石山本願寺や長島どちらも二万の兵を遠征に出す力が本当にあるなら
武田の侵攻は頓挫したとしても織田への五月反攻をやめる理由が別にないんだよ
他の包囲網勢力は健在だし、武田派の言う兵力なら織田に勝っている
この条件で他の包囲網勢力と織田領へ出兵していれば
志賀の陣の時のように織田を追い込み
織田を武田軍抜きでも攻め滅ぼす可能性もあっただろうに
なぜそれをしないのか?

答えは簡単そんな兵力での遠征は不可能だから
だからこそ武田軍を頼りとした、だから包囲網勢力は織田軍に各個撃破され滅んだ

志賀の陣の時も長島は遠征と呼べるほど離れていない間近の小木江城、桑名城を落とした程度
二万も遠征に出せるなら、織田主力のいない尾張に侵攻し城をもっと落としていてもおかしくない
石山本願寺も比叡山延暦寺に籠もる浅井・朝倉の援軍に京まで遠征し織田を叩いていてもおかしくない
しかしそんな兵は出ていないのだ、9月23日に織田は摂津から兵を退いており和睦まで
十分な期間があったにも関わらずだ

これらの織田の危機といえる時に石山本願寺、長島が大した動きができていない事は
つまり長島も石山本願寺も自領防衛のみの大兵力であり、大兵力での遠征はできない証拠だといえる