戦国ちょっと悪い話
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0002人間七七四年
2008/08/29(金) 20:20:25ID:LZQYPXp2戦国ちょっといい話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172237604/
0003人間七七四年
2008/08/29(金) 20:26:02ID:BRLySIW30004人間七七四年
2008/08/29(金) 20:28:29ID:bhFSpqX3まぁ厨が罵倒したい家の悪い話を投下していくだけのスレにならないといいが
0005人間七七四年
2008/08/29(金) 20:29:52ID:M9MqG72g0006人間七七四年
2008/08/29(金) 20:32:25ID:yuFhX2E3閻魔大王はいい話だと思うよ
非を認めて謝罪もしたが、庶民が更にムリな要求してきたんだからしょーがない
そこで更に下手に出たら庶民に政に首突っ込む事を許す事になるしね
0007人間七七四年
2008/08/29(金) 20:35:07ID:bhFSpqX30008人間七七四年
2008/08/29(金) 20:40:40ID:LZQYPXp2戦国大名も皆、きれいごとだけで勢力を拡大しているわけではないし、
「ピカレスク」ってものも、充分に魅力的だと思うよ?
0009人間七七四年
2008/08/29(金) 21:32:04ID:9FOhBTc10010人間七七四年
2008/08/29(金) 21:43:29ID:maLdPl+S松田聖子の祖先なんだよなw
0011人間七七四年
2008/08/29(金) 21:46:22ID:TKcFxFQc0012人間七七四年
2008/08/29(金) 21:51:18ID:CXc5kunr0013人間七七四年
2008/08/29(金) 22:30:26ID:2cts2aZx0014人間七七四年
2008/08/29(金) 22:34:07ID:LZQYPXp2戦国初期の梟雄である木沢長政。彼は主君の畠山義宣から独立を図り、細川晴元に接近した。
当時晴元は、対立していた三好元長を攻めあぐね悩んでいた。そこで長政、アイデアを出す。
「細川家と友好関係にある、一向宗を使えば宜しい」
晴元の要請を受け扇動された一向宗徒は、三好軍を粉砕した。
だが、これですませる長政ではない。
かれはこの一向宗の大軍をその勢いのまま、主君、畠山義宣の元に向かわせたのだ。
義宣のこもる河内誉田城はたちまちのうちに攻め滅ぼされ、義宣は討ち死にした。
長政は畠山家からの独立を達成したのだ。
ところがこの一向宗の軍団、自分たちの力に目覚め、畿内を制圧せんばかりの勢いを見せた。
一体あいつらをどうするのだ、と、これにも困り果てた晴元に、長政
「心得ております」
彼は今度は、一向宗と仲の悪い法華の門徒を扇動したのだ。「一向宗は佛敵である」
長政は法華宗と連合し一向宗を撃破。敗れた本願寺は当時の本拠地山科から退去した。
しかし今度は法華宗が京を支配する有様。これにも長政、今度は比叡山を扇動し、あい争わせ、京は焼け野原に。
最後に皆が我に返ったとき、最も勢力を大きくしていたのは、一向宗でも、法華宗でも、比叡山でも、無論晴元でもなく、
裏で彼らを操り、争わせた、木沢長政一人であったと言う。
0015人間七七四年
2008/08/30(土) 00:27:00ID:XMpNf2810016人間七七四年
2008/08/30(土) 00:52:34ID:jN1IP28xそんな事ばかりしていた木沢長政を憎む者は多く
最後には細川晴元、三好元長の子・三好長慶、遊佐長教等などに破れ
討ち死にしてしまいましたとさ
0017人間七七四年
2008/08/30(土) 02:03:05ID:YOJDVcFh和泉守護細川常有の家臣に、宇高有光と言う者がいた。
この君臣、関係が非常に悪化し、常有は宇高の屋敷に、軍勢を率いて夜討をかけた。
しかし宇高は常有の軍勢を撃退、そして一族郎党を連れ大和の古市に逃れた。
しばらくすると、古市の宇高の元に、先の管領、細川勝元の使いがやってきた。なんと、自分の直参として
仕えないか?と言う話であった。同じ細川家臣と言っても、傍流の和泉細川家と、勝元の本家とでは、
立場は全く違う。しかも牢人して早々の身。これはありえないほどの幸運であった。
「承知仕りました」
宇高は喜び、一族郎党を引き連れ京へと立った。同じ時古市にいた安位寺経覚と言う僧侶は、この話を聞き、
日記に書いた
「早速の義、はなはだ不審なり。もしくは仔細あるか…」
その6日後、古市に知らせが届いた。宇高は京でだまし討ちに会い、一族郎党皆殺しにされた、と。
勝元と和泉細川家はグルだったのだ。
経覚はその日の日記に、こう書いた
「案ずるが、ごとし。」
0019人間七七四年
2008/08/30(土) 02:57:58ID:Jlfht3gN0020人間七七四年
2008/08/30(土) 06:35:33ID:igbtLWlB0021人間七七四年
2008/08/30(土) 09:44:02ID:YbpasvLl0022人間七七四年
2008/08/30(土) 10:19:25ID:IVUgEJ8U0023人間七七四年
2008/08/30(土) 11:00:12ID:YOJDVcFh信雄に、信長からの指令が届いた
天正四年 十一月二十五日 朝
三瀬に隠棲していた北畠具教の所に、信雄の元から、滝川雄利、長野左京亮、軽野左京進が訪ねて来た。
いずれも、北畠家譜代の者たちであった。
具教は炬燵に入り、三歳と一歳になる、二人の子供と遊んでいた。来客と言うことで
子等を乳母にわたし、出迎えに出た所、長野が突然、持っていた槍で具教を突いた。
滝川、軽野も刀をふるい、具教に止めを刺すと、幼い二人の子供も、乳母ともども切り捨てた。
同じ頃
三瀬から二十キロほど離れた田丸城では、信雄が北畠一族の者たちを、朝食に招いていた。
具教の次男、北畠具藤をはじめ、一族の主だったものほとんどが出席していた。
和やかな食事の最中、突然、鐘が鳴り響いた。
その音と同時に、武装した刺客たちが乱入、一斉に襲い掛かった、北畠一族の者たちは成すすべもなく、
皆、殺された。
織田による、北畠一族への粛清は、この朝のうちに完了した。
北畠の一族の中で、一人だけ、命を助けられたものがいる。先の国主、北畠具房である。
彼は信雄の養父であったために、「父を殺すのは外聞が悪い」と、助けられたのだ。
彼もまた七年後、苦悩と苦悶のうちに、34歳で世を去ったと言う。
0024人間七七四年
2008/08/30(土) 11:04:28ID:BtWyT4Yq0025人間七七四年
2008/08/30(土) 17:58:01ID:UFqnofKNその家の元当主を暗殺した話がなかったっけ。
0027人間七七四年
2008/08/30(土) 20:07:36ID:ChpjI7md0029人間七七四年
2008/08/30(土) 22:45:10ID:YOJDVcFh五人の家臣の手によって、罪を得た三名の侍の、死刑が執行された。
二人の首をはねたあと、残った一人の首をはねようとすると、その侍は哀れみを誘う声でこういった
「お願いです。せめてもの武士の情け。この後ろ手に縛られている手を、前に括っていただけないでしょうか?
そうすれば縛られていても、死ぬ前に神仏にお祈りすることが出来ます。どうか。どうか。」
侍とはいえ、丸腰で縛られている。また、憐れでもある。それに此方は腕の立つものが五人。彼を恐れるのも
馬鹿馬鹿しい話だ。そう思い、囚人の願いを聞き入れ、側にいた一人が後ろに回り縄を解き、前に縛りなおそうとした。
その時である
囚人はすばやく立ち上がると縄を解いた男に猛然と襲い掛かり、相手の刀を奪い取るやいなやたちまち、一刀の下に
切り捨てた。
突然の事に残る四人は狼狽しながらも、囚人を逃がしてなならぬと円陣を組んだ。一人が踏み込む。
が、すばやく横払いされ倒れた。他の三人を目で制し、止めを刺す。三人は恐怖に襲われた。ばらばらに踏み込む。
もはや囚人の思う壺である。家中腕利きの五人はこうして、たちまちのうちに全員が斃された。
囚人はそのまま脱兎の如く逃げた。全身に返り血を浴びて真っ赤な姿で。すると、そこは当時の九州、
近くに教会のあることに気がついた。彼は教会の中に乱入した。そこにいた宣教師に、彼はこう言い放った
「わしは今よりキリシタンとなる!よって、わしを保護せよ!」
囚人であっても、宗徒を名乗った以上、教会は保護しないわけには行かない。また、竜造寺家にとっても、
彼を追跡する事でキリシタンと摩擦が起こった場合、貿易から言っても、領国経営から言っても、難しい判断を
迫られると考えるであろう。これらを全て計算した上での。この囚人の改宗宣言であった。
後日この囚人は教会の手引きにより、長崎へと逃げ延び、無事、生きながらえたと言う。目論見どおりであった。
悪くて強くて頭のいい、戦国の囚人のお話
0030人間七七四年
2008/08/30(土) 23:39:56ID:6BBObNBY0035人間七七四年
2008/08/31(日) 00:35:34ID:61EhceB50036人間七七四年
2008/09/01(月) 00:37:44ID:OqZOmtq7「公方様(足利義昭)が、入洛するため、信長が公方様の元に参陣する。よって、美濃は尾張に対して
停戦するように、との公方様からの仰せがありました。信長が参陣するなど、どうせ嘘だろうとは思いましたが、
もし停戦のご命令に応じなければ、信長は美濃側のせいで参陣出来なかった、などと言い訳するに違いありません。
また、万が一、信長が本気で参陣するのであれば、これは公方様にとっても結構なことなので、我々は
停船命令に従います、と、起請文を書いてご返事いたしました。
ところが、いざ停戦を通告し、美濃領国の通行を認めたところ、案の定信長は約束を破り、美濃を攻めてまいりました。
当方は、どうせこんなことだろうと思っていました。公方様のほうは、酷くがっかりされたとの事。
しかし、公方様まで使って騙まし討ちして、まんまと追い返された信長は、天下に大恥を書いたといってよいでしょう。」
0037人間七七四年
2008/09/01(月) 05:29:54ID:NQFSvZvg0038人間七七四年
2008/09/01(月) 05:55:50ID:GfHMvaFJヤクザや悪徳企業とかわらねぇ。
もっと頼む。
0039人間七七四年
2008/09/01(月) 07:40:38ID:t8ppktj7難で必死に否定する教育するんだろうね
成功者が奴隷たちに真実を知られ自分の地位を奪われたくないからだろうか?
奴隷には聖人君子が向いているし
0040人間七七四年
2008/09/01(月) 16:03:25ID:buFtF2Jb光市の犯人も捕まった当初はそんなこといって笑ってたらしいしな
誰だって生存競争の中では汚いこともやるが、他人を平気で陥れるような人間ばかりになったら
集団・社会としての効率は悪くなり全員で沈没だよ
0042人間七七四年
2008/09/01(月) 21:48:51ID:SUY/3Mg8斎藤義龍未亡人の持つ壷がどうしても欲しくなった信長は、何度も彼女にせがんだ。
しかし彼女は「戦乱の中で紛失した」といってきかない。
それでも信長が迫ったため、彼女は「自害する!」と言い出した。
それでも信長はひかない。すると正室の斎藤氏(濃姫)や旧斎藤家臣が
「壷を欲しがるなら我らも自害いたす!」と大騒ぎをし始めた。
ここまで来てやっと、信長も壷をあきらめましたとさ。
0043人間七七四年
2008/09/01(月) 22:03:03ID:IPHvlexk0044人間七七四年
2008/09/01(月) 22:05:04ID:sfkr+BM2つまり俺の側室になれって脅したけど正室に反対された実話が
そのまんまだと格好悪いから壷に変化したのさ
0047人間七七四年
2008/09/01(月) 22:11:36ID:IPHvlexk武田信虎の悪行の話は書かれてるが、あれは中国の故事に何度も出てくるようなパロディだし、あれをそのまま受け取る人はいないでしょ。
敵対していた家には悪い話を事実のように書かれるのも仕方ないこと。もちろん実話かもしれないけど。
いや、ごめんね、こういうスレなんだから信憑性とか突っ込む方がKYなんだけどね
0049人間七七四年
2008/09/01(月) 22:37:41ID:NQFSvZvgおバカで、お茶目で、ストレートで、ちょっとオサレな口説き文句だったものをw
本当に「ちょっと悪い話」で感心した
0050人間七七四年
2008/09/01(月) 22:41:37ID:fAL4m92tこれはチョイ悪にふさわしい萌え話だよねえ?
これが本当ならむしろ信長かわいいじゃんw
本当に悪いな話というのはこういうのだというわけで、秀吉。
秀吉の侍女のひとりが、密通して逐電した。
秀吉は彼女を追跡捕縛すると、女と乳母を三条大橋のそばで釜煎りにして処刑。
女の親は埋められ、七日間にわたって竹鋸でひかせて殺した。
その翌年にはすり・盗人を子供も含めて十名釜煎りに、
河原で同様のもの十九名を磔にした。
これはのちの本では石川五右衛門ということになるが、
真相は軽犯罪者を残虐刑で殺しただけである。
0051人間七七四年
2008/09/01(月) 23:00:11ID:iNpGVbXz病気になって暇を出された侍女が坊さんと結婚したら
処刑されたってのもなかったっけ?
0052人間七七四年
2008/09/01(月) 23:05:16ID:OqZOmtq7秀吉から使者が来て、褒めてくれるのかと思ったら
「誰が勝手に城兵の命助けていいって言ったゴラァ」
って手紙。恐れおののいた利家は、次の八王子城で全員虐殺やった。って話があったな。
秀吉は本気で、人殺しが大好きだったと思う。
0053人間七七四年
2008/09/01(月) 23:15:06ID:a+2+7apd城兵はいわば利家の変わりに殺されたと。
0054人間七七四年
2008/09/02(火) 00:00:22ID:OqZOmtq7細川忠興が、京から、腕利きの左官をつれて領国に下った。
この左官、忠興のお声がかりなのをいい事に、酷く傲慢で、家臣らの評判はすこぶる悪かった。
しかし、実際はきちんとした名字も無い身分。普請の棟梁としてえらそうにふんぞり返っている自分が、
裏でその事を馬鹿にされているかと考えると、いても立ってもいられない。
そこでこの左官、忠興に「武士のような名字を付けてくださいませ。名前も付け替えていただきたい」と、頼み込んだ。
殿様直々に頂いた名乗りであれば、家中のものも馬鹿にする事は無いだろう。そう計算しての事。
最初断った忠興だが、あまりにしつこいので、
「では、こう名乗れ、すさ藁の朝臣鏝次 下地壁右衛門(すさわらのあそんこてつぐ したじへいえもん)」
忠興も人が悪い。この左官の目論見を知っていて、からかったわけですな。
この左官、二度と忠興の前で、名前の件を言わなくなったとか。
0055人間七七四年
2008/09/02(火) 01:40:04ID:6lZ+Ke3c柴田勝家率いる織田軍の前に越中魚津城は落城寸前。
魚津城の武将たちは景勝に悲壮感漂う書状を送る。
今月五日・十一日付の書状二通、昨夜戊の刻に松倉城より届き、謹んで拝見いたしました。
当地(魚津城)のことは、先だってご報告申し上げましたとおり、壁際まで取詰められて、
昼夜を問わず四十日にわたり攻められていますが、今日にいたるまで持ちこたえることができました。
しかし、こうなった上は、我々は滅亡と決まりました。
このことを然るべく景勝公へ御披露くださいますようお頼みいたします。恐々謹言。
(以下、魚津城を守備する十二人の署名)
だが結局、城将は全員切腹して開城。にも関わらず織田軍は城兵を皆殺しにした。
翌日、越中を平定した勝家のもとに悲報が入る。光秀の謀叛による信長の横死であった。
領民に恨まれていた勝家は撤収に手間取ってしまい、もたつくうちに光秀は秀吉に討ち取られてしまう。
ちなみにこの時、城兵の虐殺を主導したのは前田利家。家譜でも誇らしげに「全員攻め殺した」と記す。
一方、別の織田の将は上杉方の奮戦に感動して、城将吉江宗信が用いた槍と采配をその遺族に送り届けている。
利家はこの時から既に勝家の明智討伐の足を引っ張ったわけである。
その後の利家の動静は皆の知るとおり。見事に柴田を裏切って秀吉の天下取りに貢献している。
まつが彼の死に際に経帷子を着せようとしたのも道理である。
0056人間七七四年
2008/09/02(火) 05:06:50ID:n84j5DLW0057人間七七四年
2008/09/02(火) 07:51:57ID:qgquYNm2彼は蓄財好きで有名で兵を抱えるべき金も蓄財に励むので
まつは幾度も咎めたが、利家は蓄財をやめようとはしなかった。
そんなとき、利家の重臣に委ねていた末森城を佐々勢に攻められた。
急いで援軍を差し向けなければ成らないが、兵が足りない。
右往左往する利家をみてまつが「銭を連れて戦争に行け、このバカ野郎」と金壷を投げつけたとかなんとか。
0058人間七七四年
2008/09/02(火) 10:17:01ID:/ZqwujEq0059人間七七四年
2008/09/02(火) 10:57:17ID:6hL/HelIいつも間違えた。金がよほど惜しかったようだ。
0060人間七七四年
2008/09/02(火) 11:21:29ID:crBXjLyk0061人間七七四年
2008/09/02(火) 14:16:05ID:ydYrnm5aその後の話で
秀吉に「敵はぶち殺せよ」と文句付けられた利家が
敵を殺しまくって雑兵どころか非戦闘員まで
首を刎ねさせ「これなら秀吉も満足するだろう」と
大量の首を秀吉に送った。
しかし前田家と一緒に行軍していた上杉は
前田に比べて少しの首しか送らなかった。
そしたら秀吉に「前田の首は雑兵の首ばっかりだけど
上杉は少ないからちゃんと送る首を選んだんだろう」
とか言われた。とかいう逸話があったような。
0062人間七七四年
2008/09/02(火) 14:23:04ID:e3tXaIpLこんなのでも大河の主役として美化されるんだから不思議だ。
0063人間七七四年
2008/09/02(火) 14:26:36ID:fKGuDll/0064人間七七四年
2008/09/02(火) 15:25:53ID:CklEJ1lT秀吉の態度が一貫してないのも問題あるんじゃないかしらん
とこわごわ利家を擁護してみる
それともこの話は、殺すのが少しだけでもいっぱい殺ったよとウソの報告をして、
送る首も合わせて少しだけにすれば・・・とかすればよかったのにという
利家の(要領の)悪さについての話だったのか
0065人間七七四年
2008/09/02(火) 18:45:07ID:hDBFhNH0陶隆房の謀叛により、大内家は大友宗麟の弟、大内義長を
当主とした。だがそれは隆房の傀儡であり、中国の雄、毛利
元就の好餌でしかなかった。
ほどなく大内家は毛利、大友両家に攻め込まれ、義長は且山城
で毛利勢に包囲される。この時、元就は宗麟に「貴殿の弟を助
命致そうか。」と訊ねたが、宗麟は「弟の命はどうでも良い。
だが弟が持っている『瓢箪茶入』は、年来の望みである。ぜひ
賜って頂けないか。」と返答した。
そこで元就は義長を自害させ、瓢箪茶入を宗麟に贈ったと言う。
やはり戦国の世とは、肉親こそが最大の敵であったのだろうか…
0067人間七七四年
2008/09/02(火) 21:43:25ID:s1ykryoj元親豊臣大名だったわけだし。
0068人間七七四年
2008/09/02(火) 21:47:02ID:1g17rhoV0069人間七七四年
2008/09/02(火) 23:05:48ID:W0NapNCf0070人間七七四年
2008/09/03(水) 00:02:04ID:sGRr7fah上杉は親豊臣とも言えんが。
0071人間七七四年
2008/09/03(水) 00:07:22ID:02AXiL0a0072人間七七四年
2008/09/03(水) 00:23:29ID:ymaSWLpj微笑ましい悪い(人の)話だから面白いのに、罵倒してくる阿呆が沸くと途端に萎えるわ
0073人間七七四年
2008/09/03(水) 00:41:20ID:/J5HghFJ南部氏により秀吉に南部領だと勝手に報告されて、
心ならずも南部配下とされてしまう。
剛毅な大槌孫八郎は商才もあったとみえて、名産の鮭を
「南部鼻曲がり鮭」として江戸に売り出し利を得るが、
それが南部家に警戒される元となり、南部利直により
濡れ衣を着せられて南部一族の奥瀬家にお預けになる。
ある日奥瀬家の家人から「暴れ馬を何とかしてくれ」
と頼まれた孫八郎は、馬術の心得もあったので
馬を取り押さえようとするが、とたんに刺客が数人沸いて出てきて
そのまま殺害、大槌に残っていた息子も南部家により殺害され、
大槌家は滅亡して南部藩による代官所が置かれた。
うーん、だいぶ悪い話になったかな?
でも南部がいつも津軽の件では被害者扱いされるんで、書いてみた。
0074人間七七四年
2008/09/03(水) 14:14:59ID:oWH8X3Xu秀吉の九州仕置きの時、大友の鶴崎城攻防戦。
城代は吉岡紀増の妻・妙林尼。
攻め手は島津軍・伊集院久宣、野村文綱、白浜重政。
女とあなどって散々痛めつけられた島津が本気を出してついに落城となった。
妙林尼と侍女たちは城下で囚われの身となったが、折にふれ島津の兵を招いては、
侍女達に酌をさせ、舞を舞い、歌を歌っておおいに笑いあった。
(今で言う合コンですな)
そしていよいよ秀吉が九州上陸という知らせが入り、島津軍は薩摩に帰ることになった。
妙林尼達は「いっしょに連れて行って欲しい」と懇願した。
兵達は、馬よ輿よと騒ぎ立て喜んだ。
ついに出立の日、妙林尼達は、門出の祝いとして将兵全員に酒を配りしたたかに酔わせた。
そして、途中、手配していた手兵に襲撃させたのである。
伊集院と白浜は討ち死に、野村も深手を負い、指揮官を失った兵達は敗走していった。
大友宗麟は「尼の身として稀代の忠節古今の絶類なり」と称えた。
秀吉も是非会って恩賞を取らせたいといったが固辞して受け取らなかった。
0075人間七七四年
2008/09/03(水) 14:35:10ID:ih8VIv8T「毛利は、上意さえもはねつけたと国内外から取りざたされるだろうが、毛利の家(の利益)こそ大事であり、
そのためには将軍の和睦命令など、拒否しても、いっこうに構わない。」
今に残るイメージと違い、隆元の、戦国大名らしい剛腹さの垣間見える逸話。
0076人間七七四年
2008/09/03(水) 15:15:38ID:mFgJxjFS0080人間七七四年
2008/09/04(木) 11:33:02ID:5UBCIv0R高虎なら鈴木重意毒殺だか強制自害だかが有名だけど
0081人間七七四年
2008/09/04(木) 12:40:34ID:0uavHQTo伊賀久隆に妹を嫁がせる→油断させて謀殺→妹自殺
松田元賢に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
後藤勝基に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
伊賀久隆の娘を嫁に取る→油断させて謀殺→所領奪う
まさに地獄
0082人間七七四年
2008/09/04(木) 14:14:40ID:6PKkhzKZ※プライバシー保護のため音声は変えてあります
0083人間七七四年
2008/09/04(木) 15:03:57ID:+zwxPN6T京の町をウインドショッピングしていた慶次、ある商店の軒先に鐙(あぶみ)が一つぶら下がっていた。
珍しいデザインが目を引き、購入しようとしたが、対の片方は無く、これ一つだと言われた。
しかたなく諦めてしばらく歩いていくと、ある店頭に先ほどの片割れと思われる同じデザインの鐙が置いてあった。
慶次は。左右も確かめず、ただちに購入し、先ほどの店に戻って、もう一つを買い揃えようとした。
店の主人は「あなた様が行かれた後、売れてしまいました」と言う。
慶次は非常に残念がりながらも、しかたないと帰っていった。
実は店の主は急ぎ先回りをして、支店に並べておいたのだった。
0084人間七七四年
2008/09/04(木) 15:29:36ID:y7YOhahr0085人間七七四年
2008/09/04(木) 15:36:23ID:n17SyvK8まんまと売却したわけか
これはちょい悪だw
0086人間七七四年
2008/09/04(木) 17:10:09ID:0uavHQTo織田信長、吉田兼見に諮問をした。
「そなたの父の兼右が、『南都(奈良)、北領(比叡山)が滅亡するなら、王城にも祟りがある』と言ったそうだが、
それは本当であるか?」
兼見「はい?まことでございます。」
信長「それは結構なことである。」
それを聞いて信長は喜び、兼見に褒美まで渡した。
次の日、有名な信長による上京焼き討ちが起こった。当時対立していた将軍、足利義昭を脅すためにである。
信長は先の、吉田兼右の言葉に、南都は、松永久秀の東大寺焼き討ち、北嶺は無論自身の比叡山焼き討ちを
あてはめ、
「上京焼き討ちは信長が恣意的にやったことではなく、予言されていた運命であり、全く仕方の無いことであった。」
と、喧伝したと言う。
0087人間七七四年
2008/09/04(木) 17:27:44ID:OP9vj0x20088人間七七四年
2008/09/04(木) 19:15:59ID:kkr/Xe9E如水なら城井谷とかだけど…あれは講談ですっごい悪い話にされてるから
今更史実に近い話をしてもぬるいかなー…
あー、昔からのつきあいの井口さんちの息子を召し抱えてたんだけどね如水。
長男→戦死 次男→戦死 三男→殉職
という結果になったわけだが、如水がまた井口さんちに行くわけよ。
「おたくの末っ子もうちに仕えさせてくれませんかねえ、息子さんたちの忠義は決して忘れませんから」
でも井口さんはさすがに断るやね。この時実に、井口さんちの子供はたった一人になってた。
ところが如水、あきらめない。
親の目を盗んでたった七、八歳の与一之助(後の黒田二十四騎の一人村田出羽)にお菓子を与えて
「うちに来た方がこのまま親の家にいるよりいいぞ」と言い聞かせそのまま連れて帰ってしまった。
これはあれだね、未成年者略取誘拐……。
0089人間七七四年
2008/09/04(木) 22:02:24ID:TVkE4C7Hなんか暗殺とか謀殺話より切実にきた。
0092人間七七四年
2008/09/05(金) 00:08:37ID:pkMeJIpz「我々は、罪深き仔羊です。四旬節ごとに、罪の償いをしましょう。
一番良い罪の償いは、通りすがりに寺院を見かけたら、それに放火することです。
神もお喜びになるでしょう。」
キリスト教徒が、未だに殉教などと言って被害者面しているのが不思議でしょうがない逸話。
0093人間七七四年
2008/09/05(金) 00:34:49ID:zSM7KckT被害者面するあるいは被害妄想的な発想をするのは開祖のジーザス・クライスト以来の伝統かもね。
あと、キリシタン大名の大友宗麟が、日向遠征の際、寺院仏閣に放火してまわったという伝承もあるよ。
0094人間七七四年
2008/09/05(金) 01:55:55ID:oXihZ12h自分ら=殉教
敵ども=天罰
ダブルスタンダード。
それがキリスト教&シナチョソ&会津の遺恨トリオクオリティーwww
>>93
「かもね」はいらない。
ほんと極悪カルト犯罪集団キリスト教マジイラネ。
跡形なく消え失せればいいのに。
0096人間七七四年
2008/09/05(金) 02:16:06ID:xqPbWGcD0099人間七七四年
2008/09/05(金) 13:06:05ID:/D2kfXQX藤堂高虎が家康から功を立てるのを阻止された話。
大坂夏の陣で井伊直孝と道明寺口の先陣を勤めていたが、味方と敵の間に堤があり、
高虎は、「ここを占拠できれば有利になる」と、家康に援軍を要請した。
家康は「敵に取らせてこそ勝機がある」と言って却下した。
間もなく直孝が堤を占拠したという報告があり、
「直孝ようやった、これで勝ちはきまった」と喜んだ。
家康は高虎が勲功を上げるのを嫌ったのである。
0100人間七七四年
2008/09/05(金) 14:01:22ID:pkMeJIpz大阪方が攻めてくる→諸隊が被害を受ける→井伊の赤備えがやって来て粉砕→大阪方大慌てで逃げる
このパターンばっかりのような。
0101人間七七四年
2008/09/05(金) 14:23:37ID:rkC4KeZK0102人間七七四年
2008/09/05(金) 15:31:15ID:/D2kfXQX井伊隊と組んでいたのが、藤堂、細川。その右に片桐、前田、本多(康紀)、
左に真田(信吉)、本多(忠朝)、浅野、秋田。
これくらいはカバーしたのかもね。
0103人間七七四年
2008/09/05(金) 19:36:53ID:aSMW2rAuここはうちがやるから誰にも譲らんとごねて
結局家康も上杉は仕方ねーなと放っておいたじゃん。
そういう話は夏の陣だとないんかね。
言うこときかなそうな奴は夏の陣では外されてたのか。
0104人間七七四年
2008/09/05(金) 22:56:27ID:IYcLe+69ってわざと遅刻してきた島津
0105人間七七四年
2008/09/05(金) 23:13:41ID:Qcb8tdDp・・・って、そのスレかなり前に落ちたか
0106人間七七四年
2008/09/06(土) 02:17:43ID:y6tdixCV侍所所司代の配下に、骨皮道賢という男がいた。
この男、盗賊などの捕縛を仕事とした目付けの役割を与えられていたのだが、その権限を利用して、
いつしか京の盗賊、あぶれ者たち300人ほどの、頭目となっていた。
さて、応仁の乱が起こる
東軍の細川勝元は、この男の動員力に目を付け、東軍に引き入れる。道賢、政治的な立場があったからではない。
勝元が差し出した呉服や黄金の太刀に眼がくらんでの事である。
道賢とその配下は「足軽」として暴れまわる、西軍の食料補給路を寸断すると、その勢いで七条の民家を
略奪破壊放火。下京に走って五条大宮から高倉までをやっぱり略奪破壊放火。まさにやりたい放題であった。
だが、天罰覿面。道賢とその配下が稲荷社に終結している事を察知した西軍、山名宗全、畠山義就、斯波義兼、
大内政弘という、西軍オールスターメンバーとも言うべき諸将が軍を率いて取り囲む。道賢、女装し輿に載って
脱出を図るが、リアルに「お前のようなババアがいるか!」と正体を見破られ、討ち取られてしまいましたとさ。
この骨皮道賢の悪行があまりに酷かったので、乱の終結後、京の知識層からは、今の核廃絶のような論調で、
足軽廃止論が議論されましたとさ。
ちなみに骨川スネ夫氏は、名字の近似性から、この骨皮道賢と何らかの繋がりがあると思われる。
0107人間七七四年
2008/09/06(土) 02:25:22ID:/0WGOybC0108人間七七四年
2008/09/06(土) 04:10:49ID:oiiFOJJ8那賀郡まで攻め入った際、ここを治める牛岐城(富岡城)主・新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ、和議を申し入れた。天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃された。
道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。
現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。
0110人間七七四年
2008/09/06(土) 10:12:39ID:gcq+2vA50111人間七七四年
2008/09/06(土) 10:32:58ID:sZ0yePL80112人間七七四年
2008/09/06(土) 11:04:51ID:y6tdixCVそんな時代は、無い。
0113人間七七四年
2008/09/06(土) 15:34:16ID:W+LKs912戦で集落を焼き、田畑を荒らされるよりは謀殺で片付けてくれる方が良策だわな
0117人間七七四年
2008/09/06(土) 17:41:36ID:00ao/M2Xただ兵力や物資をあたら損耗するよりはマシ。
武士は勝つことこそ肝要。
0118人間七七四年
2008/09/06(土) 17:44:07ID:hyrrjz5Mでもそれが良策だったらみんなやっているし、
手打ちの宴なんかにのこのこ敵方が顔を出す
こともなくなるだろう?
やはりイレギュラーなやり方と思うな。
0119人間七七四年
2008/09/06(土) 17:59:42ID:9Xw2eBHeつきあわされて一緒に死地に赴かねばならん下っぱはたまらんよ
下っぱ的にはそんなもん一人で勝手にやってくれよ
こっちは将棋の駒じゃねーんだよ
正々堂々とした決闘したいなら好きなだけその辺の馬場とかで個人的にやってくれよって感じで
いくら汚い手や卑劣な作戦で周りから「ほらあいつ出自が武士じゃないから礼儀知らない」とか
犬畜生のように叩かれ巻くてっても
自軍の損耗最小に抑えて勝つ武将に仕えたいよ
0120人間七七四年
2008/09/06(土) 18:00:29ID:39n8chUO松永・宇喜多はもっと評判いいはずw
0125人間七七四年
2008/09/06(土) 20:44:13ID:oiiFOJJ8中富川の戦いではその先陣をつとめて奮戦、長曽我部軍の勝利に貢献した。
かくして長曽我部元親は、四国統一を成し遂げた。
同年十一月、元親は成祐を夷山城に恩賞のことを話し合いたいと招いた。
成祐は疑うことなく夷山城に赴いたところを、弟主計頭、星合六之進らとともに元親の家臣畑弥助らによって殺害された。
そして、一宮城には元親の武将が城番として入り、一宮氏は没落した。
阿波の武将は人が良すぎるらしい。
0128人間七七四年
2008/09/06(土) 23:01:01ID:y6tdixCV秀吉「予の顔が猿に似ているなどと言う者がいると聞くが、真か!?」とご立腹
近習「これは勿体無い御諚でございます。誰がそのような事を申しましょうか。」
秀吉「ほう、では言ってはおらぬのだな。」
近習「勿論でございます。ただ、世間では、猿が殿下に似たのだと言っておりますが。」
秀吉公、さもあろう、さもあろうと御満悦。
(口が)悪い話
0129人間七七四年
2008/09/06(土) 23:08:05ID:9VFihkF20131人間七七四年
2008/09/07(日) 00:24:14ID:0UV3iztH0132人間七七四年
2008/09/07(日) 00:26:42ID:BT+LsTAa845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/06(土) 23:28:15 ID:j9yEXPFF
宇都宮(城井)鎮房。
毛利(大内)・大友という大勢力の間でうまく立ち回り勢力を保つ。
最盛期には豊前のほぼ全域を支配する。
地方領主の悲しさか、秀吉の権威を読めず、転封を拒否したのは
最大の失敗だったが、黒田氏に反旗を翻し、反豊臣の檄を飛ばした際は
多くの国人が彼に従った。(秀吉が在地の国人を圧迫したせいもあるけど)
僅か300余の兵で居城を奪還。
黒田孝高・長政親子の大軍に攻め込まれるも、地の利を生かしてこれを撃退。
長政は命からがら逃げ帰る。
攻めあぐねた黒田氏は所領安堵と鎮房娘・鶴姫(13歳)と長政の婚姻を条件に和睦。
しかし、騙まし討ちに遭って暗殺される。(鶴姫も後に磔刑)
この際、中津城には黒田氏の陰謀で小姓1人と鎮房だけで乗り込んだのだが
暗殺に際し、黒田方は2人を殺すのに19人の手負いを出したという。
強弓の使い手としても有名で、その武勇は黒田氏も賞賛している。
また築城技術にも優れ、領内のあちこちに砦を築き、敵兵を分散させては
各個撃破するという先述を得意とした戦上手でもあった。
0133人間七七四年
2008/09/07(日) 12:26:14ID:AzrvpKVP二条城対面の直前のころ、清正は正則に次のように申し送った。
「徳川と豊臣の間に合戦が起きたら、池田輝政の姫路城を攻め取り、
大坂に駆けつけよう」
使者に立ったのは平野長泰の弟・長元。
古田織部の茶会の折、そっと告げたのだが、正則の答えは
「それがしは同心致し難く候、家康候より大国を賜り、厚恩これ以て忘れ難く候」
それ以来、険悪な仲になった。
家康も「関が原の忠臣とも言えるが、二条城での秀頼との対面の際、
大坂がもっとも頼りにした将であるのに、仮病を使って出仕しなかった」
ことを憤慨しており、遺言にも正則改易を書き残した。
石田三成憎しだけで東軍に付いたのではないことを、「武功雑記」は記している。
0134人間七七四年
2008/09/07(日) 13:10:27ID:yX83dHClまあこの話、黒田寄りの見方で言うと「如水の留守を狙ってアポなしで武装した兵200を
率いて乗り込んできた(黒田方は足軽雑用含めて100くらい)」って説もありましてね…
この辺は双方+後世含めてどろどろ悪い話で好きw
0135人間七七四年
2008/09/07(日) 17:28:03ID:Y8s9t/oA隆元が生きてるときの将軍は義輝じゃないか?
0136人間七七四年
2008/09/07(日) 18:41:35ID:P/3gB3Zv家康を褒め称えるためには秀吉を悪人にしないと不可能だからな
0137人間七七四年
2008/09/07(日) 18:56:29ID:BT+LsTAa江戸期に秀吉はそんなに悪く言われていない。
秀吉の悪い話はむしろ、明治以降の研究の結果出てきた話が多い。
0138人間七七四年
2008/09/07(日) 19:18:07ID:X5btdmGJ0139人間七七四年
2008/09/07(日) 19:58:03ID:2OgkG6+5・西園寺旧臣を下人扱い
・人妻分捕り
・西園寺公広暗殺
・一揆参加者780人磔
・関係百姓2000人殺害
木村吉清
・葛西旧臣を東夷として差別
・人妻分捕り
・少女分捕り
・百姓分捕り
山内一豊
・浦戸一揆参加者270人殺害
・滝山一揆参加者100人殺害
・長宗我部旧臣を郷士とし差別化
0141人間七七四年
2008/09/07(日) 23:10:39ID:73OXqym4島原の乱など日本で一番隠れキリシタンが多かったキリスト殉教の地の長崎天主堂の近くに投下した原爆でキリスト教信者1万人近くを虐殺後に
崩壊した天主堂の保存運動にアメリカが圧力かけて潰して隠蔽したってテレビでやってましたが事実?
心ある人が被爆してボロボロで目の辺りも黒ずんで盲目になった頭だけのマリア像を去年だかに、天主堂に戻したとか。
被爆したマリア像を見たら被爆死した人々の姿を代弁してるようで涙が出ました。
0142人間七七四年
2008/09/08(月) 19:47:17ID:efwHKosz政宗が江戸にいたとき。喜多七太夫の勧進能があると言うので、能が大好きな政宗公、ワクワクしながら見に行った。
ところが、演場に到着してみると、既に能は終わっており、観客ははけ、役者たちは既に帰り支度。
当然これに激怒した政宗公
「わしのお気に入りの「海女」と「船弁慶」を、これからはじめろ!」
「し、しかし、一座のものがほとんど帰りまして、能はもう出来ません」と、恐る恐る座元が言うと
「政宗ほどの侍が、能を所望すると頼んでいるからには、しないといっても、させてくれよう!
…刀を出せ!!」
と、小姓に刀を出させ、桟敷から舞台に飛び上がり、刀を抜いた!その時
座元が大慌てで呼び返した役者たちが戻ってきた。
「なんだ、能は出来るではないか。あとは観客だな」
と、政宗、今度はわしが胴元の勧進能じゃ!皆のもの見物していけ!とそこらへんうろついてる人達を片っ端から
引っ張ってくる。だが、無理やり連れてきた客のノリが良い訳がない。すると政宗、お前らもっと盛り上がれ、と
用意していた酒、饅頭、肴を、客席に向って投げ込み始めた。たまたま引っ張り込まれた侍など、このとき饅頭が
頭に当たって政宗に向って投げ返す始末。どうもこのあたりから政宗公、能よりこっちのほうが面白くなってきた模様。
今度は大量の銭を持ってこさせ、桟敷に向って投げ始めた!これには勿論周囲は大パニックに。
銭を求めて争っている人々、おびえる座元と役者、真ん中で高笑いしながら酒を飲んでいる政宗、という
地獄絵図であった。
これを息子への書状に書いた細川忠興、
「この話、あまりに現実離れして信じられないかもしれませんが、丹羽長重殿と立花宗茂殿から聞いた
確かな話です。」と、念を入れている。
ちなみにこの騒動、幕府からは例の如く、「政宗だから仕方がない」で、不問に付されたとか。
0143人間七七四年
2008/09/08(月) 20:24:11ID:Bzv+DEiM正宗だから仕方ないな、それは。
0144人間七七四年
2008/09/08(月) 20:46:09ID:TOrCPcNN0145人間七七四年
2008/09/08(月) 20:53:13ID:Y5DHrwtC近所のいたずら坊主なイメージ
0146人間七七四年
2008/09/08(月) 20:58:45ID:3dKpsk/z0147人間七七四年
2008/09/08(月) 21:24:44ID:pf8AqRzP0148人間七七四年
2008/09/08(月) 21:46:29ID:HvZGQC+X愛すべきバカだから。
0149人間七七四年
2008/09/08(月) 21:54:09ID:WpgFeZhN0150人間七七四年
2008/09/08(月) 21:58:43ID:226Wq/+l0152人間七七四年
2008/09/08(月) 22:03:31ID:eWP4RYRp0153人間七七四年
2008/09/08(月) 22:06:18ID:Y5DHrwtC0154人間七七四年
2008/09/08(月) 23:01:58ID:FsqKM+H70155人間七七四年
2008/09/08(月) 23:09:42ID:HvZGQC+Xマザコンシスコンどもはそれで停戦、と。
東北の鬼姫最強伝説。
0156人間七七四年
2008/09/08(月) 23:14:50ID:226Wq/+l0157人間七七四年
2008/09/08(月) 23:28:01ID:U1Y673Fo大好きだ!
0158人間七七四年
2008/09/08(月) 23:47:54ID:WNPXAEfiこの時代に江戸歌舞伎があったら政宗通い詰めだろうな。
贔屓役者への掛け声をめぐって刃傷沙汰おこしたり。
0159人間七七四年
2008/09/09(火) 00:34:55ID:w5a4ej2Rある日、正宗がDQNの方の島津家久を招いて宴会をすることになり、
>>142の座元に「座興で能をやるから役者を貸せ」と頼んだ
座元「あいにく先約がありまして・・・」
正宗「あっそ。 んじゃ、おまいらみんなSATSUGAI してやんよ。
上様(秀忠)に訴えて味方してもらう?いーよ、そんときゃオレも考えがあっから」
これを聞いた家久2号、仮病を使って延期を申し入れたが、
「えー?! 一幕だけでも見てってよ!他の客にオレのメンツが立たねーから!」
などとゴネるので、結局5日だけ延期されることになった。
なお、これも忠興が息子への手紙で論評しており、
「あきれて物も言えねーよ。アイツ、キツネでも憑いてんじゃねーの?」と言っている
0160人間七七四年
2008/09/09(火) 00:38:19ID:4yrly1pt0161人間七七四年
2008/09/09(火) 01:48:28ID:wZotcZE3正宗は最後の戦国武将だから、ギリギリokとすべきか?
0163人間七七四年
2008/09/09(火) 01:50:47ID:M5Q88giUストーカー? 似た者同士惹かれあうものがあったの?
0164人間七七四年
2008/09/09(火) 01:52:57ID:xQGHSlDZあの忠興もひいた!っていう
0167人間七七四年
2008/09/09(火) 02:08:06ID:sryrwh3/0168人間七七四年
2008/09/09(火) 03:07:59ID:JitlVPJ90170人間七七四年
2008/09/09(火) 06:09:33ID:Cl/9d+B7最大瞬間風速では上な気がするが。
0171人間七七四年
2008/09/09(火) 10:08:16ID:84LjQeoU0172人間七七四年
2008/09/09(火) 10:50:56ID:rxLQV4Ji会津を荒らしまわったとき
ではなくて家康が死んでからだと思うぜw
0173人間七七四年
2008/09/09(火) 13:17:13ID:RCriLX0q幕府も対応には苦慮しただろうw
0174人間七七四年
2008/09/09(火) 14:17:53ID:1hy1y8Z0居なくなった後だとそんな自信ある奴居ないしなw
0175人間七七四年
2008/09/09(火) 14:28:26ID:oIgI/cTc「あったりまえじゃないですか。家康公さえいなければ今頃…」なんて抜け抜けと答えるような人だからなw
0176人間七七四年
2008/09/09(火) 15:03:32ID:vOzMFsiPでもあんま無茶すっと、自分の死後に伊達家が苛められねーっすか?
そういうのあんま気にしないっすか?
0177人間七七四年
2008/09/09(火) 15:28:15ID:bcCtVvW5家光も聞いて決して悪い気はしなかったはずだ。
「はっはっは。そうであろう、そうであろう」と家光の笑い声がきこえる。
0178人間七七四年
2008/09/09(火) 15:44:02ID:sryrwh3/0179人間七七四年
2008/09/09(火) 16:15:44ID:jLLNs3mp0180人間七七四年
2008/09/09(火) 17:40:14ID:5icvwwM7とか言いつつ広いだけのクソ痩せた土地に加増と称して移封
お手伝い普請その他で絞りまくりネチネチとことん暗く復讐
ってこりゃまんま真田さん家だったな
0181人間七七四年
2008/09/09(火) 20:40:50ID:UrhrwvS+秀吉相手に2度も土下座
家康には百万石の大嘘
こんだけレ○プされメンツを失墜させられて
嘲笑冷笑されても謀反おこさないヘタレが今更、謀反するわけねーだろ。
家康死後に百万石の御墨付きを政宗が持ち出して「あの時の約束守れや」→井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら冷静に「こんなものがあると御家のためになりませんぞ」と言われビビって何も言えなくなった政宗がw
>>174
石高差が圧倒的な幕府が自信がないわけなかろう。
政宗がヘンな真似したら島原の乱より早く鎮圧されるわな。
>>177
その通り。政宗はひたすら家光に媚びていた妄臣になっただけ。
そして政宗死の翌年には仙台藩は破産しさっそく幕府に大借金w
0184人間七七四年
2008/09/09(火) 20:59:32ID:O8764pOc>井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら
百万石のお墨付きは仙台市博物館に現存してるんだけど何でそんな嘘つくの?
0185人間七七四年
2008/09/09(火) 21:42:13ID:yI6bokkoそれ竹中半兵衛と黒田官兵衛の話な。
ちなみに井伊は、
関ヶ原での加増を少なすぎると、家康に突っ返して影で不満を吐き散らす。
聞きかねた永井直勝が苦言を呈するとブチ切れて、
「他の奴等が大封を得てるのに俺様が貰えないってのはおかしい」とか言う。
永井が
「徳川勢だけで勝利はねーよ。しかも譜代と違って、徳川の家臣ではないあいつらにこそ多く報いないと差し障りありすぎ
大体お前が如何に剛勇でも一人で出来ることはたかが知れてる。それは匹夫の勇w
将の働きは兵を率いてこそ。いい歳こいて本隊開けて一騎駆けしてんなよ、おっさん」
「はぁ?お前何石?一万石も無いような小身が率いる兵数で出来る働きなんてほとんどないだろw すっこんでろ雑魚」
「お前が率いてるだけの兵数があれば、お前程度の働きは誰だって出来んだよw 調子こくなww
逆にお前が俺の兵数だったらなんかできんのか?
はー、こんな奴が重臣なんて徳川オワタ」
って話が合ってだな。
0186人間七七四年
2008/09/09(火) 21:47:20ID:pKik059o伊達メガネとか、単なる格好つけの道具に伊達とかつけられる。
そんな言葉の元となった藩や武将は押して知るべし。
0187人間七七四年
2008/09/09(火) 21:52:46ID:oXbt89b0ついてるか?
0188人間七七四年
2008/09/09(火) 21:58:43ID:wxjz7Dnl強靭なファイターで立派な人格者でした。
0190人間七七四年
2008/09/09(火) 22:07:00ID:1hw4kIEs0191人間七七四年
2008/09/09(火) 22:21:46ID:Jy1md2MZ自論の破綻を指摘された上にソース出せと伊達厨にフルボッコにされて
本来仲間だったはずの上杉厨や直江厨にまで引かれた
有名なキチガイくんですね、わかりますw
0192人間七七四年
2008/09/09(火) 22:29:40ID:wxjz7Dnl鰐淵寺住職である鰐淵寺栄芸は、永禄四年(1561)、毛利元就から尼子氏調伏の祈祷を依頼された。
芸栄は三日三晩の五大尊の法、さらに三日三晩の六観音の法、最後に三日三晩の七仏薬師の法を行った。
流石の元就も恐ろしくなるほどの呪法だったと云う。
さて、この呪法の翌年から、尼子から毛利に寝返る者が続出し、永禄八年(1565)、見事尼子は
滅亡するのである。天下に、鰐淵寺栄芸は恐ろしい。そう喧伝された。
が、
これにも別の説がある。
元就が、わざと鰐淵寺栄芸の評判を立てさせ、敵味方に「元就殿に逆らうと、鰐淵寺栄芸によって呪い滅ぼされるぞ」
との、恐怖を植えつけたのだと。
戦国の世は一筋縄ではいかない、と言うお話。
0193人間七七四年
2008/09/10(水) 02:40:23ID:69SiJgrD携帯にその字がない。
>>184
最後には燃やしてやったぜw
ウソなのは仙台博物館のだろw
この話を隠蔽しようと伊達厨必死過ぎてワロタw
>>185
政宗に恥をかかせたのは父ではなく息子の譜代最大の彦根35万石の井伊直孝だ。
鄭成功の支援要請を受けて明を助けて清を攻めたい徳川頼宣を一喝したり家光から最も信用された男だ。
0194人間七七四年
2008/09/10(水) 03:12:13ID:auqnm2w7見てきたように言うんだね
0195人間七七四年
2008/09/10(水) 03:15:07ID:0Iw3YAD8結局誰にも信用されることなく無意味だ
0196人間七七四年
2008/09/10(水) 04:47:12ID:aaleHa/q0197人間七七四年
2008/09/10(水) 13:05:16ID:kHledHWt(悪い話といい話)
成美といえば人取橋合戦、二本松城攻略戦、郡山合戦、などに大功があり、
伊達家きっての猛将として知られている。
朝鮮にも出兵するが帰国後、石川義宗や留守政景が重用されているのを見て、
政宗に無断で高野山へと籠ってしまった。
呼び戻しの使者が訪れた時には行方不明となっており、
もしも成実が上杉と手を組めば事は重大と危惧した政宗は、屋代勘解由に成実妻子と家人の殺害を命じた。
妻子・家人30人は奮闘の末、自害した。
家康が100人扶持で成実を召しだそうとしているのを聞くと申し出て破談にするという執拗さだった。
ところが成実は上杉からの5万石での誘いを断っているのである。これはすぐ政宗の知るところとなる。
関が原直前、上杉の白石城攻略戦でのこと、
崩れそうな伊達軍に逆行して突如一騎の黒武者が敵陣に突撃し、これにより形勢は逆転、
この黒武者こそ成実であった。彼は帰参し亘理城主となる。
この後、政宗は自分が成実妻子殺害を命じた屋代勘解由を追放するが、
遺恨もっとも深いと思われる成実は、勘解由と妻子を手厚く保護しているのである。
感状のブレの激しい政宗に対する無言の批判であったかどうかは、不明である。
0198人間七七四年
2008/09/10(水) 14:09:19ID:q4JQeDWc江戸城を攻略した。
扇谷上杉朝興はこれに対し、北条と対決する事を決意。
そのためには軍勢である。彼は越後を支配する長尾為景(謙信の父親)に、援軍を申し込んだ。
が、為景は、言を左右にして態度をはっきりさせない。
彼の元には氏綱から、このような書状が届いていたのだ。
「為景殿かねてよりお探しの名画、間もなく手に入れられそうです。」
為景は、絵画の愛好家であったのだ。
援兵は来ぬまま、江戸城は北条の元に下る。
為景の元には、羨望していた名画が、北条より届けられた。
為景にとっては主筋の衰亡よりも、絵画のほうが大切であった。
そして氏綱にとっては、個人の趣味趣向も、大切な謀略の種なのであった。
0199人間七七四年
2008/09/10(水) 15:01:14ID:t5KG6yFS為景や信虎や氏綱って、絶対息子たちより胆力あるよなw
0200人間七七四年
2008/09/10(水) 17:56:04ID:UbsfT2aM0201人間七七四年
2008/09/10(水) 22:35:31ID:aWpyd4jo俺としてはいい話にしてほしい
0202人間七七四年
2008/09/11(木) 00:08:31ID:qwcl/Om8家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。
長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。
が、
宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。
さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
0203人間七七四年
2008/09/11(木) 00:50:25ID:dd4UaSLm0204人間七七四年
2008/09/11(木) 06:36:28ID:m0Qrix34西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
0206人間七七四年
2008/09/11(木) 10:27:03ID:czjzh5Fhんでもこれ定説(俗説だろうけど)になってるよな。
政宗好きからしたら必死で打ち消したいエピだろうけど
政宗の性格をよくあらわしたエピだよなw
0207人間七七四年
2008/09/11(木) 12:23:43ID:qwcl/Om8ここはあくまで、後世に伝わったエピソードを紹介するスレ、史実云々の議論は荒れるだけなので
控えましょう。
0208人間七七四年
2008/09/11(木) 12:29:17ID:AZn36+DJまぁ史実云々を指摘する人は空気読んで指摘してくれたらいいと思う。
0210鉄砲小弥 ◆1543.Dh.No
2008/09/11(木) 13:46:17ID:iXs1syze一応、家人30人自害は「治家記録」や 「世臣家譜」に記載がある。
正室はそれより前に死亡しているから側室と子かもしれないが、不明。
大河内久綱(知恵伊豆と言われた松平伊豆守の実父)古田織部を毛嫌いする。
「織部は古い器の完全を好まず、古書画のあちこちを切り刻んでいる。
今残っている古からのものは、乱世の中で神の加護により生き残り存在している。
それを己の好みに任せ損なわせるなどと、そのうち天罰が下るだろう。」
予言は的中し、豊臣との内通を疑われ切腹を命じられた。
0212人間七七四年
2008/09/11(木) 15:17:18ID:ql3TM5OPやはりゲームはゲームか
0213人間七七四年
2008/09/11(木) 15:40:31ID:GUnVdF64松永とか斎藤は有名すぎて書かれないだけだと思うよ
0214人間七七四年
2008/09/11(木) 15:46:49ID:KIzhuNfvむざんむーざん
0215人間七七四年
2008/09/11(木) 23:36:38ID:p6KnZUEyその辺の毒殺の逸話とか書いても、住人に鼻で笑われそうだな。
0216人間七七四年
2008/09/12(金) 00:26:14ID:tl2/vhTr0217人間七七四年
2008/09/12(金) 00:34:08ID:5x8VrNeq俺あんまり歴史詳しくないから、是非聞きたい。
個人的には松永斉藤宇喜多さんも知りたいが…ぐぐれと言われそうだなw
0219人間七七四年
2008/09/12(金) 01:59:09ID:gXeMNN/I御存知のように高天神城は徳川勢によって攻め落とされ、横田は命からがら落ち延び、
甲斐へと逃げ帰った。
帰還した横田を。勝頼は喜んで迎えた。「よく生きて戻ってきた。褒美を与えよう!」
と、太刀を渡そうとすると、
「何を言っているのか」
横田は言った
「城を落ち延びて褒美をもらうなど、私は聞いたことがありません。
このようなもの、頂ける筈がありません。」
そう、その太刀をつき返した。今になって労苦をいたわるくらいなら、何故
篭城している最中に、援軍を送ってこなかったのか。
言葉に出さずとも、そう、勝頼を批判していた。
勝頼は苦りきった顔で、その太刀を引っ込めたと言う。
その頃の武田家の空気を、伝えるお話。
0221人間七七四年
2008/09/12(金) 09:14:55ID:eff/RMJt0222人間七七四年
2008/09/12(金) 14:34:37ID:gXeMNN/Iその妻、千代に、とある組織の総帥を命じた。その組織とは、
信州小県郡弥津村、古御館に本部を置き、ここには女だけが入ることが出来た。
そこに、孤児、捨て子から、美少女を選び、集め、巫女として育てた。
無論、ただの巫女ではない。巫女の修行とともに、彼女らに、強い仲間意識と
忠誠心を植え付け、女であることを生かした情報収集術、色香で男を惑わす術を
教え込んだ。そして一人前になると、旅の巫女として諸国に送りだされた。
彼女らが得た情報は、千代の元に集められ、信玄に報告された。
この組織の力で信玄は、群雄にぬきんでた情報力を持ったと言う。
なんとも素晴らし、ゲフンゲフン、けしからん組織のお話。
いやまったくけしからん。
0223人間七七四年
2008/09/12(金) 14:41:22ID:WQ2m7aNk0224人間七七四年
2008/09/12(金) 17:04:09ID:169Hidqmこれが忍術書に書かれている「くノ一の術」だな。
因みにくノ一は必ずしも女とは限らない。
相手がウホッの場合、男のくノ一を送り込む。
0226人間七七四年
2008/09/12(金) 17:18:48ID:VVxcl60S0227人間七七四年
2008/09/12(金) 17:30:10ID:laJhpyml0228人間七七四年
2008/09/12(金) 18:16:34ID:3DnzFXjU0229人間七七四年
2008/09/12(金) 18:55:50ID:QBpNmMVH0230人間七七四年
2008/09/12(金) 19:15:32ID:IHbRu1So0231人間七七四年
2008/09/12(金) 22:03:05ID:LEhD4rr5国一番の美少年を間者として謙信に送り込んだら
即日送り返された。という話があったうろ覚え。
男版くノ一?
0232人間七七四年
2008/09/12(金) 22:03:12ID:czP081DE0233人間七七四年
2008/09/12(金) 23:02:26ID:F4ktFk8y家臣1のイケメンを送り込んで倒したというエピソードも有るな。
0234人間七七四年
2008/09/12(金) 23:24:22ID:ha/UV6ME両家が和睦した話は有名ですね。
全然悪い話じゃないが。
0235人間七七四年
2008/09/12(金) 23:39:51ID:gXeMNN/I0237人間七七四年
2008/09/13(土) 01:28:15ID:N38Rk+vC「お前ねーちゃんか妹いない?」
って素で聞いた人はその辺の空気読めて無かったんだな
0238人間七七四年
2008/09/13(土) 01:29:30ID:1b11JM340239人間七七四年
2008/09/13(土) 02:07:04ID:WBwh2FmF衆道恐怖症になったとか。
0241人間七七四年
2008/09/13(土) 11:19:55ID:NX33ZP9zここは
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1219764087/l50
の支店スレではないですのでw
0242人間七七四年
2008/09/13(土) 12:49:39ID:I+wMAFL6武田側から篭城衆に、もはや兵糧弾薬も尽きただろうからと、開城勧告がなされた。
無論、この勧告は即座に拒絶されたが、その折、篭城衆の一人、恩田半五右衛門は、楼に登り
「弾丸乏しきにあらず、長期の籠城に用意するものなり。その兵糧に至りては
倉庫に充満し、我等の肥満かくの如し」
と、啖呵をきり、「この尻食らえ!」と武田軍に向かって尻をまくった。
これに怒った武田から、一人が鉄砲で半五右衛門の尻をスナイプ!
これがまた見事に命中。距離が遠かったので大怪我にはならなかったが、
半五右衛門、痛や痛やと尻を押さえてピョンピョン跳ねる。
それを見て両軍爆笑。殺伐とした戦場に、しばし和やかな空気が漂った。
ちょっと(かっこ)悪い話
0243人間七七四年
2008/09/13(土) 13:24:17ID:AFovv4YUちょっと(性癖が)悪い話 でもあるな
0245人間七七四年
2008/09/14(日) 09:01:33ID:Xa3FHJ0Mこれは宮部長煕を田中吉政が嵌めたという説もある
吉政にはこれ以外にも良くない噂がちらほら
小牧・長久手では羽柴秀次の側近として参戦、
秀次軍の旗色が悪くなると伝令と称して陣を離脱、
堀秀政の陣に状況報告に行くがその下心を秀政に見抜かれ、
「命が惜しくなったかw秀次殿の側近として死んで来い」と追い返される
秀次事件では主君を擁護せず、逆に秀吉に讒言して加増を受ける
関ヶ原では佐和山城の城兵の命を助けることを条件に開城させるが、
約束を守らず皆殺しにするなど悪名高かった吉政、
その非道を嫌った立花宗茂により、田中家が取り潰しになった後も
宗茂は旧田中家臣を召抱えなかったという
0246人間七七四年
2008/09/14(日) 12:42:16ID:EzYK5Ceq0247人間七七四年
2008/09/14(日) 18:08:54ID:qfdlc5N5その役目の小姓を好きになつたことが あったとか
0248人間七七四年
2008/09/14(日) 18:20:13ID:kcDMkAcB当時の記録を見ると、武士や僧侶の階級は衆道を当然のものと受け止めてるけど、農民はそう言うものを知らなくて、
自分のところの子供が武士や僧侶のところに奉公なり修行なりに行って、衆道の世界に入っちゃって、男同士の
恋愛沙汰に巻き込まれ、そんななか親が出てきて何が起こっているか理解できず大混乱する、って笑い話が
けっこうあったりする。
0249人間七七四年
2008/09/14(日) 22:57:49ID:kcDMkAcB死体が発見された。目撃者によると、新宮谷に向かう最中、何者かに殺されたのだ、と言う。
尼子晴久の家臣が死者の持ち物を調べると、なんと、新宮党が毛利元就への内通を示す密書が見つかった。
かねてよりそのような噂があったものの、それを一笑に付してきていた晴久ではあったが、この証拠を見て
ついに決断。彼は新宮党を粛清した。
が、これはすべて、元就の謀であった。殺された、密書を持った男は元就の元で捕まっていた罪人であり、
彼を殺したのもまた、元就の放った忍びであった。
こうして元就は、尼子侵略への、最大の障害を、尼子自身の手によって消滅させたのだ。
これはおそらく講談話だけど、まあ、元就はこのくらいのことをする人間だと思われていた、ってことで。
0250人間七七四年
2008/09/15(月) 00:05:48ID:7wQKPRdg0251人間七七四年
2008/09/15(月) 00:28:36ID:rlP5tkM00252人間七七四年
2008/09/15(月) 00:37:40ID:SgEYgGjs過疎ってるから今後も目にするかもしれんしさ、別に噛み付くこたぁねぇと思うが
0253人間七七四年
2008/09/15(月) 00:40:45ID:M1nJot/K>>251
さあ、この板の人間が知らない衝撃的な戦国の悪い話を書き込むんだすぐにw
つーか、人の知らないエピソードを書き込む場所でも無いと思うが。
0254人間七七四年
2008/09/15(月) 01:14:03ID:rlP5tkM0誰も知らないことを書けとレスした奴は253以外いないだろ。
252のレスに関しては最もだと反省はする。
0255人間七七四年
2008/09/15(月) 01:26:59ID:M1nJot/K毛利家家臣として、輝元に仕えていた杉元宣。彼には美しい妻がいた。
ある時、その妻を主君輝元が目にし、これに一目惚れをしてしまった。輝元は元宣に、その妻を
差し出すように迫った。
元宣はそれを拒絶した。当然である。主君と言えども家臣の妻を奪うような無法があろうか。
だが輝元はあきらめなかった。腹心である椙山土佐・清兵衛親子、佐世石見守をつかい、謀略によって
誘拐同然にその妻を奪ったのだ。
元宣は激怒した。こうなれば輝元との対決しかない。彼は大阪の秀吉の元に、輝元の悪行を直訴することを
決意し、出奔した。
これに慌てたのは輝元である。すぐに伯父の小早川隆景に相談した。隆景は驚き呆れたが、これが秀吉の
耳に入れば、毛利家はどういうことに成るか。
すぐに元宣に対する大規模な捜索が行われ、間もなく彼は捕われた。
隆景は不憫に思いながらも、彼を殺害した。
全て毛利家のためであった。
結局、元宣の妻は輝元の側室となり、後の毛利家当主、毛利秀就と、徳山藩主、毛利就隆を出産した。
0256人間七七四年
2008/09/15(月) 01:32:46ID:M1nJot/K過疎スレなのに、わざわざ人が参加し辛くするような書き込みもどうかと思ったのでな。
まあ嫌味が過ぎたかもしれん。謝るよ。
0257人間七七四年
2008/09/15(月) 01:36:01ID:kdji0wAG大坂の陣で幕府に隠れて内藤元盛を「佐野道可」として入城させる、
この件自体は関ヶ原の恨みや万一豊臣方が勝利した場合の保険など理解できなくもないが、
戦後幕府の追及を恐れて内藤氏を断絶させたのは酷い
お坊ちゃんだから自分以外の他人なんてどうでも良かったのかもな
0258人間七七四年
2008/09/15(月) 02:32:56ID:9zBTAlow>>257
この事件では徳川方の柳生ですら不憫に思ったらしく、道可の兄(宍戸元続)に悔やみ状を
送っているしなあ。
0259人間七七四年
2008/09/15(月) 02:51:12ID:M1nJot/Kただ、佐野道可事件に関しては、本当に内藤元盛の個人的な参戦だったと言う説もある。
後に内藤家が復活した時、藩に提出した当時の顛末が、当時の歴史的事実と色々矛盾があって、
輝元と秀就が与えたと言う誓詞の内容なるものも含めて、内藤家側が帰参を有利にするために
作り出した捏造だったのではないか、とも。
関ヶ原から大阪の陣前後の時期の毛利家では、改易により縮小された領地への不満から、かなり多くの、
重臣クラスの家臣が毛利家から出て行っているのね。内藤もその中の一人に過ぎなかったとも考えられる。
0260人間七七四年
2008/09/15(月) 08:18:37ID:QYSy2sJe上杉家の軍儀は毘沙門堂で行う事になっている。
しかし、そのときは違った。
一刻一刻と敵は間近に迫り、猶予のない状況。謙信は軍儀を急いで行うために毘沙門堂では開かない旨を家臣たちに伝えた。
「しかしそんなことをしては毘沙門天の怒りにさわり、祟りがおきましょう。戦にも負けてしまいます。」
この時代、神仏への信仰や験担ぎなど、ジンクスを気にする人間は多かった。
特に当主謙信を筆頭に越後、上杉領では毘沙門天を振興する人間は多く、家臣にもかなりの数の毘沙門教徒がいた。当たり前の反応である。
ところが謙信は
「何を申すか。戦をするのは毘沙門天ではなくこの謙信である。それにこの越後で毘沙門天が広く信仰されているのは、偏に儂が手厚く保護しているからに他ならない。逆に儂が感謝されても良い位である。」
と言い放った。
熱心な宗教家といわれている上杉謙信の、軍人としてのちょっと(信心が)悪い話。
0261人間七七四年
2008/09/15(月) 08:41:48ID:7jR5ujkB老婆心ながら訂正すると軍議ではなく、間者との契約の儀式ですね。もともとの逸話を曲げて軍議としたのは童門氏。
江戸後期の名将言行録の話ですね。もともと江戸初期の北越軍談などでは
「謙信は摩利支天の再来」と称されるように軍神のごとく改められていたとされていて、
それをもとにして作られたエピソード。
本当は謙信は家中の自分への崇敬心を戒める意味も込め、
迅速に合理的な対処をしたという意味が含まれているとのことです。
0262人間七七四年
2008/09/15(月) 13:54:36ID:M1nJot/K「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。
ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。
…国に帰りたい。」
0263人間七七四年
2008/09/15(月) 14:03:07ID:ONntYV5z0264人間七七四年
2008/09/15(月) 19:19:33ID:+rlVGrqP結局そういう奴のほうが上手くやっていくんだけど。津軽の髭とか。
0265人間七七四年
2008/09/15(月) 21:16:21ID:00I+U6CT(家臣宛を偽装した妹宛説も?)
「敗戦の罪で大友が改易されたお・・・
もう頭そって坊主にでもなって、山奥に逃げて寿命をまっとうしたい。
どうやらうちは朝鮮いかなくていいらしいけど、
本当にそうなって最上の土をもう一度踏みたいです。
水をおなかいっぱい飲みたいです。」
0267人間七七四年
2008/09/16(火) 00:35:51ID:j8tJ8pXb東軍に属していた稲津掃部助は、如水の下に付き、彼の指示により先鋒として島津領へ進行し、
日向を攻め取る準備をしていた。
さて、関ヶ原の決戦は、一日で終わる。
家康は全国に戦闘の停止を命じた。その命令は如水のところにも来た。が、無視した。
既成事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなる。そのように考えたようだ。
彼は日向侵攻作戦を密かに進めた。だがそれは、家康の諜報に引っかかった
「如水が日向で不審な行動をしている」
息子長政を通じ家康から、如水の行動に牽制がかけられた。如水は火遊びが過ぎたのだ。
そこで彼はこう申し開きをした。
「日向での事、私は一切かかわっておりません。あれは全て稲津掃部助が企み、
独断でやった事。真にけしからん所業であります。」
稲津掃部助は如水によってあっさり切り捨てられた。彼はそうとは知らない間に、
前線に置き去りにされたのである。そして如水の本軍を待つ清武城において
島津の逆襲に会い、討ち死にした。
0268人間七七四年
2008/09/16(火) 18:57:42ID:Y1qHcY+70269人間七七四年
2008/09/16(火) 20:56:21ID:a2hRbdv+0271人間七七四年
2008/09/16(火) 23:32:49ID:j8tJ8pXb城自体が堅固な事もあったが、なによりその、そろえられた鉄砲の力に
やられていたのである。「あの鉄砲をどうにかしなければ。」
考えた。そして、思いついた。
有馬勢は、渋江氏の氏神潮見神社の巫女を買収し、潮見城に向かわせ、こう言わせた。
「鉄炮で敵を討つことは、この城の穢れになります。敵は神力にて退散させますので、
鉄炮は城外に運びますように。」
そしてその巫女がお祈りを始めると、なんと城を取り囲んでいた軍勢が、
瞬く間に消え去ってしまった。公親はこれに喜び、巫女を信じ鉄砲を場外に運ばせた。
さて、勿論有馬勢の撤退は見せ掛けだけのものである。鉄砲を運び出した事を
察知すると直ちに引き返し、攻撃を仕掛け、見事潮見城を落とした、とか。
0272人間七七四年
2008/09/16(火) 23:43:01ID:j0dQ0bIg神に仕える身なのに買収されるとは
0273人間七七四年
2008/09/17(水) 01:18:15ID:fWX0P1DO0274人間七七四年
2008/09/17(水) 14:09:41ID:Mi14N+E3立花道雪は好色で有名な宗麟を諌めようと、京から踊り子の一行を招き、
「道雪の屋敷に踊り子が大勢いる」という噂を流した。
宗麟は噂を聞きつけると「踊り子を連れて参れ」と命じた。
一行に踊りを躍らせ、「さて、よきことを・・」という段階になって道雪が現れ、
こんこんと説教をした。
が、宗麟の好色は納まらず、家臣の一万田親実の美人妻を無理やり奪い妾にし、
親実に無実の罪を押し付け殺害した。
親実の兄・高橋艦種は激怒し謀反を起こした。
鎮圧に3年以上も費やし、好色が大友滅亡を確実に早めた。
0276人間七七四年
2008/09/17(水) 14:46:01ID:o/zm9UmQ0278人間七七四年
2008/09/17(水) 17:07:00ID:2pyaHoAM気になった宗麟が様子を見にきたら、ってパターンもなかったか?
0279人間七七四年
2008/09/17(水) 17:17:14ID:kipS+oBJ0280人間七七四年
2008/09/17(水) 21:58:46ID:zxi2v44V0282人間七七四年
2008/09/18(木) 14:22:27ID:ZPWiWsvR口うるさい頑固者の道雪を宗麟が嫌って近づけさせなかったというのは本当で、
なんとか直接会って諫言するために〜云々で、そのパターンもあるだろうな。
0286人間七七四年
2008/09/18(木) 22:38:32ID:Fn4jLxyZ0287人間七七四年
2008/09/18(木) 22:47:30ID:/JVVI1ji0288人間七七四年
2008/09/18(木) 22:51:59ID:c1LMZO2f実はその医療行為の内容のほとんどは、聖水をのませたり祈祷をしたり、といったもの。
「西洋医学で患者を治し信頼を得た」というのは、嘘。
0289人間七七四年
2008/09/18(木) 22:53:06ID:bRT7rzBCちょっと絵に癖があるけど。
0291人間七七四年
2008/09/19(金) 04:39:43ID:QaaE9yjLで、あの宗麟の家臣のカニ怪人はだれなんだ?w
0294人間七七四年
2008/09/19(金) 12:36:49ID:0bCN2BLk金儲けのためにキリスト教信者になった有馬晴信の非道。
有馬晴信は布教よりも、イエズス会を通して得られる海外交易の利益のほうが重要であった。
交易を維持するためイエズス会の申し出により、少年少女を進物として提供し、
家臣もこれに従い、家来のみならず、庶民の子供をさらい売ったり贈与したりしていた。
人々はこの難から逃れるため、子供を隠したり、他の家に預けたりした。
宣教師の書簡に書かれた「有馬の全土が苦悩に覆われた」というのはこのこと。
0295人間七七四年
2008/09/19(金) 12:47:12ID:wWPP4gHi0296人間七七四年
2008/09/19(金) 13:02:11ID:0bCN2BLk布教第一の真面目な人もいた、ということか。
0297人間七七四年
2008/09/19(金) 13:33:26ID:e55tlg1l0298人間七七四年
2008/09/19(金) 14:36:33ID:WaljNpTb0299人間七七四年
2008/09/19(金) 14:51:51ID:tknkDcpp0300人間七七四年
2008/09/19(金) 18:45:04ID:swyDt6+r純粋に信仰第一にしてたのって高山と大友ぐらいか?
0301人間七七四年
2008/09/19(金) 23:55:38ID:Vc9StHnT何だかんだで追放後に日本人街とか作ったりしながら
マニラで12年生活した後に天寿を全うして逝った。
0302人間七七四年
2008/09/20(土) 00:19:51ID:xYIlr4zw摂津の国の鳴尾村と河原林村との間で、用水をめぐる争いが起きた。
当初この争いは、双方の村の年寄の介入で、決着がつくかに思われたが、豊臣政権の奉行が介入、
なんと、この争いに加わった双方の村の人間八十三人を、磔にするとした。
理由は「天下ことごとく喧嘩御停止となったのに、違反してけしからぬ」という事だった。
見せしめである。
この処刑者の中には、13歳の子供まで含まれていた。親の身代わりであった。
親が磔になっては一家の暮らしが成り立たないため、子がその代わりに殺されたのである。
この事を記録した興福寺多門院の僧侶は、今の世を「末世」だと書いている。
豊臣政権の時代の「平和」は、後世の煌びやかなイメージと異なり、酷く陰惨で、暗い。
0303人間七七四年
2008/09/20(土) 04:32:36ID:7uEm1lemこれって本当なの?
0304人間七七四年
2008/09/20(土) 07:20:49ID:K2kwEGX80305人間七七四年
2008/09/21(日) 02:52:52ID:95UWwbUg0306人間七七四年
2008/09/21(日) 03:32:41ID:2Dz0LmCP0307人間七七四年
2008/09/21(日) 12:12:55ID:CXzo8T0d0308人間七七四年
2008/09/21(日) 12:24:35ID:jThRUH7a0309人間七七四年
2008/09/21(日) 16:15:37ID:xsIwxr7V0310人間七七四年
2008/09/21(日) 16:20:00ID:5Mvd8BIJ逆に秀頼を旗頭にして秀次滅ぼすかして、史実より楽に政権取れそう。
0311人間七七四年
2008/09/21(日) 18:15:25ID:eb7KwB0m山内一豊、田中吉政、中村一氏など秀次に付けられた大名が多かった。
秀次が処分されずに後継者のままだったら、この人たちは重臣として政権の中枢にあったわけで、
家康も動きづらかったのではないだろうか。
また主である秀次が死んで秀吉に不信感を抱いたことがこの人らが揃って東軍についてしまった遠因かもしれません。
0312人間七七四年
2008/09/21(日) 18:38:23ID:OuT+z27S0313人間七七四年
2008/09/21(日) 19:22:46ID:VRta5Bqj0314人間七七四年
2008/09/21(日) 19:33:14ID:Q7M/1+iD0316人間七七四年
2008/09/21(日) 20:17:40ID:5Mvd8BIJ人間性は良かったと思う。頭も良かったように思う。ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。
仮に秀吉死後まで生きていても、家康に対抗できたとは思えない。
0317人間七七四年
2008/09/21(日) 20:22:12ID:jThRUH7aしかも最上や伊達など諸大名との仲も良いし、大名に金を貸しまくってたのを、秀吉は人気取りだと怒ってた。
秀吉は秀頼かわいさの余り、有能な秀次を殺したと言える。
実際、秀次生存なら徳川の出る幕はなかったろう。
0318人間七七四年
2008/09/21(日) 20:25:53ID:krRvTifZ> ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。
具体的にはどんな点があげられる?
秀次が無事に後継となって政権の中枢にいれば、家康でもそれを覆すのは結構難しいと思うよ。
0319人間七七四年
2008/09/21(日) 20:53:31ID:5Mvd8BIJまあ結局は、秀頼が生まれた後の政治状況を上手く遊泳できなかった事だと言うしかないわな。
前後の状況から、秀吉が秀頼のために、秀次を危険視し始めている事はみんなわかっていたんだから。
秀次は秀吉の真意を測りかねて、結局自分に係わる全てを滅ぼしてしまった。
そう言う部分でやはり、政治性に難があったと言っていいと思うのだけど、どうだろう?
0320人間七七四年
2008/09/21(日) 20:59:38ID:FXaHrT1Y我が子かわいさに冤罪着せて妻子皆殺しなんて、そんな狂人の
意図なんかはかれないって
0321人間七七四年
2008/09/21(日) 21:09:35ID:VRta5Bqj0322人間七七四年
2008/09/21(日) 22:30:03ID:a45kbDX8まあ「一粒種をやれるかバーロー」で一蹴されるのがオチかもしれんけど
0323人間七七四年
2008/09/21(日) 22:32:02ID:2Dz0LmCPそんで秀頼の後見人にでもなって実権を握れば良いだけ、生まれてすぐに言ってれば天寿をまっとうしてたんじゃね?
我が子可愛さなんて親ならわかるだろうに・・・・ましてや老いてできた子
政治性に難があったというよりは人感情の機微に疎かっただけだろ・・・・秀吉は特に感情の起伏が激しいようだからなw
気の利かない秀次に対して可愛さ余って憎さ百倍になったんだろ
0324人間七七四年
2008/09/21(日) 22:37:44ID:5Mvd8BIJ話があったな。
秀次はインテリだったから、学のない秀吉の事を、内心馬鹿にしていた部分もあったんだろうな。
0325人間七七四年
2008/09/21(日) 22:39:04ID:fFwA+KJk秀次の家族に対する秀吉の処置は残酷極まりないもので
こんな事をする何て秀吉は気が狂ったんじゃないかと当時から噂になったらしいね
普通はほとんど見逃される女子供、側室までほとんど殺してしまったから
0326人間七七四年
2008/09/21(日) 22:42:46ID:5Mvd8BIJ秀吉は女を良く殺すね。
信孝切腹させた時も、本人と重臣だけでなく、信孝の母親と嫁、さらに重臣たちの女房まで殺させてる。
これは異常だと思うよ。
0327人間七七四年
2008/09/21(日) 22:46:15ID:IX6mj0EG0328人間七七四年
2008/09/21(日) 22:49:01ID:2Dz0LmCP人感情ってなんだw訂正
人の感情の機微な
秀次がうまいこと立ち回って生きてたら豊臣政権続いてたんじゃないかな
最上、細川、伊達らは家康の取り成しで事なきをえた、みたいだし家康が諸大名に恩を売るきっかけにもなったしな
>>325
そこだよなw
秀次に対する憎悪がよっぽどだったんだろうな〜庇った前野長康、木村重茲、渡瀬繁詮、等自分の譜代の家臣まで殺してるしなw
感情の起伏が激しすぎるんだと思うw母ちゃん死んだら泣いて失神するような男だからな、その逆は・・・・
0329人間七七四年
2008/09/21(日) 23:04:07ID:5Mvd8BIJttp://2ch.xn--o9j0bk.gaasuu.com/entry/14719
0330人間七七四年
2008/09/21(日) 23:04:55ID:rLgdYtFk0331人間七七四年
2008/09/21(日) 23:42:48ID:ooc2SvKP敢てなお秀吉に再び反旗を翻した信孝の感覚に慄然とする
天下を目の前にすると肉親の情とか倫理観が消し飛ぶんだろうな
って信孝は本能寺の変でも憶測で津田信澄を攻め殺したり、
清洲会議で勝家を味方に付けるために叔母のお市の方と婚約させたりしてるから
元からこんな奴なのかもしれないけどね
0332人間七七四年
2008/09/21(日) 23:46:31ID:5Mvd8BIJ伊予曾根歯長城は長宗我部元親の攻撃を受けていたが、堅固に守られた城は
攻めるに難く、長宗我部勢は結局撤退した。
さて、それから間もなくの夜、城の近郊にある曾根天満宮が騒がしく、何事かと調べた所、
町人たちが戦勝の祝いに、盆踊りに興じているという。
お祭りごとが好きだったこの城主は、早速踊りを見物しに向かった。
無論、罠である
踊っていたのは町人に扮した長宗我部の兵たちであった。見物に現れた城主に
たちまち切りかかり、彼は鼻を削がれて討ち取られた。
これ以降、この地方では盆踊りの事を「鼻取り踊り」、転じて「花取り踊り」と
呼ぶようになったという。
元親はこの謀略がよほどお気に入りだったらしく、野根城主惟宗国長にも、天正三年七月、
手の者に派手に盆踊りをさせ、その見物に国長出た隙に、長宗我部勢が城を攻め立て、落城させている。
0333人間七七四年
2008/09/22(月) 10:50:05ID:LGwzFcum0334人間七七四年
2008/09/22(月) 15:44:16ID:jQkYfhLy0335人間七七四年
2008/09/22(月) 16:29:27ID:VfBQu8Pe0337人間七七四年
2008/09/22(月) 22:43:17ID:o2rTTeK00338人間七七四年
2008/09/22(月) 23:28:41ID:SkfRxBfU0339人間七七四年
2008/09/22(月) 23:41:37ID:sX002wdZ0340人間七七四年
2008/09/22(月) 23:44:03ID:AeniqIjh0341人間七七四年
2008/09/23(火) 07:14:24ID:AqCO100h0342人間七七四年
2008/09/23(火) 07:16:57ID:nWXizedx0343人間七七四年
2008/09/23(火) 10:32:00ID:0pQfQ98F0344人間七七四年
2008/09/23(火) 10:32:20ID:7F04IjnH0345人間七七四年
2008/09/23(火) 10:36:59ID:WucQH2XI0346人間七七四年
2008/09/23(火) 11:12:05ID:PVmbkiBX関ヶ原からしばらくたったころ
備後尾道に贋金作りの組織があった。彼らが京都銀座の大黒屋常是のところで贋金を両替した。
3年後また、同じ連中が大黒屋に両替に来た。そしてたちまち捕らえられた。常是は両替の後
それが贋金であることに気がつき、彼らをいつも警戒していたのだ。
これを取り調べたところ、福島正則の領地、尾道の者だと判明した。京都所司代がその旨を福島に
報告したところ、福島は怒った。贋金作りを捕まえた大黒屋常是に対してである。
「常是は町人の分際で我が領民を絡め捕り、板倉殿に届けるとは憎き奴!」
贋金作りの銀貨は、およそ半分ほど、銅を混ぜた物だったと言う。
「ならば常是の吹いた銀の中に少しでも銅が混じっていれば、同じように磔にかけるべし!」
そう強硬に主張した。当時の精錬技術では、銀の生成の過程でどうしても少量の銅が混じる。
福島はこれを知った上で、贋金作りを殺すなら、同じく常是も殺せ!と言っているのだ。
常是は犯罪人を捕らえたことが何故にこれほど反発をされたのか、理解できなかったが、
大大名である福島の機嫌を損ねるのも得策ではなく、所司代との話し合いの上、福島側での処罰を条件に
犯人の身柄を引き渡す事にした。
が、福島は贋金作りの身柄を引き取ると、処罰もせずに放免してしまった。
これには常是のみならず、京都所司代のメンツまで潰してしまった。
正則がやがて改易にいたる理由の一端が、垣間見られるお話。
0347人間七七四年
2008/09/23(火) 22:09:53ID:Pz32OEzM0348人間七七四年
2008/09/24(水) 01:25:16ID:+XfES3VD政宗といえば。
母親の毒殺説は創作だと、いまでは仙台市すら否定することになった。
つまり、政宗は母をだしにして弟を自ら斬殺したということになる。
なのにたとえば伊達政宗歴史館は、
行動力・統率力・智略、時代を見抜く洞察力を持った武将。母に疎んぜられた不幸な幼少期と父の惨死を越えて、遂に奥州を制覇。徳川幕藩体制の確立で天下人になる夢が破れてからは、仙台藩繁栄の基礎を固めました。秀吉もその武勇を恐れ家康も賓客の礼をとった政宗の生涯
こんなこと書いているんだよな。悪いよなあ…
0349人間七七四年
2008/09/24(水) 01:27:56ID:y+XhAe2hしかし、悪いねぇw
0350人間七七四年
2008/09/24(水) 01:28:01ID:LpJ1l2ya0352人間七七四年
2008/09/24(水) 02:49:45ID:PHcWDp0m福島の家来が伊達屋敷?の庭を勝手に通過して、咎めた伊達家来に逆ギレ
伊達家来が福島家来を討つ
これに正則が激怒して、政宗に対して下手人寄越せと迫る
政宗はお前の家来が悪いだろ。ふざけんなと、拒否するが、
豊臣政権下なので子飼いの福島には逆らえず、浅野長政の言に従って泣く泣く首を渡した
って駄文で申し訳ない
ソースも覚えてないし、ところどころ違う部分もあるかもしれんし・・・
しかし福島鬼だな
0353人間七七四年
2008/09/24(水) 03:00:09ID:y+XhAe2h福島ちょっと家臣を溺愛しすぎだろw
0354人間七七四年
2008/09/24(水) 03:01:30ID:CcBXCDU4あまり接点無さそうだったが
0355人間七七四年
2008/09/24(水) 20:34:23ID:Kmy+1lU8晩年の政宗は手記に「母上にはお恨みあり」「弟を殺したことは我ながら情けなく涙が出る」と書いているが
なにかあったんじゃないの?
0357人間七七四年
2008/09/24(水) 20:41:12ID:mFo7btwRほとんどの像や画に両目いれてるぐらいだし
0358人間七七四年
2008/09/24(水) 20:44:47ID:qiVa1huP0361人間七七四年
2008/09/25(木) 00:45:37ID:MEE2xOHi有名な話感じ。
そして思っていたより秀吉話が少ないなw
0362人間七七四年
2008/09/25(木) 00:48:35ID:/T7m59qx0363人間七七四年
2008/09/25(木) 01:42:56ID:MEE2xOHi0365人間七七四年
2008/09/25(木) 02:27:47ID:k3MlTtHo0366人間七七四年
2008/09/25(木) 02:41:17ID:MEE2xOHiならこの手の話で王道すぎて
逆に癒されるヤンデレ忠興の話を…
0367人間七七四年
2008/09/25(木) 05:01:20ID:PbGBrmzq0368人間七七四年
2008/09/25(木) 09:43:44ID:u8xVdDcU0369人間七七四年
2008/09/26(金) 02:27:07ID:VLWPQ6jF0370人間七七四年
2008/09/26(金) 12:27:59ID:tfyYMlnq「四国で、長宗我部と言う大名が暴れているらしい。
変な名字。」
という。現代人と全く同じ感想を書き残しているw
0371人間七七四年
2008/09/26(金) 13:06:59ID:jUo/KixX関が原の時の伊奈今成じゃなかった?
伊奈の部下の不祥事で井伊直政や本多忠勝に相談して
かわりに6人の首を差し出したが
福島が納得しないどころか反旗をちらつかせて、
結局、家康が伊奈を切腹させたって言う。
政宗の似た話はおそらくパクりでしょう。こっちは忠勝や直政まで登場してリアルだから。
政宗に関しては、太田道灌の将軍の猿の話のパクリとかたくさんあるから。
福島は天然痘にかかり死にそうな秀頼に一番最初に安芸から駆けつけて見舞ったんだよな。
二条城の秀頼と家康の会見では、
家康には病気で行けませんって答えて置きながら
安芸から大軍を動員して大坂城で籠城の準備してるし。
大坂冬の陣では、この時の籠城用の食料弾薬を福島が大坂方に渡したから長期籠城可能だった。
秀忠も律儀な福島に同情的だったから川中島4万5000を与えたとか。
古代より欲が元で人々は荒み悪くなったと嘆いている者も多いが
戦国の世でさえ、心清らかな人がけっこういるよね。未来もきっと今と人の心は変わらないよねって福島が言ってるんだよな。
そんで400年後の我々が戦国と比べてどうなのかということなんだが・・・
0372人間七七四年
2008/09/26(金) 13:17:13ID:jUo/KixX屈辱で嘆き、福島に迷惑がかからないように暇乞いして
徳川の陣所へ切り込み死のうとしてた。
福島はそいつが死を決意してたので、止められず
伊奈も討ち取れないだろうから、
まずお前が腹を切れ。そしたらお前の仇の伊奈を必ず地獄へ叩き込む!
なんて言って、腹を切った男の首を徳川の陣へ送って
伊奈の身柄の要求をしていたのであって
福島が理不尽に怒り狂い要求してたわけではない。
0373人間七七四年
2008/09/26(金) 13:45:13ID:TzYJQqku0374人間七七四年
2008/09/26(金) 14:35:38ID:sHaKSLriつまり今風に言えば中堅会社(福島家)の社員(家臣)が酔っ払って管巻いてるのを警備員(伊奈家家臣)に怒られたけど暴れて通報・逮捕されたわけだろ。
それを酔いが醒めて恥ずかしい思いをしたから辞表(切腹)出したら社長(正則)が怒って警備会社に詰め寄った。
で、仕方ないから警備会社は職務を執行した警備員6人を解雇して、しかもその責任者まで辞表を出すしかなかった。と
凄い理不尽だな
時代背景を一緒にするのは違うが善悪がどちらにあるかは明確
つまり正則は脳筋でDQNだと思われても仕方が無い
0375人間七七四年
2008/09/26(金) 15:16:07ID:1kelBgtz0376人間七七四年
2008/09/26(金) 15:35:10ID:jNnYSejy「俺その場にいなかったから知らなかった」って本多や井伊にとぼけただろよ…なぜとぼける必要があったのかね?
勝者家康側が豊臣系家臣団を貶める為に歴史歪曲した典型例だろ。
それに武士の辱めと現代の恥の感覚じゃまったく重さが違うと思うが。
0378人間七七四年
2008/09/26(金) 16:43:20ID:tfyYMlnq「日本を植民地化しカトリックに改宗させてしまえば、我々は大量の、好戦的で怜悧な兵を
得る事ができ、これによって、中国征服も可能になるでしょう。」
スペインの本音。
0379人間七七四年
2008/09/26(金) 17:05:22ID:08y/tq6O0380人間七七四年
2008/09/26(金) 17:23:09ID:tfyYMlnq秀吉のキリスト教禁教政策への転換に、決定的な影響を与えたサン・フェリーペ号事件。
この時秀吉は、サン・フェリーペ号の乗員および宣教師を処刑し、積荷を没収した。
この事件に対しての、スペインのフィリピン総督からの抗議書
「船の乗組員や宣教師は皆処刑されたそうですが、考えてみれば、これで彼らは神のいる天国に
召されたわけだから、まあそれはいい。
そんな事よりも、ともかく積荷を返してください。」
0381人間七七四年
2008/09/26(金) 18:07:46ID:mrnvUjWj0382人間七七四年
2008/09/26(金) 18:22:42ID:XqZmN/D5調べると家臣の方に非があるようで、兼続は慰謝料を領民の家族に送ることにした。
しかしこの領民の家族は「金はいいから死んだ本人を還して欲しい」、と抗議。
兼続の説得にもどうしても応じないばかりか、一層騒ぎ立てる始末。
ムカついた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。
「閻魔大王へ
先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい。
直江兼続」
0383人間七七四年
2008/09/26(金) 23:03:46ID:V0pXhiFm0384人間七七四年
2008/09/26(金) 23:09:15ID:bP1pJXFJ0385人間七七四年
2008/09/26(金) 23:14:30ID:zoc16JUz不思議な種類の話だ
兼続も悪いが、ここまでの処置をされるとは遺族もそうとう食い下がったんだろうなぁ
両者共にもう少しやり方があったろうに
0386人間七七四年
2008/09/26(金) 23:20:49ID:mrnvUjWj0387人間七七四年
2008/09/26(金) 23:21:46ID:tfyYMlnqまあ、学問的に捉えるなら、当時の上杉家中における、裁決に服せずあくまで我を通そうとする国人勢力の強力さと、
それを制御しようとする直江の武断主義を見るべきなのだろうな。
皮肉に考えれば、あえて直江がそこまで騒ぎを拡大させて、家中統御の見せしめとして処分した、とも
見れなくもない。
0389人間七七四年
2008/09/26(金) 23:29:43ID:jUo/KixX史記の西門豹のネタの改良バージョンだろ。
0390人間七七四年
2008/09/26(金) 23:31:35ID:zoc16JUz0391人間七七四年
2008/09/26(金) 23:49:44ID:8SiywpS+0392人間七七四年
2008/09/27(土) 00:03:49ID:uFjkpPlSいやあ、この逸話自体は北越耆談にあるもので、これは米沢藩士の手で1661年に成立した本で、
講談物ではないきちんとした上杉氏の歴史資料だよ。「上杉史料集」にも収録されておる。
0393人間七七四年
2008/09/27(土) 00:17:07ID:8LtcpjaG明治以前の文化人なら史記ぐらい読んでるはずだし
0394人間七七四年
2008/09/27(土) 00:17:35ID:QdCsK1Nx0395人間七七四年
2008/09/27(土) 01:09:54ID:2d68chWV直江兼続所蔵のもので国宝指定されてますよ。
0396人間七七四年
2008/09/27(土) 01:19:33ID:uFjkpPlS直江所蔵と言うか、妙心寺の僧侶、南化から譲られた、いわゆる宋版本だね。
これ、南宋の時代に刷られたものだが、なんと現存するものの中では、日本どころか
世界最古の史記。
0397人間七七四年
2008/09/27(土) 01:37:39ID:2d68chWV上杉が会津に移封された時、越後の年貢を丸一年分持っていってしまった。
そのため上杉のあと越後に入った堀は困り
「移封の際にはあとから来る大名のために年貢を半分残しておく決まりのはず。
持っていった年貢半分返せ!」と抗議したのだが
直江は「蒲生が会津から年貢を一年分持っていったから上杉も持参したまで。
そちらも旧領から年貢を持ってくれば良かっただろう。
これはそちらの落ち度だからうちに文句を言うな」と突っぱねた。
しかも直江は石田三成と謀議し上杉はお咎めなし。
当然ながら堀は移封で大変なときに本来あるはずだった収入を
ごっそり半年分持ち去られてしまってたいそう困った。
仕方なく新潟の代官から借金して当面の費用に充てたのだが。
新潟は元々上杉領であり代官は上杉家家老の直江とは旧知の間柄。
直江はこの代官から堀の借金の証文を手に入れ、
堀は借金させられた元凶の直江からちくちく借金返済の督促をされた。
0398人間七七四年
2008/09/27(土) 02:27:34ID:GgWPMhso直江も嫌なヤツだが、石田も嫌なヤツすぐるw
なんか狡猾さを感じさせる憎らしさ。
どこか愛せる憎らしさじゃないとこが、この石田-直江コンビの逸話のミソだな。
0399人間七七四年
2008/09/27(土) 03:26:05ID:CRYm4P6l狡猾な政治家じゃなくて賢しらな官僚というか。
仕事超できるんだろうがこれだけ読むと
ちょっとこわいよなーw
直江の書いた本とかは何か…ズレてる感じは
したが嫌な奴とは感じないんだがねぇ。
0400人間七七四年
2008/09/27(土) 08:10:42ID:2rV+hiuN有名な逸話からして、スッキリしないものが心に残るようなものが多いし
逸話で本人の性格を語るのは野暮というのも分かるんだけどね
0401人間七七四年
2008/09/27(土) 08:16:02ID:BiX96uP00402人間七七四年
2008/09/27(土) 08:54:04ID:2d68chWV「働かんと井戸端会議ばっかりに精を出す女は
手入れが悪いからあそこも臭いぞ!」
「女房は下着をチラチラさせながら野良仕事しろ。旦那のやる気が出る」
0403人間七七四年
2008/09/27(土) 09:03:47ID:9jXWbxSE教養深くて冗談も飛ばせる政治家が現代にはいないな。
0404人間七七四年
2008/09/27(土) 10:40:28ID:CRYm4P6l吹いた覚えがある。
直接的すぎる表現
0405人間七七四年
2008/09/27(土) 10:49:19ID:s2T5FOMM0407人間七七四年
2008/09/27(土) 13:35:40ID:TSedQrhD0408人間七七四年
2008/09/27(土) 13:36:21ID:gcHbUg5Y0410人間七七四年
2008/09/27(土) 14:46:52ID:CRYm4P6lみたいなことも書いてたか?
結局それか!?と思わず突っ込んだような
0411人間七七四年
2008/09/27(土) 14:56:01ID:uFjkpPlSそれは直江の書いた「秘伝集」にあるやつだね。直江本人が書き写したなんらかの写本だと言う話らしいが。
「小便をしたとき、泡が立っていればその日は心配ない」とか書いてあるw
0412人間七七四年
2008/09/27(土) 16:27:52ID:nBN0oy8I> バカだな。この話は中国古典にそっくりの話がある。
> 史記の西門豹のネタの改良バージョンだろ。
いや、似たような話だからと言って一概にパクリとも言えんのだわ。
たとえば毛利家の三本の矢の話は登場人物の年齢が合わないなど
の点から、元朝秘史からパクってでっち上げたネタだろうってのは
確定的。
逆に鳥居強右衛門の磔は似たような話が史記に載ってるが(宋が
楚に攻められたときの晋への救援要請の使者)こっちは目撃談が
多く実際に鳥居強右衛門の磔はあったものと判断できる。
まぁ、人間たまたま他人と同じような発想に至るときもあるってことで。
0413人間七七四年
2008/09/27(土) 16:28:10ID:ZzkxtGPX0414人間七七四年
2008/09/27(土) 18:03:38ID:bqk9yMTs0415人間七七四年
2008/09/27(土) 18:19:16ID:QdCsK1Nx0416人間七七四年
2008/09/27(土) 19:59:57ID:UHjXd7CY、、,,,,,ィ ァ;;;;/ ,,, ,,、、、 ,,,i| l|l||/ ll|;;;;;;;l;;;l l l;;;;;l|、;;;;;;;;ン | )
三、_,,、-ー'''" ,,、 '´ ..::ゝ;;//ィ};;;;/ ,ff゙''ー-、;;;;ヽ|||/::ノノノ从l/ l|リノノ//;;彡l;;| | )
`''ソ彡 ,,/ イツ l| l(リ;;/ '、ッ彡ミヽ;;;;\}}/////"ノノ//ノノ;;彡.|;;| | 」 出 マ 者
'''''ノ" / レ'/ノ ヾ'|;;/ ゙'ヽ、,(::)`゙、;;;;;;)";;゙-ー彡'';;;;;ヽj;;;;彡l;l'、| |ヽ
フ ノ 「|::|/ ) ゙'''|リ ``゙"",ミミ"ヨ;;;;ィ=;<´゙''/;;;/、|| ';l ヽ之 せ ラ ど
" / X::/( ::イ 三ニ=ー-゙゙'''゙} /}:`''゙='-ー'゙ /イ/ 'l| ',', ヽ )
/ :::リノ:::| 〉 ..::::l ..::ィ' ノ:,'ノ:::'' ::: :: , "/:: ゙、 l;l | ) // を も
l/ .::(/ :::|/ヽ ..:::::l `::( _,ソ:" ゙゙゙ , '-'"',:::: l ゙l| |ヽ, ・・
ノ´ ..:: |〉 〈_||`'、::::::::', ,ィ<'ー 、;ミ::ノ,, , " ゙,:::::. } || | /
/ ..:: |〉 || / \ ::::',. /:ィ-`' - 、ニ7' , "l |::::... } l| | Z
_,∠____ ..::: |〉 ゙'、l Y''l::::::', {、、', `''' "〉/ , 'イノ| l::::::::.. ゙、 || ∠_
―-z \ ..::::::: |ヽ \/`''i:::', 、`'ミ'ー-イ/ /∠Yl| ゙,::::... リ / つ___
// ̄\ \ ..::::.. | ヽ L/ \t `''ー ` ̄ ///イ }::::: ゙}
0417人間七七四年
2008/09/27(土) 20:03:05ID:BiX96uP0l |. .|
. l |. - ‐‐- ,. ‐''´ .| l
━ 〃 .| l
━ ┃ i' .| l
━┛|. .| l
━ 〃 ,. - ‐- ‐- | l
━ ┃|. /´フ`:, | l
━┛ |. し'、,.、j | l
`ー-、_ ', |. |!': .;;| .| l
┃ヽ、l.| : ;;| | l ,,
┃、 ヽ! ;!l l
┃ ヽ ゙、 .| l/ /
・ \ i;;;.| / /
ヽ 、 \ ヾi/ / /
`ー-、\ ,ゝ-'! //´
`´`′ } ,.. j
ヾ、 ! .:.:ノ
,.ゝ.:i:.:.:'.:.
,. ' ,. ':,.;;;i;;;;;_:.:..、ヽ
/ ̄  ̄\
/ \
0418人間七七四年
2008/09/27(土) 22:11:57ID:gdAI9FTj前もったけどやっても何とかならない人のほうが多いよね
何とかならに人は首実験で首になっちゃってるから
結果なんとかなった生き残りたちが
「なんとかなる。証拠は俺様」って書き遺し
何とかならなかった人は無言で死ぬから
(元来は稀なれいな)「なんとかなる」という意見と証拠だけが残り
後世の人の誤った感情論や根性論になる
負け組といわれてるひとにはよくわかるんじゃねーのw
勝ち組から上目線で「お前らは努力不足。やる気があればいくらでもスキルアップ可能だ
日本は誰にも公平なチャンスを与える平等社会。やる気不足のむくい。因果応報」と
御高説を聞かされる気分。99%は努力といわれる気分。
その通りなんだが負け組がいくら自己弁護して反論しても鼻で笑われて唾をかけられる
受験対策ですら講演は合格した人しか来ないしなw
0419人間七七四年
2008/09/27(土) 22:22:15ID:92S4iahK逃げといてそういうこと言って自己弁護してる奴結構居るからな。
418がそうだって言ってるわけじゃないぞ、念のため。
結局程度問題で何でも根性!何でも環境のせい!はどっちも行きすぎだってだけだが
0420人間七七四年
2008/09/27(土) 22:37:56ID:L2NLoyIw天才や金持ちに勝とうと思ったら倍以上時間割いて努力しなきゃ。
努力しない奴ほど才能や環境のせいにして言い訳してる気がする。
まあ死ぬ気でやって(たのかわからんが)最上すら落とせず領地減らした直江が言っても説得力無いな。
0421人間七七四年
2008/09/27(土) 22:52:52ID:gdAI9FTj勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなしですかね・・・
0422人間七七四年
2008/09/27(土) 23:40:14ID:2d68chWV0423人間七七四年
2008/09/27(土) 23:53:10ID:Apy+x3wa景勝&直江は助命、所領減の沙汰で済んだんだよな
最上義光殺しちゃってたらさすがに上杉征伐を再度やることになっただろうし
0424人間七七四年
2008/09/28(日) 00:27:52ID:Ara5GLeM変だけどな
本人たちは勝とうと戦やってたんだから。
0425人間七七四年
2008/09/28(日) 00:28:10ID:2PCb0JDX慶長十年(1606)、佐賀城三の丸において、次女、侍、僧など14人に密通の容疑がかけられ、
城主鍋島直茂は彼ら全員斬首となった。
ところがその夜から、彼らがいた三の丸に幽霊が現れ始めた。その恐ろしさに、夜番の次女や、
侍たちまで夜の移動を怖がる始末。これを聞いた直茂、大喜びし三の丸に行き、こう言い放った
「さてさて嬉しき事かな。お前達は首を切ってもまだ憎み足りないものたちだったが、
それが死んでも成仏できず、迷いめぐって幽霊となり、苦しんで浮かばれないとは、これは実に良い事だ。
このまま長く幽霊のままでおるがよいぞ!」
その夜から、幽霊はぱったりと出なくなったとか。
0426人間七七四年
2008/09/28(日) 00:36:55ID:FRuutV5Pもうひとつ直江絡みのちょっと悪い、というか微妙な逸話でも。
大坂冬の陣の時のこと。
上杉家は鴫野を割り当てられ、いつものように直江は安田を先陣に、
須田を第二陣にして着陣した。
ところが景勝が「今日の先陣は誰だ」と聞くので直江が「安田です」と答えると
景勝は「それは良くない、須田を先陣に、安田を第二陣にせよ」と言った。
直江は納得できなかったのだが、とにかく当主景勝の命令である。
安田と須田に陣を代えるよう伝えた。
すると、いつも安田に先陣を取られていた須田隊は
先陣の名誉を賜った、これは期待に応えねばとはりきり奮闘。
先陣を下げられた安田隊は、名誉挽回せねばと奮起し、
両者は競い合って働き上杉家は鴫野の戦いで活躍。
それを聞いて皆景勝の采配を誉め讃えた。
ところで先陣を下げられた安田は「直江の讒言のせいか!」と思って激怒し、
直江との仲が以降悪くなったという事である。
無口キャラもいいがフォローしてやれよ景勝。
0427人間七七四年
2008/09/28(日) 00:37:54ID:FRuutV5P別の話が来てたなスマン。
0428人間七七四年
2008/09/29(月) 01:25:03ID:jmoI4CwT江戸時代だけど。
0429人間七七四年
2008/09/29(月) 04:28:56ID:g7rWgcjc大国主に手料理御馳走したけど(まずかったのか)以後音信不通になり
ショックで死亡した女の子だからある意味幽霊だけど
そこには年月がったって城が立っていたのだが
秀吉がくるまでは社も祠も城内につくってくれていたので姫さまは黙っていた
秀吉は「このほこら邪魔」と外に移築したので
怒った姫さまは天守に移住しいろいろ祟ってみたのだが秀吉ガン無視
そのうち城主が木下家定に変更。秀吉ほど度胸がなかった家定は不気味がり
当時家来だった宮本武蔵に退治を命じる
天守に向かった若い武蔵を「この子(大国主の時代の人なので
武蔵といえど彼女から見たら超年下の坊やに過ぎない)結構可愛いかも」と気に入り
刀をあげて「これあげるから退治したことにしておきなさいね?」と言って帰した
どうもこの姫さまはこういう度胸がある若者が好みのようで
後年肝試しに来た小姓にも似たようなやり取りののちしころをあげて無事に送り帰したりしている
その後城主が天下のイチモツ大名池田輝政になる
輝政は姫路城を改築(とうかもう新築)住居だった天守を壊されたものの
姫さまは家が大きくなったとそのまま天守に住む
それでも一応の嫌がらせとして
「輝政に呪いかけたので死にたくなかったら城内に八天塔つくれ」などと書いた怪文書を回したり
夜中にだれもいないのを見計らって笑い声をあげたり
3mほどに巨大化して驚かせたりするなど結構いろいろやる
そのうち(偶然?)輝政も病に倒れ「ためしにやってみようか?」と城内に八天塔と刑部明神の祠を建てる
すると不思議と病気はけろっと治ってしまった
その後輝政は刑部姫と直接会談
「ちゃんと祀らないとまた暴れちゃうわよ?」というので
「なら年に一回天守にくるからその時にいいいたことはまとめていってくれんか?普段から出られるとみんな怖がるし」
「うん、それでいいよ。その時は一人で来てね?ついでに広い大天守のほうに移っていいかな?」
「よしそれではそうと決めたぞ」
と、契約成立
以後輝政の死んだあとも城主が池田から変わっても年に一回姫路城主は刑部姫と会談することになったそうだ
ちなみにこの多少は可愛げのある姉より性格が
ちょっと悪い妹が猪苗代城にいるそうだ
2人とも十二単の美女なんだってさ
たぶん>>428が指してるのとは違う話だろうなぁ
0431人間七七四年
2008/09/29(月) 05:23:12ID:ITzYFP7i夜叉が池の雪姫さまともお友達なんだよね刑部ちゃん
0432人間七七四年
2008/09/29(月) 09:39:39ID:57zc8377面白い伝説だね
0435人間七七四年
2008/09/29(月) 10:17:24ID:1DOw8rOt一応姫路市が公式に(っていうとなんか変だけど
とりあえず紹介文に載る程度には)纏めた
刑部姫伝説には確かにVS武蔵戦の話があるよ
当時まだ武者修行とかの前で無名な足軽奉公していたとかなんとか
ただし「刑部姫と戦った(勝って本当に追っ払った場合と>>429みたいな
結末の2種類)」という話と
「そこにいた別の怪異を払ったので守護神の
刑部姫が終了後出てきてご褒美として刀をくれた」と
2パターンがある
どちらかというと後者のパターンが有名というかほとんどそう
(姫路城のパンフからwikiまで)なので
公式設定的にはたぶんこっちということになるんだろう(倒したのは妖狐とされる場合が多い)
もっとも>>429みるかぎりやってきた武蔵と嫌がらせするのに飽きてきていた刑部姫が
話合わせて他の妖怪でっち上げ周囲への報告はそういうことにしたんだよ、と
みえなくもないかw
ちなみに姫がくれた刀の銘は郷義弘だそうです
0436人間七七四年
2008/09/29(月) 15:35:27ID:mIYlxK+f普通にお菊井戸の話だろう。皿屋敷の元ネタ。
刑部姫は大国主を家に招いたほどの神様だったり、有名な刑部狐だったりするね。
>>418
直江って、なんとかなったのかなぁwと時々思う事はあるがw
0437人間七七四年
2008/09/29(月) 16:52:57ID:B3zAxGNZ0438人間七七四年
2008/09/29(月) 18:09:47ID:R3en1qpU神代の人間(?)が十二単とは、ずいぶん後世の流行り物着てるんだな。
まあ、貫頭衣で出て来られても威厳なくて困るがw
0439人間七七四年
2008/09/29(月) 19:31:47ID:mKSt+y6i直江というより景勝が、驚異的に何とかなってる。
普通なら3回くらい(御館、本能寺、関ヶ原)死んでるし、家も断絶ぎりぎりだし。
0441人間七七四年
2008/09/29(月) 20:47:51ID:FB5ux2Ftその子が生まれてすぐ正室・側室が立て続けに死んでるのも
ギリギリでなんとかなった範疇かな。<景勝
0442人間七七四年
2008/09/29(月) 20:57:15ID:ROD9uQdF0444人間七七四年
2008/09/30(火) 00:17:36ID:/h1wZMF+謙信・三郎景虎・景勝の義親子三人は全員4月19日に死んでいる(新暦で)
0445人間七七四年
2008/09/30(火) 11:37:17ID:Qo3UCeAn0446人間七七四年
2008/09/30(火) 18:33:54ID:CxKzuogR0447人間七七四年
2008/09/30(火) 22:12:40ID:qvRBGt3S義光は寒河江攻めで敵の勇士・寒河江勘十郎を伏兵狙撃で倒した。
その直後の城攻めで、調子がよかったのに浮かれた義光は、
家臣をふりきって単身突撃、鉄棒で敵を殴り倒し、首をとって悠々と
帰陣した。
しかしそれを見た重臣の氏家守棟が血相を変えて叱りとばした。
「殿はバカなの? この間狙撃で敵を倒したくせに、自分も突撃って
バカなの? なんかたのしいわけ? もうみてらんない」
こう言われて義光は恥ずかしそうに(´・ω・`)ショボーンとして、
とった首をそこらにいた人にあげてしまったという。
鮭様は後年長谷堂合戦でも、家臣が止めるのを聞かず上杉勢を
真っ先に追いかけて、兜に被弾している。
彼は謀略家のイメージがあるけど、合戦では力自慢の脳筋だった。
0448人間七七四年
2008/09/30(火) 22:51:07ID:H4xcBuTk以前仙台市博物館でその生々しい被弾兜見ました。
ベコッて凹んで前立が吹き飛んでて、兜の中の頭は流血を伴う大きな傷になったはず。
兜がなかったら即死でしょうね。
0449人間七七四年
2008/09/30(火) 23:12:36ID:/h1wZMF+興奮すると見境無くなるタイプかな、鮭様。
0450人間七七四年
2008/09/30(火) 23:17:22ID:xrZtu/jZいい話スレで名君の誉れ高い鮭様だけど勇猛だったんだね。
0451人間七七四年
2008/10/01(水) 00:02:27ID:8UOM66QH0452人間七七四年
2008/10/01(水) 00:05:05ID:Wi1C95l20453人間七七四年
2008/10/01(水) 00:09:02ID:XBCzJ97d0454人間七七四年
2008/10/01(水) 00:17:03ID:LtW/xOLN0455人間七七四年
2008/10/01(水) 01:34:50ID:v1ZyT71R0456人間七七四年
2008/10/01(水) 12:46:27ID:3Kqw5GDY尼子氏による毛利吉田城攻め
尼子の大軍が毛利のゲリラ戦に悩まさせる中城下へと迫り、
一方陶隆房率いる大内の援軍が岩国に集結、この緊迫した状況の中
彼らによるもう一つの戦いが、同じ安芸の国で進行していた。
安芸の国一の宮、厳島神宮外宮宝殿の、遷宮式が迫っていたのだ。
大内義隆、陶隆房はいち早くこれに資金を奉幣。負けじと尼子晴久も多胡辰敬を派遣し神楽銭を持参、
毛利元就は吉田城にやってきた厳島の神官に、討ち取った尼子方の首数十をずらりと並べて見せて
「これこそ厳島大明神のご加護でござる」と、遷宮への協力を表明、
戦乱の真っ最中の遷宮式は、大内、尼子、毛利が、お互いの影響力を見せ付けあう奉幣合戦となった。
戦国の世は、神様の領域でも戦っていた、と言うお話
0457人間七七四年
2008/10/01(水) 22:39:50ID:5T5mXeOw寺は僧兵だけど神社はなんていうんだろう
0459人間七七四年
2008/10/02(木) 09:49:30ID:poFKyEd/0460人間七七四年
2008/10/02(木) 10:18:25ID:5phBNVhW0461人間七七四年
2008/10/02(木) 13:42:41ID:cF3xEyUH0462人間七七四年
2008/10/02(木) 17:16:12ID:EzLelDAc0463人間七七四年
2008/10/02(木) 19:23:21ID:nl2yFVyt0464人間七七四年
2008/10/02(木) 21:56:19ID:YpnXApUI0465人間七七四年
2008/10/02(木) 22:37:36ID:GdWgbOG70466人間七七四年
2008/10/04(土) 08:14:04ID:Ma7kKQZI日本に漂着した。家康に気に入られたアダムスがその側近となると、それを聞いた
ポルトガル人やスペイン人の宣教師たちは危機感をつのらせた。プロテスタントの
オランダ人が優遇されると、近い将来、カトリック教徒は日本から追い出されるのでは
ないかと不安になったからだ。
宣教師たちはアダムスを解雇するよう家康にお願いしたが、家康は聞き入れない。
そこで宣教師たちはアダムスをカトリックに改宗させれば何とかなると思って
アダムス本人の説得に取り掛かったが、これも効果が無かった。
あせった宣教師の一人がアダムスを呼び出して水の上を歩く奇跡を見せて改宗させようと
こころみた。ところがその宣教師は無様に失敗し、あやうく溺れ死にそうになった。
それを見ていたアダムスが「だから、やめろと忠告したのに」と言うと、その溺れた宣教師は
「お前が改宗しないからこんなひどい目にあったのだ」と、答えた。
0468人間七七四年
2008/10/04(土) 08:57:33ID:McLNQjX/0470人間七七四年
2008/10/04(土) 09:22:54ID:Ma7kKQZI京にある宿屋の主人は近いうちに徳政令が出るらしいとの噂を聞きつけると、自分の宿に泊まっている
旅人たちをうまいことを言ってだまし、彼らの荷物を借り受けることに成功した。ほどなくして徳政令が出ると
宿屋の主人は旅人たちに「残念ながら徳政令が出たため、あなたがたから借りていた荷物は私のものになった」
と言った。当然、旅人たちは怒ったが、そのうちの一人がこう言い返した。「そうなると、我々が泊まっているこの宿も
主人であるあなたから一時的に借りているものですから、徳政令が出た以上、この宿も我々のものになりますな」
主人はこの返答におどろいて口論となり、結局は都の役人が調停することなったが、宿屋の主人のせこいやり方を
憎らしく思った役人は宿は旅人たちのものだと判断を下し、宿屋の主人の一家は追い出される羽目になった。
0472人間七七四年
2008/10/04(土) 09:34:32ID:uCx/U3Ly0473人間七七四年
2008/10/04(土) 10:33:23ID:uR13tOTO0475人間七七四年
2008/10/04(土) 11:30:15ID:ZZd0ko/A0478人間七七四年
2008/10/04(土) 18:09:51ID:KMMByJPCある寺で、小僧が夜更けに長い竿を持ち、庭の中をあちこちと振り回してまわっている。
それを見た坊主が、「何をやっているのだ?」と聞くと
「空の星が欲しくて、打ち落とそうとしているんだけれど、落ちない。」
坊主は呆れて
「おまえはどん臭いやつだなあ。そんな物が届くものか。
屋根に上がれ。」
0479人間七七四年
2008/10/04(土) 18:12:53ID:8OPezDZG坊主
竿
であらぬ想像をしてしまった件
0480人間七七四年
2008/10/04(土) 18:20:05ID:BoRD5/UV惜しいけど全然違うぞww
0481人間七七四年
2008/10/04(土) 19:08:18ID:Nt9ICge+政宗が生まれたばかりの10男・千勝丸を「この子愛すべし」とか言って抱いてた時のこと。
赤ん坊とて漏らしてしまった千勝を政宗さん、
「親にションベンたれたりウンコちびったりする様なヤツはロクなもんにならねー!捨てて来い!」
と投げ捨てた。
戦国武将で、親が子を嫌った話は時々あるが、直接に劉備並のネグレクトをかました記録が
残っているのはそうそういない。
(もっとも何日かしたら、また抱いてベロベロバーとかしてたらしいが)
さて、この千勝丸、元服後は宗勝と名乗り従五位下・兵部大輔を授かった。
伊達兵部。「伊達騒動」の立役者・原田甲斐宗輔の黒幕と言われる男である。
将来の獅子身中の虫を、独眼竜は見抜いていた・・・
訳ねーな。
0482人間七七四年
2008/10/04(土) 21:27:47ID:DG8BgajL0483人間七七四年
2008/10/04(土) 21:31:25ID:9vPxxqZY0484人間七七四年
2008/10/04(土) 21:46:35ID:SolQnSGV0485人間七七四年
2008/10/05(日) 00:57:19ID:EBq6e231最上義光の(かっこ)悪い話その二。
大崎合戦で敗北した政宗。義光はこの機を逃さず、伊達包囲網を強化。
容赦ない攻撃でついに政宗を追い詰める。最上伊達は対陣、緊迫していた。
しかしその時…最上最大の弱点が戦場におりたつ。
「げえっ、お義!」
義姫=義光の妹、政宗の母、それはシスコン義光にとって致命的だった。
「お兄ちゃん、もういい加減にして! 伊達とは戦わないで!」
連日の妹の懇願に困る義光。交渉が続く中、義光は妹を気遣ってか、
はたまた攻撃意志のないことを示したのか、我が子を義姫の遊び相手に
連れて行っていた。子は何もわからず「おばうえー」と無邪気になついている。
それを見た義光は…
ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!
子供はイイナーと人目もはばからず号泣してしまった。
戦場の中心で号泣した大将、しかも妹のせいで、こんなみっともない
男はかつていただろうか…。
結局鮭様は妹に負けて和睦したが、そのあと妹に出した手紙には
「こんな恥ずかしいことはないよ! でもおまえのために仕方なく和睦したからね」
と書いてあったという。
シスコンは時に平和をもたらす。ただし恥とひきかえに。
0486人間七七四年
2008/10/05(日) 00:59:43ID:NmBvPDuB0487人間七七四年
2008/10/05(日) 01:32:22ID:o9310wOC大河ドラマ並みに冷徹な人柄だったら政宗が奥州の覇者じゃなかったかもしれない・・・
0488人間七七四年
2008/10/05(日) 01:36:02ID:sQu5gLpzしかし実際は鮭大好きなシスコンw
0489人間七七四年
2008/10/05(日) 01:45:21ID:y3zrgWsYダメじゃねぇかシスコン鮭様ww
0490人間七七四年
2008/10/05(日) 01:48:18ID:gWDG7OVL0491人間七七四年
2008/10/05(日) 01:58:38ID:ywNh9wlV0492人間七七四年
2008/10/05(日) 02:05:21ID:z+HkIDVIDQN政宗と鮭義光スレになってるなww
0493人間七七四年
2008/10/05(日) 02:05:47ID:TMcaadFL鮭様は何がしたかったのかな。
もし鮭様が現代に生きていたら、三の丸あたりを全部
養殖場にするのは間違いないと思うけど。
0494人間七七四年
2008/10/05(日) 02:09:34ID:gWDG7OVLそういえば山形城本丸復元は史料無いからできないんだっけ…?
史料でてこないかなぁ…。
0495人間七七四年
2008/10/05(日) 07:51:41ID:uF10+Bx4ノブヤボで最上幕府開いてみるかな
0496人間七七四年
2008/10/05(日) 09:51:56ID:EdCOSCkU0498人間七七四年
2008/10/05(日) 11:26:55ID:nW5B3IGB鮭様が増築されたときには関ヶ原の合戦の功績で加増されて60万石程度になっていたと思う。
んで、それにふさわしい立派な城を!・・・ということで山形城を造ったのだ
が、結果は・・・。・゚・(つд∩) ・゚・ 。
最上家無き後、山形城に封じられた大名もこの城の維持には苦労させられたようで
それだけでこのスレのネタが多数出来るが・・・いかんせん板違いだ罠w
0499人間七七四年
2008/10/05(日) 11:31:56ID:FudHZj4k0500人間七七四年
2008/10/05(日) 11:32:11ID:ycak+DLu0501人間七七四年
2008/10/05(日) 12:00:56ID:xyrTAwhoだったらてめえがネタ投下して流れ変えろ!
〈〈〈〈 ヽ ,,----、,,,,,,,,,、、
〈⊃ } / ,,-‐―、ヽヽヽヽ >>500
∩___∩ | | / // ヽ))))ヾ
| ノ 義光 ヽ ! ! i!Ξ/' .,,,,、、,,,,,ヽξ
/ ● ● | / , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ ,-、
0502人間七七四年
2008/10/05(日) 12:02:52ID:zG9oqrO20503人間七七四年
2008/10/05(日) 18:27:58ID:gWDG7OVL建物自体は復元できないって書いてあるぞ。
城壁はともかく。
間取りはわかるが、建物全体を描いた史料がないから、
立体的な復元はできない。
ただし当時の間取りがわかるようにして、広場にして催し物するって読んだけど…。
個人的に、史料が見つかって完全復元してほしいんだけどさ。
広いし、完成したら立派なもんだとかなり勝手に思ってる。
0504人間七七四年
2008/10/05(日) 19:49:47ID:pEnSDV1u長尾為景が、かねてより友好関係にあった北条氏綱に二羽の鷹を送った。
そのうちの一羽は、氏綱がかねてより望んでいた若鷹であった。
越後から信州、甲斐を通り、北条の根拠地相模に向かう途中、それは起こった。
甲斐の武田信虎が、その鷹を抑留したのだ。
「為景が北条に二羽の鷹を送るということは、そのうち一羽は武田に届けて欲しい。これはそう言う意味だ!」
鷹を輸送していた鷹匠達に、信虎はそう言い放った。無茶苦茶な言い分だが、ここは彼の領地。
言う事を聞かなければどうなるか。
困った彼らは、『このままでは二羽とも信虎に取られてしまうより、せめて主人の望んだ若鷹だけでも』と、
一羽だけ、成長した鷹のほうを置いてきた。
こうして帰ってきた鷹匠たちを、氏綱は「信虎は無法だが、これは仕方が無い。お前達はわが意を汲んで
よくやってくれた」とねぎらった。
ところが
ある日、信虎から突然、先に甲斐においてきた越後の鷹が、相模の北条の元に送りつけられてきた。
使者が言うには「先に頂いた鷹だが、よくよく考えると若鷹のほうが良いと思い直しました。
そう言うわけで、こちらと若い鷹を取り替えていただきたい。」
信虎は、氏綱が若い鷹のほうを望んでいた、と言う話を聞き、「ならば若い鷹のほうが良い物だったに違いない」と、
鷹の交換を望んできたのだ。
当時、関東管領家との抗争の真っ只中であった氏綱は、武田家との関係を悪化させる事はできず、断腸の思いで
鷹の交換に応じた、と言う。
氏綱は後の書状に、このように書いている。「武田は信用できない」
0505人間七七四年
2008/10/05(日) 20:45:29ID:o9310wOC信虎って理不尽だな。
こんなんだから自分の子供に国外追放されるんだよな。
0506人間七七四年
2008/10/06(月) 00:00:45ID:xyrTAwho甲斐は内ゲバの最悪状態だったんだからこれ位でなきゃ乗り切れんw
信玄より遥かに戦上手だろマジで
0507人間七七四年
2008/10/06(月) 00:36:21ID:+QYh8USz兵部一派は実は藩の近代化を促進させようとした側で、古い体質の守旧派に恨まれて悪人にされたという説もあるんだよね。
0509人間七七四年
2008/10/06(月) 08:38:35ID:OubulpD8「いざというときには味方として駆けつけます」と、言っていたので、前田利家は
「こいつは頼りになる奴だ」と、ひそかに期待していた。
しばらくして、利家と家康の仲が険悪になり、戦争が起きそうなほど緊張が高まると
利家の屋敷には利家と共に戦おうと意気込んだ大名が何人も集まってきたが、なぜか期待を
寄せていた伊達政宗だけは利家のところへは来なかった。後で調べてみたところ、政宗の
屋敷にあった鉄砲はすべて利家の屋敷の方角へ向けられていたことが判明したので、利家は
「政宗という奴はとんでもない二股膏薬である」と、激怒した。
0510人間七七四年
2008/10/06(月) 09:36:07ID:uKBhvrK70511人間七七四年
2008/10/06(月) 09:41:36ID:Xz6OuDbh駄目だ、コイツ。
家康に付くお!
ってとこだろ、政宗だし。
0512人間七七四年
2008/10/06(月) 09:51:08ID:uKBhvrK70513人間七七四年
2008/10/06(月) 10:14:10ID:KpkwyIBP0514人間七七四年
2008/10/06(月) 10:22:55ID:e9wZQjUi0515人間七七四年
2008/10/06(月) 10:48:59ID:gVwGGfCj0516人間七七四年
2008/10/06(月) 11:55:59ID:dCzhvapT0517人間七七四年
2008/10/06(月) 15:17:09ID:M5k/Imwk0518人間七七四年
2008/10/06(月) 16:05:46ID:iNHqJUW2待て、家康もタメを張るぐらいのケチだろ
蒲生氏郷から家康はケチ過ぎるから天下は取れないって言われたほどだし
そもそも福島、伊達、蜂須賀らが徳川と婚姻を結んだのを利家が怒ったのが事の発端なんじゃないか?
0520人間七七四年
2008/10/06(月) 17:10:56ID:z916DbFr氏郷が利家を高く評価してたのは、元織田家臣団の長老格だったのと
利長のいた手前という感じだしね。
どうも利家という人物は肝心なとこで腰砕けになるような。
0521人間七七四年
2008/10/06(月) 17:47:29ID:rEDdBVoXまぁ賤ヶ岳での裏切りで100万石を手に入れたようなもんだ>利家
確かに旧織田家の人間としては最大の勢力を築いたが
本来なら織田家の重臣とは呼べない身分だしね
個人的には本人の才覚以上の知行地を得ていたように思う
0522人間七七四年
2008/10/06(月) 18:08:22ID:MPbH3Mnj家康はへそくりwを諸大名に金を貸したりして恩を売ってるぜ。
あと家康がけちなのを知ってる部下が書状に安い紙を使おうとして、家康は激怒してる。
こういうときには高い紙を使わないでどーするとかなんとか。
ケチといえば政宗もその口だけど、
演習では実弾や火薬を一切ケチらずに兵の錬度を維持しようとしていた。
ふたりともケチだけど、守銭奴・利家とは違うぜ。
0523人間七七四年
2008/10/06(月) 18:50:39ID:1Uh0wkd0なんかかわいそうじゃないか
よく知らんけど
0524人間七七四年
2008/10/06(月) 18:57:18ID:EgsTPbNv0525人間七七四年
2008/10/06(月) 19:02:28ID:1Uh0wkd00526人間七七四年
2008/10/06(月) 19:48:24ID:uKBhvrK7天正二年、関東制覇を目指す北条氏政は、いよいよ関東中央部最大の拠点、下総関宿城の攻略にかかった。
この情報を得た越後の上杉謙信はすぐさま出陣を決意、常陸の佐竹義重や、下野の宇都宮広綱にも出兵の
命を下した。
越山をした上杉軍は怒涛の進撃をした。新田金山の猿窪城を陥れると利根川を超え、鉢形、成田、足利、
館林一体を荒らしまわり、赤石(群馬県伊勢崎市)に布陣した。が、
佐竹、宇都宮の軍が、いつまでたっても参集しないのである。謙信の元からは、何度も何度も催促の
使者が送られたが、宇都宮方は「出陣の際は佐竹殿と共同で出ると約束していますので、佐竹殿が出陣しなければ
我らも出兵できませぬ。」との返事。
そして肝心の佐竹は、散々言を左右した挙句、
「我々は、謙信様からの血判の誓詞がなければ出陣できない。」と言い出した。
謙信は既に関東管領であり、それは佐竹も認めている。その関東管領の命令権を、佐竹は事もあろうに
疑っているのだ。関東管領の権威に係わるだけに、これには簡単に同意できない。しかし、そうこう
しているうちに、関宿城からは、「このままでは落城も間もなくです!」と、救援を求める必死の書状が相次いだ。
佐竹、宇都宮の協力無しでは、関宿救出は無理があった。しかたなく謙信は、血判誓詞の提出に応じた。
苦悩の選択であった。が、ここで事態は急変する
なんと関宿城が、北条との交渉に応じ、無血開城に同意したとの情報が入ってきた。
義重の狙いはこれであった。謙信を出兵の問題で足止めし、時間稼ぎをしている間に、密かに関宿城と接触し、
北条の求めに応じて開城するよう、説得していたのである。
確かに北条の拡大は脅威である。だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく、両家とも、
そのような関係の無い土地のために、しかも、おそらく激戦となるであろう戦に、家中の者を動員することを
嫌っていたのだ。
義重の事情とこの策略を、謙信は全く見抜けなかった。
上杉勢は憂さ晴らしのように下総一帯を荒らしまわった挙句、成す所無く上野の厩橋に撤退した。
その日閏十一月十九日は、北条との約定により、関宿が開城された日であった。
0527人間七七四年
2008/10/06(月) 19:50:25ID:1Uh0wkd0義重さすがだな
でOK?
0528人間七七四年
2008/10/06(月) 20:23:54ID:MPbH3Mnj義重らが謙信をいぶかしがっても仕方ない時期ではあるけどな。
義重ら関東諸将にしてみれば、北条と単独講和した謙信は裏切り者と思っていてもふしぎではないし。
0529人間七七四年
2008/10/06(月) 20:51:46ID:DXvvn2pK0530人間七七四年
2008/10/06(月) 21:18:56ID:GshOuQvX越相同盟したみたいだけどなー。
怒るなんて酷い話だと泣き付いてるし。
しかし当の本人が関宿を重要視してなかったんじゃ仕方ないな。
0531人間七七四年
2008/10/06(月) 21:29:41ID:megndWF7それだけじゃ世の中渡っていけないよっていう事だな
0534人間七七四年
2008/10/07(火) 01:00:53ID:tJxF2xBV利家も利殖で溜めた金を諸大名に貸し付けて
恩を売って豊臣政権内で前田シンパの大名を作ってるし、
臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
家康も利家もただの吝嗇じゃなくて理由のある倹約だろう
それをケチだとか何だとか程度が低すぎるわ
0535人間七七四年
2008/10/07(火) 01:06:31ID:caQyWuTM> 臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
ん?それは借金帳消しじゃなくて、遺産騒動が起こらないように財務の勘定を決済したって話でしょ?
この時代ケチと呼ばれた人物はたくさんいるが、利家はちょっと異質。正直守銭奴の気があったと
考えたほうがいいと思う。
0537人間七七四年
2008/10/07(火) 01:59:10ID:D3Rb5gFX0538人間七七四年
2008/10/07(火) 08:38:27ID:lm0aGVA/利家だっけ?
意外だった。
それなりに好きだけど
0539人間七七四年
2008/10/07(火) 10:31:28ID:caQyWuTM小丸城跡から出土した、天正八年の越前の一揆のときの、文字の刻まれた瓦の事かな?
「この書き物は、後世の人たちに知って欲しい物語です。
5月24日に騒ぎが起こりました。すると前田利家は、千人ばかり生け捕りにし、
ご成敗と称し、彼らを磔し、釜で煎り、また火あぶりにしたのです。
この事、書き留めておきます。」
原文
「此書物、後世二御らんしられ、御物かたり可有候、
然者五月廿四日いきおこり、其まゝ前田又左衛門尉殿、いき千人はかりいけとりさせられ候也、
御せいはいハ、はつつけかまニいられあふられ候哉、
如此候、一ふて書とゝめ候」
0540人間七七四年
2008/10/07(火) 17:40:01ID:vcMF7073あながち間違いではないんだな。
0541人間七七四年
2008/10/07(火) 18:06:53ID:mJXcKsbM秀吉とか家康とかはわかるけど、利家は・・・
0542人間七七四年
2008/10/07(火) 22:12:02ID:RPx/OfrO0543人間七七四年
2008/10/07(火) 22:46:17ID:6uupmHu/0544人間七七四年
2008/10/07(火) 22:55:04ID:tKDx+J44http://www.asahi-net.or.jp/~gp3m-andu/icon/kei-ie.GIF
↓
影武者:ケンシロウ顔
ttp://image.blog.livedoor.jp/sugarpamp/imgs/2/3/234bd7cd.jpg
↓
SAKON:荒くれ風
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5385/ieyasu01.gif
0545人間七七四年
2008/10/08(水) 00:50:53ID:RtTEdkXI0546人間七七四年
2008/10/08(水) 07:57:19ID:557Au/5d後に甲陽軍艦を書いたことで知られる小幡景憲がある日、家康にこう申し出た。
「私はかつて武田信玄が愛用した軍扇について詳しく知っています。
よろしかったら、まったく同じものを作って献上しましょうか」
家康の許しを得た小幡景憲は何日か経ってから派手な飾りをつけた軍扇を持ってきて
家康に見せた。だが、家康はその軍扇を手に取ると「こんな重いものが
戦場の役に立つわけがない」と言って投げ捨ててしまったため、景憲はおおいに
恥をかいてしまった。
0547人間七七四年
2008/10/08(水) 09:42:13ID:MV/5oBuK0548人間七七四年
2008/10/08(水) 10:40:17ID:557Au/5d家康は半年の時間をかけて一向一揆を鎮圧し、責任者の罪を問わない、そして、一揆の
根拠地となった寺は元のままにすることを条件に和睦を結ぶことになった。
だが、和睦の後、家康は一揆の拠点となった寺を次々と壊し始めた。一揆側が驚いて
抗議しにいくと家康は「あそこは寺が建つ前は荒地だった。だから、元のままの状態に戻しただけだ」
と答えた。
0549人間七七四年
2008/10/08(水) 11:32:45ID:/o7fKIwi惣社(群馬県前橋市)の長尾顕方が、かねてから仕えてきた関東管領上杉憲寛を裏切り北条側についた。
それに対して関東管領重臣の長野方業は、惣社長尾を攻め滅ぼそうと行動を開始。
進退窮まった惣社長尾顕方は、一族である越後長尾為景への救援要請を出した。
「万一あなたに助けていただけなければ、天地に見放されたも同然です。あなたは三国一の名湯である草津で、
会下僧を前に長尾一族の結束を話したくれたではありませんか。
どうかこの願いを聞き届けて。調停の為とか適当に名分を作って、足軽を200人ばかり当地警護のため
お預けください。そうすれば自他の国において評判も上がり、長尾一族の誼の強化にもつながります。
特に我々惣社長尾は、代々特別に懇意にしているではありませんか。
敵は、もう当城を攻撃するための、要害を構える工事が進められいるようです。厩橋宮内大輔が
日夜準備をしています。この前、厩橋で出されていた制札を、証拠としてお届けしましが、とんでもない事です。
とにかく足軽200人ほど派遣していただければ、当方は持ちこたえられるかと思います。
まず100人だけでも構いません。この願いが聞き届けられたら、明日滅亡しても構いません。
こんな風に書きくどいてお願いしていますが、聞き届けられなければ、滅亡するか、命が惜しければ
上方に亡命するしかありません。よくよくお考えになって、もし不憫と思われましたら、とにかくお助けください。
その上は、今生も後生も感謝いたします。」
結局援軍は無く、長尾顕方は降伏。以後、消息不明。
0551人間七七四年
2008/10/08(水) 17:01:41ID:gtzIri+A総社長尾って結局謙信時代に越後に逃げてきてなかったっけ?
0552人間七七四年
2008/10/09(木) 00:07:47ID:IqVt5uUe0553人間七七四年
2008/10/09(木) 01:29:31ID:Tfg1eT2Eまあしかしこんなネガティブ丸出しの奴はかえって助けたくなくなるのも分かる。
だって助けたって得することまるでなさそうじゃん。見るからに落ち目そのもの。
もっと余裕を吹かせて助けるとこーんなにお得なことがありますよ感を出さなきゃな。
0554人間七七四年
2008/10/09(木) 19:50:10ID:Mgqr2Oqoすぎだろw熱意が伝わるどころか錯乱振りしか伝わってこねえ。
「とにかくヤらせて!」って迫る童貞の如し。
0555人間七七四年
2008/10/09(木) 20:05:42ID:SGMWWVzkおっと
日本の民主党及び山岡賢次国体委員長への悪口はそこまでだ
http://www.dpj.or.jp/member/?detail_233=1
0556人間七七四年
2008/10/09(木) 21:56:55ID:7l5IqVQcそんな中、奈良の町に大規模な土一揆が迫っているという情報が入ってきた。
このままでは奈良は略奪の憂き目に会う。町衆は急遽、大和の領主と言うべき興福寺に相談をしに行った。
彼らに対し興福寺は…
「実費と仲介手数料払えば、鎮圧してくれそうな国人紹介するよ?」
こうして大和の国人古市氏が出動し、一揆は無事鎮圧された。
奈良の町から古市氏に700貫文、興福寺に300貫文。
意外な戦国のサイドビジネスであった。
0557人間七七四年
2008/10/09(木) 23:29:25ID:x0puV8J3____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 庄内で塩つくったら、きっといいお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
庄内を獲得した最上義光は、せっかく海をとったんだし
塩を作ったら豊かになるお! と考えた。
そこで製塩を奨励したんだけども、住民はバンバン森を伐採し、
それに植林を追いつかせなかったから…しかも海辺だし、
土地は荒れてしまった。後世の人は防砂林を作るはめに。
まあ、山形城下では植木市をはじめたり、緑化をすすめた鮭様だけに、
フォローする前に死去、改易ってかんじかもしれないけど。
鮭様唯一の内政面での汚点、とされている。
0558人間七七四年
2008/10/09(木) 23:35:41ID:yIG62fU4塩!塩!とはしゃぐ鮭様を想像して楽しんでみるww
0559人間七七四年
2008/10/09(木) 23:36:02ID:AWA3wvWZ仕方ない
0561人間七七四年
2008/10/09(木) 23:39:56ID:tNbvCnIA0562人間七七四年
2008/10/09(木) 23:59:46ID:YvQ5yYxC0563人間七七四年
2008/10/10(金) 00:21:08ID:7waEKLSt0564人間七七四年
2008/10/10(金) 21:55:11ID:20fjJ2L7吉川元春は九州攻めの際、豊前小倉の陣中で死亡した。
黒田官兵衛に招かれた席で食べた生鮭により、患っていた内臓疾患が悪化したためと言われる。
当時、鮭の産地である東北はまだ秀吉の支配下になく、この鮭も実は相当腐敗していたか
辛すぎるほどに塩が効いていたものと想像されるが、最高級品によるもてなしを受けた元春は
礼をわきまえ、持病に悪いと知りつつあえて食べた。
妻選びの話と並ぶ、元春がただの猛将ではない事を語る逸話である。
なお、すでに隠居していた元春が九州攻めに参加したのは、官兵衛・毛利輝元らが強引に
説得したためと言われ、さらに知恵者・官兵衛が鮭のことを知らぬはずもなく、
一種の「暗殺」であったとする説もある。
…という事になってるが、実際は居城・日野山城跡から「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただけであろう。
0565人間七七四年
2008/10/10(金) 21:57:38ID:Gr+/n/0H> 「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
> 容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただ
それは食い意地と関係あるのか?w
0566人間七七四年
2008/10/10(金) 23:58:06ID:D8MqXMNAかわいいなw
0567人間七七四年
2008/10/11(土) 00:06:58ID:Da9OmNw/鮭は山陰でも獲れるし石川県あたりもけっこういる
北陸産でも中国地方に届く頃には腐敗はけっこうなもんだろうが・・・
0568人間七七四年
2008/10/11(土) 00:25:49ID:RIQALw0rでも
元春「鮭の刺身が食べたいのじゃ!」
って我侭言ったのかも
0569人間七七四年
2008/10/11(土) 00:30:15ID:s02G3dvb甘酒ならぬ甘鮭を所望したんじゃ・・・
0570人間七七四年
2008/10/11(土) 01:10:21ID:Ao1c8akP0571人間七七四年
2008/10/11(土) 04:00:01ID:5/Zvx/QI普通に好意のつもりだったんだろう
この人羽柴秀俊の小早川家入嗣にも一枚噛んでるよね
0572人間七七四年
2008/10/11(土) 09:57:49ID:UNAtt1Mk秋になると、川によっては遡上してくる魚影によって黒く染まる川もあるくらいには。
東北の鮭の種類とは違うのかもしれないけど、鮭の類(鱒とかではなく)は遡上してきます。少なくとも鮭と九州で呼称されてる魚類は。
だから、単純にアニサキスかなんかのせいじゃないかな?
0573人間七七四年
2008/10/11(土) 14:44:01ID:6p8Yn8FH小田原征伐も一段落した奥州仕置のころ、会津は背炙山から会津盆地の絶景を
見下ろした秀吉は、案内役の旧蘆名家臣・新国貞通を呼んだ。
秀吉「お主のような名だたる老武者に案内役など無理をさせた。褒美をやろう。
この山から目の届く限りの会津の地をやろう。」
貞通「ま…マジッスか?! ゆゆゆゆゆ夢じゃないッスよね!!」
(是、あに実か、甚だ夢に似たり。)
秀吉「…関白たる俺の言葉を夢幻だって言うんかい。こんなダメダメなヤツだったとはな。
(我が言を以って虚夢と為すは汝、尤も妄人なり。)
今の話、ナシね。夢だったんだから問題ねーだろ?」
貞通「(´・ω・`)」
結局、会津には蒲生氏郷が入り、貞通はその一武将として生涯を終えた。
この新国貞通という男、他にも秀吉が好色と聞き、領内の女子総出で秀吉一行を
歓待するも、肝心の貞通が訛りがひどくて一行と話が通じず、秀吉の不興を買ったとか、
蘆名氏滅亡直後、伊達家に通じるために政宗の正月の宴席に行き、顔に白粉を
塗りたくって鼓を打って踊り、伊達家中の失笑を受けたとかそんな逸話ばっかの人であり、
空回りするために生まれた人間もいる、と言わざるを得ない。
0574人間七七四年
2008/10/11(土) 15:13:49ID:JXw5C1/Mでも仕方ないんだろうな…
0575人間七七四年
2008/10/11(土) 15:40:51ID:MjX6v2dd「お前に戦功の祈祷を頼んであるが、最近はその効果がいまひとつだ。
まさかさぼっておるのではあるまいな?
私が留守の間は、夜も寝ることなく、肝胆を砕いて祈祷に励むように。これは厳命である。」
謙信の元では祈祷僧も大変だ、と言うお話。
0578人間七七四年
2008/10/11(土) 21:59:21ID:CgugA1vu鮭の生食は冷凍保存技術が進化する近代までは絶対にやってはいけない調理法だったんだぞ
0579人間七七四年
2008/10/11(土) 22:00:38ID:II6gD9ot0581人間七七四年
2008/10/11(土) 22:07:09ID:C4djH/+30583人間七七四年
2008/10/11(土) 22:16:50ID:CgugA1vu腹へってしょうがなかった漁師さんならやってたかも
が、食卓に上がるものは日本住血吸虫やアニサキスがおるからダメだった
現代の保冷技術はマイナス50度以下でそれらの寄生虫を無力化させることが出来るようになったので
刺身を食えるようになったんです
つか、お前らだって時代劇で普通にスイカやらおでんやら蕎麦食ってるシーン見たら突っ込むだろw
鮭も突っ込めやw
0584人間七七四年
2008/10/11(土) 22:17:43ID:N/XaKgOdアニサキスとかサナダムシ寄生虫がいるから、凍らせずに生で食うのがムリ
取れたてを生で食うなどもっての他
0585人間七七四年
2008/10/11(土) 22:19:26ID:qQqj+JeMなるほどサンクス。
てか無力化しているとはいえ鮭の刺身を食うという事は同時に寄生虫も食するという事かorz
0586人間七七四年
2008/10/11(土) 22:29:43ID:uAi9KulD0587人間七七四年
2008/10/11(土) 22:32:50ID:C4djH/+3当たり前と言えば当たり前だが、殆どの魚には寄生虫が付いている。
それを>>583の言う通り、一度冷凍させて寄生虫を死滅させてたりする。
日本国内で生魚が広範に安心して食べられているのは、
普段目に見えない部分での流通・管理技術の進歩の賜物なのだ。
でも、ミミズで釣った魚の腸は勘弁な。
0588人間七七四年
2008/10/12(日) 02:58:50ID:krRbSLpm昔は普通にクワガタの幼虫なんかを焼いて食ってたわけですから、寄生虫の死骸も大丈夫。
ちなみに、カブトムシは臭くて不味いとか。
カブトムシとクワガタが逆かもしれないですけど。
0589人間七七四年
2008/10/12(日) 03:01:35ID:VBbFE3nEなんでこんなに疲れちゃうの・・・・・・・
0590人間七七四年
2008/10/12(日) 07:13:38ID:MjIOcyu8全部冷凍して刺身にするわけないだろWW馬鹿wwww
コンビニかなんかでばっかり糞魚食ってるおまえらはそんな妄想できてうらやましいわw
0591人間七七四年
2008/10/12(日) 07:15:55ID:DG2sCjLN0592人間七七四年
2008/10/12(日) 07:26:44ID:EXpxDs3j0593人間七七四年
2008/10/12(日) 07:45:18ID:DG2sCjLNゆとりが勘違いするだろ
0594人間七七四年
2008/10/12(日) 10:43:19ID:Aqi+4X3S天然鮭はアニサキス虫で救急車騒ぎになるので生食は極めて危険
川でとれた鱒にもサナダムシがいる
刺身にできるのは養殖ものか、天然で−20℃以下で数時間〜一日冷凍処理をしたもののみ
スーパーや寿司屋の鮭はそのどちらかなので大丈夫
0595人間七七四年
2008/10/12(日) 10:55:01ID:Aqi+4X3S養殖ものの信頼性が低下する事件があった。
厚生労働省では出荷時に−20℃以下で24時間冷凍する事を指導しているね。
0596人間七七四年
2008/10/12(日) 11:00:56ID:3uy/jsBP「アジは網場から直接届けるように。ふた時もたつと悪くなってしまうので、早く届けるよう努力せよ」
って手紙を直接出したりしてるなw
ちなみに当時の、北条氏の魚の買い取り価格
鯛(45cm前後):1尾30文
(30cm前後):1尾15文
(20cm前後):1尾10文
カツオ:1尾12文
大アジ:1尾と若魚子おまけして2文
アワビ:1杯3文
イワシ;2尾1文
イナダ:1尾5文
あと、漁民の納税の場合はあくまで魚の現物納入が基本で、農民と違って銭での立替は
出来なかったらしい。
0598人間七七四年
2008/10/12(日) 11:36:18ID:xCa07rg70600人間七七四年
2008/10/12(日) 16:04:47ID:ZEX/dwld0601人間七七四年
2008/10/12(日) 16:16:05ID:DG2sCjLN風邪こじらせて死ぬより当たる確立低いから
平安の昔から日本人は食の安全と健康には滅茶苦茶気を使ってたってことだよ
0602人間七七四年
2008/10/12(日) 16:42:06ID:JbaGcDtg0603人間七七四年
2008/10/12(日) 17:34:08ID:Ml9C+Kzvカツオも土佐では昔から生食してたが、山内一豊が高知に移ったときに
「生食はいかん」とお触れを出した。
そこで地元民が「これで火通ってますよねwwww」って軽く炙ったのを食すようになったのがカツオの叩きの起源だとか。
0604人間七七四年
2008/10/12(日) 18:12:14ID:EXpxDs3j生食してる殆どの魚に寄生虫って嘘に対してだよ
数時間前まで生きてましたって魚を食わせてんのに寄生虫だらけだったら築地の寿司屋と丼屋なんて全滅だろ
0606人間七七四年
2008/10/12(日) 19:33:46ID:dfOy2Juu0607人間七七四年
2008/10/12(日) 19:46:31ID:bSDLDsX8寄生虫でも目視できるサイズの物は、
料理人が手で取り除くから問題ないです。
この前、焼き秋刀魚食べたら、腸から大きな寄生虫出て来た。
くっても問題ないけど、さすがにそれは残した。
0608人間七七四年
2008/10/12(日) 20:26:13ID:SEbH1O9L0609人間七七四年
2008/10/12(日) 20:40:49ID:Ml9C+Kzv(もしくは経験則的にそれが安全な手段であることをしっていた。)
イワシとかサンマを生で食べる時にナメロウや叩きにするのもまさしくそれでしょう。
言い換えるなら今でもわれわれは寄生虫の一部を(ry
以上後味のちょっと悪い話
0610人間七七四年
2008/10/12(日) 20:55:47ID:aLtCND4/×生食してる殆どの魚に ○殆どの魚に
だから。か、勝手に嘘認定しないでよね。
ちょっと(キモチ)悪い話
0615人間七七四年
2008/10/13(月) 01:49:32ID:+jqGGLac0616人間七七四年
2008/10/13(月) 02:30:25ID:Wt+X3dgI今もサイト残ってるかは知らないけど。
ちなみに、ついこの間岩魚の背ごし食ったばかりで(´・ω・`)
0617人間七七四年
2008/10/13(月) 10:39:09ID:cquLdJN+鮪から始まりエビ、ホタテ、タコと何でも冷凍刺身で出てる
0618人間七七四年
2008/10/13(月) 13:01:38ID:KhmpcYCQ秀吉も元々あまり気に入ってなかったんだろうな。
でもまあ折角道案内してくれたし、馬鹿とハサミはなんとやらで、
ここは一つ奮発してやろうかと思ったが、こいつやっぱだめだと。
0619人間七七四年
2008/10/13(月) 14:15:52ID:/AzWYN/d織田軍と、少数ながら同盟軍として上洛に参加していた徳川軍(家康不在)、彼らは京に近づくと、
付近の村落に猛烈な略奪を始めた。これを信長は制止出来ず、略奪の規模は拡大、しまいには
略奪品の分配をめぐって、織田、徳川両軍による戦闘まで始まってしまった(しかもどうも、織田軍側が負けたらしい)
洛中に入った信長の行った、有名な『一銭斬り』
この強硬な措置は、洛中で織田軍への信頼を得るる云々以前に、自分の軍隊の統率を取り戻すための
措置であった、と考えたほうがいいようだ。
0620人間七七四年
2008/10/13(月) 14:38:18ID:KhmpcYCQ祈祷調伏なんて座して寝てるのと変わらんのだからこれくらい発破かけられて当然だと思う。
いっそのこと出来高払いにした方が面白い。
んで、勝った場合も調伏のおかげではなく、兵士の奮闘によるものだから報酬なしとw
0621人間七七四年
2008/10/13(月) 15:12:19ID:AqBNljS+遣唐使船に乗る中に
周囲の災いをすべて受ける担当がいて
無事着いたら報酬貰えるけど
無事じゃなかったら生きててtも斬首だった
災いを受けるために着替えとかさんぱつとか体をぬぐったりるのも禁止だった
戦国期でもそういう風潮は多少残っていて
たとえば祈願する時も「○○祈願する。成功したら報酬としてこれをやってやる」と
寺社仏閣にも一種の契約のような参拝をしていた
0622人間七七四年
2008/10/13(月) 15:14:37ID:+jqGGLac0624人間七七四年
2008/10/13(月) 15:42:08ID:ujf8BjZM空回り気味の田舎者をからかって遊んだだけ、って感じじゃないかなぁ。
あらかじめ政宗あたりから話聞いてて。
0627人間七七四年
2008/10/13(月) 16:26:36ID:/AzWYN/d「京都大中院文書」って一次資料に出てる。
ちなみにと織田徳川両軍で争ったのは、古い烏帽子についての分配について、だったそうな。
0628人間七七四年
2008/10/13(月) 16:43:56ID:Jil2Nonaクソワロタw (他意はない)
尾張兵三人に三河兵一人ってのもあながち徳川史観ってわけでもないかもね
0629人間七七四年
2008/10/13(月) 19:58:45ID:/AzWYN/d前田家は1年契約という条件で、多くの足軽達を雇い入れた。
ところが冬の陣が終わると、まだ契約して半年にもならない彼らに、このようなものが渡された。
「解雇通知」
そう、前田家は、戦が終わった以上、彼らはもう不要だ、これ以上給金を払うのは馬鹿馬鹿しい、と、
さっさと追い出してしまったのだ。抗議も一切受け付けず、結局、足軽達は追い出された。
が、
状況は一変し、夏の陣が起こる。
慌てたのは前田家である、兵が足りないのだ。先に解雇した足軽たちに渡りをつけるも、
「ただいまは売り手市場でして、どこの大名も高い給金で我ら傭兵を雇ってくれます。それにいまさら…」
と、冷笑される始末。
窮地に立った前田家はいたしかたなく、最初の給金の数倍を出し、何とか雇い入れる事になった。
結局、そのまま雇っていたよりも、多大な出費を強いられる羽目になったわけだ。
今も昔も、信義も無く目先の金をケチると、ろくな事はない、と言うお話。
0631人間七七四年
2008/10/13(月) 20:33:55ID:AqBNljS+戦国期に家を持ち上げた人物の性格がそのごの大名家にも残っちゃうんだろうか
0632人間七七四年
2008/10/13(月) 20:41:46ID:vZ0kknH5意外とわざとだったりして
明らかな笑い話で先見の明の無い前田を幕府も警戒が薄れることを予測して
なんてことはないなw
ケーチケーチアホーwww
0633人間七七四年
2008/10/13(月) 20:50:48ID:dt43hENY0634人間七七四年
2008/10/13(月) 20:57:32ID:QP2/qeqcこんなんだから大阪の陣の前田って弱いよな
同じく大阪の陣の時のこと。
大阪城南側に陣取った徳川本隊の前に立ちはだかった強固な砦。
やがて、その砦から、ある三河武士は「ウチにとっちゃ害虫じゃ」とまで忌み嫌った真田家の
六連銭の旗がひるがえった。
「真田め、やはり裏切ったか!」 徳川陣中に緊張が走った。
真田隊の真田信吉・信政兄弟(信之の子)に非難が集中する中、赤鬼二代目・井伊直孝が立ち上がった。
「おのおの方、落ち着かれよ。信吉殿は絶対に裏切りませぬ。
なぜなら信吉殿とそれがしはアッ!ーでピーーしてバキューン!な仲でござる。
信吉殿が、それがしのうまい棒の味を忘れられるハズがござらん。」(一部誇張あり)
直孝のこの発言で陣中の緊張は解けた。
が、別の意味で緊張が走った。
やがて、砦は彼らの叔父・真田信繁の築いたものと判明し、兄弟は冤罪を逃れ帰国することができた。
が、帰り着いた兄弟に、母親の小松姫こと稲ちんの言うことにゃ
「あら、帰ってきちゃったの?二人もいるんだから、どっちか氏ねば(幕府の)憶えもめでたいのに」
以上、マイナーな方の真田さんの(バツが)悪い話。肩身が狭いのは信之兄ちゃんだけじゃねーのである。
0635人間七七四年
2008/10/13(月) 21:13:16ID:Qxb7d8t/0637人間七七四年
2008/10/13(月) 21:31:16ID:YGtWYBn5石田三成らが西軍として蜂起し各国の大名が
東軍、西軍どちらにつくか不明瞭な状態であった
家康は佐竹家が西軍に味方するか否かを佐竹家に蟄居させられていた
花房職秀に問うた、職秀は「おそらく来ないでしょう」と答えた
家康は「起請文を書け」と言ったが、職秀は「男が言ったことゆえ文章にする必要は無い」と断った
家康としては諸将の動揺を抑えるため職秀にそう命じたのだが、それが当時の彼には分からず
家康は職秀を「武勇に誉れ高いが大した武将ではないな」と断ずる
そのため戦後、職秀には8千石の領地を与えられたが
職秀は「名将に仕える人間は一言にも気を遣わなければならない」
「あの時愚かな返答をせず起請文を書いていれば今頃俺は大名にもなっていただろうに」
と悔い大名(1万石以上の知行地を与えられた武将)を目指し
病身であったが大坂の陣にも参戦し板輿に乗って指揮したと伝えられている
0638人間七七四年
2008/10/13(月) 21:37:04ID:QP2/qeqcゴメン、たぶん小松は実家の本多忠政・忠朝兄弟のことが頭にあった。
家康に「親(忠勝)に似ぬ役立たず」と、働きの悪さを怒られたりしてるわりに
忠朝が戦死したせいで幕府の評価が高まり、最終的には
桑名10万石→姫路15万石に栄転した。
0639人間七七四年
2008/10/13(月) 21:51:34ID:QP2/qeqc要はどっちが家を継いだって同じだろうから「大将か副将が戦死するほどがんばりました」
ってのを見せてポイント稼いだ方がお家のためになるだろっていう、
まさしく真田チックというか、殿いつ小松の言い出しそうな糞リアリズムと思われ
スレ汚しスマヌ
0640人間七七四年
2008/10/13(月) 21:54:59ID:8grONAxi0642人間七七四年
2008/10/13(月) 22:14:24ID:miu3OgzY0643人間七七四年
2008/10/13(月) 22:39:04ID:AqBNljS+ダメだやっぱりそっちが出てきてしまう・・・
あの作品のせいで真田一家は完全にイメージがあれになっちゃったからなぁ
苦労人の信行、親父と弟に翻弄される信行、嫁に苛められる信行、秀忠に(ry
0644人間七七四年
2008/10/13(月) 22:39:48ID:AqBNljS+0645人間七七四年
2008/10/13(月) 22:47:30ID:Wt+X3dgI弟橘姫乙
彼らはむしろ海神への供物としての側面が強いので、海が荒れると真っ先に海に沈められて海面を静めようとされたから、大抵惨憺たる状況になったら居なくなってる事多かった罠。
そんな神に捧げた供物が生きてたら、神への信義にもとるって理由での斬首も多かったらしいね。
たまに沈まずにいたりして、生き残ったりしたらしいが。
0646人間七七四年
2008/10/14(火) 02:42:48ID:06wSuZqvすっげーデタラメ・・・
『だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく』
??アホ?
関宿が落ちたら、そこを拠点にして里見領&北関東(下野小山祇園城)への本格的な侵攻が始まったんだろうに。
だから氏康は存命中、関宿を「一国にも値する城」だと評し、何度も攻め立ててる。
その度に謙信が兵を出して阻んだり
越相同盟締結時、梁田氏による関宿保持をわざわざ条項に入れるほど重要視していた。
関宿救出に絡んだこの条項こそが、謙信にとって越相同盟の動機だとすら思われてる。
関宿はいわば里見領〜北関東の『蓋』的な役割をしていたんだよ。
『両家とも、 そのような関係の無い土地のために、』
どこの仮想戦記だwww
里見領が大幅に削られて佐竹が苦しくなり、小山が落ちて結城〜宇都宮〜佐野が強い圧力を受けたんだろうに。
そんな有様になった途端、こいつらは連名で謙信に越山救援要請を連発。
関東諸侯はバカか?という話なんだよ。
ちなみに謙信の怒りの矛先は佐竹の老臣達に向けられており、義重じゃない。
関宿を見捨てようとした佐竹の判断は義重の物じゃない節が見られる。
『下総一帯を荒らしまわった挙句』
謙信が焼き討ちしたのは義重と決裂する前だし、下総じゃなく武蔵。(忍城、騎西城、菖蒲城)
出来事の前後が無茶苦茶だし、自分で話を作り過ぎてる。
0647人間七七四年
2008/10/14(火) 02:57:48ID:OfTvjFjh0648人間七七四年
2008/10/14(火) 03:56:55ID:EQiFbdqc0649人間七七四年
2008/10/14(火) 05:58:20ID:CSYIHQOr0650人間七七四年
2008/10/14(火) 08:46:29ID:KQ32uPK30651人間七七四年
2008/10/14(火) 09:32:13ID:+BArHqI5俺的にはそっちが真実なら有意義な書き込みだと思うよ。
ただ、アホ?とかは余計だったな。
素直に“へぇ〜”ボタン連発できる感じで書き込んで欲しいな。
0652人間七七四年
2008/10/14(火) 09:40:41ID:KQ32uPK3お話の正しい正しくないは、個々で調べて納得してほしい。
0653人間七七四年
2008/10/14(火) 10:39:38ID:nmYTAKvB虚実ないまぜ、一致しないな部分はどうしてもでるだろうしな
横から何か言いたくなるのは分かるけど堂々と講釈たれる場所ではないと思う
駄目とは思わないがやるとしたら簡潔、丁寧を旨にお願いしたいところ
論破してやるとか俺の意見が絶対に正しいとかなんとかお考えなら他所でやっておくんなまし
0654人間七七四年
2008/10/14(火) 11:10:19ID:cFZijhvc「史実に照らせばそんな事実は無かった」って指摘はナンセンスだけど
「そもそもそんな逸話自体が無い」って指摘くらいはいいんじゃないか?
俺の時は挙げられた逸話に「それって○○の逸話じゃないの?」って書き込んだだけで叩かれた。
でも勝手にお気に入り武将の嘘逸話を作られても困る訳で。
0655人間七七四年
2008/10/14(火) 11:17:58ID:Nj42h/8s0656人間七七四年
2008/10/14(火) 11:20:22ID:KQ32uPK3逸話が無いものを有るというのはともかく(まあそれが本当に「無い」ことを証明するのも難しいですが。
実際にある逸話でも、他の武将のものを拝借してきたり、三国志などから持ってきたものは沢山あるからね)
>>646はむしろ、書き込みに対して挑発的になっていることが良くないと思うよ。
0657人間七七四年
2008/10/14(火) 11:42:32ID:cFZijhvcおっしゃる通り
自分の時は出された逸話と全く同じ逸話を知ってたので記憶違いじゃないの?って書き込んだ。(武将名と逸話失念)ググっても出てこなかったし。資料漁れば出てくるのかもしれないけど。
ちなみにその時は両者同じ逸話があるってわかった。それだけでも収穫。
逸話なんてそもそもが真贋怪しいものなんだけどうpした人が間違える場合もあるんだから突っ込み入れるくらいはいいんじゃないか?そこから話が膨らむ場合もある。
ちなみに>>646はナンセンスな突っ込みだと思うよ。
スレ汚しすまん
0658人間七七四年
2008/10/14(火) 12:08:49ID:J1eG27zSこの時誰も想像すらしていなかったと言う
0659人間七七四年
2008/10/14(火) 15:52:59ID:PUA7RwMe一休さんの業績、仕業、行い、になっている。
というわけで、エピの出所なんかいいじゃないかというのは、一休さんより下の
年代の若い人たちであろう。と言っても3〜40にはなってるか。
がんばれ657。
0660人間七七四年
2008/10/14(火) 16:16:07ID:NZAwtYvK関東の要である関宿が北条に攻められ救援要請を受けた謙信。
例によって越山して出陣してきたがどうにも関宿を囲む北条の大軍に対し
峠越えしてきた越後軍だけでは心許ない。
そこで関宿を落とされれば困るはずの関東諸公に関宿救援の協力要請をしたのだが
佐竹や宇都宮が何故か全く動かず、業を煮やした謙信は
「もうどうして来ないの!早く早く!関宿落ちちゃうよ!?
そうなったら困るのは私じゃなくて貴方達なんだよ!わからないの?
もう越後軍だけででも助けにいっちゃうんだからね!」
と切羽詰まった手紙を何通も送った。
佐竹当主義重は謙信に答えようとするのだがしかし佐竹の老臣達が協力してくれない。
結局救援間に合わず関宿は北条の手に落ち、謙信は自分の身を守る気のない関東勢に呆れ返って越後に帰国。
当然関宿を奪われ分断された関東諸公は激しく北条に圧迫されることになり
やっぱり謙信に「たすけてー!」と必死に越山要請。
謙信はその身勝手さに呆れていたようなのだが、
その後も再び関東救援に向かおうとしていて超お人好し。
とでも書いておけば良かったんじゃね。
0661人間七七四年
2008/10/14(火) 16:28:25ID:KQ32uPK3天正初年の頃の話
豊後の大友氏が領内に南蛮船を招いて交易をしていたが、その南蛮船が、いつも海上で
能島、来島の海賊に襲撃され、荷を奪われてしまっていた。
怒った大友氏は海賊衆達に「南蛮船への略奪の禁止」を命じたが、まるで効果はなく
海賊行為もまるで止まなかった。
業を煮やした大友氏、ついにこんな宣言をした。
「海賊行為を止めなければ、九州での人身売買を全て禁止するぞ!」
すると海賊衆、「それは困る」。そして南蛮船への海賊行為は、ぴたりと止まったとか。
0662人間七七四年
2008/10/14(火) 17:40:42ID:k0WzSfZN0663人間七七四年
2008/10/14(火) 18:18:14ID:zv7KNrKwそして南蛮船は日本人奴隷を船腹に詰んで帰ると・・・
0664人間七七四年
2008/10/14(火) 19:21:58ID:06wSuZqv批判は許さないってか。
『だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく』
『両家とも、 そのような関係の無い土地のために、』
こんなの逸話でもなんでもない。
書いた奴が恣意的に武将を貶めようとしてるだけだし、
個人的な解釈以外の何物でもないじゃんか。
しかもその個人的解釈があまりにも御粗末で、且つ認識不足ときたもんだ。
関宿論争に関しては、佐竹や上杉関連のスレで散々議論し尽くされてる。
その議論の最中には数多くの史料が、具体的に書き出されている訳だ。
「ちょっと悪い話」=軍記物などから書き出した逸話レベルなら、
真贋論争を吹っかける野暮なことはしないよ。
しかし今回のケースはuKBhvrK7が自分で作り上げた、殆ど妄想とも言える物語だから否定させてもらう。
こんなのが罷り通るなら、幾らでも武将の悪口は書けるからな。
そういうスレにはしたくないだろ?
0665人間七七四年
2008/10/14(火) 19:24:31ID:KQ32uPK30666人間七七四年
2008/10/14(火) 19:40:49ID:0TYjjQeY>>660は貴方が正しいと思う知識(逸話)を、相手を窄める言葉での批判ではなく
逸話風に書いたら?ということなのでは…逸話スレなんですし
先に書かれていた批判も、もっと書きようがあるのではないでしょうか
0667人間七七四年
2008/10/14(火) 19:46:08ID:06wSuZqvなるほど、訂正するならもっと粋な書き方で訂正しろという事ですか。
分かりました。
その点に関しては謝ります。
すいませんでした。
0668人間七七四年
2008/10/14(火) 22:29:38ID:tvnvairK0669人間七七四年
2008/10/14(火) 23:02:09ID:DneDgKbK0670人間七七四年
2008/10/14(火) 23:02:29ID:KG6S2nNJただ少し挑戦的すぎた・・・のかな?
戦国初心者の私的には貴方みたいな、史実にもとずいた?
ピリッとした意見もゼヒ聞きたいな!
0671人間七七四年
2008/10/14(火) 23:06:36ID:DQ6okMCu0672人間七七四年
2008/10/14(火) 23:06:48ID:KQ32uPK3【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
こう言うスレがあるのだから、ここでやってほしいものだ。
0673人間七七四年
2008/10/14(火) 23:10:54ID:58K04m6C0674人間七七四年
2008/10/14(火) 23:15:33ID:MExU9Dqr悪意ある中傷をなくすことはスレの品質の向上にも繋がると思うんだけどね
まあ所詮は趣味板のネタスレだけど
0675人間七七四年
2008/10/14(火) 23:15:34ID:WddSVmcy0676人間七七四年
2008/10/14(火) 23:22:36ID:KG6S2nNJいや実は、「この逸話の裏には、こんな事情があったんだ」的な話もできなくなるよね?
逸話と史実両方解れて、両方好きになれれば一番良いと思うんだ!
自分が言ってる事も、キレイ事ッぽくてイヤなんだけどさw
0677人間七七四年
2008/10/14(火) 23:38:21ID:KQ32uPK3このスレは真偽を語るスレじゃ無いからねえ…。
この時代の事は往々にして曖昧な物なんだから、解釈次第で、どうしたっていくつかの見解に分かれちゃうと思うんだ。
だから、気に入らないからって理由で一々突っかかられちゃ、そう言う意見とそれへの反論とさらにその反論って言う、
スレの本筋とは全く違う話ばかりになって、肝心の逸話を書き込みにくいスレになることは目に見えてると思うのですよ。
なので、真偽を語りたいときは、>>672のスレで自論を展開してもらえばいいと思うんだ。
せっかくああいうスレがあるんだから。
「感想」を書き込むのは全然構わないと思う。良い感想でも悪い感想でも。
だけど「議論」を始めるのは、このスレの本旨と違うでしょ?
0678671
2008/10/15(水) 00:20:25ID:MC2cb9uVいや、あなたに言ったんじゃない。
しつこく「自分が正しい」と言ってる厨にKYと言っただけです。
皆がそんな事どうでも良いって言ってるのにね・・・
0679人間七七四年
2008/10/15(水) 00:24:57ID:SN2/BJQ+長篠の戦に敗れ、多くの兵を失った武田家では、領国の村々に、緊急に兵士の動員を求めた。
「このままでは国が滅びる。是非、武勇の士を!」
ところが多くの村では、「どうせ軍役の補充だ、人数あわせだけすれば良い」と、村人ではなく、金で雇われた
人夫を差し出した。おかげで、これ以降武田家の軍隊は、戦のたびに「武田軍は役立たずの夫丸ばかり」と
嘲られる羽目になった。
武田家滅亡の5年前には、既に領主と領民の信頼関係は崩れていた、と言うお話。
0680人間七七四年
2008/10/15(水) 01:53:51ID:9fXI0PGH|・ω・`) まあ、みなさんお茶でもどぞ…
|o旦o
|―u'
<注意>この話は、某へうげてるマンガのネタバレを含むかも知れません
気にされる方はIDNGをおすすめします
細川忠興「今日の古田さんの茶席ってヘンっスよね。水差の作法とかメチャクチャだったし」
織田有楽「うん、ヘンだよね。あれで天下一の宗匠とか笑い過ぎて死ねるよね。」
後日、有楽の茶席にて
古田織部「ちょw有楽さんなにしてるんですかww小さい茶釜に小さい柄杓とかwww
そこはあえて大きい柄杓でいかないと、わざわざ茶釜に合わせて作ったみたいで
不自然じゃwそんなんだからアンタいつまで経ってもヘタクソなんだって( ´,_ゝ`)プッ
利休七哲とか数寄大名同士とか言っても仲は「悪い」のでござるよゲヒヒヒヒ
蝦夷の蛎崎氏にも、もれなく軍役が課せられる事になったのだが
蝦夷から長駆大阪へ出陣するのを、家臣達が嫌がり思うように兵が集まらない。
そこで蛎崎の殿様はアイヌの民を騙し、大阪へ連れて行くことになった。
アイヌの兵達を見た東軍諸大名は
未開の地の兵達はきっと勇猛に違いないと、羨望の目でアイヌの兵を見る。
それには殿様もご満悦。
しかし、実際に合戦が始まると見たこともない凄まじい銃撃戦にアイヌ兵は戦意喪失。
各自敵前逃亡をし始め、それを物頭が必死に追い掛け回すという状態になり大混乱
結局、特に功無く、蛎崎勢はスゴスゴと国許に帰っていったとさ。
ごめん つけたし
(格好)悪い話。
0683人間七七四年
2008/10/15(水) 04:16:03ID:kpa6TgU00684人間七七四年
2008/10/15(水) 04:29:39ID:fFvLlzl60685人間七七四年
2008/10/15(水) 04:38:02ID:tQXWuKtO排便するの選ぶより、死のうかな?って毎回思う程度には。
嫌だからこそ、くそを我慢して更に排便時に酷い思いをする事に。
今度有給使って手術考えてる(´・ω・`)
0686人間七七四年
2008/10/15(水) 05:19:47ID:0hp/RWgT言わなくていい罵倒語使ってたから批判されただけじゃないの?
何か注意したり教えるときに
「ここはこうですよ」と言うのと
「ここはこうだろ馬鹿!」ではぜんぜん効果も反応も違うでしょ
言う事は理が適っているけど、そういう言い方は相手に受け入れ難くさせてしまい
他の住人も怒らせてしまう
0687人間七七四年
2008/10/15(水) 08:17:00ID:zJJrj8m+0689人間七七四年
2008/10/15(水) 10:46:18ID:pgbPVP8Xとりあえず病院いけ。医者に何て言われるか分からんが、決断することが重要だ。
俺は発覚から通院、手術までひと夏で終わった。
手術は準備時間(麻酔時の脱糞防止のため、手術前にカンチョウにて前もって排便)
ふくめて1時間かかるかどうかな気がした。
スレちがいなので詳しくは省略。
何事も無かったかのように脱糞といえば焼き味噌の人などでお楽しみください。
↓
0690人間七七四年
2008/10/15(水) 11:00:31ID:SN2/BJQ+早めの病院へ。
0691人間七七四年
2008/10/15(水) 12:04:01ID:ozE7qU150692人間七七四年
2008/10/15(水) 12:26:14ID:KHS0Gyjmおもいっきり若くて可愛い看護学校出たての新人看護婦いるところで
看てもらうんだ!!!しかも主治医は女医で
0693人間七七四年
2008/10/15(水) 12:33:42ID:SN2/BJQ+蔚山の地獄
朝鮮役の有名な蔚山篭城戦。物資が底をついた篭城衆の環境は真に悲惨であった。
しかし、そんな所にすら、商人は入り込んでいた。
加藤清正の陣では、大声で米を売り歩いている商人がいた。「米五升で黄金十枚!」
恐ろしい暴利である。これを見たある侍は、「篭城中に黄金などあるものか!」と、商人を怒鳴りつけ、
自分の刀を鞘ごと突き出し、「これでその米を売れ」と、凄んだ。
商人は恐れをなし、米と刀を引き換えた。
丸腰になった侍はその米を、餓えた同僚達と5粒、7粒づつ分けた。
また、毛利の陣には水商人が現れた。
「盃1杯で銀15匁」
毛利秀元はそれを見かけると烈火のごとく怒り、槍を突きつけ水を没収したと言う。
この陣にいた者の、このような呟きが、記録に残っている。
「みんな行き倒れて、死ぬだけだ。」
0694人間七七四年
2008/10/15(水) 12:59:33ID:/Bk7/hCK0695人間七七四年
2008/10/15(水) 14:50:37ID:Z/yf6IGc0696人間七七四年
2008/10/15(水) 15:02:00ID:SN2/BJQ+戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
一日の投降数規制があったので、まだここまでしかまとまっていませんが、
何か気が付かれた点などありましたら、指摘していただけると幸いです。
0697人間七七四年
2008/10/15(水) 15:11:28ID:JOvVLTAiあるいは運び込むのを黙認させたり
そういう商才もまた武辺とは違った才能である。
買う側の将兵も全部力ずくで取り上げてしまうと
次から運び込んでくる人間がいなくなってしまうので、
暴利と解っていても金を出して買わざるを得ない。
0700人間七七四年
2008/10/16(木) 14:09:13ID:rdDMY5wchttp://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込みのさい、参考にしてやってください。
あと、もし記載漏れなど気が付かれた事がありましたら、いってやってくださいませ<(_ _)>
0701人間七七四年
2008/10/16(木) 16:36:16ID:rdDMY5wc文禄の役のおり、石田三成から通達された禁制
「島津家の者たちが軍船を使い、海沿いや川沿いに奥地に入り込み、農作物の略奪や
人の略奪をする事、これを硬く禁ずる」
どうやら島津のかた達は、サイドビジネスに一生懸命だった模様。
0702人間七七四年
2008/10/16(木) 18:25:12ID:bs8ojAIHhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216059962/115
につながるのですね よくわかりますこうですか_
0704人間七七四年
2008/10/16(木) 19:51:42ID:QkDHakUD同輩が「林泉寺の和尚の顔ほど憎たらしいものはない。何とか一発殴ってやりたいものだ」と雑談
しているのを聞き、
「それならばワシが行って和尚の顔をぶん殴ってきてやろう」と言って引き受けた。
さっそく巡礼に仮装した慶次郎は林泉寺に行き、和尚と雑談してすっかり打ち解けるや、客殿に碁盤
があるのを見つけ、碁の話題を和尚に振ると
「巡礼どのは碁がお好きなようだ。拙僧と勝負いたしましょう」という。
慶次郎はすかさず、「では、負けた方は「じっぺい」を当てられるという罰ゲーム」をつけましょう」
といい、和尚は承諾した。
一番勝負は、慶次郎はわざと負け
「和尚様、約束のしっぺいをお当て下さい」といって、和尚はつめでちょこんとしっぺいを慶次郎に当てた。
二番勝負は慶次郎が勝つも、「和尚様にしっぺいを当てるなど恐れ多くて無理っす」としきりに辞退して見せると、
和尚はあの程度のしっぺいなら軽いと思い、「巡礼殿、遠慮は無用じゃ」というので
「それでは、おそれながら…」といって、和尚の目と鼻の間を思いきり引っぱたいた。
和尚は白目をむいて気を失い、鼻血をながしならら倒れたのを見て、慶次郎は大笑いしながら寺から逃げ去った。
そして、同輩にそのことを話して再度大笑いしましたとさ。
0706人間七七四年
2008/10/16(木) 23:25:38ID:PatRZtOG乙であります、素晴らしい!
ところで悪い話の>>42と>>557抜けていませんか。
確認よろしくおねがいしますね。
0707人間七七四年
2008/10/16(木) 23:36:14ID:PatRZtOG山形近辺ではこんな言い伝えが未だに残る。
時遡ること四百年余り前、慶長五年。関ヶ原の戦いがあったころ、
出羽の地でも最上と上杉が争っていた。
怒濤の勢いで進軍した直江兼続率いる上杉勢は畑谷城を陥落させ、
守将江口五兵衛以下三百名を撫で斬りに、さらに逃げる住民を
襲って乱取りを行った。
そしてさらに長谷堂城へと進軍開始!
その途中で十三夜餅を食べようとしている
民家を襲い、餅を皆食っていってしまった。
住民たちはそれ以来、平成の今に至るまで餅をさっさとついて、
夜が来る前に食べるようになったという。
…でですね、現在ですが。
「愛」を掲げた直江も山形では嫌われていて意外!とか言う人がいるのは(本当)
ちょっと地元の人は気分悪いんじゃないか、という話。
米沢だけが山形じゃないよ。
0708人間七七四年
2008/10/16(木) 23:36:34ID:rdDMY5wcありがとうございます。
>>42はほぼ同じ内容の話が先に、いい話スレのほうにあったので、そちらを収録しました。
此方も入れたほうがいいですかね?
>>557はたしかに収録漏れしちゃってますね。今から入れておきます。
0709人間七七四年
2008/10/16(木) 23:45:43ID:rdDMY5wc0711人間七七四年
2008/10/16(木) 23:58:17ID:rdDMY5wc0712人間七七四年
2008/10/17(金) 10:41:01ID:bs2Ph4da今川義元の跡を継いだ今川氏真は、愚将では無かったが、
国主としては今ひとつ精彩を欠いていた。家臣の中には
氏真に不満を持つ者もいた。
そこで武田信玄は不満を持つ家臣達に目星を着け、彼らに
密書を送った。「もし今川を攻めた際、武田側に寝返れば
恩賞は望むままに与える。」
すると家臣達は我先にと武田側に寝返りを約束し、信玄も
「誰々に何千貫、誰々に何万貫を与える。」と気前良く応
じた。
ほどなくして信玄は今川領駿河へ進軍。武田の猛攻と次々
に寝返る家臣団に成すすべなく、氏真は駿河から放逐された。
寝返った今川家臣達はさっそく、信玄の元に集まった。約束
の領地を貰うためである。だが待っていたのは、信玄の怒号
であった。「主であった氏真を簡単に見限り、期に乗じて敵
に内通する者を、我が家臣に出来るものか!貴様達に領地を
与えるくらいなら、我が甥氏真に与えた方がましだ。不忠者
の最期がいかなるものか、後世の者の戒めにしてくれる!」
そう宣言した信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。
利で寝返るものは、また必ず利で自分の敵と成る。信玄の
厳しく、容赦の無い戦国哲学であった。
0716人間七七四年
2008/10/17(金) 13:53:49ID:qYNuirr9慶次、「鼻毛を買う」
米沢の城下に時々現れては人々に因縁をつけ、金を巻き上げるならず者がいた。
男は鼻毛が伸びていたので「ハナゲ」と呼ばれていた。
それを知った慶次は男に「その鼻毛を買ってやろう」と手付け金を渡し、
「一ヶ月したら残りを払うから屋敷にくるよう」に言った。
一ヵ月後、男が慶次の屋敷を訪ねると、
慶次は「もっと長い鼻毛が欲しいから肥料をやろう」と言って、
便所から汲んだ「肥」を男の顔にぶちまけた。
金のためなら多少のことは我慢しようと思っていた男もこれにはまいって侘びを乞うた。
慶次は男に、今後悪さをしないことを誓わせ、約束どおり残りの金を渡した。
0717人間七七四年
2008/10/17(金) 13:55:35ID:M05r3BWb山崎の合戦後に、信長の霊を弔うために明智軍の兵士の首が次々本能寺の
焼け跡にさらされ、その数は2000にも及んだ。
ところで、本能寺から約100メートルの場所に南蛮寺教会があったが、首が
さらされた季節は新暦では7月中旬の夏真っ盛りである。
教会は本能寺の風下にあったため死臭がひどく、臭気に耐えかねて窓を閉め
ると、灼熱の蒸し暑さに耐えなければならなかった。
『窓を閉めても隙間から入ってくる臭気は、「信長の傲慢さ」に匹敵するほど
耐えられないものだった。』、と教会のパードレは報告書で語っている。
0718人間七七四年
2008/10/17(金) 14:05:43ID:l/4EhfxZ0720人間七七四年
2008/10/17(金) 14:26:44ID:vCfYCI+M0721人間七七四年
2008/10/17(金) 14:56:49ID:s69+2aiN0722人間七七四年
2008/10/17(金) 15:07:31ID:pCiYIwn0しかし改心して良かったなw
0723人間七七四年
2008/10/17(金) 15:25:47ID:nTNjyVAR文亀2年(1502)12月、領地である日根野荘に下向していた前関白九条政基は、そろそろ
お歳暮の時期である事を思い出した。
そこで、京に残っている家族に贈り物をしようと思い立った。が、手元不如意。
しかしお歳暮は贈りたい。そこで家領である入山田村にこういった。「金貸して?」
すると、入山田村のみなさん、
「はいはい、いいですか殿下?先ずあなたがここに下向してきたのは何のためか、思い出して見ましょう。
そう!和泉守護との領地争い!あいつらがここ簒奪しようと狙ってるからそれを防ぐために
ここに来られたのですよね。…さて、その紛争はもう決着つきましたか?
NO
そう!まだ争いの真っ最中!
お歳暮と言いますが、そんな金があるのなら…
村の要害の強化に当てるか、足軽雇って、戦闘力を強化させるに決まってるでしょ!!常識的に考えて!!
だから、ダメ!」
九条公、しょんぼりしてフテ寝する(本当)
0724人間七七四年
2008/10/17(金) 16:18:47ID:0KTwvbam>信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。
これはいくらなんでも嘘丸出しじゃねーか。
葛山氏元、瀬名信輝、朝比奈政貞等寝返り後そのまま武田家に仕えている。
瀬名など信玄から一字もらって信輝と改名したくらいだ。
0725人間七七四年
2008/10/17(金) 16:24:01ID:nTNjyVARこっちでやろうや
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0726人間七七四年
2008/10/17(金) 16:27:53ID:ZLmxs6dY0728人間七七四年
2008/10/17(金) 16:31:48ID:nTNjyVARそこを理解しないと。
0729人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:08ID:v0LqkXksもちろん、実際の人物とは必ずしも一致しないことを念頭に置いた上でのことではあるし、
更に伝えていく内に、後世のイメージに合致したものが取捨選別されて残されていたりする可能性もある。
0730人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:13ID:lxiQtdiN違う人と間違えるから困る
0731人間七七四年
2008/10/17(金) 16:48:24ID:mLh8lgcA現にこのスレやいい話スレでも現代の小説家の創作っぽいのがチラホラと
0732人間七七四年
2008/10/17(金) 16:52:04ID:nTNjyVAR0733人間七七四年
2008/10/17(金) 16:52:55ID:6jgX/UQh0734人間七七四年
2008/10/17(金) 17:14:21ID:eoQKFNro戦国武将達の逸話を知りたいって人も居るはず。自分もそうだし。
誰かが逸話を書いてくれないと、こう言うスレは意味が無くなると思う。
明らかな創作話なら(年代が違うとか、当時には無い物が話に出てるとか)指摘してもOKとは思う。
0735人間七七四年
2008/10/17(金) 17:26:42ID:v0LqkXks織田信長が足利義昭を擁して上洛するときに、今川義元が出てくるような話がまかり通っても気持ち悪いし。
0736人間七七四年
2008/10/17(金) 17:30:00ID:mLh8lgcAそういう突っ込みが出てくるのを避けたければ出来る限り出典や話の出所を明記するしかない
>>723みたいな感じでね
0737人間七七四年
2008/10/17(金) 17:33:52ID:0KTwvbamさすがに今川といえば大大名だし、その寝返った家臣も有力な武将が多いから指摘した。
今川の旧臣の大部分を処刑したなんつったら、信長の一向宗虐殺に匹敵する大虐殺になるぞ。
これが本当なら逸話なんてものじゃ済まないくらいに歴史に残る。
0738人間七七四年
2008/10/17(金) 17:36:18ID:Uh1j0/JC「嘘ついてんじゃねーよ」ではなく、もっと淡々と「皆殺しという点は史実とは異なるよね」と言っておけばあまり事を荒立てずに済むんでね。
0739人間七七四年
2008/10/17(金) 17:40:03ID:nTNjyVARまあそういうことですな。
歴史論争は、まあ、自分にも経験がありますがw つい売り言葉に買い言葉ってことになりがちなので、
そのへんを、少し気をつけていればいいかな、と。
0741人間七七四年
2008/10/17(金) 19:26:39ID:lxiQtdiNそして解剖されたカエルにはもう誰も興味を向けない。」
これは逸話スレでも当てはまること
0742人間七七四年
2008/10/17(金) 20:10:41ID:QPW3jCO/なんか言葉尻にやたら敏感なヤシがいるな
0743人間七七四年
2008/10/17(金) 22:45:01ID:yuP/Mk5Zそちのがわしの尻にと
0744人間七七四年
2008/10/17(金) 23:07:52ID:yuiegnGY0745人間七七四年
2008/10/18(土) 02:49:00ID:9d94L9vN確かに信長の傲慢さは忌み嫌われていたようだね。
天正9年、この頃になると信長の権勢は絶大で、その家来達も信長の威を借りて奢り高ぶり、
各地で信長が派遣した家臣達による、乱暴狼藉が当然のように行われていた。
甲斐を任された河尻秀隆による暴政などが、織田領内では常態化している有様だった。
ある日、高野山金剛峰寺に分け入った松井友閑の部下32名が寺領内で略奪、女子を犯すなど非道の限りを尽くした。
高野山側は、信長の家来達による度重なる非道に我慢出来ず、この32名の内数人を斬ってしまった。
さて報告を受けた信長は激怒し、諸国を勧進して巡る「高野聖」数百名を一斉に捕らえ、京・安土・伊勢で斬首。
このなんの罪もない「高野聖」を処刑した話を聞いた、当時の公家や文化人達は信長を非常に情けなく思い、噂し合った。
しかし人々から裏で、憎悪&侮蔑されている事も知らない信長は高野山金剛峰寺の焼き討ちまで決定してしまう。
この決断に心を痛めていたのは常日頃、公家や文化人らとの交流が深い明智光秀であった。
さらに治安や政治手腕に優れていた光秀は織田家による兇状が、各方面から恨みを買っている状況をも把握していた。
僧や聖だけでなく民百姓、そして公家など様々な文化人〜これら幅広い人々の心は織田家から離れていたのだった。
傲慢な信長が本能寺で討たれた数日後、本能寺の変を評した茶人の日記はこう結ばれている。
「外道終ニ滅ブ 天ニモ心アリ。」
現在本能寺の変における光秀の動機は、様々な分析が加えられている。
が、こういった当時の背景が光秀を後押しし、信長自身も民心を読めず自滅していたのは紛れもない事実だと言えよう。
0746人間七七四年
2008/10/18(土) 05:25:11ID:uyN3m46x本能寺の黒幕には公家説も有るからねぇ
滅ぶには滅ぶだけの理由が有るってことだね
ある意味秀吉以上に晩節を汚してる
0747人間七七四年
2008/10/18(土) 05:49:20ID:40LpRoO1坊主や宣教師視点だとそうなるのか
光秀も松永並の極悪人だった説も有力だし
そもそもの宣教師や坊主が週末思想振りかざして傲慢だったそうだし
どっちもどっちな面はありそうだがキリスト教も当時の仏教は排他的だし
まだ信長のがいいな
0748人間七七四年
2008/10/18(土) 06:13:25ID:vlAAfCXm逸話は逸話として語りなよ。
逸話を下敷きにして「であるからして・・・」なんて語りをされるのは真贋論争とは別の方向性で不愉快だ。
具体的に言うなら、下二行はいらない。
0749人間七七四年
2008/10/18(土) 06:38:29ID:k4E2x2nGこれまでの流れくらい読もうよ・・・
多少主観が含まれていようが、ここは逸話を書く所なんだよ。
それが真贋か主観かなんて別のスレで語ってくれ。
上で散々言われてることだろうに。
このスレ的には野暮な突っ込みの方がルール違反。
早くテンプレ作ってこの類のKYが寄り付かないようにして欲しい。
0750人間七七四年
2008/10/18(土) 07:52:25ID:hsCjtRHHお前が流れと空気読もうぜ?
上記のヤツは真贋ではなく、逸話のレスの方法論だろ。
つまり、なぜわざわざ悪意に満ちた書き方をするのか?って事を書いてるだけ。
今までの問題点の最大の論旨は、挑発的に書くべきではないって流れだったろ。
真贋論争だって、カチンと来るレスから始まってるんだから。
0751人間七七四年
2008/10/18(土) 08:22:50ID:XpLafWuA逸話に主観を持ち込むのも野暮。
下二行は各々が判断すればいいことであって、いかにもそうであったみたいに書くべきではないと思うぜ。
0752人間七七四年
2008/10/18(土) 09:48:18ID:64lVJ68Uアンチの方々に怒られるので、あんまり騒がないように。
「二人きりで話そう!」
最上義光から白鳥長久十郎重臣宛への手紙。
「この間はお返事ありがとう、いただいたお酒もおいしくいただきました。
白鳥さんがこの間来た時、あまりに素敵な馬だったそうなのでじっくり見たかったな
と言ったったんですけど、そうしたら白鳥さんがあなたの役に立つならと、
あとでわざわざ馬を山形まで送ってきたくれましたね。
義光はとても嬉しかったですよ!
…でもできれば、馬だけじゃなくて、白鳥さんにも来て欲しいんだなあ。
義光は白鳥さんと二人きりでお話したいんですよね〜。
これ、くれぐれも白鳥さんに伝えておいてくださいね♪」
かわいいことを書いているが、その後の展開を考えると義光殺る気満々な
手紙である…。
(義光はこの後、息子と白鳥の姫を結婚させ、さらに
仮病を装い「もうあとは長くないから、息子の義父である
あなたに未来を託したいから山形まで来てね」とおびきだし、
白鳥を自ら斬った)
0753人間七七四年
2008/10/18(土) 10:16:54ID:fgpTngI3永禄十年(1567)、毛利と交戦中の大友宗麟が、中国滞在中の司教、カルネイロにあてた手紙。
「自分が毛利と戦うのは、大内輝弘の地位を回復し、パードレたちによる山口でのキリスト教布教を
庇護を与えたいためである。そのためにも
毛利が硝石を輸入する事を一切禁止し、あなたたちは我々大友に、毎年200斤の良質の硝石を
運ばなくてはならない。」
信仰と外交と軍事戦略が一体化していたことを、よく示す逸話。
0755人間七七四年
2008/10/18(土) 12:55:57ID:/39Q/Xk70756人間七七四年
2008/10/18(土) 13:04:03ID:snUOqmUj0757人間七七四年
2008/10/18(土) 13:07:09ID:wal1/wpCこの話って有名だよ。
延暦寺焼き討ちやこの話以外に武田氏滅亡の時も菩提寺を焼き討ちしてるとか・・・
ちなみにその菩提寺の住職は明智光秀と親戚だったとかいう話もある。
0758人間七七四年
2008/10/18(土) 13:23:42ID:OSk4rdPU思いっきり冷遇されたあげく追放される結果に
0759人間七七四年
2008/10/18(土) 13:24:48ID:fgpTngI30760人間七七四年
2008/10/18(土) 13:34:10ID:nX/m2rHv0761人間七七四年
2008/10/18(土) 14:12:12ID:A+FRV8tf誇張・創作入り乱れた戦国時代の噂話なのだから、
正しい・間違っているなんて個人の主観
じゃあ酒の肴くらいの読み方でいいじゃないですか
意見・指摘は言葉やわらかくしましょうよ
さんざガイシュツな意見で申し訳ないけども、
もうちょっと意識していいスレに育てましょう
0762人間七七四年
2008/10/18(土) 14:26:29ID:8JYpaEsKいや、真贋論争の元になった文章に主観や個人の見解が入りまくってたんよ。
その文が悪意に満ちてると思った奴が野暮な突込みを入れた。
でもまぁ人が書く文章だし、ある程度の主観や見解が分かれるのは仕方が無いー。
逸話について見解が分かれても議論をする場ではないー。
っつー結論が出て終了。
>>677あたりが良い事を言ってるし、読み返したら?
殆ど異論がない意見だと思うよ。
0763人間七七四年
2008/10/18(土) 15:24:02ID:3xGRa0KU実話かどうか解らんがこういう話が言い伝えられてるってなら
それもまた当時の人たちの見方・考え方を伝えるひとつの資料
なわけだが、だからと言って何でもありにしちゃうと小説やアニメ
で創作されたエピソードも拒めなくなっちゃうしな。
0764人間七七四年
2008/10/18(土) 15:24:24ID:fgpTngI3こんなのでいかがでしょうか?
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0765人間七七四年
2008/10/18(土) 15:31:01ID:AuFpJ8tc出典があれば「文句あるなら出典に言え」できるし
0766人間七七四年
2008/10/18(土) 15:49:44ID:fgpTngI3まあ、資料に多く当たってる人には、その出典を「見つける」パズル的面白さみたいなものあるかとw
0767人間七七四年
2008/10/18(土) 16:09:40ID:w9mbZjnx羽柴秀吉の家臣に石川一光という者がいた
彼は同じく豊臣家臣の加藤嘉明に惚れていたので
賤ヶ岳の戦いの時、自分の兜を嘉明に被せたのだが
「他人の兜で戦えるか!」
と兜を捨てて戦場に行ってしまった
そのため一光も兜を被らず戦ったので
左目に槍が当たって死んでしまったとさ
0768人間七七四年
2008/10/18(土) 16:21:32ID:TzsK29xN特に有名な武将なら尚更だと思うし。
自分は出典とか明記するのは、個人の自由で良いと思う。本当に歴史に興味あるなら
出典を出せ!とか言わないで、自分で調べるのが筋。他に武将や地域の歴史スレで
質問するとかすれば良いんだし。少なくとも逸話の書き手を攻撃するのは、逸話を書くなって言ってる様なものだし。
出典なんか気にせず、どんどん逸話を書いて欲しいな、個人的には。
0769人間七七四年
2008/10/18(土) 16:25:56ID:fa94FsU6特定の信者やアンチが我慢できないだけだろ?
0770人間七七四年
2008/10/18(土) 16:55:24ID:SVxLdmAYでないと、個人がアタマの中で捏造したストーリーを逸話と称していくらでも嘘を並べ立てられる。
0771人間七七四年
2008/10/18(土) 17:00:22ID:Q5+3FysZ君が不利益を蒙るのか?
0772人間七七四年
2008/10/18(土) 17:08:52ID:AwyKoBYU仏の嘘は方便と云ひ、武士の嘘をば武略と云ふ。土民・百姓はかはゆき事なり。
光秀は嘘も策略として肯定していた悪い?男だった。
0773人間七七四年
2008/10/18(土) 17:24:42ID:wkHH0124ほっときなよ。
こいつの言ってる事は佐竹の話に噛み付いた上杉厨と変わらん。
同一人物だろ。
ソース厨、真贋厨、主観厨・・・ウザ過ぎ。
いちいち要求したり論争していたらスレが壊れてしまうっての。
既に何度も否定され、説得されてるのに「まだ言うか?!」って感じ。
不快ならスレを覗かなければ良いだけ。
0774人間七七四年
2008/10/18(土) 17:27:01ID:TzsK29xN嘘や捏造を見抜くのも、逸話の楽しみ方の一つ。それを無下に「捏造だろ?」とか「出典はあるのか?」とか
言うレスが野暮だって事。自分で調べて、「ああ、この話しとこの武将を掛け合わせたんだな。」とか
そう言う感想で十分でしょう。もちろん、書き手が「史実」って言い切ってるなら、指摘する必要は
あるかもしれない。逆に「こう言う話もあるよ」って自分で元ネタを出せば良いんだし。
史料を持ち出して検証するスレじゃ無いんだし、大人の対応をしようよ。
0775人間七七四年
2008/10/18(土) 17:50:58ID:VjQ+5NX5多分、自虐的な台詞でしょうね。私的な意訳では
「百姓達は色々とごねて私を困らせるが、仏が嘘
を言っても『方便』と嘯くし、武将達が欺いても
『それは武略だ』と誇る。それに比べたら百姓達
のほうが、己に正直なだけまだましだな。」
と光秀の心情を解釈しています。潔癖な光秀は、
世間の欺瞞に倦み疲れていたのかもしれませんね。
0776人間七七四年
2008/10/18(土) 18:22:46ID:AwyKoBYU逸話と妄想小説を一緒にしたらまずい。
「実は俺がさっき考えましたw」みたいな話が跋扈したら問題だろう。
0777人間七七四年
2008/10/18(土) 18:29:20ID:ejJvWS7gただ、バツの悪い話をあげるスレだからこそ、言い方に関しては良い話スレよりも気を使ってもいいと思うね。
どれだけテンプレを完備してもここは2chなんだから、自分の好きな武将の話でイラッときて特攻してくる奴は絶対出てくる。
「こういうことばっかりやってたんだから、後で滅んだのも当然だな」
「こんなことするんだから、よっぽど世の中が見えてなかったのだろう」
こういう言い方をしなくても逸話を語ることくらい出来るはず。
自分から犬の口の前に手を差し出して「噛まれた!この犬をなんとかしろ!」って言ってても仕方ないでしょ。
ここが「武将の悪口を言うスレ」ならばどれだけ悪意の篭った言い方をしたってかまわないけど、
「悪い逸話を語るスレ」なんだから、その辺りには各々それなりに気を使っていくべきだと思う。
0778人間七七四年
2008/10/18(土) 18:41:06ID:fgpTngI30780人間七七四年
2008/10/18(土) 18:55:39ID:GdjUiLxZ判官贔屓みたいな感じで後々の真面目な好青年なイメージ付いたっぽいね
実際には信長より年上だし本能寺の変のときにはヨボヨボだったらしいけど
くぎゅがやるとクールで凛とした・・・くぎゅううううううううううううううううううううう
0781人間七七四年
2008/10/18(土) 19:37:40ID:ejJvWS7gフロイスあたりでなかったっけ?
「謀略をめぐらす、腹黒くて信用できねーやろーだ」みたいな評価をしてたかと。
娘がキリシタンでベタ褒めされているのにおとーちゃんときたら・・・哀れなw
まあ、ただの真面目君を信長が重用するわけが無いし、俺の中では「上品な秀吉」みたいなイメージになってるなw
0783人間七七四年
2008/10/18(土) 19:44:28ID:TOkm9/lwソーリン聖人扱いして曹洞宗の坊主上がりのクマー悪魔認定してる程度の見識
比叡山の坊主逃がした説もあるくらい仏教・旧勢力寄りの光秀に対する評価なんて
全然信用できないのになぜか光秀DQN説が最近広まってる
それこそセンゴクあたりに毒され杉じゃね?
0784人間七七四年
2008/10/18(土) 19:46:02ID:/39Q/Xk7突っ込まれたらうざいと思うんなら予め書けばいいってだけの話
何故頑なにソース出すのを否定するのか
0788人間七七四年
2008/10/18(土) 21:48:54ID:fgpTngI3元和6年(1620)、将軍秀忠は、海外への日本人傭兵禁輸令を出した。
これは東南アジアに進出していたヨーロッパ各国に、大変な衝撃を与えた。
オランダのインド総督クーンは、このような書簡を残している。
「日本人傭兵の禁輸は、我らにとって大変な不便をきたす。彼ら無しでは、とうてい東南アジアでの
戦争は戦えない。
将軍は自らの国民を、外国の戦争のために、大きな危険にさらすことを止めさせようとしている。
将軍から再び日本人連れ出しの特権を得られるよう、あらゆる手を尽くせ。」
日本国内では、元和偃武がようやく定着しようとしていた。
0792人間七七四年
2008/10/18(土) 22:36:23ID:qbZHHrnGなるほど トンクス
>>788
しかしその評価してた日本の兵士に自分の銅像壊されちゃうんだよな>クーン
まあ第2次大戦の話なんだけど
0795人間七七四年
2008/10/19(日) 09:49:42ID:/0g0dJxP羽黒の戦いの後、犬山城に細川忠興や蒲生氏郷たちが集まっていた。
そこに森長可がやってきたので皆挨拶をしたが、氏郷だけは軽い挨拶だった。
長可は怒って
「氏郷、お前の名は忠三郎か。鈍くさいから鈍三郎か!」
と喧嘩をふっかけるが氏郷は相手にせず長可は帰ってしまった。
氏郷は笑って
「奴は羽黒の戦いに負けた鬱憤を悪口で晴らそうとしたのだ。
悪口で人に勝つことに勇気をふるうなどつまらぬこと。
勇者は戦いで勇気をふるう、だから私は戦いで勇気を見せよう。」
と言った。
傍から見ていた忠興はいつ斬りあいになるかとビビッてたとかなんとか。
0796人間七七四年
2008/10/19(日) 10:29:00ID:CiHOEOel0798人間七七四年
2008/10/19(日) 10:43:49ID:YkBcMDGdわざわざケンカ吹っかけてるようなもんだろw
0799人間七七四年
2008/10/19(日) 11:24:23ID:bBTcXhouすげー緊迫した場面だったんだろうな
0800人間七七四年
2008/10/19(日) 11:27:54ID:14eHSeUh文禄二年(1593)、豊後では、朝鮮役への負担に耐えかね農民の逃散が続出し、田畠は荒廃した。
大陸への出兵基地である九州での混乱をほおって置くことは出来ない。これへの対処を迫られた秀吉は、
こんな命令を出した
「全国の陰陽師を逮捕し、豊後につれてきて荒廃した農村に送り、定住させ農業をさせるのだ!」
非定住の遊民である民間の陰陽師は、支配者である秀吉にとって気に入る相手ではなかった。
自分自身が、敵を霍乱やスパイするために陰陽師たちを使った過去があるだけに、なおさらである。
遊民問題と農村の荒廃問題、これらを一度に解決する、一挙両得の政策であった。
もちろん失敗する。
秀吉の強大な権力により、豊後には全国から大量の陰陽師は集められた。が、いきなり見ず知らずの土地で
農業をやれといわれても、出来るわけが無いのだ。技術も経験もないのである。
そうこうしているうちに農民の逃散は、九州全域、そして全国へと拡大した。
慌てた秀吉は今度は文禄六年(1597)、農民が逃散した田畠はすべて豊臣政権が没収する、荒田没収令と言う
強硬策を打ち出したが、これは、自領の統治に介入されると諸侯の猛反対に会い、結局撤回された。
秀吉の指導力の限界が、露呈した形となった。
豊後に集められた陰陽師達は結局、またどこかへと消えて行ったという。
0801人間七七四年
2008/10/19(日) 11:30:33ID:h90aeKG7太閤となった豊臣秀吉は、足利氏より譲り受けた天下の名刀
「大典太光世」を気に入り、大切な家宝としていた。
ある時、秀吉の所に前田利家が青ざめて相談にやって来た。
「実は、宇喜多との婚礼をひかえて前田家に戻ったお豪が、
狐に憑かれたらしい。いろいろ加持祈祷して見たが、一向に
効き目が無い。そこで太閤殿下の大典太光世をお貸し願えま
いか。」
当時、年頃の娘が情緒不安定になり、突飛な行動や言動を始
める事を「狐が憑く」と呼び、その対処法として、良く切れ
る刀を娘の枕元に置くと言う迷信的な療法が行われていた。
秀吉にしてみれば、なにより可愛い養女、豪の危機である。
「わかった又左、すぐに持って行け。豪を必ず助けよ。」と
大典太光世を貸し出した。
数日後、利家が嬉しそうに刀を返しに来た。
「さすが天下の名刀。たちどころに狐が逃げて行きました。」
秀吉も満足して刀を受け取り、豪の快復を喜んだ。
だが数日後、再び利家がやって来て、また豪に狐が憑いたので
大典太光世を借りたいとの事。それではと再び貸し出す秀吉。
また数日後、刀を返しに来る利家。やれやれと思ったつかの間
また貸して欲しいとやって来た利家。とうとう秀吉は根負けして
利家に言った。「もうよい利家。そなたには大典太光世を授ける
ゆえ、そのようなしつこい狐が二度と豪に憑かぬよう、追い払っ
てしまえ!」と利家に刀を恩賜した。以降、豪に狐が憑く事は
なくなった。
だが、周囲の者達は「きっと前田殿は大典太光世欲しさに、娘の
病をだしにしたのであろう。」と噂する事しきりであった。
以降、大典太光世は前田家の門外不出の家宝として秘蔵された。
(出典 享保名物帳より意訳)
※前田家に伝わる大典太光世の収得については、諸説あります。
今回は私の最も気に入った逸話を紹介しました。異説、異論
等は各自で御判断をお願いします。
0804人間七七四年
2008/10/19(日) 12:30:09ID:Qgwm9ovV0805人間七七四年
2008/10/19(日) 12:39:36ID:CiHOEOelこれで本当に、娘の容態がちょっとよくなったら気を使ってすぐに返し、その後また悪くなって、というのを繰り返していたんだとしたら哀れだなw
>>804
書けるような逸話を知らなかったら、無理に書かなくてもいいんだぞ?
0806人間七七四年
2008/10/19(日) 13:19:54ID:FZRFVZRCんでそれで娘の病を、だったような
と思ったらちゃんと最後に注意書きしてるのね
0808人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:35ID:4bMeO33Rいい話スレでも悪いは話スレでも
細川忠興は逸話の最後に出てきて
呆れたりびびったりするのが定番の役どころになっているw
交友関係が広かったせいかいろいろ居合わせることが多いのだろうw
0809人間七七四年
2008/10/19(日) 20:12:46ID:DrgsQ658脳内ですって言ったらさらに攻撃されるから
0811人間七七四年
2008/10/19(日) 21:06:48ID:mRNye0O9葛西黒川一揆とか言われるこの一揆は、ただの農民どもの一揆とも思えないほどの勢力を持ち、彼らの武器も防具もなぜか武士並み。
そのうえ、たまに武士らしいのも混ざっていたりして、蒲生軍は大苦戦を強いられていた。
この当時、領国を満足に治められない領主は容赦なく降格させられていた為、さすがの蒲生も焦りまくっていた。
そんなとき、運良く一揆軍の伝令を捕まえ、持っていた書状を手に入れた。
その書状の内容は驚くべきものだった。
「 一揆を起こしているみんなへ
頼んでおいた一揆を起こしてくれてありがとう。おかげで、蒲生のやつに一泡吹かせることが出来たと思うよ。
もう少しがんばれば、やつを追い出すことが出来ると思うので、あとひとふんばりしてください。
約束どおり、武器、防具、兵糧などは全て負担するから、どんどん使ってくれ。
それと、人数が足りない時は、人も貸すからよろしくね。
では、検討を祈る。
伊達政宗より 鳥印 」
この書状を見た蒲生は大激怒。
さっそく京都にいる秀吉に、チクリの手紙と証拠の書状を送った。
これを知った秀吉も当然のごとく大激怒。
さっそく政宗は京都に呼び出された。
0812人間七七四年
2008/10/19(日) 21:07:36ID:mRNye0O9政宗 「さあ、なんででしょうか?」
秀吉 「とぼけても無駄だ。
おまえは、俺のかわいい蒲生くんを陥れようとして、一揆を扇動したらしいじゃないか。
蒲生から連絡があったぞ! さてはおまえ、いまだに会津領を俺に取られたことを根に持っているな。」
政宗 「なんと!それは誤解です。
蒲生のやつこそ、自分が一揆にてこずってるもんだから、それを私のせいにして責任のがれしようとしてるんですよ。」
秀吉 「あまい。ちゃんと証拠のブツはあがってるんだ。
おまえが一揆の皆さんに出した書状があるんだよ。
まいったか!良く見てみろ。」
政宗 「では拝見。ん〜確かに私の筆跡、さらに鳥印のサインまでそっくりの書状ですが、これは偽造品です。
私が書いたものじゃありません。
おそらく、私を陥れようとして、蒲生のやつが作った物ではないでしょうか。」
秀吉 「なんとびっくり!まだしらを切るのか。
この筆跡と鳥印のサイン、どう見てももおまえの書いたもんだ。
わしによこした手紙ともよーく比べてみたんだよ。どこが偽造品なんだよ。説明してみろ!」
政宗 「説明しよう!いや、説明しましょう。
実は私、こんなこともあろうかと、サインに偽造防止策を施してあります。
その方法はどういうものかと言うと、鳥マークのサインの目の部分に、いつも針で0.1ミリほどの穴を空けているのです。
他のだれかが、私のサインを真似て書いたとしても、さすがにその穴には気付きませんから、偽造品には鳥の目に穴がないはずです。」
秀吉 「なにっ!そんなうそが通ると思ってか!そこまで言うなら、おまえが昔俺によこした手紙を全て調べてやる。
もし、おまえの言う穴がなかったら、ただじゃおかんぞ。
おい、愛すべき家臣の三成よ、政宗から来た手紙をすべて持ってこい。」
三成 「はい、すでに用意しております。どうぞ。」
秀吉 「おお、準備がいいな。どれどれ....なにっ!。た、確かに、全ての手紙の鳥マークの目に穴が空いてるっ!」
政宗 「そうでしょう、そうでしょう。まさむねうそつかない。」
秀吉 「むむー。ということは......。」
政宗 「そうです。その書状は偽造品ということですよ。」
秀吉 「少し怪しい匂いもするが、証拠がなくなった以上はおまえは無実と言うことだな。
一件落着。めでたしめでたしだ。はっはっはっは。」
政宗 「(ふー、助かったぜ。それにしても蒲生のやつめ!俺様を敵に回したことを後悔させてやるぜ!だてに伊達を名乗ってないことを知らしめてやる!)」
かくして、伊達政宗はなんのお咎めもなく、無事に家に帰ることを許された。
しかし納得いかないのは蒲生くん。怒りも収まらないまま、なぞの死をとげるのである。
0813人間七七四年
2008/10/19(日) 21:41:59ID:8F8Mx1uK0814人間七七四年
2008/10/19(日) 22:41:52ID:Oun5rSGf0815人間七七四年
2008/10/19(日) 22:43:33ID:xfBY++Bw0816人間七七四年
2008/10/19(日) 22:47:16ID:YZKNA73w0817人間七七四年
2008/10/19(日) 22:48:09ID:YkBcMDGd「流石の俺」の部分の人だからな
0818人間七七四年
2008/10/19(日) 23:32:57ID:14eHSeUh一旦細川家に頼ろうとするも、長政の猛抗議で出て行かざるを得なくなる。
やがて知り合いを頼って、福島正則の治める広島へと渡った。その時のお話。
福島正則は又兵衛が広島に来ていることを知ると、黒田家からいくら抗議を受けても是非召抱えたい、と思った。
しかし、家臣を通して三万石での召抱えを申し出たが、あっさりと断られた。
それでさらに又兵衛に興味を持った正則は、彼を広島城に呼び出した。
又兵衛が御前に出てくると、正則は長政から送られてきた書状の返書を見せた。それはなんとも、
字の下手糞な物であった。
「黒田家は大禄のお家だが、字の上手なものは召抱えられぬのか」と家臣たちと共に大笑した。
又兵衛が黒田長政と大喧嘩して出奔したことを知る正則は、又兵衛と一緒に長政の事を
笑ってやろうと思ったのだ。
すると又兵衛
「黒田家には多くの家臣があり、字の上手なものも、下手なものもそろっております。
ただ、黒田の家風として、字の上手な書状には上手な字で、逆に字の下手な書状には下手な字で、
返事をお返ししております。」
正則は家臣たちの前で辱められ、顔を真っ赤にしたという。
召抱えの件も、勿論沙汰止みとなった、とか。
0820人間七七四年
2008/10/20(月) 00:21:27ID:ZD/8RBGc速攻で断ったけど評価はうれしいっていったらしいじゃん
まぁ家康はうわさが飛んで仲間われが見たかっただけで
本当にそう評価したわけじゃないけどな
0821人間七七四年
2008/10/20(月) 00:25:46ID:Emn78q9+恥ずかしさ倍増
これは正則かわいそうw
0822人間七七四年
2008/10/20(月) 00:42:42ID:OyLl/XENイチモツ大名皮肉ったら逆にディスられるは
浮気バレてカミさんに斬られそうになって逃げるは
市松が勝つ逸話はありませんか そうですか(´・ω・`)
0823人間七七四年
2008/10/20(月) 01:49:32ID:atgcrood徳川と豊臣の間が、いよいよ決裂、と言う頃のお話。
江戸にいた福島正則は、国許の広島にいる家老、福島丹波と尾関石見に向けて、秘かに書状を出した。
「私が故太閤殿下にご恩があることは、世間も皆知っている。わしは江戸に引き止められ
戦場に出ることは出来ないので、お前たちが覚悟を決めて、関東と大阪、どちらに付くか判断し、
息子の正勝を立て武将の誉れを立てるのだ。判断次第では私を見捨ててかまわない。
私の心底を気にしたり疑ったりしてはいけない」
福島丹波と尾関石見の意見は真っ二つに分かれた。
丹波
「殿が見捨てていいとまで覚悟されておるのだ!ここは大阪に味方に付くべきだ!
我らが大阪城に入れば戦局も変わり、徳川を離れ豊臣につく大名も出てくるかもしれない。
大体、強い者に従い弱い者を滅ぼしては世の中はなんと言うか!」
石見
「貴殿の言う事はもっともだ。だが、家臣である我々が、若殿様に父を見殺しにさせることが出来ようか!?
それによく時勢を見ろ。豊臣家がこの戦いに勝つことは、千に一つもない。
みすみす家を滅ぼすのは家臣のとる道ではない!」
丹波
「殿も本音は見殺しにしてほしいと思っているに違いない!
それに不利な豊臣家に味方して功を立てることこそ武士の誉れではないか!」
その日一日結論は出ず、次の日正勝の意見を尋ねると
「父上を見殺しにすることなどできるわけが無い。だいだいこの書状も、はっきり豊臣に付けとは言ってないし。」
と言う事で、福島家は徳川に付くと決まった。
0824人間七七四年
2008/10/20(月) 02:28:30ID:mipYmNKOそこには自分が死んだ後の母の堪忍分やら妻の再婚相手の事やらが事細かに記されていた。
その中にはもちろん息子のいない自分の跡継ぎのことも書いてある。以下の通りである。
自分が戦死したら金山は要害であるから秀吉様に有能な人材を選んでもらいたい。
くれぐれも跡継ぎは必要ない。仙千代(後の忠政)はそのまま秀吉様の傍にいればいいと思うよ。
沢姫と大天目は秀吉様に進上する事。あと粗末な茶器や武具は全部仙千代にくれてやる事。
仙千代が跡継ぎになる事は絶対に好ましくない。ていうか無理。
もしも万が一にも総負けになったら一族郎党みなみな火に掛かり死んでいただきたい。
むさし
(´・ω・`)ニイチャン…
0828人間七七四年
2008/10/20(月) 12:59:07ID:q3d8QAog正直すまんかった
ついくせで
参照
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-303.html#303
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-312.html#312
0829人間七七四年
2008/10/20(月) 16:07:58ID:N8LD91dKこの遺書読んだ上で大泣きしながら忠政に跡継がせる筑前って…
まぁ大きな家だし溢れる浪人の事考えたら妥当か
それに戦国を泳ぎきったから結果オーライなのか
0830人間七七四年
2008/10/20(月) 17:11:36ID:5rP+Dv0TWii 10月23日(木)発売
〓公式サイト〓
天誅4
http://www.tenchu.net/four/
力丸 :声優 小山力也(ジャック・バウアーなど)
0831人間七七四年
2008/10/20(月) 19:07:50ID:F34QrUlu大坂夏の陣の際、徳川方として参戦しつつ、全滅した隊があった。
大将の名は神保相茂、大和七千石を領する小大名であった。
その全滅の理由は、なんと味方のはずの伊達政宗の軍から一斉射撃
を受けたためであった。
島津家の記録には「この度の戦いにて、伊達政宗殿は味方を撃ち、
全滅させてしまった。家康公や諸侯の者は、伊達殿のなんと卑怯な
振る舞いかと笑いものにした。討たれたのは神保相茂殿である。
彼の従者二百七十名が討ち死にしたことは皆が知っている。」
戦後、この事を幕閣から追求されると政宗は弁明した。
「確かに味方と知って撃ったのは事実です。しかし伊達家の軍法には
敵、味方の差別は無い。神保の隊が我が隊に逃げ込み、我が隊も危うく
なったので、仕方なく討ち取ったまでの事。だからこそ、我が隊はその
後に大手柄をたてて、ご奉公したのです。」
だが神保隊は逃げていたのではなく、休息していた所を伊達隊が進軍の
妨げとして撃払ったのが事実であり、その場にいた複数の隊からも証言
されていた。
あまりにも理不尽な弁明だが、六十万石余を領する伊達家を刺激するの
は好ましくないと幕府は判断し不問とした。
当主と家臣のほとんどを失った神保家は、ほぼ改易の扱いとなるが、
さすがに不憫に思った幕閣達の働きにより、相茂の子茂明に父の旧領
大和七千石が後に与えられた。
伊達政宗の栄光の影に、犠牲になった神保家二百七十名余の惨死があった
事を、忘れてはならない。
(出典 寛政重修諸家譜 旧記雑録 慶長見聞書 より意訳)
0832人間七七四年
2008/10/20(月) 19:10:49ID:XVBAm3GQ0834人間七七四年
2008/10/20(月) 19:25:43ID:AFFHtHB10835人間七七四年
2008/10/20(月) 19:26:37ID:j7hGJY+70836人間七七四年
2008/10/20(月) 19:40:57ID:atgcrood秀吉が伏見にいた折の事。城の中に新しい屋敷を立て、その屋敷の四隅に数奇屋を設けて
それぞれで諸大名に茶の振る舞いをした。
主人役は、秀吉自身、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗。
場所はくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向であった。
さて、政宗がくじで当たった数奇屋にいたのは、佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝、
よりにもよって、政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中である。
「これは…、嫌がらせをしろということだな!」
政宗は、勿論そう考えた。
しかしとっさの事で、嫌がらせのネタが見つからない。
ふと台所を見ると、料理人が季節の野菜、つまみ菜の吸い物をつくっていた。
「これだ」
当時の茶ではコース料理が振舞われる。
四人の大名の前に、つまみ菜の吸い物の膳が置かれた。
ところがそれが置かれるや否や、次の料理が入ってきた。四人は慌てて
汁を吸った。途端、吸った椀から口を放し唇を押さえはじめた。
彼らの唇は、そろって真赤に晴れ上がっていた。
それは、さっきまでぐつぐつに煮立てられた、必要以上に熱々の汁であったのだ。
その後も料理や酒が出されたが、四人とも唇が痛くてとてもそれを食べられなかった。
政宗、会心のガッツポーズ。
後でこの話を聞いた秀吉、腹を抱えて大笑いしたとか。
0837人間七七四年
2008/10/20(月) 19:42:34ID:hZ84jgrq0838人間七七四年
2008/10/20(月) 19:43:08ID:XVBAm3GQ0840人間七七四年
2008/10/20(月) 19:50:58ID:5yeLiWqcこの発想が素晴らしいw
0841人間七七四年
2008/10/20(月) 19:55:17ID:paMwwoE10842人間七七四年
2008/10/20(月) 19:59:48ID:JQp20x6tこれ、このスレのワースト1だろ…酷い…
0844人間七七四年
2008/10/20(月) 20:31:09ID:ieR92pNz伊達による同士討ちの風聞は当時からあったようだが、
伊達が神保を攻撃するに至ったその理由は諸説あり定かではない
神保の休息中に攻撃したというのも、そのうちの一説であって
事実と認定するのはまだ議論が必要なところだな
0845人間七七四年
2008/10/20(月) 20:40:48ID:JQp20x6t別に貴方の言い分に異論は無いが、ちゃんと出典まで提示
している話に真贋議論を持ち掛けなくても良いのに…
だから出典なんて出しても意味が無いんだよ。
0846人間七七四年
2008/10/20(月) 20:44:10ID:XVBAm3GQ0847人間七七四年
2008/10/20(月) 20:45:09ID:jUFrIQQx待て待て。お前さんの方も落ち着け。
最後の一文は蛇足だろうが>>844は注釈の範囲内でしょう
気持ちはわかるけど肩肘張りすぎずに行きましょうや
0850人間七七四年
2008/10/20(月) 20:54:12ID:uMw6QJwM0851人間七七四年
2008/10/20(月) 20:54:28ID:atgcrood別の説から見た方向性からの光を当ててくれているわけだから、むしろありがたい。
そこは区別しないと。
0852人間七七四年
2008/10/20(月) 20:56:41ID:kYnOeVkZそれで伊達軍と周囲の東軍が一時睨み合ったとか
夏の陣が終わった直後「豊臣の次は伊達か」なんて噂が立つなど
妙な話が多い
伊達軍による(休息中の?)神保隊襲撃は案外実話かもしれんね
島津に限らず、第三者の立場で耳にした大名達は皆不快に思ったろうし
0853人間七七四年
2008/10/20(月) 20:58:28ID:Y52nIi73これはDQNの範疇を突き抜けてる
0854人間七七四年
2008/10/20(月) 20:59:50ID:hZ84jgrqとは思うがこれ以上はスレチ?
まぁどちらにせよ神保タンは気の毒だ。
0856人間七七四年
2008/10/20(月) 21:05:01ID:3KfHBT9IマジレスするとDQNって、一般的な感覚の範疇を突き抜けた人じゃないかな…
しかし「独眼竜」は人気あるんだよね。不思議な感じ。
0857845
2008/10/20(月) 21:08:00ID:JQp20x6t>>844さん、申し訳ございませんでした。
0858人間七七四年
2008/10/20(月) 21:14:14ID:az+FQSIU0859人間七七四年
2008/10/20(月) 21:17:52ID:ieR92pNzいや、別にいいんだけどねw
逸話の真贋を論じるつもりはないけど、>>831で
>だが神保隊は逃げていたのではなく、休息していた所を伊達隊が進軍の
>妨げとして撃払ったのが事実であり
と書いてあったから、諸説あって真実が判明してない事件で
その言い方はちょっと違うんじゃないかと思ったまでさ
0860人間七七四年
2008/10/20(月) 21:23:36ID:nh1tJUId0861人間七七四年
2008/10/20(月) 21:25:46ID:atgcrood大阪冬の陣のおり、島津が着陣するという噂が立ち、家康の使番が大阪の木津に使わされることになった。
このとき秀忠に付いていた使番にも、今後のため木津に行って、家康の使番から色々学ぶように、と
命ぜられた。ところがこの秀忠の使番が、いつまでたっても木津に現れなかった。
家康の使番が陣に帰ってからしばらくして秀忠の使番をみつけ、どうして来なかったのだと尋ねると、
彼はこう答えた。
「すいません。間違って大和の木津に行きました。」
0862人間七七四年
2008/10/20(月) 21:31:15ID:q3d8QAogつか、九州大名の軍が大阪冬の陣に着陣しに来るという所から察しろよ、秀忠の使番・・・
0863人間七七四年
2008/10/20(月) 21:31:26ID:uJgxFrsC一応最低限のフォローはされてたんだな
むしろこれは個人的にはいい話(幕閣的な意味で)
一方神保が捨扶持を貰ってる間政宗は、
大坂の陣の戦功で正四位下参議に昇叙、
更に嫡男にも伊勢宇和島10万石が与えられたのであった
0865人間七七四年
2008/10/20(月) 21:41:28ID:uJgxFrsC後秀宗はこの時には嫡男ではないね、長男だけど
勝ち組と負け組がはっきり分かれて興味深い
0866人間七七四年
2008/10/20(月) 21:42:03ID:GasX7xTp0867人間七七四年
2008/10/20(月) 21:52:14ID:kYnOeVkZ政宗の擁護をしてみる。
味方であれ、逃走してくる兵に雪崩れかかられると、
その後方の軍列は無茶苦茶になり、指揮系統も乱れ、まともに戦えなくなる。
下手すると一緒になって逃げ出す奴まで出てくる。
その混乱に乗じて真田辺りが突撃してきた場合、神保&伊達だけの敗退では済まない。
御味方総崩れ〜!なんて最悪の結果まで生んでしまう。
そうなる前に対処したのかもしれん。
冬の陣でも後藤隊に蹴散らされた佐竹軍&上杉第一陣の藤田隊が、第二陣の水原隊に雪崩れかかって来た。
水原はこれに怒って「左右にどけ!」と、この敗走してきた味方に怒鳴り散らす。
逆に水原自身は前進し、追撃してきた後藤隊に分け入って鉄砲を一斉射撃。そこへ第三陣の安田隊が突撃。
これに驚いた後藤基次は撤退。
見事に佐竹義宣の窮地を救い、後藤基次を退けた軍功が称えられた水原親憲。
徳川秀忠直々に感状を賜るが・・・
0868人間七七四年
2008/10/20(月) 21:55:05ID:6LQgjRic庶子で10万石なんてかなりの勝組っしょ。
嫡男以外で10万石の大名に取り立てられるのなんて将軍家じゃなければ普通は無理。
御三家でもよくて数万石でしょ。(確か紀州藩主になる前の吉宗は3万石の領主)
0869人間七七四年
2008/10/20(月) 22:10:15ID:X55VtsEH0870人間七七四年
2008/10/20(月) 22:13:14ID:3O5Ff2fE伊達これといったは戦果がなく、
一方でたかが旗本の神保が活躍していたのでムカついたのだという説もある。
0871人間七七四年
2008/10/20(月) 22:15:12ID:q3d8QAogdqn家久(忠恒)に「このDQN」とののしられる
まさしくまー君こそ戦国の KING OF dqn
0872人間七七四年
2008/10/20(月) 22:26:23ID:3O5Ff2fE最上義光は伊達輝宗に家督相続で介入されるも、父や妹の仲介もあり
友好状態を保っていた。
甥である政宗も、かわいい手紙や和歌を贈ってきたりして、
「おお、甥っこ賢いなあ、さすが妹の子」とデレデレしている伯父さんだった。
そんな甥が「伯父さん、出陣するから援軍ちょーだい!」と頼んできた。
早速義光は派遣、政宗は見事勝利。山形に礼状が届いた。
「……オレ自ら出たから、結構しつこい敵だったけどぶっ殺せました。
ついでに城主はじめ、女子供から犬猫まで、動くもの皆SATSUGAIしましたw
あそうそう、オッサンはオレの言うこと嘘だと思うかもしんねーけど、
これ超マジっすからwサーセンwww」
ヽ( ;´Д`)ノ「何このDQN手紙…」
【最上家中審議中】
_,,..,,,,_ _,,..,,,,_
_,,..,,,_/ ・ω・ヽ/・ω・ ヽ,..,,,,_
./ ・ω_,,..,,,,_ l _,,..,,,,_/ω・ ヽ
| / ・ヽ /・ ヽ l
`'ー--l ll l---‐´
`'ー---‐´`'ー---‐´
「もう伊達はだめかもしれんね」
「相馬あたりと包囲網つくろっか」
かくして義光は伊達包囲網を築き、じわじわと甥のDQNぶりと戦うことにした。
でも最上伊達間が冷戦でとどまり、大規模な合戦、流血がなかったのは、
両者がシスコンかつマザコンだったからである…。
0873人間七七四年
2008/10/20(月) 22:30:52ID:XVBAm3GQ0874人間七七四年
2008/10/20(月) 22:56:59ID:paMwwoE1話が混ざりまくってないか?
上杉軍一番隊須田・二番隊安田が崩れかかったところに水原が声を上げ
一番二番隊が避けたところに水原隊一斉射撃、
大坂方がひるんだ所に安田が槍を入れたのは鴫野の戦いで
佐竹が崩れたのは対岸でやってた今福の戦いだろ?
佐竹が崩れたので上杉が対岸から救援に入ったんであって
同士討ちはしてないと思うんだが。
0876人間七七四年
2008/10/20(月) 23:30:12ID:Ch+Ea9p2どんだけ魔性の女だったんだ・・・?
0877人間七七四年
2008/10/20(月) 23:39:58ID:5pu1/BWQ兄が息子を包囲すれば「そんなことするお兄ちゃんなんか大嫌い!」と往復ビンタしながら和平を促した。
最上対伊達の「大崎合戦」で彼女が叫んだ「喜べぇ! 出羽の山まで吹っ飛ばしてくれる!」という声に
最上伊達両軍の兵士はうなされ、不眠症となるものが続出したという。
ttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%BE%A9%E5%A7%AB
0878人間七七四年
2008/10/21(火) 00:09:52ID:bKDFTkKg後藤黒が黄色いと…
伊達家の後藤信康は
「性沈勇果敢にして智略あり,国のために力を尽くしいささかも私心なし」
と、 「東藩史稿」に記された勇者で政宗を支えてきた。
黄色い母衣を好んだことから、「黄後藤」とも。
仙台城築城の際には普請総奉行を務めたほどだった。
しかし彼も寄る年波には勝てず。
大坂の陣の出陣者から外された彼は、政宗に直訴し不満を訴えた。
しかし受け入れられなかった彼は、仙台城本丸から愛馬五島とともに
投身自殺した…。
天守台の麓にあるのは彼と愛馬をまつった神社、
という由来もあるけど真相はいかに?
0879人間七七四年
2008/10/21(火) 00:48:12ID:VRa4pw0W物凄い遅レスだけど、褒美について不満言ったのは井伊じゃなくて、井伊の家来の安藤重勝で、
その愚痴をたしなめた相手も、勝重の叔父の安藤直次じゃないか?(武功雑記)
0880人間七七四年
2008/10/21(火) 00:55:05ID:gW1c/+hqところが馬上で姿勢が崩れたところを土肥権右衛門という武者に突かれ、
田んぼに落ちてしまった。起き上がれない忠隣を見た土肥は
「お前みたいな未熟者の首は欲しくない
だが俺は走り回って疲れたのでお前の馬を貰う。せいぜいがんばって起き上がれ」
と言って行ってしまった
家来の助けでなんとか起き上がった忠隣は土肥の槍が落ちていたのでそれを持ち帰った
これを聞いた家康は
「馬も槍も戦いに必要なものだから痛み分けだな。うんうん」と言って忠隣を慰めたという
忠隣のかっこ悪い話
0882人間七七四年
2008/10/21(火) 01:26:18ID:OCOUinze0883人間七七四年
2008/10/21(火) 01:56:10ID:Aysw+zmwワザと槍を落としてやったのかもしれんな
と思うと( ;∀;) イイハナシダナー
0884人間七七四年
2008/10/21(火) 01:59:56ID:QSeALo4F乱戦で邪魔になったから捨てたとか、近くで討ち死にしてたとか。
0885人間七七四年
2008/10/21(火) 02:40:08ID:OaSGULgu0886人間七七四年
2008/10/21(火) 05:56:07ID:p0uWD3oM一口に槍といっても、
足軽用の長槍(4.5m以上)>徒歩侍の槍(3.5mくらい)>騎馬槍(2.5mくらい)>屋内用の槍(2mくらい)
と用途によって長さはおおきく異なるんだよ。
0889人間七七四年
2008/10/21(火) 20:13:07ID:wVk+y2pY面白い
0890人間七七四年
2008/10/21(火) 20:24:50ID:VRa4pw0Wある時客があり、直盛は鯉を料理して出した。それが大変美味だったので、客は
「すばらしい鯉でした。もっと味わいたいので、この鯉の頭も吸い物にして出していただけませんか?」
と頼んだ。
直盛は料理人にそれを命じた。が、いつまでたっても吸い物が出てこない。
そこで台所に行ってみると、料理人が先に、その鯉の頭を煮て食べてしまっていたことがわかった。
激怒した直盛は、その場で料理人を成敗した。
やがて客間に戻ると、「こう言うわけで吸い物は出てきません、大変申し訳ない。
代わりに、これを肴にしてください。」
と、客の前に、料理人の首を差し出した。
0892人間七七四年
2008/10/21(火) 20:50:08ID:7g0ofrGM0893人間七七四年
2008/10/21(火) 20:53:56ID:DiZbD2yj0895人間七七四年
2008/10/21(火) 21:05:49ID:OAHs3UjZ0896人間七七四年
2008/10/21(火) 21:26:10ID:mPPKKZWQ0897人間七七四年
2008/10/21(火) 21:32:09ID:iUyGBnoJ0898人間七七四年
2008/10/21(火) 21:45:38ID:OCOUinze0899人間七七四年
2008/10/21(火) 22:10:10ID:3ikwoBcG0900人間七七四年
2008/10/21(火) 22:20:20ID:2r239BL7これはドン引きだろw
0901人間七七四年
2008/10/21(火) 22:24:55ID:zKp3r9Nv0902人間七七四年
2008/10/21(火) 22:28:01ID:VRa4pw0W0903人間七七四年
2008/10/21(火) 22:32:44ID:W2fnCtJE0904人間七七四年
2008/10/21(火) 23:02:28ID:0fxyS1eU伊達政宗の教育係である片倉喜多は、片倉小十郎の異父姉であり、
鬼庭綱元の異母姉であった。才媛として名高い彼女は、
政宗にとってまさしく育ての母ともいえた。
上洛した政宗に従い、彼女も伊達家の京都屋敷にあった。
そんなある日、政宗留守中に秀吉がやって来た。
好色な秀吉は早速美しい侍女に目をつけ、下げ渡してくれと
頼んだ(侍女ではなく政宗側室説もあり)。
喜多は困ったが、時の権力者には逆らえずやむなく彼女を
秀吉に渡した。
すると帰宅した政宗が大激怒!
「あの女はオレが目をつけてて、ヤるつもりだったのに、
どういうつもりなんだ!?」
と喜多を斬り殺そうとした。
すると喜多は平然と「家の一大事と女への情け、どちらが大切ですか。
私が間違っていると思うなら斬りなさい」
と泰然自若として反論した。さしもの政宗もこれには詰まり、
彼女を追放処分とした。
その後彼女は、弟の領地でひっそりと庵を結び、
藩主の育ての母とは思えぬほど、寂しく一生を終えたと伝わる。
0906人間七七四年
2008/10/21(火) 23:07:40ID:+3ZFMIDB末期だな
0907人間七七四年
2008/10/21(火) 23:14:13ID:VRa4pw0Wあと、政宗は喜多死後の墓前寺を、わざわざ仙台に建立してるし、その墓を守るため
喜多の名跡での片倉家まで創設しているくらいだから、蟄居処分は処分としても、
伊達家でかなり大切にされていたのは間違い無いと思うよ?
0908人間七七四年
2008/10/21(火) 23:26:37ID:OAHs3UjZ豊臣秀吉のように女に優しく
大友宗麟のように身持ちが堅く
前田利家のように気前が良い、
立花宗茂のように俗事に通じた
伊達政宗のように常識敵で
細川忠興のように何事にも動じない
イエズス会士のように敵に寛大な人 を指す
こんなジョークをつくって見た
0911人間七七四年
2008/10/21(火) 23:36:50ID:BIZf8fXcある時、戦場で急に尿意をもようした。
敵は目の前、しょんべんごときで敵に背を向けるのは武門の名折れ
意を決した新兵衛は左手でむんずといちもつを掴みだし、放尿しながら
右手持った槍で敵を三人斬り捨てたのであった。
後に黒田秀忠の乱で幼き上杉謙信の命を救い、謙信の傅役となった
上杉二十五将にも数えられる金津義舊そのひとである
0913人間七七四年
2008/10/21(火) 23:50:25ID:RhkyJuWR>>910
「こんなEU人が理想!」のエピゴーネンですな
「イタリア人のように物事に正確で
一日3食イギリス料理
ルクセンブルグ人のように世界的に有名」
というやつ
0914人間七七四年
2008/10/22(水) 00:55:08ID:M7uaG5UQ池田恒興は織田信雄に味方していたが
本当は秀吉に味方したかった。
だが次男の輝政を信雄に人質としてだしていたので困っていた。
すると信雄が
「恒興は忠臣だ。そんな者から人質を取れば諸将は
わしを疑うだろうから、輝政は返す。」
と、輝政を返してきた。
しめた!と思った恒興はさっさと裏切って犬山城を落としてしまった。
0915人間七七四年
2008/10/22(水) 01:03:42ID:2+5A9/D8「博多はたいへんに人が多く、住民は優雅で礼儀正しかった。ただ、全国いたるところ
私たちが通り過ぎるとその後を、子供と遊民達がついて来た。
彼らは私たちに向かって「オイ!コラ!ワレ!」などと叫んだり、
「悪意ある朝鮮人め!!」と、罵ったりした。時には石まで投げられた。」
0918人間七七四年
2008/10/22(水) 11:37:43ID:0mCktqEH2回汁をかけた。
それを見た親父が
「汁をかける分量を1回で済ませられないとは」
と怒ったらしい。
でも追加で汁をかけることもあるわな?
俺はこれは理不尽と思う。
0919人間七七四年
2008/10/22(水) 11:41:19ID:eGcTgmiH0920人間七七四年
2008/10/22(水) 12:31:14ID:XfsnK8GE0921人間七七四年
2008/10/22(水) 12:45:27ID:LhwaY2SB一応その話には
・毎日麦飯に汁をかけるのに、毎日2回かける
→1回で済ませられない=決断力が鈍い
氏康「北条の世も俺で終わりだ」
そんな氏政だったが、
後北条家最大の勢力を誇ってしまうと言う皮肉なお話。
氏康にもう1人子供がいれば、関東統一なったんだけどね。
その辺は話に出てこない。
理想的なドイツ人とは
ヒトラーのように碧眼金髪で
ヒムラーのように容姿端麗で
ゲーリングのようにスマートである。
っていうのもあったね。
0923人間七七四年
2008/10/22(水) 13:57:40ID:FnbSufYX武田の手が徳川に伸びて来たころ、当然のように徳川家臣への寝返り工作が行なわれた。
最初に目を付けられたのが、大賀弥四郎だった。
弥四郎は小者から武士に取り立てられ、家康の寵愛を受け出世したため、妬むものが多く、
徳川家臣の中で浮いた存在になっていた。
内通が発覚してからの家康の怒り恨みは大きいかった。
刑場へ着いた弥四郎がみたものは、妻子8人の磔にされた姿だった。
弥四郎は足の腱を切断され、手の指10本も切られ、首から下を埋められて板をかまされ、
板の穴から首だけが出た目の前に、指が並べられた。
そして竹のノコギリが脇に置かれ見物人、通行人に首を引かせたのである。
一思いには殺さず、なるべく長い間苦しめて殺そうという極刑である。
恨みを持っていた家臣達や寝返りを許せない家臣達が率先して首をノコギリで引き、
その度に弥四郎は断末魔の叫びを上げる。
磔にされた家族はそれを聞きながら処刑されていった。
弥四郎はのた打ち回ることも許されず。血みどろになりながら6日目になって息絶えた。
0924人間七七四年
2008/10/22(水) 14:09:12ID:2+5A9/D8鋸引きはこの時代、ごく普通にある刑罰だからなあ。戦国大名であれば誰でもやってる。
これをもって残酷と言うのは少し違和感があるな。
むしろ家康はこのあと、本多作左衛門の諫言でこの手の刑罰を控えるようになって、
同時代でもかなり「人道的」な刑罰体系を作っていく。
0926人間七七四年
2008/10/22(水) 14:23:16ID:FnbSufYX確かにその通り。
秀吉、信長に比べこの手の話が殆どない家康でさえ、この時代全体を覆う空気の中では、
行なっていたということを書きたかった。
0927人間七七四年
2008/10/22(水) 14:33:13ID:uv51fFlY把握
大御所時代には駿河の安倍川付近に処刑されたキリシタンの首が並べられてたと何かで読んだな。
0928人間七七四年
2008/10/22(水) 14:38:40ID:WnrZe1nr同じ話か分からんけど、別の場所で読んだ事あったな
一思いに殺して欲しかっただろうな…そして何より痛いっつーか痛いってレベルじゃないか…
0930人間七七四年
2008/10/22(水) 14:55:10ID:9qjCFZze0931人間七七四年
2008/10/22(水) 15:03:12ID:eyNI/DmU竹鋸の話は皆死ぬまで数日生きているからね
数日経過すれば首が無事でも死ぬわ
0933人間七七四年
2008/10/22(水) 16:44:25ID:XB344xqIもう一人子供ってどういうこと?
氏照、氏邦、氏規、氏秀etcいるのにまだ足りなかったの?
それか早世した長男のことか?
0934人間七七四年
2008/10/22(水) 16:52:39ID:XB344xqI後お茶漬けとか食べてると分かるが、
ご飯が乾燥してると結構水分を吸ってしまうので後から追加しないとならなくなることがある。
それか器にご飯の量が多くて一回ではかけきれない場合とか。
0935人間七七四年
2008/10/22(水) 16:59:38ID:eGcTgmiH0938人間七七四年
2008/10/22(水) 17:17:23ID:zaxJPh2mご飯の最後の方にお茶いれて綺麗に食べるってのはお寺とかでもやってなかったっけ?
行儀か、この話でそこまで考えてなかったw
0939人間七七四年
2008/10/22(水) 17:19:55ID:y2bESjDC毛利元就-輝元とかいろいろなバリエーションがあったはず。
白米落城伝説が各地に残ってるようなものかと。
>>933
新九郎のことではと解釈してみる。
0940人間七七四年
2008/10/22(水) 17:22:50ID:2+5A9/D8博打を打っていた。そこに、森可成の家臣、武藤五郎右衛問が、自分にも打たせてくれと
やってきた。
柴田勝家が「それは構わんが五郎右衛門、我々が打つ博打は値がはるぞ?
おぬし、銭は持っておるのか?」と聞く。
武藤「三百貫文までなら払いましょうぞ。」
するとその座の者はどっと笑った。
「おぬし、森の家臣の癖に、主君よりも銭を持っておるわけがないではないか」
武藤は気にせず、さらさらと何か書き始めた。そこには
「自分が負ければ、可成に断りを入れた上で、一年間負けた相手の下に出向いて
三百貫文分まで無給で奉公つかまつる」
0941人間七七四年
2008/10/22(水) 17:24:42ID:8yIdLM4O0942人間七七四年
2008/10/22(水) 17:58:37ID:pefuNAM0「これで腹の虫をおさめ、落ち度・ご無礼を許してください」
ということでおk?
0945人間七七四年
2008/10/22(水) 18:47:16ID:S5Q1Gus4某の見るに、貴殿も同じ嗜好の持ち主とお見受けしたが?w
>>940
結局五郎右衛門は勝てたのか知りたいな
大体この手の話って、結末伝わってないような…?
0946人間七七四年
2008/10/22(水) 19:06:57ID:mwcVB2h5ほんとに食ったのかも知れんぞw
>>943-945
姫武将はかける側か、かけられる側か、それが問題だ
0948人間七七四年
2008/10/22(水) 21:24:15ID:XfsnK8GE(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは鯉の頭のお吸い物を所望したと思ったら
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ いつのまにか料理人のおかしらが活け作りされてきた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 頭蓋骨の漆杯だとか平然とメシ食うがらしゃ夫人だとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
0949人間七七四年
2008/10/22(水) 21:32:43ID:Y+ZK22Gt政宗は五十歳前後のころ、作十郎という美少年を寵愛した。
しかし彼に思いを寄せる男がいると密告された政宗は激怒、
酒の席で「誰がテメエに思いを寄せてるんだ!」と彼を罵り倒した。
作十郎は潔白を証明するため、刀で腕を貫いて血で誓詞をみとめて
政宗に送る。
ちなみに自傷行為ってのは衆道での愛の誓いね。
政宗は反省して返信した。
「Dear作ちゃん、疑ってごめんね。酔っぱらってひどいことしちゃったね。
本当は政も血でもって謝るべきなんだけど、もう若くないしお風呂で
傷口を見られて"あのオヤジ、いい歳こいてw"って噂になったら困るし…。
若い頃はよくそんなことしたけど、もう孫もいるからね。
でも作ちゃんのことだーいすきだからね、ホ・ン・トだよ」
ちなみに作ちゃんの姉貴も政宗の側室…さすがです。
0951人間七七四年
2008/10/22(水) 21:41:00ID:kZMA/kF7マジレスするとホモだのレズだのは近世生まれた差別意識だし
でも俺は女がいい
でも二次元でいい
0952人間七七四年
2008/10/22(水) 21:42:00ID:jbFe/yUU本多作左の逸話思い出した。
家康が安倍川の河原で、人を煮て処刑するための釜を
拾って持ち帰ろうとした。そこに作左が通りかかり、
「なんと情けない事だ!殿は人を煮て殺すような政治
を行うのか。」
と一喝し、釜を割り砕いたと言う。これには家康も返す
言葉が無かった。
…いい話だねこれじゃ。スレ違い申し訳ない。
0955人間七七四年
2008/10/22(水) 22:39:23ID:yDSifjElしかし作左はどうしても長門裕之に脳内変換してしまうなww
0956人間七七四年
2008/10/22(水) 22:41:13ID:2+5A9/D8木下長嘯子こと、木下勝俊。
彼は武将よりも、文化人としての生活のほうが性に合っていたのだろう。
伏見から退去してきた勝俊に、その妻、うめが、このような歌を送ってきた。
「命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ」
世間の評判を捨てて命を永らえるとは何事ですか。あなたに会いたくないので髪を切りました。
そう、勝俊が城を落ちた事を知ったうめは、憤りのあまり彼を見限り、さっさと髪を切って尼になり、
実家に帰ってしまったのだ。
彼女には武士たる者が、篭城に参加もせずにのこのこと逃げてくるような惰弱な行為は
全く理解できなかった。
戦国は女性も、好戦的でパワフルなのだ。
0958人間七七四年
2008/10/23(木) 00:19:06ID:aXPLBrwC自分の死んだ後が不安になった直家は家臣たちを呼んで
「わしが死んだら、お前は殉死してくれるか?」
と尋ねた。
家臣たちはそろって「御恩がありますから、殿に続きます。」と答えるので
直家は機嫌がよくなった。
そして戸川秀安にも同じ質問をすると
「私に殉死は無理です。
家臣は合戦で人を殺したので殿を地獄に連れていくことでしょう。
僧侶ならそんなこともないし、殿から私たちの十倍は尊敬されて
いますから適任でしょうな。」
と皮肉った。
この言葉が堪えたのか直家は「わしがどうかしていた。」と反省したのだった。
0960人間七七四年
2008/10/23(木) 01:28:46ID:/LpgPX/C0961人間七七四年
2008/10/23(木) 01:39:15ID:o6HwBOEt(一方で長可兄ちゃんが森家が秀吉につくことによって危機に陥った織田信孝の人質の忠政を
もう他に兄弟生きてないしと自ら少人数で岐阜城に潜入救出した話もある。数十m下の崖下に放り出したんだが)
この男、結構運がよく本能寺直前に信長のもとに出仕するも
先輩の梁田君に頭なでられたのにぶちぎれ扇でぼこぼこに。
それを見た信長が「お前はまだ出仕できるようではなさそうだ」と親元に送り返したおかげで兄貴2名と違って生き延びたんだが
これは別に悪い話じゃないのでちょと悪い話を。
川中島を領することになった忠政。この地はかつて本能寺の変後に
領民が長可を武力で追い払った土地だったので「兄の仇ども」と入国するなり
鳥打山より寺尾のはずれまでの川中島の百姓ら300余りの人々を磔にしました
と、いうのは建前で忠政的にはぶっ殺したかったのだがそんなことしたら人がいなくなって亡国必至
そこで考えた家臣たちは「殿が来たときだけ磔台にかけておいていっ茶ったら解放したらいいんじゃね」となり
領民にそれを通達。領民たちは金がある者は日雇いで磔係を雇い
無いモノは自分が掛った。結果磔の列は二十町ほどずらーっとならび。
ところが「殿が来るぞー」と声が聞こえたら突然家臣たちは本当にぶすぶすとつき殺し始めた
その場は「話が違う」「我らは雇われただけ」と阿鼻叫喚の地獄絵図と化したとさ。
忠政は成敗大好きで斬りまくっていたので忠政関係者は年末にキラズ粥(斬らず)を食って
今年一年生き抜けたこと、来年一年も生き残れることを願ったそうです
忠政は江戸城内で地震来た時に逃げ惑う諸侯の中泰然として動かず隣にいた逃げようとする
堀尾さんを押さえつけ、それを見た逃げてる途中の政宗さんは考え直して逃げるの辞めたという
剛毅な逸話もありますが暗黒面もあったんですな
最期は桃食ったあとに「超気持ち悪い」と言いだし2日後に死にました(毒殺ともいわれる)
以来津山では命日7月7日は七夕を祝わず(6日にやって7日未明に全部かたずける)
桃畑は一斉撤去されたので名物消滅
死んだあとも迷惑かけましたとさおしまい
0962人間七七四年
2008/10/23(木) 09:46:39ID:8LkD7QMq0963人間七七四年
2008/10/23(木) 12:34:18ID:/LpgPX/C森忠政といえば、大阪の陣のとき、幕府から軍資金として下げ渡された金300枚を
これ幸いと丸々町人への借金の返済に充てたらしいな。
0964人間七七四年
2008/10/23(木) 12:55:24ID:mqXpMvbr石田三成の根回しなどもあって従姉妹の島津亀寿と結婚し島津家の世子に納まったが、
この亀寿は若死にした家久の兄嫁だったということなどもあり、非常に不仲であった。
しかし、亀寿の父の島津義久が先代の当主で家中に発言力も絶大であり、なかなか離婚できなかった。
慶長16年に義久が亡くなると、せいせいしたとばかりに亀寿を鹿児島城から追い出して
若い側室を次々に囲った。この年の事実上の離婚から63歳で死ぬまで24年間の間に
今までの鬱憤をはらすかのように32人も子供を作りまくった。
更に亀寿を経済的に圧迫し、一時は通常の生活を出来ないところまでおいこんだらしい。
しかし、そこまでしても亀寿に対してはずっと怨念が晴れなかったようで
寛永7年に亀寿が亡くなると、それを報告した侍女に対して亀寿への挽歌として以下の一首を送った。
「あたし世の 雲かくれ行 神無月 しくるる袖のいつはりもかな」
(亀寿は11月にこの世を去ってしまった。妻の死に袖も絞れるほどに泣いてる
…というのは 嘘 ぴ ょ ー ん)
0965人間七七四年
2008/10/23(木) 13:11:29ID:9Z/ClKnl0966人間七七四年
2008/10/23(木) 13:23:05ID:RihtZESj地震の話だが
忠政らが座っているのを見た伊達政宗は逃げるのをやめただけでなく逃げた諸候に対して
「御前近くなのに大騒ぎだな。もはや揺れもおさまったので皆お席にお戻りくだされ。」と鎮めて政宗も席に戻ったという
ただでは転ばぬ政宗なのであった
0968人間七七四年
2008/10/23(木) 13:37:56ID:lnvas/Nv何というか、まさに「DQNな方の家久」だな。
大量生産した子供を政略結婚でフルに利用したのは上手いと思うけど。
>>966
相変わらずだなこいつもwまあ、政宗だから仕方がないw
0969人間七七四年
2008/10/23(木) 14:46:11ID:/LpgPX/C家康の前で、本多親子たちが、その戦についての論評をしていた。
正純は言う
「木村重成の討ち死には早かった。翌日の天王寺、岡山の決戦の時まで生き残っていれば、
豊臣秀頼公を連れて落ち延びることも出来ただろうに。」
これを聞いた家康は、なんとも答えずに嫌な顔をした。
すると、織田信長から「海道一の勇士」とも評された、本多正信の弟、正重がこういった
「死にたくて死ぬ馬鹿はいない。」
0972人間七七四年
2008/10/23(木) 16:14:31ID:kbbO5y9j0973人間七七四年
2008/10/23(木) 16:31:00ID:CxI39V8w子どもの時にいたずらして一回ぶたれたことあるけど結構痛いよあれ
切ないというか儚いというか
大阪の陣はこういう話が多いね。。。
みんな最期の花火を上げる為に戦ったからかな。
0976人間七七四年
2008/10/23(木) 17:50:37ID:9Rsq2fu7へぇ〜!だから津山は七夕がずれるのか〜!
初めて知ったよ!
0979人間七七四年
2008/10/23(木) 18:35:33ID:RMu+RqxA忠政「この俺の言うことが夢幻だってのか?ふざけた野郎だ、やっぱ返さねえ」
というやりとりが頭をよぎった。
0980人間七七四年
2008/10/23(木) 18:49:34ID:0H+3I89a町人「本当に返していただけるなんて夢のようです」
忠政「この俺の言うことが夢幻だってのか?ふざけた野郎だ、こいつら磔よろしく」
家臣「ハッ」
町人「話が違う」「我らは雇われて取立てにきただけ」
阿 鼻 叫 喚
0981人間七七四年
2008/10/23(木) 18:49:33ID:LlcfhrmL一般的に美談とされている、関ヶ原後の捕らえられた三成に対する黒田長政の行動(着物掛けてあげて「勝敗は兵家の常云々」)
って考えようによっては悪い話じゃないか?関ヶ原の勝因にほぼ全て絡んだ男が敗者にこんなことしたら皮肉以外の何物でも無い気がするんだが。
0982人間七七四年
2008/10/23(木) 18:52:30ID:/LpgPX/C0983人間七七四年
2008/10/23(木) 18:54:41ID:0H+3I89a次スレ
戦国ちょっと悪い話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224755628/
0985人間七七四年
2008/10/23(木) 18:56:06ID:/LpgPX/C↓テンプレ
戦国ちょっと悪い話2
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220982424/
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0988人間七七四年
2008/10/23(木) 19:39:00ID:/LpgPX/C関ヶ原の時ほど有名じゃ無いが、大阪の陣でもこんな話があるな。
大阪の陣のあと長宗我部盛親が捕まり、二条城の門前で晒し者にされた。
やがて雨が降り出したが、盛親には笠も与えられず雨ざらしのままであった。
そこに島津家久が通りかかり、警備の者に「長宗我部殿を濡れたままにさせているとは
なんとはしたない、この笠をかけて差し上げろ!」と、自分の笠を差し出した。
ところが盛親は「私は濡れてもなんとも無い。それより家久殿こそ登城の際に濡れては困るだろう」
と、笠を返そうとした。しかし家久はそのまま笠を置いていってしまった。
また、井伊直孝も晒し者にされている盛親の格好がみすぼらしかったのを見て、
自分の着物をうち掛けた。
これに対しても盛親は、「井伊殿はかわった人だな。」
と悪びれず言った。
本来的にはいい話なんだろうけど、盛親の態度に、どうにもいい話にさせない何かがあるw
0989人間七七四年
2008/10/23(木) 20:27:39ID:JDt2l8gd寺子屋の先生が長かったからなのか・・・いい話の方の逸話といい、大阪の陣に参戦しない方が良かったんじゃ
0990人間七七四年
2008/10/23(木) 20:43:38ID:/LpgPX/Cでもまあ、捕まった時には、「何で一手の大将なのに討ち死にや自害しなかったんだ?」って聞かれて、
「雌伏して再起するために決まってるだろ!」って言ってたりする。逸話的にはまんま
三成のポジションなんだよな。
0991人間七七四年
2008/10/23(木) 21:19:56ID:RMu+RqxA0992人間七七四年
2008/10/23(木) 21:29:22ID:1TiBLY8b0993人間七七四年
2008/10/23(木) 21:34:43ID:o6HwBOEt「25歳の時本気で指揮とってたらどうなったかなぁ」とかたまに思いながらも
普通に寺子屋師範で人生終えてもいい人なきがする
環境的には京と八丈島の差はあれどあの人とあんまり変わらないし
その辺の在京文化人とも交流あったみたいだし
一応若狭で坊さんになて生存説もあるが
0994人間七七四年
2008/10/23(木) 21:37:40ID:3H3swvmE秀頼は別としても他にいたっけ?
0995人間七七四年
2008/10/23(木) 21:40:57ID:/LpgPX/Cそう言うのをやったってタイプの逸話もあるね。
「お願いです命だけは」って、命乞いをして、ダメだとわかると>>988の態度になる、って奴。
ただ、盛親の場合、卑屈になるにせよ毅然としているにせよ、どうも場違いな感じがするんだよね。
彼は、一手の将以外の何者でもなかったわけで。
0996人間七七四年
2008/10/23(木) 21:51:57ID:o6HwBOEtのちに酒井家の5000石の家老になったという弟は本当にいたんですかね?
0997人間七七四年
2008/10/23(木) 22:01:58ID:/LpgPX/C足立七左衛門こと長宗我部康豊ね。
占い師に化けた逃亡譚とか、酒酒井忠利との出会い方とか、以上に伝奇臭が強いんだよなー。
足立家自体は酒井の家臣として続いているから、一応本当にいたとは思われるけど。
0998人間七七四年
2008/10/23(木) 22:09:51ID:uC6xUCyc0999人間七七四年
2008/10/23(木) 22:11:33ID:uC6xUCyc1000人間七七四年
2008/10/23(木) 22:12:10ID:kUUUEQ/n10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l http://hobby9.2ch.net/sengoku/
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。