そもそも信玄が生きていれば信長は動けなかった、動きが鈍ったと言うこと自体が決め付けでは?
俺は信玄が生きていようが死んでいようが史実どおりに信長は動いていたと見るね。
武田軍主力が三河に展開していた3月の時点で織田軍は岐阜をがら空きにして足利義昭の篭る二条城を攻撃してる。
武田には岐阜まで進める余力が無い事を見切っての事だと思うよ。

俺は信玄の作戦行動は上洛目的ではなく、遠江を占領する為の物だったと考えている。
でなければ貴重な前線基地になる浜松を放置して三河に進む事が考えられない。
現代の火力と物量にモノを言わせて短期に決着がつく時代ならまだしも
輸送手段も兵力の移動手段も乏しい戦国時代に大軍が飛び地を作って長距離遠征を行うなどまず有り得ない。
ましてや慎重の上に慎重を期す信玄がいくら自身の健康状態に不安があったとしてもその様な行動を取るとは思えん。
おそらく信玄は野田、吉田あたりまで進出して遠江を孤立させた上で撤退するつもりだったのだろう。
信長もその辺を読みきっていたから、あえて武田の攻勢を無視して対朝倉、浅井の撃滅準備に専念した。