戦国時代のキリスト教について語る
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0062人間七七四年
2010/12/12(日) 08:47:25ID:t6wc3Jn0流行らなかったというよりは流行った地域を考えた方が早いよ
当時のポルトガルはインド洋経由で極東に来るわけでどうしても西の方に来航し易い
東より西の方に布教の機会があったのはこのためだと思う
キリスト教に限らず新しいモノが根付くには共感する人、損得勘定、パトロンが背景にあると思う
九州では大友氏、有馬氏、大村氏など強力な保護者がいた
逆に島津氏は保護者になることはできなかった
中国でも宇喜多氏(明石氏)、畿内でも高山氏や内藤氏がいた
堺ではキリスト教に理解がなくても商売での利益が大きかった
さらに織田信長がミヤコでのキリスト教の布教を公認した
こうした人たちの存在が大きいと思う
織田信長によって日本の中心地であるミヤコに布教の拠点(珊太満利亜寺)を得たわけなので
まずはここから布教を進める方が理にかなっている
では東国ですが北条氏、上杉氏、武田氏、今川氏はどうかということになるが
武田氏の所領に海が無い、今川氏の早期滅亡、上杉氏の所領は太平洋に面してないなどの立地問題が大きいと思う
北条氏は海外との交易があるので布教の機会があったのかもしれないけど
上記の通り畿内で布教活動の力を入れているため関東に手がまわらなかったのが実情じゃないかと思う
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