戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0492人間七七四年
2011/01/30(日) 00:30:22ID:6NI8u9rP謙信はガチで自分のこと毘沙門天の化身だと思ってた節があるしなぁ。サイコすぎる
なのに戦は超絶強いから始末に負えん。こんな変人に絡まれてボコられまくった信玄には同情を禁じえない
いっそ謙信が天庵様なみの能力だったら越信・関東は平和だったろうに
0493人間七七四年
2011/01/30(日) 00:49:56ID:9Fh1EzjGまあ沼田城あたりでUターンだろうけどw
0496人間七七四年
2011/01/30(日) 08:43:56ID:4zFWptO1君は TOUGHBOY TOUGHBOY
時はまさに戦国〜
小田城で僕らは出会った
0498人間七七四年
2011/01/30(日) 11:25:10ID:hEiJebmBしかも商才があるから尚のこと厄介
あんだけ四方八方に遠征してそれでも大量の金を残してたっていうんだから
0499人間七七四年
2011/01/30(日) 11:31:40ID:eRqCtBNi詳しくないからいい加減なことはいわないでおこう・・・
0500人間七七四年
2011/01/30(日) 12:27:13ID:0D/7hF+i0501人間七七四年
2011/01/30(日) 12:39:32ID:3OYch8ng>>498
関羽みたいに商売の神様になってもおかしくないよなあw
0502人間七七四年
2011/01/30(日) 12:40:59ID:4Emvb3Sd0503人間七七四年
2011/01/30(日) 12:46:03ID:WIRJXJzA0506人間七七四年
2011/01/30(日) 16:19:18ID:6thTGywp金融政策に関してだけは、金山掘って、掘りつくしたら、衰退してく
武田よりも評価していいと思うのだが・・・
0507人間七七四年
2011/01/30(日) 16:35:48ID:6NI8u9rP元々の経済地盤にとんでもない開きがあるってことを考えてくれよ
むしろ武田家はあんな貧弱な土地でよく頑張った方だと思う
0508人間七七四年
2011/01/30(日) 16:41:25ID:a2lZTA/30509人間七七四年
2011/01/30(日) 17:05:01ID:Z/Ti5yN40510人間七七四年
2011/01/30(日) 17:18:49ID:a2lZTA/3もしかして長安さん何かやったの?
0511人間七七四年
2011/01/30(日) 17:33:02ID:BrtZivF/長安さんは枯れたとされた金銀の鉱山に、天正19年(1591)ごろ日本に伝わったとされる、
新しい精錬法である『南蛮絞り』をつかって復活させた。
0512人間七七四年
2011/01/30(日) 17:39:39ID:BrtZivF/http://www.sumitomo.gr.jp/history/word/index05.html
現在の住友グループ成立の源流もこの技術から
0513人間七七四年
2011/01/30(日) 18:40:02ID:3OYch8ng0514人間七七四年
2011/01/30(日) 21:13:06ID:THbnWOtE0515人間七七四年
2011/01/30(日) 21:15:14ID:NvEgYGjAその頃はコシヒカリや農林なんとかはなかったから、寒い越後で米なんかとんでもない!
とかなんか読んだ気がするんだけど実際はどうなんだろうね。
0516人間七七四年
2011/01/30(日) 21:23:16ID:C57A0UIv0518人間七七四年
2011/01/30(日) 21:46:46ID:0D/7hF+i0519人間七七四年
2011/01/30(日) 21:54:27ID:zbygqi2D雪は物凄いし到底勝ち組じゃない。
0520人間七七四年
2011/01/30(日) 22:08:19ID:KMMz36Y70521人間七七四年
2011/01/30(日) 22:13:18ID:m3rTyT3a0523人間七七四年
2011/01/30(日) 22:59:58ID:fxVtuhGE寒冷地で日照が少ないところも多いが
水が豊富で耕作に適した山辺が多く、他地方と比べて貧しいとまではいえない
くらいにしとけ
0524人間七七四年
2011/01/30(日) 23:38:10ID:JAyDqGvd討伐の為に会津に向けて出陣した。しかし、駿府に到着してからは鷹狩に明け暮れて一向に動こうとはしなかった。
見かねた本多忠勝は
「こんな調子では畿内で反乱が起きますぞ。」
と忠告すると、家康は忠勝の口を手で塞ぎ、
「黙れ。こうしているのは、ワシをうつけと思わせて反乱を起こさせ、それを打ち破る為だ。
さすれば天下は我が物となり、お前も一国の大名だ。」
と一喝した。結果、思惑通りに石田三成が挙兵。関が原にてこれに勝利した事で家康は天下を手中にしたのだった。
以上、家康の狙い通りに天下を取ったお話。
0525人間七七四年
2011/01/30(日) 23:45:46ID:LlLWY3Lk帰りは忠勝先発隊にいたんだけどね
0527人間七七四年
2011/01/31(月) 00:44:10ID:jTmn98yv0528人間七七四年
2011/01/31(月) 01:41:34ID:kd3pubkB鍋島勝茂が自宅に客を招き、食事を振舞う機会があった。
その客は、兼ねてから噂に聞いていた事を直接、勝茂にぶつけてみる。
「鍋島殿は鶴料理を食べただけで、白い鶴か黒い鶴か、見抜く事が出来ると伺って
おりますが、それは本当の事なのですか?」
「ええ、仰る通り。繊細な味の違いを比べれば、見分ける事など簡単に出来ますよ」
「おお、それは面白い。それでは只今振舞われたこの料理、これは白鶴ですか?そ
れとも黒鶴なのでしょうか?」
「うむ、この料理は……鶴に似てはいるが鶴ではない。ズバリ真鴨ですな!!」
興に乗った亭主と客。どこまで本気なのか、ポンポンと軽口が飛び出してくる。
「ほう、それでは答え合わせと参りましょうか。給仕方の者をお呼びいただけます
かな?」
「承知しました。……おい、吉左衛門を呼んで参れ」
実は襖の裏に控えてこのやり取りを聞いていた福地吉左衛門、慌てて台所へと取っ
て返した。
「……中々参りませんな」
「今日はそんなに忙しいとも思えぬのですが……おい、吉左衛門はまだか?」
「おまらせいらしましらぁ〜〜〜〜」
漸く御前に出てきた福地吉左衛門、フラフラと怪しい足取りで、呂律は完全に回っ
ていない。
明らかに泥酔していた。
「なっ、何をやっておるのだ!?」
「きょーのおりょおりわぁ〜〜、つる? しろ……かも? くろ…かも、ま……かも?
アハハハハハッハッ!!」
ベロンベロンに酔った吉左衛門はまともに会話が成立しそうにない。
先程、勝茂と客のやりとりを聞いた吉左衛門、慌てて台所に行き、大急ぎで酒を大
量に飲み干したのである。
家臣の醜態を取り繕い、客にひたすら謝り倒す勝茂。
そしてその陰でうやむやになってしまった「白鶴か、黒鶴か」という問い。
佐賀武士に取っては主君に恥をかかせる事が一番いけないのである。
家臣の恥なら家臣が腹を切れば済む事なのだ。
勝茂が答えを外しても、酒の席での笑い話じゃないか、などとは考えない。
つまり、吉左衛門にとっては「答え合わせ」をさせない、という事が最優先事項だ
ったのである。
三河武士とは違う方向に面倒臭いシグルイの人々。
「家臣が客の前で粗相するのは主君の恥にはならんのか?」
とか
「じゃぁ家族や家臣からの駄目出しはちょっと控えてあげようよ」
とか言ってはいけないのである。多分。
0529人間七七四年
2011/01/31(月) 02:42:40ID:LYBF9Omsこの世に生を受けてより三十九度の合戦に挑み、真剣での立会いを行うこと十九度
木刀においては立ち会うこと数知れず、斬って捨てた者の数二百十二人と言われ
その間刀槍にての傷はなく僅かに六度の矢傷を被るのみと言う
戦国乱世を剣一本で渡ったこの男にもその生涯に幕が下りようとしていた。
己の死期を悟った卜伝は、家督を立てようと養子三人を試すことにした
何れも実子のいない卜伝に剣の腕を見込まれて養子になった者達であった。
さて卜伝は自室の入り口の暖簾の上に木枕を仕掛け、部屋に入ろうと暖簾を捲くると
木枕が落ちてくるように仕掛けておいてまず長男を呼び出した。
長男は部屋の前で立ち止まり「見越之術」を用いてこの木枕を取り除き
何事もなかったように部屋に入り座った。
(以見越之術見付之、取其木枕而入座也)
卜伝はまた木枕を先程のように仕掛けて次男を呼び出した
次男は部屋に入ろうとしたが木枕が落ちてきたのを察すると飛び退いてこれ(木枕)を避け
己の刀に手を掛けたが、木枕であることを確認すると気を静めて座った。
(二男開弈時木枕落、飛去懸手於刀、慎而入座也)
そして卜伝は三度同じように仕掛けを施し三男を呼び出した
三男は暖簾を潜ろうとするなり落ちてくる木枕を、地に付く前に刀で斬り、それから座った。
(開暖簾之時木枕落、忽技刀斬之於中而入座也)
卜伝は二男と三男の二人に怒りながらも諭した
「お前達木枕ごときに驚いてどうする?常在戦場の心で先々の事を見越していないからだ
彦四郎(長男)のみが不測の事態に心を動かさず
これ(見越之術)を知るところであったので彼に家督を譲る」
孫子の勝兵先勝而後求戰に通ずる教えである。
0530人間七七四年
2011/01/31(月) 05:16:21ID:iAxPTM0c0531人間七七四年
2011/01/31(月) 05:47:10ID:X2FDwo3J0532人間七七四年
2011/01/31(月) 05:56:01ID:KdOYAL5W上泉信綱くらいしか信用できん
0533人間七七四年
2011/01/31(月) 10:27:15ID:sakEqEon0534人間七七四年
2011/01/31(月) 11:31:11ID:BqR74IDU0536人間七七四年
2011/01/31(月) 13:56:13ID:jTmn98yvでも武蔵が細川家に厚遇されたり、合戦に参加したのは紛れもない事実
少なくとも、あの当時武蔵の有名が轟いてたのは間違いないだろう
0538人間七七四年
2011/01/31(月) 18:56:39ID:sakEqEon厚遇ねw
忠興と忠利の数千通の往復書簡の中に
ただの一度も宮本武蔵に比定できる名前は出てこないけどねw
0539人間七七四年
2011/01/31(月) 19:01:35ID:X2FDwo3J0540人間七七四年
2011/01/31(月) 19:11:20ID:+PknxsYn0542人間七七四年
2011/01/31(月) 19:32:24ID:J5Hp/DzU戦国時代の戦場だと無名の農民にも討ち取られる可能性が・・・
そもそも刀自体あんま出番ないし
そういえば武蔵は島原の乱に勇んで参加したけど、石落とされて負傷リタイア
だったな
0543人間七七四年
2011/01/31(月) 19:57:05ID:o56Yi92Yピンからキリまでだからな。
義輝や具教は除くにしても、
上泉や柳生、真壁、富田あたりは、
剣豪以外で実績を残していたりするし。
0544人間七七四年
2011/01/31(月) 20:40:59ID:kLBARefx0545人間七七四年
2011/01/31(月) 21:00:22ID:ZfiD3iZx0546人間七七四年
2011/01/31(月) 21:03:41ID:41D0So/4まあでも、宮本武蔵は各地に足跡残ってて、
何処に行ってもそれなりの持て成しを受けているのも事実だからなあ
0548人間七七四年
2011/01/31(月) 21:52:08ID:LRVg2V3F0550人間七七四年
2011/01/31(月) 22:23:46ID:qgvI2/ag示現流は刀を抜くだけで人が死ぬからダメ絶対
抜かずして勝つのが至高の勝利とか言って
弟子にも免許ついでに同じ事を強要してるし
剣客としてそれはいい話なんだろうか?
0551人間七七四年
2011/01/31(月) 22:26:19ID:dGA99R2S0552人間七七四年
2011/01/31(月) 22:31:44ID:g8fMUI+h0553人間七七四年
2011/01/31(月) 22:36:04ID:41D0So/4猿叫とかロマンがあるしw
0554人間七七四年
2011/01/31(月) 22:38:09ID:aPF+rYWt0555人間七七四年
2011/01/31(月) 22:52:49ID:LYBF9Oms塚原卜伝の遺言!(>>529の続き)
卜伝「さて彦四郎に家督を譲ると申したが、ただ極意の一の太刀だけは
唯授一人として既に人に伝えてあるからお前に教えられないが
お前が別の者から習うというのは一向に構わない。
因みに私が伝えたのは伊勢国司の北畠殿だ、あの方の元に赴いて教えてもらうがよい。」
そう伝えると稀代の剣豪は畢命し、それを見届けた彦四郎はこの言葉を受けて思った!
彦四郎「嫡子として迎えられ家督までを受け継いだのに
卜伝の代名詞である一の太刀を受け継いでいないなんて世間に知られたら・・・
それよりも天下の兵法者卜伝の子として人に一の太刀を習うのは快からず。」
然しながら彼の足は悠々閑々と勢州へ向かっていた。国司北畠具教卿の元へ参じた彼は具教卿にこう申し出た
彦四郎「どうも塚原家を継いだ彦四郎秀幹です。
うちの父が廻国修行の際にそちらにお世話になってお礼方々一の太刀を伝授したそうですが
どうです?あの父のことですから本当の一の太刀を教えているかどうか判りませんよ?
そこでお互いの一の太刀を見せ合い確かめてみましょう。」
具教卿「そういわれるとそうですな、名案です。」
彦四郎「まず先輩からどうぞ、どうぞ。」
具教卿「では、これが私が授かった一の太刀です!続いて彦四郎殿もどぞ。」
彦四郎「あ、いや、その必要には及ばず、私が授かった一の太刀と寸分違いません
いや〜良かった良かった。」
こうして彦四郎は見事一の太刀を体得したのであった。
0557人間七七四年
2011/01/31(月) 23:27:49ID:zxPvfyzP結果そうなったのは逸話扱いしてもいい気がする。ここで扱う気はないが。
吉川英治、司馬遼太郎、子母沢寛、立川文庫とか
0558人間七七四年
2011/01/31(月) 23:31:37ID:9JlihqWt0559人間七七四年
2011/01/31(月) 23:34:09ID:Wx78/k/90560人間七七四年
2011/01/31(月) 23:57:46ID:daQSSwl+伊達政宗正室愛姫は1653年1月24日逝去した。享年86歳の大往生である。
時代はすでに承応、四代将軍家綱の世となっており、最後の戦国大名とも呼ばれた男の正妻の死は、
戦の世がまた遠くなったことを告げるものでもあったろう。
亡くなる数日前から体調を崩し床に臥していた愛姫は22日には危篤となっていたのだが、
夫の月命日の24日に死にたいと気力で長らえたのだと伊達家の記録は語る。
戦国を生き抜いた女性は強かった。
仙台市博物館には、孫の綱宗が愛姫の遺品として伝えた一通の手紙が今も大切に保管されている。
姫愛用の硯箱にしまわれていた宛名もなく文面も不明瞭なこの手紙は、政宗5歳の時の手習いの書なのだという。
この80年も前の書付がいつごろどういった経緯で愛姫の手に渡ったのかは不明だが、
夫の幼い筆跡を常に傍らに置き、時折取り出してはいとおしげに眺めたであろう老いた夫人の姿を思うと、
なんとも暖かい気持ちになる。
激動の時代、60年近い歳月を連れ添った夫婦の絆は特別なものがあったのだろうと思わされる手紙の話。
安西先生・・・奥さんがほしいです・・・(´・ω・`)
0561人間七七四年
2011/02/01(火) 00:24:00ID:POV5hbPU自分と関係が深かったり本人が直接身につけてた物とかじゃね?
故人が自分の顔も知らなかった頃の字の練習帳を大事にするってなんかピンとこないんだよな
夫婦の機微ってわかりそうでわからんのう
0562人間七七四年
2011/02/01(火) 00:35:56ID:EQ8OY2Clそりゃそうでしょみんな武将(領主)だもん
このへんの人らは剣豪じゃなくても名が残るでしょうよ
当時の連歌師みたいに芸で高名になってと言うと何人いるか…
0563人間七七四年
2011/02/01(火) 00:51:12ID:uBmv4cItその辺はもう政宗と愛姫だけにわかる世界だからな…
推測だが政宗も手習いの書を大事にしてたんじゃないか。
普通5歳の時のものなんてなくなっちゃうだろう。
0564人間七七四年
2011/02/01(火) 02:20:07ID:XjRxLqZ4私は武将の妻ではないけど、なんかわかるなあ、愛姫の気持ち。
たまらなく愛しいのよね、ちっちゃい頃の夫の何かって。
何ともいい話だなあ。
0565人間七七四年
2011/02/01(火) 07:21:52ID:3cPT4rgB0567人間七七四年
2011/02/01(火) 10:38:01ID:N2S4ysgFこういった価値観から薩摩拵という独特な拵えが生まれた。
薩摩拵(さつまごしらえ)
江戸時代の各藩は、武術流儀に最も適した各藩独特の拵を考案し実戦に備えていた。
薩摩拵もこのような主旨から発案された外装で、実用性を追求したため武骨な格好となっている。
この拵形式の根底には薩摩示顕流がある。
同剣法の掟に『平常は刀を抜くべからず、止むを得ず抜刀した場合には必ず相手を倒すべし』
とあるところから刀を抜かずに相手を倒すことを目的とするべく、
柄を太く長くして立鼓を取らず、厚手の牛革を巻いて漆をかけ、
さらにその上に糸か革紐を巻き締めて目貫を装着せず、鉄の縁頭で強固な作りとした。
同時に逆角の突起を凸形として帯から素早く抜けるようにし、
刀身を鞘に収めたまま柄頭で相手を直接攻撃したことからもその利点が判る。
鐔には鞘止と称される小穴が開けられているが、刀を無闇に抜かないことをおしえたもので、
この穴に針金や紐を通し鞘に固定していた。
ttp://www.weblio.jp/content/%E8%96%A9%E6%91%A9%E6%8B%B5
0568人間七七四年
2011/02/01(火) 17:44:36ID:ISiT/pTP雑貨屋の女主人等を女城主に準えている・・町興しに都合の良い話・・
0569人間七七四年
2011/02/01(火) 18:25:29ID:wK5tAtTd0570人間七七四年
2011/02/03(木) 00:22:36ID:iW5CYElE北条氏邦と芳賀伯耆守が率いる千余りの軍勢を
真田信之が率いる二百ほどの兵が迎え撃った。
この時信之は我妻の仙人が窟という難所を利用した。
まず二百のうちから兵を選んで仙人が窟の左右に潜ませる。
次に信之自身が残りの百余りを率いて北条勢を攻め、その後勝負にかまわず引き返す。
撤退する真田勢を追って仙人が窟へ北条勢が来た時を見計らい、信之は反転し左右の伏兵と連携して北条勢を突き崩した。
北条勢は大いに混乱し、右往左往する内に大半が討たれてしまった。
これ以後北条勢が沼田へと働きかけることはなかった。
それから数十年後、天下が徳川の下に定まった後信之のもとへ来客があった。
一人は幕府の旗奉行富永重吉、もう一人はやはり徳川の旗本である中山勘解由
二人とも元は北条家にいた人間であり、とくに富永重吉はあの仙人が窟の戦いで北条氏邦の軍勢に属して戦っていた。
昔物語をするうちに仙人が窟の話が出た時富永重吉は
「貴殿はまことに恐ろしい御人です。昔上州仙人が窟の働きは感心しております。
危うく一槍にされようとして逃げ延びましたわい。」と何度も信之を誉めた。
仙人が窟の話はあまり知られた話ではなかったが、この件で皆が知る様になったという。
0571人間七七四年
2011/02/03(木) 00:31:21ID:Vz6wvp4Q北条氏照と自分の先祖の墓造ってたな
http://www.takaosan.info/topics44.htm
0573人間七七四年
2011/02/03(木) 23:45:41ID:Zw24thxAそのおかげで若かりし西郷隆盛が真剣で直に斬られずにすんだ訳でして
刀としての機能以上に結果的には歴史の役にはたったみたい
0574人間七七四年
2011/02/04(金) 00:03:57ID:HPsaP5Mjいいんじゃないの、刀ってそもそも『斬る』ものじゃなくて、
『打つ』ものだし。
むしろ平安以来の本来の使い方に近いかもな。
0576人間七七四年
2011/02/04(金) 09:03:39ID:Xvroi6C8釣り野伏せ!?
0578人間七七四年
2011/02/04(金) 16:59:24ID:GAoRia6iその中で特に真壁道無なんて神道流を習ってた一武将ってだけだしね。
0579人間七七四年
2011/02/04(金) 20:18:09ID:rMNVI8uN他の将軍奉公衆を集めて迎え撃つことになり、両者は宇治住山(炭山)で激突した。
戦は細川方で歴戦の士として知られる細野壱岐守藤敦が焼働きを行い、動揺した三好党を藤孝が大いに攻め、勝利した。
「いやぁ藤孝殿。自身が武者働きしての勝利、お見事にござった!この藤敦も感服しましたぞ。」
「うむ。ご助力、感謝いたす。それにしても、付け火の火が収まらんのう。ちと、火を吹き飛ばすとするか。
おーい誰か!その辺にあるもので良い、何かあおぐものを探して参れ。」
家臣が持ってきた物であおぎ始めた藤孝を見て、物に慣れた藤敦も仰天した。
30年の歳月が過ぎ、京は吉田山に隠棲する細川藤孝改め幽斎を、同じく一線を退き高台院(北政所・ねね)の
警護等で日々を暮らす細野藤敦が訪れ、二人は往時を懐かしく語り合った。
「あのころ幽斎殿は、碁盤を団扇代わりに火をあおいで消すほどの怪力であったが、今はどうですかな?」
「いや、それはさすがに若いから出来たこと。今は何をしても人に劣るばかり。歌も一向に上手くなりません。
だが、心だけは昔に勝るように思いまする。」
幽斎は、ことさらに真面目な顔をして答えたという。
0580人間七七四年
2011/02/04(金) 21:00:29ID:s+cs36pL幽斎さんなら扇げると解ってても持ってかねーだろw
0581人間七七四年
2011/02/04(金) 21:21:47ID:TehIyN8s管領就任式を無事済ませた晩、謙信の枕元に平将門の亡霊が現れた。
将門は謙信に言った。
『その方、少々の武辺に奢り誰の断りをもって関東の霸者を名乗るか。。。』
『余は新皇、平将門なり。関八州は渡さぬ。。。』
これに謙信、
「余は都におわす日本国天皇の勅命を受けて関東の逆賊を討ち平らげよ、と天子からお言葉を戴いておる。」
『。。。』
「畏れ多くも新皇を語り朝廷を蔑ろにする貴様は許して置けん!!」
『!!!!』
謙信は叫ぶやいなや将門の首を一刀両断にした。将門は霧のように消えたという。
侍臣が書き残した書には謙信の刀にはまだ生温かい黒い血が流れていたと言う。
0582人間七七四年
2011/02/04(金) 21:44:20ID:AHg3mXtz0583人間七七四年
2011/02/04(金) 21:48:34ID:jt6nyCy90584人間七七四年
2011/02/04(金) 22:00:59ID:HPsaP5Mj0585人間七七四年
2011/02/04(金) 22:02:07ID:BrlVxj5C0586人間七七四年
2011/02/04(金) 23:46:42ID:4LqpgU1V0587人間七七四年
2011/02/04(金) 23:50:18ID:+hUDptWO0588人間七七四年
2011/02/05(土) 01:00:47ID:IuImS5zS実はこちらと重複ですな。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html
0589人間七七四年
2011/02/05(土) 07:11:22ID:f5N0zaKD滝川一益「信長様です」
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