戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
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0003人間七七四年
2010/12/25(土) 20:53:46ID:wyoCucGR陰陽五行説では木性の陰に割り当てられており、
ここから日本では「きのと」(木の弟)ともいう。
乙の字は、ジグザグな形を形取ったもので、
そこから、種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態の ...
0005人間七七四年
2010/12/26(日) 01:15:17ID:vhtMt2S4∧ ∧ (ハハ)
( ´・ω・) (ヮl` )
( つ旦O O旦⊂ヽ
と__)__) 旦 旦 旦 旦 旦 旦 (_(_つ
濃茶 薄茶 玉露 煎茶 番茶 出涸し 日当山一のちゃのみ
;; コポ
旦 旦 旦 旦 旦 コポ 旦 旦 旦 旦
生茶 雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン お〜いお茶 髭茶 八女茶 狭山茶
旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦
緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯 ミユキのお手製太陽バクバク茶
0007人間七七四年
2010/12/27(月) 19:44:13ID:FNU0RgcN「おぅ志摩よ。国許の宮下藤右衛門が、大坂の弟に通じ、玉薬を横流ししておった。成敗したいが、あやつも聞こえし
強者だ。ここは、お前に討手を頼みたい。」
「せっかくの仰せですが、その儀は倅にお申し付けくだされ。」
「?三十郎にか?」
「はい。倅・三十郎、十七歳になりますが、鼠の首も取ったことがございません。ここは是非とも大事の場を踏ませ、
器量をご確認ください。」
「よかろう。三十郎を呼べ!」信之の前にまかり出た祢津三十郎は、上意討ちの命を謹んで受けた。
しばらくして後、上田から江戸にやって来た宮下藤右衛門は、さっそく信之のもとに報告に現れた。
「藤右衛門、大儀である。上田表は無事か?城中に変わった事はないか?」
「はい。国許に異常はございませぬ。」
「そうか!実は、お前について不審な噂を聞いてな。まあ、今日は休んで良い。三十郎、付き添ってやれ。」
「……はっ。」
藤右衛門に続き立ち上がった三十郎は、父の方へチラチラと視線を送ったが、幸直はにらみ返すばかりだった。
そのまま藤右衛門が廊下へ出た時、三十郎は動いた。
「上意である!藤右衛門、覚悟!!」
「小僧がっ!!」
藤右衛門が脇差に手をかけた瞬間、三十郎は飛び違いざまに斬りつけた。なおも逃げようとする藤右衛門に、三十郎は
返す刀で二の太刀を与え、崩れ落ちるその身体を押さえつけ、首を取った。
見事に上意討ちを果たした三十郎だったが、家中全体の評価は低かった。
「三十郎め、藤右衛門を斬った手並みは見事だが、親父殿の顔色をうかがい、にらまれてもなお、しばし動けなんだ。
肝が成っておらぬわ。今時の若い者はダメじゃのぅ。」
評価が変わったのは、この二人の会話の後である。
「志摩よ。三十郎、なかなかやるではないか。」
「はっ、有難き仰せ。それにしても、あの際に三十郎は『もう斬っても良いか?』と眼で訴えて来ましたので、
私も『殿の御前で万一の事あってはならぬ。部屋を出てからにせよ。』と目線を送りました。あやつはそれに応え、
殿の御座所を出た所で、仕掛けました。親の欲目ながら、場を外さぬ出来る男に育ってくれました…」
0008人間七七四年
2010/12/28(火) 10:04:35ID:ymEyzo9q0009人間七七四年
2010/12/28(火) 20:17:57ID:Tq63vMWB上州沼田城には城主真田信之の正室小松がいた。
その小松から家中の妻子に対してこのようなことを言った。
「出陣の留守は誰もが心細いものである。城に来て心を共に慰めなさい。」
家中の者たちはありがたい事だと皆沼田城に集まり、一人も残さず城中に入れ集められた。
さて小松はただ単に互いに慰めあうために妻子を留め置いたわけではなかった。
親を子が攻めるという事態においても
夫に付き従う臣下が心変わりを起こさぬよう、その妻子を人質にするためだったのだ。
この話が世に伝わると「誠に夫人には稀な謀略である」と評判になった。
0010人間七七四年
2010/12/28(火) 20:25:50ID:1HTm7sbT真田信之の妻、小松殿と関ヶ原と沼田の人々・いい話
既出っぽい?
0011人間七七四年
2010/12/29(水) 19:18:31ID:qArgZ48m「どうじゃ越中!障壁画はこのように小振りで、細工が細かいものが見栄えが良かろう。」
「肥前よ、それは違う。障壁画というものは、大型で迫力あるものの方が良いぞ。」
二人は口論になり、麓に下りても未だ言い争っていた。
「いや、小さい方が良い!」
「何を言う、大きい方だ!」
「いやはや、楽しそうなお話ですなあ。」
「!ハ、ハハ…これはこれは……」
「申し訳ない、宗匠……」
ここで二人は同行の知人、すなわち千利休のことを思い出した。
「そ、そうだ宗匠!今の我らの話、どうか宗匠にもご批評いただきたい!」
「さて。お武家の話を、私などが批評するも僭越でございますが…お武家の話に例えれば、
馬の大きさや体格の大小で、勇士かどうかが決まるのでしょうか?」
「……ご意見、至極ごもっともにござる………」
のちに利長は側近との雑談で、
「わしは戦場など少しも怖くは無かったが、太閤殿下の御前に出ること、大徳寺の春屋和尚の前で座禅を組むこと、
そして利休宗匠の前で茶を点てること、この三つだけは怖かった。」と語った。
0012人間七七四年
2010/12/29(水) 19:27:36ID:Dc4tBuOvしかし、千利休長身説が本当だった場合、この逸話の印象が変わるような
0013人間七七四年
2010/12/29(水) 19:44:46ID:wHwZo8xY0014人間七七四年
2010/12/29(水) 19:54:58ID:h23ODXU5強烈に印象に残ってるな。
0016人間七七四年
2010/12/29(水) 20:11:23ID:h23ODXU5いや逸話というかそのまま。
記録上、千利休が行った最後の茶会は、利休切腹の年の天正19年(1591)、
徳川家康一人を客として招いたもの(利休百回記)、ってだけの話。
どんな茶会だったか何が話されたか、一切不明。
ちなみにこの茶会のために利休が自分で作った竹茶杓「泪(なみだ)」が、後で古田織部に
形見として渡された。
0017人間七七四年
2010/12/29(水) 20:12:38ID:FWKg+blQ家康が利休にうすーい味噌汁ご馳走して、
利休に「何このお湯?w お椀の底が見えるんだけどwww」なんて言われた話も残ってるし
0018人間七七四年
2010/12/29(水) 20:20:45ID:h23ODXU5家康と利休の関係を超解釈して
「利休は実は家康のスパイで秀吉暗殺を狙っていたんだよ!!!」
「Ω ΩΩ< な、なんだってー!?」
という話をやってたw
0020人間七七四年
2010/12/29(水) 20:52:21ID:+3t3Yv4cありがとうございます
なるほど、茶会の記録が残っているけど、
なにが話されたかは残っていないと。
で、テレビ番組に勘ぐられたわけだw
0021人間七七四年
2010/12/29(水) 21:53:54ID:/N/4LqDH0023人間七七四年
2010/12/29(水) 22:59:42ID:BmYoqnoO.,,iilllll!!゙゛ .゙゙゙゙゙゙lllllllll!!゙ .゙゙゙゙゙゙゙lllllll iiiiii ´゙_,liilllll!!゙゙
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0024人間七七四年
2010/12/29(水) 23:55:45ID:xJM7hTA20025人間七七四年
2010/12/30(木) 21:25:24ID:qYHr6L2Z「間もなく城から討って出るので、みな本陣へ退いて、戦うべし。」
との噂が流れた。噂を聞いた森家の兵たちは、われ先にと竹束の備えを捨てて退いていった。
「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」
味方の体たらくにタメ息をついた森家の家老・各務兵庫助元正は、長刀を杖にして五十路を迎える身を引きずり、
みずから前線に立つべく足を運んだ。
「ん?あれは弥平次か?」
無人と思われた竹束の備えの中に数十人の兵がおり、一人の侍が檄を飛ばしていた。鉄砲頭の若尾弥平次であった。
「下知なくば、ここを去ってはならぬ!下知に従わぬ者は、後で罪に問う!」
檄にも関わらず何人か退いた雑兵もいたが、弥平次の意気は衰えない。
「よいか、城方が来たら時分を見てわしが合図するゆえ、一斉に撃て。その後、わしが一番槍を入れてくれるわ。」
「おーい・・・」
槍をしごき、手に唾して気合を入れる弥平次に、どこからかやって来た同僚の右京が声をかけた。
「何とは無しに、みな退いてしもうた。わしも退こうと思ったが、あまりの心許なさに戻ってみれば弥平次、
おぬしが居るではないか。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、他人はどうあれ、わしは『退け』との命を聞いておらん。ましてや、殿より先陣や鉄砲など
預かる身が、事の実否も確かめずに退くわけにはいかぬわい。お前も槍持つ身なら、腹を決めい。」
「その言葉、もっともじゃ。」右京は弥平次の近くに来ると、その横に自分の槍を置いてしゃがみこんだ。
「おい、何じゃそれは!敵が来れば、その槍でわしを転ばし、己が一番槍せんとの心得かっ!!」
「そ、そんなつもりはないっ!」一喝された右京は、あわてて槍を引き上げた。
「うむ、それで良い。戦場では味方といえども気が立っており、些細な事で災難に会いかねん。注意せい。」
「いやあ、すまんすまん。それにしても弥平次、おぬしは本当に動じぬのう。」
「先陣においては『天狗の雑説』と言って、噂によって聞き崩れ・裏崩れを起こす場合がある。
およそ前線を預かる身は、物事を静かに聞き届け、進退すべきものだ。覚えておけい。」
「さても聞こえし弥平次の言葉よ。」
後ろで黙って様子を見ていた元正は、目を細めて微笑み、本陣に帰っていった。
若尾弥平次、十八歳で森長可より感状を授かったのをきっかけに、頭角を現した男だという。
0026人間七七四年
2010/12/30(木) 21:43:39ID:RNPfTcUl0027人間七七四年
2010/12/30(木) 21:44:21ID:mmcAw9aP0028人間七七四年
2010/12/30(木) 21:55:57ID:uFPUDKh40029人間七七四年
2010/12/30(木) 23:42:18ID:8747H0z5gkbrgkbr
0030人間七七四年
2010/12/30(木) 23:48:48ID:KUCkbdHA忠政の代以降は土木工事の業者さんみたい。
0031人間七七四年
2010/12/31(金) 00:10:45ID:Zv33iGvp0032人間七七四年
2010/12/31(金) 00:31:23ID:nAo6VTIM「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような
戦をするのは嫌でござる!」
って人だからなあw
鬼武蔵が「忠政には家督を継がさせないように」って言ったのは、たしかに
人物をよく見てるわ。
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