>>243
大坂のある摂津に隣接する播磨は要地なので、そんな大大名はあったとしても
移封されちゃうよ。

もっとも、孝高の拝領した豊前中津12万2000石は冷遇でもなんでもなく、
太閤検地じゃなく差出なので、実高は18〜23万石程度あったと推定されてるし、
もちろん唐入りをにらんでの配置なんだけど、豊前は九州と中国をつなぐ要地で
毛利の九州方面への抑えだから、孝高に対する秀吉の信頼は高かったと見た方が
当たってる。

ただ、それはそれとして、孝高自身の願望としては「播磨あたりに100万石」は、
あながち釣りでも、間違いでもないという気もする。

関ヶ原のとき、「東軍が勝ったら、長政には宇喜多の領地を、
私は自分で九州〜中国を切り取るから、息子とは別に所領を与えてくれ」
と、かなり思い切った要求をだして徳川方と交渉しているので、
親子あわせて100万石程度は狙ってた可能性は大。
播磨は不可能でも、上方に近い中国筋で、黒田家が国持ち大名になりたい
という願望はかなりあった。