【合子形兜】 黒田孝高総合スレ 2 【圧切長谷部】
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0001人間七七四年
2010/12/31(金) 22:05:34ID:dP+LhBbfその知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!
前スレ
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0002人間七七四年
2010/12/31(金) 22:19:48ID:dP+LhBbf「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」
キャスト
黒田官兵衛孝高:高橋克典
竹中半兵衛茂治:山本耕史
羽柴籐吉郎秀吉:西田敏行
黒田 宗円 職隆:橋爪 功
http://www.tv-tokyo.co.jp/gunshi/
0003人間七七四年
2010/12/31(金) 23:19:12ID:p9+QNoeX0004人間七七四年
2011/01/01(土) 15:11:39ID:aPE0/Ukgおとぎ話「鉢かつぎ姫」(官兵衛の出身播磨では「鉢かぶり姫」)
このお話はザックリいうと、頭に鉢がくっ付いてしまった娘が不幸を乗り越え、
ようやく鉢から取れると中から金銀財宝が出てきて幸せになったという話。
そこから転じて、戦が終わって兜を脱ぐと幸運が訪れるようにというゲンを担ぐため、
あの形の兜を使用したという説がある。
0007人間七七四年
2011/01/02(日) 23:43:53ID:lltoEeA10009人間七七四年
2011/01/03(月) 07:58:43ID:hcLEln7B伏見で死んだんだったよな。
0010人間七七四年
2011/01/03(月) 09:11:51ID:x3kBEzGk行き倒れ大名・伊東義祐の方連想したわ
0011人間七七四年
2011/01/04(火) 18:33:54ID:pIWyA/Hg結構ワロタw
0012人間七七四年
2011/01/04(火) 22:11:05ID:F49YpuSD>>隆景は死の直前に「筑紫大名(如水のこと)が休息地を求めても貸すな」と周囲に諭している。
隆景は関ヶ原前に死んでいるのに何故当時は中津の如水を筑紫大名と呼ぶんだぜ?
というか筑紫は小早川領?
0013人間七七四年
2011/01/05(水) 00:11:18ID:dtVoXn3s広義では筑紫島(九州)を指す事もある・・・
が、律令制以後だとやっぱ筑紫は両筑を指すから筑紫大名と言うのはおかしいよねぇ
0014人間七七四年
2011/01/05(水) 01:41:00ID:FJXcR/ON捏造された数々のソース無しの逸話エピの一つに過ぎない。
それでも無理矢理に史実とするなら
隆景は関が原後も実は生きながらえていて
関が原での毛利のヘタレぶりに
隆景が関与していたのを隠蔽すべく
とっくに死んだことに捏造してたと言うことになる。
0015人間七七四年
2011/01/07(金) 22:48:58ID:7J8P7oxJ【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
戦国時代の軍師・参謀を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227131695/
0016人間七七四年
2011/01/09(日) 15:10:18ID:ozqjsIsq「位置的に考えて筑紫辺りの大名が」って意味なんじゃね
0017人間七七四年
2011/01/09(日) 16:15:33ID:3YGrK4Ph小早川隆景存命中で筑紫の大名と言ったら
筑前・小早川隆景(秀秋)、久留米・毛利秀包、柳河・立花宗茂と
自身の家と一門に野心家でも策略家でもない宗茂を警戒せよと言うのも不自然だけどね
0018人間七七四年
2011/01/09(日) 19:02:13ID:ozqjsIsqいやだからさ、筑前・筑後かもしれないし
九州全体かもしれないし
とにかく地理的に「休憩所がほしいからとかもっともらしいこと言うかもしれないけど」
油断するなってことじゃないの?と
国替えがいつあるのかもわからんし
あとあんまり関係ないけど「○○はそういうことしない人だから」とか言って
根拠にしようとするのは、すこし夢を見過ぎな気がする
0019人間七七四年
2011/01/09(日) 19:57:54ID:3YGrK4Phいやだからさ、俺が>>13で言った様に
隆景の頃に筑紫と言えば筑前筑後で
時代背景からも九州全体を指す事はまず無いよ
警戒するなら筑紫の大名より国境接した肥前の鍋島だろう
仮に九州全てを筑紫大名と見て警戒しろと言う意味で言ったとしても
広範囲過ぎて訓戒としてはぼやけ過ぎだし、他の中国四国の西国大名は無視してていいのか?って話になる
それに国替えとか起きてもない事持ち出されてもなぁ
黒田が筑紫の国に国替え決まってたのなら兎も角当時は豊の国の大名だしな
>あとあんまり関係ないけど「○○はそういうことしない人だから」とか言って
>根拠にしようとするのは、すこし夢を見過ぎな気がする
根拠もなにも宗茂は戦上手の政治下手
仮に宗茂が野心持って小早川家にちょっかい出そうとしても
政治的根回ししてないと孤立して自滅するし立花の家風がそれを許さない
もし、やれば自己のアイデンティティ否定する事にもなるしな
毛利秀包だって小早川の嫡養子だった事もある毛利一門
秀秋を養子に迎える為に小早川家から身を退いた秀包が
親類縁者敵に回して小早川に手を出す度量はあるんか?と言えばNO
官兵衛の資質を考えて休憩所を貸すなと言うような隆景が
筑紫の両武将の資質を考えてなかったと思えないけどねぇ
0020人間七七四年
2011/01/09(日) 20:23:53ID:18THUYGR0021人間七七四年
2011/01/09(日) 20:26:59ID:ozqjsIsqうん、俺の意見としては「広範囲だろうがなんだろうが単なる一般論であって
特定の家を想定したものではないんじゃないかな?」
というものなので、そこへの見解が違うと、まあ意見が違ってくるわな
いや俺の覚え違いかもしれないけど、これ確かそもそも
「上方への中継地点としての休息所を作りたいと言い出す大名がいるかもしれないが
戦中でないからと油断して自領内に他家の拠点を与えるような真似はするな」って話
だったと思うので、中四国は無視していいかと思って
0022人間七七四年
2011/01/18(火) 00:51:01ID:jQ1bm7Vu0023人間七七四年
2011/01/18(火) 01:28:00ID:e+rwRar50024人間七七四年
2011/01/18(火) 02:57:19ID:DA3ipLcH単なる後世の逸話。
隆景は逸話だらけで智将イメージを作り上げてるだけ。
実際に隆景の有能さを示すソースはまったく存在しない。
0025人間七七四年
2011/01/18(火) 14:31:25ID:J69id2wV0026人間七七四年
2011/02/20(日) 03:29:16.06ID:nKSX2Uodhttp://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_129807352387.html
0027人間七七四年
2011/03/06(日) 02:41:54.25ID:orMBA4pI0028ウマイのか?
2011/03/07(月) 22:02:33.07ID:z3emcGht豊前海のハモを粕漬(かすづ)けにした「宇佐 七蔵(しちくら)焼き」を開発した。
上品に味付けした切り身を焼いて真空パックに入れ、冷凍した「少しぜいたくな土産品」。
京料理にも使われる高級魚が電子レンジで手軽に食べられるのが売りだ。
同協議会では2009年、福岡市内に開設したアンテナショップの商品不足に悩む一方、
豊前海で取れるハモがシーズンの夏以外は価格が低迷することに着目。
戦国時代に豊前地方を治めた黒田官兵衛が小田原城開城の説得に
ハモの粕漬けを手みやげに持参したという故事にちなんで粕漬けを復活させることにし、
由布市の温泉宿「草庵秋桜」総料理長、新江憲一さん(47)に開発を依頼した。
新江さんは、酒粕臭さを抑えるため白みそを混ぜるなどの改良を重ね、
「上品でうまさあふれる逸品」を完成させた。ネーミングもこだわり、「粕漬け」ではなく「酒源仕込み」とし、
市内の蔵元の酒粕を使うことから「七蔵焼き」とした。外箱は黒と赤の高級感あふれるものだ。
このほど、完成を記念して宇佐神宮に奉納、是永市長は「必ず、宇佐の特産になると確信している」とあいさつした。
今後、市内の料理店にレシピを普及し、4月から販売する。1箱9切れ入りで3500円。
0029人間七七四年
2011/03/19(土) 23:38:31.85ID:p73PIIwI近くの本屋にずーっとあって気になるんだが。
0030人間七七四年
2011/03/20(日) 00:05:07.89ID:WjzPChsFだから巻を重ねてる訳で・・・
0031人間七七四年
2011/03/24(木) 01:35:49.96ID:1b6FHPE8じゃあまあとりあえず一巻を…
ありがとう。
0032人間七七四年
2011/04/04(月) 19:03:18.80ID:B+xgelcl0033人間七七四年
2011/04/05(火) 18:30:43.92ID:AuNI75Pq0034人間七七四年
2011/04/06(水) 02:53:30.95ID:XGuvzj3Mもう一歩間違えたら切腹ものだった
0035人間七七四年
2011/04/06(水) 13:47:46.76ID:2i0DcgCU0036人間七七四年
2011/04/06(水) 19:54:25.50ID:1xnST6cu0037人間七七四年
2011/04/07(木) 20:57:42.07ID:ENmr3p3n0038人間七七四年
2011/04/12(火) 14:30:28.67ID:ZdX1WAt6オレのものにしていたものを
0039人間七七四年
2011/04/12(火) 16:43:45.73ID:jEr41BLb0040人間七七四年
2011/04/12(火) 21:02:28.26ID:LDzejJdB勝てずとも封じ込めてる間に他を制圧して島津を閉塞させればって感じだろう
0041人間七七四年
2011/04/13(水) 04:04:59.23ID:xcdfpPBc島津と共に家康撃破…無いか^^;
0042人間七七四年
2011/04/13(水) 08:37:20.14ID:BJFJuGRe同盟どころか日向を与えてその気にさせて
事が終われば知行地兄弟で分けさせた後
国替えで国力分散させて無力化図るとか
0043人間七七四年
2011/04/13(水) 15:03:33.83ID:y4rv5S6E長政は家康のとこにいるし九州連合は空中分解して終わりでしょう
0044人間七七四年
2011/04/14(木) 02:25:27.73ID:fTntcP470045人間七七四年
2011/04/14(木) 04:50:48.31ID:zUpT+3fJ0046人間七七四年
2011/04/14(木) 06:21:35.17ID:hoglMJ9e如水「家康公が握っておった手は右か?左か?」
長政「右手にございます」
如水「ならばその時左手は何しておった」
長政「逸物をしごいておりました」
如水「ならば良し!」
0047人間七七四年
2011/04/14(木) 09:39:46.08ID:fTntcP47既に関ヶ原の決着は着いてた。
島津は東軍にすれば恩賞稼ぎ、元西軍にすれば恩赦狙いの最後の狩場だからな。
それをまとめた如水の手腕も評価されるべきだろうが。
0048人間七七四年
2011/04/16(土) 15:04:21.47ID:5ltimX1A0049人間七七四年
2011/04/21(木) 13:10:58.13ID:9aHb6AmFhttp://www.city.himeji.lg.jp/koho/press/_23638/_24402/_24653.html
平成22年4月22日(金)〜6月12日(日)
午前10時〜午後5時まで(入館は4時30分まで)
※休館日 月曜日、5月6日(木)
4月29日(金)から5月5日(木)のゴールデンウィーク期間は休まず開館
姫路いいな
しかし二人の軍師は姫路では正月に放送してなかったのか?
0050人間七七四年
2011/04/21(木) 21:31:41.85ID:YgKkPe2Wそもそも関が原合戦の段階で豊後すら完全平定できてない(垣見氏がまだ屈服してない)
のに九州平定なんて寝言もいいところ。
残った四家は大身の大名だし如水が野心をあらわにした段階で
加藤細川鍋島らが従うわけがないw
0052人間七七四年
2011/04/21(木) 21:59:30.29ID:Foq+CpBwどうやって黒田が九州を平定するのか気になる
0053人間七七四年
2011/04/21(木) 22:14:35.11ID:kFoY1Q4n徳川方としてこの機会に可能な限り勢力を広めようくらいのもんじゃないか。
そもそも加藤清正や鍋島氏などといった連中をなんの根拠も無しに動員できるとは思えん
0054人間七七四年
2011/04/22(金) 11:03:15.63ID:48Jjp43f■三戦板 http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1300008615/l50
■中国英雄板 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161683809/l50
■戦国時代板 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153103723/l50
■歴史難民板 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1170954799/l50
■日本史板 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284018068/l50
■日本近代史板 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284438470/l50
■世界史板 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1285631793/l50
■大河ドラマ板 http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1196074182/l50
お気軽に寄ってってくださいな
0055人間七七四年
2011/04/26(火) 22:42:49.36ID:sl/wJM5l貴重な情報ありがとう!
神戸在住なので、GWにでも遠足気分で行ってきます!
いろいろ企画があって充実した展覧会みたいで楽しみです
0056人間七七四年
2011/04/27(水) 06:49:33.23ID:clEc7UG00057人間七七四年
2011/04/28(木) 12:55:29.45ID:9wdQyX8x0058人間七七四年
2011/04/30(土) 05:55:44.60ID:QMDcYsSd>しかし二人の軍師は姫路では正月に放送してなかったのか?
地元民だが、テレビ東京系(テレビ大阪)は特別なアンテナを立てるとかケーブルテレビに
入らないと見られない。
そもそも、姫路の一般人に、そんなに黒田官兵衛が人気があるわけではない。
一部の人が町おこしで騒いでいるだけ。
1番人気は圧倒的に池田輝政。2番目を上げるなら豊臣秀吉。
JR御着駅のすぐ近くに御着城と黒田家の墓があるので、ついでに見に行くがよろし。
さらに北を歩くと竹中家の墓もあるが、そこは...
0059人間七七四年
2011/05/01(日) 02:09:03.25ID:dFkmQjxNまあ小寺はないにしても、本多さんあたりかと思ってた
0060人間七七四年
2011/05/02(月) 22:50:07.17ID:Yad2/zMl2003年の「その時歴史が動いた」以前は殆ど誰も知らなかったのでは
0061人間七七四年
2011/05/02(月) 23:43:11.56ID:j9gnwwHs顔は信長と一緒だがw
0062人間七七四年
2011/05/03(火) 10:30:12.20ID:B3b/p1dbきれいな姫路キャラといえば、池田輝政公に決まっておるわ。
宮本武蔵との絡みもあるからな。
0063人間七七四年
2011/05/03(火) 12:19:27.64ID:Kjk12ZtH0064人間七七四年
2011/05/03(火) 12:59:23.01ID:cea/bpyP死んでまで食ってくれとは考えもしてなかったろう。
それに広家の懐き方を見れば吉川に恨まれていたとも思えない。
あと宮本無二斎・武蔵の親子は関ヶ原時には如水軍に属していたようだ。
輝政は姫路城を改築したのと親の七光が強い以外は戦国大名のone of themだからな。
姫路ではともかく他所での印象は如水とは比較にならんだろうな。
ただ姫路にすればどっちがでは無くどっちも姫路キャラで良いのでは。
黒田と池田はほぼ同派閥と言って良いくらいでもあるし。
織田、豊臣、徳川と時代が変わる中で両氏が存続したのも
その派閥中で有力な協力関係にあったというのも小さくない要因の1つだろう。
0065人間七七四年
2011/05/03(火) 13:40:50.21ID:GiUWgUGo隆景を信者に勧誘したりとけっこう熱心だったと思うが
0066人間七七四年
2011/05/05(木) 04:18:35.96ID:cBVjHNir葬式がキリスト教式で行われたって話もある
表向きは棄教したけど内では捨ててなかったのかも
0067人間七七四年
2011/05/06(金) 14:25:01.63ID:BlIWrPlj官兵衛は秀吉に棄教を勧められたが断った
(勧められたの言葉通り、改宗すれば?というような少なくとも表面上は穏当な誘い)
「あの」フロイスが、続けて「黒田官兵衛殿の信仰は我々が驚くほど堅固」と言ってるくらいなので
表向きでも棄教してたとは考えにくい…
ただ、もちろん政権とのかけひきについては慎重に考えていて
宣教師が無駄に強硬な態度をとったりキリスト教の教えをおおっぴらに喧伝するような事は
絶対するなと止めていたし再三苦言を呈していた、らしい
0069人間七七四年
2011/05/10(火) 07:48:21.68ID:ZPdHsegk当主自体は信長の乳兄弟の末裔という地味さがあるが
0071人間七七四年
2011/05/11(水) 23:18:06.87ID:7hwKqbr2播磨統治時代は小領主だし黒田が治めた年数も大して長くないし。
0072人間七七四年
2011/05/13(金) 03:13:30.00ID:q3WISLmT池田家は信長の乳兄弟として世に顕れ
家康の娘婿として存続発展した
地味すぎるぜ池田家…
0073人間七七四年
2011/05/13(金) 14:51:30.78ID:2VCMmWAt今回だけだからと無理に勧めて九州に来陣させた隆景は怪しいが
元春の死に如水は関係ないだろ。
0074人間七七四年
2011/05/13(金) 15:19:53.85ID:XFGPFU1X小早川と吉川は別、とか言って取り潰される可能性もあるし
隆景が元春暗殺に関わってるとは思えない
0075人間七七四年
2011/05/13(金) 20:41:10.98ID:2VCMmWAtじゃなきゃ島津征伐で吉川親子が相次いで怪死するなんて有り得ない。
そんで小早川は筑前筑後加増なのに吉川なんて忘れられた存在にされてんじゃん。
これより始まる確執が関ヶ原での吉川の独自行動であり
毛利大減封へ至る時限爆弾を隆景が組み込んだだけ。
0076人間七七四年
2011/05/13(金) 21:59:53.70ID:jYyb6kJq博多(筑前)は毛利本家から遠いんで
博多は天領にして代官置いてくれと秀吉に懇願してたんだが
筑前は養子の秀秋に任せて自分は三島に引っ込んだのもその現れ
0078人間七七四年
2011/05/14(土) 04:29:57.91ID:3SyCBafRそれ講談話だろ・・・
0079人間七七四年
2011/05/14(土) 08:14:06.81ID:1dvyvIu/0080人間七七四年
2011/05/14(土) 12:09:02.14ID:7TLw7imF史実どおりにやると、秀吉は放送禁止用語連発になるが・・・
「○んばめが、またそらとぼけおって」
「わしが死んだら、天下は○んばがとるわい」
0081人間七七四年
2011/05/17(火) 22:43:42.87ID:cHctsEPl官兵衛、如水でいいだろ。
蔑称ならカサ頭とかもあるし。
0082人間七七四年
2011/05/19(木) 19:21:58.67ID:1zeB1Z2+0083人間七七四年
2011/05/19(木) 23:19:48.11ID:WGvRi5efでもその三木通秋とも後々敵対するんだから大変。
0084人間七七四年
2011/05/20(金) 18:40:55.99ID:sEcVkIBz戦国時代の小勢力の悲哀が感じられる
だからこそ本能寺の変で冷静に大返しを実行できたのかもしれないが
0085人間七七四年
2011/05/21(土) 10:08:18.62ID:hJs6KcIY地理的範囲が狭く、地縁・血縁関係がある相手が多いから
戦になったら知人恩人骨肉との争いになる
0086人間七七四年
2011/05/21(土) 16:38:51.48ID:iEOUEQMA前半生も話としてかなり面白い要素がある。
0087人間七七四年
2011/05/21(土) 22:36:21.42ID:2oRidVUJまるでオセロのように織田と毛利の旗幟を入れ替えてる。
官兵衛や直家みたいなのが出てくるのも納得がいく。
三好や松永を酷薄扱いできなくなりそうだ。
0088人間七七四年
2011/05/21(土) 22:47:11.38ID:IRacuP4C0090人間七七四年
2011/05/22(日) 19:56:50.20ID:3cqKfzRL三好・松永・宇喜多と、どういう共通点があるのか正直わからん
黒田は松永・宇喜多・斎藤道三のような主殺し・主君追放→国盗り型の
戦国大名ではないし、大勢力の力関係次第で、小勢力が旗幟をころころ
変えるのは、九州でもどこでも一緒
というか、そのなかで黒田は例外的に親織田でブレなかったわけで
0091人間七七四年
2011/05/23(月) 19:30:53.46ID:jZetJmMd官兵衛とその他に共通点があるなどとは言ってなくて
宇喜多のように陣営をコロコロ変えて情勢を泳ぎきる者も出れば
官兵衛のように情勢を跳ね返すような百戦錬磨も出てくるという意味。
0092人間七七四年
2011/05/24(火) 21:01:20.88ID:k1HyxKr9西国の群雄伝になって欲しいが
長宗我部や島津ですら端役に終わりそうで怖いくらいのガチ
胃もたれしそうなんで少しはスイーツゆとりも混ぜて欲しいが
どこに加えればいいのか
0093人間七七四年
2011/05/24(火) 23:36:00.55ID:IN1gg2fA如水は側室もいないし、やろうと思えば簡単に愛妻家に描けるだろうけど
そんなホームドラマ、折角、稀代の謀将が主人公なのにわざわざ見たいか?
ゆとり大河なら、如水は2人しか人を斬らなかった→人殺しの嫌いな
平和主義者!みたいな人物像になる可能性大
や め て く れ
0094人間七七四年
2011/05/24(火) 23:52:00.36ID:zOI32kem「出世競争に命をかけているのに、わしより遅く仕官した者は加増されてるのに、なぜ殿はわしに加増してくれんのか。もう出仕致さぬ!」とかスネて妻に諭されたり。
「わしは正々堂々と戦う。卑怯な謀略は好かん!しかし妻は誰にも恨まれない知略を生み出すしっかり者で助かるわい」
0095人間七七四年
2011/05/25(水) 00:37:05.07ID:uILt1xUQ戦国でしかできない人間ドラマやストーリーをやってくれ
0096人間七七四年
2011/05/25(水) 03:45:04.80ID:giqfVQ9g0098人間七七四年
2011/05/25(水) 13:07:05.68ID:OtZwaw6nあの『天地人』でさえ、前半はそこそこ面白かったのに
黒田もでてるはずなのに・・残念だ
大河は早々に諦めて、病床の羽柴秀長を言葉で殺してしまう
黒田孝高がかっこいい『へうげもの』に期待している
これから関ヶ原なので、とても楽しみ
0099人間七七四年
2011/05/25(水) 14:34:49.44ID:SVo0SAgXそのための前フリコントみたいなもん
0100人間七七四年
2011/05/25(水) 15:27:08.05ID:cyAevLkMそれツッコミどころ満載で面白くていいな!
お茶の間の家族が楽しめるように
さらに畳や廊下で滑って転んだり
マヌケな顔芸で笑わせて欲しいな。
やっぱり人間くさい人物じゃないとつまらないから
敵が派遣したくのいちの罠にかかり
浮気して生まれた子を後藤家に預かってもらったのが又兵衛だったくらいのサプライズは欲しい。
のちにバレて妻に懲らしめられるくらいの演出は必要だよな。
0101人間七七四年
2011/05/25(水) 20:14:07.42ID:bUYwcFVvまあ、長宗我部や島津にちゃんと見せ場があるなら。
しかし、そうすると仙石が立派に噛ませ
やらんといかんのかなやっぱり。
0102人間七七四年
2011/05/25(水) 22:31:36.57ID:9TelyBJeそんな面白くない上に古臭い夫婦善哉を見るくらいなら、
戦国無双をドラマ化した方がまだまし。昭和か?
いくらなんでも視聴者なめ過ぎ。
0103人間七七四年
2011/05/26(木) 00:42:50.71ID:84DJSX1l戦国オタが満足するようなクソ作品は
全部失敗してる事実を忘れるな。
だいたい戦国オタが良いとする作品ですら
甲冑や衣装が綺麗だったり、
現代語を使ってたりしてんじゃねーか。
0104人間七七四年
2011/05/26(木) 01:19:30.40ID:NYYFW+R8『江』の方がまだましじゃ〜
おそらくね、戦国オタとか時代考証とかいう以前に
ネタとしても一般的な物語としても
単につまらないという点に問題があるのではないか、と
0105人間七七四年
2011/05/27(金) 23:06:08.73ID:Oq8sIxZn家族とか友情とかで視聴率狙ってもいいだろうけど、ちとむさ苦しい。
ここは堺屋作品ばりに宇喜多家のところのお福さんに頑張ってもらうか。
後は池田家ファンのために
おせんさんにも女鉄砲隊率いて頑張ってもらおう。
これに明智玉、浅井茶々、立花ギン千代たちくらいで足りるかな?
0107人間七七四年
2011/05/27(金) 23:51:00.03ID:pbrXJi10広峰神社の神官の娘とか、枕荒らしの小娘とか出てた覚えが
0108人間七七四年
2011/05/28(土) 00:35:45.26ID:SWmgTv2a10代で庶子をもうける長政
蜂須賀正勝の娘と結婚する長政
騙し討ちにした城井の娘を磔にする長政
徳川の養女を正室にするために最初の妻を離縁する長政etc.
ないのは(現代人の)好感度だ
もっとも、戦国時代の標準で考えれば特に長政がひどいわけではない
0110人間七七四年
2011/05/28(土) 21:34:54.51ID:Kfm7Biu2この先に何時死んでも心残りの無いようにと
身近な女中の従姉に手を出すってのは責められない。
城井の娘を磔ってのは後世の創作っぽい。
正勝の娘との間には娘しか授からなかったので
当時の大名として次の妻を探すのもやむを得ない。
でも生々しすぎて使い辛いネタだろうな。
長政はなぜ石田三成が嫌われていたかを最も説明しやすいキャラなので
そっちでは活躍出来るだろう。
0111人間七七四年
2011/05/29(日) 02:49:06.83ID:dt4nCmzY斑雪白骨城の歌舞伎の脚色はあるにせよ
でも虐殺は事実でしょ。
0112人間七七四年
2011/05/29(日) 03:03:31.74ID:jHPhPfRt0113人間七七四年
2011/05/29(日) 12:44:13.46ID:WpjeU9/X国持ち大名になれるわけがない
0114人間七七四年
2011/05/31(火) 19:03:08.47ID:DTdIw20z孝高は毛利輝元に4000貫(2万石相当)ほど金を貸してて、
関ヶ原の2年後に取り立てに行ったりしてるんだな
で、毛利の益田元祥に「取り立てにくるのやめて〜!関ヶ原で減封されて
うちは金ないんです!本当にないんです!もう火の車!
ほーら、旧領の年貢もとりっぱぐれたから米もないぞ!」って撃退されてたw
結局、毛利の財政が再建したあとに返してもらってる
0115人間七七四年
2011/05/31(火) 19:54:46.82ID:26+chkM7たしか細川あたりからも借りてなかったっけ。
0116人間七七四年
2011/06/01(水) 01:40:38.81ID:oVjo+iwU0117人間七七四年
2011/06/01(水) 13:31:49.91ID:CqcRnJZh女っ気の話しをしていたので。
こういう池田せんとか。
,..:::-----:.. 、
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/::/:::/Y´し牟ト、 イ´r`ヾ'::::::l::::::::l そろそろ出させろよ
/::/::/ { ヒ{::爿 .ヒ{:::爿 / }:::::l:::::::::l
./:::/:/::ヽ', `ー´ , `ー´ /ヽ:::l::::::::::l
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/" {小::::{:::l丶、 ` ー´ .∠小::::l::|:リ
ヽ小l::::::r `i> 、 _. ィ´{ミヽリリ州/
z ''"´ ̄ ̄ {´| ! 7 `丶、
/´¨\ ヽ / ` 丶、 _
/ \/´ ̄_ ̄_丶、__ _ / / ヽ
,, " , '"´ _ `丶、 `ー-´ / / ./ ヽ
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{ ̄ '7ヽ/ \\\ `ー-=M / ,,≠"=L= / =@ヽ、
0118人間七七四年
2011/06/01(水) 20:06:40.82ID:oxl7UUAc戦つづきなのに、大名貸しするほどよく金があったもんだ
孝高は吝嗇だったらしいけど、倹約だけで何とかなるものなのかな
0119人間七七四年
2011/06/02(木) 00:42:43.05ID:Gy7OwD9g,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、,〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\,
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
黒田先生は最高でござるよ。
0121人間七七四年
2011/06/02(木) 12:22:09.22ID:klz0Tzpvスレ読み返せば分かる。
>>58とか>>93とか。
もう少し言うと池田は黒田と同じ中国戦線に加わっていて以降ずっと同じ陣営で
池田せんは輝政の姉妹で旦那の森長可が死んだ後には輝政が継いだ実家に戻されているから
大河でも描写できそうな関わりが色々とある。
0122人間七七四年
2011/06/02(木) 13:12:58.49ID:tecl3iGx読み返してみた
・・・・・・
「お前の妄想大河ドラマ制作なら、チラシの裏でやってくれ」
というレスが多いようだ
0123人間七七四年
2011/06/02(木) 13:32:08.54ID:klz0Tzpv関係がある事は理解したのかな?
と煽りに言っても仕方ないか。
0124人間七七四年
2011/06/02(木) 15:24:15.69ID:tecl3iGxそれが、黒田スレで取り上げるほど
意味がある関係なのか、と
なぜ「つまらない」と多くのスレで煽られるのか、
そして、君の独りよがりなスイーツ大河語りに
孝高や長政がイライラしてることにも、だ
0125人間七七四年
2011/06/02(木) 15:38:25.11ID:klz0Tzpv読み返せば分かると言われただけで逆切れして煽り荒らしに豹変する厨房に2ちゃんはまだ早いよ。
あと面白くないと言うのなら自分で面白いと思うネタを振るように。
他人が作った料理に文句をつけられるのは子どもか金を払う大人だけだ。
0126人間七七四年
2011/06/02(木) 17:09:49.13ID:dw/dPCh7池田恒興とか輝政って、黒田家主役の小説や話では、ほぼ空気なので
具体的な黒田家と関係する逸話とか、どの本で見たとか教えてくれると
ありがたい。
それとも、おれが知らないだけで黒田家譜とか池田の家記には
いろいろ書いてあるのか?
0127人間七七四年
2011/06/03(金) 04:57:41.69ID:1JcFQH4O>>58の人が姫路では池田輝政が一番人気だと言うから
官兵衛含む秀吉軍のそうそうたる帷幕の顔ぶれの中に池田親子が居たのは事実なんだろうし
池田親子の場面がある大河原作やアウトラインが出てくれば盛り上がるんだろうなと言うだけ。
むしろ、せんの親父の池田恒興&旦那の森長可コンビって敵にも味方にも嫌われて
長久手で両者揃って討ち死にした時に味方の秀吉方に大喜びされているという知識しかないので
果たして人柄を偲べる逸話などから姫路で人気があるのか、こっちが知りたいくらい。
まあ無くても、大河誘致には女性役があるかどうかの方が重要らしいので
女鉄砲隊のせんを絡められるという点で、黒田&池田は一石二鳥以上かと。
0128人間七七四年
2011/06/03(金) 08:01:22.85ID:mJVgROXCたしかに凶暴な長可イメージがあるから秀吉も扱い辛いかもって想像するけどさ。
家康に負けたのも計算のうちって言い訳っぽいけど。
0129人間七七四年
2011/06/03(金) 11:50:06.98ID:yqYDn3UM「秀吉の目の上のたんこぶが消えた」と受け取った向きがあったのは確かなようだ。
0130人間七七四年
2011/06/03(金) 15:37:19.07ID:sBna+t9Sものすごくありがちなご意見ですね
面白くないと言われただけで逆切れして煽り荒らしに豹変する
マダオさんに2ちゃんはまだ早いよ。
0131人間七七四年
2011/06/03(金) 15:43:53.53ID:1JcFQH4O有りがちじゃなく当たり前。
親がどういう教育してるんだか。
0132人間七七四年
2011/06/03(金) 18:46:57.59ID:P5xRaJPgあなたに真面目に尋ねたオレ(125)が馬鹿だったorz
架空大河ドラマを前提に適当に語ってただけってことですかい。
必然性のうすい黒田スレで、無理やり自分の妄想ネタを続けるから
いろんな住人に叩かれてるんだってば。
どうしても語りたいなら、池田スレあたりでやったらいいのに。
池田は恒興・輝政ともに女の力で出世したようなもんだから
(悪いと言ってるわけではない)黒田家より「スイーツゆとり大河」
とやらにずっと向いてる題材なんだし。
なぜ、あなたがそんなに大河ドラマにこだわるのかが
多分あなた以外には理解できない。
0133人間七七四年
2011/06/03(金) 20:55:43.39ID:QRpjwow7大河に女性役が必要なのも常識。
NHKも大河の候補に入っていると言っているから架空でも何でもない。
0134人間七七四年
2011/06/03(金) 21:44:22.13ID:V3kk94ta黒田に無理矢理池田せんを絡ませようつーのが変だって言うんだよ
天地人でも直江兼続を真田の娘や千姫と無理矢理絡ませてたけど
凄げぇーー違和感ありまくりだったじゃん、黒田であんなダメダメ演出してもらいたいのか?
0135人間七七四年
2011/06/03(金) 21:47:32.36ID:SlRYL+as黒田三代ドラマ化を語ってるスレとか昔あった記憶がある
ないなら自分で立てればいいと思うよ?
というか・・おそらく問題はそこにはないと思うんだ・・
自分が興味あっても、誰もが大河ドラマ化に関心がないっていうのが
どうしてわからないかな?
人間、引き際って大事だよ
0136人間七七四年
2011/06/03(金) 23:30:12.49ID:QRpjwow7別に無理に絡ませなくても大河化できるなら
絡ませなくてもいいんだが。
しかし女性役が少ないと大河化が難しいという事情がある。
それだけ。
>>135
関心が無い人はスルーすればいいだけだが
少なくとも大河化に関心があるのは俺だけではないことは
少しスレの流れをさかのぼる手間さえ惜しまなければ分かるはず。
なぜそれをしない?
官兵衛スレなんだから住人にもそれくらい知的なところを持ってもらいたいんだが。
0137人間七七四年
2011/06/03(金) 23:36:40.95ID:SlRYL+asあの・・「関係ない女を無理やり登場させて大河ドラマ!」に
賛成のレスは、同じ文体で同じような内容のしかないみたい
なんだけど・・
「そんな大河はつまらない」っていうのは多いけど、
これも広い意味での関心に含めてるのかな?
0138人間七七四年
2011/06/03(金) 23:42:51.51ID:SlRYL+as0139人間七七四年
2011/06/04(土) 00:06:19.82ID:suF7CLWk伝えられてきたわけで、事実かどうかなんて問題ではない。
「事実は小説よりも奇なり」なんていうけど、「面白く」話を作った奴がいて
それが現代に本当のように伝えられてるってことだろう。
優れた小説家や脚本家は、自分の作った話でも史実のように思わせることが出来る。
歴代の大河ドラマも結構勝手にキャラクター変えたり、史実にいない人作ったりしてるし
要は、脚本次第じゃないの?
0140人間七七四年
2011/06/04(土) 00:22:16.43ID:A7P4KJA3うんざりしてるわけで>池田せんとか出せというネタ
もちろん、自作の脚本を書くのは勝手だけど、それは自分のブログ等で
連載すればいいだけ。
戦国板で引っ張るのは本来スレチだし、「つまらない」というレスが
多いのなら、いい加減やめるのがマナーでは
0141人間七七四年
2011/06/04(土) 05:21:21.45ID:Bek4XJOR素人の妄想料理に金払うやつなんかいねーよwwwwww
0142人間七七四年
2011/06/04(土) 11:50:53.54ID:gQLNVukZ>>132で初めて言われたようだが、それで「〜しかない」「フルボッコ」なのか。
>>141
ならば自分で面白いネタを書くか文句を言わずスルーしろというだけ。
というか池田せんも大河化するための面白い手段かもしれないとは思っていても
無理に池田せんを絡めて面白くなるかもしれないなどと一言も書いてないのだから
いい加減ちゃんと読み取ってもらいたい。
群像劇が見たいとは思っているので
無理感が無ければ池田せん隊が出るのは歓迎なんだけどね。
0143人間七七四年
2011/06/04(土) 13:14:01.77ID:LLq3znkLあのな、戦国板の住人の多くは、昨今の大河ドラマに期待も
してないし、史実を歪めてまでドラマ化する必要も感じてないのに、
あなたは「どうしても大河ドラマにしたい!」という自分の願望を
自明の前提として書きこむから、話がおかしくなるのよ
史実の孝高>>>(越えられない壁)>>>大河ドラマという価値観というか
で、それでも語りたいなら、あなたがこのスレをスルーして
大河ドラマを愛する住人のいる板にいけば、話が通じるわけ
0144人間七七四年
2011/06/04(土) 13:17:48.36ID:LLq3znkLあ、これ、戦国板の価値観のことね
0145人間七七四年
2011/06/04(土) 13:42:45.35ID:gQLNVukZ>あのな、戦国板の住人の多くは、昨今の大河ドラマに期待も
してないし、史実を歪めてまでドラマ化する必要も感じてない
何度も言うがスレを読み返せば思い込みだと分かる。
そして、
史実の孝高>>>(越えられない壁)>>>大河ドラマ>>>(越えられない壁)>>>2ちゃんの孝高
0146人間七七四年
2011/06/04(土) 13:57:51.55ID:LLq3znkLこれだけ叩かれてるスレに粘着し続けるって、あなた、ある意味すごいわw
これが「バカの壁」というやつか
0150人間七七四年
2011/06/04(土) 18:53:12.50ID:BM1ZDDrDなんで池田せんなのか、とかをちゃんと説明できてない感があるのがまずいんじゃね
誤爆かと思ったもの>>117
てかそのアニメキャラみたいなAAなに?
希有なキャラクターの持ち主とは思うけど
大河で出しても、なんだっけ天地人の幸村の姉みたいな
使いどころのわからないキャラになりそうだし
どうしても女を絡めて池田家を黒田大河に出張らせ姫路の支持を勝ち取りたいなら
(そういう話だよね?)
督姫のラインを強調した方が現実的に思える
本人の素性や経歴の特異さも充分だし、
家康の娘婿としての長政、輝政の交流、二世である忠之、忠継の交流
後の亀姫と輝興の婚姻みたいにつなげようがある
なにより徳川と絡めた方が、歴史の流れという本筋から逸れずに済むだろう
0151人間七七四年
2011/06/04(土) 21:06:11.02ID:uvksn+8w0152人間七七四年
2011/06/05(日) 00:57:12.75ID:3iQnJ0Yv豊臣秀吉の軍師として活躍した姫路出身の戦国武将黒田官兵衛ゆかりとされる阿弥陀如来立像が、
特別展「黒田官兵衛の魅力―天下をねらった播磨の智将」を開催中の姫路文学館(姫路市山野井町)で公開されている。
姫路市東山の再幸寺が代々守ってきた秘仏で一般公開は初という。官兵衛をNHK大河ドラマの主人公に、
との運動が地元で広がる中、官兵衛ファンの注目を集めている。
http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201106030159.html
0153人間七七四年
2011/06/05(日) 09:20:09.38ID:BbzQZDY+督姫が池田輝政と再婚するのは1594年で黒田家は中津でしかも朝鮮出兵の頃。
関ヶ原での長政と輝政の絡みに加わえてみても官兵衛大河の中では多分1年で数分も出番は無く、
同時期に出る寧々、茶々、ガラシャ、功名の千代などと比べても印象に残らない
「あの人誰だった?」で終わる可能性が高そう。
それ以前に長宗我部や立花ですら雑魚武将扱いされかねないくらい出番が少なくなる事が危惧されるので
輝政ですら、セリフは数回か下手すれば丸ごとカットで、
後は大河本編後の改修された姫路城紹介で、その僅かな数コマが転用されるだけの端役で終わる可能性もある。
その点、池田せんなら女鉄砲隊で、しかも官兵衛が有岡城救出されてから、最低でも朝鮮出兵までの長期間引っ張れる。
そうなれば恒興、輝政、それに督姫にも出番を増やせる。
中国戦線で官兵衛の嫁と宇喜多直家の未亡人しか出ない状況よりは
華やかでNHKの印象も良くなると思う。
0154人間七七四年
2011/06/05(日) 10:03:34.41ID:4jGC4UuU池田せんが文禄・慶長の役で朝鮮で鉄砲隊率いて戦うのか?
どこの隊で?
輝政はどっちも国内残留で参加してないのに
0155人間七七四年
2011/06/05(日) 10:11:01.48ID:BbzQZDY+朝鮮出兵の時は伏見城普請。
どうでもいいが、この時の3万石というのは輝政15万石の中に含まれているんだろうか?
0156人間七七四年
2011/06/05(日) 10:17:00.81ID:4jGC4UuU池田せんで朝鮮出兵まで引っ張れるってあるから
設定としていくらなんでも無茶苦茶だろうと思っただけ
0157人間七七四年
2011/06/05(日) 10:27:45.67ID:4jGC4UuU阿弥陀如来なんだ
長政も関ヶ原の戦いのとき(合渡川か本戦のどっちか忘れた)
兜のなかにミニサイズの仏像を入れて戦ってたはず
毘沙門天だったと思う
0158人間七七四年
2011/06/05(日) 11:28:33.59ID:jrpZJFwj0159人間七七四年
2011/06/05(日) 12:02:07.06ID:Sj6uUoOfそれに当時のキリシタンって寺社破壊するような過激派もいるけど
どっちも拝む人もいたはず
0161人間七七四年
2011/06/06(月) 18:58:05.12ID:pLOHSrHP3年後に棄教令がでてるから、なったのは意外にかなり遅いよね。
特に小西行長が熱心に勧めたので、信仰するようになった。
と、フロイスが手紙で書いてる。
0162人間七七四年
2011/06/07(火) 13:20:01.14ID:ZQXt3Otz和田惟政が無意味なほど出張ってた記憶がある
あんなにカッコイイ和田が見られるのは播磨灘だけ
0163人間七七四年
2011/06/07(火) 21:24:01.58ID:H4/h2sR/小西か
高山右近あたりだと思ってたわ
大友宗麟も受洗したのは遅いし、黒田も正式にキリシタンになる前から
信仰していた可能性はある
0164人間七七四年
2011/06/07(火) 21:55:15.97ID:UbVL005Oという所だな。非常に仏教的な形で入信してる。
0165人間七七四年
2011/06/08(水) 12:20:49.38ID:EyegQH5P戦国無双の官兵衛は意外に的を得てるってことになる。
あれ家紋のアレンジもかっこいいし、デザイン考えた人すごい。
0166人間七七四年
2011/06/08(水) 19:10:14.32ID:BH3hMJVS今、何か、あ官兵衛のパパって人が配信してるけど
俺の環境ではよく聞こえない
「http://www.ustream.tv/channel/あ-官兵衛パパのライブ」
0167人間七七四年
2011/06/08(水) 19:22:33.46ID:QUvX82u6むしろ日本人なら当たり前の行為じゃね?
熱心な一向宗でも井戸の神、竈の神、厠の神と
ありとあらゆる神を信じる八百万の神の国ですから
0168人間七七四年
2011/06/08(水) 19:56:30.42ID:BH3hMJVSキリシタンと仏教徒を掛け持ちするようなのがどれくらいいたのか
0169人間七七四年
2011/06/08(水) 20:11:05.76ID:x42Wrctiなんか秀吉政権の最重要人物だから空気を読んで
心にもなくキリシタン信者になったフリをしてただけにしか見えんが。
0170人間七七四年
2011/06/08(水) 20:20:33.79ID:BH3hMJVS1.幕末・戦国時代の武将・剣士
2.地元が盛り上がっている
3.物語(原作)がある
4.お色気・恋物語
姫路は盛り上がっているが中津はもう1つなので盛り上げたいとの事
4が奥さんしかいない事を気にしてたな
0171人間七七四年
2011/06/08(水) 20:33:19.57ID:0xJCsxAA最近ずっと、そういう傾向だし。直江とか
ただ官兵衛の奧さんの場合、これといった逸話もないけど
晩年、官兵衛と一緒に仲良く暮らしてましたよ、くらいか
0172人間七七四年
2011/06/08(水) 20:34:56.78ID:6/y6W6H/0173人間七七四年
2011/06/08(水) 21:28:04.53ID:dA2+EDgJ孝高は毛利領での教会領の設置や布教を援助したのは事実だが
小早川隆景はキリシタンになってない
おそらく小早川秀包と混同してるのでは?
0174人間七七四年
2011/06/08(水) 22:11:24.16ID:BH3hMJVS直江は奥さんしかいないにも加えて
史実的にむしろ奥さんたちの方が優秀だったから出番も作り易かったんだよな
最近の大河を見ても奥さんたちが個性的
それらに比べると官兵衛の奥さんは少し地味のような
長政が人質になったり実家が滅んだりする時に泣く重要な役ではあるけど
あと考えられるのは華のあるタレント起用して官兵衛が悩んでいるときに
相談役になるみたいなシナリオも組むとか
0175人間七七四年
2011/06/08(水) 22:14:38.64ID:dA2+EDgJNHKのお偉いさんである松平定知アナは、熱烈な孝高ファンだし、
「その時歴史が動いた」でも、中国大返し〜豊後陣〜お前の左手
取り上げたこともあるから、ドラマ化の下地は十分ある
まとまった原作(『播磨灘物語』と『関ヶ原』)もあるし、
無理に色恋沙汰を入れなくても、そのうち大河ドラマになる気はする
もっとも、脚本ですべてがぶち壊しになる可能性は大だけど
正統派の重厚な人間ドラマにした方が、むしろ若い世代に
うけると思うんだけどな
最近のラブコメ路線(?)は、バブル世代の勘違いにしか思えない
0176人間七七四年
2011/06/09(木) 01:20:58.79ID:eIy2eJ3l例の幽閉事件の時は舅や義弟と共に必死で家を守ったようですよ
まあ、それ以外は地味だけども、長政が死ぬまで母親を敬っているあたり、
大名の妻として立派に奥を守った人ではないかね
0177人間七七四年
2011/06/09(木) 01:27:48.79ID:DDq8qNhaその妻じゃなくてもいいんじゃない?
秀吉関係で女枠は足りると思う
ストーリーの展開上、北の政所、淀の方は登場回数が
多くなるに決まってるし、賤ヶ岳があるからお市の方も出る
関ヶ原前の人質脱出シーン(官兵衛と長政の妻)のときに
ついでに細川ガラシャの自害もやるだろうし
あとは官兵衛の奥さんと長政の妻を二人だして、離縁するときは
適当に長政に苦悩させとけば、何とでもなるのでは
0178人間七七四年
2011/06/09(木) 05:10:36.21ID:ln5GsNhN本能寺も事前に情報が入りますし、実は光秀が仕損じ女忍者が信長を討ちます。
ついでに汚い仕事は官兵衛様には似合わないと言い出し元春も家久も女忍者が毒殺します。
0179人間七七四年
2011/06/09(木) 13:34:33.59ID:9OrIISDbまあ、四国・九州征伐はナレーション説明程度でほぼスルーだろうね。
合戦場面は金がかかるし、やるとしても手紙書いて調略するシーンくらいか。
0180人間七七四年
2011/06/09(木) 21:40:14.24ID:86yt5vET地元民としてはかなり違和感ある。
熊本の加藤清正人気みたいなのを想像してるなら、全然違う。
輝政はお城の付録みたいなもん。
地元でも「城をつくった人」として名前を知っている程度で、
人気あるとかではない。
うちの兄は「池田まさてる」(誰なのだよ、それは)とか平気でいう。
池田家は姫路にいたの短いし、地元の殿さまという感じはうすい。
姫路は池田の後も徳川譜代が交代して存在感ないので、
あえていうなら、本田のときに城に住んでた千姫が一番の有名人。
官兵衛関連のイベントは、中心になる団体ができたみたいで、
ここ数年増えてる感じはする。
0181人間七七四年
2011/06/10(金) 06:28:06.09ID:cHZvvu3R黒田家の中で忍者役っぽいのは吉田長利と毛屋武久かな。
二十四騎役の出番を削るのもかわいそうだしな。
0182人間七七四年
2011/06/10(金) 06:39:24.86ID:2oe442zKそれでも、あの宣伝効果の高い天守を作ったのは結局誰だ、
という点で輝政が一歩抜きん出てると思う
0183人間七七四年
2011/06/10(金) 08:59:30.45ID:XwUCVmcO0185人間七七四年
2011/06/10(金) 21:39:25.85ID:L6/hVb42姫路のゆるきゃら「しろまる姫」もまんま城だし
官兵衛、これは隙をついて輝政から姫路城を奪い返すチャンス!!!
半兵衛先生に手伝ってもらおうぜ
0186人間七七四年
2011/06/10(金) 23:04:29.20ID:WDIXhhAI福岡に暮らしたのもほんの数年でただの隠居だからか福岡の殿様といえば息子の方だし、
中津も別の家が入ったりしてるからいまいちぴんとこないしなあ
0187人間七七四年
2011/06/11(土) 00:51:16.55ID:Z6bhiXosふろくて、お前…
地味な「池田まさてる」にも、小牧・長久手顔面蹴りとか、背が低いとか!
「お前の槍は下の槍」とか、「親父の首級はこんだけか」とか!
命の恩人逆恨みで冷遇とか、いい話あるのに!
まあ、家康の婿になったのがすべてっていうか
>>186
逆に考えるんだ!
むしろご当地が3つもあるんだ、とw
姫路も中津も福岡も、それなりに如水の知名度あるみたいだし
0188人間七七四年
2011/06/11(土) 19:40:12.05ID:+wbglrd2池田と同じように他所から来て、短期間しか治めなかったのに
人気が高い加藤清正の方が、むしろ例外なんだろうな。
熊本城も名城だけど、清正自身の人気に負うところが多い。
0189人間七七四年
2011/06/11(土) 20:14:28.26ID:FZVg432eたしか本人はずっと伏見だが。
0190人間七七四年
2011/06/12(日) 14:06:24.90ID:biGXM7Xa0191人間七七四年
2011/06/13(月) 09:16:40.78ID:QhWMVYdt池田家の事をググってきたけど
養徳院とか天久院とかも凄いな。
浅井三姉妹より池田の女たちの方が歴史動かしていて
大河向きなんじゃないかと思った。
0192人間七七四年
2011/06/13(月) 13:29:28.77ID:Io28IFU+誰が天下を取るかという問いに、秀吉が黒田孝高だと言ったのは、本当?
本能寺の変で当惑する秀吉に、天下を取るチャンスだと進言したのが、
凄いのかな。
0194人間七七四年
2011/06/18(土) 00:33:37.53ID:DKC4hbae「秀吉が恐れた云々」は名将言行録あたりが出典
有名な「お前の左手」も後世の創作
中国大返しでは殿軍務めたり毛利から旗借りたり活躍したのは事実
「御運〜」の話は黒田家譜にはない
関ヶ原前後の如水の九州席巻があまりに鮮やかだったので
波及効果で、江戸期以降、その手の逸話が多く創作された
そういう逸話ができるほど、華があったというか人気があったというか
0196人間七七四年
2011/06/18(土) 11:58:03.94ID:T07MysdJ【学習歴の記録】
美幌幼稚園 卒園 美幌小学校 卒業 美幌中学校 卒業 美幌高校 卒業
※高校は途中転入で、しかも不登校でした!
順天堂大学 体育学部 健康教育学専攻 卒 業 ※ガンガン勉強しました!
青山学院大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!
東洋大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!
立教大学・大学院 文学研究科:博士課程(前期) 教育学専攻 修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!
カリフォルニア神学大学院日本校 博士課程 キリスト教神学 修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!
米ニューポート大学大学院 博士課程 教育学専攻 修 了 ※論文執筆に燃えました!-----------------
資 格
1973年03月19日 中学校教諭1級(千葉県教委 昭47中1普 第501号),高等学校教諭2級(昭47高2普 第427号) 教員免許状(保健体育)取得
1973年04月26日 衛生管理者免許状(第61号) 取得
1978年03月31日 養護学校教諭1級(東京都教育委員会 昭53養学1普 第132号) 教員免許状取得
1994年02月26日 『米セント・チャールズ大学(カリフォルニア神学大学院日本校:提携校)』より 『博士(宗教学)(Ph.D.)』 の学位を取得
0197人間七七四年
2011/06/18(土) 20:22:28.98ID:cxdIIM0L時期は、内通の条件だった毛利の所領安堵が家康に反故にされ、
吉川が死にそうな思いで交渉に奔走している頃。
おそらく広家からきた手紙に対する返事で、
「思い通りに行かなくて大変な状況のようだけど、長政や福島正則と
密に連携して交渉するのが重要だよ。頑張れ!」
と、励まして助言している前半はいい。問題はそのあと
「ところで、美濃表の戦い(関ヶ原)があっという間に終わって、残念!
長引いたら中国地方に攻め入って、毛利さんの領地を散々に切り取って
やろうと計画してたのに!!」
如水、毛利一門の吉川にそんなこと素直に書いていいのか?w
「吉川広家、苦笑い」の手紙。
0198人間七七四年
2011/06/18(土) 21:18:09.18ID:dt1xPj6o0199人間七七四年
2011/06/18(土) 23:44:56.74ID:tEswoD8v0200人間七七四年
2011/06/19(日) 10:49:16.83ID:K3hcFqK2関ヶ原前夜で京の屋敷から(人質を欲しがる三成の手を逃れて)脱出するときに
桶の中だかに潜んで脱出したってのは・・・・
0202人間七七四年
2011/06/19(日) 15:43:05.49ID:/bC2LNr4毛利は九州片づけてから東進して攻めるつもりだった
挙兵当初に「広島城、落としてやるよ!」と家臣集めて言ってる
0203人間七七四年
2011/06/20(月) 12:04:11.25ID:5Hzs4vxx奥さん主体の逸話ではあるけど、大坂脱出は如水長政の意向だし
脱出方法考えたのも栗山か母里だろうし
0204人間七七四年
2011/06/20(月) 12:17:57.71ID:ddXIB030関ヶ原関連の吉川広家はもっと黒田父子に怒ってもいい
広家は内通を取次いだ長政をグーで殴っても許されるレベル
こんな手紙だしてくる如水はパーで頭たたいてもいいよw
0205人間七七四年
2011/06/20(月) 23:03:55.94ID:f0msEduk黒田家譜やその他の文献でも、茫然自失とする秀吉に
孝高は「明智を討って天下をおとりなさい」と言ったと明記されて
おり、史実の可能性が高いとされている。
>>194にあるように「ご運が開けましたな」や「祝着に存じます」は
信頼性が低い文献にしかでてこないが、すべて後世の創作というわけではない。
0206人間七七四年
2011/06/21(火) 23:42:50.66ID:GGyGMxagうまく引き継げなかった
長政の代で蜂須賀、細川、藤堂と非常に険悪になり
次の忠之が仲の良かった鍋島とも大喧嘩してとどめを刺した
もったいない
0207人間七七四年
2011/06/22(水) 01:27:01.76ID:2rbMYGNJというか、長政は長政の人脈を築いているので問題ない。
忠之は……
0208人間七七四年
2011/06/22(水) 01:43:10.16ID:n2VHB6yO福島正則とか失脚した本田正純あたりしか思い浮かばん
0209人間七七四年
2011/06/22(水) 02:26:14.09ID:2rbMYGNJ0210人間七七四年
2011/06/22(水) 10:50:00.50ID:fmNfhRMY0211人間七七四年
2011/06/22(水) 12:19:08.40ID:fpXHFcF90212人間七七四年
2011/06/22(水) 21:00:54.89ID:KHP4u6M7藤堂や細川、蜂須賀は秀忠〜家光の時代に将軍家や幕閣と血縁関係が
あったり、お気に入りになった外様大藩のうえ、そこらへんで
一種の社交サークルを形成してるので、仲が悪いとかなり損する
この時代の外様の幕閣・将軍家への外交・情報戦を扱った『江戸の宮廷政治』
では、細川忠興・忠利>>(越えられない壁)>>黒田長政という評価で、
上手く立ちまわった細川が、九州の外様のなかで重用されるようになり、
幕閣の権力者である本多から土井へ乗り換えが遅れた黒田との差がついた
0213人間七七四年
2011/06/23(木) 00:51:53.35ID:rlbW07Mb自分で黒田家史料に目を通してみるといいよ
0214人間七七四年
2011/06/23(木) 01:29:37.01ID:LFxexzxr本当に目を通したことあります?
黒田家はその手の史料がそもそも残ってないでしょうに
細川家は具体的なやりとりがわかる手紙や史料が大量に残ってたから
研究できたわけで、黒田家は藩の文書史料が大部分失われたので
極めて少ないんですよ
だから細川他の史料から伺うしかないわけで
0215人間七七四年
2011/06/23(木) 01:39:52.43ID:rlbW07Mbあの著作が偏ってるだけと言いたいだけ
(九州大名で細川と並ぶくらいに信頼されてた鍋島無視してるしな)
アレはあくまで政敵である細川家の視点から見た黒田でしかないし、
そもそも藤堂とは長政晩年に仲直りしてるぞ
0216人間七七四年
2011/06/23(木) 01:44:27.06ID:LFxexzxr0217人間七七四年
2011/06/23(木) 01:56:14.50ID:LFxexzxrそもそも残された史料があるかどうかというのは別の問題でしょう
あの本は、日本史の研究書としては正統派のとても水準の高い本ですよ
著者が細川家贔屓なのは否定しませんけどね
0218人間七七四年
2011/06/23(木) 22:28:37.60ID:8+dNZHoQ茶や歌の文化的素養・社交スキルは
突撃大名の長政にはない
治世の殿中遊泳には向いてないわな
0219人間七七四年
2011/06/24(金) 12:09:20.49ID:oqGjL2x6池田とは良好だけど、あそこは徳川一門みたいなもんだし
時代に合わせたといえばそうだけど、どうも忠之が人付き合いが苦手そうなので
晩年後継ぎ向けにカスタマイズした人脈を作ってたんじゃないかって気もしてしまうw
0220人間七七四年
2011/06/24(金) 19:02:26.67ID:x1IwWKDV加藤(嘉明)とか浅野とはどうかな
0221人間七七四年
2011/06/24(金) 21:57:33.69ID:IXG6uR+G後継ぎがボンクラだったら、有力な外様との人脈を切るという
理屈がわからん
むしろ息子が足引っ張られないように、穏便につきあうのでは?
0222人間七七四年
2011/06/25(土) 01:05:22.58ID:ETT4yToXあれは完全に「細川本」で細川の派閥と、細川が敵視してた黒田の事しか書いてないから
あれ一冊でわかった気になると危険、なんだと思う
黒田は全然別の派閥に属してるのに、あの本だとめちゃくちゃアウェーw
0223人間七七四年
2011/06/26(日) 14:03:17.34ID:8ARmyXIGだからな、別の派閥とやらをつくってたという根拠や史料は何なの?
それがちゃんとコネクションとして機能してたのか、と
それを示してくれないと
0224人間七七四年
2011/06/26(日) 14:37:29.39ID:8ARmyXIG=派閥があったとか、適当に主張するのは勘弁して下さいよ
0225人間七七四年
2011/06/26(日) 15:54:58.49ID:zERjhYpM鍋島と普請工事の手伝いをお互いにやっていたとか、
立花や小堀から譲り受けた家臣がそのまま重臣になったとかじゃ駄目なの?
0226人間七七四年
2011/06/26(日) 19:23:27.34ID:SjLezxaJ派閥さえ見えないくらい「黒田の史料が少ない」なんてジョークか釣りとしか…
0227人間七七四年
2011/06/27(月) 00:38:42.38ID:W5W/8w5i家老の三奈木黒田文書とか吉田文書とか残ってるしな
0228人間七七四年
2011/06/27(月) 11:04:13.82ID:GZoHuxFMポイントがずれていて、議論がイマイチかみ合ってない気がする。
「派閥」と一言で言うけれど、@他の大名家と交際があることと、
Aそれが政治上の有効なコネクションだったか、というのは分けて
考える必要があるんじゃないかと思う。
@は当たり前だけど、濃淡はあっても、どの大名家にもある。
問題はAで、じゃあコネクションが実際に効果をもったか、というと、
豊臣恩顧で東軍に属した大名の間で、長政〜忠之の代に差がついていて
・この期間に細川は完全に筑前黒田に対する抑えとして、
幕府から優遇されるようになったのは事実で、
最終的に肥後への大幅加増のうえでの移封という結果になる。
・藤堂・山内は松平姓の授与も外様の中で早く、特別扱い。
・似たような立場にあった蜂須賀(しかも家政は西軍)は、
大坂の陣への参加許可→戦後加増と、明らかに優遇されている。
これに比べると、黒田家はやっぱり守勢というか、正直いろいろ長政が
幕閣に画策したり、天守閣壊したりしてすり寄ってるわりに、
イマイチ成果が上がってない。
じゃあ、何で他の大名は上手くやれたのか、どういう経路ややり方で
幕府や将軍家への関係をこなしてたのか、という疑問がでてくるわけで、
細川家はかなりうまくやったし、それが史料として残ってるという
話(で、いいんだよね?)。
だから、黒田家のそういう情報戦やコネづくりの実態がわかる史料が
あれば比較できて面白いと思うんだけど。
>>227
普通、大名本人のほかに、江戸留守居役が主にこの手の交渉担当に
なるんだけど、そのなかに史料残ってる?
というか、黒田家でこの手の仕事を担当してたのは誰だったの?
0229人間七七四年
2011/06/27(月) 12:33:25.30ID:2EDCkQuJ結婚したのが直孝が藩主になる前か後かは知らないけど、蜂須賀に先見の明があったのは間違いない。
0230人間七七四年
2011/06/27(月) 15:42:38.23ID:xSO/8q0Gこれ以上は孝高スレでする話ではないかもしれないが、
そもそも、あんな事件を起こしながらほぼお咎めなしという結果なんだから、
それなりに優遇されてたと思うんだけども、
忠之はその後いち早く長崎警備役を勝ち取っているのだから(鍋島より先だし細川も色気出してる)、
世間のイメージほど無能ではないと思うんだよ
ちなみに長政時代の外交役は不明というか多分本人だと思う
忠之時代は多分黒田美作と斎藤甚右衛門あたり?
そもそも、黒田の幕府へのパイプがかなりのとこ長政の後妻(忠之母)なので、
黒田家生き残りに蜂須賀家との絶縁は必須だったんだよね…
細川だって、外様筆頭の前田家と絶縁してるしな
0231人間七七四年
2011/06/27(月) 21:45:42.40ID:5PnDNsS4文書名だけ挙げてもらっても何も言ってないのと同じですよ
重要なのは、その中に該当する史料が残ってるかどうかであって、
それが現存してるかどうかってこと
幕閣や大名間の外交を考察するのって、大名本人やその他のキーパーソン
がかなりの量のまとまった記録なり手紙なりを残してないと、
まず実態がわからないわけ
で、「黒田家にその手の史料ありますか?」って何度も聞いてるのは、
残ってる細川や毛利の方が少数派だからです
加えて、黒田家は江戸前期の史料が元々少ないんです
だから、具体的な史料(手紙とかやり取りとか記録)を挙げてくださいと
言ってるわけ
黒田家文書でも三奈木黒田文書でも吉田文書でも何でもいいから
0232人間七七四年
2011/06/27(月) 22:17:30.69ID:+VirXYL2ただ、その脱出劇で本人はめちゃくちゃ痛いだのこんなんなら殺してくれだの
文句いいまくっていたという逸話だった希ガス
0233人間七七四年
2011/06/28(火) 00:33:49.53ID:/6f6qAOX三成が小悪党で、官兵衛が秀吉に直言する天下一の軍師殿という
ファンにはおいしい設定w
江や秀忠の登場するシーンを早送りして見れば、そこそこ面白いよ。
>>230
ちょっと待て。美作の三奈木黒田は国家老トップの家ではないかい?
どうやって幕府や諸藩と外交するんだ、国元にいるのに。
0234人間七七四年
2011/06/28(火) 01:03:18.41ID:vMcsR2WB秀吉の軍師としては黒官と双璧をなす小早川隆景は出てない アワレ
0235人間七七四年
2011/06/28(火) 01:05:44.61ID:GgshG4gmいや、国元にいたり江戸にいたりするんですよ、黒田一成w
つまり、黒田騒動前後くらいまではそのあたりの役割分担がかなり曖昧のようです
0236人間七七四年
2011/06/28(火) 01:22:06.02ID:ebKvoEuo0237人間七七四年
2011/06/28(火) 20:35:57.34ID:BujzkUye黒田騒動のとき「ひらがなも読めない」って自分で言ってた人だっけ<一成
こんなのに江戸で外交させて大丈夫なのか、黒田…
というか、ここんちは栗山以外は脳筋しかいないのか…
0238人間七七四年
2011/06/28(火) 23:12:38.06ID:XZvy4rje平仮名読めない云々はもちろん教養を鼻にかけた大膳への嫌みですw
黒田長政記を記したのは彼と言われてますし、基本的何でもできる人間です。
彼は忠之が放置していた三代光之を幕閣や忠之母に働きかけて認知させたりもしてます。
0240人間七七四年
2011/06/29(水) 16:46:46.09ID:ohlRMA1Z福岡の重臣連中で一番教養があるのはたぶん大膳で
それはたぶん本人たちの間では、具体的にどれくらい差があるかまで周知のことだろうに
そこで面と向かって「この文盲」と言ってしまうのが
まさに栗山大膳
0241人間七七四年
2011/06/29(水) 17:03:19.06ID:QxPunKDa家譜だと、扱いが酷いと文句言ったのは奥方付の女中で、
奥方の発言は特にないんだよね。
武士の妻だし、非常時には既に覚悟完了してるだろうし
こんなもんだろうなあとは思う。
0242人間七七四年
2011/06/29(水) 22:44:58.62ID:V5EbdCnsそれで正しい
黒田美作は、忠之の時代は、筑前在国の家老職で、江戸詰めの留守居役
でも江戸家老でもない(のちに三奈木黒田は国家老の上の大老を世襲)
>>230、238
国家老と江戸詰では基本的な職掌が異なる
黒田騒動の際は、筑前在国の忠之に江戸へ呼び出しがかかったので
危急の際に、他の家老とともに重臣として随行したのであって、
美作が黒田家の幕府・諸大名の外交を担当したわけではない
0243人間七七四年
2011/06/29(水) 23:26:36.75ID:Sw6kg4hL播磨中心に100万石ぐらいもらってもいいくらい活躍したのだが・・・
九州に置かれたのは唐入りのためだったのだろうか
0244人間七七四年
2011/06/29(水) 23:45:18.63ID:6gfUs8CW0245人間七七四年
2011/06/29(水) 23:52:33.14ID:V5EbdCns0246人間七七四年
2011/06/30(木) 00:03:01.72ID:Mcry97v50247人間七七四年
2011/06/30(木) 10:48:16.77ID:Oo+Spp/9数万の軍勢で上洛、大坂占領してくださいと言っているのと同義だぞw
0248人間七七四年
2011/06/30(木) 21:54:49.67ID:g/5t1Bqs大坂のある摂津に隣接する播磨は要地なので、そんな大大名はあったとしても
移封されちゃうよ。
もっとも、孝高の拝領した豊前中津12万2000石は冷遇でもなんでもなく、
太閤検地じゃなく差出なので、実高は18〜23万石程度あったと推定されてるし、
もちろん唐入りをにらんでの配置なんだけど、豊前は九州と中国をつなぐ要地で
毛利の九州方面への抑えだから、孝高に対する秀吉の信頼は高かったと見た方が
当たってる。
ただ、それはそれとして、孝高自身の願望としては「播磨あたりに100万石」は、
あながち釣りでも、間違いでもないという気もする。
関ヶ原のとき、「東軍が勝ったら、長政には宇喜多の領地を、
私は自分で九州〜中国を切り取るから、息子とは別に所領を与えてくれ」
と、かなり思い切った要求をだして徳川方と交渉しているので、
親子あわせて100万石程度は狙ってた可能性は大。
播磨は不可能でも、上方に近い中国筋で、黒田家が国持ち大名になりたい
という願望はかなりあった。
0249人間七七四年
2011/06/30(木) 22:05:19.92ID:BL0zeHzgえっ?! そうだったんですか・・・ 西軍副将宇喜多秀家の領地を要求してたんですか・・・
そういえば黒田家は備前出身という噂もありますね・・・・
0250人間七七四年
2011/07/01(金) 06:15:25.19ID:RneUqVDP実際は水軍力と兵力で劣るから無理だろうけど如水ならやりかねないと言う意味ではケレン味あるよね。
小早川秀秋が関ヶ原で東軍化したから一気に筑前を通過して
鍋島を服属させて柳川攻めができたわけで
関ヶ原で東軍勝利の情報が来てなかったら
門司や小倉など豊前北部をすでに輝元が占拠してたから
寡兵の如水が勝てたかどうか微妙だよな。
清正は小西領攻めを始めたばかりだし
0251人間七七四年
2011/07/01(金) 06:24:10.32ID:Cn7gM+Qg0252人間七七四年
2011/07/01(金) 21:15:53.31ID:ruoi7RJQ黒田を小間使いって呼んでもいいよ!
ボンクラ勝茂が病気で上杉征伐の出立が遅れ、途中で西軍参加しちゃって
直茂、顔面蒼白だったよね!
西軍負けたら、徳川へジャンピング土下座で、そのとき如水にも長政にも
東軍への仲介を頼んでとりなしてもらったけど、そんなことは忘れたよね!
家康に「九州の西軍掃討してこいよ」で許してもらってけど、
その時、徳川から如水と清正が鍋島の監視役につけられて、
ふたりにあごで使われて、立花攻めただけだよね!
だから従ってないんだ!ということか?
煽るのって意外に難しいなw
0253人間七七四年
2011/07/02(土) 13:04:27.85ID:DskiZQ4l最後の一行で冷静ぶりたいなら、もう一歩冷静になって恥を知ってほしい
0256人間七七四年
2011/07/02(土) 21:56:54.60ID:Wx2sJ4+Pつうか勝永軍は伏見城攻めで大損害を受けた為に
勝永領は自力防衛能力なしと判定され
輝元の派兵軍によってすでに占拠されてたし。
0258人間七七四年
2011/07/04(月) 09:36:56.22ID:ujnOt51o鍋島こそ早くから徳川の小間使い希望だったのに、
失敗してアイタタタだったんだから、
偉そうに黒田や加藤を小間使いって呼べるのってことでは?
鉄板で東軍だった鍋島が、不本意ながら西軍になって寝返り組扱い、
逆に、東軍の名目を借りて独自行動していた黒田(父)と加藤を
軍目付につけられるという皮肉な展開になったわけだから。
0259人間七七四年
2011/07/04(月) 20:59:35.61ID:jdtsJfy+伊勢で米を買い占めて東軍にプレゼントしたとか
関ヶ原へ行く道中で離脱したから関ヶ原参加してないとか
どこまで事実かわからんし
清正は鍋島を敵認識してるし。
どうせ関ヶ原での敗北を知った直茂が如水にジャンピング土下座したんだろ
0260人間七七四年
2011/07/04(月) 21:03:28.53ID:fU/aIRPn北九州にも派兵してるんだ<毛利
どう考えても、毛利は西国に兵力ばらまき過ぎ
伊予は村上水軍、豊後・豊前は大友派遣で間にあわせたとして
(でも、どっちも負けて占領できなかったから意味がない)
蜂須賀の阿波占領や北九州の抑えに毛利の兵力割いて
畿内に肝心な時に手持ちの兵力が足りなくなったり何してるの
東軍の西上スピードが予想以上に速かったにしても、
もともとの西国占領計画が、兵力の展開的にも勝算の点でも
甘すぎたとしか思えない
0261人間七七四年
2011/07/04(月) 21:22:34.81ID:fU/aIRPn東軍への米献上と伊勢路で息子がうろうろは史実だと思うの
あと清正は鍋島とは唐入りで一緒の縁があって仲はよかったのでは
ただ、よく「鍋島は米(東軍)と息子(西軍)に分けて、どっちが勝っても
いいように賢く保険かけた」と言われるけど、実態は、西軍に巻き込まれて
想定外→何とか善後策で米集めて凌いだだけで、むしろ東軍で関ヶ原参加の
絶好の機会を逸した大失敗に近かったとは思う
普通に息子が東軍に参加してれば、大幅加増も夢ではなかったし
0262人間七七四年
2011/07/05(火) 01:23:51.14ID:uey/7k09清正「いいじゃん形式だけ攻囲して、速攻で降伏交渉でいけ」
如水「最初から戦いもしないで交渉なんて、ご冗談でしょ、鍋島さん
ガ チ で戦って、できれば立花殺ってこい」
清正は宗茂と親しかったし、如水は東軍に寝返った鍋島の立場の方を
重視した(目に見える形で戦果を徳川にアピールする必要がある)とも
言えるけど、交渉で城を落とすのが常の如水にしては珍しい
0263人間七七四年
2011/07/05(火) 07:33:51.57ID:INU28oEsなんで一緒になって攻撃している事になってんだ
0264人間七七四年
2011/07/05(火) 14:31:34.87ID:wXtr3EJc関ヶ原に間に合わなかっただけの話でしょ
それを西軍から離脱したと言い訳に利用しただけ
0266人間七七四年
2011/07/05(火) 21:38:19.60ID:INU28oEs0267人間七七四年
2011/07/06(水) 22:06:29.25ID:w97zWVcR関ヶ原があっという間に終わってむしゃくしゃしてたんだろW
水田に着陣したときは立花への降伏勧告で合意してるし
0268人間七七四年
2011/07/11(月) 16:27:36.32ID:a+iSm9do0269人間七七四年
2011/07/11(月) 17:38:52.13ID:htMmr9KBどのような関わりがある人なのかな?
0270人間七七四年
2011/07/12(火) 11:15:14.27ID:+sAp/Z/h宗茂は唐入りの英雄とか西国無双とか不敗の名将とかで評価が高いんで一戦やってみたかったとかな
あとは順天倭城の放棄案に守将行長と一緒に反対してたからガチの行長派だと思われていたとか
0271人間七七四年
2011/07/12(火) 15:22:30.91ID:1pLOhzIs片足が不自由になったんだったか でもほんとうかな
ほんとは荒木軍に参加してたんじゃないのかな
0272人間七七四年
2011/07/13(水) 19:09:14.34ID:9v16sCz70273人間七七四年
2011/07/14(木) 02:32:04.58ID:mDSd/orQ立花とはもともと関係が希薄だし、そもそも戦う主力は鍋島で
黒田は自軍を温存
3万の兵力あるのに、ちょっとは戦って見せないとまずいと
鍋島の体面を優先させたんでは
0274人間七七四年
2011/07/14(木) 04:00:10.05ID:cVJFN+QFうちらに恭順しないと痛い目にあうぞという脅迫
秀包も鍋島勝茂の1万と一緒に包囲してようやく降伏したばっかで
南の小西や島津もいつ暴れだすとも限らない状況だし
0275人間七七四年
2011/07/14(木) 20:51:15.41ID:euNkZ2sc東軍に留守を攻囲されたら潔く戦って死ね、
ただし、城を囲んだ軍の中に黒田孝高がいれば
あの人は無益に人を殺すことを好まない人だから、降伏しろと命じていた
0276人間七七四年
2011/07/15(金) 15:16:45.69ID:P/Yl3HFkそれって事実なの?
0277人間七七四年
2011/07/15(金) 19:16:04.98ID:Oqd7TkDA留守に虚を突かれた場合は〜とか書いてた方が良かっただろ
0278人間七七四年
2011/07/15(金) 22:19:49.16ID:m+dmSBPpまあシメオンさんなら無茶はしないだろうという信頼があって、
実際、久留米城は無血で降伏・開城した
0279人間七七四年
2011/07/15(金) 23:09:31.48ID:P/Yl3HFk0280人間七七四年
2011/07/15(金) 23:38:56.42ID:m+dmSBPp0281人間七七四年
2011/07/16(土) 13:50:37.24ID:4ZPEvPM2キリシタンになった、とフロイスの日本史に書いてある
秀包はマセンシアとの結婚前に、すでに山口の教会
(別説では中津で黒田直之や長政と同時期)で洗礼を受けてる
0282人間七七四年
2011/07/16(土) 21:39:09.53ID:KYKKdG2d和平交渉期に晋州城の第二次攻略案が出たのは
一番隊に加わっている黒田の意向にもよるものだろうか?
福岡城は晋州城を参考にして造られたというし
黒田にとって縁は浅くないようだが
0283人間七七四年
2011/07/17(日) 13:27:46.51ID:p2jWOuTF0284人間七七四年
2011/07/17(日) 21:26:40.11ID:02wkpJQe0285人間七七四年
2011/07/19(火) 20:30:00.95ID:6lqPnzWW姫路城と晋州城の要衝としての共通点て何?
0286人間七七四年
2011/07/19(火) 22:59:33.56ID:V6UdlF97晋州城もその内の一つだろう
0287人間七七四年
2011/07/19(火) 23:22:27.07ID:X1sFRS6J0288人間七七四年
2011/07/19(火) 23:57:57.29ID:V6UdlF970289人間七七四年
2011/07/20(水) 00:10:16.70ID:pViT3vMU0290人間七七四年
2011/07/20(水) 00:18:01.32ID:fbtr9cza0291人間七七四年
2011/07/20(水) 21:08:47.81ID:Ja7BbK1N第2次晋州城攻撃は、秀吉自身の意向だったはず
別に長政の提案ではない
第1次攻略が大失敗だったので、威信をかけて大軍で攻めた
0292人間七七四年
2011/07/21(木) 21:03:16.24ID:Xc++qvEC渡鮮していない秀吉が晋州城再攻撃を厳命したということは
有力武将の中の誰かが重要性を教唆したんだろうなと
0293人間七七四年
2011/07/22(金) 06:44:25.41ID:o7HFg5bL→2度目はオールスター戦→勝利
0294人間七七四年
2011/07/24(日) 21:53:22.80ID:R3j9nR0f和平交渉中なのに秀吉が晋州城だけは容赦しなかったのは、
1回目(長谷川・細川)が総軍退却に近い惨敗だったから
0295人間七七四年
2011/07/25(月) 02:06:19.11ID:lghD0AGi0296人間七七四年
2011/07/29(金) 00:21:32.66ID:gM83MNFp官兵衛の兜の実物があった。
えーっ!?
なぜ、ここにある!?
正直、パニクりました。
盛岡市民で知ってる人どれだけいるんでしょ?
っつうか、目玉展示品だろJK。
もっとPRしろよ、盛岡市!!
0298人間七七四年
2011/07/29(金) 02:46:33.18ID:nKNtZ4+k孝高が死ぬときに形見分けとして重臣栗山利安に譲ったのです
それから、20年くらいして、孝高孫の忠之と利安息子の利章(大膳)が対立して
御家騒動が起こりました(いわゆる黒田騒動です)
彼はこの家宝の合子兜を持ったまま南部に流されたのです
0299人間七七四年
2011/07/29(金) 18:37:51.07ID:vblR4ocT0300人間七七四年
2011/08/24(水) 23:26:40.86ID:fcMlcP0bhttp://harima.areablog.jp/blog/1000006961/p10475636c.html
官兵衛ゆかりの飲み物とかは無いのか
0301人間七七四年
2011/10/06(木) 02:26:22.09ID:yomP1qzs趣味としては、むしろ連歌に晩年までかなり本気で熱中してる
地は文学少年のままというか
0302人間七七四年
2011/10/06(木) 17:15:32.17ID:9pcG+zWE0303人間七七四年
2011/10/19(水) 22:21:51.49ID:BVnRTZmR人脈をつくってる部分もある。茶道も同じ。
お茶より歌を作る方が好きだったんじゃないかな
0304人間七七四年
2011/10/20(木) 00:09:36.93ID:psLXvKyL貴族に茶道が定着しなかったのも
金銭的な理由があるかも知れない
0305人間七七四年
2011/10/21(金) 21:36:22.67ID:lGjBBHpz何を言ってるんだ?茶の湯は本来公家の間で広まったものだぞ?
0306人間七七四年
2011/11/08(火) 01:15:26.99ID:PLxedWNF趣味をつうじた交際範囲の広いひとだと改めて思った
0307人間七七四年
2011/11/10(木) 21:09:43.10ID:IPgoKqE/主君以外は
0308人間七七四年
2011/11/12(土) 14:53:58.63ID:sjxIvPlv0309人間七七四年
2011/11/14(月) 22:36:37.64ID:4Ok7aC6p0310人間七七四年
2011/11/15(火) 20:37:31.09ID:7Y9MKga9大ウソでも載せるのが逸話だと思うんだけど
0311人間七七四年
2011/11/21(月) 22:35:40.20ID:BpLhL/6tこの遺言は、すごくかっこいいことを言ってるので
自分で原文調べてみれ
0312人間七七四年
2011/11/25(金) 15:10:56.22ID:gc4RCA+Nうむ
0313人間七七四年
2011/11/26(土) 01:39:35.54ID:9H7omMNS毛利一門の吉川や小早川と、のちに親交してるのも
よく考えると何気にすごいね
0314人間七七四年
2011/11/26(土) 08:02:37.72ID:5dzNN47t0315人間七七四年
2011/11/26(土) 12:28:28.90ID:++T9jewl戦国人はおおむねそんな感じでしょ。
0316人間七七四年
2011/11/26(土) 12:38:30.88ID:3V7a8qek史実じゃねーぞ
0317人間七七四年
2011/11/26(土) 14:32:23.68ID:RucQ6cii史実性は高いわけで
黒田家譜の話は、他の逸話集や軍記物に比較すれば
まだ史実に近いと判断できるってこと
0318人間七七四年
2011/11/26(土) 15:54:01.45ID:Ka8nannU半農半武士みたいな連中の気がする みんな出世してから実は源氏って
言い出すんだよね しかも怪しい家系図とか出してもあとでおかしいぞって
ことになり、大きく書きなおすハメになったりする
0319人間七七四年
2011/11/27(日) 02:10:03.29ID:MCZ0oMS10320人間七七四年
2011/11/28(月) 22:15:42.29ID:oKFRni+n0321人間七七四年
2011/11/29(火) 02:40:49.86ID:O8X/UUeE0322人間七七四年
2011/11/29(火) 21:39:23.03ID:tNndzS35というか黒田家は、名門でもなんでもなく正真正銘土豪だし
いや別に貶してるんじゃなくて、むしろ乱世ってかんじて好きなんだけど
小さな土豪上がりの出来星で、最終的に明治まで大大名で残った家って、
戦国でも意外に多くないじゃん
九州なら、黒田、鍋島あたりもそうだけど
0323人間七七四年
2011/12/01(木) 12:24:11.06ID:qxkHxhMD北条攻めでは孝高は旗本にいたけど北条に粘られて最後は孝高が降伏開城させた
こういうのも何となく有能さが見える
0324人間七七四年
2011/12/04(日) 14:56:03.42ID:0gb+I9xl豊臣秀吉の天下統一を支えた軍師、黒田官兵衛のルーツは兵庫県西脇市黒田庄町? 同市黒田庄町黒田の
荘厳寺(堀井隆海住職)に伝わる官兵衛ゆかりの系図への研究者らの関心が高まり、3日、同寺で
「黒田官兵衛研究懇話会」が開かれた。
定説では、官兵衛のルーツは滋賀県長浜市とされる。一方、江戸時代の「播磨鑑」などには出自を多可郡黒田村
(西脇市黒田庄町)とする記述もあり、荘厳寺に伝わる黒田城主・黒田家の系図(19世紀作成)にも官兵衛の名が
記されていた。
系図の奥書には、系図の筆者として「勝岡孔美」の名があったが、今年11月、姫路市のアマチュア歴史研究家、
鈴木幸治さん(63)の調査で、西脇市比延町の勝岡義明さん(68)の祖先であることが判明。勝岡家に伝わる系図に
「孔美」の名が見つかった。
懇話会で鈴木さんは「荘厳寺の系図を記した人物が実在したと分かったことは大きな成果」と主張。県立大
播磨学研究所の藤原龍雄事務局長(64)は「黒田庄がルーツという主張に説得力が増した」と評価した。
勝岡さんは「うちと官兵衛に血縁関係があるとは伝え聞いていた。真偽は分からないが、地域おこしに
つながってくれたらうれしい」と話した。(伊藤大介)
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004659364.shtml
0325人間七七四年
2011/12/06(火) 11:49:22.65ID:7A1vvcl9出来れば如水や長政が祖父の重隆由来とされる福岡の地名に拘った理由を
上手く説明してもらえればいいんだけど。
関係ないけど雑誌「一個人」12月号で随分と評価されてたな。
0326人間七七四年
2011/12/31(土) 02:33:38.12ID:3mK2IQCn去年、第2部見逃したからめちゃ嬉しい!
…九州でも映るのかな。引越したばかりでわからない。
0327人間七七四年
2011/12/31(土) 02:46:02.95ID:rwWMC8F07 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/02(日) 23:43:53 lltoEeA1
戦国疾風伝 二人の軍師・・・ラスト酷すぎ
8 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/02(日) 23:53:11 4sLgI08Y
>>7
まさか、あのまま浜辺で横に倒れて死ぬとわなw
9 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/03(月) 07:58:43 hcLEln7B
あんな死に方だっけ?と思ったけど
伏見で死んだんだったよな。
10 名前:人間七七四年 投稿日:2011/01/03(月) 09:11:51 x3kBEzGk
あのラストシーンを見たら
行き倒れ大名・伊東義祐の方連想したわ
0328人間七七四年
2011/12/31(土) 09:34:49.58ID:pYYBE7p2死に方のコマは意表をつかれるが
全体的に低予算で作ったとしてはいい出来だったんだがな
0329人間七七四年
2011/12/31(土) 10:43:29.01ID:3mK2IQCnお笑い好きなんで大丈夫です!
>>328
俳優のみなさんが良かった(とくに2兵衛)
つくづく2部が見れなかったのが悔やまれる…
0330人間七七四年
2011/12/31(土) 12:30:39.27ID:rwWMC8F0そのTVQの特別枠番組表見たが「二人の軍師」は予定にない
ttp://www.tvq.co.jp/newb/
ただテレ東の放送予定は1/13からなのと
TVQの発表している日時が1/12までなので
12日以後の予定が未発表もしくは日時や時間帯変えて
放送される可能性も無くはないが、可能性としては低い
他テレ東系列のBSジャパンも探って見たけど二人の軍師はヒットせなんだ
0331人間七七四年
2011/12/31(土) 12:57:51.89ID:3mK2IQCn自分まは初心者だからこれすら難しいんだけど、みんなはもっと難しいの読んでるの?くずし字読めない…
>>330
おお…ありがとう。
鹿児島だから北Qテレビすら映らないかも。DVD出してくれ!
初回特典に圧切りペーパーナイフとお椀つき帽子付けてくれたら、絶対買うのに…。
0332人間七七四年
2012/01/01(日) 11:22:28.76ID:xx8hWreZ実は荒木軍に加わって戦ってたんじゃないの?
足も信長軍の鉄砲で負傷したのかも知れない
0333人間七七四年
2012/01/01(日) 12:00:50.85ID:a95gEW7U小和田にしてはまぁデキは良いが
あの内容では2200円〜2500円が相場だな。
3000円は高すぎボリすぎ。
他者が如水本が出版したら
絶対に小和田より良い本が登場するのは
目に見えてるからな。
0334人間七七四年
2012/01/01(日) 18:48:15.35ID:V4mz1Yht実は前に買っちゃってたよ!先に相談すりゃ良かった!小和田先生って良く出てくるけどイマイチなのか…。
おすすめの本あったら教えてください!!
0335人間七七四年
2012/01/01(日) 18:55:09.55ID:a95gEW7Uまぁ悪くないよ。買って損したって事はないと思う。
そもそも如水本自体が珍しいし。
それに最近そのシリーズは3000円が多いから
ひそかに値上げでもしてるのかも知れんし。
他出版会社なら2000円〜2200円くらいで
内容が濃いのはけっこうあるからね。
0336人間七七四年
2012/01/01(日) 20:00:22.07ID:V4mz1Yhtありがとう。読み終っても鍋敷きとか色々使えるよぬ。
如水の本、近所の本屋2件ともほとんどないぉ
やっとあったのが小和田先生の本だった
大河でやったら本を一杯おいてくれるのにな。
0337人間七七四年
2012/01/05(木) 09:47:56.99ID:DDXcNiwv官兵衛大河でも何か関わる予定ってことかな?
0338人間七七四年
2012/01/05(木) 13:43:07.24ID:kM2lwsba黒田の大河は福岡や姫路で大河誘致活動をやってる方がおられるけど、地元での知名度とかはイマイチと聞いた。
ちなみに小和田氏は昔は第一人者だったけど、今は最新の研究についていけないとか言われてた
個人的にはよくわかんないぉ…。誘致活動の会には地元じゃないけど入りたいなぁ。
0339人間七七四年
2012/01/05(木) 14:13:53.50ID:mwuo5230なんかレスが皆火病ってそうなタイトルだな
0340人間七七四年
2012/01/05(木) 20:57:00.12ID:0DhZGrS8あるから、孝高主役の大河は、あっても2016年あたりと予想
その間に、1年もつドラマの原作になるような小説がでればいいのにね
去年が江で戦国・近畿、今年の大河の平清盛が京都・兵庫〜西国が舞台だから、
その後はしばらく東日本のターンじゃないかと
2012年:京都・兵庫(平安)→2013年:福島(明治)→2014年:信州(戦国)
→2015年:?(どこか戦国以外の時代)→2016年:シメオン様のターン!
0341人間七七四年
2012/01/05(木) 22:01:34.23ID:7zK7Rbr+なんかみんなにうったえるものがないといけない
0342人間七七四年
2012/01/05(木) 22:16:20.20ID:lUNjV7lu0343人間七七四年
2012/01/05(木) 22:27:16.44ID:ngC34+o+0344人間七七四年
2012/01/06(金) 08:54:00.38ID:RwwE0g36戦国時代のヒステリーな人を集めて、信長がお茶会を開く深夜番組
たまにADとゲストが殉職
>>341
「賢くてもうっかりしてると死にかける」
「(ある意味)死ぬまで夢を追いかける」
でもやっぱり>>342がインパクトあるよねぇ
実際本当にそう言ったのかわからないけど。
0345人間七七四年
2012/01/06(金) 22:25:22.84ID:8QqHhleOうまく人物像を表現してるのがすごい
さずがは金子堅太郎というかんじ
播磨灘物語は小説としてまとまりがなさすぎるのが難だと思う
祖父・父の話が長すぎ、和田や細川が無意味に出張りすぎ、
中国大返し以降は、関ヶ原までいきなりワープする急ぎよう
0346人間七七四年
2012/01/07(土) 00:04:53.94ID:7visiOeeそこを削って、関ヶ原の九州攻めの話に当てて欲しかったと思う。
ただ、祖父から遡って書かれることで、官兵衛がどういう背景で育ったのか、がわかった部分もあるなぁ。
個人的に播磨灘物語は、初心者向けだと思う。官兵衛の周辺の豪族の状況説明があるし、話の時系列が素直に過去→未来へ進行するから、初心者の自分はわかりやすかった。大河のベースとしてはよいと思う。
でもキャラクターとしては二流の人ベースがいいw
あと自分は手に入らなくて読めてないが、
「群雲賤ヶ岳」とか「風の如く水の如く」も評判よいみたいだ。この二つは原作にならないのかな?
0347人間七七四年
2012/01/07(土) 05:25:42.33ID:XdNpIQir概要 戦わずに勝ち、天下統一を… 稀代の名軍師、その知略と信念。
http://www.minervashobo.co.jp/search/new.html
0348人間七七四年
2012/01/07(土) 12:04:12.15ID:87K3AXuq>ここを削って、関ヶ原の九州攻めの話
豊後一国すら平定できなかった(垣見氏が屈服してない)のに書くほどの話も・・・
0349人間七七四年
2012/01/07(土) 12:39:04.44ID:7visiOee>>348
え!成果はしょぼかったのか!知らなかった。
でも、戦の準備金をこっそり2重にもらったヤツに「2倍働けよ☆」で許してしまう話を入れて欲しいぉ。
0350人間七七四年
2012/01/08(日) 01:24:52.67ID:Ik8dJ+VH関ヶ原が終わるのが早すぎただと思う
諸大名の本拠地が大勢が決まる前に
そう容易くポンポン落ちるもんじゃないし
0351人間七七四年
2012/01/08(日) 01:42:45.08ID:805IybLl初陣から英賀合戦までの事があまりにもスルーされがち。
0352人間七七四年
2012/01/08(日) 04:07:37.42ID:4/fIG5iF少なくとも姫路を中心に官兵衛は戦上手と認識されていたはずだしね
0353人間七七四年
2012/01/09(月) 21:43:48.20ID:sxHHgsrTうーん、豊前中津にほとんど兵力がない状態から、急ごしらえで募兵して、
いきなり短期間で豊前ほぼ切り取るなんて、ふつうできませんよw
周りすべて西軍なのに、そもそも打ってでること自体、考えつかない
この手腕はまぎれもなく天才というか、だから同時代人が驚いたわけで
0354人間七七四年
2012/01/09(月) 22:14:30.01ID:FS2QXotF東軍側の留守部隊は守備が主眼で官兵衛みたいに打って出るとこなかったもんなぁ
0355人間七七四年
2012/01/09(月) 22:27:21.44ID:v2ovdq5l家康は、黒田如水殿九州を席巻の報に触れて、慌てて島津と和議を結んだかも
0356人間七七四年
2012/01/09(月) 23:54:27.60ID:FS2QXotF豊後の地侍を糾合して東軍の留守部隊を叩けば豊後の失地回復は決して難事ではないのに
まさか黒田のご隠居が籠城せずに打って出たのと大友義統の不甲斐なさは予想外だったろう
0358人間七七四年
2012/01/10(火) 19:07:51.90ID:TXHwtZa9先に死んじゃったけど
0359人間七七四年
2012/01/10(火) 20:22:15.07ID:AT5fcVWb先に死んじゃったけど
0360人間七七四年
2012/01/10(火) 20:27:42.78ID:Q9JTUeSc先に死んじゃったけど
0361人間七七四年
2012/01/10(火) 22:55:12.20ID:5xHNn4QX先に死んじゃったけど
0362人間七七四年
2012/01/11(水) 00:18:30.13ID:BwLfrrWA(官兵衛が)先に死んじゃうけど
0363人間七七四年
2012/01/11(水) 01:55:52.02ID:B6xEIrgnって書くと行長イジメに見えるけど
0364人間七七四年
2012/01/11(水) 18:38:26.91ID:5l+Vj7je失脚しちゃったけど
0365人間七七四年
2012/01/11(水) 23:40:45.66ID:/uFl49H6失脚させられちゃったけど
先に死んじゃったから、ざまぁwだけど
0366人間七七四年
2012/01/12(木) 00:12:07.11ID:TRAs4qdE先に死んじゃったけど
0367人間七七四年
2012/01/12(木) 12:08:53.03ID:9vqNBfRv調略した連中を主君もろとも調略仕返されて
有岡城幽閉の元凶になったんだから
0368人間七七四年
2012/01/12(木) 14:28:23.93ID:9WgdGL9H0369人間七七四年
2012/01/12(木) 15:25:50.72ID:YGcwzINU毛利本家を西軍に引き込まれたり因縁は深い
0370人間七七四年
2012/01/13(金) 18:08:38.90ID:W2XMuiR0いない場合は弟の血統とか
0371人間七七四年
2012/01/13(金) 18:22:32.00ID:lFcj5sPzん? ぜんぜん調べてないけど山ほどいるんじゃね?
男系子孫もいるだろうし、女系でもいいとなると山ほどいるんじゃね?
0373人間七七四年
2012/01/14(土) 10:08:29.68ID:Cl+dLd4h豊前ほぼ・・・といったって、
当時の豊前は黒田家の18万石と毛利家(安芸毛利家とは別の毛利家)6万石の
大名2人しかいなかった
あ、孝高の時代は豊前6郡で12万2千石だったけど、長政の代で加増されてるからね
0374人間七七四年
2012/01/14(土) 10:12:57.34ID:Cl+dLd4hいや、大友義統は文禄の役で大失態やらかして
秀吉の不興を買って代々の名家を取り潰されたほどの人物だから想定内だろう。
0375人間七七四年
2012/01/14(土) 11:46:43.97ID:0SNBkO7+本拠地なら備えも堅くなるし
守兵も死守しようとするだろう
主君不在なら主君の親妻子を死なせたり
人質にされたりしないために尚のことで
如水としても急いて損耗や挟み撃ちなどは避けたかったはずだし
0376人間七七四年
2012/01/14(土) 15:00:53.31ID:B1SP5/HS男系はとっくに途絶えてる
(宗家も秋月分家も今は血の繋がらない養子だし)
女系ならいっぱいいるけど
0377370
2012/01/14(土) 17:37:25.13ID:E6Az2/G40378人間七七四年
2012/01/16(月) 02:57:02.98ID:rmi2QsI25巻まで書いてほしかった
0379人間七七四年
2012/01/17(火) 08:09:54.48ID:CguR5E/O祖父や父の話は必要だと思ったけど、もうちょっと短いほうがやっぱり良かったぉ。読んでて、ジジイはよい!早く官兵衛だしやかれ!と思った。
っていうか官兵衛と長政って仲イマイチだったの?
0380人間七七四年
2012/01/17(火) 12:23:12.20ID:0zFudbrS0381人間七七四年
2012/01/17(火) 12:54:12.61ID:tabJ7kaR連載誌が伸ばせっていったりはしょれって言ったりしてくるのかな
0382人間七七四年
2012/01/17(火) 23:24:47.24ID:DSILKY5bじいさんの話から書きはじめたんだけど、途中で時間切れになった感じ
司馬遼の売れてる時期で、他に並行して何本も連載抱えてる頃だし、
あんまり構成とか練って書いた作品ではない
司馬遼も参考にしたはずの、吉川栄治の『黒田如水』は、有岡城幽閉が
メインで、如水になる前にほとんどのページが終わってるから
こんなもんかという気もするけどな
0383人間七七四年
2012/01/18(水) 00:20:57.03ID:SPHUZ1qtそうゆう事はあるだろうね。人気があると伸びるのはテレビでも同じ。
時代は違うが馬琴の里見八犬伝は超人気があって無駄に長くなってる。
0384人間七七四年
2012/01/18(水) 20:40:31.76ID:ErlSLn0I司馬の師匠格に当たる海音寺の「武将列伝」の黒田孝高伝でも
祖父の話から始まってるね。
窮迫してから住み着いた地方の神社に、世話になったお礼として目薬の調法を教えてから・・・というやつね。
0385人間七七四年
2012/01/19(木) 00:17:36.92ID:W+IMQXJo0386人間七七四年
2012/01/19(木) 00:41:56.03ID:S7lVrFwU小説としては、さすがに坂口安吾だけあって、面白い
秀吉、家康>>(越えられない一流の壁)>>孝高
別枠(芸術家枠):石田、直江
疑いなく一流の天下人:秀吉、家康
勝ち負け度外視で、一流(家康)に挑む美しい敗者(二流):石田、直江
勝てる賭けしかしなかった才能ある賭博師(二流):孝高 という感じ
これはこれで、非常に魅力的な人物像ではある
0387人間七七四年
2012/01/19(木) 01:28:24.50ID:kgEWRwfp花村元司と被るんだよなぁ。
0388人間七七四年
2012/01/19(木) 20:32:18.65ID:dutbtgZ1おれには、家康が大山康晴に似ているように思えてしかたないw
0390人間七七四年
2012/01/20(金) 01:33:08.57ID:U2mByqXu>黒田孝高=花村元治
棋風は、詭計づくしで変則的、でも合理的で、とにかくすごく強い
なのに、タイトルには恵まれないという不遇
でもって、どうしても正攻法で戦う名人には勝てない、
まさに「二流の人」の設定どおりの孝高だよ
0391人間七七四年
2012/01/20(金) 15:56:18.11ID:Gmqf9whKそういえば、官兵衛ってガチで秀吉にウンザリしてたのかな。小寺氏に関しては祖父の代からの縁てこともあって、面倒身良かったけど、秀頼に関してはノータッチだし。
0392人間七七四年
2012/01/20(金) 20:50:18.83ID:0HcMdRtQ中津はまだ瀬戸内海ルートが便利だけど姫路からは遠いし
城井やら隈部やらの国人衆の助命嘆願を却下されて面目潰したし
利休や秀次たちを殺されたし
唐入りは泥沼だし
この辺を考えると関ヶ原の黒幕ってポジションになるのも不自然じゃない
0393人間七七四年
2012/01/20(金) 22:14:38.92ID:H2N2iP2s官兵衛本が平積みになってたの見て即買いしてしまったわ
0394人間七七四年
2012/01/20(金) 22:41:41.93ID:uOaJq+Anそもそも、黒田家は孝高も長政も、秀頼の後事を頼まれるような
政権の中枢にいない
>>382
いつから、この人が、関ヶ原の黒幕になったんだ??
状況に便乗したっていうなら、よくわかるが
0395人間七七四年
2012/01/20(金) 22:48:44.28ID:Gmqf9whKありがとう。秀吉はもっと官兵衛を優遇すれば良かったのに。
そうしたら、秀頼は捨てぶちをもらって細々といきられたかもしれない。
0396人間七七四年
2012/01/21(土) 06:25:40.05ID:7mOKR24O俺へのレスかな?
黒幕っぽいポジションくらいに訂正しとこうか?
黒田親子は最初から徳川シンパで
上杉征伐の時点で三成派が行動起こすことを見越して
徳川と打ち合わせしつつ動いている
藤堂高虎とかもだが状況に便乗しつつ
焚きつけているというくらいに世話を焼いているって感じだな
0397人間七七四年
2012/01/21(土) 15:27:26.50ID:DAr8pBCV0398人間七七四年
2012/01/21(土) 16:05:58.79ID:wr5OjBxP0399人間七七四年
2012/01/21(土) 18:32:18.08ID:aIzGYg0jいや、がんばらなきゃだめだろ
加増とか徳川家との関係でメリット云々がなかったとかの話じゃなくて
関ヶ原のときの「九州でちょっと無茶しました!」がなかったら、
真面目な話、如水の後世の評価も人気も半減してたはず
0400人間七七四年
2012/01/21(土) 21:54:29.91ID:DAr8pBCV単に秀吉を励まそうとしたのか、本当にチャンスキター♪d(⌒〇⌒)b♪
って気持だったのかどっちなんだろう。
>>399
でも、九州でハッスルしちゃったから、野心があると家康に警戒されちゃったんだと思う。
官兵衛は優秀な策略家だけど、時々空気が読めない気がするぉ。
0402人間七七四年
2012/01/22(日) 11:07:37.88ID:074/hXqh0403人間七七四年
2012/01/23(月) 11:32:53.42ID:iV7bE0uf秀吉は、まあ「太閤将棋」そのまんまで
駒の動かし方を、かろうじて知ってる程度だったらしいが
0404人間七七四年
2012/01/23(月) 15:15:17.30ID:3EvLxKOn秀次→上手
官兵衛→それなりに上手
ってことになるの?
浅野はどうだったんだろうか。
ちなみに碁が下手でも戦がうまい人っているの?
0405人間七七四年
2012/01/23(月) 16:00:12.53ID:DxU+oHdd官兵衛も嗜んだ程度で上級者には及ばなかったんじゃないだろうか
0406人間七七四年
2012/01/23(月) 20:21:59.54ID:k1jFM6+/上手くないわけがない
家康は将棋も上手い
0407人間七七四年
2012/01/23(月) 22:58:05.56ID:3EvLxKOn0408人間七七四年
2012/01/24(火) 01:00:03.33ID:KNh4JbdTとかいうまとめで見た話。黒田長政が伊達政宗との囲碁に熱中しすぎて、家康の話をスルーしちゃう話があったw親父譲りかw
0409人間七七四年
2012/01/24(火) 21:25:00.02ID:LQWyFMV5すごく面白くなったので、貴族・武家を問わず大流行したんだよ
0410人間七七四年
2012/01/24(火) 21:35:05.54ID:LQWyFMV5かなり好きだったのは確か
上記の事情でこの頃は碁会ばやりで、秀吉在命中のはなしだけど、
家康は京都滞在中に、公家や武家、豊臣恩顧の大名を問わず招いて、
しょっちゅう碁会を開いてる
孝高もあちこちの碁会によく呼ばれてる
本因坊算砂の参加する碁会に呼ばれてたりするから、それなりの
腕前だったんじゃないかな
0411人間七七四年
2012/01/25(水) 11:10:05.35ID:0UKjHB+Vそんなもの守るわけがない忠之
0414人間七七四年
2012/01/25(水) 23:54:33.83ID:iG9gKRoO負けず嫌いだから負けそうになると何をしだすかわからん・・・
0415人間七七四年
2012/01/26(木) 02:43:54.14ID:C9M5VxfLすぐ負ける→この無能!と激しく罵られる
余裕で勝つ→ちゃぶ台返し激しく機嫌悪くなる
ギリギリ負けるか勝つかどっちかかな。
0416人間七七四年
2012/01/26(木) 21:21:42.07ID:hF4nHFVM「おれは太閤なんだから、歩を引いて(落として)指してやるわ!」
と、飛車の前の歩を引いて名人と対局、もちろん先手なので圧倒的に有利
(普通は、強い方が駒を引いてハンデをつけるけど、この場合は逆効果になる)
名人が知能の限りをつくして、その下手くそに勝たせる展開になるわけ
秀吉が無茶苦茶な手を指しても、自分が詰むように、詰むように
で、もちろん秀吉は自分の下手くそさも、勝たせてもらったのも知ってた上で、
勝つと手放しで大喜びしたから、かえって周りもなごんで人望があがったと言われてる
0417人間七七四年
2012/01/26(木) 21:24:52.05ID:hF4nHFVM変形して収録されてて、上手い使い方だと思った
下の方の話は、なんでか将棋からキノコ狩りになってたが
0418人間七七四年
2012/01/27(金) 14:03:17.88ID:NOnb9+RF秀吉「松茸狩りに、行きたいな(^O^)」
手下「かしこまりました!(山に松茸を、大量に埋めとこ)」
―当日 ―
秀吉「o(^ヮ^)o松茸が一杯とれて嬉しいな!…でもちょっと多すぎ。誰か前日に埋めといたんだな。やり過ぎダゾ☆」
手下「おっしゃる通りです(≧▽≦)ゞ」
一同「ハッハッハへ(^-^)乂(^o^)ノへ(^-^)乂(^o^)ノ」
て話だっけ?
0419人間七七四年
2012/01/27(金) 18:42:09.17ID:VVqxFqEkんで二三飛成りに二四歩打ちと。
天才だな。
0420人間七七四年
2012/01/27(金) 21:56:30.72ID:zmzboPWTそうそう
三成:「こんなに松茸があるのは不自然だ。きっと誰かが植えたに違いない」
秀吉:「誰かがわざと松茸を植えてくれたのはわかってるけど、
その人の思いやりがうれしいから、ここは素直によろこんで
おけばいいんだ」っていうやつ
0421人間七七四年
2012/01/27(金) 22:12:42.83ID:U7hWdvQc家康は秀次と将棋を指していたとき、終盤でつい
「お手並みは先刻承知、おっつけて身上、おっつけて身上」と
ついて長久手の中入り隊を追撃撃破になぞってつぶやいてしまったことが
あったそうな
吉川太閤記にも書いてあったね
0422人間七七四年
2012/01/27(金) 22:38:06.75ID:NOnb9+RF秀吉優しいなぁ。
何で天下統一あたりからおかしくなっちゃったのかな。
そしてブレないミッチャンw
0423人間七七四年
2012/01/31(火) 01:09:56.21ID:T3AsFmqyと正直言ってよくわかんない人だなと思います。
みなさんはどんなイメージを持ってますか?
結構明るい人だったのかな。
0424人間七七四年
2012/01/31(火) 04:07:11.30ID:LZJfaO5Lいろんな人がそれぞれの思惑で作った話を並べてみれば当然よくわかんない人になる。
0425人間七七四年
2012/01/31(火) 10:29:34.27ID:U5gVAoH20426人間七七四年
2012/01/31(火) 11:22:58.04ID:gq4Az8Vsそのアホな意訳では、正直、どの手紙を指してるのか正確にわからないが
このふたりの間の現存する書簡は、多くが吉川家文書に残ってるので、
自分で調べる手間を惜しむな
0427人間七七四年
2012/01/31(火) 21:11:16.43ID:F1q3q0IH頭の良さと性格の良さは関連性は低い
如水は前者だと思う
0428人間七七四年
2012/01/31(火) 21:42:02.91ID:pPpG6zMy主君と合う合わないとか性格がどうか、とかは結局のところそれぞれの
印象論になってしまうから、個人的にはあまり意味がないとは思うけど
豊臣政権の内部での権力闘争に負けて、秀吉から政権の中枢から
遠ざけられのは事実では?
三成らの奉行派との対立で、孝高自身は文禄の役で失脚し、
慶長の役の蔚山救援戦の事後処理で、蜂須賀家政とともに長政も
完全に失脚している
だからこの二人(家政・長政)が七将襲撃の中心になったわけで
というか、文治への移行の過程で、黒田家の活躍の場自体がなくなって
要するに豊臣政権に特に必要ではなくなったということ
秀吉に嫌われた、というより不要になった、という方が近い気がする
0429人間七七四年
2012/02/01(水) 04:17:42.72ID:EhwdRSZP>というか、文治への移行の過程で、黒田家の活躍の場自体がなくなって
>要するに豊臣政権に特に必要ではなくなったということ
すんなり受け入れられない文章だと思ったが
この辺りが言い過ぎてるかな
0430424
2012/02/01(水) 04:44:47.10ID:xmC7IUAQ吉川家文書と黒田家譜って、普通に本屋で売ってるのですか?
0431人間七七四年
2012/02/01(水) 10:26:19.74ID:RAicaAfQ基本的に賛成だな
徳川政権でも不要になった武断派は冷遇されてる
家康が長寿だから、先に死んじゃったのも多いけど
秀吉が長命なら、文治に安定して移行する時間があったんだろうけど
途中で死んじゃったからな
ここん家は、秀吉死後の政権のごたごたで、最も得した家のひとつだと思う
>>430
もちろん、日本史専門の書店・古本屋などでは売ってるけど、
個人で買うと高いし、場所とるからかさばるぞw
大きめの大学図書館なら所蔵してるところが多いから、検索して借りれば
いいんじゃないかと
0432人間七七四年
2012/02/01(水) 17:11:33.02ID:e8IVJ+k9図書館で見たほうがいいと思うが
0433人間七七四年
2012/02/01(水) 20:25:21.67ID:Svop7xe6吉川家文書は「大日本古文書」に編纂されているし、県立図書館か近くの大学図書館に
行けばたぶん置いてあるんじゃないかな。
もっといえば、東大編纂所のDBで見られるよ。
0434人間七七四年
2012/02/01(水) 20:46:48.48ID:e8IVJ+k9早速見てきた。これは便利だな。ありがとう
0435人間七七四年
2012/02/01(水) 20:50:59.58ID:d5TJCqrY黒田家譜は、文学部に近世の日本史専攻がある大学なら
所蔵してるところが多い
Webcatで検索すれば所蔵大学一覧がでるから、近くで借りればいい
0437人間七七四年
2012/02/07(火) 02:40:52.71ID:REyhoATVどっちにしても三成が許せなくて徳川か黒田の覇権争いみたいになるのかな
0438人間七七四年
2012/02/07(火) 03:55:30.64ID:DKf/qQjcなんでそこ以外は史実通りに動くと考えるのかな?
0439利政
2012/02/07(火) 15:18:10.92ID:sVv91E0v俺の嫁も、黒田の関係の女医に診てもらっている。
菅兵衛って、何考えてるん?
天下人になりたいん?
0440人間七七四年
2012/02/07(火) 15:32:28.62ID:8r0vhimb官兵衛の小説を書いたりする人は官兵衛のことを
最も現代人に近い感覚を持っているって言うね
だから自分が官兵衛だったら何を考えていたか
と考えてみたら意外と近いかもよ
0442人間七七四年
2012/02/09(木) 03:33:58.85ID:DGrEfWSK堺屋太一って、黒田関係の作品あったっけ?
でてくる人間が、まるで現代の会社員ばかりに思えて仕方ない
堺屋の歴史小説を読んだあとで、
司馬遼太郎を読む→いろいろ言われてるけど司馬遼太郎って
歴史小説家として凄い才能をだったと再確認する
「二流の人」を読む→一流(安吾)と二流(堺屋)を隔てる
越えられない壁を実感する
0443人間七七四年
2012/02/09(木) 10:48:06.52ID:kinSTL44その秀長と官兵衛が組んだ時の得点力の高さを
もう少し評価してくれても良さそうなもんだけど
0444人間七七四年
2012/02/09(木) 10:54:21.10ID:kinSTL44ちゃんと出典あるのかな?
0445人間七七四年
2012/02/09(木) 11:04:23.62ID:xsZ7pzS60446人間七七四年
2012/02/09(木) 11:07:19.25ID:sEuGlqFxもし由来の記載があるとすれば、まずそこしかないだろうし
0449人間七七四年
2012/02/09(木) 19:04:41.78ID:09SODPLT信長公の長をもらえるほどの身分じゃなかったの?
0450人間七七四年
2012/02/09(木) 19:14:46.78ID:Zid33v49>>448
通称に偏諱は入れない。意図的に入れたのならむしろ失礼に当たる。
0452人間七七四年
2012/02/09(木) 21:32:46.66ID:kBpIu/M70453人間七七四年
2012/02/10(金) 01:09:21.76ID:7ciAO37U黒田光之の初名が「長之」なんだけど「長という字には統治するみたいな意味があるから」
とかなんとか
0454人間七七四年
2012/02/10(金) 01:14:20.52ID:zAY9FzHV時代が下ると、幼名に「万」と「長」が多くなる
「長」は普通に初代藩主の長政由来では
0456人間七七四年
2012/02/12(日) 02:02:02.99ID:ZfyUMHZo官兵衛、長政を知るためだけなら何巻まで借りれば良いですか?
0457人間七七四年
2012/02/12(日) 02:45:14.74ID:qTwMrMxE0458人間七七四年
2012/02/12(日) 23:08:38.35ID:ZfyUMHZo0459人間七七四年
2012/02/13(月) 06:16:35.36ID:LGIIVCVg0460人間七七四年
2012/02/13(月) 12:46:23.44ID:wE+Wx8R6割りと近いから行ってみようかな
0463人間七七四年
2012/02/21(火) 14:08:41.89ID:eFX+5sVUこの小説で一番いいところは、タイトル
その次が、野心家で黒い竹中半兵衛
官兵衛はむしろ白い設定
小説としては、死んだ半兵衛が夢枕に立つとか、
なんとなく中二病な描写が多いけど、そこそこ面白い
0464人間七七四年
2012/02/21(火) 18:01:46.21ID:igSXNRKA>なんとなく中二病な描写が多いけど、そこそこ面白い
読んでる最中にネタバレされてしまった・・・
0465人間七七四年
2012/02/23(木) 00:12:52.67ID:S9orcETo黒田家譜ベースで、官兵衛はかなりまとも
登場人物が、自分の考えや感情を、全部自分でしゃべって
読者に説明するがな。ついでに自分の歴史的評価までする
0466人間七七四年
2012/02/23(木) 08:28:43.11ID:P4RxIOwS原作に選ばれなくとも関連本として売れて
ついでに公演で稼げればいいという感じで。
しかし大河化に結びつけば功績だし
火坂以外にも「二人の軍師」原作とかいい小説が出つつあるし。
0467人間七七四年
2012/02/23(木) 17:57:23.14ID:Q2Dfj83Sその火坂の小説はどうなんだ
0468人間七七四年
2012/02/23(木) 22:21:32.65ID:h0WUfaYa下巻の大部分が播磨以降だから、頁数をかなり割いている
その点では珍しい
0469人間七七四年
2012/02/23(木) 22:32:42.60ID:h0WUfaYa官兵衛の小説というより、主人公が二人になっている感はある
秀吉の両兵衛でまとめる作品は多いけど
個人的には、官兵衛を小説化・大河化するなら
むしろ半兵衛よりも秀吉の描写がずっと重要で、それが作品が
面白くなるか、つまらなくなるかの鍵になるんではと思う
0470人間七七四年
2012/02/24(金) 15:58:34.47ID:v6hvODND「軍師の門」が大河になったら、黒歴史「天地人」の二の舞だよwww
あれも微妙な原作が火坂で、脚本でさらにすごいことになった
それより火坂は、誰が主人公でも、みんな「義」の人になるのをどうにかしろ
0471人間七七四年
2012/02/24(金) 19:53:58.01ID:pvguMLIp期待してる人は多いだろうが
後半生を魅力的に描けるかどうかだろうなあ、と思う
0472人間七七四年
2012/02/24(金) 20:30:15.80ID:RBnHfnfy原作はともあれ視聴率的には秀吉を立てて一歩引く位置で支える演技が出来た方がいいのかな?
信長に対する秀吉はその辺は天性のものがあったが如水にその辺を如才なくやれるかどうか
実際は秀長、浅野長政、蜂須賀正勝、前野長康、竹中重治あたりを立てながらやるんだろうが
そうすると演技が埋もれないかどうか
0473人間七七四年
2012/02/25(土) 00:23:10.91ID:If6C/7pf時間の半分以上が、自分が小説家になるまでの道のりと、大河関連。
クロカンの話は少ない、薄いで読む気失せた。
この数レス見て、このまま読まないでいようと思った。
後半生を面白く書いたものなら、「二流の人」、
これなら主題歌もすでにあるじゃないかw
0474人間七七四年
2012/02/25(土) 00:32:35.75ID:G1yd6ctS0475人間七七四年
2012/02/25(土) 13:39:13.64ID:b7QtkH3Q人物像が完全に破綻する
どっちも好きだが、つぎはぎするのは無茶というか無理
0476人間七七四年
2012/02/25(土) 17:20:00.88ID:/Jc2CGfG秀吉を魅力的に描くことさえできれば、
「羽柴秀吉に天下をとらせた男」
このコンセプトで、如水大河の中心テーマになると思う
信長、秀吉、家康3人の天下人といいところで絡むんだから、やりようはある
あと竹中半兵衛と石田三成に、思い切り美形を配役して歴女を釣ればおkw
0477人間七七四年
2012/03/01(木) 19:43:30.13ID:AHsxSC1lあと官兵衛ゆかりの場所ってあるかな
九州博物館と福岡市博物館を回ったあとだから1日じゃ難しいかorz
>473
二流の人の
「官兵衛はしまつたと思つた」ってフレーズに、またかよ!って突っ込んで読んでた。
0478人間七七四年
2012/03/01(木) 20:14:31.07ID:VuMWBAOGあと福岡市博物館、今休館中だぞ
0479人間七七四年
2012/03/01(木) 20:41:48.07ID:AHsxSC1l福岡博物館て休館なの!細川展見に行くからセットで行こうと思ったのに…兵糧削って旅費貯めたのにショックだorz
細川展行くのをやめるか悩むわ。
教えていただいてありがとうございます。
0480人間七七四年
2012/03/01(木) 21:22:59.46ID:hdqWvJ4q官兵衛関係だと西公園の光雲神社
福岡市総合図書館に官兵衛のブロンズ像
官兵衛は福岡で生活していた期間が短いからお城以外縁の地とか無い様なもん
0482人間七七四年
2012/03/02(金) 03:44:03.26ID:e3vwyFgD0483人間七七四年
2012/03/10(土) 03:28:05.55ID:z65RBMuhあと一番詳しい先生って本山先生なのですか?
ホームページをちらっとみた限りだとすっごく面白いけど毒舌で怖い。
0484人間七七四年
2012/03/10(土) 04:52:00.89ID:9n4CTryu0485人間七七四年
2012/03/10(土) 17:44:40.87ID:z65RBMuhそうなんですよね。
何かネットで見たら
「黒糸威五枚胴具足」って言うのが出てきたけど、これも違うのかな。
0486人間七七四年
2012/03/14(水) 22:05:47.76ID:NQwSc9F60487人間七七四年
2012/03/27(火) 17:22:23.99ID:dG9PpN7Rひと月前のネタだけど黒田長政の長政もこの人から貰った可能性も少しはあるのかな?
----------
文禄2(1593)年2月16日 〔「宮部文書」〕
羽柴秀吉(「秀吉」)、宮部長熙(「宮部兵部少輔」)へ高麗郡より報告してきた「此吏共」に対し
「具御用被仰付」れてから召還するので高麗都までの造作を指示したこと、
「惣国御行等」を申し含めた浅野長政(「浅野弾正少弼」)・黒田孝高(「黒田勘解由」)を高麗都より渡海させることを通知。
また軍勢・兵粮についての指示を浅野長政・黒田孝高に委任したこと、
「急度被成御渡海平均ニ被仰付」ること、その間は越度無き様にすることを命令。
詳細は長束正家(「長束大蔵大輔」)・山中長俊(「山中橘内」)・木下吉隆(「木下半介」)に伝達させる。
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0488人間七七四年
2012/04/05(木) 20:15:42.50ID:RLW00KF+http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327501191/
0489人間七七四年
2012/04/10(火) 01:49:01.29ID:WLtNMatSとれません。孝高に天下とれる条件なんか欠けまくりだろうがwww
なのに、ふとそう思わせるケレン味がある
そこがこの人のかっこよさなのになあ
なぜそれが日本史板の住民にはわからんのか
無粋だな
0490人間七七四年
2012/04/13(金) 23:26:20.21ID:hr+dQNsOもともと如水が天下をとるっていう仮定自体が無茶ぶりだからね
でも日本史板で、播磨の小寺の家老時代とか、秀吉の部将時代に
天下目指せたはずとか書いてるやつ多くて、むしろびっくりした
頭がどうかしてるとしか思えないよーw
100歩譲って、奇跡的に天下目指せる可能性があったとしてもだ
どう考えても関ヶ原の時しかないと思うんだけど
0491人間七七四年
2012/04/13(金) 23:43:31.43ID:Tds/0m7T0492人間七七四年
2012/04/14(土) 21:05:59.51ID:0+eJ3pnS幕府って感じじゃないし。それとも地方軍閥として生き残りたかったのか。
不思議な人だよね。戦では無駄な犠牲は嫌うけど、
この世を平和にっ!てタイプじゃない
キリシタンだけど、ガチガチではない
あと家康にまで好かれないってことは、メチャ優秀なのに上司に嫌われるオーラが出てたのかな。
エピソードを見ると、正直で面倒見がよい人なのに。
0493人間七七四年
2012/04/14(土) 21:36:58.22ID:aR8R6E0E部下や庶民には優しいが義兄弟以外の同僚や武将は
見下したところがあって反感買っちゃうタイプ
0494人間七七四年
2012/04/14(土) 23:24:23.93ID:0+eJ3pnS賈ク+友達+愛+失言−上司受け(特大)
=如水
魯粛+戦術+愛+失言−ちょっとだけ政治力−上司受け(大)
=如水
もありだと思うぉ!
0495人間七七四年
2012/04/15(日) 00:00:26.85ID:Qlc8nAQq最後に天下を賭けての大勝負
なんてのは後世の創作に過ぎないんだけどね
勝負事大好きってのは間違いなさそうだけど
0496人間七七四年
2012/04/15(日) 00:15:57.87ID:5LwjlB3G0497人間七七四年
2012/04/15(日) 19:24:05.12ID:wMLBWjy4機会があれば勝負するのは
0498人間七七四年
2012/04/15(日) 19:58:15.90ID:l75A3/Uyおめーら自国経営に専念して
無闇に支配地増やすんじゃねーぞと
息子達に言い残す戦国大名もいるけどな
0499人間七七四年
2012/04/15(日) 21:59:04.95ID:+gFkhxffことだろう 実際隆景が勝負しすぎて全部負けるところだった
0500人間七七四年
2012/04/16(月) 02:46:17.11ID:dPnnqgth陰謀や野望の塊、下克上の化身的なイメージがあったから私信群見たら以外だった
0501人間七七四年
2012/04/17(火) 16:19:53.67ID:cxeMMb7D0502人間七七四年
2012/04/17(火) 18:39:09.84ID:9GC83tUL0503人間七七四年
2012/04/22(日) 05:39:05.21ID:KjCpcQNqttp://www.geocities.jp/kurodazensi/index.html
これだと黒田家譜が胡散臭くなってしまうが、どうなんだ
0504人間七七四年
2012/04/23(月) 00:32:22.64ID:/9gTmD0p全部読めてないけどこの場合
御着城の殿様の小寺政職に騙されて有岡城に官兵衛が幽閉されてた時に
家臣が職隆に忠誠を誓ったとかいうのはどうなるの?
政職が逃亡しても姫路に残っていたのは実親と対立してたとか?
0505人間七七四年
2012/05/02(水) 13:56:44.91ID:g8d5mVYehttp://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/70bd61e39984bca66572f532611d37ce
サインは如水軒なんだな
0506人間七七四年
2012/05/08(火) 08:42:45.77ID:1R4REfYB0507人間七七四年
2012/05/08(火) 13:56:38.02ID:7bbXecBehttp://www.city-nakatsu.jp/docs/2011082900674/
0508人間七七四年
2012/05/08(火) 15:38:58.62ID:T5s54vL5築上町の方は城井贔屓なせいかやれ名家の宇都宮氏だの
人質の姫なのに長政の嫁にだの脚色が多いのがなぁ・・・
0510人間七七四年
2012/05/09(水) 00:25:46.07ID:mMPi9Mc3黒田節は城井鎮房討ち取った時の歌だとか
中津の合願寺の壁が赤いのは城井家臣の血が浮き出るとか
いくら城井氏滅亡後旧家臣を黒田が召し抱える事無かったとは言え脚色が過ぎる
0511人間七七四年
2012/05/10(木) 21:08:55.50ID:N8UsyKAz城井贔屓で当然というか、自然な感情だという気はするけどね
あと、他の場合でもよくあることとはいえ、黒田の滅ぼし方が
やっぱり後味悪いわな
正攻法の戦では長政が負けっぱなし→仕方なく謀殺だったのは事実なんだし
0512人間七七四年
2012/05/11(金) 23:50:38.15ID:lmfj6/Bw長政がさわやかに(?)勝って、城井さんが激戦で敗死・滅亡とかだったら
印象もちょっと違ったかもだけど
0513人間七七四年
2012/05/12(土) 00:31:31.92ID:rB5Kym2Z城井は太閤の顔に三度も泥を塗っちまったからなぁ
黒田としてもさっさと蹴りをつけんと領地召し上げられかねないし
干殺しの様な持久戦とか手段を選んでる暇はなかったと思うぞ
0514人間七七四年
2012/05/12(土) 10:28:53.30ID:HgirP/6lそれを城まで誘いこんで武装解除せざるを得ない状況に追い込んだ黒田の勝ち
という考え方はなかなかしてもらえないもんですなー
結婚したからこれから家族だよ^^そうだね黒田さんのこと信じてるよ^^みたいな仲だったわけないじゃん
0515人間七七四年
2012/05/14(月) 21:09:49.09ID:7LlwT4JY騙し討ち自体は戦国ではよくあることだし、
状況的に仕方なかったというのはまだわかるんだけど
騙した方の黒田家をほめる、というのはなんか根本的に違う気がする
城井の叛乱の際は、近隣から毛利や吉川に大軍を援兵してもらっても長い間手こずって、
結局のところ武力で鎮圧できなかったのは、武門としては不名誉なわけで
肥後の一揆の鎮圧に手間取って、秀吉から責任問われて腹切らされた
佐々成政の二の舞になりかねない状況に追い込まれたのは、
むしろ黒田長政の方なわけで
だからなりふり構わず、片をつけるために仕物にかけたんだから
ふつうに黒田家の汚点ではあるんじゃないの??
0516人間七七四年
2012/05/14(月) 23:49:38.27ID:OcRluL2Oとりあえず評価しないとな
成政も勇将として名が通っているが
この件での失敗はやはり評価を落としているはず
0517人間七七四年
2012/05/15(火) 00:30:52.41ID:97HMWTdC城井に付くやつが続出するんだから佐々や
黒田の様な余所者に九州は扱いにくい土地だったんだろうなぁ
0518人間七七四年
2012/05/15(火) 00:46:20.80ID:Nbegn4yd多く残ったから、豊臣恩顧の鉢植え大名には治めるの難しい
織田や豊臣恩顧は、地侍・下級武士クラスが出世して
別の地方の鉢植え大名になったのが大半だけど、城井のような
古くからの地元の豪族は、一族も家臣も地縁が強すぎて
太閤に命じられてもはいそうですか、と簡単に別の土地に
移封できないという事情もある
このへんの温度差は大きいだろうね
逆に豊臣恩顧の鉢植えで、短期間しか肥後を治めなかったのに
今でも熊本で愛されてる加藤清正は、とんでもなくすごいわけだど
0519人間七七四年
2012/05/15(火) 01:45:30.19ID:97HMWTdC薩摩側だったゆえに筑前36万石から
高鍋2万7千石に転封の秋月氏は仕方ないとは言え
宗像・麻生とか豊臣方に付いていたにも拘わらず
3万石は持ってたであろう麻生氏は筑後に転封で4千六百石
5万石程度あった宗像氏は当主不在で記紀の時代から続く宗像大宮司家は消滅
原田氏は領地の過少申告がバレて領地没収で筑後に転封3百町と
それぞれ減封・転封を甘んじて受けただけに城井氏の転封拒否は余計に目立ちまった
豊前の2万石から筑後に減転封二百町じゃ受け入れがたいのは分かるが、時流読めてなかったね
0520人間七七四年
2012/05/16(水) 21:13:23.16ID:cq0jP9KK受諾しても到底経済的に主家も家臣も立ちゆかんわけだから
それなら、最期は意地にかけてでも抵抗しようとなるわな
0521人間七七四年
2012/05/18(金) 22:58:12.32ID:fD9Ql1xtやっぱり悪い話で、無理に何でもかんでも弁護することもない
と思うけどな。時には悪いこともするよね、っていうかw
あんまり、これまでこうゆう暗殺はしてこなかったから
余計に目立っちゃうというのはあるけど
0522人間七七四年
2012/05/18(金) 23:06:36.74ID:KH/jUkQnだからと言って城井の行為が正当化されるかと言うと違うだろ
つか、城井を持ち上げる為に黒田貶めるよーな事でっち上げてるから弁護もしたくなる
0523人間七七四年
2012/05/18(金) 23:36:28.14ID:NY2Kn7Rh嘘付け、筑後二百町が少なすぎて不満だっただけだろ
だいたい息子に僅かな手勢付けて参戦させただけで
瀬戸内航路の要衝でもある今治12万石与えられる訳ないだろ
実際の今治が秀吉小飼の福島正則が任ぜられ
長年秀吉に仕えた蜂須賀氏や幕閣の黒田でも12〜18万石
城井氏旧臣の見栄とはいえ城井に福島正則や蜂須賀小六並の働きがあったのかよ?と言いたい
0524人間七七四年
2012/05/19(土) 11:22:51.32ID:j8ZEPOLM誰が教えてくれなんて頼んだ?
俺はお前に諮問してるんだろうが
大体お前が人様に物を教える立場か
図に乗るのも大概にしろ
ネットの中だけで偉くなったと勘違いして
少しは外に出て目を醒ませ
0525人間七七四年
2012/05/19(土) 13:38:48.28ID:1UUBYEgV0526人間七七四年
2012/05/19(土) 14:36:02.78ID:UTwFH2tP>誰が教えてくれなんて頼んだ?
>俺はお前に諮問してるんだろうが
つまり意見を言え、だが俺は聞く耳を持たんって事?
政府の諮問委員会で出された意見より扱いヒデェなw
ネットで諮問って言葉覚えたのにその意味は理解しなかったのね
0527人間七七四年
2012/05/24(木) 21:26:11.28ID:iKlGL8s2アンカつけろよ
誰が誰に対して、何で急に怒ってるのか全然わからん
諮問(?)してるっていうが、お前のレスはそもそも何番だよ??
0528人間七七四年
2012/06/01(金) 00:32:56.14ID:zNcBSCFO又兵衛が厚遇されてたのはしってるけど、なにか根拠になる話ってあったっけ?
たまにそう言われてるのを見かけるから、ずっと引っかかってる
もし本当だとしたら長政ちょっと哀れだな…
0529人間七七四年
2012/06/01(金) 01:36:19.35ID:74WdBhn/むしろ可愛いがられてたのは又兵衛より黒田(加藤)一成の様な気がする、人望的にも、うん
0530人間七七四年
2012/06/01(金) 01:51:29.27ID:B1QOtW7+根拠もなくそんなこと言われてましても・・・としか
大体、孝高はそんなこと自体言ってない
一成が本格的に黒田家の中で重用されるのは、孝高死後の長政の時代だし
0531人間七七四年
2012/06/01(金) 11:48:16.59ID:EzgOPX32孝高・長政期には母里・栗山両家の扱いが別格
忠之の代に、播磨以来の譜代が相対的に没落・遠ざけられるなかで
厳密には播磨以来の古参ではない一成がむしろ重用されてゆき、一成の死後、
三奈木黒田家が徐々に筆頭家老(大老)として地位を確立してゆくという流れ
0532人間七七四年
2012/06/02(土) 00:20:30.75ID:dAAMqFEv>如水は長政に又兵衛は家臣にするなとか言ってたみたいだけど
これって長政ウィキの逸話に書いてある「謀反人の一族なので、そば近くに召し使うことは無用」ってやつのこと?
同じく「如水に寵愛された事を嫉妬」とも書いてあるんだけど、これの出典ってなんだろうな
参考文献に「黒田軍団〜如水・長政と二十四騎の牛角武者たち〜」があるけど、ここからか?
自分はこれ読んだことないもので…
0533人間七七四年
2012/06/02(土) 01:06:42.76ID:eZrDlCE2如水が息子の長政より又兵衛の方を武将として評価していた、
という解釈自体は、特にどれが確かな出典というわけでもなく、
昔からわりとよくある
司馬遼太郎も基本的に播磨灘ではそういう書き方だったし、
他の小説とかでも多いんではないかと
0534人間七七四年
2012/06/02(土) 19:18:54.49ID:Ur1neI0yふつうに、後藤又兵衛の奉公構えでは、何度も幕府の仲裁が入るくらい
揉めたんで、それだけこだわるほどの確執が長政の方にあったんだろう
というところから、理由さがしで派生してきたんじゃないの?
古くからあるパターンで、戦前の小説とかでも見られる
この手の話は、実態は史料的に裏づけなんてできないんだから、
特定の典拠とか別にないだろ
最終的には推測・解釈の問題になっちゃうわけだし
0535人間七七四年
2012/06/03(日) 08:03:51.49ID:LgVc1B4U一族連れて出奔したってのは無かったっけ
0536人間七七四年
2012/06/04(月) 20:56:59.84ID:Kv/IbdsF真相は確かめようにも史料がないのが実情
長政が又兵衛の息子に無理やり鼓打たせて侮辱したのが原因とか
昔からいろいろ諸説言われてるけどな
0537人間七七四年
2012/06/04(月) 21:10:51.83ID:6OrnDmpz0538人間七七四年
2012/06/04(月) 21:17:32.84ID:Kv/IbdsFみんな書いてるんじゃん??
後藤又兵衛は全般的に史料自体が少ないんだよ
確かなのは、1万6000石もらって要所を任されるほど
厚遇されたのに、自分の方から黒田家を出て行ったのと、
その後長政の奉公構えでもつれにもつれた、という2点だけ
0539人間七七四年
2012/06/06(水) 00:25:52.78ID:KOnOuboT0540人間七七四年
2012/06/06(水) 21:31:14.11ID:ltZqGXtkその辺を調べれりゃどうかと
池田退去後、大阪入りの前ももう一回か仲介あったか
0541人間七七四年
2012/06/06(水) 22:43:25.11ID:KOnOuboT0542人間七七四年
2012/06/07(木) 06:51:24.58ID:IlEbDBua0543人間七七四年
2012/06/07(木) 19:38:33.71ID:cTju6FwH0544人間七七四年
2012/06/08(金) 00:34:55.54ID:T1gMoz1U前に長政スレでもやってたけど、結局両方史料がなくて
水かけ論でどっちもどっちとしかいえない感じ。
煽りたいなら、続きは長政スレか又兵衛のスレで存分にやればいいと思うよ。
ここ、もともと孝高スレなんだし。
0547人間七七四年
2012/06/09(土) 00:34:49.33ID:qxWjOYaX井上之房は職隆が孝高に付けた家臣だけど、その妻が長政母照福院の姪だったり、
長政長女が之房次男に嫁いでたりするし、見方によっては栗山母里より厚遇かもしらん
0548人間七七四年
2012/06/18(月) 03:57:59.22ID:2l8dAkH9そうだとしたら養子か?
実子というのは婚姻時期等々考えてもちょっと無理があるよな
0550人間七七四年
2012/06/22(金) 14:39:34.10ID:05pvn7ed前にちらっと見ただけだから、詳しい出典名は忘れてしまったorz
確か神吉側の史料だったような…かなり曖昧でゴメン
神吉頼定は1578年に没してるが、この時長政は10歳
正室との婚姻前にできた子がいたとしても、政略結婚で他家に嫁がせると思えないし
婚姻後だとしても、その翌年にできた長政の年齢を考えると実子は無理だと思う
長政に双子の姉妹が、なんてのもなぁ(´∀`;)あったとしてもやっぱ難しいな
0551人間七七四年
2012/06/22(金) 21:07:01.24ID:n+w5P6Fkありがとうございました。婚姻前だといいなぁ
関係ない話ですが、長政の下に息子が一人いたけど、死んじゃって残念でしたよね。孝高の直系は絶えちゃったし。
0552人間七七四年
2012/06/22(金) 23:40:41.02ID:gquYe/IXもれなく記載しているんだけど、孝高の子どもは長政・熊之助だけ
だから、実の娘がいた可能性はやはり低いと思う
神吉氏との関係でいうと、孝高の異母弟・長基の母が神吉氏出身ではある
0553人間七七四年
2012/06/25(月) 02:00:24.90ID:xoFXutez当時孝高には長政しか子がいない状態だし、
孝高の姉妹の子とかそいう可能性が高いとは思う
0554人間七七四年
2012/06/25(月) 04:39:18.15ID:bKPjUPGr神吉氏の神吉城か
後藤又兵衛の母親が神吉氏らしいってことくらいしか知らなかったが
色々と縁は深いんだな
0555人間七七四年
2012/06/26(火) 01:21:34.61ID:OhS+lkYA正室との婚姻の翌年と、有岡城開城(幽閉終了)の翌年に一人ずつと、
子供が出来にくかったと考えるには妙にタイミングがいいし
(本山一城氏曰く熊之助の生年は1582年らしいが)
まあ単なる偶然かもしれない
0556人間七七四年
2012/06/26(火) 04:15:44.58ID:RlplBxCK写真がたくさん載ってるからありがたい。
失礼だけど値段を考えると、小和田先生のより良かった。
違う話になっちゃうけど、本山先生は如水がキリシタンだったことにこだわってる印象がある
なんで如水は知り合いに布教するほどはまったんだろう
0557人間七七四年
2012/06/27(水) 01:52:13.11ID:GKQk3uhR単純に孝高の活動からして、子作りする機会があまりないんじゃないかなあとも
長政が産まれてからかなりあちこち動き回ってるし、
熊之助が有岡城から解放されて療養中に作った子とすれば辻褄が合うし
長政なんかもっと顕著で関ヶ原前は娘一人しか作ってないのに
筑前入封後に福岡にほぼ入り浸ってた時に子ども作ってるし
0558人間七七四年
2012/06/29(金) 23:02:48.78ID:L+orKzz30559人間七七四年
2012/07/02(月) 21:31:01.28ID:ETxmSdmZ0560人間七七四年
2012/07/03(火) 16:50:43.02ID:MK7bWCuRこの時代の播磨は滅んだり養子になったり敵味方が入れ替わったりと
ゴチャゴチャしてそうだな
0561人間七七四年
2012/07/05(木) 04:40:27.09ID:aY86RJV5チュートリアル30分くらいはかかったけど
http://static.hangame.co.jp/hangame/event/2012/0702_avapre/
0562人間七七四年
2012/07/06(金) 21:22:12.80ID:68zfBifz1620年に長政により徳川大坂城の資材として解体されたというのは面白い説だな
0563人間七七四年
2012/07/06(金) 21:31:15.48ID:ViHlebGC昔から諸説あるけど、結局のところいまだにわかっていない
福岡城は、城の規模自体は、九州で一番の大きさだから、
もし天守閣が建造されていて現存していたら、それなりの名城として
もう少し観光名所としての知名度が上がっただろうけど
0564人間七七四年
2012/07/06(金) 22:12:27.70ID:poruNLNYなにしろ明治の廃藩置県後に陸軍が置かれ
建造物は色々破壊されり作り替えられたりしたし
空爆の時のいい目標になって名古屋や広島と同じ運命を辿った可能性高い
0565人間七七四年
2012/07/07(土) 00:35:00.20ID:czthGB1R広島城は本当に惜しいよねぇ!戦前は国宝だったのに原爆で…
戦後も残ってさえいれば、姫路城と並ぶ屈指の名城だったのに
築城には、孝高くんも相談役として太閤殿下から毛利家に派遣されて、
大坂城築城のノウハウをいろいろ詰め込んだ、当時最新式のお城だった
福岡城は、地元民が周りをジョギングするには便利なんだけど、
お城としてはわざわざ見にくる価値はまぁないw
0566人間七七四年
2012/07/07(土) 05:52:58.97ID:pHvtI6tZ0567人間七七四年
2012/07/12(木) 16:44:29.85ID:vpW+EXWL水は地形に応じていろいろとかたちを変えますが、
軍隊もそれと同じで、地形に応じて陣形を変えるのです。『李衛公問対』
1000年近く昔の兵法にもあったんだな
0568人間七七四年
2012/07/12(木) 22:34:53.30ID:/gC0IGqS0569人間七七四年
2012/07/17(火) 22:18:22.12ID:BJDZhdpE登場人物が次々にダメ出ししてゆく、不幸な立ち位置
孝高「輝元は天下の主たるべき器量ではありません」(小寺政職に)
「輝元は大身ですが、天下をとるべき力量などありません」
(宇喜多直家に)
「どうして、輝元が天下の主になれるでしょうか?」(別所孫右衛門)
「あの輝元も隆景のおかげで、今までは見事に見えていたのだ」
(隆景の死に際して)
隆景「輝元を天下の主にするなら、たちまち天下を失うだけでなく、
毛利の家も滅亡してしまいます」(吉川元春に)
「輝元は天下を保つべき器量にあらず」(隆景遺言)
家康「輝元は愚かではあるが頼もしい人だ。石田が秀頼のためと称したのを
信じて味方し、家を傾け破ったものの、他の人とは違って
私的な野心などなかったのだから」(関ヶ原のあと)
「輝元は天下をとる器量にあらず」―大事なことなので皆で何回も言いました
0570人間七七四年
2012/07/17(火) 23:05:50.99ID:P/DLDS1d0571人間七七四年
2012/07/18(水) 07:46:26.58ID:JBdVte4s秀頼人質にたてこもったってことになってる奴に野心や器量があっちゃダメだろw
0572人間七七四年
2012/07/19(木) 21:29:12.53ID:yeeeIzAX「輝元はボンクラです」と言ったという記述は頻出してるので
関ヶ原後に、黒田家が意図的に輝元をかばって、自分ちの歴史書に
そう書いたわけではないと思う
なんというか輝元は普通にボンクラなんだよ
0573人間七七四年
2012/07/19(木) 22:07:11.44ID:yRomCkpM0574人間七七四年
2012/07/20(金) 07:46:19.01ID:bis/4Eyx0575人間七七四年
2012/07/20(金) 08:49:43.86ID:Az7J6U8X0576人間七七四年
2012/07/20(金) 12:07:38.21ID:VuGvDLOn0577人間七七四
2012/07/21(土) 15:29:05.70ID:7gukHnNO輝元はでっかい釣り針だったわけだ。
0578人間七七四年
2012/07/21(土) 19:56:13.39ID:Zbdr1mkOパーにしてる部分が大きいよね
釣り針に自分が引っかかって涙目というかさ
0579人間七七四年
2012/08/03(金) 22:28:36.09ID:0u2YdDg7綺麗な字で、すごく読みやすかったよ
いわゆる芸術的な達筆というよりは、端正に整った筆致だった
0580人間七七四年
2012/08/04(土) 22:27:27.40ID:o9C0OpQ2輝元って何にもいいとこないのかな…。あるはずだよね?
バカ殿ってイメージしかないけど、じーちゃんも父ちゃんも叔父さんも従兄も優秀だったよね
>>579
いいな!どこで見れたの?
0581人間七七四年
2012/08/05(日) 11:54:13.42ID:tbitoIEe0582人間七七四年
2012/08/14(火) 23:57:52.25ID:H84ClPZmhttp://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/317979
http://www.oita-press.co.jp/mobile/data/local_news/2012/08/2012_134421496643.jpg
かわいいんだけど唐揚げが連想しにくいような
0583人間七七四年
2012/08/17(金) 02:51:08.43ID:88stONf8かわいいけど、かわいいけど…どう見てもただのニワトリだよねぇw
でも官兵衛らしさを出そうにも、足萎えとか杖つかせるとかできないし
結構、ゆるキャラにするのも難しいかも
0584人間七七四年
2012/08/17(金) 21:55:47.62ID:ke+Tq8Y7生年月日と誕生時刻と出生地がわかれば、
西洋占星術でイケメンかそうでないかわかるらしいぉ
0585人間七七四年
2012/08/17(金) 22:58:15.87ID:aNbv8SMy0587人間七七四年
2012/08/18(土) 00:56:16.85ID:q5nYetVq福岡市は16日、国指定史跡「福岡城」(中央区城内)の復元に向けて、櫓(やぐら)など城内の建築物の構造が分かる
写真や文献を市民から募集すると発表した。市は30日に学識経験者などでつくる「整備基本計画検討委員会」を設置。
集まった資料も参考に復元計画を話し合い、2014年度から復元事業に着手する。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/319027
0588人間七七四年
2012/09/03(月) 22:15:15.49ID:BFmu2i1i孝高関係の文書は第一巻に全部収録されているのでしょうか?
結構なお値段なので、通販で購入しようかどうか二の足踏んでるんですが、
もしご存知の方がいらっしゃれば、どんな内容か教えてくださると
たいへん幸いです
実際に博物館で手にとって見れればいいのですが、九州は遠いのです…
0590人間七七四年
2012/09/03(月) 22:57:16.19ID:nZ66Pb3V総合図書館のHPで検索したら収蔵している事は間違いない様だし
0591人間七七四年
2012/09/04(火) 20:33:50.14ID:8eH9Sikwご親切に、情報ありがとうございます!
図書館に如水像があるんだ…いいなぁ、さすがお膝元だ
福岡まで行くのは距離的にたいへんなので、
ちょっとドキドキするけど、博物館にメールしてみます
0592人間七七四年
2012/09/07(金) 21:08:31.94ID:wkPkwMTk2012年09月06日(木)
姫路城で生まれ、稀代の軍師として羽柴秀吉を補佐した黒田官兵衛。そのゆかりの地を巡るツアーを実施します。
今回は、文化財課の協力を得て、富士本健氏に同乗していただき、解説をしていただきます。
黒田官兵衛について詳しく話を聞く良い機会ですので是非ご参加ください。
1 日時 平成24年9月20日(木)、26日(水)
2 行程 廣峯神社(黒田家ゆかりの神社) ⇒ 御着城跡(官兵衛が仕えた西播磨最大の領主小寺氏の本城跡) ⇒
国府城跡(秀吉に姫路城を明け渡した官兵衛が移り住んだ城跡を車窓から見学) ⇒ 灘菊酒造(昼食) ⇒
姫路城・天空の白鷺(秀吉の中国攻めの拠点にと秀吉に姫路城を明け渡し天下取りの足がかりとした) ⇒
姫路文学館(戦国時代の官兵衛の活躍を描いた「播磨灘物語」。司馬遼太郎記念室へご案内)
3 集合場所・時間 JR姫路駅南バスターミナル 9時30分
4 参加費 5,000円(食事代・保険料等含む、子供500円引き)
5 締切 各催行日の前日まで
6 募集 40名(最少催行人員20名)
7 申込方法 神姫バスで電話にて受付(先着順)
8 主催 姫路市
お問い合わせ:神姫観光ツアーセンター
TEL:079-224-1919
http://www.hyogo-tourism.jp/topics2/index.php?act=dtl&id=9186
らしい
0593人間七七四年
2012/09/07(金) 21:29:36.07ID:/+6CbOST黒田官兵衛の本って小和田先生の本や、本山先生の本をちょっとしか読んでないんだけど、
そんなに酷い話なのですか?
黒田官兵衛が好きですが、詳しくないのでわからない…
0594人間七七四年
2012/09/07(金) 21:53:59.86ID:w2593Mc3城井の話は俺は官兵衛はやってないとみてるけどな。
長政なら分からんけど。
官兵衛は約束を反故にして騙し討ちするような人間じゃない。
鳥取城は官兵衛は不在だったなんて話もあるけど
提言するだけなら可能だから実際に進言したかどうかはご想像におまかせ。
ただ城攻めに於いて兵糧攻めはセオリーなので責められる筋合いは無し。
水攻めに於いても同様。
0595人間七七四年
2012/09/07(金) 22:47:36.79ID:wkPkwMTk何をもって酷いとするかだな
お互いに条件十分で敵味方に死人出まくりが酷いのか
兵糧攻めや水攻めで相手の体力を奪って抵抗させること無く負かすのが酷いのか
和睦や助命を理由に呼び出したり武装解除させたりした後に暗殺やなで斬りなんて
拡大過程でやってない大名の方がレアなくらいだし
城井の場合は領土回復が悲願だったのはわかるけど
先に佐々成政の重税化に反抗した熊本の一揆勢が助命されなかったくらいだしな
0596人間七七四年
2012/09/07(金) 23:27:53.49ID:lKWMyXGXどこでも土着の国人を中心として反乱がおこったんだけど
例えば、柳川の立花宗茂はものすごく綺麗な対応をしてて、
騙し討ちではなく、相手の武士の面目を立てて、
正々堂々と相手に通告したうえで、一対一で斬りあったのちに鎮圧してる
同じ殺害するにしても、黒田家のやり方がちょっとひどく見えるのは確かかな
戦国では、よくあることではあるけどね
あと城井の件では、肥後につれていった鎮房の息子を孝高が殺害するときに
自分自身で手を下さず、加藤清正に頼んで殺してもらってるのが、
逆に何気にひどいかもしれない。血を見るのが嫌いだった人なので、
自分で殺したくなかったんだろうけど
0597人間七七四年
2012/09/08(土) 00:03:46.25ID:vk6yGCfE>正々堂々と相手に通告したうえで、一対一で斬りあったのちに鎮圧してる
黒田の城井に対する対応は不味かったが
宗茂のやり方もお坊ちゃん過ぎると思うけどね
スポーツと違って命の遣り取りなんだから
負けた場合のことを考えると家臣にやらせたくない手法じゃね?
雑兵使った集団戦でもある戦と違って武士同士が直接戦う訳なんだから双方人的損失も大きいしね
勝って無事鎮圧出来たから褒められるけど、もし負けてたら評価も変わって潔い馬鹿呼ばわりされたかも知れん
0598人間七七四年
2012/09/08(土) 00:25:04.50ID:KGJ/Vi/nもし失敗してたら、という仮定で立花宗茂を下げる気にはなれないなあ
黒田家の対応は、よくあることではあるけど、別にほめられたことでもないんだし
さくっと戦で勝っとけば、別に謀殺する必要もなかったわけで
まさに普通の戦で勝てなかったから、結果、もてあまして騙し討ちにしたのは事実なんだしさ
0599人間七七四年
2012/09/08(土) 04:52:27.68ID:kZWuYzkZ城井氏の件については、
「官兵衛はやってない」
または
「戦国時代としてはよくあることだが、あまりよいやり方ではない」
と言うことですね。
城井氏の息子の処分を加藤清正に手伝わせた、と言うのが本当ならなんかショックです。
腹黒だけど正直で逃げない人だと思ってたので…。
引き受けた清正も人がよいのか…
官兵衛ですら勝てなかったのは、九州の豪族が強かったのでしょうか?
佐々はついてないですね。
0600人間七七四年
2012/09/08(土) 04:53:11.32ID:kZWuYzkZ0601人間七七四年
2012/09/08(土) 04:53:18.79ID:aRY9MqBK熊本の一揆衆と佐々をまとめて殺していた秀吉の怒りの矛先が
黒田にも向くことになっていた
そういうまさに可及的速やかに方を付けるために
毛利にも助けを頼みこんでやっと押さえ込んでいた
宗茂が切腹覚悟で斬り合いやったってのを美談にするのはともかく
切腹取り潰し覚悟で黒田もそうするのが当然だというのは違うと思うな
不幸な事に城井鎮房自身も武勇に謳われていたってのもあるし
0602人間七七四年
2012/09/08(土) 12:25:53.24ID:kKQFdvEI誰もそんな無茶言ってなくね?
状況的に仕方ないけど、後味が悪い話ってところでしょ
黒田親子自身が、城井の祟りを恐れて神社建てざるをえなかったんだから
本人たちもそれなりに後ろめたくはあったんだろうし
上の話を読んで、正直、やっぱり宗茂スゲーとは思ったけどねw
>>593
むしろ、備中高松城の水攻めが悪い話っていうのがわかんない!
毛利三家を備中に釘づけにしたうえで、手も足もでないようにして
しかも味方の兵を損なわず、相手方も三木や鳥取と違って
誰も飢死せず和睦させてるんだから、どう考えても天才的な戦術じゃん!
もっとも、クロカンが水攻め自体を提案したとは黒田家譜には
書いてなくて、アイデア自体は秀吉の発案で、実行したのが黒田や
蜂須賀なわけだけど
あとの四国征伐の時にも、黒田は自分で水攻めやってるので
このひとに向いてる戦法ではあったんだろうね
0604人間七七四年
2012/09/08(土) 19:11:12.23ID:sl/mhg1R0605人間七七四年
2012/09/08(土) 21:30:24.13ID:vk6yGCfE彼の出自は川並衆だし、木曽三川を生活の場にしていたはずだから
洪水で海に浮かぶ島のようになった輪中や堤防が壊れて被害にあった輪中も見て来たはず
そう言った記憶から高松城の地形や増水した高梨川を見て
故郷尾張の水に浮かぶ輪中の姿連想して秀吉に進言
秀吉も尾張出身だけに三川が溢れた時の輪中の事は見てはなくても
知識として知っていたと思うから策として妙案だと思ったんじゃないかね?
逆に官兵衛はなまじ兵法を知ってるだけにこんな奇策は思いつけなかったんじゃないかな?と想像する
0606人間七七四年
2012/09/08(土) 21:39:46.33ID:InHg4r2o水攻め自体は官兵衛の発案では無い、ってのは間違いないんじゃないかな。
0607人間七七四年
2012/09/09(日) 10:23:51.20ID:11R6wOeu城井の件で加藤清正に頼んだのって、孝高自身の足が悪いからじゃないの?
自分の家臣にやらせればよかったと言われればそれまでだが
0608人間七七四年
2012/09/09(日) 13:32:13.70ID:xv5M2VB4部下に命じるのが普通。理由はもちろん返り討ちが危険だから
最後の一太刀だけ形だけ大名がつけることはあるけどね
息子の長政も、手討ちを結構してるんだけど、たまに自分で斬り捨ててるけど、
ほとんどは部下に命じて斬らせる上意討ちだし
孝高自身、足が悪くなる以前、例えば小寺政職に命じられて同僚を殺害したときは、
自分で斬らずに配下に斬らせてるし、確か栗山利安は、孝高に代わって2回
斬ったことが武功として書いてあったはず
だた清正はもちろん家臣ではなく、孝高と同格の大名なので、城井の息子
の殺害を頼むのはちょっと不思議な感じはする
もっとも清正が手ずから斬ったんではなく、清正の手勢が城井の宿舎を囲んで
放火・殺害したということだろうけど
0609人間七七四年
2012/09/09(日) 16:04:18.23ID:MH8x9Lvt自分で手を下すのが嫌だったのか、城井の武勇を恐れて清正に任せたのか…。
官兵衛が、ここまでやったってことは、よっぽど危機迫ってたってことか。
まじ秀吉怖い。
スレチだけど城井は空気読めなかったけど、ちょっと気の毒だ。
伝説の弓の技が出来たってうろ覚えで聞いたけど、どんな技なんだろ
0610人間七七四年
2012/09/09(日) 18:36:32.18ID:Sh8ww8GH>自分で手を下すのが嫌だったのか、城井の武勇を恐れて清正に任せたのか…。
武勇自慢で他人にも武を認められてたのは
親父の城井鎮房でこっちは長政自身で始末した
清正に始末頼んだのは息子の朝房の方で
こっちはあまり記録は無いんだけど父より武勇下に見られてたのは間違いなさそう
0611人間七七四年
2012/09/10(月) 11:35:33.24ID:zpokYFvn豊前で城井鎮房を長政が謀殺した直後に、肥後で孝高が朝房を殺してしまうと
あまりにも明らさまに、黒田家の連携プレーで仕組んだのがバレバレだからじゃない?
たぶん、初めから城井親子を豊前と肥後でそれぞれ謀殺する予定で、
孝高は息子の方をつれていったんだろうけど、ちょっとカムフラージュするためというか
0613人間七七四年
2012/09/11(火) 07:00:37.27ID:If7UhLOR上の秀吉から見れば先の失敗を取り返す黒田の手際の良さと感じるが
連係プレーでないと思わせちゃったら、お前ら行き当たりばったりかよ?と
0614人間七七四年
2012/09/11(火) 16:43:49.36ID:+8tlXMn9肥後の検地反対一揆で一日で打ち切られたんだよな
秀吉の顔に泥を塗った形になった肥後の国人衆には同情するが
それに乗っかった城井にはどんな感情を持てばいいのやら
0615人間七七四年
2012/09/11(火) 17:24:16.24ID:2FD8qPqaあと、お聞きしたいのですが、何で官兵衛はキリスト教にはまったのでしょうか?
すごい現実主義者なのにふしぎです。
>>610
おお…恥ずかしながら勘違いしていました。
ありがとうございます。
>>611
なるほど!
加藤もグルだったのでしょうか
>>614
事情がよくわからない自分は、代々の土地を没収されて、騙し討ちされて、
一族皆殺しは気の毒だなぁと思っちゃいました。
朝鮮出兵頑張ればよかったのにとか、
秀吉に逆らうのはどうかなとか、
官兵衛に泣きついて、もうちょいマシな条件を引き出すとかは無理だったのかなとかも思いますが。
0616人間七七四年
2012/09/11(火) 17:41:01.89ID:IpEWvc3u0617人間七七四年
2012/09/11(火) 19:21:36.54ID:If7UhLORと言うかあの官兵衛があんな汚い手を使わなければいけない程当時の状況は切羽詰まった状態だったのかもな
0618人間七七四年
2012/09/11(火) 21:01:00.39ID:fzViOlmxすべてパーになる可能性もあったので、かなり焦ってたのは確かかな。
城井の反乱の際に、出雲から援軍に来た吉川広家(秀吉の命令じゃなく、
ボランティアで駆けつけた)が立てた作戦を、如水が却下するんだけど、
広家としては何で駄目出しされたのかわからない。
それで、不審に思いつつも広家は自策を取り下げるんだけど、
戦のあとで如水が「いや、実は戦術としてはよかったんだけど、援軍に来た
あなたにあっけなく勝たれてしまうと、大敗したうちの息子の失態が際立って、
長政に対する関白殿下の心証が悪くなるじゃないですか。だから、わざと採用
しませんでした」と種明かしして、謝る話が吉川側の「陰徳太平記」に載ってたりする。
緒戦で息子が城井に負けて鎮圧に失敗してるのが、黒田家としてはかなり痛い失点に
なってるから、とにかく早く収拾せざるをえなかったというのはある。
0619人間七七四年
2012/09/11(火) 23:07:54.93ID:9OX3dI+V地理的には豊前とあまり変わりがなくて京大坂の情報には触れてたはずなのに
方や筑前の領主は早々と秀吉に付いてその命に従い、方や朱印状突き返し、あげくに惣無事令破りの死亡フラグ
0620人間七七四年
2012/09/11(火) 23:35:38.43ID:fzViOlmxひさびさの統一政権になりつつあった中央の豊臣政権の実力というのは、
なかなか地方では実感できない面はある
あと、筑前は九州の要所だから、実際に九州征伐が始まる以前の
国分け案の時点では、秀吉の直轄領化を予定していたくらいで、
当初から在地領主に本領安堵の目がほとんどなかったというのは
豊前との違いとして大きいかも
城井は息子を九州征伐に参陣させたというのもあるし、本領安堵の可能性
ないしは希望が、中途半端に残った部分がある
0621人間七七四年
2012/09/12(水) 02:34:55.29ID:8g/YDEV30622人間七七四年
2012/09/12(水) 08:05:38.27ID:Fvg/4yOu支配地増やして行ったけど自らの直轄地は殆ど増えてない
おまけに支配下にある部下や在地領主に褒美を与える為に
神社や寺を潰して領地取り上げた事も一度や二度じゃない
0623人間七七四年
2012/09/12(水) 13:07:12.57ID:r7qmdNNh大友宗麟が、九州のなかで畿内の中央政権と良好な関係を築けたのは
北九州で長い間、毛利家と戦っていた要因が大きい
秀吉以前の早い段階から、大友家は対毛利戦の一環として、畿内の織田や
備前の宇喜多(あとで毛利に寝返って、もう一度織田に寝返る)
・浦上と同盟関係を築いてきた経緯がある
織田・豊臣政権にとっては、毛利(中国統一の障害)・島津(九州統一の障害)
の抑えの位置だから良好な関係を維持していた
信長は、本能寺の変がなければ、中国攻めで毛利家を滅ぼしたあと、
大友家に長門・周防を宛てる予定だった
0624人間七七四年
2012/09/12(水) 18:38:29.58ID:qqkt/iTn0625人間七七四年
2012/09/12(水) 19:09:53.89ID:8g/YDEV3すごいのかそうでないのかわからない人だ…。
とにかく思い切りがいい人だったのだろうか
ありがとうございました。
0627人間七七四年
2012/09/12(水) 20:02:24.36ID:Fvg/4yOu南蛮貿易によって不足しがちな自国の資金を得る為でもある
家臣にも入信勧めたのは宗教心以外に家臣らに神社仏閣を
破壊する後ろめたさを軽減かつ行為を正当化する為の手段でもあったと思う
0628人間七七四年
2012/09/12(水) 20:30:39.93ID:H9nOBwuI2人はユートピアには取り込まれなかったけど
0629人間七七四年
2012/09/12(水) 20:54:34.87ID:HnLnSe+g好意的ではあるが
0630人間七七四年
2012/09/13(木) 06:08:59.67ID:YiRa+l820631人間七七四年
2012/09/14(金) 21:31:40.35ID:IEUxWb6p武徳編年集成っていう家康の記録読んでいた時には
長政が城井の血筋が耐えるのを哀れんで
朝房の身重の奥さんを英彦山に匿って出産させたとなっていた
んで関ヶ原では家臣の芳賀権之助が御家再興のために
家康のところで陣借りしたが戦死したそう
0632人間七七四年
2012/09/14(金) 22:28:46.51ID:x15ENDsM横レスだけど、江戸期にも大名復帰運動をしてる<城井
朝房の息子を逃した話は、碑史では昔から諸説あって、
逃がしたのは孝高になってたり、長政になってたりいろいろある
おそらく身重の妻が運よく難を逃れたというのが実態で、
身重なのを知った上で、わざわざ黒田家側が嫡流を逃がすって
いうのは、ちょっと考えにくいけどね
0633人間七七四年
2012/09/14(金) 23:46:05.74ID:cLegFo73黒田家が筑前の国主となって家臣を大量に召し抱える必要が出てきた時も
城井の旧臣は召し抱える事なかったので武家としての復帰の望みはほぼ絶望
それで合願寺の赤塀は討ち取られた城井家臣の血の色が落ちないだとか
城井谷の人々は以後明治まで城跡で野イバラの枝を地に挿し黒田氏を呪ったとか
実際にはそんな儀式行われた事ないのに何故か中津近辺では信じられ続けた事が怨みの強さを感じさせる
0634人間七七四年
2012/09/15(土) 11:16:56.86ID:SnsE7OfF福井で召し抱えられた本家の記録がそうなっていて
そう提出されてたってことじゃないのか?
悲劇性を強めて地元の再興運動の熱意を高めるために
滅ぼした当人たちに助けられたって部分は伏せたとかで
実際城井に味方して黒田に全滅させられた一族とかもいた可能性もあるしな
0635人間七七四年
2012/09/15(土) 13:50:16.25ID:DSYT/P90手段選ばず族滅させても構わんと言う行動とっても不思議はないわな
まぁ、そんな中だから城井派の中から黒田に寝返った中間統種の存在は光る
中間氏にすりゃ一種の賭けみたいなもんたが賭けは見事に成功して黒田姓を貰い
万石取りでもなく、生え抜きの譜代でもないのに筑前6端城の松尾城の城主に抜擢されるんだから
黒田氏にとって豊前の一揆がどんだけ苦しかったか、また中間氏の行動がどんだけ有り難かったか想像も出来る
0636人間七七四年
2012/09/15(土) 23:20:58.68ID:KM484IHh自分は詳しくないので、
感情論ですが、どっちもあり得る感じがします。
他の方も仰っておられるように、本当に切羽つまってたんでしょうね…。
孝高はわりと、戦国武将では情がある方なのに。
武徳編年集成や黒田家譜、図書館で借りれるといいなぁ。田舎はつらいぉ。
ありがとうございました
0637人間七七四年
2012/09/18(火) 21:19:33.56ID:r973EG5x誕生日が1566年12月22日、(グレゴリオ歴1567年1月1日)
とあるんですが、現在使われている太陽歴だとどっちなんでしょう
あとだいたいの出生時刻(朝とか昼とか)は黒田家譜にあるんでしょうか?
0641人間七七四年
2012/09/18(火) 23:46:00.45ID:BPIR9uQp信長の幸若舞の様に実用性より様式的なもんだったんだろうが
0642人間七七四年
2012/09/20(木) 10:59:14.24ID:0rvhMwj/多いんだけど、
城井鎮房に対する秀吉の対応は相対的に穏健で、
むしろ、黒田家が一貫して妥協の余地のない強硬派なんですよ
そら、城井の本領が黒田家の領地とほぼ重複するので当然なんですが
最終的に両家の和睦を命じたのが、そもそも秀吉自身で
それまで黒田孝高は城井側からの和睦を拒絶し、武力討伐の方針だったのを
大坂からの命令で受諾せざるをえなくなったんだし
0643人間七七四年
2012/09/20(木) 11:08:33.23ID:0rvhMwj/小早川隆景と安国寺に依頼→この二人が豊臣秀吉に直接とりつぎ→
秀吉の命令で孝高が和睦を受諾→和睦成立後に黒田家による騙し討ち
という経緯があって
黒田家:武力討伐の方針、当初から城井と和睦・交渉の余地なし
もうひとりの豊前の大名である毛利(森)吉成:
当初から城井の処遇に同情的、(城井の)本領に代わる一時的な代替地を
自分の領内に用意、折を見て自分から本領安堵を秀吉に取りなす約束済み
(実際に行ったかどうかは史料が残ってないので不明)
吉川広家:黒田家の援軍にきた豊前にきた際、広家が秀吉に城井の領地について
取りなし、待遇改善の仲介を約束(実際に交渉したかどうかは不明)
と、この件に関しては、現地の方針・交渉窓口自体がバラバラで混乱状態
最終的に、城井は筑前の小早川・安国寺ルートという、豊前の当事者を回避し
直接秀吉に黒田家との和睦を願い出る交渉によって、和睦が成立した
0644人間七七四年
2012/09/20(木) 11:16:56.46ID:h/MbtMfK0645人間七七四年
2012/09/20(木) 11:22:44.05ID:0rvhMwj/交渉窓口になってゆくのですが、この時点では外交ルートが一本化していない
豊前のなかでも、黒田孝高と毛利吉成では方針がまったく違うし、
援軍にきた吉川広家も介入して取りなしを約束するなど、要するに
中央の豊臣政権(秀吉)が、現地の状態をすべて把握しきれない状態だし、
逆に城井氏側としては、豊臣系の大名といろいろな交渉・約束をしているのに
宙に浮いて進捗しない状況下で、黒田家と交戦状態になっている
0646人間七七四年
2012/09/20(木) 11:50:21.70ID:0rvhMwj/黒田家側との和睦案には、城井氏の本領安堵は含まれていないし
武力討伐に時間がかかると豊前の混乱が長引く
相手側との妥協の余地があれば、そら交渉で片づけるでしょう
城井氏側からもちかけてきた和睦なんだから、条件が妥当なら
拒否して、わざわざ手間ひまかけて皆殺しにする理由は秀吉にはないわけで
城井氏側にせよ、最初の豊前からの転封を拒否して以降、まず毛利吉成を
仲介とした秀吉との交渉を継続する意志は一貫してあるわけで
戦国板でよく見かける「鎮房は秀吉の朱印状を三度も突き返した」というのは
具体的にはどの交渉・書状を指しているのか、ちょっと自分には典拠がわかりませんが
0647人間七七四年
2012/09/20(木) 12:07:28.77ID:0rvhMwj/書状を発給しているので、可能であれば武力討伐路線でもよかった
ただ、当初の予想より武力鎮圧が長引いたので、小早川・安国寺からの
取次を機に、適当な落とし所で和睦で妥協、という非常に現実的な判断
だと思います
秀吉の対応を「穏健」と言ったのは、そういう意味
0650人間七七四年
2012/09/20(木) 12:24:33.80ID:0rvhMwj/黒田家と城井氏側の和睦成立については、黒田家譜
(城井側に立った史料では、黒田家から和睦を申し出たことになっている)
吉川・毛利の豊前への援軍と城井側との交渉は、「陰徳太平記」「陰徳記」に
記述があります
吉川の「陰徳太平記」は史料としては不確かな部分も多いのですが、
基本的に黒田家寄りの記述なので、別に城井側に有利な史料ではない
北九州の取次関連は、日本史の個別論文・著書を参照したので、
自分で史料までは当たっていません
あとは、秀吉の黒田家宛ての発給文書・書状で関連するもの
参考になるかどうかわかりませんが、一応書いときます
0651人間七七四年
2012/09/20(木) 12:41:02.10ID:h/MbtMfK陰徳はある意味毛利家の気風
みたいなものが感じられる気がします
0652人間七七四年
2012/09/20(木) 13:07:31.68ID:iJunBV+Iこれを秀吉が和睦を斡旋したことを根拠に否定してるのかな?
読み違いならすまん
0653人間七七四年
2012/09/22(土) 14:16:55.07ID:IomGbSVZ当然秀吉の命令か許可が無ければ謀殺できないだろ
補強にはなるだろうが否定の根拠になるわけが無い
0654人間七七四年
2012/09/22(土) 23:46:01.18ID:LIbtVjGK0655人間七七四年
2012/09/22(土) 23:47:30.35ID:/3atuCBeという説も強くなってるな
0656人間七七四年
2012/09/23(日) 00:27:10.48ID:6/YsVFG7抗争を煽っていた印象の方が強いのは何故だろう
正しい使い方ではなく利権化していたからだろうか?
0657人間七七四年
2012/09/25(火) 00:54:27.84ID:zeoF50kS「黒田官兵衛」で生年月日他入力して占った
うろ覚えだけどこんな感じ
☆ふくよかで品がよく、
血色のよい顔です
☆超絶仕事人間です
☆頭がよくて頼りになります。でもたまにポカをするので頼りきらないようにしましょう。
☆礼儀正しいです
☆よき父、夫となるでしょう
ふくよか?礼儀正しい?
なんか微妙に当たっているような、いないような…
0659人間七七四年
2012/09/25(火) 06:52:54.19ID:c7yC4jzN秀吉は国内では実際に惣無事をやり遂げただろう
その後に朝鮮に向かったが一応支配体制は惣無事だった
0662人間七七四年
2012/09/25(火) 21:18:47.85ID:hFgJ/Bnz室町幕府の紛争鎮圧なんてなんぼでもあるやん。
つーか秀吉の惣無事と足利義満の守護大名抑圧政策の何が違うんだって話やな
0664人間七七四年
2012/09/26(水) 09:58:47.50ID:fmy+3rkwなんで戦国に突入してからになるんだ?
じゃあ豊臣には秀吉死後に惣無事のため具体的にやったことがあるのか?
0666人間七七四年
2012/09/27(木) 11:39:27.14ID:77Cps7C2http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/thk/20120822/20120822005328.jpg
0667人間七七四年
2012/09/27(木) 21:19:58.88ID:/ffAfVkr素朴な疑問なんだけど、黒田家による城井の謀殺って、
そもそも規模からして惣無事令違反に該当するの??
この程度の小規模な武力行使による敵対勢力の誘殺・鎮圧って、
惣無事令の発令後も、九州でも奥州でも現地の判断でザラにあるけど
事前に秀吉の許可がなくても事後報告ですませてる場合が、ほとんどなんだけど
秀吉経由で和睦自体は受諾してるんだから、そこで軍事行動は停止
=惣無事令を守っているわけで、あとから領主である黒田家の判断で
城井を謀殺しても、何の問題もないんじゃないの?
名分は「黒田家に叛意あり」とでも何とでもつくわけで
この程度の謀殺自体が、惣無事令違反になるほどの大事とは思えないんだよね
0668人間七七四年
2012/09/27(木) 21:26:38.88ID:PsuYI3dh0669人間七七四年
2012/09/27(木) 22:52:49.65ID:NErhFr3o0670人間七七四年
2012/09/28(金) 00:14:54.92ID:PbdEqAGA収まらなければ和解を理由に城井誘き出して殺っちゃえば?って策だったのかもな
0671人間七七四年
2012/09/28(金) 01:03:09.28ID:xKg6kxVV自分は、逆に秀吉の指示なり、内諾なりがあったなら、それこそちゃんとした
武功にカウントされるから、むしろおおっぴらに正規の記録に残したと考える立場だな。
というのは『黒田家譜』では、孝高が主命で謀殺・暗殺したときは
どの場合でも、ちゃんとどういう理由で、誰に命じられて、
実際には誰が斬ったのかまで、ちゃんと明記してるのよ。
なぜなら主命による謀殺を成功させるのは、まっとうな武功だから、
むしろ堂々と記録に残すべき事柄なのな。
小寺時代にも、あるいは秀吉の名代で淡路〜四国に派遣された際にも、
孝高は主命で敵対者を謀殺してるんだけど、詳細まで書いてあるわけ。
でも城井の件は、そういう記述はないのな。
0672人間七七四年
2012/09/28(金) 01:15:07.96ID:bjq7Kb/h秀吉の意に反して加藤が黒田に手を貸す理由が思いつかない
0673人間七七四年
2012/09/28(金) 01:16:03.95ID:xKg6kxVVのちのち適当な理由つけてでも、やっぱりこっそり謀殺しとくわ(え?)。
和睦したって、自分の領内に面倒なもめ事の種を抱えるのには
かわりないわけだし、孝高くんでも、それくらいはふつうにするだろうと。
もしかしたら、自分の感覚がずれてるのかもしれないけど。
戦国板では逸話スレとかで、秀吉はラスボス扱いなんで、
わりと悪いことは、秀吉のせいになっちゃう風潮があるけどね。
0674人間七七四年
2012/09/28(金) 01:24:32.47ID:xKg6kxVV『黒田家譜』では、加藤清正ではなく、孝高自身の手勢が、
ヌッ殺してたと思うんだけど、違ったっけ??<城井の息子の方
いま手元にないから、学校の図書館に行かんと確かめられないけど
0675人間七七四年
2012/09/28(金) 07:23:58.82ID:6NNRPs9Yそれに便乗した城井を特別扱いするのかな?
上杉とか真田も秀吉に降って以降に自分から仕掛けてたっけ?
0676人間七七四年
2012/09/28(金) 23:16:59.11ID:iCUiXwCZ肥後の国人衆って、領主の成政の頭ごしに、秀吉との間に入って、
仲介する大名なり奉行なりのコネクションってあったのかな?
城井は、上の方のレス見ると、毛利や隆景やエケイ(変換するのが面倒だw)とかを
つうじた交渉手段を確保してるっぽいけど、じかに秀吉と交渉できないから
そういう仲介や取次の役割は、秀吉の匙加減にも響くだろね
上杉は、取次の石田三成と非常に上手くいったし、
逆に伊達は浅野長吉と不和だったのが、やはり豊臣政権での秀吉の温度差というか、
両者の待遇差につながっている面はある
0678人間七七四年
2012/09/29(土) 11:49:52.57ID:WLQ53y8Sしかも清正は城井親子の死を悼んで寺まで建ててるからな。
黒田親子と親交があったとはいえ、
命令でもない謀殺に清正が手を貸したとは考えにくい。
あと孝高は倹約家であまり録に執着が無いのもお忘れなく。
0679人間七七四年
2012/09/29(土) 12:27:05.89ID:MQQv9Lqp当時の武将は自分で主人を決めるってところがあったから
与える禄が少ないと働きがいのない殿様と暇請いされて有力武将を他家に持って行かれる
0681人間七七四年
2012/09/29(土) 15:02:40.85ID:uqlRgH8Z国人一揆の際に九州で秀吉への取次役が出来そうなのって
黒田と毛利吉成くらいじゃなかっただろうか
肥後国人衆にとって何気に城井って
仲介者を当事者にしてしまうという余計なことをしていたのかもしれないな
0682人間七七四年
2012/10/10(水) 16:08:18.02ID:Fc2KfA6b0683人間七七四年
2012/10/10(水) 16:46:22.58ID:+JncLtp10684人間七七四年
2012/10/10(水) 16:47:41.49ID:2E4KMrX20685人間七七四年
2012/10/10(水) 16:53:45.49ID:Rb3K20Cz0686人間七七四年
2012/10/10(水) 16:54:54.01ID:ylE6Lyxx官兵衛ヲタ気の毒に
0687人間七七四年
2012/10/10(水) 16:57:46.82ID:qwbksDWg再来年のNHK大河は「軍師官兵衛」=主演は岡田准一さん
時事通信 10月10日(水)16時19分配信
NHKは10日、2014年の大河ドラマが、戦国時代、豊臣秀吉の軍師として活躍した武将黒田官兵衛の生涯を描く
「軍師官兵衛」に決まったと発表した。主演は「V6」の岡田准一さん(31)。
0688人間七七四年
2012/10/10(水) 17:03:03.21ID:+69tDu8f0689人間七七四年
2012/10/10(水) 17:16:52.48ID:4vi53MU/0690人間七七四年
2012/10/10(水) 17:22:17.23ID:dPp+cJx/地元はスルーして無理やり信長秀吉にからませるという
0691人間七七四年
2012/10/10(水) 17:44:41.22ID:XomAtVnN浦上に嫁いだ妹たちの話とか
0692人間七七四年
2012/10/10(水) 18:09:51.46ID:hIyQjKNeしかしどんな官兵衛でやる気かね。
野心家、謀略の士としての官兵衛か。
義将、仁将として、不遇の人としてか。
バサラみたいなアホの子としてか。
0693人間七七四年
2012/10/10(水) 18:20:15.25ID:3K1BJ6DK息子じゃなくて親父に脚本書き換えられたりして
0694人間七七四年
2012/10/10(水) 18:24:17.21ID:N7aukXBaあと関ヶ原の時天下を狙うみたいな俗説が無かったら評価する
0695人間七七四年
2012/10/10(水) 18:51:51.32ID:UNolMfCjジャニーズは持ってこない方が良い
玉山哲二(漢字シラネ)
あたりが良いと妻が言っていた。
二枚目、頭がキレそう、黒い役もできる
確かに玉山あたりなら向いてそうだ
0696人間七七四年
2012/10/10(水) 18:55:10.46ID:1LzTRwMNフロイスの日本史に出てくるみたいな硬派で高潔な官兵衛像だったらそれはそれで新鮮でいい
ただシンギシンギうるさいだけの、バカっぽいキャラにされるのは嫌だな
直江の悲劇を繰り返すのでは…と心配
0697人間七七四年
2012/10/10(水) 18:56:06.69ID:2E4KMrX2愛妻家
ハンデに負けない男
信長に恐れられた男
秀吉に恐れられた男
家康に恐れられた男
義の為に
主君を裏切る
一人で有岡城に
宇都宮を謀殺
息子の恩人の家紋を使わせて貰う
官兵衛最高や!
0698人間七七四年
2012/10/10(水) 19:30:12.93ID:g2Od6wDq0699人間七七四年
2012/10/10(水) 19:33:46.41ID:wBaBd+0K0701人間七七四年
2012/10/10(水) 19:51:51.69ID:hAei6L9g0702人間七七四年
2012/10/10(水) 20:14:08.79ID:UNolMfCjの方が面白かったと思う。
特に大河ドラマの明智って真実に迫りそう
真田は黒い部分が封印されるだろから歴女が盛り上がったろうし
カンベーなんて玄人しか知らないだろう
視聴率は清盛以下じゃないのか?
2013といい、NHKは大河を自ら潰そうとしているとしか思えん
0703人間七七四年
2012/10/10(水) 20:23:49.18ID:Fc2KfA6b実際の黒田官兵衛の体格ってどうなんだろう。
絵だとよくわからない。
0704人間七七四年
2012/10/10(水) 20:29:11.55ID:EdX3jeT0いや、メジャーでしょ
戦国時代好きなら秀吉知ってるでしょ
秀吉知ってたら半兵衛官兵衛は絶対に知ってないと・・・
三成とか小物でしょ
0705人間七七四年
2012/10/10(水) 20:38:42.09ID:lehn4PQD昨年このスレ立った時のテレ東の新春ワイド時代劇「二人の軍師」の原作は好きだったが
他にあれくらいまとまっているのは知らないのでオリジナル脚本になるのは仕方ないかな。
大河で三傑はもう飽きたという人でも意外と信長周辺と関ヶ原本戦辺りに知識が偏っていて
賤ヶ岳以降の七本鎗とか半兵衛官兵衛なんかは知らない人が多いんじゃないかな。
0707人間七七四年
2012/10/10(水) 21:47:17.64ID:SYdaRy6gでも、兵庫ばっかり舞台になっても、いいのNHK?
これ今から、三成が悪の奸臣でごっつい仇役になる予感がして怖いわw
あと、悪いことは基本的にすべて信長、秀吉、家康の担当になって
孝高くんは、人命と信と義を尊ぶ平和主義者な白い主人公設定で行く気だろ
播磨を戦乱から守るために、織田に味方するというストーリーが見えてきたお
個人的にはキリシタンをどう描くのか、秀吉をどう魅力的に描くのかが興味ある
長政はふつうに愚息扱いになるだろうけど
とりあえず前半は宇喜多・毛利を出して、西国西国した戦国ものにするんだ!
で、後半は浅野とか蜂須賀とか、子飼とか豊臣恩顧をいっぱい出してくれれば
絶対見るお!
0708人間七七四年
2012/10/10(水) 22:30:20.75ID:s5jKrw1g0709人間七七四年
2012/10/10(水) 22:31:39.80ID:LFVWHDHtNHKに官兵衛好きが居るのは間違いないw
0710人間七七四年
2012/10/10(水) 22:34:15.93ID:hAei6L9g官兵衛題材にした小説なんて山ほどあるんだし、そん中から原作選べばいいのに
0711人間七七四年
2012/10/10(水) 22:41:51.15ID:UNolMfCjないない
一般人の間では三成の方がよっぽど有名だと思う
0712人間七七四年
2012/10/10(水) 23:26:43.07ID:Rb3K20Cz今まで例だとそのうち2冊くらいはまともな評伝があるから期待している
秀吉の軍師だとか間違った認識が今だに横行してて
まともな研究をされてない人物だからいい機会でもある
0713人間七七四年
2012/10/10(水) 23:40:08.87ID:Fc2KfA6b再来年が本当に楽しみ!
本山先生が、関連書籍をどうぶった切るかも楽しみ!
>>707
秀吉が渡辺いっけいって噂だ
マジなら食事が喉を通らないくらいすっごく嬉しい!!
0714人間七七四年
2012/10/11(木) 00:58:23.44ID:XBFvCEYjいつかは絶対やると思ってたけど、
姫路城改修完了前に孝高大河をもってくるとは思わなかった
でも、すごくうれしい!
0715人間七七四年
2012/10/11(木) 01:29:09.92ID:AlVthoueで、黒田家の黒歴史である
城井のくだりはどうするんかね?
個人的には歌舞伎のシナリオなみに、ドラマチックにアレンジしてほしいんだがw
斑雪白骨城だっけ?
0716人間七七四年
2012/10/11(木) 01:43:13.30ID:yORtL5HY0717人間七七四年
2012/10/11(木) 01:46:23.03ID:yORtL5HYでもにわかで嫌われるかな鹿児島だからそんな会なさそうだし…
0720人間七七四年
2012/10/11(木) 02:13:12.84ID:XBFvCEYjある意味このスレがその会のようなものだと思えばいいじゃん!w
「川角太閤記」では、城井謀殺でも綺麗な孝高のままだったりする
孝高が長政に「鎮房は討っても、妻や侍女たちには罪がないので、
みんな故郷の周防に送り届けなさい」と命じて、肥後に出立
→長政が鎮房と家臣・父を謀殺後、「それでは手ぬるわ!」と
鎮房の妻を火あぶりにして、残りの女は河原でみんな磔に
「こんなひどい先例は、これまで聞いたこともない」という
どうしてこうなった展開に
さぁ、これで城井謀殺でも何でもバッチコイ!
長政がシメオン様の汚れ役を引き受けてくれるはず!たぶん(え?
0722人間七七四年
2012/10/11(木) 02:20:33.45ID:yORtL5HYありがとう
しょっちゅう西郷どんの話ばっかでいやだった(嫌いじゃないけど)
城井の件は真実はよくわからないけど、
長政だけのせいにはしないで欲しいな
0723人間七七四年
2012/10/11(木) 02:32:16.44ID:AlVthoue最近のNHK的に考えて、
そんな感じの裏事情を採用しそうだなw
再来年も結局、
ゲスい秀吉像になるんかねえ…(食傷)
0724人間七七四年
2012/10/11(木) 02:37:24.33ID:XBFvCEYj黒田家譜でも、孝高・長政で事前に打ち合わせて計画的に謀殺した
とちゃんと書いてるので、長政単独ではなく父子共犯なのは間違いない
この事件はいろんな異本・バリエーションがあるので、ドラマとしては
かなり自由に演出できるけどね
ただ謀殺自体が秀吉の命なのか、黒田家の判断だったのかについては
たとえば小和田哲男先生は、史料がないのでわからないという立場で
真相は今となっては永遠に謎のままというのが正直なところだと思う
0725人間七七四年
2012/10/11(木) 04:24:49.59ID:BnOD9kal九州の国人一揆は
島津征伐から凱旋して大茶会を開いていた秀吉の顔に
中止という泥を塗ったという話しなんで。
一旦黒田と城井が和睦になったのは秀吉の命令なんで
それを覆せるのも秀吉しかいないし本気で切れたんだろうと。
0726人間七七四年
2012/10/11(木) 15:42:55.78ID:WRKbpFKk今年の清盛以下の出来にはならんだろ
脚本おかしい、演出おかしい、登場人物も頭おかしい
音楽も毎回毎回、同じ旋律が流れるっていう
清盛は、きっと官兵衛のために人柱になってくれたんだ
歴史ドラマはやっぱり大変で、下手すると本当に変な話になるという教訓のな
でも、天地人のような感じの駄作になる可能性は、かなりある気がする・・・
0727人間七七四年
2012/10/11(木) 16:08:34.64ID:qw3UxRCT0728人間七七四年
2012/10/11(木) 17:56:34.16ID:aFy2IM8N0729人間七七四年
2012/10/11(木) 18:41:24.79ID:BnOD9kalこれ別所に呼応した小寺本家と手切れになった時に
独立して信長に属したとは見なされなかったのかな?
815 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 01:16:17.88
>>794
これさ、戦国板でもよくこう言う人多いんだけど
クロカンは信長の直臣だった時期はまったくないんだよ
黒田家譜にも信長・秀吉の書状にも秀吉の与騎という表現はない
つか信長と孝高の会見すら信長公記には記録がないくらい軽い扱いで
かろうじて主君の小寺と一緒に一箇所でてくるくらい
理由は簡単で、孝高の主君はこの間小寺政職のままで、信長の直臣でも
秀吉の家臣(織田の陪臣)にもなってないから、あくまで小寺の家老として
馳走せよと命じられているだけで
有岡城からでて、主家の小寺家が御着を退去したあと、そのまま秀吉の
直臣に組み入れられたかたちになる
播磨で一万石の大名になった時は、すでに播磨1国は秀吉の所領で
直接秀吉から知行宛行を受けて禄を貰っているので、
ある意味、信長から寄騎として秀吉につけられた
竹中や蜂須賀よりも豊臣恩顧中の豊臣恩顧というべきなんだが
991 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2012/10/11(木) 05:56:10.98
でも当の黒田家譜自体は、唐入りに対して評価はシビアなんだよ
個別の戦いとか武功とかは、これでもか、ってかんじで書いてるんだけど
全体的な評価としては、日本に攻めても来ない外国にわざわざ攻め入って
結局一寸の領地もとれず、異国の民も日本の民も苦しめて
こんな馬鹿なことしたんだから、豊臣政権は滅んでも仕方ないという
そういう書き方になってるんだわ
0730人間七七四年
2012/10/11(木) 19:30:22.46ID:AlVthoue最近のNHKとしては、スルーしたい説かも…
0731人間七七四年
2012/10/11(木) 19:39:13.02ID:/Eip0dg90732人間七七四年
2012/10/11(木) 21:26:34.27ID:yORtL5HY赤合子兜を見たいなぁ
>>727
小早川って美形だった気がするし
確かに恵はアリエナイ
>>724
詳しい解説アリガトン
黒田家譜のが一番真実に近いのかなぁ
0733人間七七四年
2012/10/11(木) 22:09:15.68ID:X1VDEiZK自分も制度的に孝高が信長の直臣だった時期はないと思う。
信長直筆の孝高宛ての手紙もあるけど、ほとんどは荒木村重と
秀吉を取次として仲介して、感状出したり命令を通達してるし。
何より、まだ主君の御着の小寺家が存在してるわけだから、
もし信長が直臣として引き抜いたなら、記述があるはずなんだけど、ない。
孝高は信長と直接会ったことあるとしても、おそらく岐阜での初回の対面だけで
こっちは黒田家譜にあるけど、確かに信長公記にはまったく記述がない。
竹中は信長の直臣で秀吉の寄騎だから、直接、信長に対面して報告している
記述が信長公記にはある。
竹中が松寿丸を助けることになったのも、そのとき長浜城にいた竹中が
秀吉の名代として信長に安土に呼びだされたからで(秀吉は長浜に不在だった)
松寿丸は最初から、信長に対する直接の人質ではなく、秀吉の管轄する人質扱いだし。
下の方は、貝原益軒による唐入り評価の部分ですな。
江戸期の儒学者は、文禄・慶長の役に対しては一般に否定的な見解がふつう
なので、この評価自体は不思議はないかも。
0734人間七七四年
2012/10/11(木) 23:29:44.80ID:+qsrBbyJ与力の従属性が北条や武田より高いから切り分けたいなら慎重にした方がいい
0735人間七七四年
2012/10/12(金) 00:16:45.36ID:9sycRI9Xおお、織田家中の制度史に詳しそうな方、発見!
織田家の組織について無知なので、是非教えていただきたいのですが
黒田孝高に対する知行宛行状が現存していて、天正8年9月のもので
発給者は秀吉自身、このとき孝高に与えられたのが播磨のうち都合1万石、
これと前後して蜂須賀正勝に5万3000石、前野長康に3万2000石、
浅野長吉に2万石と、いわゆる豊臣恩顧の中核となる諸将にも同様に、
秀吉は自領である播磨51万石から割いて宛てがいを行っています。
これによって、はじめて黒田孝高は大名となったわけです。
(そもそも小寺孝高としての姫路城主時代は石高制ではないので、
正確な知行も不明で、いかなる知行宛行状も現存していない)
それで、蜂須賀、前野や浅野といった面々は、もともと寄騎として信長から
秀吉に配属されるという手続きを経ていたと思うのですが、織田家の場合、
秀吉が直々に彼の名で知行宛行を行い、彼らを大名にした時点で、
いわゆる寄騎から秀吉の直臣に制度的には移行した、と考えていいんでしょうか?
織田家では制度的に寄騎と陪臣を分けるラインがどこにあるか、という問題なんですが
0736人間七七四年
2012/10/12(金) 10:52:55.17ID:q8NF8Dri1573年の印南野合戦について誰か教えてください
0737人間七七四年
2012/10/12(金) 13:32:50.83ID:FN00yU0A明智の丹波・丹後拝領とか滝川の上野+信濃一郡拝領とかも最初っから与力分含むって感じだし
豊臣政権になってからも組下大名の領地まで含めて公称拝領?みたいなのあったじゃん
0738人間七七四年
2012/10/12(金) 16:21:15.72ID:YEzaxd3H『まずエロ本で誘い出す。そして思い切りくすぐって、真っ白に燃え尽きたら
鏡を突きつけ、トドメに子ども時代の思い出を突きつける!』
http://shindanmaker.com/279549
0739人間七七四年
2012/10/12(金) 17:32:49.08ID:F25aAwPJ>秀吉は自領である播磨51万石から割いて宛てがいを行っています。
>これによって、はじめて黒田孝高は大名となったわけです。
秀吉から領地を分け与えられて尚かつ直臣的立場にあったのなら
単なる直臣で大名とは言えないんじゃね?大名なら石高の差があっても立場は一応同じ
秀吉と離れて独自の別行動取る事も出来るし、島左近や直江兼次の様な万石取りの大名格家臣って感じに思えるが
0740人間七七四年
2012/10/12(金) 20:36:19.64ID:iC99GYBg事情がわかる可能性があるということだね。
そこで蜂須賀や浅野、黒田の知行宛行に言及してるかどうか。
参考までに、小和田哲男の『黒田如水』では、この間の事情について
「一万石から大名なので、如水は信長家臣としてではなく、秀吉家臣として
秀吉から一万石を与えられ、初めて大名に列しているのである」とある。
弟の秀長も、前後して但馬を領有しているけど、このひとも
織田家中でどういう扱い(形式上は寄騎?それとも秀吉の陪臣)なのか
正確なところ、どうなんでしょう?
本当は自分で調べるべきなんだけど、織田家については興味なかったので、
信長公記くらいしか読んだことないので、そもそも史料の所在がわかんない。
誰か織田家に詳しい人で、このあたりの史料について知っていたら
教えてくださるとたいへん幸いです。
0741人間七七四年
2012/10/12(金) 22:03:43.89ID:KvmlBN69せっかく直臣として国人から分離した家臣を
代替わりの安堵状で一緒に安堵するなど譜代家臣と実質的にどこが違うのか
わからない扱い方をしていたりとかなりあいまいな物
ここで比較的資料の多い丹後丹波(細川文書)から秀吉と同様に明智細川の行った知行割が
一色氏らの知行を踏出し分の扱いも含めて信長が細かく指示してたりと
信長の意向の強い物だったことを考慮すると
曖昧な寄騎制、知行制だったものを
織田領内に大名分国を作り出すことを信長が強力に推進し
家臣団の整理再編成を行ってる状態だと推測でき
黒田らが与力から秀吉の直臣に「制度的」には移行したといってもいいかと
0742人間七七四年
2012/10/12(金) 22:44:20.15ID:MSYDbvqk管領や守護代ですら形骸化してた頃だし、
たかだか一大名が配下の扱いについて
一々そんな細かい制度を定めてたとは思えん。
0744人間七七四年
2012/10/12(金) 23:02:08.60ID:iC99GYBg丁寧に説明していただき、どうもありがとうございます!
とてもわかりやすい説明で、たいへん勉強になりました。
時期的に織田家による畿内とその周辺国の制圧が終わり、
領内の大名分国の創出にともなって、家臣団自体が再編される
まさに転換期にあたっていた。
それにより、秀吉の直臣として、のちの豊臣恩顧の家臣団が形成されはじめ、
黒田孝高も名実ともに秀吉の家臣となってゆく、ということですね。
0745人間七七四年
2012/10/13(土) 01:04:37.15ID:BngD9N2nなんで官兵衛は上司にいちいち警戒されるのかな
小寺氏には誠実に仕えてたのに。
0747人間七七四年
2012/10/13(土) 01:16:32.96ID:Xosr2qw8小寺には確かに警戒されたと思うけどw
0748人間七七四年
2012/10/13(土) 01:34:44.53ID:zTi6fMAsつうか東国に比べて西国って文化以外の政治・軍事がマジ後進地帯
もちろんだけど東国に東北はふくまねーからな
0749人間七七四年
2012/10/13(土) 01:59:22.84ID:ozC7TUqY一番わかりやすいのは禄かな。
官兵衛が秀吉に貰った中津が12万石。
似たような立場だった小六には30万石弱が
秀吉から提示されたって話だから
如何に官兵衛の禄が少ないか分かるというもの。
まあ警戒してた、ってより嫌われてた、
ってのが正解かもね。
0750人間七七四年
2012/10/13(土) 02:06:42.89ID:b6OU7AL1戦国時代の播磨から見ると、織田は完全に「東国」扱いなんだが
播磨を含む中国地方の同時代の軍記では、織田との戦いで
「東国」っていう表現がよくでてくる
基本的に、五畿内以西の地方を「西国」と呼ぶと思う
んで、逆に考えるんだ!
なぜ、そんな「先進的」な東国(北条って言いたいのかな)は
結局のところ、織田〜豊臣の織豊政権に負けちゃったのか?とな
支配している地域の経済力が、圧倒的に違ったからだろ
そういう意味では、少々軍制が優れてるくらいでは埋められない
大きな経済的(文化的にも)先進性が、東海〜畿内の地域にはあったわけで
0751人間七七四年
2012/10/13(土) 11:29:26.36ID:CZ2tIt75>一番わかりやすいのは禄かな。
>官兵衛が秀吉に貰った中津が12万石。
>似たような立場だった小六には30万石弱が
蜂須賀は阿波の18万石じゃなかったか?
徳川時代の淡路島を加えても26万石だったのに30万石はおかしい
中津も太閤検地後17万石に石高増えてるからむしろ対等と言える
小六が秀吉に働き仕えた年月と官兵衛の使えた年月と功績を考えれば
ちゃんと評価されてるしバランスとれてるだろ、むしろバランス欠くのは2人以上の領地貰った正則と清正だよ
0752人間七七四年
2012/10/13(土) 13:51:52.77ID:zTi6fMAs北条だけじゃなくて武田もだよ
武田なんて永禄年間には信長死ぬまで達成できなかった寄親寄子制すら脱して、
軍役によって提出された兵員を兵科ごとに編成するにいたってるわけでね
0753人間七七四年
2012/10/13(土) 14:15:57.51ID:iLKU40w6豊前中津では太閤検地はしていない
検地は黒田家自身で実施した
>>752
横レスで何だけど、要するに、寄親寄子で兵科編成がいい加減でも、
長期にわたって大量の兵力を持続的に動員ができた、織田・豊臣が勝者となって、
純粋な軍制面では優っていても、経済的にそれが不可能だった
北条・武田は負けたってことでしょ
そういう意味では、経済的先進地域の畿内とその周辺を支配する
アドバンテージは圧倒的に大きくて、どう考えたって武田・北条は
経済的に後進地域だったデメリットが大きかった、という
至極当然の話だと思うけど
0754人間七七四年
2012/10/13(土) 14:19:11.12ID:pMAA7Nd0しかし歴史的にはオランダ的な制度が時代をリードしていった。
まあそんな話だわな
0755人間七七四年
2012/10/13(土) 14:34:39.06ID:BngD9N2nもともと小寺氏に誠実に仕えてるのを知ってるのに、秀吉はあまり官兵衛を近付けたくない感じで、後事も託さなかったのが不思議で、
さらに、秀吉の元で立派な仕事を成し遂げているのに、なんとなく関ヶ原の処遇から見ると、家康も警戒してた印象があって…。
皆さんと違って、資料を読み込んでいるわけではなく、漠然としたイメージで書いてしまいました。
すみません
0756人間七七四年
2012/10/13(土) 14:50:18.76ID:Hf1EGX+Uこれを機に盛岡から兜返してもらえよ
0757人間七七四年
2012/10/13(土) 14:59:15.23ID:iLKU40w6横レスだけど、そんなこと気にせず、いろいろ書き込めばいいじゃん!
硬い話から、やわらかい話までいろいろあった方が面白いし
このスレは真面目で丁寧な人が多いし、凄く詳しい人もいるし、
ファンでも贔屓の引き倒しってわけでもなく、わりとバランス取れてるしで
戦国板のなかでは、居心地がいい方だと思うよ
0759人間七七四年
2012/10/13(土) 15:34:01.47ID:+4V8+t0X代表入りで知られるようになった感じだな
0760人間七七四年
2012/10/13(土) 22:11:40.11ID:1kQoI/3f清正と正則は秀吉の縁者だから比べるのが間違いだろw
0761人間七七四年
2012/10/14(日) 08:29:48.75ID:ZbMfym4i小六や官兵衛以外で15万石以上与えられたのは意外に少ない
片桐1万石、脇坂3万石、恵瓊6万石、嘉明10万石と大半が10万石以下
秀吉子飼いの三成や増田長盛は20万石クラスだけどこれも加増されてからの話で
スタート時は4万石とか14万石だからその点からも秀吉は官兵衛低評価してない
0762人間七七四年
2012/10/14(日) 15:31:18.12ID:YHbBhJzjただ、黒田家譜では、豊前12万石は孝高の功績に比して、あまりに少なかった
と何度も書いてある。ただし、それは筆者である後世の貝原益軒の評価であって、
当然ながら、黒田家の功績をもちあげまくって書く必要があるから、そうなってるわけで、
秀吉などの同時代人や、孝高自身がどう考えていたのかとは、別の話ではある。
0763人間七七四年
2012/10/14(日) 16:21:53.42ID:R9a4Rsg2暖かいお言葉、ありがとうございます。
いきなりですみませんが、お聞きしたいことがございます。
新訂黒田家譜は住んでいる県にはあるのですが、「黒田家譜」は住んでいる県の大学図書館にありません。
新訂の方でも内容に大差はないのでしょうか?
0764人間七七四年
2012/10/14(日) 16:38:59.00ID:YHbBhJzj新訂黒田家譜(福岡古文書を読む会:1982〜87年)全7巻で、全然問題ないお!
大方の公立図書館・大学図書館に入ってるのが、この一番新しい
新訂黒田家譜になります。
他の異本とか原本は、九大とか地元福岡を除けば、他の公立・大学図書館には
ほとんど所蔵されてないだろうし、日本史で専門の論文を書くために、
異本と突き合わせる必要があるとかなら話は別だけど、趣味として
孝高や長政の事跡を知りたいんなら、新訂で全然問題ないですお
0766人間七七四年
2012/10/14(日) 18:36:42.54ID:ZbMfym4i貝原は江戸初期の人間だから
比較対象として豊臣を渋ちんとする事で
気前よく筑前52万石をくれた神君持ち上げてるのかもね
あと事実かどうかは知らんが
秀吉は九州平定後官兵衛に筑前一国を与える口約束をしていたと言う話もある
筑前一国と中津じゃ官兵衛も不満出るかも知れないが、官兵衛が口約束を信じるとも思えんし
1万石程度の小領主から加増10倍の大名にしてくれたんだから嬉しくない訳ないと思えるんだが
これまでの苦労は12万石でチャラって感じで、もし筑前一国だったら官兵衛宗茂みたいに豊臣に忠義立てしてたかも知れん
0767人間七七四年
2012/10/14(日) 21:14:10.43ID:fI6j+dl6黒田官兵衛13万石
宮部継潤5万石(老齢にて大封辞退)
前野長康5万石
尾藤知宣5万石
亀井茲矩1万石
九州国分時あたりだと与力出身組はこんなもんだし
働きに応じて十分評価されてるね、くらいしか感想はないな
その頃ほとんど同じ使われ方して官兵衛のライバルと言える仙石秀久(10万石、失脚済)が
先に出世したのには、子飼い贔屓か、ぐぬぬと思わんでもないがw
0768人間七七四年
2012/10/14(日) 22:09:00.55ID:w8fGdrfW0769人間七七四年
2012/10/15(月) 00:03:02.38ID:60ZXLO6g0770人間七七四年
2012/10/15(月) 22:03:17.35ID:vBQ5eXH2何これ、兵庫は死亡フラグなの?地元なんだけど!
で、でも黒田大河は、大丈夫だよね?ねぇ、大丈夫だと言ってよ!NHK!
0772人間七七四年
2012/10/15(月) 23:33:29.33ID:VeVAy00qいいなぁ。私も兵庫県に住みたい。
岡田准一が主演の時点でなんか不安でもある。
決して悪い俳優じゃないと思うけど…。
綺麗な官兵衛路線かな。
個人的には堤真一か、
今大河で西光の役をやってる人(加藤虎之介?)が良かったな。
スレチすみません。
0773人間七七四年
2012/10/16(火) 12:17:13.48ID:dNZGIG8j0774人間七七四年
2012/10/16(火) 12:57:16.12ID:PmMmijqN豊後8群37万8千石 1群あたり平均約4万7千石
肥後13群54万石 平均約4万1千石
筑前13群52万1千石 平均約4万石
豊前(毛利吉成領)2群8万石 平均約4万石
豊前(黒田領)6群12万石 平均約2万石←自主申告
参考資料 「史伝 黒田如水」
あと関ヶ原のあと細川忠興が豊前小倉藩に移封されたときの同藩の石高が39万9千石
0775人間七七四年
2012/10/16(火) 14:04:40.04ID:c9v3X8e2人人: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽー=≠ミx,
`ー‐イ : : : : : : : : : : : : : : : : \ : : : : :/
マ (: : : : : : :〆: ハ: : :,ィi ヽ: : :ヽ: : :/
/: : : : /レ' ;ノ:/ハ:人: :/: :∨
ジ /\ / V: : 《
. {\〃\ J V: ‘,
で |: :/,.xァ≧x、 /ヽ: :‘,
》ィ と⌒C ヽ ,ィく=ミ、/: :ハ
っ.. { { {ノ!:::::::::i} と:::C }!: : :|ハ
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ノ: ヽ ‘、 ノ .イ: :ハ} | (_
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 ̄ ̄´ \ー- 'く⌒ヽ
ヽ ヽ ⌒} `ー-
0776人間七七四年
2012/10/16(火) 18:03:21.48ID:33Xy3PoM0777人間七七四年
2012/10/17(水) 00:17:23.38ID:DeXQB6iQこれさ、それぞれの郡って、面積的には大きさバラバラだよね?
指出だった豊前中津以外の地域が、一郡あたり平均4万石程度で標準化
されてるので、一瞬、中津以外は太閤検地で棹が入ってるからか?と
思ったんだけど、やっぱり違うよね
0778人間七七四年
2012/10/17(水) 01:02:45.51ID:jBejSjWm0779人間七七四年
2012/10/18(木) 07:30:27.77ID:zFrOy6Wp豊後2郡のみの頃は6万石(丹後宮津12万石の計18万石)
宇佐郡は4万1千石らしくて宇佐半郡は大友領
黒田領は最低でも17万石以上
実態は20万石クラスというところか
0780人間七七四年
2012/10/18(木) 14:31:33.29ID:CqNXs2pQ所詮は播磨の土豪だから
0781人間七七四年
2012/10/18(木) 14:37:37.40ID:ovYf0ydA0782人間七七四年
2012/10/18(木) 15:39:57.81ID:EENgVvMcこの時代の検地は石高を打ちだした分だけ、軍役負担も相応に重くなる
特に畿内以外の太閤検地は、唐入りの動員兵数確保が目的で、諸大名の軍役の
負担を上げる目的で行われてる。島津領の太閤検地はまさにそう。
無理やり中央の豊臣政権が70万石を打ち出して、動員兵数を確保した。
その意味では、12万石程度の石高で、二度の唐入りで5000人規模を動員し、
そのうえで関ヶ原で募兵可能な余力を残してたんだから、
ここはむしろ黒田孝高の財政手腕を、素直にほめるべきところなんだがなぁ
0783人間七七四年
2012/10/18(木) 16:04:35.27ID:CqNXs2pQそういう君主権の弱さを打破したのが三代黒田忠之
0784人間七七四年
2012/10/18(木) 16:31:53.20ID:EENgVvMc藩ごとぶち壊しかけたんだから、やっぱりどうしようもない馬鹿としか<忠之
0787人間七七四年
2012/10/20(土) 15:02:36.77ID:J3fniQgP個人的には谷原章介が良かったかな
堤真一は俺もすきだが 頼りがいのある男を演じるときの
あのダミ声(俺はこれのことをドヤ顔ならぬドヤ声と呼ぶ!)が賛否なのがなあ
0788人間七七四年
2012/10/20(土) 16:31:06.35ID:Q3SO33hN以前、開催された「長政と黒田二十四騎展」は行けなくて残念でしたが
大河の盛り上がりでまたやってくれないかなと。
肖像画フェチとしては御子孫さん蔵・初公開の「母里友信」は見たかった。
本当は少弐氏を研究しているが、黒田も大好きなので
皆様、よろしゅうに。
0789人間七七四年
2012/10/20(土) 17:09:21.52ID:8exgBFE5本人と奥さんの代表的な句を教えてもらえませんか?
0790人間七七四年
2012/10/20(土) 20:56:11.50ID:bvAr8jvj0791人間七七四年
2012/10/20(土) 21:20:13.65ID:8exgBFE5残っていたりするんでしょうかね?
0792人間七七四年
2012/10/20(土) 21:51:54.01ID:mcKMZq/kお光さんの歌も所載の「如水夢想連歌集」というものがあるらしいけど。
翻刻されているかどうかはわかりません。
0793人間七七四年
2012/10/23(火) 00:06:20.98ID:zVXQOpt/こっちはドスの利いた官兵衛になりそうだ
柴田勝家が主役だけど、原作では官兵衛も活躍してるので、こっちも楽しみ
0794人間七七四年
2012/10/23(火) 21:06:08.17ID:eEA/Ukp+____
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\_人_/
0795人間七七四年
2012/10/23(火) 22:08:32.66ID:TUu7/6Ql原作では黒い秀吉と悪い官兵衛が仇役で、策謀で勝家をはめるんだけど
憎めないコンビになってて面白かったね
0796人間七七四年
2012/10/24(水) 09:04:23.21ID:zFLthpAlもし秀次が忠告に従っていれば日本史は随分と変わったんだろうな。
0797人間七七四年
2012/10/24(水) 16:29:22.36ID:SqIYoogSほんとにそう助言していたとすればなにか企んでたとしか考えられんわ。
0798人間七七四年
2012/10/25(木) 21:23:10.08ID:OO0pfGGZ関白にしてもらったんだから、ここは太閤の心証をよくするために
ポーズだけでも渡海すると自分から申し出てた方がいい」という
秀次に保身をすすめた助言であって、別に黒田は何も企んでいない
0799人間七七四年
2012/10/26(金) 21:37:36.19ID:7VFBwKdd舌はもっとでかく
0800人間七七四年
2012/10/27(土) 18:35:03.19ID:gyPqN8Pw|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;.|
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\_人_/
0801人間七七四年
2012/10/27(土) 22:33:48.48ID:jYM9Il2k小早川隆景の役は誰がやるのかな?
0802人間七七四年
2012/10/29(月) 23:19:04.24ID:sd6uZDmB0803人間七七四年
2012/10/29(月) 23:21:29.71ID:dgW5jpdN0804人間七七四年
2012/10/29(月) 23:44:54.95ID:sd6uZDmBまあ普通に賢そうな二枚目を当てる役どころではある<隆景
0805人間七七四年
2012/10/31(水) 05:07:11.05ID:qrVfTY67どちらにしろ、ジャニタレ主演という時点で終わってる感があります。
0806人間七七四年
2012/11/03(土) 11:02:23.32ID:uROGT9JPhttp://www.rekishijin.jp/kachu-blog/20120412daisuigy/
浦野若狭守が作ったという兜が、水牛に似ているという知識をどうやって得たのでしょうか?
あと本山一城先生のサイトに福島正則と藤堂高虎に使用を許したとありましたが、藤堂家に残っているのでしょうか?
浅野長政所用の大水牛兜は現存していますが、これも黒田家に使用を許されたものなのでしょうか?
0807人間七七四年
2012/11/03(土) 13:27:33.12ID:4aGqt8ZF阿弥陀如来の使いである大威徳明王は水牛に乗ってるそうだし
大威徳明王を祀った神社もあるみたいだから水牛の姿は彫刻や仏教画に描かれていた可能性ある
何時の頃からかは知らんが彼の地じゃ閻魔大王は水牛に乗ってると考えられてるそうだからやはり宗教絡みだと思う
0809人間七七四年
2012/11/05(月) 10:22:52.70ID:HtJYMm9+なるほど、水牛のことは知識として持っていたとういことですか。
それを商人や宣教師たちから、更に補完したんでしょうかね。
0810人間七七四年
2012/11/15(木) 04:05:27.54ID:oPgEhlBnたそ、とのたまえば、名はいはで、信長公御生害で嬉しかろう、という、その声如水なり、秀吉答えず。
後、伏見の大地震に御屋形倒れ、秀吉公御死去の噂立つ。実は寝巻のままにて庭に避けてあり、
・・・夜あけて諸大名参れるの中に如水あり。御祝いを申しあぐる。
秀吉、如水にむかひて、昨夜はおれが死んだと聞いて嬉しかったらう、と、如水返事におよばで引退る。」
これは津軽伯爵家の蔵書中より、森銑三氏が発見した文書、『信政公御譚』の一節です。(森銑三著作集1より)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344129833
森銑三先生と言えば一廉の権威だそうですが、『信政公御譚』って資料的な価値はどれくらいですか?
やはり晩年の秀吉には警戒されていたのでしょうか?
0813人間七七四年
2012/11/17(土) 14:54:33.69ID:FY4LaJNK晩年の秀吉との擦れ違いはやっぱり有ったんだろうな
0814人間七七四年
2012/11/19(月) 19:19:31.06ID:ervUO9SX0815人間七七四年
2012/11/20(火) 21:08:07.41ID:cvhFTu2Jhttp://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kuroda2.htm
「ほぼ確定」というのはどこで?
0816人間七七四年
2012/11/26(月) 08:07:39.74ID:LuGH5D+20817人間七七四年
2012/11/26(月) 11:26:43.35ID:t6BG2zQV0819人間七七四年
2012/11/28(水) 07:57:20.15ID:6MlU71Pk0820人間七七四年
2012/11/28(水) 19:50:48.66ID:ToSL2iTF0821人間七七四年
2012/11/30(金) 16:43:25.18ID:oBYYcka5http://www.youtube.com/watch?v=fMSLXpfEF9s&feature=related
〜spirit loose〜ザ・ルーズ
http://www.youtube.com/watch?v=GI5Q3ZUVQTM&feature=related
ねがい("BUZZ!!" STYLE)
http://www.youtube.com/watch?v=YiXa77v9gf8&feature=related
0822人間七七四年
2012/11/30(金) 22:50:22.10ID:peXnLmga福岡市博物館では、一足早く、黒田家名宝展示として、黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣などを展示します。
※会場は、部門別展示室2「黒田記念室」です。展示替えがあります。(黒田節でおなじみの名槍「日本号」は常時展示)
【展示予定】
(1)脇差 名物「碇切(いかりぎり)」
・展示期間 平成24年11月27日(火)〜12月27日(木)
・黒田官兵衛孝高(如水)が愛用した刀剣
(2)国宝 刀 名物「圧切長谷部(へしきりはせべ)」
・展示期間 平成25年1月5日(土)〜2月3日(日)
・織田信長から官兵衛に授けられた名刀
(3)国宝 太刀 名物「日光一文字」
・展示期間 平成25年2月5日(火)〜3月3日(日)
・豊臣秀吉の小田原攻めの際、降伏仲介のお礼に北条氏から官兵衛に贈られた名刀
(4)大身槍 名物「一国長吉」
・展示期間 平成25年3月5日(火)〜3月31日(日)
・黒田長政が筑前1国の大守になるまで愛用した名槍
http://museum.city.fukuoka.jp/
0823人間七七四年
2012/12/11(火) 10:45:46.26ID:PM2CTIrv小出しにしやがって
0824人間七七四年
2012/12/11(火) 11:25:17.86ID:uEwiXuCe普通に考えて
0825人間七七四年
2012/12/11(火) 12:44:23.80ID:YejNZKsDその時は東京に住んでいて見れんかった
0826人間七七四年
2012/12/17(月) 02:27:42.35ID:rQEbo9LL改めてウィキペディアで見て驚いたんだが、
片足引きずってたとか、後藤又兵衛を寵愛してたとか、この辺の話も創作なのな。
0827人間七七四年
2012/12/17(月) 14:36:40.69ID:KgOAWF05小さい頃から黒田にいた説もあれば成人してからという説もあるし
黒田家譜かなんかで一度親戚の罪のとばっちりで脱走して黒田に戻ってきた又兵衛を使う長政に
「罪人の一族は重用すんな」と言ってるらしいし、又兵衛は官兵衛より長政が贔屓してた感じがする
0828人間七七四年
2012/12/19(水) 19:49:29.19ID:UmqJsckZ>「罪人の一族は重用すんな」と言ってるらしいし、又兵衛は官兵衛より長政が贔屓してた感じがする
そんな記述ないんだけど<黒田家譜
よくわかんないって自分で書いてるのに、「気がする」とか妄想全開なんじゃね??
0829人間七七四年
2012/12/19(水) 20:11:04.22ID:5TZSTdPQウィキペディアの黒田長政の項目にもこんな記述あったな。出展はなんだろ
0830人間七七四年
2012/12/19(水) 23:51:42.59ID:X1pgbyq7ごめん、自分がこのエピソードを見たのは雑誌か又兵衛の本で
実際黒田家譜は見てないのでそういう書き方になった
本が今手元にないのでもし見つけたら報告する
0831人間七七四年
2012/12/21(金) 20:04:27.72ID:H+Vj2mL7赤松氏が巴紋、小寺氏が藤橘巴だったから最初の頃からかな?
それとも後世になってから?
黒餅の家紋は半兵衛から譲られたって言うのでいいのかな?
0832人間七七四年
2012/12/22(土) 10:33:58.34ID:jaUAuEx4ここあたりがいいのでは。
あと福岡市美術館の黒田展に行った人いる?
俺は来年に行こうと思うのだが簡単なレポでも聞けるとありがたい。
0833人間七七四年
2012/12/22(土) 21:00:40.74ID:hxBjzFZV藤巴は使われていたんでしょうか?
0834人間七七四年
2012/12/23(日) 17:00:32.51ID:nWaHtw0k書いてあったのは綿谷雪の「実録・後藤又兵衛」
で出典は黒田家臣伝(貝原益軒)だった
で、官兵衛が又兵衛を使うなと言っていた、とは書いてあったが
長政が又兵衛を使い続けたっていうのは書いてなかったので
違う文と混同したみたい。迷惑掛けてすいませんでした
0836人間七七四年
2012/12/25(火) 09:23:16.56ID:06Y3p5fz小松山の戦いについてこのような注釈に書き換わっていたんですが
出展とか戦闘の詳しい内容とか判りませんか?
>およそ8時間戦っていたという俗説があるが、これは誇張表現。徳川方が後藤隊を発見したのが午前2時。
奥平忠次が抜け駆けをしたのが午前4時。
予定通り背後に回り込んだ水野隊が片山村から攻め上がり、伊達政宗、松平忠明らが総攻撃を開始したのが午前9時。
薄田兼相が打ち取られのは午前10時。又兵衛は人知れず自害しているので最期の時刻は不明ながら、兼相より先である。
0837人間七七四年
2013/01/08(火) 02:43:59.04ID:s3ttqvkChttp://www.facebook.com/photo.php?fbid=534793756538406&set=a.493451370672645.116960.490798450937937&type=1
全校児童6人、やった最高賞 中津市永岩小
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2013_135744095826.html
姫路城の修理見学施設 14年1月で終了
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201212/0005591761.shtml
大坂城試着体験
http://www.osakacastle.net/exhibition/try.html
0838人間七七四年
2013/01/08(火) 16:04:16.39ID:FFG0Yau80839人間七七四年
2013/01/13(日) 03:12:36.44ID:ddmKivr7光圀みたいなかんじで
そういえばこの人の奥さんはかなり長寿だよね、お悠さんのエピソードもかいてほしい
0840人間七七四年
2013/01/13(日) 03:27:21.36ID:ddmKivr7新春時代劇は栗山善助が播磨灘物語を忠実に再現したキャストでよかった。
栗山が実は一騎打ちも強いっていうのを時間がおしてるんで10秒くらいで
表現したのは笑ったが
0841人間七七四年
2013/01/13(日) 03:36:13.05ID:WMKo+C1Kそんな彼の渾身作「養生訓」には「エッチの前には小便をしておけ」と書かれている。
益軒先生も東軒先生とのエッチの際に小便をしなかった事で、やらかしたのだろうか(笑)
0842人間七七四年
2013/01/13(日) 03:39:42.98ID:WMKo+C1K0843人間七七四年
2013/01/13(日) 04:57:52.64ID:ddmKivr7「黒田三代 最終回」
光之「益軒、難儀であった。これからはこの福岡藩を支えるために粉骨してほしい」
益軒「ははーっ、ありがたきしあわせ」
(タッターン タララララ タッターン←OP曲)
0844人間七七四年
2013/01/13(日) 09:12:50.60ID:WMKo+C1K黒田(福岡藩)関係のblogを書いてた縁でアドバイザーとして呼ばれたんですが、これも黒田勘解由次官様々です
0845人間七七四年
2013/01/17(木) 01:45:02.40ID:Xwqbvg5F日本号と圧切り長谷部は見てみたいものだな
信長と秀吉が触ってたものだし
0846人間七七四年
2013/01/25(金) 14:26:57.38ID:xo8tl7tt備中高松城の支城の1つで、かつての宇喜多と毛利の争奪戦の地。
真書太閤記によると、
先日、支城の1つの冠山城が宇喜多忠家の先陣と加藤清正や美濃部十郎などの活躍で簡単に落ち、
この城は官兵衛を大将に蜂須賀小六と木下平太夫の1000騎ほどが受け持っている。
しかし、300騎ほどの城兵の守りは堅く、退いて誘っても城外には出てこない。
城主を調べると、応永の乱で赤松に攻められ戦死した播磨の長水城の摂津守宗綱の子孫である
世砂の里に落ち延びてきた庄右衛門の子で、日比将監の婿となった日比右衛門大夫政之。
しかし、子の役に立とうとする親の庄右衛門は、風の強い日に織田軍の陣に火を放つことを
日比右衛門に伝えようと密使を送り込もうとするが、黒田の小斥候が捉える。
擬装用に持たされていた激励文を読み、小六と平大夫は骨折り損と考えたが、
官兵衛が拷問に掛けようとすると白状した。
秀吉は脇坂と糟屋を派遣して庄右衛門主従を捉え、
福島正則に命じて農民から柴2束、藁1束ずつを買い、積み上げさせる。
ここに主従を磔にかけ、官兵衛の秦桐若、浦庄大夫、立花七郎に火刑の準備をさせ、
平野長泰から日比右衛門に火刑を行なう事を通告する。
通告までに、井楼を築いて銃撃を加えていたこともあり、
城主は城門を開いて攻めかかり、磔の鎖に取り付いた時に、
太鼓の音とともに秦桐若らが襲いかかり討ち取り、城は黒田と蜂須賀の攻撃により落ちた。
勝鬨のあと、庄右衛門主従は秦桐若により柴に火がかけられ、焼け死ぬ。
若が勲功第一となった。
秦桐若は、二十四騎・竹森新右衛門次貞の弟。
常山紀談によると、
黒田家の士に秦桐若といふ剛の者有り。唐団扇長さ一丈計もあるを指物にしける故、敵見知て近付ず。
或時さし物をかくして、近々と成て不意に出せば、敵大に驚きて引退きたるほどの者なりけり。
0847人間七七四年
2013/01/27(日) 08:23:25.27ID:Z+ZWm+unpdf化されているパンフレットの
城井氏の戦いの地図と中津城の情報がいい
1 名前:生徒もろきみ!φ ★[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 01:05:01.88 ID:???
来年のNHK大河ドラマで初代中津城主黒田官兵衛が描かれることを受け、中津市教委は、市周辺の官兵衛ゆかりの地や
遺構を紹介するパンフレット「初代中津城主 黒田官兵衛をたどる」を作成した。市内各所で配るほか、観光客へのPRで連携
する福岡市や兵庫県姫路市など官兵衛と関係が深い自治体にも送る考え。
パンフレットは、A4判8ページで6千部作成。官兵衛と戦った地元豪族の居城跡などを地図とカラー写真で案内するほか、
官兵衛が築いた九州最古の近世城郭とされる中津城の魅力を、現在も残る貴重な石垣などにスポットをあてて紹介。現在の
旧城下町に残る町割りや町名、豊臣秀吉とのつながりを示す瓦などの遺物も掲載している。
中津市:パンフレット「初代中津城主 黒田官兵衛をたどる」発行!
http://www.city-nakatsu.jp/docs/2013012300011/
※ソース先にpdfファイルあり
ソース(西日本新聞) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/345131
0848人間七七四年
2013/01/29(火) 20:55:56.86ID:9KqUekH+兵庫県姫路市亀山の亀山御坊本徳寺で27日、「軍師官兵衛と仏教」と題した歴史対談があった。
同寺の大谷昭仁住職と、書写山円教寺の大樹玄承執事長が、姫路出身の戦国武将・黒田官兵衛が
仏教とどう向き合ったか‐などについて、参拝客約200人を前に語り合った。
官兵衛は、軍師として仕えた豊臣秀吉に織田信長軍の播磨での拠点を円教寺にするよう進言し、軍隊を置かせた。
大樹執事長は「信長の比叡山焼き打ちからまだ8年ということもあり、円教寺は全く抵抗しなかった。だからこそ今まで続いてきた」と話した。
官兵衛が、姫路市の峰相山にあったとされる鶏足寺を焼き打ちしたことを巡る議論もあり、
大谷住職は「仏教に集まった民衆が反信長、反秀吉となるから軍事力でつぶしたのでは」と述べ、
仏教のせん滅のためではなかったとの見方を示した。(
神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/alacarte/201301/0005699698.shtml
0849人間七七四年
2013/02/04(月) 04:32:59.31ID:gxqeQoDDhttp://www.shinyusha.co.jp/~top/02mook/kuroda-kanbei.htm
早々とこれまでよりもいい雑誌が出たなと思ったら
本山先生の寄稿もあったというより真ん中だった。
交友関係のところで官兵衛が利休七哲の1人という説は初耳だ。
どの辺りが家康の天下を阻んだ男なのかは不明だが
他はポイントを抑えている感じで
黒田二十四騎や天王山の合戦CGなどが良かった。
キリシタンについて述べるなら高山右近だけではなく、小西行長、蒲生氏郷、明石全登、
他に茶人でもある荒木村重や織田有楽などにも触れて欲しかった。
0850人間七七四年
2013/02/04(月) 09:49:19.92ID:XPTONn7j黒田七哲説って、どこから来たんだろう?
孝高は確かに利休流の茶道なんだけど
利休に茶道を習いに行ったのも、時期的には九州征伐の後だから
七哲と比べるとかなり遅いし、ほとんど利休との茶会の記録は残ってないはず
むしろ茶会の記録としては、関ヶ原後の博多のものが一番多く残ってるんだが
0851人間七七四年
2013/02/04(月) 13:25:42.69ID:QBQYFaTp黒田七哲説となると大河のためのクロカンageにしか見えないな
0852人間七七四年
2013/02/04(月) 13:47:59.93ID:tpRMJ55o0853人間七七四年
2013/02/04(月) 22:48:17.97ID:7jj9gEIqわりと古くからあるから、その焼き直しで、ついでに右近や村重と親しかった
シメオン君も入れちゃたんだろう<七哲説
でも「シメオン君も七哲だった!」はやりすぎ、やりすぎ!www
0854人間七七四年
2013/02/04(月) 22:57:50.44ID:/Jp2Uxz40855人間七七四年
2013/02/04(月) 23:45:26.43ID:gxqeQoDDみたいなネタは大好きだがw
0856人間七七四年
2013/02/05(火) 00:10:04.82ID:KNtIhkuzもしくは第七課みたいな組織名と考えれば良い訳か
0857人間七七四年
2013/02/05(火) 00:46:59.78ID:0HX7c+Quこのひと、官兵衛を好きなのはよくわかるけど、わかるんだけど
思い詰めすぎてて怖いっていうか、なんか暴走しそうでハラハラするお
よくある大河への便乗ではなく、熱烈ファンのトンデモつうか
0858人間七七四年
2013/02/05(火) 11:54:13.77ID:1pCXyaio婚礼当日に浦上親子ともども赤松政秀に討たれたのは
官兵衛の実妹ではなく職隆が養女にした義妹だという説はどうなんだろう?
親子討ち死にで没落した浦上氏の清宗の弟の誠宗に
一緒に討ち死にした豪族の娘を職隆が養女にして嫁がたとかならまだ解るんだけど
黒田小寺氏は養女になると箔が付くくらい実力があったってことなんかな?
官兵衛と利高の生まれは離れているので
間に誰か姉妹がいてもおかしくは無さそうだが
当時は娘がいても早世すれば記録には残らないとかあるのかな?
0859人間七七四年
2013/02/05(火) 21:36:42.56ID:vjbN10vC嫁ぐくらいの年齢なんだから、もしそんな妹が存在したなら、
普通に黒田家譜の家系図に残るだろう。別に嘘をつく必要もないわけで
0860人間七七四年
2013/02/05(火) 23:38:46.10ID:1pCXyaio0861人間七七四年
2013/02/06(水) 20:43:56.86ID:AGm06dFSでもまあ先生のその熱心さが無ければ
今俺らが知っている官兵衛の知識は半分程度になっていただろう
多少の暴走はスレのネタにもなるし
少なくとも来年の大河が終わるまでは活躍し続けてもらいたい
0862人間七七四年
2013/02/06(水) 21:43:02.28ID:8rnnMG7u仕方ないというか、そんなもんだろうね。
HP見たところ、かなり他の小説に対しては辛口だけど、
史料としては黒田家譜を読んでるくらいで、一次史料にあたってるわけではないし、
基本的には好事家の仕事なわけだから、そのへんは起用する方もわかってるでしょう。
(むしろ、自称で官兵衛の子孫名乗るとか大丈夫か、下手したら
黒田家からクレームくるんじゃないの、とか、そっちの方が心配になったが)
黒田如水研究としては、まとまった学問的な研究書では、
小和田先生のミネルヴァの近刊くらいしかないので、大河を機に
未発掘の史料とか郷土史や日本史の分野で新研究がでてくれないか、と期待してる。
0863人間七七四年
2013/02/06(水) 22:22:47.17ID:AGm06dFS>史料としては黒田家譜を読んでるくらいで、、一次史料にあたってるわけではないし、
それは流石に失礼だろう
0864人間七七四年
2013/02/06(水) 22:24:02.39ID:AGm06dFS0865人間七七四年
2013/02/07(木) 21:48:05.64ID:5sqlQvtiは、すべて>>849の雑誌を売ろうとする、本山本人によるステマ
とかだったら面白いんだけなw
というか、今初めておれはこの人の名前を初めて知ったんだけど!
もしかして地元とかでは結構有名な人だったりするの?
0866人間七七四年
2013/02/08(金) 00:10:04.01ID:FEnlrAHz実際にどうかはしらんw
0867人間七七四年
2013/02/08(金) 08:02:45.97ID:ISYJU4jv一般には知られてないだろうが
黒田関係の新書を当たれば
ソースは吉川か司馬か本山かってのが殆どだよ
この3人が凄いというよりは
未だに黒田がマイナーだって事の方が大きいと思うが
本山先生だけは現在進行形の研究者だからな
0868人間七七四年
2013/02/08(金) 20:48:23.14ID:qq1Y55Qd「歴史研究家」か「郷土史家」というのが、正確なところか。
本業は骨董屋なのか漫画家なのかわからんが、研究機関に所属してるわけでは
ないし、学問的な著作も公刊してないからな。
別に「研究者」を上に見てるとか、そういう意味じゃなくて、
「研究者」というのは、その分野での学門的業績(学会誌に掲載される論文を発表する、
学術書の基準を著書を満たした公刊する等)があり、アカデミックな学問的経歴と所属、
つまりこの場合なら、日本中世史を大学で専攻し、通例、修士号・博士号をもち、
大学やその他の研究機関に所属・勤務している専門家を指す概念だから。
0869人間七七四年
2013/02/09(土) 00:54:48.72ID:ywP01cwI0870人間七七四年
2013/02/09(土) 01:31:42.00ID:YZHTNLFL>>869
ん、ふつうは研究者=学者なんじゃね?
理系でも文系でも専門教育を受けた院生・教員=研究者=いわゆる学者だし
学者じゃなくて、自分で好きで調べてるって人は、研究家で合ってると思うが
0871人間七七四年
2013/02/09(土) 09:35:10.55ID:QEikwMIx研究者と研究家に差は無いだろう
14年大河ドラマ ゆるキャラで官兵衛PR 姫路
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201302/0005727264.shtml
かんべえくん
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201302/img/d_05727265.jpg
黒餅くんで良かったのに
0872人間七七四年
2013/02/15(金) 10:17:00.19ID:N5oddJYlしかし官兵衛は出ていなかった
0873人間七七四年
2013/02/15(金) 11:42:14.92ID:4tpmKL2D秀吉 戦い方が未熟だけど人間性に興味ありあり
家康 興味なし
こんな感じだった
0874人間七七四年
2013/02/15(金) 14:53:04.54ID:Wrb8qS20新発見がないせいかどれも内容的に被るのは致し方ないが
0875人間七七四年
2013/02/16(土) 07:09:55.05ID:3lOuZ+tnこの、小田原征伐で、信雄と家康を先陣にして、家康の本城に秀吉が入る策略というのは、
何処かに出典はある?
0876人間七七四年
2013/02/17(日) 12:05:29.66ID:tHPnrezV風林火山は泥臭い現場人の延長線上だからいいけど
戦略的な雰囲気を出さないといけないし。
野村満斉のクロカンは見たいけど、秀吉役をそれなりの役者じゃないとつり合いが・・・
勝新は死ぬし、緒方拳は死ぬし、津川は小物時代が微妙だし、団十郎は死ぬしで見る機会はなさそう
0877人間七七四年
2013/02/17(日) 12:22:00.16ID:tHPnrezVクロカン:野村満斉
秀吉:緒方拳
吉川元春:遠藤健一
小早川隆景:宮迫
輝元:葵で家光やってた人
0878人間七七四年
2013/02/17(日) 14:44:06.77ID:2LLqAbwL0879人間七七四年
2013/02/17(日) 17:12:18.56ID:tHPnrezV0880人間七七四年
2013/02/19(火) 11:38:07.92ID:DZjjH9EE大河化のお陰でネットでも官兵衛の色々な足跡が知れて楽しい
0881人間七七四年
2013/02/20(水) 11:38:23.26ID:QAr1hUyOhttp://kyoto-tukuribito.jp/SHOP/chizu.html
0882人間七七四年
2013/02/20(水) 11:56:38.57ID:PVdHzRYz黒田兵庫⇒窪田正孝
黒田長政⇒風間俊介
井上周防⇒生瀬勝久
栗山備後⇒伊藤淳史
後藤隠岐⇒藤本隆宏
母里但馬⇒青木崇高
0883人間七七四年
2013/02/20(水) 22:54:25.02ID:PevnnqzZ歴史上の人物とはほとんど関係ない
「わたしの考えた理想のキャスト」や俳優萌はほどほどにね
つか大河板で、もうお前らさんざんやってるだろw
0884人間七七四年
2013/02/21(木) 07:41:50.44ID:cTePMw6oイエズス会でポルトガル語だよね?
Josuiをジョズイとか読んだ可能性ってある?
Josui Simeonでジョズイ スィーミォン
http://www.oddcast.com/home/demos/tts/tts_example.php?sitepal
0885人間七七四年
2013/02/21(木) 08:27:01.85ID:6G4R6s8/ポルトガル語で違う発音だったとしても
日本人の耳には音捉えられなくて違う発音で表記した例があるしな
0887人間七七四年
2013/02/21(木) 20:31:18.58ID:cTePMw6o言い方が悪かったです
如水をジョズイと読んでいた可能性はあるのかな?です
それとも日本人はジョスイと読んで
宣教師たちはクァンビョウィとスィーミオンだけだったのかな?
0888人間七七四年
2013/02/22(金) 00:02:29.14ID:phcTf2at如水とは書かれてなかった記憶がある
ただ、実際に本人に呼び掛ける場合と、記録として正式に書く場合では
違ってくる可能性もあるからなぁ
0889人間七七四年
2013/02/23(土) 21:58:31.15ID:Z4nYAwjlhttp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201302/0005758578.shtml
>14年放送のNHK大河ドラマで主人公となる姫路ゆかりの黒田官兵衛を観光、
経済の活性化に生かすため、計14事業に3億2700万円を投じる。
うち2億円は官民の推進組織に支出し、姫路城周辺で検討するドラマ館の整備やPRイベントに充てる。
本山先生にも少しくらい仕事いくのかな?
0890人間七七四年
2013/02/24(日) 10:22:17.38ID:cJGvoWpi0891人間七七四年
2013/02/24(日) 19:22:43.04ID:owK2Hjk5余沢や便乗で仕事も増えるのは理解もできるんだけど、
匿名掲示板の2ちゃんでまで、
大河ゴロが自己宣伝するのは官兵衛、いや勘弁なw
0892人間七七四年
2013/02/25(月) 20:15:47.03ID:OPXStpaLどうせなら少しでもその辺りへの支援に使われたらいいなあ
0893人間七七四年
2013/02/26(火) 10:04:42.54ID:xQfuNYJ7それはでも、それぞれの漫画家なりライターのファンが、
個人のブログなりでやるのが良識なんでは?
自分も平田先生の黒田三十六計とか好きだけど、別にファンじゃない人もいるだろうし
評価もいろいろだろうし。
戦国板や日本史板のスレは、黒田孝高という歴史上の人物を語るスレであって、
何かを支援するとか、そういう風になるのは、ちょっとなぁ。
大河になったら、確かにステマっぽいものとか、そういうのこのスレでも
増えそうだけどね。
0894人間七七四年
2013/02/26(火) 16:02:26.13ID:tDYr6q8n有象無象の漫画家が中途半端な知識で仕事するよりは
人間何時までもご健在とはいかないし
長い間官兵衛に関わってきた人たちにも割り振ってもらえれば
0895人間七七四年
2013/02/26(火) 20:06:48.66ID:tDYr6q8n官兵衛に限らず戦国時代はその年頃に親を亡くした子どもなんて幾らでもいただろうけど
書物に耽溺したという記録が特に残っているくらいだから
他にも変わった行動があったんだろうか
0896人間七七四年
2013/02/26(火) 21:31:33.84ID:/sVLnEPq幼い頃は書物や歌に興味がなく、弓馬の道をもっぱら好む
→母の死で急に歌に耽溺→近くに住んでた坊主が説教
→改心してすぐに元に戻った、とあるので、耽溺したとしても短期間だけだし
0897人間七七四年
2013/02/27(水) 01:41:16.69ID:u+Lo1MzS中津も中津オリジナルの官兵衛のゆるキャラ作ってるみたいだけど、長年やってたあかんべえくんを起用してやればいいのにな
ついでに今更な話題だけど、光姫の句はちょっと前に姫路でやってた官兵衛の魅力展に太宰府の連歌会の際のものがあったな。直筆かは分からんが。
大河楽しみ過ぎて夜しか眠れん
0898人間七七四年
2013/02/27(水) 20:23:31.06ID:QiUKbTmOhttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ea/ad017c4a20fa253a460ef7fb63703a06.jpg
>>896
直ぐに戻ったとは言っても文学や和歌を多少嗜む程度のことは珍しくない時代に
説教されるくらい耽溺したと記録に残るくらいだから1〜2年くらいはやってたのかなと
あるいは傍目から武士ではなく学者になるつもりかと心配されるくらいに
0899人間七七四年
2013/02/27(水) 22:07:29.12ID:htpH4GSA家譜でもあっさり書いてるだけだし
0900人間七七四年
2013/03/05(火) 04:15:56.02ID:ElG+huW4展示してたのかぁあ!ここしばらく体調悪くて知らなかったぁああ!
せめて日本号見に行こうかな……。
0901人間七七四年
2013/03/07(木) 08:22:38.25ID:TjqPOUSDhttp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201303/0005786905.shtml
姫路城に官兵衛に関する建物が出来るようだ
0902人間七七四年
2013/03/20(水) 00:28:56.20ID:54jAKTG0先手を打たれたけど最悪でも道連れにしてやろうかという執念みたいな戦い方から
ちゃんと知恵を絞った戦いをするように進歩してる
0903人間七七四年
2013/03/25(月) 10:06:56.98ID:LUxIg1jg0904人間七七四年
2013/03/26(火) 19:12:35.59ID:J93BasAjhttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1364280041/
こちらもよろしゅう
0906人間七七四年
2013/04/01(月) 02:09:12.60ID:cx3Vs+Xc0907人間七七四年
2013/04/01(月) 21:39:09.02ID:rm8HhmL5精度は不明ですが、伏見屋敷について掲載されていた方がいました。
最初は深草大亀谷古御香町の、御香宮御旅所でしょうか?
http://sun.ap.teacup.com/gokenyashiki/img/1364106660.jpg
姫路(日女路)や御着は、神功皇后ゆかりの地でもありますが
孝高の希望などもあったのでしょうか?
0908人間七七四年
2013/04/05(金) 21:29:13.04ID:9EvmFv6z伏見に住んでるんでそのあたり時々行くけど
すっごい急な登り坂の山の上で、かつ桃山の東の端っこギリギリなんだよね。
裏手は崖っぷちみたいな。
位置的には、伏見、深草から六地蔵を経て宇治方面へ抜ける早道というか街道沿いだね。
宇治方面が一望で見渡せる、キレイなとこだよ。
>>881の地図拡大図の左端の四角い水色は伏見桃山城の堀だと思うんだけど
今でもそのあたりから伏見城北堀公園へ急坂を下りるかんじで入れる。
0909人間七七四年
2013/04/05(金) 21:47:01.08ID:9EvmFv6z明智たんが山崎の合戦で負けて、近江坂本城へ落ちようとしたとき
この大亀谷の街道を黒田屋敷のあたりまで登ってきて
今の京都老人ホームの脇あたりから北東の小栗栖方面に抜ける山道を降りてったとこの竹やぶで土民に殺されちゃったのね。
それが、明智薮。
0910人間七七四年
2013/04/18(木) 08:14:34.64ID:aFqaW1WK如水って号にも合ってそうだけどどうなんだろう
「かんべえくん」と「てるひめちゃん」はバランスは良さそう
http://kanbee.kako-navi.jp/
黒田官兵衛手がけた石垣 本年度中に修復へ 姫路城
「計画の中で偶然、ドラマ放映時と修理が一致した。修理中は、可能な限り一般の人も見学できるようにしたい」
http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/alacarte/201304/0005891892.shtml
0911人間七七四年
2013/04/20(土) 14:28:37.18ID:nZmZqKhyhttp://www.geocities.jp/kurodazensi/101.html
0912人間七七四年
2013/04/21(日) 18:17:19.39ID:JLbVYbQ5http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kuroda2.htm
0913人間七七四年
2013/04/26(金) 19:41:27.48ID:diIjQ5CB嘉吉の乱で流浪した赤松氏が細川氏に庇護されるものの、
播磨奪回を計って山名宗全に敗れ、
備前に逃れるものの、
追い詰められ角居島で自決。
その時に多可郡黒田氏と栗山氏も連座。
山中鹿之介の先祖が多可郡黒田氏。
黒田重隆(官兵衛孝高の祖父)の兄弟に宇喜多氏に仕えた源三郎定隆。
色々と面白いな。官兵衛の黒田氏が、備前に縁があったことは間違いなさそうだな。
0914人間七七四年
2013/04/26(金) 19:59:09.84ID:diIjQ5CBhttp://www.asahi.com/digital_pr/article_images/OSK201304230142.jpg
本山先生によると旗印は永楽銭じゃなかったっけか。
信長と一緒って事になるのかな。
0915人間七七四年
2013/04/26(金) 20:35:18.65ID:diIjQ5CB姫路市出身の画家、高橋玄輝氏の『陣輿の武将「黒田如水」』という作品(制作年:昭和43年)
http://pds.exblog.jp/imgc/i=http%253A%252F%252Fpds.exblog.jp%252Fpds%252F1%252F201304%252F19%252F68%252Fc0149368_1147951.jpg
かっこいい。
0916人間七七四年
2013/04/26(金) 20:39:47.42ID:diIjQ5CB麻雀やらないのか?
ヤングアニマルDensiってなんだ?
http://www.younganimal-densi.com/ttop?id=4
0918人間七七四年
2013/04/27(土) 07:31:22.83ID:s4irWV/V本山先生のサイトの最初のページにも
戦前公開されて現在遺失となっている如水の物だという一ノ谷の画像があるよ
実際は長政の予備とかかもしれないが
0919人間七七四年
2013/04/27(土) 11:43:32.00ID:UjUwTEYi毎日新聞 2013年04月26日 地方版
中津城を築いた黒田官兵衛のNHK大河ドラマ化(14年)決定を受け、中津市が1月に新設した「軍師官兵衛推進室」の室長(課長級)を今月4日、
わずか3カ月で解任していたことが分かった。元室長は文化財課付課長に異動している。
市によると、元室長は官兵衛の肖像画やゆかりの甲冑(かっちゅう)のレプリカを業者に発注する際、市長の意向に反する手続きを取ったとしている。
吉田基晴総務部長は「業者と著作権で市に不利な契約を結んだ。契約を破棄し、室長を配置換えした」と説明した。元室長は「認識の相違はあるが、弁明はしない」とした。
市は25日、5月1日付で後任の室長に浜田光国・観光課係長を充てる人事を発表した。
http://mainichi.jp/area/oita/news/20130426ddlk44010531000c.html
なんだそりゃ
0920人間七七四年
2013/04/29(月) 21:47:58.39ID:MbEGuypahttps://www.youtube.com/watch?v=ZgYLfRQ5t7k
世間的には官兵衛と言えば中国大返しなのか。
後は有岡城幽閉、小田原城開城、石垣原の戦い辺りかな。
熊本城おもてなし武将隊。甲冑ダンスH25.04.25
https://www.youtube.com/watch?v=-hunBN5dVDo
髪型は、小姓風と言うべきか、BASARA風と言うべきか。
そう言えば、知名度の割に歴史ドラマでの露出が少ない加藤清正も、来年は多くなるか。
0921人間七七四年
2013/04/30(火) 21:27:17.03ID:1itKmN2N水至清則無魚、人至察則無徒。
水濁則無掉尾之魚。
水寛魚大。
0923人間七七四年
2013/05/04(土) 14:40:31.34ID:1ypvlvuB福岡市で開幕した。にぎやかな楽器の音や威勢のいい掛け声が市中心部に響き、訪れた観衆約110万人(主催者発表)は
華やかな祭りの雰囲気を楽しんだ。4日まで。
天候に恵まれた初日は、メーン行事のパレードに延べ約130団体、約1万5千人が参加した。
福岡藩祖の黒田如水(官兵衛)ゆかりの5地域は、来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を観光客誘致に生かそうと
「黒田官兵衛どんたく隊」を結成。パレードでは、如水に扮(ふん)して馬にまたがった黒田家16代当主の長高さん(60)の
後を、家臣の「黒田二十四騎」の甲冑(かっちゅう)に身を包んだ武者行列が続いた。
パレード後、市役所前の演舞台に立った長高さんは「ゆかりの地が力を合わせてドラマを盛り上げ、地域活性化に
つなげたい」とあいさつした。
ソース(西日本新聞) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/361770
写真=NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなんで結成された「黒田官兵衛どんたく隊」のパレード
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/20130503/201305030007_000.jpg
これ祭りに行ってたまたま見たが
城井宇都宮家の末裔の俺としては討ち取ってやろうかと思ったw
0924人間七七四年
2013/05/04(土) 16:51:31.19ID:UEuE2C9C官兵衛の直系は絶えていて
今の黒田の子孫は城井の子孫を匿った
島津から入った養子の子孫だぞ
0925人間七七四年
2013/05/04(土) 21:20:24.88ID:TSaKx4CDなんと言う逆恨み
城井氏とか領主として存続出来なかった
戦国・安土桃山時代の小領主群の一つに過ぎないだろ
0926人間七七四年
2013/05/05(日) 00:54:22.07ID:4Ptgk4Ze城井氏だけやたらと宇都宮を強調したがるんだろうな
同じ宇都宮氏族でも山鹿・麻生氏が宇都宮を使った事は聞いた事がないし
山鹿・麻生家から発生した豊前・城井氏が生家差し置いて本家の名を使う様なもんだろ
0927人間七七四年
2013/05/05(日) 03:51:21.80ID:7h8WZROR秋月竜子から生まれた朝末が宇都宮を名乗ったらしい
東国にいた家康、秀忠に家の再興を頼むのに
宇都宮の本性を出した方が通りが良いと思ったって事かな?
秀吉に取り潰されていた宇都宮本家の領地を貰える可能性もあったとか?
それにしても竜子も秀吉に負けた親の降伏の証明に人質に出されたり
嫁ぎ先が取り潰されて謀叛を起こして負けて逃げたりと大変だな
0928人間七七四年
2013/05/05(日) 22:12:00.46ID:4Ptgk4Ze城井氏を滅ぼした事で失った事を惜しんだ
宇都宮氏の秘術「艾蓬の射法」の話もなんか疑わしいな
なんか検索する限り艾蓬の射法って城井氏関連でしか見かけないから
これは宇都宮氏の射法と言うより城井氏発祥の法か、もしくは秀吉の話自体創作の可能性が
0929人間七七四年
2013/05/05(日) 23:48:15.30ID:7h8WZROR家の再興の宣伝に利用していた
0930人間七七四年
2013/05/06(月) 00:35:40.81ID:bA0xBq3y『播州太平記』の天正6年4月5日20時の東播州勢の秀吉への奇襲は
一番手に櫛橋(志方軍)、二番手に長井(野口軍)、三番手に神吉(神吉軍)、軍奉行に梶原(高砂軍)
1968年(昭43)の図説三木戦記には光姫の父親が
自分の生命と引き換えに城兵の助命嘆願をしたというが
原典は何だろう
0931人間七七四年
2013/05/06(月) 00:36:26.14ID:04u3ZnS/朝末「一子相伝門外不出の秘術なればご勘弁を」
大名家「あ、そう、じゃあもう帰っていいよ、ハイ次の浪人の方ぁ〜」
0932人間七七四年
2013/05/06(月) 16:32:09.36ID:b0XUWkOgやる気もないくせに討ち取るなんてくだらない言葉を使っていきがると
先祖の顔に泥を塗った上に集中砲火で先祖貶される…それが戦国板…
0933人間七七四年
2013/05/06(月) 19:42:15.22ID:pt/v4/kJあの区画は、今でも原生林みたいになっていて「陵墓参考地」の古い看板が立ってる。
地元ではずーっと桓武天皇陵だと信じられてたところで、戦国時代もそうだった。
この敷地に一般人が屋敷を建てるとか、あり得ん。
>>881の地図のほうは、大雑把だけれど、こちらのが今の地形とよくあっていて、正確と思う。
古御香宮というのは、伏見城築城の際、鬼門にあたるところに神社をってんで
山の下にあった、御香水という美味しい水が湧く社を(美味しい水=神宮皇后の香椎の宮の末社というつながりらしい)移したものだが
この陵墓(かもしれないもの)を守るという意味もあったみたいだね。
山の上に御香宮があったのはわずか15年ほどで、家康が元の山の下に戻して
山の上の場所には古御香宮という名前と、陵墓かもしれない原生林と、原生林の端っこに小さい名残の社が残り、今に至る。
家康が元の場所に移した理由は定かではないけど、山の上では「御香水」が湧かなかったことが理由じゃないかと思う。
御香水は、今も京都の一流料亭が毎朝ポリタンクで汲みにきてるくらい有名ではあるからね。
0934人間七七四年
2013/05/07(火) 03:42:36.68ID:zBRVA8wK昔の地図職人も侮れないな
>>907の比定地に載っている官兵衛死去時の黒田屋敷の位置も
正確かどうかは不明って事かな?
0935人間七七四年
2013/05/08(水) 13:09:21.47ID:iBEALVNV一見知っている名前が出てくるけど子孫たちなのかな
----------
妻子をも城内に入れて、一戰の上一同討死すると云ふことになつた。
防戰の持場は赤間口、畝町、金出口、金出宿、宰府口、比惠の原、岩戸口、三瀬越、唐津口、生松原、船手と城内とに分けられた。
赤間口には井上内記、黒田兵庫、黒田市兵衞、小河縫殿助、小河織部、久野四兵衞、小河專太夫、畝町には井上監物、吉田壹岐、伊丹藏人、
高橋忠左衞門、小河長五郎、金出口には野村右京、加藤圖書、村田出羽、毛利又右衞門、久野外記、喜多村緑之丞、加藤彌三之丞、
金出宿には黒田監物、黒田平吉、林掃部、村山角右衞門、野口左助、喜多村勘解由、宰府口には毛利左近、月瀬右馬允、衣笠因幡、大音六左衞門、
菅勘兵衞、吉田右馬太夫、長濱九郎右衞門、比惠の原には野村市右衞門、明石四郎兵衞、黒田總兵衞、齋藤甚右衞門、野村初右衞門、
岩戸口には佐谷五郎太夫、松本能登、三瀬越には大塚權兵衞、小林内匠、竹中主膳、浦上三郎兵衞、菅彌一右衞門、黒田半右衞門、岡田左衞門、郡右衞門、蒔田源右衞門、大音安太夫、唐津口には郡正太夫、齋藤忠兵衞、吉田久太夫、毛利吉右衞門、
生松原には郡金右衞門、松下源助、喜多村太郎兵衞、長瀬新次郎、櫛橋七之丞
西北の船手には松本吉右衞門、松本主殿、松本善兵衞、松本治右衞門、吉田孫右衞門、
城内には衣斐伊豫、花房治右衞門、竹森新右衞門、其外隱居、二男、三男等がゐる。
0936人間七七四年
2013/05/10(金) 17:44:33.99ID:tHrKnvoE5月10日 16時17分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130510/k10014486431000.html
兵庫県などを舞台に来年放送されるNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の新たな出演者5人が東京で発表され、
主人公、黒田官兵衛の妻の役を女優の中谷美紀さんが演じることになりました。
軍師官兵衛は、戦国時代に豊臣秀吉の天下統一を支え天才軍師と言われた黒田官兵衛の生涯を描く来年の大河ドラマで、
兵庫県や福岡県、それに大分県などが舞台です。
10日は、東京・渋谷のNHK放送センターで新たな出演者5人が発表され、
すでに官兵衛の役に決まっている岡田准一さんと共に記者会見をしました。
このうち官兵衛を支えた妻・光(てる)の役は、中谷美紀さんが演じます。
中谷さんは、大河ドラマの出演は初めてで、「光は大変なおてんば娘だったと聞いているので、
型破りなキャラクターを生き生きと演じたいです。血生臭い戦国時代で、
私が出演する場面は少しほっとするシーンになったらと思います」と意気込みを語りました。
また、官兵衛と並ぶ天才軍師・竹中半兵衛の役を谷原章介さんが演じます。
このほか、官兵衛の最初の主君、小寺政職の役を片岡鶴太郎さん。
秀吉の妻・おねの役を黒木瞳さん、それに官兵衛の父、職隆を柴田恭兵さんが演じます。
大河ドラマ軍師官兵衛は、ことし8月中旬から撮影が始まる予定です。
0937人間七七四年
2013/05/10(金) 22:57:45.74ID:N6ysPQXP0938923
2013/05/11(土) 13:13:09.39ID:RldaYHpCごめんw先祖の因縁ってことで冗談言っただけ。許してくれ
戦国の習いなんでなんとも思ってないよ
ちなみに朝末系ではない。鎮房の従兄弟である城守時種の系統です。
騒動の時に城井宇都宮家重代の家宝とか書状関係を出来るだけ守ったらしく
残ったものはそのままうちが代々管理保管している。
伝わる話だと朝末系とは考えの相違で袂を分かっているので
これらの伝来品の存在も恐らく知らないだろうとのこと。
興房所用の兜だけ、長房・鎮房所用の甲冑、軍旗などetc...
書状なら有名どころでも大内義興・義隆、大友親治・宗麟、
少弐政資・高経・資元、陶興房・隆房
一門衆や家臣や他の周辺豪族からのものもたくさんある。
けれどこれらは研究機関などには教えていないので
うちの伝来品だけでもいろいろ研究が進むと思われるが
代々の教えで非公開らしい。俺の親父も同じ考え
俺の代になったらどうするかは今のところ思案中
0939人間七七四年
2013/05/11(土) 13:45:25.49ID:I6TFcr5X横レスだしこのスレに来るのはたまにだけど、冗談だってわかったよ。朝起きてファンタ吹いたくらいだ
どんな甲冑だったのかとか、伝説の技とか知りたいから、あなたの代になったら教えてほしいです。
スレチだけど俺の家は桔梗紋だから明智氏かとワクドキしてたんだが
桔梗紋てどこにもあるんだな
ハゲ家系だし、じいちゃんがイケメンだったから期待してしまった(俺はブサ)
0940人間七七四年
2013/05/12(日) 12:04:42.86ID:8yiG+2o90941人間七七四年
2013/05/12(日) 12:51:33.12ID:hnEwNnAl0942人間七七四年
2013/05/12(日) 18:04:40.03ID:6w2vRDo7毎日新聞 2013年05月10日 19時16分(最終更新 05月10日 20時56分)
滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は10日、戦国時代の賤ケ岳(しずがたけ)合戦(1583年)の際、
羽柴秀吉が戦略を指示するために自陣に送った古文書を発見したと発表した。
文書には「官兵衛」の名があり、秀吉の天下取りを支えた軍師・黒田官兵衛が参戦していたことも明らかになった。
同館によると、賤ケ岳合戦の様子は江戸時代の軍記物に記されているが、当事者が戦略まで記した文書は極めて珍しいという。
文書は、最前線で柴田軍と対峙(たいじ)し続ける弟の秀長(ひでなが)に送った
墨書「羽柴秀吉書置(かきおき) 羽柴秀長宛」(縦30センチ、横45.4センチ、同年3月30日付)で、同館が購入した。
秀吉の右筆(ゆうひつ)(秘書役)が「(秀吉側の)砦(とりで)周囲の小屋は前野長康、黒田官兵衛、木村隼人の部隊が
手伝って壊すべきこと」などとする墨書を記し、秀吉自筆の花押(かおう)「悉(しつ)」がある。
http://mainichi.jp/select/news/20130511k0000m040028000c.html
孝高「善助、吉兵衛を連れて落ちよ。」
利安「大殿のご命令と言えどもそればかりは聞けませぬ。」
長政「親を捨てて逃げる武士が何処におりましょうや。」
みたいなやり取りの原作は何?
0943人間七七四年
2013/05/12(日) 20:43:09.03ID:6w2vRDo7http://harima-kurodabushi.com/?p=1685
黒田官兵衛を歌う海援隊の姫路公演のご案内
海援隊が歌う「二流の人」は、播磨が生んだ天下に翔けた男「黒田官兵衛」を歌っています。
5月28日に姫路市文化センターで行う「海援隊トーク&ライブ2013」で、姫路公演だけ特別に歌って下さる予定です。
皆さま、ぜひ聞きにきて下さい。
日時:5月28日(火)pm6:30開演
場所:姫路市文化センター大ホール
会費:一般5,000円 高校生以下3,000円
お申込み・お問合せ:姫路労音 079-288-6600 大崎まで
http://harima-kurodabushi.com/wp-content/uploads/2013/05/kaientai2.pdf
http://harima-kurodabushi.com/wp-content/uploads/2013/05/kaientai1.pdf
0944人間七七四年
2013/05/12(日) 21:07:58.68ID:6w2vRDo7天正十一年(一五八三)四月二十、二十一日にあった賤ヶ岳合戦の直前、同年三月晦日(みそか=月末)付で、
秀吉が木之本町木之本の前線「田上山砦」にいる秀吉の異父弟(一説では同父弟)で美濃守の羽柴秀長に宛てた指示書。
表題の現代語的意味は「今日中に前線の砦の堀外にある小屋を壊すにあたっての書置」。
指示を三か条で示し、一つ目は当時、味方の柴田勝豊の家臣、柴伊衆が守る砦周囲の小屋の解体は秀長が手伝うよう指示。
二つ目は、同じく、堀秀政が守る砦周辺の小屋を前野長康、黒田官兵衛、木村隼人の部隊で壊すべきとし、三つ目の指示で「筒井順慶も手伝うこと」としている。
次いで、明日には軍勢を送り込むとして、前線からの撤退を禁じ、小屋周辺からの失火があれば部隊を罰する旨告げている。
単純に矢弾よけに使われないように指示を出しているようにも見えるな
0945人間七七四年
2013/05/13(月) 20:21:16.50ID:pJBaeHx3今回発見された、賤ヶ岳時の秀吉の指令書、
長浜市の長浜城歴史博物館が京都の古物商から250万円で購入だって
観光客誘致も有利になるとか踏んだんだろうか?
つまり、こういう物は、大河化の時期を外しても
あるいは類似の古文書が他で見つかっても価値は下がるだろうから、
城井関連も、調べて売るなら今かもよw
個人的にも九州国人衆との外交官役を務めたらしい
井上之房と、之房の下にいた原(宝珠山)種良が気になっていて
種良には秋月の姫を救ったり、城井の姫を娶ったという説もあるらしいので
その辺りの逸話も絡めて何か出てきて欲しいんだけど
0946人間七七四年
2013/05/14(火) 21:14:13.84ID:pwUR9Ql+八虎なのに事跡が残されていないのはその為か
0947人間七七四年
2013/05/17(金) 22:18:48.95ID:RZ7lUh5J来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映を契機に、主人公・黒田官兵衛にゆかりがあり、
かつて敵同士だった大分、福岡両県の地域が「手打ち式」をするなど、協力してPR活動に臨むことになった。
0948人間七七四年
2013/05/18(土) 20:13:49.84ID:U5DTSIdxhttp://younganimal-densi.com/ttop?id=4
0949人間七七四年
2013/05/22(水) 00:00:43.01ID:3oac9k7Aもうかるな。
黒田官兵衛:長政宛ての晩年書状発見 家臣への心配りも
http://mainichi.jp/select/news/20130522k0000m040040000c.html
書状は縦28.7センチ・横44.2センチ。京都市内の古美術商が所有しているのがわかり、同館が3月に購入した。
亡くなる4カ月前の慶長8(1603)年11月18日付で、黒田筑前守(長政)宛てに書かれており、官兵衛自筆の花押もある。
官兵衛は、豊臣秀吉の天下統一を支えた名軍師で、豊前(大分県中津市)の初代中津城主になった。
関ケ原の合戦(1600年)を経て、長政と共に福岡に入った官兵衛は、その後、京都・伏見などで病気療養をしていた。
書状では、書記官役の墨書で「薬湯の服用で少しずつ良くなっているので、ご安心ください」「有馬温泉にこれから2週間います」などと記した。
また、「すでに昨日までの1週間、湯に11回入り、いよいよ快気にあり、国元からの見舞い衆に、来なくて良いと申し伝えてください」と
家臣に敬語も使い、回復ぶりを伝えている。
0950人間七七四年
2013/05/24(金) 12:42:49.84ID:VccijOn9これは石田三成が家康から奉行職を解かれて佐和山城へ蟄居させられた直後、家康は朝鮮役の目付として非曲があったとして
石田党の福原直高・熊谷直盛・垣見一直・太田一吉を伏見城に呼び出し、領地没収や逼塞などの処分を科した際に詠まれたものである。
右馬介とは三成の妹婿である福原、虎はもちろん加藤清正のことを指す。(『関ヶ原軍記大成』)
目のくろき人と云はれし治部少も 負けめになれば赤目をぞする
慶長五(1600)年の関ヶ原の戦いでは、石田三成は次々と自軍が潰え去っていきながらも最後までよく奮闘した。
この歌は、日頃は目の黒き人(「傲岸」の意か)と言われる三成も、いざ戦いに負けるとなると赤目(泣き顔)になると皮肉ったものだが、
結果的には敗れたが三成は東軍諸隊をさんざん手こずらせる大奮戦をする。(『関ヶ原軍記大成』)
0951人間七七四年
2013/06/03(月) 13:01:04.08ID:l12jeoGd黒田家ゆかりの5都市連携パンフレットについて
黒田家ゆかりの5都市(長浜市、瀬戸内市、姫路市、中津市、福岡市)連携事業の一環として、
各市の観光情報などを掲載したパンフレットを作成しました。
http://www.city.himeji.lg.jp/koho/press/_28474/_29241/_29488.html
0952人間七七四年
2013/06/07(金) 08:36:43.85ID:e/7IiCzc0953人間七七四年
2013/06/08(土) 03:10:41.35ID:zpGp/ZYOバナナ食ってるけど
0954人間七七四年
2013/06/10(月) 01:24:12.67ID:XftXiwwI餅食ってそう
0955人間七七四年
2013/06/14(金) 03:36:54.28ID:Tnw646HP足守川を数百m堰き止めるだけで城が水没するってのは凄いね
http://art49.photozou.jp/pub/145/1478145/photo/130537858_big.v1358927563.jpg
http://twitdoc.com/upload/take36morita/-.pdf
0956人間七七四年
2013/06/14(金) 05:00:12.45ID:Tnw646HP最初に宇喜多、次に小西に仕えていたのか
しかも小西では家老
0957人間七七四年
2013/06/15(土) 04:38:23.10ID:SFe3uk8f冠山城って忍びの放火が行われるまで七日間持ちこたえているんだな
http://www.geocities.jp/qbpbd900/bichutakamatu.html
0958人間七七四年
2013/06/15(土) 04:41:35.70ID:SFe3uk8fこの合戦の模様を『中国兵乱記』では「(寄せ手は)三方から攻めかかり、
柵に取り付き、空堀へ飛び込み、塀や櫓を引き破ろうとした。
(中略)将軍義昭公の御旗や輝元卿の赤旗を城中に押し立て、矢倉、狭間から雨の如く鉄砲を撃ちかけた。
上方勢が攻めあぐんでいる間に、死亡、手負いが数知れぬほど出た。」と活写しています。
ttp://www10.ocn.ne.jp/~kwazin/kanmuriyama_jou.htm
義昭の旗ってのが面白いな
つまり高松城にも義昭の旗も立っていたわけだ
0959人間七七四年
2013/06/16(日) 05:56:54.08ID:nMYRYRjV孝高が諌めるものの長政は若手衆を集め、馬ヶ岳城を出て攻撃を仕掛ける。
しかし深追いしすぎて岩陰に隠れた一揆勢に取り囲まれる。
大野小弁が取り囲まれ馬から突き落とされ打たれると
後藤又兵衛、小河伝右衛門、久野四郎兵衛は馬を返し退いたが、竹矢が雨のように降り注ぎ、長政の馬にも当たる。
菅政利が馬を譲ろうとするが、長政は自害すると腹帯を解こうとする。
これを三宅三太夫が馬を降りて止め、長政を抱え上げて馬に乗せ、手綱を引くる。
菅が馬の鞦(しりがい)を持って少しも側を離れない。
木屋兵右衛門が長政の槍を持って徒歩で続く。
一揆勢は長政と見知って逃すまいとするが、
三宅、菅、木屋を始めとして、岡本弥兵衛、小川久太夫、坂本七左衛門以下五十八人が丸くなって二里を静々と引き退いた。
まん丸になって引き退く姿を城の物見櫓から見ていた孝高は、
側近たちから速やかに加勢をと促されるものの、危うげもなしと答えた。
長政は敗軍の悔しさから寝所に引きこもって伏す。
孝高は、弱敵を恐れよ、勝ち過ぎは必敗の本と戒めた。
京都への使いから戻った塩田善七郎に励まされ、長政は髻を払った。
必死を期した長政に、孝高は老巧の武将を多く付けられ、焦りを戒める。
長政は再び一揆勢と戦い、善七郎が鬼木将監を討ち取るなどして追い払う。
長政がまたも追撃をしようと孝高に言うが、
ただ勝つべきとのみ思えば破れることとなる、良将は終わりの勝ちを計り、それを全うするのだと教え、
城井谷の糧道を塞ぐ要害を設けて、城に帰った。
0960人間七七四年
2013/06/19(水) 10:34:46.60ID:BMmINc7F福岡市は18日、石垣の修復工事を行っている国史跡「福岡城跡」(同市中央区)で、
石垣を内部から支える「裏込(うらご)め石」の層から、石垣をさらに補強し、
地震などの衝撃を低減するための「石列(せきれつ)」を約40カ所発見したと発表した。
近世に築かれた城郭で、石垣から石列が確認されたのは全国で初めて。
市は「石垣の耐震技術や堅固な構造が分かる貴重な発見。福岡城を築いた黒田家独自の技術か、
全国の城郭に共通する工法なのか、今後の調査で解明したい」としている。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/21061
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1371569950/
0961人間七七四年
2013/06/20(木) 08:13:39.96ID:chCxa5aA本体と収納する箱には黒田家の家紋が入っており、製造時期も合致することから、官兵衛が使ったよろいと伝えられている。
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2013_137151882031.html
http://www.oita-press.co.jp/mobile/data/local_news/2013/06/2013_137151881896.jpg
本山先生の出番か
0962人間七七四年
2013/06/20(木) 08:33:28.04ID:chCxa5aAhttp://d3j5vwomefv46c.cloudfront.net/photos/large/782889423.jpg
0963人間七七四年
2013/06/21(金) 20:00:49.21ID:mptxPlCx青山合戦と印南野合戦のスケールの大きさに気付いた。
その一方で原因が播磨守護とは言え居城の置塩城周辺の西播磨三郡ほどに
没落していた赤松晴政と赤松義祐の親子喧嘩から始まったというのも何だけど。
それでも既に秀吉が青山合戦の1569年の頃には恐らくは半兵衛なども伴って播磨の地を踏んでいて
晴政の味方をしていた赤松政秀の義祐攻めの後援をしつつ生野銀山から山名氏本城のあった出石制圧に活躍。
それとは対照的に1545年に黒田職隆が姫路城主になるまで15年間姫路城主だったことから
恐らく職隆と並んで小寺の重臣の八代道慶の息子の足の速い六之助が
官兵衛から「首はいいから兜か馬を奪ってこい」と言われて発奮していた逸話の貧相さと
貧相さと織田軍撤退の一因となった戦果の大きさのギャップが面白い。
赤松政秀に攻められた黒田の娘と浦上政宗の息子の婚姻の日に
八代道慶も左目を負傷して死亡するところなんかも含めて大河で説明があればいいな。
0964人間七七四年
2013/06/22(土) 06:23:28.71ID:zA6THyHlその辺は大河では華麗にスルーだろう。
官兵衛が浦上と妹(養女?)の間の子の久松丸(つまり浦上の正統)を宇喜多直家に送って、
宇喜多直家が浦上家乗っ取りに使うという黒歴史につながるから。
当然のことながら、浦上久松丸は用済みになると直家が毒殺ね。
0965人間七七四年
2013/06/22(土) 06:28:23.92ID:zA6THyHl信長が、義昭追放後に傀儡として16代将軍にするという話もあったらしいが。
ハズレくじを引く人生だな。
0966人間七七四年
2013/06/22(土) 09:36:55.28ID:WhCdnRYw浦上宗景のウィキを見ると信長が迂闊に小寺や別所がいる播磨の領有まで認めてしまったのが
久松丸が政職から直家に渡って毛利に寝返られた原因になってるな。
ただし宗景は宇喜多に負われて政職の元に逃げ込んできて
その後に政職は官兵衛の説得で織田方に変わると。
ややこしいが何の史料を見れば詳しいことが解るんだろう。
>>965
足利義尋の母親のさこの方は宇野氏になってるな。
宇野氏は長らく親毛利派だったので
信長は義尋を将軍には出来なかったということかな?
0967人間七七四年
2013/06/22(土) 10:07:15.70ID:nLv544Xu本当なら久松丸を宇喜多に引き渡した負い目とも取れなくもないが
0968人間七七四年
2013/06/23(日) 00:00:33.84ID:IcFEPBcV本山先生は養女と見ているようだが室津の戦いで
姫路城近郊の八代道慶が戦死しているくらいに近い関係ではあるのか。
小寺は宗景と久松丸が仲良くやってくれると期待したが
直家やら宇野氏やらが久松丸を利用して浦上を乗っ取ったとかなのかな?
それにしても織田と毛利の生野銀山への執着心凄い
0969人間七七四年
2013/06/23(日) 17:57:52.26ID:lcfB3Tdv>それにしても織田と毛利の生野銀山への執着心凄い
そりゃ、金に困っているから、掘ったら出てくるのはでかいでしょ。
山名祐豊も堺で、信長に献金して但馬に復帰させてもらっているし。
尼子を支援していたのは、銀山のラインか?
ちなみに山名祐豊の法名は銀山寺殿鐡壁韶熈大居士。
0970人間七七四年
2013/06/23(日) 20:29:17.95ID:IcFEPBcVみたいな不思議な強弱関係が見えるんだが
尼子残党支援は単純に対毛利なのかな
0971人間七七四年
2013/06/25(火) 16:36:40.36ID:ZkHJmFM91つめ
慶長5年の関ヶ原の時、黒田如水は豊前中津に有ったが、9千余の兵を率いて、9月9日に出陣して、
諸城を攻め落とし、筑前筑後の浪人たちが集まり大軍を成したが、
嫡子の長政の使いが来て、石田は敗北、秀詮は長政の調略により裏切ったことを報告。
如水は怒り、「天下分け目の軍はわざと月日を過ごして浪人に生業を与えるものなのに、なんの忠義立てだ。
長政は日本一のうつけ者だ。」と呟いた。
長政が筑前を賜った後、如水も京に上れば、
如水を親の如く敬っていた結城秀康を始めとした諸国の大名たちにより門前は市をなした。
山名禅高は如水と年も近いこともあり、如水と大名たちとの密談や、伏見に浪人衆が集まっている事を、
家康が怪しんでいると告げた。
如水は「天下を取ろうと思えば、筑紫は島津のみ残っていて、降伏しなくとも打ち破ることは容易かった。
中国備前播磨まで空白地になっており、随従していた加藤と鍋島の2万の兵を先陣とし、
海陸二手に分かれて道すがら浪人となっていた者たちをかき集めれば、10万にはなっていただろう。
特に清正は猛将であり、私が采配すれば内府を討滅すことは容易いと思われたが、年老いてしまっているので、
切り従えた國を捨てて京に上ってきたのに、臆病共はたわけにも色々と恐れているようだ。」
と扇で畳を叩いて大言すれば、禅高はそれ以上は何も言わずに帰っていった。
2つめ
慶長19年(9年の間違い)、如水の病いは重く、長政を呼んで「お前は親に優る事もあるが、俺にもお前に優るものが2つある。
一つは俺が死ねば俺の士大将だけではなくお前の士大将から士卒に至るまで嘆くだろう。
しかし、お前が先に死んでも、力を落とす士卒はいないだろう。これは俺が慕われているからだ。
もう一つ、俺は無双の博打上手で、関ヶ原にて石田が今しばらく支えていれば、筑紫より攻め上って勝ち相撲に入り、
日本を手中に収めただろう。その時であれば、お前を捨てることもためらわなかった。
お前は十全を思慮し、更にその先のことを考えることは出来るが、それではその機会は物に出来ない。
片足にそれぞれ草履と木履であっても挑み、万死に一生の博打でのみ叶うものだと心得よ。
ところで、この飯入れをめんづと言う。
上は天子から下は百姓に至るまで、一日として食物無しで永らえる者は無い。
國を富ませて士卒を強くすることは根本の一大事は飯入れにある。必ず忘れてはならない。
よってこのめんづを形見とする。」と言った。
別ソースなのかな?
黒田家譜では家康のために室津で兵船を仕立てて姫路に攻め込む予定だったらしい。
0972人間七七四年
2013/06/25(火) 17:17:44.16ID:xPCrv2ur0973人間七七四年
2013/06/26(水) 14:37:22.26ID:jhtfv336裏込め石は土の斜面と石垣の間に敷き詰められており、全国の城で採用されている工法。
同市によると、排水などのため、石垣の裏側に無造作に詰められたと考えられていたが、
福岡城では、表面の築石つきいしと直角に頭大の石を並べて、
等間隔に仕切りを作り、その間の各区画に拳大の石を詰め込んであった。
福岡城の整備に協力している佐賀大の林重徳名誉教授(土木工学)によると、
同じような大きさの石だけを詰めると、揺れで動いて石垣を内部から破損させる恐れがある。
「大きな石の列で区切ることで、詰め込んだ小さな石が動いても区画内にとどまるような構造にした」とみている。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/history/20130619-OYS8T00227.htm
この記事で意味が分かった
0974人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:t0wbEULM意外と格好いい
伝・黒田官兵衛の鎧
http://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi/e/c79c295bfabf8dab3c41e101d1516a7d
0975人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:t0wbEULM2人の天才軍師(竹中半兵衛・黒田官兵衛)ゆかりの地で大河ドラマサミットを開催
【開催日】2013年07月13日(土)
http://miki-museum.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=1490&bbs_id=1&res#1373641200
「三木城跡及び付城跡群」の国史跡指定とNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されることを機に、
竹中半兵衛公434回忌法要の日に合わせて「大河ドラマサミットin三木」を7月13日(土)に三木市立中央公民館で開催します。
サミットには、竹中半兵衛や黒田官兵衛のゆかりの地の岐阜県垂井町や大野町、姫路市からもご参加いただき、
“三木の干し殺し”で有名な「三木合戦」が織りなす歴史絵巻をお楽しみください。
2人の天才軍師と三木の歴史について学べる良い機会ですので、ぜひご参加ください。
【時間】 14:00〜16:15
【参加費】 無料
【対象・定員】 250名
【問い合わせ】 (市)産業環境部観光振興課
(市)教育委員会教育部文化スポーツ振興課
TEL 0794-82-2000(代)
0976人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:rTXVgEIo◆キャラクター
全国から107点の応募があり、厳正な審査の結果、「ふくおか官兵衛くん」に決定しました!
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/39331/1/character_r2.jpg
◆ロゴタイプ
全国から80点の応募があり、厳正な審査の結果、「藩祖官兵衛」に決定しました!
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/39331/1/logotype_r3.jpg
http://www.city.fukuoka.lg.jp/keizai/kankou-s/charm/gunshikanbeifukuokaprojectlogotypecharacter.html
…藩祖?
0977人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:Uyg5xvqW0978人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:rTXVgEIo0979人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:muPrt5QNその藩や家の大元を作った人物を指す事もある
上杉米沢藩の場合は景勝を初代、米沢と全く関係の無い謙信を藩祖としている
0980人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:Uyg5xvqW979の意味だと思ってたんだが
0981人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JrLOHgZh藩祖と言うより始祖って感じもするがな
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