戦国の終わりに

元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。

オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。

「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。

将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。

将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」


日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。