【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】
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0001人間七七四年
2010/12/31(金) 22:05:34ID:dP+LhBbfその知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!
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0764人間七七四年
2012/10/14(日) 16:38:59.00ID:YHbBhJzj新訂黒田家譜(福岡古文書を読む会:1982〜87年)全7巻で、全然問題ないお!
大方の公立図書館・大学図書館に入ってるのが、この一番新しい
新訂黒田家譜になります。
他の異本とか原本は、九大とか地元福岡を除けば、他の公立・大学図書館には
ほとんど所蔵されてないだろうし、日本史で専門の論文を書くために、
異本と突き合わせる必要があるとかなら話は別だけど、趣味として
孝高や長政の事跡を知りたいんなら、新訂で全然問題ないですお
0766人間七七四年
2012/10/14(日) 18:36:42.54ID:ZbMfym4i貝原は江戸初期の人間だから
比較対象として豊臣を渋ちんとする事で
気前よく筑前52万石をくれた神君持ち上げてるのかもね
あと事実かどうかは知らんが
秀吉は九州平定後官兵衛に筑前一国を与える口約束をしていたと言う話もある
筑前一国と中津じゃ官兵衛も不満出るかも知れないが、官兵衛が口約束を信じるとも思えんし
1万石程度の小領主から加増10倍の大名にしてくれたんだから嬉しくない訳ないと思えるんだが
これまでの苦労は12万石でチャラって感じで、もし筑前一国だったら官兵衛宗茂みたいに豊臣に忠義立てしてたかも知れん
0767人間七七四年
2012/10/14(日) 21:14:10.43ID:fI6j+dl6黒田官兵衛13万石
宮部継潤5万石(老齢にて大封辞退)
前野長康5万石
尾藤知宣5万石
亀井茲矩1万石
九州国分時あたりだと与力出身組はこんなもんだし
働きに応じて十分評価されてるね、くらいしか感想はないな
その頃ほとんど同じ使われ方して官兵衛のライバルと言える仙石秀久(10万石、失脚済)が
先に出世したのには、子飼い贔屓か、ぐぬぬと思わんでもないがw
0768人間七七四年
2012/10/14(日) 22:09:00.55ID:w8fGdrfW0769人間七七四年
2012/10/15(月) 00:03:02.38ID:60ZXLO6g0770人間七七四年
2012/10/15(月) 22:03:17.35ID:vBQ5eXH2何これ、兵庫は死亡フラグなの?地元なんだけど!
で、でも黒田大河は、大丈夫だよね?ねぇ、大丈夫だと言ってよ!NHK!
0772人間七七四年
2012/10/15(月) 23:33:29.33ID:VeVAy00qいいなぁ。私も兵庫県に住みたい。
岡田准一が主演の時点でなんか不安でもある。
決して悪い俳優じゃないと思うけど…。
綺麗な官兵衛路線かな。
個人的には堤真一か、
今大河で西光の役をやってる人(加藤虎之介?)が良かったな。
スレチすみません。
0773人間七七四年
2012/10/16(火) 12:17:13.48ID:dNZGIG8j0774人間七七四年
2012/10/16(火) 12:57:16.12ID:PmMmijqN豊後8群37万8千石 1群あたり平均約4万7千石
肥後13群54万石 平均約4万1千石
筑前13群52万1千石 平均約4万石
豊前(毛利吉成領)2群8万石 平均約4万石
豊前(黒田領)6群12万石 平均約2万石←自主申告
参考資料 「史伝 黒田如水」
あと関ヶ原のあと細川忠興が豊前小倉藩に移封されたときの同藩の石高が39万9千石
0775人間七七四年
2012/10/16(火) 14:04:40.04ID:c9v3X8e2人人: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽー=≠ミx,
`ー‐イ : : : : : : : : : : : : : : : : \ : : : : :/
マ (: : : : : : :〆: ハ: : :,ィi ヽ: : :ヽ: : :/
/: : : : /レ' ;ノ:/ハ:人: :/: :∨
ジ /\ / V: : 《
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で |: :/,.xァ≧x、 /ヽ: :‘,
》ィ と⌒C ヽ ,ィく=ミ、/: :ハ
っ.. { { {ノ!:::::::::i} と:::C }!: : :|ハ
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ヽ ヽ ⌒} `ー-
0776人間七七四年
2012/10/16(火) 18:03:21.48ID:33Xy3PoM0777人間七七四年
2012/10/17(水) 00:17:23.38ID:DeXQB6iQこれさ、それぞれの郡って、面積的には大きさバラバラだよね?
指出だった豊前中津以外の地域が、一郡あたり平均4万石程度で標準化
されてるので、一瞬、中津以外は太閤検地で棹が入ってるからか?と
思ったんだけど、やっぱり違うよね
0778人間七七四年
2012/10/17(水) 01:02:45.51ID:jBejSjWm0779人間七七四年
2012/10/18(木) 07:30:27.77ID:zFrOy6Wp豊後2郡のみの頃は6万石(丹後宮津12万石の計18万石)
宇佐郡は4万1千石らしくて宇佐半郡は大友領
黒田領は最低でも17万石以上
実態は20万石クラスというところか
0780人間七七四年
2012/10/18(木) 14:31:33.29ID:CqNXs2pQ所詮は播磨の土豪だから
0781人間七七四年
2012/10/18(木) 14:37:37.40ID:ovYf0ydA0782人間七七四年
2012/10/18(木) 15:39:57.81ID:EENgVvMcこの時代の検地は石高を打ちだした分だけ、軍役負担も相応に重くなる
特に畿内以外の太閤検地は、唐入りの動員兵数確保が目的で、諸大名の軍役の
負担を上げる目的で行われてる。島津領の太閤検地はまさにそう。
無理やり中央の豊臣政権が70万石を打ち出して、動員兵数を確保した。
その意味では、12万石程度の石高で、二度の唐入りで5000人規模を動員し、
そのうえで関ヶ原で募兵可能な余力を残してたんだから、
ここはむしろ黒田孝高の財政手腕を、素直にほめるべきところなんだがなぁ
0783人間七七四年
2012/10/18(木) 16:04:35.27ID:CqNXs2pQそういう君主権の弱さを打破したのが三代黒田忠之
0784人間七七四年
2012/10/18(木) 16:31:53.20ID:EENgVvMc藩ごとぶち壊しかけたんだから、やっぱりどうしようもない馬鹿としか<忠之
0787人間七七四年
2012/10/20(土) 15:02:36.77ID:J3fniQgP個人的には谷原章介が良かったかな
堤真一は俺もすきだが 頼りがいのある男を演じるときの
あのダミ声(俺はこれのことをドヤ顔ならぬドヤ声と呼ぶ!)が賛否なのがなあ
0788人間七七四年
2012/10/20(土) 16:31:06.35ID:Q3SO33hN以前、開催された「長政と黒田二十四騎展」は行けなくて残念でしたが
大河の盛り上がりでまたやってくれないかなと。
肖像画フェチとしては御子孫さん蔵・初公開の「母里友信」は見たかった。
本当は少弐氏を研究しているが、黒田も大好きなので
皆様、よろしゅうに。
0789人間七七四年
2012/10/20(土) 17:09:21.52ID:8exgBFE5本人と奥さんの代表的な句を教えてもらえませんか?
0790人間七七四年
2012/10/20(土) 20:56:11.50ID:bvAr8jvj0791人間七七四年
2012/10/20(土) 21:20:13.65ID:8exgBFE5残っていたりするんでしょうかね?
0792人間七七四年
2012/10/20(土) 21:51:54.01ID:mcKMZq/kお光さんの歌も所載の「如水夢想連歌集」というものがあるらしいけど。
翻刻されているかどうかはわかりません。
0793人間七七四年
2012/10/23(火) 00:06:20.98ID:zVXQOpt/こっちはドスの利いた官兵衛になりそうだ
柴田勝家が主役だけど、原作では官兵衛も活躍してるので、こっちも楽しみ
0794人間七七四年
2012/10/23(火) 21:06:08.17ID:eEA/Ukp+____
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0795人間七七四年
2012/10/23(火) 22:08:32.66ID:TUu7/6Ql原作では黒い秀吉と悪い官兵衛が仇役で、策謀で勝家をはめるんだけど
憎めないコンビになってて面白かったね
0796人間七七四年
2012/10/24(水) 09:04:23.21ID:zFLthpAlもし秀次が忠告に従っていれば日本史は随分と変わったんだろうな。
0797人間七七四年
2012/10/24(水) 16:29:22.36ID:SqIYoogSほんとにそう助言していたとすればなにか企んでたとしか考えられんわ。
0798人間七七四年
2012/10/25(木) 21:23:10.08ID:OO0pfGGZ関白にしてもらったんだから、ここは太閤の心証をよくするために
ポーズだけでも渡海すると自分から申し出てた方がいい」という
秀次に保身をすすめた助言であって、別に黒田は何も企んでいない
0799人間七七四年
2012/10/26(金) 21:37:36.19ID:7VFBwKdd舌はもっとでかく
0800人間七七四年
2012/10/27(土) 18:35:03.19ID:gyPqN8Pw|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;.|
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0801人間七七四年
2012/10/27(土) 22:33:48.48ID:jYM9Il2k小早川隆景の役は誰がやるのかな?
0802人間七七四年
2012/10/29(月) 23:19:04.24ID:sd6uZDmB0803人間七七四年
2012/10/29(月) 23:21:29.71ID:dgW5jpdN0804人間七七四年
2012/10/29(月) 23:44:54.95ID:sd6uZDmBまあ普通に賢そうな二枚目を当てる役どころではある<隆景
0805人間七七四年
2012/10/31(水) 05:07:11.05ID:qrVfTY67どちらにしろ、ジャニタレ主演という時点で終わってる感があります。
0806人間七七四年
2012/11/03(土) 11:02:23.32ID:uROGT9JPhttp://www.rekishijin.jp/kachu-blog/20120412daisuigy/
浦野若狭守が作ったという兜が、水牛に似ているという知識をどうやって得たのでしょうか?
あと本山一城先生のサイトに福島正則と藤堂高虎に使用を許したとありましたが、藤堂家に残っているのでしょうか?
浅野長政所用の大水牛兜は現存していますが、これも黒田家に使用を許されたものなのでしょうか?
0807人間七七四年
2012/11/03(土) 13:27:33.12ID:4aGqt8ZF阿弥陀如来の使いである大威徳明王は水牛に乗ってるそうだし
大威徳明王を祀った神社もあるみたいだから水牛の姿は彫刻や仏教画に描かれていた可能性ある
何時の頃からかは知らんが彼の地じゃ閻魔大王は水牛に乗ってると考えられてるそうだからやはり宗教絡みだと思う
0809人間七七四年
2012/11/05(月) 10:22:52.70ID:HtJYMm9+なるほど、水牛のことは知識として持っていたとういことですか。
それを商人や宣教師たちから、更に補完したんでしょうかね。
0810人間七七四年
2012/11/15(木) 04:05:27.54ID:oPgEhlBnたそ、とのたまえば、名はいはで、信長公御生害で嬉しかろう、という、その声如水なり、秀吉答えず。
後、伏見の大地震に御屋形倒れ、秀吉公御死去の噂立つ。実は寝巻のままにて庭に避けてあり、
・・・夜あけて諸大名参れるの中に如水あり。御祝いを申しあぐる。
秀吉、如水にむかひて、昨夜はおれが死んだと聞いて嬉しかったらう、と、如水返事におよばで引退る。」
これは津軽伯爵家の蔵書中より、森銑三氏が発見した文書、『信政公御譚』の一節です。(森銑三著作集1より)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344129833
森銑三先生と言えば一廉の権威だそうですが、『信政公御譚』って資料的な価値はどれくらいですか?
やはり晩年の秀吉には警戒されていたのでしょうか?
0813人間七七四年
2012/11/17(土) 14:54:33.69ID:FY4LaJNK晩年の秀吉との擦れ違いはやっぱり有ったんだろうな
0814人間七七四年
2012/11/19(月) 19:19:31.06ID:ervUO9SX0815人間七七四年
2012/11/20(火) 21:08:07.41ID:cvhFTu2Jhttp://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kuroda2.htm
「ほぼ確定」というのはどこで?
0816人間七七四年
2012/11/26(月) 08:07:39.74ID:LuGH5D+20817人間七七四年
2012/11/26(月) 11:26:43.35ID:t6BG2zQV0819人間七七四年
2012/11/28(水) 07:57:20.15ID:6MlU71Pk0820人間七七四年
2012/11/28(水) 19:50:48.66ID:ToSL2iTF0821人間七七四年
2012/11/30(金) 16:43:25.18ID:oBYYcka5http://www.youtube.com/watch?v=fMSLXpfEF9s&feature=related
〜spirit loose〜ザ・ルーズ
http://www.youtube.com/watch?v=GI5Q3ZUVQTM&feature=related
ねがい("BUZZ!!" STYLE)
http://www.youtube.com/watch?v=YiXa77v9gf8&feature=related
0822人間七七四年
2012/11/30(金) 22:50:22.10ID:peXnLmga福岡市博物館では、一足早く、黒田家名宝展示として、黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣などを展示します。
※会場は、部門別展示室2「黒田記念室」です。展示替えがあります。(黒田節でおなじみの名槍「日本号」は常時展示)
【展示予定】
(1)脇差 名物「碇切(いかりぎり)」
・展示期間 平成24年11月27日(火)〜12月27日(木)
・黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣
(2)国宝 刀 名物「圧切長谷部(へしきりはせべ)」
・展示期間 平成25年1月5日(土)〜2月3日(日)
・織田信長から官兵衛に授けられた名刀
(3)国宝 太刀 名物「日光一文字」
・展示期間 平成25年2月5日(火)〜3月3日(日)
・豊臣秀吉の小田原攻めの際、降伏仲介のお礼に北条氏から官兵衛に贈られた名刀
(4)大身槍 名物「一国長吉」
・展示期間 平成25年3月5日(火)〜3月31日(日)
・黒田長政が筑前1国の大守になるまで愛用した名槍
http://museum.city.fukuoka.jp/
0823人間七七四年
2012/12/11(火) 10:45:46.26ID:PM2CTIrv小出しにしやがって
0824人間七七四年
2012/12/11(火) 11:25:17.86ID:uEwiXuCe普通に考えて
0825人間七七四年
2012/12/11(火) 12:44:23.80ID:YejNZKsDその時は東京に住んでいて見れんかった
0826人間七七四年
2012/12/17(月) 02:27:42.35ID:rQEbo9LL改めてウィキペディアで見て驚いたんだが、
片足引きずってたとか、後藤又兵衛を寵愛してたとか、この辺の話も創作なのな。
0827人間七七四年
2012/12/17(月) 14:36:40.69ID:KgOAWF05小さい頃から黒田にいた説もあれば成人してからという説もあるし
黒田家譜かなんかで一度親戚の罪のとばっちりで脱走して黒田に戻ってきた又兵衛を使う長政に
「罪人の一族は重用すんな」と言ってるらしいし、又兵衛は官兵衛より長政が贔屓してた感じがする
0828人間七七四年
2012/12/19(水) 19:49:29.19ID:UmqJsckZ>「罪人の一族は重用すんな」と言ってるらしいし、又兵衛は官兵衛より長政が贔屓してた感じがする
そんな記述ないんだけど<黒田家譜
よくわかんないって自分で書いてるのに、「気がする」とか妄想全開なんじゃね??
0829人間七七四年
2012/12/19(水) 20:11:04.22ID:5TZSTdPQウィキペディアの黒田長政の項目にもこんな記述あったな。出展はなんだろ
0830人間七七四年
2012/12/19(水) 23:51:42.59ID:X1pgbyq7ごめん、自分がこのエピソードを見たのは雑誌か又兵衛の本で
実際黒田家譜は見てないのでそういう書き方になった
本が今手元にないのでもし見つけたら報告する
0831人間七七四年
2012/12/21(金) 20:04:27.72ID:H+Vj2mL7赤松氏が巴紋、小寺氏が藤橘巴だったから最初の頃からかな?
それとも後世になってから?
黒餅の家紋は半兵衛から譲られたって言うのでいいのかな?
0832人間七七四年
2012/12/22(土) 10:33:58.34ID:jaUAuEx4ここあたりがいいのでは。
あと福岡市美術館の黒田展に行った人いる?
俺は来年に行こうと思うのだが簡単なレポでも聞けるとありがたい。
0833人間七七四年
2012/12/22(土) 21:00:40.74ID:hxBjzFZV藤巴は使われていたんでしょうか?
0834人間七七四年
2012/12/23(日) 17:00:32.51ID:nWaHtw0k書いてあったのは綿谷雪の「実録・後藤又兵衛」
で出典は黒田家臣伝(貝原益軒)だった
で、官兵衛が又兵衛を使うなと言っていた、とは書いてあったが
長政が又兵衛を使い続けたっていうのは書いてなかったので
違う文と混同したみたい。迷惑掛けてすいませんでした
0836人間七七四年
2012/12/25(火) 09:23:16.56ID:06Y3p5fz小松山の戦いについてこのような注釈に書き換わっていたんですが
出展とか戦闘の詳しい内容とか判りませんか?
>およそ8時間戦っていたという俗説があるが、これは誇張表現。徳川方が後藤隊を発見したのが午前2時。
奥平忠次が抜け駆けをしたのが午前4時。
予定通り背後に回り込んだ水野隊が片山村から攻め上がり、伊達政宗、松平忠明らが総攻撃を開始したのが午前9時。
薄田兼相が打ち取られのは午前10時。又兵衛は人知れず自害しているので最期の時刻は不明ながら、兼相より先である。
0837人間七七四年
2013/01/08(火) 02:43:59.04ID:s3ttqvkChttp://www.facebook.com/photo.php?fbid=534793756538406&set=a.493451370672645.116960.490798450937937&type=1
全校児童6人、やった最高賞 中津市永岩小
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2013_135744095826.html
姫路城の修理見学施設 14年1月で終了
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201212/0005591761.shtml
大坂城試着体験
http://www.osakacastle.net/exhibition/try.html
0838人間七七四年
2013/01/08(火) 16:04:16.39ID:FFG0Yau80839人間七七四年
2013/01/13(日) 03:12:36.44ID:ddmKivr7光圀みたいなかんじで
そういえばこの人の奥さんはかなり長寿だよね、お悠さんのエピソードもかいてほしい
0840人間七七四年
2013/01/13(日) 03:27:21.36ID:ddmKivr7新春時代劇は栗山善助が播磨灘物語を忠実に再現したキャストでよかった。
栗山が実は一騎打ちも強いっていうのを時間がおしてるんで10秒くらいで
表現したのは笑ったが
0841人間七七四年
2013/01/13(日) 03:36:13.05ID:WMKo+C1Kそんな彼の渾身作「養生訓」には「エッチの前には小便をしておけ」と書かれている。
益軒先生も東軒先生とのエッチの際に小便をしなかった事で、やらかしたのだろうか(笑)
0842人間七七四年
2013/01/13(日) 03:39:42.98ID:WMKo+C1K0843人間七七四年
2013/01/13(日) 04:57:52.64ID:ddmKivr7「黒田三代 最終回」
光之「益軒、難儀であった。これからはこの福岡藩を支えるために粉骨してほしい」
益軒「ははーっ、ありがたきしあわせ」
(タッターン タララララ タッターン←OP曲)
0844人間七七四年
2013/01/13(日) 09:12:50.60ID:WMKo+C1K黒田(福岡藩)関係のblogを書いてた縁でアドバイザーとして呼ばれたんですが、これも黒田勘解由次官様々です
0845人間七七四年
2013/01/17(木) 01:45:02.40ID:Xwqbvg5F日本号と圧切り長谷部は見てみたいものだな
信長と秀吉が触ってたものだし
0846人間七七四年
2013/01/25(金) 14:26:57.38ID:xo8tl7tt備中高松城の支城の1つで、かつての宇喜多と毛利の争奪戦の地。
真書太閤記によると、
先日、支城の1つの冠山城が宇喜多忠家の先陣と加藤清正や美濃部十郎などの活躍で簡単に落ち、
この城は官兵衛を大将に蜂須賀小六と木下平太夫の1000騎ほどが受け持っている。
しかし、300騎ほどの城兵の守りは堅く、退いて誘っても城外には出てこない。
城主を調べると、応永の乱で赤松に攻められ戦死した播磨の長水城の摂津守宗綱の子孫である
世砂の里に落ち延びてきた庄右衛門の子で、日比将監の婿となった日比右衛門大夫政之。
しかし、子の役に立とうとする親の庄右衛門は、風の強い日に織田軍の陣に火を放つことを
日比右衛門に伝えようと密使を送り込もうとするが、黒田の小斥候が捉える。
擬装用に持たされていた激励文を読み、小六と平大夫は骨折り損と考えたが、
官兵衛が拷問に掛けようとすると白状した。
秀吉は脇坂と糟屋を派遣して庄右衛門主従を捉え、
福島正則に命じて農民から柴2束、藁1束ずつを買い、積み上げさせる。
ここに主従を磔にかけ、官兵衛の秦桐若、浦庄大夫、立花七郎に火刑の準備をさせ、
平野長泰から日比右衛門に火刑を行なう事を通告する。
通告までに、井楼を築いて銃撃を加えていたこともあり、
城主は城門を開いて攻めかかり、磔の鎖に取り付いた時に、
太鼓の音とともに秦桐若らが襲いかかり討ち取り、城は黒田と蜂須賀の攻撃により落ちた。
勝鬨のあと、庄右衛門主従は秦桐若により柴に火がかけられ、焼け死ぬ。
若が勲功第一となった。
秦桐若は、二十四騎・竹森新右衛門次貞の弟。
常山紀談によると、
黒田家の士に秦桐若といふ剛の者有り。唐団扇長さ一丈計もあるを指物にしける故、敵見知て近付ず。
或時さし物をかくして、近々と成て不意に出せば、敵大に驚きて引退きたるほどの者なりけり。
0847人間七七四年
2013/01/27(日) 08:23:25.27ID:Z+ZWm+unpdf化されているパンフレットの
城井氏の戦いの地図と中津城の情報がいい
1 名前:生徒もろきみ!φ ★[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 01:05:01.88 ID:???
来年のNHK大河ドラマで初代中津城主黒田官兵衛が描かれることを受け、中津市教委は、市周辺の官兵衛ゆかりの地や
遺構を紹介するパンフレット「初代中津城主 黒田官兵衛をたどる」を作成した。市内各所で配るほか、観光客へのPRで連携
する福岡市や兵庫県姫路市など官兵衛と関係が深い自治体にも送る考え。
パンフレットは、A4判8ページで6千部作成。官兵衛と戦った地元豪族の居城跡などを地図とカラー写真で案内するほか、
官兵衛が築いた九州最古の近世城郭とされる中津城の魅力を、現在も残る貴重な石垣などにスポットをあてて紹介。現在の
旧城下町に残る町割りや町名、豊臣秀吉とのつながりを示す瓦などの遺物も掲載している。
中津市:パンフレット「初代中津城主 黒田官兵衛をたどる」発行!
http://www.city-nakatsu.jp/docs/2013012300011/
※ソース先にpdfファイルあり
ソース(西日本新聞) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/345131
0848人間七七四年
2013/01/29(火) 20:55:56.86ID:9KqUekH+兵庫県姫路市亀山の亀山御坊本徳寺で27日、「軍師官兵衛と仏教」と題した歴史対談があった。
同寺の大谷昭仁住職と、書写山円教寺の大樹玄承執事長が、姫路出身の戦国武将・黒田官兵衛が
仏教とどう向き合ったか‐などについて、参拝客約200人を前に語り合った。
官兵衛は、軍師として仕えた豊臣秀吉に織田信長軍の播磨での拠点を円教寺にするよう進言し、軍隊を置かせた。
大樹執事長は「信長の比叡山焼き打ちからまだ8年ということもあり、円教寺は全く抵抗しなかった。だからこそ今まで続いてきた」と話した。
官兵衛が、姫路市の峰相山にあったとされる鶏足寺を焼き打ちしたことを巡る議論もあり、
大谷住職は「仏教に集まった民衆が反信長、反秀吉となるから軍事力でつぶしたのでは」と述べ、
仏教のせん滅のためではなかったとの見方を示した。(
神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/alacarte/201301/0005699698.shtml
0849人間七七四年
2013/02/04(月) 04:32:59.31ID:gxqeQoDDhttp://www.shinyusha.co.jp/~top/02mook/kuroda-kanbei.htm
早々とこれまでよりもいい雑誌が出たなと思ったら
本山先生の寄稿もあったというより真ん中だった。
交友関係のところで官兵衛が利休七哲の1人という説は初耳だ。
どの辺りが家康の天下を阻んだ男なのかは不明だが
他はポイントを抑えている感じで
黒田二十四騎や天王山の合戦CGなどが良かった。
キリシタンについて述べるなら高山右近だけではなく、小西行長、蒲生氏郷、明石全登、
他に茶人でもある荒木村重や織田有楽などにも触れて欲しかった。
0850人間七七四年
2013/02/04(月) 09:49:19.92ID:XPTONn7j黒田七哲説って、どこから来たんだろう?
孝高は確かに利休流の茶道なんだけど
利休に茶道を習いに行ったのも、時期的には九州征伐の後だから
七哲と比べるとかなり遅いし、ほとんど利休との茶会の記録は残ってないはず
むしろ茶会の記録としては、関ヶ原後の博多のものが一番多く残ってるんだが
0851人間七七四年
2013/02/04(月) 13:25:42.69ID:QBQYFaTp黒田七哲説となると大河のためのクロカンageにしか見えないな
0852人間七七四年
2013/02/04(月) 13:47:59.93ID:tpRMJ55o0853人間七七四年
2013/02/04(月) 22:48:17.97ID:7jj9gEIqわりと古くからあるから、その焼き直しで、ついでに右近や村重と親しかった
シメオン君も入れちゃたんだろう<七哲説
でも「シメオン君も七哲だった!」はやりすぎ、やりすぎ!www
0854人間七七四年
2013/02/04(月) 22:57:50.44ID:/Jp2Uxz40855人間七七四年
2013/02/04(月) 23:45:26.43ID:gxqeQoDDみたいなネタは大好きだがw
0856人間七七四年
2013/02/05(火) 00:10:04.82ID:KNtIhkuzもしくは第七課みたいな組織名と考えれば良い訳か
0857人間七七四年
2013/02/05(火) 00:46:59.78ID:0HX7c+Quこのひと、官兵衛を好きなのはよくわかるけど、わかるんだけど
思い詰めすぎてて怖いっていうか、なんか暴走しそうでハラハラするお
よくある大河への便乗ではなく、熱烈ファンのトンデモつうか
0858人間七七四年
2013/02/05(火) 11:54:13.77ID:1pCXyaio婚礼当日に浦上親子ともども赤松政秀に討たれたのは
官兵衛の実妹ではなく職隆が養女にした義妹だという説はどうなんだろう?
親子討ち死にで没落した浦上氏の清宗の弟の誠宗に
一緒に討ち死にした豪族の娘を職隆が養女にして嫁がたとかならまだ解るんだけど
黒田小寺氏は養女になると箔が付くくらい実力があったってことなんかな?
官兵衛と利高の生まれは離れているので
間に誰か姉妹がいてもおかしくは無さそうだが
当時は娘がいても早世すれば記録には残らないとかあるのかな?
0859人間七七四年
2013/02/05(火) 21:36:42.56ID:vjbN10vC嫁ぐくらいの年齢なんだから、もしそんな妹が存在したなら、
普通に黒田家譜の家系図に残るだろう。別に嘘をつく必要もないわけで
0860人間七七四年
2013/02/05(火) 23:38:46.10ID:1pCXyaio0861人間七七四年
2013/02/06(水) 20:43:56.86ID:AGm06dFSでもまあ先生のその熱心さが無ければ
今俺らが知っている官兵衛の知識は半分程度になっていただろう
多少の暴走はスレのネタにもなるし
少なくとも来年の大河が終わるまでは活躍し続けてもらいたい
0862人間七七四年
2013/02/06(水) 21:43:02.28ID:8rnnMG7u仕方ないというか、そんなもんだろうね。
HP見たところ、かなり他の小説に対しては辛口だけど、
史料としては黒田家譜を読んでるくらいで、一次史料にあたってるわけではないし、
基本的には好事家の仕事なわけだから、そのへんは起用する方もわかってるでしょう。
(むしろ、自称で官兵衛の子孫名乗るとか大丈夫か、下手したら
黒田家からクレームくるんじゃないの、とか、そっちの方が心配になったが)
黒田如水研究としては、まとまった学問的な研究書では、
小和田先生のミネルヴァの近刊くらいしかないので、大河を機に
未発掘の史料とか郷土史や日本史の分野で新研究がでてくれないか、と期待してる。
0863人間七七四年
2013/02/06(水) 22:22:47.17ID:AGm06dFS>史料としては黒田家譜を読んでるくらいで、、一次史料にあたってるわけではないし、
それは流石に失礼だろう
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