ちなみに室町から戦国時代にかけては近畿一体の米生産力が他地域に比べてはるかに増大し、
日本の全人口に占める近畿の割合が30%を越えた時代なので、
堺、奈良、天王寺/大坂、伊勢山田、奈良などの数字は多すぎることはない。

関東では鎌倉が没落し、小田原が最大の都市だったろうけど、推定人口が見つからんかった。

地方の有力者の都市の場合、手前味噌な記述に基づく推定が多いので、割引いた方がいい。

ある程度信用できる推定人口が出てくるのは、人別改制度が成立する江戸時代以降。