北条家が即効で豊臣の軍門に下ったなら
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0001人間七七四年
2010/11/27(土) 23:35:44ID:RVJuSpcr北条幕府を開けたかもしれないのですがどうでしょう。
IFにつきあってください
お願いします!
0002人間七七四年
2010/11/27(土) 23:42:05ID:tE13QuhJ○速攻
漢字の勉強からやり直せ
0003人間七七四年
2010/11/27(土) 23:50:26ID:RVJuSpcrでもいくらググってもでてこなかったんですよ(泣
勉強します。なので許してください
氏直様が二代目将軍?
気になります!
0004人間七七四年
2010/11/27(土) 23:52:18ID:ToJv/I4v跡地には徳川が入って、史実とそんな変わらんだろうな。
0005人間七七四年
2010/11/28(日) 10:09:15ID:X+Zn6rrg名胡桃のような事件は必ず起こり、それに対して猪俣斬首・氏邦切腹など徹底した恭順姿勢をみせても
大幅な領土の割譲は避けれない。
上野は没収され、岩付・松山は太田に返還、威信の下落した北条旗下の大名は独立し、国人は元の鞘に納まり、
気がつくと60万石前後の大名におちぶれた氏直のもとに黒田官兵衛がやってきていわく
「ぜひとも殿下に秀俊様を養子にと御望みなされ。さすれば北条家は安泰ですぞ」
0006人間七七四年
2010/11/28(日) 10:48:56ID:yWasqKfi即行というのがどの時点かわからんからなんとも言えない。
沼尻以前だと二百万石を超えないからオススメ、
同盟者の家康と一緒に降るもよし、秀吉と一緒に家康を包囲するもよし、実に美味い。
それ以後だと氏規上洛あたり、最後のタイミングであるかな。
家康の尽力もあって概ね好意的、いちゃもんつけられて北関東諸将への領土の返還くらいはあるかも。
ただし乗っ取りに注意な、秀秋がこっちを見てる。
>>2
×即効 すぐに効き目が現れること
×速攻 素早く攻撃すること
◯即行 すぐに行うこと
漢字の勉強、ね。
0007人間七七四年
2010/11/28(日) 12:10:20ID:wjm9bN9wで、関ヶ原で旧領回復に乗り出して改易
後に大坂城に入るも真田と敵対しさしたる働きもせず退転
幕軍に内部情報をばらし役後河内狭山一万一千石を与えられそのまま維新を迎える
0008人間七七四年
2010/11/28(日) 12:58:26ID:poig+xdM1:人間七七四年 ::2010/11/27(土) 23:35:44
島津の様に生き残れてたかもしれないし徳川に変わって
幕府さえ開けてたかもしれない。
というスレがたってた
0009人間七七四年
2010/11/28(日) 13:29:06ID:m8OT2VrS秀吉は関東に全然興味なかったしやりようによっては十分生き残れたと思うけど
0010人間七七四年
2010/11/28(日) 15:36:27ID:yWasqKfiただ小早川とか安国寺とか半ば独立した状態にされてるけどね。
0011人間七七四年
2010/11/28(日) 15:47:36ID:xgfLA9/p0012人間七七四年
2010/11/28(日) 15:59:52ID:ZPzmYnmfで、氏邦あたりに豊臣姓与えて抱き込み、氏邦は家康と一緒に東北に飛ばす
0013人間七七四年
2010/11/28(日) 19:04:46ID:3+HhDtRl機を逸した時点で北条の運命は終わっていた
0015人間七七四年
2010/11/28(日) 19:37:05ID:QxG1YbB3関東武士ってのは平将門公以来中央からの独立が悲願な訳だから自領土に直接関係しない闘争はさして興味ないからあんまり北条さんをイジメないでくれ
0016人間七七四年
2010/11/28(日) 19:53:05ID:RvM23tQs小牧は関が原と同じ天下分け目の戦い。
北条も他の諸大名もきちんと間接的に参加していた。
0017人間七七四年
2010/11/28(日) 20:12:39ID:eksH5Rxh臣従時期:天正17年11月 氏政上洛
所領石高:230万石
氏直夫人:督姫(徳川家康息女)
七大老制:豊臣秀長・前田利家・毛利輝元・北条氏直・徳川家康・織田信雄・蒲生氏郷
以降は家康と協調して無難にこなす
天正19年1月に豊臣秀長が死去
天正19年2月に千利休が切腹
天正19年12月に豊臣秀吉は関白職を秀次に譲る
文禄2年4月に唐入
文禄4年2月に蒲生氏郷が死去
文禄4年7月に豊臣秀次が切腹
文禄5年9月に豊臣秀吉が明朝使節と謁見
行動を起こすならここか?
共犯は徳川家康・織田信雄・伊達政宗・長曾我部元親(共犯は困難か?)として反旗を翻す
豊臣恩顧の武将が朝鮮に在陣している時がいいかと
0019人間七七四年
2010/11/29(月) 03:16:45ID:V1uIaDjYでも天正壬午の乱の体たらくを観るに大した働きは期待出来ないが……
0020仙台藩百姓
2010/11/29(月) 08:07:24ID:J7NJ4Xtp0021人間七七四年
2010/11/29(月) 17:48:50ID:EnY810U80022人間七七四年
2010/11/29(月) 22:29:15ID:tVq/DZX7徳川と関係の深いあれだけの勢力を秀吉がそのままにしておくとは思えないけど・・・
0023人間七七四年
2010/11/30(火) 02:38:08ID:115IZtb2とはいえ人数だけは動員できる家だからな
本気でかかれば、甲信駿に万以上の留守部隊がいたとしても問題なかろう
でもそこで中途半端な出兵するのが氏政という男なんだがw
まあ秀吉的には徳川の後方を脅かして前線を崩壊させてくれるだけで全然OKなんだが
武田征伐の時みたいにタダ働きのうえ、関東安堵も無しなんてことになるかもな
0024人間七七四年
2010/11/30(火) 11:07:32ID:TzsN6/Sa北条が秀吉に降っていたら発生していない。
0025人間七七四年
2010/11/30(火) 11:26:14ID:tmbMJk1R0026人間七七四年
2010/11/30(火) 15:58:54ID:mWjc9K8V0027人間七七四年
2010/11/30(火) 16:24:32ID:t31Axp8H0028人間七七四年
2010/11/30(火) 16:42:24ID:emh/+eTt0029仙台藩百姓
2010/11/30(火) 17:39:44ID:79Tgexef賎ヶ岳以後に次は秀吉だと見て接近を始めた大名は多いお( ^ω^)
後北条も対織田外交にあれだけ必死になっていたのだから
そのまま羽柴に移行すればよかっただけだお( ^ω^)
0030人間七七四年
2010/11/30(火) 21:52:14ID:qiN58y+K残される領地なんてせいぜい相模、伊豆くらいだろーな
ま、それでも秀吉死後に家康にベッタリ服従して関ヶ原勝利後に多少の加増はされただろーけど。。。
要は秀吉死ぬまでの我慢だったのに
それすら出来ない能無し2代は、そりゃ飯に汁を何杯もかけるわって話しだよ
0033人間七七四年
2010/11/30(火) 23:48:11ID:aeWmm8Or0034人間七七四年
2010/12/05(日) 05:04:45ID:o/aTMYY+それまでに実力以上の運に恵まれてたお家だっただけじゃねーの?
だって戦でろくに勝てない大名がどう足掻いても天下なんか無理なわけで
それを秀吉や家康は中央で揉まれながらも工夫して勝てるようになったわけでしょ?
でも北条って
最初から最後までずっとぬるま湯に浸かってただけの中堅大名じゃん
0035人間七七四年
2010/12/05(日) 09:31:12ID:fTTpkh3cむしろ戦国初期のいくさは関東のほうが多かった
0036人間七七四年
2010/12/05(日) 10:05:27ID:6xUZJ7A3氏政の頃には関東全域を手中にしてたわ
0037人間七七四年
2010/12/05(日) 11:56:23ID:iaLc9/ZD0038人間七七四年
2010/12/07(火) 16:41:14ID:/Au5jC6x>6
当時男子のいなかった毛利や小早川はともかく(小早川家には養子はいたけど)
れっきとした跡継ぎのいる家にさすがに養子乗っ取りは出来ないかと
0039人間七七四年
2010/12/07(火) 17:47:05ID:ZbeRbE/j0040人間七七四年
2010/12/12(日) 07:09:35ID:oqQqk+j+秀吉に「北条を力で屈服させるのは難儀」と思わせた上での
臣従でなきゃ減封は免れない。
あとは関ヶ原で如何にうまく立ち回るか、だな。
北条が豊臣政権下で力を発揮するには、小牧長久手の段階で家康を裏切り、
秀吉側に味方して挟撃するしか手はなかったと思う。
0041人間七七四年
2010/12/12(日) 07:44:38ID:t6wc3Jn0>北条が豊臣政権下で力を発揮するには、小牧長久手の段階で家康を裏切り、
>秀吉側に味方して挟撃するしか手はなかったと思う。
武田征伐で織田信長が北条氏を利用したように小牧長久手合戦でも羽柴秀吉が北条氏を利用して終わりになる予感
むしろ佐竹氏との戦いが苦しくても三方ヶ原合戦で武田氏に援軍を派遣した時と同様かそれ以上に
徳川氏に対して積極的に援軍を派遣すべきだったと思う
援軍を派遣したからといって羽柴氏に勝てるとも思えないけど
家康一人にしてやられたと秀吉に思われるよりは
徳川氏と北条氏は侮り難しという印象を植え付けておけばよかったと思う
さらに言えば家康に北条氏からの援軍が期待できないと認識させてしまったことも手痛い失策だったと思う
家康は北条氏の援軍を利用せずに北条氏との姻戚同盟という事実だけを利用して
秀吉に対し徳川家を高値で吹っかける外交方針の転換に成功している
やはり北条氏は外交・軍事の駆け引きが下手なんだと思う
極端なことを言えば氏政に武田信玄並の戦略がないと厳しいと思う
0042人間七七四年
2010/12/12(日) 07:50:26ID:t6wc3Jn0氏政に信玄並の戦略を期待するのは酷だけど信玄の孫になる氏直なら充分に期待はできるということ
0043人間七七四年
2010/12/12(日) 07:52:35ID:4QNR1IIO最悪、伊豆相模に武蔵の南半分ぐらいは確実かと。
小牧で挟み撃ちにしてたんなら上杉と同じかそれ以上の立場になったはず
仕置き後は徳川が甲斐信濃を完全に取り上げられて、良くて3ヶ国、悪くて三河のみになったかもしれんよ。
そうなれば関東以東は北条上杉蒲生伊達あたりを東の軸にして監視させあってただろうな
信雄はどの道取り潰されるだろうし、徳川の空白地に20万石程度の秀吉恩顧どもを入れてればそれなりに秀吉は満足かと
上杉が行くはずだった会津に徳川が入れられてたかもしれんしな。
0044人間七七四年
2010/12/12(日) 08:15:38ID:t6wc3Jn0史実の話で恐縮ですが
沼田問題直前まで秀吉は北条氏の所領(沼田城を含めて)を全て安堵している
当然ですが徳川氏の所領も特に問題なく現状維持のまま
>小牧後に降ってれば2〜3国ぐらいは安堵されたと思うな
織田信雄みたいに尾張や伊勢が戦場になって所領が疲弊しての和睦(秀吉の形式的な譲歩)ならわかるけど
北条氏の場合は秀吉と干戈を交えたわけではないし秀吉の譲歩も無い
さらに単独講和は徳川氏との同盟を破綻させかねない極めて危険な外交方針の転換になる
下手したら何度も繰り返された外交方針の転換による合戦(駿河侵攻や御館の乱)の再現になる
親羽柴派の上杉氏の存在も火種の一つに考えることもできる
不安要素の方が多い外交方針の転換は言うは簡単だけど行うは困難かと
0045人間七七四年
2010/12/12(日) 09:20:28ID:4QNR1IIOてことは1580年代は特に史実からそれることなく、
沼田の問題もうまく処理して秀吉死後を迎えられれば
無理なくスレタイ通りになるってことかな
スレタイの即効がどこなのかでこの手の話って使える史実が違ってくるんだよね
0046人間七七四年
2010/12/12(日) 10:09:31ID:t6wc3Jn0>スレタイの即効がどこなのかでこの手の話って使える史実が違ってくるんだよね
仰る通り
北条氏政が上洛していたら北条氏はあんなわけがわからない展開に陥ることはなかったと思う
秀吉の視線は既に明にあるから時間や資金を費やしての武力による関東平定よりは
徳川氏の時と同様に臣従してくれた方が経費削減につながる
0047人間七七四年
2010/12/14(火) 00:17:16ID:/aW4lUEq別家:武蔵南部
こんな感じが妥当じゃないかな
0048人間七七四年
2010/12/14(火) 00:33:35ID:6nBeXRNrその案って薩摩大隈を兄弟に分け与えようとして失敗したじゃん
>>46
半島出兵に関東東海勢が出張ってきてもおかしくないな
0049人間七七四年
2010/12/14(火) 01:05:09ID:N0qWfxNn仮に武蔵のどこかにでも本拠を置いてたなら、上野・相模を獲られたあたりで降伏すれば土佐や薩摩のように本拠地安堵ってのもありえたかと
本城囲まれて降伏っていうのは最悪のパターン
0050人間七七四年
2010/12/19(日) 17:21:40ID:aHFBb+8cそれじゃあ氏康のやってきたことってなんなんですか?
神格化されているだけじゃないですか
どのみち潰されるんだから
0051人間七七四年
2010/12/19(日) 21:00:49ID:5AiclX3u0053人間七七四年
2010/12/21(火) 19:59:53ID:UYByIVmG0054人間七七四年
2010/12/21(火) 21:32:04ID:ilMqqZbA0055人間七七四年
2010/12/21(火) 22:53:02ID:TU8t+QMl0056人間七七四年
2010/12/22(水) 19:07:48ID:XI2A4HsL0057人間七七四年
2010/12/29(水) 19:25:00ID:UyHOUz0uまてまて!
息子の代で家が潰れたのは武田家と豊臣家であり
北条家も織田家も徳川家も斎藤家も息子の代に潰れてはいないな
北条家 氏康─氏政─氏直
織田家 信長─信忠─秀信
徳川家 家康─秀忠─家光
斎藤家 道三─義龍─龍興
武田家 信玄─勝頼(織田家に攻め滅ぼされる)
豊臣家 秀吉─秀頼(徳川家に攻め滅ぼされる)
0058人間七七四年
2010/12/29(水) 19:54:26ID:8BG/Bz7u北条家も断絶免れたものを…
すべて氏政の責任
0059人間七七四年
2010/12/29(水) 22:11:49ID:QHBzcGms氏直は一応大名に復帰してるし、復帰翌年には国持って話もあったようだし。
唯、その今からってタイミングで急死したのが残念でならない
0060人間七七四年
2010/12/29(水) 22:25:37ID:8BG/Bz7u断絶といっていい
氏政が判断を誤ったのが元凶
トップがバカだと社員は可哀相だ
0061人間七七四年
2010/12/29(水) 22:42:06ID:6rX9Kk2H0062人間七七四年
2010/12/30(木) 00:38:54ID:VNZsFTWSまあ大名ではなくなったが
北条宗家は氏規系が継いだから、大名北条家は維新まで存続した
0063人間七七四年
2010/12/31(金) 15:43:41ID:XgF01/Sa0064人間七七四年
2010/12/31(金) 18:55:25ID:JNtKZKY90065人間七七四年
2011/01/02(日) 23:49:17ID:+vZSHVPz小田原北条は戦国で滅んだんです。
その後は続いていません、一切関係ないんです。
0066人間七七四年
2011/01/03(月) 00:25:08ID:OiEICag10067人間七七四年
2011/01/03(月) 05:47:41ID:nzzNFqvL0068人間七七四年
2011/02/27(日) 16:08:42.18ID:I5vBqZvZ天正壬午といい狸にしてやられたとしか言いようが無いよな。
武田滅亡時の轍を繰り返したのがな・・・。
秀吉が順当に家康潰してれば諦めて服従しただろうが。
勢力温存で二枚舌を見抜けなかったのが痛い。
0070人間七七四年
2011/11/25(金) 02:41:32.73ID:PmwlmwGs■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています