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戦国ちょっと悪い話

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0001人間七七四年2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2
秀吉が関白になった頃のお話

尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。

「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」

女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし

その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。

都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。


このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0715人間七七四年2008/10/17(金) 13:51:03ID:NkcKsd36
>>714
時々ノリだけで生きてるんじゃないかって気もしてくるなw
0716人間七七四年2008/10/17(金) 13:53:49ID:qYNuirr9
慶次のキティかどうかわからないが、こういうのがあるよ

慶次、「鼻毛を買う」
米沢の城下に時々現れては人々に因縁をつけ、金を巻き上げるならず者がいた。
男は鼻毛が伸びていたので「ハナゲ」と呼ばれていた。
それを知った慶次は男に「その鼻毛を買ってやろう」と手付け金を渡し、
「一ヶ月したら残りを払うから屋敷にくるよう」に言った。
一ヵ月後、男が慶次の屋敷を訪ねると、
慶次は「もっと長い鼻毛が欲しいから肥料をやろう」と言って、
便所から汲んだ「肥」を男の顔にぶちまけた。
金のためなら多少のことは我慢しようと思っていた男もこれにはまいって侘びを乞うた。
慶次は男に、今後悪さをしないことを誓わせ、約束どおり残りの金を渡した。

0717人間七七四年2008/10/17(金) 13:55:35ID:M05r3BWb
宣教師の報告書

山崎の合戦後に、信長の霊を弔うために明智軍の兵士の首が次々本能寺の
焼け跡にさらされ、その数は2000にも及んだ。
ところで、本能寺から約100メートルの場所に南蛮寺教会があったが、首が
さらされた季節は新暦では7月中旬の夏真っ盛りである。
教会は本能寺の風下にあったため死臭がひどく、臭気に耐えかねて窓を閉め
ると、灼熱の蒸し暑さに耐えなければならなかった。

『窓を閉めても隙間から入ってくる臭気は、「信長の傲慢さ」に匹敵するほど
耐えられないものだった。』、と教会のパードレは報告書で語っている。
0718人間七七四年2008/10/17(金) 14:05:43ID:l/4EhfxZ
だがその後にやってきた秀吉の高慢さはそれにすら耐えたバードレを叩き出したのだった
0719人間七七四年2008/10/17(金) 14:07:59ID:9aEvx6zn
>>716
なんか理屈にも何もなっていないようなw
0720人間七七四年2008/10/17(金) 14:26:44ID:vCfYCI+M
そこで理屈こねた場合どうなるかは火を見るよりも明らかだしw
0721人間七七四年2008/10/17(金) 14:56:49ID:s69+2aiN
疫病とかは大丈夫だったのかな。
0722人間七七四年2008/10/17(金) 15:07:31ID:pCiYIwn0
肥はキツい。

しかし改心して良かったなw
0723人間七七四年2008/10/17(金) 15:25:47ID:nTNjyVAR
暮れの元気なご挨拶〜


文亀2年(1502)12月、領地である日根野荘に下向していた前関白九条政基は、そろそろ
お歳暮の時期である事を思い出した。

そこで、京に残っている家族に贈り物をしようと思い立った。が、手元不如意。

しかしお歳暮は贈りたい。そこで家領である入山田村にこういった。「金貸して?」
すると、入山田村のみなさん、

「はいはい、いいですか殿下?先ずあなたがここに下向してきたのは何のためか、思い出して見ましょう。
そう!和泉守護との領地争い!あいつらがここ簒奪しようと狙ってるからそれを防ぐために
ここに来られたのですよね。…さて、その紛争はもう決着つきましたか?

NO

そう!まだ争いの真っ最中!
お歳暮と言いますが、そんな金があるのなら…

村の要害の強化に当てるか、足軽雇って、戦闘力を強化させるに決まってるでしょ!!常識的に考えて!!

だから、ダメ!」


九条公、しょんぼりしてフテ寝する(本当)
0724人間七七四年2008/10/17(金) 16:18:47ID:0KTwvbam
>>712
>信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。

これはいくらなんでも嘘丸出しじゃねーか。
葛山氏元、瀬名信輝、朝比奈政貞等寝返り後そのまま武田家に仕えている。
瀬名など信玄から一字もらって信輝と改名したくらいだ。
0725人間七七四年2008/10/17(金) 16:24:01ID:nTNjyVAR
>>724
こっちでやろうや

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0726人間七七四年2008/10/17(金) 16:27:53ID:ZLmxs6dY
次スレはテンプレにいろいろ明記しないとな
0727人間七七四年2008/10/17(金) 16:29:49ID:Uv3dN+MR
>>724
岡部元信もな。使える奴だけ残すってのが信玄らしいな
0728人間七七四年2008/10/17(金) 16:31:48ID:nTNjyVAR
戦国武将も含めて昔の人の逸話は、事実云々より、「その逸話が存在すること自体」が重要なんだよね。
そこを理解しないと。
0729人間七七四年2008/10/17(金) 16:48:08ID:v0LqkXks
とりあえず、「領民から見た人物像」を考える上での手がかりの一つにはなるな。
もちろん、実際の人物とは必ずしも一致しないことを念頭に置いた上でのことではあるし、
更に伝えていく内に、後世のイメージに合致したものが取捨選別されて残されていたりする可能性もある。
0730人間七七四年2008/10/17(金) 16:48:13ID:lxiQtdiN
岡部元信は改名しすぎで
違う人と間違えるから困る
0731人間七七四年2008/10/17(金) 16:48:24ID:mLh8lgcA
胡散臭すぎる逸話はそもそも存在するかどうかすら怪しかったりするけどな
現にこのスレやいい話スレでも現代の小説家の創作っぽいのがチラホラと
0732人間七七四年2008/10/17(金) 16:52:04ID:nTNjyVAR
そこは個々人が取捨選択するしかないでしょ。
0733人間七七四年2008/10/17(金) 16:52:55ID:6jgX/UQh
後世の人間が恣意的に作った話もあるからな。それはそれで参考になるけど。
0734人間七七四年2008/10/17(金) 17:14:21ID:eoQKFNro
いい話にしろ悪い話にしろ、真贋はともかく一つでも多くの
戦国武将達の逸話を知りたいって人も居るはず。自分もそうだし。
誰かが逸話を書いてくれないと、こう言うスレは意味が無くなると思う。
明らかな創作話なら(年代が違うとか、当時には無い物が話に出てるとか)指摘してもOKとは思う。
0735人間七七四年2008/10/17(金) 17:26:42ID:v0LqkXks
真贋論争は確かに勘弁だが、時系列がおかしい等の単純な指摘なら俺もいいと思うね。
織田信長が足利義昭を擁して上洛するときに、今川義元が出てくるような話がまかり通っても気持ち悪いし。
0736人間七七四年2008/10/17(金) 17:30:00ID:mLh8lgcA
矛盾を指摘した>>724はスレ違いってことで追い出されそうになってるけどな
そういう突っ込みが出てくるのを避けたければ出来る限り出典や話の出所を明記するしかない
>>723みたいな感じでね
0737人間七七四年2008/10/17(金) 17:33:52ID:0KTwvbam
名も知れぬ豪族の下っ端とかの話なら俺もスルーしたけど、
さすがに今川といえば大大名だし、その寝返った家臣も有力な武将が多いから指摘した。
今川の旧臣の大部分を処刑したなんつったら、信長の一向宗虐殺に匹敵する大虐殺になるぞ。
これが本当なら逸話なんてものじゃ済まないくらいに歴史に残る。
0738人間七七四年2008/10/17(金) 17:36:18ID:Uh1j0/JC
>>724の言い方がちょっとまずい気がする。
「嘘ついてんじゃねーよ」ではなく、もっと淡々と「皆殺しという点は史実とは異なるよね」と言っておけばあまり事を荒立てずに済むんでね。
0739人間七七四年2008/10/17(金) 17:40:03ID:nTNjyVAR
>>738
まあそういうことですな。

歴史論争は、まあ、自分にも経験がありますがw つい売り言葉に買い言葉ってことになりがちなので、
そのへんを、少し気をつけていればいいかな、と。
0740人間七七四年2008/10/17(金) 17:40:58ID:0/LJZQzP
>>723
ワラタ
0741人間七七四年2008/10/17(金) 19:26:39ID:lxiQtdiN
「ジョークはカエルと同じである、何故かと言うと解剖すると死んでしまう。
そして解剖されたカエルにはもう誰も興味を向けない。」

これは逸話スレでも当てはまること
0742人間七七四年2008/10/17(金) 20:10:41ID:QPW3jCO/
ここ、ツーちゃんねるだよね?
なんか言葉尻にやたら敏感なヤシがいるな
0743人間七七四年2008/10/17(金) 22:45:01ID:yuP/Mk5Z
尻は戦国武将の大好物だからな
そちのがわしの尻にと
0744人間七七四年2008/10/17(金) 23:07:52ID:yuiegnGY
言葉尻秀隆
0745人間七七四年2008/10/18(土) 02:49:00ID:9d94L9vN
>>717
確かに信長の傲慢さは忌み嫌われていたようだね。

天正9年、この頃になると信長の権勢は絶大で、その家来達も信長の威を借りて奢り高ぶり、
各地で信長が派遣した家臣達による、乱暴狼藉が当然のように行われていた。
甲斐を任された河尻秀隆による暴政などが、織田領内では常態化している有様だった。

ある日、高野山金剛峰寺に分け入った松井友閑の部下32名が寺領内で略奪、女子を犯すなど非道の限りを尽くした。
高野山側は、信長の家来達による度重なる非道に我慢出来ず、この32名の内数人を斬ってしまった。

さて報告を受けた信長は激怒し、諸国を勧進して巡る「高野聖」数百名を一斉に捕らえ、京・安土・伊勢で斬首。
このなんの罪もない「高野聖」を処刑した話を聞いた、当時の公家や文化人達は信長を非常に情けなく思い、噂し合った。
しかし人々から裏で、憎悪&侮蔑されている事も知らない信長は高野山金剛峰寺の焼き討ちまで決定してしまう。

この決断に心を痛めていたのは常日頃、公家や文化人らとの交流が深い明智光秀であった。
さらに治安や政治手腕に優れていた光秀は織田家による兇状が、各方面から恨みを買っている状況をも把握していた。
僧や聖だけでなく民百姓、そして公家など様々な文化人〜これら幅広い人々の心は織田家から離れていたのだった。
傲慢な信長が本能寺で討たれた数日後、本能寺の変を評した茶人の日記はこう結ばれている。
「外道終ニ滅ブ 天ニモ心アリ。」

現在本能寺の変における光秀の動機は、様々な分析が加えられている。
が、こういった当時の背景が光秀を後押しし、信長自身も民心を読めず自滅していたのは紛れもない事実だと言えよう。
0746人間七七四年2008/10/18(土) 05:25:11ID:uyN3m46x
>>745
本能寺の黒幕には公家説も有るからねぇ

滅ぶには滅ぶだけの理由が有るってことだね

ある意味秀吉以上に晩節を汚してる
0747人間七七四年2008/10/18(土) 05:49:20ID:40LpRoO1
>>745
坊主や宣教師視点だとそうなるのか
光秀も松永並の極悪人だった説も有力だし
そもそもの宣教師や坊主が週末思想振りかざして傲慢だったそうだし

どっちもどっちな面はありそうだがキリスト教も当時の仏教は排他的だし
まだ信長のがいいな
0748人間七七四年2008/10/18(土) 06:13:25ID:vlAAfCXm
>>745
逸話は逸話として語りなよ。
逸話を下敷きにして「であるからして・・・」なんて語りをされるのは真贋論争とは別の方向性で不愉快だ。
具体的に言うなら、下二行はいらない。
0749人間七七四年2008/10/18(土) 06:38:29ID:k4E2x2nG
>>748
これまでの流れくらい読もうよ・・・
多少主観が含まれていようが、ここは逸話を書く所なんだよ。
それが真贋か主観かなんて別のスレで語ってくれ。
上で散々言われてることだろうに。
このスレ的には野暮な突っ込みの方がルール違反。
早くテンプレ作ってこの類のKYが寄り付かないようにして欲しい。
0750人間七七四年2008/10/18(土) 07:52:25ID:hsCjtRHH
>>749
お前が流れと空気読もうぜ?
上記のヤツは真贋ではなく、逸話のレスの方法論だろ。

つまり、なぜわざわざ悪意に満ちた書き方をするのか?って事を書いてるだけ。
今までの問題点の最大の論旨は、挑発的に書くべきではないって流れだったろ。
真贋論争だって、カチンと来るレスから始まってるんだから。
0751人間七七四年2008/10/18(土) 08:22:50ID:XpLafWuA
逸話の真贋の突込みが野暮なのはこのスレの大勢だけど、
逸話に主観を持ち込むのも野暮。

下二行は各々が判断すればいいことであって、いかにもそうであったみたいに書くべきではないと思うぜ。
0752人間七七四年2008/10/18(土) 09:48:18ID:64lVJ68U
ちょっと雰囲気悪いので、差し入れします。
アンチの方々に怒られるので、あんまり騒がないように。





「二人きりで話そう!」

最上義光から白鳥長久十郎重臣宛への手紙。
「この間はお返事ありがとう、いただいたお酒もおいしくいただきました。
白鳥さんがこの間来た時、あまりに素敵な馬だったそうなのでじっくり見たかったな
と言ったったんですけど、そうしたら白鳥さんがあなたの役に立つならと、
あとでわざわざ馬を山形まで送ってきたくれましたね。
義光はとても嬉しかったですよ!
…でもできれば、馬だけじゃなくて、白鳥さんにも来て欲しいんだなあ。
義光は白鳥さんと二人きりでお話したいんですよね〜。
これ、くれぐれも白鳥さんに伝えておいてくださいね♪」
かわいいことを書いているが、その後の展開を考えると義光殺る気満々な
手紙である…。
(義光はこの後、息子と白鳥の姫を結婚させ、さらに
仮病を装い「もうあとは長くないから、息子の義父である
あなたに未来を託したいから山形まで来てね」とおびきだし、
白鳥を自ら斬った)
0753人間七七四年2008/10/18(土) 10:16:54ID:fgpTngI3
大友宗麟の外交

永禄十年(1567)、毛利と交戦中の大友宗麟が、中国滞在中の司教、カルネイロにあてた手紙。

「自分が毛利と戦うのは、大内輝弘の地位を回復し、パードレたちによる山口でのキリスト教布教を
庇護を与えたいためである。そのためにも

毛利が硝石を輸入する事を一切禁止し、あなたたちは我々大友に、毎年200斤の良質の硝石を
運ばなくてはならない。」


信仰と外交と軍事戦略が一体化していたことを、よく示す逸話。
0754人間七七四年2008/10/18(土) 12:46:23ID:SVxLdmAY
>>745
逸話ならそれぞれの出典をよろしく。初めて聞いたよこんな捏造だらけ。
0755人間七七四年2008/10/18(土) 12:55:57ID:/39Q/Xk7
信長が高野聖を殺しまくってたのは事実だよ
0756人間七七四年2008/10/18(土) 13:04:03ID:snUOqmUj
問題なのは織田内でもTOPクラスの残虐な光秀が心を痛めてる部分でしょ
0757人間七七四年2008/10/18(土) 13:07:09ID:wal1/wpC
>>754
この話って有名だよ。
延暦寺焼き討ちやこの話以外に武田氏滅亡の時も菩提寺を焼き討ちしてるとか・・・

ちなみにその菩提寺の住職は明智光秀と親戚だったとかいう話もある。
0758人間七七四年2008/10/18(土) 13:23:42ID:OSk4rdPU
高野聖を殺しまくって怨まれ、孫の秀信が高野山に入ったときにその意趣返しとして

思いっきり冷遇されたあげく追放される結果に
0759人間七七四年2008/10/18(土) 13:24:48ID:fgpTngI3
高野山は相当信長を憎んでいたことは間違いないね。
0760人間七七四年2008/10/18(土) 13:34:10ID:nX/m2rHv
所謂「高野聖」のうち、どのくらいが私度僧だったんだろう。
0761人間七七四年2008/10/18(土) 14:12:12ID:A+FRV8tf
勉強不足無知な身ながら・・・

誇張・創作入り乱れた戦国時代の噂話なのだから、
正しい・間違っているなんて個人の主観
じゃあ酒の肴くらいの読み方でいいじゃないですか
意見・指摘は言葉やわらかくしましょうよ

さんざガイシュツな意見で申し訳ないけども、
もうちょっと意識していいスレに育てましょう
0762人間七七四年2008/10/18(土) 14:26:29ID:8JYpaEsK
>>750
いや、真贋論争の元になった文章に主観や個人の見解が入りまくってたんよ。
その文が悪意に満ちてると思った奴が野暮な突込みを入れた。

でもまぁ人が書く文章だし、ある程度の主観や見解が分かれるのは仕方が無いー。
逸話について見解が分かれても議論をする場ではないー。
っつー結論が出て終了。
>>677あたりが良い事を言ってるし、読み返したら?
殆ど異論がない意見だと思うよ。
0763人間七七四年2008/10/18(土) 15:24:02ID:3xGRa0KU
まぁソース明記ってことでいいんじゃね?
実話かどうか解らんがこういう話が言い伝えられてるってなら
それもまた当時の人たちの見方・考え方を伝えるひとつの資料
なわけだが、だからと言って何でもありにしちゃうと小説やアニメ
で創作されたエピソードも拒めなくなっちゃうしな。
0764人間七七四年2008/10/18(土) 15:24:24ID:fgpTngI3
いい話スレでテンプレ作ったので、こっちのも作ってみる
こんなのでいかがでしょうか?




戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/


逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0765人間七七四年2008/10/18(土) 15:31:01ID:AuFpJ8tc
できれば出典明記してほしいな
出典があれば「文句あるなら出典に言え」できるし
0766人間七七四年2008/10/18(土) 15:49:44ID:fgpTngI3
出典が孫引きだったり、うろ覚えのものもあるだろうし、なかなか難しいよね。
まあ、資料に多く当たってる人には、その出典を「見つける」パズル的面白さみたいなものあるかとw
0767人間七七四年2008/10/18(土) 16:09:40ID:w9mbZjnx
武家事紀より、かっこ悪い話

羽柴秀吉の家臣に石川一光という者がいた
彼は同じく豊臣家臣の加藤嘉明に惚れていたので
賤ヶ岳の戦いの時、自分の兜を嘉明に被せたのだが

「他人の兜で戦えるか!」

と兜を捨てて戦場に行ってしまった
そのため一光も兜を被らず戦ったので
左目に槍が当たって死んでしまったとさ
0768人間七七四年2008/10/18(土) 16:21:32ID:TzsK29xN
こちらは「悪い話」だから、逸話にある程度の誇張が出ても仕方ないと思うけどね。
特に有名な武将なら尚更だと思うし。
自分は出典とか明記するのは、個人の自由で良いと思う。本当に歴史に興味あるなら
出典を出せ!とか言わないで、自分で調べるのが筋。他に武将や地域の歴史スレで
質問するとかすれば良いんだし。少なくとも逸話の書き手を攻撃するのは、逸話を書くなって言ってる様なものだし。
出典なんか気にせず、どんどん逸話を書いて欲しいな、個人的には。
0769人間七七四年2008/10/18(土) 16:25:56ID:fa94FsU6
出典明記しても「その資料は江戸時代に編纂されたもので(ry」といちゃもんつけてくる奴が出るんだろうな。
特定の信者やアンチが我慢できないだけだろ?
0770人間七七四年2008/10/18(土) 16:55:24ID:SVxLdmAY
史実かどうか、ではなく、逸話の存在の有無、は必要でしょう。

でないと、個人がアタマの中で捏造したストーリーを逸話と称していくらでも嘘を並べ立てられる。
0771人間七七四年2008/10/18(土) 17:00:22ID:Q5+3FysZ
それで何か君が困るのか?
君が不利益を蒙るのか?
0772人間七七四年2008/10/18(土) 17:08:52ID:AwyKoBYU
明智光秀の残した言葉

仏の嘘は方便と云ひ、武士の嘘をば武略と云ふ。土民・百姓はかはゆき事なり。

光秀は嘘も策略として肯定していた悪い?男だった。
0773人間七七四年2008/10/18(土) 17:24:42ID:wkHH0124
>>771
ほっときなよ。
こいつの言ってる事は佐竹の話に噛み付いた上杉厨と変わらん。
同一人物だろ。
ソース厨、真贋厨、主観厨・・・ウザ過ぎ。
いちいち要求したり論争していたらスレが壊れてしまうっての。
既に何度も否定され、説得されてるのに「まだ言うか?!」って感じ。
不快ならスレを覗かなければ良いだけ。
0774人間七七四年2008/10/18(土) 17:27:01ID:TzsK29xN
>>770
嘘や捏造を見抜くのも、逸話の楽しみ方の一つ。それを無下に「捏造だろ?」とか「出典はあるのか?」とか
言うレスが野暮だって事。自分で調べて、「ああ、この話しとこの武将を掛け合わせたんだな。」とか
そう言う感想で十分でしょう。もちろん、書き手が「史実」って言い切ってるなら、指摘する必要は
あるかもしれない。逆に「こう言う話もあるよ」って自分で元ネタを出せば良いんだし。
史料を持ち出して検証するスレじゃ無いんだし、大人の対応をしようよ。
0775人間七七四年2008/10/18(土) 17:50:58ID:VjQ+5NX5
>>772
多分、自虐的な台詞でしょうね。私的な意訳では
「百姓達は色々とごねて私を困らせるが、仏が嘘
を言っても『方便』と嘯くし、武将達が欺いても
『それは武略だ』と誇る。それに比べたら百姓達
のほうが、己に正直なだけまだましだな。」
と光秀の心情を解釈しています。潔癖な光秀は、
世間の欺瞞に倦み疲れていたのかもしれませんね。
0776人間七七四年2008/10/18(土) 18:22:46ID:AwyKoBYU
出典は要求されたら答える必要あるだろう。
逸話と妄想小説を一緒にしたらまずい。
「実は俺がさっき考えましたw」みたいな話が跋扈したら問題だろう。
0777人間七七四年2008/10/18(土) 18:29:20ID:ejJvWS7g
出典は「どっかで見たけど忘れた」「又聞きした」って事もありうるからなぁ。そこまで求めるのは厳しいんでね?

ただ、バツの悪い話をあげるスレだからこそ、言い方に関しては良い話スレよりも気を使ってもいいと思うね。
どれだけテンプレを完備してもここは2chなんだから、自分の好きな武将の話でイラッときて特攻してくる奴は絶対出てくる。

「こういうことばっかりやってたんだから、後で滅んだのも当然だな」
「こんなことするんだから、よっぽど世の中が見えてなかったのだろう」

こういう言い方をしなくても逸話を語ることくらい出来るはず。
自分から犬の口の前に手を差し出して「噛まれた!この犬をなんとかしろ!」って言ってても仕方ないでしょ。
ここが「武将の悪口を言うスレ」ならばどれだけ悪意の篭った言い方をしたってかまわないけど、
「悪い逸話を語るスレ」なんだから、その辺りには各々それなりに気を使っていくべきだと思う。
0778人間七七四年2008/10/18(土) 18:41:06ID:fgpTngI3
悪い事を糾弾するんじゃなくて、「悪いけど、だからこそ魅力的」な書き方があるといいよね、書き込みにも。
0779人間七七四年2008/10/18(土) 18:55:27ID:YdUIZgmv
>>2
思いっきり今更な上にどうでもいい事なんだが、なんで兄弟じゃなくて姉妹スレなんだ?
0780人間七七四年2008/10/18(土) 18:55:39ID:GdjUiLxZ
光秀って宣教師の残した書簡で相当の悪人っぽく書かれてた資料なかったっけ
判官贔屓みたいな感じで後々の真面目な好青年なイメージ付いたっぽいね
実際には信長より年上だし本能寺の変のときにはヨボヨボだったらしいけど
くぎゅがやるとクールで凛とした・・・くぎゅううううううううううううううううううううう
0781人間七七四年2008/10/18(土) 19:37:40ID:ejJvWS7g
>>780
フロイスあたりでなかったっけ?
「謀略をめぐらす、腹黒くて信用できねーやろーだ」みたいな評価をしてたかと。
娘がキリシタンでベタ褒めされているのにおとーちゃんときたら・・・哀れなw
まあ、ただの真面目君を信長が重用するわけが無いし、俺の中では「上品な秀吉」みたいなイメージになってるなw
0782人間七七四年2008/10/18(土) 19:40:27ID:8UwaQbRh
>>767
これはかっこわるい。
0783人間七七四年2008/10/18(土) 19:44:28ID:TOkm9/lw
最近その手の光秀実はヤバイ人っての多いけど、宣教師の話なんて
ソーリン聖人扱いして曹洞宗の坊主上がりのクマー悪魔認定してる程度の見識

比叡山の坊主逃がした説もあるくらい仏教・旧勢力寄りの光秀に対する評価なんて
全然信用できないのになぜか光秀DQN説が最近広まってる
それこそセンゴクあたりに毒され杉じゃね?
0784人間七七四年2008/10/18(土) 19:46:02ID:/39Q/Xk7
絶対に出典を明記する必要は無いが、
突っ込まれたらうざいと思うんなら予め書けばいいってだけの話
何故頑なにソース出すのを否定するのか
0785人間七七四年2008/10/18(土) 19:50:52ID:qbZHHrnG
>>772の出典は?
0786人間七七四年2008/10/18(土) 19:52:48ID:/39Q/Xk7
>>785
>>772じゃないけど老人雑話
0787人間七七四年2008/10/18(土) 21:28:55ID:0EnaV2Nt
>>783
クマーは「肥前の熊」龍造寺隆信のことだね。
0788人間七七四年2008/10/18(土) 21:48:54ID:fgpTngI3
戦国の終わりに

元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。

オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。

「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。

将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。

将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」


日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。
0789人間七七四年2008/10/18(土) 21:54:38ID:b0rnodof
>>779
いいんじゃね?
姉妹都市はよく聞くが
兄弟都市はあまり聞かねぇし
同類ってことで

0790人間七七四年2008/10/18(土) 21:58:50ID:ejJvWS7g
>>788
嫌な評価のされ方だなw
0791人間七七四年2008/10/18(土) 22:00:45ID:wh7NU9Zx
>>752
そんな可愛い手紙貰ったら俺でも山形までいっちゃう!
0792人間七七四年2008/10/18(土) 22:36:23ID:qbZHHrnG
>>786
なるほど トンクス

>>788
しかしその評価してた日本の兵士に自分の銅像壊されちゃうんだよな>クーン
まあ第2次大戦の話なんだけど
0793人間七七四年2008/10/18(土) 23:35:06ID:1IYHskYn
>>788
そんだけ評価してた割には給料未払いで揉めたりしてんだよね。
さすがはけちのオランダ人
0794人間七七四年2008/10/19(日) 00:38:59ID:8uBmlF8E
>>788>>792>>793
セットになることで非常にわるい。
いろんな意味で。
0795人間七七四年2008/10/19(日) 09:49:42ID:/0g0dJxP
森長可のかっこわるい話

羽黒の戦いの後、犬山城に細川忠興や蒲生氏郷たちが集まっていた。
そこに森長可がやってきたので皆挨拶をしたが、氏郷だけは軽い挨拶だった。
長可は怒って

「氏郷、お前の名は忠三郎か。鈍くさいから鈍三郎か!」

と喧嘩をふっかけるが氏郷は相手にせず長可は帰ってしまった。
氏郷は笑って

「奴は羽黒の戦いに負けた鬱憤を悪口で晴らそうとしたのだ。
悪口で人に勝つことに勇気をふるうなどつまらぬこと。
勇者は戦いで勇気をふるう、だから私は戦いで勇気を見せよう。」

と言った。
傍から見ていた忠興はいつ斬りあいになるかとビビッてたとかなんとか。
0796人間七七四年2008/10/19(日) 10:29:00ID:CiHOEOel
蒲生氏郷のかっこいい話でもあるなw
0797人間七七四年2008/10/19(日) 10:37:13ID:lQThGTFO
>>795
半月後には森長可が討ち死にしてるのがまた何とも言えないな…
0798人間七七四年2008/10/19(日) 10:43:49ID:YkBcMDGd
挨拶が軽かった氏郷にも問題があるような
わざわざケンカ吹っかけてるようなもんだろw
0799人間七七四年2008/10/19(日) 11:24:23ID:bBTcXhou
あのdqn忠興がびびってたというから
すげー緊迫した場面だったんだろうな
0800人間七七四年2008/10/19(日) 11:27:54ID:14eHSeUh
陰陽師をつかまえろ

文禄二年(1593)、豊後では、朝鮮役への負担に耐えかね農民の逃散が続出し、田畠は荒廃した。
大陸への出兵基地である九州での混乱をほおって置くことは出来ない。これへの対処を迫られた秀吉は、
こんな命令を出した

「全国の陰陽師を逮捕し、豊後につれてきて荒廃した農村に送り、定住させ農業をさせるのだ!」

非定住の遊民である民間の陰陽師は、支配者である秀吉にとって気に入る相手ではなかった。
自分自身が、敵を霍乱やスパイするために陰陽師たちを使った過去があるだけに、なおさらである。
遊民問題と農村の荒廃問題、これらを一度に解決する、一挙両得の政策であった。


もちろん失敗する。


秀吉の強大な権力により、豊後には全国から大量の陰陽師は集められた。が、いきなり見ず知らずの土地で
農業をやれといわれても、出来るわけが無いのだ。技術も経験もないのである。

そうこうしているうちに農民の逃散は、九州全域、そして全国へと拡大した。
慌てた秀吉は今度は文禄六年(1597)、農民が逃散した田畠はすべて豊臣政権が没収する、荒田没収令と言う
強硬策を打ち出したが、これは、自領の統治に介入されると諸侯の猛反対に会い、結局撤回された。
秀吉の指導力の限界が、露呈した形となった。

豊後に集められた陰陽師達は結局、またどこかへと消えて行ったという。
0801人間七七四年2008/10/19(日) 11:30:33ID:h90aeKG7
前田利家のちょっと悪い話

太閤となった豊臣秀吉は、足利氏より譲り受けた天下の名刀
「大典太光世」を気に入り、大切な家宝としていた。
ある時、秀吉の所に前田利家が青ざめて相談にやって来た。
「実は、宇喜多との婚礼をひかえて前田家に戻ったお豪が、
狐に憑かれたらしい。いろいろ加持祈祷して見たが、一向に
効き目が無い。そこで太閤殿下の大典太光世をお貸し願えま
いか。」
当時、年頃の娘が情緒不安定になり、突飛な行動や言動を始
める事を「狐が憑く」と呼び、その対処法として、良く切れ
る刀を娘の枕元に置くと言う迷信的な療法が行われていた。
秀吉にしてみれば、なにより可愛い養女、豪の危機である。
「わかった又左、すぐに持って行け。豪を必ず助けよ。」と
大典太光世を貸し出した。
数日後、利家が嬉しそうに刀を返しに来た。
「さすが天下の名刀。たちどころに狐が逃げて行きました。」
秀吉も満足して刀を受け取り、豪の快復を喜んだ。
だが数日後、再び利家がやって来て、また豪に狐が憑いたので
大典太光世を借りたいとの事。それではと再び貸し出す秀吉。
また数日後、刀を返しに来る利家。やれやれと思ったつかの間
また貸して欲しいとやって来た利家。とうとう秀吉は根負けして
利家に言った。「もうよい利家。そなたには大典太光世を授ける
ゆえ、そのようなしつこい狐が二度と豪に憑かぬよう、追い払っ
てしまえ!」と利家に刀を恩賜した。以降、豪に狐が憑く事は
なくなった。
だが、周囲の者達は「きっと前田殿は大典太光世欲しさに、娘の
病をだしにしたのであろう。」と噂する事しきりであった。
以降、大典太光世は前田家の門外不出の家宝として秘蔵された。
                   (出典 享保名物帳より意訳)

※前田家に伝わる大典太光世の収得については、諸説あります。
 今回は私の最も気に入った逸話を紹介しました。異説、異論
 等は各自で御判断をお願いします。
0802人間七七四年2008/10/19(日) 11:42:33ID:AaEHX854
>>801
相変わらずせこさが滲み出てるなwww>前田利家
0803人間七七四年2008/10/19(日) 11:43:06ID:BkSC6Nf9
>>798
負けた長可が機嫌が悪いことぐらいわかるだろうになw
0804人間七七四年2008/10/19(日) 12:30:09ID:Qgwm9ovV
訴えを起こした農民を皆殺しにする福島正則
0805人間七七四年2008/10/19(日) 12:39:36ID:CiHOEOel
>>802
これで本当に、娘の容態がちょっとよくなったら気を使ってすぐに返し、その後また悪くなって、というのを繰り返していたんだとしたら哀れだなw

>>804
書けるような逸話を知らなかったら、無理に書かなくてもいいんだぞ?
0806人間七七四年2008/10/19(日) 13:19:54ID:FZRFVZRC
あれ?「大典太光世」って肝試しで秀吉から貰ったんじゃなかったっけ?
んでそれで娘の病を、だったような

と思ったらちゃんと最後に注意書きしてるのね
0807人間七七四年2008/10/19(日) 20:08:18ID:hTB6hhWH
>>767
ウホッ?
0808人間七七四年2008/10/19(日) 20:12:35ID:4bMeO33R
>>798
いい話スレでも悪いは話スレでも
細川忠興は逸話の最後に出てきて
呆れたりびびったりするのが定番の役どころになっているw
交友関係が広かったせいかいろいろ居合わせることが多いのだろうw
0809人間七七四年2008/10/19(日) 20:12:46ID:DrgsQ658
>>784
脳内ですって言ったらさらに攻撃されるから
0810人間七七四年2008/10/19(日) 20:14:11ID:4bMeO33R
>>799ですた
0811人間七七四年2008/10/19(日) 21:06:48ID:mRNye0O9
時は戦国末期、会津若松に赴任した蒲生氏郷は領民の一揆に悩まされ、夜も眠れない日が続き、非常に苛立っていた。

葛西黒川一揆とか言われるこの一揆は、ただの農民どもの一揆とも思えないほどの勢力を持ち、彼らの武器も防具もなぜか武士並み。
そのうえ、たまに武士らしいのも混ざっていたりして、蒲生軍は大苦戦を強いられていた。
この当時、領国を満足に治められない領主は容赦なく降格させられていた為、さすがの蒲生も焦りまくっていた。

そんなとき、運良く一揆軍の伝令を捕まえ、持っていた書状を手に入れた。
その書状の内容は驚くべきものだった。

「 一揆を起こしているみんなへ
頼んでおいた一揆を起こしてくれてありがとう。おかげで、蒲生のやつに一泡吹かせることが出来たと思うよ。
もう少しがんばれば、やつを追い出すことが出来ると思うので、あとひとふんばりしてください。
約束どおり、武器、防具、兵糧などは全て負担するから、どんどん使ってくれ。
それと、人数が足りない時は、人も貸すからよろしくね。
では、検討を祈る。
伊達政宗より 鳥印 」

この書状を見た蒲生は大激怒。
さっそく京都にいる秀吉に、チクリの手紙と証拠の書状を送った。

これを知った秀吉も当然のごとく大激怒。
さっそく政宗は京都に呼び出された。
0812人間七七四年2008/10/19(日) 21:07:36ID:mRNye0O9
秀吉 「政宗よ。呼び出された理由はわかるだろう。」
政宗 「さあ、なんででしょうか?」
秀吉 「とぼけても無駄だ。
おまえは、俺のかわいい蒲生くんを陥れようとして、一揆を扇動したらしいじゃないか。
蒲生から連絡があったぞ! さてはおまえ、いまだに会津領を俺に取られたことを根に持っているな。」
政宗 「なんと!それは誤解です。
蒲生のやつこそ、自分が一揆にてこずってるもんだから、それを私のせいにして責任のがれしようとしてるんですよ。」
秀吉 「あまい。ちゃんと証拠のブツはあがってるんだ。
おまえが一揆の皆さんに出した書状があるんだよ。
まいったか!良く見てみろ。」
政宗 「では拝見。ん〜確かに私の筆跡、さらに鳥印のサインまでそっくりの書状ですが、これは偽造品です。
私が書いたものじゃありません。
おそらく、私を陥れようとして、蒲生のやつが作った物ではないでしょうか。」
秀吉 「なんとびっくり!まだしらを切るのか。
この筆跡と鳥印のサイン、どう見てももおまえの書いたもんだ。
わしによこした手紙ともよーく比べてみたんだよ。どこが偽造品なんだよ。説明してみろ!」
政宗 「説明しよう!いや、説明しましょう。
実は私、こんなこともあろうかと、サインに偽造防止策を施してあります。
その方法はどういうものかと言うと、鳥マークのサインの目の部分に、いつも針で0.1ミリほどの穴を空けているのです。
他のだれかが、私のサインを真似て書いたとしても、さすがにその穴には気付きませんから、偽造品には鳥の目に穴がないはずです。」
秀吉 「なにっ!そんなうそが通ると思ってか!そこまで言うなら、おまえが昔俺によこした手紙を全て調べてやる。
もし、おまえの言う穴がなかったら、ただじゃおかんぞ。
おい、愛すべき家臣の三成よ、政宗から来た手紙をすべて持ってこい。」
三成 「はい、すでに用意しております。どうぞ。」
秀吉 「おお、準備がいいな。どれどれ....なにっ!。た、確かに、全ての手紙の鳥マークの目に穴が空いてるっ!」
政宗 「そうでしょう、そうでしょう。まさむねうそつかない。」
秀吉 「むむー。ということは......。」
政宗 「そうです。その書状は偽造品ということですよ。」
秀吉 「少し怪しい匂いもするが、証拠がなくなった以上はおまえは無実と言うことだな。
一件落着。めでたしめでたしだ。はっはっはっは。」
政宗 「(ふー、助かったぜ。それにしても蒲生のやつめ!俺様を敵に回したことを後悔させてやるぜ!だてに伊達を名乗ってないことを知らしめてやる!)」

かくして、伊達政宗はなんのお咎めもなく、無事に家に帰ることを許された。
しかし納得いかないのは蒲生くん。怒りも収まらないまま、なぞの死をとげるのである。
0813人間七七四年2008/10/19(日) 21:41:59ID:8F8Mx1uK
政宗だから仕方が無い
0814人間七七四年2008/10/19(日) 22:41:52ID:Oun5rSGf
で、それを横で忠興が見てて焦るんだよな
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