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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0177人間七七四年2011/01/09(日) 19:00:44ID:gxYtjNoa
「心のやさしい鬼の城です。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。名物茶器もございます。」
0178人間七七四年2011/01/09(日) 19:09:12ID:e8yZnfeh
>>174
見はするけど期待は全くしていない
0179人間七七四年2011/01/09(日) 19:13:44ID:+dI9g+dx
>>176
鬼武蔵は賤ヶ岳の前、岐阜城に人質に入っていた弟の忠政を、自身で岐阜城に潜入して助けだした。
その時忠政を布団でぐるぐる巻きにして高石垣の上からたたき落とした。

布団にくるまわせたあたりが鬼武蔵の優しさ。
0180人間七七四年2011/01/09(日) 19:21:49ID:iFb/aUaS
>>179
なんという荒々しい救出劇w
高石垣の上から叩き落される衝撃に耐えるには布団一枚では足りないだろうな
何枚かぶ厚く巻いたのだろうが、窒息の危険もあっただろうに…w
0181人間七七四年2011/01/09(日) 19:28:14ID:e8yZnfeh
殺そうとしてるだろ、それw
0182人間七七四年2011/01/09(日) 19:59:55ID:a81FPY1A
それがトラウマで性格が・・・
0183人間七七四年2011/01/09(日) 20:17:27ID:j7cUEDWr
「俺が死んでも忠政を跡継ぎにするな」もやさしさです。
0184人間七七四年2011/01/09(日) 21:55:40ID:jJ4xZMNM
>>183
ほかの逸話はともかく、このくだりだけは案外本当かもしれんね。自分の娘にしても、
武家にではなくて、医者あたりがいいんじゃないか、と言っているし。

0185人間七七四年2011/01/09(日) 22:00:37ID:f+qXzV9m
忠政の器量は取るに足らないからやめとけと純粋に森家を心配してたと思ってた。
0186人間七七四年2011/01/09(日) 22:05:06ID:+dI9g+dx
文禄の役、

文禄2年(1593)1月、李如松率いる明軍4万3千余が小西行長の守る平壌に進攻。
行長はこの攻勢に耐え切れず平壌の蜂起を決断、軍勢をまとめ夜半密かに城を出、後方の
漢城へと向かった、

さて、平壌から漢城の間には黒田長政、小早川隆景・秀包親子らによって繋ぎの城が構築されていた。
小西行長は撤退の際、彼らにも共に漢城まで引くように誘った。だが黒田長政、小早川秀包らは

「敵の旗色を見ることもなく城を開けて退くなど、後に恥辱を受けること逃れがたい行為である!
小西殿は自ら戦ったのだから、早く漢城に退いて士卒を休息されるといいだろう。
我々は自分の城を引き払い、筑前宰相殿(小早川隆景)の城に軍勢を集結させ、漢城から反撃の軍勢が
出てくるのを待って先手をつかまつり、大明の人々との戦いを決する!」

これを聞いた行長は
「この上は是非に及ばず」

と、彼らを置いて漢城へと撤退した。

小早川、黒田勢撤退せず。漢城で行長からのこの報告に驚いたのは、秀吉より派遣された三奉行、
石田三成、増田長盛、そして大谷吉継である。
彼らはすぐに小早川隆景のところに使者を遣わし、

『急いで城から引き上げ、漢城へ入ってください!』

と伝えた。ところが小早川隆景、これを聞くと

「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

私一人が討ち死にしたからと言って、味方の弱みになるわけでもない。ここを開城して引き上げるなど、
断じて無い!」

そう言い切って使者を返した。
この返事に三奉行は慌てふためいた。

「防衛戦となる大河(漢江か?)を越えた場所で敵の大軍と戦うなど上策ではない!
そのうえここは外国であり、人々の心も計りがたい。
だからといって小早川殿を打ち捨てることなど、出来るわけもない!
一体どうすればいいのか!?」

石田三成と増田長盛は必死に相談し合ったが、どうしても結論が出ない。その時、
それまで押し黙っていた大谷吉継が立ち上がり、言う

「私が直接小早川殿の所へ罷り向かって異見を申し上げ、小早川勢を引き上げさせる!」

言い捨てると三成、長盛の返事も聞かず座を立ち、すぐさま隆景のもとに向かった。
そして隆景に対面し、理を尽くして撤退が最善策であることを説明。これに隆景もその理に服し、
吉継と連れ立って漢城へと退却した。


大谷吉継、小早川隆景を説得す。と言うお話
0187人間七七四年2011/01/10(月) 00:51:23ID:QHfsguYg
>>159
感動した
0188人間七七四年2011/01/10(月) 00:56:27ID:QHfsguYg
>>174
とうの昔に知っているぞ、勿論みた どこに建てたんだよ
0189人間七七四年2011/01/10(月) 01:34:07ID:AIiitz31
>>186
「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

「討ち死にする」ことが「老後の思い出」になる、って辻褄が合わなくね?
あと、これ多分既出だよ。小早川隆景の方にまとめられてるはず。
0190人間七七四年2011/01/10(月) 01:38:00ID:3dAYOV2j
>>185
忠政は森家基準だと異質だな
時代にはマッチしたが
0191人間七七四年2011/01/10(月) 12:43:30ID:kHqp8P8V
>>170
それだけならまだしも奥さんが弟に再嫁して身籠ってた日にゃ・・・
0192人間七七四年2011/01/10(月) 19:30:29ID:DX0dILY/
>>189
自分のじゃなくて他人の老後なんじゃね。
皆が語り伝えてくれるんじゃないか的な。
0193人間七七四年2011/01/10(月) 21:22:44ID:gHbCxNl3
戦国乱世の時代もはるかに過ぎ、人々が元禄の泰平を謳歌していたころ。花のお江戸を遠く離れた薩摩でも、
若者たちが酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ち、大言壮語を楽しんでいた。

「いやぁその昔、高麗での戦の折、わしらのご先祖は、唐人を造作もなく切り伏せたそうな。首を取るにも、
河原で石を拾うより易かったというぞ。」
「本当か!わしもそのような時代に生まれて、存分に出世したかったのう!」

「・・・わしが子供のころ、昌厳どの(山田有栄)に聞いた話と、だいぶ違うの。」
剣客・歌人として知られる、柏原市右衛門(幽静)がつぶやいた。

「わしが同じような事を聞いたところ、昌厳どのは『誰からそんな臆病な事を聞いたのじゃ!?』と激怒し、
ご自身の体験を語って下さった・・・

================================================

泗川城下の海に、波がきらめき潮騒が轟いていた。

薩摩の人々が日ごろ慣れ親しんだ、鹿児島湾や日向灘のような海ではない。
何万という明軍の、見たこともない圧倒的な人の海に、刀槍の波がきらめき、怒号の潮騒が轟いているのだ。

二十歳を過ぎたばかりの山田有栄も、この光景を目にして青ざめるしかなかった。同僚には泡を吹く者までいる。
「も、もうだめじゃ。このまま波に飲まれ、砕け散るしかないのか・・・」



不意に、頬に痛みと熱を感じ、我に返った。目の前に呆れた顔をした島津忠恒が、馬の鞭を握り締めていた。
「 出 陣 。 」若武者どもを鞭で打ち、正気に返した忠恒は、静かに告げた。

「頃は良し!敵の「気」は衰えた、今こそ出るぞ!!」
『その時』を告げる島津義弘の檄に、ようやく気力を取り戻した薩摩隼人たちは、城を飛び出した。

================================================

・・・『嘘偽りを申し、まことの己を隠すのは、臆病者のする事ぞ。』 昌厳どのは、そう仰せになった。」

市右衛門の話を聞いた若者たちは感じ入り、以後軽々しい話をする事が無くなった。
0194人間七七四年2011/01/10(月) 21:49:54ID:BIr3m6dv
戦う前「も、もうだめじゃ」

戦ってみたら「まるでゴミのようだ」

って事だろ。
0195人間七七四年2011/01/10(月) 22:14:39ID:Gsg+2emo
そんな>>193の若者たちそのものな事を言わなくても…
0196人間七七四年2011/01/10(月) 22:47:22ID:QHfsguYg
>>194
そうなのか?
0197人間七七四年2011/01/11(火) 12:58:19ID:aHs1UwMd

>>173
やる夫真田で紹介されてないエピだな!? 承知した!!
二話連投でいくよ〜〜〜。


天正十二年正月、北条氏配下の白井長尾氏では、真田家に対しての夜襲を計画して
いた。
徳川家と和睦を結んで一年余り。沼田開城が和睦条件の一つだったにも係わらず、
未だに沼田城を明け渡そうとしない真田家に対する示威行動が目的だと思われる。

が、元々この攻撃の立案者は長尾家でも北条家でもなかった。
天正十年の戦争の際、真田家から寝返った上州国人衆、林太郎左衛門、吉野太郎右
衛門、井上金太夫の三人である。


三人曰く、
「沼田近くの戸鹿野郷には金持ちが多い。ここを夜討ちして、たんまりと金を頂こ
うじゃないか」
「戸鹿野は勇者と名高い高橋右馬允の領地だし、奴等に赤っ恥をかかせてやれるぜ」
との事で、家中の侍達を口説いて回った。

元々はこのように、家中の末端から出た、押し込み強盗のような計画だったのだが、
最終的に集まったのは実に百三十人と言うから、この時点では白井長尾氏を挙げて
の計画になっていたようである。


元真田家中で地理に詳しい三人を案内人として、百三十人の強盗団は闇に紛れて戸
鹿野郷に潜入する。
……彼等の渡った後、秘かに川にかかる橋を外してしまう人影の存在も知らずに。

0198人間七七四年2011/01/11(火) 12:59:12ID:aHs1UwMd


ひっそりと静まり返る戸鹿野郷。
流石に静か過ぎやしないかと不審に思う者が出始めた頃、建物の陰、木々の陰から
わらわらと現れる真田兵。
「待ち伏せ!?」
「計画が漏れていただと!?」
「見ろ!橋も外されているぞ!!」
混乱する白井勢百三十人……いや、百三十人の中でたった三人だけは平然とした顔
をしている。

「いや、漏れたって言うか、元々お前等を殺す為に計画した事だし」
「俺達、真田家に帰参する事にしたんだ。手土産になってくれない?」
「あ、村の外には高橋殿だけじゃなくて金子殿の手勢も控えてるから、逃げ道はな
いよ?」
そう言うのはこの計画の発起人、林、吉野、井上の三人であった。


そう、真田vs北条の戦いで、真田家に未来はないと見て、家名存続の為に北条家
に身を投じた三人であったが、真田家はこの難局を潜り抜けた。
こうなると真田家に帰参したいが、ただ帰りたいと言っても許してもらえないだろ
う。
沼田国人衆の中心人物である高橋右馬允、金子美濃守に秘かに相談したのである。

二人は真田昌幸に三名が帰参したがっている事、手土産の手柄を立てる為に計略を
考えている事を報告。
昌幸から「金子、高橋と相談して良い様に計らえ」との許可を貰う。
高橋右馬允は予め戸鹿野郷に帰って、迎撃の準備を整えていたのである。


周到に準備された迎撃によって、あっと言う間に強盗団は壊滅。
橋を外された川を渡りきった、水練の達人が数人逃げ切ったのみで、残る百二十人
余りは全て討ち取られたのだという。


真冬の夜中に、群馬の山あいで水泳なんて、そりゃ死ぬわ。討たれた方が楽に死ね
るかも知れんぞ。(^^;
ちなみにこの功で三人は真田家帰参を認められ、高橋さんは加増されたという事で
す。……え?金子さん?さて、どなたでしたかな?

0199人間七七四年2011/01/11(火) 13:03:11ID:aHs1UwMd


徳川家と真田家が戦った第一次上田合戦の際の話。
真田家の家臣に深井某という者がいた。
この深井某、一日に三度手柄を立て、その全ての手柄に感状を賜ったという程の武
勇の主として知られていた。


真田軍の仕掛けるゲリラ戦によって徳川軍が総崩れになった時の事。

「待てぇ〜〜いっ!」
逃げて行く敵の中に、立派な身なりの武士を見つけた深井、「良き敵を見つけた」
とばかりに追いすがる。
「待て待てぇ〜〜〜〜!!」
総崩れの徳川軍の中、一人踏み止まって戦う馬鹿などそうそう居ない。勿論逃げる。
追う深井。
逃げる、追う。逃げる、追う。どこまで逃げても、どこまでも追う。

しかし、遂には追いつき、深井はまた一つ、兜首を討ち取る事に成功した。
「まったく往生際の悪い奴だぜ、一体どこまで逃げるんだか。なぁ、皆もそう思わ
んか?」
深井は周囲にいる筈の味方を見回し、苦笑を浮かべて言った。

が、何か様子がおかしい。
「いやぁ、俺等としては、お前がどこまで追いかけてくるのか、そっちの方が気に
なるなぁ」


右を見る。左を見る。も一度右。
敵。敵。……やっぱり敵。

後ろを見る……川。

「あ、あれ……? ここ……どこ?」
「敵陣」

0200人間七七四年2011/01/11(火) 13:04:08ID:aHs1UwMd


そう、敵を追いかける事に夢中になった深井、川を渡って敵陣の奥深くまで単騎で
侵入してしまったのだ。
勿論、味方は川端で追撃を止めている。
制止する味方の声さえ、彼は聞いておらず、自分が川を渡った事すら、気付いてい
なかったのだ。
「うっそ、俺、ヤバくね?」
いつの間にやら、三百人の敵兵に取り囲まれてしまったのである。


「……なんでウチの連中はこうも調子に乗る奴ばかりなんだ」
その報告を聞いた真田昌幸は頭を抱えた。
「しかし、深井が手柄を立てたのは間違いない事。ねんごろに弔って、遺族には見
舞金を贈りましょう」
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、苦笑まじりの表情で、信幸も言った。
それを見た家臣、言いづらそうに口を開く。
「そ、それが……非常に言い辛いのですが……」

この深井某、なんと生きていた。
三百人に囲まれた状況で、包囲を突破し、川を渡って味方の陣地に帰還したのであ
る。
「ど、どうやって……?」
さしもの昌幸、信幸も口を開けて呆れている。
「い、いえ……本人の話では、『一生懸命頑張った』と。対岸から見ていた者の話
では、『鬼神の様な暴れっぷりだった』との事ですが……」

そう、何の計略もなく、ただただ夢中で敵中突破してしまったのである。
しかも、帰ってきた時には、かすり傷一つ負っていなかったと言う。


「そ、そうか……天晴れな事だな……うん……」

深井某は昌幸からお褒めの言葉を受け、更には真田の名字まで賜った。
その後は真田但馬守と名乗ったと言う。


いや、これ、叱っても良い様な気がするよ?(笑)
でも、これを叱ったら矢沢さんも叱らなきゃいけないような気もするからなぁ。
流石の矢沢さんも三百倍の敵とは戦った事ないだろうけど。(^^;

0201人間七七四年2011/01/11(火) 13:07:01ID:3ZxI8Laz
これも陸戦型モンスターか
0202人間七七四年2011/01/11(火) 14:07:13ID:3SiQ0UzQ
そんなフリークスなのに名前が某ってかわいそう
0203人間七七四年2011/01/11(火) 15:05:51ID:aHs1UwMd
>>202
伝わっていないのではなく、私が読んだ『加沢平左衛門覚書』には、深井三●となっ
ており、どうやら原本の文字が潰れるか虫食いかで読めない状態だったようです。
そのため、名前不祥という事で「某」としたのは私の判断です。

試しにググッてみたら深井三弥という人が昌幸の配下にいたらしいので、この人がそ
うなのではないかと思われます。
でも、三弥の後も深井氏はそのまま続いてるみたいなんだよなぁ。真田氏を名乗らず
に。
三弥の長男が真田、次男が深井氏を継いだって事なのかなぁ?詳しくはちょっと判ら
ないです。
0204人間七七四年2011/01/11(火) 16:42:11ID:TD6o4a/K
『微妙公御発語』より
あるとき微妙公こと加賀藩主前田利常に、家臣が話をした。

家臣「わたくし東海道を旅しましたところ、近頃は旅籠というものができておりまして
宿を貸すだけでなく、食事も作ってくれるのです」

つまり旅館、このころ登場したんですね。

「しかるに、木賃宿をにて宿を借りるだけで自炊し、むすびを作って旅するは当家だけ」

家臣さん、「旅籠に泊まっていいでしょ? 経費で落としていいでしょ?」
と言ってるわけですね。
さてハナゲさんのお答え。

「武士であれば、自ら飯を炊き、腰兵糧するは当たり前。戦乱になれば旅籠などやっていけまいよ」

平時にあって乱を忘れず。基本的にはいい話です。
また、ほかの大名家が腰兵糧を作らなくなったことも伺えます。

しかしこの戦時態勢維持の考えが三百諸藩ことごとく困窮し没落する原因になるのですが
それはスレの趣旨と違うのでここまで。
0205人間七七四年2011/01/11(火) 16:52:59ID:49mysqFh
経費節約のためですか。
さすが前田家は賢いですな(棒
0206人間七七四年2011/01/11(火) 18:46:18ID:9099Crvt
>197
どっちかというと両方とも悪い話じゃないか。
0207人間七七四年2011/01/11(火) 19:16:03ID:dH8D7VQL
池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「あの佐藤忠信だって刀を盗まれた。寝入った時に刀を盗まれても
   何の恥にもならぬ。お前を悪く言う奴は処罰してやるから」

と言って家臣を大切にしたという。
0208人間七七四年2011/01/11(火) 19:27:35ID:xqN/tkYZ
源平時代での例えはよく知らないからわかりにくい。
たしか源義経の部下だよね。
0209人間七七四年2011/01/11(火) 19:33:54ID:49mysqFh
戦国武将たちがあこがれるスーパーヒーローだと思っとけば間違いない。
0210人間七七四年2011/01/11(火) 20:20:03ID:wfgEmEcm
俺たちが鬼武蔵にシビレるぅ!あこがれるぅ!ようにか
0211人間七七四年2011/01/11(火) 20:56:19ID:wZNSaqFG
江戸時代に入っても、鎌倉武士なんかは結構人気で、源平の武者で相撲番付「源平武者揃番付」なんかが作られたり
ttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike12.html
佐藤忠信は、下から二番目の右から5人目に入っていますね。それ以外でも、戦国武将のご先祖様がたくさん
0212人間七七四年2011/01/11(火) 20:58:20ID:Ojteo06g
>>199
それなんて戦国無双?
0213人間七七四年2011/01/11(火) 20:59:08ID:3mEYSU8s
佐藤忠信と聞くと狐のイメージしかない
0214人間七七四年2011/01/11(火) 21:06:40ID:4ed479ld
>>207
池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「天下を獲ったあの家康公なんて戦場でウンコ漏らしてるんだぞ
    しかもウンコ漏らしたの家臣にばれてる。刀を盗まれたのなんて何の恥にもならぬ」

と言って家臣を大切にしたという。
0215人間七七四年2011/01/11(火) 21:07:19ID:j+m/BESF
佐藤忠信と戦国武将とのエピといえばこれだね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1989.html
0216人間七七四年2011/01/11(火) 21:08:23ID:3mEYSU8s
>>214
父・兄の敵だったとは言え、舅に対してなんてことを
0217人間七七四年2011/01/11(火) 23:11:53ID:evobFoeO
ウンコだって証拠あんのかよ?
0218人間七七四年2011/01/11(火) 23:55:07ID:Fr4eHNEL
いや、輝政的にはこうだ

池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「この輝政なぞは夜の槍働きで伸し上がったのだ腰の物が無くとも
   何の恥にもならぬ。お前を悪く言う奴は処罰してやるから」

と言って家臣を大切にしたという。
0219人間七七四年2011/01/12(水) 01:01:20ID:tbpukY8c
さすが妻酷将軍器が違った
0220人間七七四年2011/01/12(水) 14:31:43ID:Ic1uIIUo
刀を盗まれた話で思い出した。


ある時、南部家の三戸城で南部晴政の刀が盗まれた。犯人は分からず、刀番は事の次第を晴政に説明すると共に、
自分を罰するよう願った。だが晴政はその申し出を不問にした。

「刀番と言っても朝から晩まで始終刀を守っているわけではあるまい、ならば罰するには及ばない。
 刀のある場所は城の奥だ、刀ひとつを盗む為にわざわざ奴僕がくるところじゃない。

 刀は武器だ。おおかた武に励み、剣を好む若侍が、馬鹿な心を出して盗んだのだろう。
 ならば、その刀をもってよく奉公してくれるだろう。武士の盗みにはそのようなこともあるものだ。
 これがもし、武士が金銭や米穀を盗んだというなら、法をもって処罰しよう。
 この事は沙汰すべきでない、放っておけ」
0221人間七七四年2011/01/12(水) 14:55:55ID:k2qbhP8u
その話が広まったしばらく後、南部勢苦戦の折晴政の身にも危険が迫っていた。
その時若侍が晴政の前に飛び出し、いつぞや刀を盗んだ石川五右衛門(仮)でござる、と名乗り出て奮戦。
主君の危機を救った、

とかの後日談つくと綺麗かつ逆に胡散臭くなるんだが…なさそうだな
0222人間七七四年2011/01/12(水) 15:11:30ID:KS74u7ye
王妃にセクハラした家臣の話そのまんまじゃねーかw
0223人間七七四年2011/01/12(水) 15:14:21ID:wFpzn690
秦の穆公にも似たような話があった
0224人間七七四年2011/01/12(水) 19:39:07ID:bfuGc3hk
ついに政宗のタイガーマスクが出たらしい
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110112/trd1101121623003-n1.htm
0225人間七七四年2011/01/12(水) 19:46:07ID:7kSVjFfY
伊達直人よりねずみ小僧とかのほうがピンと来るな
0226人間七七四年2011/01/12(水) 22:29:28ID:Ak1plxtk
殿様ありがたや(-人-)
0227人間七七四年2011/01/13(木) 00:12:41ID:7r3HoIe2
>>225
盗みじゃん
0228人間七七四年2011/01/13(木) 00:15:52ID:Y4q2ZEPg
まあ戦国大名だって強盗みたいなものだしな
0229人間七七四年2011/01/13(木) 01:42:00ID:UoJs9FlB
地域繁栄へ「婿」に手荒い祝福
南魚沼・八坂神社で「花婿の胴上げ」

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/18749.html

>胴上げは450年ほど前、魚沼地方を治めていた坂戸城主・長尾政景が城下繁栄のため「婿養子を大切にしなければいけない」としたことが始まりとされる。
>現在は婿養子に限らず、同地区で前年に結婚した男性が対象だ。


知らなかったw
0230人間七七四年2011/01/13(木) 01:56:02ID:m0g72ZyU

ある時、毛利家の吉田郡山城で毛利元就の刀が盗まれた。犯人は分からず、刀番は事の次第を元就に説明すると共に、
自分を罰するよう願った。だが元就はその申し出を不問にした。

「刀番と言っても朝から晩まで始終刀を守っているわけではあるまい、ならば罰するには及ばない。
 刀のある場所は城の奥だ、刀ひとつを盗む為にわざわざ奴僕がくるところじゃない。

 刀は武器だ。おおかた武に励み、剣を好む若侍が、馬鹿な心を出して盗んだのだろう。
 ならば、その刀をもってよく奉公してくれるだろう。武士の盗みにはそのようなこともあるものだ。
 これがもし、武士が金銭や米穀を盗んだというなら、法をもって処罰しよう。
 この事は沙汰すべきでない、放っておけ」

その3年後、大内氏の月山富田城攻めに毛利も従い、大内氏が配下の裏切りにより尼子氏に敗北したため、

大内氏傘下の元就も撤退を余儀なくされる。

領国の安芸へ撤退する途中、石見の大江坂七曲りで、尼子軍に追い詰められた元就に
身代わりを申し出た若武者がいる。

そう、あの時名刀を盗んだ渡辺通である。

無事安芸への帰還を果たした元就は、通の献身に感動し、決して渡辺の家を見捨てないと誓い、
通の遺子の長を股肱の臣として重用。その態度は毛利家の子々孫々まで受け継がれ、
長州藩の正月の甲冑開きの儀式は代々渡辺家のものが先頭の栄誉に与かることになった。
0231人間七七四年2011/01/13(木) 06:54:00ID:sFtI3Rrd
>>230
わかりづらいボケはやめとけよ
0232人間七七四年2011/01/13(木) 09:31:09ID:b02CZzE7
父の汚名を挽回した かよう に罪を着せるとは
>>230は万死に値する
0233人間七七四年2011/01/13(木) 10:08:03ID:8BxgkHc0
>>232
汚名を挽回してどうするんだよwww
0234人間七七四年2011/01/13(木) 13:26:19ID:ARLY4EF/
>>232
こんなところにジェリドがw
0235人間七七四年2011/01/13(木) 14:08:09ID:JVmQudpJ
虎姫 (中川秀成室)の一生を書いてくれ
0236人間七七四年2011/01/13(木) 15:46:10ID:iDvrZC+E
>>229
逆に婿を雪の上に放り投げる村もあるよな
どっちにせよ地元の若者と馬鹿騒ぎすることで垣根が無くなるんだろうけど
0237人間七七四年2011/01/13(木) 18:19:30ID:Tv5JYI/c
>>230
>長州藩の正月の甲冑開きの儀式

まさか代々「今年はどうしますか?」と藩主に尋ねる係かwww
0238人間七七四年2011/01/13(木) 18:31:12ID:weg6o8aZ
最近評判の芳しくない前田利家公のいい話

ある時、蒲生氏郷と浅野長政がその家来17、8人を一度に同名(同じ名字)に
したことがあった。
これを聞いた前田利家は

「人というものが、手柄を立てたい、よく奉公し身代を増やしたいと思うのは、
ひとえに『我が名字を打ち立てたい!』と念願する故なのだ。

それなのにあの者たちは、家中のものを多く同名にした。
天下を取られた秀吉公の真似をしているのだろうが、これは全く無用のことだ。

総じて一家一類というものは格別、大切なものである。
仮に我が家において同名にするとすれば、村井豊後、高畠石見、青山佐渡、
奥村伊代、篠原出羽…、といった面々であろうか。彼らは多くの忠節もあり縁も深い
者たちである。

だがわしは彼ら自身の為をもって、そのように同名字にするような事は決して無い。」


『量産型蒲生』などで有名な同名字政策ですが、その当時既にこういった批判も
あったことが伺える、前田利家による同名字否定のおはなし。
0239人間七七四年2011/01/13(木) 20:22:41ID:dKeKglmY
大坂冬の陣の話。加藤明成は大坂が近くなると加賀山小左衛門を斥候に出した。
戻って来た小左衛門の報告によれば

小左衛門「この先に神崎川があるから河を渡って対岸に陣を敷きましょう」

ということであった。しかし宿老の佃次郎兵衛と河村権七郎が反対した。

佃&河村「冬の、しかも夜に河を渡ったら兵士たちが凍えきってとても戦えない。
      夜明けを待って、明日渡るべきでしょう」

明成「なるほど。もっともじゃ」

明成は宿老の意見を取った。しかし、それでも小左衛門は意見を曲げなかった。

小左衛門「天下を握る徳川家に味方しているのですから勝負に拘っても仕方ありません。
      また、後々のことを考える必要もないのです。
      しかし、他家に遅れを取るのだけはいけません。他家よりも先んじて戦うことだけを
      考えましょう。遅れを取れば軍が無事でも国が危ういのです。
      天下の乱れた戦国の世と徳川の世ではもはや戦う道理が違います」

佃&河村「な、なるほど〜!」

小左衛門の考えに宿老も唸り、明成も小左衛門の意見を喜んで採用した。
0240人間七七四年2011/01/13(木) 20:42:52ID:gxFM5SG1
>>239
こいつ何言ってんだw わしは徳川に加担する者は好かぬのじゃ
0241人間七七四年2011/01/13(木) 21:21:16ID:TofP9uyL
>>239

つまり争いの相手は大坂方ではなく徳川方の内輪の中、ということだな
0242人間七七四年2011/01/13(木) 22:46:49ID:gxFM5SG1
>>241
なるほど! 馬鹿農民には難しいでござる
0243人間七七四年2011/01/14(金) 12:26:56ID:BwL4ywct
>>242
なんか納得しているようだけど、お前の240時点の思考が全くわからん。
どう考えても241解釈になるだろ?
誰か解説を。
0244人間七七四年2011/01/14(金) 12:38:05ID:q1IAfuRd
そもそも240が何を言ってるかが分からない
0245人間七七四年2011/01/14(金) 13:07:58ID:rRSfwk49
歴史を齧ってまだ間もないのか、或いは単に智謀が氏真さん並だったのか
うーむ
0246人間七七四年2011/01/14(金) 15:09:26ID:y0HbdlFf
それ多分、よくあるコピペの劣化版
0247人間七七四年2011/01/14(金) 19:05:34ID:u++unH6i
>>245
氏真さんなめんな、これは一条さん級だ
0248人間七七四年2011/01/14(金) 20:39:42ID:SI24MTvj
>>240>>242は秀吉のセリフのつもりのギャグなんじゃないの?
つまらんどころか分け分らんが。
0249人間七七四年2011/01/15(土) 14:02:49ID:k+rZiHwD
>>246
いや、これは本気と見た。
知謀一桁なんだろう。武力が高そうにも思えないがw
0250人間七七四年2011/01/15(土) 14:30:12ID:URMYVkaj
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く、

>>240 他にすることはないのですか?
0251人間七七四年2011/01/15(土) 15:33:27ID:XG4WlY7d
>>240 >>242
         \   ∩─ー、    ====
           \/ ● 、_ `ヽ   ======
           / \( ●  ● |つ
           |   X_入__ノ   ミ   そんな餌で俺様が釣られクマ――
            、 (_/   ノ /⌒l
            /\___ノ゙_/  /  =====
            〈         __ノ  ====
            \ \_    \
             \___)     \   ======   (´⌒
                \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
                  \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ
0252人間七七四年2011/01/15(土) 15:39:23ID:N8YRV6Gv
別所で何かないか調べたらこんなのが
http://www.8000.gr.jp/kyoto/bessyo.htm
0253人間七七四年2011/01/15(土) 16:06:55ID:XKQIeCjC
なあ、江と朝日姫の初婚相手って同じ武将なの?

こんがらがって来たw
0254人間七七四年2011/01/15(土) 16:16:42ID:URMYVkaj
別所って長治は当然として嫁もさらし首にされたの?
武田勝頼・信勝や仁科盛信の首って晒された後どうなったんだろ
あんまり聞かないから気になってたんだけど
まさか北条夫人は晒し首にはならなかったんでしょ?
0255人間七七四年2011/01/15(土) 16:31:21ID:fAdom05B
>>253
別人
江の旦那は本物の佐治氏
朝日の旦那は佐治家の名を継いだだけの佐治氏
0256人間七七四年2011/01/16(日) 00:01:50ID:ZHd62Dwq

天正十三年、徳川家康が真田家の上田城を攻撃するのと歩調を合わせて、上野国で
は北条氏直が沼田城への攻撃を開始した。

厩橋城から出陣した総勢五万八千の大軍は、二手に分かれて進軍する。
片方は北条氏直・氏邦の率いる三万八千。
もう一方は北条氏照の二万である。

大雑把に言ってしまうと、氏直・氏邦は厩橋から利根川の東岸を北上、沼田に直行
するコース、氏照は西岸を北上して名胡桃城を攻撃、沼田城の背後を窺うというコ
ースを取っていた。
対する沼田城は二千に満たない小勢。共に篭城する周辺住民を合わせても七千前後
という人数にしかならなかった。


「猪俣様、沼田城外に多数の旗が見えます」
北条軍の先鋒は例によって猪俣能登守。彼の元に物見の兵が報告に来る。
「……矢沢頼綱が打って出たのか?」
「いえ、旗はこちらではなく、名胡桃城に向けて移動中です。旗の数から見て、総
勢は恐らく一千前後かと」
「千を率いる武将など、沼田には矢沢以外おるまい……陸奥守様(氏照)の動きを
察して、沼田を捨てて名胡桃を防衛拠点にするつもりか?」
「如何なさいますか?このまま見逃し、沼田攻略に専念いたしますか?矢沢のいな
い沼田など、容易く落せますぞ」
「いや、千とは言え、矢沢が名胡桃に合流したらやっかいだ。ここで討つぞ!」
猪俣は手勢三千を率い、名胡桃に向かう真田勢の後を追い始めた。


が、勿論、これが計略でない筈がない(笑)
あと少しで真田勢に追いつこうか、という所で俄かに猪俣勢の後方部隊が騒がしく
なる。
「背後から敵襲!待ち伏せをされました!」
そう、森の中でジッと息を潜め、猪俣勢をやり過ごした渡辺左近丞が、五百の手勢
で後方から奇襲を仕掛けたのである。
「な、伏兵だと!? 罠っ!?……では、あの先行する部隊は……」

「金子美濃守、推参!!」
名胡桃に向かう一千の勢は矢沢頼綱ではなかった。
金子美濃守の手勢に民間人を加え、彼等に旗を持たせて正規兵らしく装った囮であ
る。
勿論、渡辺左近丞の攻撃開始と共に、金子美濃守も反転、総攻撃に移っている。
加えて民間人とは言え、この時代は武装して戦い慣れた者も多い。彼等の奮闘もあ
った。

奇襲で浮き足立った所に前後からの攻撃を受け、猪俣勢は反撃を加える事も出来ず、
二百を討たれた挙句、散り散りになって逃げ帰ったという。


まとめの方で金子さんを擁護する発言が続いたので、ちょっと格好良い所を(笑)
……つか、本当に擁護しようのない無能は猪俣さんだという気がしてきた。(^^;
真田側の記録が出典なんだから仕方ない事ではあるんですが。
0257人間七七四年2011/01/16(日) 02:49:32ID:vXrVwzrg
良質な記録文書の宝庫である北条家なのに猪俣さんの活躍は記録されてないのか・・・
0258人間七七四年2011/01/16(日) 02:50:59ID:JElKcTQC
金子美濃守に敗れる猪俣さん・・・
0259人間七七四年2011/01/16(日) 02:56:50ID:Iot/vh62
まぁ猪俣はストライク入らないからなw
0260人間七七四年2011/01/16(日) 08:23:53ID:y6qA0kon
泣くな!イノマティ
0261人間七七四年2011/01/16(日) 08:59:49ID:1xYiSDpW
いのちゃんは同じ手によくひっかるよね
0262人間七七四年2011/01/16(日) 12:21:20ID:BM4GzxWe
天庵様クラスの清々しい負け方だな。
0263人間七七四年2011/01/16(日) 13:53:06ID:ABEztcyG
寿司なら上手に握れるんだけどなぁ…
0264人間七七四年2011/01/16(日) 15:02:54ID:ZA6YqLsM
>>261
猪だけに狩られる方なんだよ。
猪肉は真田家で美味しくいただきました。
0265人間七七四年2011/01/16(日) 18:46:44ID:w99rixxm
文禄の役の頃の事

朝鮮では激しい戦いが行われているさなか、日本軍の本営、名護屋にある太閤秀吉は
正直ヒマであった。そんなある日、秀吉が名護屋在陣の諸将を集めて言うことには

「諸将よ、お互い徒然に飽き果てているだろうが、面白いことをして遊ぼうにも大概の事は
もはやし尽くした。そこで一工夫、変わったことをしてみようと考えた。
皆々、競って、最も大いなる狂歌を読むのだ!」

大いなる狂歌?意外な命令に皆どうしていいか戸惑い、口を開く者も無かった。
そんな中しばらくして、徳川家康が進み出る

「皆、その様に遠慮ばかりしていては果てしもないことではないか。では私が江戸城主でも
あることから、江戸のある武蔵野の昔を詠んでみよう。」と

『武蔵野に 咲きはびこりし梅の花 天地に響く鶯の声』

これに秀吉「いやコレはコレは、徳川殿には武蔵野の江戸城主の事とて土地柄能くも大きく
詠み出たる事でござるかな。さあ諸将も遠慮せず詠みなされ!」

コレが呼び水となり、次に前田利家が
『富士山を 枕になして寝てみれば 足は堅田の浦にこそあれ』

それを受けて上杉景勝
『須弥山に 腰打ち懸けて大空を 笠に被れど耳は隠れず』

これに秀吉「いやコレは大きい大きい」と関心

すると蒲生氏郷進み出て
『須弥山に 腰打ち懸けしその人を まつ毛の先で突き飛ばしけり』

秀吉これを大いに賞賛し「蒲生殿には大きく詠み出されたることである。
ではこの次はワシが自ら詠み試みよう」と

『山根付け 海巾着に川は紐 緒締めは三五十五夜の月』

実に大きい歌である。秀吉自身もこの歌の出来に内心得意になっていたが、ふと側を見ると
御伽衆の曾呂利新左衛門が妙な表情で秀吉の方を見ている。
そこで秀吉「なんじゃ新左衛門そんな顔をして、お前も一首詠んでみるか?」

これに曾呂利喜んで「お歴々の前、恐れ多いことですが殿下の仰せでもあり、また先程より
諸将の御歌を聞くばかりで、私の方も一首詠みたくジリジリしておりました所、幸いにも
殿下のご命令に従い、数ならぬ新左ではありますが、一首つかまつります。」
と、

『天と地を 団子に丸めて手に載せて ぐっと呑めども喉に障らず』

これには秀吉はじめ満座の諸将「いやこれは、新左に大きくやられたものだ。
今日の一番大いなる狂歌はこれであろう!」と賞賛し、どっと笑ったそうである。

名護屋陣、大いなる狂歌比べ、と言うお話。
0266人間七七四年2011/01/16(日) 18:50:06ID:+4K0eBBm
豊臣秀吉と曽呂利新左エ門、頭播磨に尻備中・悪い話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-588.html
この詳しいバージョンか

ついでにそれを元にした落語の落ち
曽呂利新左衛門「ははー、兼光、頂戴いたします」
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4249.html
0267人間七七四年2011/01/17(月) 04:01:53ID:21iqkfIz

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5045.html
沼田方面でこんな事をやっている頃。
利根川対岸の川田地区では北条氏照の率いる二万の軍を迎えていた。

この川田城を落とされたら、名胡桃城までの道が開けてしまう。
岩櫃城の真田信幸が上田に居る現在、吾妻からの援軍は望めない。
沼田城からは根津幸直が派遣されてはいたが、彼を加えても総勢は三百。

氏照は白井長尾輝景を先陣として、子持山峠を越えて川田に押し寄せる。
戦略も戦術もない、兵数差を前面に出しての力押しだ。

ところが、川田城は包囲しても反応はなく、攻撃を仕掛けても反撃もない。
城内に突入してみると、そこには人っ子一人いない空城。
「防衛を諦めて名胡桃城に退却したか……まぁ、当然だな」
肩透かしを喰った長尾輝景は、一旦氏照の本陣に帰還するべく、兵をまとめる。
山の中の小城であった川田城には、大軍の北条勢を収容する施設などなく、わずか
な守備兵のみを残して引き上げざるを得なかったのだ。

奇襲があったのはその帰り道。
てっきり真田勢は名胡桃城に退却したものと思い込んでいた長尾勢は、川田城の支
城であった大竹城に対して、完全にノーマークであった。
そう、根津幸直を筆頭にした真田勢三百は川田城を捨て、支城の方に潜んでいたの
である。

土地勘のない山の中、茂みにはまって身動きの取れなくなる者、崖から落ちる者、
沢に落ちる者……死傷者は続出し、これほど険しい山中では、負傷者は捨てて行か
ざるを得ない。
これによってますます長尾勢の被害は増えて行った。


「川田がこれほどの難所だとは思わなかった。こういう山中では、大勢で一度に攻
め寄せても数の有利が活かせない。今日の敗戦は力攻めを命じた俺のミスだ。明日
はこちらも小勢で攻め寄せるべきだ」
敗戦を聞いた北条氏照は翌日、小部隊による川田進軍を命じる。
小部隊とは言ってもその数は二千。しかも三方向からの同時侵攻であり、合計六千
の兵力である。
三百の真田勢に抵抗の術はない。誰もがそう思っていた。

ここで一つ不思議な事があるのだが、北条家には真田家から寝返った上州国人衆が
大勢居る筈なのだ。しかしこの時の侵攻に際して、彼等の持つ川田の地勢等の情報
が活かされた形跡がまったくない。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5034.html
のように真田家に帰参した者がいた事を考えると、彼等はあまり重用されていなか
ったのかも知れない。
0268人間七七四年2011/01/17(月) 04:03:18ID:21iqkfIz


北条勢三手の内の一つを率いた長尾輝景、昨日の雪辱を誓って川田城へと殺到する。
が、今日も川田城は空。
念のために大竹城や、周辺の山の中も捜索してみるが、伏兵がいる様子もなかった。

「昨日の勝利に満足して、今度こそ名胡桃城に引き上げたのでは?」
「それとも、他の攻め口に迎撃に出たのかも知れんな」
「それでは、我々が他部隊と合流すれば、挟み撃ちに出来ますな」
「だが……お前、道知ってる?」
「……知りません」
「まぁ、放っておいても二千対三百なんだ。問題なく勝てるだろ?」
昨日、その三百に負けた将の言葉とも思えないが、常識的な認識ではある。
長尾輝景はこの日も兵をまとめ、子持山の峠を引き返して行こうとした。


帰り道にやっぱり奇襲があった。
「今日もかよっ!?」
「今日もだよっ!!つか毎日毎日、引っかかってんじゃねーよ!!」
峠に差し掛かった辺り、無駄足で引き返す北条軍を、根津幸直率いる真田勢が襲撃
する。
往路を襲撃しなかったのは、峠を下ってくる北条軍に攻めかかるのは不利、まして
これから城攻めをしようという敵は戦意が高い。だから陣地に帰ろうと、峠を登っ
てくる時に襲撃した方が良いと考えたのだろう。
長尾勢が川田城であれこれとしている間、十分に準備を整えて待ち構えていた真田
勢は、森から矢を射かけ、斬りかかったと思えば、森の中にサッと引き上げ、別方
向から斬りかかり……地形を知り尽くしたゲリラ戦でこちらの兵数を悟られぬよう、
奮戦をする。

この日も遂に長尾勢は追い立てられ、氏照の待つ本陣へと逃げ帰る事になった。


が、しかし、そこで待っていたのは激怒の表情を浮かべた北条氏照。
「お前もか」
「……はい?」
この時点では長尾輝景は自分が真田勢三百と交戦したと思っている。
だから自分は叱られるだろうが、他の二隊は無傷で帰還したのだろう、と。
「長尾、多目、小幡……貴様等三人揃いも揃って、二千の兵を率いて百人の真田勢
に打ち負け、おめおめと尻尾を巻いて逃げ帰って来おって!!」
「ひゃ……百!?」
この日、根津幸直は驚愕の策を立てていた。
三方から迫りくる六千の北条勢に対し、真田勢三百も三つに分けたのだ。
(二千vs百)×3という状態である。

「……と、言う事は……」
他のルートで進軍していた多目周防守、小幡上総介もやはり、百人の真田勢に破れ、
本陣まで逃げ帰っていたのである。
この日、根津隊が討ち取ったのは八十四人。他の二部隊もそれぞれ二十人、三十五
人を討ち取って沼田城に首を送った。
矢沢頼綱はこの戦果に大喜びし、沼田城を包囲する北条軍の目の前に晒したのだと
言う。

北条氏直が率いる本隊も沼田城を中々攻め落とせず、氏照隊の敗戦を聞いた氏直は、
遂に沼田からの撤退を決断したという。


百人で二千人を撃退とか。しかもそれを三部隊で同時にやってのけるとか。
いやいやいやいや、バケモノにも程があるだろ!?

0269人間七七四年2011/01/17(月) 04:08:00ID:c+m7gPcR
流石は関東

謙信も京に登るより関東に固執したのが分かる気がする
0270人間七七四年2011/01/17(月) 04:08:41ID:c+m7gPcR
http://livedoor.2.blogimg.jp/amplit/imgs/4/5/4573678d.jpg
0271人間七七四年2011/01/17(月) 06:56:50ID:wbnK5ZZ7
>>269
天庵「その関東への固執が命取りよ」
0272人間七七四年2011/01/17(月) 07:21:31ID:Izz/q1D7
真田が絡むと、元からカオスだった関東がさらにやばいことになるな
0273人間七七四年2011/01/17(月) 08:10:11ID:74SI7RaR
日本一の大平野を見たら謙信ならずとも誰だって欲しくなるだろう
酒に関しては越後の酒のほうが美味だったのかもしれないが・・・
0274人間七七四年2011/01/17(月) 08:22:30ID:/gFf1Ycl
>>268
とはいえ手前のテリトリーでの局地戦でしか強くないイメージ
0275人間七七四年2011/01/17(月) 08:36:40ID:5VchPHjp
以前、国道17号で新潟に行ったことあるけど、三国峠のトンネルの群馬側
は普通だったのに新潟側は雪降ってて正にトンネルを抜けると雪国って感じだった。
道も全然整備されていない当時、越後からわざわざあの峠を越えて遠征するのは
そうとう難儀だったろうに毎年のようにやって来る執念だけはすごい。
得るものは全くないのにw

途中沼田も通ったけど、耕作出来る土地なんてほとんど無いような山地だった。
こんな僻地を巡って真田と北条はどんだけ必死に争奪してるんだと呆れるほど何もない
真田にとっては必死だったけど、北条はそんな必死になるような場所でも無かった
のかもしれん。

0276人間七七四年2011/01/17(月) 10:50:18ID:Ah8ighjE
真田なんて正々堂々と戦う事知らないんだから
大群で兵糧攻めしてやれば良いのに、、、
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