戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0277人間七七四年
2011/01/17(月) 10:51:06ID:VuLje1OU0278267-268
2011/01/17(月) 10:56:18ID:21iqkfIzそれが兵站のリミットなんだろうね。
0279人間七七四年
2011/01/17(月) 10:58:39ID:Tz2le1PU0280人間七七四年
2011/01/17(月) 11:53:18ID:BaQsRr1I冬の間無駄飯食らいになる父ちゃんらが関東に出稼ぎに行ってて母ちゃんたちホクホク
雪が少なくて多少暖かい関東でヌクヌク
そこらじゅうに保管されている米を食いまくってムシャムシャ
というメリットが
0281人間七七四年
2011/01/17(月) 12:08:52ID:wZfjERuJ小幡って小幡信貞?西上野戦法衆で鳴らした男が…
落ちたものだな
0282人間七七四年
2011/01/17(月) 15:47:14ID:EsgbJQfX沼田には谷や盆地があるだろ
中世までの日本人は大河川や河口の湿地を治水する術も大政権も無いから
治水しやすい小河川の作った谷に住んでたんだよ
>>268に出てくる小幡氏の本領も小河川沿いにある
現代人が考えるほど価値は低くない
0283人間七七四年
2011/01/17(月) 18:41:24ID:RP23rVm90284人間七七四年
2011/01/17(月) 18:56:04ID:LsWz6+wT【疑問】スレ立てるまでもない質問 6【戦国時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
0285人間七七四年
2011/01/18(火) 23:37:56ID:3bCKS5bK一度撃退されたので沼田を囲み攻めにしようとしたら、碓氷峠を奪われて
逆兵糧攻めの危機になったでござる。
0286人間七七四年
2011/01/18(火) 23:55:15ID:lClk80Z4対真田戦線の重要度は低く、真田が勢力を拡大しなければそれでいいという態度だった。
0287人間七七四年
2011/01/19(水) 00:06:29ID:3QtVpdikまあ、撃退されてもされてもまた兵を揃えてくるんだから、戦略レベルじゃ
真田の負けっぱなしなんだけどな。
0288人間七七四年
2011/01/19(水) 00:12:58ID:O0MUefs+戦略レベルで上手のラスボスにコテンパンにされるまでは
戦で負けようが
ノブからぞんざいな扱いうけようが
真田にやられようが
領域広げていったもんな。
0289人間七七四年
2011/01/19(水) 01:26:37ID:9YzPZI+aこの頃の氏直はすでに氏政から家督は譲られているんですよね?当主が戦場に行くのが不思議なんですが・・・
万が一討ち死にしたらどうするのかと言う意味で。
0290人間七七四年
2011/01/19(水) 01:33:22ID:/Cs2bbU3この時代どこでも、戦国大名の軍事活動は配下、盟下の大名、国人などによる連合軍を
率いる行為なので、その中心たる盟主の家の当主が率いるのが当然。
討ち死にしたらそれまでということ。
0291人間七七四年
2011/01/19(水) 01:51:08ID:eotCypAf嫌でも出るしかないでしょ。
それに戦争ってヒャッハー!すればいいってものじゃなくて敵の裏切りの約束を取り付けたり
占領地に禁制をだしたり、相手と和睦したりするから、
戦場のそばに当主がいた方が何かと都合がいいんじゃないか。
0292人間七七四年
2011/01/19(水) 02:16:32ID:6LHIGbAq0293人間七七四年
2011/01/19(水) 02:47:53ID:bxu/GW0W0294人間七七四年
2011/01/19(水) 03:01:45ID:d07oPON+ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4794.html
128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/29(金) 11:16:25 ID:YmkILJn7
とある質問箱にこんな回答があった。
>そもそも戦国時代でゲームみたいに
>武将が自ら先頭に立って突っ込むなんてふつうありません。
>まぁピンチの時の決死の突撃とか味方を鼓舞するときなどには前線に出ますが、
>そうじゃない場合に特に必要がないのに気分の高揚だけで前線に出てくる武将は
>指揮官として失格です。というかただの馬鹿です。
「そうじゃない場合に特に必要がないのに気分の高揚だけで前線に出てくる武将は
指揮官として失格です。というかただの馬鹿です。」
(´・ω・`)「・・・」
光安「殿、帰りますよ」
あれ?おかしいな・・・なにかが脳裏をよぎった様な・・・
0295人間七七四年
2011/01/19(水) 07:37:26ID:SLAgxWMq幸村が秀頼出陣を淀に求めたのもそれを狙ってた訳で
0299人間七七四年
2011/01/19(水) 16:36:51ID:qraloXDL>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5046.html
で徳川との同時侵攻も撃退されてしまった北条氏直。
こうなったらどうにかして沼田城を落とさなくては面目が立たない。
翌天正十四年五月に、再び沼田城へと押し寄せた。
今回は前回から更に動員数を増やし、実に七万もの兵で上野の片田舎の小城に攻め
寄せたのである。
と、そんな矢先に沼田城の矢沢頼綱から先鋒の北条氏邦宛てにお手紙が届く。
「去年勝てなかったからって、関東中の大名を引き連れてご苦労なこったね。ここ
数年、色々やってたみたいだけど、あいにく俺達はピンピンしてるよ?折角当主が
出馬してるんだし、さっさと攻めて来いよ。相手してやんぜ? 滋野頼綱より」
それに対して氏邦から頼綱へのレス。
「お手紙読んだよ。だって仕方ないじゃん。沼田って山の中で戦いづらいんだもん。
『攻めて来い』ってのは判るけど、俺達もこーゆード田舎って珍しくてさ。まずは
何日か、鷹狩りでもしてゆっくり骨休めしてから行くよ。その間に降参するって言
うなら、いつでも受け付けるよ?まずは落ち着いて考えてね。 平氏邦より」
しかしこんな和やかな文通をしている間に天候が急変、なんと三日三晩に渡って雨
と雷とが激しく続いた。
北条軍は本隊と連絡が途絶えるのを恐れ、沼田城を囲んでいた先鋒部隊を片品川の
南側へと引き上げさせる。
そしてその恐れは的中し、増水した河川は氾濫。北条軍がかけた橋を悉く押し流し
てしまったのである。
「先鋒を引き上げさせたのは正解だったな。まさかこんな事になるとは……」
雨が上がって現れたのは、利根川と片品川の氾濫による惨状。
雨がやんでも尚、濁流は渦巻き、渡河する事も橋をかける事も、到底出来そうにな
かった。
そんな北条軍の目の前。片品川を挟んだ対岸に真田兵が大勢、繰り出してきた。
攻撃か!? どうやって川を渡るつもりだ!?
緊張が走る北条軍を尻目に、彼等はのんびりと鳥を撃ったと手を叩き、鹿を撃った
と大喜びをして狩りを楽しんでいた。
0300人間七七四年
2011/01/19(水) 16:37:38ID:qraloXDLそして数日後、ようやく川の水も治まってきた頃、沼田城から矢文が届く。
「片品川を渡りたいなら自由にどうぞ。邪魔はしないよ。こっちは待ち草臥れて退
屈してるんだ。早く来てくれ」
「ぬぐぐぐぐぐぐ……」
これほど圧倒的な兵力を持っているというのに、ここまで虚仮にされる屈辱。
橋を掛けなおす手間も惜しいと北条軍は川を押し渡り、沼田城に攻め寄せた。
「一気に攻め落とせ!!我等を虚仮にした報いだ。目にものを見せてやれ!!」
怒り狂った北条軍の勢いは凄まじく、防御側が堀にかかる橋を落す暇もなく大手門
を制圧、城内へと押し寄せる。
続いて三の丸へもこの勢いで押し寄せようという時……
ドォォォォン!!
「な、何事だ!?」
背後で起こった轟音に、皆の足が止まる。
「た、大変です!大手門にかかる橋が落とされました!!……真田軍の忍びによって!!」
「なんだとっ!?」
「わ、我々は退路を絶たれ、城内に閉じ込められましたっ!!」
北条軍に動揺が走る中、三の丸からは弓矢、鉄砲、石飛礫までが雨霰と打ち込まれ
る。
更には三の丸の門が開き、七千の真田兵&民兵が北条軍に止めを刺すべく雪崩を打
って走り出す。
パニックを起こした北条軍は阿鼻叫喚の中、抵抗も出来ずに真田軍に討ち取られて
行った。
そして城外。
堀を挟んで繰り広げられる惨劇を、なす術もなく眺めているだけの彼等にとっても、
これは他人事ではなかった。
「かかれぇ!!」
別の城門から出撃した矢沢頼綱の率いる一千が、目の前の大虐殺を呆然と眺める北
条軍に襲い掛かったのだ。
沼田城に突入した先鋒の部隊は壊滅。
それに続く第二陣も頼綱に追い立てられ、討死にする者、川に流される者は数限り
がない、という状態であった。
散々挑発を重ねられた挙句の惨敗という結果に激怒した氏直は、沼田城を皆殺しに
してやる、と息巻いていたのだが、再び降り始めた雨はまたも周辺の川を氾濫させ
た。
参陣した諸豪族の間に漂う厭戦気分を感じた氏直は、歯噛みをしながらも兵を退か
ざるを得ず、小田原に引き返して行ったという。
なんつーか、挑発の手紙に付き合うなよ、北条さんちもさぁ。(^^;
雑兵には口合戦を禁止してなかったっけ?自分たちでやってどうすんのさ。
0301人間七七四年
2011/01/19(水) 16:59:13ID:Noof9hdAねぇねぇ、また負けちゃったけど
今どんな気持ち?
∩___∩ ∩___∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶|
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 今、どんな気持ち?
| ( _●_) ミ :/ :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ち?
___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____
ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/
/ /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶
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(_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_)
| /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ /
し )). ::i `.-‐" J´((
ソ トントン ソ トントン
0302人間七七四年
2011/01/19(水) 17:18:21ID:zZj+aTex0303人間七七四年
2011/01/19(水) 17:27:12ID:/Cs2bbU30304人間七七四年
2011/01/19(水) 17:33:03ID:WdQexWzJ0305人間七七四年
2011/01/19(水) 17:35:40ID:rzcxgPVr真田が徳川を翻弄したのと話を釣り合わせる
ために北条をボコボコにしたって事にしてるだけ
0306人間七七四年
2011/01/19(水) 18:03:18ID:eMU9QMk0なにより、動員数万なら、上田合戦よりもはるかに規模が大きいのに
大して知られていないというのがねい。
0307人間七七四年
2011/01/19(水) 18:14:14ID:QnRA4Zjr0308人間七七四年
2011/01/19(水) 18:18:07ID:p0NUjSzr0309人間七七四年
2011/01/19(水) 18:20:40ID:nhzlIoLaなどの連合軍と戦い、北関東での北条優位を確立した沼尻の戦いですら北条の動員は多くても
1〜2万なので、真田だけを相手に数万の動員とかありえないわなw
0310人間七七四年
2011/01/19(水) 18:22:41ID:EsQpA7G8汚いなさすが真田汚い
0311人間七七四年
2011/01/19(水) 18:26:39ID:2LZG+p4J八百長八百長
0312人間七七四年
2011/01/19(水) 20:28:13ID:53N6X4ll0313人間七七四年
2011/01/19(水) 21:26:00ID:OzGs+Brm島津の朝鮮記とかもだがこの時代の脚色は半端内からしょうがない。
やる夫とか同様物語として楽しめば委員ジャマイカ
0314人間七七四年
2011/01/19(水) 21:39:58ID:cMMPyNjZ0315人間七七四年
2011/01/19(水) 21:52:47ID:Uwayo8Mu0316299
2011/01/20(木) 00:59:34ID:+O6WGFJQ参陣した中には宇都宮氏の名前まで入ってます(笑)
あくまで逸話として投下しているので、真偽については私を責めないでね?
でも、家譜ってどれもこんなもんじゃね?(^^;
0317人間七七四年
2011/01/20(木) 12:01:36ID:NPM39iI6ただ続けて無双ばかりだから、みんな胸焼けしてるってとこやね
0318299
2011/01/20(木) 14:27:24ID:+O6WGFJQあ〜うん……無双無双としつこいかな、とは自分でも思ってました。
『加沢平次左衛門覚書』を読んで、投下出来そうな逸話はこれが最後かな、と思った
ので、間を空けずに投下しちゃいましたが。
やはり書いた本人が感じてたくらいだから、皆それは感じてたか。
申し訳ありませんでした。とりあえずこれで私の手持ちの真田関連ネタは終了ですの
でご安心を。
0319人間七七四年
2011/01/20(木) 14:39:33ID:l/lm738Mいやいや、おもしろかったです。乙でした。
0322人間七七四年
2011/01/20(木) 15:17:25ID:xnTztkBy0323人間七七四年
2011/01/20(木) 15:39:08ID:nDaZk2mrや、逸話は面白かったですよ
ノリでツッコミ入れたがるのはここの住民の性分というか・・・いやスマンカッタ
0324人間七七四年
2011/01/20(木) 22:48:32ID:VpwVoTCF又助が耳川を渡河した時、隠れていた薩摩武士が矢を放ってきた。驚いた又助が向かって行こうとしたところ、
六郎太夫がその前に立ちはだかり、薩摩武士に叫んだ。
「おーい、味方じゃ!間違えるな!!」
しばらくポカーンとしていた薩摩武士だったが、やがて気を取り直すと、弓を構えた。
「うつけが。とんだ勘違いをしておるわ!どれ、そのまま的になってくれい。」
「・・・なワケねーだろ!!」
父と目で語り合い、六郎太夫がトボけて薩摩武士を引き付けている間、密かに回りこんだ又助は、横から薩摩武士に
斬りかかった。だが、未熟な又助の一刀は敵に弓で受け止められ、弓を斬り折られながらも薩摩武士は太刀を抜き放ち、
逆に又助へ向け、強烈な突きを見舞った。
無情にも膝上を貫かれた又助は倒れ伏したが、油断した薩摩武士が近づいて来るところを下から斬りつけ、その左足を
切り落とした。(や・・・やった!それにしても、これが戦か。疲れた、もう動けん・・・)
「何をしておる!?敵は、まだ息がある。早う起きて止めを刺さぬか!!」
動かない又助を見た六郎太夫は、倒れた薩摩武士の近くまで又助を引きずり寄せ、一喝した。
父の叱咤を受けた又助は、最後の気力を振り絞って薩摩武士の首を取ると、今度こそ動けなくなった。
「よーし!初陣の身で良くやった。さあ、引き上げじゃ!!」力を使い果たした息子を、父は馬に担ぎ上げて
乗せてやり、本陣までの道すがら、いつまでもいつまでも褒めてやった・・・
・・・又助が「親父にはかなわん。」と思ったのは、父が追いかけて来た薩摩武士に対し、振り向くと同時に放った槍で
一人の喉を貫き、引き抜きざまに横に振るってもう一人を馬から叩き落し、一喝して残る武者どもを追い払った後、
悠々と喉を貫いた武者の首を取った時である。
0325人間七七四年
2011/01/20(木) 22:57:14ID:Pu7u3tWS0326人間七七四年
2011/01/20(木) 22:58:00ID:/jDHX1KO0327人間七七四年
2011/01/20(木) 23:01:20ID:lBsB1Qy30328人間七七四年
2011/01/20(木) 23:52:05ID:oTfw6vIv忠勝とか鬼武蔵とか才三とか有名レベルはどうなるんだ…
0329人間七七四年
2011/01/21(金) 00:31:34ID:K9+ECi2O永祿6年(1563)11月25日、土呂と針崎の一揆勢は上和田へと押し出した。
これに岡崎の徳川家康は自ら出陣、両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり
妙国寺の方面への逃げ出した。
これは一揆勢の罠であった。
彼らはわざと逃げ出し追い来た徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。いわゆる捨て奸(すてがまり)である。
さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、本多九郎三郎という侍であった。
これを徳川軍の大久保忠世が見つける。忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。本多も忠世の姿を認めると引き返し、「勝負!」
互いに打ち戦った。しかし勝負がつかず
「寄れや!組もう!」
「心得た!」
互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!…と、忠世、本多に向かってこう言い放った
「いかに本多殿!忠義に背き、一揆に与するのみならず、昨日や今日までの朋友の
よしみを忘れ、私の首をとって、一体誰の見参に入れようというのか!?」
本多九郎三郎、これを聞くと
「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」
と忠世を引き起こした。すると二人、
「くくく…」
「あっはっはっはっは!」
互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。
ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき
「追い打ち無用!深入りするべからず!」
と命令を出したためその計略も虚しくなり、妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。
そんな、三河一向一揆でのヒトコマ。
0330人間七七四年
2011/01/21(金) 00:42:33ID:xMtPNWWs0331人間七七四年
2011/01/21(金) 00:43:37ID:89GZHsF00332人間七七四年
2011/01/21(金) 00:55:17ID:snAnfnoR0333人間七七四年
2011/01/21(金) 03:23:17ID:8lGyJpFP0334人間七七四年
2011/01/22(土) 04:45:58ID:in1GdwYp島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎
という若者がいた。助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かった
ため、宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。しかし、それを
心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。
「病はいかがか。容態はどうかと心配している。だがこちらで聞いた
ところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。お前の勉学は私と
忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。どうか、やる気を取り
戻してほしい。お前が確かな人物であることは見届けている。」
これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。
0335人間七七四年
2011/01/22(土) 12:23:55ID:8bWr5mnxもちろん正信さんもこの中に入ってる
このときは仲良かったんだけどなあ
0336人間七七四年
2011/01/22(土) 13:38:53ID:JHn6gVjb会社が小さい頃は力が弱いから生き残るために社員が一丸となって頑張るけど、
会社が大きくなって余裕が出てくると社員が増えたり派閥が出来たりして軋轢が生じ始める
0338人間七七四年
2011/01/22(土) 19:15:50ID:3P3v2+hp見る目が合って気遣いも出来る宗茂はやっぱ良い男とも思うけど
0339人間七七四年
2011/01/22(土) 22:46:05ID:FdqAM1xJ戦の世から離れてくると善からぬ家臣が増えてくるんだなあ
0340人間七七四年
2011/01/22(土) 22:52:47ID:rh7IN3pi渡辺半蔵は一番槍11度、名のある者の首を取ること9度、
片や服部半蔵は一番槍2度、名のある者の首を取ること11度、
互いに堂々たる戦歴である。
ところがそんな渡辺半蔵だが、彼は合戦の前敵と対峙すると、鎧が音を立てるほどガタガタと
震えていたというのだ。であるのに合戦が始まると、そんな事など無かったかのように剛強に
暴れ回る。人々はそれが、あたかも別の人間であるかのように見えたと言う。
渡辺半蔵は震えた、と言うお話。
0341人間七七四年
2011/01/22(土) 22:59:15ID:0hbGveok0342人間七七四年
2011/01/22(土) 23:01:17ID:3P3v2+hp0344人間七七四年
2011/01/22(土) 23:33:59ID:ayW90HaSって考えるとすごい話だと思うなあ、下手に戦を恐れないよりも格好いいと思う
0346人間七七四年
2011/01/23(日) 12:47:50ID:op4mvnvt相変わらずの完璧超人ぶり。
この時代は、まだまだ十時摂津さんも国許で頑張ってたはずだから
良からぬ連中は、徹底的に根性焼きされただろうな。
0347人間七七四年
2011/01/23(日) 13:18:22ID:hsGbcIcJせいぜい呼び出してこんこんと諭すくらいのイメージ
0348人間七七四年
2011/01/23(日) 13:46:08ID:lN1N9TQC自分の祖先がめんどくさい人種だったとは。
0349人間七七四年
2011/01/23(日) 14:13:34ID:aOu9fMRz0351人間七七四年
2011/01/23(日) 16:58:13ID:AIMOXUU/悪い話ねーんじゃねえのか
0352人間七七四年
2011/01/23(日) 17:12:47ID:JKkFBA+p悪い話というか、妻との関係で苦労したり、牢人して江戸に出たとき、資金が尽きて
家臣たちが仕方なく食事に雑炊出したら、「こんな変わった料理だして気を使わないで、
俺は普通の飯でいいよ」と斜め上の方向に解釈したり、人柄がまっすぐなことは確かだが
完璧人間とはちょっと違うとおもうぞ?>宗茂
0353人間七七四年
2011/01/23(日) 17:25:31ID:aOu9fMRz0354人間七七四年
2011/01/23(日) 17:34:38ID:WFSG8bia0355人間七七四年
2011/01/23(日) 17:40:56ID:hsGbcIcJセックスレスか?
0357人間七七四年
2011/01/23(日) 17:46:58ID:/Cap/O0M0359人間七七四年
2011/01/23(日) 18:09:55ID:op4mvnvtァ千代が男前過ぎるからだろ。
同じ男前でも小松殿のような浜松城婚活大合コン大会のような女らしい話がないからな。
秀吉の名護屋城大名妻NTR大会に参加を求められた時、何を勘違いしたか、完全武装
の次女数十人を引き連れて行ったほどだし、美女だけど全然女らしくない。
さぶ要素のない宗茂にとっては魅力ない妻だったんじゃないかな?
0360人間七七四年
2011/01/23(日) 18:20:45ID:aOu9fMRzどちらも引かないなら上手く行く訳が無い。
0362人間七七四年
2011/01/23(日) 18:38:24ID:qkDqgqcR0365人間七七四年
2011/01/23(日) 23:19:48ID:aOu9fMRz0366人間七七四年
2011/01/23(日) 23:24:37ID:op4mvnvtファザコン、男勝り、女主人
このタイプが惚れるのは、真田の兄ちゃん60歳ヴァージョン以降くらいかもしれない。
父親の道雪さんが59歳の時の子供だからな。
0367人間七七四年
2011/01/23(日) 23:28:51ID:0nVvLwHF0368人間七七四年
2011/01/23(日) 23:38:53ID:qyhr38my0369人間七七四年
2011/01/24(月) 00:08:24ID:YmW0Mqdbマスヲさん扱いするのは無理があるだろう
0370人間七七四年
2011/01/24(月) 00:47:40ID:RwMeCe73それから間もなく、徳川家康の御前でこの話が出た。
話題が話題だけに、おそらくは若年とは言え武士として如何なものかと、幾分の嘲笑や
侮蔑が混じっていただろう。
が、家康の反応は意外なものだった
「どんなものでも見たことの無いものを始めて見れば、驚くものだろ?
秀頼公が牛を見て驚いたと言うが、それは当然のことだ。
わしだってもし初めて見たら、牛なんてものは特に恐ろしいと感じるだろう。」
初めて見た牛を恐れるのは恥でも問題でもない、としたのだ。
家臣が秀頼を侮ることをたしなめたか、あるいは家康らしい合理主義で語っただけか、
家康、秀頼の恐怖を当然とする、と言うお話。
0371人間七七四年
2011/01/24(月) 01:00:26ID:fQOhp6RUびびるのは無理ない。
0372人間七七四年
2011/01/24(月) 01:03:33ID:OFsSwK6z秀吉って城の中生まれだったかな…って疑問に思っちまったじゃないかw
0374人間七七四年
2011/01/24(月) 01:08:56ID:irpUoVAkTO BE 大阪の役
0375人間七七四年
2011/01/24(月) 01:37:25ID:Cj4CPmZR0376人間七七四年
2011/01/24(月) 02:02:44ID:sLtSswDN■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています