【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年
2008/05/20(火) 16:25:28ID:xxvcz5OY家康公を中心として、徳川家全体のスレとして再出発します。
十六神将までカバーしますので、類似過疎スレからの誘導をお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0883人間七七四年
2009/02/10(火) 08:40:03ID:WdpgTI0+0884人間七七四年
2009/02/10(火) 08:48:01ID:qmwGj6480885人間七七四年
2009/02/10(火) 16:55:43ID:3fyOaunO0886人間七七四年
2009/02/10(火) 17:28:41ID:MrgImfhU鎌倉〜江戸の武家政権期の人物で肖像になってるのは二宮尊徳だけってのはさすがにおかしいよね。
0887人間七七四年
2009/02/10(火) 21:11:11ID:EjBs8hwT江戸なら上杉鷹山のほうがお札に近いわな。
ところで天下を統一した人間でお札になった人っていたかな。
0888人間七七四年
2009/02/10(火) 23:18:26ID:79Ka8S+D太平記すら読んだ事が無いのが良く分かるw
つか南北朝時代そのものをしらんだろ?
どの歴史家がどう具体的に言ってるの?南北朝時代の資料は戦国時代より良質な一次資料多い。
太平記を後世に金儲けの為大衆向けに作られた三国志演義といってる時点で恥ずかしいレベルw
いつまでも知ったかはよしとけw
0889人間七七四年
2009/02/10(火) 23:58:58ID:wSJspMNg0890人間七七四年
2009/02/10(火) 23:59:05ID:37xIYn4Y甘くておいしいです!!
0892人間七七四年
2009/02/11(水) 21:32:26ID:C9jvJlfDかなりの武具コレクタだったとか・・・。
0893人間七七四年
2009/02/12(木) 10:08:33ID:WbYKqaJU0894人間七七四年
2009/02/12(木) 14:46:26ID:bfiQfMDG太閤秀吉公とはまた違う意味での『オタクっぽさ』を感じる。
0895人間七七四年
2009/02/12(木) 17:50:34ID:8WjFQdaV>粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
これ今の日本にも言えるよな。
蒸し返して悪いが、史実の楠正成は凄いの?5行で教えて!
0896人間七七四年
2009/02/12(木) 18:32:08ID:eoP85cep0897人間七七四年
2009/02/12(木) 20:15:29ID:3kTmcPNbキモチ奴だな。
こういう奴が犯罪とか犯すんだろうね。南北スレで好きなだけやれや!
0898人間七七四年
2009/02/12(木) 21:36:23ID:zOLIGJST0899人間七七四年
2009/02/13(金) 01:43:06ID:QZIyMM7Lス
レ
ち
が
い
−完−
0900人間七七四年
2009/02/13(金) 01:44:30ID:QZIyMM7Lだいたいそんなもんだよね
それで逆輸入の形になるよな
やっぱり家康はすごい、と
ついでにウンコネタまで広まっちゃうけど・・・
0901人間七七四年
2009/02/13(金) 02:03:17ID:iN91iqwd面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
0902人間七七四年
2009/02/13(金) 09:19:13ID:Agtip8120903人間七七四年
2009/02/13(金) 09:53:04ID:s3eLakFi君臣豊楽
の難癖はめちゃくちゃだけどな
0904人間七七四年
2009/02/13(金) 09:58:36ID:2V96oLKxあれは豊臣の選者が意図的にした事と弁明書に明記され、
それが問題であると五山の僧は一致した見解を述べている
0905仙台藩百姓
2009/02/13(金) 10:22:07ID:AvjI++kv0906人間七七四年
2009/02/13(金) 14:34:45ID:5qpAIk+K0907人間七七四年
2009/02/13(金) 15:58:27ID:CdZu+eHfそうしなかったからこその今の豊臣びいきの人たちがいるんだろうけど
徳川側からしたら「これで恭順してくれたらなあ、無理だろうけど」って感じだったんじゃないの
それまでにだって機会はいくらでもあったけどしてもらえなくて、これが最後通達だったのかも
0908人間七七四年
2009/02/13(金) 20:34:31ID:XGeqUnhY家康すごいな。
0909人間七七四年
2009/02/13(金) 20:45:43ID:wsmpPsXP武骨ってこと?
>自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
前轍?踏まないのは大したもんだと思うぞ。
0910人間七七四年
2009/02/13(金) 23:34:59ID:JD0MMo82本当にあの方は偉大だ
0911仙台藩百姓
2009/02/13(金) 23:51:30ID:AvjI++kv0913人間七七四年
2009/02/14(土) 17:03:16ID:ijvbLm8R過半数だった?
0915仙台藩百姓
2009/02/14(土) 19:02:02ID:hihXhcDe二度も本陣捨てて逃げてるけど( ^ω^)
家康自身が欠点をさらけ出したわけじゃないし
大坂の陣で逃げたのも大久保に指摘されたら
脇差しに手をかけて城中に響き渡るほど大声で怒鳴り散らして怒り狂ったお
本人は汚点を隠したかったけど周りに言われてバレちゃっただけだお( ^ω^)プッ
0919人間七七四年
2009/02/14(土) 22:12:21ID:5zsC7Krhスレタイと正反対な事してんじゃねーよ
家康公を尊敬しない奴は決まってそういう低脳で幼稚な発言を絶対するんだ
何故だと思う?
馬鹿だからだ!
0920人間七七四年
2009/02/15(日) 02:44:06ID:AEJ8ZNlL3月に日光行ってくるわ…定期的にいきたくなるんだよな
0921人間七七四年
2009/02/15(日) 11:30:48ID:0OLSbiuX男性特有の『コレクター』っぽい部分があったのかも。
0922人間七七四年
2009/02/15(日) 18:23:43ID:0XeCgEN20923人間七七四年
2009/02/15(日) 19:21:13ID:F2kmU3Oe0924人間七七四年
2009/02/15(日) 20:49:48ID:AEJ8ZNlL0925人間七七四年
2009/02/15(日) 21:11:39ID:jiPYPgou久能山はどうすんだ
0926人間七七四年
2009/02/15(日) 22:06:53ID:w0fppN6/0927人間七七四年
2009/02/15(日) 23:22:15ID:NvM4oFAPよく言われる程悪く書かれてないし、魅力的な役柄多くないか?
秀吉の方が印象悪くなる記述多いし、信長なんかは妙にスルーされてる事多いし。
0928人間七七四年
2009/02/16(月) 02:49:36ID:gLgpwe1R凄みのある悪役として描かれている作品(関ヶ原、城塞など)もあれば、
無闇に貶されたり無用の批判をされているな、と感じる作品(功名が辻、
竜馬がゆくなど)もある。
少なくとも江戸政権末期の様相を家康の性格に起因すると考察したり、
秀吉の主家簒奪を評価したあと、すぐに家康の主家簒奪を『犯罪的』と
称するのは個人的にはあまり愉快ではないな。
0929人間七七四年
2009/02/16(月) 08:19:51ID:+wjaRy9x歴史上の役割としては権力の一極集中に必要な儀式だが、司馬は現代からの視点で書くし。
山岡荘八の家康公は流石に江戸の御用学者もビックリだけどさ。
0930人間七七四年
2009/02/16(月) 08:51:07ID:mOVW1Foq池宮彰一郎先生の家康面白いよ。
幼い頃習ったイメージをずっと引きずって家康大嫌いだったんだけど氏の作品を読んでから家康が最も好きな武将になりました。
一個人、人間家康がすごく魅力的に書かれてます。
0931人間七七四年
2009/02/16(月) 09:03:06ID:mOVW1Foqそれが徳川家康の魅力だろう。
臆病に徹し、偉大な先輩の下で野望をひた隠し、時には負けて逃げ回り堂々と歴史に恥を残した。
だが最後の最後に巡って来たたった一度のチャンスをなりふり構わず掴みとった。
こんなに親しみを感じる魅力的な人物はそういない。
0932人間七七四年
2009/02/16(月) 09:19:37ID:b1MbyWLc信長だと、ゲームやテレビをまんま受け取って、架空の人物と現実が区別できてないのが多い。
なんからしくておもろい。
0933人間七七四年
2009/02/16(月) 10:18:40ID:LL0W1q8t去年大河ドラマが好例
0934人間七七四年
2009/02/16(月) 20:38:23ID:xFqW8vDj山岡家康は今見ても聖人君子に見えるんだから
これが発刊当時だったら相当センセーショナルだったんだろうな
俺の場合、親父が持ってて読ませてもらったから
今度会ったらその辺聞いてみたい
0935人間七七四年
2009/02/17(火) 01:07:44ID:kc4fVYyi三英傑はそれぞれ昔から神格化されてるけどなぁ。
革命化みたいな事やってた危ない塾の先生やその周辺じゃ、戦後信長崇めてたけど
意外と朝廷に楯突いてないので、今は家康らしいし。
0936人間七七四年
2009/02/17(火) 08:41:58ID:Jfh6OT94俺もそうだが、必ず山岡家康は読めと言われるからな。
経営セミナーなどでは必ず言われることだが「失敗者に学ぶことは何もない」
何故、どこで失敗したのか、を正確に読み取ることができるくらいなら
初めから何も学ぶ必要などない。
そういわれるとそうだな、と思ってしまうし。
0937人間七七四年
2009/02/17(火) 10:59:06ID:RE73HAZaそうか?山岡家康をそのまま信じ込んで、史実でどう研究がこうと言って
律儀者家康像を傷つけるような説は頭から否定している人とか結構いるがな。
>>935
自分に都合のいい偶像を崇めているってことですね。
その人はきっと、レーニンとスターリンを崇拝し、次は毛沢東を崇拝してきた
のでしょうな。
>>936
だから駄目なんだな、と思ってしまう。
敗戦を分析しない軍人はいない。
0938人間七七四年
2009/02/17(火) 17:18:51ID:Jfh6OT94そういうことではないんだな。自己や自社の失敗は徹底的に分析する。
しかし歴史上の人物に学ぶ、ということはそういうことではない。
史料やサンプルが少なすぎて、失敗の原因を特定することが困難で
そもそもそれを特定できる能力があれば、ハナからそういう失敗はしない。
限られた時間で学ぶならば成功者からより多くを学べ、というのが鉄則。
倒産企業の社長の「私はこうして会社をつぶした」セミナーには暇人しか行かないでしょw
0939人間七七四年
2009/02/17(火) 22:27:44ID:OiYh9Kowもちろん小豆餅と銭取り、ウンコは無し
そこそこネットしてる番組だから聞いた人いるかも
番組名なんだっけ、10分番組
0940人間七七四年
2009/02/18(水) 02:03:16ID:JkCjE+XF0941人間七七四年
2009/02/18(水) 03:33:01ID:jKfvtWfj本屋に行くときに稀に立ち読みしたりするけど、ほぼ例外なく現代の後付価値観によって
無理に当時の人間の行動を褒めたり貶したりするような程度の低い内容ばっかりだもんな
0942人間七七四年
2009/02/18(水) 08:43:54ID:1NAiad640943人間七七四年
2009/02/18(水) 08:52:00ID:nDFSMjEn940-942はニート
せつないのうw
0944人間七七四年
2009/02/18(水) 09:57:38ID:pqyFOSlhそれはそれは立派な経営手腕をお持ちの社長なんでしょうねw
0945人間七七四年
2009/02/18(水) 10:46:19ID:dTvJ+iqe「勝因の無い勝利はあっても、敗因の無い敗北は無い」
>941も言っているが、この手の話は勝利者はあたかも最初から全て計画があって、
その通りに動いて成功したかのように解析するんだよね。
0946人間七七四年
2009/02/18(水) 10:55:37ID:LdO6fRCj関係ないけど味噌の話は定期的に出るね
みんな好きなんだなあ
0947人間七七四年
2009/02/18(水) 11:55:12ID:hTskX/Eiこうゆう異常なマンセーが出ちまうのが山岡荘八家康の困ったとこかな。
信長・秀吉とはそもそも役割が違うしこの二人なしには家康もない。
0948人間七七四年
2009/02/18(水) 15:41:15ID:hPUl+LjBいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0949人間七七四年
2009/02/18(水) 15:54:44ID:P++8B4xJそして遠回しに自慢にもならないセミナー知識でひそかに自慢しているつもりになっている低所得者に間違いないw
0950人間七七四年
2009/02/18(水) 19:28:51ID:OA9x3mG8徳川に詳しい方からみると、どっちが主戦、に思ってるのかなって。
もちろん史料は書き手の良いほうに解釈してそういう書き方になるのだけど、後世の我々が冷静に評価したらどんなもんなんだろうってね。
信長の戦は案外たいしたことないし、徳川主戦、信長ってのは家康にかなり助けてもらってるような気がしてならないんだよね。
織田スレでは恐ろしくってカキコできないが・・
0951人間七七四年
2009/02/18(水) 19:48:55ID:I0OfIhK7気持ち悪いかなー。まあ聞いてもいない自分語りもアレだけど。
>>950
自分で何という資料のどういう記述からそういう結論を導き出したの
か言ってもらわないと肯定も否定も出来ん。
0952人間七七四年
2009/02/19(木) 00:22:20ID:99lCerMt長篠では、家康は信長に「今度援軍に来てくれなかったら手を切るぞ」って
言ったほど、戦力的に頼りにした。現実に、織田の援軍が到着してから、
救援に向かえたほど。
姉川なんて逆だよ。あれは家康が信長のお手伝い戦に召喚された合戦。
しかしそれだと神君が使いっぱ扱いになってしまうので、徳川の奮戦で
織田は勝利できた!と働きを過大に記述した。
金ヶ崎退陣などもそうだね。実際は摂津守護池田氏の兵を主力に、秀吉
光秀らが働いたのだが、ここで家康を活躍させることで
「秀吉がいなければ信長は生きていない、家康がいなければ秀吉は生きていない」
などと捏造セリフを信長に吐かせて、天下人二人に恩をかぶせ、家康が
いなければ二人とも天下人になれなかったと思い込ませた。
信長、秀吉、今川義元、武田信玄。家康より上の立場に立ったことの
ある人物は、基本的に家康をマンセーする為にイロイロとプラスにも
マイナスにも改変が加えられている。
0953人間七七四年
2009/02/19(木) 11:06:22ID:tK7Zq/6xまあただその悪い記述が基で魔王だの風雲児になって、現代じゃ人気になるってのは面白い。
そこまでトンでも人間でもなかったらしいのにww
0954人間七七四年
2009/02/19(木) 17:37:23ID:aNv57nDCイチロー伝説みたいなことになってる
0955人間七七四年
2009/02/19(木) 20:21:48ID:92RUz+97そうなの?
あんなに苛烈な人物でもなかったの?
興味あるので教えてください。
それは幕府の方針ってか、家康の評価や正当性を強調する為かな?中華の史記のごとく前王朝や前主権者をケチョンケチョンみたいな
0956人間七七四年
2009/02/19(木) 22:04:42ID:L3R+FatH信長人気は戦後の映画から。
その理由は長くなるので省略だけど、ちゃんと普通によく語られてたりする。
簡単にいうと、太平洋戦争の影響で、他国侵略をした秀吉を英雄視できなくなって、外なる人を
殺していない無害な信長が語りやすかった、というのがある。
で、江戸時代の芝居や草子類は信長なんてほとんど触れられてない。
あくまで、秀吉とか家康のつけたし。
これを不当というかどうかは別の問題だが、重要なのは家康にはむかった秀吉でも江戸期には大人気で
自由に語れた。
このあたりは大事だよ。
で、戦国勝ち抜き戦という意味では、信長は光秀よりも下、負けてるしね、せいぜい毛利ぐらいと同格、ってとこ。
少なくとも江戸期まではそうやって思われてた。
織徳同盟ってのもあるんだから、徳川は織田を低く評価する理由がない。
実記では、あの強い織田を助けた、みたいなふいんきになってる。
にもかかわらず、織田に関する庶民的な人気がない、というのは注目なんだ。
話戻して、今の信長のイメージは戦後の映画だし、若い人にとってはゲーム、で洗脳されてる。
スレチだが、鉄砲三段撃ち、鉄甲船、楽市楽座、関所撤廃、このあたりは史実ではないことがほぼ証明されてる。
ちなみに、信長は地球儀もみてないはず。
世界をウンタラ、なんてのは完全に創作だぉ。
0957人間七七四年
2009/02/19(木) 22:10:38ID:L3R+FatH楽市楽座、関所撤廃とかは、信長も採用したけど、決して信長が創始者、ではないってことね。
政軍分離ってのもそう。
各地方大名の研究が進んでいろんなとこで独自にひろまったり進歩したりしてのがわかってきた。
それを信長がそのまま、安堵した、みたいな書状も残ってるので、なんでもかんでも、信長が革新的に発明、日本を統一した、みたいなのは完全に創作、ってことで。
0958人間七七四年
2009/02/19(木) 22:22:57ID:92RUz+97何だ、ただの外基地のたわごとかw
0959人間七七四年
2009/02/19(木) 23:11:35ID:S6cgwvi7逆に大坂では別に家康本陣は慌ててなかったとか
話はいろいろあるよねえ
繋がりは無いけどたまたまこっちに書いてきたんで
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0960人間七七四年
2009/02/19(木) 23:58:11ID:99lCerMtその織徳同盟も、実際は対等の同盟ではなく、上下関係の同盟だったとされているね。
だからこそ江戸以降、織田と徳川が最初から対等な関係だったと色々と捏造された。
0961人間七七四年
2009/02/20(金) 00:09:04ID:62P6+icq例えば秀吉は大坂では人気だったと言うが、では大坂以外では?
信玄や武田家は徳川がおおいに宣伝して軍学の流行と同時に人気になったが、
信濃の一部などでは蛇蝎のごとく嫌われ続けた。
ちなみに江戸時代に、戦国武将で相撲の番付評みたいなのを作ったりもされて
いるのだが、信長は光秀や毛利よりも上に位置づけられている。まあこれも
複数の種類があるので評価が一つに定まっていたものでもないが。
0962人間七七四年
2009/02/20(金) 10:07:51ID:YaFUV18Oむしろ暗殺しなかった浅野のほうがバカ殿w
0963人間七七四年
2009/02/20(金) 10:51:42ID:o7McV/pdあと中国なんかは特にそうなんだけど、現代の政治・経済・文化の
情勢で讃える対象が決まってくるっていうのもある。
中国で民国・満洲帝国と戦っていた毛沢東が天下を取りかけていた頃に
明・満洲と戦った李自成が過剰に持ち上げられたり、江青夫人が実権を
握った途端に則天武后がもてはやされるといった「その時々の政治的
要求に合わせて歴史の化粧を変えてみせる」という学会の阿諛追従が
日常化しているけれど、日本だって明治・昭和の天皇制賛美の時代に
南朝方や上杉謙信が忠臣としてもてはやされ、満洲大陸移民の時代に
なると義経ジンギスカン説が語られ、明治と高度成長の時期には
立身出世の権化・秀吉が過剰に神格化されてる。坂本竜馬も戦前は
「海軍の創設者」と讃えられてたのが戦後になると「株式会社の創設者」
にいきなり賛美の内容が手のひらを返されてた。
0964人間七七四年
2009/02/20(金) 10:52:51ID:o7McV/pd「西洋文化を取り入れた」
「新兵器の利用に熱心だった」
「経済の活性化に功績があった」
「信賞必罰のリーダーシップ」
なんかをもてはやされていたのも、単に知っている武将に
今の時代の理想像を何でも押し付けようという
「夢見る側の勝手な都合」
だったんじゃないか?
信長ブームについては、信長自身の資質なんかよりも、ブームに
なっていた時代の「世相」の方を調べるほうが判りやすいと思う。
それは不景気の時代の家康ブームについても言えるんだろうけれど。
0965人間七七四年
2009/02/20(金) 11:39:44ID:A+dgvjdB勝手に無神論者にされたり、物凄い傲慢にされたり(以外と公家なんかにはマメに対応してる)と
信長の逸話がインフレしっぱなしだからなあ。
信長・秀吉・家康は似たような事やっても、猿ウゼー 狸uzeee 魔王様流石!つーやつが多くて疲れる。
0966人間七七四年
2009/02/20(金) 14:08:22ID:QpnYxkjE0968人間七七四年
2009/02/20(金) 15:57:58ID:ATECzH4oそれも難しいところだよね、いろんな側面、見方、があるから一概には言えないけど自分はかなり対等に近いものがあったと思ってる。
江戸期にはそれは徳川はなんでも中心で語られるけど、捏造は捏造として、織豊の頃にまでさかのぼって判断するとあながち、上下関係とも言い切れないだろう。
長男切腹事件で丁度信長ー家康が直接やりとりするわけで、家康に詳しい人たちにも聞いてみたとこだけど、あのあたりの二人の関係はどうだったんだろね。
事件自体もいろいろな説が出てるようだし。
>>961
それはそうだね。で、信長人気、という一般論に関してはこれは戦後の映画のイメージというのは常識みたいなもんで、世相というのもそうだし、政治事情というのもそうだろう。
家康ってのもこのあたりで、本格的に取り上げてほしいものだけどな。
日本が世界に誇る人物、という感じで。
0969人間七七四年
2009/02/20(金) 21:29:27ID:Qk5TkAZ/秀吉も、家康の次男を人質に取った時点で一度停戦して九州、四国を平定する
その後改めて家康に脅しをかければ有利な条件で家康を降せるはず
0970人間七七四年
2009/02/21(土) 00:19:42ID:csmwCd0U大坂の陣は和議というより実際は降伏勧告に近い
豊臣側は大坂城の内堀・外堀を問わず全て埋め立て、本丸以外を全てを破却が条件であり
もちろん徳川側は特になんの条件も課されていない
それに対して小牧は家康が最初から後継者扱いしていない秀康を厄介払いしただけで
それ以外は家康はなんの負担もしていないし追い詰められてもいない
秀吉が有利な条件で家康を降すことは不可能な状態だった
0971人間七七四年
2009/02/21(土) 01:19:26ID:aoKYx99+直線で200mぐらいのとこまで秀吉ー家康は接近してるのでしょう。
あのぐらいビッグな存在だと局地戦で終わってしまう、にらみあったままでおしまい、とかそういうのもあるだろうし、雌雄を決するつもりだったかもしれないし、なかなか興味深いとこなんだよな。
どっちみち戦で勝てないと成ったら、秀吉が作戦変更したのは史実の通りだろうから家康がどうしてたかがね。
信雄が想像を絶するアホ殿だったからさすがに家康もまいってたかな。
0972人間七七四年
2009/02/21(土) 01:42:06ID:T7kNYQz1このためにものすごい重税をかけて、自殺者や逃亡者を出しまくって
経済的にはものすごく追い詰められていたそうだが?
0974人間七七四年
2009/02/21(土) 06:19:47ID:aoKYx99+かもね。
ただ、重要なのは、人間いつ死ぬか、なんてわからないこと。
家康なんて辛抱して長生きしただけじゃん、とはよく言われるけど、それがいかにすごいことか。
関が原から大阪の陣まで10年以上、その間自分が生きてるなんて誰にもわからない。
結局、豊臣殲滅は急務じゃなくていつでもできる、他に優先事項がある、ってことなんだろうけど。
その判断が間違ってなかったこともすごい。
結論として、家康はすごい、だけだなも。
0975人間七七四年
2009/02/21(土) 09:45:33ID:vzQ4ouaX小牧・長久手スレでも書いたが、両者の陣地戦は家康が優位なのです
彼の方は二つの台地の境界線上にあって、水が出やすく湿地帯の中にある
秀吉は原野の中にあるだけで、秀吉が一方的に不利なのです
後、中入りは岡崎城は攻めれればラッキー程度で、実際は家康を引きずり出し、
秀吉本隊とで挟み撃ちにする作戦だった様です
まぁ、これは家康があまりにも速く動き過ぎて失敗しましたが
0976人間七七四年
2009/02/21(土) 10:35:26ID:Ufz8pZh7そんなことはない。
小牧陣の東も北も秀吉方陣地で固められてて楽田〜竜泉寺に至までも拠点の普請を
行っている。家康方から岩崎山攻めるのも困難至極なはずで
秀吉が一方的に不利なんて事はない
0977人間七七四年
2009/02/21(土) 10:48:30ID:Ufz8pZh7あの作戦は秀吉の意思によるものだよ。池田の発案というのは講談。
3月13日の丹羽長秀宛書状では『14、5日程で一気に酒の酔いを醒ますごとく
決着つけてやる』と言ってるししかも大軍結集してるから実行にも移してる。
敗戦前日の丹羽宛書状等複数の書状では『家康さへ討果候へは』
とあるし龍泉寺に向かう途中での柏井、大草の根城に山内一豊、
生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を三河
へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦も
その一貫であり自分の意思で池田等の兵力を三河に向け発向させる予定である旨
を報じてる。
北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被
仕候付被討果之由候て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀かねに同道してた
渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』と記してる。
その後も秀吉の決戦構想は は秋頃まで一貫してて11月の信雄との和睦時ですら
「家康には恨みが深いので年内であっても攻め滅ぼしてくれん」とか言ってる
0979人間七七四年
2009/02/21(土) 13:20:52ID:iiww7NG6家康の計略が裏にあったとしか思えなくなってる
そんな家康の謀略家ぶり
09801
2009/02/21(土) 20:37:43ID:gFsJH9kKhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/l10
0981人間七七四年
2009/02/22(日) 00:39:22ID:ZpTHnD6Fほぉ、池田の発案が講談、というのはおもしろい。
個別に検証したいとこだね。
具体的行動は家康が取ってるし、秀吉の動きは後手というか、様子見、牽制しながらに思えるのだよね。
でも、あの秀吉がそんな簡単に不利になる体制を作るわけないから、あの岡崎責めは陽動作戦で、家康が動いたところを叩く、というのはありそう。
にしては、かなりの大軍がやられてるし、小牧自体がよくわからないところもある。
ちなみに、自分は名古屋なので、あのあたりの、湿地帯、とか、原野、とかそういう地形的な評論は認めない。
いかにも机上の論でね、桶狭間もそうなんだけど。
977さんが言うように、秀吉の作戦で、失敗したから、作戦変更、というのが正しいのかな。
で、3年で関白になっちゃって結果的に大成功。ミスすらうまくごまかす、というのは秀吉のすごいとこなんだろか。
最終的に勝ったのは家康さまなんだけどね。
0982人間七七四年
2009/02/22(日) 07:29:46ID:oBf0ssGs個別に検証も何も甫庵太閤記が初出の話なのだが。
まあ小牧から釣りだしたかったようだね。その後秀吉は木曽川筋で戦うが
この時も『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』と小牧から
おびき出そうと考えてたし。でも究極的な目的は>>977にも書いたけど
家康との短期決戦が目的と考えられる。その後7月に『来る15日(八月十五日)』
『西国・北国之人数』を総動員して尾張、三河遠江へ出兵する計画を報じており
この計画を各方面に書状で報じている。
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