戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0076人間七七四年
2008/09/03(水) 15:15:38ID:mFgJxjFS0080人間七七四年
2008/09/04(木) 11:33:02ID:5UBCIv0R高虎なら鈴木重意毒殺だか強制自害だかが有名だけど
0081人間七七四年
2008/09/04(木) 12:40:34ID:0uavHQTo伊賀久隆に妹を嫁がせる→油断させて謀殺→妹自殺
松田元賢に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
後藤勝基に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
伊賀久隆の娘を嫁に取る→油断させて謀殺→所領奪う
まさに地獄
0082人間七七四年
2008/09/04(木) 14:14:40ID:6PKkhzKZ※プライバシー保護のため音声は変えてあります
0083人間七七四年
2008/09/04(木) 15:03:57ID:+zwxPN6T京の町をウインドショッピングしていた慶次、ある商店の軒先に鐙(あぶみ)が一つぶら下がっていた。
珍しいデザインが目を引き、購入しようとしたが、対の片方は無く、これ一つだと言われた。
しかたなく諦めてしばらく歩いていくと、ある店頭に先ほどの片割れと思われる同じデザインの鐙が置いてあった。
慶次は。左右も確かめず、ただちに購入し、先ほどの店に戻って、もう一つを買い揃えようとした。
店の主人は「あなた様が行かれた後、売れてしまいました」と言う。
慶次は非常に残念がりながらも、しかたないと帰っていった。
実は店の主は急ぎ先回りをして、支店に並べておいたのだった。
0084人間七七四年
2008/09/04(木) 15:29:36ID:y7YOhahr0085人間七七四年
2008/09/04(木) 15:36:23ID:n17SyvK8まんまと売却したわけか
これはちょい悪だw
0086人間七七四年
2008/09/04(木) 17:10:09ID:0uavHQTo織田信長、吉田兼見に諮問をした。
「そなたの父の兼右が、『南都(奈良)、北領(比叡山)が滅亡するなら、王城にも祟りがある』と言ったそうだが、
それは本当であるか?」
兼見「はい?まことでございます。」
信長「それは結構なことである。」
それを聞いて信長は喜び、兼見に褒美まで渡した。
次の日、有名な信長による上京焼き討ちが起こった。当時対立していた将軍、足利義昭を脅すためにである。
信長は先の、吉田兼右の言葉に、南都は、松永久秀の東大寺焼き討ち、北嶺は無論自身の比叡山焼き討ちを
あてはめ、
「上京焼き討ちは信長が恣意的にやったことではなく、予言されていた運命であり、全く仕方の無いことであった。」
と、喧伝したと言う。
0087人間七七四年
2008/09/04(木) 17:27:44ID:OP9vj0x20088人間七七四年
2008/09/04(木) 19:15:59ID:kkr/Xe9E如水なら城井谷とかだけど…あれは講談ですっごい悪い話にされてるから
今更史実に近い話をしてもぬるいかなー…
あー、昔からのつきあいの井口さんちの息子を召し抱えてたんだけどね如水。
長男→戦死 次男→戦死 三男→殉職
という結果になったわけだが、如水がまた井口さんちに行くわけよ。
「おたくの末っ子もうちに仕えさせてくれませんかねえ、息子さんたちの忠義は決して忘れませんから」
でも井口さんはさすがに断るやね。この時実に、井口さんちの子供はたった一人になってた。
ところが如水、あきらめない。
親の目を盗んでたった七、八歳の与一之助(後の黒田二十四騎の一人村田出羽)にお菓子を与えて
「うちに来た方がこのまま親の家にいるよりいいぞ」と言い聞かせそのまま連れて帰ってしまった。
これはあれだね、未成年者略取誘拐……。
0089人間七七四年
2008/09/04(木) 22:02:24ID:TVkE4C7Hなんか暗殺とか謀殺話より切実にきた。
0092人間七七四年
2008/09/05(金) 00:08:37ID:pkMeJIpz「我々は、罪深き仔羊です。四旬節ごとに、罪の償いをしましょう。
一番良い罪の償いは、通りすがりに寺院を見かけたら、それに放火することです。
神もお喜びになるでしょう。」
キリスト教徒が、未だに殉教などと言って被害者面しているのが不思議でしょうがない逸話。
0093人間七七四年
2008/09/05(金) 00:34:49ID:zSM7KckT被害者面するあるいは被害妄想的な発想をするのは開祖のジーザス・クライスト以来の伝統かもね。
あと、キリシタン大名の大友宗麟が、日向遠征の際、寺院仏閣に放火してまわったという伝承もあるよ。
0094人間七七四年
2008/09/05(金) 01:55:55ID:oXihZ12h自分ら=殉教
敵ども=天罰
ダブルスタンダード。
それがキリスト教&シナチョソ&会津の遺恨トリオクオリティーwww
>>93
「かもね」はいらない。
ほんと極悪カルト犯罪集団キリスト教マジイラネ。
跡形なく消え失せればいいのに。
0096人間七七四年
2008/09/05(金) 02:16:06ID:xqPbWGcD0099人間七七四年
2008/09/05(金) 13:06:05ID:/D2kfXQX藤堂高虎が家康から功を立てるのを阻止された話。
大坂夏の陣で井伊直孝と道明寺口の先陣を勤めていたが、味方と敵の間に堤があり、
高虎は、「ここを占拠できれば有利になる」と、家康に援軍を要請した。
家康は「敵に取らせてこそ勝機がある」と言って却下した。
間もなく直孝が堤を占拠したという報告があり、
「直孝ようやった、これで勝ちはきまった」と喜んだ。
家康は高虎が勲功を上げるのを嫌ったのである。
0100人間七七四年
2008/09/05(金) 14:01:22ID:pkMeJIpz大阪方が攻めてくる→諸隊が被害を受ける→井伊の赤備えがやって来て粉砕→大阪方大慌てで逃げる
このパターンばっかりのような。
0101人間七七四年
2008/09/05(金) 14:23:37ID:rkC4KeZK0102人間七七四年
2008/09/05(金) 15:31:15ID:/D2kfXQX井伊隊と組んでいたのが、藤堂、細川。その右に片桐、前田、本多(康紀)、
左に真田(信吉)、本多(忠朝)、浅野、秋田。
これくらいはカバーしたのかもね。
0103人間七七四年
2008/09/05(金) 19:36:53ID:aSMW2rAuここはうちがやるから誰にも譲らんとごねて
結局家康も上杉は仕方ねーなと放っておいたじゃん。
そういう話は夏の陣だとないんかね。
言うこときかなそうな奴は夏の陣では外されてたのか。
0104人間七七四年
2008/09/05(金) 22:56:27ID:IYcLe+69ってわざと遅刻してきた島津
0105人間七七四年
2008/09/05(金) 23:13:41ID:Qcb8tdDp・・・って、そのスレかなり前に落ちたか
0106人間七七四年
2008/09/06(土) 02:17:43ID:y6tdixCV侍所所司代の配下に、骨皮道賢という男がいた。
この男、盗賊などの捕縛を仕事とした目付けの役割を与えられていたのだが、その権限を利用して、
いつしか京の盗賊、あぶれ者たち300人ほどの、頭目となっていた。
さて、応仁の乱が起こる
東軍の細川勝元は、この男の動員力に目を付け、東軍に引き入れる。道賢、政治的な立場があったからではない。
勝元が差し出した呉服や黄金の太刀に眼がくらんでの事である。
道賢とその配下は「足軽」として暴れまわる、西軍の食料補給路を寸断すると、その勢いで七条の民家を
略奪破壊放火。下京に走って五条大宮から高倉までをやっぱり略奪破壊放火。まさにやりたい放題であった。
だが、天罰覿面。道賢とその配下が稲荷社に終結している事を察知した西軍、山名宗全、畠山義就、斯波義兼、
大内政弘という、西軍オールスターメンバーとも言うべき諸将が軍を率いて取り囲む。道賢、女装し輿に載って
脱出を図るが、リアルに「お前のようなババアがいるか!」と正体を見破られ、討ち取られてしまいましたとさ。
この骨皮道賢の悪行があまりに酷かったので、乱の終結後、京の知識層からは、今の核廃絶のような論調で、
足軽廃止論が議論されましたとさ。
ちなみに骨川スネ夫氏は、名字の近似性から、この骨皮道賢と何らかの繋がりがあると思われる。
0107人間七七四年
2008/09/06(土) 02:25:22ID:/0WGOybC0108人間七七四年
2008/09/06(土) 04:10:49ID:oiiFOJJ8那賀郡まで攻め入った際、ここを治める牛岐城(富岡城)主・新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ、和議を申し入れた。天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃された。
道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。
現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。
0110人間七七四年
2008/09/06(土) 10:12:39ID:gcq+2vA50111人間七七四年
2008/09/06(土) 10:32:58ID:sZ0yePL80112人間七七四年
2008/09/06(土) 11:04:51ID:y6tdixCVそんな時代は、無い。
0113人間七七四年
2008/09/06(土) 15:34:16ID:W+LKs912戦で集落を焼き、田畑を荒らされるよりは謀殺で片付けてくれる方が良策だわな
0117人間七七四年
2008/09/06(土) 17:41:36ID:00ao/M2Xただ兵力や物資をあたら損耗するよりはマシ。
武士は勝つことこそ肝要。
0118人間七七四年
2008/09/06(土) 17:44:07ID:hyrrjz5Mでもそれが良策だったらみんなやっているし、
手打ちの宴なんかにのこのこ敵方が顔を出す
こともなくなるだろう?
やはりイレギュラーなやり方と思うな。
0119人間七七四年
2008/09/06(土) 17:59:42ID:9Xw2eBHeつきあわされて一緒に死地に赴かねばならん下っぱはたまらんよ
下っぱ的にはそんなもん一人で勝手にやってくれよ
こっちは将棋の駒じゃねーんだよ
正々堂々とした決闘したいなら好きなだけその辺の馬場とかで個人的にやってくれよって感じで
いくら汚い手や卑劣な作戦で周りから「ほらあいつ出自が武士じゃないから礼儀知らない」とか
犬畜生のように叩かれ巻くてっても
自軍の損耗最小に抑えて勝つ武将に仕えたいよ
0120人間七七四年
2008/09/06(土) 18:00:29ID:39n8chUO松永・宇喜多はもっと評判いいはずw
0125人間七七四年
2008/09/06(土) 20:44:13ID:oiiFOJJ8中富川の戦いではその先陣をつとめて奮戦、長曽我部軍の勝利に貢献した。
かくして長曽我部元親は、四国統一を成し遂げた。
同年十一月、元親は成祐を夷山城に恩賞のことを話し合いたいと招いた。
成祐は疑うことなく夷山城に赴いたところを、弟主計頭、星合六之進らとともに元親の家臣畑弥助らによって殺害された。
そして、一宮城には元親の武将が城番として入り、一宮氏は没落した。
阿波の武将は人が良すぎるらしい。
0128人間七七四年
2008/09/06(土) 23:01:01ID:y6tdixCV秀吉「予の顔が猿に似ているなどと言う者がいると聞くが、真か!?」とご立腹
近習「これは勿体無い御諚でございます。誰がそのような事を申しましょうか。」
秀吉「ほう、では言ってはおらぬのだな。」
近習「勿論でございます。ただ、世間では、猿が殿下に似たのだと言っておりますが。」
秀吉公、さもあろう、さもあろうと御満悦。
(口が)悪い話
0129人間七七四年
2008/09/06(土) 23:08:05ID:9VFihkF20131人間七七四年
2008/09/07(日) 00:24:14ID:0UV3iztH0132人間七七四年
2008/09/07(日) 00:26:42ID:BT+LsTAa845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/06(土) 23:28:15 ID:j9yEXPFF
宇都宮(城井)鎮房。
毛利(大内)・大友という大勢力の間でうまく立ち回り勢力を保つ。
最盛期には豊前のほぼ全域を支配する。
地方領主の悲しさか、秀吉の権威を読めず、転封を拒否したのは
最大の失敗だったが、黒田氏に反旗を翻し、反豊臣の檄を飛ばした際は
多くの国人が彼に従った。(秀吉が在地の国人を圧迫したせいもあるけど)
僅か300余の兵で居城を奪還。
黒田孝高・長政親子の大軍に攻め込まれるも、地の利を生かしてこれを撃退。
長政は命からがら逃げ帰る。
攻めあぐねた黒田氏は所領安堵と鎮房娘・鶴姫(13歳)と長政の婚姻を条件に和睦。
しかし、騙まし討ちに遭って暗殺される。(鶴姫も後に磔刑)
この際、中津城には黒田氏の陰謀で小姓1人と鎮房だけで乗り込んだのだが
暗殺に際し、黒田方は2人を殺すのに19人の手負いを出したという。
強弓の使い手としても有名で、その武勇は黒田氏も賞賛している。
また築城技術にも優れ、領内のあちこちに砦を築き、敵兵を分散させては
各個撃破するという先述を得意とした戦上手でもあった。
0133人間七七四年
2008/09/07(日) 12:26:14ID:AzrvpKVP二条城対面の直前のころ、清正は正則に次のように申し送った。
「徳川と豊臣の間に合戦が起きたら、池田輝政の姫路城を攻め取り、
大坂に駆けつけよう」
使者に立ったのは平野長泰の弟・長元。
古田織部の茶会の折、そっと告げたのだが、正則の答えは
「それがしは同心致し難く候、家康候より大国を賜り、厚恩これ以て忘れ難く候」
それ以来、険悪な仲になった。
家康も「関が原の忠臣とも言えるが、二条城での秀頼との対面の際、
大坂がもっとも頼りにした将であるのに、仮病を使って出仕しなかった」
ことを憤慨しており、遺言にも正則改易を書き残した。
石田三成憎しだけで東軍に付いたのではないことを、「武功雑記」は記している。
0134人間七七四年
2008/09/07(日) 13:10:27ID:yX83dHClまあこの話、黒田寄りの見方で言うと「如水の留守を狙ってアポなしで武装した兵200を
率いて乗り込んできた(黒田方は足軽雑用含めて100くらい)」って説もありましてね…
この辺は双方+後世含めてどろどろ悪い話で好きw
0135人間七七四年
2008/09/07(日) 17:28:03ID:Y8s9t/oA隆元が生きてるときの将軍は義輝じゃないか?
0136人間七七四年
2008/09/07(日) 18:41:35ID:P/3gB3Zv家康を褒め称えるためには秀吉を悪人にしないと不可能だからな
0137人間七七四年
2008/09/07(日) 18:56:29ID:BT+LsTAa江戸期に秀吉はそんなに悪く言われていない。
秀吉の悪い話はむしろ、明治以降の研究の結果出てきた話が多い。
0138人間七七四年
2008/09/07(日) 19:18:07ID:X5btdmGJ0139人間七七四年
2008/09/07(日) 19:58:03ID:2OgkG6+5・西園寺旧臣を下人扱い
・人妻分捕り
・西園寺公広暗殺
・一揆参加者780人磔
・関係百姓2000人殺害
木村吉清
・葛西旧臣を東夷として差別
・人妻分捕り
・少女分捕り
・百姓分捕り
山内一豊
・浦戸一揆参加者270人殺害
・滝山一揆参加者100人殺害
・長宗我部旧臣を郷士とし差別化
0141人間七七四年
2008/09/07(日) 23:10:39ID:73OXqym4島原の乱など日本で一番隠れキリシタンが多かったキリスト殉教の地の長崎天主堂の近くに投下した原爆でキリスト教信者1万人近くを虐殺後に
崩壊した天主堂の保存運動にアメリカが圧力かけて潰して隠蔽したってテレビでやってましたが事実?
心ある人が被爆してボロボロで目の辺りも黒ずんで盲目になった頭だけのマリア像を去年だかに、天主堂に戻したとか。
被爆したマリア像を見たら被爆死した人々の姿を代弁してるようで涙が出ました。
0142人間七七四年
2008/09/08(月) 19:47:17ID:efwHKosz政宗が江戸にいたとき。喜多七太夫の勧進能があると言うので、能が大好きな政宗公、ワクワクしながら見に行った。
ところが、演場に到着してみると、既に能は終わっており、観客ははけ、役者たちは既に帰り支度。
当然これに激怒した政宗公
「わしのお気に入りの「海女」と「船弁慶」を、これからはじめろ!」
「し、しかし、一座のものがほとんど帰りまして、能はもう出来ません」と、恐る恐る座元が言うと
「政宗ほどの侍が、能を所望すると頼んでいるからには、しないといっても、させてくれよう!
…刀を出せ!!」
と、小姓に刀を出させ、桟敷から舞台に飛び上がり、刀を抜いた!その時
座元が大慌てで呼び返した役者たちが戻ってきた。
「なんだ、能は出来るではないか。あとは観客だな」
と、政宗、今度はわしが胴元の勧進能じゃ!皆のもの見物していけ!とそこらへんうろついてる人達を片っ端から
引っ張ってくる。だが、無理やり連れてきた客のノリが良い訳がない。すると政宗、お前らもっと盛り上がれ、と
用意していた酒、饅頭、肴を、客席に向って投げ込み始めた。たまたま引っ張り込まれた侍など、このとき饅頭が
頭に当たって政宗に向って投げ返す始末。どうもこのあたりから政宗公、能よりこっちのほうが面白くなってきた模様。
今度は大量の銭を持ってこさせ、桟敷に向って投げ始めた!これには勿論周囲は大パニックに。
銭を求めて争っている人々、おびえる座元と役者、真ん中で高笑いしながら酒を飲んでいる政宗、という
地獄絵図であった。
これを息子への書状に書いた細川忠興、
「この話、あまりに現実離れして信じられないかもしれませんが、丹羽長重殿と立花宗茂殿から聞いた
確かな話です。」と、念を入れている。
ちなみにこの騒動、幕府からは例の如く、「政宗だから仕方がない」で、不問に付されたとか。
0143人間七七四年
2008/09/08(月) 20:24:11ID:Bzv+DEiM正宗だから仕方ないな、それは。
0144人間七七四年
2008/09/08(月) 20:46:09ID:TOrCPcNN0145人間七七四年
2008/09/08(月) 20:53:13ID:Y5DHrwtC近所のいたずら坊主なイメージ
0146人間七七四年
2008/09/08(月) 20:58:45ID:3dKpsk/z0147人間七七四年
2008/09/08(月) 21:24:44ID:pf8AqRzP0148人間七七四年
2008/09/08(月) 21:46:29ID:HvZGQC+X愛すべきバカだから。
0149人間七七四年
2008/09/08(月) 21:54:09ID:WpgFeZhN0150人間七七四年
2008/09/08(月) 21:58:43ID:226Wq/+l0152人間七七四年
2008/09/08(月) 22:03:31ID:eWP4RYRp0153人間七七四年
2008/09/08(月) 22:06:18ID:Y5DHrwtC0154人間七七四年
2008/09/08(月) 23:01:58ID:FsqKM+H70155人間七七四年
2008/09/08(月) 23:09:42ID:HvZGQC+Xマザコンシスコンどもはそれで停戦、と。
東北の鬼姫最強伝説。
0156人間七七四年
2008/09/08(月) 23:14:50ID:226Wq/+l0157人間七七四年
2008/09/08(月) 23:28:01ID:U1Y673Fo大好きだ!
0158人間七七四年
2008/09/08(月) 23:47:54ID:WNPXAEfiこの時代に江戸歌舞伎があったら政宗通い詰めだろうな。
贔屓役者への掛け声をめぐって刃傷沙汰おこしたり。
0159人間七七四年
2008/09/09(火) 00:34:55ID:w5a4ej2Rある日、正宗がDQNの方の島津家久を招いて宴会をすることになり、
>>142の座元に「座興で能をやるから役者を貸せ」と頼んだ
座元「あいにく先約がありまして・・・」
正宗「あっそ。 んじゃ、おまいらみんなSATSUGAI してやんよ。
上様(秀忠)に訴えて味方してもらう?いーよ、そんときゃオレも考えがあっから」
これを聞いた家久2号、仮病を使って延期を申し入れたが、
「えー?! 一幕だけでも見てってよ!他の客にオレのメンツが立たねーから!」
などとゴネるので、結局5日だけ延期されることになった。
なお、これも忠興が息子への手紙で論評しており、
「あきれて物も言えねーよ。アイツ、キツネでも憑いてんじゃねーの?」と言っている
0160人間七七四年
2008/09/09(火) 00:38:19ID:4yrly1pt0161人間七七四年
2008/09/09(火) 01:48:28ID:wZotcZE3正宗は最後の戦国武将だから、ギリギリokとすべきか?
0163人間七七四年
2008/09/09(火) 01:50:47ID:M5Q88giUストーカー? 似た者同士惹かれあうものがあったの?
0164人間七七四年
2008/09/09(火) 01:52:57ID:xQGHSlDZあの忠興もひいた!っていう
0167人間七七四年
2008/09/09(火) 02:08:06ID:sryrwh3/0168人間七七四年
2008/09/09(火) 03:07:59ID:JitlVPJ90170人間七七四年
2008/09/09(火) 06:09:33ID:Cl/9d+B7最大瞬間風速では上な気がするが。
0171人間七七四年
2008/09/09(火) 10:08:16ID:84LjQeoU0172人間七七四年
2008/09/09(火) 10:50:56ID:rxLQV4Ji会津を荒らしまわったとき
ではなくて家康が死んでからだと思うぜw
0173人間七七四年
2008/09/09(火) 13:17:13ID:RCriLX0q幕府も対応には苦慮しただろうw
0174人間七七四年
2008/09/09(火) 14:17:53ID:1hy1y8Z0居なくなった後だとそんな自信ある奴居ないしなw
0175人間七七四年
2008/09/09(火) 14:28:26ID:oIgI/cTc「あったりまえじゃないですか。家康公さえいなければ今頃…」なんて抜け抜けと答えるような人だからなw
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