswflBT0925人間七七四年
2014/07/23(水) 20:20:46.55ID:jFBZ0KsP意味で言ったぽいんだけどな
実際は大坂や京都では商人とかが支援してくれてたからそこまで貧窮してたとは思えんけど
他のエピソードだと
肥後にいた時に、柳川の庄屋が金品食料を運んできて助けてくれたりとか
上京してた頃に日置流弓術の免状をとって弓の吉田一派と親交を持ったりとかかな
0926924
2014/07/24(木) 11:08:19.86ID:S/qAexcu0927人間七七四年
2014/08/05(火) 19:29:32.87ID:lx8sNHoXそのなかで小早川が裏切らなかった場合のシミュレートで宗茂が出てきた。
「九州一の武勇と名高い」と紹介されてて嬉しかった。
0928人間七七四年
2014/08/06(水) 19:37:27.35ID:5mo1B8Tsいやいやそこは西国一か西軍最強部隊、せめて西軍最強候補程度には言って欲しいところ
…なんだが、一般知名度からすりゃそれくらいで十分なのかも。
ならばせめて九州最強の立花宗茂と毛利最強の秀包の西軍の双璧とか言ってくれれば…
0929人間七七四年
2014/08/07(木) 22:34:09.97ID:Nafj3ZWAそんなに良く言ってくれたら嬉しいよねw
シュミレートの内容は、武将ごとに「武力」「忠誠」「兵力」などを数値化して、地形も加味して戦わせるというものだったんだ。
それで、宗茂があまり活躍していなかったから歴史家が不満だと言っていた。「立花宗茂は一回も負けたことがない…活躍を見てみたかった」と。
番組内容がほとんど三成と家康に着目していたことを考えると、これでもいい扱いだったよー。
ところで、秀包ってそんなに強かったんですか?無知ですまぬ。
0930人間七七四年
2014/08/08(金) 01:15:09.32ID:vN/nBoCa0931人間七七四年
2014/08/11(月) 22:53:18.75ID:MSIeyoiU宗茂も無理ぽ
0932人間七七四年
2014/08/12(火) 03:39:23.21ID:7gj5ALNg一瞬で終わるってことはないはず…
0933人間七七四年
2014/08/13(水) 22:58:00.00ID:R+ulUaux秀包は大返しのとき豊臣への人質に出されましたってちょっとだけ出てた気がする。
名前が初期の元総だったからわかりにくいけど
0934人間七七四年
2014/08/14(木) 13:16:27.58ID:hY0MZTQKその時に秀の字貰ったんじゃなかったっけ?
官兵衛が養子の案を出した事にしておけばちょっと官兵衛の手柄感増しますよね。
0935人間七七四年
2014/08/18(月) 22:36:24.60ID:Kulp5U94今更だけど「九州一の武勇と名高い」は島津の扱いや評価が高ければ価値が上がりますよね。
番組内での島津の評価が気になるところ。
0936人間七七四年
2014/08/21(木) 01:15:04.92ID:CTQTckcd三成、家康以外は殆ど画面上で名前が出てるのみですた。
歴史家が宗茂の関ヶ原活躍を見てみたかったと言っていたけど、全く同感。
ちなみにシミュレートで印象的だったのは…
忠勝、正則を倒した盛親(高所布陣で防御力1.5倍)。
あと、ほど同兵力なのに秀忠に一瞬で蹴散らされる秀秋に笑いました。
0937人間七七四年
2014/08/21(木) 03:22:18.02ID:vY6VLGim0938人間七七四年
2014/08/22(金) 10:15:30.82ID:nB10xeU+秀忠の本体は榊原康政・真田信幸・大久保忠佐らのベテラン武将が居るのを忘れてはいけない。
実際に、あれが徳川軍の精鋭部隊だから。上田城で真田昌幸・幸村親子に足止めされたのは
秀忠が初陣で老臣の言う事を聞かなかったから。特に上田合戦での榊原康政の活躍は真田親子で
すら一目置いた程。
0939人間七七四年
2014/08/22(金) 11:06:16.98ID:nB10xeU+http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20121107-OYT8T00467.html
島津軍の勢い止める〜高橋紹運
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20131120-OYT8T00829.html
浪人からカムバック〜立花宗茂(?〜1643)
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/busho/20130717-OYT8T00371.html
0940人間七七四年
2014/08/24(日) 16:56:04.17ID:fa8aSOgX宗茂の逸話からみる現実主義と機を見る才能と三成に臣従してるわけではないって立場から考えて島津義弘が提案したって話の夜襲、本当に有効なら三成が却下してようが独断専行でやっちゃって何かしら戦果上げて帰ってきそうな気がする。
失敗かます可能性が無いとは言えないけどw
0941人間七七四年
2014/08/24(日) 21:49:59.58ID:SDPF90PD0942人間七七四年
2014/08/24(日) 21:55:06.51ID:6uraiaI2宗麟の「黒田殿のお陰で大友は助かった」的なセリフに
「えっ!紹運・宗茂は・・・?」と思ったわ
0943人間七七四年
2014/08/26(火) 02:20:52.29ID:NG5gKFPy特に紹運は岩屋城をそれなりに描く気がなければ単に島津に倒された大友の一武将になりかねないから寧ろ出なくて良かったかも。
ただ官兵衛を知将に描きたければ鍋島直茂出して官兵衛と繋がってる風にすればいいのにと想いましたわ。吉川説得は軍師の説得ってより熱血主人公の説得シーンだったし。
てかあの大河だと島津の肥後筑後筑前侵攻ルートが全く無かったみたい。
0944人間七七四年
2014/08/29(金) 23:54:12.86ID:Xq3CBMO9「わしらは同じキリシタン同志」とでも言いたげなアイコンタクトになんだかもう・・・・
0945人間七七四年
2014/09/08(月) 21:08:57.49ID:EKhIgXKn0946人間七七四年
2014/09/09(火) 10:37:24.27ID:/7iJACt60947人間七七四年
2014/09/24(水) 03:04:43.33ID:rVXN2ReGKOEIは無双のキャラにまでしといて宗茂の弓の逸話知らんのかなあ?
その割には昔から紹運が義理100だったり道雪がチートじみたりしてたり知名度低かったギン千代ピックアップるから興味が無いとは思えないけど。
0948人間七七四年
2014/09/24(水) 08:14:17.22ID:i8GYfN9N大名家ごとに得意兵科もあるから
一人だけ弓が得意でも逆に活躍出来なくなるし。
0949人間七七四年
2014/09/25(木) 11:56:03.46ID:dfS5v6zC世戸口さんみたいな弓の名手もいるんだし弓適性がS〜EまであるならBぐらいはあって良さそう。
0951人間七七四年
2014/09/27(土) 17:44:20.88ID:GGVQ58O8第一武将の誰もが得られるものならわざわざ免許皆伝とか書き残さない
0952人間七七四年
2014/09/30(火) 13:47:20.55ID:Mm6fXe1Wだよね。
免許皆伝+逸話有り+一軍を率いたそれなりの武将となるとかなり少なくね?
ぱっと浮かぶのは六角親子、内藤親子、小笠原ぐらいかな。
火間虫の検索で調べやすかったんで革新で見たら道雪紹運が弓Bだったのに宗茂弓Cですよ。
更に唐入り小早川セットにすると隆景S秀包Aで宗茂が二段階離されてて日置流免許皆伝なにそれ状態。
0953人間七七四年
2014/10/04(土) 10:22:43.06ID:g9GuOseW小早川の弓が高いのは毛利家の技能が弓主体だからだよ。
稲富や小笠原みたいにそれが最大の特徴というなら能力に反映されるだろうけど、
宗茂は別に弓だけが取り柄というわけでもないんだしそこまでこだわらなくても。
0954人間七七四年
2014/10/04(土) 10:41:13.93ID:cwm7rIMz0955人間七七四年
2014/10/04(土) 13:03:05.66ID:RRV0jiKK宗茂の遺品の金溜地塗籠弓っていう弓に、その弟の吉田大蔵の銘が入ってたり、
吉田一派とは交流が深かったみたいだね
0956人間七七四年
2014/10/05(日) 11:49:22.00ID:9GYzegQX流派のレベルにもよるけど、免許皆伝というだけで武家社会ではひと目おかれる
存在なんだがね。
0958人間七七四年
2014/10/16(木) 18:09:47.65ID:2xdYp3se0959人間七七四年
2014/11/03(月) 18:56:39.34ID:r/XAudaK0960人間七七四年
2014/11/03(月) 18:58:35.68ID:RQhl3yMv弓鉄砲Sなら騎馬Bでもいいし。
0961人間七七四年
2014/12/08(月) 20:26:59.63ID:Sxmqr+K3うまい具合に筋を通してるな。
先に豊臣からオファーが来たら・・・・・と心配したが、その考えだと断ってるんだろうな。
0962人間七七四年
2014/12/09(火) 18:33:32.36ID:c3ovUZBP無論俺みたいな凡俗とは考え違うだろうとは思うけど
宗茂の立花なら、まだ勝機の残る関ヶ原直後に大阪城籠城やんなかったのにやっと徳川の世に決まりかけて戦乱収まってきたって頃合いで今更
「大阪城籠城します豊臣恩顧の皆さんご協力お願いします」みたいな事を言われても「ば〜〜〜〜っかじゃねえの!?」と言いたくなってもおかしくないよね。
そういや元々、宗茂が関ヶ原で西軍につく事が秀吉の恩に報い義を果たす事になるって決めた要因はなんなんですかね。
豊臣対徳川でなく豊臣家中の内部抗争だったとか言われるけど、それにしちゃあ内外から利なら徳川で西軍じゃ分が悪いって言われてるのに 西軍に決めた要因がわかんない。
連れてった兵数や大阪城で徹底抗戦を進言したあたりからすると、この戦で恩に報いなければ先は無いと想定して勝負に出てるように見受けれるんですが…。
0963人間七七四年
2014/12/11(木) 17:46:23.89ID:ll+0vQ+0石田三成が必死に豊臣家にお力添え下さいと書状を送ってるし、義兄弟の小早川秀包の主人の毛利輝元が西軍の総大将になったからだよ。
0964人間七七四年
2014/12/27(土) 08:16:45.09ID:rVQa5wGK先人たちの底力 知恵泉 年末SP「負けたのによく生き残った!戦国武将特集」
なんか宗茂もでるっぽい
0965人間七七四年
2014/12/28(日) 00:27:23.37ID:GRdiPc1P宗茂は結構まともに紹介されてたな
0966人間七七四年
2014/12/29(月) 16:30:43.61ID:ujvNUdVp武芸はともかく、茶の湯や和歌や漢詩などの教養を磨くのに
おカネはいらなかったんだろうか。
0967人間七七四年
2014/12/29(月) 17:00:40.04ID:dS3Jjm8uお茶や漢詩はさほど困らなかったんじゃね?
0968人間七七四年
2014/12/29(月) 22:05:45.77ID:PeUN1OOi0969人間七七四年
2014/12/31(水) 08:23:36.60ID:nq5HwuLz大坂の陣で豊臣攻めてんの?
0970人間七七四年
2014/12/31(水) 09:36:27.26ID:TT82f9/a0971人間七七四年
2014/12/31(水) 10:11:25.17ID:h0Yp5NTl0972人間七七四年
2014/12/31(水) 10:46:29.13ID:NYxaYBM/0973人間七七四年
2014/12/31(水) 10:53:05.11ID:TT82f9/a関ヶ原の敗戦で改易に合った事で宗茂は恩も義理も返した
浪人後秀忠から御伽衆に取り立てられ、棚倉で大名に復帰と
徳川に恩義を受けたから徳川方として大坂の陣に参戦するは当然かと
つか、大坂の陣は秀吉の妻高台院の兄弟筋の木下家始め
豊臣恩顧の大名も徳川方に付いてんだぜ、なんで宗茂だけ責められる?
0974人間七七四年
2014/12/31(水) 14:41:22.82ID:X3LiROlF関ヶ原のときは豊臣家の傘下大名だから「内府ちかいの条々」とかで
西軍側が豊臣家の意向に沿っていると判断して組したけど、
豊臣は、関ヶ原で負けた後、大坂での決戦も行わずに家康を認めて、
西軍側の大名を切捨てて立花家も改易されたから、
豊臣との恩顧関係はそれで終わった。
その後浪人して、徳川家に直接仕官する形で大名に復帰したから、
大坂攻めのときは徳川に従うのが筋となった
0975人間七七四年
2015/01/01(木) 13:47:21.36ID:Gleox40f0976人間七七四年
2015/01/02(金) 02:46:40.74ID:a7EGWgfi大老家康が秀頼に代わってやったまでのこと。そこで主従関係は途切れてる
0977人間七七四年
2015/01/02(金) 13:26:03.26ID:qpzKuhtE結局、大津城を落とした頑張りも無駄になり、大阪城決戦で巻き返しをという提案も無視されて
もう誰が大坂方に付くもんかと自分だったらあの時点で見限る。
黒田如水なんかが跋扈する九州を留守にしてまで参戦したのにさ。
0978人間七七四年
2015/01/02(金) 13:58:45.31ID:yBisKRHmほとんど西軍に参加したから宗茂が西軍に参加するのもごくごく自然なこと
そんななか逆に仲良し軍団(派閥)の事なんかシラネと東軍に参加した寺沢広高が
宗茂の周辺では特異な例
0979人間七七四年
2015/01/18(日) 03:40:15.10ID:QtcG4KTBそういう話をなにかで読んだ記憶があるんだが、何で読んだのか思い出せない…。
他に宗茂と仲が悪かった大名って、誰がいるかな?
宇喜多秀家?
田中吉政?
0980人間七七四年
2015/01/18(日) 04:55:44.93ID:YHyOjKwgその後柳川に入ったから良い印象は持ってないだろうけど
関ヶ原以後は立場の違いから直接会う機会なんて殆どないんだから仲が良い悪い以前の話かと
0981人間七七四年
2015/01/18(日) 05:15:32.43ID:YHyOjKwgその頃の宗茂は陸奥・棚倉藩2万5千石、外様、江戸城詰の間は柳間
対する吉政は柳川32万石、外様、筑後国国主、江戸城詰の間は大広間と
格式の差や大名同士の交際を制限した家康の意向から会っても挨拶程度しか出来なかっただろうね
0982人間七七四年
2015/01/18(日) 11:09:21.44ID:Gh8oKzX4前田とは、関ヶ原以前は反目の話はないな。
そもそも毛利閥の小早川派だから前田と対立する機会がなかったはず。
宇喜多とは足軽同士の喧嘩以来の犬猿の仲、宇喜多の豪姫つながりで仲が悪いとは
当時の正妻の役割から考えられない。
田中とは柳川の件で嫌いだった可能性が高いが関ヶ原以前は面識がなかったんじゃないかな・。
ちなみに小早川秀秋こと金吾ちゃんとは、隆景から育成を頼まれてたので仲は悪くなかったはず。
まあ、その育成効果は、朝鮮での先頭突撃や関ヶ原での戦機を見るなどに生かされたんだが。
0983人間七七四年
2015/01/18(日) 16:04:51.30ID:QtcG4KTB親交のある大名としては、伊達政宗・細川忠興・島津家久みたいなアクが強いのが多いのはなんでだろ?
まぁ、たまたまコイツらが目立ってるだけかも知れんが。
0984人間七七四年
2015/01/18(日) 18:33:12.81ID:kcS5VVUrDQNたちのお友達って言うのが謎だよなw
宗茂自体は普通の人だし、他にも仲良い大名はいただろうけどねw
0985人間七七四年
2015/01/18(日) 18:58:34.17ID:tp8n2yC+宗茂と同僚かつ親友の丹羽長重が前田家と超犬猿って所から来てんじゃね
>>983
宗茂は長重とともに秀忠側近として色んな大名への御成りとか付いてってるから顔はめっちゃ広い。
その中でアクが強いのチョイスしてるだけに見えるが。まぁ島津とは元から仲が良いけど
0986人間七七四年
2015/01/18(日) 20:00:33.60ID:QtcG4KTB…チート以外の何者でもないな。
0987人間七七四年
2015/01/19(月) 02:04:22.32ID:wtd8CZXLしかもエピソードが濃いw
ヤバイやつでも誰とでもうまくやれる人だったのかね
そう言うのも戦国に限らず生き残る上で大切な事だよな
0988人間七七四年
2015/01/19(月) 02:14:53.06ID:PwhdiqGH0989人間七七四年
2015/01/19(月) 02:29:31.71ID:J4kcJV0U冗談は置いといて秀忠側近の宗茂と仲悪くなりたい大名はいない
0990人間七七四年
2015/01/19(月) 02:38:45.34ID:jmoyw4ffそれはギンチヨの性格が彼らを追い越すほどのキチガイ性格だったからじゃねw
ただでなくても当時は男>>>>>女な風潮だっただろうし
勝ち気でわがままな女は妻であっても女じゃない扱いだろう
0991人間七七四年
2015/01/19(月) 03:41:13.78ID:CINzc+XW小早川家の名前を汚したクソガキとかなんとか
0992人間七七四年
2015/01/19(月) 03:53:40.65ID:RuB7UonT【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ5【道雪】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1421606914/
0993人間七七四年
2015/01/19(月) 07:02:01.96ID:PwhdiqGHそうだとすると、夫婦の力関係って難しくなるよな。
0994人間七七四年
2015/01/19(月) 13:07:48.76ID:k1PmVmes高橋紹運は宗茂を婿に出すとき、親子の縁を切る覚悟で
もし立花家と高橋家が争ったら立花家の人間としてわしを殺せと教え込んだんだろ
それに引き換え道雪は、ギンチヨに旦那と仲良く暮らすことすら教えなかったのか…
0995人間七七四年
2015/01/19(月) 17:33:07.11ID:PwhdiqGH説教したり諭したりしなかったんだろうか。
家付きの娘と婿養子が不仲では、家中も派閥を作って対立しそうな気がする。
0996人間七七四年
2015/01/20(火) 06:48:32.42ID:4ns6EMka0997人間七七四年
2015/01/20(火) 07:09:53.80ID:tVikS2FO道雪「うちのかわいいァ千代とわしが目をつけた宗茂がうまくいかないわけがない」
子育てに関しては親バカだよな
0998人間七七四年
2015/01/20(火) 23:14:31.03ID:u8I0bw9P八千と菊子はいつまでも空気だな
0999人間七七四年
2015/01/21(水) 13:46:34.78ID:3sTD2e/K1000人間七七四年
2015/01/21(水) 13:48:12.32ID:3sTD2e/K10011001
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