鮭で死んだ話

吉川元春は九州攻めの際、豊前小倉の陣中で死亡した。
黒田官兵衛に招かれた席で食べた生鮭により、患っていた内臓疾患が悪化したためと言われる。

当時、鮭の産地である東北はまだ秀吉の支配下になく、この鮭も実は相当腐敗していたか
辛すぎるほどに塩が効いていたものと想像されるが、最高級品によるもてなしを受けた元春は
礼をわきまえ、持病に悪いと知りつつあえて食べた。
妻選びの話と並ぶ、元春がただの猛将ではない事を語る逸話である。

なお、すでに隠居していた元春が九州攻めに参加したのは、官兵衛・毛利輝元らが強引に
説得したためと言われ、さらに知恵者・官兵衛が鮭のことを知らぬはずもなく、
一種の「暗殺」であったとする説もある。



…という事になってるが、実際は居城・日野山城跡から「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただけであろう。