戦国時代のキリスト教について語る
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0001人間七七四年
2010/11/08(月) 00:05:25ID:+YnwiE1/0114人間七七四年
2010/12/21(火) 17:52:59ID:vS2qVJsg島津は領地内でのイエスズ会の布教を受け入れてないですよ
龍造寺だって領地内のキリスト教保護なんてしてない、大友はキリスト教保護者でしたね
でも南蛮商人は全員に硝石売ったわけですね、どこに”イエスズ会の関与”があるんですか?
つか種子島で鉄砲量産化1543(ザビエル来日1549なのはおいといて)から翌年には仏教徒が近畿に銃を持ち込んでますよね
近畿の仏教徒が銃量産装備し始めた時点での硝石供給は誰がやったのでしょうか?
堺まで南蛮船きてませんよね??
0115人間七七四年
2010/12/21(火) 18:02:29ID:qPm52E8Nそいつらがやってんのは結局対明や対東南アジアとの貿易に一枚噛んでるだけだし
0116人間七七四年
2010/12/21(火) 20:02:31ID:PEdhLYSD信長の斡旋で大友と島津が和睦し、龍造寺が博多を焼き払った時期だが
隆信は有馬や大村に圧迫をかけながら
教会の友になりたいと申し出てたり
島津はヴァリニャーノやガスパル・コエリュに都から九州に戻ってくる時に国主を訪問して欲しいと伝言し
さらに豪華な使節団を派遣し親善関係を結びたいから島津国主の名でインド副王に馬と太刀を贈りたいし
鹿児島にに教会を立てる土地を与えたいと申し出てる。
ぜんぶポルトガルの定期船目的。
宣教師も信者を弾圧されたくないし
領主との交渉チャンネルは絶対に宣教師側からは切らない。
大村を屈服させ有馬を追い詰めた隆信に家臣が
「大村領のキリシタン壊滅させバテレンを追放し仏像礼拝しましょう」と進言したが
隆信は
「いましばらくはさもない風を装いバテレンにも表向きは丁重に接せよ」とマカオから日本に来るポルトガル定期船による利益を無視できない立場にいることがわかる。
0117人間七七四年
2010/12/22(水) 00:22:36ID:m9GYzYDY>当時はまだ石火矢を大友は所有してないはず。
>それに最初に無償提供してもらった石火矢は船が沈没して大友には届かなかった。
硝石200斤を対日航海指揮官カピタン・モールに援助して欲しいという書状は、永禄10年(1567年)
「天文二十辛亥の年(1551年)、石火矢迚大筒二挺、南蛮の国より進物の由にて、大友義鎮公へ送りける一挺は、大の筒にて、筒の穴口四寸余有り。 一挺は些細き筒にて、口の指渡し三寸余有りけるとかや。」
宗麟は永禄3年(1560年) に石火矢を将軍義輝に献上。
>その人らの集団は堺方面から関東にてっぽうを盛んに教えに来てたらしい。
その根拠は?
>1555年の武田は焔硝の移入使命を持つ彦十郎に1ヶ月馬三匹分の関税免除している。
その出典は?
>>112
>さらに硝石(硝酸塩)は簡単に水を使って再結晶できる、いくらでも精製できる
>(しかも再結晶精製法自体当時はよく行われていた、製塩なんかもそう)
>だから当時(今もだけど)黒色火薬の扱われ方を見るに、”高純度な硝石だから云々”論議は無理があると思うんですがねぇ
製塩は水分を飛ばして濃度を上げて結晶化することが目的なので、純度は上がらなく、再結晶法と意味が違う。
製塩は海水(溶液)を煮詰め、水分を飛ばし(乾燥)、食塩(結晶)を造ること。
要するに、不良な硝石を水に溶かして(水溶液化)水分を飛ばせば、元の不良な硝石に戻るということである。
硝酸塩には、カリウム塩、ナトリウム塩、カルシウム塩などがあり、硝酸塩であれば黒色火薬はできる。
ただし、カリウム塩以外は吸湿性(潮解性)があり、良質の硝石とは高純度な硝酸カリウム結晶のことである。
硝酸カリウム単一の再結晶法では、溶解度積の原理により高純度の結晶を7割ほど回収できる。
しかし、不良な硝石の硝酸塩混液中から良質の硝石を採取するためには、@大容量の溶液で再結晶を繰り返すことと、A効率よく硝酸イオンを回収するためにはカリウムを添加して平衡状態を変え、イオン置換を起こさなければならない。
>キリスト教の敵である仏教徒の鉄砲傭兵団はどこから手に入れてたのか、無視すれば良いだけですけどね
織田信長と10年間争った仏教徒の鉄砲傭兵団を無視するとは、歴史の記憶喪失になったと言う事かな?
>あと鄭若曾の日本図纂って1561年刊行じゃなかったっけ
その後も否定されずに残っていることは、真をついた書物になるのでは?
>>114
>>116
意味が解らない。 もっと論理的に、具体的に書いてくれないと。
0118人間七七四年
2010/12/22(水) 00:36:18ID:WVI8AU8Chttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/872
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/875
0119人間七七四年
2010/12/22(水) 01:34:04ID:MqhyzMXk飽和溶液にして結晶化して精製するのが再結晶なので製塩も同じ手法だと思いますが……
とりあえずそれはおいといて、実際当時の塩硝製法は再結晶で純度あげてますよね、としか返しようが
つか糞尿に含まれる硝酸アンモニウムを炭酸カリウム(灰)と反応させ
(イオン交換やら塩基置換とはいうけどイオン置換って珍しい響きですね、専門用語?)
塩化ナトリウムと硝酸カリウムを温度による溶解度の違いによって析出させ精製する方法は
当時でも保存輸送するためにカリウム塩にするのが常識、だったことを示すのでは?
…なぜ他の塩が使われてた、と主張される意図がわかりにくいのですが……
鄭若曾で言いたいのは、日本の銃の参考にはならない、ってことです(銃の使用にふれてないから)
0120人間七七四年
2010/12/22(水) 20:13:08ID:m9GYzYDY>飽和溶液にして結晶化して精製するのが再結晶なので製塩も同じ手法だと思いますが……
製塩は、いわゆる、蒸発法による精製である。海水の水分を蒸発させ、NaClの純度を上げるために灰汁(あく)取り、沈殿、濾過行程を行い結晶化させるのであるが、この方法ではMg、Caイオンを完全に抜くことはできない。
硝酸カリウムの再結晶法で他の成分が少ない場合、溶解度積の原理により超高純度の結晶(大きな結晶体)を7割ほど回収できる(残りは溶液中)。
混液での再結晶法で溶解度積に差が少ない場合、大容量で再結晶を繰り返すと高純度なものが得られる場合がある。
>とりあえずそれはおいといて、実際当時の塩硝製法は再結晶で純度あげてますよね、としか返しようが
大砲発射薬の場合、黒色火薬の粒子径大きくして表面積を減らして相対的に吸湿量を少なくすることができる。そのため、ある程度の純度の硝石であれば必ずしも純度上げを行う必要は無い。
>つか糞尿に含まれる硝酸アンモニウムを炭酸カリウム(灰)と反応させ
>(イオン交換やら塩基置換とはいうけどイオン置換って珍しい響きですね、専門用語?)
イオンの置換とは、カリウムイオンを添加して溶液中カリウムイオン濃度を高めると、相対的にカリウムと結合する硝酸イオン割合が増え、結果として硝酸カリウムの結晶が多く採取できる。
>塩化ナトリウムと硝酸カリウムを温度による溶解度の違いによって析出させ精製する方法は
>当時でも保存輸送するためにカリウム塩にするのが常識、だったことを示すのでは?
[ 将軍→謙信の”鉄砲の虎の巻”は火薬製方秘伝書、玉薬(硝石と硫黄と木炭)の調合の秘伝書 ]での焔硝(塩硝・硝石)精製には、炭酸カリウム(灰)添加が無いよ。
>…なぜ他の塩が使われてた、と主張される意図がわかりにくいのですが……
自然に産出する硝石は、色々な塩類や硫酸成分などを含む混合結晶物であり、用途によっては精製せずに利用できる場合がある。
「なぜ他の塩が使えたのか」の説明は、硝石中の酸素成分がガス発生量に関係し、Na,K,Caは関係ない。
Na塩であれば単位重量あたり硝酸成分の多い黒色火薬ができる(Naの原子量は23、Kは39、Caは40)。しかし、Na塩は吸湿性がある。
>鄭若曾で言いたいのは、日本の銃の参考にはならない、ってことです(銃の使用にふれてないから)
当時の中国(明軍)には小銃が正式に採用されていなかったようなので、鄭若曾が知らないのは当然だと思う。小銃そのものが中国(明)に無いのだから、銃の使用にふれようがないのでは?
その当時の倭寇についても小銃が使われた記録もなく(火攻兵器の火槍は使っていたみたい)、明軍が使っていない(所持していない)小銃を倭寇が使っていたとするのは不自然であり、「倭寇が鉄砲用の硝石を日本に輸出した」とするのも不自然である。
しかし、倭寇が医薬用やその他の目的で使うための硝石についての輸出ならば、ありえる話である。
0121人間七七四年
2010/12/23(木) 15:55:58ID:DqpA6k5a…意味不明なまま化学系用語使って講釈されてる気がするので、それにはコメントしませんが……
もともとは「種子島の火薬に使われる硝石は、南蛮人の高品質なものだけで独占されていた」
という仮説に対して、ほかにも供給源(倭寇)があるだろ? って主張なので、そこらあたりを……
1)フランスでは王に任命された硝石採取人がカリウム塩(ケール硝石)を作ってましたが、
確かに品質はインドセイロン産には劣りましたが当時の主力原料として使われています
つまり西欧でも硝石の質が軍の強さに直結していたわけではないのです
ですから”軍(銃兵)の強さに硝石の品質で論ずる意味はない”とおもいます
2)黒色火薬だけを見た場合、少なくとも応仁の乱1468には火槍の記録があり使用はあったわけで、
その時点での硝石供給元は中国人(倭寇)としか考えられません
つまりもともと硝石(黒色火薬)の消費輸入は鉄砲伝来以前の日本からあったと見るのがよかろうかと
つまり当時の実情1)2)を鑑みると、南蛮人の高品質硝石が高額で取引されたにしても
「それしか種子島に使わなかった」理由はどこにもないわけで
0122人間七七四年
2010/12/23(木) 22:28:46ID:GkN/tAHe>…意味不明なまま化学系用語使って講釈されてる気がするので、それにはコメントしませんが……
こちらの説明能力が低く、誤解を与えるような表現になっていてすみません。
私も「硝石の輸入は鉄砲伝来以前の日本からあった」と見ているし、硝石の国産化も早かったと見ていますが、『ほかにも供給源(倭寇)があるだろ?』は疑問があり不同意。
>>73
>当時の硝石生糸は中国から来てたぞ
日本での生糸産地は、塩硝製造で著名な五箇山は天文以前からであり、他にも産地はある。
証如の石山本願寺日記に五箇山の生糸受取が載っていることから、五箇山は、京・大阪・堺で生糸を販売していたようだ。
>>80
>(参考資料) 海外貿易から読む戦国時代 著者/武光誠
突っ込みどころ満載の書籍である。
>>86
>ちなみに加賀藩は現在で言う富山県南栃市で土壌が製造に適した為に高品質の秘密塩硝製造基地があった。
五箇山での塩硝製造法で土壌を使ったのは江戸中期以降である。それ以前は土壌とは関係が無い製造法である。
>>87
>ちなみに加賀の塩硝生産本格化は江戸時代
生産は加賀藩支配より前、五箇山が惣村であった時代から生産。たまたま、五箇山に史料が残っていただけで、他の地方でも生産していたのは当然である。
>発祥の説は2つ、大阪本願寺が信長に対抗するために技術者を派遣(1570)
>もしくは洲崎恒念が大阪・堺から技術を輸入(17世紀初頭)
どちらも根拠の無い、誤った仮説。五箇山の本願寺支配をこじつけるための仮説か?
>>89
>塩硝生産地で有名な”五箇山”は富山県の南西部の端っこ、白川郷のおとなりだ!すぐ地図で場所確認を
当時白川街道は、新潟・富山から京都へ抜ける最短距離の中世の道。朝倉が海上封鎖したときは大いに賑わったようだ。
>>92
>ではお前は雑賀衆や本願寺が大量の鉄砲を使用できるだけの火薬をどこから調達してきたと主張するわけ?
寺の由緒書きであるが、「五箇山の塩硝を買い集めて石山本願寺の鈴木に差し出した」とする記録がある。
0123人間七七四年
2010/12/24(金) 01:44:57ID:jtKKFyEp和冦の頭目の王直が硝石の輸入に携わっていた一次史料を出せよ。
日本全国に種子島伝来以前と言うそんなに古くからの火薬需要があったなら
のちの鉄砲大量生産時代も含めてたくさん王直の硝石取引史料が出てくるはずだろ。
0124人間七七四年
2010/12/25(土) 02:06:36ID:eq4xQsUOhttp://c.2ch.net/test/-/sengoku/1158488972/944
0125人間七七四年
2010/12/28(火) 18:19:49ID:iA9zB1w2こちらこそ失礼しました、ただイオンは水溶液中の状態なので置換って言葉は違和感あります……
>「五箇山の塩硝を買い集めて石山本願寺の鈴木に差し出した」
室町時代以前から日本海側(加賀敦賀)での海外交易はあったわけですが
少なくとも五箇山は山中で海外交易の中心地にはなり得ないから、これは自国生産の話ですよね
五箇山の伝承ですら硝石生産開始は1570、それ以前に現地で生産があった仮定はちょっと無理があるのでは?
南蛮人が本格的に日本に商売きたのは1550年代以降(ザビエルですら49年に南蛮船ではなくジャンク船できたわけで)
しかも南蛮船自体は九州(平戸や長崎とか)までで、近畿(堺)への入港はありません
でも鉄砲伝来伝承は1543、数年で近畿では自国での鉄砲量産はじまり鉄砲傭兵が存在していたわけで、
硝石供給源を南蛮人交易商のみと仮定すると生じるブランクの説明の一つとして倭寇貿易を指摘しているわけで
南蛮船が優良な兵器を売りに来て日本の大名がどんどん購入したのなら”供給の独占”は成立すると思います
が、兵器数が自国産でどんどん増えてる状況があり、それに使う火薬の材料の独占の効果への疑問とか
まぁここらはなぜ日本で攻城砲が広まらなかったのか、あたりとも関係しそうな気はするんですが、
自分はまだちょっと良い仮説思いつかないのでナニですが……
>>123
近畿での火薬の使用は15世紀には記録されてる
前世紀から普通に輸入されてたものについて、しかも個人(?)の貿易記録だせ固執されても??
0126人間七七四年
2010/12/28(火) 21:27:56ID:uolVlS0x>こちらこそ失礼しました、ただイオンは水溶液中の状態なので置換って言葉は違和感あります……
結晶体は水溶液ではない。イオン交換樹脂&イオン置換で検索を。
>室町時代以前から日本海側(加賀敦賀)での海外交易はあったわけですが
朝倉氏遺跡から多量の海外交易品が出土しているが、日本海側交易の詳細は不明。
>少なくとも五箇山は山中で海外交易の中心地にはなり得ないから、これは自国生産の話ですよね
自国生産だが、朝倉氏に負けた人々が五箇山に入り定着したようだ。
>五箇山の伝承ですら硝石生産開始は1570、それ以前に現地で生産があった仮定はちょっと無理があるのでは?
1570年の硝石生産開始は、まったく根拠の無い仮説で、伝承では無い。
>でも鉄砲伝来伝承は1543、数年で近畿では自国での鉄砲量産はじまり鉄砲傭兵が存在していたわけで、
1543年の鉄砲伝来は伝承であり不確実。近畿での鉄砲量産は家伝による。使用量からみて、他でも量産はしていたことは間違いない(開始の時期は不明)。
>硝石供給源を南蛮人交易商のみと仮定すると生じるブランクの説明の一つとして倭寇貿易を指摘しているわけで
なぜ南蛮人交易商のみと仮定するするのか判らない。だから倭寇貿易が出てくるのであって、仮定を再度検討されては。
>南蛮船が優良な兵器を売りに来て日本の大名がどんどん購入したのなら”供給の独占”は成立すると思います
>が、兵器数が自国産でどんどん増えてる状況があり、それに使う火薬の材料の独占の効果への疑問とか
>まぁここらはなぜ日本で攻城砲が広まらなかったのか、あたりとも関係しそうな気はするんですが、
南蛮船・倭寇が仮に硝石を日本に持ってきたとしても、短期間内に完売することができる日本国内での販売ルートが無ければならない。また、当然代価が必要となるが・・・。代価が入らないと船は自国に帰れない。
>自分はまだちょっと良い仮説思いつかないのでナニですが……
仮説を立てるにはネット検索や雑誌だけではなく、できるだけ図書館などで原典・原本に当たられては。
0127人間七七四年
2010/12/28(火) 22:20:03ID:V32SrUy9そもそも和冦貿易なんて秘密裏にやってる以上は
流通量もごくわずかな高級芸術品の取引が大半だろ。
大量取引やってたら価格維持できず廉価になるだけだし。
南蛮人がやってくるコストに見合わなくなる。
0128人間七七四年
2010/12/29(水) 00:01:19ID:uolVlS0x南蛮人が日本と硝石貿易をしていた証拠はありますか?
解らないのは、南蛮人とはポルトガル人限定でしょうか?
高級芸術品の意味が解りません。
0129人間七七四年
2010/12/29(水) 01:10:48ID:5mb8/5+B倭寇は中国や半島の沿岸を荒らしまわって討伐を受けていた
下記に見られる海賊集団で、大規模な貿易船団を経営なんてしてない。
硝石流通ルートなんて押さえてるわけもない。
薩摩の国は日本の最果てなので中央の政庁ではまったく注目されつ事がない。
なぜなら昔から今に至るまで際立って貧困でなんら評価されるものがないためである。
ゆえに薩摩は自立できず、シナからの略奪だけが生活方法であった。
大型船を持つ者達は年間の大半をシナの海岸地帯での略奪行為で過ごし戦死し
小船しかない者は略奪へ行く過程でしばしば遭難した。
0130人間七七四年
2010/12/29(水) 01:34:34ID:49EFtK4O16世紀の後期倭寇を誤解しているのでは?
偽倭の行為を考えなければならない。
0131人間七七四年
2010/12/29(水) 02:15:14ID:5mb8/5+Bそれ以後のいわゆる後期倭寇の活動はもっぱら
中国人数百人レベルでの散発的な江南地方での略奪祭りでしかない。
単に中国沿岸で略奪したものを転売してただけで
倭寇が硝石の貿易をしていたとかトンデモ話に飛躍しすぎ。
硝石の貿易については>>82に指摘されてるし
日本にいた王直が貿易においてなんの力もなかったのは>>83でわかるじゃん。
0132人間七七四年
2010/12/29(水) 08:54:15ID:49EFtK4Oということは、鉄砲伝来倭寇説もトンデモ話となるのか?
もともと王直は、「鉄炮記」の鉄砲伝来の根拠として「五峰」と結び付けられた名前であり、今のところ王直の鉄砲貿易記録は無い。
>ゆえに薩摩は自立できず、シナからの略奪だけが生活方法であった。>>129
中国からの略奪品に硝石が含まれる可能性は低く、薩摩の硝石に対する関与も低い。
>和冦が硝石貿易をしてる証拠が無い以上は国産と南蛮人が供給源だろ。>>127
南蛮人をポルトガル人限定とすれば、当時はカピタン・モール制となっており、ボルトガル官許船は年間1〜3隻と限定され、それが貿易量の全てである。
今までのところ、この貿易記録には硝石・火薬の文字は無いので南蛮人供給源説には疑問。また、限定された貿易方法・貿易量内で日本の硝石需要を潤すのも疑問。
ポルトガル人以外の南蛮貿易はまったく否定はできないが、季節風による年間1航海、途中の海賊対応、日本での販売ルート、決済方法などから疑問。
諸大名の直接貿易も否定できないが、西海道・山陰道以外の東山道・北陸道などの守護大名については無理がある。
0133人間七七四年
2010/12/29(水) 12:00:29ID:90jVp0OA0134人間七七四年
2010/12/29(水) 13:12:49ID:G8nGIPtZ2日:yBuZd+3I
3日:o+o0gV/n
4日:rYPytEYc
5日:4unj3228
6日:HZyZHJuB
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15日:FtIbsd7Z
16日:hymCl0X/
17日:L5q7gGw+
18日:yQDzX8T6
19日:vTXG1r1b
20日:n2y5dJB0
21日:PEdhLYSD
22日:FSYyFstb
24日:jtKKFyEp
25日:eq4xQsUO
26日:NNnl+Koa
27日:WwnFpB58
28日:N6fQfW6s V32SrUy9
29日:5mb8/5+B 90jVp0OA
0135人間七七四年
2010/12/31(金) 15:46:39ID:yibJp3Ld>キリスト教の伝播は、西日本どまり?
>>60
>東国で、キリスト教が流行らなかったのは、何故か?
ポルトガルはトルデシリャス条約・サラゴサ条約が結ばれていたために東日本までは進出せず、結果的に東国でキリスト教が流行らなかったのではなかろうか?
スペインが東日本へ進出する前に、秀吉によりバテレン追放令が発せられた。ただし、「キリシタン信仰は自由であるが、大名や侍が領民の意志に反して改宗させてはならない」ことが明記されている。
当時、キリスト教の信仰は自由であったけれども、宗教の選択肢を多く持つ日本人の国民性により、旗振り(大名などの主導者・宣教師)を必要とするキリスト教は衰退し、「国民の大多数がキリスト教徒でない唯一の先進国」として今の日本があるのでは?
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080607
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon19.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237988987
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432035044
0136人間七七四年
2011/01/01(土) 09:34:57ID:SCuxLW/A『世界史においては、日本は東西に分割され、スペイン領とポルトガル領になる取り決めがなされていたことになる。
もちろん、まさに「机上の空論」に終わったから、日本はどちらの領土になることも無かったが、ほんのわずかの運命のいたずらで、笑い話では済まなかったかもしれないのである。・・・・・
サラゴサ条約の境界線は、北海道をわずかにかすめる。つまり、この条約によれば、日本はポルトガルに帰属することに決まっていたらしい。
しかし、不思議なことに日本よりずっと西に位置するフィリピンはスペイン領となり、その後、長い植民地の歴史をたどることになる。』
http://mukb.medic.kumamoto-u.ac.jp/fukusei/oobangia/2007/070518.html
0137人間七七四年
2011/01/01(土) 14:35:23ID:wHmxKBOxいろんな国から来てたぞ。
0138人間七七四年
2011/01/01(土) 16:34:14ID:3cgBAHOCオランダ以外の西欧諸国とは貿易しないの間違いだろ唐人や朝鮮を忘れてちゃ困るがな
唐人屋敷が置かれる前まではタイやベトナムからも唐船入港してたし
とくにタイからはイラン人が唐船仕立てて来航していてペルシャ語の通詞もいたんだぜ
0139人間七七四年
2011/01/02(日) 13:46:45ID:1GUVMoUE普通にスペイン人とかも来てたっことだろ。
0140人間七七四年
2011/01/03(月) 03:25:04ID:Dl/6X40q0141人間七七四年
2011/03/11(金) 03:46:37.46ID:QQTQ+bfY仏陀や天照などと同列? 多神教の中で、キリスト教は本当に受け入れられたのか?
0142人間七七四年
2011/03/11(金) 03:52:50.94ID:F+fv4rdu思われていなかった。
のちキリシタン大名などに取り行って仏教や神道を弾圧するようになって初めて
それが異物だということに気が付き、激しく反発するようになった。
0143人間七七四年
2011/03/11(金) 04:47:04.13ID:nCr53VBy本願寺なんて何回も焼き討ちされ比叡山だって信長だけが焼いたわけじゃない
それにキリスト教徒の中にも過激派(大友とか)と穏健?派(黒田家とか)がいたわけで
すべてのキリスト大名が領国内の神社仏閣を燃やしたり弾圧したわけでもない
最終的に政治的禁令で領主の信者が無くなるとこなんかもみると
現在のキリスト教(新興宗教含めて)と似たような状況だったんじゃないかなぁ
0144人間七七四年
2011/03/11(金) 11:09:34.89ID:F+fv4rdu戦国期の仏教対仏教、あるいは仏教対世俗勢力はそのほとんどが世俗領主敵対立であり、
個人の信仰を問題にしたものではない。
キリスト教はキリスト信仰以外を悪とし個人に対して信仰を強要した。
基本何を信仰していようと問題にしなかった日本仏教徒はこの根本的な部分で異なる。
一向宗でも比叡山でも法華一揆でも、非信徒も大量に存在していた。
0145人間七七四年
2011/03/11(金) 15:14:56.82ID:nCr53VBy法華宗でも本願寺でも領主の信仰が基準でその被支配者の意志は無関係なんだから
キリスト大名とおなじじゃない? (高山友照だって配下領民が全員キリスト教徒てわけじゃないのに寺焼いた)
それに当時のキリスト教も「異教徒は悪」と認定してはないよ、教化されてない土地民は”豊かな大地”あつかい
で、布教を妨げたり弾圧するものを”悪魔”と呼んでる(それ故、他の宗教施設は悪魔の所行だから壊した)
でも、施設や拠点破壊は近畿の法華宗が一向宗に加えたものと比較してもどっこいどっこい、
それはキリスト教とやってることは変わらないけど??
つかどこの宗教も攻撃対象に”仏敵(悪魔)”なんてレッテルはるのは普通、
他の宗教に対して非寛容だっただった時代だからねぇ、ナニを信仰しても人間性(とその行動)は同じだよ
0146人間七七四年
2011/03/23(水) 05:47:45.12ID:8BamesrPそれを学んだ薩摩商人の岸和田が創始した岸和田流の炮術があってだな、それを関東に広めていったと言われている。
また根来衆の杉房や二王坊という者もおそらく同時期くらいに関東に広めてると思われる。
ただ焔硝の製法である古土法だと大量生産ができずに普及が進まなかった(当時は明との交易は禁止されていた)
信玄なども1555年正月に焔硝について触れている書状がある。
1549年太原雪斎が信秀の安祥城を攻略した決め手も奇襲した際の鉄砲だと言われてる。
良質のインド産の焔硝をポルトガル商人から輸入できるようになってから大量運用が可能になる。
ちなみに信長が岐阜城を落したのと同時期に
宗麟が司教宛てに毛利への硝石の輸出禁止と
毎年良質な硝石200斤の大友への輸出を航海指揮官ピタン・モールに頼んで欲しいと依頼しているほどの戦略的な軍事物資。
信長が道三との会見で鉄砲を大量所持していたとしても
希少価値が高い硝石の在庫がそんなにあったのか疑問。
もしあったのなら尾張国に集まる経済力と富はとてつもないものだったろう。
0147人間七七四年
2011/05/03(火) 20:12:04.17ID:GiUWgUGo二条城内で火薬製造しようとしていたのは確実とされる。
0148人間七七四年
2011/05/04(水) 01:28:24.61ID:ytuQtgrc「塩硝を作るのでその方の馬屋の土を所望する」
「塩を作る人が罷り越したので古い馬屋の土が入用なのでその方に調達を命ずる」
と書状で指示している。
0149人間七七四年
2011/05/04(水) 05:29:17.51ID:iT1UV+eJ○須々万沼城
0151人間七七四年
2012/01/02(月) 12:03:04.38ID:ifXsqylchttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1321629135/l50
0152443
2012/01/04(水) 23:14:34.87ID:EFm+4FKZ↑の本には当時の宣教師が日本の軍事力情報を祖国に送っていたことやら寺社に放火して焼死させたりする悪行の記録がのっている。
0153人間七七四年
2012/01/15(日) 19:26:20.42ID:u2+mRcgO0155人間七七四年
2012/01/24(火) 03:00:30.23ID:hKpG0aYSいや、したいかどうかだから、答えは「したい」だよ。
で、できるかどうかと聞かれれば、そりゃ「不可能」。
0156人間七七四年
2012/01/25(水) 18:29:05.79ID:JdTtOPNgなにいってんだ?したいかどうかってだけならどの国だって世界征服したいだろうよ。
不可能だからどの国もやらないだけだ。
言いたいことの意味がわからん。
0157人間七七四年
2012/01/25(水) 19:02:01.65ID:REPIzGSg0159人間七七四年
2012/01/26(木) 18:35:58.63ID:E0YGWTy20160人間七七四年
2012/03/06(火) 20:59:47.62ID:C4ZWBQqHむしろ日本人の背中を唆して明征服の尖兵として差し向けた方が理に適ってると本国に進言してる
0161匿名希望
2012/06/19(火) 12:41:56.40ID:iernItfO群馬病院
シダミヅホ
豊○の会
キリスト教団へ至急連絡希望
0162人間七七四年
2012/07/11(水) 22:54:07.64ID:L6+0TcQyブラジルを13日まで訪れていたローマ法王ベネディクト16世が、1492年のコロンブス到達以降の中南米でのキリスト教伝道をたたえたことに、先住民や歴史学者から「虐殺や奴隷労働の過去を無視している」との批判が出ている。
ロイター通信などによると、法王は司教協議会での演説で中南米での伝導について「先住民は聖職者の到来を歓迎した」として「いかなる時も、コロンブス到達前の文化の自主性を奪ったことはなく、文化の押しつけでもない」などと述べた。
421 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/05/31(木) 07:55:49.48 ID:hM4S8D5M
ブラジルのアマゾン地域の先住者コイアブ族の指導者は「教会に支えられたヨーロッパ人の
植民の結果、数百万もの先住民が虐殺や伝染病、奴隷労働で亡くなった」として、
法王の言葉を「高慢で無礼だ」と批判した。
ベネズエラのマルドナド先住民問題担当相も「スペインの帝国主義的侵略が中南米
に大規模な民族虐殺をもたらした」と指摘。リオデジャネイロ連邦大のゴメス教授(歴史学)
は地元紙に「教会自体が先住民や黒人を奴隷として使い、奴隷労働を正当化し、
先住民にキリスト教を押しつけた」とコメントした。
0163匿名希望
2012/10/14(日) 12:41:20.27ID:1NcESa/E日本キリスト教団と日本プロテスタント教団と野中拡務事務所と
河野洋平事務所と河野太郎事務所に至急連絡願います。
連絡先 mizu1615@d/como.ne.jp
↑追記 菱田の言質は全て嘘です。お調べになって下さい。
0164人間七七四年
2012/11/19(月) 05:13:30.87ID:hUVLrPP2教育の世界史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1353159193/l50
0165人間七七四年
2012/11/23(金) 15:55:26.88ID:jjet8cwz秀吉の唐入りに宣教師達が関与してた可能性もあるのか
0166人間七七四年
2012/12/24(月) 20:59:33.07ID:bB3+fonw0167人間七七四年
2013/08/27(火) NY:AN:NY.ANID:Qca9aT++ないね。
フロイス日本史では唐入りを「空中の楼閣」と呼んで、この企画が無理な理由をわざわざ挙げてるくらいだから。
0168人間七七四年
2014/01/28(火) 18:51:23.25ID:jYzTuwB8韓国は地政学的に日本の潜在的味方だったから
分断して統治しただけ
日本が弱ると韓国の存在意義もなくなるのに
愚かな話や
戦国からあんま変わってない。
0169人間七七四年
2014/05/11(日) 00:42:26.67ID:YxUsi9CYとりあえずこいつが「西洋文明」をろくに理解してないことは分かった。
ベンゲルの言葉でも調べれば?
0171人間七七四年
2014/05/25(日) 17:54:36.17ID:DJNfso0lそれはフロイスが関与してなかったことにはなっても、
他の宣教師の動向まで判断できなくね?
いや別に関与したって説を支持してる訳じゃないが
0172人間七七四年
2014/05/25(日) 18:20:23.50ID:xY+L2pib0173人間七七四年
2015/02/22(日) 05:23:00.15ID:afBQa09J0174人間七七四年
2015/02/22(日) 18:22:45.54ID:NkKuTt2m>イエズス会vsドミニコ会&フランチェスコ会&アウグスティノ会の信徒獲得マッチ
これじゃないの?
あと自分が思い出したのはイエズス会のなかでの小さなケンカ。親日vs嫌日
でもこれはイエズス会の東アジア最高責任者が親日だったからあっさり解決。とかなんとか。
0175人間七七四年
2015/02/24(火) 09:56:59.63ID:yfJs0MDL0176人間七七四年
2015/02/26(木) 18:16:14.51ID:vEdJGQNA沖縄→行かず仕舞い、そんな島があるらしいと記録に残すのみ
中国→鎖国状態でなかなか入国させて貰えず。
やっとこさ入国出来た後は布教頑張ったがあまり成果なし。
朝鮮→日本行きの船が遭難して半島に流れ着いたことあるけど皆殺し食らう。
そのため警戒して秀吉軍と共に初上陸。ちょこっと布教頑張る。
0177人間七七四年
2015/03/04(水) 23:15:07.34ID:v9lrQLug0178人間七七四年
2015/03/06(金) 00:11:45.25ID:Nx2QDSVp|\\ //|
: ,> `´ ̄`´ < ′
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八 、_,_, 八
. / 个 . _ _ . 个 ',
_/ il ,' '. li ',__朴と契約して慰○少女になってよ
0179人間七七四年
2015/03/08(日) 20:25:32.49ID:bfYI9o710180人間七七四年
2015/12/09(水) 18:46:19.91ID:4ed8NkfD0181人間七七四年
2015/12/12(土) 18:47:30.10ID:7v2NDYZhどの程度いたの?
オンナは別にして。
0182人間七七四年
2015/12/22(火) 17:50:32.49ID:dS7BPhVRヤクザグッズ!任侠グッズ!極道グッズなら当店にお任せ下さいませ。
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0183人間七七四年
2016/01/02(土) 18:57:37.57ID:t00RUa6Tそこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。
0184人間七七四年
2016/01/10(日) 00:59:51.10ID:YVtkef7mhttp://daily.2ch. net/test/read.cgi/newsplus/1452349682/
0185人間七七四年
2016/01/10(日) 20:24:43.65ID:Cl1duCNt0186人間七七四年
2016/12/30(金) 04:07:32.38ID:mGD3tP7A0187人間七七四年
2017/01/24(火) 17:16:15.98ID:ODF861Cnへー同じ戦国時代のキリシタンなのに迫害される人とされない人がいるのは可哀想だね
姫様だからいいんだろうか
0188人間七七四年
2017/03/04(土) 10:03:30.31ID:P/xoDGEe大友宗麟の娘で小早川秀包の妻だったマセンシアは
島原の乱の後も1648年に亡くなるまでキリシタンだったらしいな
0189人間七七四年
2017/07/03(月) 03:37:32.08ID:X3DpE5Ydバテレン追放令は布教や大名の信仰はダメで個人としての信仰はオッケーだったからでは?
のちに彼女らは改宗してるっぽいけどね
政宗のロザリオは支倉のお土産とかオシャレアイテムとしてのクロスのペンダントだとも言われてるね
0190人間七七四年
2017/10/08(日) 21:00:26.93ID:s3g3mCItローマ教皇の即位式の壁画に少年使節も描かれてたとか知らない事ばかりだった
0191人間七七四年
2018/03/18(日) 02:50:55.55ID:bAeC2qd0信仰と救済の対象外だった下民に直接宣教したからキリスト教一気に広まった
一般民衆に宗教的モラル(者の善悪と社会性の基礎)が浸透していない文明レベルが原始時代の戦国日本には簡単に布教できただろ
尚、一部例外が悪人正義を掲げて既存仏教の布教対象(富貴層)からこぼれ落ちた下民に積極的に教えを説いていた親鸞の子孫たちつまり一向宗
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