戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0716人間七七四年
2008/10/17(金) 13:53:49ID:qYNuirr9慶次、「鼻毛を買う」
米沢の城下に時々現れては人々に因縁をつけ、金を巻き上げるならず者がいた。
男は鼻毛が伸びていたので「ハナゲ」と呼ばれていた。
それを知った慶次は男に「その鼻毛を買ってやろう」と手付け金を渡し、
「一ヶ月したら残りを払うから屋敷にくるよう」に言った。
一ヵ月後、男が慶次の屋敷を訪ねると、
慶次は「もっと長い鼻毛が欲しいから肥料をやろう」と言って、
便所から汲んだ「肥」を男の顔にぶちまけた。
金のためなら多少のことは我慢しようと思っていた男もこれにはまいって侘びを乞うた。
慶次は男に、今後悪さをしないことを誓わせ、約束どおり残りの金を渡した。
0717人間七七四年
2008/10/17(金) 13:55:35ID:M05r3BWb山崎の合戦後に、信長の霊を弔うために明智軍の兵士の首が次々本能寺の
焼け跡にさらされ、その数は2000にも及んだ。
ところで、本能寺から約100メートルの場所に南蛮寺教会があったが、首が
さらされた季節は新暦では7月中旬の夏真っ盛りである。
教会は本能寺の風下にあったため死臭がひどく、臭気に耐えかねて窓を閉め
ると、灼熱の蒸し暑さに耐えなければならなかった。
『窓を閉めても隙間から入ってくる臭気は、「信長の傲慢さ」に匹敵するほど
耐えられないものだった。』、と教会のパードレは報告書で語っている。
0718人間七七四年
2008/10/17(金) 14:05:43ID:l/4EhfxZ0720人間七七四年
2008/10/17(金) 14:26:44ID:vCfYCI+M0721人間七七四年
2008/10/17(金) 14:56:49ID:s69+2aiN0722人間七七四年
2008/10/17(金) 15:07:31ID:pCiYIwn0しかし改心して良かったなw
0723人間七七四年
2008/10/17(金) 15:25:47ID:nTNjyVAR文亀2年(1502)12月、領地である日根野荘に下向していた前関白九条政基は、そろそろ
お歳暮の時期である事を思い出した。
そこで、京に残っている家族に贈り物をしようと思い立った。が、手元不如意。
しかしお歳暮は贈りたい。そこで家領である入山田村にこういった。「金貸して?」
すると、入山田村のみなさん、
「はいはい、いいですか殿下?先ずあなたがここに下向してきたのは何のためか、思い出して見ましょう。
そう!和泉守護との領地争い!あいつらがここ簒奪しようと狙ってるからそれを防ぐために
ここに来られたのですよね。…さて、その紛争はもう決着つきましたか?
NO
そう!まだ争いの真っ最中!
お歳暮と言いますが、そんな金があるのなら…
村の要害の強化に当てるか、足軽雇って、戦闘力を強化させるに決まってるでしょ!!常識的に考えて!!
だから、ダメ!」
九条公、しょんぼりしてフテ寝する(本当)
0724人間七七四年
2008/10/17(金) 16:18:47ID:0KTwvbam>信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。
これはいくらなんでも嘘丸出しじゃねーか。
葛山氏元、瀬名信輝、朝比奈政貞等寝返り後そのまま武田家に仕えている。
瀬名など信玄から一字もらって信輝と改名したくらいだ。
0725人間七七四年
2008/10/17(金) 16:24:01ID:nTNjyVARこっちでやろうや
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0726人間七七四年
2008/10/17(金) 16:27:53ID:ZLmxs6dY0728人間七七四年
2008/10/17(金) 16:31:48ID:nTNjyVARそこを理解しないと。
0729人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:08ID:v0LqkXksもちろん、実際の人物とは必ずしも一致しないことを念頭に置いた上でのことではあるし、
更に伝えていく内に、後世のイメージに合致したものが取捨選別されて残されていたりする可能性もある。
0730人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:13ID:lxiQtdiN違う人と間違えるから困る
0731人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:24ID:mLh8lgcA現にこのスレやいい話スレでも現代の小説家の創作っぽいのがチラホラと
0732人間七七四年
2008/10/17(金) 16:52:04ID:nTNjyVAR0733人間七七四年
2008/10/17(金) 16:52:55ID:6jgX/UQh0734人間七七四年
2008/10/17(金) 17:14:21ID:eoQKFNro戦国武将達の逸話を知りたいって人も居るはず。自分もそうだし。
誰かが逸話を書いてくれないと、こう言うスレは意味が無くなると思う。
明らかな創作話なら(年代が違うとか、当時には無い物が話に出てるとか)指摘してもOKとは思う。
0735人間七七四年
2008/10/17(金) 17:26:42ID:v0LqkXks織田信長が足利義昭を擁して上洛するときに、今川義元が出てくるような話がまかり通っても気持ち悪いし。
0736人間七七四年
2008/10/17(金) 17:30:00ID:mLh8lgcAそういう突っ込みが出てくるのを避けたければ出来る限り出典や話の出所を明記するしかない
>>723みたいな感じでね
0737人間七七四年
2008/10/17(金) 17:33:52ID:0KTwvbamさすがに今川といえば大大名だし、その寝返った家臣も有力な武将が多いから指摘した。
今川の旧臣の大部分を処刑したなんつったら、信長の一向宗虐殺に匹敵する大虐殺になるぞ。
これが本当なら逸話なんてものじゃ済まないくらいに歴史に残る。
0738人間七七四年
2008/10/17(金) 17:36:18ID:Uh1j0/JC「嘘ついてんじゃねーよ」ではなく、もっと淡々と「皆殺しという点は史実とは異なるよね」と言っておけばあまり事を荒立てずに済むんでね。
0739人間七七四年
2008/10/17(金) 17:40:03ID:nTNjyVARまあそういうことですな。
歴史論争は、まあ、自分にも経験がありますがw つい売り言葉に買い言葉ってことになりがちなので、
そのへんを、少し気をつけていればいいかな、と。
0741人間七七四年
2008/10/17(金) 19:26:39ID:lxiQtdiNそして解剖されたカエルにはもう誰も興味を向けない。」
これは逸話スレでも当てはまること
0742人間七七四年
2008/10/17(金) 20:10:41ID:QPW3jCO/なんか言葉尻にやたら敏感なヤシがいるな
0743人間七七四年
2008/10/17(金) 22:45:01ID:yuP/Mk5Zそちのがわしの尻にと
0744人間七七四年
2008/10/17(金) 23:07:52ID:yuiegnGY0745人間七七四年
2008/10/18(土) 02:49:00ID:9d94L9vN確かに信長の傲慢さは忌み嫌われていたようだね。
天正9年、この頃になると信長の権勢は絶大で、その家来達も信長の威を借りて奢り高ぶり、
各地で信長が派遣した家臣達による、乱暴狼藉が当然のように行われていた。
甲斐を任された河尻秀隆による暴政などが、織田領内では常態化している有様だった。
ある日、高野山金剛峰寺に分け入った松井友閑の部下32名が寺領内で略奪、女子を犯すなど非道の限りを尽くした。
高野山側は、信長の家来達による度重なる非道に我慢出来ず、この32名の内数人を斬ってしまった。
さて報告を受けた信長は激怒し、諸国を勧進して巡る「高野聖」数百名を一斉に捕らえ、京・安土・伊勢で斬首。
このなんの罪もない「高野聖」を処刑した話を聞いた、当時の公家や文化人達は信長を非常に情けなく思い、噂し合った。
しかし人々から裏で、憎悪&侮蔑されている事も知らない信長は高野山金剛峰寺の焼き討ちまで決定してしまう。
この決断に心を痛めていたのは常日頃、公家や文化人らとの交流が深い明智光秀であった。
さらに治安や政治手腕に優れていた光秀は織田家による兇状が、各方面から恨みを買っている状況をも把握していた。
僧や聖だけでなく民百姓、そして公家など様々な文化人〜これら幅広い人々の心は織田家から離れていたのだった。
傲慢な信長が本能寺で討たれた数日後、本能寺の変を評した茶人の日記はこう結ばれている。
「外道終ニ滅ブ 天ニモ心アリ。」
現在本能寺の変における光秀の動機は、様々な分析が加えられている。
が、こういった当時の背景が光秀を後押しし、信長自身も民心を読めず自滅していたのは紛れもない事実だと言えよう。
0746人間七七四年
2008/10/18(土) 05:25:11ID:uyN3m46x本能寺の黒幕には公家説も有るからねぇ
滅ぶには滅ぶだけの理由が有るってことだね
ある意味秀吉以上に晩節を汚してる
0747人間七七四年
2008/10/18(土) 05:49:20ID:40LpRoO1坊主や宣教師視点だとそうなるのか
光秀も松永並の極悪人だった説も有力だし
そもそもの宣教師や坊主が週末思想振りかざして傲慢だったそうだし
どっちもどっちな面はありそうだがキリスト教も当時の仏教は排他的だし
まだ信長のがいいな
0748人間七七四年
2008/10/18(土) 06:13:25ID:vlAAfCXm逸話は逸話として語りなよ。
逸話を下敷きにして「であるからして・・・」なんて語りをされるのは真贋論争とは別の方向性で不愉快だ。
具体的に言うなら、下二行はいらない。
0749人間七七四年
2008/10/18(土) 06:38:29ID:k4E2x2nGこれまでの流れくらい読もうよ・・・
多少主観が含まれていようが、ここは逸話を書く所なんだよ。
それが真贋か主観かなんて別のスレで語ってくれ。
上で散々言われてることだろうに。
このスレ的には野暮な突っ込みの方がルール違反。
早くテンプレ作ってこの類のKYが寄り付かないようにして欲しい。
0750人間七七四年
2008/10/18(土) 07:52:25ID:hsCjtRHHお前が流れと空気読もうぜ?
上記のヤツは真贋ではなく、逸話のレスの方法論だろ。
つまり、なぜわざわざ悪意に満ちた書き方をするのか?って事を書いてるだけ。
今までの問題点の最大の論旨は、挑発的に書くべきではないって流れだったろ。
真贋論争だって、カチンと来るレスから始まってるんだから。
0751人間七七四年
2008/10/18(土) 08:22:50ID:XpLafWuA逸話に主観を持ち込むのも野暮。
下二行は各々が判断すればいいことであって、いかにもそうであったみたいに書くべきではないと思うぜ。
0752人間七七四年
2008/10/18(土) 09:48:18ID:64lVJ68Uアンチの方々に怒られるので、あんまり騒がないように。
「二人きりで話そう!」
最上義光から白鳥長久十郎重臣宛への手紙。
「この間はお返事ありがとう、いただいたお酒もおいしくいただきました。
白鳥さんがこの間来た時、あまりに素敵な馬だったそうなのでじっくり見たかったな
と言ったったんですけど、そうしたら白鳥さんがあなたの役に立つならと、
あとでわざわざ馬を山形まで送ってきたくれましたね。
義光はとても嬉しかったですよ!
…でもできれば、馬だけじゃなくて、白鳥さんにも来て欲しいんだなあ。
義光は白鳥さんと二人きりでお話したいんですよね〜。
これ、くれぐれも白鳥さんに伝えておいてくださいね♪」
かわいいことを書いているが、その後の展開を考えると義光殺る気満々な
手紙である…。
(義光はこの後、息子と白鳥の姫を結婚させ、さらに
仮病を装い「もうあとは長くないから、息子の義父である
あなたに未来を託したいから山形まで来てね」とおびきだし、
白鳥を自ら斬った)
0753人間七七四年
2008/10/18(土) 10:16:54ID:fgpTngI3永禄十年(1567)、毛利と交戦中の大友宗麟が、中国滞在中の司教、カルネイロにあてた手紙。
「自分が毛利と戦うのは、大内輝弘の地位を回復し、パードレたちによる山口でのキリスト教布教を
庇護を与えたいためである。そのためにも
毛利が硝石を輸入する事を一切禁止し、あなたたちは我々大友に、毎年200斤の良質の硝石を
運ばなくてはならない。」
信仰と外交と軍事戦略が一体化していたことを、よく示す逸話。
0755人間七七四年
2008/10/18(土) 12:55:57ID:/39Q/Xk70756人間七七四年
2008/10/18(土) 13:04:03ID:snUOqmUj0757人間七七四年
2008/10/18(土) 13:07:09ID:wal1/wpCこの話って有名だよ。
延暦寺焼き討ちやこの話以外に武田氏滅亡の時も菩提寺を焼き討ちしてるとか・・・
ちなみにその菩提寺の住職は明智光秀と親戚だったとかいう話もある。
0758人間七七四年
2008/10/18(土) 13:23:42ID:OSk4rdPU思いっきり冷遇されたあげく追放される結果に
0759人間七七四年
2008/10/18(土) 13:24:48ID:fgpTngI30760人間七七四年
2008/10/18(土) 13:34:10ID:nX/m2rHv0761人間七七四年
2008/10/18(土) 14:12:12ID:A+FRV8tf誇張・創作入り乱れた戦国時代の噂話なのだから、
正しい・間違っているなんて個人の主観
じゃあ酒の肴くらいの読み方でいいじゃないですか
意見・指摘は言葉やわらかくしましょうよ
さんざガイシュツな意見で申し訳ないけども、
もうちょっと意識していいスレに育てましょう
0762人間七七四年
2008/10/18(土) 14:26:29ID:8JYpaEsKいや、真贋論争の元になった文章に主観や個人の見解が入りまくってたんよ。
その文が悪意に満ちてると思った奴が野暮な突込みを入れた。
でもまぁ人が書く文章だし、ある程度の主観や見解が分かれるのは仕方が無いー。
逸話について見解が分かれても議論をする場ではないー。
っつー結論が出て終了。
>>677あたりが良い事を言ってるし、読み返したら?
殆ど異論がない意見だと思うよ。
0763人間七七四年
2008/10/18(土) 15:24:02ID:3xGRa0KU実話かどうか解らんがこういう話が言い伝えられてるってなら
それもまた当時の人たちの見方・考え方を伝えるひとつの資料
なわけだが、だからと言って何でもありにしちゃうと小説やアニメ
で創作されたエピソードも拒めなくなっちゃうしな。
0764人間七七四年
2008/10/18(土) 15:24:24ID:fgpTngI3こんなのでいかがでしょうか?
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0765人間七七四年
2008/10/18(土) 15:31:01ID:AuFpJ8tc出典があれば「文句あるなら出典に言え」できるし
0766人間七七四年
2008/10/18(土) 15:49:44ID:fgpTngI3まあ、資料に多く当たってる人には、その出典を「見つける」パズル的面白さみたいなものあるかとw
0767人間七七四年
2008/10/18(土) 16:09:40ID:w9mbZjnx羽柴秀吉の家臣に石川一光という者がいた
彼は同じく豊臣家臣の加藤嘉明に惚れていたので
賤ヶ岳の戦いの時、自分の兜を嘉明に被せたのだが
「他人の兜で戦えるか!」
と兜を捨てて戦場に行ってしまった
そのため一光も兜を被らず戦ったので
左目に槍が当たって死んでしまったとさ
0768人間七七四年
2008/10/18(土) 16:21:32ID:TzsK29xN特に有名な武将なら尚更だと思うし。
自分は出典とか明記するのは、個人の自由で良いと思う。本当に歴史に興味あるなら
出典を出せ!とか言わないで、自分で調べるのが筋。他に武将や地域の歴史スレで
質問するとかすれば良いんだし。少なくとも逸話の書き手を攻撃するのは、逸話を書くなって言ってる様なものだし。
出典なんか気にせず、どんどん逸話を書いて欲しいな、個人的には。
0769人間七七四年
2008/10/18(土) 16:25:56ID:fa94FsU6特定の信者やアンチが我慢できないだけだろ?
0770人間七七四年
2008/10/18(土) 16:55:24ID:SVxLdmAYでないと、個人がアタマの中で捏造したストーリーを逸話と称していくらでも嘘を並べ立てられる。
0771人間七七四年
2008/10/18(土) 17:00:22ID:Q5+3FysZ君が不利益を蒙るのか?
0772人間七七四年
2008/10/18(土) 17:08:52ID:AwyKoBYU仏の嘘は方便と云ひ、武士の嘘をば武略と云ふ。土民・百姓はかはゆき事なり。
光秀は嘘も策略として肯定していた悪い?男だった。
0773人間七七四年
2008/10/18(土) 17:24:42ID:wkHH0124ほっときなよ。
こいつの言ってる事は佐竹の話に噛み付いた上杉厨と変わらん。
同一人物だろ。
ソース厨、真贋厨、主観厨・・・ウザ過ぎ。
いちいち要求したり論争していたらスレが壊れてしまうっての。
既に何度も否定され、説得されてるのに「まだ言うか?!」って感じ。
不快ならスレを覗かなければ良いだけ。
0774人間七七四年
2008/10/18(土) 17:27:01ID:TzsK29xN嘘や捏造を見抜くのも、逸話の楽しみ方の一つ。それを無下に「捏造だろ?」とか「出典はあるのか?」とか
言うレスが野暮だって事。自分で調べて、「ああ、この話しとこの武将を掛け合わせたんだな。」とか
そう言う感想で十分でしょう。もちろん、書き手が「史実」って言い切ってるなら、指摘する必要は
あるかもしれない。逆に「こう言う話もあるよ」って自分で元ネタを出せば良いんだし。
史料を持ち出して検証するスレじゃ無いんだし、大人の対応をしようよ。
0775人間七七四年
2008/10/18(土) 17:50:58ID:VjQ+5NX5多分、自虐的な台詞でしょうね。私的な意訳では
「百姓達は色々とごねて私を困らせるが、仏が嘘
を言っても『方便』と嘯くし、武将達が欺いても
『それは武略だ』と誇る。それに比べたら百姓達
のほうが、己に正直なだけまだましだな。」
と光秀の心情を解釈しています。潔癖な光秀は、
世間の欺瞞に倦み疲れていたのかもしれませんね。
0776人間七七四年
2008/10/18(土) 18:22:46ID:AwyKoBYU逸話と妄想小説を一緒にしたらまずい。
「実は俺がさっき考えましたw」みたいな話が跋扈したら問題だろう。
0777人間七七四年
2008/10/18(土) 18:29:20ID:ejJvWS7gただ、バツの悪い話をあげるスレだからこそ、言い方に関しては良い話スレよりも気を使ってもいいと思うね。
どれだけテンプレを完備してもここは2chなんだから、自分の好きな武将の話でイラッときて特攻してくる奴は絶対出てくる。
「こういうことばっかりやってたんだから、後で滅んだのも当然だな」
「こんなことするんだから、よっぽど世の中が見えてなかったのだろう」
こういう言い方をしなくても逸話を語ることくらい出来るはず。
自分から犬の口の前に手を差し出して「噛まれた!この犬をなんとかしろ!」って言ってても仕方ないでしょ。
ここが「武将の悪口を言うスレ」ならばどれだけ悪意の篭った言い方をしたってかまわないけど、
「悪い逸話を語るスレ」なんだから、その辺りには各々それなりに気を使っていくべきだと思う。
0778人間七七四年
2008/10/18(土) 18:41:06ID:fgpTngI30780人間七七四年
2008/10/18(土) 18:55:39ID:GdjUiLxZ判官贔屓みたいな感じで後々の真面目な好青年なイメージ付いたっぽいね
実際には信長より年上だし本能寺の変のときにはヨボヨボだったらしいけど
くぎゅがやるとクールで凛とした・・・くぎゅううううううううううううううううううううう
0781人間七七四年
2008/10/18(土) 19:37:40ID:ejJvWS7gフロイスあたりでなかったっけ?
「謀略をめぐらす、腹黒くて信用できねーやろーだ」みたいな評価をしてたかと。
娘がキリシタンでベタ褒めされているのにおとーちゃんときたら・・・哀れなw
まあ、ただの真面目君を信長が重用するわけが無いし、俺の中では「上品な秀吉」みたいなイメージになってるなw
0783人間七七四年
2008/10/18(土) 19:44:28ID:TOkm9/lwソーリン聖人扱いして曹洞宗の坊主上がりのクマー悪魔認定してる程度の見識
比叡山の坊主逃がした説もあるくらい仏教・旧勢力寄りの光秀に対する評価なんて
全然信用できないのになぜか光秀DQN説が最近広まってる
それこそセンゴクあたりに毒され杉じゃね?
0784人間七七四年
2008/10/18(土) 19:46:02ID:/39Q/Xk7突っ込まれたらうざいと思うんなら予め書けばいいってだけの話
何故頑なにソース出すのを否定するのか
0788人間七七四年
2008/10/18(土) 21:48:54ID:fgpTngI3元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。
オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。
「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。
将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。
将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」
日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。
0792人間七七四年
2008/10/18(土) 22:36:23ID:qbZHHrnGなるほど トンクス
>>788
しかしその評価してた日本の兵士に自分の銅像壊されちゃうんだよな>クーン
まあ第2次大戦の話なんだけど
0795人間七七四年
2008/10/19(日) 09:49:42ID:/0g0dJxP羽黒の戦いの後、犬山城に細川忠興や蒲生氏郷たちが集まっていた。
そこに森長可がやってきたので皆挨拶をしたが、氏郷だけは軽い挨拶だった。
長可は怒って
「氏郷、お前の名は忠三郎か。鈍くさいから鈍三郎か!」
と喧嘩をふっかけるが氏郷は相手にせず長可は帰ってしまった。
氏郷は笑って
「奴は羽黒の戦いに負けた鬱憤を悪口で晴らそうとしたのだ。
悪口で人に勝つことに勇気をふるうなどつまらぬこと。
勇者は戦いで勇気をふるう、だから私は戦いで勇気を見せよう。」
と言った。
傍から見ていた忠興はいつ斬りあいになるかとビビッてたとかなんとか。
0796人間七七四年
2008/10/19(日) 10:29:00ID:CiHOEOel0798人間七七四年
2008/10/19(日) 10:43:49ID:YkBcMDGdわざわざケンカ吹っかけてるようなもんだろw
0799人間七七四年
2008/10/19(日) 11:24:23ID:bBTcXhouすげー緊迫した場面だったんだろうな
0800人間七七四年
2008/10/19(日) 11:27:54ID:14eHSeUh文禄二年(1593)、豊後では、朝鮮役への負担に耐えかね農民の逃散が続出し、田畠は荒廃した。
大陸への出兵基地である九州での混乱をほおって置くことは出来ない。これへの対処を迫られた秀吉は、
こんな命令を出した
「全国の陰陽師を逮捕し、豊後につれてきて荒廃した農村に送り、定住させ農業をさせるのだ!」
非定住の遊民である民間の陰陽師は、支配者である秀吉にとって気に入る相手ではなかった。
自分自身が、敵を霍乱やスパイするために陰陽師たちを使った過去があるだけに、なおさらである。
遊民問題と農村の荒廃問題、これらを一度に解決する、一挙両得の政策であった。
もちろん失敗する。
秀吉の強大な権力により、豊後には全国から大量の陰陽師は集められた。が、いきなり見ず知らずの土地で
農業をやれといわれても、出来るわけが無いのだ。技術も経験もないのである。
そうこうしているうちに農民の逃散は、九州全域、そして全国へと拡大した。
慌てた秀吉は今度は文禄六年(1597)、農民が逃散した田畠はすべて豊臣政権が没収する、荒田没収令と言う
強硬策を打ち出したが、これは、自領の統治に介入されると諸侯の猛反対に会い、結局撤回された。
秀吉の指導力の限界が、露呈した形となった。
豊後に集められた陰陽師達は結局、またどこかへと消えて行ったという。
0801人間七七四年
2008/10/19(日) 11:30:33ID:h90aeKG7太閤となった豊臣秀吉は、足利氏より譲り受けた天下の名刀
「大典太光世」を気に入り、大切な家宝としていた。
ある時、秀吉の所に前田利家が青ざめて相談にやって来た。
「実は、宇喜多との婚礼をひかえて前田家に戻ったお豪が、
狐に憑かれたらしい。いろいろ加持祈祷して見たが、一向に
効き目が無い。そこで太閤殿下の大典太光世をお貸し願えま
いか。」
当時、年頃の娘が情緒不安定になり、突飛な行動や言動を始
める事を「狐が憑く」と呼び、その対処法として、良く切れ
る刀を娘の枕元に置くと言う迷信的な療法が行われていた。
秀吉にしてみれば、なにより可愛い養女、豪の危機である。
「わかった又左、すぐに持って行け。豪を必ず助けよ。」と
大典太光世を貸し出した。
数日後、利家が嬉しそうに刀を返しに来た。
「さすが天下の名刀。たちどころに狐が逃げて行きました。」
秀吉も満足して刀を受け取り、豪の快復を喜んだ。
だが数日後、再び利家がやって来て、また豪に狐が憑いたので
大典太光世を借りたいとの事。それではと再び貸し出す秀吉。
また数日後、刀を返しに来る利家。やれやれと思ったつかの間
また貸して欲しいとやって来た利家。とうとう秀吉は根負けして
利家に言った。「もうよい利家。そなたには大典太光世を授ける
ゆえ、そのようなしつこい狐が二度と豪に憑かぬよう、追い払っ
てしまえ!」と利家に刀を恩賜した。以降、豪に狐が憑く事は
なくなった。
だが、周囲の者達は「きっと前田殿は大典太光世欲しさに、娘の
病をだしにしたのであろう。」と噂する事しきりであった。
以降、大典太光世は前田家の門外不出の家宝として秘蔵された。
(出典 享保名物帳より意訳)
※前田家に伝わる大典太光世の収得については、諸説あります。
今回は私の最も気に入った逸話を紹介しました。異説、異論
等は各自で御判断をお願いします。
0804人間七七四年
2008/10/19(日) 12:30:09ID:Qgwm9ovV0805人間七七四年
2008/10/19(日) 12:39:36ID:CiHOEOelこれで本当に、娘の容態がちょっとよくなったら気を使ってすぐに返し、その後また悪くなって、というのを繰り返していたんだとしたら哀れだなw
>>804
書けるような逸話を知らなかったら、無理に書かなくてもいいんだぞ?
0806人間七七四年
2008/10/19(日) 13:19:54ID:FZRFVZRCんでそれで娘の病を、だったような
と思ったらちゃんと最後に注意書きしてるのね
0808人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:35ID:4bMeO33Rいい話スレでも悪いは話スレでも
細川忠興は逸話の最後に出てきて
呆れたりびびったりするのが定番の役どころになっているw
交友関係が広かったせいかいろいろ居合わせることが多いのだろうw
0809人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:46ID:DrgsQ658脳内ですって言ったらさらに攻撃されるから
0811人間七七四年
2008/10/19(日) 21:06:48ID:mRNye0O9葛西黒川一揆とか言われるこの一揆は、ただの農民どもの一揆とも思えないほどの勢力を持ち、彼らの武器も防具もなぜか武士並み。
そのうえ、たまに武士らしいのも混ざっていたりして、蒲生軍は大苦戦を強いられていた。
この当時、領国を満足に治められない領主は容赦なく降格させられていた為、さすがの蒲生も焦りまくっていた。
そんなとき、運良く一揆軍の伝令を捕まえ、持っていた書状を手に入れた。
その書状の内容は驚くべきものだった。
「 一揆を起こしているみんなへ
頼んでおいた一揆を起こしてくれてありがとう。おかげで、蒲生のやつに一泡吹かせることが出来たと思うよ。
もう少しがんばれば、やつを追い出すことが出来ると思うので、あとひとふんばりしてください。
約束どおり、武器、防具、兵糧などは全て負担するから、どんどん使ってくれ。
それと、人数が足りない時は、人も貸すからよろしくね。
では、検討を祈る。
伊達政宗より 鳥印 」
この書状を見た蒲生は大激怒。
さっそく京都にいる秀吉に、チクリの手紙と証拠の書状を送った。
これを知った秀吉も当然のごとく大激怒。
さっそく政宗は京都に呼び出された。
0812人間七七四年
2008/10/19(日) 21:07:36ID:mRNye0O9政宗 「さあ、なんででしょうか?」
秀吉 「とぼけても無駄だ。
おまえは、俺のかわいい蒲生くんを陥れようとして、一揆を扇動したらしいじゃないか。
蒲生から連絡があったぞ! さてはおまえ、いまだに会津領を俺に取られたことを根に持っているな。」
政宗 「なんと!それは誤解です。
蒲生のやつこそ、自分が一揆にてこずってるもんだから、それを私のせいにして責任のがれしようとしてるんですよ。」
秀吉 「あまい。ちゃんと証拠のブツはあがってるんだ。
おまえが一揆の皆さんに出した書状があるんだよ。
まいったか!良く見てみろ。」
政宗 「では拝見。ん〜確かに私の筆跡、さらに鳥印のサインまでそっくりの書状ですが、これは偽造品です。
私が書いたものじゃありません。
おそらく、私を陥れようとして、蒲生のやつが作った物ではないでしょうか。」
秀吉 「なんとびっくり!まだしらを切るのか。
この筆跡と鳥印のサイン、どう見てももおまえの書いたもんだ。
わしによこした手紙ともよーく比べてみたんだよ。どこが偽造品なんだよ。説明してみろ!」
政宗 「説明しよう!いや、説明しましょう。
実は私、こんなこともあろうかと、サインに偽造防止策を施してあります。
その方法はどういうものかと言うと、鳥マークのサインの目の部分に、いつも針で0.1ミリほどの穴を空けているのです。
他のだれかが、私のサインを真似て書いたとしても、さすがにその穴には気付きませんから、偽造品には鳥の目に穴がないはずです。」
秀吉 「なにっ!そんなうそが通ると思ってか!そこまで言うなら、おまえが昔俺によこした手紙を全て調べてやる。
もし、おまえの言う穴がなかったら、ただじゃおかんぞ。
おい、愛すべき家臣の三成よ、政宗から来た手紙をすべて持ってこい。」
三成 「はい、すでに用意しております。どうぞ。」
秀吉 「おお、準備がいいな。どれどれ....なにっ!。た、確かに、全ての手紙の鳥マークの目に穴が空いてるっ!」
政宗 「そうでしょう、そうでしょう。まさむねうそつかない。」
秀吉 「むむー。ということは......。」
政宗 「そうです。その書状は偽造品ということですよ。」
秀吉 「少し怪しい匂いもするが、証拠がなくなった以上はおまえは無実と言うことだな。
一件落着。めでたしめでたしだ。はっはっはっは。」
政宗 「(ふー、助かったぜ。それにしても蒲生のやつめ!俺様を敵に回したことを後悔させてやるぜ!だてに伊達を名乗ってないことを知らしめてやる!)」
かくして、伊達政宗はなんのお咎めもなく、無事に家に帰ることを許された。
しかし納得いかないのは蒲生くん。怒りも収まらないまま、なぞの死をとげるのである。
0813人間七七四年
2008/10/19(日) 21:41:59ID:8F8Mx1uK0814人間七七四年
2008/10/19(日) 22:41:52ID:Oun5rSGf■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています