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【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その57

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0001人間七七四年2008/12/15(月) 18:03:25ID:pd70l85k
【武田】2万5千で上洛【信玄】その56
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222518983/l50

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

スレタイは「できっかよ」に戻す!

テンプレ
>>2-30ぐらい?
0529人間七七四年2008/12/23(火) 17:49:25ID:NBkXVNoa
ID:qbzaFV3iはアホなの?
0530人間七七四年2008/12/23(火) 19:10:28ID:/vW2bZlr
>>516
だから何度もいっているだろ。その二万という数字は、老若男女全てを合わせて
最後の砦に追い詰められた人数だと。
逆に言えば、それまでの戦いと被害で、成人男性は死亡か負傷しており、最後の
砦に集まった人数は、常識で考えれば、通常よりも足弱(女子供老人)の比率が
高まっていたと推測できる。
0531人間七七四年2008/12/23(火) 19:20:41ID:OsNHiKW6
>>473
憶測っちゅうかなあ
試しに友人にでも聞いてみな、俺の例でいいからさ
どっちを信用する?って
ほぼ間違いなく史料を基に算定した方を採るから
お前が何日計測したところで、信憑性は算定されたほうにあるっていうから

記録にいくらかかれようが、それが土台無理な話なら、その記録の記事は信憑性が無い
一切の検証をムシして、記録に書かれているからと盲目的に信じるのはどうなのよ?
まして兵数なぞ水増し上等のあやふやなものを?

そういや、島津は朝鮮の役で物凄い数の人間を切り殺していったという記録があるが、あれも信用するんかいね?
0532人間七七四年2008/12/23(火) 20:21:00ID:LWJTKB4i
コテつけて語って欲しいなダブスタさんは
0533人間七七四年2008/12/23(火) 20:27:15ID:NDMP0CYN
資料の記録で兵数ほど信用ならんものもないからな。

・当時は相手軍の実数を把握することは非常に困難。
・自軍を水増してみせかけるための喧伝は茶飯事だし雑用員やら非戦闘員を含めたドンブリ勘定が常。
・更に後世に書かれたものはとかく数をやたらと誇張したがる。

だから大抵は生産高を元に推定してるのよ。
一揆は大名と違って皆兵だとか言っても国民皆兵と言われてた太平洋戦争の末期でも
当時の人口7000万に対して動員数は640万。実際は朝鮮半島や満州からも兵隊集めてるだろうから
その分の人口足すと動員比率はもっと下がる。時代が違うとは言えどかなりギリギリの状況でも
人口に占める動員の比率はまず1割は超えないんだ。
10万の人口から2万の兵士を継続的にひり出すのがどれだけムチャかは分かるだろう。
0534人間七七四年2008/12/23(火) 21:13:58ID:H2qFYcwX
一揆と日露戦争や太平洋戦争を比べている奴って、兵一人当りのコストの差を考えないの?

竹槍や農具で自力で移動できる距離を戦う一揆と、銃機を持って海外に派遣する軍隊なんて、コストが全然違うだろ。
0535人間七七四年2008/12/23(火) 21:22:11ID:NDMP0CYN
ついでに今現在、正規軍人員の人口に占める割合が世界一高いといわれている北朝鮮が人口2300万に対して総兵力120万。5%強だな。
それを考えると10%なんてかなりの極限状態。20%なんて集める前に内部崩壊起こすわ。
0536人間七七四年2008/12/23(火) 21:33:47ID:NDMP0CYN
>>534
それを言い出すと織田も武田も〜って話になるからね。
単に諸大名が動員率2,3%の勘定でやってる中で一揆は信仰心があるから動員率20%可能なんてのは通じないってこと。
0537人間七七四年2008/12/23(火) 21:40:53ID:NDMP0CYN
あと中央集権の進んだ近代の方がむしろ国家総動員体制になることが多い。
0538人間七七四年2008/12/23(火) 21:51:57ID:mgz2O3zg
>>536
戦国大名の動員はキッチリ装備整えて継戦能力を考えての数字。
また軍役を課される農村側もそこまでなら出しましょうという数字。
自発的に動く場合に武器も食料も自弁なら、数字は全く別物になる。
0539人間七七四年2008/12/23(火) 22:46:35ID:6jBLPzY9
尾張刈安賀で勝佑・信佑が戦死した件だが、
上のHP読むとソースの原文の詳細は不明でその土地で戦死したということしか判らない、
また死んだのは9月29日長島の滅亡時の話
信長の長島への攻撃を見ると、周囲の土豪の降伏、長島の周りの砦を攻撃、そして長島の完全包囲と移行している、
もし尾張で長島にそれなりに協力する勢力がいたのであれば、とっくに攻撃されているはずだと思う。

9月29日というと
一部の一揆衆が長島の包囲を突破して逃げ散った日、
逃げ散ったものの一部に
勝佑・信佑がいて刈安賀まで逃げたがそこで戦死したか、
逃げ散ったものが刈安賀まで逃げて
勝佑・信佑らが彼らを保護しようとしたため織田軍に
討たれたと考えるほうがまだ自然じゃないかと思う。

それまで勝佑・信佑が中立を装っていたが長島が滅亡しそうになってから織田に敵対するなんてことは無いだろうし。

あとは中立を装っていたが、9月29日になって、一揆勢から勝佑・信佑らが長島に協力している事実を知って、
この時になって、ようやく攻撃対象とされたとか。

>>457
海津も1560年代前半は支配していたとは言い切れないし
二俣も信玄が死んだせいもあってか周囲は敵
岩村も翌年勝頼が18支城落とすまでは恵那郡で孤立していて敵地といえる、
秀吉も近江坂田郡を支配地域においているので普通に軍役で召集できる。

それに上の方で当時の軍制では領地に帰らないと無理みたいなこと言っていたが、
春日依田秋山にしてもその領地は甲斐や信濃にあるわけで、上の理屈によるなら
そこ出身の兵はやっぱり補充は出来ないってことになるんじゃないかと?

>>533
同感
長篠合戦など、両者の兵力は実際は織田1万2000〜1万3000、徳川4000〜5000とし、武田8000〜1万でその内、設楽原へ布陣した兵数が6000〜7000と
高柳氏が述べているが、それが事実なら、織田武田徳川すべての史料が兵力を誇張していることになる。
だから長島に関しても織田本願寺ともに誇張していると考えるほうが自然なのでは。
0540人間七七四年2008/12/23(火) 22:51:11ID:OslZJ+Zk
武器が手製の竹やりや鍬や鎌など自前で用意するとすれば問題は食糧のみ。

元々年貢として作物の半分を領主に取られていたとして、
残り半分の作物で暮らせていたわけだ。
ものすごく単純計算をすれば、領主に年貢を取られないなら動員率50%で半数が農作物を作り半数が戦っていても成り立つ事になる。

もちろんこんな単純計算が行われているわけは無いが、動員率20%が不可能な数字かと言うと不可能じゃないだろう。
0541人間七七四年2008/12/23(火) 22:59:17ID:6jBLPzY9
>>540
>武器が手製の竹やりや鍬や鎌など
そんな武器だと数はあっても戦力としてはいかがなものかと。
とはいえ当時の農民はそれなりに武装をしていたらしいので、問題ないだろうが。
壊れたり矢玉を消耗した場合にすべての人間に補給しきれるかは別問題だが。
0542人間七七四年2008/12/23(火) 23:31:13ID:/vW2bZlr
>>540
ところで、長島だけで人口10万のソースまだ?

それと、人口の50%って言っている意味判っているか?人口ってのは、赤子、幼児、
子供、青年、中年、老人、全て合わせて、克つ男女がだいたい半分づつなんだが?

仮に人口10万で5割というと、全て男にした場合でも、やはり赤子から老人まで含めて
五割5万にようやく届くわけなんだが。で、男手をそうやって全て兵士に出した場合、
女手だけでまったく同じ労働して同じ生産量を保てると、正気で考えているのか?
だとしたら、ソ連や中共の、おバカな共産主義者たちが机上の計算だけで地上の楽園
を造れると判断した、脳内お花畑の現実をまるで知らない低脳の所業だとしか。

五割の兵士にしたって、赤子や幼児や老人を戦わせるのか?
仮に二割だとしても、男の青年中年という働き盛り全てを動員しても足りるかどうか。
それで同じ労働ができると?

とりあえずこの発言でいえることは。
おまえ真正の馬鹿だろ。残念だったね、50年前のソ連か中共か北朝鮮にでも生まれて
いれば、天才ともてはやされたかもしれないね。
0543人間七七四年2008/12/23(火) 23:46:54ID:OslZJ+Zk
>>542
>ところで、長島だけで人口10万のソースまだ?
さぁ、上で10万から18万と言っているで間を取って14万としたかったが、
織田派の人間も10万と言ってるので合わせただけ。

ところで、
>もちろんこんな単純計算が行われているわけは無いが、
これ読んでる?
0544人間七七四年2008/12/24(水) 00:08:01ID:gZ+5UTBK
朝倉や本願寺・長島がそれぞれ二万の兵出せるなら
この六万と他の三好や松永達と共に動いて史実の武田が引き上げた状態でも
兵力にものをいわせ織田を倒せてると思うし
その後の長島や本願寺が包囲網勢力の朝倉や浅井、三好達が撃退されていくのを
ただ見ていた状況を見てもダブスタ君が主張する
本願寺・長島の遠征可能兵力、遠征能力は大いに疑問
というかそんな力はないから織田に負けたと史実が証明してる
0545人間七七四年2008/12/24(水) 00:41:53ID:72WLziJ6
長島一揆に攻められて信長の弟が自害してない?
0546人間七七四年2008/12/24(水) 00:47:14ID:gxDCKl5D
>>545
織田信興の事?
0547人間七七四年2008/12/24(水) 00:58:52ID:pyWXng7h
>>544
内容にも突っ込みどころはあるのだが、それはそうとして君はダブスタと言う言葉の意味を勘違いしていないか?
ちょっと君の言うダブスタと言う内容を説明しては見せてくれないだろうか。
0548人間七七四年2008/12/24(水) 00:59:35ID:7pA77kHh
>>540
不可能だよ。年貢を納める先が領主が自治組織かってだけの話だ。
仮に五公五民として収めた五で領主が治世を残りの五で再生産をするわけだ。
軍事を含めて行政を行うための五が必要なのは変らんわけ。
0549人間七七四年2008/12/24(水) 01:03:00ID:7pA77kHh
一揆に対してだけ人口比20%動員可能なんてトンデモ言うからダブスタ言われるのさ。
一揆にできるなら他のどこも似たようなことはできる。
0550人間七七四年2008/12/24(水) 01:04:47ID:7pA77kHh
まあ五公五民つっても実際の税率は20%ぐらいだそうだけどね。
あくまでも課税対象所得の5割だから。
あまり酷いことをやりすぎると天草の乱のようになる。
0551人間七七四年2008/12/24(水) 04:36:07ID:nG5tFHCk
>>545
長島の対岸の城が攻められたやつ?
1、2キロ移動するのに遠征能力はいるまいよ。
0552人間七七四年2008/12/24(水) 07:06:38ID:G5qowSsF
1、2キロなんてサラリーマンが自宅から駅まで歩いていくような距離だしな。
0553人間七七四年2008/12/24(水) 08:02:56ID:pyWXng7h
>>548
領主の場合は、軍事・行政・自分達の武具・配下への手当て・家族達への生活費を全て含めてで、
一揆はほとんど軍事じゃないのか?

>>549
一揆は大名と条件が違うでしょ。
条件が違うので結果が違うのは当たり前。
条件が違うものを一緒に考えろと言う方が訳分からん。

>>550
農民はすべて課税対象じゃないかな。
0554人間七七四年2008/12/24(水) 09:37:24ID:55JfAS0Y
>>553
何をいっている?おなじことだ。
一揆に行政はないとでも?自分達の武具、配下への手当て、家族達への生活費が
必要ないとでも言うのか?

一ついえることは、あなたは一揆とかゲリラとかそういった存在にドリームを
抱きすぎ。現実とはかけ離れている。
0555人間七七四年2008/12/24(水) 12:36:38ID:C5icpxW/
長島は豪族たちの反乱だと言いたいのかな?
豪族たちも参加していただろうけど、主体は百姓だろう。
百姓に行政が無いのではなく、百姓の行政には多額の費用なんて掛からないと言うこと。
何か人手が要るなら自分達でやるんだから。
武具なども金の掛け方が違うし、家族も武家のように生産せず消費だけの存在じゃないし。
0556人間七七四年2008/12/24(水) 13:59:00ID:WqN/k17K
>百姓の行政には多額の費用なんて掛からない

百姓の国のお隣の中国を見て同じことが言えるのかな。
0557人間七七四年2008/12/24(水) 14:05:22ID:WqN/k17K
>>553
実高と表高は異なるものだし、農村の収入は田畑によるものだけとは限らない。

>長島は豪族たちの反乱だと言いたいのかな?
実際そうだよ。百姓の持ちたる国つっても取り仕切ってるのは国人か大地主たる豪農ないしは荘園もってる寺社。
支配者の名義が違うだけ。
0558人間七七四年2008/12/24(水) 14:11:52ID:WqN/k17K
現実にある自称『労働者の天国』を見ればだいたい想像がつきそうなもんだけどねえ。
所詮、人の集団のやることなんてどこも一緒よ。
0559人間七七四年2008/12/24(水) 17:00:40ID:qYA6ZRBj
ダブスタ痛すぎ
0560人間七七四年2008/12/24(水) 19:06:32ID:55JfAS0Y
武士を生産しない消費だけとかいったり、なんとなく思ったことは、
白戸三平の漫画に脳をやられた人なのかな?

つかね、そんな不効率な行政じゃあ余計に費用がかさむだけだわな。

0561人間七七四年2008/12/24(水) 19:48:24ID:fD3xRcM6
武田派は信玄だけじゃなく
包囲網の力も過大評価しすぎだな
そりゃ上洛出来るよww
0562人間七七四年2008/12/24(水) 19:57:32ID:2zhk9iG9
一気に攻勢にうつれるような戦力あったらそもそも数ヶ月で滅亡しないっての。
武田の撤退がトドメなのは確かだが本当に十分な国力があれば一年はしのげるって。
0563人間七七四年2008/12/24(水) 20:23:13ID:gRnI0D4Q
>>524
そりゃ違うな。
現実問題として日ロ当時は兵器や装備が戦国時代とは
比較にならないほど金がかかるようになった。
それでもって一揆を当てはめるのは間違い。
0564人間七七四年2008/12/24(水) 20:26:11ID:gRnI0D4Q
>>525
普段は普通に周辺地域と一体化した宗教として生活してるよ。
そしてその教義を害する者たちに対して行動するというわけだ。
実際その教義による共同体は地域の住民たちにとって大切なものだが。
>>526
だから違うって。近代戦争と戦国時代の一揆じゃ明白に軍事動員の条件が異なる。
0565人間七七四年2008/12/24(水) 20:27:29ID:gRnI0D4Q
>>528
現にそのしわよせ覚悟で動員を行って戦い抜いてるんだけどな。
大名の軍隊とは構造が違うんだよ。
>>529
あほな理由を説明してみ。
0566人間七七四年2008/12/24(水) 20:29:14ID:gRnI0D4Q
>>530
足弱の比率が高まってる理由にはならんと思うが。
第一それまでに死んだ一揆勢の虐殺や攻略された拠点の規模からいえばどうみても
2万程度の成人男子はかたい。
0567人間七七四年2008/12/24(水) 20:31:57ID:gRnI0D4Q
>>531
その史料とやらがお前の独断だろう。
どう見ても諸記録と人口規模から見た一揆勢の動きは矛盾しない。
長島周辺で10数万いるならどう見ても2万程度は堅いが。
お前の言ってる例は恣意的すぎて話にならん。
0568人間七七四年2008/12/24(水) 20:35:18ID:gRnI0D4Q
>>532
とりあえずどこがダブスタか言ってみ。
>>533
それをいうなら古代ギリシャのアテネは市民人口3〜4万といわれているが
1万の市民兵を出しているんだが。
皆兵制でいくなら前近代なら十分兵力で人口の3割は出せる事になる。
0569人間七七四年2008/12/24(水) 20:39:27ID:gRnI0D4Q
>>535
だから近現代と前近代じゃ動員の事象が全然異なるんだが。
>>536
大名というのは税金の範囲内で活動する統治勢力。
対して一揆勢はその地域全体で活動する勢力なんだが。
全然あてにならなそうだが。
>>537
それはない。近代のほうがコストが高いからな。
古代ギリシャのポリスを見るまでもなく、皆兵制度をとれる共同体は存在している。
0570人間七七四年2008/12/24(水) 20:42:46ID:gRnI0D4Q
>>539
秋山は岩村周辺を支配下においてるし、
春日は川中島周辺全体を統治する武田家最大の軍事動員数を持っている。
二俣も強固に支配されてるぞ。

仮に半分と見積もっても一揆勢が数万単位なのは変わらないはずだが。
0571人間七七四年2008/12/24(水) 20:47:26ID:gRnI0D4Q
>>542
相手を間違えているぞ。
俺と>>540の人は完全な別人ね。
相手が一人だけだと思うなよ。

だから長島周辺の石高が10万から18万なんだから
それで人口計測すりゃ普通にいくだろうが。
とりあえず古代ギリシャのポリスを例に見るまでもなく
一致した信仰や信条をもった共同体はその自発的な参戦によって
通常を超えた動員を可能にする。
大名で似たような例をあげるなら長宗我部とかいるな。
これも土佐一国+aからはあり得ない動員力を誇ったな。
0572人間七七四年2008/12/24(水) 21:05:20ID:gRnI0D4Q
>>548
そりゃないな。地域民衆一帯を教義によって統率する宗教地域共同体組織なら
その5に対し地域住民の5が加わるな。
>>549
実際できるんだから仕方ない。
大名組織とはまるで別物の組織だと言ってるんだが。
いい加減一人認定はやめたほうがいい。
>>551
ただ美濃や尾張内部にまで浸透してるんだけどな。
いざとなれば動けそうだが。
>>554
まあ実際自発的行動が多いからな。
宗教門徒達の本尊に対する奉仕はすごいぞ。
あちこちから陰に日向に支援して物資送ったり金送ったり。
>>556
あれは百姓の国じゃないだろ、どう見ても。
どれだけ時代をさかのぼっても中国を百姓の国なんていえんと思うが。
少なくとも一揆的な意味では。
>>557
いやいや。そうではないな。
現実問題として豪族連合とは明らかに違う地域共同体による戦争協力が
起きてるんだけど。
>>558
「労働者」と「百姓」はまるで違うぞ。
あの国を出して何を例示したいのかそもそもわからんし。
>>559
痛い理由をあげてみな。
っていうか相手が一人だとは思ってないよな?
>>561
織田派は逆に過小評価しすぎだがな。
こんだけ敵対勢力を過小にみればそりゃ勝てるわ。
>>562
数か月で滅亡したのは朝倉だけ。それも刀根坂のラッキーパンチがあった事と
信玄撤退で計画がつぶれてがっくりしてしまった事を無視するなよ。
0573人間七七四年2008/12/24(水) 21:18:44ID:NOa/8rEq
しかしなんだな
長島周辺からそんなにかき集めていたのだとしたら、周囲は無人状態みたいな感じになっていたのかね〜
0574人間七七四年2008/12/24(水) 22:43:08ID:WhmjSlXi
古代ギリシアは生産活動は奴隷階級が担っていたよ。
市民階級だけで軍が構成されてた。三万人の市民はいわばみんな武士階級なわけよ。
それでも手が足りなくなると船のこぎ手とかに奴隷階級つぎ込んで、
つぎ込まれた奴らが準市民に昇格してったんだがな。
0575人間七七四年2008/12/24(水) 22:55:43ID:WhmjSlXi
それと重ねて言うが資料の記録で兵隊の数ほどあてにならないものはない。
時代を遡れば遡るほど信憑性が薄い。
0576人間七七四年2008/12/24(水) 23:03:24ID:WhmjSlXi
>>568の例で言うならその3〜4万人は選挙権を持ってる両親共にアテネ市民の成年男子の数ですよん。
奴隷を含めた当時のアテネノ人口は20万人。1万の市民兵なら人口比は5%だ。
0577人間七七四年2008/12/24(水) 23:27:41ID:WhmjSlXi
ああ、ちょっと間違えた。船子のこぎ手は奴隷じゃなくて無産市民だった。
実戦闘員として戦える有産市民はアテネ20万に対して15000。最大7.5%だな。
だいたい江戸時代の武士階級の比率と同じぐらいだな。
それにしたって全部から全部つぎ込むなんて真似はそうそうできない。(国家存亡のときならまた別だが)
常備的な兵の人口比率はこの時代もそんなに多くはないわけね。
0578人間七七四年2008/12/24(水) 23:31:37ID:0rIunulW
信玄厨は本当に痛いな
長島で2万、浅井5千に朝倉2万それに幾内の義昭中心に松永本願寺三好残党六角残党
あれ?信玄いらなくね?
0579人間七七四年2008/12/24(水) 23:38:12ID:gRnI0D4Q
>>574
違うな。
アテネにおける奴隷と市民の構成比は市民階級のが多いくらいだ。
しかも一万は陸軍のみでしかもアテナイ勃興期のマラトンの戦いだ。
これならどうみても一万の動員率はそっちの理屈を超えている。
>>575
兵数があてにならないという割には結構アテナイの数字を信じてるみたいだが。
どっちなんだ。
>>576
だからマラトンの戦いの時期ならそんなにいないんだが。
>>577
上でも述べているんだが
なんでアテナイ最盛期の社会構成比でもってアテナイ勃興期のマラトンの兵力を
くらべてるんだ。
>>578
一番痛いのはお前だが。
それに信玄くわわりゃ十分勝てるな。
0580人間七七四年2008/12/24(水) 23:40:33ID:55JfAS0Y
全ての武田厨がそうだとは思わないが、ここまで来るといっそ可哀想になってくるな。
自分の無知無能による間違いはいっさい認めず、他人からの解説反論にいっさい耳を
貸さず、己のダブルスタンダードな主張には全く気付かず。
0581人間七七四年2008/12/24(水) 23:44:27ID:WhmjSlXi
彼はきっとスレを盛り上げるためにあえてそうしてるんだよ。
温かい目で見守ってあげようよ。
0582人間七七四年2008/12/24(水) 23:45:48ID:gRnI0D4Q
>>580
そのダブルスタンダードを一回も説明された事はないんだが。
どうせできないんだろうけど。
>>581
反論なしならそれでも結構だがね。
0583人間七七四年2008/12/24(水) 23:48:16ID:WhmjSlXi
つうか人口の四割が奴隷で一割が余所者。市民が五割らしいけどな。<アテネ
その市民で成年男子はその1/3ってとこじゃね?軍の主力の有産市民はもっと少ない。
はい。論破終了。
0584人間七七四年2008/12/24(水) 23:51:25ID:gRnI0D4Q
>>583
全然論破になってないと言ってるんだが。
マラトンの戦いはアテナイ勃興期なんだが。
アテナイ最盛期でもない状態でそれならそちらの主張とは明らかに食い違う。
しかもなんで有産市民だけに限る?他の市民も立派な戦力だが。
0585人間七七四年2008/12/24(水) 23:55:21ID:WhmjSlXi
実際に武器もって戦うのは有産市民だけの権利だからだよ。
無産市民には戦争に関わる資格がない。だから有産市民より権利が落ちるのさ。
それでもペルシア戦争では漕ぎ手足りないから漕ぎ手としてのみ無産市民が戦争に関わることが許された。
それに伴って彼らの権利も拡大されていったわけなんだけどね。
0586人間七七四年2008/12/24(水) 23:57:29ID:gRnI0D4Q
>>585
つまりその理屈ならアテナイはペルシア戦争序盤のマラトンでは
無産市民抜きでも有産市民だけで1万の兵を出したわけだな?
これに無産市民が加わるならさらに兵力は増大し、そちらの主張と明らかに
食い違うんだが。
0587人間七七四年2008/12/24(水) 23:58:47ID:WhmjSlXi
戦争に関わることのできる人間に支配階層としての権利が与えられる。
これ世界史の基本なんだけどね。
0588人間七七四年2008/12/25(木) 00:00:10ID:WhmjSlXi
だから無産市民は戦闘する権利が与えられてないんだって。
0589人間七七四年2008/12/25(木) 00:00:22ID:WCmxhBha
>>587
それと>>586になんの関係が?全然違う話に見えるが。
0590人間七七四年2008/12/25(木) 00:01:56ID:WCmxhBha
>>588
自分で書いてるだろう。
無産市民は補助兵員として参戦してると。
そしてそれから彼らの権利と活動の幅が広がったと。
補助兵員は立派な戦力だが。

0591人間七七四年2008/12/25(木) 00:45:46ID:IXgzjuOP
>>586
それが国家体制だからだよ。あなたの頭の中にしかない体制を、古代ギリシャやら
戦国時代日本に当てはめてもなんにもならない。

>>590
その無産市民を補助兵員として参戦させること自体が、異例であり国家体制からは
本来やりたくはない事態だったんだよ。何故なら、生産階級を兵士としてひっぱれば
それだけ国家の生産力が落ちるのだから。
アテネにおいて無産市民を徴兵することは例えるなら戦国日本で、兵役(徴兵人数)を
引き上げられるようなもの。そんなことをやられたら、生産基盤が傷つき、下手すれば
破壊されるから。
0592人間七七四年2008/12/25(木) 01:15:20ID:fnafUcOQ
>>591
>異例であり国家体制からは本来やりたくはない事態だったんだよ。
つまりそこまで切羽詰まればやるって事だろ?
どうして、それで出来ないとう結論になるのかが分からん。
0593人間七七四年2008/12/25(木) 02:07:24ID:J/vQGU9j
>>592
だから信長になで斬りにされるときに初めて二万人で攻勢に出たんじゃないの?
0594人間七七四年2008/12/25(木) 02:12:49ID:WCmxhBha
>>591
全然答えになってないな。
そっちの主張する国家体制と明らかに矛盾が出てるのに勝手に
あてはめられてもどうしょうもない。

全然異例とは思えんが。実際その後で無産市民たちの権益は拡大していく。
しかもこのとき無産市民たちが動かした戦力は生半可なもんじゃないんだが。
ギリシャ最高にして最大、テミストクレスをして「アテナイはそこにある」と
いわしめ、ペルシアをうちやぶる原動力になった巨大艦隊を動かした人員達を
戦力とみなさないだの、異常事態だの言ってもおかしすぎるんだが。
0595人間七七四年2008/12/25(木) 02:13:14ID:yL5rsM6z
で、何で長島だけが全人口の20%も軍隊に出来たのに、その革命的な軍事体制が一切他国に伝わらなかったんだ?
味方である武田や毛利、石山にも伝わってない。
でもって、その素晴らしい革命家を称える文書も一切ない
お前の言ってるのが事実なら日本どころか世界規模の軍事革命であり農業革命なんだがね。

もう、非戦闘員や身の回りの世話してくれた女子供も含めた人数でした。
って、言っちゃった方が良いと思うよ。マジでみっともないから いい大人が意地張ってさ

【【長島だけ特別特別 信仰の力で可能可能 って、信じてもらえると思う? あなた自身で冷静に考えて?】】
0596人間七七四年2008/12/25(木) 02:17:16ID:WCmxhBha
>>595
また一人認定でもしてるのか?
俺と>>592は別人なんだがな。

革命的な軍事体制?笑止千万。
一揆に取ってこんな体制は革命的も何もない普通の体制だが。
一揆勢における皆兵制度なんざ世界でありふれた存在だが。
ろくに戦国時代史も世界史も知らないで吹いてるんだろうがな。
でなけりゃ一揆達と戦った側がいずれも膨大な人員を相手にしてる事を記録してるのが
わからんな。一つ二つの例じゃないんだよ。一揆勢は大軍で押し寄せてくるのが常なんでね。

長島だけ信仰で特別なんて言ってないがな。一揆勢のありふれた特徴だといってる。
0597人間七七四年2008/12/25(木) 02:35:01ID:IXgzjuOP
皆兵制度の意味がまったく間違っている…
0598人間七七四年2008/12/25(木) 02:42:48ID:ycQPKGND
でも織田派の人もいい加減一人認定はやめた方がいいと思う。
見てて痛い。
0599人間七七四年2008/12/25(木) 02:54:43ID:powYkA/n
織田厨こそ自演バレバレ
0600人間七七四年2008/12/25(木) 04:17:35ID:N7jf1D9W
石山本願寺や長島どちらも二万の兵を遠征に出す力が本当にあるなら
武田の侵攻は頓挫したとしても織田への五月反攻をやめる理由が別にないんだよ
他の包囲網勢力は健在だし、武田派の言う兵力なら織田に勝っている
この条件で他の包囲網勢力と織田領へ出兵していれば
志賀の陣の時のように織田を追い込み
織田を武田軍抜きでも攻め滅ぼす可能性もあっただろうに
なぜそれをしないのか?

答えは簡単そんな兵力での遠征は不可能だから
だからこそ武田軍を頼りとした、だから包囲網勢力は織田軍に各個撃破され滅んだ

志賀の陣の時も長島は遠征と呼べるほど離れていない間近の小木江城、桑名城を落とした程度
二万も遠征に出せるなら、織田主力のいない尾張に侵攻し城をもっと落としていてもおかしくない
石山本願寺も比叡山延暦寺に籠もる浅井・朝倉の援軍に京まで遠征し織田を叩いていてもおかしくない
しかしそんな兵は出ていないのだ、9月23日に織田は摂津から兵を退いており和睦まで
十分な期間があったにも関わらずだ

これらの織田の危機といえる時に石山本願寺、長島が大した動きができていない事は
つまり長島も石山本願寺も自領防衛のみの大兵力であり、大兵力での遠征はできない証拠だといえる
0601>2008/12/25(木) 10:17:34ID:XKnSOlJC
武田厨っていうか本願寺厨ってすげえと思う
0602人間七七四年2008/12/25(木) 11:24:51ID:a5GD25NT
一人認定はやめた方がいいっていうがこんなバカな妄想並べるのが武田派
に複数いるとは思いたくないんだがな
0603人間七七四年2008/12/25(木) 13:00:57ID:ItnvY97P
まあアレな人が二人いるとしよう。
つうかアレな人、二人以外に武田派いないの?
0604人間七七四年2008/12/25(木) 13:21:41ID:82CB6yTS
本願寺の一揆衆については、遠征能力よりも寧ろ、「郡中」単位での
動員範囲のほうを重視したほうがいいんではないか?
非常に広域での動員が可能なのが門徒衆の特徴なんだし。



0605人間七七四年2008/12/25(木) 15:13:38ID:cpCcOmjp
>>600
確かにそうだよな。
武田が撤兵したからといって、再び武田が来るまで織田が待ってくれるわけも無い。
織田に各個撃破されるのを座して待つよりも、
当初の計画通り5月一斉反攻を武田抜きでやって織田の兵力を分散させるべきだったよな。
史実でそれをやらなかった、できなかったというのに信玄が存命していたら可能だったと言うのはさすがに都合が良すぎるな。
0606人間七七四年2008/12/25(木) 23:22:54ID:+62RabQ8
そもそも1つ2つのアクシデントで頓挫するのは計画自体に余裕がないってこったな。
信玄が死ななくても武田の一時撤退という状況は十分にありえることなんだし。
0607人間七七四年2008/12/25(木) 23:40:06ID:Gkulqk1A
>>600
いや、そうではない。
まず朝倉は信玄撤退で反撃計画がつぶれた事でがっくり行ってしまい、
5月に越前に帰還しその力が減退した。
武田のみならず朝倉まで駄目になった以上反撃計画がつぶれたのは自明。
第一朝倉も多年にわたる戦いの上で勝負をかけていたのだから。

志賀の陣の時は三好と連携した本願寺が結構な攻勢にでているんだがな。
長島が攻略したときにはもう和睦まであと少しの時期なんだが。
そして志賀で朝倉浅井に身動きとれない信長はこれらの状況に屈服した。
信長は和睦を結ばないとどうなるかわかっていた事だろう。さすがにさとい。
0608人間七七四年2008/12/25(木) 23:41:33ID:Gkulqk1A
>>602
お前ら織田派にとって都合の悪い事はそりゃ馬鹿なことだろうよ。
武田派が複数いる以上その数は自然増えるだろうな。
>>603
俺が見る限り3人以上はいそうだが。
0609人間七七四年2008/12/25(木) 23:44:52ID:Gkulqk1A
>>605
キーマンの信玄死亡で最大兵力の武田もひいたのにどうしろってんだ。
武田という主力あってこその反撃計画なのに。
>>606
最大兵力が撤退し、主力部隊の総大将が死んでしまったというのは
並大抵のアクシデントじゃないぞ。
0610人間七七四年2008/12/25(木) 23:59:57ID:yL5rsM6z
誰かテンプレの長島一向宗の所 +国人を外して
一揆衆は老若男女含まずに正規の軍隊として2万人以上の動員が可能 遠征能力○

に変更してやれよ
0611人間七七四年2008/12/26(金) 00:22:57ID:mMvyf5r1
>>609
つまり、信玄がいなければ織田に対抗できないほど包囲網側は弱体化していると、
認めるわけですね?武田の軍がなければ朝倉も長島一向一揆も織田が怖くて攻撃
できないと。

それにしても馬鹿だね包囲網側は、武田が抜けたとしても、座しては滅びを待つ
だけなのだから、乾坤一擲で武田抜きでも織田に勝負をかけてみればいいのに。
もちろんそれで勝てる保証はないが、それでも、ただじっとしていれば100%の滅亡が
待っているだけなのだから。
しかしそんな勇気も状況判断も知能もありませんでしたとさ。

信玄の寿命が延びるだけじゃだめだね。朝倉義景とか足利義昭とか六角とか浅井
とかその他包囲網側の人間の知能と勇気と決断力も大幅upさせるデータ改造でも
しないと、信玄が織田を滅ぼして上洛して天下を獲る目は無いわ。
0612人間七七四年2008/12/26(金) 00:39:22ID:uhdzKULa
>>609
別に武田が主力じゃないだろ
武田派の話によれば信玄2万5千、長島2万以上、浅井朝倉2万5千これらが遠征能力ありなんだろ
これに+して幾内の反織田勢力なら武田いなくても5万以上でるんだから十分じゃん
まぁ史実じゃあここの武田派の人にとっては悲しいことになってるけどw
0613人間七七四年2008/12/26(金) 01:11:00ID:eJ4BuMRV
>>611
信玄が作戦の主力になるんだからそんな事は当然。

あいにく戦国時代の連中は君ほど刹那的ではなかっただけの話だろう。
朝倉を滅亡に導いた刀根坂も必ず興るもんじゃないし。

包囲網勢は十分な力量をもった連中だが。
実際織田相手によく戦ってるしな。
信玄も別に織田を滅ぼせば天下はとらなくてもよかったと思うが。
>>612
まず朝倉が信玄死亡で計画がつぶれた事で内部に動揺が始まったからな。
仮に5万でも織田派とイーブン。
これで武田がついてこそ意味がある。

むしろ史実でこそ織田派に散々な例証があるから認めないだけだろうが。
0614人間七七四年2008/12/26(金) 01:13:14ID:TqU6uP7b
武田が退く事で朝倉は反撃計画がつぶれたと判断
越前に帰還してしまう事がつまり
朝倉も石山・長島本願寺の兵は当てにできないと考えており
一揆勢は遠征できないと言ってるようなもの
武田派の言う兵力なら武田抜きでも十分織田を追い込め
反攻計画を実施出来る、だがそれをしないのは
できないからだろ
0615人間七七四年2008/12/26(金) 01:18:45ID:eJ4BuMRV
>>614
違うな。
武田がいてこそ織田がひきつけられ、
その間に他の連中は攻勢に出られる。
その主力が抜けた状態では、織田主力の跋扈を許すだけ。
朝倉にしては今回の攻勢に、そして武田の動きにかけていた以上ショックもでかかったしな。
0616人間七七四年2008/12/26(金) 01:26:50ID:mMvyf5r1
>>615
武田がいないと朝倉も長島も織田に対して何もできません。ということだな。

で、志賀の陣のときに長島が攻勢に出なかったのはなんでよ?
織田主力が朝倉に拘束されていて、尾張美濃はがら空きだったのにね。

あなたの発言はそのときそのときで都合のいいことばっかり言うだけなので、
全体で纏めると全く相互に矛盾しあった発言をしているということに気付き
ませんか?
0617人間七七四年2008/12/26(金) 01:35:04ID:eJ4BuMRV
>>616
だから、長島が小木江やその周辺を攻略したときには
和睦が近かったんだけど。
そっちこそ自分に都合のいい事だけ言って
単純な時系列さえ見てないのを気付かんか?
0618人間七七四年2008/12/26(金) 01:50:56ID:toSN/vQq
もともと本願寺は、三好党や六角氏などと近い立場にあったのが
蜂起の重要な要素で、蜂起にあたっては朝倉や浅井とも結んでいる。
ただ、小木江を落とした頃には、篠原長房や六角承禎は信長と和睦して
おり、11月暮れ頃には浅井長政と、ついでその翌月は朝倉義景と和睦
している。さらに、本願寺に対しても、10月下旬に、青蓮院から
本願寺へ和睦が促されている(青蓮院は本願寺を「候人」としていた)。

この状態から、次に交戦が起きるのは翌年(元亀二年)五月。
本願寺単独で戦い続けるわけにもいかないので、休戦状態になっていた模様。

0619人間七七四年2008/12/26(金) 01:55:54ID:X8tLVV6M
ほっとけ 

その手のタイプは自分の都合の良いようにしか物事を解釈しなくて客観的に自分を見れない人間だから
まともに相手をするとストレスたまるだけだよ
たまにいるでしょ? 自分の持論だけ展開して都合が悪くなると前言無視して嘘ついてでも辻褄を合わせる奴
子供は正直に嘘つきと発言するけど、大人は理性と遠慮があるので正直に相手には言わない。
で、本人が意見が通ったと勘違いするのよ でも実は他人は「何だコイツ」と思ってる
そういうのが理解できない人
0620人間七七四年2008/12/26(金) 01:57:41ID:uhdzKULa
>>617
そもそも武田は8月に出兵するはずだったのに包囲網側との約束守れなかった
なのに5月の攻勢はうまくいくとなぜ言えるんだ?
武田派は、朝倉は信玄撤退で反撃計画がつぶれた事でがっくり行ってしまった、ショックもでかかった
とかいってるが、国の存亡がかかってんのにそれですむかよw

そもそも武田が10月から5月まで遠征続けるとしたら
その時点で半年以上
第2次川中島の時はまだ本国や策源地の深志などから近距離で兵も少なかったが
この遠征ではどれだけ軍事行動が続けられるんだ?


0621人間七七四年2008/12/26(金) 02:18:30ID:mMvyf5r1
なるほど志賀の陣はこちらの間違いでしたか。

で、その他の時期は?翌年五月に信長と再び戦端を開くわけだが、長島に二万以上の
遠征兵力があるのなら、どうしてその後に信長が江北に出陣したり京や畿内に出て
尾張や美濃を留守にしている間に、攻撃侵略をしなかったんだ?その間は別段、和睦
やら休戦協定もないのに?

信長が江北で朝倉浅井とにらみ合って、信玄が西上を開始してもなお、どうして長島
は動かなかったんだ?当時はまだ五月一斉反攻計画とやらもなかったのだから、時期
の問題なんて無いのに。
例えば長島が軍を出していれば、信長は徳川に援軍を派遣するのも難しくなる。
そうなったら、信玄の対徳川戦は史実よりもさらに楽に展開するだろう。どうして
同盟者の為に動かなかった?逆に信玄は自分に利益になるのにどうして動かさなかった?

無理がありすぎるんだよ。
0622人間七七四年2008/12/26(金) 02:23:31ID:eJ4BuMRV
>>619
>>618のレスがどういう意味だかわかってるのかい?
長島が小木江を攻略したころには
織田と本願寺をはじめとする周辺勢力が和睦してたので長島も
休戦状態にあったって事だよ?織田派じゃなかったらごめんね。
>>620
信玄病気だったからな。
信玄健在という条件なら十分なんだが。

大内でさえ一年4か月以上の遠征やってるんだから
武田が距離的に考えてもそこまで遠出するわけじゃないんだから
十分だな。
0623人間七七四年2008/12/26(金) 02:26:29ID:eJ4BuMRV
>>621
無理につじつまをあわせるなよ。
無茶を言ってるのはそっち。
君のいう志賀の陣以降、戦端の後で長島はこの間に北伊勢に勢力を浸透させていき、
信玄死後の第2次伊勢長島の頃には信長は北伊勢に大きな勢力を持つ長島と対決することになる。
そして美濃や尾張にも影響力を及ぼすようになると。

全然時系列見れてないだろ、あんた。
0624人間七七四年2008/12/26(金) 02:34:35ID:eJ4BuMRV
>>621
さらにいうと
信玄の義景にあてた書状と条目では
義景に5月にともに兵を動かそうといった後で
反撃計画のひとつとして本願寺勢力により諸国の一揆を蜂起させる事が出てきて、その中で
長島については特にいうべきことがあると書いてある。
長島達の動きもまた信玄達の一斉反抗を前提にしている。
0625人間七七四年2008/12/26(金) 03:56:33ID:+s9fl4XQ
実際長島・石山本願寺の遠征はできてもいないのに
滅ぼされたときの二万が突然遠征可能とかいうのは滅茶苦茶
10〜18万石の長島の勢力で二万外征可能というのは無理がありすぎだろ
0626人間七七四年2008/12/26(金) 05:50:31ID:h9XTKF4g
そういえば石山本願寺は摂津の35万6千石のうち
どれくらいもってるんだ?
0627人間七七四年2008/12/26(金) 07:06:10ID:GBi+RZ3l
>>622
>大内でさえ一年4か月以上の遠征やってるんだから
オイオイ、甲斐の山猿と当時の大内を一緒にしたらいかんよ
大内でさえとかよく言えたな
その”大内でさえ”長期遠征前後は国内が大荒れ
武田が一年以上、遠征出来る根拠は何一つ無いだろうが
ただでさえ痩せた土地の疲弊は相当な物になるぞ
米と金山くらいしか収入無いのに


だいたい武田派は朝倉や本願寺をどうしてそこまで信用出来るんだ
5月攻勢とやらは一致協力が必須条件だろ
諸勢力は一時的な単独講和も十分あり得るほど信用無いよな
信玄も馬鹿正直にそこまで信頼してないだろ
ほどよい所で講和が信玄の戦略目標だと思うが


毛利厨の意見でした。
0628人間七七四年2008/12/26(金) 08:11:31ID:TXAl6r9X
当時の大内は明との貿易で儲けまくってたしな。日本国王だし。
豊後の大友氏とも仲良かったみたいだし。
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