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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0591人間七七四年2011/02/05(土) 12:00:53ID:tg7JsjFO
>>579
細野藤敦って長野氏の家臣で伊勢で信長と戦ってたんじゃないの?
降服したあと急に将軍に仕えたのか?
0592人間七七四年2011/02/05(土) 14:20:00ID:aXJbtTz/
太田道真・道灌親子は、扇谷上杉氏から河越城の築城を命じられた。建設地は北に赤間川、南に遊女川が流れ、加えて七ツ釜と呼ばれる底なしの湧き水が7箇所も湧いているドロ沼地帯だった。ぬかるんで土が盛れず、道真は困った。

そんなある晩、道真の夢枕に龍神が現れた。

「道真、明朝一番に会った者を人身御供として差し出せ。そうすれば神の力で城はすぐに完成するだろう…」
「マジで!?わかりました!」

毎朝一番に自分に会いにくる愛犬を少し可哀想に思いつつ、龍神と約束をした。


翌朝。

「犬ジャネ━━━(゚д゚;)━━━!!」

愛娘の世禰(よね)姫が来た。

「夢に龍神様が現れてry…私が生贄になります!」

道真と同じ夢を見たというのだ。
しかし、可愛い娘にはそんな事させられない。龍神を怒らせてしまってもだ。

「ゆ、夢なんか気にしなくていいって!生贄とかなにそれこわい」

思いとどまらせようと道真は必死に説得するが、世禰の決意は固かった。世禰は館を抜け出し、城の完成を祈りつつ七ツ釜に身を投じた。
まもなくして、城は完成したという。


あるとき、河越城が攻められた。
堀のあたりに敵兵がやってくると、どこからともなく霧が発生し、それは集まって雲になった。
風も吹いて辺り一面真っ暗になり、ついには洪水も発生した。敵はすっかり混乱し、退散したという。
これらの現象、太田道灌が城の堀に棲む主に起こさせたらしい。
河越城の危機を救った堀の主の名は「ヤナ」。


よねが(人として、怪物ヤナとして?)太田親子の危機を救ったいい話。
0593人間七七四年2011/02/05(土) 14:30:38ID:DUf7I7Ag
旧約聖書にも似たような話が(士師記11章より)

エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、
わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を
主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」
こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。

エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。
彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。
彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、
お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」
彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりに
してください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」

二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。
0594人間七七四年2011/02/05(土) 14:37:04ID:URXl6evD
>>593
しかし誰を想定してこんな願いを口にしたのかね?嫁?使用人?
0595人間七七四年2011/02/05(土) 14:47:31ID:DUf7I7Ag
>>594
自分の知り合いのフロイスよりずっとましな宣教師は
「エフタはおそらく使用人を念頭に神に誓ったのでしょう。
同胞の命を軽んじた彼に対し神は罰を与えたのです。
アブラハムがイサクを神に捧げようとしたときの故事からもわかるように、
神は人身御供など求めてなかった、ただ彼が悔い改めることを望んでいた
しかし彼はおろかにも娘を捧げてしまった」
と旧約の神を新約っぽく解釈してた。
戦国時代の宣教師もこの人身御供をつかれたら痛かっただろう
0596人間七七四年2011/02/05(土) 15:53:12ID:mSJNP5TH
やはり野見宿禰は立派な人だな
0597人間七七四年2011/02/05(土) 17:09:42ID:kcb+0ipP
平将門も天下の覇者たる猿関白には文句言えなかったのか
それとも越後のやらないかに退治されて消えちゃったのか
0598人間七七四年2011/02/05(土) 17:33:54ID:xDxlLu1W
信長が怒ってるから出る幕無かったのかも
0599人間七七四年2011/02/05(土) 17:39:19ID:nMkOj5Jp
秀吉には崇徳院の加護でもついてたんじゃね
0600 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年2011/02/05(土) 18:21:30ID:ZodzoqK4
>>599
「皇を取って民とし民を皇となさん」という呪いをかけた御方とされているから
成り上がりの代表とされる超時空太閤に味方するのはありえるかもな。
0601人間七七四年2011/02/05(土) 18:35:38ID:TkP48Y3H
>>599
すると秀吉の北条征伐の裏では崇徳院vs平将門の二大怨霊バトルがあったのかねぇ?
実は鶴松が死んだのは将門公の呪いだったりして・・・
0602人間七七四年2011/02/05(土) 19:22:32ID:OGRuMlVl
伏見大地震の原因も加藤さんが龍脈いじったせい

なんだこの戦国帝都大戦
0603人間七七四年2011/02/05(土) 20:04:06ID:Dr3q4v6+
>>597
家康公に味方して大坂の猿軍団を滅ぼしたじゃないですか。
0604人間七七四年2011/02/05(土) 20:09:12ID:ARP3XR5n
黒田如水は小早川隆景に相談したが、息子の長政も相談したことがあったという。
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-85.html)

「物事を決めるときには、何に気をつけなければならないのでしょう」
「簡単です。ただ、ゆっくり考えればよい」

「では、何を特に考えるべきでしょう」
「決断の基本は仁愛です。
仁愛さえあれば、その決断が適切でなくともひどくはずれることはないものです。
しかし、仁愛がなければ理屈は通っても誤りなのです」

隆景は信義を重んじ、一度言ったことを曲げたりしなかったという。
0605人間七七四年2011/02/05(土) 20:41:35ID:mSJNP5TH
立派だな・・・・
小早川隆景は悪く言われることがあまりないね。
武田信繁、立花宗茂もそうだけど、
常に良い人間であろうとすれば、
外れないものなのかもしれない。
でもそれが難しいw
0606人間七七四年2011/02/05(土) 20:44:24ID:rZl4ESM8
>>605
> 小早川隆景は悪く言われることがあまりないね。

宇喜多直家「小早川隆景って奴は全然信用できんね」
小早川隆景「俺もお前を全く信用できんね」
0607人間七七四年2011/02/05(土) 20:49:22ID:kcb+0ipP
毛利元就「万人が褒め称えるような奴にはろくな奴はいない」
0608人間七七四年2011/02/05(土) 21:01:46ID:mSJNP5TH
今、名前が挙がった2人はどちらも稀代の謀略家。
良い悪いは置いといて、謀略家は徹底した善人は苦手だよな。
謀略は人の欲につけこむものだから
0609人間七七四年2011/02/05(土) 21:06:43ID:syOb5875
>>607
万人恐怖こそ、稀代の名君
0610人間七七四年2011/02/05(土) 21:43:15ID:cOqGYi8S
>>605
兄達は割ときつい事言ってるけどな
0611人間七七四年2011/02/06(日) 09:24:12ID:YgECJ7PR
>>606
宇喜多忠家「兄上より小早川隆景のほうが信用できます」
0612人間七七四年2011/02/06(日) 11:11:39ID:yeraT44+
論語に、
「全ての人に好かれる者は必ずしも可ではない。。
皆に憎まれる者も可ではない。
善人に好かれ、悪人には憎まれる者こそ良き人物と言える」

とあるけど、隆景さん当てはまってるよ
0613人間七七四年2011/02/06(日) 12:09:01ID:S6NNv/0w
>>604
これでは、元就と違って一豪族止まりだろ
0614人間七七四年2011/02/06(日) 18:20:36ID:aHUlCF+M
>>609
マキャベリ乙
0615人間七七四年2011/02/06(日) 18:22:42ID:OUHiBTAb
足利義教かと思った
0616人間七七四年2011/02/06(日) 18:22:49ID:/LOkwPkV
>>614
くじ将軍だろ
0617人間七七四年2011/02/06(日) 18:34:17ID:0TEiG2zq
文禄3年(1594)11月1日、高麗の地に上陸した島津忠恒は、先に来ていた父・義弘と対面した。

「父上。忠恒、ただ今参りました。私が来たからには、もうご安心ください。」
「ああ…頼む……」
(うーん、元気が無いな。この地で兄者を亡くしたのが、まだ堪えておるのか……そうだ!)


同月4日、忠恒は義弘を遊覧に誘い、晩も忠恒の陣屋で食事をとるよう勧めた。
「ぜひお越しください。少々、変わった趣向を用意しましたので。」
「変わった趣向じゃと?…おお、これは!」

忠恒の陣屋には、日本のそれと遜色ない立派な蹴鞠の庭が造られており、その庭で忠恒と近習たちが、
京滞在中鍛えた蹴鞠の腕前を、義弘の前で披露した。
「あっはっはっはっ!見よ見よ、忠恒め、いつの間にこれ程に腕を上げたのじゃ!」
(良かった!お元気になられたようだ…)

好評だったのか、忠恒は同月9日にも義弘のほか島津豊久・忠長等の見守る中、蹴鞠を行なっている。




…ので、名護屋で送迎船待ってた約40日のうち、晴れたら蹴鞠って遊んでたのは、黙っといてあげて下さい。

それにしても、自分の主人のことを「いつも蹴鞠ってやがる。(御鞠如常)」とか書いたり、
「今日は何も無かったです。(何たる儀無之候)」とか書いた次の行で「晩に盗人、成敗被成候。」
とか言ってる、元ネタ書いた面高連長坊はマジ大物だと思います。
0618人間七七四年2011/02/06(日) 18:36:28ID:7nQWEAC4
軍陣に盗みに入るとは気合い入った盗人だなw
0619人間七七四年2011/02/06(日) 18:38:34ID:OUHiBTAb
あれ、wikiではあまりに蹴鞠にうつつを抜かすから、朝鮮出兵中の義弘に
書状で注意を受けた、て書いてたのに
その後義弘が蹴鞠好きになった、ということか
0620人間七七四年2011/02/06(日) 18:48:35ID:yctrOdOk
例えば単身赴任してるお前にギター狂いの息子がいたとして
日頃は口うるさく注意してたとしても
実際に息子が自分のところに来てくれて
上達したギターの腕前を披露してくれたら
嬉しくて泣いちゃうかもしれないだろ?
そういうことだ
0621人間七七四年2011/02/06(日) 18:50:32ID:ohxFaQ7K
>>618
人の出入りが多いから、けっこう狙い目なのかも>軍陣
0622人間七七四年2011/02/06(日) 18:53:32ID:CTv09xKa
ドラ息子を甘やかすお父さん・・・
0623人間七七四年2011/02/06(日) 19:10:23ID:ATDiyX5d
義弘のためにやってくれてるのは察してたろうから
義弘も楽しんだふりをしてやったんだろう
大将が沈んでると兵に影響するしそういう心遣いも大将の心得だよ
0624人間七七四年2011/02/06(日) 19:14:15ID:yU6tyuIK
これが黒田長政や鍋島勝茂だったら、親父からその場で説教されそうな・・・
0625人間七七四年2011/02/06(日) 19:19:49ID:GYLw/rhX
これが輝元だったら、叔父からその場で折檻されそうな…
0626人間七七四年2011/02/06(日) 20:38:21ID:rldax2hK
>>618
Q太郎にも陣泥棒を防ぐ話があるし、割とよくあったんじゃないかな
0627人間七七四年2011/02/06(日) 21:15:56ID:aHUlCF+M
>>624
いや黒田の家なら失笑してこれで黒田家も終わりだ、って嫌味を言うと思うw
0628人間七七四年2011/02/07(月) 02:00:06ID:yKJ6OsOL
性格わりいな黒田家は
0629人間七七四年2011/02/07(月) 02:06:33ID:LWy4hYOE
又兵衛あたりが余計な事を言う→
長政怒って取っ組み合い→
黒田官兵衛苦笑い
0630人間七七四年2011/02/07(月) 03:20:36ID:3SXgXmWZ

北条 vs 小弓公方+里見で行われた第一次国府台合戦の時の話。

北条方の武士・伊山助四郎と江川兵衛大夫という二人が先駆けを行い、公方方の武
士と戦った。
助四郎、兵衛大夫ともに相手を討ち取りはしたのだが、やはり相手も軍の先頭を駆
ける勇者である。助四郎は重い傷を負ってしまう。

それを見た兵衛大夫は、
「助四郎、無理をするな。その傷ではこれ以上進む事は出来ぬだろう……というか、
取った首を抱えて歩く事すら難しいのではないか?鼻のみを削ぎ、鎧の上帯に挟ん
で帰ると良い」
「馬鹿言うな!お前は俺に、この手柄をふいにしろと言うのか!?」

この頃、北条家の軍法では、鼻を持ってきても手柄とは認められなかった。
雑兵の鼻を削いで兜首と偽ったり、酷い時には味方の戦死者の鼻を削ぐ者まで居た
からである。
手柄と認められない所か、そのような卑怯な真似をする人間だと見做される恐れが
あったのだ。


「安心しろ、首実検の際には俺がちゃんと証言してやる。もしもお前が帰り道で死
んじまっても、俺は間違いなく、お前の手柄を報告してやるとも」

そう言いながら、兵衛大夫は自分の討ち取った相手の鼻を削ぎ始める。
「おい、仮に俺が鼻を持って行ったとしても、お前まで付き合う事はないだろう。
お前はちゃんと首を持って行けよ!」

「俺はこれから、もう一度敵陣に突っ込んでくる。そん時に取った首をぶら下げて
たら邪魔で仕方ねぇだろう?だから俺も鼻を削いで行くんだよ。もしもの時は俺の
手柄をお前が証言してくれよ。もしも検使がお前の手柄を認めないって言うなら、
俺がこれから取ってくる首をお前にくれてやるさ」

そう言い残し、兵衛大夫は再び敵陣へと走り去った。


暫くの後、兵衛大夫が一つの首と一つの鼻を持って本陣へと帰ってきた。
彼は首実検の場に直行し、助四郎とのやりとりを証言。そして二人の取ってきた鼻
を手柄と認めてくれるよう、検使の山中修理亮に迫った。

「何を興奮している。認めるも何も、ホレ、これを見てみろ」

と、味方の手柄を全て記した首帳を兵衛大夫の前に示した。
そこには
『伊山助四郎 首一つ』
『江川兵衛大夫 前後首二つ』
と既に記されてあった。

「助四郎が重傷を負いながらも帰ってきて、お前とのやりとりを全て説明してくれ
たよ。それを横で聞いておられた氏綱様が、『兵衛大夫が帰ってくるのを待つ事は
ない。首二つの手柄と記してやれ』と仰られたのだ」


官僚組織が発達し、法治国家として他国をリードしていた北条家。
法の適用は意外に柔軟だったようです。
0631人間七七四年2011/02/07(月) 03:31:41ID:c4EXQvxV
数日後、

助四郎と兵衛大夫は床を共にし、

交わりを交わしたとされています。
0632人間七七四年2011/02/07(月) 19:00:31ID:0c1F5dkv
朝鮮陣の時のこと

ある城攻めにおいて、大谷吉継の部隊が仕寄り(城攻めのための足場)を構築していたときのこと。
この妨害のために城方から大いに攻撃を受けた。

吉継はそんな中でも前線で指揮をしており、これを心配した家臣のある者が、このように申し上げた

「ここは矢弾がたくさん来る場所です。どうか後方に退いてください。」

吉継はそれを聞くと、その場で立ち上がりこの者に言った

「運命の矢は、いつも一本だけだ」 (運の矢は一本のものよと被申候由)

そして、決して後方に下がろうとはしなかったと言う。


なんとなく大谷吉継の死生観が見えてくるようなお話。
0633人間七七四年2011/02/07(月) 22:56:41ID:bQxQ1j6d
>「運命の矢は、いつも一本だけだ」

        ___
       /     \     
.     / _ノ   ヽ、_\  
    /  (● ) (● ) \  え・・・いきなりそんなこと言われても・・・////
    | //////(__人__)/// | 
     \           /
     /           \
    |      ,― 、,―、   |
    \   ̄ ̄ (⌒⌒)  ̄/
        ̄ ̄\\//
0634人間七七四年2011/02/07(月) 22:58:16ID:y0jDoS8c
切り捨てよ
0635人間七七四年2011/02/08(火) 01:16:32ID:38LElsq7
御意
0636人間七七四年2011/02/08(火) 01:53:27ID:DFM4gp7H
>>631

> 数日後、

> 助四郎と兵衛大夫は床を共にし、

> 交わりを交わしたとされています。


それで助兵衛ってオチかい?
0637人間七七四年2011/02/08(火) 02:01:45ID:VYjO1Xrx
花房助兵衛職之「呼んだ?」
0638人間七七四年2011/02/08(火) 02:17:22ID:Uobkgw+M
ちなみに「スケベ」は助兵衛から来たのではなく、好き者をあらわした「好兵衛」が転じて
出来た言葉な。
0639人間七七四年2011/02/08(火) 03:54:35ID:gHg6CctZ
>>637
ワロタ

>>638
へえ!
0640人間七七四年2011/02/08(火) 14:18:12ID:8aXi7oFG
>>631
戦闘継続が困難なくらいの深手を負ってるのに数日後にはもう床を共にするってタフだなーと
しょうもない所で感心してしまった
0641人間七七四年2011/02/08(火) 15:35:55ID:uNF3fNQA
ID違うしネタじゃねーの?
06426302011/02/08(火) 15:53:02ID:d07GTLhv
631は私ではありません。
出典の『小田原北条記』にもそのような話は出ていません。
631氏のネタだと思います。
念のため。
0643人間七七四年2011/02/08(火) 16:50:31ID:Zo8rXred
つまり寝たのか
0644人間七七四年2011/02/08(火) 17:35:44ID:GdcmxwyR
>>642
大丈夫だよ
よほどのバカじゃない限り>>631はネタだと分かったはずだから
0645人間七七四年2011/02/08(火) 19:56:51ID:VeeRXdho
>>643

【殿中】
                _
                   | |
                , - | |
          ☆  //_|_|_
  ∧,,∧   ☆ ヽ/',/   0∧,,∧∧,,∧ っ     ∧,,∧
 (;´・ω)    \ i !从 //(ω;` ) '・ω・)  っ    (ω・`;)
 /´ 7っ       lニlヽニニ0「(^ly(^l^7っ' _)       c< y/ ^7っ       ☆       ,、_n
ノlハヾヽ       /_(;'-ω)7っ ソ バヽ( ( く         ソ ノ <             \  , - 、_)lノ/7っ
<ノ l_」」     ιヾミ<^)《^) 〈_ノノヽ_>」ヽ_>       <_ノノ 、_>              <_と[_l l彡'´
0646人間七七四年2011/02/08(火) 21:29:22ID:hWPSoObY
>>645殿、殿中、殿中でござるぞ!
0647人間七七四年2011/02/08(火) 21:46:00ID:aR5f4YKE
>>645
ちょっと吹いたw
0648人間七七四年2011/02/08(火) 23:25:51ID:LEdIUb4O
>>645
かわいいw
0649人間七七四年2011/02/09(水) 00:09:46ID:S201hNb9
政宗にもありました、このお話


曽根内匠助昌世と言えば。武田信玄に仕え信玄から直接軍学や築城術を学んだとされ、
後蒲生氏郷のもとで会津若松の縄張り、町割りを行うなど、この時代でも特に有能な武士として
有名な人物であった。

さて、その曽根内匠は晩年、先代の伊達政宗のもとに寄宿した。
そこで政宗は嫡男の越前守(当時)忠宗なども呼び、曽根内匠の武辺話を聞かせた。

さて曽根の武辺話が始まってしばらくすると、忠宗が座を立った。
政宗はこれを見て

「どうして座を立つのだ?」

「はい、小便に行きたくて…」

これを聞いて政宗は激怒し

「よいか!武士と申すものは微変話を聞いているときは、我を忘れ、気づかぬうちに
小便を漏らす、という程のものなのだ!
どうしても小便がしたければ、その場で垂れ流せ!!!」

と、忠宗を叱りつけたという。


…とまあ、竹中さんのところとどっちが先だったんでしょうね。このお話。
0650人間七七四年2011/02/09(水) 00:11:45ID:HueWbSDM
まーくんも輝宗からそんな教育を受けてきたのかな
・・・まさかそのせいで
0651人間七七四年2011/02/09(水) 00:13:08ID:S201hNb9
>>649
ああ、5行目 ×先代 ○仙台 です。申し訳ないw;
0652人間七七四年2011/02/09(水) 00:20:07ID:XcI70Dyk
これを聞いた御用商人の何某は、
軍議や戦の際に厠へ行かなくて済むような道具を発明することを思い付いた
しかし、自らの手では出来なかった為に、陸前国伊具郡の洋学者を訪ね、四年の月日の後に開発されたのが、
御陸奥(おむつ、昔はその使用法から御絞めと言った)

伊達家代々に伝わる地場産業となったのである
0653人間七七四年2011/02/09(水) 00:35:17ID:WgbcqCYY
>>649
ガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3046.html

そんでもってどっちの逸話が先かもリンク先を参照
0654人間七七四年2011/02/09(水) 00:36:57ID:fXKx5hel
>>651
あと、下から5行目で ×微変話 ○武辺話 ですな。
0655人間七七四年2011/02/09(水) 00:37:44ID:S201hNb9
>>653
ああ…確認不足でした。スマンかった。
0656人間七七四年2011/02/09(水) 01:48:21ID:L4veG7Jl
さて曽根の武辺話が始まってしばらくすると、忠宗が座を立った。
政宗はこれを見て

「どうして座を立つのだ?」

「はい、小便に行きたくて…」

これを聞いて政宗は激怒し

「よいか!武士と申すものは微変話を聞いているときは、我を忘れ、気づかぬうちに
小便を漏らす、という程のものなのだ!
どうしても小便がしたければ、その場で垂れ流せ!!!」

と、忠宗を叱りつけ.今度は自分が便所に行った
0657人間七七四年2011/02/09(水) 02:22:09ID:iyA39aJE
>>656
忠宗「父上!それでは父上自身が先に言われた武士の道に背くではありませんか!」

政宗「わしは良いのだ。陸奥守だからな。」

忠宗「陸奥守?」

政宗「武士の陸奥(みちのく)」

お後がよろしいようで
テケテンテンテン
0658人間七七四年2011/02/09(水) 03:29:23ID:tGGMcSml
漏らしたら漏らしたで
武士なんだから先に済ませとけって怒るんだろうな
0659人間七七四年2011/02/09(水) 06:52:39ID:tlWfV6CZ
いい話ではなくなってるが
0660人間七七四年2011/02/09(水) 13:31:17ID:qDMD4819
別に怒られるだけだからなぁ。
ラスボスの島津戦殿の話とかだとどうやっても詰んでるのかよ、って感じだけど
0661人間七七四年2011/02/09(水) 21:35:17ID:X0NF08BA
村井貞勝の良い悪い話ってないのかしら?
0662人間七七四年2011/02/09(水) 21:41:15ID:S201hNb9
良い話というか武士としての生き方を貫いたという意味では、
本能寺の時信忠を助け二条城にこもり、二人の息子と共に討ち死にした事とか
0663人間七七四年2011/02/09(水) 23:02:45ID:PtLbnNJ3
ノブヤボで村井さんはかなり使える
それに比べて裏臭いは
0664人間七七四年2011/02/09(水) 23:06:25ID:67eoQl3m
竹千代「小便など縁側から庭に向かってすればよい」
0665人間七七四年2011/02/10(木) 01:34:56ID:FSLgCDEz
>>661
まとめ見たら村井さんがまだないようなんで

塀の修復
京都所司代時代、御所の塀の修復をすることを命じた貞勝は、
織田家による京の復興をイメージさせるためか、
作業をする人夫たちを班に分けて、それを競わせたうえで、
塀の上で踊りなどをさせ、大変な騒ぎとなったそうな。
天皇や貴族も見に来たそうな。(信長公記)

確か秀吉にも太閤記あたりでこんな逸話があった気がしますが、創作かな。
0666人間七七四年2011/02/10(木) 03:15:08ID:PUTUHoC2
>>665
話がそれとフロイスしか見たこと無いんだけど
信長の筆頭文官みたいな地位の人がそれだけって寂しいつうか妙つうかそんなもんなのか・・
0667人間七七四年2011/02/10(木) 03:34:19ID:U6fv33hH
その話をもとに秀吉の話を作ったんじゃね?
0668人間七七四年2011/02/10(木) 09:08:08ID:BXyd/zUq
>>665
信長公記の村井さんの逸話なら美人局があったとおもう。
まとめで見た気がする。
0669人間七七四年2011/02/10(木) 10:32:58ID:FSLgCDEz
>>668
kwsk
まとめで見たところないしそもそも村井さんのカテゴリーすらないorz
0670人間七七四年2011/02/10(木) 11:43:42ID:rR1KY+UL
>村井さんの逸話なら美人局があった

これは村井さんが、
美人局にあってアワアワしちゃう話なのか、
美人局をしかけて誰かをアワアワさせちゃう話なのか、
美人局にあったアワアワしてる人を裁く話なのか、

興味があります!
0671人間七七四年2011/02/10(木) 11:53:44ID:dQRhk+ML
堀秀政が北庄城を修築した時のことである。

秀政がその弟の多賀秀種の措置宜しきを得ぬとしてこれを詰責した。
これを口惜しきと考えた秀種は翌朝致仕して北庄を去ってしまった。。

秀政は弟の致仕を聞くと途中不便なこともあるだろうと餞に黄金十枚を送り、人をやって届けさせた。
その後秀政は黄金を包んでいた紙を一枚一枚のして箱に納めながらこう言った。
「およそ財というものは用いるべき時は黄金十枚でも惜しむべきでない。
 無用の時はこの紙十枚といえども無駄にしてはならない。私を鄙吝と思うな。」
0672人間七七四年2011/02/10(木) 12:14:52ID:OUukF1Mc
Q太郎は若死にし過ぎ
せめて関が原くらいまで生きてれば
0673人間七七四年2011/02/10(木) 12:15:59ID:ShdENNEz
さすが名人Q太郎
0674人間七七四年2011/02/10(木) 12:17:54ID:rp56qvlX
家康「その通り!」
爆弾正「その通り!」
岡左内「その通り!」

又左「その通り!」
0675人間七七四年2011/02/10(木) 12:27:36ID:Kewfg9ND
村井さんもそうだけど、
同じ織田の丹羽長秀や滝川一益も逸話の面だと影が薄いよね。
この二人は四天王なのに
0676人間七七四年2011/02/10(木) 12:36:19ID:iI8ZBVn4
比較対象が秀吉光秀なら影が薄く思うのも当たり前じゃね
0677人間七七四年2011/02/10(木) 13:47:55ID:U6fv33hH
>>674
又左は別だw
0678人間七七四年2011/02/10(木) 14:02:26ID:W3BhpBnV
>>674
>>677
殿!我が城が攻められています!援軍を!!
0679人間七七四年2011/02/10(木) 14:27:56ID:9mbnNtWa
薩摩に休復と名乗る人物がいた

休復「琉球とか言う国が調子こいてるみたいだね
許しが貰えるなら俺が凝らしめにいって薩摩の臣にしてやろうか?
分かってるって、島津も徳川から沙汰を待つ身でそんな余裕が無い事なんて
だからよォ、俺達だけでヤってやんヨ!」
そう言うと休復は密かに船を借り自らの家臣と颯爽と琉球へ向かうのであった


その後

船は大風で破損し琉球にたどり着く事なく休復は薩摩にトンボ帰りする

休復「あぁ、なんて俺は不運なんだ何もかもが空しい!!」

こうして休復は琉球征伐を諦めました
めでたしめでたし

『西藩野史』から





因みに休復とは宇喜多秀家が使った偽名
0680人間七七四年2011/02/10(木) 14:35:12ID:T7cOEd3F
どうせ誰かが言うんだから先に言っておこう。
泳いで行け。
0681人間七七四年2011/02/10(木) 15:58:33ID:GnXdaISt
秀家元気いいなあw
0682人間七七四年2011/02/10(木) 16:42:08ID:hzgxJ0oS

相模の北条氏と安房の里見氏が、海を挟んでにらみ合いをしていた頃の事。

安房水軍はしばしば相模の海岸に押し寄せ、北条氏を悩ませていた。
北条氏側も海岸沿いに番所を連ね、警戒を厳しくするくらいしか取る手がなかった
のである。

そんな感じでピリピリしたムードの中、小雨の降るある日。
小田原近くの入江に、小船が四、五艘ばかり陸地を目指して漕ぎ寄って来るのが発
見された。

「里見軍が来たぞっ!」
「房州水軍だ、逃げろっ!!」

町人達はうろたえ騒ぎ、逃げ出す。
しかし一方では、

「おお、あれが敵の軍船か」
「思ったより小さくね?」

と、浜に押し寄せて見物を始める者達もいた。

この騒動に、近くの番所から出動した高山大膳は群集を掻き分けて波打ち際へと進
み出ると声を上げる。
「おのれ憎き里見の勢め!今すぐ船を漕ぎ寄せ、尋常に勝負いたせ!!」
しかし……

シーーーーーーーーーーーン……
相手はまったくの無反応。

尚も相手の臆病をなじり、勝負を挑む大膳であったが、小船からは何の反応も返っ
てこない。
この辺りで漸く、野次馬達も、そして大膳自身も、何かがおかしいと気付き始めた。

「……あの船って」
「フツーの釣り船……じゃねぇの?」
0683人間七七四年2011/02/10(木) 16:43:14ID:hzgxJ0oS


そう、軍船にしてはやたら小さな船だと思ったら、実はこれ、ただの釣り船だった
のだ。
最近のピリピリムードに当てられた町人達が船に過剰反応し、野次馬が集まり、騒
動に釣られるように番所から侍が出動し……何が何やら判らない内に大騒動になっ
てしまったため、釣り船の方もキョトンとしたまま、何の反応も返せなかったので
ある。


(ど、どーしよう……ここまで来て「間違いでした。あれは釣り船です」じゃ収め
られないよなぁ、オレの面目的に……)

真相が判ったとて、大膳にとっては振り上げた拳の下ろす場所が見つかった訳では
ない。
どうして良いものか、気まずい沈黙が海岸に漂ったその時、

「そなたら如き、高山様の手を煩わせるまでもない!この一本唐傘を見よ!我こそ
は誓願寺の住職、庭林なるぞ!そなたらの相手は我こそがふさわしい!いざ、参れ!!」

雨の降る海岸、一本の傘を手にした僧侶が大膳の脇に進み出ると、そう声を上げた。
「二本傘」の旗指物を背負った大膳の劣化版を気取って見せたのである。

「確かに敵の侍じゃないなら、高山様より坊さんの出番だよなぁ」

海岸に集まった群衆は、あるいは爆笑、あるいは苦笑しながら、日常生活へと帰っ
て行き、高山大膳も面目を潰す事無く、この話は笑い話として語られるようになっ
た。


この話を聞いた北条氏政は、
「面白い坊主だ。こういう奴が仏法の問答も、面白く、わかりやすく聞かせてくれ
るんだろうな」
とのコメントを残し、庭林は小田原城下で大いに名を上げたのであった。
0684人間七七四年2011/02/10(木) 18:59:59ID:BkXJQeM5
坊さん、素晴らしい空気の読みっぷりだなw
0685人間七七四年2011/02/10(木) 20:20:57ID:YSnkna1A
難破したから泳いで帰ったのではないのか。
0686人間七七四年2011/02/10(木) 20:58:09ID:U6fv33hH
釣り船の人はめちゃくちゃ怖かっただろうなぁw
0687人間七七四年2011/02/10(木) 21:21:58ID:l4w04jXn
つ 釣られないぞ
0688人間七七四年2011/02/10(木) 23:02:46ID:iRqenFOl
慶長2年(1597)12月2月付、書状


『お手紙いただきました。大変嬉しく思っています。

昨日出した手紙にも書いたのですが、わたしはこちらで普請の指導をしているため忙しく、
あなたに手紙を出すことが出来ませんでした。

やがて歳末の頃になれば、そちらに伺うことが出来るでしょう。
その時には、あなたの唇にキスをしましょう、それまで誰にも、その唇を触らせてはいけませんよ?

私はここで、側に居る時以上にあなたの事を想っています。』




以上、豊臣秀吉より息子秀頼への手紙。
有名な書状だけど、ほとんどラブレターですなw
0689人間七七四年2011/02/11(金) 00:45:21ID:XDKpB3ty
>>688
秀頼の唇とねねの乳首
お前らどっち吸いたいよ
0690人間七七四年2011/02/11(金) 00:53:01ID:cgPGSa4k
>>689
通説に従うと、この年に高台院さんは50歳なんだが
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