戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0622人間七七四年
2008/10/13(月) 15:14:37ID:+jqGGLac0624人間七七四年
2008/10/13(月) 15:42:08ID:ujf8BjZM空回り気味の田舎者をからかって遊んだだけ、って感じじゃないかなぁ。
あらかじめ政宗あたりから話聞いてて。
0627人間七七四年
2008/10/13(月) 16:26:36ID:/AzWYN/d「京都大中院文書」って一次資料に出てる。
ちなみにと織田徳川両軍で争ったのは、古い烏帽子についての分配について、だったそうな。
0628人間七七四年
2008/10/13(月) 16:43:56ID:Jil2Nonaクソワロタw (他意はない)
尾張兵三人に三河兵一人ってのもあながち徳川史観ってわけでもないかもね
0629人間七七四年
2008/10/13(月) 19:58:45ID:/AzWYN/d前田家は1年契約という条件で、多くの足軽達を雇い入れた。
ところが冬の陣が終わると、まだ契約して半年にもならない彼らに、このようなものが渡された。
「解雇通知」
そう、前田家は、戦が終わった以上、彼らはもう不要だ、これ以上給金を払うのは馬鹿馬鹿しい、と、
さっさと追い出してしまったのだ。抗議も一切受け付けず、結局、足軽達は追い出された。
が、
状況は一変し、夏の陣が起こる。
慌てたのは前田家である、兵が足りないのだ。先に解雇した足軽たちに渡りをつけるも、
「ただいまは売り手市場でして、どこの大名も高い給金で我ら傭兵を雇ってくれます。それにいまさら…」
と、冷笑される始末。
窮地に立った前田家はいたしかたなく、最初の給金の数倍を出し、何とか雇い入れる事になった。
結局、そのまま雇っていたよりも、多大な出費を強いられる羽目になったわけだ。
今も昔も、信義も無く目先の金をケチると、ろくな事はない、と言うお話。
0631人間七七四年
2008/10/13(月) 20:33:55ID:AqBNljS+戦国期に家を持ち上げた人物の性格がそのごの大名家にも残っちゃうんだろうか
0632人間七七四年
2008/10/13(月) 20:41:46ID:vZ0kknH5意外とわざとだったりして
明らかな笑い話で先見の明の無い前田を幕府も警戒が薄れることを予測して
なんてことはないなw
ケーチケーチアホーwww
0633人間七七四年
2008/10/13(月) 20:50:48ID:dt43hENY0634人間七七四年
2008/10/13(月) 20:57:32ID:QP2/qeqcこんなんだから大阪の陣の前田って弱いよな
同じく大阪の陣の時のこと。
大阪城南側に陣取った徳川本隊の前に立ちはだかった強固な砦。
やがて、その砦から、ある三河武士は「ウチにとっちゃ害虫じゃ」とまで忌み嫌った真田家の
六連銭の旗がひるがえった。
「真田め、やはり裏切ったか!」 徳川陣中に緊張が走った。
真田隊の真田信吉・信政兄弟(信之の子)に非難が集中する中、赤鬼二代目・井伊直孝が立ち上がった。
「おのおの方、落ち着かれよ。信吉殿は絶対に裏切りませぬ。
なぜなら信吉殿とそれがしはアッ!ーでピーーしてバキューン!な仲でござる。
信吉殿が、それがしのうまい棒の味を忘れられるハズがござらん。」(一部誇張あり)
直孝のこの発言で陣中の緊張は解けた。
が、別の意味で緊張が走った。
やがて、砦は彼らの叔父・真田信繁の築いたものと判明し、兄弟は冤罪を逃れ帰国することができた。
が、帰り着いた兄弟に、母親の小松姫こと稲ちんの言うことにゃ
「あら、帰ってきちゃったの?二人もいるんだから、どっちか氏ねば(幕府の)憶えもめでたいのに」
以上、マイナーな方の真田さんの(バツが)悪い話。肩身が狭いのは信之兄ちゃんだけじゃねーのである。
0635人間七七四年
2008/10/13(月) 21:13:16ID:Qxb7d8t/0637人間七七四年
2008/10/13(月) 21:31:16ID:YGtWYBn5石田三成らが西軍として蜂起し各国の大名が
東軍、西軍どちらにつくか不明瞭な状態であった
家康は佐竹家が西軍に味方するか否かを佐竹家に蟄居させられていた
花房職秀に問うた、職秀は「おそらく来ないでしょう」と答えた
家康は「起請文を書け」と言ったが、職秀は「男が言ったことゆえ文章にする必要は無い」と断った
家康としては諸将の動揺を抑えるため職秀にそう命じたのだが、それが当時の彼には分からず
家康は職秀を「武勇に誉れ高いが大した武将ではないな」と断ずる
そのため戦後、職秀には8千石の領地を与えられたが
職秀は「名将に仕える人間は一言にも気を遣わなければならない」
「あの時愚かな返答をせず起請文を書いていれば今頃俺は大名にもなっていただろうに」
と悔い大名(1万石以上の知行地を与えられた武将)を目指し
病身であったが大坂の陣にも参戦し板輿に乗って指揮したと伝えられている
0638人間七七四年
2008/10/13(月) 21:37:04ID:QP2/qeqcゴメン、たぶん小松は実家の本多忠政・忠朝兄弟のことが頭にあった。
家康に「親(忠勝)に似ぬ役立たず」と、働きの悪さを怒られたりしてるわりに
忠朝が戦死したせいで幕府の評価が高まり、最終的には
桑名10万石→姫路15万石に栄転した。
0639人間七七四年
2008/10/13(月) 21:51:34ID:QP2/qeqc要はどっちが家を継いだって同じだろうから「大将か副将が戦死するほどがんばりました」
ってのを見せてポイント稼いだ方がお家のためになるだろっていう、
まさしく真田チックというか、殿いつ小松の言い出しそうな糞リアリズムと思われ
スレ汚しスマヌ
0640人間七七四年
2008/10/13(月) 21:54:59ID:8grONAxi0642人間七七四年
2008/10/13(月) 22:14:24ID:miu3OgzY0643人間七七四年
2008/10/13(月) 22:39:04ID:AqBNljS+ダメだやっぱりそっちが出てきてしまう・・・
あの作品のせいで真田一家は完全にイメージがあれになっちゃったからなぁ
苦労人の信行、親父と弟に翻弄される信行、嫁に苛められる信行、秀忠に(ry
0644人間七七四年
2008/10/13(月) 22:39:48ID:AqBNljS+0645人間七七四年
2008/10/13(月) 22:47:30ID:Wt+X3dgI弟橘姫乙
彼らはむしろ海神への供物としての側面が強いので、海が荒れると真っ先に海に沈められて海面を静めようとされたから、大抵惨憺たる状況になったら居なくなってる事多かった罠。
そんな神に捧げた供物が生きてたら、神への信義にもとるって理由での斬首も多かったらしいね。
たまに沈まずにいたりして、生き残ったりしたらしいが。
0646人間七七四年
2008/10/14(火) 02:42:48ID:06wSuZqvすっげーデタラメ・・・
『だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく』
??アホ?
関宿が落ちたら、そこを拠点にして里見領&北関東(下野小山祇園城)への本格的な侵攻が始まったんだろうに。
だから氏康は存命中、関宿を「一国にも値する城」だと評し、何度も攻め立ててる。
その度に謙信が兵を出して阻んだり
越相同盟締結時、梁田氏による関宿保持をわざわざ条項に入れるほど重要視していた。
関宿救出に絡んだこの条項こそが、謙信にとって越相同盟の動機だとすら思われてる。
関宿はいわば里見領〜北関東の『蓋』的な役割をしていたんだよ。
『両家とも、 そのような関係の無い土地のために、』
どこの仮想戦記だwww
里見領が大幅に削られて佐竹が苦しくなり、小山が落ちて結城〜宇都宮〜佐野が強い圧力を受けたんだろうに。
そんな有様になった途端、こいつらは連名で謙信に越山救援要請を連発。
関東諸侯はバカか?という話なんだよ。
ちなみに謙信の怒りの矛先は佐竹の老臣達に向けられており、義重じゃない。
関宿を見捨てようとした佐竹の判断は義重の物じゃない節が見られる。
『下総一帯を荒らしまわった挙句』
謙信が焼き討ちしたのは義重と決裂する前だし、下総じゃなく武蔵。(忍城、騎西城、菖蒲城)
出来事の前後が無茶苦茶だし、自分で話を作り過ぎてる。
0647人間七七四年
2008/10/14(火) 02:57:48ID:OfTvjFjh0648人間七七四年
2008/10/14(火) 03:56:55ID:EQiFbdqc0649人間七七四年
2008/10/14(火) 05:58:20ID:CSYIHQOr0650人間七七四年
2008/10/14(火) 08:46:29ID:KQ32uPK30651人間七七四年
2008/10/14(火) 09:32:13ID:+BArHqI5俺的にはそっちが真実なら有意義な書き込みだと思うよ。
ただ、アホ?とかは余計だったな。
素直に“へぇ〜”ボタン連発できる感じで書き込んで欲しいな。
0652人間七七四年
2008/10/14(火) 09:40:41ID:KQ32uPK3お話の正しい正しくないは、個々で調べて納得してほしい。
0653人間七七四年
2008/10/14(火) 10:39:38ID:nmYTAKvB虚実ないまぜ、一致しないな部分はどうしてもでるだろうしな
横から何か言いたくなるのは分かるけど堂々と講釈たれる場所ではないと思う
駄目とは思わないがやるとしたら簡潔、丁寧を旨にお願いしたいところ
論破してやるとか俺の意見が絶対に正しいとかなんとかお考えなら他所でやっておくんなまし
0654人間七七四年
2008/10/14(火) 11:10:19ID:cFZijhvc「史実に照らせばそんな事実は無かった」って指摘はナンセンスだけど
「そもそもそんな逸話自体が無い」って指摘くらいはいいんじゃないか?
俺の時は挙げられた逸話に「それって○○の逸話じゃないの?」って書き込んだだけで叩かれた。
でも勝手にお気に入り武将の嘘逸話を作られても困る訳で。
0655人間七七四年
2008/10/14(火) 11:17:58ID:Nj42h/8s0656人間七七四年
2008/10/14(火) 11:20:22ID:KQ32uPK3逸話が無いものを有るというのはともかく(まあそれが本当に「無い」ことを証明するのも難しいですが。
実際にある逸話でも、他の武将のものを拝借してきたり、三国志などから持ってきたものは沢山あるからね)
>>646はむしろ、書き込みに対して挑発的になっていることが良くないと思うよ。
0657人間七七四年
2008/10/14(火) 11:42:32ID:cFZijhvcおっしゃる通り
自分の時は出された逸話と全く同じ逸話を知ってたので記憶違いじゃないの?って書き込んだ。(武将名と逸話失念)ググっても出てこなかったし。資料漁れば出てくるのかもしれないけど。
ちなみにその時は両者同じ逸話があるってわかった。それだけでも収穫。
逸話なんてそもそもが真贋怪しいものなんだけどうpした人が間違える場合もあるんだから突っ込み入れるくらいはいいんじゃないか?そこから話が膨らむ場合もある。
ちなみに>>646はナンセンスな突っ込みだと思うよ。
スレ汚しすまん
0658人間七七四年
2008/10/14(火) 12:08:49ID:J1eG27zSこの時誰も想像すらしていなかったと言う
0659人間七七四年
2008/10/14(火) 15:52:59ID:PUA7RwMe一休さんの業績、仕業、行い、になっている。
というわけで、エピの出所なんかいいじゃないかというのは、一休さんより下の
年代の若い人たちであろう。と言っても3〜40にはなってるか。
がんばれ657。
0660人間七七四年
2008/10/14(火) 16:16:07ID:NZAwtYvK関東の要である関宿が北条に攻められ救援要請を受けた謙信。
例によって越山して出陣してきたがどうにも関宿を囲む北条の大軍に対し
峠越えしてきた越後軍だけでは心許ない。
そこで関宿を落とされれば困るはずの関東諸公に関宿救援の協力要請をしたのだが
佐竹や宇都宮が何故か全く動かず、業を煮やした謙信は
「もうどうして来ないの!早く早く!関宿落ちちゃうよ!?
そうなったら困るのは私じゃなくて貴方達なんだよ!わからないの?
もう越後軍だけででも助けにいっちゃうんだからね!」
と切羽詰まった手紙を何通も送った。
佐竹当主義重は謙信に答えようとするのだがしかし佐竹の老臣達が協力してくれない。
結局救援間に合わず関宿は北条の手に落ち、謙信は自分の身を守る気のない関東勢に呆れ返って越後に帰国。
当然関宿を奪われ分断された関東諸公は激しく北条に圧迫されることになり
やっぱり謙信に「たすけてー!」と必死に越山要請。
謙信はその身勝手さに呆れていたようなのだが、
その後も再び関東救援に向かおうとしていて超お人好し。
とでも書いておけば良かったんじゃね。
0661人間七七四年
2008/10/14(火) 16:28:25ID:KQ32uPK3天正初年の頃の話
豊後の大友氏が領内に南蛮船を招いて交易をしていたが、その南蛮船が、いつも海上で
能島、来島の海賊に襲撃され、荷を奪われてしまっていた。
怒った大友氏は海賊衆達に「南蛮船への略奪の禁止」を命じたが、まるで効果はなく
海賊行為もまるで止まなかった。
業を煮やした大友氏、ついにこんな宣言をした。
「海賊行為を止めなければ、九州での人身売買を全て禁止するぞ!」
すると海賊衆、「それは困る」。そして南蛮船への海賊行為は、ぴたりと止まったとか。
0662人間七七四年
2008/10/14(火) 17:40:42ID:k0WzSfZN0663人間七七四年
2008/10/14(火) 18:18:14ID:zv7KNrKwそして南蛮船は日本人奴隷を船腹に詰んで帰ると・・・
0664人間七七四年
2008/10/14(火) 19:21:58ID:06wSuZqv批判は許さないってか。
『だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく』
『両家とも、 そのような関係の無い土地のために、』
こんなの逸話でもなんでもない。
書いた奴が恣意的に武将を貶めようとしてるだけだし、
個人的な解釈以外の何物でもないじゃんか。
しかもその個人的解釈があまりにも御粗末で、且つ認識不足ときたもんだ。
関宿論争に関しては、佐竹や上杉関連のスレで散々議論し尽くされてる。
その議論の最中には数多くの史料が、具体的に書き出されている訳だ。
「ちょっと悪い話」=軍記物などから書き出した逸話レベルなら、
真贋論争を吹っかける野暮なことはしないよ。
しかし今回のケースはuKBhvrK7が自分で作り上げた、殆ど妄想とも言える物語だから否定させてもらう。
こんなのが罷り通るなら、幾らでも武将の悪口は書けるからな。
そういうスレにはしたくないだろ?
0665人間七七四年
2008/10/14(火) 19:24:31ID:KQ32uPK30666人間七七四年
2008/10/14(火) 19:40:49ID:0TYjjQeY>>660は貴方が正しいと思う知識(逸話)を、相手を窄める言葉での批判ではなく
逸話風に書いたら?ということなのでは…逸話スレなんですし
先に書かれていた批判も、もっと書きようがあるのではないでしょうか
0667人間七七四年
2008/10/14(火) 19:46:08ID:06wSuZqvなるほど、訂正するならもっと粋な書き方で訂正しろという事ですか。
分かりました。
その点に関しては謝ります。
すいませんでした。
0668人間七七四年
2008/10/14(火) 22:29:38ID:tvnvairK0669人間七七四年
2008/10/14(火) 23:02:09ID:DneDgKbK0670人間七七四年
2008/10/14(火) 23:02:29ID:KG6S2nNJただ少し挑戦的すぎた・・・のかな?
戦国初心者の私的には貴方みたいな、史実にもとずいた?
ピリッとした意見もゼヒ聞きたいな!
0671人間七七四年
2008/10/14(火) 23:06:36ID:DQ6okMCu0672人間七七四年
2008/10/14(火) 23:06:48ID:KQ32uPK3【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
こう言うスレがあるのだから、ここでやってほしいものだ。
0673人間七七四年
2008/10/14(火) 23:10:54ID:58K04m6C0674人間七七四年
2008/10/14(火) 23:15:33ID:MExU9Dqr悪意ある中傷をなくすことはスレの品質の向上にも繋がると思うんだけどね
まあ所詮は趣味板のネタスレだけど
0675人間七七四年
2008/10/14(火) 23:15:34ID:WddSVmcy0676人間七七四年
2008/10/14(火) 23:22:36ID:KG6S2nNJいや実は、「この逸話の裏には、こんな事情があったんだ」的な話もできなくなるよね?
逸話と史実両方解れて、両方好きになれれば一番良いと思うんだ!
自分が言ってる事も、キレイ事ッぽくてイヤなんだけどさw
0677人間七七四年
2008/10/14(火) 23:38:21ID:KQ32uPK3このスレは真偽を語るスレじゃ無いからねえ…。
この時代の事は往々にして曖昧な物なんだから、解釈次第で、どうしたっていくつかの見解に分かれちゃうと思うんだ。
だから、気に入らないからって理由で一々突っかかられちゃ、そう言う意見とそれへの反論とさらにその反論って言う、
スレの本筋とは全く違う話ばかりになって、肝心の逸話を書き込みにくいスレになることは目に見えてると思うのですよ。
なので、真偽を語りたいときは、>>672のスレで自論を展開してもらえばいいと思うんだ。
せっかくああいうスレがあるんだから。
「感想」を書き込むのは全然構わないと思う。良い感想でも悪い感想でも。
だけど「議論」を始めるのは、このスレの本旨と違うでしょ?
0678671
2008/10/15(水) 00:20:25ID:MC2cb9uVいや、あなたに言ったんじゃない。
しつこく「自分が正しい」と言ってる厨にKYと言っただけです。
皆がそんな事どうでも良いって言ってるのにね・・・
0679人間七七四年
2008/10/15(水) 00:24:57ID:SN2/BJQ+長篠の戦に敗れ、多くの兵を失った武田家では、領国の村々に、緊急に兵士の動員を求めた。
「このままでは国が滅びる。是非、武勇の士を!」
ところが多くの村では、「どうせ軍役の補充だ、人数あわせだけすれば良い」と、村人ではなく、金で雇われた
人夫を差し出した。おかげで、これ以降武田家の軍隊は、戦のたびに「武田軍は役立たずの夫丸ばかり」と
嘲られる羽目になった。
武田家滅亡の5年前には、既に領主と領民の信頼関係は崩れていた、と言うお話。
0680人間七七四年
2008/10/15(水) 01:53:51ID:9fXI0PGH|・ω・`) まあ、みなさんお茶でもどぞ…
|o旦o
|―u'
<注意>この話は、某へうげてるマンガのネタバレを含むかも知れません
気にされる方はIDNGをおすすめします
細川忠興「今日の古田さんの茶席ってヘンっスよね。水差の作法とかメチャクチャだったし」
織田有楽「うん、ヘンだよね。あれで天下一の宗匠とか笑い過ぎて死ねるよね。」
後日、有楽の茶席にて
古田織部「ちょw有楽さんなにしてるんですかww小さい茶釜に小さい柄杓とかwww
そこはあえて大きい柄杓でいかないと、わざわざ茶釜に合わせて作ったみたいで
不自然じゃwそんなんだからアンタいつまで経ってもヘタクソなんだって( ´,_ゝ`)プッ
利休七哲とか数寄大名同士とか言っても仲は「悪い」のでござるよゲヒヒヒヒ
蝦夷の蛎崎氏にも、もれなく軍役が課せられる事になったのだが
蝦夷から長駆大阪へ出陣するのを、家臣達が嫌がり思うように兵が集まらない。
そこで蛎崎の殿様はアイヌの民を騙し、大阪へ連れて行くことになった。
アイヌの兵達を見た東軍諸大名は
未開の地の兵達はきっと勇猛に違いないと、羨望の目でアイヌの兵を見る。
それには殿様もご満悦。
しかし、実際に合戦が始まると見たこともない凄まじい銃撃戦にアイヌ兵は戦意喪失。
各自敵前逃亡をし始め、それを物頭が必死に追い掛け回すという状態になり大混乱
結局、特に功無く、蛎崎勢はスゴスゴと国許に帰っていったとさ。
ごめん つけたし
(格好)悪い話。
0683人間七七四年
2008/10/15(水) 04:16:03ID:kpa6TgU00684人間七七四年
2008/10/15(水) 04:29:39ID:fFvLlzl60685人間七七四年
2008/10/15(水) 04:38:02ID:tQXWuKtO排便するの選ぶより、死のうかな?って毎回思う程度には。
嫌だからこそ、くそを我慢して更に排便時に酷い思いをする事に。
今度有給使って手術考えてる(´・ω・`)
0686人間七七四年
2008/10/15(水) 05:19:47ID:0hp/RWgT言わなくていい罵倒語使ってたから批判されただけじゃないの?
何か注意したり教えるときに
「ここはこうですよ」と言うのと
「ここはこうだろ馬鹿!」ではぜんぜん効果も反応も違うでしょ
言う事は理が適っているけど、そういう言い方は相手に受け入れ難くさせてしまい
他の住人も怒らせてしまう
0687人間七七四年
2008/10/15(水) 08:17:00ID:zJJrj8m+0689人間七七四年
2008/10/15(水) 10:46:18ID:pgbPVP8Xとりあえず病院いけ。医者に何て言われるか分からんが、決断することが重要だ。
俺は発覚から通院、手術までひと夏で終わった。
手術は準備時間(麻酔時の脱糞防止のため、手術前にカンチョウにて前もって排便)
ふくめて1時間かかるかどうかな気がした。
スレちがいなので詳しくは省略。
何事も無かったかのように脱糞といえば焼き味噌の人などでお楽しみください。
↓
0690人間七七四年
2008/10/15(水) 11:00:31ID:SN2/BJQ+早めの病院へ。
0691人間七七四年
2008/10/15(水) 12:04:01ID:ozE7qU150692人間七七四年
2008/10/15(水) 12:26:14ID:KHS0Gyjmおもいっきり若くて可愛い看護学校出たての新人看護婦いるところで
看てもらうんだ!!!しかも主治医は女医で
0693人間七七四年
2008/10/15(水) 12:33:42ID:SN2/BJQ+蔚山の地獄
朝鮮役の有名な蔚山篭城戦。物資が底をついた篭城衆の環境は真に悲惨であった。
しかし、そんな所にすら、商人は入り込んでいた。
加藤清正の陣では、大声で米を売り歩いている商人がいた。「米五升で黄金十枚!」
恐ろしい暴利である。これを見たある侍は、「篭城中に黄金などあるものか!」と、商人を怒鳴りつけ、
自分の刀を鞘ごと突き出し、「これでその米を売れ」と、凄んだ。
商人は恐れをなし、米と刀を引き換えた。
丸腰になった侍はその米を、餓えた同僚達と5粒、7粒づつ分けた。
また、毛利の陣には水商人が現れた。
「盃1杯で銀15匁」
毛利秀元はそれを見かけると烈火のごとく怒り、槍を突きつけ水を没収したと言う。
この陣にいた者の、このような呟きが、記録に残っている。
「みんな行き倒れて、死ぬだけだ。」
0694人間七七四年
2008/10/15(水) 12:59:33ID:/Bk7/hCK0695人間七七四年
2008/10/15(水) 14:50:37ID:Z/yf6IGc0696人間七七四年
2008/10/15(水) 15:02:00ID:SN2/BJQ+戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
一日の投降数規制があったので、まだここまでしかまとまっていませんが、
何か気が付かれた点などありましたら、指摘していただけると幸いです。
0697人間七七四年
2008/10/15(水) 15:11:28ID:JOvVLTAiあるいは運び込むのを黙認させたり
そういう商才もまた武辺とは違った才能である。
買う側の将兵も全部力ずくで取り上げてしまうと
次から運び込んでくる人間がいなくなってしまうので、
暴利と解っていても金を出して買わざるを得ない。
0700人間七七四年
2008/10/16(木) 14:09:13ID:rdDMY5wchttp://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込みのさい、参考にしてやってください。
あと、もし記載漏れなど気が付かれた事がありましたら、いってやってくださいませ<(_ _)>
0701人間七七四年
2008/10/16(木) 16:36:16ID:rdDMY5wc文禄の役のおり、石田三成から通達された禁制
「島津家の者たちが軍船を使い、海沿いや川沿いに奥地に入り込み、農作物の略奪や
人の略奪をする事、これを硬く禁ずる」
どうやら島津のかた達は、サイドビジネスに一生懸命だった模様。
0702人間七七四年
2008/10/16(木) 18:25:12ID:bs8ojAIHhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216059962/115
につながるのですね よくわかりますこうですか_
0704人間七七四年
2008/10/16(木) 19:51:42ID:QkDHakUD同輩が「林泉寺の和尚の顔ほど憎たらしいものはない。何とか一発殴ってやりたいものだ」と雑談
しているのを聞き、
「それならばワシが行って和尚の顔をぶん殴ってきてやろう」と言って引き受けた。
さっそく巡礼に仮装した慶次郎は林泉寺に行き、和尚と雑談してすっかり打ち解けるや、客殿に碁盤
があるのを見つけ、碁の話題を和尚に振ると
「巡礼どのは碁がお好きなようだ。拙僧と勝負いたしましょう」という。
慶次郎はすかさず、「では、負けた方は「じっぺい」を当てられるという罰ゲーム」をつけましょう」
といい、和尚は承諾した。
一番勝負は、慶次郎はわざと負け
「和尚様、約束のしっぺいをお当て下さい」といって、和尚はつめでちょこんとしっぺいを慶次郎に当てた。
二番勝負は慶次郎が勝つも、「和尚様にしっぺいを当てるなど恐れ多くて無理っす」としきりに辞退して見せると、
和尚はあの程度のしっぺいなら軽いと思い、「巡礼殿、遠慮は無用じゃ」というので
「それでは、おそれながら…」といって、和尚の目と鼻の間を思いきり引っぱたいた。
和尚は白目をむいて気を失い、鼻血をながしならら倒れたのを見て、慶次郎は大笑いしながら寺から逃げ去った。
そして、同輩にそのことを話して再度大笑いしましたとさ。
0706人間七七四年
2008/10/16(木) 23:25:38ID:PatRZtOG乙であります、素晴らしい!
ところで悪い話の>>42と>>557抜けていませんか。
確認よろしくおねがいしますね。
0707人間七七四年
2008/10/16(木) 23:36:14ID:PatRZtOG山形近辺ではこんな言い伝えが未だに残る。
時遡ること四百年余り前、慶長五年。関ヶ原の戦いがあったころ、
出羽の地でも最上と上杉が争っていた。
怒濤の勢いで進軍した直江兼続率いる上杉勢は畑谷城を陥落させ、
守将江口五兵衛以下三百名を撫で斬りに、さらに逃げる住民を
襲って乱取りを行った。
そしてさらに長谷堂城へと進軍開始!
その途中で十三夜餅を食べようとしている
民家を襲い、餅を皆食っていってしまった。
住民たちはそれ以来、平成の今に至るまで餅をさっさとついて、
夜が来る前に食べるようになったという。
…でですね、現在ですが。
「愛」を掲げた直江も山形では嫌われていて意外!とか言う人がいるのは(本当)
ちょっと地元の人は気分悪いんじゃないか、という話。
米沢だけが山形じゃないよ。
0708人間七七四年
2008/10/16(木) 23:36:34ID:rdDMY5wcありがとうございます。
>>42はほぼ同じ内容の話が先に、いい話スレのほうにあったので、そちらを収録しました。
此方も入れたほうがいいですかね?
>>557はたしかに収録漏れしちゃってますね。今から入れておきます。
0709人間七七四年
2008/10/16(木) 23:45:43ID:rdDMY5wc0711人間七七四年
2008/10/16(木) 23:58:17ID:rdDMY5wc0712人間七七四年
2008/10/17(金) 10:41:01ID:bs2Ph4da今川義元の跡を継いだ今川氏真は、愚将では無かったが、
国主としては今ひとつ精彩を欠いていた。家臣の中には
氏真に不満を持つ者もいた。
そこで武田信玄は不満を持つ家臣達に目星を着け、彼らに
密書を送った。「もし今川を攻めた際、武田側に寝返れば
恩賞は望むままに与える。」
すると家臣達は我先にと武田側に寝返りを約束し、信玄も
「誰々に何千貫、誰々に何万貫を与える。」と気前良く応
じた。
ほどなくして信玄は今川領駿河へ進軍。武田の猛攻と次々
に寝返る家臣団に成すすべなく、氏真は駿河から放逐された。
寝返った今川家臣達はさっそく、信玄の元に集まった。約束
の領地を貰うためである。だが待っていたのは、信玄の怒号
であった。「主であった氏真を簡単に見限り、期に乗じて敵
に内通する者を、我が家臣に出来るものか!貴様達に領地を
与えるくらいなら、我が甥氏真に与えた方がましだ。不忠者
の最期がいかなるものか、後世の者の戒めにしてくれる!」
そう宣言した信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。
利で寝返るものは、また必ず利で自分の敵と成る。信玄の
厳しく、容赦の無い戦国哲学であった。
0716人間七七四年
2008/10/17(金) 13:53:49ID:qYNuirr9慶次、「鼻毛を買う」
米沢の城下に時々現れては人々に因縁をつけ、金を巻き上げるならず者がいた。
男は鼻毛が伸びていたので「ハナゲ」と呼ばれていた。
それを知った慶次は男に「その鼻毛を買ってやろう」と手付け金を渡し、
「一ヶ月したら残りを払うから屋敷にくるよう」に言った。
一ヵ月後、男が慶次の屋敷を訪ねると、
慶次は「もっと長い鼻毛が欲しいから肥料をやろう」と言って、
便所から汲んだ「肥」を男の顔にぶちまけた。
金のためなら多少のことは我慢しようと思っていた男もこれにはまいって侘びを乞うた。
慶次は男に、今後悪さをしないことを誓わせ、約束どおり残りの金を渡した。
0717人間七七四年
2008/10/17(金) 13:55:35ID:M05r3BWb山崎の合戦後に、信長の霊を弔うために明智軍の兵士の首が次々本能寺の
焼け跡にさらされ、その数は2000にも及んだ。
ところで、本能寺から約100メートルの場所に南蛮寺教会があったが、首が
さらされた季節は新暦では7月中旬の夏真っ盛りである。
教会は本能寺の風下にあったため死臭がひどく、臭気に耐えかねて窓を閉め
ると、灼熱の蒸し暑さに耐えなければならなかった。
『窓を閉めても隙間から入ってくる臭気は、「信長の傲慢さ」に匹敵するほど
耐えられないものだった。』、と教会のパードレは報告書で語っている。
0718人間七七四年
2008/10/17(金) 14:05:43ID:l/4EhfxZ0720人間七七四年
2008/10/17(金) 14:26:44ID:vCfYCI+M0721人間七七四年
2008/10/17(金) 14:56:49ID:s69+2aiN■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています