戦国時代のキリスト教について語る
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0122人間七七四年
2010/12/23(木) 22:28:46ID:GkN/tAHe>…意味不明なまま化学系用語使って講釈されてる気がするので、それにはコメントしませんが……
こちらの説明能力が低く、誤解を与えるような表現になっていてすみません。
私も「硝石の輸入は鉄砲伝来以前の日本からあった」と見ているし、硝石の国産化も早かったと見ていますが、『ほかにも供給源(倭寇)があるだろ?』は疑問があり不同意。
>>73
>当時の硝石生糸は中国から来てたぞ
日本での生糸産地は、塩硝製造で著名な五箇山は天文以前からであり、他にも産地はある。
証如の石山本願寺日記に五箇山の生糸受取が載っていることから、五箇山は、京・大阪・堺で生糸を販売していたようだ。
>>80
>(参考資料) 海外貿易から読む戦国時代 著者/武光誠
突っ込みどころ満載の書籍である。
>>86
>ちなみに加賀藩は現在で言う富山県南栃市で土壌が製造に適した為に高品質の秘密塩硝製造基地があった。
五箇山での塩硝製造法で土壌を使ったのは江戸中期以降である。それ以前は土壌とは関係が無い製造法である。
>>87
>ちなみに加賀の塩硝生産本格化は江戸時代
生産は加賀藩支配より前、五箇山が惣村であった時代から生産。たまたま、五箇山に史料が残っていただけで、他の地方でも生産していたのは当然である。
>発祥の説は2つ、大阪本願寺が信長に対抗するために技術者を派遣(1570)
>もしくは洲崎恒念が大阪・堺から技術を輸入(17世紀初頭)
どちらも根拠の無い、誤った仮説。五箇山の本願寺支配をこじつけるための仮説か?
>>89
>塩硝生産地で有名な”五箇山”は富山県の南西部の端っこ、白川郷のおとなりだ!すぐ地図で場所確認を
当時白川街道は、新潟・富山から京都へ抜ける最短距離の中世の道。朝倉が海上封鎖したときは大いに賑わったようだ。
>>92
>ではお前は雑賀衆や本願寺が大量の鉄砲を使用できるだけの火薬をどこから調達してきたと主張するわけ?
寺の由緒書きであるが、「五箇山の塩硝を買い集めて石山本願寺の鈴木に差し出した」とする記録がある。
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