果たして今川幕府創立は可能だったか?
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0001人間七七四年
2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0052人間七七四年
2011/08/04(木) 21:48:57.53ID:FKuFDjkfとはいえ討ち死等を除けば、大名の生化学上の寿命はそこまで短くもない
41ならまだ若い部類だ
早雲や元就の様に50を過ぎてから急激に躍進する人物も多い
0053人間七七四年
2011/08/05(金) 18:25:10.11ID:ZI3IzXVM0054人間七七四年
2011/08/08(月) 02:56:34.85ID:Uhab2HRf0055人間七七四年
2011/08/08(月) 05:13:00.06ID:lllR+H0Z0056人間七七四年
2011/08/08(月) 09:40:20.19ID:19097ZRT0057人間七七四年
2011/08/08(月) 11:10:13.59ID:9uf3aSni0058人間七七四年
2011/08/08(月) 15:15:45.02ID:mRuPZpwuでも、器がでかすぎて大丈夫だよ〜とか酒盛りしてたら・・・
省略されましたこれ以上読むにはせっさいせっさいと
0059人間七七四年
2011/08/26(金) 21:49:43.40ID:+9MzM2puすぐ死ぬから問題ない。
0060人間七七四年
2011/08/27(土) 20:15:05.50ID:bqaeYpBy織田家の跡取りが13歳、
斎藤が観音寺騒動で弱体化、
武田、北条が相次いで若死。
ここまでお膳立てされれば開幕なんて余裕。
0061人間七七四年
2011/08/27(土) 22:06:31.69ID:j+TJ0csi0062人間七七四年
2011/08/27(土) 22:15:09.98ID:k2ZecQv30063人間七七四年
2011/08/27(土) 23:19:35.30ID:bqaeYpBy0064人間七七四年
2011/08/27(土) 23:20:37.23ID:bqaeYpBy0065人間七七四年
2011/08/28(日) 11:55:55.15ID:IyigLSeF> 「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。
> 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。
> 「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
> 信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。
> 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。
0066人間七七四年
2011/08/29(月) 20:21:24.27ID:8Q0lpphd「50歳までに500年分楽しんじゃおうぜ!」
↓
「若いうちに色々と冒険してみよう」
みたいな感じかな
J−POPの歌詞みたいなもんだね
0067人間七七四年
2011/08/29(月) 20:59:47.58ID:FAKD6Cb0駿府・三河を所有する大大名がたった一人の部下のせいで衰退したりする家臣システム
じゃ尾張を制圧出来てたとしても無理だったんじゃない?
それに、比較的人民が裏切りにくい農耕系のはず。尾張、美濃特有の商人気質に耐えられたかどうか・・・
0068人間七七四年
2011/08/29(月) 21:16:38.80ID:RBhyHA6y今川氏真はけっこう持った方だと思うけど。
忠臣多かったし。
でもまあ人間、代えのきかない人は居るもんだ。
十河一存、香宗我部親泰、豊臣秀長、、
0069人間七七四年
2011/08/29(月) 21:49:54.41ID:wz1SKLfm0070人間七七四年
2011/08/29(月) 22:51:29.41ID:FAKD6Cb0反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?
0071人間七七四年
2011/08/29(月) 22:53:38.50ID:FAKD6Cb0反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?
0072人間七七四年
2011/08/30(火) 05:22:02.19ID:T0zwslk5フッフッフ、キラーン
0073人間七七四年
2011/08/30(火) 08:58:22.96ID:Py7O0w/f0074人間七七四年
2011/08/30(火) 11:46:26.42ID:HXqRcZkmあったとしても苗字を足利に戻すから、後足利幕府だろう。
0075人間七七四年
2011/08/30(火) 11:55:45.59ID:a2Z4uT0C信長でさえ義昭を呼び戻し室町幕府を仕切り直ししようとしてたっぽいし
案外、征夷大将軍ってのは聖域だったんだろう、当時の感覚からすると。
義元やら信玄やらが幕府を潰すとは思えない
0076人間七七四年
2011/08/30(火) 14:51:05.11ID:dplT2ivj上杉憲政が関東管領と上杉姓土産に庇護を求めたのは長尾より先に佐竹(←先祖が途中から上杉)に打診したらしいからな
やっぱ親戚の世話になりたいだろ
0078人間七七四年
2011/08/30(火) 21:07:36.36ID:HaDlT5wy0079人間七七四年
2011/08/31(水) 02:44:28.92ID:zUlDrhWf0080人間七七四年
2011/08/31(水) 08:47:07.56ID:lnPYwMq0源希望の後裔に養子に入った。
今川は副将軍か吉良義尚のような将軍代行か、それだろ。
義昭の子供が将軍にならなければ、将軍もありだっかかも。
0081人間七七四年
2011/08/31(水) 13:43:13.48ID:JZNdIghy徳川御三家の二番目の紀州家は将軍家の跡継ぎ不在によって将軍の座を
射止めたけど
0082人間七七四年
2011/08/31(水) 18:41:07.69ID:BDURY57t幕府創設まで行けたんじゃないの?
0083人間七七四年
2011/08/31(水) 23:10:44.50ID:eHXduZuj三浦なんてのが取り仕切りだしたらあっという間に傾きそうだし・・・
0084人間七七四年
2011/08/31(水) 23:43:32.80ID:ip0fu8CS0085人間七七四年
2011/09/01(木) 01:59:14.47ID:YDkSPVnw0086人間七七四年
2011/09/01(木) 04:03:17.82ID:0tqpEF/Dどっちにしろ長慶死ぬの待たずに上洛作戦展開しても近畿の大和か山崎で三好家と大激突してぼろ負けしてんじゃね?
上洛の名分がなんであれ足利の親戚が大軍率いて京を目指す。ってなったら当時最強の三好家・長慶&ブラザーズが今川を上回る7万近い戦力で後のない死ぬ気の覚悟でぶつかると思うんだが。
結果今川家敗北濃厚かと
京周りで当時三好家本拠の芥川城を狙うとしたら、秀吉光秀合戦の場所となった京大坂間の要所で、さらに芥川城から半日の場所の山崎で三好家は迎撃するんじゃない?
ここは西から東に突破するのは難しく三好家本城とも半日の距離で士気も違う。
伊勢周りだと信貴山城が邪魔になり攻めるなら三好家の後ろ巻き、スルーなら挟撃。
後ろ巻き期待できる籠城戦で有力家老の松永が降伏する事は期待薄。
伊勢周りのが可能性は低いと思うがこの場合斎藤家の南下が今川家の崩壊の引き金かと
0087人間七七四年
2011/09/01(木) 04:52:27.80ID:hBPl2RX20088人間七七四年
2011/09/01(木) 08:05:43.10ID:SD+lDfeU北条武田と同盟結んで東海から尾張まで抑えてる今川が?
こっから信長と同じように進めてけばそれだけで織田より有利なのに
0089人間七七四年
2011/09/01(木) 13:41:01.03ID:+ymCYX/w尾張がターゲットになってたのは間違いないけど、そこからさらに西に行くと
えらい細長い領土にならないかなあ それとも本拠地を西のどこかへ移していく
つもりだったのか・・・ あるいはそのうち三国同盟を破棄するつもりだったのか・・・
西の京の都は遠いし関東でやっていくには北条、武田らがえらい邪魔になる・・・
0090人間七七四年
2011/09/01(木) 13:46:56.25ID:0tqpEF/D河内・摂津・和泉・大和・讃岐・阿波の六カ国と淡路・丹波の大半・播磨や山城の一部を支配下に置いて1562時点で三好家だけで6万超える軍勢を動員してる、当時最強の天下人だったしね。
三好長慶の名声は東西に轟いていて、正味の話、長慶存命中は今川家だけじゃなくどこが上洛作戦展開しても勝てないでしょ。
義昭を担いで朝倉家が上洛しなかったのも当主がポンツクってより、長慶の後光にビビってのことだしね。
まぁ長慶死後、家督争いで一族・重臣入り乱れての混乱の隙を突けた信長は強い運の持ち主かと。
長慶死後なら今川家でも三好家に勝てるでしょうな
0091人間七七四年
2011/09/01(木) 22:26:46.95ID:AiHYDHFB0092人間七七四年
2011/09/02(金) 13:00:59.85ID:9XLbJWe5桶狭間から2年以内に三好とぶつかるんならやばいね
実休が死んだ後なら長慶いても今川のほうが
0093人間七七四年
2011/09/02(金) 23:21:49.55ID:9iCEckHS六角は反三好だよね。今川互角に戦えそうじゃね?
0094人間七七四年
2011/09/03(土) 12:19:24.53ID:APsTrRyG0095人間七七四年
2011/09/03(土) 12:36:28.42ID:GemYUzuBそれが、六角さんの崩壊の引金は三好と組んで織田(浅井)と対抗しようとした所
それ以前にも六角義治が三好に接触して六角家臣から反発うけた事があった。
三好之虎が死んだとしても阿波には篠原長房がいる
まあ今川が上洛する事でのキーワードは三好よりも足利がどう動くかで変わるだろうね。
足利次第で三好や他の大名の動きがどうなるか
0096人間七七四年
2011/09/03(土) 22:43:56.62ID:OlhRBHGD0097人間七七四年
2011/09/04(日) 01:36:43.13ID:KCkkzzkK特に今川と揉めなきゃいけない理由はないよ
0098人間七七四年
2011/09/04(日) 10:22:05.28ID:PE8R+g330099人間七七四年
2011/09/04(日) 11:28:58.60ID:cuj0Kchk0100人間七七四年
2011/09/05(月) 19:26:20.09ID:uOFR2jpY知名度、実績からいって今川圧倒的じゃね?
0101人間七七四年
2011/09/05(月) 22:19:54.40ID:ELhZf0Jh0102人間七七四年
2011/09/06(火) 00:43:12.47ID:S+HxKLpA蹴鞠の才能があったんだから、手先足先は器用って事だし、手先器用な人でトロい奴はまぁいないし頭の回転は早そう。
頭の回転が早いって事は器用応用が効くって事で、かなりの政治的な器の持ち主かと。
ひょっとしたらバカ殿扱いされてんのは影武者で、戦の世を嫌って道楽の道を究める為に侍を辞めてたかもしれんが…
0103人間七七四年
2011/09/06(火) 04:50:58.49ID:2oVa/3MWただし根拠ははっきりしないのだが
0104人間七七四年
2011/09/06(火) 05:29:00.73ID:0fO3IgQU状況が状況だったから相当政治力や戦略に
優れた人じゃないと生き残れなかったでしょ。
武芸と世渡りが上手な普通の人。
うまい状況なら普通に運営できたろ。
0105人間七七四年
2011/09/06(火) 06:34:08.73ID:rkkkUZ31普通な人に天下は取れんだろうし、とっても瓦解する
0106人間七七四年
2011/09/06(火) 13:39:17.99ID:M/DCQy7Y(もちろん馬鹿という意味ではない)
0108人間七七四年
2011/09/07(水) 04:43:24.04ID:ZZ9W47N1しかし二代目にそこまでの能力がいるのかね?
仮に関が原で家康が死んでたら秀忠は暗愚の代名詞になったとおもうんだよ。
でもうまく幕府を運営したわけで。
氏真がうまくまわしてく力があったかはわからないけど
そういう部分があったとしてもあの状況では生き残れなかったとおもうんだよね。
0109人間七七四年
2011/09/07(水) 09:40:35.46ID:9brBZR7O0110人間七七四年
2011/09/07(水) 11:37:56.16ID:0L7uSmX2桶狭間は単に親の代から続く今川・織田の勢力争いにすぎない
織田陣営の諸城の武将が今川に寝返ったばかりで、
状況的に好機とみた義元が一撃を食らわそうと進出しただけ
仮に信長を討ってもその先に、美濃の斎藤、近江の浅井、六角と、どう見ても上洛は無理
上洛についての事前の京への根回しもまってくしていない
0111人間七七四年
2011/09/07(水) 11:53:07.27ID:4R6ElhQT二代目と考えると納得できないかもしれないけど、支配機構・体制の確立期の統率者としてみたら、普通の人では支えきれないと思わないか?
勿論それだけの体制を義元が構築できるなら普通の人でも問題ないが、実際問題徳川でも数代にわたって整備していったわけだから
0112人間七七四年
2011/09/07(水) 16:15:16.11ID:nIPzfXcy氏真無双突入で東は関東から西は近畿を支配下に、残りは真・氏真モード突入で楽勝でしょ
0113人間七七四年
2011/09/07(水) 17:09:43.01ID:zwKr/HVc自ら幕府開こうとするとは思えん
0114人間七七四年
2011/09/07(水) 17:25:20.07ID:nIPzfXcyここは可能性を追求する場所だぜ
因みに雷に打たれて覚醒する可能性は
雷に打たれて全身の細胞が癌化=約10×15乗×17=α
全身癌化した細胞が通常の生存可能=約10×40乗×16=β
不死身の覚醒氏真無双モードの可能性は、α×β=約10×8000乗×2
一等2億円を地球の誕生から今まで毎年当て続けた確率より薄い確率…
コレを引いた氏真が幕府を開けない訳がない
まぁ、可能性的には限り無く0だが、0ではない訳で…
0116人間七七四年
2011/09/07(水) 18:30:39.95ID:CX/HUBsd尾張を手に入れても本拠を前進させないと破たんする
武田みたいに甲府くんだりから遠征繰り返してたらな
0117人間七七四年
2011/09/07(水) 18:45:42.15ID:36ZpWsaF義仲も頼朝も尊氏も大内も破綻してないけど?
そもそも岐阜くんだりから、何度も遠征繰り返してたのは信長。
0118人間七七四年
2011/09/07(水) 19:23:00.53ID:2J71Hsvp戦国以前は短期間で兵を動員する方法が確立しておらず
一度、大軍を作ってしまえば無敵の快進撃になったらしい
城で篭城って言うより、砦に集合して出撃する戦い方だし
0119人間七七四年
2011/09/07(水) 19:40:03.31ID:CX/HUBsd京を抑えながらも退去した大内を成功例に挙げる意図は?
武田・北条が大内の尼子に絶対にならない保証もないのに
あと長征してて負けたら死亡必死だよ 義仲やら新田やら顕家やら 尊氏みたいに縁もゆかりもない西国落ちして盛り返すのは奇跡
0120人間七七四年
2011/09/07(水) 20:07:12.94ID:36ZpWsaF本拠地移転の方が有利なのは良いとして、
義元が本拠地移転に難色を示す理由とは?
つまり、今でこそ今川と言えば駿府かもしれないけれど、
当時そこまでの意識はあったのだろうか?
0121人間七七四年
2011/09/07(水) 21:08:57.76ID:zCI4DcHr0122人間七七四年
2011/09/07(水) 22:08:15.22ID:JiGtNZZL負けたから能無しでと誇張されてるだけでしょ
参謀がすごかったとしても取り入れる度量と
家督争いは征してるからね
ここ一番の運は無かったわけだが。
0123人間七七四年
2011/09/08(木) 03:02:04.99ID:Yuc5M0Fd首とられるのは不運すぎるな。
0124人間七七四年
2011/09/08(木) 06:25:02.38ID:yHvoEMLx0125人間七七四年
2011/09/08(木) 10:58:00.99ID:XA2gbvMQ国力を総動員してでも尾張を取りにいった義元を軟弱とは思えない。
それに、下克上の時代において国内を強固にまとめ、武田や北条から
国を守り続ける事が出来たのは、義元の器量によるところが大と思う。
桶狭間は、義元の命令に頼りっきりだった今川家臣団と、義元を殺すには
どうすりゃいいかと自分で考え、動いた信長馬廻り衆の起動力の差が出た
結果ではないかな。
0126人間七七四年
2011/09/08(木) 12:42:49.51ID:ga+rOBNiでもない。
0127人間七七四年
2011/09/08(木) 13:44:56.72ID:yHvoEMLxもはや時代が彼のような行動を許さなかったのだろう。
風雲児織田信長の踏み台にならざるをえなかったのだ。
0128人間七七四年
2011/09/08(木) 21:49:06.56ID:cn5hVTMn後づけの資料には義元を討ち取ったとあるが、桶狭間で負けたのは事実だが今川義元が討ち取られた。て事は織田家が言ってるだけで今川家は最初認めてない。
義元が桶狭間で負け今川家を出奔した事で今川臣団は誤解して偽の首級を持ち帰ったしな(織田家はなかなか渡さなかったが、端っから討ち取ってないので首なんて有るわけない。偽首準備の時間稼ぎ)
徳川家の当時の資料や江戸時代の資料には、桶狭間での今川家の敗北には触れてるが義元戦死には一切触れてない。
最後まで天海の素性は謎のままだが、江戸初期には義元=天海説が徳川家臣団に囁かれ続けてたしさ(水戸日記・尾張郷土史)
まぁ、義元的には桶狭間で死んだ事にして生まれ変わった環境で生きてけたしそこそこ幸せだったんじゃないかな
0129人間七七四年
2011/09/08(木) 21:56:52.59ID:TcXki3uE0130人間七七四年
2011/09/08(木) 22:02:13.23ID:PemeSRJ/0131人間七七四年
2011/09/08(木) 22:24:28.68ID:yGRb1B80一般的にそれなりの理由さえなさそうだし。
「麻呂、一足先に京にいくでおじゃる。
皆の衆は各国蹴散らしながら追いかけてくるのじゃ」
〜桶狭間で敗戦〜
「拙僧は浮世を離れた修行の身、過去は一切捨て申した でおじゃる。」
こんな感じか?w
0132人間七七四年
2011/09/08(木) 23:52:17.59ID:cn5hVTMn出奔理由がとても曖昧でした。
尾張郷土史の話では『日々に鬱み』と簡潔…
水戸日記は出奔理由には触れず
この出奔理由以外は信憑性激高なんだが、出奔理由が無い・薄いせいで、義元=天海説が支持されません…
0133人間七七四年
2011/09/09(金) 01:53:01.50ID:Pn9yG+XQ0134人間七七四年
2011/09/09(金) 20:38:42.07ID:GnLIj1biそもそも氏真から逃げる為の尾張出兵だったかもしれん
0135人間七七四年
2011/09/10(土) 14:33:27.13ID:OCuCvl0v0136人間七七四年
2011/09/11(日) 14:05:11.86ID:3Q2jyITa0137人間七七四年
2011/09/11(日) 14:34:14.99ID:lOT3ONqp脳なしとは言われにくいと思う
だって勝った方は脳なしなんぞに勝ったところで自慢にも何にもならないし。
自分をよく見せるには負けた奴は悪いやつと落としたほうが見栄えはいい。
織田の史料で今川を馬鹿だとか無能だとか書いてあるものはない。
0138人間七七四年
2011/09/11(日) 14:37:56.41ID:lOT3ONqp江戸時代に書かれた軍記物に書かれているものだけ
0139人間七七四年
2011/09/11(日) 15:04:15.06ID:q9d7gjtJ0140人間七七四年
2011/09/11(日) 19:07:07.94ID:yJ44FN970141人間七七四年
2011/09/11(日) 23:52:01.22ID:nDue0aL50142人間七七四年
2011/09/12(月) 00:02:01.85ID:lOT3ONqp0143人間七七四年
2011/09/12(月) 12:02:04.36ID:ESNWaSch腕前はあったわけだよな?
0144人間七七四年
2011/09/12(月) 14:49:25.30ID:f9VwTrXp義元公が本気出してたら織田の小倅や生臭坊主やナルシストには完勝できるよ
義元公には旗本八万騎がついてるからな
0145人間七七四年
2011/09/12(月) 22:02:10.10ID:qD/InezY0146人間七七四年
2011/09/12(月) 22:48:26.80ID:1vQb09io・・・でも、無理。
0147人間七七四年
2011/09/12(月) 22:48:43.47ID:WoeXjWJl0148人間七七四年
2011/09/13(火) 04:09:03.07ID:RlOcJsvp足利>>>>斯波>>(越えられない壁)>>その他
だし。斯波は足利幕府成立前後では斯波ではなく足利名乗ってたし
元々政治に参加しなくてもよい将軍に次ぐ貴主であるのを義詮や義満が一段落として管領に突っ込んだって経緯があるわけで
徳川幕府でいうなら斯波のみが御三家相当で、他は御三卿にも満たないだろうよ
だから今川が足利に改姓して将軍になるってのは無いでしょ。それやるぐらいなら今川幕府作った方が反感は少ない
足利幕府っていう体制を残すなら管領ルートだね
0149人間七七四年
2011/09/13(火) 08:21:20.75ID:ltswKjNZ当時の織田家さえも屈伏させられなかった人間に後のifは不可能。
実は、アンサイクロ〜に書いてた通り、上洛の目的は今川焼きをみんなに食べてもらいたかっただけだと思う。
軍を引き連れたのは見栄を張りたかっただけ。
厨な信長が過剰反応しただけじゃ?
0150人間七七四年
2011/09/13(火) 08:53:57.51ID:U0ol2sTCただみんなに美味しい今川焼きを食べて欲しかっただけの義元公を不意打ちで殺すなんて
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