戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0184人間七七四年
2008/09/09(火) 20:59:32ID:O8764pOc>井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら
百万石のお墨付きは仙台市博物館に現存してるんだけど何でそんな嘘つくの?
0185人間七七四年
2008/09/09(火) 21:42:13ID:yI6bokkoそれ竹中半兵衛と黒田官兵衛の話な。
ちなみに井伊は、
関ヶ原での加増を少なすぎると、家康に突っ返して影で不満を吐き散らす。
聞きかねた永井直勝が苦言を呈するとブチ切れて、
「他の奴等が大封を得てるのに俺様が貰えないってのはおかしい」とか言う。
永井が
「徳川勢だけで勝利はねーよ。しかも譜代と違って、徳川の家臣ではないあいつらにこそ多く報いないと差し障りありすぎ
大体お前が如何に剛勇でも一人で出来ることはたかが知れてる。それは匹夫の勇w
将の働きは兵を率いてこそ。いい歳こいて本隊開けて一騎駆けしてんなよ、おっさん」
「はぁ?お前何石?一万石も無いような小身が率いる兵数で出来る働きなんてほとんどないだろw すっこんでろ雑魚」
「お前が率いてるだけの兵数があれば、お前程度の働きは誰だって出来んだよw 調子こくなww
逆にお前が俺の兵数だったらなんかできんのか?
はー、こんな奴が重臣なんて徳川オワタ」
って話が合ってだな。
0186人間七七四年
2008/09/09(火) 21:47:20ID:pKik059o伊達メガネとか、単なる格好つけの道具に伊達とかつけられる。
そんな言葉の元となった藩や武将は押して知るべし。
0187人間七七四年
2008/09/09(火) 21:52:46ID:oXbt89b0ついてるか?
0188人間七七四年
2008/09/09(火) 21:58:43ID:wxjz7Dnl強靭なファイターで立派な人格者でした。
0190人間七七四年
2008/09/09(火) 22:07:00ID:1hw4kIEs0191人間七七四年
2008/09/09(火) 22:21:46ID:Jy1md2MZ自論の破綻を指摘された上にソース出せと伊達厨にフルボッコにされて
本来仲間だったはずの上杉厨や直江厨にまで引かれた
有名なキチガイくんですね、わかりますw
0192人間七七四年
2008/09/09(火) 22:29:40ID:wxjz7Dnl鰐淵寺住職である鰐淵寺栄芸は、永禄四年(1561)、毛利元就から尼子氏調伏の祈祷を依頼された。
芸栄は三日三晩の五大尊の法、さらに三日三晩の六観音の法、最後に三日三晩の七仏薬師の法を行った。
流石の元就も恐ろしくなるほどの呪法だったと云う。
さて、この呪法の翌年から、尼子から毛利に寝返る者が続出し、永禄八年(1565)、見事尼子は
滅亡するのである。天下に、鰐淵寺栄芸は恐ろしい。そう喧伝された。
が、
これにも別の説がある。
元就が、わざと鰐淵寺栄芸の評判を立てさせ、敵味方に「元就殿に逆らうと、鰐淵寺栄芸によって呪い滅ぼされるぞ」
との、恐怖を植えつけたのだと。
戦国の世は一筋縄ではいかない、と言うお話。
0193人間七七四年
2008/09/10(水) 02:40:23ID:69SiJgrD携帯にその字がない。
>>184
最後には燃やしてやったぜw
ウソなのは仙台博物館のだろw
この話を隠蔽しようと伊達厨必死過ぎてワロタw
>>185
政宗に恥をかかせたのは父ではなく息子の譜代最大の彦根35万石の井伊直孝だ。
鄭成功の支援要請を受けて明を助けて清を攻めたい徳川頼宣を一喝したり家光から最も信用された男だ。
0194人間七七四年
2008/09/10(水) 03:12:13ID:auqnm2w7見てきたように言うんだね
0195人間七七四年
2008/09/10(水) 03:15:07ID:0Iw3YAD8結局誰にも信用されることなく無意味だ
0196人間七七四年
2008/09/10(水) 04:47:12ID:aaleHa/q0197人間七七四年
2008/09/10(水) 13:05:16ID:kHledHWt(悪い話といい話)
成美といえば人取橋合戦、二本松城攻略戦、郡山合戦、などに大功があり、
伊達家きっての猛将として知られている。
朝鮮にも出兵するが帰国後、石川義宗や留守政景が重用されているのを見て、
政宗に無断で高野山へと籠ってしまった。
呼び戻しの使者が訪れた時には行方不明となっており、
もしも成実が上杉と手を組めば事は重大と危惧した政宗は、屋代勘解由に成実妻子と家人の殺害を命じた。
妻子・家人30人は奮闘の末、自害した。
家康が100人扶持で成実を召しだそうとしているのを聞くと申し出て破談にするという執拗さだった。
ところが成実は上杉からの5万石での誘いを断っているのである。これはすぐ政宗の知るところとなる。
関が原直前、上杉の白石城攻略戦でのこと、
崩れそうな伊達軍に逆行して突如一騎の黒武者が敵陣に突撃し、これにより形勢は逆転、
この黒武者こそ成実であった。彼は帰参し亘理城主となる。
この後、政宗は自分が成実妻子殺害を命じた屋代勘解由を追放するが、
遺恨もっとも深いと思われる成実は、勘解由と妻子を手厚く保護しているのである。
感状のブレの激しい政宗に対する無言の批判であったかどうかは、不明である。
0198人間七七四年
2008/09/10(水) 14:09:19ID:q4JQeDWc江戸城を攻略した。
扇谷上杉朝興はこれに対し、北条と対決する事を決意。
そのためには軍勢である。彼は越後を支配する長尾為景(謙信の父親)に、援軍を申し込んだ。
が、為景は、言を左右にして態度をはっきりさせない。
彼の元には氏綱から、このような書状が届いていたのだ。
「為景殿かねてよりお探しの名画、間もなく手に入れられそうです。」
為景は、絵画の愛好家であったのだ。
援兵は来ぬまま、江戸城は北条の元に下る。
為景の元には、羨望していた名画が、北条より届けられた。
為景にとっては主筋の衰亡よりも、絵画のほうが大切であった。
そして氏綱にとっては、個人の趣味趣向も、大切な謀略の種なのであった。
0199人間七七四年
2008/09/10(水) 15:01:14ID:t5KG6yFS為景や信虎や氏綱って、絶対息子たちより胆力あるよなw
0200人間七七四年
2008/09/10(水) 17:56:04ID:UbsfT2aM0201人間七七四年
2008/09/10(水) 22:35:31ID:aWpyd4jo俺としてはいい話にしてほしい
0202人間七七四年
2008/09/11(木) 00:08:31ID:qwcl/Om8家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。
長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。
が、
宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。
さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
0203人間七七四年
2008/09/11(木) 00:50:25ID:dd4UaSLm0204人間七七四年
2008/09/11(木) 06:36:28ID:m0Qrix34西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
0206人間七七四年
2008/09/11(木) 10:27:03ID:czjzh5Fhんでもこれ定説(俗説だろうけど)になってるよな。
政宗好きからしたら必死で打ち消したいエピだろうけど
政宗の性格をよくあらわしたエピだよなw
0207人間七七四年
2008/09/11(木) 12:23:43ID:qwcl/Om8ここはあくまで、後世に伝わったエピソードを紹介するスレ、史実云々の議論は荒れるだけなので
控えましょう。
0208人間七七四年
2008/09/11(木) 12:29:17ID:AZn36+DJまぁ史実云々を指摘する人は空気読んで指摘してくれたらいいと思う。
0210鉄砲小弥 ◆1543.Dh.No
2008/09/11(木) 13:46:17ID:iXs1syze一応、家人30人自害は「治家記録」や 「世臣家譜」に記載がある。
正室はそれより前に死亡しているから側室と子かもしれないが、不明。
大河内久綱(知恵伊豆と言われた松平伊豆守の実父)古田織部を毛嫌いする。
「織部は古い器の完全を好まず、古書画のあちこちを切り刻んでいる。
今残っている古からのものは、乱世の中で神の加護により生き残り存在している。
それを己の好みに任せ損なわせるなどと、そのうち天罰が下るだろう。」
予言は的中し、豊臣との内通を疑われ切腹を命じられた。
0212人間七七四年
2008/09/11(木) 15:17:18ID:ql3TM5OPやはりゲームはゲームか
0213人間七七四年
2008/09/11(木) 15:40:31ID:GUnVdF64松永とか斎藤は有名すぎて書かれないだけだと思うよ
0214人間七七四年
2008/09/11(木) 15:46:49ID:KIzhuNfvむざんむーざん
0215人間七七四年
2008/09/11(木) 23:36:38ID:p6KnZUEyその辺の毒殺の逸話とか書いても、住人に鼻で笑われそうだな。
0216人間七七四年
2008/09/12(金) 00:26:14ID:tl2/vhTr0217人間七七四年
2008/09/12(金) 00:34:08ID:5x8VrNeq俺あんまり歴史詳しくないから、是非聞きたい。
個人的には松永斉藤宇喜多さんも知りたいが…ぐぐれと言われそうだなw
0219人間七七四年
2008/09/12(金) 01:59:09ID:gXeMNN/I御存知のように高天神城は徳川勢によって攻め落とされ、横田は命からがら落ち延び、
甲斐へと逃げ帰った。
帰還した横田を。勝頼は喜んで迎えた。「よく生きて戻ってきた。褒美を与えよう!」
と、太刀を渡そうとすると、
「何を言っているのか」
横田は言った
「城を落ち延びて褒美をもらうなど、私は聞いたことがありません。
このようなもの、頂ける筈がありません。」
そう、その太刀をつき返した。今になって労苦をいたわるくらいなら、何故
篭城している最中に、援軍を送ってこなかったのか。
言葉に出さずとも、そう、勝頼を批判していた。
勝頼は苦りきった顔で、その太刀を引っ込めたと言う。
その頃の武田家の空気を、伝えるお話。
0221人間七七四年
2008/09/12(金) 09:14:55ID:eff/RMJt0222人間七七四年
2008/09/12(金) 14:34:37ID:gXeMNN/Iその妻、千代に、とある組織の総帥を命じた。その組織とは、
信州小県郡弥津村、古御館に本部を置き、ここには女だけが入ることが出来た。
そこに、孤児、捨て子から、美少女を選び、集め、巫女として育てた。
無論、ただの巫女ではない。巫女の修行とともに、彼女らに、強い仲間意識と
忠誠心を植え付け、女であることを生かした情報収集術、色香で男を惑わす術を
教え込んだ。そして一人前になると、旅の巫女として諸国に送りだされた。
彼女らが得た情報は、千代の元に集められ、信玄に報告された。
この組織の力で信玄は、群雄にぬきんでた情報力を持ったと言う。
なんとも素晴らし、ゲフンゲフン、けしからん組織のお話。
いやまったくけしからん。
0223人間七七四年
2008/09/12(金) 14:41:22ID:WQ2m7aNk0224人間七七四年
2008/09/12(金) 17:04:09ID:169Hidqmこれが忍術書に書かれている「くノ一の術」だな。
因みにくノ一は必ずしも女とは限らない。
相手がウホッの場合、男のくノ一を送り込む。
0226人間七七四年
2008/09/12(金) 17:18:48ID:VVxcl60S0227人間七七四年
2008/09/12(金) 17:30:10ID:laJhpyml0228人間七七四年
2008/09/12(金) 18:16:34ID:3DnzFXjU0229人間七七四年
2008/09/12(金) 18:55:50ID:QBpNmMVH0230人間七七四年
2008/09/12(金) 19:15:32ID:IHbRu1So0231人間七七四年
2008/09/12(金) 22:03:05ID:LEhD4rr5国一番の美少年を間者として謙信に送り込んだら
即日送り返された。という話があったうろ覚え。
男版くノ一?
0232人間七七四年
2008/09/12(金) 22:03:12ID:czP081DE0233人間七七四年
2008/09/12(金) 23:02:26ID:F4ktFk8y家臣1のイケメンを送り込んで倒したというエピソードも有るな。
0234人間七七四年
2008/09/12(金) 23:24:22ID:ha/UV6ME両家が和睦した話は有名ですね。
全然悪い話じゃないが。
0235人間七七四年
2008/09/12(金) 23:39:51ID:gXeMNN/I0237人間七七四年
2008/09/13(土) 01:28:15ID:N38Rk+vC「お前ねーちゃんか妹いない?」
って素で聞いた人はその辺の空気読めて無かったんだな
0238人間七七四年
2008/09/13(土) 01:29:30ID:1b11JM340239人間七七四年
2008/09/13(土) 02:07:04ID:WBwh2FmF衆道恐怖症になったとか。
0241人間七七四年
2008/09/13(土) 11:19:55ID:NX33ZP9zここは
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1219764087/l50
の支店スレではないですのでw
0242人間七七四年
2008/09/13(土) 12:49:39ID:I+wMAFL6武田側から篭城衆に、もはや兵糧弾薬も尽きただろうからと、開城勧告がなされた。
無論、この勧告は即座に拒絶されたが、その折、篭城衆の一人、恩田半五右衛門は、楼に登り
「弾丸乏しきにあらず、長期の籠城に用意するものなり。その兵糧に至りては
倉庫に充満し、我等の肥満かくの如し」
と、啖呵をきり、「この尻食らえ!」と武田軍に向かって尻をまくった。
これに怒った武田から、一人が鉄砲で半五右衛門の尻をスナイプ!
これがまた見事に命中。距離が遠かったので大怪我にはならなかったが、
半五右衛門、痛や痛やと尻を押さえてピョンピョン跳ねる。
それを見て両軍爆笑。殺伐とした戦場に、しばし和やかな空気が漂った。
ちょっと(かっこ)悪い話
0243人間七七四年
2008/09/13(土) 13:24:17ID:AFovv4YUちょっと(性癖が)悪い話 でもあるな
0245人間七七四年
2008/09/14(日) 09:01:33ID:Xa3FHJ0Mこれは宮部長煕を田中吉政が嵌めたという説もある
吉政にはこれ以外にも良くない噂がちらほら
小牧・長久手では羽柴秀次の側近として参戦、
秀次軍の旗色が悪くなると伝令と称して陣を離脱、
堀秀政の陣に状況報告に行くがその下心を秀政に見抜かれ、
「命が惜しくなったかw秀次殿の側近として死んで来い」と追い返される
秀次事件では主君を擁護せず、逆に秀吉に讒言して加増を受ける
関ヶ原では佐和山城の城兵の命を助けることを条件に開城させるが、
約束を守らず皆殺しにするなど悪名高かった吉政、
その非道を嫌った立花宗茂により、田中家が取り潰しになった後も
宗茂は旧田中家臣を召抱えなかったという
0246人間七七四年
2008/09/14(日) 12:42:16ID:EzYK5Ceq0247人間七七四年
2008/09/14(日) 18:08:54ID:qfdlc5N5その役目の小姓を好きになつたことが あったとか
0248人間七七四年
2008/09/14(日) 18:20:13ID:kcDMkAcB当時の記録を見ると、武士や僧侶の階級は衆道を当然のものと受け止めてるけど、農民はそう言うものを知らなくて、
自分のところの子供が武士や僧侶のところに奉公なり修行なりに行って、衆道の世界に入っちゃって、男同士の
恋愛沙汰に巻き込まれ、そんななか親が出てきて何が起こっているか理解できず大混乱する、って笑い話が
けっこうあったりする。
0249人間七七四年
2008/09/14(日) 22:57:49ID:kcDMkAcB死体が発見された。目撃者によると、新宮谷に向かう最中、何者かに殺されたのだ、と言う。
尼子晴久の家臣が死者の持ち物を調べると、なんと、新宮党が毛利元就への内通を示す密書が見つかった。
かねてよりそのような噂があったものの、それを一笑に付してきていた晴久ではあったが、この証拠を見て
ついに決断。彼は新宮党を粛清した。
が、これはすべて、元就の謀であった。殺された、密書を持った男は元就の元で捕まっていた罪人であり、
彼を殺したのもまた、元就の放った忍びであった。
こうして元就は、尼子侵略への、最大の障害を、尼子自身の手によって消滅させたのだ。
これはおそらく講談話だけど、まあ、元就はこのくらいのことをする人間だと思われていた、ってことで。
0250人間七七四年
2008/09/15(月) 00:05:48ID:7wQKPRdg0251人間七七四年
2008/09/15(月) 00:28:36ID:rlP5tkM00252人間七七四年
2008/09/15(月) 00:37:40ID:SgEYgGjs過疎ってるから今後も目にするかもしれんしさ、別に噛み付くこたぁねぇと思うが
0253人間七七四年
2008/09/15(月) 00:40:45ID:M1nJot/K>>251
さあ、この板の人間が知らない衝撃的な戦国の悪い話を書き込むんだすぐにw
つーか、人の知らないエピソードを書き込む場所でも無いと思うが。
0254人間七七四年
2008/09/15(月) 01:14:03ID:rlP5tkM0誰も知らないことを書けとレスした奴は253以外いないだろ。
252のレスに関しては最もだと反省はする。
0255人間七七四年
2008/09/15(月) 01:26:59ID:M1nJot/K毛利家家臣として、輝元に仕えていた杉元宣。彼には美しい妻がいた。
ある時、その妻を主君輝元が目にし、これに一目惚れをしてしまった。輝元は元宣に、その妻を
差し出すように迫った。
元宣はそれを拒絶した。当然である。主君と言えども家臣の妻を奪うような無法があろうか。
だが輝元はあきらめなかった。腹心である椙山土佐・清兵衛親子、佐世石見守をつかい、謀略によって
誘拐同然にその妻を奪ったのだ。
元宣は激怒した。こうなれば輝元との対決しかない。彼は大阪の秀吉の元に、輝元の悪行を直訴することを
決意し、出奔した。
これに慌てたのは輝元である。すぐに伯父の小早川隆景に相談した。隆景は驚き呆れたが、これが秀吉の
耳に入れば、毛利家はどういうことに成るか。
すぐに元宣に対する大規模な捜索が行われ、間もなく彼は捕われた。
隆景は不憫に思いながらも、彼を殺害した。
全て毛利家のためであった。
結局、元宣の妻は輝元の側室となり、後の毛利家当主、毛利秀就と、徳山藩主、毛利就隆を出産した。
0256人間七七四年
2008/09/15(月) 01:32:46ID:M1nJot/K過疎スレなのに、わざわざ人が参加し辛くするような書き込みもどうかと思ったのでな。
まあ嫌味が過ぎたかもしれん。謝るよ。
0257人間七七四年
2008/09/15(月) 01:36:01ID:kdji0wAG大坂の陣で幕府に隠れて内藤元盛を「佐野道可」として入城させる、
この件自体は関ヶ原の恨みや万一豊臣方が勝利した場合の保険など理解できなくもないが、
戦後幕府の追及を恐れて内藤氏を断絶させたのは酷い
お坊ちゃんだから自分以外の他人なんてどうでも良かったのかもな
0258人間七七四年
2008/09/15(月) 02:32:56ID:9zBTAlow>>257
この事件では徳川方の柳生ですら不憫に思ったらしく、道可の兄(宍戸元続)に悔やみ状を
送っているしなあ。
0259人間七七四年
2008/09/15(月) 02:51:12ID:M1nJot/Kただ、佐野道可事件に関しては、本当に内藤元盛の個人的な参戦だったと言う説もある。
後に内藤家が復活した時、藩に提出した当時の顛末が、当時の歴史的事実と色々矛盾があって、
輝元と秀就が与えたと言う誓詞の内容なるものも含めて、内藤家側が帰参を有利にするために
作り出した捏造だったのではないか、とも。
関ヶ原から大阪の陣前後の時期の毛利家では、改易により縮小された領地への不満から、かなり多くの、
重臣クラスの家臣が毛利家から出て行っているのね。内藤もその中の一人に過ぎなかったとも考えられる。
0260人間七七四年
2008/09/15(月) 08:18:37ID:QYSy2sJe上杉家の軍儀は毘沙門堂で行う事になっている。
しかし、そのときは違った。
一刻一刻と敵は間近に迫り、猶予のない状況。謙信は軍儀を急いで行うために毘沙門堂では開かない旨を家臣たちに伝えた。
「しかしそんなことをしては毘沙門天の怒りにさわり、祟りがおきましょう。戦にも負けてしまいます。」
この時代、神仏への信仰や験担ぎなど、ジンクスを気にする人間は多かった。
特に当主謙信を筆頭に越後、上杉領では毘沙門天を振興する人間は多く、家臣にもかなりの数の毘沙門教徒がいた。当たり前の反応である。
ところが謙信は
「何を申すか。戦をするのは毘沙門天ではなくこの謙信である。それにこの越後で毘沙門天が広く信仰されているのは、偏に儂が手厚く保護しているからに他ならない。逆に儂が感謝されても良い位である。」
と言い放った。
熱心な宗教家といわれている上杉謙信の、軍人としてのちょっと(信心が)悪い話。
0261人間七七四年
2008/09/15(月) 08:41:48ID:7jR5ujkB老婆心ながら訂正すると軍議ではなく、間者との契約の儀式ですね。もともとの逸話を曲げて軍議としたのは童門氏。
江戸後期の名将言行録の話ですね。もともと江戸初期の北越軍談などでは
「謙信は摩利支天の再来」と称されるように軍神のごとく改められていたとされていて、
それをもとにして作られたエピソード。
本当は謙信は家中の自分への崇敬心を戒める意味も込め、
迅速に合理的な対処をしたという意味が含まれているとのことです。
0262人間七七四年
2008/09/15(月) 13:54:36ID:M1nJot/K「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。
ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。
…国に帰りたい。」
0263人間七七四年
2008/09/15(月) 14:03:07ID:ONntYV5z0264人間七七四年
2008/09/15(月) 19:19:33ID:+rlVGrqP結局そういう奴のほうが上手くやっていくんだけど。津軽の髭とか。
0265人間七七四年
2008/09/15(月) 21:16:21ID:00I+U6CT(家臣宛を偽装した妹宛説も?)
「敗戦の罪で大友が改易されたお・・・
もう頭そって坊主にでもなって、山奥に逃げて寿命をまっとうしたい。
どうやらうちは朝鮮いかなくていいらしいけど、
本当にそうなって最上の土をもう一度踏みたいです。
水をおなかいっぱい飲みたいです。」
0267人間七七四年
2008/09/16(火) 00:35:51ID:j8tJ8pXb東軍に属していた稲津掃部助は、如水の下に付き、彼の指示により先鋒として島津領へ進行し、
日向を攻め取る準備をしていた。
さて、関ヶ原の決戦は、一日で終わる。
家康は全国に戦闘の停止を命じた。その命令は如水のところにも来た。が、無視した。
既成事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなる。そのように考えたようだ。
彼は日向侵攻作戦を密かに進めた。だがそれは、家康の諜報に引っかかった
「如水が日向で不審な行動をしている」
息子長政を通じ家康から、如水の行動に牽制がかけられた。如水は火遊びが過ぎたのだ。
そこで彼はこう申し開きをした。
「日向での事、私は一切かかわっておりません。あれは全て稲津掃部助が企み、
独断でやった事。真にけしからん所業であります。」
稲津掃部助は如水によってあっさり切り捨てられた。彼はそうとは知らない間に、
前線に置き去りにされたのである。そして如水の本軍を待つ清武城において
島津の逆襲に会い、討ち死にした。
0268人間七七四年
2008/09/16(火) 18:57:42ID:Y1qHcY+70269人間七七四年
2008/09/16(火) 20:56:21ID:a2hRbdv+0271人間七七四年
2008/09/16(火) 23:32:49ID:j8tJ8pXb城自体が堅固な事もあったが、なによりその、そろえられた鉄砲の力に
やられていたのである。「あの鉄砲をどうにかしなければ。」
考えた。そして、思いついた。
有馬勢は、渋江氏の氏神潮見神社の巫女を買収し、潮見城に向かわせ、こう言わせた。
「鉄炮で敵を討つことは、この城の穢れになります。敵は神力にて退散させますので、
鉄炮は城外に運びますように。」
そしてその巫女がお祈りを始めると、なんと城を取り囲んでいた軍勢が、
瞬く間に消え去ってしまった。公親はこれに喜び、巫女を信じ鉄砲を場外に運ばせた。
さて、勿論有馬勢の撤退は見せ掛けだけのものである。鉄砲を運び出した事を
察知すると直ちに引き返し、攻撃を仕掛け、見事潮見城を落とした、とか。
0272人間七七四年
2008/09/16(火) 23:43:01ID:j0dQ0bIg神に仕える身なのに買収されるとは
0273人間七七四年
2008/09/17(水) 01:18:15ID:fWX0P1DO0274人間七七四年
2008/09/17(水) 14:09:41ID:Mi14N+E3立花道雪は好色で有名な宗麟を諌めようと、京から踊り子の一行を招き、
「道雪の屋敷に踊り子が大勢いる」という噂を流した。
宗麟は噂を聞きつけると「踊り子を連れて参れ」と命じた。
一行に踊りを躍らせ、「さて、よきことを・・」という段階になって道雪が現れ、
こんこんと説教をした。
が、宗麟の好色は納まらず、家臣の一万田親実の美人妻を無理やり奪い妾にし、
親実に無実の罪を押し付け殺害した。
親実の兄・高橋艦種は激怒し謀反を起こした。
鎮圧に3年以上も費やし、好色が大友滅亡を確実に早めた。
0276人間七七四年
2008/09/17(水) 14:46:01ID:o/zm9UmQ0278人間七七四年
2008/09/17(水) 17:07:00ID:2pyaHoAM気になった宗麟が様子を見にきたら、ってパターンもなかったか?
0279人間七七四年
2008/09/17(水) 17:17:14ID:kipS+oBJ0280人間七七四年
2008/09/17(水) 21:58:46ID:zxi2v44V■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています