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【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2008/05/20(火) 16:25:28ID:xxvcz5OY
類似の板が分散していて、過疎ってしまうので
家康公を中心として、徳川家全体のスレとして再出発します。
十六神将までカバーしますので、類似過疎スレからの誘導をお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0883人間七七四年2009/02/10(火) 08:40:03ID:WdpgTI0+
スレタイも読めない馬鹿がいる
0884人間七七四年2009/02/10(火) 08:48:01ID:qmwGj648
昨日からあぼ〜んばかりだな
0885人間七七四年2009/02/10(火) 16:55:43ID:3fyOaunO
徳川家康公がお札の顔になってもいいのにな
0886人間七七四年2009/02/10(火) 17:28:41ID:MrgImfhU
なってもおかしくないとは思う。
鎌倉〜江戸の武家政権期の人物で肖像になってるのは二宮尊徳だけってのはさすがにおかしいよね。
0887人間七七四年2009/02/10(火) 21:11:11ID:EjBs8hwT
武家だからこそお札にはならないんでしょ。
江戸なら上杉鷹山のほうがお札に近いわな。

ところで天下を統一した人間でお札になった人っていたかな。

0888人間七七四年2009/02/10(火) 23:18:26ID:79Ka8S+D
>>882
太平記すら読んだ事が無いのが良く分かるw
つか南北朝時代そのものをしらんだろ?

どの歴史家がどう具体的に言ってるの?南北朝時代の資料は戦国時代より良質な一次資料多い。
太平記を後世に金儲けの為大衆向けに作られた三国志演義といってる時点で恥ずかしいレベルw

いつまでも知ったかはよしとけw
0889人間七七四年2009/02/10(火) 23:58:58ID:wSJspMNg
文化人は色々と無難だからな
0890人間七七四年2009/02/10(火) 23:59:05ID:37xIYn4Y
三河の生せんべいには家康公の逸話がついてます。
甘くておいしいです!!
0891人間七七四年2009/02/11(水) 09:07:25ID:QTzz5OLN
>>888
スレ違いもわからない粘着バカはあっちへ逝ってください
0892人間七七四年2009/02/11(水) 21:32:26ID:C9jvJlfD
家康公って南蛮鎧集めるの好きだったの?
かなりの武具コレクタだったとか・・・。
0893人間七七四年2009/02/12(木) 10:08:33ID:WbYKqaJU
家康派ああ見えてお洒落なんだぜ
0894人間七七四年2009/02/12(木) 14:46:26ID:bfiQfMDG
家康公は老いてなお好奇心旺盛なイメージ。
太閤秀吉公とはまた違う意味での『オタクっぽさ』を感じる。
0895人間七七四年2009/02/12(木) 17:50:34ID:8WjFQdaV
>信長や秀吉の方が粛清は積極的にやっているし
>粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
これ今の日本にも言えるよな。



蒸し返して悪いが、史実の楠正成は凄いの?5行で教えて!
0896人間七七四年2009/02/12(木) 18:32:08ID:eoP85cep
天下人の元には自然と物が集まったんだろうね
0897人間七七四年2009/02/12(木) 20:15:29ID:3kTmcPNb
>>888
キモチ奴だな。
こういう奴が犯罪とか犯すんだろうね。南北スレで好きなだけやれや!
0898人間七七四年2009/02/12(木) 21:36:23ID:zOLIGJST
家康公の素晴らしさは果てしない!
0899人間七七四年2009/02/13(金) 01:43:06ID:QZIyMM7L
>>895






−完−
0900人間七七四年2009/02/13(金) 01:44:30ID:QZIyMM7L
海外で評価され始めてるとかいうが
だいたいそんなもんだよね
それで逆輸入の形になるよな
やっぱり家康はすごい、と
ついでにウンコネタまで広まっちゃうけど・・・
0901人間七七四年2009/02/13(金) 02:03:17ID:iN91iqwd
家康はかっこ悪い逸話も多く残ってるのがいいんだよ。
面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
0902人間七七四年2009/02/13(金) 09:19:13ID:Agtip812
自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
0903人間七七四年2009/02/13(金) 09:53:04ID:s3eLakFi
国家安康
君臣豊楽

の難癖はめちゃくちゃだけどな
0904人間七七四年2009/02/13(金) 09:58:36ID:2V96oLKx
>>903
あれは豊臣の選者が意図的にした事と弁明書に明記され、
それが問題であると五山の僧は一致した見解を述べている
0905仙台藩百姓2009/02/13(金) 10:22:07ID:AvjI++kv
家康本人は隠したかったけど隠し切れないほど欠点汚点が満載だったのだお( ^ω^)
0906人間七七四年2009/02/13(金) 14:34:45ID:5qpAIk+K
家康にモンハンやらせるか
0907人間七七四年2009/02/13(金) 15:58:27ID:CdZu+eHf
その難癖めいたと思ってるものにでも内心ピキピキきてても収めて臣従してくれてれば…
そうしなかったからこその今の豊臣びいきの人たちがいるんだろうけど

徳川側からしたら「これで恭順してくれたらなあ、無理だろうけど」って感じだったんじゃないの
それまでにだって機会はいくらでもあったけどしてもらえなくて、これが最後通達だったのかも
0908人間七七四年2009/02/13(金) 20:34:31ID:XGeqUnhY
「やる夫が徳川家康になったようです」で興味もった
家康すごいな。
0909人間七七四年2009/02/13(金) 20:45:43ID:wsmpPsXP
>面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
武骨ってこと?


>自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
前轍?踏まないのは大したもんだと思うぞ。
0910人間七七四年2009/02/13(金) 23:34:59ID:JD0MMo82
家康公はもう神だよ
本当にあの方は偉大だ
0911仙台藩百姓2009/02/13(金) 23:51:30ID:AvjI++kv
確かに日本国にとって疫病神なのは間違いないお( ^ω^)
0912人間七七四年2009/02/14(土) 15:49:02ID:CGShjJbd
>>911
あんたのところの藩主は道化神だけどな。
0913人間七七四年2009/02/14(土) 17:03:16ID:ijvbLm8R
三河一向一揆で離反した家臣・従属豪族って、
過半数だった?
0914人間七七四年2009/02/14(土) 18:53:47ID:YGN1W98T
>>910
神じゃあありません
権現様です
0915仙台藩百姓2009/02/14(土) 19:02:02ID:hihXhcDe
>>909
二度も本陣捨てて逃げてるけど( ^ω^)

家康自身が欠点をさらけ出したわけじゃないし
大坂の陣で逃げたのも大久保に指摘されたら
脇差しに手をかけて城中に響き渡るほど大声で怒鳴り散らして怒り狂ったお
本人は汚点を隠したかったけど周りに言われてバレちゃっただけだお( ^ω^)プッ
0916人間七七四年2009/02/14(土) 19:20:29ID:g/Fa4gkL
>>914
権現は神号。
神様で間違っていない。
0917人間七七四年2009/02/14(土) 21:15:25ID:Uv0emTQ2
>>904

豊臣を滅ぼしてから当時の関係者を呼び出して脅して書かせたの?
0918人間七七四年2009/02/14(土) 21:47:10ID:CZHmdjOd
>>917
ななめ上だ
0919人間七七四年2009/02/14(土) 22:12:21ID:5zsC7Krh
家康公を尊敬しない馬鹿クズゴミアメーバ共はもう帰ったらどうだ
スレタイと正反対な事してんじゃねーよ
家康公を尊敬しない奴は決まってそういう低脳で幼稚な発言を絶対するんだ
何故だと思う?
馬鹿だからだ!
0920人間七七四年2009/02/15(日) 02:44:06ID:AEJ8ZNlL
以前いた百姓とは別人か…。


3月に日光行ってくるわ…定期的にいきたくなるんだよな
0921人間七七四年2009/02/15(日) 11:30:48ID:0OLSbiuX
家康公は本当に何かを集めるのが好きだったみたいね。
男性特有の『コレクター』っぽい部分があったのかも。
0922人間七七四年2009/02/15(日) 18:23:43ID:0XeCgEN2
武芸関連の流派免許のコレクターか
0923人間七七四年2009/02/15(日) 19:21:13ID:F2kmU3Oe
武道の免許皆伝って本当なの?
0924人間七七四年2009/02/15(日) 20:49:48ID:AEJ8ZNlL
家康のはガチらしいけどどうでしょね
0925人間七七四年2009/02/15(日) 21:11:39ID:jiPYPgou
>>920
久能山はどうすんだ
0926人間七七四年2009/02/15(日) 22:06:53ID:w0fppN6/
家康と細川藤孝は怪力らしい
0927人間七七四年2009/02/15(日) 23:22:15ID:NvM4oFAP
山岡家康で育ったので司馬家康を読むのを敬遠してたけど、年末辺りから読み出してみたら
よく言われる程悪く書かれてないし、魅力的な役柄多くないか?
秀吉の方が印象悪くなる記述多いし、信長なんかは妙にスルーされてる事多いし。
0928人間七七四年2009/02/16(月) 02:49:36ID:gLgpwe1R
作品による。

凄みのある悪役として描かれている作品(関ヶ原、城塞など)もあれば、
無闇に貶されたり無用の批判をされているな、と感じる作品(功名が辻、
竜馬がゆくなど)もある。

少なくとも江戸政権末期の様相を家康の性格に起因すると考察したり、
秀吉の主家簒奪を評価したあと、すぐに家康の主家簒奪を『犯罪的』と
称するのは個人的にはあまり愉快ではないな。
0929人間七七四年2009/02/16(月) 08:19:51ID:+wjaRy9x
まあ秀吉は織田断絶はしなかったけど、家康は豊臣やったからな。
歴史上の役割としては権力の一極集中に必要な儀式だが、司馬は現代からの視点で書くし。
山岡荘八の家康公は流石に江戸の御用学者もビックリだけどさ。
0930人間七七四年2009/02/16(月) 08:51:07ID:mOVW1Foq
>>927
池宮彰一郎先生の家康面白いよ。
幼い頃習ったイメージをずっと引きずって家康大嫌いだったんだけど氏の作品を読んでから家康が最も好きな武将になりました。
一個人、人間家康がすごく魅力的に書かれてます。
0931人間七七四年2009/02/16(月) 09:03:06ID:mOVW1Foq
>>915
それが徳川家康の魅力だろう。
臆病に徹し、偉大な先輩の下で野望をひた隠し、時には負けて逃げ回り堂々と歴史に恥を残した。
だが最後の最後に巡って来たたった一度のチャンスをなりふり構わず掴みとった。
こんなに親しみを感じる魅力的な人物はそういない。
0932人間七七四年2009/02/16(月) 09:19:37ID:b1MbyWLc
家康は小説と割り切って興味を持つ人が多いからいいね。
信長だと、ゲームやテレビをまんま受け取って、架空の人物と現実が区別できてないのが多い。
なんからしくておもろい。
0933人間七七四年2009/02/16(月) 10:18:40ID:LL0W1q8t
小説やドラマは作者の主観でどうにでもなる
去年大河ドラマが好例
0934人間七七四年2009/02/16(月) 20:38:23ID:xFqW8vDj
>>929
山岡家康は今見ても聖人君子に見えるんだから
これが発刊当時だったら相当センセーショナルだったんだろうな
俺の場合、親父が持ってて読ませてもらったから
今度会ったらその辺聞いてみたい
0935人間七七四年2009/02/17(火) 01:07:44ID:kc4fVYyi
>>934
三英傑はそれぞれ昔から神格化されてるけどなぁ。
革命化みたいな事やってた危ない塾の先生やその周辺じゃ、戦後信長崇めてたけど
意外と朝廷に楯突いてないので、今は家康らしいし。
0936人間七七四年2009/02/17(火) 08:41:58ID:Jfh6OT94
崇拝とまでは行かないが家康支持は圧倒的に企業経営者だろ。
俺もそうだが、必ず山岡家康は読めと言われるからな。
経営セミナーなどでは必ず言われることだが「失敗者に学ぶことは何もない」
何故、どこで失敗したのか、を正確に読み取ることができるくらいなら
初めから何も学ぶ必要などない。

そういわれるとそうだな、と思ってしまうし。
0937人間七七四年2009/02/17(火) 10:59:06ID:RE73HAZa
>>932
そうか?山岡家康をそのまま信じ込んで、史実でどう研究がこうと言って
律儀者家康像を傷つけるような説は頭から否定している人とか結構いるがな。

>>935
自分に都合のいい偶像を崇めているってことですね。
その人はきっと、レーニンとスターリンを崇拝し、次は毛沢東を崇拝してきた
のでしょうな。

>>936
だから駄目なんだな、と思ってしまう。
敗戦を分析しない軍人はいない。
0938人間七七四年2009/02/17(火) 17:18:51ID:Jfh6OT94
>>937
そういうことではないんだな。自己や自社の失敗は徹底的に分析する。
しかし歴史上の人物に学ぶ、ということはそういうことではない。
史料やサンプルが少なすぎて、失敗の原因を特定することが困難で
そもそもそれを特定できる能力があれば、ハナからそういう失敗はしない。

限られた時間で学ぶならば成功者からより多くを学べ、というのが鉄則。

倒産企業の社長の「私はこうして会社をつぶした」セミナーには暇人しか行かないでしょw
0939人間七七四年2009/02/17(火) 22:27:44ID:OiYh9Kow
今日のラジオで浜松の人が読まれて、家康ネタだった
もちろん小豆餅と銭取り、ウンコは無し
そこそこネットしてる番組だから聞いた人いるかも
番組名なんだっけ、10分番組
0940人間七七四年2009/02/18(水) 02:03:16ID:JkCjE+XF
経営セミナーとか言ってる時点でw
0941人間七七四年2009/02/18(水) 03:33:01ID:jKfvtWfj
PHP文庫とかで沢山出てる「戦国武将から経営学を学ぶ」みたいな本、
本屋に行くときに稀に立ち読みしたりするけど、ほぼ例外なく現代の後付価値観によって
無理に当時の人間の行動を褒めたり貶したりするような程度の低い内容ばっかりだもんな
0942人間七七四年2009/02/18(水) 08:43:54ID:1NAiad64
PHP文庫自体がクソですから
0943人間七七四年2009/02/18(水) 08:52:00ID:nDFSMjEn
でも938は会社社長で
940-942はニート
せつないのうw
0944人間七七四年2009/02/18(水) 09:57:38ID:pqyFOSlh
つまり会社社長がニートに負けちゃうスレですね。
それはそれは立派な経営手腕をお持ちの社長なんでしょうねw
0945人間七七四年2009/02/18(水) 10:46:19ID:dTvJ+iqe
>>938
「勝因の無い勝利はあっても、敗因の無い敗北は無い」

>941も言っているが、この手の話は勝利者はあたかも最初から全て計画があって、
その通りに動いて成功したかのように解析するんだよね。
0946人間七七四年2009/02/18(水) 10:55:37ID:LdO6fRCj
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしって言ってた某監督思い出した

関係ないけど味噌の話は定期的に出るね
みんな好きなんだなあ
0947人間七七四年2009/02/18(水) 11:55:12ID:hTskX/Ei
>>936
こうゆう異常なマンセーが出ちまうのが山岡荘八家康の困ったとこかな。
信長・秀吉とはそもそも役割が違うしこの二人なしには家康もない。
0948人間七七四年2009/02/18(水) 15:41:15ID:hPUl+LjB
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

0949人間七七四年2009/02/18(水) 15:54:44ID:P++8B4xJ
セミナーとか言ってる時点でこいつは間違いなく2ちゃんのみで妄想経営者でしょうw
そして遠回しに自慢にもならないセミナー知識でひそかに自慢しているつもりになっている低所得者に間違いないw
0950人間七七四年2009/02/18(水) 19:28:51ID:OA9x3mG8
ちと横から悪いが、姉川、長篠、なんて普通は信長で語られるけど、実記あたりでは織田なんかケチョンケチョンだし
徳川に詳しい方からみると、どっちが主戦、に思ってるのかなって。
もちろん史料は書き手の良いほうに解釈してそういう書き方になるのだけど、後世の我々が冷静に評価したらどんなもんなんだろうってね。

信長の戦は案外たいしたことないし、徳川主戦、信長ってのは家康にかなり助けてもらってるような気がしてならないんだよね。
織田スレでは恐ろしくってカキコできないが・・
0951人間七七四年2009/02/18(水) 19:48:55ID:I0OfIhK7
どっちかというとネットですれ違っただけの相手を妄想で叩くほうが
気持ち悪いかなー。まあ聞いてもいない自分語りもアレだけど。

>>950
自分で何という資料のどういう記述からそういう結論を導き出したの
か言ってもらわないと肯定も否定も出来ん。
0952人間七七四年2009/02/19(木) 00:22:20ID:99lCerMt
>>950
長篠では、家康は信長に「今度援軍に来てくれなかったら手を切るぞ」って
言ったほど、戦力的に頼りにした。現実に、織田の援軍が到着してから、
救援に向かえたほど。

姉川なんて逆だよ。あれは家康が信長のお手伝い戦に召喚された合戦。
しかしそれだと神君が使いっぱ扱いになってしまうので、徳川の奮戦で
織田は勝利できた!と働きを過大に記述した。

金ヶ崎退陣などもそうだね。実際は摂津守護池田氏の兵を主力に、秀吉
光秀らが働いたのだが、ここで家康を活躍させることで
「秀吉がいなければ信長は生きていない、家康がいなければ秀吉は生きていない」
などと捏造セリフを信長に吐かせて、天下人二人に恩をかぶせ、家康が
いなければ二人とも天下人になれなかったと思い込ませた。

信長、秀吉、今川義元、武田信玄。家康より上の立場に立ったことの
ある人物は、基本的に家康をマンセーする為にイロイロとプラスにも
マイナスにも改変が加えられている。
0953人間七七四年2009/02/19(木) 11:06:22ID:tK7Zq/6x
明治初期頃までは信長は創作なんかでも不当に貶められてたしな。
まあただその悪い記述が基で魔王だの風雲児になって、現代じゃ人気になるってのは面白い。
そこまでトンでも人間でもなかったらしいのにww
0954人間七七四年2009/02/19(木) 17:37:23ID:aNv57nDC
信長は心酔してる人も多いが面白がられてるな
イチロー伝説みたいなことになってる
0955人間七七四年2009/02/19(木) 20:21:48ID:92RUz+97
>>953
そうなの?
あんなに苛烈な人物でもなかったの?
興味あるので教えてください。
それは幕府の方針ってか、家康の評価や正当性を強調する為かな?中華の史記のごとく前王朝や前主権者をケチョンケチョンみたいな
0956人間七七四年2009/02/19(木) 22:04:42ID:L3R+FatH
>>955
信長人気は戦後の映画から。
その理由は長くなるので省略だけど、ちゃんと普通によく語られてたりする。
簡単にいうと、太平洋戦争の影響で、他国侵略をした秀吉を英雄視できなくなって、外なる人を
殺していない無害な信長が語りやすかった、というのがある。

で、江戸時代の芝居や草子類は信長なんてほとんど触れられてない。
あくまで、秀吉とか家康のつけたし。
これを不当というかどうかは別の問題だが、重要なのは家康にはむかった秀吉でも江戸期には大人気で
自由に語れた。
このあたりは大事だよ。

で、戦国勝ち抜き戦という意味では、信長は光秀よりも下、負けてるしね、せいぜい毛利ぐらいと同格、ってとこ。
少なくとも江戸期まではそうやって思われてた。

織徳同盟ってのもあるんだから、徳川は織田を低く評価する理由がない。
実記では、あの強い織田を助けた、みたいなふいんきになってる。
にもかかわらず、織田に関する庶民的な人気がない、というのは注目なんだ。

話戻して、今の信長のイメージは戦後の映画だし、若い人にとってはゲーム、で洗脳されてる。
スレチだが、鉄砲三段撃ち、鉄甲船、楽市楽座、関所撤廃、このあたりは史実ではないことがほぼ証明されてる。

ちなみに、信長は地球儀もみてないはず。
世界をウンタラ、なんてのは完全に創作だぉ。
0957人間七七四年2009/02/19(木) 22:10:38ID:L3R+FatH
補足。

楽市楽座、関所撤廃とかは、信長も採用したけど、決して信長が創始者、ではないってことね。
政軍分離ってのもそう。
各地方大名の研究が進んでいろんなとこで独自にひろまったり進歩したりしてのがわかってきた。
それを信長がそのまま、安堵した、みたいな書状も残ってるので、なんでもかんでも、信長が革新的に発明、日本を統一した、みたいなのは完全に創作、ってことで。
0958人間七七四年2009/02/19(木) 22:22:57ID:92RUz+97
>>956
何だ、ただの外基地のたわごとかw
0959人間七七四年2009/02/19(木) 23:11:35ID:S6cgwvi7
姉川では実際は徳川はそんなに大活躍でもなかったとか
逆に大坂では別に家康本陣は慌ててなかったとか
話はいろいろあるよねえ

繋がりは無いけどたまたまこっちに書いてきたんで
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0960人間七七四年2009/02/19(木) 23:58:11ID:99lCerMt
>>956
その織徳同盟も、実際は対等の同盟ではなく、上下関係の同盟だったとされているね。
だからこそ江戸以降、織田と徳川が最初から対等な関係だったと色々と捏造された。
0961人間七七四年2009/02/20(金) 00:09:04ID:62P6+icq
もう一つ。人気というのは時期や情勢、土地柄で変わるので一概に言えない。

例えば秀吉は大坂では人気だったと言うが、では大坂以外では?
信玄や武田家は徳川がおおいに宣伝して軍学の流行と同時に人気になったが、
信濃の一部などでは蛇蝎のごとく嫌われ続けた。

ちなみに江戸時代に、戦国武将で相撲の番付評みたいなのを作ったりもされて
いるのだが、信長は光秀や毛利よりも上に位置づけられている。まあこれも
複数の種類があるので評価が一つに定まっていたものでもないが。
0962人間七七四年2009/02/20(金) 10:07:51ID:YaFUV18O
まあ三河では吉良上野介が正当な評価受けてるのと同じでしょ。
むしろ暗殺しなかった浅野のほうがバカ殿w
0963人間七七四年2009/02/20(金) 10:51:42ID:o7McV/pd
>>956
あと中国なんかは特にそうなんだけど、現代の政治・経済・文化の
情勢で讃える対象が決まってくるっていうのもある。

中国で民国・満洲帝国と戦っていた毛沢東が天下を取りかけていた頃に
明・満洲と戦った李自成が過剰に持ち上げられたり、江青夫人が実権を
握った途端に則天武后がもてはやされるといった「その時々の政治的
要求に合わせて歴史の化粧を変えてみせる」という学会の阿諛追従が
日常化しているけれど、日本だって明治・昭和の天皇制賛美の時代に
南朝方や上杉謙信が忠臣としてもてはやされ、満洲大陸移民の時代に
なると義経ジンギスカン説が語られ、明治と高度成長の時期には
立身出世の権化・秀吉が過剰に神格化されてる。坂本竜馬も戦前は
「海軍の創設者」と讃えられてたのが戦後になると「株式会社の創設者」
にいきなり賛美の内容が手のひらを返されてた。
0964人間七七四年2009/02/20(金) 10:52:51ID:o7McV/pd
信長が史実の実体とかけ離れて

「西洋文化を取り入れた」
「新兵器の利用に熱心だった」
「経済の活性化に功績があった」
「信賞必罰のリーダーシップ」

なんかをもてはやされていたのも、単に知っている武将に
今の時代の理想像を何でも押し付けようという
「夢見る側の勝手な都合」
だったんじゃないか?

信長ブームについては、信長自身の資質なんかよりも、ブームに
なっていた時代の「世相」の方を調べるほうが判りやすいと思う。
それは不景気の時代の家康ブームについても言えるんだろうけれど。
0965人間七七四年2009/02/20(金) 11:39:44ID:A+dgvjdB
まあ西洋の甲冑着込んでる信長は勘弁して欲しいなw
勝手に無神論者にされたり、物凄い傲慢にされたり(以外と公家なんかにはマメに対応してる)と
信長の逸話がインフレしっぱなしだからなあ。
信長・秀吉・家康は似たような事やっても、猿ウゼー 狸uzeee 魔王様流石!つーやつが多くて疲れる。
0966人間七七四年2009/02/20(金) 14:08:22ID:QpnYxkjE
スレ違いなことで熱弁ふるう勘違い野郎が多くて疲れる。
0967人間七七四年2009/02/20(金) 15:36:59ID:o7McV/pd
>>966
仲間はずれにされてから独り言をブツブツ言ってると気味悪がられるよw
0968人間七七四年2009/02/20(金) 15:57:58ID:ATECzH4o
>>960
それも難しいところだよね、いろんな側面、見方、があるから一概には言えないけど自分はかなり対等に近いものがあったと思ってる。
江戸期にはそれは徳川はなんでも中心で語られるけど、捏造は捏造として、織豊の頃にまでさかのぼって判断するとあながち、上下関係とも言い切れないだろう。
長男切腹事件で丁度信長ー家康が直接やりとりするわけで、家康に詳しい人たちにも聞いてみたとこだけど、あのあたりの二人の関係はどうだったんだろね。
事件自体もいろいろな説が出てるようだし。

>>961
それはそうだね。で、信長人気、という一般論に関してはこれは戦後の映画のイメージというのは常識みたいなもんで、世相というのもそうだし、政治事情というのもそうだろう。
家康ってのもこのあたりで、本格的に取り上げてほしいものだけどな。
日本が世界に誇る人物、という感じで。
0969人間七七四年2009/02/20(金) 21:29:27ID:Qk5TkAZ/
家康は大阪の陣で、途中和議を挟んで2回の戦いで豊臣を滅ぼした

秀吉も、家康の次男を人質に取った時点で一度停戦して九州、四国を平定する
その後改めて家康に脅しをかければ有利な条件で家康を降せるはず
0970人間七七四年2009/02/21(土) 00:19:42ID:csmwCd0U
>>969
大坂の陣は和議というより実際は降伏勧告に近い
豊臣側は大坂城の内堀・外堀を問わず全て埋め立て、本丸以外を全てを破却が条件であり
もちろん徳川側は特になんの条件も課されていない
それに対して小牧は家康が最初から後継者扱いしていない秀康を厄介払いしただけで
それ以外は家康はなんの負担もしていないし追い詰められてもいない
秀吉が有利な条件で家康を降すことは不可能な状態だった
0971人間七七四年2009/02/21(土) 01:19:26ID:aoKYx99+
小牧といえば、留守の岡崎城を攻めるとかヘタな作戦で失敗してしまったけど、あんなことせずに作戦の指揮を秀吉が握ったままだったらどうなってたかな。
直線で200mぐらいのとこまで秀吉ー家康は接近してるのでしょう。
あのぐらいビッグな存在だと局地戦で終わってしまう、にらみあったままでおしまい、とかそういうのもあるだろうし、雌雄を決するつもりだったかもしれないし、なかなか興味深いとこなんだよな。
どっちみち戦で勝てないと成ったら、秀吉が作戦変更したのは史実の通りだろうから家康がどうしてたかがね。
信雄が想像を絶するアホ殿だったからさすがに家康もまいってたかな。
0972人間七七四年2009/02/21(土) 01:42:06ID:T7kNYQz1
>>970
このためにものすごい重税をかけて、自殺者や逃亡者を出しまくって
経済的にはものすごく追い詰められていたそうだが?
0973人間七七四年2009/02/21(土) 02:10:14ID:iG2oMdyN
>>970
お互いガチでやりあう程の余裕ないしなぁ。
信雄云々ぬきでも似たような結末だった気もする。
0974人間七七四年2009/02/21(土) 06:19:47ID:aoKYx99+
>>973
かもね。

ただ、重要なのは、人間いつ死ぬか、なんてわからないこと。
家康なんて辛抱して長生きしただけじゃん、とはよく言われるけど、それがいかにすごいことか。

関が原から大阪の陣まで10年以上、その間自分が生きてるなんて誰にもわからない。
結局、豊臣殲滅は急務じゃなくていつでもできる、他に優先事項がある、ってことなんだろうけど。
その判断が間違ってなかったこともすごい。

結論として、家康はすごい、だけだなも。
0975人間七七四年2009/02/21(土) 09:45:33ID:vzQ4ouaX
>>971
小牧・長久手スレでも書いたが、両者の陣地戦は家康が優位なのです
彼の方は二つの台地の境界線上にあって、水が出やすく湿地帯の中にある
秀吉は原野の中にあるだけで、秀吉が一方的に不利なのです

後、中入りは岡崎城は攻めれればラッキー程度で、実際は家康を引きずり出し、
秀吉本隊とで挟み撃ちにする作戦だった様です

まぁ、これは家康があまりにも速く動き過ぎて失敗しましたが
0976人間七七四年2009/02/21(土) 10:35:26ID:Ufz8pZh7
>>975
そんなことはない。
小牧陣の東も北も秀吉方陣地で固められてて楽田〜竜泉寺に至までも拠点の普請を
行っている。家康方から岩崎山攻めるのも困難至極なはずで
秀吉が一方的に不利なんて事はない
0977人間七七四年2009/02/21(土) 10:48:30ID:Ufz8pZh7
>>971
あの作戦は秀吉の意思によるものだよ。池田の発案というのは講談。
3月13日の丹羽長秀宛書状では『14、5日程で一気に酒の酔いを醒ますごとく
決着つけてやる』と言ってるししかも大軍結集してるから実行にも移してる。
敗戦前日の丹羽宛書状等複数の書状では『家康さへ討果候へは』
とあるし龍泉寺に向かう途中での柏井、大草の根城に山内一豊、
生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を三河
へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦も
その一貫であり自分の意思で池田等の兵力を三河に向け発向させる予定である旨
を報じてる。
北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被
仕候付被討果之由候て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀かねに同道してた
渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』と記してる。
その後も秀吉の決戦構想は は秋頃まで一貫してて11月の信雄との和睦時ですら
「家康には恨みが深いので年内であっても攻め滅ぼしてくれん」とか言ってる
0978人間七七四年2009/02/21(土) 11:09:55ID:FaE5Aq3l
>>976
あくまで地形的な不利を評しただけです。
0979人間七七四年2009/02/21(土) 13:20:52ID:iiww7NG6
小牧のあれも
家康の計略が裏にあったとしか思えなくなってる
そんな家康の謀略家ぶり
09802009/02/21(土) 20:37:43ID:gFsJH9kK
次スレ建て申した。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/l10
0981人間七七四年2009/02/22(日) 00:39:22ID:ZpTHnD6F
>>977
ほぉ、池田の発案が講談、というのはおもしろい。
個別に検証したいとこだね。

具体的行動は家康が取ってるし、秀吉の動きは後手というか、様子見、牽制しながらに思えるのだよね。
でも、あの秀吉がそんな簡単に不利になる体制を作るわけないから、あの岡崎責めは陽動作戦で、家康が動いたところを叩く、というのはありそう。
にしては、かなりの大軍がやられてるし、小牧自体がよくわからないところもある。

ちなみに、自分は名古屋なので、あのあたりの、湿地帯、とか、原野、とかそういう地形的な評論は認めない。
いかにも机上の論でね、桶狭間もそうなんだけど。

977さんが言うように、秀吉の作戦で、失敗したから、作戦変更、というのが正しいのかな。

で、3年で関白になっちゃって結果的に大成功。ミスすらうまくごまかす、というのは秀吉のすごいとこなんだろか。
最終的に勝ったのは家康さまなんだけどね。
0982人間七七四年2009/02/22(日) 07:29:46ID:oBf0ssGs
>>981
個別に検証も何も甫庵太閤記が初出の話なのだが。
まあ小牧から釣りだしたかったようだね。その後秀吉は木曽川筋で戦うが
この時も『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』と小牧から
おびき出そうと考えてたし。でも究極的な目的は>>977にも書いたけど
家康との短期決戦が目的と考えられる。その後7月に『来る15日(八月十五日)』
『西国・北国之人数』を総動員して尾張、三河遠江へ出兵する計画を報じており
この計画を各方面に書状で報じている。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。