次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 4
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0001人間七七四年
2010/10/13(水) 20:07:18ID:2SFNFVJv騎馬隊は存在しない
長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
刀は単なる飾り
飛び道具こそ全て
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ
●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/l50
0002人間七七四年
2010/10/13(水) 20:09:56ID:2SFNFVJv鈴木眞哉史観を疑う
http://mimizun.com/log/2ch/history/1169129287/
鈴木眞哉史観を疑う 弐太刀目
http://mimizun.com/log/2ch/history/1258360008/
0003人間七七四年
2010/10/13(水) 20:21:17ID:2SFNFVJvhttp://mimizun.com/log/2ch/history/1109562623/
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 2
http://mimizun.com/log/2ch/sengoku/1169131109/
雑賀衆・根来衆
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156845840/l50
戦国史の研究者を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1210510597/l50
静岡大学教授小和田哲男氏について
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160246355/l50
武功夜話は偽書?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169263287/l50
【川並衆】前野・蜂須賀を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1166443371/l50
0004人間七七四年
2010/10/13(水) 20:30:59ID:2SFNFVJvhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/l50
戦国時代における騎馬武者の実像とは
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/l50
日本刀
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1241791739/l50
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/l50
0005人間七七四年
2010/10/13(水) 20:42:04ID:yAj0d7Zr今さらだがテンプレおかしいぞ。
鈴木はこの3つは言ってない。極端に解釈しすぎ。
・騎馬隊は存在しない
・刀は単なる飾り
・飛び道具こそ全て
0006人間七七四年
2010/10/13(水) 20:50:06ID:2SFNFVJv確かに言ってないんだよな。刀は首取りの道具とかいう割には使用は否定してないし、
脇差だの馬手差だのの説明でこちらがまさに首取りの道具だと説明してるし。
0007人間七七四年
2010/10/13(水) 20:54:41ID:2SFNFVJv飛び道具だけでも殲滅は可能だが、日本では首取りの習慣があったおかげで
刀が使われた、みたいな記述があったような。
0008人間七七四年
2010/10/13(水) 21:01:58ID:/ugXmvga0009人間七七四年
2010/10/13(水) 21:11:53ID:yAj0d7Zr刀が使われた、みたいな記述」は確かに言ってる。
一方で、鑓はもちろん、薙刀や大太刀・長巻が戦場で重視されたことは鈴木も何度も書いてるよ。
0010人間七七四年
2010/10/13(水) 21:45:49ID:Gn9o5FJg今まで通説の地位にあったものが途端に否定される快感を感じているんじゃないだろうか
イギリスの保守思想家に言わせれば、それは思慮深さ、慎重さをかなぐりすてた幼児退行なのだ、とでもいいそうだが
0012人間七七四年
2010/10/14(木) 13:15:06ID:T3GYuyCe0013人間七七四年
2010/10/14(木) 14:43:00ID:2XVEv1ei0014人間七七四年
2010/10/14(木) 17:12:25ID:VNWaa3Buとはいえ軍記物の記述だけどね。
伊達政宗は2回ほど鉄砲で殲滅やってる。
輝宗と大坂の陣の神保隊。
伊達軍は戦闘要員の2/3に鉄砲を持たせるほど火力重視だったから、
鉄砲や弓矢が多ければ普通に可能だったんじゃないか。
ただ、戦国時代の一般の軍隊のように弓鉄砲が少ないと難しいんじゃね。
0015人間七七四年
2010/10/14(木) 18:46:11ID:dPGkUESR鉄砲は玉の当たった箇所を破壊するから、鉄砲のみで殲滅可能だとしても
弓矢のみは無理でしょ
0016人間七七四年
2010/10/14(木) 19:22:42ID:qEsWVK8Jそれ伊達へのきついブラックジョークだろw
輝宗は二本松の少数の手勢、神保も数百人程度を数千の鉄砲でしかも同士討ちじゃんw
0017人間七七四年
2010/10/15(金) 00:00:56ID:Itu5xKOP第一次世界大戦にダイナマイトがなかったら、あの兵器がなかったら、これもなかったら、
などど考えてみれば、飛び道具だけで勝負がつくのはレアケースだと思えてくる。
0018人間七七四年
2010/10/15(金) 01:42:50ID:ZsR5lMgh矢は急所に刺さらなきゃ数本なら戦えるから同じ括りにするのは無理がある
0019人間七七四年
2010/10/15(金) 01:58:46ID:eqlHbAfIそんな猛者はごく一部だってw
普通の足軽や武士は、腕や肩に矢が刺されば弓は引けないし、鑓や刀を振り回す力もガタ落ち。
足に刺さったら歩けない。
そして、さっさと血止めしないと出血多量で死にます。
戦場ではただでさえ足や腕に血液が集まるんだから。
そう考えると死者よりも負傷者を沢山出す弓矢は
むしろ鉄砲より敵の頭数に損害を与えてくれる優れものだったのかもしれん。
0020人間七七四年
2010/10/15(金) 02:37:31ID:gozXdJKz0022人間七七四年
2010/10/15(金) 07:23:07ID:8xYC4ECc0023人間七七四年
2010/10/15(金) 15:14:07ID:gozXdJKz矢と鉄砲玉の威力を同等扱いとかねーよw
0024人間七七四年
2010/10/15(金) 17:52:26ID:z200wcyW0025人間七七四年
2010/10/15(金) 17:56:24ID:eOrHffDp0027人間七七四年
2010/10/15(金) 19:33:15ID:9BCGL9Er軍忠状で報告されるのは矢傷が多いってのは矢傷が必ずしも致命的でなかったことを
意味するわけだし。
0030人間七七四年
2010/10/16(土) 00:05:04ID:bSXqVZk4>>18 と >>29を的にダーツやってみたいな
「何本目に泣き入れるかな〜」ってw
0031人間七七四年
2010/10/16(土) 03:57:50ID:S9vhJCEZ0032人間七七四年
2010/10/16(土) 05:33:08ID:4TLOmxtp結局結論出せずに冗長な駄文でお茶濁し
0033人間七七四年
2010/10/16(土) 09:38:55ID:R6kJ8JQlそもそも、本当に信長が「是非に及ばず」と言ったかは不明で、
実際にそう言ったかもしれないが、牛一は上様ならそう言ったであろうと
思い、記しただけだろうね。
だそれが殊更インパクトをもって世間に受け止められているのは事実。
黒幕説の否定者は他にも多くおり、それでしか独自の主張ができないと考え
空回りしちゃったんだろうね。
0034人間七七四年
2010/10/16(土) 12:11:42ID:AE0JRF610035人間七七四年
2010/10/16(土) 12:12:54ID:4TLOmxtp0036人間七七四年
2010/10/16(土) 21:58:33ID:Grr3p4J+彼女たちの証言と考えるのが妥当。
0037人間七七四年
2010/10/16(土) 22:59:34ID:R6kJ8JQl0038人間七七四年
2010/10/16(土) 23:06:18ID:bSXqVZk41/3は本当にあったこと
1/3はにたようなことがあった
1/3は作り話
大久保彦左衛門
0039人間七七四年
2010/10/16(土) 23:13:14ID:AE0JRF610040人間七七四年
2010/10/16(土) 23:33:07ID:krPXc8/s0041人間七七四年
2010/10/16(土) 23:54:08ID:S9vhJCEZ0042人間七七四年
2010/10/17(日) 04:09:54ID:D805dn9q大久保の爺さんが批評してるのは甫庵の方で確定だわw
0043人間七七四年
2010/10/17(日) 09:46:46ID:O4v0a1PA0044人間七七四年
2010/10/17(日) 09:51:18ID:rzKMHEXp0045人間七七四年
2010/10/17(日) 16:55:58ID:Ia5RarqY0046人間七七四年
2010/10/18(月) 21:51:29ID:yJa7Pr0K0047人間七七四年
2010/10/21(木) 01:04:05ID:BCt24xNt本屋でざっと立ち読みしてワロタ。
論外の駄作。バカか、こいつは。
光秀の単独犯行っていう見解は笑止千万だし、その根拠が表面的な歴史事象だとさ。
そんなら、それを根拠に秀吉黒幕説とか、何だってこじ付け可能だ。
穴ぼこだらけでフルボッコの論破できるトコ満載の超駄作。
このバカ、自分がいかにバカかを世間に知らしめるために、この本書いたとしか思えん。
金出して買う価値ゼロ。
紙の無駄だ。アホらしー。
0048人間七七四年
2010/10/21(木) 01:52:02ID:mU4JeWO20049人間七七四年
2010/10/21(木) 02:45:16ID:4a1ecNQo信行(正しくは何だっけ?)も単独反抗、爆死も単独犯行
共同して動いたのって浅井長政くらいじゃないの?
0050人間七七四年
2010/10/21(木) 06:37:13ID:Lj11e7lt鈴木藤本を盲信しろと言われても困るが、
武田騎馬突撃とか三千丁三段撃ちとかを信じろと言われても困る。
戦場でヨロイ武者が日本刀でチャンバラしてたと言われても困るし。
その辺はちゃんと区別しないと逆に「俗説フィクション盲信者」と言われそうだ。
彼らの書く本ってのは上記の事を「もう知ってるよw」という人間相手というより
ドラマや小説しか知らずにナチュラルに上記の事信じてる人間にショックを与える
目的でかなりどぎつい書き方をしてるってとこもあるんじゃないの。
あと「0だ」って言ってるわけじゃなくて「統計的に稀」っていってるんで
それはまあそうだろうなあ、とは思う。戦場での経験は特殊事例が印象深く
記録に残るけど、ほとんどはしけた日常の延長なんだろうと。
0051人間七七四年
2010/10/21(木) 06:52:15ID:usmv0ssw第一、刀「も」使ってたというのは史料に有るわけだしな。
あえてどぎつい書き方をしてる…なんて両氏が言ってたっけ?
そして「統計的に稀」ということを主張する為の根拠は軍忠状なわけだが
それを以て「日本人は遠戦志向」だという根拠にならないことはこのスレや関連スレで何度も言われてる。
そして対象とする時代の長さと地域の広さに比してサンプルが少ない。
0052人間七七四年
2010/10/21(木) 07:47:17ID:DpifEo1g戦場の死因の多くは刀ってのが鈴木説にある。
矢疵が統計で多いということは、矢疵だけでは生存率が高いことも意味する。
その負傷者を逃がさないために肉薄しての白兵戦が必要になるわけで。
0054人間七七四年
2010/10/21(木) 08:57:21ID:BCt24xNt村重:毛利側からの誘降
信行:国人衆からの突き上げ
久秀:謙信の西進
ところで浅井長政って誰と共同して動いたんだ?
具体名出せ
0055人間七七四年
2010/10/21(木) 11:08:19ID:XR2PupQz0057人間七七四年
2010/10/21(木) 13:40:04ID:BCt24xNt朝廷(帝)黒幕説
で、お前の説は何なの?
表明できんか。なら俺の意見にケチつけんじゃねぇぞ
0059人間七七四年
2010/10/21(木) 14:32:55ID:BCt24xNtいかにも頭が空っぽな御仁らしい姑息な抵抗だ。
0060人間七七四年
2010/10/21(木) 15:03:13ID:plV6bcwj国人衆からの突き上げ:つまり単独犯行
謙信の西進:つまり単独犯行
浅井長政のみ朝倉家との共同反抗
0061人間七七四年
2010/10/21(木) 15:13:04ID:hJQec6XKまーとりあえず中古でもいいから本を買って
藤本のここがおかしいと論破してみたらどうだ?
みんな納得するかもよ。
0062人間七七四年
2010/10/21(木) 15:37:23ID:BCt24xNtつまり坂本竜馬の暗殺も、実行犯の単独犯行ってわけだ。その思考回路からすれば。
君、「殺人教唆」って日本語知ってるか。
実際の行動とその背景やそこに至る過程を混同してるバカか、それともバカを装ってるのか知らんが、
ま、どっちみち、ろくでもない奴だということは変わりないか。
>>61
だから買う価値ないって言ってんだろ、あんな駄作に。
意見すんなら、まず一通り目を通してこい。
0063人間七七四年
2010/10/21(木) 16:15:36ID:eePJtMfcああそう。
じゃあ朝廷が黒幕ならなんで誠仁親王が危険である事が明らかな二条新御所にいたのか、そもそもなぜ朝廷は信長を葬りたかったのか、そしてなぜ光秀は朝廷の為に働いたのかを説明してみて。
オレの意見?
光秀の単独犯行だろ。少なくとも朝廷だの足利義昭だのバテレンだの秀吉だのが光秀を操っていたなんてよりはよっぽど現実的。
0064人間七七四年
2010/10/21(木) 16:31:40ID:BCt24xNt設問
1)信長の入京目的
2)光秀が信長在京を知った日付と知りえた理由
これに答えられなければ、「光秀の単独犯行」説は成り立たない。
藤本正行の駄作「本能寺の変」では、この肝心の点に全く言及していない。
だから話にならんのだ。
0066人間七七四年
2010/10/21(木) 16:43:02ID:BCt24xNtアホか。
朝廷が信長を葬りたい訳は、
天正元年信長から帝への譲位要求に始まる一連の圧力で把握可能。
詳細は自助努力でやっとけ。
懇切丁寧にレクチャーしてやる義理もないし、そんな労力を投入する価値もないだろ、君には。
0067人間七七四年
2010/10/21(木) 16:49:36ID:BCt24xNtだから信長に敵対した。
君の論拠だと、彼らは理由もなしに脳死状態で信長に逆らったことになる。
彼らは君と違って空脳ではないのだから、それなりの勝算はあったはず。
それは既に>>54で述べた。
0068人間七七四年
2010/10/21(木) 16:54:10ID:hJQec6XK0069人間七七四年
2010/10/21(木) 20:24:37ID:4a1ecNQo背景があっても単独犯は単独犯だろーに
唆す程度じゃ意味が無い、決断するのは総大将だし、最大の原因は信長の稚拙な統治なんだから
確かにミチウンコのケースは単独犯と言えないかもしれんが、他は機を見て動いただけで
あとは協調して叛く味方や協働する外部勢力があるかどうかが、分かれ目でしょ
0071人間七七四年
2010/10/21(木) 20:42:06ID:BCt24xNtなら坂本竜馬暗殺の実行犯も単独犯かよ。
唆す程度じゃ意味が無い、決断するのは実行犯だ。なんて愚論、世間じゃ通用せんな。
君の愚かさが露呈してるだけ。
0073人間七七四年
2010/10/21(木) 20:53:08ID:BCt24xNt0074人間七七四年
2010/10/21(木) 21:08:00ID:BCt24xNt政敵を非合法手段で倒すのに、当人自ら手を汚すなんて稀だろ。
大抵の場合、格下の者に実行させるのは常識。
教唆がなければ暗殺は起こりえないのだから、実行犯にだけ着目し教唆犯は無視するなんて発想、健常者では有り得んな。
なら現行法の「殺人教唆」も無罪放免になるわけだ。君の頭の中では。
論外の馬鹿だな、君は。
馬鹿杉。
0075人間七七四年
2010/10/21(木) 21:25:17ID:4a1ecNQo光秀や村重や信行や茶釜は最高責任者なんだから教唆もクソも無いんだよ
命令を受ける立場のただの実行犯とはワケが違う
0076人間七七四年
2010/10/21(木) 21:44:18ID:BCt24xNt敵からの切り崩し工作なんて戦国の世では当たり前。
裏切る決断に大きく影響を与えてる以上、単独犯とは言わない。
単独犯とは外部や他社から何らの教唆や誘降工作がなかった場合のみ。
0077人間七七四年
2010/10/21(木) 21:52:38ID:BP6vsM4U足利義昭の妄想でしかなかったというわけだ。
0078人間七七四年
2010/10/21(木) 22:51:53ID:4a1ecNQo信長の将軍管理と外交が拙く、大いに危機を招いたというだけ
義昭に指揮権や命令権があったわけじゃないからな
0079人間七七四年
2010/10/22(金) 19:24:19ID:xWGjq51T0080人間七七四年
2010/10/22(金) 20:44:35ID:84tEZft80081人間七七四年
2010/10/22(金) 21:02:58ID:SAmcxQK3まわりを罵倒し続けてたのはID:BCt24xNtだけどね
0082人間七七四年
2010/10/22(金) 21:18:26ID:84tEZft8で、内容への反論は出来ないと。
ID:BCt24xNtが何を言おうと言っている事の正否には関係ない。
鈴木信者は相手の態度だけを批判するのはとても恥ずかしい事だと言うのを知るべきだ。
そんな事はどんなバカにだって出来る。
0083人間七七四年
2010/10/23(土) 01:50:50ID:KlUAkLK00084人間七七四年
2010/10/23(土) 11:17:44ID:UgGQSSkW0085人間七七四年
2010/10/23(土) 23:27:19ID:5yd63QF9明らかな組織犯罪でも実行犯の単独犯行だと思ってしまう天然記念物的な馬鹿に、
人を批判したりけなす資格はなかろうに。
何しろ、この地球上で君が最も馬鹿なのだから。
0086人間七七四年
2010/10/23(土) 23:52:17ID:Ymb2IhVHその通り。
>83-84の様なカスみたいな反論(いや、反論ですらないか)しか出来ないのが鈴木・藤本信者の程度。
朝廷黒幕説には反論できないのに、大人しく論破された事を認められないこのみっともなさ。
0087人間七七四年
2010/10/24(日) 00:09:48ID:/w8PViXZ藤本正行著「本能寺の変」の光秀単独犯説は、
全く根拠のない妄言として一蹴されることになりました。
皆さん、決してこの書を購入してはいけません。
お金の無駄使いです。
立ち読みで済ませましょう。
何しろ、どこにも光秀単独犯行だと頷ける論説など載ってないのですから。
ひたすら、どーでもいい駄文がつづくのみ。
0088人間七七四年
2010/10/24(日) 00:13:11ID:wpAE58BQ世の中君をいじめる人ばかりじゃないよ
0089人間七七四年
2010/10/24(日) 00:57:15ID:pe9SNTAN世の中の評価としては
著書を出版してる藤本 >>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>便所の落書きで熱弁ふるってる>>87 だろうな。
0090人間七七四年
2010/10/24(日) 02:38:25ID:/w8PViXZっつか、君って光秀単独犯説だよね。
そんな遠吠えで憂さを晴らすより、自分がなぜ単独犯説を支持するに至ったのか、
その根拠を説得力ある言葉で論理的に論陣張ってみろよ。
根拠がないのに支持するなんて、普通ではありえないんだからさ。
空脳以外ではね。
君がそうだと認めるなら話は別だがさ。
0091人間七七四年
2010/10/24(日) 02:38:50ID:P2ItUa090092人間七七四年
2010/10/24(日) 02:47:43ID:/w8PViXZ誰それ?意味不明
0093人間七七四年
2010/10/24(日) 05:30:51ID:pbufBoL20094人間七七四年
2010/10/24(日) 08:20:01ID:FJeS3ZhE>>91
>>93
そういうクソみたいな態度・人格批判はいいからさ、はやく>64に答えてみろよ。
それが出来なければ大人しく論破された事を認めろ。
でなければ恥を上塗りするだけだぞ?
0095人間七七四年
2010/10/24(日) 12:52:11ID:YzEdbbJpそれは見たくないものを避ける態度。
藤本谷口桐野の単独犯行説を覆す批判はまだでていない。
これらがダメだと思うなら論文にして公刊してくれ。
歴史学は勝ち負けを競うものじゃなく、相互批判で真実に近づく作業なんだから。
0096人間七七四年
2010/10/24(日) 13:53:27ID:6Mh0s70V内容の妥当性と読む手段は関係無いし(犯罪はダメだが)。
0097人間七七四年
2010/10/24(日) 14:00:00ID:gDJBiZ1Jほんまに君は面白いな。
要は筆者の主旨を把握すればいいのであって、本の所有の有無は関係ない。
そんなら図書館で閲覧するのも駄目ってことになるな。
それに一部作家の見解なんぞどーでもいい。
大事なのは君の見解だ。
自分が空脳だと自認してるも同然。
本能寺の変の背景が一つしかない以上、勝ち負けを競うのは当たり前。
流石は世界一の馬鹿。
主張の切れ味はすばらしい。
0098人間七七四年
2010/10/24(日) 15:24:36ID:wpAE58BQあとなんでいちいちID変えるの?
0102人間七七四年
2010/10/24(日) 21:38:29ID:amIoqWJHイエズス会に転向してるのにねえ。
公武対立説を取る今谷明だって、
事件への朝廷の関与を否定している。
0104人間七七四年
2010/10/24(日) 23:33:57ID:pbufBoL20105人間七七四年
2010/10/25(月) 07:49:58ID:eSqQ3Mrb信長は以前からよく少数で本能寺に入ってる。
この時だけの特別な理由なんかないだろ。
光秀は信長の重臣で畿内の問題に
いつ出動を命じられるかわからない遊軍扱い。
何かあったときのため、信長のスケジュールくらい知らされたと考えるのが妥当でしょ。
0106人間七七四年
2010/10/26(火) 13:27:30ID:ayc32Wnh黒幕は徳川家康
信長は本能寺に家康をおびき出して、明智光秀の軍勢に家康を暗殺させようとした。
家康は暗殺されそうになっていることに気がついて、光秀を懐柔して信長を討たせた。
↑上記の説は説得力はあるのでしょうか?
0108人間七七四年
2010/10/26(火) 15:03:08ID:QYFuxw2oと言われて応じる奴はいないわな
0109人間七七四年
2010/10/26(火) 15:48:23ID:bQ4KKsgr0110人間七七四年
2010/10/27(水) 10:51:07ID:l64oH0WL0111人間七七四年
2010/10/27(水) 16:28:07ID:+0TaYfsV鈴木がどの本にも書いてないことばかり挙げて
「鈴木説」という珍妙な理論を作り出して、その批判を繰り返してる。
一体誰と戦ってるのか分からんw
0112人間七七四年
2010/10/27(水) 18:52:45ID:R84q88iGまだ黒幕とか言うやついるのか?
0113人間七七四年
2010/10/27(水) 20:44:58ID:sJwXqpFa鈴木がどの本にも書いていない(?)事ばかりを知った風に吹聴して歩く鈴木
信者がいなければ大した話しにはならなかったんだがw
0114人間七七四年
2010/10/27(水) 23:02:38ID:5/sXg9JH長篠じゃ、前線で連合軍と武田が乱戦している所に第三陣の鉄砲隊に攻撃させて
敵味方関係無く虐殺したから
これには家康も相当怒っただろうし、織田家の家臣も呆れたんじゃね?
実際、織田家の被害も相当なもんで、武田も被害は出たが
信長の行いに家臣の士気も落ちて連合軍の被害も増大と
0115人間七七四年
2010/10/28(木) 00:10:36ID:WEIYdi6V0116人間七七四年
2010/10/28(木) 00:31:42ID:9yLJPclg0117人間七七四年
2010/10/28(木) 00:44:13ID:8gFcbvmw0118人間七七四年
2010/10/28(木) 21:55:29ID:UY4kZyqI0120人間七七四年
2010/10/29(金) 08:04:00ID:kGWsL+B9率直な感想は、ひどいな、この愚作は、の一言。
本の表紙の帯に、光秀の単独犯行ってデカデカと結論つけてるので、
どんな立派な見解示してくれてるのかと期待して読んだら、あらまたビックラ仰天!!!
別段根拠なんてなくって、単に筆者の個人的願望を歴史的大事件の真相にしちゃってるんだから、そらタマげるわナ。。
この本は全部読む必要はない。
ほんの3ページ読むだけで十分。
第一章三「誰がお膳立てをしたのか」のP65〜67まで。
この間に、この人の低劣さ稚拙さ愚昧さが凝縮されている。
中でも大爆笑したのが「そもそも黒幕などあってはならないのだ」という箇所。
つまり単独犯行説ってフジモンの自分勝手な願望にすぎず、
深く分析探求した結果による論理的結論ではないってことだ。
本能寺の変のお膳立てをしたのは信長自身だってさ。
各方面軍が遠征中なのも、信長が寡勢で本能寺に入ったのも、信長の責任だそうで、
信長入洛は当然の行動であり、光秀には周到に襲撃の準備をする時間的余裕がなかったから、
よって単独犯行以外にはあり得ないんだって。
笑っちゃうだろ、低脳すぎて。
この人、本出しちゃマズイだろ。
発想がトーシロ同然だし、視野が狭い。
本能寺の変前の限定的な史観だけでは、変の真相は見えんよ。
この人って一応歴史の専門家なんだよね。
この人の他の著作は読んだことないけど、読むに値しないレベルってことは、
この愚作一冊で容易に察しがつくな。
0121人間七七四年
2010/10/29(金) 08:09:24ID:LVkpkgV+そこは具体的に指摘しないと。たとえばスレ序盤にあったように
「飛び道具こそ全て」も『刀と首取り』に近いことは書いてあるわけだし。
0123人間七七四年
2010/10/29(金) 08:12:23ID:kGWsL+B9信長入洛は当然の行動 → 信長入洛は突然の行動
0124人間七七四年
2010/10/29(金) 13:17:01ID:kGWsL+B9ナンセンスの極み。
天下人で格上の信長が、なんで格下の家康を暗殺する必要があるんだ。
家康は信長によって暗殺しなければならないほどの脅威で、
暗殺という非常手段でしか抹殺できない相手かよ。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
家康を処分したいなら、命令一つで改易するか酒井忠次に取って代わらせるかすればいいだけの話。
だが武田征伐の論功行賞は既に終わっているのだから、家康の処分はない。
0125人間七七四年
2010/10/29(金) 22:11:27ID:9aBb5P9Uそれは誰が見たってその通りとしか言い用がないのだが…
もしかして君は陰謀論者かね?
0126人間七七四年
2010/10/29(金) 22:11:36ID:slAfMsi0改易なんて出来るわけのない妄想、暗殺の方は手法としてはありえる
動機が無いけどね
0127人間七七四年
2010/10/29(金) 22:22:34ID:9aBb5P9U後に支障がない状況にしてから殺すんだよ。北畠も神戸もそうだった。
徳川に対して信長はそんな下準備は一切していない。よって本能寺の時点で
家康を謀殺するなどということはありえない。
その手のアホなことを言っている人間は、自分が信長を恐ろしく低能な武将だと
間接的に言っていることに気がついていないのだろうな。
0128人間七七四年
2010/10/29(金) 23:01:41ID:U4FMkqvL敵味方同数程度だったら、背後の高台から奇襲しても弓で殲滅は無理なんじゃないの?
0129人間七七四年
2010/10/29(金) 23:08:32ID:lVBUzZzz日本刀でも弓でも鉄砲でも、はたまた機関銃や爆弾ですら殲滅は無理ですw
0130人間七七四年
2010/10/29(金) 23:13:14ID:U4FMkqvLにも拘らず白兵戦には移行しないと。
要するに戦とは儀礼的側面がほとんどだった、って説なのか。
0131人間七七四年
2010/10/29(金) 23:19:07ID:U4FMkqvL>機関銃や爆弾ですら殲滅は無理ですw
へぇ
0132人間七七四年
2010/10/29(金) 23:25:56ID:0VrF0hqC敵味方同数でも背後からの奇襲や寝込みを襲うなら殲滅は不可能ではない。
もっともそれは奇襲そのもののアドバンテージであって、弓とは関係無いけど。
鈴木先生、なんで遠戦志向なんて書いちゃったかねぇ。
カンネーでは同数どころか自分より多数の敵を奇襲によらずに殲滅なんてこともあったな。
もちろん接近戦も有りで。
0133人間七七四年
2010/10/29(金) 23:35:44ID:U4FMkqvL0134人間七七四年
2010/10/30(土) 01:18:40ID:ml+r6xUB0135人間七七四年
2010/10/30(土) 02:23:07ID:wpzpUksN遭遇戦や奇襲だと最初から白兵戦のこともあるが
飛び道具→白兵戦の流れは世界共通だけどね
0136人間七七四年
2010/10/30(土) 04:34:49ID:boobJt/G城や砦の攻防なら大半が弓や鉄砲の撃ち合いになるでしょ。
0137人間七七四年
2010/10/30(土) 08:55:37ID:lcws2BBOそれに秀吉の小田原征伐の一部の城だけだべ。
野戦でやったら大概の敵はそりゃ逃げるよ。
>>136
むしろ城攻めの最終段階でこそ
このスレの皆様が大好きな刀での殲滅をやるんじゃね?
0138人間七七四年
2010/10/30(土) 09:20:06ID:Kg33wEEAその戦場で相手の軍を完膚無きまでに叩きのめすこと。
皆様が大好きな刀って、そんな人居たかね?
0139人間七七四年
2010/10/30(土) 12:18:26ID:AH2SJgja0140人間七七四年
2010/10/30(土) 13:03:37ID:ml+r6xUBどちらにしても完膚無きまでに叩きのめした後にすること
0142人間七七四年
2010/10/30(土) 16:29:51ID:lcws2BBO『皆様が大好きな』は『刀での殲滅』に掛かる。
直前まで『弓で殲滅』が可能かどうか散々話してて
「殲滅するならやっぱ刀使わないと」って流れだったのだから、(>>128-134)
普通に読めば分かると思うけどね。
それから殲滅戦の定義は>>140の方が正しいだろうな。
世界史上での殲滅戦のお手本は>>132の言ってるカンナエとかスターリングラードとか硫黄島だ。
0143人間七七四年
2010/10/30(土) 16:41:23ID:Kg33wEEA『遠戦志向』の論に対して決着を付けるには接近戦が必要であり
その一例として鈴木眞哉が戦での価値を低くみている刀が出されただけ。
今までのスレの流れ見てりゃ「殲滅するならやっぱ刀使わないと」なんて主張はされてないと
分かると思うのだが。
「殲滅戦」の捉え方は色々だが一つはこれ
というか定義付けたのはプロイセンのこれ以外に有るんかね。
殲滅戦理論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B2%E6%BB%85%E6%88%A6%E7%90%86%E8%AB%96
これだと厳島の戦いや島津の九州平定なんかも入るんじゃないかな。
0144人間七七四年
2010/10/30(土) 17:06:24ID:C8eji9j80145人間七七四年
2010/10/30(土) 17:26:57ID:ml+r6xUB>>143のwikiにもある通り殲滅戦ってのは勝利が確定した後に敵戦力を徹底的に破壊すること
0146人間七七四年
2010/10/30(土) 17:33:50ID:Kg33wEEA>>137の言うような例、どっちかというと手段としての大量虐殺に限られた話じゃないのでは、と。
0147人間七七四年
2010/10/30(土) 21:38:15ID:/k1jELns>立花京子ちゃんすら朝廷黒幕説からイエズス会に転向してる
脳死でウィキの受け売り(爆笑)
>公武対立説を取る今谷明だって事件への朝廷の関与を否定
信長の晩年を老いて耄碌した秀吉と同一視している盆暗の愚見を脳死で盲信(爆笑)
0148人間七七四年
2010/10/30(土) 22:06:13ID:/k1jELns信長が個人スケジュールを一々配下の諸将に報告するかよ。馬鹿馬鹿しい。
なら安土に家康招いて饗応した時も、敵と対陣中の諸将にその旨を知らせたってか。
ありえねぇな、絶対。
>>105
信長の入洛は内裏での馬揃え以来一年と三ヶ月ぶり。
頻繁に本能寺入りなんてしていない。
備中行きを命じられた時点で遊軍扱いが終了。
これから畿内を離れる光秀に、信長が自身の入洛を知らせる合理性はゼロ。
>>125
そういう君は何論者?
脳死で批判されてもなぁ〜
0149人間七七四年
2010/10/30(土) 22:14:51ID:L1xOiHoH戦国時代に弓と鉄砲だけで陣地が奪えるわけがない。
空爆やってるだけじゃイラクを占領できないから、米軍も兵士を現地に送ったわけで、
矢を放ってるだけじゃ永遠に敵陣を占領できないから、結局は打ち物での浸透作戦は不可欠。
それは刀槍の発達からも明らかで、遠戦だの近戦だのと分けて考える方がおかしい。
0150人間七七四年
2010/10/30(土) 22:17:31ID:/k1jELns徳川が織田と戦をすれば被害は大きく、離反続出で悪影響は甚大、の間違いじゃね。
家康は信長から武田征伐の論功行賞で駿河一国加増されているのだから、その逆も可能ってこった。
ただ家康には本願寺落城後の佐久間信盛のように処分を受ける理由がなかっただけ。
なのに信長が家康を暗殺だなんて、小者の発想を押し付けんな。
そんな愚行を犯せば信長の名前に傷がつくし威光も威信も低下する。
そもそも信長に家康を暗殺する理由もなければ(その逆はあっても)、
織田諸将と同様、家康の生殺与奪の権を握っていたのだから、
暗殺なんて弱者の謀略を用いる必要性自体がない。
0151人間七七四年
2010/10/31(日) 06:45:12ID:y970gDKy0152人間七七四年
2010/11/03(水) 09:29:01ID:iy6eiSke信長が家康を暗殺する必要が無いのはそう思うのだけど、富士山見物とか家康が京に遊びにきたのはなんかタイミングがよすぎだとも思うのだよね。
京に向かった当日に変が起きた、とか。
もちろん歴史ってのはそういうたまたまで作られていくものなんだろうけど、最初に信長の家康暗殺説から入るとうまく話があってしまうなあ。
信長は家康に長男殺せと命令したし、それにも複雑な理由があるのはわかるけど、いつか家康が自分に反乱起こすかも、と
先に手をうとうとした、というのはこじつけすぎの結果論かな。
信長は戦で結構家康をこきつかってるし、「うらまれてるかもね〜」とかは考えてたりはしなかったのかね。
0153人間七七四年
2010/11/03(水) 10:31:21ID:RD9reaBuなんてことはしないわな、信忠生きてても織田家はダメだったろうし
0154人間七七四年
2010/11/03(水) 12:47:02ID:q4fLC2Zl信長の家康暗殺説にこだわる思考回路が意味不明だし理解不能。
家康の畿内遊覧は単なるオマケ。駿河一国を賜った謝意の安土訪問のな。
光秀が家康を狙ってたのなら、軍を京ではなく堺方面に向けるわな。
光秀が家康なんて眼中になかったのは子供でも分かる。
そもそも家康の領国は完全に織田の版図に包囲されてるのだから、反乱起こしたら単なる自殺行為。
信康事件で忍従自重した家康が、当時より更に力の差が開いた織田に対して、反乱起こすわけがないだろ。
家康が信長に背けないのは、信康事件で実験済み。
0155人間七七四年
2010/11/03(水) 14:51:43ID:iy6eiSkeごめん、わしの勘違いかもしれんが、光秀は別に家康を狙ってたんじゃなくて信長なんでしょ。
で、わしも家康がそう簡単に信長に反乱起こすとは思えないんだが、信長からみてどうだったか、ということね。
信長は家康の実力をかっていたし、将来の禍根、という意味で信長がどうだったかに少し関心があるんだ。
家康は確かにそう簡単に反乱起こすようなタマじゃないけど、信長から見て「とりあえず」というのはあったのかもな、ということで。
家康の遊覧もざっと12年ぶりぐらいだったかな、異例なことではあるよね。
もちろん戦続きだし上京するひまがなかったとも言えるけど、それだけ細心に危険を避けてた、という言い方もできるかもしれない。
ほんで、単なる遊覧にしては強力な家臣をかなり連れての結構な豪華な上京だったんじゃなかったかな。
これも、やっと武田がかたづいたから家臣にもサービスした、みたいな言い方はあるかもしれないが、そういうのはどうも家康らしくないとは感じる。
別にあの子孫のカタを持つわけじゃないが、せっかく反論するなら、史料がない、ですませるんじゃなくてきっちり状況の
矛盾とかをついてみたいからね。
ま最初は、信長が家康を暗殺する、という前提にどのくらいの必然というか矛盾というかそこからの判断にはなるんだろうけど。
ケイタイもない時代にどこで談合して、どうやって細かい日を知ったか、というのも重要な点だと思うけど、そういうとこにまでちゃんと触れてるのはなかなかのものだと思っただよね。
確かに直前にあの3人は密談とかできる機会は十分あったのだし。
にしても前日の茶会に吉田が欠席というのはなんか小説でもできすぎっぽいな。
0156人間七七四年
2010/11/03(水) 16:02:23ID:q4fLC2Zl敏い家康はそういう自分の置かれた状況変化を感じ取ってる筈だから、
暗殺の動機があるのは信長ではなくって家康の方だろ。
信長が家康を利用価値無しとして処分したいのなら、
本願寺落城後、佐久間信盛ら重臣達を一斉放逐したように、正々堂々その旨命令下せば済む話。
だが家康には処分されるに値する落ち度は皆無。
なら信長としては、国一つくらいやらにゃなんだろ。
暗殺とはそれ以外に政敵を倒せない弱者の窮余の策であり、
家康が考えるのは筋が通るが、実力が段違いに上の信長にそれを当てはめようとするのは愚かの一言。
0157人間七七四年
2010/11/03(水) 16:57:37ID:NNkjG2ws鈴木も藤本も、谷口の説を引いて
信康自刃は信長命令ではないと言ってるんだけどなあ。
0158人間七七四年
2010/11/03(水) 17:14:06ID:q4fLC2Zl0159人間七七四年
2010/11/03(水) 18:42:09ID:19tMjrcs0160人間七七四年
2010/11/03(水) 21:10:45ID:O6/kf7sv黒幕は徳川家康
信長は本能寺に家康をおびき出して、明智光秀の軍勢に家康を暗殺させようとした。
家康は暗殺されそうになっていることに気がついて、光秀を懐柔して信長を討たせた。
武田氏が滅亡したことにより、徳川の存在価値は低下し
信長は徳川領を自分のものにしようとし、家康暗殺計画を立てた。
0161人間七七四年
2010/11/03(水) 21:13:06ID:RD9reaBu妄想が酷いな
命令1つで他家当主のクビを飛ばすなんて、何をどう引っ繰り返しても不可能
秀吉も改易どころか勢力削減すら出来なかった、暗殺して脅威を除くならまだしも解る
0162人間七七四年
2010/11/03(水) 21:18:24ID:19tMjrcsいったいどう懐柔したんだ…
つーか自分の宿所に使ってる所に呼び出してって…
殺っちまうんならまだ信勝殺った時みたくするだろ
0163人間七七四年
2010/11/04(木) 09:24:32ID:n7W2Bhkvこのあたり実行は光秀で、彼のほうがせっぱつまっていたのは理解できるし、その理由も四国政策変更とかいろいろ検討はされてる。
家康黒幕、とはかなり違う感じがするなあ。
信長が家康暗殺、というのも、相手の脅威をよく理解して全面戦争にならないように、本人重臣をまとめてやろうとしたんでしょう。
しかも戦争になっても戦うのは光秀、筒井あたりで自軍に影響は無い。
こう考えてくるとやはり信長自身が家康をどう考えていたか、に話が戻るわけで、その時点、前後の状況をよく検討すべきとは思う。
小説的勘違いは、わしらは結果を知ってるからその後の家康が幕府開いたり超強大になるという前提で考えてしまうが、あの時点では家康は信長の、とりあえずは?、良き同盟相手だし20年ぐらいうまくやってきた案外認め合ってるぐらいの関係。
もちろん個々の感情はあるだろうが、一国の責任者としてお互いをどう思ってたかというと、結構良好だったのではないか、と思うぐらい。
だが、信長から見て安土も完成、統一が現実化してくると、武田、本願寺もいない、家康をどう判断してたか、は再検討がいるかな、とちと意見を聞いてみたかった。
信長入京の理由、無防備の理由、吉田欠席、ケイタイの無い時代にピンポイントのタイミング、とか、いかにも後からの辻褄あわせなんだが、これほどハマるのも小説としてもできすぎな気はするんだよな。
長くてごめん。
0164人間七七四年
2010/11/04(木) 10:42:46ID:6pwadYBxつーか自勢力下の上、わざわざ京都に大兵率いて行く必要ないだろ。大坂あたりで「お前らおせえよwww」とでもやってから行くつもりだったんだろ。
0165人間七七四年
2010/11/05(金) 00:48:14ID:y8b1ZCyU信康処分が信長の命令だったと仮定して、
もし家康がその命令を拒否して信長と戦う選択をしたなら、
徳川は信長と戦う前に内部崩壊して、家康は家臣団に見捨てられ身一つで放逐される。
勝てる見込みゼロの敗亡確実な戦に素直に応じるほど、徳川家臣団はアホじゃないからな。
信長の命令一つで、徳川家臣団は家康を見捨て信長の下に走る。
この結論は何をどう引っ繰り返しても不可能。
秀吉も改易云々に関しては、失笑の類。
愚劣すぎる見解に回答するのは馬鹿馬鹿しいが、サービスで。
家康の武力討伐に失敗して、土下座外交でやっとこさ客分待遇で臣従させた秀吉が、
家康を改易どころか勢力削減すら出来なかったのは当然だろ。
家康を顎でこき使ってきた信長とは月とスッポン。
両者を比べる君の頭のほうがどうかしている。
まして信長にとって家康は脅威でもなんでもない。
卑屈に信長に擦り寄るしか生き延びる術がない、単なる忠犬にすぎないのだからな。
そんな家康を信長が暗殺だなんて、そんなの人の上に立つ器のない小者ならではの愚考だ。
0166人間七七四年
2010/11/05(金) 00:53:22ID:5SMh4WD00167人間七七四年
2010/11/05(金) 01:00:49ID:y8b1ZCyU0169人間七七四年
2010/11/05(金) 22:17:45ID:5SMh4WD0肥溜めゲーを現実と勘違いしちゃいかんよ
0170人間七七四年
2010/11/05(金) 23:03:22ID:1QipIntVああいうシステムならそれだけ使ってりゃ楽だよな。
上手くやれば味方兵士一人も死ななくて済む時もあるし。
0171人間七七四年
2010/11/05(金) 23:10:41ID:MteqO1dW考えてみりゃコーエーゲーだと
弓鉄砲で相手部隊を全滅させても敵武将を捕えられないんだよな。
だから敵将をとらえるために、とどめはわざと槍足軽で直接攻撃させるのがデフォだ。
まさに鈴木の言う「首取りのための接戦」をゲーム化してたのかw
0172人間七七四年
2010/11/06(土) 00:14:48ID:wVG8nFbN0173人間七七四年
2010/12/01(水) 00:40:55ID:1DHSdwP2「打ち刀」としかいわれていないのである。というのは、
(冑をかむり、鎧を身につけている場合‥‥)
それを刀で切りつけたら鉄と鉄の激突ゆえ、はね返ってくるだけでなく、刀が折れ
飛ぶか曲がるのが第一の難点。
鎧の脇の下とか背と首筋のあきとか、狙える個所は限定されていて、その間隙を仕
止めねばならないが、そこは突く位の間隔しか空いてなく、とても斬って掛れはしな
いことが第二の難点。
第三の難点は、二メートルまたは三メートルの槍先で突くのであるなら、相手を中
心においてその円周の距離間隔で自由がきくから、自分が誤って近づかない限り、向
こうから害はうけずに済む。
処が刀の場合は鍔元から切先までは六十センチか七十センチゆえ、相手に刃を当て
ようとすると、どうしてもその三分の二に当たる二十センチまでの至近距離に近よら
ねばならぬ。つまり相手を円の中心とみると二十センチの円周内が、己れの行動半径
になる。
これでは斬るつもりが逆に斬られる危険性がでて、巧くいっても相い討ちの恐れが
どうしてもある。きわめて効果率が悪いのである。
だからテレビや映画では剣その他の持ち道具が揃わぬ関係から、みんなに刀をもた
せて恰好をつけているのも見かけるが、実際には戦場で刀は用いない。
大道寺友山の『武道初心集』でも、できるだけ刀で戦ってはならぬが、人目をひく
ように刀で武者働きがしたいのなら、すぐ折れて使い物にならなくなるものだから、
予備の差料を持参して供侍の若党にささせ、馬の口取り仲間にもおびさせ、生きた刀
掛けのように家来に何本も携行させねば、わが身が危いと注意書を残している。
つまり武士は雑兵以外は、槍を戦場の表道具としたものゆえ、「槍一筋の家柄」と
これからいわれ、古来、
「刀一筋の家柄」とか「刀二本の家門」などといわぬのも、この為なのである。なの
に、戦場において、さも刀を振ったように誤られているのは、何故かというと理由は
芝居からである。
現代では小道具屋の都合で槍が揃わず、ジュラルミンの刀を俳優はもたされ、やあ
やあやっている。が、昔はそうした理由ではなく舞台の横巾が五メートル位しかなか
ったゆえである。つまり、そこで登場人物に槍をもたせては、一人で横が一杯になっ
て、二人のからみがさせられない。
刀なら、雪月花の型でチャンチャン振り付けができ、見得もきれて絵になるからで
ある。つまり刀が一般化されたのは、舞台の狭さのせいでデフォルメされたのである。
八切止夫著「剣豪なのか塚原卜伝」より
0175人間七七四年
2010/12/01(水) 02:24:37ID:1DHSdwP2雑兵とよばれる連中は二本刀だった。が、この事実はさておき、雑兵でない将校クラ
スが刀をおびていたのは、
「者ども進めッ」と指揮刀代わりに用いていたのと、槍で突き倒した相手の首を切断
する際の包丁代わりと、後は戦闘には使わなかったとすれば、何用だったのかという
問題になる。
それに、室町御所の歴代の将軍家が卜伝から、
「一の太刀」の伝授をうけていたとすれば、非戦闘的なものを何故わざわざ習ったか
という事になる。
いわゆる武芸の習得ならば、槍術をこそ学ぶべきなのに変ではないかとなるからで
ある。
しかし考えてみれば、将軍家みずからが先頭になって、
「それ突いてこまそ」と敵陣へ掛ってゆくわけなどはない。
もっとそれより必要なことは、不意を襲われて槍で突かれる暗殺を防ぐことである。
だから『甲陽軍鑑』という本は、あまり内容的には信用できない俗書にすぎないけれ
ど、それに出てくる塚原卜伝の原型を、もし実在の者とみるなら、それは今でいう、
「護身術コンサルタント」ではあるまいか。
と想う。つまり何時何処から不意に曲者に突いてこられても、これを素早く打ち払
うコツを教えていたものだと考えられる。なにしろ一の太刀で払いのけなくては生命
に係るから、えらい人も習ったのだろう。
つまり塚原卜伝は攻撃型の指南番でなく、防禦型の師匠であって、剣豪というより、
防豪とよぶのが正しかったのではあるまいか。
剣とはそういうもので、またそうした用途のために片刃だったのである。
テレビや映画で、剣豪が刀身を鞘に納めながら、にっこりと、
「今のは峯打ちじゃ」つまり刃でない背の方で切ったのだから、生命には関係ない心
配するなと、見世場を作る場面がある。
だが刀とは、なにも峯打ち用に片刃になっていて和戦両用に巧くできているのでは
ない。
片方にしか刃がついていないのは安全剃刀とは違い、
「打ち払い斥ける」のだけが使用目的だったからこそ、つまり被占領民の原住系に差
別して持たされていたがゆえに、ああなっていたのであることを考えて頂きたいもの
である。
八切止夫著「剣豪なのか塚原卜伝」より
0176人間七七四年
2010/12/01(水) 07:52:01ID:sZO8+FuO0177人間七七四年
2010/12/03(金) 09:31:52ID:sP5gKE/W0178人間七七四年
2010/12/03(金) 10:53:35ID:bl1vczjzトンデモ論を創出。まさに鈴木の先輩だねい。
0179人間七七四年
2010/12/05(日) 13:59:27ID:rF0xT9ykまあ、八切止夫については余り同一視するのも如何なモノかと想いますんで
その辺りで話題は停めておくが一番ではないかと云わせてもらいますがね。
それから洋泉社からまたこういう書籍 http://www.yosensha.co.jp/book/b75914.html が出てるんで
紹介させてもらいますよ。取りあえず鈴木先生が協力してる箇所と鈴木説の影響が見られる点については
相変わらずなので一つ宜しく。それ以外は大体良質だと想うのですが……
>>135>>149
そのあたりは矢弾の効果が戦局に与える影響が結構大きいから……じゃないのかな、と。
矢弾と礫の射ち合いで戦力は何パーセント程度削れてたんだろう?
あと上で紹介させてもらった書籍でも記されてるみたいに、日本弓矢の性能は相当な物だったって点については
どうなんですかね? 弓執る道は伊達では無いですから。
0180人間七七四年
2010/12/05(日) 23:45:43ID:GjhQjIfg最終的には白兵突撃しないとケリがつかない。
白兵突撃する際、敵が遮蔽物の後ろに籠っていると応射できないから、こちらの白兵突撃は容易になる。
だから白兵突撃の援護のため、敵に遮蔽物の後ろに隠れさせたり、伏せさせたりするために射撃したりする。
近現代の戦いでもこの状況は同じ。戦争映画を見てても「援護しろ!」と言って、誰かに猛射させて、
その間に突進するパターンは多いでしょ。
0181人間七七四年
2010/12/06(月) 10:13:52ID:qaO9ZUEMどうなんですかね? 弓執る道は伊達では無いですから。
弓足軽が引く弓もそういう強弓なんですかね?
0182人間七七四年
2010/12/06(月) 17:07:15ID:mqI0hG6G0183人間七七四年
2010/12/06(月) 17:20:22ID:nSK8gHWRhttp://www.yosensha.co.jp/book/b75914.html
0186人間七七四年
2010/12/06(月) 20:30:59ID:lzo8QWy2武士は足軽よりも強い弓を引いていたらしいw
0187人間七七四年
2010/12/06(月) 22:14:16ID:qaO9ZUEM別の覚悟があるって『雑兵物語』の「持弓 矢左衛門」「持弓 矢右衛門」には
書かれているね。鉄砲だけど「持筒 鉄平」には自分が担いでいる持筒は
大きすぎて腰にひっぱさむことができない、とある。武士の場合、扱う者の力量によって
道具の変動があるのは当然のことだね。
>>186
数槍や御貸刀は個人の力量がどうであろうが画一的なものを与えられるわけだけど
弓に関しては違うのかな?平均的な力量の者を基準とした弓なら「弓執る道は伊達では無い」
といえるような強弓にはなりようがないと思うんだが、あなたの考えは違うみたいだね。
0188遠戦志向という誤解?については
2010/12/07(火) 23:15:33ID:V/OTZV/U「主力戦闘の後の、そんなに重要じゃない敗戦処理」と見るか、
「戦いのケリを付ける為の重要な部分」と見るかで分かれてきそうな気がするんですが……
0189人間七七四年
2010/12/07(火) 23:23:21ID:8M3c1acD0190人間七七四年
2010/12/07(火) 23:38:00ID:oAbrbSM+0191人間七七四年
2010/12/08(水) 00:00:36ID:CU6QeldCまぁ、それはそうなんだけどさ。ただ順番や割合や性質の違いと重要性の関係について、チョット気に掛かったんで。
ついでに弓兵への有効な対抗策は、矢が消耗するまで凌ぎ切る……以外には何かあるんですかね?
0195人間七七四年
2010/12/08(水) 12:41:27ID:xuBQHFMm基本的には「信長の戦争軍事学」で言っている事の劣化コピーで、論敵をネチネチと叩いてる部分が多く、読んでいてげんなりとなる。
一番気になったのが騎馬隊の存在に関して桐野作人を批判している部分。
藤本が批判している桐野の記事を読めば解るが、実は藤本が叩いてる部分の出典は藤本の過去の著作なんだよな。
つまり藤本は遠まわしに過去の自著を否定している事になる。
むろん「自分は間違っていた」と認めその根拠を説明した上なら問題はないが、藤本はそんな事は一言も書いてない。
少なくともこの本だけを読めば桐野が藤本の本を根拠にしている事は全く解らないようになっている。
はっきり言ってそれは卑怯だし知的誠実に欠けるだろう。
知らなかった一次史料の紹介がいくつかあったので金のムダ、とはいわないが既に「信長の戦争軍事学」を持っているなら定価で買う必要はないだろう。
0197人間七七四年
2010/12/08(水) 20:01:29ID:CU6QeldC単に藤本先生がそのへんに気付いてなかっただけじゃないの?
例えばその部分の大本は、藤本先生以前の過去の誰かの資料からの出典だった、とか。
桐野先生が「私は藤本先生の学説を参考にしてます」と明記してたんなら別の話だけどさ。
>>192,196
そうは言うけどそんな簡単に出来るモノかね?
0198人間七七四年
2010/12/08(水) 20:27:41ID:ICnOeuni0199人間七七四年
2010/12/09(木) 07:07:08ID:yIRQ71ahどこが基になっているかを別としても、過去に自分が主張又は賛同していたことに気付かないのは論外だと思う。
0200人間七七四年
2010/12/09(木) 08:06:48ID:LtgBkf+u最新兵器鉄砲に目をつけたご先祖様かっこいいになるのは当然だ。
あれっ?君達まだ日本刀とか振り回して首狩族ゴッコしてんの?って感じ。
実際雑賀一族チョーツエーし。
0202人間七七四年
2010/12/10(金) 22:09:08ID:7diIy15h>単に藤本先生がそのへんに気付いてなかっただけじゃないの?
>例えばその部分の大本は、藤本先生以前の過去の誰かの資料からの出典だった、とか。
藤本が批判していると思われる、歴史群像の「検証・武田騎馬軍団不在説」にははっきりと「藤本正行氏は甲陽軍鑑の右の箇所を引きながら、次の様に指摘している」と書かれている。
それと直接的ではないが、同記事の中で桐野が引用している家康の
「先刻申し含め候場所の事、様子見積もらしめ、
柵等能々念を入れらるべく候事、肝要に候。
馬一筋入れ来るべく候」
という書状も藤本は「信長の戦国軍事学」で肯定的に紹介しているのに、長篠本ではそれについての釈明が一切無いまま「同じ場所にいる人間に書状を送るのはおかしい」「偽文書の可能性がある」と否定的になっている。
それ以外にも「馬鎧は高価なのでそれを着せた馬を戦闘に投入する筈が無い」とか頓珍漢な事を言ったり、使い古されたフロイスの「日本人は馬に乗って戦わない」証言を使ったりと残念な場所が多い。
0203人間七七四年
2010/12/10(金) 22:46:44ID:oOVevFpPまして核弾頭を搭載した大陸間誘導弾には巨額の資金が投入されている
この事から類推するに核兵器は無防備な相手国に対しても使用される筈が無いのである。
0204人間七七四年
2010/12/11(土) 05:42:20ID:a4OQDA/I信長と同盟していた頃の徳川家では、馬鎧の製造を命じる記録が複数残っているね。
300領を信長に献上もしている。
天正四年に、上洛中の島津家久が信長の軍勢を目撃したとき、馬廻衆百騎は馬鎧を着けていたが、
これは家康から献上されたものかもしれないな。
0205人間七七四年
2010/12/11(土) 12:08:38ID:RNXUIDTYその家久と信長とはどんな関係だったわけ?
0207人間七七四年
2010/12/13(月) 19:54:08ID:m5xzoVd+0208人間七七四年
2010/12/13(月) 20:48:44ID:VU3O09tp0209人間七七四年
2010/12/13(月) 20:55:18ID:nZg3Tts90210人間七七四年
2010/12/13(月) 23:07:46ID:yszz/7uq0211人間七七四年
2010/12/13(月) 23:11:12ID:nZg3Tts9一年中航海できるわけではない。冬場は海が荒れるし。
一番順調に行って2年掛かります。
0212人間七七四年
2010/12/14(火) 01:16:31ID:IHNZMrVIポルトガルの航海術しょぼいな
0213人間七七四年
2010/12/14(火) 09:38:27ID:+aQdI7TK0214人間七七四年
2010/12/14(火) 17:58:53ID:IHNZMrVI中印ペルシャの商人がペルシャ湾岸〜シナまで4,5ヶ月、2年は掛かり過ぎじゃないの
0215人間七七四年
2010/12/15(水) 21:11:54ID:GT/wLPmD0216人間七七四年
2010/12/15(水) 22:25:29ID:kwoUFsph0218人間七七四年
2010/12/15(水) 23:14:29ID:wjQjdebX0220人間七七四年
2010/12/16(木) 00:23:54ID:daDp5JtOスエズ運河の1000年以上前に
イスラム帝国が築いてるよ、地中海から紅海へ抜ける運河
>>219
紀元前6世紀のフェニキア人でも海図も地図も全く無い状態で
シリア〜スエズが2年半、その後は普通に大西洋側にも交易してたよ
0221人間七七四年
2010/12/16(木) 00:31:58ID:kI1HvSS10222人間七七四年
2010/12/16(木) 01:30:52ID:uz+qVd500223人間七七四年
2010/12/16(木) 01:46:15ID:daDp5JtO具体的に言うと速度
シナ・アラビア商人は紅海〜シナを往復して18ヶ月
モザンビーク〜インドが2,3ヶ月、ペルシャ湾岸〜シナまで4,5ヶ月
ポルトガル船はスピードが足りない
0225人間七七四年
2010/12/16(木) 09:52:49ID:xl0fXxK5同じことをオウムみたいに繰り返してるだけじゃん、この人
まあ、帆船というのはでかければでかいほど航海の時期が限られるものらしいからな。
むしろカヌーや筏に毛が生えたような船の方が転覆しにくいとさ。
蒸気船がいかに革命的だったかわかるよ。
と、書くと初期の蒸気船より帆船の方が速いとか、ズレた反論して来そうだ。
0226人間七七四年
2010/12/16(木) 12:45:38ID:WYsCP2fe積載量高くて頑丈だけど遅そうだな
0227人間七七四年
2010/12/16(木) 15:29:56ID:/fu1PLicまず、カヌーや筏じゃインド洋を航海出来ない。当然沈む
次に、ポルトガル船は喫水が深くずんぐりむっくりしてたせいで
東南アジアの海を満足に航行出来ない上に速度も遅く
積載量もジャンクに比べると半分にも遠く及ばない程度
隣国の当時西欧最先進国のスペイン船ですら
地中海の戦闘でオスマン船に速度、操作性、安定性、積載量とも劣っていた
0228人間七七四年
2010/12/16(木) 21:40:38ID:MDsdeqc4同クラスでの積載量は上甲板を持たずに積み荷をてんこ盛りできるジャンク船が多くなるのは
自明だし。日本の弁財船も同様の理屈で終いまで上甲板を持たなかったしな。
オスマン船ってガレー船のことを言ってるのかね?
0229人間七七四年
2010/12/16(木) 21:42:31ID:MDsdeqc4大事なことなので・・・ じゃなく単なる推敲ミスw
0230人間七七四年
2010/12/16(木) 21:54:31ID:daDp5JtOナウは東南アジアの海を航行出来ないから
インド南部でジャンクに乗り継いで交易してた事実も当然知ってる。
ドリア自ら「バルバロッサの船隊には同数では対抗出来ない」と言い
バルバロッサが撤退したときも「こちらの船は追い着けない」と追撃を拒んでいる
0233人間七七四年
2010/12/17(金) 16:13:43ID:3x9VRp56ジャンクの半分にも及ばないってどこから出た話だ?
0234人間七七四年
2010/12/17(金) 16:47:29ID:DbRgD134大型ガレオンの積載量は400d程度、大型ジャンクは積載量600d程度
最も大型な種類のジャンクは積載量2000d程度で
スペインの最大級ガレオンと比べ倍近い積載量、しかも速度も上
そっちのデタラメ情報こそどこから出た話だよ
0235人間七七四年
2010/12/17(金) 17:23:08ID:3x9VRp56>In the 16th century, they averaged from 1,700 to 2,000 tons
http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_ship_Sant%C3%ADsima_Trinidad_%281751%29
>Tons burthen: 4,409 tons (2,000 tonnes)
http://guampedia.com/galleon-concepcion/
>The Concepcio'n was the largest ship of her day with a displacement of 2,000 tons
0236人間七七四年
2010/12/17(金) 17:40:03ID:DbRgD134それ上と下が排水量、真ん中が船体重量な、しかも中の船は18世紀の建造
0237人間七七四年
2010/12/18(土) 22:05:52ID:BTJzkbNZ資料とかのあら捜しばっかせずに、歴史学者たるもの正確な史実がどういったものだったかを研究すべき
真実を突き止めるより消極的な物の見方した方が無難だと言う気持ちも分かるが卑怯だな
0238人間七七四年
2010/12/18(土) 22:53:22ID:YxGXjonk>>237
そのほうが売れるから。そのほうが目立つから。
そんな理由だろうな。
0239人間七七四年
2010/12/18(土) 23:46:31ID:7R8UV6tP0240人間七七四年
2010/12/19(日) 00:04:08ID:/FMimoxJやっぱ本物は小和田しかいないか...
0241人間七七四年
2010/12/19(日) 00:04:31ID:wkVRU89L0243人間七七四年
2010/12/19(日) 17:04:14ID:yYlIRbL1小和田の名を聞けば武功を思い出す。
0244人間七七四年
2010/12/19(日) 22:13:37ID:L2mcdzy+「長篠の戦い・鉄砲3千挺3段撃ち」を言っていた。
藤本が新書で「長篠の戦い」を出したくなる気持ちがよくわかる。
0245人間七七四年
2010/12/20(月) 08:07:43ID:JBnv/4NU0246人間七七四年
2010/12/20(月) 21:10:34ID:kns4Pmssだって現実が余りにもアレ過ぎるから仕様が無いだろうによ……なんで誰も否定的な意見を言おうとしないんだろうw
0248246
2010/12/20(月) 23:32:00ID:kns4Pmssそうは言うけど、発言の内容自体が妙に引っ掛かったのでね。結局、否定的で消極的な見方については如何扱えばいいのだろうか?
0249人間七七四年
2010/12/21(火) 10:52:44ID:Dwtl1Am80250日本での騎馬兵に対する扱いに対する鈴木先生の誤解? については
2010/12/25(土) 09:11:17ID:rGy7sA4yああいう大規模で組織的なモノと比較すると確かに、日本流軍馬用法への評価が低くなってしまうのは
仕様の無い事かもしれないので……
>>249
なんでまたそういう言い方をするんだよw
0251人間七七四年
2010/12/25(土) 17:24:41ID:4I2iGlh8そりゃモンゴルやイラン系、トルコ系、満州系と比べたら異なるけど
0252人間七七四年
2010/12/25(土) 19:06:27ID:rGy7sA4y其の辺はなんで差が付いたのかね? やっぱり広大な平原が在るのが大きい要因だったのか??
0253人間七七四年
2010/12/25(土) 20:49:51ID:7Vl1WpYu>>251の一行目の国々と二行目の国々は、軍の主兵が歩兵か又は騎兵かでまず分かれている。
どっちに重点が置かれていたか?の話。
0255吉崎俊雄 ◆FCa.QMH14U
2010/12/25(土) 22:04:21ID:RJS8CJSL痛い奴が多いから
0257人間七七四年
2010/12/26(日) 02:06:56ID:CHA2C4mpちょい読んでみたいんだけど。
0258人間七七四年
2010/12/27(月) 00:59:28ID:CU/Oo9Wo信長は謀略で殺されたのか
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f3734356%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f11574204%2f
0259人間七七四年
2010/12/27(月) 02:00:17ID:yMnPRBtGマケドニア 金床とハンマー戦法。金床の長槍歩兵で敵を受け止め、背後側面からハンマーたる騎兵でサンドイッチにする。ポニー。
ローマ 歩兵主体。エクィテスという騎士階級で構成され、武器持ちの非戦闘員が従う。ポニー。
スペイン 長槍と火縄銃で方陣を組んだ移動要塞テルシオ。騎兵はテルシオの隙間をカバーする役目。
モンゴル ほぼ騎兵。6割が弓騎兵で、4割が槍騎兵。
旗信号による迅速な機動、偽装退却し敵が追撃に疲れグダグダになると、槍騎兵が反転突撃し粉砕する。
イラン カタフラクトという人馬全身甲冑の装甲騎兵はローマの脅威となり、騎士の原型となった。
トルコ 軽弓騎兵と装甲騎兵の組み合わせ。偽装退却を主とする集団機動。
満州 装甲騎兵「甲騎・鉄騎」による万単位の集団突撃。軽弓騎兵がサポート。
0260人間七七四年
2010/12/27(月) 07:18:17ID:Pnxiy7/L0261人間七七四年
2010/12/27(月) 09:20:54ID:90nieB2m0262人間七七四年
2010/12/27(月) 10:07:38ID:Pnxiy7/Lへ〜そうなの?
藤本は自信満々で新しく新書まで出してたような気がするけど、表立った反論は
橋場ぐらいしか見ないような。
0263人間七七四年
2010/12/27(月) 19:08:42ID:90nieB2m0264人間七七四年
2010/12/27(月) 19:39:20ID:Pnxiy7/Lほ〜、公記をそのまま分析した、みたいに言われてるけど、解釈が恣意的に
なってるということか。
よそのスレでは藤本信者みたいなのがウジャウジャいるんだけどな。
0265人間七七四年
2010/12/28(火) 02:37:43ID:QzshVtewそもそも歴史研究じゃ間違った説を出すのはあたりまえ。
それを批判して新たな歴史認識に進展させるのが学問でしょ。
人格否定しても仕方ないとおもうぜ。
0266人間七七四年
2010/12/28(火) 04:39:17ID:uvv6KSsQ藤本の正面攻撃説は根拠無しの推論だから叩かれて然るべき
20年、30年前の歴史似非学じゃないんだから
0267人間七七四年
2010/12/28(火) 05:09:48ID:gbM3DcBI藤本の正面攻撃を叩いてる研究者ってそんなにいるか?
トンデモ扱いされてるとは知らなかったな。
0268人間七七四年
2010/12/28(火) 07:13:03ID:uvv6KSsQ新事実でも出て来ない限り、まともな研究者は何とも言えないし言わない
藤本説は小説みたいなもの
0269人間七七四年
2010/12/28(火) 08:16:49ID:Bui9pXoR批判しつつそれに依存している方が問題かと
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/5/51/Sekigaharahonsen%28sekigaharahoumen%29.jpg
0270人間七七四年
2010/12/28(火) 19:38:10ID:P84tMNpT羹に懲りて膾を吹いてみるとマトモなことを言ってると賞賛される。
まだそんなレベルだろ。
0271人間七七四年
2010/12/28(火) 20:33:10ID:64W3/HDq今だとそういう名前のゲームオタク部ならありそうだが。
0272人間七七四年
2010/12/28(火) 20:43:27ID:7j8I5gkuむしろ一部の軍人研究家とそれに近い立場の民間人研究者に限定されていた状況から
裾野が広がったのが戦後のこと。
タブーだったら大江志乃夫の『日露戦争の軍事史的研究』や一連の著作は世に出てない。
0273人間七七四年
2010/12/28(火) 20:50:58ID:7j8I5gku社会史、技術史等他の歴史分野との関係が密接な研究史学としての軍事史と
応用側面の強い軍事学や戦略といった実用としての「学問」(それこそ士官学校や軍大学で教える類の)とは
立場と意味合いがちょっと違ってくる。
0276人間七七四年
2010/12/29(水) 12:48:08ID:jBJckU6Q0279人間七七四年
2010/12/31(金) 12:21:09ID:ZO4tDSxZ0280人間七七四年
2011/01/02(日) 08:31:39ID:/yTA/rfv上記の新書を読んでみました。
小和田先生に対して批判?がすごいです。
藤本正行氏以外でここまで小和田氏の書籍を取り上げているのは珍しいと思います。
0282人間七七四年
2011/02/02(水) 20:32:18ID:C9ZTxh8y0283人間七七四年
2011/02/03(木) 08:07:41ID:thBP7MD6誰かが書いているように、ほかの論者や物書きを罵倒したり愚弄するかのような物言いが
読んでいて正直、不快なんだよね。
あれって、自分たちが歴史学の専門課程を経て研究者になったプロパーではない
ということからくるコンプレックスのからくるものだと思うのだけれど。
問題は、ためにする罵倒を、しかも同じような論拠、論証、罵倒、揶揄、愚弄として
リピートする姿勢と、そんな本を何冊も出す出版社(洋泉社じゃ!)の不見識ではないだろうか。
それと、特に藤本さんだけど、『信長公記』をあまりに持ち上げるのもどうかね。
ありゃ、要するに伝記史料、編纂史料だろう。古文書ではないわけだから、
基本史料にはなりえないだろうに。そもそも、脚色や誇張、時の政権に対する
阿諛追従が否めないのは自明のことなのだから。
0285人間七七四年
2011/02/03(木) 17:20:25ID:ShfJquBZ第一章 『武功夜話』を偽書といって悪いんですか?
第二章 司馬遼太郎先生、お言葉ですが…
第三章 やっぱり<武田騎馬隊>はいませんよ!
第四章 信長が「鉄船」を造ったと気楽に主張される方々へ
第五章 「鉄砲は、やっぱり信長よね」と口癖のように言う方へ
第六章 本能寺の変にどうしても「黒幕」を登場させたい方へ
第七章 信長・秀吉の成功は「兵農分離」のお陰ですか?
0287人間七七四年
2011/02/03(木) 19:03:17ID:lrkW644i第九章 信長の支配と統治が先進的だという誤謬を信じる人、多いです
0288人間七七四年
2011/02/03(木) 19:22:28ID:FS/A9y+S0289人間七七四年
2011/02/03(木) 20:25:07ID:ShfJquBZ0290人間七七四年
2011/02/03(木) 20:25:52ID:ShfJquBZ武田騎馬隊、鉄砲三段撃ち、「武功夜話」を信じる方々へ!
旧説・奇説にしがみつく人々への最後通牒!!
◎世の中の常識
今や戦国ブームの真っ只中。無名だった武将も人気を博し、
謎だった事件の解明のためにさまざまな説が登場して百家争鳴の態をなしている。
◎本書の核心
在野の研究者を差別する人たち、歴史研究と文学作品の違いが分からない人たち、
自説に拘泥して論争・議論から逃げ回る人たち。
通説を信じる方々の裏事情は、理不尽を通り越して絶望的な状態。
0291人間七七四年
2011/02/03(木) 20:25:53ID:qJ2Ck5810292人間七七四年
2011/02/03(木) 21:29:03ID:8wL+AYmR0293人間七七四年
2011/02/03(木) 21:40:28ID:7p0rLT1g西洋の多段撃ちをどうやって否定してるんですか?
0295人間七七四年
2011/02/03(木) 23:13:49ID:lrkW644iっていう報告あるし
0296人間七七四年
2011/02/04(金) 06:03:26ID:XTvnWeA6思いつかないほうがありえないだろ
日本でも1977年の根来攻めで、雑賀衆が多段撃ちで織田をボコってる
25人×2列の鉄砲横隊と弓隊というユニットを幾つも並べる戦法
0297人間七七四年
2011/02/04(金) 13:09:50ID:XHAoFNDT昭和になってもニホンオオカミが生き残っていたと言われるのも納得だ
0298人間七七四年
2011/02/04(金) 21:08:08ID:lGb38V4S0299人間七七四年
2011/02/04(金) 22:15:31ID:wh/GjAOa・・・ってえのもあったなw
0300人間七七四年
2011/02/04(金) 23:53:33ID:HPsaP5Mj0301人間七七四年
2011/02/05(土) 01:45:50ID:zqpugc1i> 藤本さんも鈴木さんも、言っている説はかなりの程度妥当だと思うのだけれど、
というが、
>それと、特に藤本さんだけど、『信長公記』をあまりに持ち上げるのもどうかね
この時点で、おかしいと気づかないといけないよ。
なぜなら「信長公記」ほど、
彼等の桶狭間に関する説に対して、都合の悪い本はないからだ。
通説と違い「信長公記」の今川の軍勢は、約四万五千。
この数値が、いかに彼等にとって都合が悪いか。
1.通説の二万五千ですら、正面攻撃説の非合理性が問題にされてたのに、
その点が、ますます厳しくなる。
2.信長上洛の三万八千よりも多い軍勢を出陣させたのに、
国境紛争であると果たしていえるのか?
二つの問題が、浮かんでくる。
0302人間七七四年
2011/02/05(土) 02:27:31ID:zqpugc1i同じことについて、今度は長篠の戦いにおける、『甲陽軍鑑』を題にしよう。
両氏は、騎馬隊否定に「甲陽軍鑑」の記述を挙げるが、例の品第十四の記述をみると、
否定しているのは、
<「長篠の戦い」での、さらに「武田」における騎馬攻撃であり、騎乗攻撃そのものではない>
ことがわかる。
「長篠合戦場、馬十騎とならべて乗るところにてなし。」
「三方が原あしがかりなれども、これにさへ馬を入れず候。」
上の「甲陽軍鑑」の記述は、武田の馬入りを否定したが、「騎馬武者を並べての乗り入れ」という戦法を
むしろ裏付けているとさえ言える。
似たような話として、鈴木氏が切って捨てた、
三方が原における「鶴翼の陣」「魚鱗の陣」が、
氏がたびたび引用する、「三河物語」からでた話だということを、
指摘して話を終えます。
0303人間七七四年
2011/02/05(土) 16:09:36ID:Cde0S0yIアカデミックに所属してる人から見てどうなの?
この時代はなんか民間の方がいろいろ活発には思うのだけどな。
もちろんガチガチの史料主義からみると全部妄想扱いされるんだろうけど。
0304人間七七四年
2011/02/05(土) 19:50:13ID:9O5rb1TO0305人間七七四年
2011/02/05(土) 22:33:46ID:tU7WNKDM・・・ここまでひどくは無いかもしれないが、こんな感じのことを大声で叫んでいる人間は、良い人間関係を築いているようには思えない。
学会とかなんとか言っても人の集まりなんだしw
0306人間七七四年
2011/02/06(日) 01:12:25ID:Ps0UJcHH藤本は実は歴史学界の人間でもあるので、学界的には単に
一般向けの概説を書くときに参照する本が新しくなっただけ
桶狭間の正面攻撃やら一夜城はなかったみたいな話は
歴史学的には瑣末な問題なので、史料を検討してそう
言ってるんならそっちに従いましょうって感じ
0307人間七七四年
2011/02/06(日) 09:42:12ID:VsjAJd6uなるほどねぇ。
学会と言うのはそういう些細なことを調べるのが仕事と
思ってたがな〜。
鈴木と組んでるあたりも不思議でかえってエンタメっぽく
思われそうに思うんだが。
ちなみにウンタラ学会というのは何か目新しいこと言っても必ず
無視とかさげすみとかそういう態度から始まると聞いたが
そういうもんなのか。
最初に藤本が正面攻撃説持ち出した時はどうだったんだろうな。
0309人間七七四年
2011/02/06(日) 10:10:56ID:BTp3WXkA0311人間七七四年
2011/02/06(日) 11:04:35ID:m6e2aTrm刀や甲冑は古美術品という観点
城郭は建築学、歴史学、考古学という観点
だから武器としての使い勝手とかの考察は殆どなされていない
城郭も建築学的観点と歴史学観点と考古学的観点が乖離しているし
だからこそ未だに「日本戦史」が引用され続けたり、鈴木氏等の極論を
軍事史にはド素人の歴史学者は無批判に取り入れてしまうわけだ
軍事史に関しての歴史学者のレベルはドイツマンセーの軍オタ以下と断言して良い
0312人間七七四年
2011/02/06(日) 11:22:36ID:BTp3WXkA「日本戦史」までだからな、
研究としてはともかく権威としてはこれからもずっと最高位だろう
0313人間七七四年
2011/02/06(日) 11:42:50ID:m6e2aTrmそれじゃ駄目だと思うんだけどね
最近はネタも尽きたのか、そっち方面に手を伸ばす笠谷氏なんかの歴史学者もいるが、
レベルが低すぎて泣ける(例えば、関ヶ原合戦の家康本隊を家臣の石高のみで評価するとか)
0314人間七七四年
2011/02/06(日) 13:20:30ID:OtJjYcVrん、例えば中野等の『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』は全体としては良著なんだが、
実際の戦闘などの軍事的な部分はほとんど日本戦史の引き写しだしな。
0315人間七七四年
2011/02/06(日) 14:48:09ID:BTp3WXkA読んだが軍制・編成については大番などの組織に触れられることも無く
あまりに中途半端だった。たしかに軍オタの方がましな事言いそうだ。
0316人間七七四年
2011/02/06(日) 15:06:21ID:VsjAJd6u歴史にしてもきわめて限定的な分野で
しかも他分野には聞かず言わずなんてやっててはそれこそ
木を見て森を見ずって風になるわけか。
そして民間人に批判?されると、素人だまれ、ってか。
そういう教授の元で学ぶとどういう風になるんだ。
2ちゃんにはそういうのいっぱいいそうだが。
0317人間七七四年
2011/02/06(日) 17:41:50ID:u9pM8xc3例えば、明代には代々官僚を輩出していたけど清代には仕官を止めた○○省××の豪族・△氏についての研究、とかな。
ある意味すごいんだけどね。
もうどうしろとw
0318人間七七四年
2011/02/06(日) 19:04:23ID:VsjAJd6uおもろいのはレキジョさんたちもそうなこと。
聞いたこともないような名前だして「一番猛将は00」「智将はxx」とか
こまけぇこまけぇ。
0319人間七七四年
2011/02/06(日) 19:10:35ID:Ps0UJcHHいや、藤本に依拠する学者がいるのは、単に彼の著作以後
別の説で上書きされていないからに過ぎない
藤本がそうしたように、別の説を実証した研究が出れば同様に
上書きされる
そもそも藤本の議論は先行研究の瑣末な部分を再検証する
スタイルが多いので、部分的に取り入れてるだけのことも多い
また、藤本が否定している事柄を著作に書かない研究者がいても
藤本説に従っているとは限らない。例えば一夜城に触れていない
からといってその研究者が藤本説を認めていることにはならない
(ちょっと今すぐ確認はできないが一夜城に触れない研究者は
藤本以前からいたはずなので)
>>317
日本史だって戦国時代に軍役負ってたが江戸時代に庄屋になった
○○国××の土豪△氏についての研究とか発表されてるんだから
似たようなもんだろ
もっとも、これは兵農分離による身分制の展開の事例研究だから
読み方次第で軍制史的に有益な情報を引き出すこともできる
0320人間七七四年
2011/02/06(日) 19:23:23ID:VsjAJd6uふむふむ、瑣末というのがミソだな。
正面攻撃とか騎馬隊とか、定説を根本的に覆した、という
ように言ってるけど、そういうの自体が瑣末ってことだっけ。
藤本はこれを聞いたらどう思うかね。
正面攻撃説への反論はこないだの新書で再反論してたなあ。
橋場へはページさいてたけどもう一人の方は1pぐらいだったか。
後者のほうが本格的な反論だと思ったから意外だったな。
小和田にはマジがらみするからそこは結構好きだぞ、藤本。
0321人間七七四年
2011/02/06(日) 21:56:32ID:u9pM8xc30322人間七七四年
2011/02/06(日) 22:08:34ID:m6e2aTrm必要とする知識が多すぎるので、広い分野をカバーすることが必要
つまり専門化とは逆の方向性を必要とする
0323人間七七四年
2011/02/06(日) 23:10:55ID:N2w/hkWp藤本説よりは学者じゃない橋場説の方がよっぽど自然で説得力あるし
0324人間七七四年
2011/02/06(日) 23:15:12ID:BTp3WXkA本来はどうでもいい話というわけではないんだがな
歴史学はしらんが古典とか、日本人、中国人、オーストラリア人のいい年した教授が
取っ組み合いの口論しながらひとつの漢字のその時代の読みかたを
議論しているのを見たことがあるが、
どうでもいい些細なことを真剣に研究するのがある意味学問
単純に日本には戦史を研究している学者が居ないわけで
正面攻撃論は物好きがせっかく調べたので採用しましょうかという感じ
0325人間七七四年
2011/02/07(月) 10:30:46ID:0fapmq97藤本の言う、公記すら十分に研究されてなかった
というのはそういう戦史部分が軽視されてたわけってことか。
関が原なんかゲームっぽくいろいろ創ってるオタクが多いけど
そういうやつらの方がかえって詳しいと言うか知識はあるわけね。
戦史を軽視するのはやはりある種のタブーにひっかかるんだろうなぁ。
大学に軍事史学部はないとかいうけど、防衛大学にはあるのかな?
少なくともあそこは歴史の1分野にしろ勉強しておくべきとは思うが。
橋場よりも江畑のほうが細かくて面白かったけどね。
後からのほうがそりゃそうなんだろうが。
0326人間七七四年
2011/02/07(月) 11:25:39ID:A3NYSH6Qhttp://www.nda.ac.jp/cc/df/gaiyou.htm
この通り、残念ながら防衛大学校でも近代以前の日本戦史には触れておりません
結論を述べますとお高く止まっている連中の中に、近代以前の日本戦史に詳しい奴は
「 一 人 も い な い 」
という事なのです、笑っちゃいますね。
そして情けないですね。所詮これがこの国の文化レベルです。
ぶっちゃけこの分野ではアフリカの最底辺国以下と言ってもよいでしょう。
0327人間七七四年
2011/02/07(月) 11:42:54ID:9kxq6jLG「戦は侍(軍人)がするもの」って概念が根強いからだろうね。
明治維新までは民百姓にとって戦争は基本、他人事。
戦争に当事者扱いされたのはB-29の空襲ぐらいか?、
欧州みたいに軍役を負える奴が参政権持ってる「市民」って感覚はない。
0328人間七七四年
2011/02/07(月) 12:32:13ID:QhSDYeRjこれまで充分に検討されてこなかった」とか書いてあるから
実は世界中どこの歴史学界でも事情はそれほど変わらない
0330人間七七四年
2011/02/07(月) 17:24:12ID:9M4CMt92反論とかのウラ話みたいで立ち読みだがかなり面白かった。
ここでは藤本批判が多いが、そんなこと言ったら小和田、藤田あたりはどうなるんだ
ってとこだな。
吉乃画像なんてのもあるとは知らなんだわ。
0331人間七七四年
2011/02/07(月) 17:32:14ID:av3q+ZDD現代欧州には軍役を負える奴が参政権持ってる「市民」って感覚は全くない
ゲルマン人はマケドニア人やローマ人とは違う
近代国家の事を指してるなら大日本帝国も徴兵制だし
0332人間七七四年
2011/02/07(月) 23:23:52ID:kNeOyH7B移民が市民権得るためには兵役義務・徴兵台帳への登録義務が必要みたいだし。
0333人間七七四年
2011/02/07(月) 23:36:03ID:9PWVq7v7今の日本がまさにそれ
0334人間七七四年
2011/02/08(火) 09:28:06ID:FqKyhb4Bで、話戻さないか。
0335人間七七四年
2011/02/08(火) 18:11:41ID:JwYCxRm5その本読んだが、藤田ってバカじゃないか?
反論があるなら一般書執筆より前に学術誌に書くべきって、
自分だって新書(謎とき本能寺の変)出してるだろ。
0336人間七七四年
2011/02/08(火) 18:17:26ID:38LElsq70337人間七七四年
2011/02/08(火) 18:31:47ID:hIBTmNfJ結局、自国を守れる愛国心があるかどうかだな
末期には兵士のほとんどは金で雇った蛮族がほとんどで
肝心のローマ人は享楽に耽る始末だ
現在のどこかの国とよく似てるな
0339人間七七四年
2011/02/08(火) 19:07:32ID:W1R9al7e0340人間七七四年
2011/02/08(火) 19:24:48ID:08mecAxqまだ全部読んでないからあれだけど
藤田は義昭黒幕説という汚点があるからちと困ってるんだろね。
武功を江戸期と言った三鬼あたりに一番責任があるんだろうけど
あんまり三鬼にはからんでないようなとこがあるわな。
やっぱり、小和田藤田あたりが広めた責任をとらないということで
武功問題はこの2人の去就が楽しみだ。
0341人間七七四年
2011/02/10(木) 22:52:01ID:cFvjS4ZFあと鉄砲三段撃ちというのは三人一組で役割分担したのが本当なんですか?
0342人間七七四年
2011/02/10(木) 23:09:47ID:ZRAyF43Y0343人間七七四年
2011/02/11(金) 00:40:38ID:no7QIINh* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
0344人間七七四年
2011/02/11(金) 20:36:58ID:duMsu99B0345人間七七四年
2011/02/11(金) 21:49:19ID:6HXsK7ns0347346 追記
2011/02/12(土) 10:01:53ID:pz+jWZ8t0348人間七七四年
2011/02/12(土) 10:14:36ID:gMiSCmYQ戦いはいつまでたっても終わらんし領地も取れないが
0350人間七七四年
2011/02/12(土) 16:46:51ID:cZ3ZxWf70351人間七七四年
2011/02/12(土) 19:13:20ID:trLQ5a2f火薬兵器を新しい方向へと発達させる手段と動機をもつ者は誰ひとりなかった。
そして、築城方法を改めて砲撃の効果を弱めようという試みをしたのは日本人だけであった。
(「戦争の世界史」W.マクニール著より抜粋)
国内の合戦では大型の攻城砲なとは全くと言っていいほど使用されなかったけれど、結果的にはそれらに対する防御もある程度できてしまっていたらしい。
メインは小銃に対する防御なんだろうけどね。
小城ならともかく、それなりの規模の城を射撃戦だけでどうこうできたなどとは考えない方がいいでしょう。
0352人間七七四年
2011/02/12(土) 19:16:50ID:cZ3ZxWf70353人間七七四年
2011/02/12(土) 21:02:21ID:trLQ5a2f意味不明。
0354人間七七四年
2011/02/12(土) 23:06:05ID:lnl2wPvlでもそれも旧式化して19世紀半ばには厚いレンガ壁で覆われた要塞に移行していく
0356人間七七四年
2011/02/16(水) 10:56:59ID:qfeAR3C40357人間七七四年
2011/02/16(水) 14:06:34ID:8c9soI/J鈴木の勝ちかあ。
0358人間七七四年
2011/02/16(水) 14:21:56ID:Zxmmt13r0359人間七七四年
2011/02/16(水) 22:23:16ID:x1Q5jI/3武功夜話偽書・本能寺の変謀略なしを支持してるから
内容も納得できた。
0361人間七七四年
2011/02/17(木) 17:05:39ID:PlQJWddJ内容じゃなくて、反論とかその後の内輪話、みたいなことが書いてるのは
かなり面白いと思ったんだ。立ち読みで悪いが。
小和田に訂正求めて、慣例としてしない、なんてのは当事者じゃないとわからないしね。
鈴木はNHKも嫌いだろうし、小和田の考証なんかにもからまないかなって。
お江はぶっとびだしね。
0362人間七七四年
2011/02/18(金) 21:05:54ID:IosbNlWN0363人間七七四年
2011/02/19(土) 12:42:53ID:PxeuFyrRこれを見た限りでは、「秀吉」にそれっぽい描写(家康が光秀を唆した)がなされているらしい。
基本的に海音寺や司馬遼は謀略説を採っていないようなので、爺さん世代の定説はむしろ光秀単独犯行説なのではないかと思われる。
0364人間七七四年
2011/02/19(土) 12:46:48ID:NMqjuvxE惟任さんが馴染み深いかも・・・ってそれは昔過ぎるかw
0365人間七七四年
2011/02/19(土) 15:22:37ID:zIKYIjf3謀略は結構新しいイメージだが今で言うマニアっぽいのが
のっかってそれなりに普及はしてた。
最近のネット的陰謀史観とはまた違う感じがする。
やたらなんでも陰謀とか秘密結社に結びつけるでしょう。
0367人間七七四年
2011/02/21(月) 23:51:43.83ID:FBB/7XQE感じがして好感が持てない本だったなぁ。最後通牒とかいう副題も本人た
ちの意思に沿ってるのか知らないけどなんだかなぁって思う。
0368人間七七四年
2011/02/22(火) 00:27:07.79ID:aR5sMCxL桐野に内容証明付きで、「私の本を本当によんでいるんでしょうか?」と聞いても
返事よこさなかったとか笑い話だよねw
まあ、藤本・鈴木に反論ある人は洋泉社宛てに直接送ってみたら?
細か〜く間違いを指摘した反論書いて送ってくれる可能性も大いにあるみたいだから。
おかしいと思えば、ここで晒せばいいんだし。
0369人間七七四年
2011/02/22(火) 00:57:54.75ID:4vW0xuCq0370人間七七四年
2011/02/22(火) 17:21:33.38ID:T1WsQSaHこちらが上手く解釈してやらなければ意味の通じない
矛盾と自説否定だらけの本を書いてるのだからしょうがない
物書きなら読者によく読めじゃなくて読みやすい本を書けと
0371人間七七四年
2011/02/23(水) 04:14:47.83ID:j2VcwPkuわろた
0372人間七七四年
2011/02/23(水) 11:35:27.83ID:ziyw2Sdlおそろしすぎだ・・
0373人間七七四年
2011/02/23(水) 13:23:36.18ID:QCW6C//5足利義昭を過大に評価しての「義昭黒幕説」とは笑止千万。
義昭の政治力なんぞ、信長に軍事敗北して京を追われた時点で終わってるのに
賤ヶ岳での柴田敗北により義昭の政治的影響力が失墜したという見解は常人のそれではない。
義昭が反信長包囲網の核だったのは元亀年間の間だけ。
天正期の反信長の中核は石山本願寺。
失脚した義昭は生きる政治的死人。
学者といってもこの程度のオツム。
だから義昭都落ち後、信長は義昭の子義尋を擁立する腹だったなどという愚見も平気で垂れ流す。
義尋は義昭が己が命欲しさに信長に差し出した単なる人質。
政治的には何の価値もないのだから擁立しようがない。
それが可能なら、
関ヶ原の勝者・家康は、敗者・三成の子を擁立してるわな。
0374人間七七四年
2011/02/23(水) 13:35:46.71ID:chNgF3Vv( ´∀`). (゚Д゚,,)
( ) ( )
(( 人 Y | | ))
し(__,) し'ヽ)
∧∧ ∧_∧
. (゚Д゚,( ´∀`)
( ( )
| (( 人 Y
し'ヽし(__,)
∧∧ ∧_∧
. (゚Д゚,,) ( ´∀`)
( ) ( )
| | )) (( 人 Y
し'ヽ) し(__,)
,.'´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ
! ス レ 違 い !
ヽ、 ノ
 ̄`V´ ̄ ̄ ̄ ̄`V´ ̄
. ∧∧ ∧_∧
(,゚Д゚,) ( ´∀` )
. ( c0m ( c0m
〈 fヽヽ / /ゝ 〉
U J (__)、_,)
0375人間七七四年
2011/02/23(水) 21:18:35.66ID:/IRekkRI読者はかなり被ってるんだしw
0376人間七七四年
2011/02/23(水) 22:58:03.40ID:WJr/HmSxいいじゃないかそれくらいの自意識は認めてもさ。
そういう気概が無いと説得力も時代を作る力も生まれないぞ?
0377人間七七四年
2011/02/24(木) 19:43:16.56ID:OTqNB1pD0378人間七七四年
2011/02/24(木) 21:04:56.87ID:20GJ/hMC現在の鈴木真哉って、「次々と通説を打ち砕く」ような内容の本は出してなくね?
奇異な内容の本は見かけなくなった感じがする。
むしろ、読まなくても「うんうん、そだね」と言って済む内容が多いという感じ。
別の人の本では、
(戦争の日本史/南北朝 など)遠戦指向の普及は南北朝時代後半ぐらい? だそうだが。
あと、これまた別の論者によると、ヤリの登場は鎌倉時代頃で、
当時は「槍」ではなく「鑓(日本でだけ用いられた「国字」らしい)」と書かれたとも。
0379人間七七四年
2011/02/24(木) 21:32:03.36ID:OTqNB1pD0380人間七七四年
2011/02/24(木) 23:55:21.28ID:ZP7A62oj0381人間七七四年
2011/02/25(金) 02:28:01.25ID:wW60/qNjと思うね。こういう本は自分の品位を落とすだけでは。出版社は刺激的な
タイトルで儲けようとするのだろうけど。どっちが正しいとかじゃなく、
読んでて気分はよくないよね。
0382人間七七四年
2011/02/25(金) 05:08:04.40ID:43h+FbCj商売人としてのセンスはいいんだろう
0383人間七七四年
2011/02/25(金) 10:05:13.78ID:2TzDEGME第二章 司馬遼太郎先生、お言葉ですが…
第三章 やっぱり<武田騎馬隊>はいませんよ!
第四章 信長が「鉄船」を造ったと気楽に主張される方々へ
第五章 「鉄砲は、やっぱり信長よね」と口癖のように言う方へ
第六章 本能寺の変にどうしても「黒幕」を登場させたい方へ
第七章 信長・秀吉の成功は「兵農分離」のお陰ですか?
武田騎馬隊、鉄砲三段撃ち、「武功夜話」を信じる方々へ!
旧説・奇説にしがみつく人々への最後通牒!!
◎世の中の常識
今や戦国ブームの真っ只中。無名だった武将も人気を博し、
謎だった事件の解明のためにさまざまな説が登場して百家争鳴の態をなしている。
◎本書の核心
在野の研究者を差別する人たち、歴史研究と文学作品の違いが分からない人たち、
自説に拘泥して論争・議論から逃げ回る人たち。
通説を信じる方々の裏事情は、理不尽を通り越して絶望的な状態。
0384人間七七四年
2011/02/25(金) 19:54:45.92ID:GzNdByUq0385人間七七四年
2011/02/25(金) 21:10:18.58ID:wDKwHvIx誠仁親王と近衛前久と共謀との見解示したが、アホらしいくらいの寝言だ。
近衛前久は信長暗殺に関与していたが、誠仁親王は全くの局外。
何故なら誠仁は信長の後援が無ければ天皇になれなかったからだ。
正親町帝は誠仁に皇位を譲る気などさらさら無く、
だから懸命に信長の圧力に耐え譲位しなかった訳だ。
事実、正親町が皇位を退いたのは、誠仁が変死した直後。
誠仁が死ぬのを待っていたのは明白(謀殺の可能性も有)。
0386人間七七四年
2011/02/25(金) 23:55:11.89ID:MY6YT6jz信者も戦術関連は全滅、鈴木の全敗だと判断しているわけか。
0387人間七七四年
2011/02/26(土) 00:01:37.28ID:SN6Hd6Ye0388人間七七四年
2011/02/26(土) 00:03:17.19ID:KAK0TCIo0389人間七七四年
2011/02/26(土) 02:32:42.23ID:1Cxpr/100390人間七七四年
2011/02/26(土) 02:38:54.02ID:UL0wHRK2強気な文体に影響されてしまうんだろう
0391人間七七四年
2011/02/26(土) 14:01:17.18ID:+xaksmrzたとえば、「武具の日本史」(近藤好和、平凡社新書)あたりでは、
古代の兵種から近世・近代までの概略の部分では、
古代には「打ち物歩兵」「弓射歩兵」「弓射騎兵」の3種類があり
(弓射には歩兵と騎兵があるが打ち物は歩兵のみ)(打ち物として、長柄の槍(ホコと読まれた)が用いられた)
刀剣は全員が装備するが、弓や槍が利用できなくなったときのための第二の武器という位置づけだった、
(王権の象徴たる剣は実戦では主力武器ではなかった?)
平安期には打ち物が廃れ、
鎌倉末期に鑓が登場して普及、やがて弓射騎兵は廃れて打ち物(鑓)騎兵に変わる
そして近世初頭(織豊期?)には鑓が武士の象徴になるほどにまで普及
とある。
確かに刀は誰もが所持する基本武器ではあるが、主力たる武器が利用できなくなったときに使うのがメインであって、
むしろ「予備の武器」っぽい位置づけに見える。
著者である近藤好和氏は有職故実の専門家だそうだ。
0392人間七七四年
2011/02/26(土) 14:08:55.45ID:+xaksmrz戦国時代の戦争では略奪が常態化していて、
戦争になると村人は村を離れて山奥の隠れ城に避難するか領主の城に避難するかした、
戦国時代は連年の飢饉のために飢餓が常態化していた、
戦場では人さらいが日常化していて、捕まえた村人を売り払うのを目当てにして人買いが部隊に付き従っていた
なんて話が続く。
戦国期の城の多くに「土居」という部分があるのもひょっとすると
「土民の居場所」(領民が避難してバラック?を構える場所)のような意味だったのかと思えるほどだな。
兵員の食料も自弁ではなく支給品だったとある。
どれも、従来の戦国観を覆された感じだよ。
0393人間七七四年
2011/02/26(土) 20:01:39.80ID:KAK0TCIo近藤も藤木も2ちゃんに信者大勢いるけど、色々問題のある人々だ。
近藤の典拠は軍記物ばっかり。
「軍記物にこんな記述がある」と書くだけならいいんだけど
「軍記物にこう書いてあるから、現実の武士にも同じことができたはずだ!」
なんて理屈にもならない理屈で、スーパーサイヤ人同士のバトルみたいな合戦像を見て来たように描く近藤。
武士の強さに小学生みたいに憧れる男にとって、近藤はアイドル。
藤木に対する批判は「左翼」「自虐史観」とかそんなんばっかり。
2ちゃんやネット上に、彼の本を拡大解釈して、
戦国時代の戦争に軍費なんて必要なく、他国に攻め込めば攻め込むほど儲かった
などと藤木本人が聞いたら卒倒しそうな合戦観を、大真面目に書く者を増やした。
近藤も藤木も、アレな人を大量生産したという意味では功罪半ばだね・・・
0394人間七七四年
2011/02/26(土) 20:15:58.76ID:pAQT7on/藤本みたいに煽り文書いて儲けようとしないだけ百歩もまし
0395人間七七四年
2011/02/26(土) 22:24:30.42ID:+xaksmrz反感とか感情的反発を書いてもらっても参考になりません。
反論を読みたいのです。
>393
「武具の日本史」には、そういうスーパーマン描写が見あたらなかったので、
そういう論を用いる人だとは思いませんでした。
>戦国時代の戦争に軍費なんて必要なく、他国に攻め込めば攻め込むほど儲かった
>などと藤木本人が聞いたら卒倒しそうな合戦観を、
そりゃ儲かるのは従軍して一稼ぎできた兵卒が主で、
軍費を負担する大名側は赤字ですよね
勝って領土を増やさないと、大名にとっては出兵の意義がない。
>藤木に対する批判は「左翼」「自虐史観」とかそんなんばっかり。
そうですか...
僕的には、自虐史観という言葉を多用する自由主義史観の方々の方が日本の歴史に対して自虐的であるように見えるのですがね。
0396人間七七四年
2011/02/26(土) 23:35:25.06ID:ErAEGasH多分おまえのレスまえもどっかで読んだわ
>スーパーサイヤ人同士のバトルみたいな合戦像を見て来たように描く近藤。
こういうのはどの本に書いてある?
火縄銃特集の雑誌で昔の弓は強くてどうたらこうたらって書いてたのは知ってるけど
0397人間七七四年
2011/02/27(日) 08:36:46.59ID:vxcElyae藤木に関しては仰る通り。
近藤は二部作を読まれると分かるかも。
>>396
>火縄銃特集の雑誌で昔の弓は強くてどうたらこうたらって書いてたのは知ってるけど
それはおれじゃなくて、某糞コテハンだな。
なぜか鈴木と近藤を混同して、一緒くたに悪口書いてたやつがいたからね。
ドラゴンボールみたいと書いたのは確かにおれ。
>こういうのはどの本に書いてある?
「弓矢と刀剣」「騎兵と歩兵の中世史」
特に、後者がすごいよw
0398人間七七四年
2011/02/28(月) 22:38:18.00ID:jIkLun+y「騎兵と歩兵の中世史」は俺も読んだことはあるが
>「軍記物にこう書いてあるから、現実の武士にも同じことができたはずだ!」
こんな暴論があったようには記憶してないが。
0399人間七七四年
2011/03/02(水) 22:14:56.04ID:LvyQH2At0400人間七七四年
2011/03/02(水) 22:58:50.06ID:m0NQ47UV謙信の小田城攻めでの奴隷市場のくだりとか
ちょっと少数の資料で決めつけちゃったり、解釈が恣意的だとは思う。
0401人間七七四年
2011/03/02(水) 23:00:47.01ID:vLVWbxAM欧州の無茶苦茶系と比べると
0402人間七七四年
2011/03/03(木) 00:31:55.19ID:uOCxEjuP0403人間七七四年
2011/03/03(木) 01:06:41.15ID:BhDwu3de0404人間七七四年
2011/03/03(木) 01:37:34.37ID:ZPYbKvGQ0405人間七七四年
2011/03/03(木) 01:39:39.56ID:uOCxEjuP0406人間七七四年
2011/03/03(木) 19:10:18.52ID:DrMv9Pgx0409人間七七四年
2011/03/04(金) 07:40:03.85ID:lHpcc5Y1そうだな。
鈴木はそんなことまで言ってない、と反論すると「は?鈴木って誰だよw」
とかなるからなwww
0410人間七七四年
2011/03/11(金) 01:08:06.13ID:ivVcteb70411人間七七四年
2011/03/11(金) 19:19:19.01ID:oIPbuZDl0412人間七七四年
2011/03/11(金) 19:36:26.17ID:UegvWUID0413人間七七四年
2011/03/12(土) 07:16:59.25ID:1PLc1Ttl0414人間七七四年
2011/03/13(日) 14:51:40.48ID:QXhoRvDIやべ
「その時歴史は動いた」見たくなってきた。
他の本はともかく
NHK叩きだけは続けていってほしいな。
0415人間七七四年
2011/03/14(月) 01:14:28.68ID:6kBK4SfI0416人間七七四年
2011/03/14(月) 04:20:09.66ID:2VzoLUa+まともな識者なら当然過ぎる結論。
結果論から家康の勝利は開戦当初から決まっていたとする輩とは一線を画する賢人の一人。
0417人間七七四年
2011/03/14(月) 04:27:45.30ID:I96BJ0QD家康の勝利は開戦当初から決まっていた
0418人間七七四年
2011/03/14(月) 06:34:52.73ID:rAne1qEg0419人間七七四年
2011/03/14(月) 08:58:07.12ID:NeeS1Nlh出た家康厨(笑)
0420人間七七四年
2011/03/14(月) 09:10:45.73ID:wLJYpzxp0421人間七七四年
2011/03/14(月) 09:12:49.64ID:JbhsHawv0422人間七七四年
2011/03/14(月) 16:01:51.31ID:YJ1MDhSM当初は短期決戦で勝負を決める予定ではなかっただろ
関ヶ原で決戦を行うと決めていたわけでもないし、
そもそも濃尾国境を越えるのはもっと後にする予定だっただろ。
当初の予定通りの進軍だったら秀忠遅参は無かったはずだしな。
家康の予定よりも早く決戦が行われてしまったから秀忠遅参という事態が起こった。
秀忠のミスで遅参したという部分も含め、多くの俗説が出回ってるわけだ。
(真田氏との戦いで失策を重ねたのは事実だが、秀忠の到着日は予定を大きく遅れたわけではないはず。
まあ、川の増水による遅れなどもあったから、遅れたのは事実だが。)
0423人間七七四年
2011/03/14(月) 16:19:20.26ID:CMhQ5CeA0425人間七七四年
2011/03/15(火) 08:51:38.19ID:yXUZJ5sj0426人間七七四年
2011/03/15(火) 10:10:23.01ID:/HCkmnRS西上を知らせる使者が利根川の増水で、足止めを食らったため
つまり家康には運がなかったということになる
0427人間七七四年
2011/03/15(火) 19:12:09.25ID:50/LGUZv0428人間七七四年
2011/03/16(水) 04:26:48.30ID:lY+VDH2Z誰か、その根拠、列挙してくんない
0429人間七七四年
2011/03/16(水) 06:44:55.95ID:meXUROst挑発的な筆致はムカつくけど
0430人間七七四年
2011/03/16(水) 07:19:43.46ID:lY+VDH2Zなんでおかしくはないのか説明してくんない
0432人間七七四年
2011/03/16(水) 11:30:21.24ID:XVCJCe+r後付けの話なんでねーの?
0433人間七七四年
2011/03/16(水) 12:00:32.78ID:K42HCyeo0434人間七七四年
2011/03/16(水) 12:30:39.95ID:lY+VDH2Z戦には勝ったのだし、家康は秀吉みたいに一旦決めた後継者を安易に変えるほど愚かでもない
秀忠は後年の大阪の陣の際、信州上田の失態のトラウマから一目散に大阪に向かったのは有名なエピソードなんだが
まともな史料ってどんなんだ?そもそも専門家でもないのにまともな史料を閲覧できる立場かよ
0435人間七七四年
2011/03/16(水) 12:37:19.76ID:lY+VDH2Zあの藤本正行と共著ってぇのがなぁ
0437人間七七四年
2011/03/16(水) 13:09:13.19ID:lY+VDH2Z0438人間七七四年
2011/03/16(水) 13:37:41.98ID:5ne3XcR1同様の書状が20日の黒田長政宛の手紙にもある
0439人間七七四年
2011/03/16(水) 14:15:01.74ID:lY+VDH2Zもしそうなら西軍諸将は関ヶ原で待ち伏せ布陣する前に、戦場から一目散に離脱しているよ
0440人間七七四年
2011/03/16(水) 14:24:36.89ID:KfTEjwI3「昼夜問わず急いでます。でも道は険しいし天候悪くて・・・」と
家康に言い訳の書状をだしてる訳で、温存説は史料上は成り立たない。
0441人間七七四年
2011/03/16(水) 14:36:46.21ID:A3krAZux0443人間七七四年
2011/03/16(水) 15:32:02.62ID:j7Iy5xn2叱責は口頭でするものだし、した側もされた側もまず以って記録に残さないから
叱責されたとしても史料には残らないでしょ
0444人間七七四年
2011/03/16(水) 18:35:14.90ID:XVCJCe+r0445人間七七四年
2011/03/16(水) 22:20:18.82ID:grhyUiGXそうなの? 大体の戦いは短期決戦で極めた方が色んな点で良さそうなのに、何でまた関ヶ原では……
0446人間七七四年
2011/03/16(水) 22:30:54.97ID:PRriECQ40447人間七七四年
2011/03/16(水) 22:49:51.40ID:5ne3XcR1運に見放されたいたにもかかわらずだ
0448人間七七四年
2011/03/16(水) 23:10:42.34ID:3brKA8AR0449人間七七四年
2011/03/16(水) 23:26:51.08ID:KfTEjwI3伏見も見捨てるつもりは無く速攻で取って返して三成を滅ぼすつもりだった。
なぜか毛利が西軍について両軍伯仲したために方針転換し、
秀忠に真田討伐を命じたり西軍の切り崩しに注力するなど、長期戦覚悟。
しかし西軍東の要の岐阜城が超短期間で陥落、
西軍の体勢が整う前に、介入できる機会が生まれる。
途中で秀忠を待つため一日待つというロスをするものの、
機を逃さず赤坂まで急進撃。短期決戦へ
こんな流れ、つか関ヶ原最大の謎は毛利の西軍加担だと思う
0450人間七七四年
2011/03/17(木) 00:27:02.84ID:bCL4VkP+あの時には伏見城は覚悟していたと思う
0451人間七七四年
2011/03/18(金) 20:08:32.13ID:nif7wMe6実際に行われたのは、朝鮮侵攻?のときで、明の戦術書に三段撃ちの絵が載ってる。
どうやら三段撃ちは本当だったらしい。大損害を受けたのは明の軍勢だしな。
0453人間七七四年
2011/03/18(金) 20:49:19.75ID:5ybM/m6Dのはどれも大きな違いがないとの結果が出ている
そうなると最後が主流になるのは当然なので、三段撃ちがあっても直ぐに廃れたであろう
0454人間七七四年
2011/03/18(金) 21:21:27.56ID:1EQR2Csj三段撃ちを含む交代射撃は否定してない。
0455451
2011/03/18(金) 21:49:02.12ID:nif7wMe6「東アジアの兵器革命 十六世紀中国に渡った日本の鉄砲」
序論 語られなかった鉄砲伝来
1 中国に渡った日本式鉄砲と日本兵(十六世紀末、日本式鉄砲の明朝への伝播―万暦朝鮮の役から播州楊応龍の乱へ
朝鮮の役における日本兵捕虜―明朝による連行と処置
明朝皇帝に献納された日本兵捕虜)
2 明末における兵器革命(十七世紀初、西南中国における火器の伝播と普及
明末における武官統制と火器技術受容―都督劉〓(てい)の事例を中心に
明末における新式火器の導入と京営)
結語 兵器革命の時代から軍縮の時代へ
[要旨]
十六世紀末、日本の火縄銃と輪番射撃戦術は中国・朝鮮に衝撃を与えた。日本式鉄砲が広がっていく経過、日本兵捕虜の処遇、軍事力を背景にした明の新秩序確立過程などを解明。兵器革命の実態から「軍拡」の時代を描く。
0456451
2011/03/18(金) 21:52:43.52ID:nif7wMe60457451
2011/03/18(金) 21:59:50.79ID:nif7wMe6「火縄銃」の項目で。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Ming_musketeers.jpg
もっともこのイラストでは、前列の人は、後列の人から誤って射たれかねないが。
0458451
2011/03/18(金) 22:01:06.86ID:nif7wMe6ttp://ja.wikipedia.org/wiki/火縄銃
0459人間七七四年
2011/03/19(土) 18:13:31.66ID:jLXQsNvS流通落ち着いたら買ってみるわ。
ところで、
>輪番射撃戦術とあり、三段撃ちというよりは、交代射撃だね。
三交代射撃=三段撃ちってわけじゃないの?
0460人間七七四年
2011/03/19(土) 18:19:27.44ID:4khdIKUk何度も同じ内容繰り返すし文章が酷く冗長だし、きっちり書けば文庫サイズで80ページ分くらいの内容量
新書ならいいけど、硬版であの値段は無いわ
0461人間七七四年
2011/03/19(土) 18:37:14.70ID:Vu1A9pV8最初にセンセーショナルな書き方して注目を集め
繰り返し部分で史料に沿って修正して批判をかわす
小手先の技なんだね。よく読まないと自説批判???ってなるけど
桐野みたいに真面目に反論しようとすると引っかかって
ちゃんと僕の本読んでるんですか?と言われちゃうw
0462人間七七四年
2011/03/20(日) 15:54:00.83ID:7rcMUn8a鈴木氏の言い方としては。
いわゆる三段うちってのは一斉射撃の形でイメージされてる(んだそうだ)
対するに、三交代射撃ってのは、(氏の説明では)
三人一組などの形で個別に交替射撃してて、一斉打ちではない。
一斉射撃は論外だが交代制は(百歩譲って、だが)否定はしない。
みたいな感じではなかったかな。
鈴木氏の最初の著作では。
0463人間七七四年
2011/03/20(日) 16:27:58.72ID:AW+o4j/2その意見を受けて否定する人は三交代射撃も否定しているみたいだし。
>最初にセンセーショナルな書き方して注目を集め
>繰り返し部分で史料に沿って修正して批判をかわす
で、結局のところ読者を誤解、混乱させただけで何も言ってないに等しいな。
0464人間七七四年
2011/03/21(月) 00:54:00.24ID:LGgceCvgどうとでも解釈できる予報なんて予報じゃねぇよ
なら予報すんな
それと同じ見解か
なら、だーってろ
0465人間七七四年
2011/03/21(月) 08:18:27.54ID:dAtxVivi最近は声も小さくなってきたけどね。
0466人間七七四年
2011/03/21(月) 14:55:57.32ID:QItQmCIm反論が出てきたら
「私は○○とは断言していない。○○とは分からないと言ってるだけだ。
ちゃんと俺の本を読めバ〜カ。」と言い
説が支持されてきたら
「私は以前から○○と言っていたが、世間がやっと理解し始めたようだ」
と得意がるんだよな
0467人間七七四年
2011/03/21(月) 15:21:07.52ID:uMG/rRrsそう考えると、小瀬甫庵の言う「三段撃ち」そのものが一斉射撃×3かどうかも怪しいのに。
それを解釈した人も細かい戦術を考えていたかどうか。
正直、小学生の難癖レベルじゃないの。
0470人間七七四年
2011/03/21(月) 22:59:49.54ID:TEG8LuMcたぶん、小瀬甫庵の言う「三段撃ち」そのもの は一斉射撃じゃなくて、
明治期に陸軍の戦史研究の中で一斉射撃説が製造されたんじゃないか?
一斉射撃説なんて、近代戦を知らない人には想像すらできなかったんじゃないかと思う。
それほどに時代錯誤。
0471人間七七四年
2011/03/22(火) 01:35:45.92ID:2wGNbfd3明治・大正期の帝大教授だった田中義成は近世ヨーロッパの
斉射戦術を念頭において長篠合戦を評しているのが明らかだけど
(『織田時代史』参照)三段撃ちについては特に触れていないし
0473人間七七四年
2011/03/22(火) 12:58:59.31ID:NULuS1fSもっとも今現在でも、ちゃんと当時における日本の軍事をしっかり解説できるのは少ない
自分はwikiの「備」を作成する際に、ある程度の認識を得たけど
0474人間七七四年
2011/03/22(火) 22:27:07.00ID:W3Rwsgfwいや、おれ470だけど、予想だよ。
たぶん旧軍で作られたんじゃないかと思っただけ。
ひょっとすると、旧軍では(最初の時点では?)まだ一斉打ち説を出してなかったかもしれん。
ひょっとすると、もっと新しいかも。
案外、戦後のアマチュアの間で形成された都市伝説って可能性さえw
などと思ったりしてる。
0475人間七七四年
2011/03/22(火) 22:38:16.31ID:FQpbwCOk0476人間七七四年
2011/03/25(金) 01:12:24.97ID:VxRj0CBM大量の鉄砲を揃えての連射で武田軍を撃滅したのは厳然たる事実なのだからな。
何段撃ちかなんてどうでもいいだろ。
織田鉄砲隊が組織的に連射し続けられたのは、彼らが軍事に特化した職業兵で、
城下町に定住し充分に射撃技能の練磨を積んできた証し。
織田軍が兵農分離された近代的軍制だったと証明できる事例の一つだ。
0477人間七七四年
2011/03/25(金) 01:29:00.46ID:+s3ej5+d三交代制斉射戦術を否定するなら一行で十分。
信頼できる史料には無く、そう取れる記述は「アノ」甫庵信長記にしかない。と、
この程度の物を、飯の種としてここまで引っ張てるんだからたいしたものだw
0478人間七七四年
2011/03/25(金) 01:41:56.18ID:VxRj0CBM戦場の雰囲気に呑まれ、まず使えない。
小瀬甫庵の歴史歪曲はいろいろお世話になってる前田家に都合が悪い汚点だけじゃないの。
賤ヶ岳の勝敗を決定つけた戦線離脱とか。
敗戦のA級戦犯を佐久間盛政に仕立て上げ、利家の裏切りを歴史から抹殺。
長篠の織田鉄砲隊の連射は利家の汚点とは関係ないので、事実を歪曲する必然性がない。
よって信じるに値する。
0479人間七七四年
2011/03/25(金) 17:06:48.16ID:/a1jH36v0480人間七七四年
2011/03/25(金) 17:55:28.25ID:Y/xbwZ+g>大量の鉄砲を揃えての連射で武田軍を撃滅したのは厳然たる事実なのだからな。
あの戦いでの織田方の勝因は鉄砲ではないぞ
鉄砲自体は織田方の勝利に多少の寄与があっただけ。
それと、あのときの織田方の鉄砲足軽の大半は旗下の大名達から臨時で集めた寄せ集め。
なので事前に集団戦の訓練があったと考える余地もない。
0481人間七七四年
2011/03/25(金) 19:27:55.94ID:hoDyE8NX> 鉄砲自体は織田方の勝利に多少の寄与があっただけ。
だろうな
でないと連合軍の6千人の死者が説明できない
結局は兵力の差だろ
0482人間七七四年
2011/03/25(金) 19:29:17.59ID:Oeoj6YLl0483人間七七四年
2011/03/25(金) 19:31:14.78ID:0sNaSOpoそれに最新鋭の射程の長い鉄砲を多数装備させていたらしい。
0484人間七七四年
2011/03/25(金) 20:13:44.70ID:m1JcovmS0485人間七七四年
2011/03/25(金) 21:44:27.16ID:r6vLPLEK最前線で、そんな作業中の奴は邪魔だから、いったん少しは後ろに下がるんじゃないの。
空いたすきまには、装弾しおわった奴が入って、射つ。
現場では、誰でも思いつくことじゃね?
0486人間七七四年
2011/03/25(金) 21:53:52.35ID:r6vLPLEK織田方の鉄砲足軽の大半は旗下の大名達から臨時で集めた寄せ集め
というのは本当だね。藤本の本に、そのときの古文書がいろいろ紹介されてた。
また、織田方の鉄砲のうち、最も精鋭な部隊は、長篠城への迂回奇襲攻撃に使われてしまっていた。
(信長公記に載ってる)
また、武田軍が突撃してきたのは、その理由はあっさりと書かれている。「前後から攻められたため」
後ろとは迂回攻撃部隊のこと。
0488人間七七四年
2011/03/26(土) 00:19:56.99ID:blgVMT6qつまり自演。
織田の鉄砲足軽隊は信長が銭で雇った織田家直轄の兵。
織田諸将が率いる兵も全て織田家の兵で、織田諸将と足軽の間には主従関係はない。
ちなみに長篠の戦いで、織田徳川連合軍の勝利に鉄砲以外で貢献した要素ってなんだ?
まさか柵とか堀とかの障害物だとのたまうんじゃないだろうな。
根拠の無い脳内妄想の妄言ならやめとけ。
0489人間七七四年
2011/03/26(土) 00:35:46.99ID:GMXRBUga480はオレだけど486はオレじゃないぞ。
織田旗下の諸大名の兵は、あくまでも、それぞれの大名が雇い入れた兵であって、
織田家直属の兵ではない。
林とかの、信長晩年頃にクビになった重臣への叱責の文章みたら分かるだろ。
領地からの収入を蓄財して兵を雇い入れなかった落ち度
という条項があっただろう。
直臣と陪臣の違いを理解してるか?
>まさか柵とか堀とかの障害物だとのたまうんじゃないだろうな。
それは「陣城」とよばれる立派な構造物です。
「長篠」のときの陣城は発掘調査も行われており、かなりしっかりとした堅固な構造物だったようです。
要するに武田軍は攻城戦を戦ったわけですよ。
本来なら防衛側より数倍の大軍を必要とするはずの攻城戦を、防御側よりも少ない兵員で敢行したから負けた。
極めて単純明快な構図です。
ただ、武田軍は織田軍よりも兵士が精強だったからでしょうか、
楽勝のハズが激戦になってしまったようですね。
ちなみに、鉄砲という武器は(特に火縄銃は)攻撃よりも防御に適した武器ですよ。
敵を追いかけながら銃に弾薬を積めることができず、
自軍に向かってくる敵を待ちかまえて射撃するという利用法を考えれば理解できるでしょうか。
陣城の内側で待ちかまえる織田軍に攻め寄せる武田軍を撃つ場面では戦果が挙がりますが、
退却する武田軍を追いかける際の追撃戦時には活用が困難だったでしょうね。
武田側の戦死者の大半は(もちろん織田側もだけど)この追撃戦のさなかに討たれたのですよ。
0490人間七七四年
2011/03/26(土) 01:07:53.59ID:blgVMT6q織田家の版図は全て織田家の私有財産であり、
諸将が与えられた領地は私有ではなく、単に支配権を付与されただけ。
つまり会社の支店長か子会社の雇われ社長みたいなもん。
銀行の支店長が、この支店は俺の私有物だ、なんて言う訳ないだろ。
支店は会社の所有物。織田諸将が支配する領地は織田家に帰属。分かり易いな。
だから大名格の織田諸将が独自に雇い入れた兵も、織田家に帰属。
支店の銀行員は支店長の私有ではなく、銀行の支配下にあるのは子供でも知っている。
織田家の私有財産を有効利用せず私的蓄財してりゃ、信長が激怒するのは当たり前。
林とかの、信長晩年頃にクビになった重臣への叱責の文章みたら分かるだろ。
土地の非私有制だから、信長は佐久間・林・安藤・丹羽らを身一つで放逐できる。
銀行の本店が出来の悪い支店長を解雇するのと同じだ。
でなきゃ領地も何にも無い木下藤吉郎秀吉が率いていた兵はどっから調達したんだって話になる。
国人領主なら自領内の農民を率いて来りゃいいが、
領地のない秀吉は信長から兵を貸し与えられたから手柄を立てられた訳。
これこそが信長独裁専制の根拠。こんなの初歩のレベルなんだがな。
0491人間七七四年
2011/03/26(土) 01:12:56.04ID:sBKRT9vU0494人間七七四年
2011/03/26(土) 02:34:20.28ID:blgVMT6qそんな虚しい妄想は楽しい?
0495人間七七四年
2011/03/26(土) 03:18:09.87ID:V+aWkMyL織田家が信長が死んだ瞬間木っ端微塵に瓦解した原因も
0496人間七七四年
2011/03/26(土) 04:13:56.96ID:gRCL2QT1下記のような意味不明な妄想を根拠に出して信長マンセーしてるこいつガチでキチガイです。
支店の銀行員は支店長の私有ではなく、銀行の支配下にあるのは子供でも知っている。
教師や警察官が痴漢で捕まったら、全教師や全警察官が痴漢だとする馬鹿な極論と同じだな。
0497人間七七四年
2011/03/26(土) 10:52:26.15ID:bCQJc62b486はオレだけど480はオレじゃないぞ。
>>480 = >>486
つまり自演。
とかカキコされて、ポカーンとしたわ。
0498人間七七四年
2011/03/26(土) 10:56:09.19ID:bCQJc62b武田軍にはよく聞こえていたはずで、しかも自軍の後ろから聞こえてくるとあっては、
もう武田軍は、いてもたってもいられない心境だったと思われる。すぐ前方には織田の軍勢が
陣地を築いて待ち構えているし…。めちゃくちゃな波状攻撃をしかけるのも無理もない。
0499人間七七四年
2011/03/30(水) 15:03:11.14ID:NnhxnjMnつまり自演。わざわざ言い訳の書き込みしてるの見て、ポカーンとしたわ。
相手の書き込みが一々尤もで反論のしようも無いので、
その書き込みを貼り付けて貶し溜飲を下げて、かろうじて自尊心維持の敗者。
何故当該書き込みがキチガイなのか論理的に説明できないと便所の落書きなんだが、
当のキチガイの理解力では、そこまで思いが至らず。
何とかの遠吠えか。
0500人間七七四年
2011/03/30(水) 15:35:25.68ID:NnhxnjMn長篠の戦いでの織田軍の引き篭もり戦術は、
鉄砲無しでは何の意味も持たないのは子供でも分かるんだが。
武田の惨敗は兵の数の問題ではなく、鉄砲の連射で徹底的に射殺されたため。
白兵戦では勝負にならないので、それを避けた信長の戦略の勝利。
極めて単純明快な構図だ。
0501人間七七四年
2011/03/30(水) 15:37:29.39ID:/aQh5ik60502人間七七四年
2011/03/30(水) 15:55:54.57ID:1AJcPF7q0503人間七七四年
2011/03/30(水) 15:56:01.24ID:/aQh5ik6以後スルーでよろしく
0504人間七七四年
2011/03/30(水) 16:00:33.47ID:L1pE/E7a秀吉は信長の元で奉行や調略をやってた。
その過程に蜂須賀や竹中や前野を家臣にして独自勢力を作っていったわけで
信長から貸し与えられたわけじゃない。
0505人間七七四年
2011/03/30(水) 16:31:05.01ID:NnhxnjMnそれに彼らの配下の武士では数が高が知れている。
秀吉が彼らを使って独自勢力を築いていたなら、織田家に入り込む必要はない。
秀吉の行動は全て信長の命令下の範囲内。
そもそも織田軍に独自勢力なんて存在しない。
それが存在するのは誰かさんの脳内妄想の中だけ。
応えられない言い訳が「以後スルーでよろしく」か。
脳内妄想じゃ応えられないのは当たり前。
一々分かりきった書き込みする必要なし。
0506人間七七四年
2011/03/30(水) 16:59:00.78ID:MDjZf/xe0507人間七七四年
2011/03/30(水) 17:13:32.51ID:L1pE/E7aはっ?信長の了承のソース出せよアホが
0508人間七七四年
2011/03/30(水) 17:45:49.76ID:gQZGuIRB関ヶ原でも鉄砲の弾は発掘できてないよ
0509人間七七四年
2011/03/30(水) 19:46:42.03ID:fm41TaG9主戦場に持ち込んだ鉄砲の数は織田も武田も大差がなかっただろ
それに、武田側の討ち死にの大半というか大多数は、
主戦場ではなく退却/敗走の途上での追撃戦による。
追撃戦の際に鉄砲(火縄銃)を有効活用するのは難しいということは分かるかな?
敵を追いかけながらの移動中に弾を込めるのは無理。
>503
すまん、スルーできなかった。
>505
織田政権下で勢力を伸ばした家臣達、
例えば荒木や明智らの配下は、どう考えても
「織田家の家臣である前に直属上司の臣」だった。
荒木が織田と敵対したとき、荒木配下たちの大半は以後も荒木に従い続けた。
これは荒木が特殊だったからじゃなく、織田の配下たちはみんな同様だったんだよ。
明智軍が本能寺の変に際して行き先や行動目的をギリギリまで明かさなかったのは、
配下の将兵が織田に忠誠を誓うと予想したからじゃなく、
あまり早くに多くの将兵に教えると情報が漏れると危惧しただけだろ。
>502,508
主戦場じゃなく長篠城なら弾も出てるんじゃない?
城壁が蜂の巣のようだったというし。(あくまでも武田軍による攻撃での被弾だが)
0510人間七七四年
2011/03/30(水) 19:59:55.77ID:+TLXR2Wf設楽が原古戦場からは、1921年〜2001年の間に鉛玉が11個出土してるよ。
うち8個は火縄銃の鉄砲玉だと断定されている。
たったの11個だけどね。
「日本史へのいざない」松本一夫P.79〜86
0511人間七七四年
2011/03/30(水) 21:28:21.80ID:/Dcj50950512人間七七四年
2011/03/30(水) 21:29:47.18ID:/Dcj50950513人間七七四年
2011/03/30(水) 22:26:07.24ID:E77oIg3V0514人間七七四年
2011/03/30(水) 22:29:41.30ID:cOsi/fSI金目の物は片っ端から回収するんだよ
そんな事も知らんのか
0515人間七七四年
2011/03/30(水) 23:07:53.04ID:ue8ihzwi取りこぼしがゴロゴロあってもおかしくないと思うけどなあ
11個は思ったよりだいぶ少ない
0516人間七七四年
2011/03/30(水) 23:40:14.28ID:E77oIg3Vそりゃ少なくなる
0517人間七七四年
2011/03/31(木) 00:05:52.01ID:rYa/4L4u0518人間七七四年
2011/03/31(木) 00:08:26.46ID:aaqYTo7e首が飛ぶからな
0519人間七七四年
2011/03/31(木) 01:01:50.14ID:zg78jkqL数時間広範囲の野戦とじゃ条件が大きく違う
城から出土はまとまって出てきてるから使用済みとも限らない
0520人間七七四年
2011/03/31(木) 04:58:23.95ID:NGa6HSNEわざわざ織田厨のデタラメ妄想に付き合ってあげる必要はないよ。
そもそも根拠があって言ってるわけじゃない大嘘つきなんだから。
0521人間七七四年
2011/03/31(木) 06:47:07.62ID:5p8v8YEJ0522人間七七四年
2011/03/31(木) 11:50:13.68ID:jjIZz1gm0523人間七七四年
2011/03/31(木) 18:47:17.68ID:zg78jkqL0524人間七七四年
2011/03/31(木) 19:09:55.83ID:jjIZz1gmhttp://www.net-plaza.org/KANKO/shinshiro/hinawajyu-saishu.html
0525人間七七四年
2011/03/31(木) 21:06:44.49ID:5Ua8ScLIttp://www.kumamoto-keizai.co.jp/content/asp/dejikame/dejikame_detail.asp?PageID=20&Knum=12111&PageType=top
0526人間七七四年
2011/03/31(木) 21:23:13.62ID:0aFr1gN30527人間七七四年
2011/03/31(木) 22:44:36.43ID:sWx91Cz80528人間七七四年
2011/04/01(金) 01:13:56.65ID:lDYzphaF0529人間七七四年
2011/04/01(金) 01:25:59.10ID:rPqLkekt0530人間七七四年
2011/04/05(火) 23:42:32.51ID:c6VIxpcf過去の功績が吹っ飛ぶくらいアレすぎる('A`)
0531510
2011/04/06(水) 00:50:18.59ID:grtDNcWgその日、某まとめサイトの管理人さんが「長篠からは鉄砲玉が出土してない」と書いてて
あの人の言うことだと鵜呑みにしちゃう人が大勢いるから、さすがに影響大きいからね。
情報はちゃんと裏を取ろうってこと。
0532人間七七四年
2011/04/06(水) 21:01:35.37ID:DGHRxRAiぽつんとある。小石や土器のカケラもこんな感じで見つかる。
0533人間七七四年
2011/04/06(水) 23:36:21.43ID:TD5RMyAa相棒の藤本氏は学者だけど、同類とか思われてるんだろうか?
0534人間七七四年
2011/04/09(土) 13:34:48.39ID:Tug5M9ir明智の配下は「織田家の家臣である前に直属上司の臣」だったのに、
光秀が本能寺の変に際して、
情報漏れを危惧して行き先や行動目的をギリギリまで明かさなかったのなら、
光秀の兵の掌握能力もたいしたことはないな。
大半の兵に一斉に離散された信孝と変わらんじゃないか。
明智の兵が「織田家の家臣である前に直属上司の臣」なら、
光秀は信長に仕える前、一万三千の兵を引き連れて諸国を放浪してたってか。
こりゃ驚いた。
0536人間七七四年
2011/04/16(土) 11:31:43.05ID:clDmm8Tr0537人間七七四年
2011/04/16(土) 13:55:43.43ID:7upXc2j5川中島合戦図屏風には長槍がかいてありますよ。
大抵の屏風絵に描かれる防具は、実際の装備や陣構えとかけ離れています。
江戸期は復古調の鎧が優雅とされていたからです。
0538人間七七四年
2011/04/16(土) 14:11:15.09ID:rSpLV97u布陣時とか行軍時を描いたものなら、多く描かれている
0539人間七七四年
2011/04/17(日) 11:39:50.68ID:sYp+xq9l0540人間七七四年
2011/04/17(日) 13:08:00.26ID:Pg9iVvRb0541人間七七四年
2011/04/17(日) 18:30:17.96ID:S//Qa1aF軍記なんてたいていは創作小説だろ
執筆が江戸時代以前だからって、内容の信憑性に疑問符が付くのは同じ。
0542人間七七四年
2011/04/17(日) 18:33:27.37ID:NSTLP10o軍記=全部創作じゃないですよ
0544人間七七四年
2011/04/17(日) 21:14:26.20ID:ubmnLYda屏風絵なんか戦の遥か後になって書かれたもんばっかりだし
しかもかなり誇張してるし
そんな事すら知らんのか?
0545人間七七四年
2011/04/17(日) 21:34:00.17ID:pPRmDWrH今は江戸初期のものなどは史料批判をし、信憑性が高い史料を
援用した上で利用すべきという向きがあるからな。
0547人間七七四年
2011/04/19(火) 10:49:11.13ID:t/oaNriq0548人間七七四年
2011/04/19(火) 12:12:47.44ID:V56pOAmN『神奈川沖浪裏』は実際にあった事を元にして描かれた言って
信じる馬鹿がいるレベルだな
0549人間七七四年
2011/04/19(火) 12:21:54.57ID:XLp5RQU80551人間七七四年
2011/04/19(火) 15:02:20.59ID:qobwuM9e桜の大紋(山口組)を背負っての
勢力拡大は桜の大紋の威光のおかげ
織田家の家臣として勢力を伸ばしたのも
織田家の威光のおかげだ。
秀吉や光秀の家臣は信長の寵臣である秀吉
光秀だから配下についたのであって、信長
を逆ら秀吉や光秀に唯々諾々と従うから疑問
0552人間七七四年
2011/04/19(火) 19:31:49.98ID:TIDC+6LT大半が唯々諾々と従ってたんですけどw
0553人間七七四年
2011/04/20(水) 17:22:36.93ID:FY97MMag0554人間七七四年
2011/04/22(金) 22:18:54.56ID:mVj+Av660555人間七七四年
2011/04/23(土) 11:00:52.85ID:Q3s63KBa同時期のヨーロッパの合戦絵なんて長槍だらけで何がなにやらわからんからな。
↓とか
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Bad-war.jpg
0556人間七七四年
2011/04/23(土) 17:31:21.88ID:hGjTYn6h馬場が殺されるのは槍だね。甲陽軍艦をもとにして描かれた場面らしいが。
0557人間七七四年
2011/04/27(水) 20:52:05.66ID:1GP7aoha0558人間七七四年
2011/04/27(水) 21:00:29.85ID:Mc9p6RgK0559人間七七四年
2011/04/27(水) 21:18:29.01ID:WjOyy5y9石
0561人間七七四年
2011/04/27(水) 22:48:40.99ID:mlZDwxot弓と槍だろ
刀は弓もしくは槍を使えなくなったときに使う予備という意味と、
戦場に出るときにしか持たない弓や槍が手元にない平時でも常備しているので緊急時に役立つという面と、
あとは、戦場で最後に首を取る場面で使うというのと、その程度の用途しかない。
0562人間七七四年
2011/04/27(水) 23:01:15.77ID:wAWa7sYA0563人間七七四年
2011/04/27(水) 23:23:01.19ID:j60LskOh0566人間七七四年
2011/04/28(木) 00:54:08.58ID:VdP2cHmu鉄砲と弓矢を浴びせて、集団毎に長柄槍なんかで攻め立てる、白兵戦になったら刀で斬り合い
はい、論破
0567人間七七四年
2011/04/28(木) 01:03:49.61ID:uyuxauSL0569人間七七四年
2011/04/28(木) 12:22:04.37ID:9wdQyX8x0570人間七七四年
2011/04/28(木) 13:08:57.07ID:ve2aJ5Jh0571人間七七四年
2011/04/28(木) 20:23:45.71ID:4Mx/LIx10573人間七七四年
2011/04/28(木) 22:43:05.97ID:vy0/xaOZ0574人間七七四年
2011/04/28(木) 22:52:48.92ID:zy7cVV7d0575561
2011/04/28(木) 23:27:51.81ID:YuBPlyyT>弓と槍だろ
の部分の論拠はないな。
だが、中世の兵員は、鑓と刀を装備する兵と弓と刀を装備する兵との二通りで、
刀だけを装備する兵は居なかったんだから、刀が主力兵器というわけではない。
それと、鉄砲を装備する兵が高い比率になったのは秀吉による全国統一の後のことで、
それまでは鉄砲兵は多くても1割前後しか居なかったようだから、
これも主力兵器と呼んでいいのかどうか...
0576人間七七四年
2011/04/28(木) 23:38:28.68ID:QTZMAJvDこれも主力兵器と呼んでいいのかどうか...
0577人間七七四年
2011/04/29(金) 00:30:47.97ID:oKgMgitX刀は装備してもまだ余裕があるから、鉄砲なり何なりを装備させられる
むしろ主力兵器、と言い張る事も可能ではなかろうか。
鉄砲は西国だと早くから武装率高いよ、龍造寺デブ信なんかは万単位で投入してるし
0578人間七七四年
2011/04/29(金) 01:19:08.77ID:dKG3VviG戦国時代の武装が非合理的に見える所らしいな。
「何で弓足軽が刀を持って行くの?その上に何で刀を何本も携行するの?重くて戦場で邪魔なだけだろ?Why?」って。
中世欧州の長弓兵なんて、武装は弓矢とせいぜい短剣だけで、申し訳程度の甲冑だし
マスケット兵なんて、銃以外の武具携行しないことすらあったしなぁ。
「組織分化が進んだ西洋の軍隊と違って、日本の武士は一人で弓も鑓も刀も組討も、何でも使って戦ったからだよ」と答える他はない。
0579人間七七四年
2011/04/29(金) 01:33:15.29ID:oKgMgitX現実はスペイン火縄銃兵もドイツ長槍兵もどっちも帯剣してたから
0581人間七七四年
2011/04/29(金) 02:20:38.14ID:Qan1yi4D現場の兵士が必要と考えていたのか、それとも現場を知らない人間が夢想して作ったのかは知らんけど、
銃器が主力武器となった時代であっても刀剣を装備しないことなど考えられなかったわけだ。
戦国期の日本刀の位置づけがその程度だったかどうかは分かりかねるが、
全員が常備する日本刀が主力武器だったとは必ずしも言いかねる。
0582人間七七四年
2011/04/29(金) 03:00:07.46ID:oKgMgitXはいはい、脳内西洋人が言ってるだろ
「何で弓足軽が刀を持って行くの?その上に何で刀を何本も携行するの?重くて戦場で邪魔なだけだろ?Why?」
事実は西欧の弩兵も火縄銃兵も長槍兵も雑兵も帯剣してました
0583人間七七四年
2011/04/29(金) 03:31:24.66ID:dKG3VviGなぜそんな全くどうでもいいことをしつこく突っ込まれるのか分からんけどw
http://www.nhk.or.jp/gogaku/english/trad/index.html#cast
ついこの前のNHK教育の「トラッドジャパン」の「サムライ」の回でも、
滞日30年の英国人大学講師・翻訳家 Stuart Varnam-Atkin氏が、質問コーナーで聞いてたよ。
この人ね。http://www.ibcpub.co.jp/support/feature/010/index.html
「なぜサムライは刀を二本差して戦争に行くのです?一本で十分では?」
「英国人の感覚ではそれが疑問です」
「しかも刀は実際の戦場ではそれほど使われなかったとか?」
日本人講師が「確かに戦場では鑓・弓・鉄砲の方が用いられましたが、二本の刀は武士のアイデンティティなのです」と答えてた。
嘘だと思うならNHKオンデマンドで見てみたら?
0584人間七七四年
2011/04/29(金) 04:21:01.81ID:oKgMgitX無いよねえ、2本指してる事への疑問しか呈してない
しかも、現実は足軽が常に2本指していたわけじゃなく
Stuart Varnam-Atkinと日本人講師が歴史に興味無いだけという
0585人間七七四年
2011/04/29(金) 05:06:42.29ID:sD5MAhOu比較的上級の武士だわな。
で、その番組の解釈は知らんけど、実際にはサブアームの大刀と
止めや首掻き用の脇差しとで用途が違ってたから2本差してたわけで。
『足軽物語』あたりの挿絵では、足軽も二本差してたりするけど、
鍋吊のナマクラだし、当然主の懐具合で2本だったり1本だったり、
弓足軽は弭槍だけ支給って事もあったんでないかね。
0586人間七七四年
2011/04/29(金) 05:25:33.59ID:sD5MAhOu×『足軽物語』
○『雑兵物語』
0587人間七七四年
2011/04/29(金) 09:42:02.05ID:6Eoys1+P物事を考える際の基本のひとつ。
0588人間七七四年
2011/04/29(金) 10:28:53.10ID:UH8yOqKh太刀や打刀で首は取らない。
それは脇差の役目。
0589人間七七四年
2011/04/29(金) 19:48:06.97ID:XicE1/d9そういう用途の道具としては長すぎる。
むしろ、小刀、懐刀の方ではないかと。
古い絵巻物等々を見た限りでは、上級武士たちは太刀を一本佩いていただけ。
それが時代と共に二本になっていったという事は、一本では足りなくなった、
二本必要になったからと考えた方が論理的、合理的ではないのか?
0590人間七七四年
2011/04/29(金) 22:38:05.05ID:Qan1yi4D少なくとも戦場では、その用途は「首切り包丁」的なものに限られてたんだろ。
戦いの段階ではなく、組み伏せた相手の首をかき切るのが主な用途。
相手を倒すためのものというよりは、倒した相手にとどめを刺すためのもの。
対するに、大刀のほうは、明らかに武器として使われてはいる。
ただ、最初から使うわけではなくて、鑓か弓が使えなくなった後で使うことが多かっただけ。
0591人間七七四年
2011/04/29(金) 23:17:20.93ID:oKgMgitX白兵戦は戦闘の最も基本的な有様だからね
鉄砲兵だから白兵戦に持ち込まれたら逃亡、なんてわけにはいかない
相手が数メートルの位置にいるのに鉄砲弓矢を使うマヌケは死ぬし
相手が3メートルの中にいるのに槍ぶん回す奴も大方死ぬ
あくまで適材適所、意固地に投射兵器と長物だけ使って死ぬ様な自殺志願者はいなかった
0592人間七七四年
2011/04/30(土) 00:11:05.40ID:mLBmuUPqフロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
0593人間七七四年
2011/04/30(土) 00:32:15.84ID:n4sJZhiL南北朝期の太刀×2を佩用する風潮。
すなわち戦闘用+予備という形式から派生したのではないだろうか
0594人間七七四年
2011/04/30(土) 01:27:17.71ID:VwVDpnGTへ?
戦国期って、弓だろうと鉄砲だろうと、
10mとか20mとかの近距離で用いられる武器だっただろう。
一発撃ったら、次を装填する前に接敵するのが普通だったはずだが。
鉄砲の指南書でさえ、出来るだけ引きつけて撃つように指導してるし、
現代単位に換算して10m程度まで引きつけるようにと書かれている。
幕末維新の鉄砲とは戦い方がまったく違うわけだ。
弓の方が少し遠いが、それでも20m程度が目安
0596人間七七四年
2011/04/30(土) 06:56:00.59ID:CJR4Owel脇差と言っても、ものによって二尺から一尺程度と倍くらいの違いがあるわけで、
長い方を基準に考えた場合、予備の武器になると考えてしまうだろうし、
短い方を基準として考えると道具としてしか見られなくなるだろう。
0598人間七七四年
2011/04/30(土) 07:44:30.07ID:CJR4Owel南欧出身者がイングランドvsスコットランドの戦争知っているとは思えない。
当時の九州出身者が、蠣崎とアイヌの戦いを想定して文章書く以上に不自然。
それに、少し時代が違うようにも思うが。
0599人間七七四年
2011/04/30(土) 11:11:42.82ID:LoELJg05鉄砲は水平だけど、矢は上から降ってくる。40〜60mくらい飛ばす。
地上の兵と上空の矢とを、同時に注意を払うことはできない。
これによって相手の陣形を崩せれば成功。
0600人間七七四年
2011/04/30(土) 14:21:09.67ID:tOjQdYQA・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
0601人間七七四年
2011/04/30(土) 15:02:06.03ID:VwVDpnGT0602人間七七四年
2011/04/30(土) 19:21:02.64ID:CJR4Owel躍起になったところをみると所謂普通の日本刀・太刀のことだと容易に理解で
きまると思いますが。
0603人間七七四年
2011/04/30(土) 19:41:46.21ID:iXUzB1e1薙刀持ちは居たとしても少数だし
0604人間七七四年
2011/04/30(土) 19:45:19.03ID:w1GQl62w0605人間七七四年
2011/04/30(土) 20:16:55.72ID:JRdxoKR9どんな兵科であっても必ず使う局面はあったって事だろな
「普通の頭」で考えれば
0606人間七七四年
2011/04/30(土) 20:19:15.19ID:JRdxoKR9兵器の殺傷力が上がった現代戦でもないのに
白兵戦に移行しないって
アホだとしか思わないだろうけどな。
結論先だと人間はアホになるって典型だな。
0609人間七七四年
2011/04/30(土) 20:33:55.20ID:JRdxoKR9消えては現れ消えては現れ
ゲリラ戦のプロだね??
0610人間七七四年
2011/04/30(土) 20:41:45.27ID:n4sJZhiL先鋒の加藤清正の軍勢には長柄足軽がいないし
たぶん小西のとこにもいなかっただろう。
結果、鉄砲と刀ばかりが注目され記録されたのじゃないか
0612人間七七四年
2011/05/01(日) 19:32:11.06ID:4nMdV3dVそれ不思議なんだよね。
加藤清正の長柄足軽は、立派な兜をかぶって重装備なのに
なんで朝鮮には長柄を持っていっていないんだろう。
あと、軍役状を見ると騎馬組はほとんどが鉄砲を持っているけど、
常山紀談「加藤家騎馬武者馬上鉄砲の事」の
「加藤家の騎馬武者は皆馬上で短筒を発砲してから槍で突っ込む」という話を裏付けているように思える。
0613人間七七四年
2011/05/01(日) 20:03:20.35ID:dnlVGkdQ0614人間七七四年
2011/05/02(月) 00:10:56.26ID:7FKezDX9朝鮮人って日本人が薙刀と呼ぶ武器を「長刀」と呼びましたっけ?
>>604
あるよ。『懲録』の最初の方で日本の使者が朝鮮の槍について
日本のものとのある違いを言っている。
>>608
倭寇の槍について接合部分よりももっと簡単な違いに戚継光は着目していたようだが。
『懲録』で日本側の使者が言ったのと同じことなんだけどね。
あんたら意外とあちらの文献に目を通さないね。
0616人間七七四年
2011/05/02(月) 00:31:31.02ID:7FKezDX9李如松が碧蹄館で相手にしたのって小西とか加藤でしたっけ?
>>615
開戦前。というか「その使者の人名+槍」でぐぐったら凄い簡単なところに逸話が引かれててワロタw
あんたらそんなところも見てないのかよって。まあ、『懲録』なんて貴重書でもなんでもなく
入手がごく容易ですから本文を実見することをオススメしますよ。
http://www.amazon.co.jp/懲ひ録-東洋文庫-357-柳-成竜/dp/4582803571
0617人間七七四年
2011/05/02(月) 00:42:05.97ID:S4NLvhXP[柚谷]康弘は、仁同を通過しながら、槍を持った人々を横目で見て、「おまえたちの槍の柄の、何とも短いことよ」と笑った。P.9
これだけ?他にもありますか
0618人間七七四年
2011/05/02(月) 01:07:12.19ID:fHFYUif1というか燥いでる人以外みんな知ってるだろうけど
0619人間七七四年
2011/05/02(月) 01:19:40.95ID:S4NLvhXP0620人間七七四年
2011/05/02(月) 07:20:05.33ID:V1hjNWUX0621人間七七四年
2011/05/02(月) 08:07:21.02ID:Ug7PqNk5槍の柄の何とも短いことよ:日本では実戦をむねとして、必要に応じ、
長さ六尺(一尺は約三○・三センチメートル)あるいは九尺の手鑓、
時には長さ一丈(約三メートル)ないし二間(一間は約一・八メートル)または
三間に及ぶ長柄をつかった。
これにくらべ、李朝の宣祖時代の武備はまったく装飾化し、槍も、実戦にはほとんど役立たない、
儀仗兵の飾りに過ぎなかった。
>>618
というわけで訳者は日本の槍全般に比べて朝鮮の槍が短く非実戦的であると
考察しているわけで長柄に限ってない。豆って何?
騒いでるというか呆れてるんだがね。訳知り顔で語っておきながら
2ちゃんに貼られてる部分しか見てないのかよって。
0622人間七七四年
2011/05/02(月) 09:15:16.72ID:33yW4L+rまさか『懲録』のごく最初の一部分と、日本人の短い解説だけしか読んでないのに
>あんたら意外とあちらの文献に目を通さないね。
>あんたらそんなところも見てないのかよって。まあ、『懲録』なんて貴重書でもなんでもなく
>入手がごく容易ですから本文を実見することをオススメしますよ。
こんな挑発的なこと書いてたわけじゃないよね?
で、他に日本の槍の記述があるのはどこですか?
0623人間七七四年
2011/05/02(月) 14:17:14.66ID:fHFYUif1>倭寇の槍について接合部分よりももっと簡単な違いに戚継光は着目していたようだが(キリッ
明軍の長柄槍は日本勢と同じ様な長さ、これは前秦時代から変わらない
長柄槍は概ね374cm〜405cm、手槍は1m前後
御林の使っていた日本刀の長さが162cm、日本薙刀の長さが286cm
戚継光は明人だから違いを感じ取れない、なんせ違いが無いのだから
「臺灣鄭氏始末」でも、
成功使張光啟如日本乞師。
(中略)
十一月,光啟使還,言日本上將軍不允發兵,助銅嗊、鹿銃、倭刀為備。
という風に、援兵は得られず、大砲鉄砲日本刀の物質的支援を得たのみと記録している。
他に鎧兜等々の支援もあったはずだが、こちらには記録されていない。
(別なものに鎧兜類も記録されていたと思ったが、ちと失念。スマン。)
いずれにせよ、槍類の記録がいまいち判らない。
まあ、単に不勉強なだけかもしれないが。
中身は日本のローニンが主体だったとも言われているけど。
0626人間七七四年
2011/05/03(火) 01:21:39.03ID:aXJ4Is89って貨幣なのか? よくわからん。
0627人間七七四年
2011/05/03(火) 11:21:43.21ID:QCdbp+5b『単刀法選』だと刃渡り三尺七、八寸の刀を一尺二寸の柄を合わせて
五尺の刀としているから、その数え方だと三尺の方は定寸の打刀と大差ないってことになるな。
0628人間七七四年
2011/05/03(火) 11:32:13.88ID:QCdbp+5b武者を切って落とす報告もあるし、白兵戦闘とおぼしき報告も多い。
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ
:若党松山左近将監疵を被る
0629人間七七四年
2011/05/03(火) 12:05:49.04ID:QCdbp+5b0630人間七七四年
2011/05/03(火) 20:25:45.81ID:sHRMMdGQ0631人間七七四年
2011/05/03(火) 21:33:25.87ID:w+hkFKHe行われない方がおかしい。
南北朝時代は、騎馬が弓を持たなくなっていき、
太刀や野太刀、薙刀といった馬上打物に移行した時代。
0632人間七七四年
2011/05/03(火) 22:07:37.83ID:ykJJ3jgB平安〜鎌倉〜南北朝の間、日本刀の形そのものも微妙に変化しているが、そういうのも無かったはず。
0633人間七七四年
2011/05/04(水) 15:11:20.67ID:sadCOW/u報告されている。
『四五 烟田時幹軍忠状写』
・ついで家子鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、
切り捨てせしめおわんぬ。この条、小野崎次郎左衛門尉見知しおわんぬ。同じく
若党富田次郎太郎信行、同じく城内責入り切捨ておわんぬ。
0634人間七七四年
2011/05/04(水) 21:30:01.88ID:cYrjQdhY>壁を切り破り
って表現を読んで、
「日本刀で城壁を斬った、昔の人はスゲー!!」とか思ったりする人もいるんだろうか
0636人間七七四年
2011/05/04(水) 22:20:51.74ID:sadCOW/u手柄や受傷など、それが白兵戦によるものか遠距離戦によるものか、不明かを分類した。
白兵戦:9件
「二九 塙政茂軍忠状写」
手柄:怨敵三騎を討ち捕え(白1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人井河又三郎幹信御敵一人を切り落とす(白2)
負傷:家子鳥栖太郎三郎貞近右小膝を切られ(白3)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人富田左近允信之、御敵の頚を捕りおわんぬ(白4)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
手柄:鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。(白5)
:同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。(白6)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し(白7)
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。(
白8)
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ(白9)
0637人間七七四年
2011/05/04(水) 22:21:40.25ID:sadCOW/u「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:旗差弥次郎男射殺されおわんぬ(遠1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
負傷:(家子鳥栖太郎三郎貞近)同じく乗馬を射らるる(遠2)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
負傷:旗差別当三郎国重左肩を射られおわんぬ(遠3)
「一一四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:日々矢戦仕る。(遠4)
不明:8件
「二九 塙政茂軍忠状写」
戦死:山本四郎義長討ち死に(不明1)
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:家人鳥栖彦太郎幹安討死におわんぬ(不明2)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
負傷:若党新堀修理亮公夏右脛に疵を被りおわんぬ(不明3)
「七一 烟田重幹軍忠状写」
負傷:家人小高根三郎左衛門尉・塙衛門二郎疵を被る事(不明4)
「七五 烟田重幹軍忠状写」
負傷:切岸において合戦、若党鳥栖式部丞疵を被りおわんぬ。(不明5)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
「一○六 烟田幹胤代胤幹軍忠状写」
負傷:城責めの時、最前に切岸に上り、合戦を致すの間、家人小高根左衛門四郎疵を被るの条、(不明7)
「一一二 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:庶子上谷田疵を被りおわんぬ。(不明8)
0638人間七七四年
2011/05/04(水) 22:38:27.18ID:sadCOW/uただし「五五 烟田時幹軍忠状写」「五九 烟田時幹軍忠状写」「七七 烟田重幹代井河信吉軍忠状写」
「八一 烟田重幹軍忠状写」「八三 烟田重幹軍忠状写」「一○三 亀谷田胤幹軍忠状写」からは
手柄や受傷などの情報を得られなかったので、それらを除いた11件が今回のサンプルということで。
「鉾田町史中世資料編 烟田史料」総説に「激動の中世を必死で生き抜いた小さな武士団」と評されるような
地方の小勢力ではあるけれども、尊氏軍に属して鎌倉入り都入りをしたり、以降も在地の合戦で北朝側として
小田城攻略などに従い、あとは小山若犬丸の乱、上杉禅秀の乱と、従軍した戦いはメジャーなところが多い。
0639人間七七四年
2011/05/05(木) 09:25:06.71ID:vKA1SPEOまさに略奪
0640人間七七四年
2011/05/05(木) 18:28:08.73ID:gMUO8rZ4いや、いないと思う。
0642人間七七四年
2011/05/05(木) 20:37:53.26ID:8agLdJAa「日本刀を抜いて突撃した」という意味に脳内変換される人間は大勢いるからな
0643人間七七四年
2011/05/05(木) 20:49:24.58ID:hkh7EYL+0644人間七七四年
2011/05/06(金) 00:13:20.96ID:RsjoqIej0645人間七七四年
2011/05/09(月) 18:54:10.36ID:i1w13RJnあたり見て、日本刀否定論者の人物像が見えたような気がする。
なんとかして人の優位に立ちたいだけの奴なんだな。
そもそも歴史自体大して興味も無い。
普通は過去の世界像の再構築という目的だから、その為の情報収集なので最終的に
現実的と思える全体的な世界像が出来上がらないと済んだ気にならないわけだが
何か常識的なもの=多くの人が信じてる物と「違う何か」を見つければ、それで満足でありそこがゴールなので
例えば、戦闘を扱った資料を読んでも戦闘の流れをシミュレーションしてみるでもない。
結論に至るまでの手続きが一つ二つ足りない。
だから穴だらけの間抜けな話をしてたりするんだが、本人には分からない。
0646人間七七四年
2011/05/09(月) 19:08:34.16ID:i1w13RJn経験の幅が違うと、同じ人間のやる事でも理解出来ない、想像することすら難しい。
例えば全くスポーツ経験の無い奴は、アスリートの経験する世界を全く理解出来ない。
人より優位に立ちたいってのが先行しちゃうと、
そういう事に無自覚なまま、自分の狭い日常世界の常識で世界を見てしまう。
「ありそうな事、現実的な事」と「あり得ない事」の切り分けを自分の日常範囲でやってしまってる事に気付かない。
偉ぶった間抜けの一丁あがりというわけだ。
0647人間七七四年
2011/05/09(月) 20:22:08.64ID:9eSJqpLJ0648人間七七四年
2011/05/10(火) 17:08:18.12ID:7TpiYX9u壁破りや海戦における工具として使われたという。
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/image/0507F.JPG
>蜂須賀軍は、斬り合う刀で敵の要塞の壁や柵の破壊もおこないました。
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/020507.htm
あまり刀というものを狭く考えすぎるのもよくないと教えてくれるな。
もちろん、烟田氏一党が件の合戦でこれを使ったなんて話をしてるわけじゃないので。
0649人間七七四年
2011/05/10(火) 19:07:56.57ID:ZKRD1dLJ0650人間七七四年
2011/05/10(火) 20:31:39.78ID:/32dLf3c短刀に鋸刃があるものも。鞘が大工道具を意匠としているのも面白いな。
0651人間七七四年
2011/05/14(土) 20:22:47.69ID:hLo/tZ4o自分の脳内で「頭の悪い保守派」を作り上げて
自分の都合の言いように作品内で主人公達に
論破させてシャドーやってる雁屋さんみたいなもんでしょw
0652人間七七四年
2011/05/14(土) 20:58:50.47ID:MADSK11L0653人間七七四年
2011/05/14(土) 23:25:27.80ID:q9DzSoqm武器として常用されたかどうかは微妙
少なくとも「武器として使われる場面はある」のは確実。
主力の武器だったかどうかという点では、少し...
0654人間七七四年
2011/05/14(土) 23:45:55.56ID:LJ4sQyC0戦闘員の誰もが持っていて乱戦、白兵戦になれば
誰もが使う可能性のある武器ではあるが。
0655人間七七四年
2011/05/15(日) 01:20:00.30ID:mMsnb+jA古代・・・ 弩(バリスタ)で砲撃→弓、手弩(クロスボウ)を発射→歩兵、騎兵の白兵戦
源平時代・・・ 馬上から矢戦→名乗りをあげる→一騎打ち→助太刀が入り白兵戦
室町〜戦国前期・・・ 盾を並べて矢戦→敵が怯むか矢が尽きたら白兵戦
戦国後期・・・ 竹束・盾を並べて銃撃戦→長槍隊同士の叩き合い→徒歩武者と騎馬武者が突入
0656人間七七四年
2011/05/15(日) 01:24:18.40ID:mMsnb+jAそれから突入という流れがセオリー。
まあどこの国でもそうだけどね。
0657人間七七四年
2011/05/15(日) 11:50:22.46ID:1SAnCPwN刀の腕を鍛える競技はあまり聞かないもんな。
0658人間七七四年
2011/05/15(日) 12:54:06.43ID:mMsnb+jA秀吉の天下統一前後、鉄砲が主力となるまでは
戦国時代の主装備と言えるのは槍または長槍だろうね。
刀は槍を斬られたり落としたりした時に必要なので、使用頻度は低くないと思う。
0659人間七七四年
2011/05/15(日) 14:44:20.41ID:1SAnCPwN剣術が上手くて出世した武将はあまり聞かないな。
0660人間七七四年
2011/05/15(日) 15:00:17.53ID:8GDXie7a三国一の弓取り
なんてのもあったな。もっとも、彼に関しては、弓術で出世したという事実はないが。
ただ、戦国期には弓術が得意だと特別扱いされる場面はあった模様。
剣術、刀術で出世したとか、あまり聞かないな、たしかに。居ないわけではないと思うんだが。
0661人間七七四年
2011/05/15(日) 15:09:08.47ID:j/h2xg/j鉄砲が主力というほど多くの戦闘員に行き渡っていたのか?
0662人間七七四年
2011/05/15(日) 17:05:44.54ID:B2w5ShW10663人間七七四年
2011/05/15(日) 17:53:52.95ID:8GDXie7a統一後の時代ぐらいになると、
鉄砲装備の兵が3割とか4割、それ以上とかいうような大名も出てきてるしな。
これぐらい増えてたら主力といえるんじゃないか?
0664人間七七四年
2011/05/15(日) 18:33:04.23ID:Z815ZnPy白兵戦で使われたのは槍じゃなく刀だから、槍どうこうは関係無いな
>>659-660
むしろ槍より多いよね、著名な武術家にも剣術師範多いし
0665人間七七四年
2011/05/15(日) 19:38:07.19ID:HDMoP1Gh剣術が優れた奴と、弓術が優れた奴と「使う側」から考えると
特殊技能として評価されるのはやはり弓術だという気はするけど。
戦術的な幅が広がったりするでしょ。
個人的な有用性は剣術の方がありそうだけど、軍としての有用性はやはり飛び道具の方が上だと思う。
剣の達人ったって漫画みたいに無双出来るわけでもないだろうし。
剣術なら1対1で決して負けない位でも充分優れていると言えるし、
二三人相手でも確実レベルだと、それはもう化け物だろうけど
それが戦術的にどの程度意味があるかつーと微妙だよね。
それだけでは、戦場においては決して死なない、余裕がある以上の優位さはないだろう。
だからそれを生かして指揮能力を発揮するとか無いと、出世とかには結びつかない気はするけど。
でもこれは主力武器と言えるかどうかという話とは、少し違うよな。
0666人間七七四年
2011/05/15(日) 19:42:05.70ID:HDMoP1Gh誰でも持ってる技能はそれほど評価はされない。
また平均値が高ければ高いほど、突出するのは難しいし、
突出量も小さくなる。
0667人間七七四年
2011/05/15(日) 19:48:09.15ID:HDMoP1Gh槍や弓はそうではなかったという解釈の方が自然な気はする。
「主力武器」と言えるかどうかってのは、使用頻度の問題であって
特別な評価を受けているかどうかってのは少しずれてる。
有用性には「無くてはならないもの、無いと始まらないもの」と
「そうそうあるものでもないが、あるととても有難いもの」の二種類が少なくともある。
0668人間七七四年
2011/05/15(日) 19:59:10.33ID:HDMoP1Ghではそこで使われた武器とは何か?
弓では勿論無い。
槍かというと、これも違うと思う。白兵戦を槍で戦い切る事が出来る人ってのは
本当に一握りしかいないと思う。それは密集戦では決して有利な武器ではない。
刀に対して槍が有利なのは、1対1の場合なのであって、白兵戦は別に1対1の勝ち抜き戦じゃない。
残るのは刀しかないと思うけどね。で現実に全ての武士がそれを携行してるわけで。
むしろ刀が主力武器であることを否定する根拠がわからない。
0669人間七七四年
2011/05/15(日) 20:28:16.00ID:e35nSkOT>刀は槍を斬られたり落としたりした時に必要なので、使用頻度は低くないと思う。
いや、もっと積極的に使われているだろう。槍脇で使われている例も多い。戦国時代の生き残りが書いた
『三河物語』では槍合わせに同行するたくさんの郎党たちが「刀ヲヒンヌキヒンヌキ、主々より先に立たント進ミケレバ」と
主人の槍に刀を付いていくように表現されている。『雑兵物語』でも槍合わせの最中に刀で切り込んでくる敵がいる。
二番槍と言われるのを嫌って刀を使った侍のエピソードもある。ちなみにこの侍はこのあと鉄砲で撃たれて死ぬが、
二人を切り伏せており白兵戦で遅れを取ったわけではなかった。あとは大久保彦左衛門本人が自分の寄子が
敵城主を倒すのを刀でアシストしたことも。城主がちゃんと名乗っていたらそんなことはさせなかったのにとは言っているが。
『三河物語』
・何方之合戦にも、人数多シト申共、先ヱ出テ鑓ヲ合ル者ハ、五人拾人にハ過ざる物ナレ共、
此人々は森山より、此時之事思ひモウケタル事ナレバ、少モ騒事モ無。侍請て百四五十人一度に、
錣ヲかタブケテ、根強ク突イテ係ケレバ、主従に付て残之者共、刀ヲヒンヌキヒンヌキ、主々より先に
立たント進ミケレバ、三ノ備ヲ切崩シケレバ、残備ハ共に敗軍スレバ、悉ク切捨にシテ、
・其時、八屋半之丞少ヲソク出ケレバ、「半之丞、鑓が初ゾ。急」ト云ケレバ、八屋聞て、「人ガ鑓ヲシタラバ、
我ハ切合迄ヨ。半之丞ガ二番鑓ヲシタルト云ハレテハ、ウレ敷モ無。鑓ハ持て来ルナ」ト云テ、持せズ。
然処に、鑓脇に抜放シて居タル者ヲ、ハシリ入て二人切伏せて、
・然間、城の大将にて有ける岡辺丹波をバ、平助(大久保忠教・著者本人)が太刀付て、寄子の本多主水に打たせけり。
丹波と名乗りたらバ、寄子にハ打たせまじけれ共、名乗らぬうへなり。
『雑兵物語』
・おれが旦那は二番鑓を合わせしが、かす手もおわない。其鑓脇傍輩衆をたのんで刀鑓脇をつめなさつた。
・一番の鑓ががつちと合と、其まま其敵を突き殺し首を取なさつた。おれもすけべいと思つたが(中略)敵が壱疋旦那を
打べいとてみやうたん柿のうんだごとくなさ鉢の男が刀を抜て来る所で、
・二の先から横鑓は入ないで、まづ騎馬を引勝て三十騎、鑓を持人もあり、刀を持人も有、弓を持人もあり、鉄砲を持人もあり、
0670人間七七四年
2011/05/15(日) 20:45:10.88ID:8GDXie7a1に鑓、2に弓。
最後に、武器になりそうなものならなんでもいいから持ってこいと付け足されてる。
刀の扱いは、その程度。
0671人間七七四年
2011/05/15(日) 20:47:56.42ID:e35nSkOT・若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、一五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
・これらの人々は大いに武器を尊重する傾向があり、その階級を問わず、十二歳に達すると、ことごとく大・小(両)刀を携行する。
・日本人は心猛く、武器に自信あり。十三歳以上の少年は剣および短剣を帯して決してこれを放さず、また弓の達人にして、彼等は世界中の人々を蔑視せり。
・日本人は戦を好み、十歳より剣を帯し、剣を抱いて眠れり。
0672人間七七四年
2011/05/15(日) 21:07:38.36ID:HDMoP1Ghそれからわかるのは刀の扱いではなくて、
集められる兵の用途だろう。
持って来るべき武器を指示し無いとならないレベルの兵の使い道としては
それしかないだろう、実に合理的だ。
0673人間七七四年
2011/05/15(日) 21:12:46.69ID:e35nSkOThttp://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_1.pdf
浮野合戦の事
・然るところを、信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを、
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かゝり向つて、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き比類なき仕立なり。
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_8.pdf
樋口夫婦御生害の事
・其の中、心ある者ども、はだかになり、伐刀ばかりにて、七八百ばかり切つて懸かり、伐ち崩し、
御一門を初め奉り、歴々数多討死。
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf
信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事
・歴の上掾E子供、一に引き寄せ差し殺し(城内の将兵は、妻子を一人ずつ引き寄せて刺し殺し)、切つて出で、
働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。
又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、 矢数射尽し、後には刀を抜き切りてまいり、
討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。
0674人間七七四年
2011/05/15(日) 21:15:22.22ID:WC5ZPIx+やはり接近戦を厭う風潮があったのだと説いていたけど
秘書一番槍之説での一番槍の定義の方が納得できる。
0675人間七七四年
2011/05/15(日) 21:17:57.92ID:HDMoP1GhKOする確率が一番多いパンチはなんだろう?
0676人間七七四年
2011/05/15(日) 21:26:32.40ID:HDMoP1Ghとは言えそもそもの論点は刀は主力武器かどうかでなくて、刀は武器として実際に機能していたのか
それともお飾りか、残務処理の包丁だったのかという話だったはずだわな。この論点の推移は滑稽だ。
戦闘はいくつかの局面を移行していくものだろうし、
その局面局面で「主に使われる武器」は違うだろうな。
0677人間七七四年
2011/05/15(日) 21:31:52.56ID:e35nSkOT彼の主張は本来飛び道具だけで殲滅は可能だが、日本では首取りの習慣があったので
本来必要のないはずの白兵戦らしい戦闘が行われることもあった、とかなんだけど
陣形が崩れてきたときに刀で一方的に切り込まれることで起こる恐慌とか浮き足だたせることの
戦術効果は軽視できないと思うんだよな。あと、これはローマの例だが、グラディウスの切れ味の
凄まじさがマケドニアを戦意喪失させることもあったという。
『共和制ローマの軍隊200BC‐104BC―地中海の覇者』
・この剣は攻撃的な武器として優れており、刃身は非常に強度が高く、両刃の部分はよく切れた(ポリュビオス)。
スペイン式の剣はマケドニア人にすさまじい衝撃を与えた。リウィウスは、第2次マケドニア戦争の初期の小競り合いで、
スペイン式の剣が死体にどれほどの傷を負わせたかをマケドニア軍が見たときに、彼らを襲った戦意喪失について記している。
多くの場合、剣は四肢を切り離し、死体の首をはねた。
0678人間七七四年
2011/05/15(日) 21:38:05.41ID:e35nSkOT実際にはこういうことも起こるわけで。戦国人はハードに固執し過ぎて頭の堅い現代人を笑いそうだな。
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
0680人間七七四年
2011/05/15(日) 21:54:16.22ID:e35nSkOTこの割合を見る限りジャブだけで勝利は可能なはずだが、ボクシングの
試合においては派手なKO劇が求められたため、戦いには本来必要のない
左フックなどがKOの道具として使われることもあった。
0681人間七七四年
2011/05/15(日) 22:03:30.52ID:K/xqwttOそういう例え方するなら
威力は絶大だが試合ではまず当たらない右フックを刀に例えた方がいいような。
0682人間七七四年
2011/05/15(日) 22:20:52.71ID:Z815ZnPy刀はありふれてるし誰でも簡単に持ち運べるからね
>>677
同じく戟や矛を装備する長兵の多かった六国の兵も、短兵の多い秦に苦戦した
0683人間七七四年
2011/05/15(日) 22:54:26.57ID:lA2299iG>陣形が崩れてきたときに刀で一方的に切り込まれることで起こる恐慌とか浮き足だたせることの>戦術効果は軽視できないと思うんだよな。
これは面白い論点だね。考えて見れば戦ってのはそういうもんだよな。
「一撃で死ぬ」ってのは物凄いプレッシャーだよな。
0684人間七七四年
2011/05/15(日) 23:19:13.45ID:4Osw1863「御敵散々ニ打負シ」程度の記載しかされないから記録ではどうだったのか
わかりにくい。その辺の戦闘は軍忠状に拘らず戦国時代人の残した報告などから
考えていくほかないと思う。
0685人間七七四年
2011/05/15(日) 23:21:19.49ID:mMsnb+jA0686人間七七四年
2011/05/15(日) 23:22:19.65ID:8GDXie7a秀吉の九州出兵時、薩摩兵は勇猛だから長篠での武田同様、
かなり反撃くらいそうだ〜
なんて言ってたらしいしなあ。
>677
飛び道具だけで殲滅可能なら、
現代戦では戦車とか対地攻撃兵器(戦闘ヘリとか攻撃機)、それに空爆までで充分で、
歩兵なんか必要ないことになってしまわないか?
歩兵なしには戦いは無理な気がするんだが、だからといって歩兵が主力と言えるのかは疑問が...
0688人間七七四年
2011/05/15(日) 23:41:36.90ID:mMsnb+jAそのすぐ後ローマはピュドナの戦いでマケドニアを破る。
正面から戦列を組んでの戦いは長槍のファランクスに圧倒されて交代しっぱなしだった。
が、林に誘い込んで長槍密集陣が崩れたとき、槍衾の隙間に盾と剣で潜り込んで勝った。
マケドニアの剣xiphosはローマの剣グラディウスより短く、剣では勝負にならん。
0689人間七七四年
2011/05/15(日) 23:54:20.24ID:mMsnb+jA古くは南北朝、戦国では九州を中心に野太刀も流行したが
この時代、野戦で武士が使うのはまず槍か馬上槍が大半では?
そりゃ鉄砲や弓を得意とする武士や、馬上筒を撃ってから槍を入れる騎馬組もいたけどさ。
足軽はそれぞれ鉄砲、弓、長槍、手槍を組ごとに組織されて持っているイメージだけど、
先陣に立ち両手に刀を持って矢を払う足軽もいるよな。
0691人間七七四年
2011/05/16(月) 00:22:00.21ID:VEVJ2oKn0692人間七七四年
2011/05/16(月) 00:54:32.59ID:XASvAz7Yグラディウスはスパタより短いけどギリシャの剣よりは長いよ。
マリウス改革以前のローマのマニプルス陣形は、レギオ(師団)単位では市松模様に隙間をあけることもあるけど
その場合もマニプルス(中隊)単位では方形密集陣なので、変則的密集陣といえるんじゃないかな〜。
山岳民族との戦争の教訓から、小隊単位で小さく分かれて戦うこともできる。
0693人間七七四年
2011/05/16(月) 01:39:35.31ID:rPAR9AQPレギオンは方形でもないし密集陣でもないよ
グラディウスは結構短い、秦や六国の剣や漢代の刀と比べて1回り以上
もっとも、鋭利な刃で長剣を造る技術が無かっただけだろうけど
0694人間七七四年
2011/05/16(月) 01:46:33.09ID:5v9jQo6Q0695人間七七四年
2011/05/16(月) 02:52:24.75ID:VEVJ2oKn0697人間七七四年
2011/05/16(月) 09:27:10.23ID:CkMvs51Rそりゃファランクスよりは密度は薄いが
0698人間七七四年
2011/05/16(月) 11:01:06.01ID:+MBm80pM両手に刀を持って矢を払うなんてできるの?
やってた記録があるなら教えてほしい。
0700人間七七四年
2011/05/16(月) 14:15:49.22ID:RJH8U3500701人間七七四年
2011/05/16(月) 16:18:59.21ID:jtlTIecD兵士同士の間隔は約1m(3歩)だとされている。密集と散開の中間と言えるんじゃないか。
>>693
騎兵用のスパタはそれなりの長さだから単に運用思想の違いじゃないか。
0702人間七七四年
2011/05/16(月) 17:42:23.60ID:CkMvs51R陣形維持が基本で、方陣だから密集の範囲かと
維持の観点は横隊になっても変化ないけどね
18世紀の陣形変更手順なんて阿呆らしくなるからな
0703人間七七四年
2011/05/16(月) 18:15:09.48ID:rPAR9AQPローマ軍の戦闘隊形は基本的に方陣じゃないよ
密集でもない、というより短兵を密集させるのは利点に乏しいし
0704人間七七四年
2011/05/16(月) 19:34:06.57ID:XASvAz7Yこれを35個・3列並べて、重装歩兵の戦列を組んだ。
ウェリテース 戦列の前に散開する散兵。貧しい階級で、投槍とダガー、円盾の軽装備で前哨戦を担う。
ハスタティ 戦列の第一線を構成する。若い兵が多く、投槍を投げた後、剣で戦う。兜、鎧に、楕円盾を持つ。
プリンキペス 2列目の熟練兵。ハスタティと装備は同じだがより質が良い。
トリアリイ 3列目を担う古参兵。切り札であり、短い槍と盾で武装した。
0705人間七七四年
2011/05/16(月) 19:48:32.26ID:XASvAz7Y「散開した部隊では敵に突入を許し後背から攻撃を受けてしまう」
「兵士は等間隔で、一直線に戦列を形成すべきだ」と言っている。
まあ当たり前だ。密度が薄ければ、当然部隊は勢いで突破される。
サクソン人やゴート人のような楔形の密集陣に突入されたらひとたまりもないだろう。
散兵は当時あくまで支援的役割だ。
0706人間七七四年
2011/05/16(月) 19:52:16.25ID:CkMvs51R0707人間七七四年
2011/05/16(月) 20:06:19.66ID:rPAR9AQP今更と言いつつ理解出来てないけどなw
で、横長の方陣って何?丸い三角形、角張った円、くらい意味不明だけど
戦列陣は散兵線と違うけど同様に密集陣と戦列陣がイコールなわけでけもない
ローマ軍の編成は密集陣とは異なる、そもそも密集陣向きの武装してないし
0708人間七七四年
2011/05/16(月) 20:16:36.82ID:CkMvs51R横長の長方形ということでしょう
密集陣と戦列陣が違うと言いたいのは分かるけど
陣形を以て固定するという発想は同じでしょう
0709人間七七四年
2011/05/16(月) 20:50:30.96ID:rPAR9AQP横長の長方形なら、それは方陣とは言わない、ということ
散兵線や周回射撃も秩序だった隊形を維持して行動するのは一緒だしね
0711人間七七四年
2011/05/16(月) 23:35:51.90ID:iPkXdYRhえ?
「方」って四角のことでしょ?
正方形に限らず、長方形も「方」じゃないの?
陣形の呼び方の場合は違うの?
それじゃ長方形の陣形はなんて言えばいいの?
0713人間七七四年
2011/05/17(火) 03:04:53.56ID:fPQwD9aSなんかゆとりの国語教養は日本語じゃなってるみたいだな。
0714人間七七四年
2011/05/17(火) 03:06:26.80ID:fPQwD9aS×日本語じゃなってるみたいだな
○日本語じゃなくなってるみたいだな
0715人間七七四年
2011/05/17(火) 03:58:10.43ID:emoCjqi50716人間七七四年
2011/05/17(火) 04:10:34.77ID:TTuyOyrr0717人間七七四年
2011/05/17(火) 08:00:13.81ID:qrzLDt3P0718人間七七四年
2011/05/17(火) 09:37:23.19ID:9B1x35y30719人間七七四年
2011/05/17(火) 18:51:46.03ID:X0dzroLNマリウス改革以降のテストゥードなんて超密集だろw
つうかあなたローマ軍の知識ないよね?
知ったかじゃないの?
0720人間七七四年
2011/05/17(火) 18:57:20.60ID:X0dzroLN足軽のうち長柄は横の間隔は狭い。
武田家の長柄組の場合は、互いの肩が触れ合うくらいの間隔で横隊を組んでた。
ただし、縦深は2〜3列と薄かったと思われる。
鉄砲は火縄だから、横の間隔は狭いと危険だろう。
0722人間七七四年
2011/05/17(火) 19:29:17.54ID:SThxbJMU足軽は5より始め、25を一組となす、大備えもこれより始める
5を以て伍、25を以て両、100を以て卒、500を以て旅〜
組衆は旗本、前備え、脇備え、後備えよりする
ただし、縦深は2〜3列と薄かったと思われる?意味不明
だいたい、1人1mとして3列横隊だと1組につき展開幅は1km。アホの所業だな
0723人間七七四年
2011/05/17(火) 19:37:27.06ID:SThxbJMUどっかで見た文体だと思ったら
俺が書いたwikiをこれ見よがしにソースとして貼りつけた馬鹿か
それは攻城戦なんかの時に突っ込むための特殊隊形
会戦のときに布いた陣は密集陣じゃないよ
0724人間七七四年
2011/05/17(火) 19:47:55.44ID:X0dzroLN戦国時代の編成についてほとんど知識がないんじゃないのか・・・
悪いけど大体の人はある程度の知識を前提に話しているので
それじゃ俺の話も理解できないだろうし、話が噛みあうはずもないよ。
戦国時代の戦術単位「備」は、長柄組、旗組、弓組、鉄砲組、騎馬組といった兵科別編成で、
備1つにつき、長柄は数十人で編成された組が1〜4組程度。並んでも数十〜百数十mだろう。
0726人間七七四年
2011/05/17(火) 20:17:08.14ID:9B1x35y3間隔は兎も角、縦深は1列が基本と思われる
武田家のそれは川中島合戦図屏風を参考にしていると思うけど
あれはかなり後代の作品だから、
0727人間七七四年
2011/05/17(火) 20:24:44.91ID:SThxbJMU知識に乏しいのは解ってるから無理せず自然体でいいよ
挙げたのは軍鑑の記述、足軽は五人からなる伍を十字に組んで両とする
伍には楔型や二列縦隊、二列横隊、斜線陣、密集した凹型がある
これが基本で、組み合わせにより備えや組衆を編成
0728人間七七四年
2011/05/17(火) 20:29:14.52ID:SThxbJMU自分で書いたことを忘れたのかな?
テストゥード、これは主に攻城戦のときに用いられた方法論ね
会戦に用いられたのは、密集形態ではない戦列陣で
アテナイやスパルタのような手槍と盾を敷き詰める密集陣は布いてない
0729人間七七四年
2011/05/17(火) 20:43:51.62ID:X0dzroLN叩き合いだから一列でも問題ないんだろうか。
あの屏風絵は装備も大時代風になっているけど、
長篠後、1976年に出された軍役定書には、長柄・持槍(といっても長さ4.5m)どころか鉄砲・弓衆にまで
兜、咽輪、手甲を要求していて、結構な重武装。
0730人間七七四年
2011/05/17(火) 20:56:22.45ID:9B1x35y3叩き合いというのは槍足軽が主力から交代した時代の
「雑兵物語」の記述だからね
あの時代は突いたりもしていたかもしれない
0731人間七七四年
2011/05/17(火) 21:01:25.53ID:X0dzroLN中隊単位の長方陣の話をしていて、中隊単位のテストゥード隊形を例に出したまでだが。
そもそもテストゥードは飛び道具を防ぐ、野戦での使用も普通だった。
特に対パルティアなどの東方遠征で使ってるね。
基本的な中隊戦闘隊形も十分に密集隊形だろう。
少なくとも散開には見えないと思わない?
で、あなたの主張の根拠になるローマ軍の陣形はどういう形なの?
0732人間七七四年
2011/05/17(火) 21:07:46.73ID:X0dzroLNあと、ローマの話はこっちでしよう。見てみてくれ。
住人には盛大なスレ違いで申し訳なかった。
古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1303648201/
0733人間七七四年
2011/05/17(火) 21:38:31.00ID:/GgXq9Q3野戦で使われた描写は出て来ないね、少なくともカエサルの従軍記には出て来ない
東方遠征の従軍記で邦訳されてる本あったっけ?しかも、横長の長方陣ではないし
基本的な中隊戦闘隊形は少なくとも密集ではないね。散兵ではないけど密集隊形でもない
縦1横2くらいの戦列を布いた、密集と散兵の中間くらいの密集度の隊列かな
0735人間七七四年
2011/05/21(土) 12:34:53.79ID:jbFJ1eVqhttp://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai
0737人間七七四年
2011/05/21(土) 23:20:51.29ID:outX+myu本屋で立ち読み(こんな本買う価値ない)したが、あまりの愚見に失笑のオンパレード。
頭悪いな、こいつら。
そういえば、以前こいつらの愚作を拠り所に俺に論戦挑んできて、
ボッコボコに論破された序二段力士がいたな。
0738人間七七四年
2011/05/22(日) 00:03:01.68ID:nQnhrpgv0739人間七七四年
2011/05/22(日) 00:12:21.48ID:WPkyCqJYまた赤っ恥かきたいのか。
やめとけ。
0740人間七七四年
2011/05/22(日) 00:20:46.94ID:nQnhrpgv0741人間七七四年
2011/05/22(日) 01:09:43.66ID:siALXWKi0743人間七七四年
2011/05/22(日) 14:49:48.36ID:nQnhrpgvユニークで結構
0744人間七七四年
2011/05/22(日) 14:58:09.49ID:SJR1BY/oコイツの時計は5年遅れてるのか?
0745人間七七四年
2011/05/22(日) 17:18:01.97ID:tCUqun25本能寺関係には興味ないのでわからん。
0746人間七七四年
2011/05/23(月) 14:40:31.94ID:pOpMHn+n0747人間七七四年
2011/05/23(月) 15:20:05.47ID:K/4I/C7L違和感あっても読んでなければお前らも反論はできんかっただろ
0749人間七七四年
2011/05/23(月) 18:36:22.03ID:ZhuKzy5w戦国時代絡みの主張はどっちかというと鈴木寄りなんだよな。
ちなみに司馬遼信者w
0750人間七七四年
2011/05/24(火) 15:58:49.99ID:hJbGOr2W0751人間七七四年
2011/05/24(火) 18:38:42.63ID:7KFx2g3A0752人間七七四年
2011/05/24(火) 21:04:59.04ID:4yulJgAp0753人間七七四年
2011/05/24(火) 21:47:58.83ID:Bu9qpHPv0754人間七七四年
2011/05/24(火) 22:07:50.63ID:EV7jV3Yr0755人間七七四年
2011/05/25(水) 13:21:47.19ID:7zYQJ4jfなんでもかんでも「運がよかっただけ」って、おちこぼれが優秀な人間をひがむのと
全く同じ構図だもんなぁ。
0756人間七七四年
2011/05/25(水) 17:21:50.99ID:RGaMR3PT読んだが、藤本氏と鈴木氏のことは完全に無視していますね。
0757人間七七四年
2011/05/25(水) 17:34:37.67ID:Q/9Wfp15谷口が「信長は謀略で殺されたのか」が出たことを書いている。
ちゃんと読んだ?
ただしすずきしんやとルビを誤っているがw
0758人間七七四年
2011/05/25(水) 17:38:39.65ID:LZlGFtdJ信長革命だっけ?最近出した本に則ったこと書いてるのかな
0759人間七七四年
2011/05/25(水) 20:00:50.86ID:RGaMR3PT藤田氏は完全に無視していると言いたかったんです。
0760人間七七四年
2011/05/25(水) 20:53:48.76ID:IDo9o1ig桐野作人の顛末みれば相手にしたくはないだろし、しても得がない。
0762人間七七四年
2011/05/25(水) 21:07:40.60ID:FNpGiIe9発 者 同 . 。_ ____ 争
生 同 .じ . /´ | (ゝ___) い
.し 士 .レ .__/'r-┴<ゝi,,ノ ro、 は、
.な で .ベ ∠ゝ (ゝ.//` ./`| }⌒j
.い し .ル } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
.! ! か の / ´..:.} >、、___, .r、 ソ、`\
/ ..:.:.} / |∨ ` ̄
/ ..:.:./ | 丶
/ _、 ..:.:.:.{ .{.:.:. \
{ ..:Y .ゝ、 {.:.:.:.:. ヽ
|、 ..:/ 丿 .:〉 >.- ⌒ . ヽ
/ {. ..:./ ソ ..:./ .( ..:.:.:` ..:}
./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./ .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
./..:.:/|.:/ {.:./ X.:.:}.} X X
/..:.:/ .}.:| }:/ .Y丶ヽ Y.:Y
. __/.:/ { } 《.〈、 _,,__>.:》丶 Y.:\
/.:.:.:.:.::/ !.:.:ゝ ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ \.: ̄>
0763人間七七四年
2011/05/25(水) 22:35:17.70ID:ILXWweoq藤田は問題あり過ぎなのが一目で分かる
0764人間七七四年
2011/05/25(水) 22:37:18.57ID:Q/9Wfp15自分だって新書出してるくせに。
0765人間七七四年
2011/05/26(木) 01:23:34.83ID:vmbt6Kod0766人間七七四年
2011/05/26(木) 01:50:22.94ID:TCWK2T1T0768人間七七四年
2011/05/26(木) 08:33:28.92ID:Fx3bwzM9相変わらずテレビに出てるけど?
0769人間七七四年
2011/05/26(木) 10:38:21.47ID:xJJHpkXp確か井沢もいたはずでなかなかオカルトチックで壮観だったような。
0770人間七七四年
2011/05/26(木) 14:41:00.72ID:lrgdfIw9それはそれは・・・
0771人間七七四年
2011/05/26(木) 15:30:34.14ID:NwLeDXEy0772人間七七四年
2011/05/26(木) 15:40:03.71ID:BCp4GvnG0773人間七七四年
2011/05/26(木) 17:13:36.41ID:TCWK2T1T桐野、妄想することが仕事であるいわいる作家。ただし歴史に対する姿勢は真摯。
井沢、作家、史実よりインパクトを重視。もちろん研究者ではなく作家なので無問題。
藤本、研究自体はまともだが地味。衆目を集めるため鈴木と組んで煽り倒す煽り屋。
鈴木、東スポの見出し。
俺の感覚だとこんな感じ。あまり彼らの本は読まないから間違ってたらすまそ
0774人間七七四年
2011/05/26(木) 18:54:17.44ID:1iksuSO70775人間七七四年
2011/05/26(木) 18:59:09.33ID:KTOeap1G藤田は「信長革命」とかパラっと見ただけで頭痛くなってきたわ。
信長にどれだけ夢見てるんだあいつは。
0776人間七七四年
2011/05/26(木) 19:02:16.59ID:MUIgNaSiでも商売柄、文体がなにやら見てきたようなドラマ仕立てになってる事が多いのが玉に瑕。
0778人間七七四年
2011/05/26(木) 19:53:20.68ID:pY60FD7D0779人間七七四年
2011/05/26(木) 22:37:56.17ID:U6QLHOvt>桐野は少なくとも小説以外の場では常識はずれな事は言わないからな。
いや、そうとう捏造めいたこと書いてるよ。
0780人間七七四年
2011/05/26(木) 22:56:56.74ID:lrgdfIw90781人間七七四年
2011/05/26(木) 23:02:52.02ID:pY60FD7D説得力あるでしょ
0782人間七七四年
2011/05/26(木) 23:33:56.09ID:KTOeap1G第二次木津川口の戦いなんて存在自体うさん臭い。
0783人間七七四年
2011/05/27(金) 00:41:19.36ID:Hzer4E7e0784人間七七四年
2011/05/27(金) 00:50:10.40ID:D/+2TT5p実際煽り文句と内容がかけ離れてるからな、藤鈴は
0785人間七七四年
2011/05/27(金) 01:06:17.92ID:5KnxFpsS目糞鼻糞の争いだな
0786人間七七四年
2011/05/27(金) 06:03:46.87ID:nCviW8mD0787人間七七四年
2011/05/27(金) 08:18:21.06ID:7stTV0Haでは毛利水軍をどうやって破ったんだ?
0788人間七七四年
2011/05/27(金) 10:06:51.96ID:/kq3CsKx海戦で毛利水軍は破られていない。
いわゆる「第二次木津川口の戦い」があったとされる後も毛利は海上から本願寺に兵糧を
普通に入れている。これは織田が本願寺を海上封鎖出来ていなかった証拠。
毛利の兵糧入れが不可能になったのは中国戦線で羽柴秀吉が、宇喜多との同盟を
成立させるなどして毛利領へ深く侵攻してから。
すなわち毛利水軍の東瀬戸内における「陸の拠点」が攻略されたため、本願寺までの「遠征」が不可能になった。
0789人間七七四年
2011/05/27(金) 10:44:39.64ID:iMjUE1da0791人間七七四年
2011/05/27(金) 11:20:55.37ID:iMjUE1da一海戦の有無を、兵粮入れを完全阻止できたかどうかだけで判断するような
非論理思考に賛同しないと病気扱いかよw
0792人間七七四年
2011/05/27(金) 11:40:54.70ID:+mOMMVTQ藤田「謎とき本能寺の変」講談社現代新書
鈴木・藤本「信長は謀略で殺されたのか」洋泉社y新書
新書には新書で応える、これになんの問題が?
読者としても新書のほうが気軽に読めていい。
ついでに言っておくと桐野もPHP新書で「だれが信長を殺したのか」
を出している。藤田説への批判もしてるが、これもいけないのかい?
0793人間七七四年
2011/05/27(金) 11:58:26.36ID:D/+2TT5pだから一般向けの本で名指し批判はやめましょうという紳士協定があるわけで
掟破りでドヤ顔されてもねぇ
0794人間七七四年
2011/05/27(金) 12:50:10.80ID:feu/xMTz売れりゃ正義が学問の世界で通用していいのかどうか。
0795人間七七四年
2011/05/27(金) 12:56:06.38ID:b//1RXkx>いわゆる「第二次木津川口の戦い」があったとされる後も毛利は海上から本願寺に兵糧を
>普通に入れている。これは織田が本願寺を海上封鎖出来ていなかった証拠。
それを示す確実な資料は存在しないだろ?
分かってるのは、それ以後も本願寺が兵糧に困っていなかったらしいことだけ。
まあ、播州に本願寺協力者の拠点があるうちは単発の小規模な運び込みを阻止するのは無理だろうが。
鉄船は、そもそも鉄船であることを確実に示す史料がないんだよな?
伝聞記事だけだったような...
0796人間七七四年
2011/05/27(金) 17:22:59.83ID:mOcDHy8u相手の意見に反応してるだけのようなところがある。
藤本と合うのもそういうとこじゃないのかな。
藤本もあれだけ言って置いて見解が分かれる三職とかそういう問題に
自分の考えみたいなのは言わないし。
その点桐野は主張点ははっきりしてるしわかりやすい。
そこを強調したのが井沢なんだけど、案外面白いのだよね
範囲が広いからあれなんだけど。
0797人間七七四年
2011/05/27(金) 18:00:34.13ID:iMjUE1da0798人間七七四年
2011/05/27(金) 19:31:04.18ID:mOcDHy8u関しては面白いと言うことで。
なんでも丸暗記で知識たくさんあるのが優秀と言う今の
アカデミックなのには受け入れられないだろうけど
普通の社会と言うのは、知識よりも知恵、で自分の考えとかを主張したのが
出世したりする。
そういう意味で井沢、桐野は面白いこと言うな、と思ってね。
0799人間七七四年
2011/05/27(金) 19:42:57.59ID:iMjUE1da知識の絶対量が不足してて、いかにも底が浅いからなぁ。
0800人間七七四年
2011/05/27(金) 20:05:56.34ID:feu/xMTz0801人間七七四年
2011/05/27(金) 21:03:27.16ID:/kq3CsKxいいか?毛利が普通に海上から兵糧を入れている以上、本願寺の海上封鎖という織田水軍の
戦略目標は全く果たされていない。
仮に第二次木津川口の戦いがあったとすれば、それは通常言われているような織田の勝利ではなく、
むしろ戦略的には敗北だったと考えざるを得ない。
しかし毛利側の記録には、木津川での織田水軍との大規模な交戦の記録は存在しない。
ましてや鉄甲船など。
よって第二次木津川口の戦いの戦いはなかったか、ごく小規模な交戦だったと考えられる。
これはごく常識的な考え方だと思うが?
0802人間七七四年
2011/05/27(金) 21:39:47.63ID:kzxBcoi20803人間七七四年
2011/05/27(金) 23:32:58.14ID:b//1RXkx>毛利が普通に海上から兵糧を入れている以上
って、史料としては存在しないよな。
「たぶん」毛利が普通に海上から兵糧を入れている
としか言えんだろ。
>しかし毛利側の記録には、木津川での織田水軍との大規模な交戦の記録は存在しない。
そもそも木津川口は主戦場だったんだろうかね?
単に戦場の一つだっただけってことは?
べつに木津川経由じゃなくても大阪湾から本願寺に運び込むルートはあったという気もしなくはない。
織田が確保してる拠点、本願寺より南方では天王寺付近しか分からんし、
木津川と天王寺の間は海岸付近が軒並み本願寺の勢力圏内のままだったりはしない?
木津川で織田が勝ったところで兵糧輸送の阻止にはならんかも。
運び込める量が少し減るだけで。
>ましてや鉄甲船など。
それってホントに舟なのかねえ?
長さの割に幅が広すぎるし移動速度が異常に遅い。
「船で曳航することができる可搬式の水上要塞」みたいな感じだったりしないか?
0804人間七七四年
2011/05/28(土) 00:17:53.40ID:JW+4YFyR実際に見たオルガンティノの書簡では
大砲と長鉄砲には触れているけど装甲に関しては記述無し
鉄板張りの船なら秀吉家康も作ってるから信長が作っててもおかしくはないが
多聞院日記だけでは確実に在ったとは言ず
また、多聞院日記を否定できるだけの材料も無い
0805人間七七四年
2011/05/28(土) 00:24:17.46ID:iNw2mso9木津川口海戦の有無は
兵粮入れを完全阻止できたかどうかで判断出来るだろ
アホか。 鉄甲船はあった派だけど
0806人間七七四年
2011/05/28(土) 01:03:12.27ID:R2l5gXY1毛利家文書834 小早川隆景書状写
「去六日至木津諸警固乗入、大坂衆申談候、
敵船雖罷出候、舟軍等勿論此方得勝利候」
毛利家文書832 下間頼廉書状写
「諸警固一昨日六日木津浦御着岸候、当寺大慶此事候」
11月6日というのは信長公記の記述と同じ日なので、海戦があったのは間違いないかと。
あと、信長公記の記述では、織田方が海戦に勝利して、
毛利方の船を「数百艘木津へ追い上げ」た、となっているので、
海戦の勝敗以外については毛利側の記述とも合致しているし、
別に本願寺の完全封鎖に成功した、とか書いてるわけではないよ。
0809人間七七四年
2011/05/28(土) 03:17:30.34ID:iNw2mso90811人間七七四年
2011/05/29(日) 00:49:48.58ID:0eLOrpcE「去十三日、大坂表警固船盪上候(中略)
此方警固遂一戦、敵船数百艘即時切崩(中略)大坂城中兵粮差籠、」
上杉家文書648 毛利輝元書状
「至大坂諸警固船差上、於木津河口、去十三日敵船数艘切崩、
千余人射捕之、至寺内兵粮入置之、」
上の2つの書状は天正4年に比定されていて、
1回目の木津川沖海戦の様子を伝えたものだけど、
兵糧を輸送する為の船団で戦闘を行い、
そのまま同日中に兵糧搬入に成功した、と読むのが自然。
天正6年については毛利家日記に
「兵粮両度被入、信長公より九鬼大隅守に被命、以大船川口被塞、
雖然打破り、兵粮を入る」
とあるそうなので、2回目についても兵糧搬入の船団で戦闘して、
そのまま木津浦に到着してるんじゃないの。
0812人間七七四年
2011/05/29(日) 09:12:06.90ID:k4MVpi4Qと強弁したわけだな。
0813人間七七四年
2011/05/29(日) 11:13:12.64ID:nIibvUknリアル社会では誰にも構ってもらえないから、よっぽどバーチャル世界で構ってもらいたいんだな。
可哀想な奴。
0814人間七七四年
2011/05/29(日) 12:19:54.68ID:Wj7jtXba0815人間七七四年
2011/05/29(日) 14:16:20.24ID:nIibvUkn藤田「謎とき本能寺の変」講談社現代新書
鈴木・藤本「信長は謀略で殺されたのか」洋泉社y新書
この典型的駄作二冊の信奉者なら思考停止の空脳君ということか。ブザマだ。
0816人間七七四年
2011/05/29(日) 14:21:38.98ID:nIibvUkn村上水軍の拠点が宇喜多領内にあったとは驚いた。
あ、ごめんごめん。誰かさんの脳内妄想の中だけの話だっけ。
あっさり論破されてる間抜け(爆笑)
0817人間七七四年
2011/05/29(日) 17:22:43.87ID:klDliSl5横レスするが、
本願寺に味方する雑賀衆が舟で播磨まで行って兵糧を仕入れてから本願寺に搬入したという史料もあるようだし、
宇喜多寮内からの兵糧搬入はあっただろ。
ただ、運び入れたのは毛利軍じゃないと思う。
788は毛利の勢力を過大評価してるよな。
0818人間七七四年
2011/05/29(日) 17:37:28.76ID:0NuEqMkx>>811
2次海戦について
毛利側からは、「俺らが勝った。兵糧も搬入した」
織田側から書かれた『信長公記』では「織田軍が勝った」
となってるんですね。
0820人間七七四年
2011/05/29(日) 18:00:12.69ID:Wj7jtXba0821人間七七四年
2011/05/29(日) 19:17:30.80ID:nIibvUknわざわざID代えて自演する愚行から抜け出せない空脳。
自説の根拠薄弱を蜃気楼の「数」で補完しても無駄なのを一向に理解できない基地外。
0822人間七七四年
2011/05/29(日) 23:27:27.93ID:klDliSl5村上水軍の根拠地ではないけど、
「第二の拠点」みたいなのが宇喜多領に近い海域にもあったんだっけ
0823人間七七四年
2011/05/30(月) 00:55:09.14ID:gR2XkHWN0824人間七七四年
2011/05/30(月) 00:57:39.37ID:FtHh/XoU0826人間七七四年
2011/05/30(月) 18:19:14.81ID:juX6Kdnd0827人間七七四年
2011/05/30(月) 21:38:34.00ID:lQ/KDfEA織田側の記録に「兵糧入れられた」というのがあったなら決定的だが
毛利側の自称「兵糧入れた」だけだから今一つ信憑性に欠ける。
せめて本願寺側の記録に「兵糧受け取った」ってあったら確度高いんだけどね
0828人間七七四年
2011/05/30(月) 21:44:23.49ID:wrjG+g3k毛利側の記録に「木津川で負けた」というのがあったなら決定的だが
織田側の自称「木津川で勝った」だけだから今一つ信憑性に欠ける。
せめて本願寺側の記録に「木津川で毛利が負けた」ってあったら確度高いんだけどね
0830人間七七四年
2011/05/30(月) 22:28:52.52ID:wK3PkgwF天正四年の海戦はほうろく火矢でやられて織田方の完敗
天正六年の海戦は序盤は支えきれないように見えたけど大将船を壊したら他の船が寄ってこなくなった
って感じだし、毛利水軍に対して無力だったのが互角に戦えるようになったって位のが穏当な評価じゃないの
下間頼廉が喜んでるから多少の兵糧入れできたように思えるし一方織田方の大船も被害受けた様でもなく船団も
維持できてるようだし 少なくとも毛利水軍に大打撃を与えたとか本願寺を完全包囲したとは元々書いてない
件の大船については、実際に沈んでないようだしほうろく火矢への対策が施してあったと考えるほうが自然だと
思うけど確証はないしなあ…
0831人間七七四年
2011/05/30(月) 23:50:28.03ID:iUFjQK2i鈴木説を当然のように語るバカがいるんだな
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/anime4vip/1306635885/
0832人間七七四年
2011/05/31(火) 01:54:34.35ID:+4BnrVew最終回観たらもーどーでもよくなっちゃったなーw
0833人間七七四年
2011/05/31(火) 02:35:49.58ID:JLsJkDE3種類にもよるが西洋剣は頑丈ってイメージだけの産物なのに
0834人間七七四年
2011/05/31(火) 07:37:31.35ID:r06ZAEXI日本の戦闘力が世界より劣ってると主張するのがそんなに嬉しいのか?
我田引水や贔屓の引き倒しは当然いかんが、
色んな資料や検証で優れてる点が存在していると提示されているのに
それをガン無視してでも日本ダメ言わないと死ぬ病気にでもかかってんのか?
オレにはさっぱりわからん。
0835人間七七四年
2011/05/31(火) 09:09:48.57ID:01eIfFvd0837人間七七四年
2011/05/31(火) 09:52:16.72ID:TgO7xiVh俺は「おめでとう」オチじゃなくて安心したけどなw
>>833
金属の微細組織レベルで全然構造が違うという事を無視して
とりあえず見た目が幅広で丈夫そうだからって
イメージだけが根拠なんだよね西洋厨の主張は。
0838人間七七四年
2011/05/31(火) 11:52:43.35ID:goMhU/Lk0839人間七七四年
2011/05/31(火) 16:50:51.17ID:R+xuXTKO「ゲームやアニメ」でくくるのは勘弁してくれ。
ごく1名の無能な奴が自演で暴れまくっているんだ。
0840人間七七四年
2011/05/31(火) 17:00:24.58ID:7p2Ytw77鵜呑みにしてるだけだからな
いまさら鈴木かよと言っても、鈴木って誰?とかで通じないから困る
0841人間七七四年
2011/05/31(火) 17:37:32.37ID:HnkHI7770843人間七七四年
2011/06/02(木) 11:16:30.00ID:Bb24+EMe日本刀を材料工学の観点から強度や靭性に着目した論文なら
どっかで見たことあるよ。マルテンサイト変態とか絡んでくるからね。
西洋剣の方は知らん。
0844人間七七四年
2011/06/02(木) 13:20:47.62ID:Bb24+EMeそういう論文があってもおかしくないだろうけど
0845人間七七四年
2011/06/02(木) 17:19:57.83ID:QNcaM6ubhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110001488535
国立情報学研究所で調べれば大抵の論文を見いだせる
無料でないのも多いが、それでもページ数まで指定されているから、
その後は国会図書館のネット複写サービスに申し込めば良い
金は多少かかるが、仕方がない
良い時代になったもんだ
0846人間七七四年
2011/06/02(木) 20:01:45.72ID:Z/lxlhYhhttp://www.youtube.com/watch?v=EDkoj932YFo&feature=related
KATANA
WINS
0847人間七七四年
2011/06/02(木) 22:30:26.13ID:Q9qlG6fW藤木久志センセの戦国時代像を元にした話が流れてるね〜
藤本センセの話と違ってこのトピとは関係なかったかもしれんけど。
0848人間七七四年
2011/06/03(金) 16:30:05.65ID:5fo6fUHbあるところにはあるもんなんだな、thx
ただ西洋剣について詳しく知るには英語の書籍や文献にあたるしかないみたいだな。
翻訳されてる物は皆無みたいだし。
0849人間七七四年
2011/06/03(金) 21:59:18.27ID:FmGe+ZRpさすがに日本人なのかどうかすら疑いたくなる連中だよなw
0850人間七七四年
2011/06/03(金) 23:05:00.41ID:DoKn+9f00851人間七七四年
2011/06/04(土) 00:24:38.91ID:udcv/x1t通じないな。鈴木の本にはそこまで書いてないだろ、って突っ込んだら
鈴木って誰?だからなw
0852人間七七四年
2011/06/04(土) 03:09:50.36ID:f0fYasN2家訓曰く
0853人間七七四年
2011/06/04(土) 05:39:10.57ID:Y3XU0V8Nネットやテレビで聞きかじった「通説をひっくり返す衝撃の真実!」というインパクトだけで
汚染源が無限増殖し伝播、いつのまにやら巷に定着するという悪夢。
どうにかならんもんかのう。
洋楽かっけー邦楽だせぇwな中二病患者に混じって、
捏造・曲解乙ネタを悪意をもって繰り返し刷り込んでる連中がいるようでどうにも気に入らん。
一番気に入らんのはそーゆー連中に武器を提供するぶっ飛び論者だが。
鈴木しかりイザヤベンダサンしかり
0854人間七七四年
2011/06/04(土) 14:10:55.20ID:3FSXgGkmこんなのばっかだからな。
0855人間七七四年
2011/06/04(土) 16:15:40.37ID:3fh7nECaそんなことも知らんの?
…とかなw
0856人間七七四年
2011/06/04(土) 22:04:31.73ID:k1MOyzy30857人間七七四年
2011/06/04(土) 22:55:39.45ID:p+XwxjxKかつて(主に00年代前半)どや顔で鈴木説語ってた奴らはほぼ粗方駆逐されたのはいい。
最近は素人でも簡単に論文や一次史料
更には理系関連の論文まで見れるようになったからね。
いやー情報化社会様々だねw
0858人間七七四年
2011/06/05(日) 03:53:31.08ID:QQwR7Gntあーゆー討論って、結論には至らなくてもどちらにより理があるか、
少なくともどの発言者がキティかふつうに見分けがつくもんな。
まあ、専門外カテ(主にフィクション系)ではカウンター出せる人少ないせいで
トンデモ蘊蓄の独擅場になりやすい危険性は相変わらずだけど
0860人間七七四年
2011/06/05(日) 10:16:47.29ID:+uGyAuoM素晴らしい知見をお持ちのようだな
0861人間七七四年
2011/06/05(日) 12:44:47.21ID:IHCxnjGtむしろ単独でないといってるまともな学者の名を聞きたいが。
歴史読本に載ってる藤田達生とか、本願寺教如説の小泉義博とかは
笑いとばすしかないレベルだぞ。
0862人間七七四年
2011/06/05(日) 13:20:39.88ID:d2Hrc1kK高柳か桑田の後追いもしくは補強にしかならないから
まともな学者ほど本能寺を避けてるともいえる
0863人間七七四年
2011/06/05(日) 14:57:25.95ID:7vZDToLN状況証拠だけじゃ灰色無罪か灰色有罪の判決しか出せないだろ。
0864人間七七四年
2011/06/05(日) 15:06:19.25ID:d2Hrc1kK0865人間七七四年
2011/06/05(日) 15:20:19.71ID:56XVPTXv0866人間七七四年
2011/06/09(木) 00:33:59.27ID:GutMjwwQhttp://history.harikonotora.net/img/200-61.jpg
0867人間七七四年
2011/06/09(木) 01:27:39.10ID:Snz3cg/f→長槍は重くて長すぎるから邪魔。鉄砲は弾込めしている間に逃げられる。
騎射ができるならともかく、徒歩で走りながらの弓射ってどうなの?
→軽くて片手でも使える刀が主力。
騎馬での追撃なら騎馬槍でも可。
こんな感じ?
0868人間七七四年
2011/06/09(木) 01:29:05.38ID:bSp3fVV7戦意の低い雑魚兵だけ刀を持ってたと言われても反論できない場面に見える。
もうちょっとまともな絵があればなあ。
0869人間七七四年
2011/06/09(木) 01:33:15.59ID:7X4kXa6i陣地内での乱戦用に刀を用いてるとしたほうが自然かな
0870人間七七四年
2011/06/09(木) 04:38:07.16ID:BTH5vuKV信長死後の秀吉や秀吉死後の家康の一連の謀略が天下取り狙いだと、どの史料にも載ってないが、
それを根拠に彼らの天下への邪心を否定する馬鹿は素人でもいない。
史料絶対主義の馬鹿の典型的陥穽。
0871人間七七四年
2011/06/09(木) 04:48:28.64ID:BTH5vuKVおいおい、とっくの昔に破綻している単独犯説を支持しているようでは話にもならん。
ましてや専門家云々とのたまって他人の肩書き頼りが唯一の論拠では、笑止千万、愚の骨頂だ。
その愚劣極まる論法では、
麻生馬鹿総理が「未曾有」を「みぞうゆう」と読み違えたら、
その肩書きにより、その読み方が正しいことになる。
が、ちゃんと初等基礎教育を受けてる人間なら、
間違ってもその読み違いを是としない。
つまり、学者云々の肩書きにすがって愚説を支持してるということは、
己の愚かさと頭の空っぽさを露呈させてるだけ。
0873人間七七四年
2011/06/09(木) 07:18:24.97ID:ZkZTg1YA0874人間七七四年
2011/06/09(木) 08:12:50.92ID:YzvTrgCE家康は周りに戦意の低い雑魚兵ばかり置いていたんですね。
http://history.harikonotora.net/img/200-62.jpg
0875人間七七四年
2011/06/09(木) 09:22:47.55ID:DlNqjy6h0877人間七七四年
2011/06/09(木) 16:03:17.39ID:7X4kXa6i0879人間七七四年
2011/06/09(木) 19:26:25.33ID:YzvTrgCE生きている間に雑魚兵に護衛させる武将として
描かれてしまったわけです。
0882人間七七四年
2011/06/10(金) 00:17:27.31ID:PI6LRClAだから、鈴木が「首を切り取るために大刀を用いた」なんて書いたことは一度もないから。
桐野氏が曲解してるだけ。
「首を取るために接戦をしに兵士が飛び出し、防衛側も応戦する。その際、刀での攻防が行われた」
それが鈴木の言う「首取りのための刀」だって。
0883人間七七四年
2011/06/10(金) 01:32:36.00ID:RXMehSbFそれが鈴木の言う「首取りのための弓矢鉄砲」だ。
なるほど
0884人間七七四年
2011/06/10(金) 01:36:20.34ID:PI6LRClA0885人間七七四年
2011/06/10(金) 02:13:23.93ID:DCS/CiP10886人間七七四年
2011/06/10(金) 08:23:54.34ID:IAjvtvrT>「首を取るために接戦をしに兵士が飛び出し、防衛側も応戦する。その際、刀での攻防が行われた」
鈴木は「白兵戦らしきもの」とか一段貶めて定義しているけど
それは普通に白兵戦だよねw
0887人間七七四年
2011/06/10(金) 13:29:55.90ID:xE7jzZrP誰が見ても如何わしい悪徳詐欺商法が芸能人を広告塔している詐術に騙されて、
大金を騙し取られる馬鹿と同類だな。
0888人間七七四年
2011/06/10(金) 14:33:09.08ID:FGQE1VUN0889人間七七四年
2011/06/10(金) 14:53:18.21ID:LjEOalOD流れ的に言えば鈴木藤本も騎馬隊自体は否定してない
0891人間七七四年
2011/06/10(金) 21:57:27.03ID:x3Ohsmyu最初は、
『日本には白兵戦などなかった!遠戦志向だなんたkぁんたら!』
だったのが、
『白兵戦らしきものがあったふfrなsjようだ』
に変化したりする。
最初だけ電波でぶっ放して後は日和見しやがる
騎馬隊とういか、騎馬武者?
0893人間七七四年
2011/06/10(金) 22:29:55.68ID:9gfWEjKm0894人間七七四年
2011/06/11(土) 00:07:24.61ID:4o18IPgb0895人間七七四年
2011/06/11(土) 00:22:00.24ID:NI8pXwbQ0896人間七七四年
2011/06/11(土) 00:22:19.69ID:901Tfxxn騎馬武者はいるけど騎馬隊はない
騎馬隊はいるけどメインじゃない
メインじゃないけどサブメインみたいな
サブかもしれないけどメインに近い
メインどうくさい
0897人間七七四年
2011/06/11(土) 02:02:39.09ID:5Qx1wdgC騎馬武者もいたし騎馬隊もあった
0898人間七七四年
2011/06/11(土) 02:10:18.86ID:l/bUq8gV騎馬武者だけで構成された部隊というものを正式に組織した軍なんてあったっけ?
騎馬武者って、数名以上の部下(大半は徒歩)を連れた上司(概して領主)なんだから、
部下と離ればなれに部隊を組まれるのって、財産権を激しく侵害されてる状態だろ。
それと、部下を連れてない状態って、行動の制限が大きくなりすぎないか。
ほんとに短期間の臨時行動でない限り、騎馬武者だけの集団で行動することはないだろ。
0899人間七七四年
2011/06/11(土) 03:08:52.16ID:l/bUq8gV馬廻衆とか母衣衆とかって全員が騎馬武者だったっけ?
0900人間七七四年
2011/06/11(土) 10:29:07.58ID:py43glzw何度も何度もガイシュツだけど、単独犯と言い切ることができるほどの
資料もないんだけどな。
>>899
馬廻りは基本的には伝令ということだけど、決戦時に突撃しなかったとは
とても思えないからねい。
鈴木・藤本はその名を素人に売ったのは軍令状の扱い、刀の評価、
騎馬の評価の3つだけど、その3つともで決定的な間違いを犯しているんだよなぁ。
中でも特にアレだったのが馬だろうね。なんせ、体高の測り方すら
知らずにモノを言っていたんだもの。
0901人間七七四年
2011/06/11(土) 10:40:32.68ID:NI8pXwbQこれは大陸の騎士団や騎兵隊も同じ。
逆に騎兵だけで編成するのは遊牧民系等の特殊な例。
単純に騎馬隊はあったかと聞かれたらあったと答えるしかない。
0902人間七七四年
2011/06/11(土) 11:28:36.25ID:lmtQl0Wp>単独犯と言い切ることができるほどの資料もない。
じゃどうして、事件直後から1980年代までは単独犯説しかなかったの?
90年代以降に出てきた黒幕説は全部、結論が先にあって史料を曲解するか、
史料も何もないものばかりなんだが。
0904人間七七四年
2011/06/11(土) 14:44:29.80ID:5Qx1wdgC中国やマケドニアは騎兵単独だけど
0905人間七七四年
2011/06/11(土) 18:04:04.25ID:l/bUq8gVすると、騎兵部隊と言っても徒歩の速度でしか移動できないわけか。
突撃時も徒走の速度なの?
それとも、突撃時だけ従者は置いていって、あとから追いつかせるの?
0906人間七七四年
2011/06/11(土) 18:05:34.92ID:l/bUq8gVやっぱり従者は一時的に置いていくのかな。
0908人間七七四年
2011/06/12(日) 14:36:30.08ID:u575co39騎馬が歩兵とセットなのは弱点を補っていて、理に適っている。
0909人間七七四年
2011/06/12(日) 14:52:09.03ID:qIUb5BrNよほどの乗馬の達人じゃなきゃ片手に武器を持って落馬せずに駆けるのは至難の技だよ。
0910人間七七四年
2011/06/12(日) 14:55:57.69ID:eTs7ZZSK乗馬は武士の嗜みの1つだぞw
>地面がボコボコの戦場で馬を全力で走らせることはまず無かっただろうね。
>よほどの乗馬の達人じゃなきゃ片手に武器を持って落馬せずに駆けるのは至難の技だよ。
これが出来なきゃ馬に乗れるといえないレベルだろw
0911人間七七四年
2011/06/12(日) 15:21:28.82ID:axYSqfbc0912人間七七四年
2011/06/12(日) 15:34:05.97ID:eTs7ZZSK言葉が足りなかったな
馬が使える程度の戦場の意味で言ってたよ
馬が使えない状態のところで無理やり使う意味ないし
0913人間七七四年
2011/06/12(日) 16:42:47.21ID:uan0TXtA全力疾走できなければ戦場で使えないという理由にはならない
0914人間七七四年
2011/06/12(日) 16:52:05.63ID:6UftsQfM全力疾走の馬が突撃とか、映像作品に毒されてるわ
0915人間七七四年
2011/06/12(日) 20:48:19.22ID:7TqKFpws騎射戦闘が主流だったんだから、全力かどうかはともかくとして、
走らせながら戦ったのは間違いない。
0916人間七七四年
2011/06/12(日) 20:54:37.79ID:axYSqfbc0917人間七七四年
2011/06/12(日) 21:05:07.58ID:ocLmlgxZ0918人間七七四年
2011/06/12(日) 23:13:20.75ID:7TqKFpws最高速度は関係ないだろ
斬り合いったって、走らせながらの斬り合いは短時間で、すぐに馬を止めての斬り合いになるんじゃないか。
逃げる方は馬を止めないように頑張るけど、
追撃側は相手の馬を止めさせるわけで。
(追撃戦以外では走らせながら戦う必然は低い)
馬を走らせて戦うのがメジャーだった頃は武士の武器は主に弓。
武士が弓兵じゃなく打物兵に変わった戦国時代には、戦闘時に馬をあまり走らせない方が多かっただろ。
そうそう。
騎射のときの敵との距離が10mとかその程度、至近距離での射ち合いなんだよな。(鎌倉時代とかには)
鉄砲だって、その程度の距離まで引きつけて撃つように教えられていたらしい。(こっちは戦国時代)
数十メートルもの距離で戦う場面は限られてたんじゃないかなあ。
0919人間七七四年
2011/06/12(日) 23:19:27.05ID:9V29+HyE>鉄砲だって、その程度の距離まで引きつけて撃つように教えられていたらしい。(こっちは戦国時代)
そのソース何? 雑兵物語だったか当時の射撃開始距離は一町ほどということだったかと記憶してるが。
銃の性能と次射を考えればその方が理にもかなってると思う。
0921人間七七四年
2011/06/13(月) 00:21:30.00ID:iLx2HqXr2射目が撃てない距離なら一撃必中の距離まで待てという教えの
一部だけを取り出して物を語ると言う鈴木の見出しにつられたネット患者の同類だな
0922人間七七四年
2011/06/13(月) 02:13:19.05ID:ObwDg4H50923人間七七四年
2011/06/13(月) 03:07:23.10ID:rWScnCSoその場で担当者打首にするわ
0924人間七七四年
2011/06/13(月) 03:22:15.94ID:WaTq/yGS0925人間七七四年
2011/06/13(月) 04:08:14.70ID:/Gfow174それTVの歴史番組あたりではよく出てくるTipsだが、かなり眉唾だと
思ってる。
火縄銃の射程は天候状態や技量によって射程は千差万別だが、実射実験で
スリーブ入れた小口径銃でも30mで軽く足軽胴は抜けるので、六匁筒なら
最大射程200m以上、有効射程(何らかの殺傷能力がある)が少なくとも
100mってとこじゃないのかね。
実際、朝鮮役では懲録あたりの記述からは二匁半でも100m以上から
射撃していたように解釈できるからな。
0926人間七七四年
2011/06/13(月) 22:12:53.50ID:WbP75V5n0927人間七七四年
2011/06/13(月) 22:27:03.87ID:6DUFAfEQと書いてあった。
0929人間七七四年
2011/06/13(月) 23:12:35.90ID:vbkgMzYW0930人間七七四年
2011/06/14(火) 01:09:15.50ID:25KFnEZs騎馬どうしの戦いって、
・馬を止めて斬り合う
・併走して斬り合う
・正面衝突型
が考えられるけど、920の言うような、速度を上乗せできるのは正面衝突型だけだろ?
軍記物で多く見られるのは併走型(追撃戦でも多く見られるはず)、
戦国期に多いのはたぶん、停止型。
どちらの場合も、馬の速度を上乗せして武器の威力を増すことはない。
騎馬武者が歩卒あいてに刀を振り回す場面ってホントに多かったのかな?
0931人間七七四年
2011/06/14(火) 01:17:49.61ID:9t1AEUPg何で日本だけ停止型にならなきゃいけないんだ?そこを証明してもらってからだな
0932人間七七四年
2011/06/14(火) 02:18:42.63ID:UGQ7L3iQ0933人間七七四年
2011/06/14(火) 02:38:32.97ID:ZMdu6VO50934人間七七四年
2011/06/14(火) 04:10:06.43ID:NXa3dUNO奇襲だから、大事なのは戦闘に入る直前までじゃないかな。
だから遭遇してしまえば後は撹乱させて、味方の他の兵科が
くるまで相手を混乱させれば作戦として成功じゃないだろうか。
0935人間七七四年
2011/06/14(火) 04:12:25.51ID:NXa3dUNO敵を騎馬隊だけで壊滅・壊走させれば上出来だが。
0936人間七七四年
2011/06/14(火) 08:48:46.25ID:TE+Ji3OE0937人間七七四年
2011/06/14(火) 09:41:18.25ID:jj7d0v77しかし山を登る能力は高い。
0938人間七七四年
2011/06/14(火) 09:56:34.12ID:s2n0TdzE体格はともかく持久力や速力はちゃんと調教してみた上での結論か?w
サラブレットでも調教しなきゃ持久力も速力も競走馬並になることはないぞ
0939人間七七四年
2011/06/14(火) 11:48:22.20ID:ezbNFrS60940人間七七四年
2011/06/14(火) 16:05:33.43ID:8Y3XBOgo0941人間七七四年
2011/06/14(火) 16:45:48.23ID:QKi/1Sofグスタフアドルフのスウェーデン軍は騎兵の長剣突撃で有名だが、
そのスウェーデン軍の装備目録によると、騎兵用軍馬の体高は112〜133cmと日本馬より体格が小さいそうだ。
前列が短銃で斉射したあと、長剣を振りかざして突撃するという戦法で活躍した。
(昭和28年に、新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は129.5cm)
これほど体格の小さい馬でも突撃は十分可能である。
また、モンゴル軍の軍用馬の平均体高は120〜130cm程度で、
モンゴル人はこの小型馬に乗り戦闘を行なったわけだ。
0942人間七七四年
2011/06/14(火) 17:00:24.32ID:ezbNFrS6ソースは司馬遼っすか。
0943人間七七四年
2011/06/14(火) 18:04:46.89ID:Bevb3M/Y↑によれば旧ローマ帝国領内から出土した馬の平均体高は140cmほどだそうだ。
日本馬よりは大きいがそれでもいわゆるポニーサイズ。そのサイズの馬に後期のローマ軍は馬鎧を着せて突撃させていた。
0944人間七七四年
2011/06/14(火) 18:21:01.15ID:8Y3XBOgo匈奴は主力が漠南だから馬も小型
0945人間七七四年
2011/06/16(木) 04:36:32.02ID:HKpyvbxr0946人間七七四年
2011/06/20(月) 17:57:17.12ID:G9KtQzlvhttp://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0c9c5b5b.258a331d.0c9c5b5c.0cdf0c42/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fneowing-r%2fneobk-974310%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fneowing-r%2fi%2f10506795%2f
最近、エッセイみたいな軽い読み物が多いな。
0947人間七七四年
2011/06/20(月) 22:24:35.47ID:NYG0y/HP0948人間七七四年
2011/06/21(火) 15:31:51.10ID:vTioUpeq0949人間七七四年
2011/06/22(水) 19:52:11.42ID:GzA+jnMy1万人の軍勢が食べる食べ物の量は、1日だけで10トンだぞ。
1人1日1kgとして計算。
0950人間七七四年
2011/06/22(水) 21:23:06.05ID:5Wucid1P0951人間七七四年
2011/06/23(木) 17:59:45.21ID:rFBdXBJI0952人間七七四年
2011/06/23(木) 20:43:30.23ID:7RdwuPup斧って不遇だよな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1308366899/
0953人間七七四年
2011/06/23(木) 22:24:34.37ID:y6JWcQ1K0954人間七七四年
2011/06/24(金) 00:18:26.97ID:vpnv+eqw0955人間七七四年
2011/06/24(金) 05:15:51.77ID:CbPjgyaB0956人間七七四年
2011/06/24(金) 11:40:52.48ID:JgvjeOY6通じるからなあwww
0958人間七七四年
2011/06/28(火) 09:03:25.43ID:bHkvBcDB歴史の道標
0959人間七七四年
2011/06/28(火) 22:31:24.76ID:s+P+tiSG0960人間七七四年
2011/06/29(水) 03:34:03.47ID:N31pvr5e0961人間七七四年
2011/06/29(水) 22:02:36.58ID:HZ3UQB3Uあと信長公記にも、明智光秀がなぜ本能寺の変をやったか
理由が簡潔に書いてある。
「信長を討ち果たし、天下の主となるべき」とあり、天下をとるためだった、とのこと。
0962人間七七四年
2011/06/29(水) 22:23:27.76ID:mY8aSMlO世の中は単純なものなんだが
0963人間七七四年
2011/06/29(水) 23:28:43.96ID:HZ3UQB3U信長公記に理由が簡潔に書いてある。
信長は絶好の機会と思い、ことごとく討ち果たすため、武田の背後を襲う別働隊を出した。
前後より攻められたので武田軍は軍勢を出してきた。
鉄砲の前に突撃したのは、背後から攻められたため。
0964人間七七四年
2011/06/30(木) 12:59:47.98ID:u38cKce3それほどボンクラな武将だったのか
0965人間七七四年
2011/06/30(木) 16:25:44.19ID:dc4fu5Rn0967人間七七四年
2011/06/30(木) 20:23:50.02ID:CGVNzb7lというか、他の軍記が創作多すぎ。
>>964 頼は背後から襲われる事を全然警戒してなかったのか?という質問だが、警戒して
長篠城の周りに武将達を残しているだろ。長篠の屏風に、切り伏せられている姿が描写されてるわな。
長篠城包囲のため残されていた武田軍よりも、織田の別働隊の方が大勢だったのと、特に鉄砲の扱いが上手な
精鋭中の精鋭をよりすぐった別働隊だったから、武田軍を撃破して、武田軍の背後にまで進出している。
>>965 太田牛一は無学な兵卒?。あの時代に、文書を自分で読み書きできるというだけでも
どれほど教養があったかわかるだろ。寺で修行してたし、太田牛一は記憶力が良く、頭もいい。
弓の扱いもうまく、数人は射殺して、武功もあげている。
ちなみに、これらは藤本氏の本に書いてあることだから、>>964-966は読んでないことが明白。
0968人間七七四年
2011/06/30(木) 20:31:11.34ID:CGVNzb7l三河物語の文章だの、本城惣右衛門覚書と比べると、
太田牛一はトップクラスの英才。
0969人間七七四年
2011/06/30(木) 21:08:48.36ID:4F7OT/lL> 信長公記が最も信用性があるよ
この時点で…
いいか、お前は知らないと思うが、信長公記も後世に編纂された二次資料だぞ。
そこのところよーく理解しろ。
だいたい太田牛一は長篠の戦いには参加していない上、「武田軍一万人殺した」なんて
誰が見ても過大戦果とわかる(戦死率67%だぞ!?アホか)脳みそハッピーな大本営発表を
平然と書いてる信長公記の長篠描写なんて、一文字も信用できるかよw
0970人間七七四年
2011/06/30(木) 21:12:56.93ID:1yfzA8bR>信長公記も後世に編纂された二次資料
>信長公記も後世に編纂された二次資料
0972人間七七四年
2011/06/30(木) 22:36:37.16ID:CGVNzb7l0973人間七七四年
2011/06/30(木) 22:57:56.20ID:CGVNzb7l負けることはなかっただろう」という意味のことまで記しており、参加したと思われる。
また「過半人数打たれ候」と表現があり、「次第次第に無人になって」とあるから、半数以上が戦死したと
見なしていたことがわかる。
足軽の死亡率は知らないが、主要武将の戦死率で見てみよう。
一番、山県三郎兵衛、 討ち死
二番に、正用軒 生きて帰る
三番に、西上野の小幡一党 真田家の嫡男が討ち死
四番に、典厩一党 生きて帰る
五番に、馬場美濃守 討ち死
主要武将5人のうち、3人も死んでいるじゃん。
0974人間七七四年
2011/07/01(金) 00:30:52.22ID:KX1RcR6S常識として「全滅」と呼ぶ。主要武将3人どころか、勝頼だって返ってこれないってのw
3分の2死んだら後の3分の1は間違いなく重軽傷を負って逃げるどころではないからだ。
だいたい戦国期は10〜20%の死亡で「壊滅」「大敗」と言う。
あの、掃討戦を徹底的にやった大阪夏の陣ですら、豊臣方の戦死率は多く見積もって34%だ。
長篠の後組織的に甲斐までの撤退を行い、なおかつすぐに再起できた勝頼の軍に、
そこまでの壊滅的打撃があったなどとは到底考えられない。
よって、信長公記の記事は織田軍による戦果を過大に発表したプロパガンダ以外の
何者でもない。
0975人間七七四年
2011/07/01(金) 08:09:22.59ID:yhkl9Rcb…即時に切り崩し、数万人討ち果し候、四郎の首は未だ見ず候、大要は切り捨て、河へ漂ひ候武者若干の条、其の内に之れ有るべき歟…
一次資料だというのに数万人討ち果しと大げさ表現だな。大量殺害したことは信長も自負しているわな。
0976人間七七四年
2011/07/01(金) 08:39:43.44ID:KX1RcR6S0977人間七七四年
2011/07/01(金) 19:46:09.12ID:yhkl9Rcbまた戦の全体的な眺めもわかるはずだ。なにしろ総大将なのだから。
その信長でさえ、「数万人討ち果し候」って書状に書くとはプロパガンダにもほどがある。
太田牛一は、武田15000人と見積もり、10000討ち取りと書いていることの方が、
よっぽど冷静に記録を書き残しているよ。
0978人間七七四年
2011/07/01(金) 19:54:16.95ID:yhkl9Rcb信長公記をもとにしたからだ。信長公記の記述をベースにしたからこそ、威力を発揮して、
いまでは主流の説になっている。
でも、長篠の戦いの記述では、大須賀記という家系の記録を引用している。
馬防柵の前に出て戦った、というのは、大須賀記に載っている。長篠の屏風図も、馬防柵のうしろでなく
前に出て戦っているのは、徳川軍。もっとも大須賀記では、寒狭川のあたりで3000人ほど討ち取ったと
書いてあるけどな。
これらの記述は、みな藤本正行氏の「信長の戦争」という文庫本から。古い本だが今でも強力で優れもの。
0979人間七七四年
2011/07/01(金) 21:32:59.16ID:4In/8m4W0980人間七七四年
2011/07/01(金) 21:59:16.09ID:Ceqsl8jY信長の戦争(藤本正行/講談社学術文庫)
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f1519583%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f11123391%2f
本能寺を〜嗤うと並ぶ名著ですな
0982人間七七四年
2011/07/02(土) 17:55:40.95ID:tX1fCRBu0985人間七七四年
2011/07/03(日) 00:33:27.44ID:woSDw2Rs>あの、掃討戦を徹底的にやった大阪夏の陣ですら、豊臣方の戦死率は多く見積もって34%だ。
これってどういう本に載ってるの?読んでみたいので詳しい人教えてください。
0986人間七七四年
2011/07/03(日) 00:40:55.98ID:glfxrlwZこれだと思う
日本の軍事革命
http://www.kinseisha.jp/0327.htm
0987人間七七四年
2011/07/03(日) 01:09:16.12ID:woSDw2Rsありがとうございます。
鉄砲による山城の弱体化とかも興味があったので読んでみます。
0988人間七七四年
2011/07/03(日) 01:58:20.51ID:UjassZP5何十年前の内容だ、これw
>第四章 鉄砲による山城の弱体化と城郭立地の変遷
>第五章 鉄砲の普及による野戦の決定力の上昇と大名勢力圏の拡大の促進
>第六章 兵農分離の進展とその要因
0989人間七七四年
2011/07/03(日) 04:11:11.11ID:87jtxUDs>本能寺を〜嗤うと並ぶ名著ですな
どこが名著なのか、該当箇所を列挙してみ。
立ち直れないくらいボッコボコに論破してやる。
0990人間七七四年
2011/07/03(日) 09:53:01.49ID:KeVmFlp40991人間七七四年
2011/07/03(日) 10:00:22.09ID:QsRTvU1aいっぱしの学者が妄想することが仕事である作家の妄想を並べて
横から叩き切るという前代未聞の恥ずかしい本
0992人間七七四年
2011/07/03(日) 13:30:59.23ID:l+c7Op4Sこれ読んだよ。妄想小説家の説などを批判していたが、藤本センセーがそんなことをするのは
もったいないと思った。
変なガイキチが釣れてきそうでさ。
0993人間七七四年
2011/07/03(日) 15:21:38.87ID:CzsKz0uA0994人間七七四年
2011/07/03(日) 17:18:04.39ID:c6xwc/EW0995人間七七四年
2011/07/03(日) 17:57:27.89ID:QsRTvU1aただ、大人気無いという理由で、学者が手を出さなかった出せなかった物を
この本で一刀両断した事については、
胸のすく思いをできた歴史関係者や史実好きも少なくは無いかなとも思う。
0996人間七七四年
2011/07/03(日) 17:59:13.92ID:fcz44HVihttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309683242/
次スレ立てたよ
0998人間七七四年
2011/07/04(月) 01:47:40.53ID:onB4NoUZ桶狭間に関しては正面攻撃とかいう無茶な珍説掲げて自爆したからな
0999人間七七四年
2011/07/04(月) 04:35:21.24ID:HSvH86nM致命的ってほどじゃないけどな
1000人間七七四年
2011/07/04(月) 06:48:40.25ID:j7TB1C9C10011001
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