戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0521人間七七四年
2008/10/06(月) 17:47:29ID:rEDdBVoXまぁ賤ヶ岳での裏切りで100万石を手に入れたようなもんだ>利家
確かに旧織田家の人間としては最大の勢力を築いたが
本来なら織田家の重臣とは呼べない身分だしね
個人的には本人の才覚以上の知行地を得ていたように思う
0522人間七七四年
2008/10/06(月) 18:08:22ID:MPbH3Mnj家康はへそくりwを諸大名に金を貸したりして恩を売ってるぜ。
あと家康がけちなのを知ってる部下が書状に安い紙を使おうとして、家康は激怒してる。
こういうときには高い紙を使わないでどーするとかなんとか。
ケチといえば政宗もその口だけど、
演習では実弾や火薬を一切ケチらずに兵の錬度を維持しようとしていた。
ふたりともケチだけど、守銭奴・利家とは違うぜ。
0523人間七七四年
2008/10/06(月) 18:50:39ID:1Uh0wkd0なんかかわいそうじゃないか
よく知らんけど
0524人間七七四年
2008/10/06(月) 18:57:18ID:EgsTPbNv0525人間七七四年
2008/10/06(月) 19:02:28ID:1Uh0wkd00526人間七七四年
2008/10/06(月) 19:48:24ID:uKBhvrK7天正二年、関東制覇を目指す北条氏政は、いよいよ関東中央部最大の拠点、下総関宿城の攻略にかかった。
この情報を得た越後の上杉謙信はすぐさま出陣を決意、常陸の佐竹義重や、下野の宇都宮広綱にも出兵の
命を下した。
越山をした上杉軍は怒涛の進撃をした。新田金山の猿窪城を陥れると利根川を超え、鉢形、成田、足利、
館林一体を荒らしまわり、赤石(群馬県伊勢崎市)に布陣した。が、
佐竹、宇都宮の軍が、いつまでたっても参集しないのである。謙信の元からは、何度も何度も催促の
使者が送られたが、宇都宮方は「出陣の際は佐竹殿と共同で出ると約束していますので、佐竹殿が出陣しなければ
我らも出兵できませぬ。」との返事。
そして肝心の佐竹は、散々言を左右した挙句、
「我々は、謙信様からの血判の誓詞がなければ出陣できない。」と言い出した。
謙信は既に関東管領であり、それは佐竹も認めている。その関東管領の命令権を、佐竹は事もあろうに
疑っているのだ。関東管領の権威に係わるだけに、これには簡単に同意できない。しかし、そうこう
しているうちに、関宿城からは、「このままでは落城も間もなくです!」と、救援を求める必死の書状が相次いだ。
佐竹、宇都宮の協力無しでは、関宿救出は無理があった。しかたなく謙信は、血判誓詞の提出に応じた。
苦悩の選択であった。が、ここで事態は急変する
なんと関宿城が、北条との交渉に応じ、無血開城に同意したとの情報が入ってきた。
義重の狙いはこれであった。謙信を出兵の問題で足止めし、時間稼ぎをしている間に、密かに関宿城と接触し、
北条の求めに応じて開城するよう、説得していたのである。
確かに北条の拡大は脅威である。だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく、両家とも、
そのような関係の無い土地のために、しかも、おそらく激戦となるであろう戦に、家中の者を動員することを
嫌っていたのだ。
義重の事情とこの策略を、謙信は全く見抜けなかった。
上杉勢は憂さ晴らしのように下総一帯を荒らしまわった挙句、成す所無く上野の厩橋に撤退した。
その日閏十一月十九日は、北条との約定により、関宿が開城された日であった。
0527人間七七四年
2008/10/06(月) 19:50:25ID:1Uh0wkd0義重さすがだな
でOK?
0528人間七七四年
2008/10/06(月) 20:23:54ID:MPbH3Mnj義重らが謙信をいぶかしがっても仕方ない時期ではあるけどな。
義重ら関東諸将にしてみれば、北条と単独講和した謙信は裏切り者と思っていてもふしぎではないし。
0529人間七七四年
2008/10/06(月) 20:51:46ID:DXvvn2pK0530人間七七四年
2008/10/06(月) 21:18:56ID:GshOuQvX越相同盟したみたいだけどなー。
怒るなんて酷い話だと泣き付いてるし。
しかし当の本人が関宿を重要視してなかったんじゃ仕方ないな。
0531人間七七四年
2008/10/06(月) 21:29:41ID:megndWF7それだけじゃ世の中渡っていけないよっていう事だな
0534人間七七四年
2008/10/07(火) 01:00:53ID:tJxF2xBV利家も利殖で溜めた金を諸大名に貸し付けて
恩を売って豊臣政権内で前田シンパの大名を作ってるし、
臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
家康も利家もただの吝嗇じゃなくて理由のある倹約だろう
それをケチだとか何だとか程度が低すぎるわ
0535人間七七四年
2008/10/07(火) 01:06:31ID:caQyWuTM> 臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
ん?それは借金帳消しじゃなくて、遺産騒動が起こらないように財務の勘定を決済したって話でしょ?
この時代ケチと呼ばれた人物はたくさんいるが、利家はちょっと異質。正直守銭奴の気があったと
考えたほうがいいと思う。
0537人間七七四年
2008/10/07(火) 01:59:10ID:D3Rb5gFX0538人間七七四年
2008/10/07(火) 08:38:27ID:lm0aGVA/利家だっけ?
意外だった。
それなりに好きだけど
0539人間七七四年
2008/10/07(火) 10:31:28ID:caQyWuTM小丸城跡から出土した、天正八年の越前の一揆のときの、文字の刻まれた瓦の事かな?
「この書き物は、後世の人たちに知って欲しい物語です。
5月24日に騒ぎが起こりました。すると前田利家は、千人ばかり生け捕りにし、
ご成敗と称し、彼らを磔し、釜で煎り、また火あぶりにしたのです。
この事、書き留めておきます。」
原文
「此書物、後世二御らんしられ、御物かたり可有候、
然者五月廿四日いきおこり、其まゝ前田又左衛門尉殿、いき千人はかりいけとりさせられ候也、
御せいはいハ、はつつけかまニいられあふられ候哉、
如此候、一ふて書とゝめ候」
0540人間七七四年
2008/10/07(火) 17:40:01ID:vcMF7073あながち間違いではないんだな。
0541人間七七四年
2008/10/07(火) 18:06:53ID:mJXcKsbM秀吉とか家康とかはわかるけど、利家は・・・
0542人間七七四年
2008/10/07(火) 22:12:02ID:RPx/OfrO0543人間七七四年
2008/10/07(火) 22:46:17ID:6uupmHu/0544人間七七四年
2008/10/07(火) 22:55:04ID:tKDx+J44http://www.asahi-net.or.jp/~gp3m-andu/icon/kei-ie.GIF
↓
影武者:ケンシロウ顔
ttp://image.blog.livedoor.jp/sugarpamp/imgs/2/3/234bd7cd.jpg
↓
SAKON:荒くれ風
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5385/ieyasu01.gif
0545人間七七四年
2008/10/08(水) 00:50:53ID:RtTEdkXI0546人間七七四年
2008/10/08(水) 07:57:19ID:557Au/5d後に甲陽軍艦を書いたことで知られる小幡景憲がある日、家康にこう申し出た。
「私はかつて武田信玄が愛用した軍扇について詳しく知っています。
よろしかったら、まったく同じものを作って献上しましょうか」
家康の許しを得た小幡景憲は何日か経ってから派手な飾りをつけた軍扇を持ってきて
家康に見せた。だが、家康はその軍扇を手に取ると「こんな重いものが
戦場の役に立つわけがない」と言って投げ捨ててしまったため、景憲はおおいに
恥をかいてしまった。
0547人間七七四年
2008/10/08(水) 09:42:13ID:MV/5oBuK0548人間七七四年
2008/10/08(水) 10:40:17ID:557Au/5d家康は半年の時間をかけて一向一揆を鎮圧し、責任者の罪を問わない、そして、一揆の
根拠地となった寺は元のままにすることを条件に和睦を結ぶことになった。
だが、和睦の後、家康は一揆の拠点となった寺を次々と壊し始めた。一揆側が驚いて
抗議しにいくと家康は「あそこは寺が建つ前は荒地だった。だから、元のままの状態に戻しただけだ」
と答えた。
0549人間七七四年
2008/10/08(水) 11:32:45ID:/o7fKIwi惣社(群馬県前橋市)の長尾顕方が、かねてから仕えてきた関東管領上杉憲寛を裏切り北条側についた。
それに対して関東管領重臣の長野方業は、惣社長尾を攻め滅ぼそうと行動を開始。
進退窮まった惣社長尾顕方は、一族である越後長尾為景への救援要請を出した。
「万一あなたに助けていただけなければ、天地に見放されたも同然です。あなたは三国一の名湯である草津で、
会下僧を前に長尾一族の結束を話したくれたではありませんか。
どうかこの願いを聞き届けて。調停の為とか適当に名分を作って、足軽を200人ばかり当地警護のため
お預けください。そうすれば自他の国において評判も上がり、長尾一族の誼の強化にもつながります。
特に我々惣社長尾は、代々特別に懇意にしているではありませんか。
敵は、もう当城を攻撃するための、要害を構える工事が進められいるようです。厩橋宮内大輔が
日夜準備をしています。この前、厩橋で出されていた制札を、証拠としてお届けしましが、とんでもない事です。
とにかく足軽200人ほど派遣していただければ、当方は持ちこたえられるかと思います。
まず100人だけでも構いません。この願いが聞き届けられたら、明日滅亡しても構いません。
こんな風に書きくどいてお願いしていますが、聞き届けられなければ、滅亡するか、命が惜しければ
上方に亡命するしかありません。よくよくお考えになって、もし不憫と思われましたら、とにかくお助けください。
その上は、今生も後生も感謝いたします。」
結局援軍は無く、長尾顕方は降伏。以後、消息不明。
0551人間七七四年
2008/10/08(水) 17:01:41ID:gtzIri+A総社長尾って結局謙信時代に越後に逃げてきてなかったっけ?
0552人間七七四年
2008/10/09(木) 00:07:47ID:IqVt5uUe0553人間七七四年
2008/10/09(木) 01:29:31ID:Tfg1eT2Eまあしかしこんなネガティブ丸出しの奴はかえって助けたくなくなるのも分かる。
だって助けたって得することまるでなさそうじゃん。見るからに落ち目そのもの。
もっと余裕を吹かせて助けるとこーんなにお得なことがありますよ感を出さなきゃな。
0554人間七七四年
2008/10/09(木) 19:50:10ID:Mgqr2Oqoすぎだろw熱意が伝わるどころか錯乱振りしか伝わってこねえ。
「とにかくヤらせて!」って迫る童貞の如し。
0555人間七七四年
2008/10/09(木) 20:05:42ID:SGMWWVzkおっと
日本の民主党及び山岡賢次国体委員長への悪口はそこまでだ
http://www.dpj.or.jp/member/?detail_233=1
0556人間七七四年
2008/10/09(木) 21:56:55ID:7l5IqVQcそんな中、奈良の町に大規模な土一揆が迫っているという情報が入ってきた。
このままでは奈良は略奪の憂き目に会う。町衆は急遽、大和の領主と言うべき興福寺に相談をしに行った。
彼らに対し興福寺は…
「実費と仲介手数料払えば、鎮圧してくれそうな国人紹介するよ?」
こうして大和の国人古市氏が出動し、一揆は無事鎮圧された。
奈良の町から古市氏に700貫文、興福寺に300貫文。
意外な戦国のサイドビジネスであった。
0557人間七七四年
2008/10/09(木) 23:29:25ID:x0puV8J3____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 庄内で塩つくったら、きっといいお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
庄内を獲得した最上義光は、せっかく海をとったんだし
塩を作ったら豊かになるお! と考えた。
そこで製塩を奨励したんだけども、住民はバンバン森を伐採し、
それに植林を追いつかせなかったから…しかも海辺だし、
土地は荒れてしまった。後世の人は防砂林を作るはめに。
まあ、山形城下では植木市をはじめたり、緑化をすすめた鮭様だけに、
フォローする前に死去、改易ってかんじかもしれないけど。
鮭様唯一の内政面での汚点、とされている。
0558人間七七四年
2008/10/09(木) 23:35:41ID:yIG62fU4塩!塩!とはしゃぐ鮭様を想像して楽しんでみるww
0559人間七七四年
2008/10/09(木) 23:36:02ID:AWA3wvWZ仕方ない
0561人間七七四年
2008/10/09(木) 23:39:56ID:tNbvCnIA0562人間七七四年
2008/10/09(木) 23:59:46ID:YvQ5yYxC0563人間七七四年
2008/10/10(金) 00:21:08ID:7waEKLSt0564人間七七四年
2008/10/10(金) 21:55:11ID:20fjJ2L7吉川元春は九州攻めの際、豊前小倉の陣中で死亡した。
黒田官兵衛に招かれた席で食べた生鮭により、患っていた内臓疾患が悪化したためと言われる。
当時、鮭の産地である東北はまだ秀吉の支配下になく、この鮭も実は相当腐敗していたか
辛すぎるほどに塩が効いていたものと想像されるが、最高級品によるもてなしを受けた元春は
礼をわきまえ、持病に悪いと知りつつあえて食べた。
妻選びの話と並ぶ、元春がただの猛将ではない事を語る逸話である。
なお、すでに隠居していた元春が九州攻めに参加したのは、官兵衛・毛利輝元らが強引に
説得したためと言われ、さらに知恵者・官兵衛が鮭のことを知らぬはずもなく、
一種の「暗殺」であったとする説もある。
…という事になってるが、実際は居城・日野山城跡から「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただけであろう。
0565人間七七四年
2008/10/10(金) 21:57:38ID:Gr+/n/0H> 「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
> 容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただ
それは食い意地と関係あるのか?w
0566人間七七四年
2008/10/10(金) 23:58:06ID:D8MqXMNAかわいいなw
0567人間七七四年
2008/10/11(土) 00:06:58ID:Da9OmNw/鮭は山陰でも獲れるし石川県あたりもけっこういる
北陸産でも中国地方に届く頃には腐敗はけっこうなもんだろうが・・・
0568人間七七四年
2008/10/11(土) 00:25:49ID:RIQALw0rでも
元春「鮭の刺身が食べたいのじゃ!」
って我侭言ったのかも
0569人間七七四年
2008/10/11(土) 00:30:15ID:s02G3dvb甘酒ならぬ甘鮭を所望したんじゃ・・・
0570人間七七四年
2008/10/11(土) 01:10:21ID:Ao1c8akP0571人間七七四年
2008/10/11(土) 04:00:01ID:5/Zvx/QI普通に好意のつもりだったんだろう
この人羽柴秀俊の小早川家入嗣にも一枚噛んでるよね
0572人間七七四年
2008/10/11(土) 09:57:49ID:UNAtt1Mk秋になると、川によっては遡上してくる魚影によって黒く染まる川もあるくらいには。
東北の鮭の種類とは違うのかもしれないけど、鮭の類(鱒とかではなく)は遡上してきます。少なくとも鮭と九州で呼称されてる魚類は。
だから、単純にアニサキスかなんかのせいじゃないかな?
0573人間七七四年
2008/10/11(土) 14:44:01ID:6p8Yn8FH小田原征伐も一段落した奥州仕置のころ、会津は背炙山から会津盆地の絶景を
見下ろした秀吉は、案内役の旧蘆名家臣・新国貞通を呼んだ。
秀吉「お主のような名だたる老武者に案内役など無理をさせた。褒美をやろう。
この山から目の届く限りの会津の地をやろう。」
貞通「ま…マジッスか?! ゆゆゆゆゆ夢じゃないッスよね!!」
(是、あに実か、甚だ夢に似たり。)
秀吉「…関白たる俺の言葉を夢幻だって言うんかい。こんなダメダメなヤツだったとはな。
(我が言を以って虚夢と為すは汝、尤も妄人なり。)
今の話、ナシね。夢だったんだから問題ねーだろ?」
貞通「(´・ω・`)」
結局、会津には蒲生氏郷が入り、貞通はその一武将として生涯を終えた。
この新国貞通という男、他にも秀吉が好色と聞き、領内の女子総出で秀吉一行を
歓待するも、肝心の貞通が訛りがひどくて一行と話が通じず、秀吉の不興を買ったとか、
蘆名氏滅亡直後、伊達家に通じるために政宗の正月の宴席に行き、顔に白粉を
塗りたくって鼓を打って踊り、伊達家中の失笑を受けたとかそんな逸話ばっかの人であり、
空回りするために生まれた人間もいる、と言わざるを得ない。
0574人間七七四年
2008/10/11(土) 15:13:49ID:JXw5C1/Mでも仕方ないんだろうな…
0575人間七七四年
2008/10/11(土) 15:40:51ID:MjX6v2dd「お前に戦功の祈祷を頼んであるが、最近はその効果がいまひとつだ。
まさかさぼっておるのではあるまいな?
私が留守の間は、夜も寝ることなく、肝胆を砕いて祈祷に励むように。これは厳命である。」
謙信の元では祈祷僧も大変だ、と言うお話。
0578人間七七四年
2008/10/11(土) 21:59:21ID:CgugA1vu鮭の生食は冷凍保存技術が進化する近代までは絶対にやってはいけない調理法だったんだぞ
0579人間七七四年
2008/10/11(土) 22:00:38ID:II6gD9ot0581人間七七四年
2008/10/11(土) 22:07:09ID:C4djH/+30583人間七七四年
2008/10/11(土) 22:16:50ID:CgugA1vu腹へってしょうがなかった漁師さんならやってたかも
が、食卓に上がるものは日本住血吸虫やアニサキスがおるからダメだった
現代の保冷技術はマイナス50度以下でそれらの寄生虫を無力化させることが出来るようになったので
刺身を食えるようになったんです
つか、お前らだって時代劇で普通にスイカやらおでんやら蕎麦食ってるシーン見たら突っ込むだろw
鮭も突っ込めやw
0584人間七七四年
2008/10/11(土) 22:17:43ID:N/XaKgOdアニサキスとかサナダムシ寄生虫がいるから、凍らせずに生で食うのがムリ
取れたてを生で食うなどもっての他
0585人間七七四年
2008/10/11(土) 22:19:26ID:qQqj+JeMなるほどサンクス。
てか無力化しているとはいえ鮭の刺身を食うという事は同時に寄生虫も食するという事かorz
0586人間七七四年
2008/10/11(土) 22:29:43ID:uAi9KulD0587人間七七四年
2008/10/11(土) 22:32:50ID:C4djH/+3当たり前と言えば当たり前だが、殆どの魚には寄生虫が付いている。
それを>>583の言う通り、一度冷凍させて寄生虫を死滅させてたりする。
日本国内で生魚が広範に安心して食べられているのは、
普段目に見えない部分での流通・管理技術の進歩の賜物なのだ。
でも、ミミズで釣った魚の腸は勘弁な。
0588人間七七四年
2008/10/12(日) 02:58:50ID:krRbSLpm昔は普通にクワガタの幼虫なんかを焼いて食ってたわけですから、寄生虫の死骸も大丈夫。
ちなみに、カブトムシは臭くて不味いとか。
カブトムシとクワガタが逆かもしれないですけど。
0589人間七七四年
2008/10/12(日) 03:01:35ID:VBbFE3nEなんでこんなに疲れちゃうの・・・・・・・
0590人間七七四年
2008/10/12(日) 07:13:38ID:MjIOcyu8全部冷凍して刺身にするわけないだろWW馬鹿wwww
コンビニかなんかでばっかり糞魚食ってるおまえらはそんな妄想できてうらやましいわw
0591人間七七四年
2008/10/12(日) 07:15:55ID:DG2sCjLN0592人間七七四年
2008/10/12(日) 07:26:44ID:EXpxDs3j0593人間七七四年
2008/10/12(日) 07:45:18ID:DG2sCjLNゆとりが勘違いするだろ
0594人間七七四年
2008/10/12(日) 10:43:19ID:Aqi+4X3S天然鮭はアニサキス虫で救急車騒ぎになるので生食は極めて危険
川でとれた鱒にもサナダムシがいる
刺身にできるのは養殖ものか、天然で−20℃以下で数時間〜一日冷凍処理をしたもののみ
スーパーや寿司屋の鮭はそのどちらかなので大丈夫
0595人間七七四年
2008/10/12(日) 10:55:01ID:Aqi+4X3S養殖ものの信頼性が低下する事件があった。
厚生労働省では出荷時に−20℃以下で24時間冷凍する事を指導しているね。
0596人間七七四年
2008/10/12(日) 11:00:56ID:3uy/jsBP「アジは網場から直接届けるように。ふた時もたつと悪くなってしまうので、早く届けるよう努力せよ」
って手紙を直接出したりしてるなw
ちなみに当時の、北条氏の魚の買い取り価格
鯛(45cm前後):1尾30文
(30cm前後):1尾15文
(20cm前後):1尾10文
カツオ:1尾12文
大アジ:1尾と若魚子おまけして2文
アワビ:1杯3文
イワシ;2尾1文
イナダ:1尾5文
あと、漁民の納税の場合はあくまで魚の現物納入が基本で、農民と違って銭での立替は
出来なかったらしい。
0598人間七七四年
2008/10/12(日) 11:36:18ID:xCa07rg70600人間七七四年
2008/10/12(日) 16:04:47ID:ZEX/dwld0601人間七七四年
2008/10/12(日) 16:16:05ID:DG2sCjLN風邪こじらせて死ぬより当たる確立低いから
平安の昔から日本人は食の安全と健康には滅茶苦茶気を使ってたってことだよ
0602人間七七四年
2008/10/12(日) 16:42:06ID:JbaGcDtg0603人間七七四年
2008/10/12(日) 17:34:08ID:Ml9C+Kzvカツオも土佐では昔から生食してたが、山内一豊が高知に移ったときに
「生食はいかん」とお触れを出した。
そこで地元民が「これで火通ってますよねwwww」って軽く炙ったのを食すようになったのがカツオの叩きの起源だとか。
0604人間七七四年
2008/10/12(日) 18:12:14ID:EXpxDs3j生食してる殆どの魚に寄生虫って嘘に対してだよ
数時間前まで生きてましたって魚を食わせてんのに寄生虫だらけだったら築地の寿司屋と丼屋なんて全滅だろ
0606人間七七四年
2008/10/12(日) 19:33:46ID:dfOy2Juu0607人間七七四年
2008/10/12(日) 19:46:31ID:bSDLDsX8寄生虫でも目視できるサイズの物は、
料理人が手で取り除くから問題ないです。
この前、焼き秋刀魚食べたら、腸から大きな寄生虫出て来た。
くっても問題ないけど、さすがにそれは残した。
0608人間七七四年
2008/10/12(日) 20:26:13ID:SEbH1O9L0609人間七七四年
2008/10/12(日) 20:40:49ID:Ml9C+Kzv(もしくは経験則的にそれが安全な手段であることをしっていた。)
イワシとかサンマを生で食べる時にナメロウや叩きにするのもまさしくそれでしょう。
言い換えるなら今でもわれわれは寄生虫の一部を(ry
以上後味のちょっと悪い話
0610人間七七四年
2008/10/12(日) 20:55:47ID:aLtCND4/×生食してる殆どの魚に ○殆どの魚に
だから。か、勝手に嘘認定しないでよね。
ちょっと(キモチ)悪い話
0615人間七七四年
2008/10/13(月) 01:49:32ID:+jqGGLac0616人間七七四年
2008/10/13(月) 02:30:25ID:Wt+X3dgI今もサイト残ってるかは知らないけど。
ちなみに、ついこの間岩魚の背ごし食ったばかりで(´・ω・`)
0617人間七七四年
2008/10/13(月) 10:39:09ID:cquLdJN+鮪から始まりエビ、ホタテ、タコと何でも冷凍刺身で出てる
0618人間七七四年
2008/10/13(月) 13:01:38ID:KhmpcYCQ秀吉も元々あまり気に入ってなかったんだろうな。
でもまあ折角道案内してくれたし、馬鹿とハサミはなんとやらで、
ここは一つ奮発してやろうかと思ったが、こいつやっぱだめだと。
0619人間七七四年
2008/10/13(月) 14:15:52ID:/AzWYN/d織田軍と、少数ながら同盟軍として上洛に参加していた徳川軍(家康不在)、彼らは京に近づくと、
付近の村落に猛烈な略奪を始めた。これを信長は制止出来ず、略奪の規模は拡大、しまいには
略奪品の分配をめぐって、織田、徳川両軍による戦闘まで始まってしまった(しかもどうも、織田軍側が負けたらしい)
洛中に入った信長の行った、有名な『一銭斬り』
この強硬な措置は、洛中で織田軍への信頼を得るる云々以前に、自分の軍隊の統率を取り戻すための
措置であった、と考えたほうがいいようだ。
0620人間七七四年
2008/10/13(月) 14:38:18ID:KhmpcYCQ祈祷調伏なんて座して寝てるのと変わらんのだからこれくらい発破かけられて当然だと思う。
いっそのこと出来高払いにした方が面白い。
んで、勝った場合も調伏のおかげではなく、兵士の奮闘によるものだから報酬なしとw
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