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【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】

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0001人間七七四年2010/12/31(金) 22:05:34ID:dP+LhBbf
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!

前スレ
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0478人間七七四年2012/03/01(木) 20:14:31.07ID:VuMWBAOG
家譜は福岡じゃなくてもでかい図書館ならある場合もあるので、のんびり探せ
あと福岡市博物館、今休館中だぞ
0479人間七七四年2012/03/01(木) 20:41:48.07ID:AHsxSC1l
あまり近所に大きな図書館があるか不安だけど探してみる。
福岡博物館て休館なの!細川展見に行くからセットで行こうと思ったのに…兵糧削って旅費貯めたのにショックだorz
細川展行くのをやめるか悩むわ。
教えていただいてありがとうございます。
0480人間七七四年2012/03/01(木) 21:22:59.46ID:hdqWvJ4q
>>477

官兵衛関係だと西公園の光雲神社
福岡市総合図書館に官兵衛のブロンズ像
官兵衛は福岡で生活していた期間が短いからお城以外縁の地とか無い様なもん
0481人間七七四年2012/03/01(木) 22:16:53.69ID:AHsxSC1l
>>480
ありがとうございます。
あーやっぱり兵庫県までいかないと駄目なんだなぁ。
0482人間七七四年2012/03/02(金) 03:44:03.26ID:e3vwyFgD
あと、崇福寺の墓だな
0483人間七七四年2012/03/10(土) 03:28:05.55ID:z65RBMuh
黒田官兵衛の鎧ってどんなのか解る方いますか?
あと一番詳しい先生って本山先生なのですか?
ホームページをちらっとみた限りだとすっごく面白いけど毒舌で怖い。
0484人間七七四年2012/03/10(土) 04:52:00.89ID:9n4CTryu
兜はスレタイにもある通り、頭に合子(小物入れ)を乗せた面白兜だけど、鎧は聞かないなぁ。
0485人間七七四年2012/03/10(土) 17:44:40.87ID:z65RBMuh
>>484
そうなんですよね。
何かネットで見たら
「黒糸威五枚胴具足」って言うのが出てきたけど、これも違うのかな。
0486人間七七四年2012/03/14(水) 22:05:47.76ID:NQwSc9F6
孝高の鎧はほとんど残ってないと聞いたことがある
0487人間七七四年2012/03/27(火) 17:22:23.99ID:dG9PpN7R
浅野長政との付き合いはどれくらいだったんだろう?
ひと月前のネタだけど黒田長政の長政もこの人から貰った可能性も少しはあるのかな?

----------
文禄2(1593)年2月16日 〔「宮部文書」〕

羽柴秀吉(「秀吉」)、宮部長熙(「宮部兵部少輔」)へ高麗郡より報告してきた「此吏共」に対し
「具御用被仰付」れてから召還するので高麗都までの造作を指示したこと、
「惣国御行等」を申し含めた浅野長政(「浅野弾正少弼」)・黒田孝高(「黒田勘解由」)を高麗都より渡海させることを通知。

また軍勢・兵粮についての指示を浅野長政・黒田孝高に委任したこと、
「急度被成御渡海平均ニ被仰付」ること、その間は越度無き様にすることを命令。
詳細は長束正家(「長束大蔵大輔」)・山中長俊(「山中橘内」)・木下吉隆(「木下半介」)に伝達させる。
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0488人間七七四年2012/04/05(木) 20:15:42.50ID:RLW00KF+
黒田如水はどうやったら天下をとれたのか?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327501191/
0489人間七七四年2012/04/10(火) 01:49:01.29ID:WLtNMatS
>>488
とれません。孝高に天下とれる条件なんか欠けまくりだろうがwww
なのに、ふとそう思わせるケレン味がある
そこがこの人のかっこよさなのになあ

なぜそれが日本史板の住民にはわからんのか
無粋だな
0490人間七七四年2012/04/13(金) 23:26:20.21ID:hr+dQNsO
>>489
もともと如水が天下をとるっていう仮定自体が無茶ぶりだからね
でも日本史板で、播磨の小寺の家老時代とか、秀吉の部将時代に
天下目指せたはずとか書いてるやつ多くて、むしろびっくりした
頭がどうかしてるとしか思えないよーw
100歩譲って、奇跡的に天下目指せる可能性があったとしてもだ
どう考えても関ヶ原の時しかないと思うんだけど
0491人間七七四年2012/04/13(金) 23:43:31.43ID:Tds/0m7T
家康の息子として生まれればあるいは
0492人間七七四年2012/04/14(土) 21:05:59.51ID:0+eJ3pnS
九州を取れたとして、どんな世の中を作りたかったのかな。
幕府って感じじゃないし。それとも地方軍閥として生き残りたかったのか。

不思議な人だよね。戦では無駄な犠牲は嫌うけど、
この世を平和にっ!てタイプじゃない
キリシタンだけど、ガチガチではない
あと家康にまで好かれないってことは、メチャ優秀なのに上司に嫌われるオーラが出てたのかな。
エピソードを見ると、正直で面倒見がよい人なのに。
0493人間七七四年2012/04/14(土) 21:36:58.22ID:aR8R6E0E
三国志でいうところの関羽みたいな性格だったのかもな
部下や庶民には優しいが義兄弟以外の同僚や武将は
見下したところがあって反感買っちゃうタイプ
0494人間七七四年2012/04/14(土) 23:24:23.93ID:0+eJ3pnS
私もマネして三国志テイスト!
賈ク+友達+愛+失言−上司受け(特大)
=如水

魯粛+戦術+愛+失言−ちょっとだけ政治力−上司受け(大)
=如水

もありだと思うぉ!
0495人間七七四年2012/04/15(日) 00:00:26.85ID:Qlc8nAQq
西軍と東軍の戦いの勝者と
最後に天下を賭けての大勝負
なんてのは後世の創作に過ぎないんだけどね

勝負事大好きってのは間違いなさそうだけど
0496人間七七四年2012/04/15(日) 00:15:57.87ID:5LwjlB3G
天下云々より、チャンスに勝負するのが好きだったのか。
0497人間七七四年2012/04/15(日) 19:24:05.12ID:wMLBWjy4
戦国大名なら、当然だと思うが
機会があれば勝負するのは
0498人間七七四年2012/04/15(日) 19:58:15.90ID:l75A3/Uy
毛利元就みたいに
おめーら自国経営に専念して
無闇に支配地増やすんじゃねーぞと
息子達に言い残す戦国大名もいるけどな
0499人間七七四年2012/04/15(日) 21:59:04.95ID:+gFkhxff
しっかり者の元就公らしいよな たんまり勝ったからうまいこと勝ち逃げしろって
ことだろう 実際隆景が勝負しすぎて全部負けるところだった
0500人間七七四年2012/04/16(月) 02:46:17.11ID:dPnnqgth
元就は隆元と配下に引きずられて大領主になった面があるから
陰謀や野望の塊、下克上の化身的なイメージがあったから私信群見たら以外だった
0501人間七七四年2012/04/17(火) 16:19:53.67ID:cxeMMb7D
私信群ってなあに?
0502人間七七四年2012/04/17(火) 18:39:09.84ID:9GC83tUL
元就隆元往復書簡他
0503人間七七四年2012/04/22(日) 05:39:05.21ID:KjCpcQNq
如水の出生等に関してこんな解釈もあるみたいよ

ttp://www.geocities.jp/kurodazensi/index.html

これだと黒田家譜が胡散臭くなってしまうが、どうなんだ
0504人間七七四年2012/04/23(月) 00:32:22.64ID:/9gTmD0p
>>503
全部読めてないけどこの場合
御着城の殿様の小寺政職に騙されて有岡城に官兵衛が幽閉されてた時に
家臣が職隆に忠誠を誓ったとかいうのはどうなるの?

政職が逃亡しても姫路に残っていたのは実親と対立してたとか?
0505人間七七四年2012/05/02(水) 13:56:44.91ID:g8d5mVYe
如水が太宰府天満宮の中興の祖であるらしい
http://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/70bd61e39984bca66572f532611d37ce

サインは如水軒なんだな
0506人間七七四年2012/05/08(火) 08:42:45.77ID:1R4REfYB
そういや境内に如水の使った井戸が残ってたな
0507人間七七四年2012/05/08(火) 13:56:38.02ID:7bbXecBe
中津市のHPに長岩城の戦い、後藤又兵衛、黒田騒動の紙芝居がある
http://www.city-nakatsu.jp/docs/2011082900674/
0508人間七七四年2012/05/08(火) 15:38:58.62ID:T5s54vL5
中津市は比較的中立な目で黒田家見てるな
築上町の方は城井贔屓なせいかやれ名家の宇都宮氏だの
人質の姫なのに長政の嫁にだの脚色が多いのがなぁ・・・
0509人間七七四年2012/05/08(火) 23:20:29.24ID:R9Ldc5e0
>>508
京築地域と言うだけあって
築上郡の隣の京都郡も城井びいきだから
黒田に対してはボロカスだな
0510人間七七四年2012/05/09(水) 00:25:46.07ID:mMPi9Mc3
城井氏は最大豊前一国を支配してたとか
黒田節は城井鎮房討ち取った時の歌だとか
中津の合願寺の壁が赤いのは城井家臣の血が浮き出るとか
いくら城井氏滅亡後旧家臣を黒田が召し抱える事無かったとは言え脚色が過ぎる
0511人間七七四年2012/05/10(木) 21:08:55.50ID:N8UsyKAz
城井氏は鎌倉以来の土着の豪族なんだから、まあ地元の人間にとっては
城井贔屓で当然というか、自然な感情だという気はするけどね
あと、他の場合でもよくあることとはいえ、黒田の滅ぼし方が
やっぱり後味悪いわな
正攻法の戦では長政が負けっぱなし→仕方なく謀殺だったのは事実なんだし
0512人間七七四年2012/05/11(金) 23:50:38.15ID:lmfj6/Bw
うーん、戦でボコボコにされた復讐みたいにどうしても見えちゃうからね
長政がさわやかに(?)勝って、城井さんが激戦で敗死・滅亡とかだったら
印象もちょっと違ったかもだけど
0513人間七七四年2012/05/12(土) 00:31:31.92ID:rB5Kym2Z
そりゃ単純に黒田VS城井だったら良かったんだけど
城井は太閤の顔に三度も泥を塗っちまったからなぁ
黒田としてもさっさと蹴りをつけんと領地召し上げられかねないし
干殺しの様な持久戦とか手段を選んでる暇はなかったと思うぞ
0514人間七七四年2012/05/12(土) 10:28:53.30ID:HgirP/6l
城井だってアホじゃあるまいし警戒してただろうに
それを城まで誘いこんで武装解除せざるを得ない状況に追い込んだ黒田の勝ち
という考え方はなかなかしてもらえないもんですなー
結婚したからこれから家族だよ^^そうだね黒田さんのこと信じてるよ^^みたいな仲だったわけないじゃん
0515人間七七四年2012/05/14(月) 21:09:49.09ID:7LlwT4JY
>>514
騙し討ち自体は戦国ではよくあることだし、
状況的に仕方なかったというのはまだわかるんだけど
騙した方の黒田家をほめる、というのはなんか根本的に違う気がする

城井の叛乱の際は、近隣から毛利や吉川に大軍を援兵してもらっても長い間手こずって、
結局のところ武力で鎮圧できなかったのは、武門としては不名誉なわけで
肥後の一揆の鎮圧に手間取って、秀吉から責任問われて腹切らされた
佐々成政の二の舞になりかねない状況に追い込まれたのは、
むしろ黒田長政の方なわけで
だからなりふり構わず、片をつけるために仕物にかけたんだから
ふつうに黒田家の汚点ではあるんじゃないの??
0516人間七七四年2012/05/14(月) 23:49:38.27ID:OcRluL2O
と言っても長引かせて佐々成政の二の舞ってのを避けたってことは
とりあえず評価しないとな

成政も勇将として名が通っているが
この件での失敗はやはり評価を落としているはず
0517人間七七四年2012/05/15(火) 00:30:52.41ID:97HMWTdC
黒田の様に自己申告制にした甘い検地でも
城井に付くやつが続出するんだから佐々や
黒田の様な余所者に九州は扱いにくい土地だったんだろうなぁ
0518人間七七四年2012/05/15(火) 00:46:20.80ID:Nbegn4yd
九州や東北は古くからの土着の家系・名族が戦国後期まで大名として
多く残ったから、豊臣恩顧の鉢植え大名には治めるの難しい

織田や豊臣恩顧は、地侍・下級武士クラスが出世して
別の地方の鉢植え大名になったのが大半だけど、城井のような
古くからの地元の豪族は、一族も家臣も地縁が強すぎて
太閤に命じられてもはいそうですか、と簡単に別の土地に
移封できないという事情もある
このへんの温度差は大きいだろうね

逆に豊臣恩顧の鉢植えで、短期間しか肥後を治めなかったのに
今でも熊本で愛されてる加藤清正は、とんでもなくすごいわけだど
0519人間七七四年2012/05/15(火) 01:45:30.19ID:97HMWTdC
しかし城井は頑な過ぎたな
薩摩側だったゆえに筑前36万石から
高鍋2万7千石に転封の秋月氏は仕方ないとは言え

宗像・麻生とか豊臣方に付いていたにも拘わらず
3万石は持ってたであろう麻生氏は筑後に転封で4千六百石
5万石程度あった宗像氏は当主不在で記紀の時代から続く宗像大宮司家は消滅

原田氏は領地の過少申告がバレて領地没収で筑後に転封3百町と
それぞれ減封・転封を甘んじて受けただけに城井氏の転封拒否は余計に目立ちまった
豊前の2万石から筑後に減転封二百町じゃ受け入れがたいのは分かるが、時流読めてなかったね
0520人間七七四年2012/05/16(水) 21:13:23.16ID:cq0jP9KK
二百町への減封つうのは、実質的には死ねというのと同義だからなあ
受諾しても到底経済的に主家も家臣も立ちゆかんわけだから
それなら、最期は意地にかけてでも抵抗しようとなるわな
0521人間七七四年2012/05/18(金) 22:58:12.32ID:fD9Ql1xt
黒田ファンだけど、城井氏の謀殺はいい話か悪い話かって言えば、
やっぱり悪い話で、無理に何でもかんでも弁護することもない
と思うけどな。時には悪いこともするよね、っていうかw
あんまり、これまでこうゆう暗殺はしてこなかったから
余計に目立っちゃうというのはあるけど
0522人間七七四年2012/05/18(金) 23:06:36.74ID:KH/jUkQn
黒田のやり方は誉められんだろうが
だからと言って城井の行為が正当化されるかと言うと違うだろ
つか、城井を持ち上げる為に黒田貶めるよーな事でっち上げてるから弁護もしたくなる
0523人間七七四年2012/05/18(金) 23:36:28.14ID:NY2Kn7Rh
城井鎮房は今治12万石を蹴って秀吉に対し意地を示したって
嘘付け、筑後二百町が少なすぎて不満だっただけだろ
だいたい息子に僅かな手勢付けて参戦させただけで
瀬戸内航路の要衝でもある今治12万石与えられる訳ないだろ

実際の今治が秀吉小飼の福島正則が任ぜられ
長年秀吉に仕えた蜂須賀氏や幕閣の黒田でも12〜18万石
城井氏旧臣の見栄とはいえ城井に福島正則や蜂須賀小六並の働きがあったのかよ?と言いたい
0524人間七七四年2012/05/19(土) 11:22:51.32ID:j8ZEPOLM
>>519
誰が教えてくれなんて頼んだ?
俺はお前に諮問してるんだろうが
大体お前が人様に物を教える立場か
図に乗るのも大概にしろ
ネットの中だけで偉くなったと勘違いして
少しは外に出て目を醒ませ
0525人間七七四年2012/05/19(土) 13:38:48.28ID:1UUBYEgV
↑なに噛み付いてんだ?
0526人間七七四年2012/05/19(土) 14:36:02.78ID:UTwFH2tP
>>525

>誰が教えてくれなんて頼んだ?
>俺はお前に諮問してるんだろうが

つまり意見を言え、だが俺は聞く耳を持たんって事?
政府の諮問委員会で出された意見より扱いヒデェなw
ネットで諮問って言葉覚えたのにその意味は理解しなかったのね
0527人間七七四年2012/05/24(木) 21:26:11.28ID:iKlGL8s2
>>524
アンカつけろよ
誰が誰に対して、何で急に怒ってるのか全然わからん
諮問(?)してるっていうが、お前のレスはそもそも何番だよ??
0528人間七七四年2012/06/01(金) 00:32:56.14ID:zNcBSCFO
前から気になってたんだが、如水が長政より後藤又兵衛を可愛がってたというのは本当なの?
又兵衛が厚遇されてたのはしってるけど、なにか根拠になる話ってあったっけ?
たまにそう言われてるのを見かけるから、ずっと引っかかってる
もし本当だとしたら長政ちょっと哀れだな…
0529人間七七四年2012/06/01(金) 01:36:19.35ID:74WdBhn/
どうだろ?如水は長政に又兵衛は家臣にするなとか言ってたみたいだけど
むしろ可愛いがられてたのは又兵衛より黒田(加藤)一成の様な気がする、人望的にも、うん
0530人間七七四年2012/06/01(金) 01:51:29.27ID:B1QOtW7+
気がする、とかみたい、とか
根拠もなくそんなこと言われてましても・・・としか
大体、孝高はそんなこと自体言ってない
一成が本格的に黒田家の中で重用されるのは、孝高死後の長政の時代だし
0531人間七七四年2012/06/01(金) 11:48:16.59ID:EzgOPX32
長政の時にも、後藤を含めて他の重臣との間に待遇の点で一成との差はない
孝高・長政期には母里・栗山両家の扱いが別格

忠之の代に、播磨以来の譜代が相対的に没落・遠ざけられるなかで
厳密には播磨以来の古参ではない一成がむしろ重用されてゆき、一成の死後、
三奈木黒田家が徐々に筆頭家老(大老)として地位を確立してゆくという流れ
0532人間七七四年2012/06/02(土) 00:20:30.75ID:dAAMqFEv
>529
>如水は長政に又兵衛は家臣にするなとか言ってたみたいだけど
これって長政ウィキの逸話に書いてある「謀反人の一族なので、そば近くに召し使うことは無用」ってやつのこと?
同じく「如水に寵愛された事を嫉妬」とも書いてあるんだけど、これの出典ってなんだろうな
参考文献に「黒田軍団〜如水・長政と二十四騎の牛角武者たち〜」があるけど、ここからか?
自分はこれ読んだことないもので…
0533人間七七四年2012/06/02(土) 01:06:42.76ID:eZrDlCE2
その本は読んだことがないけれど、
如水が息子の長政より又兵衛の方を武将として評価していた、
という解釈自体は、特にどれが確かな出典というわけでもなく、
昔からわりとよくある
司馬遼太郎も基本的に播磨灘ではそういう書き方だったし、
他の小説とかでも多いんではないかと
0534人間七七四年2012/06/02(土) 19:18:54.49ID:Ur1neI0y
<如水が長政より又兵衛を贔屓した説

ふつうに、後藤又兵衛の奉公構えでは、何度も幕府の仲裁が入るくらい
揉めたんで、それだけこだわるほどの確執が長政の方にあったんだろう
というところから、理由さがしで派生してきたんじゃないの?
古くからあるパターンで、戦前の小説とかでも見られる

この手の話は、実態は史料的に裏づけなんてできないんだから、
特定の典拠とか別にないだろ
最終的には推測・解釈の問題になっちゃうわけだし
0535人間七七四年2012/06/03(日) 08:03:51.49ID:LgVc1B4U
女癖の悪かった息子の藩外退去が解けないんで
一族連れて出奔したってのは無かったっけ
0536人間七七四年2012/06/04(月) 20:56:59.84ID:Kv/IbdsF
俗説では何でもあるけど
真相は確かめようにも史料がないのが実情
長政が又兵衛の息子に無理やり鼓打たせて侮辱したのが原因とか
昔からいろいろ諸説言われてるけどな


0537人間七七四年2012/06/04(月) 21:10:51.83ID:6OrnDmpz
それって春秋戦国あたりに元ネタが有りそうだから嘘くさくね!?
0538人間七七四年2012/06/04(月) 21:17:32.84ID:Kv/IbdsF
だーかーらー、どの説も史料的に実証できないんだって
みんな書いてるんじゃん??

後藤又兵衛は全般的に史料自体が少ないんだよ
確かなのは、1万6000石もらって要所を任されるほど
厚遇されたのに、自分の方から黒田家を出て行ったのと、
その後長政の奉公構えでもつれにもつれた、という2点だけ
0539人間七七四年2012/06/06(水) 00:25:52.78ID:KOnOuboT
奉公構えでもつれにもつれたってどの辺の史料見れば分かるわけ?
0540人間七七四年2012/06/06(水) 21:31:14.11ID:ltZqGXtk
細川・池田んとき幕閣から調停が入ってるから
その辺を調べれりゃどうかと
池田退去後、大阪入りの前ももう一回か仲介あったか
0541人間七七四年2012/06/06(水) 22:43:25.11ID:KOnOuboT
時期指定だけかよw
0542人間七七四年2012/06/07(木) 06:51:24.58ID:IlEbDBua
ただの煽りか
0543人間七七四年2012/06/07(木) 19:38:33.71ID:cTju6FwH
確かなのはと言いつつ資料名も出せないんじゃな
0544人間七七四年2012/06/08(金) 00:34:55.54ID:T1gMoz1U
なんかトゲトゲして雰囲気悪いなあ。
前に長政スレでもやってたけど、結局両方史料がなくて
水かけ論でどっちもどっちとしかいえない感じ。
煽りたいなら、続きは長政スレか又兵衛のスレで存分にやればいいと思うよ。
ここ、もともと孝高スレなんだし。
0545人間七七四年2012/06/08(金) 22:32:35.06ID:dJ/ImLee
>>531
黒田騒動がなければ、順当に栗山家が黒田家の筆頭家老として
幕末まで続いてたのは確実だもんね
0546人間七七四年2012/06/09(土) 00:31:19.58ID:qxWjOYaX
>>545
その後、井上も失脚してるので確実とは言えない
それくらい、重臣が安定しないんだわ、黒田家
0547人間七七四年2012/06/09(土) 00:34:49.33ID:qxWjOYaX
栗山母里井上が黒田家ではトップ3だったんだよ、長政時代までは
井上之房は職隆が孝高に付けた家臣だけど、その妻が長政母照福院の姪だったり、
長政長女が之房次男に嫁いでたりするし、見方によっては栗山母里より厚遇かもしらん
0548人間七七四年2012/06/18(月) 03:57:59.22ID:2l8dAkH9
神吉頼定の妻が孝高の娘らしいが本当なのかね
そうだとしたら養子か?
実子というのは婚姻時期等々考えてもちょっと無理があるよな
0549人間七七四年2012/06/21(木) 03:58:08.01ID:vNKUZFjU
孝高の容貌ってどんな感じなのかな。身長とか。

>>548
出典教えてください!
娘がいたのは知らなかった
0550人間七七四年2012/06/22(金) 14:39:34.10ID:05pvn7ed
>>549
前にちらっと見ただけだから、詳しい出典名は忘れてしまったorz
確か神吉側の史料だったような…かなり曖昧でゴメン

神吉頼定は1578年に没してるが、この時長政は10歳
正室との婚姻前にできた子がいたとしても、政略結婚で他家に嫁がせると思えないし
婚姻後だとしても、その翌年にできた長政の年齢を考えると実子は無理だと思う
長政に双子の姉妹が、なんてのもなぁ(´∀`;)あったとしてもやっぱ難しいな


0551人間七七四年2012/06/22(金) 21:07:01.24ID:n+w5P6Fk
>>550
ありがとうございました。婚姻前だといいなぁ

関係ない話ですが、長政の下に息子が一人いたけど、死んじゃって残念でしたよね。孝高の直系は絶えちゃったし。
0552人間七七四年2012/06/22(金) 23:40:41.02ID:gquYe/IX
黒田家譜の首巻には系譜があって、これには代々、正室以外の息子・娘も
もれなく記載しているんだけど、孝高の子どもは長政・熊之助だけ
だから、実の娘がいた可能性はやはり低いと思う

神吉氏との関係でいうと、孝高の異母弟・長基の母が神吉氏出身ではある
0553人間七七四年2012/06/25(月) 02:00:24.90ID:xoFXutez
実は漏れなくではない可能性もあるんだけどw、
当時孝高には長政しか子がいない状態だし、
孝高の姉妹の子とかそいう可能性が高いとは思う
0554人間七七四年2012/06/25(月) 04:39:18.15ID:bKPjUPGr
櫛橋氏の志方城と糟屋氏の加古川城の間が
神吉氏の神吉城か

後藤又兵衛の母親が神吉氏らしいってことくらいしか知らなかったが
色々と縁は深いんだな
0555人間七七四年2012/06/26(火) 01:21:34.61ID:OhS+lkYA
確かに長政と熊之助の間にもう一人ぐらい子供がいてもいい気はするね
正室との婚姻の翌年と、有岡城開城(幽閉終了)の翌年に一人ずつと、
子供が出来にくかったと考えるには妙にタイミングがいいし
(本山一城氏曰く熊之助の生年は1582年らしいが)
まあ単なる偶然かもしれない
0556人間七七四年2012/06/26(火) 04:15:44.58ID:RlplBxCK
歴史系の本をよみなれてない自分だけど、本山先生の本を買った。
写真がたくさん載ってるからありがたい。
失礼だけど値段を考えると、小和田先生のより良かった。

違う話になっちゃうけど、本山先生は如水がキリシタンだったことにこだわってる印象がある
なんで如水は知り合いに布教するほどはまったんだろう
0557人間七七四年2012/06/27(水) 01:52:13.11ID:GKQk3uhR
>>555
単純に孝高の活動からして、子作りする機会があまりないんじゃないかなあとも
長政が産まれてからかなりあちこち動き回ってるし、
熊之助が有岡城から解放されて療養中に作った子とすれば辻褄が合うし

長政なんかもっと顕著で関ヶ原前は娘一人しか作ってないのに
筑前入封後に福岡にほぼ入り浸ってた時に子ども作ってるし
0558人間七七四年2012/06/29(金) 23:02:48.78ID:L+orKzz3
話の方向が下世話になってきたな
0559人間七七四年2012/07/02(月) 21:31:01.28ID:ETxmSdmZ
実の娘がいた説は、信憑性薄そう
0560人間七七四年2012/07/03(火) 16:50:43.02ID:MK7bWCuR
そういや又兵衛が官兵衛の息子という説を元ネタにした漫画とかもあったけど
この時代の播磨は滅んだり養子になったり敵味方が入れ替わったりと
ゴチャゴチャしてそうだな
0561人間七七四年2012/07/05(木) 04:40:27.09ID:aY86RJV5
戦国IXA in ハンゲームのアバターカッコイイ
チュートリアル30分くらいはかかったけど
http://static.hangame.co.jp/hangame/event/2012/0702_avapre/
0562人間七七四年2012/07/06(金) 21:22:12.80ID:68zfBifz
幻の福岡城天守閣が
1620年に長政により徳川大坂城の資材として解体されたというのは面白い説だな
0563人間七七四年2012/07/06(金) 21:31:15.48ID:ViHlebGC
福岡城の天守閣は本当にあったのか、途中で解体したのか
昔から諸説あるけど、結局のところいまだにわかっていない

福岡城は、城の規模自体は、九州で一番の大きさだから、
もし天守閣が建造されていて現存していたら、それなりの名城として
もう少し観光名所としての知名度が上がっただろうけど
0564人間七七四年2012/07/06(金) 22:12:27.70ID:poruNLNY
もし天守があったとしても現存してたかは微妙
なにしろ明治の廃藩置県後に陸軍が置かれ
建造物は色々破壊されり作り替えられたりしたし
空爆の時のいい目標になって名古屋や広島と同じ運命を辿った可能性高い
0565人間七七四年2012/07/07(土) 00:35:00.20ID:czthGB1R
>空爆の時のいい目標になって名古屋や広島と同じ運命を辿った可能性高い

広島城は本当に惜しいよねぇ!戦前は国宝だったのに原爆で…
戦後も残ってさえいれば、姫路城と並ぶ屈指の名城だったのに
築城には、孝高くんも相談役として太閤殿下から毛利家に派遣されて、
大坂城築城のノウハウをいろいろ詰め込んだ、当時最新式のお城だった
福岡城は、地元民が周りをジョギングするには便利なんだけど、
お城としてはわざわざ見にくる価値はまぁないw
0566人間七七四年2012/07/07(土) 05:52:58.97ID:pHvtI6tZ
歴史的価値だと西軍本拠だった大垣城の方が惜しいかも
0567人間七七四年2012/07/12(木) 16:44:29.85ID:vpW+EXWL
実際のところ、軍隊の動きは、あたかも水のようなものです。
水は地形に応じていろいろとかたちを変えますが、
軍隊もそれと同じで、地形に応じて陣形を変えるのです。『李衛公問対』


1000年近く昔の兵法にもあったんだな
0568人間七七四年2012/07/12(木) 22:34:53.30ID:/gC0IGqS
元をたどれば2千年以上前の老子だな。
0569人間七七四年2012/07/17(火) 22:18:22.12ID:BJDZhdpE
「黒田家譜」の毛利輝元の扱いが酷い件
登場人物が次々にダメ出ししてゆく、不幸な立ち位置

孝高「輝元は天下の主たるべき器量ではありません」(小寺政職に)
  「輝元は大身ですが、天下をとるべき力量などありません」
  (宇喜多直家に)
  「どうして、輝元が天下の主になれるでしょうか?」(別所孫右衛門) 
  「あの輝元も隆景のおかげで、今までは見事に見えていたのだ」
  (隆景の死に際して)

隆景「輝元を天下の主にするなら、たちまち天下を失うだけでなく、
   毛利の家も滅亡してしまいます」(吉川元春に)
  「輝元は天下を保つべき器量にあらず」(隆景遺言)

家康「輝元は愚かではあるが頼もしい人だ。石田が秀頼のためと称したのを
   信じて味方し、家を傾け破ったものの、他の人とは違って
   私的な野心などなかったのだから」(関ヶ原のあと)   

「輝元は天下をとる器量にあらず」―大事なことなので皆で何回も言いました
0570人間七七四年2012/07/17(火) 23:05:50.99ID:P/DLDS1d
細川書状の「あいつ生まれつきバカだから・・・」な毛利秀就評よりはましと思えば・・・
0571人間七七四年2012/07/18(水) 07:46:26.58ID:JBdVte4s
そりゃ輝元を庇ってるんだよ
秀頼人質にたてこもったってことになってる奴に野心や器量があっちゃダメだろw
0572人間七七四年2012/07/19(木) 21:29:12.53ID:yeeeIzAX
黒田家譜以外の文献にも、孝高や毛利の人びとが早い段階から
「輝元はボンクラです」と言ったという記述は頻出してるので
関ヶ原後に、黒田家が意図的に輝元をかばって、自分ちの歴史書に
そう書いたわけではないと思う

なんというか輝元は普通にボンクラなんだよ
0573人間七七四年2012/07/19(木) 22:07:11.44ID:yRomCkpM
平和な時代の二代目なら評価されていたって奴か
0574人間七七四年2012/07/20(金) 07:46:19.01ID:bis/4Eyx
究極は吉川広家が関ヶ原の弁明に出した書状の『輝元はご存知のように馬鹿ですから』だなw
0575人間七七四年2012/07/20(金) 08:49:43.86ID:Az7J6U8X
その馬鹿に忠義立てする毛利家家臣は糞真面目だな
0576人間七七四年2012/07/20(金) 12:07:38.21ID:VuGvDLOn
お家存続のために馬鹿を演じてたなら相当な天才だ!けど、それは無いかなw
0577人間七七四2012/07/21(土) 15:29:05.70ID:7gukHnNO
その輝元に計画を全てパーにされた人涙目。
輝元はでっかい釣り針だったわけだ。
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