戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0772人間七七四年
2008/10/18(土) 17:08:52ID:AwyKoBYU仏の嘘は方便と云ひ、武士の嘘をば武略と云ふ。土民・百姓はかはゆき事なり。
光秀は嘘も策略として肯定していた悪い?男だった。
0773人間七七四年
2008/10/18(土) 17:24:42ID:wkHH0124ほっときなよ。
こいつの言ってる事は佐竹の話に噛み付いた上杉厨と変わらん。
同一人物だろ。
ソース厨、真贋厨、主観厨・・・ウザ過ぎ。
いちいち要求したり論争していたらスレが壊れてしまうっての。
既に何度も否定され、説得されてるのに「まだ言うか?!」って感じ。
不快ならスレを覗かなければ良いだけ。
0774人間七七四年
2008/10/18(土) 17:27:01ID:TzsK29xN嘘や捏造を見抜くのも、逸話の楽しみ方の一つ。それを無下に「捏造だろ?」とか「出典はあるのか?」とか
言うレスが野暮だって事。自分で調べて、「ああ、この話しとこの武将を掛け合わせたんだな。」とか
そう言う感想で十分でしょう。もちろん、書き手が「史実」って言い切ってるなら、指摘する必要は
あるかもしれない。逆に「こう言う話もあるよ」って自分で元ネタを出せば良いんだし。
史料を持ち出して検証するスレじゃ無いんだし、大人の対応をしようよ。
0775人間七七四年
2008/10/18(土) 17:50:58ID:VjQ+5NX5多分、自虐的な台詞でしょうね。私的な意訳では
「百姓達は色々とごねて私を困らせるが、仏が嘘
を言っても『方便』と嘯くし、武将達が欺いても
『それは武略だ』と誇る。それに比べたら百姓達
のほうが、己に正直なだけまだましだな。」
と光秀の心情を解釈しています。潔癖な光秀は、
世間の欺瞞に倦み疲れていたのかもしれませんね。
0776人間七七四年
2008/10/18(土) 18:22:46ID:AwyKoBYU逸話と妄想小説を一緒にしたらまずい。
「実は俺がさっき考えましたw」みたいな話が跋扈したら問題だろう。
0777人間七七四年
2008/10/18(土) 18:29:20ID:ejJvWS7gただ、バツの悪い話をあげるスレだからこそ、言い方に関しては良い話スレよりも気を使ってもいいと思うね。
どれだけテンプレを完備してもここは2chなんだから、自分の好きな武将の話でイラッときて特攻してくる奴は絶対出てくる。
「こういうことばっかりやってたんだから、後で滅んだのも当然だな」
「こんなことするんだから、よっぽど世の中が見えてなかったのだろう」
こういう言い方をしなくても逸話を語ることくらい出来るはず。
自分から犬の口の前に手を差し出して「噛まれた!この犬をなんとかしろ!」って言ってても仕方ないでしょ。
ここが「武将の悪口を言うスレ」ならばどれだけ悪意の篭った言い方をしたってかまわないけど、
「悪い逸話を語るスレ」なんだから、その辺りには各々それなりに気を使っていくべきだと思う。
0778人間七七四年
2008/10/18(土) 18:41:06ID:fgpTngI30780人間七七四年
2008/10/18(土) 18:55:39ID:GdjUiLxZ判官贔屓みたいな感じで後々の真面目な好青年なイメージ付いたっぽいね
実際には信長より年上だし本能寺の変のときにはヨボヨボだったらしいけど
くぎゅがやるとクールで凛とした・・・くぎゅううううううううううううううううううううう
0781人間七七四年
2008/10/18(土) 19:37:40ID:ejJvWS7gフロイスあたりでなかったっけ?
「謀略をめぐらす、腹黒くて信用できねーやろーだ」みたいな評価をしてたかと。
娘がキリシタンでベタ褒めされているのにおとーちゃんときたら・・・哀れなw
まあ、ただの真面目君を信長が重用するわけが無いし、俺の中では「上品な秀吉」みたいなイメージになってるなw
0783人間七七四年
2008/10/18(土) 19:44:28ID:TOkm9/lwソーリン聖人扱いして曹洞宗の坊主上がりのクマー悪魔認定してる程度の見識
比叡山の坊主逃がした説もあるくらい仏教・旧勢力寄りの光秀に対する評価なんて
全然信用できないのになぜか光秀DQN説が最近広まってる
それこそセンゴクあたりに毒され杉じゃね?
0784人間七七四年
2008/10/18(土) 19:46:02ID:/39Q/Xk7突っ込まれたらうざいと思うんなら予め書けばいいってだけの話
何故頑なにソース出すのを否定するのか
0788人間七七四年
2008/10/18(土) 21:48:54ID:fgpTngI3元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。
オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。
「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。
将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。
将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」
日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。
0792人間七七四年
2008/10/18(土) 22:36:23ID:qbZHHrnGなるほど トンクス
>>788
しかしその評価してた日本の兵士に自分の銅像壊されちゃうんだよな>クーン
まあ第2次大戦の話なんだけど
0795人間七七四年
2008/10/19(日) 09:49:42ID:/0g0dJxP羽黒の戦いの後、犬山城に細川忠興や蒲生氏郷たちが集まっていた。
そこに森長可がやってきたので皆挨拶をしたが、氏郷だけは軽い挨拶だった。
長可は怒って
「氏郷、お前の名は忠三郎か。鈍くさいから鈍三郎か!」
と喧嘩をふっかけるが氏郷は相手にせず長可は帰ってしまった。
氏郷は笑って
「奴は羽黒の戦いに負けた鬱憤を悪口で晴らそうとしたのだ。
悪口で人に勝つことに勇気をふるうなどつまらぬこと。
勇者は戦いで勇気をふるう、だから私は戦いで勇気を見せよう。」
と言った。
傍から見ていた忠興はいつ斬りあいになるかとビビッてたとかなんとか。
0796人間七七四年
2008/10/19(日) 10:29:00ID:CiHOEOel0798人間七七四年
2008/10/19(日) 10:43:49ID:YkBcMDGdわざわざケンカ吹っかけてるようなもんだろw
0799人間七七四年
2008/10/19(日) 11:24:23ID:bBTcXhouすげー緊迫した場面だったんだろうな
0800人間七七四年
2008/10/19(日) 11:27:54ID:14eHSeUh文禄二年(1593)、豊後では、朝鮮役への負担に耐えかね農民の逃散が続出し、田畠は荒廃した。
大陸への出兵基地である九州での混乱をほおって置くことは出来ない。これへの対処を迫られた秀吉は、
こんな命令を出した
「全国の陰陽師を逮捕し、豊後につれてきて荒廃した農村に送り、定住させ農業をさせるのだ!」
非定住の遊民である民間の陰陽師は、支配者である秀吉にとって気に入る相手ではなかった。
自分自身が、敵を霍乱やスパイするために陰陽師たちを使った過去があるだけに、なおさらである。
遊民問題と農村の荒廃問題、これらを一度に解決する、一挙両得の政策であった。
もちろん失敗する。
秀吉の強大な権力により、豊後には全国から大量の陰陽師は集められた。が、いきなり見ず知らずの土地で
農業をやれといわれても、出来るわけが無いのだ。技術も経験もないのである。
そうこうしているうちに農民の逃散は、九州全域、そして全国へと拡大した。
慌てた秀吉は今度は文禄六年(1597)、農民が逃散した田畠はすべて豊臣政権が没収する、荒田没収令と言う
強硬策を打ち出したが、これは、自領の統治に介入されると諸侯の猛反対に会い、結局撤回された。
秀吉の指導力の限界が、露呈した形となった。
豊後に集められた陰陽師達は結局、またどこかへと消えて行ったという。
0801人間七七四年
2008/10/19(日) 11:30:33ID:h90aeKG7太閤となった豊臣秀吉は、足利氏より譲り受けた天下の名刀
「大典太光世」を気に入り、大切な家宝としていた。
ある時、秀吉の所に前田利家が青ざめて相談にやって来た。
「実は、宇喜多との婚礼をひかえて前田家に戻ったお豪が、
狐に憑かれたらしい。いろいろ加持祈祷して見たが、一向に
効き目が無い。そこで太閤殿下の大典太光世をお貸し願えま
いか。」
当時、年頃の娘が情緒不安定になり、突飛な行動や言動を始
める事を「狐が憑く」と呼び、その対処法として、良く切れ
る刀を娘の枕元に置くと言う迷信的な療法が行われていた。
秀吉にしてみれば、なにより可愛い養女、豪の危機である。
「わかった又左、すぐに持って行け。豪を必ず助けよ。」と
大典太光世を貸し出した。
数日後、利家が嬉しそうに刀を返しに来た。
「さすが天下の名刀。たちどころに狐が逃げて行きました。」
秀吉も満足して刀を受け取り、豪の快復を喜んだ。
だが数日後、再び利家がやって来て、また豪に狐が憑いたので
大典太光世を借りたいとの事。それではと再び貸し出す秀吉。
また数日後、刀を返しに来る利家。やれやれと思ったつかの間
また貸して欲しいとやって来た利家。とうとう秀吉は根負けして
利家に言った。「もうよい利家。そなたには大典太光世を授ける
ゆえ、そのようなしつこい狐が二度と豪に憑かぬよう、追い払っ
てしまえ!」と利家に刀を恩賜した。以降、豪に狐が憑く事は
なくなった。
だが、周囲の者達は「きっと前田殿は大典太光世欲しさに、娘の
病をだしにしたのであろう。」と噂する事しきりであった。
以降、大典太光世は前田家の門外不出の家宝として秘蔵された。
(出典 享保名物帳より意訳)
※前田家に伝わる大典太光世の収得については、諸説あります。
今回は私の最も気に入った逸話を紹介しました。異説、異論
等は各自で御判断をお願いします。
0804人間七七四年
2008/10/19(日) 12:30:09ID:Qgwm9ovV0805人間七七四年
2008/10/19(日) 12:39:36ID:CiHOEOelこれで本当に、娘の容態がちょっとよくなったら気を使ってすぐに返し、その後また悪くなって、というのを繰り返していたんだとしたら哀れだなw
>>804
書けるような逸話を知らなかったら、無理に書かなくてもいいんだぞ?
0806人間七七四年
2008/10/19(日) 13:19:54ID:FZRFVZRCんでそれで娘の病を、だったような
と思ったらちゃんと最後に注意書きしてるのね
0808人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:35ID:4bMeO33Rいい話スレでも悪いは話スレでも
細川忠興は逸話の最後に出てきて
呆れたりびびったりするのが定番の役どころになっているw
交友関係が広かったせいかいろいろ居合わせることが多いのだろうw
0809人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:46ID:DrgsQ658脳内ですって言ったらさらに攻撃されるから
0811人間七七四年
2008/10/19(日) 21:06:48ID:mRNye0O9葛西黒川一揆とか言われるこの一揆は、ただの農民どもの一揆とも思えないほどの勢力を持ち、彼らの武器も防具もなぜか武士並み。
そのうえ、たまに武士らしいのも混ざっていたりして、蒲生軍は大苦戦を強いられていた。
この当時、領国を満足に治められない領主は容赦なく降格させられていた為、さすがの蒲生も焦りまくっていた。
そんなとき、運良く一揆軍の伝令を捕まえ、持っていた書状を手に入れた。
その書状の内容は驚くべきものだった。
「 一揆を起こしているみんなへ
頼んでおいた一揆を起こしてくれてありがとう。おかげで、蒲生のやつに一泡吹かせることが出来たと思うよ。
もう少しがんばれば、やつを追い出すことが出来ると思うので、あとひとふんばりしてください。
約束どおり、武器、防具、兵糧などは全て負担するから、どんどん使ってくれ。
それと、人数が足りない時は、人も貸すからよろしくね。
では、検討を祈る。
伊達政宗より 鳥印 」
この書状を見た蒲生は大激怒。
さっそく京都にいる秀吉に、チクリの手紙と証拠の書状を送った。
これを知った秀吉も当然のごとく大激怒。
さっそく政宗は京都に呼び出された。
0812人間七七四年
2008/10/19(日) 21:07:36ID:mRNye0O9政宗 「さあ、なんででしょうか?」
秀吉 「とぼけても無駄だ。
おまえは、俺のかわいい蒲生くんを陥れようとして、一揆を扇動したらしいじゃないか。
蒲生から連絡があったぞ! さてはおまえ、いまだに会津領を俺に取られたことを根に持っているな。」
政宗 「なんと!それは誤解です。
蒲生のやつこそ、自分が一揆にてこずってるもんだから、それを私のせいにして責任のがれしようとしてるんですよ。」
秀吉 「あまい。ちゃんと証拠のブツはあがってるんだ。
おまえが一揆の皆さんに出した書状があるんだよ。
まいったか!良く見てみろ。」
政宗 「では拝見。ん〜確かに私の筆跡、さらに鳥印のサインまでそっくりの書状ですが、これは偽造品です。
私が書いたものじゃありません。
おそらく、私を陥れようとして、蒲生のやつが作った物ではないでしょうか。」
秀吉 「なんとびっくり!まだしらを切るのか。
この筆跡と鳥印のサイン、どう見てももおまえの書いたもんだ。
わしによこした手紙ともよーく比べてみたんだよ。どこが偽造品なんだよ。説明してみろ!」
政宗 「説明しよう!いや、説明しましょう。
実は私、こんなこともあろうかと、サインに偽造防止策を施してあります。
その方法はどういうものかと言うと、鳥マークのサインの目の部分に、いつも針で0.1ミリほどの穴を空けているのです。
他のだれかが、私のサインを真似て書いたとしても、さすがにその穴には気付きませんから、偽造品には鳥の目に穴がないはずです。」
秀吉 「なにっ!そんなうそが通ると思ってか!そこまで言うなら、おまえが昔俺によこした手紙を全て調べてやる。
もし、おまえの言う穴がなかったら、ただじゃおかんぞ。
おい、愛すべき家臣の三成よ、政宗から来た手紙をすべて持ってこい。」
三成 「はい、すでに用意しております。どうぞ。」
秀吉 「おお、準備がいいな。どれどれ....なにっ!。た、確かに、全ての手紙の鳥マークの目に穴が空いてるっ!」
政宗 「そうでしょう、そうでしょう。まさむねうそつかない。」
秀吉 「むむー。ということは......。」
政宗 「そうです。その書状は偽造品ということですよ。」
秀吉 「少し怪しい匂いもするが、証拠がなくなった以上はおまえは無実と言うことだな。
一件落着。めでたしめでたしだ。はっはっはっは。」
政宗 「(ふー、助かったぜ。それにしても蒲生のやつめ!俺様を敵に回したことを後悔させてやるぜ!だてに伊達を名乗ってないことを知らしめてやる!)」
かくして、伊達政宗はなんのお咎めもなく、無事に家に帰ることを許された。
しかし納得いかないのは蒲生くん。怒りも収まらないまま、なぞの死をとげるのである。
0813人間七七四年
2008/10/19(日) 21:41:59ID:8F8Mx1uK0814人間七七四年
2008/10/19(日) 22:41:52ID:Oun5rSGf0815人間七七四年
2008/10/19(日) 22:43:33ID:xfBY++Bw0816人間七七四年
2008/10/19(日) 22:47:16ID:YZKNA73w0817人間七七四年
2008/10/19(日) 22:48:09ID:YkBcMDGd「流石の俺」の部分の人だからな
0818人間七七四年
2008/10/19(日) 23:32:57ID:14eHSeUh一旦細川家に頼ろうとするも、長政の猛抗議で出て行かざるを得なくなる。
やがて知り合いを頼って、福島正則の治める広島へと渡った。その時のお話。
福島正則は又兵衛が広島に来ていることを知ると、黒田家からいくら抗議を受けても是非召抱えたい、と思った。
しかし、家臣を通して三万石での召抱えを申し出たが、あっさりと断られた。
それでさらに又兵衛に興味を持った正則は、彼を広島城に呼び出した。
又兵衛が御前に出てくると、正則は長政から送られてきた書状の返書を見せた。それはなんとも、
字の下手糞な物であった。
「黒田家は大禄のお家だが、字の上手なものは召抱えられぬのか」と家臣たちと共に大笑した。
又兵衛が黒田長政と大喧嘩して出奔したことを知る正則は、又兵衛と一緒に長政の事を
笑ってやろうと思ったのだ。
すると又兵衛
「黒田家には多くの家臣があり、字の上手なものも、下手なものもそろっております。
ただ、黒田の家風として、字の上手な書状には上手な字で、逆に字の下手な書状には下手な字で、
返事をお返ししております。」
正則は家臣たちの前で辱められ、顔を真っ赤にしたという。
召抱えの件も、勿論沙汰止みとなった、とか。
0820人間七七四年
2008/10/20(月) 00:21:27ID:ZD/8RBGc速攻で断ったけど評価はうれしいっていったらしいじゃん
まぁ家康はうわさが飛んで仲間われが見たかっただけで
本当にそう評価したわけじゃないけどな
0821人間七七四年
2008/10/20(月) 00:25:46ID:Emn78q9+恥ずかしさ倍増
これは正則かわいそうw
0822人間七七四年
2008/10/20(月) 00:42:42ID:OyLl/XENイチモツ大名皮肉ったら逆にディスられるは
浮気バレてカミさんに斬られそうになって逃げるは
市松が勝つ逸話はありませんか そうですか(´・ω・`)
0823人間七七四年
2008/10/20(月) 01:49:32ID:atgcrood徳川と豊臣の間が、いよいよ決裂、と言う頃のお話。
江戸にいた福島正則は、国許の広島にいる家老、福島丹波と尾関石見に向けて、秘かに書状を出した。
「私が故太閤殿下にご恩があることは、世間も皆知っている。わしは江戸に引き止められ
戦場に出ることは出来ないので、お前たちが覚悟を決めて、関東と大阪、どちらに付くか判断し、
息子の正勝を立て武将の誉れを立てるのだ。判断次第では私を見捨ててかまわない。
私の心底を気にしたり疑ったりしてはいけない」
福島丹波と尾関石見の意見は真っ二つに分かれた。
丹波
「殿が見捨てていいとまで覚悟されておるのだ!ここは大阪に味方に付くべきだ!
我らが大阪城に入れば戦局も変わり、徳川を離れ豊臣につく大名も出てくるかもしれない。
大体、強い者に従い弱い者を滅ぼしては世の中はなんと言うか!」
石見
「貴殿の言う事はもっともだ。だが、家臣である我々が、若殿様に父を見殺しにさせることが出来ようか!?
それによく時勢を見ろ。豊臣家がこの戦いに勝つことは、千に一つもない。
みすみす家を滅ぼすのは家臣のとる道ではない!」
丹波
「殿も本音は見殺しにしてほしいと思っているに違いない!
それに不利な豊臣家に味方して功を立てることこそ武士の誉れではないか!」
その日一日結論は出ず、次の日正勝の意見を尋ねると
「父上を見殺しにすることなどできるわけが無い。だいだいこの書状も、はっきり豊臣に付けとは言ってないし。」
と言う事で、福島家は徳川に付くと決まった。
0824人間七七四年
2008/10/20(月) 02:28:30ID:mipYmNKOそこには自分が死んだ後の母の堪忍分やら妻の再婚相手の事やらが事細かに記されていた。
その中にはもちろん息子のいない自分の跡継ぎのことも書いてある。以下の通りである。
自分が戦死したら金山は要害であるから秀吉様に有能な人材を選んでもらいたい。
くれぐれも跡継ぎは必要ない。仙千代(後の忠政)はそのまま秀吉様の傍にいればいいと思うよ。
沢姫と大天目は秀吉様に進上する事。あと粗末な茶器や武具は全部仙千代にくれてやる事。
仙千代が跡継ぎになる事は絶対に好ましくない。ていうか無理。
もしも万が一にも総負けになったら一族郎党みなみな火に掛かり死んでいただきたい。
むさし
(´・ω・`)ニイチャン…
0828人間七七四年
2008/10/20(月) 12:59:07ID:q3d8QAog正直すまんかった
ついくせで
参照
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-303.html#303
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-312.html#312
0829人間七七四年
2008/10/20(月) 16:07:58ID:N8LD91dKこの遺書読んだ上で大泣きしながら忠政に跡継がせる筑前って…
まぁ大きな家だし溢れる浪人の事考えたら妥当か
それに戦国を泳ぎきったから結果オーライなのか
0830人間七七四年
2008/10/20(月) 17:11:36ID:5rP+Dv0TWii 10月23日(木)発売
〓公式サイト〓
天誅4
http://www.tenchu.net/four/
力丸 :声優 小山力也(ジャック・バウアーなど)
0831人間七七四年
2008/10/20(月) 19:07:50ID:F34QrUlu大坂夏の陣の際、徳川方として参戦しつつ、全滅した隊があった。
大将の名は神保相茂、大和七千石を領する小大名であった。
その全滅の理由は、なんと味方のはずの伊達政宗の軍から一斉射撃
を受けたためであった。
島津家の記録には「この度の戦いにて、伊達政宗殿は味方を撃ち、
全滅させてしまった。家康公や諸侯の者は、伊達殿のなんと卑怯な
振る舞いかと笑いものにした。討たれたのは神保相茂殿である。
彼の従者二百七十名が討ち死にしたことは皆が知っている。」
戦後、この事を幕閣から追求されると政宗は弁明した。
「確かに味方と知って撃ったのは事実です。しかし伊達家の軍法には
敵、味方の差別は無い。神保の隊が我が隊に逃げ込み、我が隊も危うく
なったので、仕方なく討ち取ったまでの事。だからこそ、我が隊はその
後に大手柄をたてて、ご奉公したのです。」
だが神保隊は逃げていたのではなく、休息していた所を伊達隊が進軍の
妨げとして撃払ったのが事実であり、その場にいた複数の隊からも証言
されていた。
あまりにも理不尽な弁明だが、六十万石余を領する伊達家を刺激するの
は好ましくないと幕府は判断し不問とした。
当主と家臣のほとんどを失った神保家は、ほぼ改易の扱いとなるが、
さすがに不憫に思った幕閣達の働きにより、相茂の子茂明に父の旧領
大和七千石が後に与えられた。
伊達政宗の栄光の影に、犠牲になった神保家二百七十名余の惨死があった
事を、忘れてはならない。
(出典 寛政重修諸家譜 旧記雑録 慶長見聞書 より意訳)
0832人間七七四年
2008/10/20(月) 19:10:49ID:XVBAm3GQ0834人間七七四年
2008/10/20(月) 19:25:43ID:AFFHtHB10835人間七七四年
2008/10/20(月) 19:26:37ID:j7hGJY+70836人間七七四年
2008/10/20(月) 19:40:57ID:atgcrood秀吉が伏見にいた折の事。城の中に新しい屋敷を立て、その屋敷の四隅に数奇屋を設けて
それぞれで諸大名に茶の振る舞いをした。
主人役は、秀吉自身、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗。
場所はくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向であった。
さて、政宗がくじで当たった数奇屋にいたのは、佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝、
よりにもよって、政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中である。
「これは…、嫌がらせをしろということだな!」
政宗は、勿論そう考えた。
しかしとっさの事で、嫌がらせのネタが見つからない。
ふと台所を見ると、料理人が季節の野菜、つまみ菜の吸い物をつくっていた。
「これだ」
当時の茶ではコース料理が振舞われる。
四人の大名の前に、つまみ菜の吸い物の膳が置かれた。
ところがそれが置かれるや否や、次の料理が入ってきた。四人は慌てて
汁を吸った。途端、吸った椀から口を放し唇を押さえはじめた。
彼らの唇は、そろって真赤に晴れ上がっていた。
それは、さっきまでぐつぐつに煮立てられた、必要以上に熱々の汁であったのだ。
その後も料理や酒が出されたが、四人とも唇が痛くてとてもそれを食べられなかった。
政宗、会心のガッツポーズ。
後でこの話を聞いた秀吉、腹を抱えて大笑いしたとか。
0837人間七七四年
2008/10/20(月) 19:42:34ID:hZ84jgrq0838人間七七四年
2008/10/20(月) 19:43:08ID:XVBAm3GQ0840人間七七四年
2008/10/20(月) 19:50:58ID:5yeLiWqcこの発想が素晴らしいw
0841人間七七四年
2008/10/20(月) 19:55:17ID:paMwwoE10842人間七七四年
2008/10/20(月) 19:59:48ID:JQp20x6tこれ、このスレのワースト1だろ…酷い…
0844人間七七四年
2008/10/20(月) 20:31:09ID:ieR92pNz伊達による同士討ちの風聞は当時からあったようだが、
伊達が神保を攻撃するに至ったその理由は諸説あり定かではない
神保の休息中に攻撃したというのも、そのうちの一説であって
事実と認定するのはまだ議論が必要なところだな
0845人間七七四年
2008/10/20(月) 20:40:48ID:JQp20x6t別に貴方の言い分に異論は無いが、ちゃんと出典まで提示
している話に真贋議論を持ち掛けなくても良いのに…
だから出典なんて出しても意味が無いんだよ。
0846人間七七四年
2008/10/20(月) 20:44:10ID:XVBAm3GQ0847人間七七四年
2008/10/20(月) 20:45:09ID:jUFrIQQx待て待て。お前さんの方も落ち着け。
最後の一文は蛇足だろうが>>844は注釈の範囲内でしょう
気持ちはわかるけど肩肘張りすぎずに行きましょうや
0850人間七七四年
2008/10/20(月) 20:54:12ID:uMw6QJwM0851人間七七四年
2008/10/20(月) 20:54:28ID:atgcrood別の説から見た方向性からの光を当ててくれているわけだから、むしろありがたい。
そこは区別しないと。
0852人間七七四年
2008/10/20(月) 20:56:41ID:kYnOeVkZそれで伊達軍と周囲の東軍が一時睨み合ったとか
夏の陣が終わった直後「豊臣の次は伊達か」なんて噂が立つなど
妙な話が多い
伊達軍による(休息中の?)神保隊襲撃は案外実話かもしれんね
島津に限らず、第三者の立場で耳にした大名達は皆不快に思ったろうし
0853人間七七四年
2008/10/20(月) 20:58:28ID:Y52nIi73これはDQNの範疇を突き抜けてる
0854人間七七四年
2008/10/20(月) 20:59:50ID:hZ84jgrqとは思うがこれ以上はスレチ?
まぁどちらにせよ神保タンは気の毒だ。
0856人間七七四年
2008/10/20(月) 21:05:01ID:3KfHBT9IマジレスするとDQNって、一般的な感覚の範疇を突き抜けた人じゃないかな…
しかし「独眼竜」は人気あるんだよね。不思議な感じ。
0857845
2008/10/20(月) 21:08:00ID:JQp20x6t>>844さん、申し訳ございませんでした。
0858人間七七四年
2008/10/20(月) 21:14:14ID:az+FQSIU0859人間七七四年
2008/10/20(月) 21:17:52ID:ieR92pNzいや、別にいいんだけどねw
逸話の真贋を論じるつもりはないけど、>>831で
>だが神保隊は逃げていたのではなく、休息していた所を伊達隊が進軍の
>妨げとして撃払ったのが事実であり
と書いてあったから、諸説あって真実が判明してない事件で
その言い方はちょっと違うんじゃないかと思ったまでさ
0860人間七七四年
2008/10/20(月) 21:23:36ID:nh1tJUId0861人間七七四年
2008/10/20(月) 21:25:46ID:atgcrood大阪冬の陣のおり、島津が着陣するという噂が立ち、家康の使番が大阪の木津に使わされることになった。
このとき秀忠に付いていた使番にも、今後のため木津に行って、家康の使番から色々学ぶように、と
命ぜられた。ところがこの秀忠の使番が、いつまでたっても木津に現れなかった。
家康の使番が陣に帰ってからしばらくして秀忠の使番をみつけ、どうして来なかったのだと尋ねると、
彼はこう答えた。
「すいません。間違って大和の木津に行きました。」
0862人間七七四年
2008/10/20(月) 21:31:15ID:q3d8QAogつか、九州大名の軍が大阪冬の陣に着陣しに来るという所から察しろよ、秀忠の使番・・・
0863人間七七四年
2008/10/20(月) 21:31:26ID:uJgxFrsC一応最低限のフォローはされてたんだな
むしろこれは個人的にはいい話(幕閣的な意味で)
一方神保が捨扶持を貰ってる間政宗は、
大坂の陣の戦功で正四位下参議に昇叙、
更に嫡男にも伊勢宇和島10万石が与えられたのであった
0865人間七七四年
2008/10/20(月) 21:41:28ID:uJgxFrsC後秀宗はこの時には嫡男ではないね、長男だけど
勝ち組と負け組がはっきり分かれて興味深い
0866人間七七四年
2008/10/20(月) 21:42:03ID:GasX7xTp0867人間七七四年
2008/10/20(月) 21:52:14ID:kYnOeVkZ政宗の擁護をしてみる。
味方であれ、逃走してくる兵に雪崩れかかられると、
その後方の軍列は無茶苦茶になり、指揮系統も乱れ、まともに戦えなくなる。
下手すると一緒になって逃げ出す奴まで出てくる。
その混乱に乗じて真田辺りが突撃してきた場合、神保&伊達だけの敗退では済まない。
御味方総崩れ〜!なんて最悪の結果まで生んでしまう。
そうなる前に対処したのかもしれん。
冬の陣でも後藤隊に蹴散らされた佐竹軍&上杉第一陣の藤田隊が、第二陣の水原隊に雪崩れかかって来た。
水原はこれに怒って「左右にどけ!」と、この敗走してきた味方に怒鳴り散らす。
逆に水原自身は前進し、追撃してきた後藤隊に分け入って鉄砲を一斉射撃。そこへ第三陣の安田隊が突撃。
これに驚いた後藤基次は撤退。
見事に佐竹義宣の窮地を救い、後藤基次を退けた軍功が称えられた水原親憲。
徳川秀忠直々に感状を賜るが・・・
0868人間七七四年
2008/10/20(月) 21:55:05ID:6LQgjRic庶子で10万石なんてかなりの勝組っしょ。
嫡男以外で10万石の大名に取り立てられるのなんて将軍家じゃなければ普通は無理。
御三家でもよくて数万石でしょ。(確か紀州藩主になる前の吉宗は3万石の領主)
0869人間七七四年
2008/10/20(月) 22:10:15ID:X55VtsEH0870人間七七四年
2008/10/20(月) 22:13:14ID:3O5Ff2fE伊達これといったは戦果がなく、
一方でたかが旗本の神保が活躍していたのでムカついたのだという説もある。
0871人間七七四年
2008/10/20(月) 22:15:12ID:q3d8QAogdqn家久(忠恒)に「このDQN」とののしられる
まさしくまー君こそ戦国の KING OF dqn
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