かなり前ですが前述の兄貴に嫌われていた森忠政
(一方で長可兄ちゃんが森家が秀吉につくことによって危機に陥った織田信孝の人質の忠政を
もう他に兄弟生きてないしと自ら少人数で岐阜城に潜入救出した話もある。数十m下の崖下に放り出したんだが)
この男、結構運がよく本能寺直前に信長のもとに出仕するも
先輩の梁田君に頭なでられたのにぶちぎれ扇でぼこぼこに。
それを見た信長が「お前はまだ出仕できるようではなさそうだ」と親元に送り返したおかげで兄貴2名と違って生き延びたんだが
これは別に悪い話じゃないのでちょと悪い話を。

川中島を領することになった忠政。この地はかつて本能寺の変後に
領民が長可を武力で追い払った土地だったので「兄の仇ども」と入国するなり
鳥打山より寺尾のはずれまでの川中島の百姓ら300余りの人々を磔にしました
と、いうのは建前で忠政的にはぶっ殺したかったのだがそんなことしたら人がいなくなって亡国必至
そこで考えた家臣たちは「殿が来たときだけ磔台にかけておいていっ茶ったら解放したらいいんじゃね」となり
領民にそれを通達。領民たちは金がある者は日雇いで磔係を雇い
無いモノは自分が掛った。結果磔の列は二十町ほどずらーっとならび。
ところが「殿が来るぞー」と声が聞こえたら突然家臣たちは本当にぶすぶすとつき殺し始めた
その場は「話が違う」「我らは雇われただけ」と阿鼻叫喚の地獄絵図と化したとさ。
忠政は成敗大好きで斬りまくっていたので忠政関係者は年末にキラズ粥(斬らず)を食って
今年一年生き抜けたこと、来年一年も生き残れることを願ったそうです

忠政は江戸城内で地震来た時に逃げ惑う諸侯の中泰然として動かず隣にいた逃げようとする
堀尾さんを押さえつけ、それを見た逃げてる途中の政宗さんは考え直して逃げるの辞めたという
剛毅な逸話もありますが暗黒面もあったんですな
最期は桃食ったあとに「超気持ち悪い」と言いだし2日後に死にました(毒殺ともいわれる)
以来津山では命日7月7日は七夕を祝わず(6日にやって7日未明に全部かたずける)
桃畑は一斉撤去されたので名物消滅
死んだあとも迷惑かけましたとさおしまい