戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0879人間七七四年
2008/10/21(火) 00:48:12ID:VRa4pw0W物凄い遅レスだけど、褒美について不満言ったのは井伊じゃなくて、井伊の家来の安藤重勝で、
その愚痴をたしなめた相手も、勝重の叔父の安藤直次じゃないか?(武功雑記)
0880人間七七四年
2008/10/21(火) 00:55:05ID:gW1c/+hqところが馬上で姿勢が崩れたところを土肥権右衛門という武者に突かれ、
田んぼに落ちてしまった。起き上がれない忠隣を見た土肥は
「お前みたいな未熟者の首は欲しくない
だが俺は走り回って疲れたのでお前の馬を貰う。せいぜいがんばって起き上がれ」
と言って行ってしまった
家来の助けでなんとか起き上がった忠隣は土肥の槍が落ちていたのでそれを持ち帰った
これを聞いた家康は
「馬も槍も戦いに必要なものだから痛み分けだな。うんうん」と言って忠隣を慰めたという
忠隣のかっこ悪い話
0882人間七七四年
2008/10/21(火) 01:26:18ID:OCOUinze0883人間七七四年
2008/10/21(火) 01:56:10ID:Aysw+zmwワザと槍を落としてやったのかもしれんな
と思うと( ;∀;) イイハナシダナー
0884人間七七四年
2008/10/21(火) 01:59:56ID:QSeALo4F乱戦で邪魔になったから捨てたとか、近くで討ち死にしてたとか。
0885人間七七四年
2008/10/21(火) 02:40:08ID:OaSGULgu0886人間七七四年
2008/10/21(火) 05:56:07ID:p0uWD3oM一口に槍といっても、
足軽用の長槍(4.5m以上)>徒歩侍の槍(3.5mくらい)>騎馬槍(2.5mくらい)>屋内用の槍(2mくらい)
と用途によって長さはおおきく異なるんだよ。
0889人間七七四年
2008/10/21(火) 20:13:07ID:wVk+y2pY面白い
0890人間七七四年
2008/10/21(火) 20:24:50ID:VRa4pw0Wある時客があり、直盛は鯉を料理して出した。それが大変美味だったので、客は
「すばらしい鯉でした。もっと味わいたいので、この鯉の頭も吸い物にして出していただけませんか?」
と頼んだ。
直盛は料理人にそれを命じた。が、いつまでたっても吸い物が出てこない。
そこで台所に行ってみると、料理人が先に、その鯉の頭を煮て食べてしまっていたことがわかった。
激怒した直盛は、その場で料理人を成敗した。
やがて客間に戻ると、「こう言うわけで吸い物は出てきません、大変申し訳ない。
代わりに、これを肴にしてください。」
と、客の前に、料理人の首を差し出した。
0892人間七七四年
2008/10/21(火) 20:50:08ID:7g0ofrGM0893人間七七四年
2008/10/21(火) 20:53:56ID:DiZbD2yj0895人間七七四年
2008/10/21(火) 21:05:49ID:OAHs3UjZ0896人間七七四年
2008/10/21(火) 21:26:10ID:mPPKKZWQ0897人間七七四年
2008/10/21(火) 21:32:09ID:iUyGBnoJ0898人間七七四年
2008/10/21(火) 21:45:38ID:OCOUinze0899人間七七四年
2008/10/21(火) 22:10:10ID:3ikwoBcG0900人間七七四年
2008/10/21(火) 22:20:20ID:2r239BL7これはドン引きだろw
0901人間七七四年
2008/10/21(火) 22:24:55ID:zKp3r9Nv0902人間七七四年
2008/10/21(火) 22:28:01ID:VRa4pw0W0903人間七七四年
2008/10/21(火) 22:32:44ID:W2fnCtJE0904人間七七四年
2008/10/21(火) 23:02:28ID:0fxyS1eU伊達政宗の教育係である片倉喜多は、片倉小十郎の異父姉であり、
鬼庭綱元の異母姉であった。才媛として名高い彼女は、
政宗にとってまさしく育ての母ともいえた。
上洛した政宗に従い、彼女も伊達家の京都屋敷にあった。
そんなある日、政宗留守中に秀吉がやって来た。
好色な秀吉は早速美しい侍女に目をつけ、下げ渡してくれと
頼んだ(侍女ではなく政宗側室説もあり)。
喜多は困ったが、時の権力者には逆らえずやむなく彼女を
秀吉に渡した。
すると帰宅した政宗が大激怒!
「あの女はオレが目をつけてて、ヤるつもりだったのに、
どういうつもりなんだ!?」
と喜多を斬り殺そうとした。
すると喜多は平然と「家の一大事と女への情け、どちらが大切ですか。
私が間違っていると思うなら斬りなさい」
と泰然自若として反論した。さしもの政宗もこれには詰まり、
彼女を追放処分とした。
その後彼女は、弟の領地でひっそりと庵を結び、
藩主の育ての母とは思えぬほど、寂しく一生を終えたと伝わる。
0906人間七七四年
2008/10/21(火) 23:07:40ID:+3ZFMIDB末期だな
0907人間七七四年
2008/10/21(火) 23:14:13ID:VRa4pw0Wあと、政宗は喜多死後の墓前寺を、わざわざ仙台に建立してるし、その墓を守るため
喜多の名跡での片倉家まで創設しているくらいだから、蟄居処分は処分としても、
伊達家でかなり大切にされていたのは間違い無いと思うよ?
0908人間七七四年
2008/10/21(火) 23:26:37ID:OAHs3UjZ豊臣秀吉のように女に優しく
大友宗麟のように身持ちが堅く
前田利家のように気前が良い、
立花宗茂のように俗事に通じた
伊達政宗のように常識敵で
細川忠興のように何事にも動じない
イエズス会士のように敵に寛大な人 を指す
こんなジョークをつくって見た
0911人間七七四年
2008/10/21(火) 23:36:50ID:BIZf8fXcある時、戦場で急に尿意をもようした。
敵は目の前、しょんべんごときで敵に背を向けるのは武門の名折れ
意を決した新兵衛は左手でむんずといちもつを掴みだし、放尿しながら
右手持った槍で敵を三人斬り捨てたのであった。
後に黒田秀忠の乱で幼き上杉謙信の命を救い、謙信の傅役となった
上杉二十五将にも数えられる金津義舊そのひとである
0913人間七七四年
2008/10/21(火) 23:50:25ID:RhkyJuWR>>910
「こんなEU人が理想!」のエピゴーネンですな
「イタリア人のように物事に正確で
一日3食イギリス料理
ルクセンブルグ人のように世界的に有名」
というやつ
0914人間七七四年
2008/10/22(水) 00:55:08ID:M7uaG5UQ池田恒興は織田信雄に味方していたが
本当は秀吉に味方したかった。
だが次男の輝政を信雄に人質としてだしていたので困っていた。
すると信雄が
「恒興は忠臣だ。そんな者から人質を取れば諸将は
わしを疑うだろうから、輝政は返す。」
と、輝政を返してきた。
しめた!と思った恒興はさっさと裏切って犬山城を落としてしまった。
0915人間七七四年
2008/10/22(水) 01:03:42ID:2+5A9/D8「博多はたいへんに人が多く、住民は優雅で礼儀正しかった。ただ、全国いたるところ
私たちが通り過ぎるとその後を、子供と遊民達がついて来た。
彼らは私たちに向かって「オイ!コラ!ワレ!」などと叫んだり、
「悪意ある朝鮮人め!!」と、罵ったりした。時には石まで投げられた。」
0918人間七七四年
2008/10/22(水) 11:37:43ID:0mCktqEH2回汁をかけた。
それを見た親父が
「汁をかける分量を1回で済ませられないとは」
と怒ったらしい。
でも追加で汁をかけることもあるわな?
俺はこれは理不尽と思う。
0919人間七七四年
2008/10/22(水) 11:41:19ID:eGcTgmiH0920人間七七四年
2008/10/22(水) 12:31:14ID:XfsnK8GE0921人間七七四年
2008/10/22(水) 12:45:27ID:LhwaY2SB一応その話には
・毎日麦飯に汁をかけるのに、毎日2回かける
→1回で済ませられない=決断力が鈍い
氏康「北条の世も俺で終わりだ」
そんな氏政だったが、
後北条家最大の勢力を誇ってしまうと言う皮肉なお話。
氏康にもう1人子供がいれば、関東統一なったんだけどね。
その辺は話に出てこない。
理想的なドイツ人とは
ヒトラーのように碧眼金髪で
ヒムラーのように容姿端麗で
ゲーリングのようにスマートである。
っていうのもあったね。
0923人間七七四年
2008/10/22(水) 13:57:40ID:FnbSufYX武田の手が徳川に伸びて来たころ、当然のように徳川家臣への寝返り工作が行なわれた。
最初に目を付けられたのが、大賀弥四郎だった。
弥四郎は小者から武士に取り立てられ、家康の寵愛を受け出世したため、妬むものが多く、
徳川家臣の中で浮いた存在になっていた。
内通が発覚してからの家康の怒り恨みは大きいかった。
刑場へ着いた弥四郎がみたものは、妻子8人の磔にされた姿だった。
弥四郎は足の腱を切断され、手の指10本も切られ、首から下を埋められて板をかまされ、
板の穴から首だけが出た目の前に、指が並べられた。
そして竹のノコギリが脇に置かれ見物人、通行人に首を引かせたのである。
一思いには殺さず、なるべく長い間苦しめて殺そうという極刑である。
恨みを持っていた家臣達や寝返りを許せない家臣達が率先して首をノコギリで引き、
その度に弥四郎は断末魔の叫びを上げる。
磔にされた家族はそれを聞きながら処刑されていった。
弥四郎はのた打ち回ることも許されず。血みどろになりながら6日目になって息絶えた。
0924人間七七四年
2008/10/22(水) 14:09:12ID:2+5A9/D8鋸引きはこの時代、ごく普通にある刑罰だからなあ。戦国大名であれば誰でもやってる。
これをもって残酷と言うのは少し違和感があるな。
むしろ家康はこのあと、本多作左衛門の諫言でこの手の刑罰を控えるようになって、
同時代でもかなり「人道的」な刑罰体系を作っていく。
0926人間七七四年
2008/10/22(水) 14:23:16ID:FnbSufYX確かにその通り。
秀吉、信長に比べこの手の話が殆どない家康でさえ、この時代全体を覆う空気の中では、
行なっていたということを書きたかった。
0927人間七七四年
2008/10/22(水) 14:33:13ID:uv51fFlY把握
大御所時代には駿河の安倍川付近に処刑されたキリシタンの首が並べられてたと何かで読んだな。
0928人間七七四年
2008/10/22(水) 14:38:40ID:WnrZe1nr同じ話か分からんけど、別の場所で読んだ事あったな
一思いに殺して欲しかっただろうな…そして何より痛いっつーか痛いってレベルじゃないか…
0930人間七七四年
2008/10/22(水) 14:55:10ID:9qjCFZze0931人間七七四年
2008/10/22(水) 15:03:12ID:eyNI/DmU竹鋸の話は皆死ぬまで数日生きているからね
数日経過すれば首が無事でも死ぬわ
0933人間七七四年
2008/10/22(水) 16:44:25ID:XB344xqIもう一人子供ってどういうこと?
氏照、氏邦、氏規、氏秀etcいるのにまだ足りなかったの?
それか早世した長男のことか?
0934人間七七四年
2008/10/22(水) 16:52:39ID:XB344xqI後お茶漬けとか食べてると分かるが、
ご飯が乾燥してると結構水分を吸ってしまうので後から追加しないとならなくなることがある。
それか器にご飯の量が多くて一回ではかけきれない場合とか。
0935人間七七四年
2008/10/22(水) 16:59:38ID:eGcTgmiH0938人間七七四年
2008/10/22(水) 17:17:23ID:zaxJPh2mご飯の最後の方にお茶いれて綺麗に食べるってのはお寺とかでもやってなかったっけ?
行儀か、この話でそこまで考えてなかったw
0939人間七七四年
2008/10/22(水) 17:19:55ID:y2bESjDC毛利元就-輝元とかいろいろなバリエーションがあったはず。
白米落城伝説が各地に残ってるようなものかと。
>>933
新九郎のことではと解釈してみる。
0940人間七七四年
2008/10/22(水) 17:22:50ID:2+5A9/D8博打を打っていた。そこに、森可成の家臣、武藤五郎右衛問が、自分にも打たせてくれと
やってきた。
柴田勝家が「それは構わんが五郎右衛門、我々が打つ博打は値がはるぞ?
おぬし、銭は持っておるのか?」と聞く。
武藤「三百貫文までなら払いましょうぞ。」
するとその座の者はどっと笑った。
「おぬし、森の家臣の癖に、主君よりも銭を持っておるわけがないではないか」
武藤は気にせず、さらさらと何か書き始めた。そこには
「自分が負ければ、可成に断りを入れた上で、一年間負けた相手の下に出向いて
三百貫文分まで無給で奉公つかまつる」
0941人間七七四年
2008/10/22(水) 17:24:42ID:8yIdLM4O0942人間七七四年
2008/10/22(水) 17:58:37ID:pefuNAM0「これで腹の虫をおさめ、落ち度・ご無礼を許してください」
ということでおk?
0945人間七七四年
2008/10/22(水) 18:47:16ID:S5Q1Gus4某の見るに、貴殿も同じ嗜好の持ち主とお見受けしたが?w
>>940
結局五郎右衛門は勝てたのか知りたいな
大体この手の話って、結末伝わってないような…?
0946人間七七四年
2008/10/22(水) 19:06:57ID:mwcVB2h5ほんとに食ったのかも知れんぞw
>>943-945
姫武将はかける側か、かけられる側か、それが問題だ
0948人間七七四年
2008/10/22(水) 21:24:15ID:XfsnK8GE(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは鯉の頭のお吸い物を所望したと思ったら
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ いつのまにか料理人のおかしらが活け作りされてきた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 頭蓋骨の漆杯だとか平然とメシ食うがらしゃ夫人だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
0949人間七七四年
2008/10/22(水) 21:32:43ID:Y+ZK22Gt政宗は五十歳前後のころ、作十郎という美少年を寵愛した。
しかし彼に思いを寄せる男がいると密告された政宗は激怒、
酒の席で「誰がテメエに思いを寄せてるんだ!」と彼を罵り倒した。
作十郎は潔白を証明するため、刀で腕を貫いて血で誓詞をみとめて
政宗に送る。
ちなみに自傷行為ってのは衆道での愛の誓いね。
政宗は反省して返信した。
「Dear作ちゃん、疑ってごめんね。酔っぱらってひどいことしちゃったね。
本当は政も血でもって謝るべきなんだけど、もう若くないしお風呂で
傷口を見られて"あのオヤジ、いい歳こいてw"って噂になったら困るし…。
若い頃はよくそんなことしたけど、もう孫もいるからね。
でも作ちゃんのことだーいすきだからね、ホ・ン・トだよ」
ちなみに作ちゃんの姉貴も政宗の側室…さすがです。
0951人間七七四年
2008/10/22(水) 21:41:00ID:kZMA/kF7マジレスするとホモだのレズだのは近世生まれた差別意識だし
でも俺は女がいい
でも二次元でいい
0952人間七七四年
2008/10/22(水) 21:42:00ID:jbFe/yUU本多作左の逸話思い出した。
家康が安倍川の河原で、人を煮て処刑するための釜を
拾って持ち帰ろうとした。そこに作左が通りかかり、
「なんと情けない事だ!殿は人を煮て殺すような政治
を行うのか。」
と一喝し、釜を割り砕いたと言う。これには家康も返す
言葉が無かった。
…いい話だねこれじゃ。スレ違い申し訳ない。
0955人間七七四年
2008/10/22(水) 22:39:23ID:yDSifjElしかし作左はどうしても長門裕之に脳内変換してしまうなww
0956人間七七四年
2008/10/22(水) 22:41:13ID:2+5A9/D8木下長嘯子こと、木下勝俊。
彼は武将よりも、文化人としての生活のほうが性に合っていたのだろう。
伏見から退去してきた勝俊に、その妻、うめが、このような歌を送ってきた。
「命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ」
世間の評判を捨てて命を永らえるとは何事ですか。あなたに会いたくないので髪を切りました。
そう、勝俊が城を落ちた事を知ったうめは、憤りのあまり彼を見限り、さっさと髪を切って尼になり、
実家に帰ってしまったのだ。
彼女には武士たる者が、篭城に参加もせずにのこのこと逃げてくるような惰弱な行為は
全く理解できなかった。
戦国は女性も、好戦的でパワフルなのだ。
0958人間七七四年
2008/10/23(木) 00:19:06ID:aXPLBrwC自分の死んだ後が不安になった直家は家臣たちを呼んで
「わしが死んだら、お前は殉死してくれるか?」
と尋ねた。
家臣たちはそろって「御恩がありますから、殿に続きます。」と答えるので
直家は機嫌がよくなった。
そして戸川秀安にも同じ質問をすると
「私に殉死は無理です。
家臣は合戦で人を殺したので殿を地獄に連れていくことでしょう。
僧侶ならそんなこともないし、殿から私たちの十倍は尊敬されて
いますから適任でしょうな。」
と皮肉った。
この言葉が堪えたのか直家は「わしがどうかしていた。」と反省したのだった。
0960人間七七四年
2008/10/23(木) 01:28:46ID:/LpgPX/C0961人間七七四年
2008/10/23(木) 01:39:15ID:o6HwBOEt(一方で長可兄ちゃんが森家が秀吉につくことによって危機に陥った織田信孝の人質の忠政を
もう他に兄弟生きてないしと自ら少人数で岐阜城に潜入救出した話もある。数十m下の崖下に放り出したんだが)
この男、結構運がよく本能寺直前に信長のもとに出仕するも
先輩の梁田君に頭なでられたのにぶちぎれ扇でぼこぼこに。
それを見た信長が「お前はまだ出仕できるようではなさそうだ」と親元に送り返したおかげで兄貴2名と違って生き延びたんだが
これは別に悪い話じゃないのでちょと悪い話を。
川中島を領することになった忠政。この地はかつて本能寺の変後に
領民が長可を武力で追い払った土地だったので「兄の仇ども」と入国するなり
鳥打山より寺尾のはずれまでの川中島の百姓ら300余りの人々を磔にしました
と、いうのは建前で忠政的にはぶっ殺したかったのだがそんなことしたら人がいなくなって亡国必至
そこで考えた家臣たちは「殿が来たときだけ磔台にかけておいていっ茶ったら解放したらいいんじゃね」となり
領民にそれを通達。領民たちは金がある者は日雇いで磔係を雇い
無いモノは自分が掛った。結果磔の列は二十町ほどずらーっとならび。
ところが「殿が来るぞー」と声が聞こえたら突然家臣たちは本当にぶすぶすとつき殺し始めた
その場は「話が違う」「我らは雇われただけ」と阿鼻叫喚の地獄絵図と化したとさ。
忠政は成敗大好きで斬りまくっていたので忠政関係者は年末にキラズ粥(斬らず)を食って
今年一年生き抜けたこと、来年一年も生き残れることを願ったそうです
忠政は江戸城内で地震来た時に逃げ惑う諸侯の中泰然として動かず隣にいた逃げようとする
堀尾さんを押さえつけ、それを見た逃げてる途中の政宗さんは考え直して逃げるの辞めたという
剛毅な逸話もありますが暗黒面もあったんですな
最期は桃食ったあとに「超気持ち悪い」と言いだし2日後に死にました(毒殺ともいわれる)
以来津山では命日7月7日は七夕を祝わず(6日にやって7日未明に全部かたずける)
桃畑は一斉撤去されたので名物消滅
死んだあとも迷惑かけましたとさおしまい
0962人間七七四年
2008/10/23(木) 09:46:39ID:8LkD7QMq0963人間七七四年
2008/10/23(木) 12:34:18ID:/LpgPX/C森忠政といえば、大阪の陣のとき、幕府から軍資金として下げ渡された金300枚を
これ幸いと丸々町人への借金の返済に充てたらしいな。
0964人間七七四年
2008/10/23(木) 12:55:24ID:mqXpMvbr石田三成の根回しなどもあって従姉妹の島津亀寿と結婚し島津家の世子に納まったが、
この亀寿は若死にした家久の兄嫁だったということなどもあり、非常に不仲であった。
しかし、亀寿の父の島津義久が先代の当主で家中に発言力も絶大であり、なかなか離婚できなかった。
慶長16年に義久が亡くなると、せいせいしたとばかりに亀寿を鹿児島城から追い出して
若い側室を次々に囲った。この年の事実上の離婚から63歳で死ぬまで24年間の間に
今までの鬱憤をはらすかのように32人も子供を作りまくった。
更に亀寿を経済的に圧迫し、一時は通常の生活を出来ないところまでおいこんだらしい。
しかし、そこまでしても亀寿に対してはずっと怨念が晴れなかったようで
寛永7年に亀寿が亡くなると、それを報告した侍女に対して亀寿への挽歌として以下の一首を送った。
「あたし世の 雲かくれ行 神無月 しくるる袖のいつはりもかな」
(亀寿は11月にこの世を去ってしまった。妻の死に袖も絞れるほどに泣いてる
…というのは 嘘 ぴ ょ ー ん)
0965人間七七四年
2008/10/23(木) 13:11:29ID:9Z/ClKnl0966人間七七四年
2008/10/23(木) 13:23:05ID:RihtZESj地震の話だが
忠政らが座っているのを見た伊達政宗は逃げるのをやめただけでなく逃げた諸候に対して
「御前近くなのに大騒ぎだな。もはや揺れもおさまったので皆お席にお戻りくだされ。」と鎮めて政宗も席に戻ったという
ただでは転ばぬ政宗なのであった
0968人間七七四年
2008/10/23(木) 13:37:56ID:lnvas/Nv何というか、まさに「DQNな方の家久」だな。
大量生産した子供を政略結婚でフルに利用したのは上手いと思うけど。
>>966
相変わらずだなこいつもwまあ、政宗だから仕方がないw
0969人間七七四年
2008/10/23(木) 14:46:11ID:/LpgPX/C家康の前で、本多親子たちが、その戦についての論評をしていた。
正純は言う
「木村重成の討ち死には早かった。翌日の天王寺、岡山の決戦の時まで生き残っていれば、
豊臣秀頼公を連れて落ち延びることも出来ただろうに。」
これを聞いた家康は、なんとも答えずに嫌な顔をした。
すると、織田信長から「海道一の勇士」とも評された、本多正信の弟、正重がこういった
「死にたくて死ぬ馬鹿はいない。」
0972人間七七四年
2008/10/23(木) 16:14:31ID:kbbO5y9j0973人間七七四年
2008/10/23(木) 16:31:00ID:CxI39V8w子どもの時にいたずらして一回ぶたれたことあるけど結構痛いよあれ
切ないというか儚いというか
大阪の陣はこういう話が多いね。。。
みんな最期の花火を上げる為に戦ったからかな。
0976人間七七四年
2008/10/23(木) 17:50:37ID:9Rsq2fu7へぇ〜!だから津山は七夕がずれるのか〜!
初めて知ったよ!
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。