戦国ちょっと悪い話
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0128人間七七四年
2008/09/06(土) 23:01:01ID:y6tdixCV秀吉「予の顔が猿に似ているなどと言う者がいると聞くが、真か!?」とご立腹
近習「これは勿体無い御諚でございます。誰がそのような事を申しましょうか。」
秀吉「ほう、では言ってはおらぬのだな。」
近習「勿論でございます。ただ、世間では、猿が殿下に似たのだと言っておりますが。」
秀吉公、さもあろう、さもあろうと御満悦。
(口が)悪い話
0129人間七七四年
2008/09/06(土) 23:08:05ID:9VFihkF20131人間七七四年
2008/09/07(日) 00:24:14ID:0UV3iztH0132人間七七四年
2008/09/07(日) 00:26:42ID:BT+LsTAa845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/06(土) 23:28:15 ID:j9yEXPFF
宇都宮(城井)鎮房。
毛利(大内)・大友という大勢力の間でうまく立ち回り勢力を保つ。
最盛期には豊前のほぼ全域を支配する。
地方領主の悲しさか、秀吉の権威を読めず、転封を拒否したのは
最大の失敗だったが、黒田氏に反旗を翻し、反豊臣の檄を飛ばした際は
多くの国人が彼に従った。(秀吉が在地の国人を圧迫したせいもあるけど)
僅か300余の兵で居城を奪還。
黒田孝高・長政親子の大軍に攻め込まれるも、地の利を生かしてこれを撃退。
長政は命からがら逃げ帰る。
攻めあぐねた黒田氏は所領安堵と鎮房娘・鶴姫(13歳)と長政の婚姻を条件に和睦。
しかし、騙まし討ちに遭って暗殺される。(鶴姫も後に磔刑)
この際、中津城には黒田氏の陰謀で小姓1人と鎮房だけで乗り込んだのだが
暗殺に際し、黒田方は2人を殺すのに19人の手負いを出したという。
強弓の使い手としても有名で、その武勇は黒田氏も賞賛している。
また築城技術にも優れ、領内のあちこちに砦を築き、敵兵を分散させては
各個撃破するという先述を得意とした戦上手でもあった。
0133人間七七四年
2008/09/07(日) 12:26:14ID:AzrvpKVP二条城対面の直前のころ、清正は正則に次のように申し送った。
「徳川と豊臣の間に合戦が起きたら、池田輝政の姫路城を攻め取り、
大坂に駆けつけよう」
使者に立ったのは平野長泰の弟・長元。
古田織部の茶会の折、そっと告げたのだが、正則の答えは
「それがしは同心致し難く候、家康候より大国を賜り、厚恩これ以て忘れ難く候」
それ以来、険悪な仲になった。
家康も「関が原の忠臣とも言えるが、二条城での秀頼との対面の際、
大坂がもっとも頼りにした将であるのに、仮病を使って出仕しなかった」
ことを憤慨しており、遺言にも正則改易を書き残した。
石田三成憎しだけで東軍に付いたのではないことを、「武功雑記」は記している。
0134人間七七四年
2008/09/07(日) 13:10:27ID:yX83dHClまあこの話、黒田寄りの見方で言うと「如水の留守を狙ってアポなしで武装した兵200を
率いて乗り込んできた(黒田方は足軽雑用含めて100くらい)」って説もありましてね…
この辺は双方+後世含めてどろどろ悪い話で好きw
0135人間七七四年
2008/09/07(日) 17:28:03ID:Y8s9t/oA隆元が生きてるときの将軍は義輝じゃないか?
0136人間七七四年
2008/09/07(日) 18:41:35ID:P/3gB3Zv家康を褒め称えるためには秀吉を悪人にしないと不可能だからな
0137人間七七四年
2008/09/07(日) 18:56:29ID:BT+LsTAa江戸期に秀吉はそんなに悪く言われていない。
秀吉の悪い話はむしろ、明治以降の研究の結果出てきた話が多い。
0138人間七七四年
2008/09/07(日) 19:18:07ID:X5btdmGJ0139人間七七四年
2008/09/07(日) 19:58:03ID:2OgkG6+5・西園寺旧臣を下人扱い
・人妻分捕り
・西園寺公広暗殺
・一揆参加者780人磔
・関係百姓2000人殺害
木村吉清
・葛西旧臣を東夷として差別
・人妻分捕り
・少女分捕り
・百姓分捕り
山内一豊
・浦戸一揆参加者270人殺害
・滝山一揆参加者100人殺害
・長宗我部旧臣を郷士とし差別化
0141人間七七四年
2008/09/07(日) 23:10:39ID:73OXqym4島原の乱など日本で一番隠れキリシタンが多かったキリスト殉教の地の長崎天主堂の近くに投下した原爆でキリスト教信者1万人近くを虐殺後に
崩壊した天主堂の保存運動にアメリカが圧力かけて潰して隠蔽したってテレビでやってましたが事実?
心ある人が被爆してボロボロで目の辺りも黒ずんで盲目になった頭だけのマリア像を去年だかに、天主堂に戻したとか。
被爆したマリア像を見たら被爆死した人々の姿を代弁してるようで涙が出ました。
0142人間七七四年
2008/09/08(月) 19:47:17ID:efwHKosz政宗が江戸にいたとき。喜多七太夫の勧進能があると言うので、能が大好きな政宗公、ワクワクしながら見に行った。
ところが、演場に到着してみると、既に能は終わっており、観客ははけ、役者たちは既に帰り支度。
当然これに激怒した政宗公
「わしのお気に入りの「海女」と「船弁慶」を、これからはじめろ!」
「し、しかし、一座のものがほとんど帰りまして、能はもう出来ません」と、恐る恐る座元が言うと
「政宗ほどの侍が、能を所望すると頼んでいるからには、しないといっても、させてくれよう!
…刀を出せ!!」
と、小姓に刀を出させ、桟敷から舞台に飛び上がり、刀を抜いた!その時
座元が大慌てで呼び返した役者たちが戻ってきた。
「なんだ、能は出来るではないか。あとは観客だな」
と、政宗、今度はわしが胴元の勧進能じゃ!皆のもの見物していけ!とそこらへんうろついてる人達を片っ端から
引っ張ってくる。だが、無理やり連れてきた客のノリが良い訳がない。すると政宗、お前らもっと盛り上がれ、と
用意していた酒、饅頭、肴を、客席に向って投げ込み始めた。たまたま引っ張り込まれた侍など、このとき饅頭が
頭に当たって政宗に向って投げ返す始末。どうもこのあたりから政宗公、能よりこっちのほうが面白くなってきた模様。
今度は大量の銭を持ってこさせ、桟敷に向って投げ始めた!これには勿論周囲は大パニックに。
銭を求めて争っている人々、おびえる座元と役者、真ん中で高笑いしながら酒を飲んでいる政宗、という
地獄絵図であった。
これを息子への書状に書いた細川忠興、
「この話、あまりに現実離れして信じられないかもしれませんが、丹羽長重殿と立花宗茂殿から聞いた
確かな話です。」と、念を入れている。
ちなみにこの騒動、幕府からは例の如く、「政宗だから仕方がない」で、不問に付されたとか。
0143人間七七四年
2008/09/08(月) 20:24:11ID:Bzv+DEiM正宗だから仕方ないな、それは。
0144人間七七四年
2008/09/08(月) 20:46:09ID:TOrCPcNN0145人間七七四年
2008/09/08(月) 20:53:13ID:Y5DHrwtC近所のいたずら坊主なイメージ
0146人間七七四年
2008/09/08(月) 20:58:45ID:3dKpsk/z0147人間七七四年
2008/09/08(月) 21:24:44ID:pf8AqRzP0148人間七七四年
2008/09/08(月) 21:46:29ID:HvZGQC+X愛すべきバカだから。
0149人間七七四年
2008/09/08(月) 21:54:09ID:WpgFeZhN0150人間七七四年
2008/09/08(月) 21:58:43ID:226Wq/+l0152人間七七四年
2008/09/08(月) 22:03:31ID:eWP4RYRp0153人間七七四年
2008/09/08(月) 22:06:18ID:Y5DHrwtC0154人間七七四年
2008/09/08(月) 23:01:58ID:FsqKM+H70155人間七七四年
2008/09/08(月) 23:09:42ID:HvZGQC+Xマザコンシスコンどもはそれで停戦、と。
東北の鬼姫最強伝説。
0156人間七七四年
2008/09/08(月) 23:14:50ID:226Wq/+l0157人間七七四年
2008/09/08(月) 23:28:01ID:U1Y673Fo大好きだ!
0158人間七七四年
2008/09/08(月) 23:47:54ID:WNPXAEfiこの時代に江戸歌舞伎があったら政宗通い詰めだろうな。
贔屓役者への掛け声をめぐって刃傷沙汰おこしたり。
0159人間七七四年
2008/09/09(火) 00:34:55ID:w5a4ej2Rある日、正宗がDQNの方の島津家久を招いて宴会をすることになり、
>>142の座元に「座興で能をやるから役者を貸せ」と頼んだ
座元「あいにく先約がありまして・・・」
正宗「あっそ。 んじゃ、おまいらみんなSATSUGAI してやんよ。
上様(秀忠)に訴えて味方してもらう?いーよ、そんときゃオレも考えがあっから」
これを聞いた家久2号、仮病を使って延期を申し入れたが、
「えー?! 一幕だけでも見てってよ!他の客にオレのメンツが立たねーから!」
などとゴネるので、結局5日だけ延期されることになった。
なお、これも忠興が息子への手紙で論評しており、
「あきれて物も言えねーよ。アイツ、キツネでも憑いてんじゃねーの?」と言っている
0160人間七七四年
2008/09/09(火) 00:38:19ID:4yrly1pt0161人間七七四年
2008/09/09(火) 01:48:28ID:wZotcZE3正宗は最後の戦国武将だから、ギリギリokとすべきか?
0163人間七七四年
2008/09/09(火) 01:50:47ID:M5Q88giUストーカー? 似た者同士惹かれあうものがあったの?
0164人間七七四年
2008/09/09(火) 01:52:57ID:xQGHSlDZあの忠興もひいた!っていう
0167人間七七四年
2008/09/09(火) 02:08:06ID:sryrwh3/0168人間七七四年
2008/09/09(火) 03:07:59ID:JitlVPJ90170人間七七四年
2008/09/09(火) 06:09:33ID:Cl/9d+B7最大瞬間風速では上な気がするが。
0171人間七七四年
2008/09/09(火) 10:08:16ID:84LjQeoU0172人間七七四年
2008/09/09(火) 10:50:56ID:rxLQV4Ji会津を荒らしまわったとき
ではなくて家康が死んでからだと思うぜw
0173人間七七四年
2008/09/09(火) 13:17:13ID:RCriLX0q幕府も対応には苦慮しただろうw
0174人間七七四年
2008/09/09(火) 14:17:53ID:1hy1y8Z0居なくなった後だとそんな自信ある奴居ないしなw
0175人間七七四年
2008/09/09(火) 14:28:26ID:oIgI/cTc「あったりまえじゃないですか。家康公さえいなければ今頃…」なんて抜け抜けと答えるような人だからなw
0176人間七七四年
2008/09/09(火) 15:03:32ID:vOzMFsiPでもあんま無茶すっと、自分の死後に伊達家が苛められねーっすか?
そういうのあんま気にしないっすか?
0177人間七七四年
2008/09/09(火) 15:28:15ID:bcCtVvW5家光も聞いて決して悪い気はしなかったはずだ。
「はっはっは。そうであろう、そうであろう」と家光の笑い声がきこえる。
0178人間七七四年
2008/09/09(火) 15:44:02ID:sryrwh3/0179人間七七四年
2008/09/09(火) 16:15:44ID:jLLNs3mp0180人間七七四年
2008/09/09(火) 17:40:14ID:5icvwwM7とか言いつつ広いだけのクソ痩せた土地に加増と称して移封
お手伝い普請その他で絞りまくりネチネチとことん暗く復讐
ってこりゃまんま真田さん家だったな
0181人間七七四年
2008/09/09(火) 20:40:50ID:UrhrwvS+秀吉相手に2度も土下座
家康には百万石の大嘘
こんだけレ○プされメンツを失墜させられて
嘲笑冷笑されても謀反おこさないヘタレが今更、謀反するわけねーだろ。
家康死後に百万石の御墨付きを政宗が持ち出して「あの時の約束守れや」→井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら冷静に「こんなものがあると御家のためになりませんぞ」と言われビビって何も言えなくなった政宗がw
>>174
石高差が圧倒的な幕府が自信がないわけなかろう。
政宗がヘンな真似したら島原の乱より早く鎮圧されるわな。
>>177
その通り。政宗はひたすら家光に媚びていた妄臣になっただけ。
そして政宗死の翌年には仙台藩は破産しさっそく幕府に大借金w
0184人間七七四年
2008/09/09(火) 20:59:32ID:O8764pOc>井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら
百万石のお墨付きは仙台市博物館に現存してるんだけど何でそんな嘘つくの?
0185人間七七四年
2008/09/09(火) 21:42:13ID:yI6bokkoそれ竹中半兵衛と黒田官兵衛の話な。
ちなみに井伊は、
関ヶ原での加増を少なすぎると、家康に突っ返して影で不満を吐き散らす。
聞きかねた永井直勝が苦言を呈するとブチ切れて、
「他の奴等が大封を得てるのに俺様が貰えないってのはおかしい」とか言う。
永井が
「徳川勢だけで勝利はねーよ。しかも譜代と違って、徳川の家臣ではないあいつらにこそ多く報いないと差し障りありすぎ
大体お前が如何に剛勇でも一人で出来ることはたかが知れてる。それは匹夫の勇w
将の働きは兵を率いてこそ。いい歳こいて本隊開けて一騎駆けしてんなよ、おっさん」
「はぁ?お前何石?一万石も無いような小身が率いる兵数で出来る働きなんてほとんどないだろw すっこんでろ雑魚」
「お前が率いてるだけの兵数があれば、お前程度の働きは誰だって出来んだよw 調子こくなww
逆にお前が俺の兵数だったらなんかできんのか?
はー、こんな奴が重臣なんて徳川オワタ」
って話が合ってだな。
0186人間七七四年
2008/09/09(火) 21:47:20ID:pKik059o伊達メガネとか、単なる格好つけの道具に伊達とかつけられる。
そんな言葉の元となった藩や武将は押して知るべし。
0187人間七七四年
2008/09/09(火) 21:52:46ID:oXbt89b0ついてるか?
0188人間七七四年
2008/09/09(火) 21:58:43ID:wxjz7Dnl強靭なファイターで立派な人格者でした。
0190人間七七四年
2008/09/09(火) 22:07:00ID:1hw4kIEs0191人間七七四年
2008/09/09(火) 22:21:46ID:Jy1md2MZ自論の破綻を指摘された上にソース出せと伊達厨にフルボッコにされて
本来仲間だったはずの上杉厨や直江厨にまで引かれた
有名なキチガイくんですね、わかりますw
0192人間七七四年
2008/09/09(火) 22:29:40ID:wxjz7Dnl鰐淵寺住職である鰐淵寺栄芸は、永禄四年(1561)、毛利元就から尼子氏調伏の祈祷を依頼された。
芸栄は三日三晩の五大尊の法、さらに三日三晩の六観音の法、最後に三日三晩の七仏薬師の法を行った。
流石の元就も恐ろしくなるほどの呪法だったと云う。
さて、この呪法の翌年から、尼子から毛利に寝返る者が続出し、永禄八年(1565)、見事尼子は
滅亡するのである。天下に、鰐淵寺栄芸は恐ろしい。そう喧伝された。
が、
これにも別の説がある。
元就が、わざと鰐淵寺栄芸の評判を立てさせ、敵味方に「元就殿に逆らうと、鰐淵寺栄芸によって呪い滅ぼされるぞ」
との、恐怖を植えつけたのだと。
戦国の世は一筋縄ではいかない、と言うお話。
0193人間七七四年
2008/09/10(水) 02:40:23ID:69SiJgrD携帯にその字がない。
>>184
最後には燃やしてやったぜw
ウソなのは仙台博物館のだろw
この話を隠蔽しようと伊達厨必死過ぎてワロタw
>>185
政宗に恥をかかせたのは父ではなく息子の譜代最大の彦根35万石の井伊直孝だ。
鄭成功の支援要請を受けて明を助けて清を攻めたい徳川頼宣を一喝したり家光から最も信用された男だ。
0194人間七七四年
2008/09/10(水) 03:12:13ID:auqnm2w7見てきたように言うんだね
0195人間七七四年
2008/09/10(水) 03:15:07ID:0Iw3YAD8結局誰にも信用されることなく無意味だ
0196人間七七四年
2008/09/10(水) 04:47:12ID:aaleHa/q0197人間七七四年
2008/09/10(水) 13:05:16ID:kHledHWt(悪い話といい話)
成美といえば人取橋合戦、二本松城攻略戦、郡山合戦、などに大功があり、
伊達家きっての猛将として知られている。
朝鮮にも出兵するが帰国後、石川義宗や留守政景が重用されているのを見て、
政宗に無断で高野山へと籠ってしまった。
呼び戻しの使者が訪れた時には行方不明となっており、
もしも成実が上杉と手を組めば事は重大と危惧した政宗は、屋代勘解由に成実妻子と家人の殺害を命じた。
妻子・家人30人は奮闘の末、自害した。
家康が100人扶持で成実を召しだそうとしているのを聞くと申し出て破談にするという執拗さだった。
ところが成実は上杉からの5万石での誘いを断っているのである。これはすぐ政宗の知るところとなる。
関が原直前、上杉の白石城攻略戦でのこと、
崩れそうな伊達軍に逆行して突如一騎の黒武者が敵陣に突撃し、これにより形勢は逆転、
この黒武者こそ成実であった。彼は帰参し亘理城主となる。
この後、政宗は自分が成実妻子殺害を命じた屋代勘解由を追放するが、
遺恨もっとも深いと思われる成実は、勘解由と妻子を手厚く保護しているのである。
感状のブレの激しい政宗に対する無言の批判であったかどうかは、不明である。
0198人間七七四年
2008/09/10(水) 14:09:19ID:q4JQeDWc江戸城を攻略した。
扇谷上杉朝興はこれに対し、北条と対決する事を決意。
そのためには軍勢である。彼は越後を支配する長尾為景(謙信の父親)に、援軍を申し込んだ。
が、為景は、言を左右にして態度をはっきりさせない。
彼の元には氏綱から、このような書状が届いていたのだ。
「為景殿かねてよりお探しの名画、間もなく手に入れられそうです。」
為景は、絵画の愛好家であったのだ。
援兵は来ぬまま、江戸城は北条の元に下る。
為景の元には、羨望していた名画が、北条より届けられた。
為景にとっては主筋の衰亡よりも、絵画のほうが大切であった。
そして氏綱にとっては、個人の趣味趣向も、大切な謀略の種なのであった。
0199人間七七四年
2008/09/10(水) 15:01:14ID:t5KG6yFS為景や信虎や氏綱って、絶対息子たちより胆力あるよなw
0200人間七七四年
2008/09/10(水) 17:56:04ID:UbsfT2aM0201人間七七四年
2008/09/10(水) 22:35:31ID:aWpyd4jo俺としてはいい話にしてほしい
0202人間七七四年
2008/09/11(木) 00:08:31ID:qwcl/Om8家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。
長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。
が、
宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。
さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
0203人間七七四年
2008/09/11(木) 00:50:25ID:dd4UaSLm0204人間七七四年
2008/09/11(木) 06:36:28ID:m0Qrix34西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
0206人間七七四年
2008/09/11(木) 10:27:03ID:czjzh5Fhんでもこれ定説(俗説だろうけど)になってるよな。
政宗好きからしたら必死で打ち消したいエピだろうけど
政宗の性格をよくあらわしたエピだよなw
0207人間七七四年
2008/09/11(木) 12:23:43ID:qwcl/Om8ここはあくまで、後世に伝わったエピソードを紹介するスレ、史実云々の議論は荒れるだけなので
控えましょう。
0208人間七七四年
2008/09/11(木) 12:29:17ID:AZn36+DJまぁ史実云々を指摘する人は空気読んで指摘してくれたらいいと思う。
0210鉄砲小弥 ◆1543.Dh.No
2008/09/11(木) 13:46:17ID:iXs1syze一応、家人30人自害は「治家記録」や 「世臣家譜」に記載がある。
正室はそれより前に死亡しているから側室と子かもしれないが、不明。
大河内久綱(知恵伊豆と言われた松平伊豆守の実父)古田織部を毛嫌いする。
「織部は古い器の完全を好まず、古書画のあちこちを切り刻んでいる。
今残っている古からのものは、乱世の中で神の加護により生き残り存在している。
それを己の好みに任せ損なわせるなどと、そのうち天罰が下るだろう。」
予言は的中し、豊臣との内通を疑われ切腹を命じられた。
0212人間七七四年
2008/09/11(木) 15:17:18ID:ql3TM5OPやはりゲームはゲームか
0213人間七七四年
2008/09/11(木) 15:40:31ID:GUnVdF64松永とか斎藤は有名すぎて書かれないだけだと思うよ
0214人間七七四年
2008/09/11(木) 15:46:49ID:KIzhuNfvむざんむーざん
0215人間七七四年
2008/09/11(木) 23:36:38ID:p6KnZUEyその辺の毒殺の逸話とか書いても、住人に鼻で笑われそうだな。
0216人間七七四年
2008/09/12(金) 00:26:14ID:tl2/vhTr0217人間七七四年
2008/09/12(金) 00:34:08ID:5x8VrNeq俺あんまり歴史詳しくないから、是非聞きたい。
個人的には松永斉藤宇喜多さんも知りたいが…ぐぐれと言われそうだなw
0219人間七七四年
2008/09/12(金) 01:59:09ID:gXeMNN/I御存知のように高天神城は徳川勢によって攻め落とされ、横田は命からがら落ち延び、
甲斐へと逃げ帰った。
帰還した横田を。勝頼は喜んで迎えた。「よく生きて戻ってきた。褒美を与えよう!」
と、太刀を渡そうとすると、
「何を言っているのか」
横田は言った
「城を落ち延びて褒美をもらうなど、私は聞いたことがありません。
このようなもの、頂ける筈がありません。」
そう、その太刀をつき返した。今になって労苦をいたわるくらいなら、何故
篭城している最中に、援軍を送ってこなかったのか。
言葉に出さずとも、そう、勝頼を批判していた。
勝頼は苦りきった顔で、その太刀を引っ込めたと言う。
その頃の武田家の空気を、伝えるお話。
0221人間七七四年
2008/09/12(金) 09:14:55ID:eff/RMJt0222人間七七四年
2008/09/12(金) 14:34:37ID:gXeMNN/Iその妻、千代に、とある組織の総帥を命じた。その組織とは、
信州小県郡弥津村、古御館に本部を置き、ここには女だけが入ることが出来た。
そこに、孤児、捨て子から、美少女を選び、集め、巫女として育てた。
無論、ただの巫女ではない。巫女の修行とともに、彼女らに、強い仲間意識と
忠誠心を植え付け、女であることを生かした情報収集術、色香で男を惑わす術を
教え込んだ。そして一人前になると、旅の巫女として諸国に送りだされた。
彼女らが得た情報は、千代の元に集められ、信玄に報告された。
この組織の力で信玄は、群雄にぬきんでた情報力を持ったと言う。
なんとも素晴らし、ゲフンゲフン、けしからん組織のお話。
いやまったくけしからん。
0223人間七七四年
2008/09/12(金) 14:41:22ID:WQ2m7aNk0224人間七七四年
2008/09/12(金) 17:04:09ID:169Hidqmこれが忍術書に書かれている「くノ一の術」だな。
因みにくノ一は必ずしも女とは限らない。
相手がウホッの場合、男のくノ一を送り込む。
0226人間七七四年
2008/09/12(金) 17:18:48ID:VVxcl60S■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています