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【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】

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0001人間七七四年2010/12/31(金) 22:05:34ID:dP+LhBbf
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!

前スレ
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0723人間七七四年2012/10/11(木) 02:32:16.44ID:AlVthoue
>>721
最近のNHK的に考えて、
そんな感じの裏事情を採用しそうだなw


再来年も結局、
ゲスい秀吉像になるんかねえ…(食傷)
0724人間七七四年2012/10/11(木) 02:37:24.33ID:XBFvCEYj
>>722
黒田家譜でも、孝高・長政で事前に打ち合わせて計画的に謀殺した
とちゃんと書いてるので、長政単独ではなく父子共犯なのは間違いない
この事件はいろんな異本・バリエーションがあるので、ドラマとしては
かなり自由に演出できるけどね

ただ謀殺自体が秀吉の命なのか、黒田家の判断だったのかについては
たとえば小和田哲男先生は、史料がないのでわからないという立場で
真相は今となっては永遠に謎のままというのが正直なところだと思う
0725人間七七四年2012/10/11(木) 04:24:49.59ID:BnOD9kal
>>723
九州の国人一揆は
島津征伐から凱旋して大茶会を開いていた秀吉の顔に
中止という泥を塗ったという話しなんで。

一旦黒田と城井が和睦になったのは秀吉の命令なんで
それを覆せるのも秀吉しかいないし本気で切れたんだろうと。
0726人間七七四年2012/10/11(木) 15:42:55.78ID:WRKbpFKk
脚本がオリジナルだとしても、いくらなんでも
今年の清盛以下の出来にはならんだろ
脚本おかしい、演出おかしい、登場人物も頭おかしい
音楽も毎回毎回、同じ旋律が流れるっていう
清盛は、きっと官兵衛のために人柱になってくれたんだ
歴史ドラマはやっぱり大変で、下手すると本当に変な話になるという教訓のな

でも、天地人のような感じの駄作になる可能性は、かなりある気がする・・・
0727人間七七四年2012/10/11(木) 16:08:34.64ID:qw3UxRCT
まさかの大河ドラマ主役か
0728人間七七四年2012/10/11(木) 17:56:34.16ID:aFy2IM8N
小早川隆景がだれになるのか気になる
0729人間七七四年2012/10/11(木) 18:41:24.79ID:BnOD9kal
気になったので転載。
これ別所に呼応した小寺本家と手切れになった時に
独立して信長に属したとは見なされなかったのかな?


815 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 01:16:17.88
>>794
これさ、戦国板でもよくこう言う人多いんだけど
クロカンは信長の直臣だった時期はまったくないんだよ
黒田家譜にも信長・秀吉の書状にも秀吉の与騎という表現はない
つか信長と孝高の会見すら信長公記には記録がないくらい軽い扱いで
かろうじて主君の小寺と一緒に一箇所でてくるくらい

理由は簡単で、孝高の主君はこの間小寺政職のままで、信長の直臣でも
秀吉の家臣(織田の陪臣)にもなってないから、あくまで小寺の家老として
馳走せよと命じられているだけで
有岡城からでて、主家の小寺家が御着を退去したあと、そのまま秀吉の
直臣に組み入れられたかたちになる
播磨で一万石の大名になった時は、すでに播磨1国は秀吉の所領で
直接秀吉から知行宛行を受けて禄を貰っているので、
ある意味、信長から寄騎として秀吉につけられた
竹中や蜂須賀よりも豊臣恩顧中の豊臣恩顧というべきなんだが

991 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 05:56:10.98
でも当の黒田家譜自体は、唐入りに対して評価はシビアなんだよ
個別の戦いとか武功とかは、これでもか、ってかんじで書いてるんだけど
全体的な評価としては、日本に攻めても来ない外国にわざわざ攻め入って
結局一寸の領地もとれず、異国の民も日本の民も苦しめて
こんな馬鹿なことしたんだから、豊臣政権は滅んでも仕方ないという
そういう書き方になってるんだわ
0730人間七七四年2012/10/11(木) 19:30:22.46ID:AlVthoue
なんとなく(ここ重要)かっこいい信長を出したいwって感じの
最近のNHKとしては、スルーしたい説かも…
0731人間七七四年2012/10/11(木) 19:39:13.02ID:/Eip0dg9
隆景が恵だったときの衝撃とガッカリを思い出した・・・
0732人間七七四年2012/10/11(木) 21:26:34.27ID:yORtL5HY
黒田官兵衛展ラッシュこないかな
赤合子兜を見たいなぁ

>>727
小早川って美形だった気がするし
確かに恵はアリエナイ

>>724
詳しい解説アリガトン
黒田家譜のが一番真実に近いのかなぁ
0733人間七七四年2012/10/11(木) 22:09:15.68ID:X1VDEiZK
>>729
自分も制度的に孝高が信長の直臣だった時期はないと思う。
信長直筆の孝高宛ての手紙もあるけど、ほとんどは荒木村重と
秀吉を取次として仲介して、感状出したり命令を通達してるし。
何より、まだ主君の御着の小寺家が存在してるわけだから、
もし信長が直臣として引き抜いたなら、記述があるはずなんだけど、ない。

孝高は信長と直接会ったことあるとしても、おそらく岐阜での初回の対面だけで
こっちは黒田家譜にあるけど、確かに信長公記にはまったく記述がない。
竹中は信長の直臣で秀吉の寄騎だから、直接、信長に対面して報告している
記述が信長公記にはある。
竹中が松寿丸を助けることになったのも、そのとき長浜城にいた竹中が
秀吉の名代として信長に安土に呼びだされたからで(秀吉は長浜に不在だった)
松寿丸は最初から、信長に対する直接の人質ではなく、秀吉の管轄する人質扱いだし。

下の方は、貝原益軒による唐入り評価の部分ですな。
江戸期の儒学者は、文禄・慶長の役に対しては一般に否定的な見解がふつう
なので、この評価自体は不思議はないかも。
0734人間七七四年2012/10/11(木) 23:29:44.80ID:+qsrBbyJ
織田家は代替わりの安堵状に与力の安堵も併記するくらいのちょっと特殊な寄騎制で
与力の従属性が北条や武田より高いから切り分けたいなら慎重にした方がいい
0735人間七七四年2012/10/12(金) 00:16:45.36ID:9sycRI9X
>>734
おお、織田家中の制度史に詳しそうな方、発見!
織田家の組織について無知なので、是非教えていただきたいのですが

黒田孝高に対する知行宛行状が現存していて、天正8年9月のもので
発給者は秀吉自身、このとき孝高に与えられたのが播磨のうち都合1万石、
これと前後して蜂須賀正勝に5万3000石、前野長康に3万2000石、
浅野長吉に2万石と、いわゆる豊臣恩顧の中核となる諸将にも同様に、
秀吉は自領である播磨51万石から割いて宛てがいを行っています。
これによって、はじめて黒田孝高は大名となったわけです。
(そもそも小寺孝高としての姫路城主時代は石高制ではないので、
 正確な知行も不明で、いかなる知行宛行状も現存していない)

それで、蜂須賀、前野や浅野といった面々は、もともと寄騎として信長から
秀吉に配属されるという手続きを経ていたと思うのですが、織田家の場合、
秀吉が直々に彼の名で知行宛行を行い、彼らを大名にした時点で、
いわゆる寄騎から秀吉の直臣に制度的には移行した、と考えていいんでしょうか?
織田家では制度的に寄騎と陪臣を分けるラインがどこにあるか、という問題なんですが
0736人間七七四年2012/10/12(金) 10:52:55.17ID:q8NF8Dri
母里太兵衛と野村太郎兵衛の兄弟が初陣した
1573年の印南野合戦について誰か教えてください
0737人間七七四年2012/10/12(金) 13:32:50.83ID:FN00yU0A
柴田勝家に越前一国八郡を与える・・・ただし、そのうち四郡は与力分なって奴じゃないの?
明智の丹波・丹後拝領とか滝川の上野+信濃一郡拝領とかも最初っから与力分含むって感じだし
豊臣政権になってからも組下大名の領地まで含めて公称拝領?みたいなのあったじゃん
0738人間七七四年2012/10/12(金) 16:21:15.72ID:YEzaxd3H
黒田孝高の倒し方!
『まずエロ本で誘い出す。そして思い切りくすぐって、真っ白に燃え尽きたら
鏡を突きつけ、トドメに子ども時代の思い出を突きつける!』

http://shindanmaker.com/279549
0739人間七七四年2012/10/12(金) 17:32:49.08ID:F25aAwPJ
>>733

>秀吉は自領である播磨51万石から割いて宛てがいを行っています。
>これによって、はじめて黒田孝高は大名となったわけです。

秀吉から領地を分け与えられて尚かつ直臣的立場にあったのなら
単なる直臣で大名とは言えないんじゃね?大名なら石高の差があっても立場は一応同じ
秀吉と離れて独自の別行動取る事も出来るし、島左近や直江兼次の様な万石取りの大名格家臣って感じに思えるが
0740人間七七四年2012/10/12(金) 20:36:19.64ID:iC99GYBg
つまり信長の方で、播磨平定後、秀吉に出した書状や朱印状を調べれば
事情がわかる可能性があるということだね。
そこで蜂須賀や浅野、黒田の知行宛行に言及してるかどうか。

参考までに、小和田哲男の『黒田如水』では、この間の事情について
「一万石から大名なので、如水は信長家臣としてではなく、秀吉家臣として
秀吉から一万石を与えられ、初めて大名に列しているのである」とある。

弟の秀長も、前後して但馬を領有しているけど、このひとも
織田家中でどういう扱い(形式上は寄騎?それとも秀吉の陪臣)なのか
正確なところ、どうなんでしょう?
本当は自分で調べるべきなんだけど、織田家については興味なかったので、
信長公記くらいしか読んだことないので、そもそも史料の所在がわかんない。

誰か織田家に詳しい人で、このあたりの史料について知っていたら
教えてくださるとたいへん幸いです。
0741人間七七四年2012/10/12(金) 22:03:43.89ID:KvmlBN69
もともと従来の織田の寄騎制は、北条武田今川などの整然とした寄騎制とは違い
せっかく直臣として国人から分離した家臣を
代替わりの安堵状で一緒に安堵するなど譜代家臣と実質的にどこが違うのか
わからない扱い方をしていたりとかなりあいまいな物

ここで比較的資料の多い丹後丹波(細川文書)から秀吉と同様に明智細川の行った知行割が
一色氏らの知行を踏出し分の扱いも含めて信長が細かく指示してたりと
信長の意向の強い物だったことを考慮すると

曖昧な寄騎制、知行制だったものを
織田領内に大名分国を作り出すことを信長が強力に推進し
家臣団の整理再編成を行ってる状態だと推測でき
黒田らが与力から秀吉の直臣に「制度的」には移行したといってもいいかと
0742人間七七四年2012/10/12(金) 22:44:20.15ID:MSYDbvqk
そんな細かい事検証するだけ無駄じゃね?
管領や守護代ですら形骸化してた頃だし、
たかだか一大名が配下の扱いについて
一々そんな細かい制度を定めてたとは思えん。
0743人間七七四年2012/10/12(金) 22:49:02.33ID:CVktNag0
>>738
生年月日と誕生日を入力して、某サイトで占ったら、仕事人間で恋には奥手とかでたけど
0744人間七七四年2012/10/12(金) 23:02:08.60ID:iC99GYBg
>>741
丁寧に説明していただき、どうもありがとうございます!
とてもわかりやすい説明で、たいへん勉強になりました。

時期的に織田家による畿内とその周辺国の制圧が終わり、
領内の大名分国の創出にともなって、家臣団自体が再編される
まさに転換期にあたっていた。
それにより、秀吉の直臣として、のちの豊臣恩顧の家臣団が形成されはじめ、
黒田孝高も名実ともに秀吉の家臣となってゆく、ということですね。
0745人間七七四年2012/10/13(土) 01:04:37.15ID:BngD9N2n
レベルが低い質問で悪いのだけど、
なんで官兵衛は上司にいちいち警戒されるのかな
小寺氏には誠実に仕えてたのに。
0746人間七七四年2012/10/13(土) 01:12:00.24ID:lKsh0bVx
>>745
秀吉にも信長にも家康にも誠実だったよ。
つーか秀吉だけだろ、官兵衛を必要以上に警戒してたの。
0747人間七七四年2012/10/13(土) 01:16:32.96ID:Xosr2qw8
というか秀吉が「警戒した」っての史的にどこまで確証あるのかな
小寺には確かに警戒されたと思うけどw
0748人間七七四年2012/10/13(土) 01:34:44.53ID:zTi6fMAs
織田ってマジで後進的
つうか東国に比べて西国って文化以外の政治・軍事がマジ後進地帯
もちろんだけど東国に東北はふくまねーからな
0749人間七七四年2012/10/13(土) 01:59:22.84ID:ozC7TUqY
>>747
一番わかりやすいのは禄かな。
官兵衛が秀吉に貰った中津が12万石。
似たような立場だった小六には30万石弱が
秀吉から提示されたって話だから
如何に官兵衛の禄が少ないか分かるというもの。

まあ警戒してた、ってより嫌われてた、
ってのが正解かもね。
0750人間七七四年2012/10/13(土) 02:06:42.89ID:b6OU7AL1
うん?
戦国時代の播磨から見ると、織田は完全に「東国」扱いなんだが
播磨を含む中国地方の同時代の軍記では、織田との戦いで
「東国」っていう表現がよくでてくる
基本的に、五畿内以西の地方を「西国」と呼ぶと思う

んで、逆に考えるんだ!
なぜ、そんな「先進的」な東国(北条って言いたいのかな)は
結局のところ、織田〜豊臣の織豊政権に負けちゃったのか?とな

支配している地域の経済力が、圧倒的に違ったからだろ
そういう意味では、少々軍制が優れてるくらいでは埋められない
大きな経済的(文化的にも)先進性が、東海〜畿内の地域にはあったわけで
0751人間七七四年2012/10/13(土) 11:29:26.36ID:CZ2tIt75
>>749

>一番わかりやすいのは禄かな。
>官兵衛が秀吉に貰った中津が12万石。
>似たような立場だった小六には30万石弱が

蜂須賀は阿波の18万石じゃなかったか?
徳川時代の淡路島を加えても26万石だったのに30万石はおかしい
中津も太閤検地後17万石に石高増えてるからむしろ対等と言える
小六が秀吉に働き仕えた年月と官兵衛の使えた年月と功績を考えれば
ちゃんと評価されてるしバランスとれてるだろ、むしろバランス欠くのは2人以上の領地貰った正則と清正だよ
0752人間七七四年2012/10/13(土) 13:51:52.77ID:zTi6fMAs
>>750
北条だけじゃなくて武田もだよ
武田なんて永禄年間には信長死ぬまで達成できなかった寄親寄子制すら脱して、
軍役によって提出された兵員を兵科ごとに編成するにいたってるわけでね
0753人間七七四年2012/10/13(土) 14:15:57.51ID:iLKU40w6
>>751
豊前中津では太閤検地はしていない
検地は黒田家自身で実施した

>>752
横レスで何だけど、要するに、寄親寄子で兵科編成がいい加減でも、
長期にわたって大量の兵力を持続的に動員ができた、織田・豊臣が勝者となって、
純粋な軍制面では優っていても、経済的にそれが不可能だった
北条・武田は負けたってことでしょ
そういう意味では、経済的先進地域の畿内とその周辺を支配する
アドバンテージは圧倒的に大きくて、どう考えたって武田・北条は
経済的に後進地域だったデメリットが大きかった、という
至極当然の話だと思うけど
0754人間七七四年2012/10/13(土) 14:19:11.12ID:pMAA7Nd0
オランダは制度的に先進的だったが制度的に遅れていたフランスにはかなわなかった。
しかし歴史的にはオランダ的な制度が時代をリードしていった。

まあそんな話だわな
0755人間七七四年2012/10/13(土) 14:34:39.06ID:BngD9N2n
>>746>>747
もともと小寺氏に誠実に仕えてるのを知ってるのに、秀吉はあまり官兵衛を近付けたくない感じで、後事も託さなかったのが不思議で、
さらに、秀吉の元で立派な仕事を成し遂げているのに、なんとなく関ヶ原の処遇から見ると、家康も警戒してた印象があって…。

皆さんと違って、資料を読み込んでいるわけではなく、漠然としたイメージで書いてしまいました。
すみません
0756人間七七四年2012/10/13(土) 14:50:18.76ID:Hf1EGX+U
長政役が誰か非常に気になる
これを機に盛岡から兜返してもらえよ
0757人間七七四年2012/10/13(土) 14:59:15.23ID:iLKU40w6
>>755
横レスだけど、そんなこと気にせず、いろいろ書き込めばいいじゃん!
硬い話から、やわらかい話までいろいろあった方が面白いし

このスレは真面目で丁寧な人が多いし、凄く詳しい人もいるし、
ファンでも贔屓の引き倒しってわけでもなく、わりとバランス取れてるしで
戦国板のなかでは、居心地がいい方だと思うよ
0758人間七七四年2012/10/13(土) 15:01:14.45ID:Xosr2qw8
>>757が良いこと言った
0759人間七七四年2012/10/13(土) 15:34:01.47ID:+4V8+t0X
実力はあるのに知名度の低かった選手が
代表入りで知られるようになった感じだな
0760人間七七四年2012/10/13(土) 22:11:40.11ID:1kQoI/3f
>751
清正と正則は秀吉の縁者だから比べるのが間違いだろw
0761人間七七四年2012/10/14(日) 08:29:48.75ID:ZbMfym4i
清正と正則は特別として秀吉が大名に取り立てた武将で
小六や官兵衛以外で15万石以上与えられたのは意外に少ない
片桐1万石、脇坂3万石、恵瓊6万石、嘉明10万石と大半が10万石以下
秀吉子飼いの三成や増田長盛は20万石クラスだけどこれも加増されてからの話で
スタート時は4万石とか14万石だからその点からも秀吉は官兵衛低評価してない
0762人間七七四年2012/10/14(日) 15:31:18.12ID:YHbBhJzj
客観的にはそうなんだよね。豊前12万石は妥当な石高だという気がする。

ただ、黒田家譜では、豊前12万石は孝高の功績に比して、あまりに少なかった
と何度も書いてある。ただし、それは筆者である後世の貝原益軒の評価であって、
当然ながら、黒田家の功績をもちあげまくって書く必要があるから、そうなってるわけで、
秀吉などの同時代人や、孝高自身がどう考えていたのかとは、別の話ではある。
0763人間七七四年2012/10/14(日) 16:21:53.42ID:R9a4Rsg2
>>757
暖かいお言葉、ありがとうございます。

いきなりですみませんが、お聞きしたいことがございます。
新訂黒田家譜は住んでいる県にはあるのですが、「黒田家譜」は住んでいる県の大学図書館にありません。
新訂の方でも内容に大差はないのでしょうか?
0764人間七七四年2012/10/14(日) 16:38:59.00ID:YHbBhJzj
>>763
新訂黒田家譜(福岡古文書を読む会:1982〜87年)全7巻で、全然問題ないお!
大方の公立図書館・大学図書館に入ってるのが、この一番新しい
新訂黒田家譜になります。

他の異本とか原本は、九大とか地元福岡を除けば、他の公立・大学図書館には
ほとんど所蔵されてないだろうし、日本史で専門の論文を書くために、
異本と突き合わせる必要があるとかなら話は別だけど、趣味として
孝高や長政の事跡を知りたいんなら、新訂で全然問題ないですお
0765人間七七四年2012/10/14(日) 17:03:00.87ID:R9a4Rsg2
>>764
ありがとうございます!
早速、図書館に電話してみます。
0766人間七七四年2012/10/14(日) 18:36:42.54ID:ZbMfym4i
>>762

貝原は江戸初期の人間だから
比較対象として豊臣を渋ちんとする事で
気前よく筑前52万石をくれた神君持ち上げてるのかもね

あと事実かどうかは知らんが
秀吉は九州平定後官兵衛に筑前一国を与える口約束をしていたと言う話もある
筑前一国と中津じゃ官兵衛も不満出るかも知れないが、官兵衛が口約束を信じるとも思えんし
1万石程度の小領主から加増10倍の大名にしてくれたんだから嬉しくない訳ないと思えるんだが
これまでの苦労は12万石でチャラって感じで、もし筑前一国だったら官兵衛宗茂みたいに豊臣に忠義立てしてたかも知れん
0767人間七七四年2012/10/14(日) 21:14:10.43ID:fI6j+dl6
蜂須賀正勝18万石(織田時代家臣筆頭、四国征伐で大功)
黒田官兵衛13万石
宮部継潤5万石(老齢にて大封辞退)
前野長康5万石
尾藤知宣5万石
亀井茲矩1万石

九州国分時あたりだと与力出身組はこんなもんだし
働きに応じて十分評価されてるね、くらいしか感想はないな

その頃ほとんど同じ使われ方して官兵衛のライバルと言える仙石秀久(10万石、失脚済)が
先に出世したのには、子飼い贔屓か、ぐぬぬと思わんでもないがw
0768人間七七四年2012/10/14(日) 22:09:00.55ID:w8fGdrfW
当時の評価は権兵衛≧官兵衛くらいだったのかもしれない
0769人間七七四年2012/10/15(月) 00:03:02.38ID:60ZXLO6g
まさか大河とはねえ
0770人間七七四年2012/10/15(月) 22:03:17.35ID:vBQ5eXH2
兵庫がご当地だった大河ドラマ:「武蔵」「平清盛」だと…

何これ、兵庫は死亡フラグなの?地元なんだけど!
で、でも黒田大河は、大丈夫だよね?ねぇ、大丈夫だと言ってよ!NHK!
0771人間七七四年2012/10/15(月) 22:06:02.65ID:AcchYWcm
>>770
あきらメロン
0772人間七七四年2012/10/15(月) 23:33:29.33ID:VeVAy00q
>>770
いいなぁ。私も兵庫県に住みたい。
岡田准一が主演の時点でなんか不安でもある。
決して悪い俳優じゃないと思うけど…。
綺麗な官兵衛路線かな。
個人的には堤真一か、
今大河で西光の役をやってる人(加藤虎之介?)が良かったな。
スレチすみません。
0773人間七七四年2012/10/16(火) 12:17:13.48ID:dNZGIG8j
おっさんのイメージしかないもんな
0774人間七七四年2012/10/16(火) 12:57:16.12ID:PmMmijqN
太閤検地ごろの豊前周辺の石高
豊後8群37万8千石 1群あたり平均約4万7千石
肥後13群54万石       平均約4万1千石
筑前13群52万1千石     平均約4万石

豊前(毛利吉成領)2群8万石  平均約4万石
豊前(黒田領)6群12万石   平均約2万石←自主申告

参考資料 「史伝 黒田如水」

あと関ヶ原のあと細川忠興が豊前小倉藩に移封されたときの同藩の石高が39万9千石
0775人間七七四年2012/10/16(火) 14:04:40.04ID:c9v3X8e2
: : : : : : : : : :ヽ-───-=ミx、
人人: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽー=≠ミx,
   `ー‐イ : : : : : : : : : : : : : : : : \ : : : : :/
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0776人間七七四年2012/10/16(火) 18:03:21.48ID:33Xy3PoM
豊後8群、肥後13群・・・まるで郡が群れたよーな感じ
0777人間七七四年2012/10/17(水) 00:17:23.38ID:DeXQB6iQ
>>774
これさ、それぞれの郡って、面積的には大きさバラバラだよね?
指出だった豊前中津以外の地域が、一郡あたり平均4万石程度で標準化
されてるので、一瞬、中津以外は太閤検地で棹が入ってるからか?と
思ったんだけど、やっぱり違うよね
0778人間七七四年2012/10/17(水) 01:02:45.51ID:jBejSjWm
郡の規模なんてまちまち。10万石超えるところもあれば1万石以下もある
0779人間七七四年2012/10/18(木) 07:30:27.77ID:zFrOy6Wp
細川忠興が豊前8郡豊後2郡で39万9千石と申告している
豊後2郡のみの頃は6万石(丹後宮津12万石の計18万石)

宇佐郡は4万1千石らしくて宇佐半郡は大友領
黒田領は最低でも17万石以上
実態は20万石クラスというところか
0780人間七七四年2012/10/18(木) 14:31:33.29ID:CqNXs2pQ
黒田は秀吉のご褒美で過少申告許されたんじゃなくて、きちんと検地できなかったからあの程度の石高しか打ち出せなかったんだろう
所詮は播磨の土豪だから
0781人間七七四年2012/10/18(木) 14:37:37.40ID:ovYf0ydA
息子がガッツリやったから無問題
0782人間七七四年2012/10/18(木) 15:39:57.81ID:EENgVvMc
>>780
この時代の検地は石高を打ちだした分だけ、軍役負担も相応に重くなる
特に畿内以外の太閤検地は、唐入りの動員兵数確保が目的で、諸大名の軍役の
負担を上げる目的で行われてる。島津領の太閤検地はまさにそう。
無理やり中央の豊臣政権が70万石を打ち出して、動員兵数を確保した。
その意味では、12万石程度の石高で、二度の唐入りで5000人規模を動員し、
そのうえで関ヶ原で募兵可能な余力を残してたんだから、
ここはむしろ黒田孝高の財政手腕を、素直にほめるべきところなんだがなぁ
0783人間七七四年2012/10/18(木) 16:04:35.27ID:CqNXs2pQ
筑前移封後の経緯から見て豊前時代は国衆と重臣層の言いなりだったんだろう
そういう君主権の弱さを打破したのが三代黒田忠之
0784人間七七四年2012/10/18(木) 16:31:53.20ID:EENgVvMc
打破しようとするついでに、やり方がまずくて
藩ごとぶち壊しかけたんだから、やっぱりどうしようもない馬鹿としか<忠之
0785人間七七四年2012/10/19(金) 00:06:14.17ID:hSMLWplb
>>783
孝高の言うことには、ここん家は重臣も又兵衛もよく聞いて従うんだよ。
孝高にはな。
0786人間七七四年2012/10/19(金) 01:42:56.14ID:0FBTPXea
>>785
長政「 」
0787人間七七四年2012/10/20(土) 15:02:36.77ID:J3fniQgP
>>770
個人的には谷原章介が良かったかな
堤真一は俺もすきだが 頼りがいのある男を演じるときの
あのダミ声(俺はこれのことをドヤ顔ならぬドヤ声と呼ぶ!)が賛否なのがなあ
0788人間七七四年2012/10/20(土) 16:31:06.35ID:Q3SO33hN
東京の大学へ行ったきりで10年ぶりに帰福することになったおっさんです。
以前、開催された「長政と黒田二十四騎展」は行けなくて残念でしたが
大河の盛り上がりでまたやってくれないかなと。
肖像画フェチとしては御子孫さん蔵・初公開の「母里友信」は見たかった。
本当は少弐氏を研究しているが、黒田も大好きなので
皆様、よろしゅうに。
0789人間七七四年2012/10/20(土) 17:09:21.52ID:8exgBFE5
連歌でも有名だった如水の
本人と奥さんの代表的な句を教えてもらえませんか?
0790人間七七四年2012/10/20(土) 20:56:11.50ID:bvAr8jvj
自分も、奥さんの連歌は見たことないな
0791人間七七四年2012/10/20(土) 21:20:13.65ID:8exgBFE5
太宰府、北野、大坂の天満宮などの記録に
残っていたりするんでしょうかね?
0792人間七七四年2012/10/20(土) 21:51:54.01ID:mcKMZq/k
官兵衛が太宰府天満宮に収めた
お光さんの歌も所載の「如水夢想連歌集」というものがあるらしいけど。
翻刻されているかどうかはわかりません。

0793人間七七四年2012/10/23(火) 00:06:20.98ID:zVXQOpt/
2013年公開の三谷幸喜の映画「清須会議」の官兵衛役が寺島進になった
こっちはドスの利いた官兵衛になりそうだ
柴田勝家が主役だけど、原作では官兵衛も活躍してるので、こっちも楽しみ
0794人間七七四年2012/10/23(火) 21:06:08.17ID:eEA/Ukp+
あ、官兵衛に見える?
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0795人間七七四年2012/10/23(火) 22:08:32.66ID:TUu7/6Ql
>>793
原作では黒い秀吉と悪い官兵衛が仇役で、策謀で勝家をはめるんだけど
憎めないコンビになってて面白かったね
0796人間七七四年2012/10/24(水) 09:04:23.21ID:zFLthpAl
如水は朝鮮出兵の時に秀次に渡半するように忠告していたらしい。
もし秀次が忠告に従っていれば日本史は随分と変わったんだろうな。
0797人間七七四年2012/10/24(水) 16:29:22.36ID:SqIYoogS
そもそも国内の政務を任されている秀次が渡海できるわけねーだろ。
ほんとにそう助言していたとすればなにか企んでたとしか考えられんわ。
0798人間七七四年2012/10/25(木) 21:23:10.08ID:OO0pfGGZ
秀頼が誕生した後の話で、「あんたは秀吉の実子でもないのに
関白にしてもらったんだから、ここは太閤の心証をよくするために
ポーズだけでも渡海すると自分から申し出てた方がいい」という
秀次に保身をすすめた助言であって、別に黒田は何も企んでいない
0799人間七七四年2012/10/26(金) 21:37:36.19ID:7VFBwKdd
>>794
舌はもっとでかく
0800人間七七四年2012/10/27(土) 18:35:03.19ID:gyPqN8Pw
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0801人間七七四年2012/10/27(土) 22:33:48.48ID:jYM9Il2k
黒田如水っていうと、どうしても秀吉の中国戦線の毛利氏との駆け引きが主になると思うんだが、
小早川隆景の役は誰がやるのかな?
0802人間七七四年2012/10/29(月) 23:19:04.24ID:sd6uZDmB
「毛利元就」のときの隆景が中年役で再登板→隆景ファン号泣
0803人間七七四年2012/10/29(月) 23:21:29.71ID:dgW5jpdN
演技気に入らなかったからかんべん
0804人間七七四年2012/10/29(月) 23:44:54.95ID:sd6uZDmB
気に入らなかったのはむしろ顔だろw
まあ普通に賢そうな二枚目を当てる役どころではある<隆景
0805人間七七四年2012/10/31(水) 05:07:11.05ID:qrVfTY67
播磨灘物語は今度の大河の原作にはならず、脚本家オリジナルの台本になるみたい。
どちらにしろ、ジャニタレ主演という時点で終わってる感があります。
0806人間七七四年2012/11/03(土) 11:02:23.32ID:uROGT9JP
歴史人のサイトで大水牛兜についての記事がありましたが質問させてください。
http://www.rekishijin.jp/kachu-blog/20120412daisuigy/

浦野若狭守が作ったという兜が、水牛に似ているという知識をどうやって得たのでしょうか?

あと本山一城先生のサイトに福島正則と藤堂高虎に使用を許したとありましたが、藤堂家に残っているのでしょうか?
浅野長政所用の大水牛兜は現存していますが、これも黒田家に使用を許されたものなのでしょうか?
0807人間七七四年2012/11/03(土) 13:27:33.12ID:4aGqt8ZF
水牛の知識は仏教と一緒に入って来たんじゃね?
阿弥陀如来の使いである大威徳明王は水牛に乗ってるそうだし
大威徳明王を祀った神社もあるみたいだから水牛の姿は彫刻や仏教画に描かれていた可能性ある
何時の頃からかは知らんが彼の地じゃ閻魔大王は水牛に乗ってると考えられてるそうだからやはり宗教絡みだと思う
0808人間七七四年2012/11/03(土) 16:59:29.66ID:LbPyxgXz
>>805
ジャニタレがやるのは幽閉前まで・・・だったりしてw
0809人間七七四年2012/11/05(月) 10:22:52.70ID:HtJYMm9+
>>807
なるほど、水牛のことは知識として持っていたとういことですか。
それを商人や宣教師たちから、更に補完したんでしょうかね。
0810人間七七四年2012/11/15(木) 04:05:27.54ID:oPgEhlBn
「中国引き返しの時、如水も秀吉も同道して上る。折から暗き夜に、如水、秀吉の手をむんづと取る。
たそ、とのたまえば、名はいはで、信長公御生害で嬉しかろう、という、その声如水なり、秀吉答えず。
後、伏見の大地震に御屋形倒れ、秀吉公御死去の噂立つ。実は寝巻のままにて庭に避けてあり、
・・・夜あけて諸大名参れるの中に如水あり。御祝いを申しあぐる。
秀吉、如水にむかひて、昨夜はおれが死んだと聞いて嬉しかったらう、と、如水返事におよばで引退る。」
これは津軽伯爵家の蔵書中より、森銑三氏が発見した文書、『信政公御譚』の一節です。(森銑三著作集1より)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344129833

森銑三先生と言えば一廉の権威だそうですが、『信政公御譚』って資料的な価値はどれくらいですか?
やはり晩年の秀吉には警戒されていたのでしょうか?
0811人間七七四年2012/11/15(木) 06:14:56.04ID:yNsJyBYi
>>810
『信政公御譚』自体江戸後期くらいだぞ?
0812人間七七四年2012/11/17(土) 12:37:20.62ID:hIeiAFe2
>>810
この官兵衛と秀吉の関係の感じすごく好きなんだがなぁ
史実もこうだったらいいのにw
0813人間七七四年2012/11/17(土) 14:54:33.69ID:FY4LaJNK
大返しの時はそんな余裕も無かっただろうけど
晩年の秀吉との擦れ違いはやっぱり有ったんだろうな
0814人間七七四年2012/11/19(月) 19:19:31.06ID:ervUO9SX
黒田家が赤松の分家だったとほぼ確定の話は既出?
0815人間七七四年2012/11/20(火) 21:08:07.41ID:cvhFTu2J
>>324の江戸時代の後期に発見されたの家系図の話題のこと?
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kuroda2.htm

「ほぼ確定」というのはどこで?
0816人間七七四年2012/11/26(月) 08:07:39.74ID:LuGH5D+2
黒田氏と武蔵 岡山県を代表する人物だね
0817人間七七四年2012/11/26(月) 11:26:43.35ID:t6BG2zQV
岡山・・・?
0818人間七七四年2012/11/27(火) 05:52:30.88ID:2NWw8Jd+
姫路市民が>>816を袋叩きにする準備を整えております
0819人間七七四年2012/11/28(水) 07:57:20.15ID:6MlU71Pk
黒田氏が岡山県の備前から来たってのは一応その通り
0820人間七七四年2012/11/28(水) 19:50:48.66ID:ToSL2iTF
黒田氏が岡山だろうが北海道だろうが、どうでもええが
0821人間七七四年2012/11/30(金) 16:43:25.18ID:oBYYcka5
Drive To My World
http://www.youtube.com/watch?v=fMSLXpfEF9s&;feature=related


〜spirit loose〜ザ・ルーズ
http://www.youtube.com/watch?v=GI5Q3ZUVQTM&;feature=related


ねがい("BUZZ!!" STYLE)
http://www.youtube.com/watch?v=YiXa77v9gf8&;feature=related
0822人間七七四年2012/11/30(金) 22:50:22.10ID:peXnLmga
平成26(2014)年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」に決まりました。
福岡市博物館では、一足早く、黒田家名宝展示として、黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣などを展示します。
※会場は、部門別展示室2「黒田記念室」です。展示替えがあります。(黒田節でおなじみの名槍「日本号」は常時展示)

【展示予定】
(1)脇差 名物「碇切(いかりぎり)」 
   ・展示期間 平成24年11月27日(火)〜12月27日(木)
   ・黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣
(2)国宝 刀 名物「圧切長谷部(へしきりはせべ)」 
   ・展示期間 平成25年1月5日(土)〜2月3日(日)
   ・織田信長から官兵衛に授けられた名刀
(3)国宝 太刀 名物「日光一文字」  
   ・展示期間 平成25年2月5日(火)〜3月3日(日)
   ・豊臣秀吉の小田原攻めの際、降伏仲介のお礼に北条氏から官兵衛に贈られた名刀
(4)大身槍 名物「一国長吉」  
   ・展示期間 平成25年3月5日(火)〜3月31日(日)
   ・黒田長政が筑前1国の大守になるまで愛用した名槍

http://museum.city.fukuoka.jp/
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