制札(法令の発布)として、楽市および、楽市楽座の語句が確認できるのは、織田信長が初見であり、六角氏や今川氏は文書上で楽市の語句(楽座および楽市楽座の語句はなし)が確認できるのみであり、制札は発見されていない。

【発給者】織田信長 永禄十一年九月日【宛所】加納【所蔵者】円徳寺 当市場越居之輩の分国往還保障、借銭借米諸役免許、楽市楽座之上商売、押買・狼藉・喧嘩口論停止、使不入、宿取り非分停止

【発給者】織田信長 永禄十年十月【宛所】楽市場【所蔵者】円徳寺 来住者分国往還保護、借銭・借米・地子・諸役免許、押買・狼藉・喧嘩・口論、理不尽之使、宿執非分停止

↑ウィキコピでごめんw
六角は確かに楽市の概念を持ったけど実行力が足りなかったのかシステムとしては機能してなかった様だ。
それでも概念自体を持つのは必要だし六角の目の付け所が悪いと言う奴はいないと思うけど。